熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

小山觀翁著「歌舞伎通になる本」

2011年07月30日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   小山觀翁さんは、昔、イヤホーン・ガイドでお世話になったり、テレビの歌舞伎番組で見たりとお馴染みなのだが、私自身、歌舞伎ファンながら、まともに歌舞伎の勉強をしたわけではなく、我流で、ただ、見て楽しんでいるだけなので、通になるつもりはさらさらないけれど、少し勉強をさせて貰おうと思って、この本を手にした。
   尤も、歌舞伎役者の書いた本や、解説書など、結構、歌舞伎や文楽、古典芸能関連の本を読んでおり、それなりに、知識は仕入れているのだが、「通」と言う漢字を見るとどうしても、私のジャンルではないし、多少のこだわりをかんじるのである。

   私が歌舞伎を見ていて、いつも引っかかるのは、荒唐無稽と言わないまでも、物語としては面白いが、殆ど筋にはならない筋運びで物語を展開している芝居だと言うことである。
   小山さんの話を繋ぐと、次のようである。
  「狂言」と何故言うのか、江戸幕府が「荒唐無稽なものを演じておけ」と命じた際、「狂言綺語」と表現したのをうけたようで、政治批判をさせないための布令で、今でも出し物を「狂言」と言うらしい。
   それに、一般の演劇とは違って、作家の出来栄えなどは、かならずしも条件とされないようで、上手く纏め上げることを期待されており、芝居の世界では、俳優の占める役割がはるかに重要で、筋書きや脚色演出に、多少の不合理や無理があろうとも、それが芝居だと言えば済むと言う世界である。
   また、歌舞伎や文楽には定まった演出家などないのが古式で、強いて演出家と言えば、座頭と立女形であって、俳優は、各家筋に独自の演技形式を伝承しており、この「型」は、小は持ち物のデザインや使い方から、大はその芝居全体の解釈まで広範囲に及ぶのだと言う。
   とにかく、私にとっては、歌舞伎は、何処までも、理屈や常識の世界ではないのである。

   ところで、本当の劇評とはかくあるべきとして、市川市蔵の昭和19年の「千本桜」の弥左衛門の提灯の持ち方を写真入りで説明して、袖を使って足元だけを光るように持っている姿を称賛すべきだとしたり、その他、各所で、俳優たちの芸の細かさと言うか、如何に、リアリズムに徹した演技に腐心しているかを紹介していて、それに気づくのが通だと言っている感じである。
   尤も、形だけではなく、忠臣蔵の判官切腹の場で、判官役者は、仇敵への恨みを込めると同時に、自分の軽率な刃傷によって家を失えば、家来やその家族たちに大変な迷惑をかけることになる、済まないと言う気持ちを込めようとするであろうとか、先日触れたように、味わいのある弁慶役者は、去り行く弁慶の姿の中に、情けある関守への、感謝の心が読み取れると言った非常に心理的な細部についても論じていて、やはり、歌舞伎を楽しむためには、相当な勉強と年季修行が必要だと言うことを窺わせる。
   虚実皮膜と言うのであろうか、私など、いくら見ても、先の判官や弁慶の役者の滲み出るような芸の深さについては、いまだに良く分からない。

   芝居は辻褄が合わず筋が通っていなくても、個々の役者のリアリズムに徹した芸の奥深さや心理描写を理解しながら、歌舞伎を楽しむべしと言うことであろうか。
   私は、上方や江戸の歌舞伎は、庶民の伝統芸術だと言うけれど、決して一般庶民の世界ではなくて、経済的にも豊かで、教養もあり趣味趣向の秀でた上方や江戸のハイソサエティの贔屓ファンとそのバックアップがあったからこそ、ここまで、高度に成熟した芸術に育ってきたのだと思っている。
   上方の文楽も同じで、劇場に出向いて、歌舞伎や文楽を鑑賞できるのは、極めて僅かな、いわば、エリート庶民だけだった筈で、目の肥えた厳しいクリティックが芸の進化を促進し、そのお蔭で、香り豊かで最新の流行と芸を生み出し続けた歌舞伎や文楽が、地方へ伝播して江戸時代の日本を隅々まで文化文明化したのである。
   富山の薬売りが、歌舞伎の錦絵を持って地方を回り、人々に江戸のホットニュースなどを語り聞かせたり、旅芸人が、どさ回りしたのも、貴重な芸の地方への拡散である。
   私は、これまで、随分、世界中のあっちこっちを回って来たが、幕藩体制のお蔭もあろうが、日本ほど、地方の隅々まで、高度な食文化や庶民芸術などを含めて文化文明が平準化していて、これ程民度の高い国はなかったと思っている。

   歌舞伎や文楽は、とにかく、庶民の芸術、日本の古典芸能であるから、見れば分かる楽しめると言う人が居るけれど、私には、学問芸術と同じで、言い換えれば、オペラやバレー、シェイクスピア戯曲を鑑賞するのと同じで、それなりの勉強と修練が必要であり、まず、興味を持って経験を積み重ねて行くことが必要であろうが、その奥深さなり醍醐味を楽しむためには、相当の覚悟と努力が必要だと思っている。
          


 
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台頭するブラジル(仮題 BRAZIL ON THE RISE)(11) トロピカル・ライフスタイル~その3 カーニバル

2011年07月29日 | BRIC’sの大国:ブラジル
   ブラジルは、ヨーロッパとは反対の南半球にあるので、カーニバルの季節は盛夏となり、ディオニソス的乱痴気騒ぎも、ムンムンする熱気の中で極に達する。
   エイズを恐れて、政府がコンドームを配布すると言うのだが、聞くところによると、何千人と言うカーニバル・ベイビーが生まれると言うのだから、正に、ブラジル全土で、人生謳歌の祭典が繰り広げられるのであろう。
   リオのカーニバルが、有名だが、ブラジルのブルジョアが、パリの仮面舞踏会にヒントを得て、1641年に導入したと言うことだが、1930年に、リオの市長が、偶々、伝統的なカーニバルに新趣向として、貧しい黒人たちグループを参加させたところ、彼らが育んでいた新しいスタイルの音楽「サンバ」が人気を博して、大ブレイクしたのだと言う。
   この黒人たちのサンバ・スクールは、独特なリズムと、刺激的で抒情的な歌を交えて、手の込んだ衣装を身に着けて、街路に飛び出して踊り回るのであるから、巷の人々を魅了してしまい、その結果、色々なリズムや活動が加わって行き、サンバが、徐々に、カーニバルと同義語になってしまったのだと言う。
   リオに都が移り、コーヒーブームで、東北地方から駆り出された黒人奴隷たちが、生みだしたアフロ・ブラジリアン文化の一つの精華が、世界最高のカーニバルを生み出したと言うことである。
   毎年、初春に、テレビで、リオのカーニバル模様が放映されて、ビートの利いた陽気なサンバのリズムと美しくて肉感的なムラータ嬢たちの激しい踊りが魅力的だが、あの「黒いオルフェ」と言う映画も良かった。

   このカーニバル時期には、完全にブラジルの機能は停止してしまってカーニバル一色になってしまうのだが、ローターは、「カーニバルは、激烈な競争が展開されて、今や、産業industryになってしまった。」と言うのである。
   リオでは、これまで、カーニバルの資金源は、陰の地下経済の隠れた存在であったのだが、最近では、大企業が、これらを押しのけて、自分たちの宣伝と利益を追求し始めた。
   コンペティションは、リオの街中にある「サンボドロモ」で実施され、70000人のグランドスタンド席の前を1時間に7サンバ・スクールがパレードし、4人の審判員が、衣装の美しさから打楽器部門の出来栄えまで10項目に亘って採点する。
   ところで、これらパレードのダンサーやドラマーたちは、バスの運転手、主婦と言った普通の人々で、殆どは、色々な労働者階級の人々だが、勝利の栄冠を夢見て、何ヵ月も必死になって、リズムやステップをマスターするために寸暇を惜しんで練習しているのである。
   結果は、カーニバルの終わる灰の水曜日の午後に発表されて、その様子は全伯に放映される。

   ところで、興味深いのは、勝つためには、サンバ・スクールは、カルナバレスコと称するプロを招聘して、カーニバルのオーガナイズや、デザイン、プレゼンの監督などを依頼するのだと言う。
   勝利を目指すのは当然だが、サンバ・スクールによっては、二軍に落とされて、パレードから外されないようにするのも大切である。Aグループ14チームの内、最後尾の2チームは、Bグループトップ2チームと入れ替えられるのである。

   リーダー的なサンバ・スクールは、最近、益々、派手で大規模なプレゼンに流れる傾向が出て来たので、資金需要が益々旺盛になる。
   観光の為もあって、市政府が資金を出してはいるが、それでは足りる訳がなく、他の資金源が必須となる。
   昔から、違法なアニマル・ゲームを主催しているブックメーカー吞屋が大口献金者であった。カーニバル参加者である住民たちのお蔭で金を儲けさせて貰っているのであるから、吞屋のボスが資金提供者になるのは当然の義務でもあると言う。
   もう一つの資金源は、スラムの住人麻薬ボスで、幾分かは献金しているのだが、やはり、最近の大口は、大企業で、交換条件に、楽器や衣装にロゴを付けさせる。石油公団ペトロブラスも、献金者である。

   何でもかんでも、金はどこからでも受け取ると言うことなのであろうが、ヴェネズエラのチャベス大統領から、ヴィラ・イサベラ・スクールが、2007年に、100万ドルを貰って、テーマを、「I'm Crazy About You, America: In Praise of Latinity」とした。
   審判員が買収されたのであろうか、予期せず有り得ないことに、イサベラが優勝してしまったのであるが、チャベスは、「ラテン・アメリカ統合の勝利」と宣言して、このスクールの国際ツアーのスポンサーになったと言う。
   
