熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

河野牛豚肉店で正月食材を買う

2019年12月30日 | 
   年末も押し詰まってくると、家族に頼まれてコープなどへの買い物に出かける。
   店内は、日頃のディスプレィとは違って、正月用品や正月食品一色となって、いつもの商品を買おうと思っても、どこにあるのか右往左往、とにかく、大変な混雑ぶりである。

   正月用品と言っても、決まっているようなものであるから、家族が、生協の配達で調達しており、近くの店へ行くのは、不足品やアドホックな商品くらいではある。

   ところが、正月の家族でのすき焼きパーティ用の肉とか、ステーキやしゃぶしゃぶ用の肉については、手広にある河野牛豚肉店へ予約をして、買いに行っている。
   安い肉ではないのだが、品質は保証もので、確かな肉なので、良い肉を食べたいときには、この店に出かけていくことにしている。

   鎌倉から藤沢への道路と、大船から江の島へ抜ける道路の交差点・手広にある小さな肉店なのだが、創業100年で、店頭の客が絶えたことがない。
   年末年始には、特別販売しているので、客が殺到する。
   今日も、店頭には長い列ができていて、明日は、もっと混雑するという。
   私の場合には、事前に商品リスト表と申込書を貰っておいて、24日までに、申し込んであるので、適当な日に、店に行って、店の外の仮設カウンターで、特設冷凍車から、商品を受け取ることにしているので、これなら造作がない。

   さて、正月やクリスマスなど、特別な日には、現役の時には、レストランに行って、特別メニューで楽しむことが普通であった。
   特に、ヨーロッパに住んでいた時には、その国の祭日などに合わせて、個性豊かな料理を味わうのが楽しみであった。
   それに、公的にも必要であり、また、私的にも思い入れがあって、ミシュランの3つ星や2つ星付きなど高級レストラン行脚を続けていたこともあって、この方面でのヨーロッパ文化を結構楽しんできた。
   逆に、日本の高級料亭など、日本の方は、まずまずで、日本の食文化の奥深さには、欧米ほど、触れる機会がなかった。

   しかし、仕事から離れて、個人的な生活に入ると、ガラリと変わって、改まった会合やレストランでの会食など、表向きのイヴェントが少なくなって、家族や親しい友人たちとのプライベートな食事が多くなっている。
   したがって、DIYというか、生産消費者になって、自前で、家庭で会食を楽しむということになって、これが、結構、孫までの三世帯の豊かなコミュニケーションの場になって、楽しいのである。
   すき焼きなどは、DOは、子供たちだが、食材の準備は、我々祖父母が当たり、孫たちは、あれこれ言う役割である。

   ところで、欧米と日本との客の接待というか持て成しで大きく違うのは、日本では、客の接待には、大切な客であればあるほど、できるだけ高級な立派なホテルやレストランや料亭で、持てなそうと思う。
   ところが、欧米では、外で接客するのは次善の策で、会社なら、自分たちのビルの中にある自社の食堂で自社の料理人がサーブする会食が最高の持て成しだと見なされている。
   したがって、自社ビルを持つと、自社ビルの最も良い場所に接客用の食堂を設えて、立派な会社になるほど、凄い接客環境が整えられていてびっくりする。

   これと同じことで、個人の家でも、自宅へ招待して会食を共にするのが、最高の持て成しで非常に喜ばれる。
   家内などその準備で大変だったが、時には、友人の英国人夫妻にアシストしてもらったことがあったのだが、ほかの英国人の家でも、結構地位の高い客が、サーブを手伝うケースがあって微笑ましかった。
   ヨーロッパ人相手では、これが功を奏するものの、これを真似て、日本人客に自宅に招いたら、「しみったれ」と陰口を叩かれたことがあった。

   蛇足は避けるが、これも、文化文明の衝突の一例で、東京本社とのビジネス上の常識の違いでバトルが絶えず、日本人の国際常識音痴の酷さには辟易しており、これでは、ビジネス戦争に負けて当然だと思っていたが、案の定、わが日本国、悲しくも30年(?)もGDP500兆円で変わらず、成長が止まって、普通の国に成り下がって、先進国でも、どんどん地位が下落して、これ以上下がれないところまで来てしまった。

   話が変な方向に行ってしまったが、イギリスも日本も、自宅での心の通った温かみのある人間的な触れ合いが、貴重だということであろう。
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年末仕事は窓ガラス磨きと餅つき

2019年12月29日 | 生活随想・趣味
   昔と違って、新年を迎えるために、年末だからと言って、特に構えることはないのだが、私の担当として、何となく決まっているのが、まず、窓ガラス清掃で、網戸を含めて外回りのガラス戸やガラス窓の1年の汚れを落として奇麗にすることである。
   最近の新築の一戸建ては、窓が小さく、解放面が少なくなっていて楽だが、前世紀末に建った家は、出窓や縁側にしろ、結構オープンで、ガラス戸やガラス窓が、大きくて沢山あるのである。

   尤も、外回りだから、大層なことはせず、ホースで、ガラス面に水をかけて、その上に、花王のガラス用のマジックリンを適当に散布して、それ用のモップで表面を何度もこすって汚れを落として、ホースで強く水をかけておわりである。
   昨年までは、某ネットショップで買った散水機を使っていたのだが、そこは、ネット通販で、壊れてしまって、最も単純でノーマルなガーデニング用ホースが役立っている。
   さて、問題は、家の中の反対側のガラスだが、どうするか、
   二人の孫の手あかがついていて大変だが、明日の仕事にしよう。

   もう一つの私の担当は、餅を搗くこと。
   これも、昔のように臼と杵で搗くというのではなくて、東芝の電動餅つき機で搗くのである。
   日本に帰ってから始めたので、随分経つが、毎年、これで、2キロくらいのモチ米をついて、小さな、鏡餅を二つと、正月の雑煮用の餅を搗く。
   一臼2時間弱だから、午前中に終わる。
   子供のころ、祖父が臼と杵で餅を搗いていて、一緒にやっていたので、やり方を覚えており、臼が電気餅つき機に変わっただけである。
   
   さて、大晦日はホテルで過ごして、元旦は初詣をして、元旦の夜は、娘たち家族も集まって、9人ですき焼きパーティをして新春を祝う。
   正月料理の雰囲気程度には、味わうとしても、お節料理とは縁が遠くなってしまって、孫たちもステーキやすしなどの方が好きになって、もう、我が家には、昔の迎春のムードなどはなくなってしまった。

   テレビで、アメ横の雑踏を映し出していたが、ムードに煽られて、カニやマグロやカズノコやと言っていた頃を思い出して、今昔の感である。
   カズノコで思い出すのは、オランダに住み始めたころ、ニシン好きのオランダ人は、何かというと一夜塩漬けのニシン・ハーリングを、しっぽをもって上げたニシンを上を向いて食べるという習性があったものの、カズノコは捨てていたので、日本人が好物で食べるというので、商売になったこと。
   このハーリング好きは、徹底していて、オランダ最大の建設会社の社長との商談の後、その社長室で、これが出てきて、一緒に楽しんだことがあったが、いくら安いからと言っても、カズノコに飽きてしまって、日本に帰って来てからは、カズノコは食べたくなくなってしまった。
   話は変わるが、カニやロブスターやイクラやと言った海産物は、日本では、結構高価だが、ノルウェーやスウェーデンへ行けば、比較的安くて、食べられるのだが、塩気が強くて食べられなかったことがある。こうなれば、何が美味しいのかということである。

