小山觀翁さんは、昔、イヤホーン・ガイドでお世話になったり、テレビの歌舞伎番組で見たりとお馴染みなのだが、私自身、歌舞伎ファンながら、まともに歌舞伎の勉強をしたわけではなく、我流で、ただ、見て楽しんでいるだけなので、通になるつもりはさらさらないけれど、少し勉強をさせて貰おうと思って、この本を手にした。
尤も、歌舞伎役者の書いた本や、解説書など、結構、歌舞伎や文楽、古典芸能関連の本を読んでおり、それなりに、知識は仕入れているのだが、「通」と言う漢字を見るとどうしても、私のジャンルではないし、多少のこだわりをかんじるのである。
私が歌舞伎を見ていて、いつも引っかかるのは、荒唐無稽と言わないまでも、物語としては面白いが、殆ど筋にはならない筋運びで物語を展開している芝居だと言うことである。
小山さんの話を繋ぐと、次のようである。
「狂言」と何故言うのか、江戸幕府が「荒唐無稽なものを演じておけ」と命じた際、「狂言綺語」と表現したのをうけたようで、政治批判をさせないための布令で、今でも出し物を「狂言」と言うらしい。
それに、一般の演劇とは違って、作家の出来栄えなどは、かならずしも条件とされないようで、上手く纏め上げることを期待されており、芝居の世界では、俳優の占める役割がはるかに重要で、筋書きや脚色演出に、多少の不合理や無理があろうとも、それが芝居だと言えば済むと言う世界である。
また、歌舞伎や文楽には定まった演出家などないのが古式で、強いて演出家と言えば、座頭と立女形であって、俳優は、各家筋に独自の演技形式を伝承しており、この「型」は、小は持ち物のデザインや使い方から、大はその芝居全体の解釈まで広範囲に及ぶのだと言う。
とにかく、私にとっては、歌舞伎は、何処までも、理屈や常識の世界ではないのである。
ところで、本当の劇評とはかくあるべきとして、市川市蔵の昭和19年の「千本桜」の弥左衛門の提灯の持ち方を写真入りで説明して、袖を使って足元だけを光るように持っている姿を称賛すべきだとしたり、その他、各所で、俳優たちの芸の細かさと言うか、如何に、リアリズムに徹した演技に腐心しているかを紹介していて、それに気づくのが通だと言っている感じである。
尤も、形だけではなく、忠臣蔵の判官切腹の場で、判官役者は、仇敵への恨みを込めると同時に、自分の軽率な刃傷によって家を失えば、家来やその家族たちに大変な迷惑をかけることになる、済まないと言う気持ちを込めようとするであろうとか、先日触れたように、味わいのある弁慶役者は、去り行く弁慶の姿の中に、情けある関守への、感謝の心が読み取れると言った非常に心理的な細部についても論じていて、やはり、歌舞伎を楽しむためには、相当な勉強と年季修行が必要だと言うことを窺わせる。
虚実皮膜と言うのであろうか、私など、いくら見ても、先の判官や弁慶の役者の滲み出るような芸の深さについては、いまだに良く分からない。
芝居は辻褄が合わず筋が通っていなくても、個々の役者のリアリズムに徹した芸の奥深さや心理描写を理解しながら、歌舞伎を楽しむべしと言うことであろうか。
私は、上方や江戸の歌舞伎は、庶民の伝統芸術だと言うけれど、決して一般庶民の世界ではなくて、経済的にも豊かで、教養もあり趣味趣向の秀でた上方や江戸のハイソサエティの贔屓ファンとそのバックアップがあったからこそ、ここまで、高度に成熟した芸術に育ってきたのだと思っている。
上方の文楽も同じで、劇場に出向いて、歌舞伎や文楽を鑑賞できるのは、極めて僅かな、いわば、エリート庶民だけだった筈で、目の肥えた厳しいクリティックが芸の進化を促進し、そのお蔭で、香り豊かで最新の流行と芸を生み出し続けた歌舞伎や文楽が、地方へ伝播して江戸時代の日本を隅々まで文化文明化したのである。
富山の薬売りが、歌舞伎の錦絵を持って地方を回り、人々に江戸のホットニュースなどを語り聞かせたり、旅芸人が、どさ回りしたのも、貴重な芸の地方への拡散である。
私は、これまで、随分、世界中のあっちこっちを回って来たが、幕藩体制のお蔭もあろうが、日本ほど、地方の隅々まで、高度な食文化や庶民芸術などを含めて文化文明が平準化していて、これ程民度の高い国はなかったと思っている。
歌舞伎や文楽は、とにかく、庶民の芸術、日本の古典芸能であるから、見れば分かる楽しめると言う人が居るけれど、私には、学問芸術と同じで、言い換えれば、オペラやバレー、シェイクスピア戯曲を鑑賞するのと同じで、それなりの勉強と修練が必要であり、まず、興味を持って経験を積み重ねて行くことが必要であろうが、その奥深さなり醍醐味を楽しむためには、相当の覚悟と努力が必要だと思っている。