   さて、サンバ・スクールのトップを行進する魅力的な女性ダンサーが、肉体美を強調するようになって、衣装が、年々、少しずつ消えて行った。
   リオ・カーニバルを独占放映のグローボTVが、これを助長して、カーニバル・コンペにも油を注ぎ、ゴージャスなムラタ・ダンサー「ヴァレリア・ヴァレンサ」にスポットライトを当てた。この「グローボ美人」だが、クロッチに申し訳程度に絵を描いただけで、殆ど裸で、胸も露わな姿が放映され脚光を浴びると、負けじとばかりに、他のダンサーも追随して競争が過激化したと言う。
   結局、揺り戻しが来て、ヴァレンサも舞台から降りてカーニバルの激しい批判者になったのだが、2008年に、「カーニバルは、肉体のフェスティバル、世俗的なフェスティバルで、そこにいる人間は、罪を犯しているのだ。」と言ったとか。

   ショー化したリオに比べて、サルバドール、オリンダ、レシフェなど地方では、昔の皆のためのカーニバルに回帰しようと言う動きが起こり、サンバとは違って、マラカタやシランダと言ったその地のリズムが奏され、コンペではなく、巨大な人形を取り込んだパレードなどが行われている。
   人形作者のシルビオ・ボテリョは、リオにも招聘されたが、リオのカーニバルは、商業的利益追求にハイジャックされて、旅行者への見世物スペクタクルに成り下がってしまっていると言って拒絶したと言う。

   ローターは、リオのライバルであるサルバドールや、オリンダ、アマゾン地方のカーニバルについても語っているが、夫々、自分たちのフェスティバルには、夫々の地方の歴史と伝統を背負った独特の風習などがあって、カーニバルが、如何にあるべきか考えさせられる。

   ところで、私は、サンパウロに4年間住んでいて、一度だけ、リオに一泊して、カーニバルがスタートする街の雰囲気を味わったことがあるが、この期間は、雑踏を避けて、家で、テレビでカーニバルを見ていた。
   カーニバルの楽しみ方は色々で、街を踊り歩くのは貧民たちで、豊かな人々は、ホテルや巨大なイヴェント会場で、豪華なサンバ大パーティを催して踊り明かしていたし、もっと金持ちたちは、海外に出てバカンスを楽しむと言うことであった。
   いずれにしろ、文化芸術と言うものは、静かに沈潜した民衆の生活からも生まれ出るけれど、度を過ごした無茶苦茶な人間のエネルギーの爆発の中からも生まれ出るものであり、どのカーニバルが良いのか悪いのかは、価値観の問題だと思っている。
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何時までも関西人と言う不思議

2011年07月27日 | 生活随想・趣味
   今夜、中日に勝って、やっと、阪神が、貯金ゼロになって、勝敗五分五分に返り咲いた。
   別に野球放送をテレビで見るのでもなく、それに、スポーツ紙を買うのでもなく、プロ野球に、特に、関心がある訳ではないのだが、何故か、阪神の勝敗や動向が気になる。
   このブログを書きながらも、ヤフーのスポーツ欄プロ野球をクリックして、勝敗の行方を追っかけていることが多い。
   今では、復元プログラムがビルトインされているので問題はないのだが、以前は、不用意に画面展開を急いで、折角書いた記事が全部消えてしまって、何度も書きなおしたことがあった。

   こんな調子であるから、阪神が勝てば嬉しいが負ければ面白くない。
   今年の前半のように、負けが混み始めて最下位に転落したりすると新聞もインターネットを見るのも嫌になる。
   このブログで、以前に書いたことがあるが、吉田監督が、パリでの会食の席で、その翌年の惨憺たる阪神の成績について、私に語っていたのを思い出す。
   「どんな手を打っても、あかん時はあきまへん。
    朝起きたら、真っ先に空を見まんねん。
    なんでや思いはります?
    雨やったら、その日は、試合がないから、負けんで済みますやろ。」
   私も、その心境になる。

、  私が阪神ファンなのは、至って単純で、私が西宮に生まれて、時々、子供の時に、阪神球場に潜り込んで遊んでいた記憶があり、ふるさとだと思っているからである。
   この球場へは、高校の時に、兵庫県予選に応援に行ったのと、夏の高校野球の甲子園大会を見に行ったくらいで、その後、一度も行っていないので、テレビでの印象しかない。

   私自身は、大阪万博が終わってすぐに、東京に転勤し、それ以降、14年の海外生活を含めて、関西には、出張や旅行で行くことはあっても、帰って住んだことはない。
   人生の始め、それも、生まれてサラリーマン駆け出しまでの若い時しか住んでいないのだが、振り返ってみて、どう考えて見ても、いまだに、関西人のままのような気がする。
   尤も、同窓会に帰って、関西から離れたことのない友人たちに言わせれば、どうも、大分、関西人からはずれているらしい。
   
   私の住んでいるこの千葉の住宅街も、昔の新興住宅街であり、東京の事務所に往復して、ほんの東京での都会生活の一面と言うか、腰掛でモダンライフを通り過ぎただけなので、東京とか千葉とか言った地場の生活体験は少ないので、殆ど関東人として馴染む余裕も経験もなかった。
   東京も大阪も同じ日本であり、それ程差がないので、むしろ、短時間だったが、あっちこっちで経験した異文化の外国での生活の思い出の方が強烈であるし、その影響も大きいと思っている。

   ところで、私の関西時代だが、西宮に生まれて、宝塚と伊丹に住み、大学は、1年間宇治に住んだが、京都へ、そして、仕事は大阪へ通っていた。
   偶に、この故郷を訪れて歩くことがあるのだが、京都以外は、殆ど変ってしまって、昔の面影など全くと言って良い程残っていない。
   むしろ、学生時代と、海外駐在時代に帰国度毎に、熱心に通い詰めた京都や奈良、そして、他の関西地方の古社寺や名園などは、殆ど変っていないので、時折、訪れると無性に懐かしくなる。

   故郷で思い出す風景は、やはり、都会地よりも野山の風景の方で、特に、思い出深いのは、武庫川畔に広がっていた宝塚中学からの遠望であり、水と緑が豊かで、正に、故郷の景色である。
   川向こうに甲山のなだらかな山を包み込んだ六甲山系の山並みが南に向かって下りており、背後には、武庫川が渓谷に変る宝塚奥の山が連なり、中山寺や能勢妙見の方に向かって少しずつフェーズアウトして行く。
   私は、南の尼崎、海側の農村の方に住んでいたので、豊かな自然の醸し出す四季の移り変わりを身近に感じながら野道を通っていた。

   途中で、伊丹に移り住んだのだが、どうしても学校を変わりたくなくて、祖父母の住所を仮の寄留先にして自転車通学を続けた。
   胸を締め付けられるほど懐かしいが、青春の甘酸っぱい思い出が、ぎっしり詰まった私のかけがえのない故郷である。

   その後、随分色々な所で色々な人生経験を続けて、自分なりに、比較的主体的に思い通りの人生を続けて来たつもりでいるのだが、やはり、若かったのであろうか、夢多き青春時代には心残りの思い出が多くて、益々、懐かしくなって来るのは歳の所為かも知れない。
   尤も、私の場合には、後悔することの大半は、決断を迫られた時に、自信がなくて逡巡してしまって、貴重なチャンスを無にしてしまうことなのだが、これは、やはり、性格の弱さであろうか、その後も続いていて、ある意味では、あたら人生を棒に振って、後悔し続けていると言うのが正直なところかも知れない。

   そんなこともあんなことも、関西人に戻って、故郷が懐かしくなってくると、考え込んでしんみりとしてしまう。
   故郷は遠きにありて思うもの、そして、悲しく詠うもの、と詠んだ詩人が居たが、そんな気はないけれど、自分のアイデンティティとしての故郷があることは、幸せなことだと思っている。
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七月大歌舞伎・・・江戸の夕映え

2011年07月26日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   文明開化の時期、江戸から東京へ移る激動期の時代の旗本武士を主人公にした舞台で、非常に興味深いのが、夜の部の最後の大仏次郎原作の「江戸の夕映」である。
   5年ほど前に、昔三之助と言われた今を時めく若手役者で演じられた清々しい舞台を見たのだが、今回は、ぐっと重鎮の渋い役者團十郎と福助が、松緑と菊之助の代わりを演じていて、じっくりと真正面から取り組んだ正攻法の芝居を見せていて非常に面白い。
   残念なのは、海老蔵の舞台としては、非常に意欲的で素晴らしいと思うのだが、勧進帳の富樫や楊貴妃の高力士を演じる昼の部は、チケット完売だが、この夜の部の方は空席が多くて、一寸さびしい感じである。

   この芝居のテーマは、時代の大きな転換期に直面して、自分がこれまで依って立っていた地盤・看板・生活など生き甲斐の総てを失ってしまったら、どうするか、どう生きて行くのかと言う問題である。
   幕府の崩壊によって、主君と扶持を失ってしまった旗本の主人公3人と、そして関わりのある人々のそれぞれの生き様を通して、大仏次郎は、当時の世相をビビッドに描いているのだが、さて、自分がその立場に立てばどのような生き方をするのか考えさせられるのである。
   時代の潮流に逆らって殉教者のように潔く果てるのか、主義心情などは無視して新時代の波を上手く泳ぎ切って器用に順応して生きて行くのか、あるいは、行き当たりばったりに・・・大抵は現実に直面してから必死に生き抜こうとするのであろうが、美しく生きることは非常に難しい。

   まず、團十郎演じる堂前大吉だが、築地の船宿で、愛人の柳橋の芸者おりきと暢気に飲んでいて、官軍に足止めを食って荒れている船頭たちから、何故、まともに命を懸けて戦わなずに官軍に江戸を明け渡すのかと毒づかれて、
「江戸が焼野原にならねえで先ずよかったんじゃねえかなあ。罪もねえ女子供が傍杖(そばづえ)食って、死んだり血を流したり、家は焼く、俄か乞食に落ちて、数限りねえ人間が雨に打たれて、ぼろ同然に町をうろつくようになるよりは、旗本八万騎って奴が、揃って拙(まず)い面(つら)して済むことなら。はははははは。」
と応える。
   本人は、旗本の禄をなくしたので、これからは愛人おりきの箱屋になって食べさせて貰おうと言う至って現実的な、いわば、酸いも辛いも噛み分けた常識人であり、この芝居の太い導線とも言うべきキャラクターである。
   昭和28年の歌舞伎座の舞台が初演だと言うから、大仏次郎の頭には、明治維新と終戦後の世相がダブっていたのであろう。
   馬鹿な戦争をしでかした、或いは、しでかそうとする人間に対する憐みである。