   余談でカニやカズノコの話になってしまったが、先日、ジャレド・ダイアモンドが日本人の本マグロやクジラ資源保護無視の姿勢を糾弾しているのを紹介したけれど、日本人の食文化への拘りをどうするかということである。
   世界三大珍味 として、キャビア、フォアグラ、トリュフが挙げられているのだが、私は、幸いというべきか、ヨーロッパに8年間住んでおり、結構あっちこっちに行って、この世界三大珍味を食する機会が何度かあったのだが、正直なところ、美味しいと思った記憶がない。
   しかし、憂慮すべきは、ホンマグロやクジラは、その典型的な一環に過ぎず、温顔化など地球環境の悪化によって、地球上の動植物の消滅は急速に進んでいて、種の多様性の消滅の危機は、人類の生存の危機の裏表でもあって、看過できない問題なのである。
   何億年とかかって生まれてきた動物や植物が、人間が、化石燃料を使いすぎた結果地球環境を破壊して、どんどん殺しているという途轍もない罪悪を、天はどう裁くのか、恐ろしい限りである。
   食習慣、食文化の変化も、人類の運命と関連付けて考えなければならない、嫌な世の中になってしまったものである。

   さて、口絵写真は、椿紅茜の花だが、自然は美しい。
   明日は、雨のようだが、雨が上がったら、冬のバラの剪定をしようと思っている。
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国立能楽堂・・・復曲再演の会:狂言「蜂」・能「吉野琴」

2019年12月27日 | 能・狂言
   国立能楽堂の企画公演◎復曲再演の会のプログラムは、
   復曲狂言 蜂 (はち) 野村又三郎 
   復曲能  吉野琴(よしのごと) 片山九郎右衛門  

   狂言「蜂」は、一人狂言。
   現行曲では、ないが、番外曲では、2~3あるようで、以前に野村萬が、一人で演じた狂言「見物左衛門」を観たことがある。
   見物左衛門が、地主 の桜や西山の桜を見て回る様子を,小謡,小歌,小舞などを交えて演じる曲で、萬の至芸を楽しませてもらった。
   この狂言「蜂」も、シテの喜楽斎が、清水の桜見物に出かけて、満開の桜に浮かれて舞い遊ぶ人々を観ようと木に上って落ちたり、出会う人々に酒をふるまって自分も酔いつぶれて、寝ていると蜂に襲われて逃げ回る話である。
   後見の蜂の羽音の「ブーン」という擬音が秀逸で、シテ又三郎のとぼけた調子のほのぼのとした芸が楽しい。
  
   関東に移り住んで久しいが、やはり、桜は、関西で、この清水の桜もよく見に行った。
   大学から近かったので、銀閣寺から北に上がれば詩仙堂、南に下れば哲学の道から永観堂や丸山公園を皮切りに、大原三千院から寂光院、貴船から鞍馬山、嵐山から嵯峨野を経て仁和寺や竜安寺、醍醐から宇治、高尾の神護寺や三尾、鄙びた古寺や隠れ里・・・暇に任せて、桜やモミジの名所と言われるところを歩き続けていたので、能や狂言で、桜の舞台が出てくるとイメージが湧いてくる。

   奈良の桜やモミジの美しさ素晴らしさも脳裏に焼き付いているのだが、京都や奈良のように内陸部の盆地で、寒暖の激しい自然の厳しいところの風景は味があって実に美しいと思う。
   しかし、能「吉野琴」の舞台である吉野へは、随分昔、一度行ったきりで、それも、入口程度であるから、全山、櫻花に覆われた深山幽谷のような雰囲気は味わった経験がない。

   能「吉野琴」は、世阿弥の息子元雅の、天女をシテとした実に美しい曲なのだが、途絶えていて復曲の再演だというから興味深い。
   天女を舞った片山九郎右衛門師の説明をそのまま引用すると、
   ”遠い昔に、妙なる音楽に惹かれて降り立った吉野山で、天女は、琴を弾じる天武天皇の姿を目にしたのです。その瞬間、桜が咲き匂う柔らかな春の夜は、美しい記憶となって天女の目と耳と心に刻まれたに違いありません。忘れがたい一瞬と永遠はメビウスの輪の表と裏のようにつながり、その解き放たれた時間の中で天女が舞う―――”
   後場では、・・・み吉野の、花の遊楽夜も更けて、春の景色も曇りなき、月も吉野の山高み、・・・
   全山、萌えるように咲き乱れて輝く櫻花に、美しい月光が明るく照らし出して風景を荘厳する中を、きれいな衣を身に着けた美しい天女が舞い降りてきて、優雅に舞い始める。
   「天女之舞」の舞など、この口絵写真のビラの天女のように美しい姿で、舞い続けて、私など、カメラのシャッターをきる形で観ているので、一つ一つのシーンが、歌舞伎でいう見得の連続で、絵になっていて感動的であった。
   ・・・明くるや名残なるらん・・・紀貫之に優雅な舞を見せて、月の夜が明けてゆく中を、天女は、橋掛かりを揚幕に向かって歩み始めて、三の松の手前で止まって、前方にすっくと伸ばした左手を静かに胸の前に移して、袖を優雅に頭上に翻して、揚幕に消えて行く。
   舞の優雅さに加えて、ワキが紀貫之(宝生欣哉)で、勿論詞章も美しく、余韻さえ感動的な、素晴らしい舞台であった。
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ジャレド・ダイアモンド 著「危機と人類」日本について(2)

2019年12月26日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   第3部の「国家と世界 進行中の危機」での「日本を待ち受けるもの」は、現在の日本が直面している危機と、それに対してどのように取り組むべきか、殆ど既知の知識情報の展開だが、ジャレド独特の見解も披露していて面白い。

   危機に直面する日本人自身が、殆ど意に介せず無視している問題や、極端なジャパン・バッシングや無批判の日本礼賛論があるので、まず、日本の強みと弱みにつて論じている。
   強みの最初は、日本の経済力で、これについては、説明を要しないであろう。。
   次の強みは、「人的資本」で、文化的な強み、ナショナル・アイデンティティ、生活の質。
   もう一つの強みは、環境の良さ。

   興味深いのは、経済大国アメリカと中国が、多額の軍事費を割いているが、日本は、アメリカの押し付けた憲法で、軍事費を節約できているが、将来はトラブルを招き得ると言う指摘。
   日本の安全防衛のタダ乗り論は、多くのアメリカ人の心情で、トランプも問題にし始めたのだが、ジャレドは、日本が、核装備した軍事大国への道を歩まざるを得なくなると言うのであろうか。

   弱みについて、まず指摘するのは、「巨額の国債発行残高」。
   債務削減策として、是率引き上げ、歳出削減、老齢年金の削減など、打開策は議論されているが、年々悪化しており、いまだ解決策への合意を得ていない一大問題だと言う。
   この問題は、現代経済学でも、大いなる問題であり疑問なのだが、辻褄を合わせるためには、出来るか出来ないかは分からないが、民間企業がやるように、途轍もなく膨大な国富を持っている日本国のバランスシートを分析して、資産を売却すればどうであろうか。国債を振り向けて、膨大な眠っている金融資産を活性化する以外に方法はない。
   東大や京大が、いくらで売れるか分からないが、少子高齢化で経済が縮小していく日本では、経済成長が期待できないし、インフレも期待薄で、政府の考えているような債務削減策では、国民の身のみならず、骨も皮も切り刻むことになって、お先真っ暗である。

