熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ITとものづくり・・・東大経営教育研究センター

2007年01月31日 | 政治・経済・社会
   東大の安田講堂で、東大大学院経済学研究科経営教育研究センターが主催して「ITとものづくり:デジタル設計開発の課題と展望」が開催されたので聴講した。
   日本産業の国際競争力を強化するためには、統合型ものづくりシステムの確立が必要不可欠である。そのために、先端的なものづくり企業が蓄積してきた高度な知識体系を、IT技術を積極的に活用して、統合型ものづくりシステムを構築することが大切である、と言う問題意識から、藤本隆宏東大教授の問題提起で、東大の工学技術系の教授や自動車等の産業界からこの道の一人者たちが参集してシンポジュームが開かれたのである。

   従来のものづくりは、生産現場で製品を作ると言う考え方であったが、これからのものづくりは、「もの」ではなく「設計」から発想した「開かれたものづくり」で、生産から開発・購買・販売をも含め、また、製造業のみならず非製造業をも包含した広い概念でなければならない。
   「開かれたものづくり」は、人工物に託して、設計情報を転写し、発信し、お客に至る流れを作り、顧客満足と経済成果を得ることである。
   従って、「ものづくり」とは、「設計情報の良い流れ」を作る事であって、その製造された人工物の媒体が、有形であれば製造業であり、無形であればサービス業である、と言うのである。
   そのために、東大の経営教育研究センターは、文科系だけではなく工学技術系の学者や技術者が共同して研究している。

   ところで、特定の構造が特定の機能を生む因果知識としての「個別技術」ばかりが重要視されて来たが、これだけでは孤立するだけであって、異業種間でも共有出来るような顧客へ向かう「設計情報の流れ」を作るものづくり技術、即ち、業種を超えて技術移転できる汎用技術を開発しなければならない。

   日本の製造業は、欧米のモジュラー型製品ではなく、自動車のようなインテグラルなすりあわせ型アーキテクチュア製品が得意だとされている。
   言い換えれば、専門化細分化し、プロフェッショナリズムが強くて、順繰りに業務を下流に流していく移民の国アメリカでは分業型製品開発が主流だが、設計者が機能設計も構造設計も行う多能化・少数精鋭で対応し、未完のままに上流も下流も一緒になってチームワークで業務を推進する日本では統合型製品開発に強みを発揮して来たのである。
   
   ところが、自動車においても益々複雑化し、急速な技術革新の波に洗われて激烈な変化を遂げつつあるが、今後、このようにものづくり技術が一層高度化・複雑化して行けば、すりあわせ型技術も高度化・複雑化し、或いは、モジュラー型、分業型技術に回帰する可能性も想定されるとなると、現在程度のすりあわせ技術なら対応できても、果たして、日本の技術がその変化に着いて行けるのであろうか、と言うような問題提起もなされていた。

   設計ノウハウを構造と手順でデータベース化して、標準化・基準化して、自動化を進めるためにCADなどIT技術が活発かつ高度に活用されているが、統合型技術の開発やイノベーションの促進のためには、まだまだ、多くの課題と問題点を残しているようである。
   日産自動車の大久保宣夫最高技術顧問が、「自動車の製品開発におけるIT活用」についてニッサンでの事例を、トヨタケーラムの荒木廣海社長が「日本のモノ・コトづくりとCAD/CAM」について語り、それぞれIT技術とものづくりの関わりと問題点などについて詳細な説明を行った。
   イノベーション創造型に向けての更なるIT技術の開発が、求められているのである。

   可なり空席があったが、大半は、製造企業の技術開発担当の役員や幹部社員であろうか、中年以上のサラリーマン風の熱心な聴衆が最後まで熱心に耳を傾けていた。
   昼の休憩の時、初めて、安田講堂の地下の大きな学生食堂で、東大生に混じって昼食を取ったが、あっちこっちで外国語が聞えてくるのが印象的であった。
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硫黄島からの手紙

2007年01月30日 | 映画
   クリント・イーストウッド監督の2部作後編「硫黄島からの手紙」を観た。
   「父親たちの星条旗」はアメリカの視点から見た映画であり、この映画は最初から最後まで完全に日本語で押し通された日本側から見た硫黄島の戦いの映画である。
   日本軍の総指揮官である栗林中将(渡辺謙)の絵手紙に基づいて書かれたアイリス・ヤマシタの脚本の素晴らしさは言うまでもないが、私は、全編を貫くクリント・イーストウッドの温かくて優しいヒューマニズムを感じながら感激して観ていた。
   
