本書の説明では、
デジタルトランスフォーメーション、略して「DX」。現在および近未来のネットインフラを活用した高効率化だ。特に日本は少子高齢化で、人手や税金の不足を補うためにも必要不可欠である。しかし正しく理解し実践されているケースは稀だ。DXを推し進めるために必要なことは何か。世界に先駆けるコンピュータ学者が提言する。
ところで、念のために、NHKでは、
DXは「デジタルトランスフォーメーション」を略したことばです。変化や変換という意味があるトランスフォーメーションの「トランス」を英語圏では「X」と表記することがあるため、「DX」と略されるようになりました。日本語では「デジタル変革」とも訳されます。デジタル技術を使って、人手のかかっていたサービスを自動化したり作業を効率化したりするのが「デジタル化」だとすると、DXはデジタル技術やデータを駆使して作業の一部にとどまらず社会や暮らし全体がより便利になるよう大胆に変革していく取り組みを指します。
旗振り役の経済産業省のDXだが、
日本におけるDXは、2018年に経済産業省が「デジタルトランスフォーメーション(DX)を推進するためのガイドライン」を取りまとめた。同ガイドラインでは、DXの定義を「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」。
以上の説明で、まず誤解を招くのが、経産省の定義の冒頭の「企業が」という言葉で、企業だけの高効率化だけではなくて、日本全体を巻き込んだ制度改革でなければ無意味なのであって、DXとは、NHKの説明のように、「社会や暮らし全体がより便利になるよう大胆に変革していく取り組み」であって、「現在および近未来のネットインフラを活用した高効率化」だと言うことである。
著者の定義は、
最近の進んだ情報通信技術やIoTを活かし、根本的な改革――産業プロセスはもちろん、私たちの生活、社会、企業、国家などすべてに変革を起こそうという動き――である。
ICT革命で、最も大きな変革は、「オープン」という考え方、やり方で、これが、イノベーションの土台となりAIの爆発的進歩をもたらす。
オープンによる研究開発の加速化は、通信の高速化で研究開発プロセスがスピードアップした効果のみならず、チャレンジ回数を増やす環境整備がイノベーションが起きやすい環境を生み、「オープンイノベーション」を促す。アメリカの「Innovate America」である。
ところで、オープンデータは国民の財産である筈で、個人データを資源化するために、個人データの概念を確立し、扱いをルール化して、個人データの利用を促進しようとした「個人情報保護法」が、日本では、「個人情報は極力極秘にすべし」という意識を広めて、逆に、「塩漬け」、活用できずにお蔵入り。
マイナンバーカードの取得、活用も進まず、制度的に利用が制限強く制限されているので、DXのために使えない。日本の課題は、まさに、「閉鎖性」。日本の行政オープンデータも、「オープンこそ正義」という真の「公開」の姿勢からは程遠い。
さて、世界最先端の完全行政電子化を実現しているのはエストニアだという。
フィンランドの南対岸にある旧ソ連領の北欧系の国で、面積は九州、人口は奈良県くらいの小国。私は、ベルリンの壁が崩壊した直後に視察団に加わって訪問し、首都タリンに数日滞在したが、疲弊した無残な状態であったが、歴史と文化の豊かで輝いていた時代の面影を残したしっとりとした街であった。
この国では、行政窓口がなく、スマホやネットの画面手続きから――頭を冷やすためにわざと面倒なままに残している離婚など数種の手続き以外の――ほぼ全部の行政手続きが、24時間365日出来ると言う。その結果、エストニアの行政コストは、英国の0.3%で収まっており、役所の係員は殆ど皆無である。
豊かな日本で、出来ないわけがないが、「コンピュータ」を使えない人はどうするのだと反対が出てダメだが、かけ声「e-日本」を徹底させて、デジタル化を押し切らない限り、DXの徹底など、夢の夢であろう。
著者は、帶に、「その本質は、”制度改革”」と大書しているが、その前に、”意識改革”である。日本人のメンタリティを根本的に変えない限り、更なるデジタル化の進化にも齟齬を来し、著者の説く「意識改革からニューノーマルへ」、DXへの道程は厳しい。
このままでは、普通の国どころか、常態化しつつある先進国集団の下位グループから抜け出せなくなってしまう。