   ジャレドが指摘する弱みは、女性の役割、少子化、人口減少、高齢化、
   言われなくても、日本人総てが知っている現実である。

   ジャレドの指摘で面白いのは、「人口減少」は、朗報であって、人口が減れば、日本は困窮するのではなく非常に裕福になると言うのである。
   資源の逼迫は、近代日本史において呪縛の一つであり今もそうだが、人口が減れば、必要とされる国内外の資源が減るからである。
   次の章で、震源の豊かなアメリカは逆に、資源は無尽蔵であり、人口が少なく十分に余裕があり、人口増が経済発展に望ましいと論じている。
   確かに、ジャレドの指摘には一理あるものの、これは、債務もない安定した先進国に言えることであって、
   国家の経済力は、「人口」×「一人当たり平均生産量」であるから、人口が減れば経済成長が鈍化して、益々、日本の国家債務が増加して首を絞めることとなって、裕福になるどころではない。
   国家債務削減のためには、少なくとも、名目GDPの成長は、必須なのである。

   日本がほかに抱えている問題は、移民、中国と韓国との歴史問題、自然資源管理への消極的姿勢。
   外国人の移民に対しては、最も門戸を閉ざしている日本だが、ジャレドは、アメリカの章でも、移民によっていかにアメリカが発展成長を遂げたかを論じており、移民礼賛論で、日本にも、自国にとって潜在的価値があるのかどうかと言う基準を重視して進めることを提案している。
   自然資源保護については、クロマグロやクジラを挙げて、遠洋漁業や捕鯨に関する真っ当な規則についても日本は反対勢力の先頭に立っており、自己破壊的だと極めて厳しい。
   そんなに言われる程、酷いとも思わないが、私自身は、クロマグロにもクジラにも全く興味はないので、何故、意固地になって騒ぐのかは疑問に思っている。

   中国と韓国に対する歴史認識の問題だが、ジャレドの理論展開や指摘は、中国や韓国の極端な一方的な論述の域を出ておらず、コメントは避けたい。
   参考文献においても、かなり分析の確かであった明治時代のものばかりなので、最近のメディア情報や当事国の論調などに影響されているのであろうか、公平性を欠いているように思う。
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国立能楽堂・・・狂言「鐘の音」・能「橋弁慶」

2019年12月24日 | 能・狂言
   今月は、先月に続いて◎演出の様々な形の2回目、
   演目は、同じ狂言「鐘の音」能「橋弁慶」で、次の通り、
   先月よりは、凝縮されたシンプルな曲で、狂言25分、能50分弱の短い舞台であった。

   狂言 鐘の音 (かねのね) 野村 万蔵(和泉流)
   能 橋弁慶(はしべんけい)替装束・扇之型(かえしょうぞく・おうぎのかた)金剛 永謹(金剛流)

   先月の大蔵流の「鐘の音」は、金を鐘と間違えた太郎冠者に、仲裁人が入ると言う少し物語性が加わった舞台であったが、今回の和泉流の舞台は、太郎冠者が自分で鐘を突き、響き渡る鐘の音の表現や、間違って鐘の音を聴いてきて主人から怒られたので、その様子を仕方話にして、小舞を見せて主人の機嫌を直そうとする太郎冠者の芸が魅せ処であろう。
   箸にも棒にもかからない惚けた調子の万蔵の太郎冠者に、呆れ果てて渋い顔をして対する主の萬の表情が秀逸なのだが、
   小舞で、夫々の寺の鐘の音に、「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」と言う涅槃経の偈をあてた謡が謡われていると言うことで、かなりの教養がないと、太郎冠者の良さが分からないと言うところが面白い。

   能「橋弁慶」も、前回のように、「笛之巻」の小書のある常盤御前が登場して、牛若丸に説教するシーンがないのだが、詞章に、「・・・母の仰せの重ければ、明けなば寺に上るべし、今宵ばかりの名残ぞと、・・・」とあって、この曲でも、千人切りは牛若丸であって、弁慶は、挑戦者であることが分かる。

   金剛流のこの舞台は、「替装束」「扇之型」がついていて、先月の演出のように、弁慶は直面で、袈裟頭巾の姿ではなく、「長霊癋見癋見」の面に長範頭巾を被った姿となり、こうなれば、歌舞伎の勧進帳で見慣れている弁慶のイメージとは全く違ってくるのだが、永謹宗家の偉丈夫で堂々とした貫禄のある姿を観ていると、この方が、本当の弁慶のように思えてきて不思議であった。
   「扇之型」は、弁慶との対決途中に、牛若が、弁慶に扇を投げつけるのだが、半ば開いた奇麗な扇なので、絵になって面白い。

   同じテーマの曲でも、流派によって、小書や演出、それに、詞章などの変化によって、演出の形が、様々に変化して、ハッとするようなシーンが展開されるなど、興味深い。
   名能楽師の著作などを読んでいると、結構、他流派の演出に触発されたり、影響を受けることがあるようだし、歌舞伎や文楽など、異業種の古典芸能との関りなど、純粋培養の世界にも、外界の影響があるようで面白いのだが、
   イノベーションと同じように、新規の発明などはなく、
   茂木健一郎氏が、言っているように、
   クリエイティビティにとっては、脳に記憶された経験と知識の豊かさが大切で、その記憶の豊かな組み合わせの多様性が創造性を生む。経験や知識は、必ずしも新しいものではないのだが、脳に知識として内包された経験と知識がお互いに触発し合って生み出す無限の組み合わせが、新しい発想や発明・発見を生み出し、無限に新しいものが創造される。
   しからば、芸の世界であっても、伝統を固守しすぎて、純粋培養であるよりも、脇目を振るのも、芸の肥やしになるではないかと思うのだが、どうであろうか。
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国立名人会・・・神田松鯉の講談「赤穂義士外伝 天野屋利兵衛」  

2019年12月23日 | 落語・講談等演芸
   国立能楽堂の第436回 国立名人会 のプログラムは、
   落語「猫退治」 雷門小助六
   講談「外相の右足」 神田阿久鯉
   コント  コント山口君と竹田君
   落語「自殺狂」 古今亭寿輔
  講談「赤穂義士外伝 天野屋利兵衛」  神田松鯉

   私は、 人間国宝神田松鯉の講談「赤穂義士外伝 天野屋利兵衛」を聴きたくて、出かけた。
   天野屋利兵衛は、赤穂義士の吉良邸討ち入りのための武器調達を一手に引き受けた堺の廻船問屋の松永利兵衛で、厳しい奉行の取り調べにあっても、大石内蔵助との密儀を明かさず、可愛い子供を殺そうとされても、「天野屋利兵衛は男でござる。」と言って口を割らなかったと言う大坂商人の鑑。
   浄瑠璃・歌舞伎は勿論、浪曲、落語などにも、これを主題としたバリエーションの作品があり、非常に興味深い。
   私は、歌舞伎の仮名手本忠臣蔵の十段目・発足の櫛笄の「人形まわしの段」「天河屋の段」を一度観ただけだが、義侠心に秀でた大坂商人の話で、歌六の粋な利兵衛に、痛く感激したのを覚えている。