   一方、同じ直参旗本でも、海老蔵演じる本田小六は、品川沖に停泊中の榎本武揚の率いる幕府軍艦に乗り込んで闘おうと、許嫁の松平掃部(左團次)の娘お登勢(壱太郎)に去り状を残して函館に向かう。
   戦い終わって生きながらえて江戸へ帰り着き、偶然会った大吉に、何時までも思い詰めているお登勢と会ってやってくれと言われても、一度決心して死地に赴いた男がオメオメト帰って来て去り状を書いた女にどの面下げて会えるのかと突っ返す。
   大吉に、トクトクと諭されて、杯を進められながらも、長い間逡巡してやっと飲み干す姿が、時代に翻弄されて生き甲斐を失ってしまった小吉の新しい門出を暗示しているのであろうが、あの激動の明治維新や太平洋戦争の時代には、こんな思いで、真っ直ぐ純粋に人生を見つめながら死んで行った多くの若者たちが居たのであろうと思うと胸が痛かったのである。
   私は、この一直線の海老蔵の演技が好きである。今回の高力士もそうだが、お家芸である荒事主体の古典歌舞伎は当然としても、話の豊かなドラマの方にも、随分、素晴らしい表現力を示しているようで、楽しみだと思っている。
   それに、今回は、一途に必死になって生きようとして居る健気そのものの乙女を演じている壱太郎のお登勢にも感激してみていた。

   その意味では、5000石の旗本松平掃部の清廉潔白で胸のすくような生き様には脱帽で、細々と碁会所を開き娘の針仕事の内職で生きているにも拘わらず、微塵も臆することなく泰然自若として、娘を妾にしたくて、何やかや嫌がらせをして仕官を餌にアプローチしてくる官軍幹部吉田逸平太(市蔵)を、徹頭徹尾はねつける気丈夫さは見上げたものである。
   ソクラテスを真似たのか心酔したのか、終戦後にヤミは違法だと言って、食わずに亡くなった裁判官が居たと聞くが、同じ筋を通すにも、このような生き方をしたいと思っている。
   このような硬骨漢をやらせると、左團次は、実に風格と威厳があって良い。

   團十郎の演出のようだが、等身大で演じていた先の三之助の舞台とは違って、團十郎の大吉には、前述したように、この舞台の中心テーマである激動期を生き抜くバイタリティの塊のような人物が滲み出ていて、非常に、楽しませて貰った。
   今回も大震災でもそうだと思うが、時代の潮流が激動して逆巻く、あのような時代にも上手く順応して雑草のように生き抜く強さ逞しさ、それに、溢れるような人間愛を持った人々が居るからこそ、日本は凄いのだと思っている。
   最後になってしまったが、おりきの福助は、いつもながら、雰囲気のある良い味を出していて面白かった。
   前回も、松平おむらは家橘で、おきんは萬次郎だったと思うが、貴重な存在である。
   それに、性格俳優の市蔵の芸が、益々、最近光ってきたように思っている。
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トマト栽培日記2011~(15)豊作のマイクロトマト

2011年07月25日 | トマト・プランター栽培記録2011
   トマトの中でも、びっくりする程、元気で育つのが、マイクロトマトで、大豆より少し小さめのスグリのように光った綺麗な実を沢山つけて、まさに、咲き乱れている感じである。
   1本仕立てとか、3本仕立てとかで、真っ直ぐに大きく伸ばして育てれば、どのくらいの高さになるのか分からないが、私の場合には、精々、5本仕立て程度で育てようと思っていたのだが、ついつい、脇芽摘みをサボったばかりに、沢山の枝が出て、こんもりとした玉仕立てのようになってしまった。
   背丈は、1メートル少しで、支柱から外れた枝は、下に垂れて、先の方は、また、這い上がっている。
   しかし、いずれにしろ、沢山の花が咲き、沢山の実を付けて、今は、真っ赤に完熟しており、中々、綺麗である。
   
   他のトマトは、もう、下の方の3番果房あたりまでは、収穫が済んでいるので、大分、上の方まで、色づいて来ている。
   やはり、肥料の関係か、木が老化してきた所為か、上の方に行くにつれて、実が小さくなったり、大きさや形が不ぞろいとなって、収穫も悪くなってくる感じである。
   大玉トマトの方は、今年は、実付きも悪く、大きさや形も色々で、失敗したと思っているのだが、この方は、いつもそうだし、余程、丁寧に扱わないとだめだと肝に銘じている。
   その点、中玉トマトまでは、殆ど苦労はないし、クックトマトの方も、大玉と中玉との中間くらいの大きさだが、今年は、随分、順調に育って結実して、ソースなどにして、楽しませて貰っている。

   ところで、心配していた台風が、静岡沖くらいで南下して、明後日方向に向かってそれてくれたので、トマトにも、庭木にも、幸い、何の被害もなくて助かっている。

   ついでに、今回、キュウリを4本、ナスを4本、夫々、プランターに植えて見たのだが、結構、実が成るものである。
   それに、ナスなどは、花が咲いて実が成り、収穫するまでが非常に短く、キュウリの場合には、ナスより少し結実に時間が掛かるが、肥大するのは、これもかなり早くて、収穫を1日遅らせただけで、一挙に大きくなってしまうのにはびっくりしてしまった。
   やはり、トマトの方が時間や手間が掛かって、大変なことが良く分かった。
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わが庭の歳時記・・・ゴーヤの緑のカーテン(2)

2011年07月24日 | わが庭の歳時記
   庭に面したガラス戸一間四方分に、ほぼ、ゴーヤの緑のカーテンが出来た。
   まだ、上の方は、多少まばらで蔓が伸び切っていないのだが、居間の中から、大分、庭の風景が見えなくなって来たので、ゴーヤの成長の速さにびっくりしている。
   雄花ばかりの花だと思っていたのだが、ところどころ、ゴーヤの小さな実が成り出してきたので、いつの間にか、雌花が出て来て、受粉したのであろう。

   この口絵写真は、小さな、雌花である。
   まだ、黄色い花をつけているので、受粉したのかどうかは分からないのだが、下の方が少し膨らんで、こんなに、小さいのに、既に厳ついゴーヤの恰好をしている。
   沢山、黄色い花がつくのだが、余程、真面目に探さないと、見つけるが非常に難しい程、雌花の数は少ない。
   子孫を残すべく、折角生まれ出でて、しっかりと運命を待っている美しい雌花のことを思えば、近づきたいのだが、悲しいかな、動けない雄花の悲しさ。
   ミツバチが、せっせと、一つ一つ、花を回って蜜を吸っているようだが、思い通りのランデブーが叶うのであろうか。
   
   今、私の庭で、今を盛りと咲き誇っているのは、やや濃いピンク色のサルスベリだけである。
   何故か、遅れて咲いたアジサイが一枝、それに、八重クチナシが一輪、忘れ去られたように咲いている。
   それに、時々、思い出したように、花ザクロが鮮やかなオレンジ色の花を咲かせる。
   紫式部が、枝をすっきりと伸ばして、根元の方から結実して小さな緑の実が数珠のように並んで、先に行くにつれて小さくなり、真ん中あたりから色が変わり、紫色の小さな花の列が続いて、先の方はまだ可愛い蕾が並んでいる。

   四季咲きのバラは、蕾を摘まなければ、咲き続ける。
   イングリッシュ・ローズやフレンチ・ローズは、一輪か二輪分だけ残して、ピンチしている。
   暑さの所為で、ほんの2~3日しか持たないのだが、一輪ずつ切り花にして、小さな一輪挿しに生けている。

   鉢植えのミニバラが、深紅、オレンジ、ピンク、白・・・何鉢か綺麗な花をつけていて、実に清楚で美しい。
   以前は、大きくて豪華なハイブリッド・ティ系のバラばかりに興味を持って育てて来たが、この頃は、こじんまりした花のイングリッシュ・ローズやフレンチ・ローズに関心が移り、その所為か、小さなバラの方が好きになって、ミニバラを大切に育てている。
   花姿は、華麗なハイブリッド・ティと少しも変わらないのだが、凛とした美しさを控え目にアピールする清楚さが何とも言えないのである。
   
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鈴木孝憲著「2020年のブラジル経済」

2011年07月22日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   新興国のエースBRIC’sの一国だと名指しされて、万年、「未来の国」だと言われ続けていたブラジルが、一挙に世界の注目を集め始めたのも、ほんの数年前。
   広大な国土に豊かな鉱物資源や農産物に恵まれた日本の23倍もある巨大な国家ではあるが、日本は勿論、驚くなかれ、ラリー・ローターの言だが、アメリカ人の殆どさえも、サンバ、カーニバル、美味しい食べ物、美しい海岸と言った程度の知識しかなく、ブラジルがどんな国か、良く知らていないようなのだから、正に、ベールに包まれた神秘の国なのである。
   今秋、某大学で、ブラジルをテーマにして、アングロサクソン社会と対比させながら比較文化論的な視点から経済や経営の話をすることになっていて、資料を集めて準備しているのだが、大きな書店を梯子して、ブラジル関連本のコーナーを探しても、ブラジルについて著した日本語の書籍は非常に少ないのである。
   1970年代のブラジルブームの時には、サンパウロに駐在してビジネスに携わっていたので、その時には、かなりのブラジル関連本や膨大な資料を持っていたので、あれば、比較出来て面白いと思ったのだが、残っている筈もない。
   結局、アマゾンを検索して、手っ取り早く、米英系の学者やジャーナリストが著した英語版のブラジル関連本を買い集めたり、エコノミストやニューヨーク・タイムズなどのアーカイブ記事を探して読み返したりして、理論武装(?)に勤しんでいる。