尤も、歌舞伎役者の書いた本や、解説書など、結構、歌舞伎や文楽、古典芸能関連の本を読んでおり、それなりに、知識は仕入れているのだが、「通」と言う漢字を見るとどうしても、私のジャンルではないし、多少のこだわりをかんじるのである。
私が歌舞伎を見ていて、いつも引っかかるのは、荒唐無稽と言わないまでも、物語としては面白いが、殆ど筋にはならない筋運びで物語を展開している芝居だと言うことである。
小山さんの話を繋ぐと、次のようである。
「狂言」と何故言うのか、江戸幕府が「荒唐無稽なものを演じておけ」と命じた際、「狂言綺語」と表現したのをうけたようで、政治批判をさせないための布令で、今でも出し物を「狂言」と言うらしい。
それに、一般の演劇とは違って、作家の出来栄えなどは、かならずしも条件とされないようで、上手く纏め上げることを期待されており、芝居の世界では、俳優の占める役割がはるかに重要で、筋書きや脚色演出に、多少の不合理や無理があろうとも、それが芝居だと言えば済むと言う世界である。
また、歌舞伎や文楽には定まった演出家などないのが古式で、強いて演出家と言えば、座頭と立女形であって、俳優は、各家筋に独自の演技形式を伝承しており、この「型」は、小は持ち物のデザインや使い方から、大はその芝居全体の解釈まで広範囲に及ぶのだと言う。
とにかく、私にとっては、歌舞伎は、何処までも、理屈や常識の世界ではないのである。
ところで、本当の劇評とはかくあるべきとして、市川市蔵の昭和19年の「千本桜」の弥左衛門の提灯の持ち方を写真入りで説明して、袖を使って足元だけを光るように持っている姿を称賛すべきだとしたり、その他、各所で、俳優たちの芸の細かさと言うか、如何に、リアリズムに徹した演技に腐心しているかを紹介していて、それに気づくのが通だと言っている感じである。
尤も、形だけではなく、忠臣蔵の判官切腹の場で、判官役者は、仇敵への恨みを込めると同時に、自分の軽率な刃傷によって家を失えば、家来やその家族たちに大変な迷惑をかけることになる、済まないと言う気持ちを込めようとするであろうとか、先日触れたように、味わいのある弁慶役者は、去り行く弁慶の姿の中に、情けある関守への、感謝の心が読み取れると言った非常に心理的な細部についても論じていて、やはり、歌舞伎を楽しむためには、相当な勉強と年季修行が必要だと言うことを窺わせる。
虚実皮膜と言うのであろうか、私など、いくら見ても、先の判官や弁慶の役者の滲み出るような芸の深さについては、いまだに良く分からない。
芝居は辻褄が合わず筋が通っていなくても、個々の役者のリアリズムに徹した芸の奥深さや心理描写を理解しながら、歌舞伎を楽しむべしと言うことであろうか。
私は、上方や江戸の歌舞伎は、庶民の伝統芸術だと言うけれど、決して一般庶民の世界ではなくて、経済的にも豊かで、教養もあり趣味趣向の秀でた上方や江戸のハイソサエティの贔屓ファンとそのバックアップがあったからこそ、ここまで、高度に成熟した芸術に育ってきたのだと思っている。
上方の文楽も同じで、劇場に出向いて、歌舞伎や文楽を鑑賞できるのは、極めて僅かな、いわば、エリート庶民だけだった筈で、目の肥えた厳しいクリティックが芸の進化を促進し、そのお蔭で、香り豊かで最新の流行と芸を生み出し続けた歌舞伎や文楽が、地方へ伝播して江戸時代の日本を隅々まで文化文明化したのである。
富山の薬売りが、歌舞伎の錦絵を持って地方を回り、人々に江戸のホットニュースなどを語り聞かせたり、旅芸人が、どさ回りしたのも、貴重な芸の地方への拡散である。
私は、これまで、随分、世界中のあっちこっちを回って来たが、幕藩体制のお蔭もあろうが、日本ほど、地方の隅々まで、高度な食文化や庶民芸術などを含めて文化文明が平準化していて、これ程民度の高い国はなかったと思っている。
歌舞伎や文楽は、とにかく、庶民の芸術、日本の古典芸能であるから、見れば分かる楽しめると言う人が居るけれど、私には、学問芸術と同じで、言い換えれば、オペラやバレー、シェイクスピア戯曲を鑑賞するのと同じで、それなりの勉強と修練が必要であり、まず、興味を持って経験を積み重ねて行くことが必要であろうが、その奥深さなり醍醐味を楽しむためには、相当の覚悟と努力が必要だと思っている。