   何よりも、正直、真実の部分が大切だと言っているが、これだけフェアかつ誠実に、日本軍を、そして戦争を描いた映画監督が居たであろうか。
   栗林中将が兵士たちに告げる「(人びとは)何年も経ってから君たちの事を思い出して、君たちの魂を祈ってくれる」と言う言葉に万感の思いを込めて、国のために戦って死んで行った多くの若者達にトリビュートを奉げたクリント・イーストウッドの人間賛歌の素晴らしい映画である。
   戦争がなければ長く生きられたのにと、若い少年兵のような兵士達に向かって言ったイーストウッドの言葉が、戦争の空しさを如実に語っている。勝者も敗者もない戦いを淡々と描いていて胸を打つ。

   留学してアメリカを知っていた栗林中将が、古い日本軍の古参将校たちの反対を押し切って作戦を練り直し、少しづつ戦場の雰囲気が変わって行く。栗林に助けられながら、若い元パン屋の西郷昇陸軍一等兵(二宮和也)が生きる希望を持ち始めて少しづつ変わって行く様子が印象的である。
   それにしても、渡辺謙の栗林中将が、実に丁寧な美しい日本語を喋り続け、最後までジェントルマンとして押し通す人間としての素晴らしさは格別である。
   同じく、ロサンゼルス・オリンピックで乗馬で大活躍した西竹一陸軍中佐(伊原剛志)が、米軍捕虜を助けて介抱し、語りかけるあたりの人間らしさも素晴らしい。
   残酷な軍隊生活の側面は押さえ込まれて奇麗事のようであり真実を語っていないと言う批判もあろうが、それは、雲霞の如く押し寄せる米軍と壮絶な戦争シーンで十分に語られている。

   優秀な通訳が居たと言うが、監督のクリント・イーストウッドは、日本語で演技をする日本人俳優を相手にメガフォンを取った。
   主要な数人の俳優以外は総てアメリカ在住の日本人俳優で、スタッフの殆どもアメリカ人であり、主にカリフォルニアにある禿山で撮影されたようであるが、日本そして日本人を描くのに手抜きは一切ない。
   演出する時は、本能や勘を重視する。演技は、本能的な芸術である。最初のインスピレーションが大切で、俳優には、脳を使わずハートを入れろと言っている。とイーストウッドは語っていた。
   表面の波浪には一切幻惑されずに、大きな潮の流れだけを掴もうとする、そんな真摯な姿が浮かび上がってくる。
   じっくりと凝視しながら本質的な価値と芸術の魂をしっかりと掴み取る類稀な天性の芸術感覚の発露であろう。

   この戦争映画は、ヴェトナムやイラクでの泥沼のようなアメリカの戦争を告発するイーストウッドの反戦映画でもある。
   投降した日本兵を、自分の身を守るために、平然と射殺する米兵を描きながら、戦争の非情さ以前の悪についても容赦はしていない。白旗を握り締めながら死んでいる若き日本兵(加瀬亮)を大写しにすることによって、アメリカの正義が如何に欺瞞であるかを暴こうとしているのである。
   原住民のインディアンを蹴散らしてフロンティアを切り開き、あまねく文化文明を伝播してきたと誇るアメリカ人の驕りが、一人の指導者の思い上がりによっていまだに中東で繰り返されている、クリント・イーストウッドは、この2編の映画を通して、このことを痛いほど我々の眼前に叩き付けているのだ。

   今、何故、硫黄島なのか。
   誠実に一生懸命生きながら、邪悪な魂に遮られてどうしようもない運命に翻弄されて消えて行かざるを得なかったあのミリオンダラー・ベイビーが、総てを物語っているような気がしている。
   
   

   
   
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ボーダーレス時代の法システムの再編成・・・東大法政シンポジウム

2007年01月29日 | 政治・経済・社会
   六本木ヒルズ49階のオーディトリアムで、東大大学院法学政治学研究科が、「ボーダーレス化時代における法システムの融解と再構築―現場との対話」と言う公開シンポジュームを開いた。
   東大大学院の教授を中心に多くの学者達が、「国家と社会関係」「国際関係」「科学技術発展」の三分野に分けて法システムの再編成について、研究の成果を報告し、質疑応答が行われた。

   非常に密度の高いシンポジュームであったが、残念ながら、何れの分野も100人足らずの聴衆しか出席しておらず、その多くは、学者や学生で一般の参加は限られていた。
   国家の補助事業の一環でもあり、大変貴重な学術研究であるにも拘らず、土日の開催なのに、このような状態では非常に勿体ない。
   殆どあてにならない経済予測を滔々と説く人気経済学者や、毒にも薬にもならない経営戦略論を語る名のある似非経営学者や、或いはアジに近い暴論を吐くメディア好みの時事評論家などの講演会には、大ホールに立ち見が出るほど聴衆が押し寄せるのに、価値観の問題ではあろうとは思うが、その落差に一寸不思議な気がしている。