デジタルトランスフォーメーション、略して「DX」。現在および近未来のネットインフラを活用した高効率化だ。特に日本は少子高齢化で、人手や税金の不足を補うためにも必要不可欠である。しかし正しく理解し実践されているケースは稀だ。DXを推し進めるために必要なことは何か。世界に先駆けるコンピュータ学者が提言する。
ところで、念のために、NHKでは、
DXは「デジタルトランスフォーメーション」を略したことばです。変化や変換という意味があるトランスフォーメーションの「トランス」を英語圏では「X」と表記することがあるため、「DX」と略されるようになりました。日本語では「デジタル変革」とも訳されます。デジタル技術を使って、人手のかかっていたサービスを自動化したり作業を効率化したりするのが「デジタル化」だとすると、DXはデジタル技術やデータを駆使して作業の一部にとどまらず社会や暮らし全体がより便利になるよう大胆に変革していく取り組みを指します。
旗振り役の経済産業省のDXだが、
日本におけるDXは、2018年に経済産業省が「デジタルトランスフォーメーション(DX)を推進するためのガイドライン」を取りまとめた。同ガイドラインでは、DXの定義を「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」。
以上の説明で、まず誤解を招くのが、経産省の定義の冒頭の「企業が」という言葉で、企業だけの高効率化だけではなくて、日本全体を巻き込んだ制度改革でなければ無意味なのであって、DXとは、NHKの説明のように、「社会や暮らし全体がより便利になるよう大胆に変革していく取り組み」であって、「現在および近未来のネットインフラを活用した高効率化」だと言うことである。
著者の定義は、
最近の進んだ情報通信技術やIoTを活かし、根本的な改革――産業プロセスはもちろん、私たちの生活、社会、企業、国家などすべてに変革を起こそうという動き――である。
ICT革命で、最も大きな変革は、「オープン」という考え方、やり方で、これが、イノベーションの土台となりAIの爆発的進歩をもたらす。
オープンによる研究開発の加速化は、通信の高速化で研究開発プロセスがスピードアップした効果のみならず、チャレンジ回数を増やす環境整備がイノベーションが起きやすい環境を生み、「オープンイノベーション」を促す。アメリカの「Innovate America」である。
ところで、オープンデータは国民の財産である筈で、個人データを資源化するために、個人データの概念を確立し、扱いをルール化して、個人データの利用を促進しようとした「個人情報保護法」が、日本では、「個人情報は極力極秘にすべし」という意識を広めて、逆に、「塩漬け」、活用できずにお蔵入り。
マイナンバーカードの取得、活用も進まず、制度的に利用が制限強く制限されているので、DXのために使えない。日本の課題は、まさに、「閉鎖性」。日本の行政オープンデータも、「オープンこそ正義」という真の「公開」の姿勢からは程遠い。
さて、世界最先端の完全行政電子化を実現しているのはエストニアだという。
フィンランドの南対岸にある旧ソ連領の北欧系の国で、面積は九州、人口は奈良県くらいの小国。私は、ベルリンの壁が崩壊した直後に視察団に加わって訪問し、首都タリンに数日滞在したが、疲弊した無残な状態であったが、歴史と文化の豊かで輝いていた時代の面影を残したしっとりとした街であった。
この国では、行政窓口がなく、スマホやネットの画面手続きから――頭を冷やすためにわざと面倒なままに残している離婚など数種の手続き以外の――ほぼ全部の行政手続きが、24時間365日出来ると言う。その結果、エストニアの行政コストは、英国の0.3%で収まっており、役所の係員は殆ど皆無である。
豊かな日本で、出来ないわけがないが、「コンピュータ」を使えない人はどうするのだと反対が出てダメだが、かけ声「e-日本」を徹底させて、デジタル化を押し切らない限り、DXの徹底など、夢の夢であろう。
著者は、帶に、「その本質は、”制度改革”」と大書しているが、その前に、”意識改革”である。日本人のメンタリティを根本的に変えない限り、更なるデジタル化の進化にも齟齬を来し、著者の説く「意識改革からニューノーマルへ」、DXへの道程は厳しい。
このままでは、普通の国どころか、常態化しつつある先進国集団の下位グループから抜け出せなくなってしまう。