   ところで、著者の鈴木孝憲さんの本は、先年出版された「ブラジル 巨大経済の真実」も読んでおり、ブラジル駐在の経験のある日本人ビジネスマンとしてどのように現在のブラジルを感じ論じているのかを知りたくて、新刊の本書を遅ればせながら読ませて貰った。
   私は、米国製MBAで、それに、欧州でのビジネス経験の方がはるかに長いので、どうしても、アングロサクソン的な視点からブラジルを見る傾向が強いのだが、この本を読む限り、多少見解の相違はあるのだが、かなり、鈴木さんの論点に近い感じで、納得することが多かった。

   特に、私自身、以前に、このブログで同じことを書いたことがあるので、鈴木さんが強調している日本企業のあるべきブラジルへの対応姿勢などは大いに賛成である。
   ブラジルは、日本としては、BRIC’sの中でも最も真剣にアプローチすべき国だと思っている。
   何よりも、確固とした日本人への信用を築き上げた150万人の日系ブラジル人と言う血を分けた貴重な財産があることを肝に銘じるべきで、そのためにも、日本に働きに来ている日系ブラジル人の中にはいくらでも優秀な人材がいるので適切な人を選んで、日本で採用してコーポレート・カルチュアを理解してもらうためにも正社員として育てて、将来、ブラジルでの事業展開においてキー・パーソンとして働いてもらうことが、如何に、重要かつ適切な経営戦略であるかと言うことである。
   特に、ブラジルは、ラテン系の国であり、英米流のビジネスにどうにか慣れた日本人には、生活は勿論、ビジネス環境や政治経済社会の慣習などカルチュア・ショックの連続である筈で、ブラジルでのビジネスを成功させるためには、両文化に精通した日系ブラジル人のような信頼できるブリッジとなる基幹的な人材がいてアミーゴ関係を構築できるルートが必須なのである。
   日本企業が、海外での事業に齟齬を来している原因の大半は、ローカル事情を無視軽視した現地事業のトップ人事や経営幹部など基幹人材の起用にあることを考えれば自明であろうと思うのだが、いつまで経っても、日本の企業は、このことが分からないようである。

   さて、ブラジルが如何に素晴らしい国かと言うことよりも、もっと大切なのは、ブラジルの現状及びその内包する問題点を適格に理解することである。
   したがって、私にとって興味深かったのは、この本の第六章「更なる飛躍への課題」と言うところで論じられている鈴木さんの現在ブラジル論の視点で、構造改革から必要な行財政・税制の実態と問題点、産業政策とビジョン作りの必要性、「ブラジル・コスト」と称されている産業界の競争力を削いでいる諸要因、劣悪な治安問題などについて論じている。
   ここでは、2点だけ、コメントしてみたいと思っている。
   
   1994年に「レアル・プラン」実施で、ブラジルの慢性病であったハーパーインフレから奇跡的に脱却し、数次に及ぶ国際金融危機を乗り切り、経済のファンダメンタルズが徐々に改善されて来たのであるが、果たして、社会主義化してきたルーラ以降ジルマ政権に移行した現在、ブラジルの経済がどうなるかと言うことが、まず最初の私の関心事である。
   公的債務の対GDP比42.9%、財政赤字の対GDP比3.3%とそれ程深刻ではないが、大きな政府を志向するルーラ政権では、連邦政府の支出が年々肥大化の一途を辿って悪化しつつあると言うこと、この現実である。
   その背景には、特に、公務員の大幅増員が給与総額の増加で財政を圧迫し、更に、大統領・大臣の直接任命する特別職(行政職のトップレベル)として多くのPT党員や労組関係者を起用して、露骨に特定の政党の利害が国家機関に影響を与え始めており、しかし、非効率極まりない行政は一向に改善されず、国民への公共サービスは良くならないと言う。
   財政悪化の大きな原因は、社会保障関係支出(その大部分は年金関係支出)で、最低賃金の大幅増額による年金支給額の調整増額や人件費などの固定費増額の圧力が強かった所為だと言うが、更に、16万4000人の公務員が兼務もしていないのに連邦政府と州政府から給料を二重取りしていたと言う信じられないような話がスクープされている。
   これ以上深入りは避けるが、同じような現象が、ブレアの労働党政権に移ったイギリスでも生じて財政や行政の質の悪化につながったと言う説も根強く、破産直前のギリシャ問題の根幹にも、公務員の増加と常軌を逸した大盤振る舞いにあったことは周知の事実である。
   尤も、ルーラ政権が実施した最低賃金引き上げや、生活費補助制度などによる「飢餓ゼロ」計画などの貧民救済策などがブラジル経済を大きく底上げしたことなど総合的に考えなければならないので、これは、改めて論じたいと思っている。

   もう一つ、気になるのは、先日のオッペンハイマーの提起していた原材料輸出依存の状態が固定化して付加価値の高い産業構造への移行に齟齬を来すのではないかと言う論点である。
   GDPに占める工業の比率が、先進国並みの経済発展のピークに達しないうちに低下し始めている事実がある。
   著者は、年5%の成長を実現するためには、工業の発展は必須で、一次産品の輸出とサービス業では支えて行けず、このままでは、中長期的な国の発展の阻害要因になりかねないと指摘しているのだが、内需型の経済で国内市場が大きく、それに、コモディティに競争力があって輸出には心配なく、大豆や鉄鉱石を大量に買い付けている中国特需に胡坐をかいていても大丈夫と言う気持ちが、ブラジルにはあるらしい。
   それとは逆に、ハイパーインフレで壊滅的な打撃を受け、レアル高もあって、競争力のあった造船業が壊滅し、機械設備などの資本財工業はダウン、製靴、玩具、電気電子部品などは撤退・廃業と言う状態のようで、付加価値の高い未来志向型の知識産業への脱皮などは夢の夢で、気を吐いているのは中型航空機メーカー・エンブラエルだけと言うことであろうか。
   その上に、所謂、「ブラジル・コスト」と言う、重い税負担、世界トップクラスの高金利、不備で効率の悪いインフラ、安定しない為替レート等々、企業の競争力を削ぐ要因が目白押しで、産業界を泣かせている。
   
   ブラジルは、極めて、ポテンシャルの高い有望な国だと思うが、いまだに、政界は汚職塗れで、治安は世界でも最低で、夜、一人で、リオやサンパウロを歩けないと言う。
   そのブラジルが、ワールドカップとオリンピック開幕を目指して湧いている。
   不思議な国である。
   

   
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日独修好150周年記念シンポジウム~科学技術の未来について

2011年07月21日 | 政治・経済・社会
   先日、日独修好150周年記念シンポジウム「人類の未来を拓く研究者のグランドチャレンジを支える日独の取り組み」を聴講する機会を得た。
   文系の私には、多少荷の重いシンポジウムだが、イノベーションについては、ライフワークとして勉強しているので、非常に勉強になり、珍しくも最後まで聴講させて貰った。
   場所が、「日本科学未来館」であったので、雰囲気も幸いした。

   科学技術の振興と、科学の新しい地平を開き、人類社会に変革をもたらす研究者育成に積極的に取り組んでいるJSTとドイツのカウンターパートであるドイツ研究振興協会(DFG)、そして、ベルリン日独センターの共催なので、両機関の現在の取り組みと今後の展望や課題などにについての説明と同時に、夫々の機関からサポートを受けている最先端を行く科学者や研究者たちのレポートがあり、非常に密度の高い、高度なシンポジウムであった。
   特に、新進気鋭の正に人類の将来を見据えて最先端を行く科学技術の開発研究に、限りなき情熱を傾注して取り組んでいる科学者や研究者の真摯な情熱には、心から脱帽で、なでしこジャパンへの称賛と賛美に似た感動を覚える。
   
   幸か不幸か、3.11の大震災直後のシンポジウムであり、原発問題を含めて人類社会の文化文明特に科学技術のあり方について、極めて深刻でシリアスな問題を突きつけられている時期でもあり、問題意識にも発表・議論にも、非常に熱が籠った真剣な取り組みがなされて感動的でさえもあった。 
   JSTの北澤宏一理事長が、after 311として、Fukuishina is changing the landscape in science and technology と問題提起をしたのに対して、夫々の識者からも、個人として科学者として、良心をもった人間として倫理的側面をも重視した科学をベースとした合意の形成が必須であるなど、社会心理学や哲学・道徳など根本的な人類のあり方についても考えるべきだと言う雰囲気が濃厚であった。

   この日、休憩時に、科学未来館の展示場で、養老孟司教授のビデオを見ていて、確か、科学は中立だが、技術は、その時々の事情に応じて姿を変えると語っていたように記憶しているのだが、シーズである科学が中立でも、人間の価値意識次第で、技術としてのイノベーションが、毒にも薬に変身すると言うことであろうか。
   地球温暖化問題で、宇宙船地球号を窮地に追い込んで、今や、チッピングポイントを越えて(?)、帰らざる河を渡ってしまって、結局、依って立つ地盤を切り崩して墓穴を掘りつつある人間に対して、FUKUSHIMAは、最後の挑戦を突きつけたのかも知れない。

   ところで、科学技術の問題だが、先日、ABCニュースで、アメリカで、子供たちの科学離れを阻止するために、DIY運動が起こって、子供たちが、嬉々として、科学技術の開発に挑戦している姿を放映していた。
   オバマ大統領が、演説で、「われわれの世代にとって、今がスプートニクの時なのだ」と、アメリカの「スプートニク危機」に言及したことを受けての市民たちの対応である。
   米国は1957年、旧ソ連が人類初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功したのにショックを受けて、米国国民全体が発奮して、科学などの教育に力を入れたことにより技術開発で世界のトップに立てたと説明し、科学技術や数学教育を強化することを全米に訴えたのである。