   第一部の「国家と社会関係をめぐる法システムの再編成」の冒頭は、商法の江頭憲治郎教授の「法形成・実施における団体の役割」。
   日本の団体は、自分でルールを作るのは得意ではないし熱心ではないが、政府と民間の役割が流動化し、経済団体・専門家団体の役割の重要性が増したとして、自分達で自らルールを作る団体である公認会計士・監査法人と証券取引所について、その利益相反問題を語った。

   これは世界共通の問題ではあるが、それぞれ根深い各国の事情がある。例えば、公認会計士や監査法人の職務である適正監査証明を発行して投資者の信頼を得るなどと言うシステムは日本人の発想にはなく、問題が起これば政府はけしからん、政府は何をしていたのだするのが日本だとする話など、非常に含蓄があって面白い。
   極めて日本的な西武鉄道事件からカネボウ・ライブドア等の粉飾決算と米国のエンロンやSOX法を対比させその差の大きさを述べながら、それまで株主の無限責任であったイギリスでシティ・オブ・グラスゴウ銀行の倒産(1878)から公認会計士監査が自発的に導入された経緯など興味深い講義で問題点を浮き彫りにする。

   アメリカでは、大企業は、会計監査の為に年額60億円くらい監査法人に支払っているが、日本では余程の大企業でも5000万円程度だと江頭教授は指摘している。
   投資家の為に会計監査証明を発行する対価が、この程度では、どんな監査が出来るのか。このこと自体を見ても、会社も会計監査法人も、監査証明制度の本質とその重大性を理解しておらず、如何に軽視し蔑にしているかを物語っているような気がして仕方がない。
   こんな程度の対価で、監査証明を発行してもらえると思う会社も会社だが、こんなに安くては責任を持てないとも言わずにそれを受け入れて監査証明を発行する監査法人も監査法人である。
   今年から、内部統制制度が本格的に実施となるが、上村達男教授の説では、内部統制システムが不備であればこのようなシステムでは監査証明は発行出来ないと監査法人が拒否出来る・拒否すべきであると言うことであるが、これがせめてもの対抗措置であろうか。
   いずれにしても、投資家に対して、当該会社が投資に値すると証明する信頼に足る根拠が公認会計士・監査法人の監査証明であると言う根本的な認識を日本人が肝に銘じない限り、法制度は空回りを続けそうである。

   証券取引所の自主規制業務(売買状況の審査、取引参加者に対する考査、上場審査・管理)の抱える問題についても論述し、更に、自主規制業務の独立性を確保する為の方策として、「市場運営会社」と「自主規制法人」を設ける問題や委員会設置会社の自主規制委員会を設ける方法、社外取締役の活用等について、その問題点や利害得失等についても論じた。
   利益相反については、内部組織の在り方を工夫するだけでは問題の解決には至らないなど問題提起をしていた。
   20分程度の講義では、到底理解できる問題ではなかったが、久しぶりに学生に帰ったような気持ちで聞いていた。

   ところで、江頭教授のこのような難しくて程度の高い話が、ぎっしり詰まったのが今回の東大の学術創成プロジェクトの公開シンポジュームで、知的好奇心をかき立ててくれるのには十分過ぎるほど十分であった。
   その集大成がこの3月中旬に「法の再構築 全3巻」として東京大学出版会から発行されるようなので、もう一度勉強し直そうと思っている。

   

    
   
   

   
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グラインドボーンに学ぶ・・・テアトロ・ジーリオ・ショウワ

2007年01月28日 | クラシック音楽・オペラ
   今日の午後、新装なった昭和音楽大学の新校舎に付設された素晴らしいテアトロ・ジーリオ・ショウワ劇場で、公開講座「オペラをめぐる祝祭、その今日的あり方Ⅱ~グラインドボーン音楽祭に学ぶ」が開催された。
   グラインドボーンから、ガス・クリスティ理事長とデイヴィッド・ピッカート総監督が来日し、祝祭劇場の歴史他演出など詳しいプレゼンテーションの後、黒田恭一氏達とパネルディスカッションなどがあり、グラインドボーン・フェスティバルの魅力を会場一杯に振りまいた。
   その後、「劇場を見る」でテアトロの建設を語り舞台セットなどを披露し、「劇場を聞く」で12人の新進オペラ歌手のオーディションを兼ねたコンサートが開かれて多くの聴衆にオペラの楽しさを紹介した。
   この劇場は簡素だが、バイロイト型のオーケストラピットがあるなど本格的なオペラが上演出来る近代設備を備えた素晴らしいホールで、東京の大ホールと比べても遜色がない。

   このグラインドボーンには、イギリスに居た時、4年ほど毎年出かけていたので、沢山の思い出がある。
   私が、イギリスから帰国した年は、新劇場が建設中だったし、その後、毎年のようにイギリスを訪れているがグラインドボーンには行っていないので、新しい劇場は知らない。
   古い劇場は、長方形の平土間主体の客席で、後方等はかまぼこ兵舎のように天上が低く座席も極めて窮屈なシンプルなもので、ホワイエは狭くて、インターミッションの時には、館の他の広間などに出なければならなかったが、そんな不便さが雰囲気を醸し出していて良かった。
   昔、ミラノのスカラ座も、休憩の時に、隣接しているスカラ座美術館を解放して行け行けであったが、自由に散策できるのが良い。