   神田松鯉の講談は、次のような話だったと思う。
   浅野家当主が、天野屋利兵衛を、城の道具の虫干しを、直々に案内し、重宝の雪江茶入れをよく見ておけと見せたのだが、その日、その茶入れが紛失し、利兵衛が疑われ、詮議した内蔵助に、「自分が盗んだ」と白状した。ところが、この報告に、お殿様にお目通りしたら、自分が持ってきたと示される。なぜ、嘘をついたかと聞いた内蔵助に、係の貝賀や磯貝が切腹になるからと答えた。
   この一件以来、浅野内匠頭と利兵衛との深い親交が続いたと言う。
   浅野内匠頭の刃傷事件と切腹を聞いた利兵衛は、妻を離縁して、槍を背負って赤穂城に馳せ参じて、内蔵助に、御恩をお返ししたい何でもすると懇願したので、利兵衛の忠義と男気を信じた内蔵助は、口外するなと釘を刺して、大事を語って13種の討ち入り武具の調達を頼み込んだ。
   武具調達に勤しむ利兵衛を、たれこむ者がいて、家宅捜索をすると、忍び道具・改造ろうそく立てが出てきたので、 町奉行松野河内守助義により捕縛され拷問にかけられるが、利兵衛は、義理ある人から頼まれたのだが時が来るまで待って欲しいと懇願するばかりで、口を割らない。
   町奉行は、一人息子を人質に取り、子供の喉元に刃を突きつけて白状を迫るが、「天川屋の儀兵衛は男でござる」。
   そこへ離縁した女房・ソデが現れ、夫や息子の難儀を見かねて、内蔵助に頼まれたのだと一切を暴露するのだが、町奉行は、槍を背負って赤穂城に馳せ参じた一件を、「あり得ない。狂女じゃ。」と言って取り合わず、それから一切取り調べをしようとしなくなった。
   討ち入りの成功を、牢番の立ち話で知った利兵衛は、安堵。取り調べれば忠義の邪魔。と奉行は利兵衛を釈放したと言う。

   勿論、名奉行松野河内守助義は、利兵衛の義挙は、お見通しで、忠義の邪魔になってはならないと、お目こぼしを行ったようだが、武士の情け、勧進帳の、切腹覚悟で義経一行を見逃してやった富樫同様の情けあるサムライであった。
   
   さて、歌舞伎の10段目だが、天河屋義平の店へ踏み込んで取り調べをして、義平を吊し上げて子供を殺そうとするのは、義平の忠義を試そうとした大星由良助たちだったと言う、何とも締まらない話になっていて、この所為かどうかは知らないが、上演回数が殆どなく、文楽でも、11月は上演されたようだが、私が観た2012年の国立文楽劇場の通し狂言でも、上演されなかった。

   浪曲の「天野屋利兵衛」を聴いてみたと思っているのだが、傑作は、落語の「天河屋義平」、
   天河屋が、自宅へ大星由良助を招いて酒宴を開いた時、由良助は、天河屋の女房が美人なのに目をつけて、「拙者の妾になれと」口説く。女房は、由良助の色好みは承知なので、「今夜、私の部屋に忍んで来てください」と誘うと、喜んで飲み潰れてしまう。一方、女房は、天河屋にも飲ませてべろべろに酔わせて、自分の部屋に寝かせて、自分は義平の部屋で寝てしまう。むっくりと起き上がった由良助は、約束通り女房の部屋に忍び込んで、布団をまくってコトに及ぼうとした時、天河屋はびっくりして飛び起きて長持ちの上に座って、「天河屋の義平は男でござる」。
   
   さて、楽しませてもらったのは、女流講談師の神田阿久鯉 の講談「外相の右足」。
   不平等条約改正を目論む明治の元勲大隈重信が、暴漢に、馬車に爆弾を投げ込まれて右足を失う大手術に纏わる話で、明治時代の激動を垣間見て興味深かった。
   丁度、ジャレド・ダイアモンドの「危機と人類」の幕末の日本の辺りを読んでいたところなので、面白かった。


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ジャレド・ダイアモンド 著「危機と人類」日本について(1)

2019年12月22日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   これまでのダイアモンドの著作とは一寸雰囲気が変わった、人類が現在直面している危機についての壮大な文化文明論であり、非常に面白い。
   歴史上、国難とも言うべき重大な危機に直面して突破した7つの国の事例を説き起こしながら、これからの世界全体に害を及ぼし得る最大の危機を、核兵器の使用、世界的な気候変動、世界的な資源枯渇、世界的な生活水準における格差の拡大であると捉えて、歴史の教訓を見据えて、人類の目指すべく未来を示そうとする。

   この基本的な問題は、次に論じるとして、まず、日本について、12章のうち2章を割いて、かなり突っ込んだ持論を展開していて、興味深いので、その感想を書いてみたいと思う。
   第2章の「近代日本の起源」では、幕末のペリー来航頃から主に明治維新の危機克服による西洋化による強国への歩み、そして、太平洋戦争による挫折と戦後復興、
   第8章の「日本を待ち受けるもの」では、今日の日本が直面している政治経済社会問題や中国や韓国との問題などを深掘りしながら、日本の未来を垣間見る。

   明治維新については、司馬遼太郎も無血革命を高く評価しており、ジャレドもそうだが、明治政府の指導者は大原則を三つ採用したとして、
   第一に、現実主義。現実には、欧米列強を追い払う実力はなく、西洋式の火器だけではなく、西洋の強さの源である政治経済社会制度の広範な改革によって富国強兵し国力を養うこと。
   第二に、西洋諸国に強要された不平等条約の改正。
   第三に、外国の手本をそのまま導入するのではなく、日本の状況と価値観に最も適合性に高いものを手本として、日本向けに調整すること。
   そのために、日本の伝統主義者が受け入れやすいように、社会の改革や西洋からの借用を、伝統的な日本のやり方に回帰しただけだで新奇なことはないと「伝統の発明」と言う現象で、劇的な変革を遂げたのだと言う。
   
   尊王攘夷と喚いていても、悲しいかな、憎きけ毛唐を駆逐する実力が更々なく、当面の国難を回避するためには不平等であっても、中国の轍を踏まないためにも、条約を結んで開国しなければならなかった。この屈辱を晴らすためにも、万難を排して国力を高めて富国強兵に励み、更に、政治経済社会制度を西欧化して、欧米先進国に孫色のない近代国家に脱皮しなければならない。しかし、日本の伝統と歴史に裏打ちされた貴重な日本の精神的支柱や日本魂を堅持すべきであるとする和魂洋才。
   これを、僅か、4~50年でやってしまった日本の凄さ、国家の危機を克服した歴史の鑑である。と言うことであろうか。

   ところがである。
   日中および日ロ戦争の勝利等、明治日本の軍備増強と領土拡大は、成功に次ぐ成功を収めたが、既に、中国との全面戦争で膠着状態であり、ノモンハンなどソ連と国境戦争で疲弊しておりながら、
   何故、欧米列強を敵に回して、絶望的に勝算のない第二次世界大戦に突入してしまったのか。
   日露戦争の成功、ヴェルサイユ条約への失望、1929年の世界恐慌を発端として輸出主導型で経済成長させる目論見が潰えたことなど色々理由があるがと、ジャレドは述べながら、
   明治日本の指導者と、1930年代、40年代の日本の指導者では、公平な自国評価を行うための知識や能力に違いがあったためだと言う。

   明治時代には、軍幹部を含む多くの指導者が海外に派遣された経験があって、欧米列強や中国などの現状や陸海軍の実力を詳細に知っていて、国力を公正に評価して、成功を確信した時のみに攻撃をしかけた。
   しかし、1930年代に、中国に侵攻していた急進的な若手将校を筆頭にして、アメリカの工業力や軍事力を全く知らず、海外経験のない世間知らずの青年将校たちが、欧米の力を直接見聞きした経験のある政治家や海軍の長老たちを、恫喝し、威圧し、暗殺した。
   1930年代の若い軍幹部に現実的かつ慎重で公正な自国評価を行うのに必要な知識と経験が欠けていたことが、日本に破壊的な結膜を招来したと言うのである。
   この説が、正しいかどうかは私には判断能力がないので、何も言えないが、私も、アメリカでMBAを取った留学経験者であり、ヨーロッパで8年生活をしており、戦前、戦中には、途轍もない格差があったのであろう、こんな国と戦争するなど愚の骨頂だったと思っている。