   日本では、スパーコンピューターの仕分で、「何故、1番でなければいけないのですか?」と愚問を吐いて、科学文教予算をめった切りにした閣僚が居たのだが、学者scholarが、ギリシャ語の暇人から来ていることを考えても、素晴らしい人類の遺産である高度な文化文明、科学技術は、豊かさあって生まれ出るものだと信じているので、金に糸目をつけるべきではないと思っている。
   「貧すれば鈍する」。以前に、日本芸術文化振興会の予算をぶった切った仕分について、批判ブログを書いたが、JSTやNEDOなどの関係予算も切っているようだが、アニメ館か何かを作ろうとした自民党の方が、民主党の文教音痴政権よりも、ずっとマシだと、この方面では、最近思い始めている。

   余談ながら、今回の主催者のドイツDFGのパンフレットのなかで、マティアス・クライナー会長が書いていて面白いと思ったのは、2005年にスタートしたThe Exellent Initiative プログラムで、これまで、すべての大学は、同等(equal)で、同等に扱わなければならないと言う長い間の伝統から決別して、不平等の道を選択して、エリートに資金を集中する方針に切り替えたと言うことである。
   「Excellence Initiative at a Glance」には、選ばれたトップクラスの大学院大学39校とトップクラスのCluster of Excellence37機関が名指しで克明に掲載されていて、興味津々である。
   ごく最近まで、ドイツが、日本同様に時代遅れの平等主義だったと言うのも驚きだが、今や、ダニエル・ピンクの「ハイ・コンセプト」の時代。クリエイティビティと卓越した頭脳の集積で勝負をするグローバリゼーションの時代であり、世界中が、正に、ハイ・コンセプトを叩き出すクリエイティブな頭脳の争奪戦に明け暮れていることを考えれば、ウカウカ出来なくなっている。
   しかし、ハイ・コンセプトも素晴らしい科学技術も、生かすも殺すも人間次第、人類の本当の賢さが試されていると言うことを忘れてはならない。

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七月大歌舞伎・・・團十郎・海老蔵・梅玉の「勧進帳」

2011年07月20日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   海老蔵復帰の舞台としては、成田屋の十八番で、ご両人が主役として並び立つ「勧進帳」が、最も相応しい舞台と言うことであろうか。
   先年、パリ公演でも話題となり、パリッ子を唸らせたと言うのであるから、話題性も十分である。
   何故か、この日は、冒頭の富樫の海老蔵よりも、花道から登場する弁慶の團十郎の方に、大きな掛け声と拍手が湧いたのが、多少、私には違和感があった。
   この昼の部のチケットは、TVで、即日完売と報じており、歌舞伎座が閉鎖されて新橋演舞場に移ってからは、空席が目立っていたので、いわば、異常現象で、お客の大半は、海老蔵の雄姿を期待しての来場だと思ったからでもある。

   この「勧進帳」は、幸四郎や吉右衛門の弁慶や、富十郎、梅玉、勘三郎、吉右衛門などの富樫、芝翫や玉三郎の義経など、色々な舞台を見ていて、どの舞台が良いのか分からずに、夫々の舞台を見ながら、その時々で楽しんでいると言うのが正直なところである。
   したがって、今回は、歌舞伎通が論じている「勧進帳」に対する思いや考え方について、私なりの感想を綴ってみたいと思っている。

   まず、山川静夫さんは、「主役は義経です。義経よりも弁慶や富樫が活躍する時間は長いのですが、「勧進帳」の精神は、義経を守ることに尽きます。」と仰る。
   花道の出と、杖折檻の後で弁慶をねぎらう場面意外は笠をかぶって下を向いたままで、殆ど動きのない義経なので、そう言われても、精神は理解できるとして、視覚芸術の最たる歌舞伎であるから、どうしても、山伏問答の迫力、金剛杖で主君を打つ機転、主従の涙、延年の舞、飛六方と言ったスペクタクルシーンに、目が行ってしまう。
   ところで、小山觀翁さんが、「歌舞伎通になる本」で、勧進帳の「格」による配役表について書いていて、関所の大将富樫から書いて弁慶で終わるのが普通で、更に凝ると最高位の義経から書いて次に弁慶、トメに富樫を書くと言う方法を取る。しかし、そうなると主人公の弁慶が二行目になり、主役としての形がつかなくなる欠点があるので、出演者の地位なども勘案してきめることになると言う。
   今回の舞台は、團十郎が筆頭で、次に、海老蔵、四天王と続いて、トメが義経の梅玉である。 
   さて、これは、何に従った配役表であろうか。

   また、この本で、小山觀翁さんは、富樫について、興味深いことを語っている。
   私も前に振れたことがあるが、関守の富樫は、鎌倉の頼朝の厳命であるから、弁慶の機転と主従の麗しい姿に感激して武士の情けで、義経一行を見逃してやった上に、一行に酒まで振る舞って慰労するのであるから、既に、切腹覚悟の決断であり見送りである。
   このドラマは、富樫人情物語としても立派に成り立つ、むしろ、富樫の心の内の葛藤こそ「勧進帳」の中心テーマとなるべき本質を持つと仰る。
   しかし、現実は、動かし難く犯し難く、弁慶主演の物語である。富樫はワキ師としての分を守ることが、総合演出の至上命令で、弁慶一行に露骨に同情しては、主役が馬鹿に見えるので、東大寺勧進の僧と偽って関所関所を通り抜けようとする男が勧進帳さえ持たない「開いた口がふさがらない」ほど迂闊な男を、忠義無比の人物に仕立て上げたものである。
   この大愚劇が、あれほど面白く感動的なのは、演出の妙を措いて他になく、そこを掴んだ時に、富樫には自然に「型」が生まれると言うのである。

   この主客逆転は、シェイクスピアの「オセロー」にも言えるようで、見方によっては、比較的単純なオテロ―よりも、「イアーゴー」の方が魅力的だし、シェイクスピア自身も一時期イアーゴーを表に出した時期もあると言うし、それに、最近のRSCなどの舞台では、オテロ―は、有色人役者が演じることになっていて、白人は演じられない(このことは、サー・アントニー・シャーに直接聞いたので間違いない)ので、名優がイアーゴーを演じることが多くて、一層、その感を強くしている。
  
   さて、勧進帳をでっち上げる弁慶を、知勇無比の役者に仕立て上げて魅せるところが、勧進帳の魅力だとするとしても、私が解せないのは、主君義経の扱いで、富樫が、山伏一行の頭が、弁慶であると言うことを信じ切っていたのかどうかと言うことである。
   山伏問答で合格して一行が関を立とうとする時点では、富樫が認識していないとしても、弁慶が義経を打擲する時点では、はっきりと主従の認識はあり、それ故に武士の情けを与えて酒まで振る舞って見送るのである。
   そのあたりの心の変化については、海老蔵の場合、微妙にニュアンスを変えていたようで興味深かったが、主客転倒の舞台演出は、そのままであった。
   また、義経が弁慶を許す時点で、四天王が、弁慶の行為を誉めそやすが、そんなことが可能な時代であった筈がない。
   いずれにしろ、これは、弁慶を見せて魅せる芝居に徹した歌舞伎の舞台だと言うことである。
   「歌舞伎芝居や人形浄瑠璃は、芸を見せることに全力が投入されており、筋書きや脚色演出に、多少の不合理や無理があろうとも、「そこが芝居でさァ」それですむ。」と小山觀翁さんが言っているのだから、理屈は止めようと思うが、ついつい、西欧風のドラマ鑑賞の姿勢になってしまう。

   また、小山觀翁さんは、「味わいの深い弁慶とそうでない弁慶を、簡単に見分けるコツを申し上げよう。それは、去りゆく弁慶の姿の中に、情ある関守への、感謝の心が読み取れるか否だ。」と言っている。
   團十郎は、最後の花道で、舞台の富樫の方に向き直って軽く手を合わせ、その後、客席にも手を合わせて、飛び六方で花道を豪快に去って行った。
   しかし、延年の舞の最後に、四天王に近づいて、下手に扇を振って退場を促す仕種をして、義経一行が関を退出したのを確認してから後を追うのだが、表情は殆ど変えない。
   山川さんは、「富樫らが見入っている隙に、主従は旅立つ。」と書いているのだが、切腹覚悟の富樫は、肚が座って泰然自若として、義経一行を見送っているのだが、弁慶には、富樫の命を懸けた武士の情けに多少の疑いがあるとするのなら、小山さんの言う感謝の心も中ぐらいになってしまって、表現が難しい。

   とにかく、團十郎家の十八番の「勧進帳」であり、誰よりも第一人者の弁慶でなければならないと肝に銘じて命を懸けて演じている團十郎であるから、いつも、決定版だと思って鑑賞させて貰っている。
   海老蔵の富樫の匂うような凛々しさも格別で、富樫を演じれば天下一品の梅玉の義経も、威厳と品格があって良かった。
   四天王の友右衛門、権十郎、松江、市蔵も、意欲的な舞台で素晴らしい。   



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トマト栽培日記2011~(14)完熟トマトの食べ比べ

2011年07月18日 | トマト・プランター栽培記録2011
   ほぼ、プランター植えしたトマト苗は、結実して完熟し、夫々、収穫して楽しめるようになった。
   今年は、少し暑い感じだが、昨年のように異常気象ではなかったので、特に、病虫害に侵されることもなく、多少の実成りの悪さや落果は別にして、それ程不都合はなかった。
   ただ、梅雨が、男性的な空梅雨気味だったので、蒸散が激しくて、絶えず、水をやらなければならなかったので、忙しかった。

   2日収穫していなかったら、やや、多い目に取れたので、黄色いトマトばかりで、ジャムを作り、朝収穫した取れたてのトマトを大中小極小取り混ぜて、鎌倉の娘宅へ送った。
   朝、適当な時間にクロネコまで持ち込めば、その日のうちに配達してくれるので、非常に便利である。