   前の古い劇場は、客席が800席くらいしかなく、メンバーでない限りチケットの取得は不可能であったので、総てイギリス人の友人の招待を受けて出かけていた。
   観たのは、最初は、演目は忘れてしまったが、絵本の舞台装置の三部作オペラ。
   その後、記憶にあるのは、モーツアルトの「ティトゥスの慈悲」と「イドメネオ」
   ストラヴィンスキーの「放蕩者のなりゆき」
   チャイコフスキーの「スペードの女王」
   ブリテンの「アルバート・ヘリング」等である。
   今でもそのようだが、申し込んでも、好きな演目や日にちを指定できないので劇場のお仕着せなのか、ポピュラーなオペラの切符は中々取れなかったようである。

   夏の3ヶ月のグラインドボーンは、正にフェステイバルで、午後の3時頃からタキシードとイブニングドレスで正装した紳士淑女たちが広い敷地の領主の館風のフェステイバル会場に集まり始める。
   花が咲き乱れるイングリッシュガーデンを散策したり、広い牧場風の芝庭に三々五々、カーペットやテーブルにピクニックスタイルのパーティ場を設えて飲食を交えながら会話を楽しむ。
   ハーハーの向こうには羊が草を食んでいて、池には水鳥が群れ、林には小鳥達が囀っていて、長閑な田園風景が一面に広がっている。

   服装は、ブラックタイが普通なので最初は一寸緊張したが、イギリスにいると、パーティやレセプション、晩餐会、ガラコンサートと言った調子でしょっちゅうタキシードなのですぐに慣れてこの方が気楽になった。
   家内の場合は、女性なので相当服装に気を使っていたが、偶には雨の日も風の日もあり、それに、戸外の芝庭でのピクニック式のパーティの時もあるので、自由の利く正装を心掛けていた。
   確かに豪華なイブニングドレスの夫人達も居たが、戸外を含めて午後から6時間以上にも及ぶ長丁場でもあり、ロンドンの夜会などと違って、案外質素だが実質的な衣装を上手く着こなしているイギリス夫人達の質実な生活の知恵を感じて興味深かった。
   
   このグラインドボーンは、バイロイトやザルツブルグと共に3大フェステイバルの一つに数えられているが、70年ほど前に草深いロンドンの南の郊外に豪邸の一部を劇場にしてスタートしたれっきとした完全民営のプライベートなオペラ劇場である。
   公演も極めて切り詰めたビジネスモデルで展開されているが、オペラ歌手にとっては正に桧舞台への登竜門で、パバロッティもルネ・フレミングも、そして、ホンの3年前に、今を時めく世紀のテノール・ローランド・ヴィラゾンもここから巣立って行った。
   トマス・アレンやジャネット・ベイカーやフェリシティ・ロットも、ここのコーラス団から桧舞台にたったのだと言う。
   ベルナルド・ハイティンクも、ロイヤル・オペラに移る前、コンセルトヘボウと掛け持ちながらグラインドボーンで振っていた。
   古いグラインボーンの舞台記録や映像を見ていると、それから何年も経ってから世界の名だたる大劇場で喝采を博する夢のような饗宴が、いくらでも先行されて上演されている。

   ギャラは極めて安いと言われているが、その値打ちを分かっている音楽家達、特に若手のオペラ歌手や指揮者にとっては、グラインドボーンの舞台に立つだけでも大変な快挙なのであろう。
   音楽学校を巣立った新進の優秀な歌手達をオーデションでごっそりコーラス団に持って行くとも言われており、演出にしても若くて優秀な芸術家に委嘱するようで、兎に角、舞台設定が実にユニークで斬新なものが多いような気がする。

   それに、オーケストラが、ロンドン・フィルとエイジ・オブ・エンライトンメントで実に素晴らしい。

   美しい南イングランドの田園地帯に広がる領主の館風の佇まいに忽然と現われたオペラ劇場で、美しい夏のシーズンに遅い午後から深夜近くまで繰り広げられる正装の饗宴、それが、グラインドボーン・フェスティバルの醍醐味で、特別列車で、リムジンで、ヘリコプターで、自家用車で・・・時間や不便さをものともせずにオペラと社交をこよなく愛する人々が集い楽しんでいる。
   
   賭け事も世界一好きだが、何でもお祭騒ぎにして楽しむイギリス人かたぎが、このグラインドボーンを生み出したのであろう。
   ロンドンに居た時、大英博物館やナショナルギャラリーを開放した日本企業のレセプションや、王宮の建物等歴史記念の建造物を使ったパーティや晩餐会などに参加するのなどは普通であったし、音楽祭やフェステイバルになると、シティのギルドホールやロンドン塔などの国宝級の建物が解放されて舞台となる。
   やはり、グラインボーンはシェイクスピアの国の文化が生み出した無形文化財である。
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男はつらいよ・・・旅人生の楽しさ?