   さて、何回もこのブログで書いているので、蛇足は避けるが、今、日本から欧米のトップ大学や高等研究機関に留学して学ぶ日本の若者が極端に減って、ハーバードなど年に数人だと言う。
   1930年代と40年代の日本と同じで、世界音痴の日本人ばかり、井の中の蛙ばかりが育っている。
   悲劇が起こらないのが不思議だと言うべきであろう。
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ウクライナ国立歌劇場管弦楽団~クリスマス・スペシャル・クラシックス  メサイア、第九&アヴェ・マリア

2019年12月21日 | クラシック音楽・オペラ
   久しぶりに、気の張らないクリスマスコンサートに出かけた。
   ウクライナ国立歌劇場管弦楽団のクリスマス・スペシャル・クラシックス ・コンサートである。
   歌劇場管弦楽団であるので、オペラの序曲やアリアが主体で、ソリストは劇団の歌手。
   指揮は、ミコラ・ジャジューラ
   プログラムは、次の通りで、非常にポピュラーである。
チャイコフスキー バレエ組曲「くるみ割り人形」より“小序曲” “行進曲” “花のワルツ”
プッチーニ 歌劇「トゥーランドット」より“誰も寝てはならぬ”
プッチーニ 歌劇「蝶々夫人」より“ある晴れた日に”
ヴェルディ 歌劇「運命の力」より“序曲”
ヘンデル オラトリオ「メサイア」より“ハレルヤ・コーラス”
シューベルト アヴェ・マリア
ベートーヴェン 交響曲第9番より第4楽章“歓喜の歌” 

   最後の第9の第4楽章がなければ、ただのポピュラー音楽のコンサートに終わってしまうのだが、この30分の盛り上がりが、貴重なのである。
   やはり、歌劇場管弦楽団なので、4人のソリストもそれなりに立派な歌手で、オーケストラも華麗に歌って、聴かせてくれ、楽しいコンサートであった。
   尤も、晋友会合唱団の素晴らしさが、秀でていて、トゥーランドットの”誰も寝てはならない”のバックコーラスから感動的で、”歓喜の歌”に至っては、合唱の素晴らしさ凄さが、オーケストラを鼓舞して、一気にテンションを高揚させて、ソリストもこれに呼応して、感動的なベートーヴェンとなった。

   ソリストは、「蝶々夫人」と「アヴェマリア」を歌ったソプラノのオクサナ・クラマレヴァ。
   蝶々夫人は、ロイヤルオペラで、渡辺葉子を聴きたくて2回もコヴェントガーデンに通ったが、これは、東敦子もそうだったが、私は、蝶々さんは、日本人歌手に限ると思っている。
   このクラマレヴァの蝶々さんは、一寸雰囲気が違うのだが、アヴェマリアは、胸の前に両手を組んでしっかりと握りしめて、切々と美しい柔らかな声で歌って感動的であった。
   ”Nessun dorma”を歌ったのは、テノールのドミトロン・クジミン。
   それなりに上手いが、私の思い出は、ヴェローナのローマの野外劇場で聴いたホセ・クーラ、
   それに、サッカー放映のパバロッティの歌声が、耳にこびりついて離れないのが困る。
   指揮のミコラ・ジャジューラの軽やかなタクト裁きが素晴らしい。
   ロシアのオペラを聴いてみたいと思った。

   問題は、会場が、東京国際フォーラム ホールAと言う巨大なコンサート会場であること。
   あっちこっちの欧米のコンサートホールに行っているが、やはり、最高は、アムステルダムのコンセルトヘヴォー、
   いくら素晴らしいオーケストラの演奏でも、とにかく、ホールによって、音楽の質まで違ってくるのが恐ろしい。
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わが庭・・・スイセン咲きはじめる

2019年12月20日 | わが庭の歳時記
   勢いよく、剣状の長い葉を伸ばしていたスイセンが咲き始めた。
   日本スイセンだと思うが、典型的な一重は、まだ蕾で、八重の方が先に咲きだしたのである。
   植えっぱなしで何も手入れをしていないのだが、自然に少しずつ広がっていて、重宝している。
   オランダでは、路傍に残された球根が、毎年自然に花を咲かせて、春を告げるのだが、典型的な花はクロッカスで、この花が咲き始める初春は、クロッカス・ホリディで、長くて陰鬱な冬が終わったしるしで、皆が喜びを分かち合う。
   日本は、梅雨など湿度が高いので、チューリップなどは球根を掘り起こさなければならないが、元々、野の花が野っパラや路傍に咲くと風情が出てよい。
   
   

   秋から春に咲き続ける桜・エレガンスみゆきが、咲き続けている。
   細くてしなやかな枝に、花芽がついて順番に咲いて行くのだが、1cm足らずの小花で、少しずつ咲いて行くので、華やかさはない。
   しかし、一つずつの花弁は、それなりに美しくて、爽やかである。
   青空に、ぽつりぽつりと咲くピンク模様が面白い。
   
   
   
   

   椿は、曙とタマグリッターズ。
   他の椿は、まだ、蕾が固く、3月であろう。
   
   
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宝生能楽堂・・・第8回能楽祭

2019年12月18日 | 能・狂言
   12月17日、宝生能楽堂で催された第8回能楽祭のプログラムは、
舞囃子 喜多流「清経」 シテ香川靖嗣
独吟 観世流「大原御幸」 シテ観世銕之丞
一調一管 金剛流「龍田」 種田道一 笛 松田弘之 太鼓 桜井均
仕舞 金春流「昭君」 シテ櫻間金記
狂言 和泉流「棒縛」 シテ野村萬斎
能 宝生流「竹雪」 シテ今井泰行

   狂言の「棒縛」は、非常にポピュラーで、歌舞伎でも見る機会が多くて、結構、楽しい舞台で、主が、留守中に、倉の酒を飲まれては困るので、太郎冠者は、左右に伸ばした両手を棒に縛り付け、次郎冠者は後ろ手に縛り付けて外出するのだが、二人で、上手く工夫して酒をたらふく飲み、機嫌が良くなって騒いでいるところに、主が帰って来て叱ると言う話。
   歌舞伎では、主が大名になって、音曲入りの派手な松羽目物の舞台になっていて、たのしませてくれる。
   この狂言、太郎冠者が、酒を杯ですくって次郎冠者に飲ませ、逆に、次郎冠者の後ろ手に杯を持たせて、太郎冠者が酒を飲む仕草や、陽気に謡いながら、不自由な体でぎこちなく舞う様子など、非常にコミカルで面白い。
   萬斎の棒振りは、他で観た能楽師より、非常にエネルギッシュで素早くパワーフルな演技で、それに、表情の豊かさが、観客の笑いを誘う。
   萬の孫でありながら、萬斎の下で修業を続けている太一郎が、主を演じてよい味を見せている。
   次郎冠者のベテラン深田博治は、萬斎との相性がよく好演。

   能「竹雪」は、宝生と喜多にしかない稀曲とかで、上演機会も少なく、文化デジタルを調べても、最近では、2011年の国立能楽堂の喜多流の舞台しか出てこず、能楽講座や能を読むにも載っていないのだが、偶々、インターネットに、この関連記事と詞章が、掲載されていたので、これを読んでイメージを掴んで、能楽堂に出かけた。
   