   この口絵写真は、収穫トマトの一部だが、勿論、私の作品だから、形の整った綺麗なトマトばかりではなく、出来の悪いトマトも結構多いのだが、味には、あまり変わりはないようである。
   今、必要があって、大航海時代のポルトガルとスペインの新大陸での活動を調べているのだが、このトマト以外に、アメリカ大陸から将来した「新大陸栽培植物」には、ジャガイモ、サツマイモ、トウモロコシ、カボチャ、カカオ、トウガラシなどと、結構多いのである。
   品種改良や掛け合わせで、オリジナルの種類などは、殆ど、残っていないのであろうが、食生活を豊かにしてくれていることは、事実であろう。

   今、台風6号が、足摺岬南方にあるようで、明後日くらいには関東にも影響があるようである。
   トマトを固定している支柱が弱いので、台風の直撃を受ければ、一たまりもないと思うのだが、その時は、被害を免れて残ったトマトの木だけでも、整理して残して、栽培を続けてみようと思っている。
   園芸店には、秋ナスを期待しての茄子はともかくとしても、まだ、トマトの苗を売っているのだが、今からでは、実が成っても収穫できるのは、8月末になる筈。
   
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アンドレス・オッペンハイマー著「米州救出」

2011年07月17日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   一昨日、コメントした本書は、ラテンアメリカの凋落と米国の憂鬱(実際は、アメリカは何をなすべきか)と言うサブ・タイトルがついているので、特に、アメリカの対ラ米外交や経済政策についての論評を期待して読み進んだのだが、現実には、ブッシュ政権の対ラ米政策の誤りと、極端なアメリカの中南米無視ないし軽視姿勢についての記述に終始しており、面白かったのは、アジア、特に中国、アイルランド、ポーランドなど、ラ米と同様に遅れていた筈の国の快進撃の秘密を分析しながら、果たして、ラ米が、あのように、経済成長を遂げて近代国家にキャッチアップできるのかと言う点であった。
   それに、加えて、米国とラ米の関係・歴史的推移、アルゼンチン・ブラジル・ヴェネズエラ、メキシコなどラ米の大国の現状や問題点を分析しながら、最後に、新世紀のラテンアメリカのあるべき姿を展望している。
   アルゼンチン生まれのアメリカのジャーナリストで、マイアミヘラルドのコラムニストとして健筆を奮っているようだが、、血の騒ぎであろうか、半分、ラ米人としての視点から、ラテン・アメリカ関係について、貴重な論陣を張っていて、類書と一寸違った味がして面白い。

   ラ米が、不平等、不満、犯罪、ポピュリズム、資本逃避、貧困等等の益々深まりつつあるサイクルを破るために何をなすべきかのアイデアを集めるために、著者は、アジアやヨーロッパを回ったのだが、その政治的な傾向はどうであれ、生活水準を向上させ、貧困を削減している国々に共通点があるとすれば、それは、総て海外からの投資を惹きつけているかどうかと言うこと、この1点に尽きると言うのである。
   資本の着実な流入は、長期的な経済成長を達成し、雇用増大を助け、歴史を通じラ米を苦しめて来た景気急騰と急落のサイクルを回避させ得るであろうし、更に、本国を嫌って海外に逃避している膨大なラ米資産が、還流すれば、殆どの国が、先進国の域に達する筈だと主張している。
   世界最高の貧困率と最悪の富の不平等極まりない分配構造の更なる悪化で、治安状態の惨状は目を覆うばかりとなって、世界で最も暴力的な地域になり下がってしまった今、多国籍企業の多くが、ラ米への投資に消極的になる上に、一部の国家は、世界の潮流に反して、外資を排斥している。

   著者には、ラ米が、いつまでも、原材料輸出依存の経済発展モデルから脱却できないのではないかと言う強い強迫観念みたいなものがある。
   例えば、現在、中国は驚異的な大躍進によって、世界最大の原材料の消費国となり、膨大な原材料の輸入によって、原材料輸出依存度の高いラ米諸国の経済を潤しているのだが、中国は元々ラ米の資源にしか関心はなく、暢気に中国景気に浮かれていると、ラ米の第1次産品の依存度を増大させるだけで、世界の市場でより高い価格で販売される付加価値の高い輸出を生み出すことを妨げると言うのである。

   著者の経済発展の根幹をなすのは、グローバリゼーションによる外資の積極的な役割のほかに、資本主義経済そののもが、知識情報化産業社会に突入していて、原料が最も重要な富の源泉であった過去の世紀と違って、国家の富は、広い範囲でアイデアを生むことにある知識経済の時代だと言う認識であるが、多くのラ米の指導者は、この現実に全く気付いていないと言う。
   したがって、最終章「新世紀のラテンアメリカ」においては、世界のIT業界を背負って立つインドのIITの激烈な入試戦争と、入学試験さえなく入学生の20%しか卒業せず、学費国家負担で「万年学生」集団を生む抑制されない入学登録者数など腐敗の極に達しているアルゼンチンやメキシコなどの教育制度と対比させながら、紙数の殆どを、教育制度の改革と知識情報化、すなわち、知価社会への産業構造の転換への必要性を説いている。
   
   元々、農産物など1次産品で富を蓄え、安い雑貨や玩具や低価格のサービスの輸出から高度な製品の世界的な販売へと驚くべき速さで経済発展を遂げている中国やインドや東欧諸国と比べて、脱工業化社会へと経済産業構造を変革せずに、資源需要の旺盛な新興国や近接優位の米国市場を頼みにして、最近の天然資源や農産物などの商品価格の上昇を運良く祝いながら原材料採掘経済国として居残る限りは、ラテンアメリカ諸国の明日はないと言うことであろう。
   著者は、ブラジルの航空機メーカー・エンブラエルやメキシコの世界最大の建築材料供給会社セメックスなどのエクセレント・カンパニーを例示して、ラ米での産業高度化への萌芽を語りながら、世界中のその他の新興国や発展途上国の益々増大する資源、教育、科学的競争力から事例を取り込むことによって、経済発展を遂げて、短期間で劇的に貧困を削減でき、生活水準を向上させ得ると説いている。
   そして、ブラジル、ペルー、ウルグアイなどの責任ある左派あるいは中道左派政権の誕生で、社会的意識に目覚めた健全な経済運営が期待できるとしており、この政治動向と、中印などの成功例が呼応して、ラ米諸国の将来の指導者に強い影響を及ぼすであろうし、地域を新しいより繁栄した未来に向かって揺り動かすであろうと、結んでいる。

   巨大かつ複雑な地域で、全く、歴史や伝統、文化文明の背景を異にし、政治や経済社会体制の違った国の混在する中南米を、ラテンアメリカと言う一言で論じるのは、非常に危険だが、私の読後感は、オッペンハイマーが書いたこの本が、ラ米の真実だとすると、これまで以上に、ラ米諸国の将来に対して、悲観的になってしまったと言うことである。
   知識情報化産業社会へのグローバリゼーションの浸透によって、いくら、ラ米が、前近代的な閉鎖社会状態を維持しようとしても、文化文明の平準化は必然であって、遅かれ早かれ同化せざるを得ないと思うが、ラテン気質濃厚なメンタリティなり文化文明観を根本的に変革しない限り、ラ米が、中印など新興国経済発展モデルを模倣できる筈もないし、政治的な左傾化が、吉と出るか凶と出るかは、世情変化の激しいラ米では、まだまだ、未知数であるし、ラ米のトップや指導者とインタビューを重ねながら、お粗末な答弁を受け続けている著者が、何故、あまりにも簡単に、ラ米の将来について楽観的な結論に至ったのか、大いに疑問だと思っている。
   
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世界で最も暴力的な地域は「南米?」

2011年07月15日 | 政治・経済・社会
   世界中には、テロリストの恐怖は勿論、危険が充満しているのだが、アンドレス・オッペンハイマー著「米州救出」によると、世界で最も暴力的な地域は、南米だと言う。
   アルゼンチンのビリャス、ブラジルノファベーラ、カラカスのセロス、そして、メキシコシティのシウダデス・ベルディーダス。高い貧困率は、不平等と金持ちや有名人の生活を地域の粗末な家に持ち込んだコミュニケーション革命もあり、はたせぬ期待と言う危機をもたらし、それが不満や怒り、街頭での犯罪率の増加につながり、「宣告されない内戦」が、ラテンアメリカにおいて猛威を振るっている。
   富裕な世界へと手招きするテレビの比類ないメッセージの洪水の中で成人した、教育も職能もない若者たちが、あらゆる機会を、これ程までに奪われ疎外された時代は歴史上皆無だと言うのである。

   益々増加の一途を辿る疎外された暴力的な若者たちが、どんどん都市に進出して行くにつれて、中・上流階級は、生活防衛のために、いわば、外壁のある要塞の中に再び豪を更に深く掘る状態であり、貧困、疎外、そして、犯罪は、金持ちを含めたすべてのラテンアメリカ人の生活の質をかってなく侵食している。
   ところが、殺人は、ラテンアメリカの死因の7番目で世界最悪だが、刑務所人口は世界でも最少であり、ラテンアメリカの犯罪者は異常なほど刑罰の免除を享受していると言うのだから恐ろしい。

   リオのファベーラを見れば分かるが、最も高級でエレガントな地域から、ほんの数ブロック離れた所に貧民窟が張り付いている。
   こんなところには、学校にも行かない数万人の若者たちが居て、多くが8歳から10歳で麻薬を初めて、犯罪者となっても不思議ではなく、両親に会うこともなく、教会やスポーツクラブにも属さず、路上で生活し、麻薬を消費する犯罪労働者だとオッペンハイマーは言う。