2007年01月27日 | 生活随想・趣味
   今夜、NHKBS2で「男はつらいよ」の最終回「寅次郎紅の花」が放映されて、珍しく最初から最後までTVの前に座って見ていた。
   映画の後、山田洋次監督が出演して思いで話などを語っていたが、25年間同じパターンで良くぞ、かくまで素晴らしい作品を作り続けたものだと感激して聞いていた。
   NHKのドキュメントで、もう死の直前で癌との病魔と闘いながら立っているのがやっとの状態でありながら、撮影を続ける渥美清の壮絶な姿を見ていたので、この最終回は、特に感慨深かった。

   最後の映画は、渥美清の死期を知っていた山田洋次監督の思い入れか、満男と泉の恋もみのり近く、寅とリリーの生活も何となく明るい予感を残して終わった。
   奄美大島には行ったことはないが自然が美しい。

   何故か、リリーの出る舞台は寒い北国の北海道か明るい陽光の南国が多い。
   山田洋次監督が、リリーとの相性が一番良かったと語っていたが、浅丘ルリ子には4回もマドンナとして登場させており、最初から最後まで売れない歌うたいのリリーであった。松坂慶子も、竹下景子も、栗原小巻も、再び登場してもそれぞれ役が代わっていたが、浅丘ルリ子だけは代わらなかったのである。

   最後の映画で印象深かったのは、阪神淡路大震災の舞台神戸が登場した。
   私は、震災直後に、会社のチャーターしていたヘリコプターで大阪港のヘリポートから神戸に飛んでまだ少し燻っている感じの震災現場を上空から見た。
   三宮に程近いグラウンドに降り立って、自転車で、三宮、元町、神戸港などを回って壮絶な震災現場を視察して回ったが、微かに記憶のある終戦直後の大阪の街を見ているような感じがして暗澹とした。
   しかし、大きなビルが傾き、道路は陥没して割れており、車など走っていなかったが、あっちこっちに生活の息吹が充満していて神戸の人びとの逞しさに感激した。
   この映画のラストシーンで、地震で焼けて空地となった広場での在日韓国人の若い人々の踊りを映しながら、カメラを引いてJRの長田駅近くの震災の跡を望遠していたが、象徴的なシーンで締め括っていたのが印象的であった。
   港近くの埋立地の崩壊振りは凄まじくて、全く平地などないような状態だったが、港からモーターボート様の小型船に乗って大阪港まで帰った。
   TVを見ながらあのときの事を思い出していた。

   私の人生で寅さんと似ている点は、旅が多かったことくらいであろうか。もっとも、寅さんのように恋の話は全くない殺風景な旅ばかりだったが、仕事と個人旅を合わせれば、随分、あっちこっちを歩いたことになる。
   仕事の方が多かったが、それでも一泊以上留まった国は40以上を数えるし、これも一泊以上した都道府県はほぼ全部に亘っている。
   毎日ねぐらを変えて旅を続けていると、時々、夜目を覚まして、今何処で寝ているのだろうかと思ったこともあった。色々難しい問題もあったけれど、不思議と不安は感じなかった。
   出張でも個人旅行でも、殆ど、旅の準備は自分自身で計画や手配をして、公式な仕事以外は、自分自身で歩き回ったので、団体旅行やツアーなどに参加してお仕着せの旅をすることはなかった。
   芭蕉ではないが、夢が枯野を駆け巡ると言うか、やはり旅が好きなのか、時々、フッと旅に出たくなることがある。
   寅さんのように、風任せの旅ではなかったが、風に旅心を誘われることはしょっちゅうである。
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新日本フィル定期・・・フランス・ブリュッヘンの音楽

2007年01月26日 | クラシック音楽・オペラ
   今夜、新日本フィルの定期公演で久しぶりにフランス・ブリュッヘンのシューマンとベートーヴェンを聴いた。
   ヨーロッパに長く住んでいながら、何故か、彼の、そして、18世紀オーケストラのコンサートにも行く機会がなかった。
   アムステルダムにいた時は、コンセルトヘボウの定期を3本も入れていて、他に外来のオーケストラやオペラに行っていたので行けなかったというのが正直なところで、ロンドンの時も、同じ事情であった。
   久しぶりと言うのは、2年前の新日本フィルの定期で、確か、モーツアルトの「パリ」とシューマンの第2番等であった様な気がする。
   素晴らしいコンサートで、ヨーロッパで十分に機会がありながらミスったのを後悔した。