   「宝生の能」によると、次のようなストーリーである。
   越後国の住人直井左衛門は、妻と離別し、二人の子の姉を母に、弟の月若を自分の方に置き、新たに妻を迎えた。宿願のため参籠する間、月若を後妻に頼んで出掛けたが、その留守中、継母に虐げられた月若は家を出ようと思い、暇乞いに実母を訪ねた。そこへ継母から迎えが来て仕方なく月若は家に帰り、継母は実母へ告げ口に行ったと腹を立て、月若のこそでを剥取り、薄着の月若に降り積もった竹の雪を払わる。月若は厳しい寒さの中、家にも入れて貰えず、遂に凍死する。その知らせを受けた実母と姉が、涙ながらに雪の中から月若を捜し出し、悲しみにくれていると、直井が帰宅して事の次第を知り、後妻の無情を共に嘆く。すると「竹故消ゆるみどり子を、又二度返すなり」と竹林の七賢の声がして、不思議にも月若は生き返る。親子は喜びあい、この家を改めて仏法流布の寺にする。

   シテ/月若の母 今井奉行    ツレ/月若の姉 大友順  子方/月若 水上嘉
   ワキ/直井左衛門 宝生欣也   アイ/継母 大藏彌太郎  同/従者 大藏教義
   笛 一噌隆之 小鼓 大倉源次郎 大鼓 國川純 
   地謡 朝倉俊樹ほか
   
    舞台には、竹垣に竹雪をあしらった作り物が、正先に置かれて、その後ろで、月若が倒れて雪に埋もれる。倒れた月若に大きな白布が被せられる。
   詞章には、間狂言のシーンは書かれていないので、よく分からなかったが、舞台は非常にビビッドで、前半の舞台では、継母のわわしい女の、憎々しさが出色で、「腹立ちや、腹立ちや」と月若を苛め抜くシーンの連続は、劇そのものであったが、
   後場では、アイの月若悲劇の通報を受けて、母と姉が、現地へ赴いて梅若を探し出すまでが、一気に、舞台がフリーズしてしまった感じで、動きの殆どない長い二人の掛合いと地謡との謡の連続で、「唐土の孟宗は、親のため雪中に入り筍をまうく、と言った故事まで引いての能の世界、
   月若の亡骸を前にして悲嘆に暮れている二人の前に、直井が帰って来て、竹林の七賢のご利益で梅若が蘇生する幕切れは、簡潔でシンプル、

   詞章にはなかった、囃子が舞台を去ったあと、地謡だけが残って、よく分からなかったが、越天楽であろうか、めでたい謡を謡って終わった、
   
   詞章を数回読んだくらいでは、謡の声が良く聴き取れない上に、国立能楽堂のように字幕ディスプレィがないので、理解に苦しんだ。
   しかし、シテ、ツレ、ワキのみならず、子方や二人のアイなども、舞台で、夫々、存在感ある役割を果たしていて、群像劇の面白さを楽しめた。

   さて、この子供虐め、継子いじめの能が、どれ程あるのかは分からないが、今どきの児童虐待の世相の悲惨さを思うと、悲しいけれど、それ程珍しいテーマでもないのであろう。
   思い出すのは、シンデレラの物語。
   真っ先に得たイメージは、ディズニーのアニメ「シンデレラ」で、孫たちは、DVDで楽しんでいる。
   私など、オペラで見る機会があって、ロッシーニの「チェネレントラ」を何回か観ており、
   このブログのロンドン・ミラノ旅で、ミラノ・スカラ座での、ロッシーニ「シンデレラ」の観劇記を書いている。
   昔、サンパウロに居た時に、サンパウロ・オペラに長女を連れて行ったのだが、チェネレントラは居丈夫な巨漢の歌手だったので、「何時まで経っても、奇麗にならないねえ」と言っていたのが印象に残っている。

   能「竹雪」とシンデレラとは、何の関係もないのだが、何となく、ダブらせて、この能を鑑賞したのも、パーフォーマンス・アーツの豊かさゆえであろうか。
   おとぎ話と、日本の精神史を体現した能の世界との落差の激しさが面白い。
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宮大工棟梁・西岡常一 「口伝」の重み

2019年12月16日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   学生時代に、和辻哲郎の「古寺巡礼」や、亀井勝一郎の「大和古寺風物誌」に魅かれて、奈良や京都の古寺散策に明け暮れていたので、西岡常一の本は、これまで、結構読んできている。
   日経に私の履歴書で掲載されたときには、ロンドンにいたので、読みそびれていたので、改めて、法隆寺や薬師寺の素晴らしい建築を思い出しながら、読んでみたのである。
   ”法隆寺・薬師寺復興で名を馳せた西岡常一氏唯一の自伝に、職人や仏教関係者、文化人らのインタビュー・座談会を加え、「最後の宮大工」が遺した口伝を立体的に浮かび上がらせる。”と言う本で、随分前の本だが、オリンピック会場となる国際競技場(恐らく、100年も持たずに改築されるであろう)が完成と言う時期に、1000年以上も持つと言う日本の寺院建築が、どういう意味を持つのか、考えたかったのである。

   これまで読んだ常一の本で、強烈に印象に残っているのは、法隆寺の1400年前のヒノキ材をカンナで削るとヒノキの香しい香りがすると言う信じられないような話や、1000年以上の寿命を経たヒノキは1000年以上持つと言うヒノキ材が寺院建築材として如何に優れているかと言う話、
   木には、陽おもてと陽うらがあって、太陽に訓練された陽おもての木は、節が多く木目は粗いが硬いので、日のさす正面の南面に置き、陽うらの木は、裏に持ってくる、「木は生育の方位のままに使う適材適所」、「堂塔の木組は木の癖組み」だと言う話など、何故、法隆寺が美しくて凄い寺院建築なのかを語り、先哲(?)の教えを開陳しながら、匠の技を語っていたことである。

   木と話し合いが出来ないと本当の大工に成れないと言う祖父の、工業高校行きを勧めた父を差し置いて、「人間も草も、みんな土から育つんや。宮大工は、まず土のことを学んで、土を良く知らんといかん。土を知ってはじめて、そこから育った木のことがわかるんや。」と言う強い信念に気圧されて、農業高校に進学して、これが、後年大いに役立ったと言う。

   自分の息子たちに、自分を継ぐのであれば、国公立の工学部へ行って、建築に関しては知らんことはない、ひとかどの学者になるくらい木工や土木工学に至るまで精通してこい。建築の歴史的な流れは勿論、仏教伝来から今日に至る仏教史も教養として身に着け、自分の専門分野だけではなく、もっと広く雑学までやっとけ。知識は持っとかなあかん、だけど知識人にはなるな。と言っていたと言う。
   祖父から伝授された「家訓」の冒頭に、「仏教を知らずして堂塔伽藍を論ずべからず。」とあるが、知識教養に裏打ちされた理論武装も必須だと言うことである。
   文化財の修理や保存、設計や工事などで、学者たちとの論争で、正式な専門教育を受けていないために、専門知識を持ち合わせていないばかりに、いくら正しい自分の確信する正論でも、論破できなかった悔しさ悲しさが、こう言わせたのであろう。
   しかし、常一は、独学の人で、書架には、最新工学大辞典、世界美術全集、法華経大講座など沢山の専門書などが並んでいて、論争・衝突した学者先生のところへ夜通い詰めて本を見せて貰っていたと言う。
   
