西洋絵画では、後進国とも言うべき、オランダやイギリスが、遅れて台頭して西洋絵画の歴史に、新鮮なインパクトを与えた軌跡が面白い。
私自身、オランダに3年、イギリスに5年住んでいたので、特に、興味を持って、木村説を拝聴した。
まず、オランダ絵画、
さて、ギリシャで生まれ、イタリアで開花した西洋絵画は、元々、王侯貴族、知識人など特権階級の独占物で、知識教養のある一部のものであったのだが、オランダの勃興で、市民階級の台頭によって、一気に、一般社会に普及し始めたのである。
オランダは、スペイン支配のハプスブルグ家の領土であったが、1568年に勃発したスペインとのオランダ独立戦争から、八十年戦争の結果、1648年のヴェストファーレン条約を経て独立。この間、東インドを侵略してポルトガルから香料貿易を奪い、東インド会社を設立してアジアに雄飛し、急速に、オランダ海上帝国を築きあげて覇権国家として黄金時代を迎える。
世界中から、様々な珍しい品々が集まり、人々の収集熱が最高潮に達して、日本のバブル時代のように、絵画収集に熱狂するなど、チューリップの球根さえ投資対象となって、チューリップバブルが弾けうと言う異常な時代に突入したのである。
この時代、オランダでは、強力な王政や貴族社会が存在せず、権力を握っていたのが裕福な商人や市民階級であったので、オランダの絵画市場の中心となったのは、上層市民や一般の富裕な市民だったが、これまで、主流であった、歴史画を掛けるほど大邸宅に住んでいたわけではなく、王侯貴族のような教養を持ち合わせていたわけでもなく、神話や宗教に精通しているわけでもないので、彼らが求めた絵画は、親しみ易いジャンル、静物画や風景画、そして、日常のワンシーンを描いた風俗画であった。
宗教画や歴史画と比べて格下だと思われていたが、敬虔なカルヴィン派のプロテスタントであったので、この人生をキリスト教徒としていかにきちんと生きるかが、すべての土台であり、神話の世界ではなく、現実の人生の喜びを描いた絵画に対するニーズが、非常に高まって来たのである。
興味深いのは、それ以前の絵画は、画家を丸抱えにしたり、オーダーメイドをする王侯貴族や教会など権力者たちによって支えられていたが、オランダでは、人々の収集熱の高まりに押されて、美術商が生まれて、彼らが持っている絵画から自分の好きな絵を購入するようになったことで、自然、画家たちも、そのニーズに合った、売れそうな絵を描くようになったと言うのである。
オートクチュールではなく、絵画のプレタポルテ文化が誕生したのである。
この時代のオランダ絵画は、百花繚乱、玉石混交、沢山の静物画、風景画、風俗画が生産された。
そう言われれば、レンブラントは別格として、
肖像画や風俗画の、ヤン・フェルメール、ヤン・ステーン、フランス・ハルス、
風景がの、ヤン・ファン・ホーイェン、サロモン・ファン・ロイスダール
静物画の、アブラハム・ファン・ベイエレン、ヘダ・ウィレム・クラース
などのオランダ絵画の輝きが良く分かる。
しかし、欧米に長く居て、オランダにも3年住んで、美術館博物館に、何度も通いながら、フェルメールに心酔し、レンブラントに感激しきりでありながら、ハルスくらいで、ほかのオランダ絵画に敬意を払って、鑑賞してこなかったのを、認識不足とは言え、今になって後悔している。
さて、オランダの市民の住居だが、決して広くはないが、非常に、奇麗に整理整頓されていて、オープンである。
私が、オランダで生活していた1985年から1989年にかけては、少しずつ治安が悪くなってきていて、アムステルダムなどの都会地では、カーテンが付けられるようになった住居が多くなってきたが、本来、オランダの家は、外部にはオープンで、カーテンなどなくて、ガラス窓だけなので、外から丸見えであった。
オランダ人は、外から見ようと見られようとまったく気にしないようなのだが、1980年代初期に、デルフト工科大学へ留学していた同僚が、夏の夜など散歩するのが楽しみであったと語っていた。オランダは北国で冬季は日照が悪いので、他国の住宅よりガラス窓が非常に大きいので、丸見えだが、私には記憶がない。
それよりも、この外からオープンだと言う特質を生かして、窓際に、家具や調度、それに、絵画を飾り立てて、「素晴らしいでしょう、見てください」と道行く人を楽しませてくれる。
それに、オランダは、花の国。
窓際に装飾された素晴らしい鉢花やフラワーアレンジメントが、それにも増して、一層華を添える。
オランダは、正に、美しさ素晴らしさを近隣の人たちのみならず、道行く人々とも共有して楽しむと言う国民性があり、その一環が、国民挙げての花文化であろう。
観光地に行けば当然だが、民家の小さな庭にも、奇麗な花壇があって、季節には、花々が咲き乱れている。
美人秘書に、チューリップが咲き始めたがキューケンホフ公園へ行ったかと聞いたら、周りに花が咲き乱れているのに、何で行く必要があるのかと、怪訝な顔をされた。キューケンホフは、外人向けの観光チューリップ公園なのである。