   今回は、シューマンの交響曲第4番ニ長調(初演版)とベートーヴェンのバレエ音楽「プロメテウスの創造物」作品43であった。
   プロメテゥスの方は、一度ヨーロッパで聴いたような気がするが、何れにしろ私にとっては、全く馴染みのない曲だったが、非常に興味深い有意義な経験をして楽しかった。
   シューマンの方は、ブラームスが良しとした初演版と言うことだが、何となくごつごつとした感じで、モーツアルトとは行かなくても、ベートーヴェンやブラームスのような歌うような美しさは全くなく、オランダ人のブリュッヘンには向いているのかも知れないと思って聴いていた。重厚な素晴らしいシューマンであった。
   偏見かも知れないが、あの素晴らしいコンセルトヘボウでもシャイーに代わってからは少し明るくなった感じだったが、その前のハイティンクやドイツ系の指揮者が振った時には、地の底から唸りだすような凄みのある少し陰影を帯びた燻し銀のようなサウンドを聴いていたような気がする。

   ところで、ベートーヴェンのバレエ音楽の方だが、物語がある素晴らしい交響詩を聴いているような雰囲気の音楽であったが、これでバレエが踊れたのかと一寸不思議な気がした。
   ヨーロッパにいた頃、最初の頃は、小さかった娘を連れて良くロイヤルバレエに出かけたてチャイコフスキー等の流麗なバレエを見ていたので、それを思い出しながら聴いていると、むしろ、エグモントのように劇の付帯音楽に適しているような気がした。
   ところで、第5番の、アポロがムーサ達に囲まれるパルナッソス山の場面だが、冒頭に美しいハープのソロが奏されて弦のピチカートをバックに華麗なフルートが奏でられる。ファゴットやクラリネットでミューズ達が加わる。
   このハープは、ベートーヴェンの唯一のハープ音符らしいが、それに、木管のソロが美しく、昔から思えば、新日本フィルの管楽器部門の質の向上は目を見張るものがあると思っていつも聴いている。
   第16番のフィナーレは、あの懐かしい交響曲第3番「英雄」の終楽章の変ホ長調のテーマが美しく奏されて楽しい。
   
   この「プロメテウスの創造物」だが、あの岩の上に縛り付けられたプロメテゥスが、巨大な鷲に足で踏みつけられて内蔵を食い千切られている凄いドラクロアの絵を見た時には圧倒されて見上げていたが、これとは全く違った話になっているようだが、私のプロメテウスはこれである。
   プロメテウスは天上から火を盗んで人間に与えたので、ゼウスが怒ってカウカサス山に岩山に縛り付けて、鷲に肝臓を食われ続けると言う劫罰を受ける、あのプロメテウスであるが、このベートーヴェンの音楽は、プロメテウスが無知な人間にマナーや倫理、音楽や芸術を教え導く崇高なる魂として描かれていると言う。
   ベートーヴェンが、ボン大学の聴講生としてギリシャ古典文学の教養を摂取したと言うのが興味深い。

   何れにしろ、ブリュッヘンのプロメテウスは大変な熱演で、観客の拍手が鳴り止まず、老齢のブリュッヘンの健康を慮ってコンサートマスターの崔文洙氏が席を離れてお開きとなった。
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食料と燃料間でトウモロコシ争奪戦

2007年01月25日 | 地球温暖化・環境問題
   昨日、ブッシュ大統領の年頭教書に触れてバイオ燃料について考えて見た。
   日系ビジネスの最新号で、「穀物争奪戦の隠れた主役 エタノールメジャー ADMが食料も燃料も支配する」と言う面白い特集を組んでいる。
   最近、トウモロコシ相場に大異変、短期間に、2倍近く高騰したのだが、その火元となったのは、シカゴ商品取引所ではなく、イリノイ州の人口8万人の片田舎にあるADM(アーチャー・ダニエル・ミッドランド社)でエタノール生産を拡大した結果だと言うのである。
   レスター・ブラウンが恐れている食料と燃料との穀物争奪戦が始まっている。

   ADMは、1923年の創立、売上高4兆3800億円、純利益1500億円、従業員2万6千人。社長はパトリシアウオルツ女史でメジャー・シェブロン出身で、カーギルに次ぐ大穀物会社でありながら、石油メジャーに殴りこみをかけようと言うのである。
   昨年のブッシュ大統領の年頭教書のエネルギー政策で、エタノールの使用量に対する数値目標が設定され、ADMのエタノール生産に拍車がかかった。
   1980年代にM&Aを重ねて穀物メジャーに躍り出たのだが、更に、エタノール以外にアジアのパーム油事業などバイオ燃料等エネルギー事業の強化をも図り始めている。
   