   マラスと称するストリートギャングが、中米のエルサルバドル、ホンジュラス、グアテマラ、メキシコの南部から、コロンビア、ブラジルその他の南米まで拡大しており、中米だけでも15万人、ほぼ半数は15歳以下だと言う。
   マレロ(刺青をして特別な手のサインをするマラスの構成員)は、ロサンゼルスに源を発し、米国政府に有罪判決を受けた若者たちが母国へ送還されて中米に広がった。
   マラスの内部では、麻薬密輸や雇われ殺人、窃盗、誘惑、手足の切断に専念する者たちがいると、ホンジュラスのアルバレス治安大臣が言っているのだから、正に、21世紀の新しい犯罪者なのだが、大きな特色は、覆面で顔を隠す伝統的な銀行強盗とは違って、堂々と悪事を実行して報道機関から注目を集めることを切望しており、一たび脚光を浴びると、指揮命令系統で昇進を果たすのだと言う。

   ラテンアメリカでの深刻な問題は、ラムズフェルド米国防長官が、チャベス大統領や彼の追随者の権威主義的逸脱行為よりも、国防総省を憂慮させているのは、ラテンアメリカの悪質犯罪の急増とテロをコントロールする政府の無能力だと指摘していたように、世界最悪の治安の悪さである。
   ラテンアメリカでの一般通念は、貧困が犯罪を生むため、貧困削減に焦点を当てた取り組みが必要だと言うのだが、アメリカの専門家の多くは、逆に、犯罪が貧困を引き起こし、地域の第一の優先度は犯罪との闘いであると考えている。
   
   先に論じたように、犯罪の急増による中南米の中・上流階級の自己防衛策が、マイアミの不動産ブームを引き起こしており、「ラテンアメリカの首都」とも呼ばれている。
   かなりの数の企業家たちが、自分の家族を誘拐、強盗、殺人等から守るために家族をマイアミに置いており、林立する多くのアパートの購入者の多くは、ラテンアメリカの犯罪被害者であるか、潜在的被害者、言うならば、マイアミの新参者は、犯罪難民なのである。

   このような状態であるから、多国籍企業の多くは、この地域における主要な脅威は、治安だとしており、高い警備コストと危険回避のために、ラテンアメリカには投資したがらない。
   治安の悪さは、投資を阻止するが故に、ラテンアメリカの発展を妨げている主要な要因だと言うのである。

   この本の著者オッペンハイマーは、アルゼンチン生まれで、マイアミ・ヘラルド紙のコラムニストで、イラン・コントラゲート事件でピューリッツァー賞を受賞するなど多くの受賞に輝く敏腕ジャーナリストで、記事の多くは、中南米で読まれていると言う。
   この本「米州救出 SAVING AMERICAS」は、「ラテンアメリカの危険な衰退とアメリカは何をなすべきか」と言うサブタイトルの付いたラテンアメリカの将来を真正面から捉えて論じている素晴らしい本で、成長著しい世界のホットスポットを精力的に回って、これらの経験と挑戦が、ラテンアメリカの発展に参考にならないか、追及していて、一種の経済発展比較論の観を呈していて、興味深い。
   詳しいコメントは、ブックレビュー記事に譲るが、ラテンアメリカの真実を理解することは、BRIC’sのブラジル・フォローの為にも、必須であろうと思う。
   グローバル経済の拡大の陰に存在する世界的なテロの脅威の中では、中近東や北アフリカのテロ集団の動向や海賊が最もポピュラーだが、貧しさと格差拡大によって社会の根本から蝕みつつある中南米の犯罪急増の脅威にも注目すべき時が、とうとう、来てしまったと言うことである。
   
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七月大歌舞伎・・・福助と海老蔵の「楊貴妃」

2011年07月14日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   楊貴妃を知ったのは、勿論、高校時代の漢文の時間で、白居易の「長恨歌」を勉強した時で、その後、中国史で、唐時代の政治で、玄宗皇帝と楊貴妃の話を、多少詳しく知るようになった。
   今回の歌舞伎「楊貴妃」は、大仏次郎の創作歌舞伎で、物語になっているので、荒唐無稽で話の辻褄や中身などには殆ど無頓着で芸で魅せる古典ものとは違って、私などの好みの舞台なので、楽しませて貰った。
   絶世の美女「楊貴妃」を主人公にした芝居だが、大仏次郎の創作は、楊貴妃と玄宗皇帝の高官・高力士との恋物語に仕立て上げていることで、力士が、去勢された宦官であることが、微妙に物語に味付けをした感じで、面白くなっている。
   
   史実では、高力士(海老蔵)が、楊貴妃(福助)を玄宗(梅玉)に引き合わせて後宮に入れたと言う話があるが、楊貴妃は、元々、玄宗と武恵妃の間の息子・寿王李瑁の妃であったのを、玄宗が見初めて、その命で宮中の太真宮に移り住み皇后に位する貴妃となった。
   息子から妻を奪ったとする誹りを避けるために、その間、長安の東にある温泉宮にて、一時的に女冠(太真)として仕えさせていたのだが、舞台は、この蟄居生活をしている太真を3人の姉と従兄楊国忠(権十郎)が訪ねて来て、皇帝の命により来訪した高力士に伴われて後宮に向かうところから、始まる。

   この舞台では、太真(楊貴妃)が、皇帝への仲立ちのために、しばしは、寺を訪れていた高力士に、密かに思いをよせていたと言う設定だが、現実には、この時点で既に皇帝と楊貴妃は内縁関係にあり、高力士との恋は有り得ないし、兄姉たちが明かす、高力士が、男の影の宦官だと言うことは、周知の事実の筈なのだが、大仏次郎は、楊貴妃の激しい恋心と男を絶たれた高力士の成さぬ恋を脚色して話を面白くしている。
   玄宗皇帝は、非常に平凡でオーソドックスな描かれ方だが、唐代を代表する名君でありながら、楊貴妃に溺れたばかりに晩節を汚したとも言われている。一寸線が細い感じだが、梅玉が風格と品のある皇帝を演じていて爽やかである。

   もう一つ面白いのは、中国最高峰の詩人李白を登場させていて、玄宗が李白を召した時、酔った李白が、高力士に靴を脱がせたと言う故事を引いて、「卿(そなた)は、手足がままにならぬほどに酔った時、無理に高力士に手伝わせて、靴を脱がせて貰った、と申すではないか、無礼なことです。」と言って、更に、李白の詞で「可憐の飛燕、新粧による、……そなたに似たものをさがせば、漢代に美人とうたわれた飛燕よりほかにないと申しておる」と玄宗に言われても、似ていると言われたのが頭にきて、李白の官職を免ずるなど、このあたりになると楊貴妃も高慢ちきの極に達している。
   李白を演じるのは、東蔵で、楊貴妃を褒めちぎるくだりなどの語り口など面白いが、大詩人としてのスケール感に欠けていて、一寸イメージが違う。

   さて、10年以上も経てばれっきとした楊貴妃。
   玄宗が信頼する最高位の高官である筈の高力士を庭で呼び止めて、激しく迫る。
   「さあ、高力士、そなたあたしを美しいと思わないかい? 手を触れて見たいとは思わなかった? もっと近くへ寄って、私の息や肌の匂いを吸って見たくはないの?……じっと私の顔を御覧。この目を……それから、唇を。」「今宵は、私がそなたを男にして上げる。天下にひとりのこの私が、そなたを男にして上げよう・・・ 今宵だけは、貴妃が許してあげるから、大胆に、思うとおりに振舞ってごらん、さあ、どうなりと……。(身を投げかける)」
   無言……高力士は、段々我を忘れてくる。受身だったものが、忽然と男らしくなり、強い腕を廻して、貴妃を抱き寄せる。
   貴妃は、それを見極めて置いてから、……静かに突放す。「無礼ではないか、高力士。」
   邪恋に一途に狂っていた楊貴妃が、去勢して男を失った高力士を誘惑して殴りものにする激しさ、残忍さ。
   (勝ち誇って静かに声を立てて笑う)……気におしでないよ、(皮肉に)現(うつつ)ではない、たかが影のしたことじゃ。
   そなたが、私を――このように作り上げて置きながら、……そうではなかったか?と吐き捨てるようにつぶやく楊貴妃。
   む、むごいことを……。と地に臥して呻く高力士に「どこに、大唐の楊貴妃を咎める者がある。」と貴妃は、冷然と高力士を見捨て、石段を昇って行く。

   ところが、直後に、安禄山が謀反を起こして挙兵。
   玄宗は首都・長安を抜け出し、蜀地方へ出奔することに決め、楊貴妃とともに逃げるが、馬嵬(陝西省興平市)に至ると、乱の原因となった楊国忠を強く憎んでいた陳玄礼と兵士達は、楊国忠を殺害し、更に、玄宗に対して、「賊の本」として楊貴妃を殺害することを要求した。玄宗は、「楊貴妃は深宮にいて、楊国忠の謀反とは関係がない」と言ってかばったが、高力士の進言によりやむなく、楊貴妃に自殺を命ずることを決意した。
楊貴妃は、高力士によって、縊死(首吊り)させられた。
   これが、史実のようだが、この歌舞伎では、高力士が、玄宗に、楊貴妃に死を賜って敵方に渡すことを提案し、自ら、楊貴妃の首を絞めて簪で止めを刺す。
   死に追い詰められた楊貴妃に、高力士は迫る。「貴妃さま、申上げます、私の、まことの心を申上げます……私は、貴妃さまをあの畜生どもの手に渡したくはありませぬ。いえ、畜生どもに限らず、誰の手にも渡したくはございませぬ。お上にも渡したくありませぬ。貴妃さまは誰のものでもなく……。」しかし、「(冷笑)それほど、私を渡すのが、惜しいのか、愚か者! 楊貴妃は誰のものでもない。お前の手に掛れば、この私が喜ぶとでも思うか? 身のほど知らぬその自惚を、皆の前で笑って、笑いとばしてから死んでやる、さ、おどき!」
   争い、揉み合う。はずみで、高力士の手に羅布の先が握られる。駆け出ようとして、頸にからみ付いた布に、おのずと扼(しめ)られて苦しむ楊貴妃。高力士は、半殺しの鼠を弄ぶ猫のように悦び狂いながら気を失った躰を固く抱いて、廟内に入る。
   泣き悲しむ侍女たち登場。これに従う高力士のみは悲しみの片鱗だになく、冷たい表情の底に、復讐を遂げた悦びを秘めている。
   陳元礼(猿弥)に支えられて、力なく佇(たたず)んでいる玄宗に、「お上、切ないことで御座いましたが、錦でつつんだ御生前のお姿のまま兵士どもに引渡すことに致しましょう。おひと目、お別れを……。」高力士は告げる。