私自身、オランダに3年、イギリスに5年住んでいたので、特に、興味を持って、木村説を拝聴した。
まず、オランダ絵画、
さて、ギリシャで生まれ、イタリアで開花した西洋絵画は、元々、王侯貴族、知識人など特権階級の独占物で、知識教養のある一部のものであったのだが、オランダの勃興で、市民階級の台頭によって、一気に、一般社会に普及し始めたのである。
オランダは、スペイン支配のハプスブルグ家の領土であったが、1568年に勃発したスペインとのオランダ独立戦争から、八十年戦争の結果、1648年のヴェストファーレン条約を経て独立。この間、東インドを侵略してポルトガルから香料貿易を奪い、東インド会社を設立してアジアに雄飛し、急速に、オランダ海上帝国を築きあげて覇権国家として黄金時代を迎える。
世界中から、様々な珍しい品々が集まり、人々の収集熱が最高潮に達して、日本のバブル時代のように、絵画収集に熱狂するなど、チューリップの球根さえ投資対象となって、チューリップバブルが弾けうと言う異常な時代に突入したのである。
この時代、オランダでは、強力な王政や貴族社会が存在せず、権力を握っていたのが裕福な商人や市民階級であったので、オランダの絵画市場の中心となったのは、上層市民や一般の富裕な市民だったが、これまで、主流であった、歴史画を掛けるほど大邸宅に住んでいたわけではなく、王侯貴族のような教養を持ち合わせていたわけでもなく、神話や宗教に精通しているわけでもないので、彼らが求めた絵画は、親しみ易いジャンル、静物画や風景画、そして、日常のワンシーンを描いた風俗画であった。
宗教画や歴史画と比べて格下だと思われていたが、敬虔なカルヴィン派のプロテスタントであったので、この人生をキリスト教徒としていかにきちんと生きるかが、すべての土台であり、神話の世界ではなく、現実の人生の喜びを描いた絵画に対するニーズが、非常に高まって来たのである。
興味深いのは、それ以前の絵画は、画家を丸抱えにしたり、オーダーメイドをする王侯貴族や教会など権力者たちによって支えられていたが、オランダでは、人々の収集熱の高まりに押されて、美術商が生まれて、彼らが持っている絵画から自分の好きな絵を購入するようになったことで、自然、画家たちも、そのニーズに合った、売れそうな絵を描くようになったと言うのである。
オートクチュールではなく、絵画のプレタポルテ文化が誕生したのである。
この時代のオランダ絵画は、百花繚乱、玉石混交、沢山の静物画、風景画、風俗画が生産された。
そう言われれば、レンブラントは別格として、
肖像画や風俗画の、ヤン・フェルメール、ヤン・ステーン、フランス・ハルス、
風景がの、ヤン・ファン・ホーイェン、サロモン・ファン・ロイスダール
静物画の、アブラハム・ファン・ベイエレン、ヘダ・ウィレム・クラース
などのオランダ絵画の輝きが良く分かる。
しかし、欧米に長く居て、オランダにも3年住んで、美術館博物館に、何度も通いながら、フェルメールに心酔し、レンブラントに感激しきりでありながら、ハルスくらいで、ほかのオランダ絵画に敬意を払って、鑑賞してこなかったのを、認識不足とは言え、今になって後悔している。
さて、オランダの市民の住居だが、決して広くはないが、非常に、奇麗に整理整頓されていて、オープンである。
私が、オランダで生活していた1985年から1989年にかけては、少しずつ治安が悪くなってきていて、アムステルダムなどの都会地では、カーテンが付けられるようになった住居が多くなってきたが、本来、オランダの家は、外部にはオープンで、カーテンなどなくて、ガラス窓だけなので、外から丸見えであった。
オランダ人は、外から見ようと見られようとまったく気にしないようなのだが、1980年代初期に、デルフト工科大学へ留学していた同僚が、夏の夜など散歩するのが楽しみであったと語っていた。オランダは北国で冬季は日照が悪いので、他国の住宅よりガラス窓が非常に大きいので、丸見えだが、私には記憶がない。
それよりも、この外からオープンだと言う特質を生かして、窓際に、家具や調度、それに、絵画を飾り立てて、「素晴らしいでしょう、見てください」と道行く人を楽しませてくれる。
それに、オランダは、花の国。
窓際に装飾された素晴らしい鉢花やフラワーアレンジメントが、それにも増して、一層華を添える。
オランダは、正に、美しさ素晴らしさを近隣の人たちのみならず、道行く人々とも共有して楽しむと言う国民性があり、その一環が、国民挙げての花文化であろう。
観光地に行けば当然だが、民家の小さな庭にも、奇麗な花壇があって、季節には、花々が咲き乱れている。
美人秘書に、チューリップが咲き始めたがキューケンホフ公園へ行ったかと聞いたら、周りに花が咲き乱れているのに、何で行く必要があるのかと、怪訝な顔をされた。キューケンホフは、外人向けの観光チューリップ公園なのである。