   食料と燃料を押さえる戦略は、原材料となる穀物の仕入れ力を高める。更に、ADMは、食料と燃料を同時に扱っているので、両方の相場を見て、より高い価格で売れる分野に穀物を流せるので、利幅を思い通りに拡大できる。
   ADMのディーリングルームには、各地の穀物、燃料、為替それぞれの相場が電光掲示板に表示されていて、トレーディング担当者が売買しているのだと言う。
   日本の農協もエネルギービジネスのスタディを始めた方が良いかもしれない。

   ところで、環境問題や代替エネルギー政策の振興によりエタノールへのトウモロコシ需要が拡大して、トウモロコシ価格が上昇すれば、穀物の世界では連鎖的に他の穀物の値段が上がる。
   大豆畑をトウモロコシ畑に転用可能なので、大豆の値段が上がり、他の作物も連れ高になる。
   更に悪いことには、そのトウモロコシを飼料として使っているので、当然、鶏や牛の価格も上がらざるを得なくなる。食品価格の高騰、そして、極貧国の人々の生活の圧迫等不幸な連鎖の先駆けとなる。
   ジム・ロジャースが、石油や原材料等の商品への投資を推薦していたのは慧眼だったのであろうか。

   さて、このバイオ燃料を日本で生産することについて、エネルギーの外国依存が多少解消出来てセキュリティ上有利であるとか、農業振興とか、或いは、環境問題への配慮等々考えられるが、どうせコスト上外国製品と対抗出来ないので、現在の石油や食料のように輸入に頼らざるを得ない。
   セキュリティさえ考えなければ、生産資源を他へ転用した方が経済上遥かに有利である。

   また、食料供給と人口との問題は、マルサスの人口論以降何度も繰り返されている人類にとって最大の問題だが、今回のバイオ燃料との資源争奪戦は、燃料原料として使用される分は完全に食糧供給から蚕食されるので、更に、そして極めて深刻な問題である。
   エタノールを生産することは、既存の天然資源の枯渇を招く訳ではなく再生可能ではあるが、農地、電力、水資源等々生産資源の割譲移行と言う問題を伴っており、他の必需品の生産を圧迫する心配も出てくる。
   有利なバイオ燃料生産のために更なるイノベーションが必要だが、食生活の安全とは関係ないので、バイオ燃料用には遺伝子組み換え作物の開発が進むであろうと考えられる。神の手の導きに逆らって、更に、自然界に手を加えて変化を加速することが、人類にとって良いことかどうか、問題となろう。
   再生可能、代替燃料としてのエタノールだが、未来のエネルギーだとして、手放しで喜んでばかりも居られない。要するに、大切なことは、省エネ。宇宙船地球号の大切な資源を浪費してエコシステムを破壊しないことである。
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バイオ燃料に託す・・・未来のエネルギー源か

2007年01月24日 | 地球温暖化・環境問題
   昨夜のブッシュ大統領の年頭教書スピーチをCBSテレビの電子版で見た。
   50分弱の演説だが、始めは通しで、次は、ホワイトハウスのホームページからプリントアウトしたTEXTを見ながらポイント点だけ聞いた。
   相当部分はイラク戦争での自己主張や今回の増派等についてだが、丁度、前日に、Bio Fuels Wrold 協議会主催の「バイオ燃料の未来~安定供給に向けた今後のシナリオ~」と言うシンポジュームを聞いていたので、ブッシュ政権のエタノール燃料に対する対応に興味があった。

   ブッシュ大統領は、大きく膨らむ未来への希望と機会は、アメリカ経済を持続発展させ環境をクリーンに保つことの出来るエネルギーの安定供給にかかっていると問題提起しながら、まず、長年に亘る外国産石油への依存の危険性、エネルギー源の多様化の必要性、そして、クリーンな石炭技術、太陽光や風力、クリーンで安全な原子力等による発電について言及した。
   続いて、ハイブリッド・カー、クリーンなジーゼル車、バイオジーゼル燃料の必要性を語り、更に、木材チップ、雑草、農業廃棄物等あらゆる物(everything)を原料にしてエタノールを生産できるような新しい生産システムを開発する為に投資の必要性を説いた。

   今後10年間に、アメリカでのガソリンの使用量を20%削減し、それによって、中東からの石油輸入量を4分の3削減する。
   この為に、代替エネルギーの開発が必須であり、2017年までに、現在の法定目標の5倍の350億ガロンの再生可能燃料や代替燃料を要すると言う燃料基準を設定し、同時に、車に対する燃費基準を改革して85億ガロン以上のガソリンを節約しなければならないとも言及した。

   興味深いのは、京都議定書を蹴って、環境問題について殆ど一顧だにしなかったブッシュが、珍しく、過度な石油依存症から脱却する為の技術開発の必要性を説いた後で、このような技術が、グローバルな気象異変に対する深刻な挑戦(the serious challenge of global climate change)に直面する助けになるであろうと言って、気候異変について言及したことである。
   各州が環境保護に動き始め、産業界からも強力な環境保全要求が起こり始めており、いくら石油業界の利益代表であり大企業利権擁護派のブッシュでも、愈々抵抗出来なくなって来たと言うことであろうか。