   法隆寺金堂の再建など大修理、法輪寺三重塔再建、薬師寺金堂再建などで、建築関連法規や学者たちとの論争で、鉄筋や鉄材使用で、「木が泣いている」と、木材で通したい持論を曲げられた西岡常一だが、薬師寺管主高田好胤に建白書を書いて認めさせた西塔再建では、設計担当の金多潔京大教授が、「東塔が千年前から建ってるんですから、西岡さんの思うとおりにやってください。」と言われて、ついに、古代のままに再建ができる。と喜んだ。この西塔は、屋根が東塔より平べったいのだが、100年も経てば屋根の重みで、東塔と調和すると言う巧の技である。

   私は、極論すれば、東大や京大の大学院を出て最新の建築工学を極めた大先生のほんの基礎知識さえもなかった飛鳥の大工が、なぜ、今日の建築さえも凌駕するあんなにも美しくて堅牢な素晴らしい堂塔伽藍を建て得たのか、ずっと、疑問に思っていたのだが、この本を読んで、少し分かったような気がして、嬉しくなった。
   新春早々、西ノ京を、時間が許せば、斑鳩の里を、歩こうと思っている。

   
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鎌倉文学館で展示鑑賞、鎌倉能舞台でシンポジューム

2019年12月15日 | 鎌倉・湘南日記
   久しぶりに、冬の鎌倉文学館を訪れた。
   この日、鎌倉能楽堂で、「源頼朝公シンポジューム」と言う催しがあって、その開始時間に少し余裕があったので出かけたのだが、「オリンピックと文学者」と言う興味深い特別展を行っており、会期が、15日までだったので、是非見たいと言う思いもあった。

   昭和11年のベルリン・オリンピックに派遣されて取材記事を書いたと言う武者小路実篤の娘たちへの絵ハガキ短信なども展示されていて、非常に興味深かった。
   1900年のパリ大会を見たかもしれない夏目漱石を初め、多くの文学者たちのオリンピックへの関りを資料と共に、沢山展示されていて、こんなことがあったのかと、面白い発見があって参考になった。

   この文学館、アプローチから庭に入ると真っ先に目に入るのが、ヌード像で、何故、この彫刻なのかは分からないが、まだ、バラの花が咲いていて、明るい雰囲気であった。
   
   
   
   

   この文学館から、海岸通りに出て長谷寺に向かって歩き、北方向へ大仏に向かって少し歩くと、左手の路地の奥に鎌倉能舞台がある。
   ほんの2~300m路地を奥に入るだけで、閑静な住宅街に入るのは、鎌倉の良さであろう。
   玄関口にボードさえなければ見過ごすような佇まいの簡素な能楽堂だが、こじんまりしたシックな雰囲気が、たまらなく魅力である。
   国立能楽堂にばかり通っていて、まだ、この能舞台で、能狂言を鑑賞したことがないのだが、近いので、演目によっては行きたいと思っている。
   
   

   シンポジュームは、
   1部 講演会~武士の府を開いた男・源頼朝~ 作家 伊東潤
   2部 座談会~源頼朝とまちづくり~ 高橋典幸東大准教授ほか

   世界史や世界地理に興味があって、高校時代に、日本史を十分学んでこなかった所為もあって、そして、特に、比較的光が当たらない鎌倉室町時代の知識が希薄で、鎌倉へ来てから少しずつ勉強した状態であったので、結構、面白かった。

   頼朝にとって転機となった富士川の合戦の勝利で、
   伊東氏は、頼朝が、そのまま京都へ攻め込まずに、鎌倉幕府の発展強化を優先した、流石だと言う評価であったが、高橋準教授は、都生まれの頼朝は、義仲のように、勢いを駆って京都に攻め上りたかったのだが、近臣の忠告を入れて断念したと、京へ向かっていたら、この鎌倉がなかったと語っていた。
   座談会では、鎌倉の遺跡発掘が進んでいて、色々な新しい発見があるようで、地道な努力が、歴史を蘇らせているようで、興味深かった。
   
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都響定期C・・・アラン・ギルバートのハイドン90番ほか

2019年12月14日 | クラシック音楽・オペラ
   都響定期C 12月8日のプログラムは、次の通り。

   指揮/アラン・ギルバート
   ヴァイオリン/矢部達哉

   リスト(アダムズ編曲):悲しみのゴンドラ
   バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第1番 Sz.36
   アデス:クープランからの3つの習作(2006)(日本初演)
   ハイドン:交響曲第90番 ハ長調 Hob.I:90

   アラン・ギルバートの演奏会には、この都響で、かなり、通うようになったので、雰囲気に慣れてきた。
   王道を行く音楽教育を受けて恵まれたキャリアを突っ走ってきたアメリカの凄い指揮者で、ニューヨーク・フィルの音楽監督が長かった逸材、
   お母さんが日本人だと言うので、一層、親しみが湧く。
   これまで、前列、やや、下手の席で聴いていたので、指揮者の表情を具に見ていたので、アラン・ギルバートの指揮ぶりが良く分かるのだが、特に、奇をてらう風もなく、オーソドックスなスタイルであった。

   今回のプログラムで、これまでに聴いてきたのは、バルトークの協奏曲とハイドンの交響曲、
   やはり、若かりし頃に聴いていたコンサートは、プログラムそのものが、このハイドンやベートーヴェン、ブラームス、モーツアルトと言った古典ばかりだったので、ハイドンの90番になると、体が自然に反応すると言うか、無性に懐かしくなって、ドップリと雰囲気に浸ってしまう。
   さて、この90番だが、終楽章で、最高に盛り上がったところで、指揮者は、楽団員に向かって拍手したので、聴衆も釣られて拍手、
   指揮台を下りたアランが、四方コンサートマスターに耳打ちされて、頷いて指揮台に戻って、再演奏。
   一人ずつ楽団員が舞台から消えていく45番の「告別」や、途中で、ティンパニーを伴ったトゥッティで不意打ちを食らわせる94番の「驚愕」など、遊び心のハイドンの粋な演出で、除夜の鐘ではないが、108も交響曲を書いたのであるから、色々あろうと言うもの。

   私の場合、音楽の幅が広がってきたのは、その前のアメリカやブラジル時代を経て、ヨーロッパに住んで居た8年間に、随分、色々なトップ楽団のコンサートに通い続けて、色々な、曲を聴いた結果だと思っている。

   勿論、初演のアデスも、リストの悲しみのゴンドラも初めて聞く曲だが、昔と比べて、コンサートに何十年も通い続けてきたお陰であろうか、最近では、どんな曲でも、それなりに、聴いて楽しめるようになった。
   しかし、1980年代に、オランダに住んで居た時に、アムステルダムのコンセルトヘヴォーのシーズン・メンバー・チケットを、3シリーズ持っていて、その1つが現代曲のシリーズで、どうしても、聴き辛くて、馴染めなかったのを覚えている。
   私の場合は、クラシック音楽は、難しい音楽理論など、全く分からずに、好きで聴いているだけなので、自分の感性に合って、楽しめるかどうかが総てであって、どうも、コンサートを聴く経験の積み重ね以外に、向上の方法はないようである。

   午後のこの都響のシリーズは、格好のコンサートで、何時も楽しませて貰って居る。
   終演後、横浜や渋谷に寄り道して、夕刻、鎌倉に帰る。
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趣味と言えるかどうか・・・ガーデニングと写真

2019年12月12日 | 生活随想・趣味
   私は、庭に椿など花木を植えて、花を鑑賞しながら、四季の移ろいを感じて楽しんでいる。
   庭に出ると、やはり、花の美しさに魅かれて、シャッターを切る。
   