   この最後の修羅場は、高力士の楊貴妃への復讐劇。
   海老蔵は、徹頭徹尾、最初から最後まで、あの事件後の記者会見のような無表情で、人が変わったような表情を押し殺した優しい物言いで押し通していて、不気味なほどの冷静さ。

   大仏次郎が、水谷八重子と滝沢修のために書いたと言う戯曲だと言うことで、どのような意図で書いたのか分からないが、極めて激しい愛と憎悪のミックスした心理劇で、白居易の長恨歌の世界と随分かけ離れた舞台であったので、一寸、面食らったのが正直なところである。
   尤も、舞台セットは、一寸、貧弱ながら中国風に拘っていたようだが、昔読んだ本では、ウソか本当か分からないのだが、中国には、恋愛小説と言うジャンルはないと言うことだったし、芝居が、あまりにも日本的な物語なので、中国劇と言う見方をする必要がないと思って鑑賞させて貰った。

   さて、主人公の楊貴妃だが、ウイキペディアによると、「容貌が美しく、唐代で理想とされた豊満な姿態を持ち、音楽・楽曲、歌舞に優れて利発であったため、玄宗の意にかない、後宮の人間からは「娘子」と呼ばれた。『長恨歌伝』によれば、髪はつややか、肌はきめ細やかで、体型はほどよく、物腰が柔らかであったと伝えられる。」と言う。
   この舞台でも、玄宗に、「お前は近頃、少し肥ったから、風ぐらいに吹かれても、飛燕のように飛ばされる心配はまああるまい、はははははは。」と言わせているので、丁度、薬師寺や浄瑠璃寺の吉祥天女像をイメージすれば良いのであろうか。
   宝塚の中国公演で、壇れいが、「楊貴妃の再来」だと言われたと言う話を聞いたので、吉祥天女像の福よかな高貴さと壇れいの美しさと品格、それに、学生時代に良く訪れた泉涌寺の楊貴妃観音のイメージをミックスした理想的なレィディ像を勝手に描いてみた。
   この口絵写真は、インターネットで楊貴妃像を探していて、丁度、玄宗と楊貴妃が比翼の鳥と連理の枝を謳歌していた「華清池」に立つ楊貴妃の彫刻で、一番きれいで豊満なイメージのものを借用させて貰った。
   福助の楊貴妃だが、少し、私のイメージとは違うが、大仏次郎作の愛と憎悪の心理劇、そして、権力を極めた貴妃ものの物語としての主人公としては、非常にキメ細かく心理描写に意を用いた体当たりの演技をしていたので、上出来だと思っている。









   

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わが庭の歳時記・・・ゴーヤの緑のカーテン

2011年07月12日 | わが庭の歳時記
   私の庭は、西南西に向いて広がっているので、西日がきつい。
   冬などの天気の良い日などは、温かくて助かるのだが、真夏には、暑くて大変である。
   利くか利かないかは別にして、今年は、ゴーヤの緑のカーテンが特に人気が高いとかで、庭に面した二間のガラス戸の前に、種蒔きして芽が出たのは5本だったので、その5本をプランターに植え付けて、這わせることにした。
   高さ2.4メートルのネットを、2階のベランダの下と、プランターの縁に固定して、その中間は、ネットを浮かせた形である。

   ほんの10日くらいの間に、背が伸びて、一番成長の速い苗木は、1階の庇を越えて上り始めた。
   ものの本によると、50センチくらい伸びたところで摘心して、横に脇芽を広げるようにと書いてあるのだが、私は、伸ばす方が先で、それから摘心しても良いと思って放置しておいたのだが、元気に成長するにつれて、下から、どんどん脇芽が出て広がっているので、苦労することもないと思っている。

   まず、口絵のような、小さな黄色い花が咲き始めて来た。
   ゴーヤは変わっていて、最初に咲くのは、雄花だけの様で、遅れて雌花が咲いて来ると言うことである。
   同じような花で、雌花の方は、花の根元に子房がつくので、少しふくらみがあるようであり、受粉を助けた方が良いと言う。
   私は、ゴーヤの実成りには特に興味がないので、とにかく、緑のカーテンが広がってくれれば良いと思っている。

   問題は、台風などの大風の時に、どうすれば良いかと言うことだけで、本当は、2階のベランダに固定した横棒の竿を上げ下げできるように固定して、強風の時には、その竿部分を下に下せば良いと言うことだが、面倒なのでその手を端折ってしまった。
   したがって、風任せに放置して置く以外にないのだが、せめて、下のプランターとの固定部分だけでも動かないようにしっかり固定して置こうと思っているのだが、本当のところ、完全にオープンの庭なので、台風には耐えられる筈がないと思っている。
   まあ、台風が来る年と来ない年があるので、気象状況に任せる以外に仕方がない。
   その意味でも、ゴーヤの実が成らない方が良いのかも知れない。

   さて、わが庭だが、トマトのプランターが最盛期なので、ジャングルのようになっている。
   本当は、こまめに雑草とりをやれば良いのだが、とうとう、猛暑になってしまったので、それも大変なので逡巡している。
   沢山、華やかに咲いていたユリも終わってしまった。
   フェイジョアの花も、いつの間にか、散ってしまっている。
   今年は、庭が鬱蒼としすぎたので、ツユクサを引き抜いてしまったので、ところどころしか残っていないが、この花は、やはり空間のある庭に似つかわしい花で、今年は、ゆっくりと味わう時がないかも知れない。

   バラは、四季咲きが多いので、今でも、蕾を摘まなければ、2番花3番花と咲き続ける。
   返り咲きのイングリッシュ・ローズや、フレンチ・ローズも咲き続けているが、春に咲く最初の花のようにしっかりした美しい花ではなく、やはり、貧弱で、哀れなほどすぐに散ってしまうし、病虫害には弱い。
   今年買ったイングリッシュ・ローズの大苗は、次から次へと蕾を付けるのだが、株を育てるために、すべてピンチしている。
   初秋まで、少し休ませて肥培し、秋の花を楽しもうと思っているのだが、この夏の暑さを、どう乗り切るかであろう。

   芽を伸ばし始めた朝顔を、あっちこっちの木の下に植え替えて、木に巻きつかせた。
   大きく育つと、庭木を這い上がって咲くので、庭木には良くないのであろうが、何となく、野性的に高く這い上がって咲く朝顔も、それなりの風情があって良いので、私は、ずっと、この方法を続けている。
   今年も、西洋朝顔のヘブンリーブルーの種を蒔いて、苗を作ったのだが、西洋朝顔は、成長すれば、5~6メートルにも伸びるのに、芽の出は至って悪くて、非常に貧弱な茎がチョロチョロ出て来て、大株に育つまでに時間が掛かる。
   自分で種を採って翌年植えても、芽出しが非常に悪くて、厄介な花だが、日本の朝顔のように朝すぐに萎むのではなく、午後まで綺麗な花を保っているし、それに、一つの枝から何個も花を房状に出して、次から次へと咲き続けるのが良い。
   成長の旺盛な日本朝顔と並べて植えてあるのだが、空中での花の競い合いが楽しみである。
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トマト栽培日記2011~(13)クック・トマトも収穫期に入る

2011年07月11日 | トマト・プランター栽培記録2011
   この口絵写真は、ティオ・クックだが、黄色いクック・ゴールドも、最初に色づいたものは、完熟した。
   やはり、味は淡泊だが、実がしっかりしているので、クックに耐えるのであろうと思う。
   大玉トマトも、数は少ないが、被害がなく立派に完熟したのは、結構、良い味がしていて、流石に、自家栽培した値打ちはある。
   スーパーで買うトマトとの味の違いは、やはり、青い時に収穫して流通時に熟成させたものと、実際に手元で育て完熟したものをもいで食べるのとの差であろう。

   今までのところ、途中で表面が傷ついて黒ずんだり、一部、尻腐れ病のような様相を呈した実がいくらか出来たものの、特に、病虫害にやられたと言うほどの被害はなく、順調な出来であったと言えよう。
   マイクロトマトは、ころころと、沢山、実が成って面白いのだが、特に、美味しいと言う訳ではなく、皮が硬くて、収穫も実が小さいので何となく厄介な感じで、珍しいと言う感じで終わりそうである。
   観賞用にしても、少し、木の大きさが大きくなるので、持て余し気味となる。

   私にとっては、ミニトマトの栽培が、一番簡単で、それに、次から次へと実を結び、今年は、殆どの苗を2本仕立てで育てたので、結構、多くの収穫が出来ている。
   同じミニトマトでも、大きさにはかなりの差があり、アイコも長円形のかなり大きめだが、タキイの小桃などはやや長円形でもっと大きくて、中玉くらいの大きさに育っている。
   アミティエなどの他のミニトマトは、スーパーで売っているような丸いこじんまりしたトマトで、結構、しっかりした味がしていて美味しい。

   良く分からなくて通販で買ったタキイのファンタスティックは、中玉のやや大き目と言った感じの赤い綺麗なトマトだが、味は、特に変わっているようには思えなかった。
   やはり、果物のように甘くて美味しいのは、完全に完熟した桃太郎ゴールドである。
   昨年は、途中で猛暑になって、殆どトマトが、結実せず、その後、花も咲かなくなって、木を切り倒して止めてしまったのだが、今年も予報では暑さが続くと言う。
   1昨年は、元気なトマト苗は、10月初旬まで実をつけていたのだが、今年はどうなるであろうか。
   
   今のところ、わがプランター・トマト園は、やっと、最盛期を迎えたところで、生食と料理用に、自給自足の段階に入ったと言うところである。
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