   中学生の頃からだから、もう、半世紀以上になるのだが、小さなカメラを買って写真を始めた。
   まともなカメラを買ったのは、大学生になってからで、メイカーは忘れたが、レンジファインダーカメラであった。
   この頃、京都や奈良の古社寺を歴史散歩していたので、多くは、歴史建造物や庭園などの写真を撮っていたように記憶している。
   就職してからは、一眼レフに代わったが、その後、カメラ遍歴が続いて、手にしたカメラは、30台ではきかないと思うが、今でも、ライカなど、10数台は手元にある。
   撮った写真の多くは、家族の写真だが、海外生活が長く、それに、海外に行く機会が多かったので、異国での写真も結構多い。
   ネガの多くは、そのまま、倉庫の中に眠っていて、暇になったらスキャンして思い出の写真を蘇らせようと思いながら、不精でできず、もう、張り付いたり劣化して、駄目だろうと思っているが、夢だけは持っている。

   さて、花との出会いだが、やはり、ヨーロッパに居て、あっちこっちを歩いている時に、素晴らしい花風景に出会うことが多く、気の向くままに、花の写真を撮り始めた。
   公園などに出かけて、花の写真を撮ろうと思ったのは、オランダに居た時、キューケンホフ公園やリセ郊外のチューリップ畑に出かけ始めた時で、その後、ロンドンに移ってからは、キューガーデンに住んで居たので、多忙で思うように行けなかったが、何しろ、世界最高峰の植物園であるロイヤル・キューガーデンに、年間パスポートを買って、カメラを持って通っていた。
   桜や椿やモミジなど、日本の植物も結構植わっていて、とにかく、見たこともないような植物が沢山植えられていて、興味深々であった。

   その後、帰国してからは、千葉の庭がかなり広かったので、花木を次から次へと植えて、ガーデニングと花写真を、楽しみながら暮らすようになって、鎌倉に移ってからも、同じような生活が続いている。
   
   
   
   
   写真については、色々な花写真ガイドや指南書を読んではいるが、元々、不精で煩わしいことは嫌いな性分で、三脚や一脚などは持っていても使ったことがなく、レンズは望遠ズームとマクロ、絞り優先でカメラ任せで撮っているので、良い写真が撮れる筈がないのだが、これで、十分満足している。
   
   
   
   
   
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国立能楽堂・・・組踊「二童敵討」:能「放下僧」

2019年12月10日 | 能・狂言
   組踊上演300周年記念実行委員会共催事業◎組踊上演300周年記念 能と組踊 の2日目は、
   組踊 二童敵討 (にどうてきうち) 眞境名 正憲
   能  放下僧(ほうかぞう)  観世 清和(観世流)

   この「二童敵討」は、今年3月に、国立劇場で、天皇陛下御在位30年記念の「琉球芸能公演「組踊と琉球舞踊」」公演で、鑑賞済みである。
   平成天皇皇后両陛下がご来臨になった天覧公演であった。

   組踊「二童敵討」は、
   天下取りの野望に燃える勝連城主の按司[城主]阿麻和利(あまおへ)は、首里王府に偽りを言って、邪魔な中城城主・護佐丸を攻め滅ぼし、同時に、その子ども達も皆殺しして根絶やししたと豪語して、天下取りのため近く首里王府へも攻め入ろうと考えて、野に出て酒宴を広げ遊び惚けて、勝ち戦のための願等家来に準備を命ずる。
ところが、殺したはずの護佐丸の遺児鶴松と亀千代の兄弟は、落城の際に敵の目を逃れて生きていて、母のもとで成長し、敵を討つ機会を狙っていた。仇討を決心した2人は、阿麻和利が野遊びをすると聞きつけて、酒盛りをしているところに、踊り子に変装して近づく。美少年の踊りを見て感激した阿麻和利が、踊りを所望し、杯を注がせ、2人の踊りに良い気持ちになって酒をあおって酔いつぶれて、気が大きくなって、褒美に、自らの大団扇と太刀を与え、さらに、自ら着ている羽織なども、次々に与える。2人の兄弟は、丸腰になって醜態を晒した阿麻和利のすきを見逃さずに追い込んで、首尾よく父の敵を討つ。

   能「放下僧」は、
   下野国の牧野小次郎(ツレ/坂井音雅)は父の仇利根信俊(ワキ/森常好)を討とうと、兄(シテ/清和宗家)の加勢を頼んだところ、出家の身故に断られるのだが、中国の故事を引用し説得して、2人は仇討ちを決心する。敵に近づくために、放下になって故郷を後にする。利根信俊は夢見が悪いので、従者(アイ/東次郎)を伴って、瀬戸の三島神社に参詣する途中で 浮雲・流水と名乗る2人の放下に出逢い、2人は団扇の謂れや弓矢のことを面白く語り、禅問答を交わしたりして取り入る。2人は曲舞や鞨鼓、小歌などさまざまな芸を見せて相手を油断させ、その隙をついて敵討ちを果たす。

   両作品とも、父の仇討のために、兄弟が、踊り子や放下になって、芸で仇に近づいて、喜ばせて、その油断の隙に仇を打つと言う筋書きは同じである。
   組踊「二童敵討」の方は、踊り子なので、琉球舞踊を楽しめるのと違って、能「放下僧」の方は、放下なので、禅問答を交わすなど、多少知的な味がする。
   興味深いのは、ラストの仇討のシーンで、組踊の場合には、阿麻和利のトドメを刺すシーンは、舞台上では表現せずに、橋掛かりを揚幕に追い込んで、その後、再び、兄弟が登場して成功を述べ「踊って戻ろう」と舞台を後にして終わる。
   一方、能「放下僧」の方は、利根信俊が、ワキ座に、傘を置いて退場して、その後、小次郎兄弟は、傘を仇に見立てて成敗し、本懐を遂げる。
   いずれにしろ、仇討の決定的シーンは、リアルに表現せずに、象徴的に演じるのだが、その差が面白い。

   組踊の楽器は、三線、琴、胡弓、笛、太鼓で、リズムを刻むのは太鼓だけで、他の楽器はメロディを奏するので、音楽性が非常に高くなって、三線の演者が歌を歌う「歌・三線」であるので、日本の古典芸能と比べて、はるかに、オペラに近いような感じがしている。
   それに、随所に踊りが組み込まれている感じなので、たとえ仇討ものであっても、非常に華やかなのである。
   それに、面白いのは、衣装が非常にカラフルで、動きが派手な分、歌舞伎のように、見得を切って、見せ場を現出する。
   この「二童敵討」でも、阿麻和利が登場し、名乗りを唱えた後の「七目付」の豪快に見得を切ることにより、威厳を示していて、絵になっている。

   一方、能「放下僧」は、見せると言うよりも、精神性が高い舞台で、清和宗家は、この舞台では、声音を非常に低音に保って重々しく重厚に謡い、禅問答や曲舞や鞨鼓なども、剛直で骨太の舞で魅了した。

   能狂言が、文楽や歌舞伎になり、浄瑠璃が、文楽や歌舞伎になり、圓朝の落語が、歌舞伎や芝居になる、
   能に、沖縄の歴史や文化、沖縄気質のエッセンスを組み込んで、組踊となって、素晴らしい芸能として飛翔すると言うのは、楽しいことである。
   組踊は、優雅で美しくて、感動的なパーフォーマンス・アーツなのだが、どこか、もの悲しく哀調を帯びたサウンドと独特な抑揚の口調に、琉球と言うか沖縄のイメージが濃厚に体現されていて、無性に懐かしささえ感じて、鑑賞している。
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