   日本は、3%エタノールを混入したガソリンの試用段階だが、アメリカでは5%基準で動き出しているようで、エタノール先進国のブラジルには及ばないが、エタノール生産量はほぼブラジルに追いつきつつあるようで、バイオ燃料生産に関する研究や技術開発が相当進んでいるようである。
   このバイオ燃料の開発及び増産は、原料となるトウモロコシなどの農産物を生産するアメリカ農業にとっては朗報だが、スティグリッツによると補助金漬けでやっと国際競争力を維持している状態であるから、アメリカ経済にとって別な影響を与えるかも知れない。
   日本の場合は、バイオ燃料の生産がまだ小規模の段階なので生産コストが高くて、ヨーロッパのように補助金で埋めるか税金を免除するなどしないと競争力がない。しかし再生エネルギーであり地産地消であるなどメリットは多い。
   何れにしろ、トウモロコシ生産のためには膨大な量の水資源が必要で、中国ではエタノールは難しかろうと言われているが、先日、地球の悲鳴についてのブログで言及したアマゾンの環境エコシステムの破壊や水資源に対する国際紛争などセキュリティの問題もあって、石油からエタノールへの転換と言っても、グローバルベースで色々な資源や環境問題を引き起こす心配がある。
   
   日本でも、バイオ燃料普及へ新法を制定する検討に入った。
   将来3%基準のバイオ燃料の混合比率を上げて行くようになるのであろうが、安価なエタノール等を大量生産するためのもっと革新的なイノベーションの開発のみならず、導入に伴う関連産業への対応など経済社会体制の整備も含めて問題点は多い。

   余談だが、もう30年近く前、サンパウロで自動車(フォードが現地生産していたマベリック)を運転して坂道(坂が多い)を上り下りしていたが、ブラジルのガソリンは混ぜ物が多くて、よく運転中にプシュっとエンジンが止まって困ることがあった。
   その後、ブラジルは、石油危機でブームが終息して、経済が異常に悪化して、ガソリンの代わりにアルコール自動車の開発を始めた。必要は成功の母の正に実例で、農業国ブラジルの再生可能な代替エネルギーへの転換が始まったのである。
   その後、アルコール混入自動車に乗ったが異質感はなかった。好い加減なガソリンに慣れていたので、ブラジルのエタノール転換技術の開発が早かったのではないかと素人考えで思っている。
   
   再度付言するが、レスター・ブラウンが言うように、ガソリンからエタノールへの転換は、エタノールの原料がトウモロコシや小麦などの農産物であれば、穀物価格を吊り上げて、食糧危機に泣くアフリカやアジアの極貧国の人びとの生活を更に悪化させる。
   それに、水資源の浪費と世界的争奪戦が始まるのみならず、地球の砂漠化等の深刻な環境問題も惹起する。
   バイオ燃料への転換は、あくまで資源の用途の転換であって、革新的な技術開発で不要な廃棄物や雑草や雑木など未使用の資源を活用してバイオ燃料を生産しない限り、根本的な問題の解決にはならないのである。
   

   
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カテゴリー・イノベーションへの勧め

2007年01月23日 | イノベーションと経営
   これまで、ソニーのイノベーション戦略について何度か書いてきたが、最近のソニーの苦境は、コモデティ生産から脱却できない点にあり、コア・ビジネスをコモディティ市場で戦っている限り大きな業績の向上は期待できない。
   何故なら、競争が激しくて急速に価格が下落し、コスト・リーダーたるトップ企業しか利益を確保出来ない「ウイナー・テイクス・オール」の市場だからである。
   このコモデティ競争から脱却する為に、差別化を指向して、いくら、持続的維持型のイノベーションを追及しても、同じジャンルの製品やサービスを生産して販売しておれば、顧客は求める以上の対価を払う気にはなれないので大きな利益の向上は望み得ない。

   しからば、全く新しい新市場破壊型のイノベーションではどうであろうか。
   これまでにはなかった新しい製品やサービスによる市場で、競争自体がない未開拓な市場「ブルー・オーシャン」の世界である。
   しかし、この面でも、そのイノベーションが、見える次元でのイノベーションであれば、すぐに追随者が現れて競争が始まりコモデティ化してしまって脱コモディティ戦略は長期的には成功しないことになる。

   ここで、一橋の竹内弘高教授と楠木建助教授は、価値の再定義と可視性の低下を狙った他の物差しで、比較されずに済む「カテゴリー・イノベーション」を説く。
   (この「カテゴリー論」は、イノベーションをより細かく分類したもので、クリステンセンの市場破壊型やブルー・オーシャンのバリュー型のイノベーション等にも当然含まれている概念。)
   購買動機のカギとなる属性と使用文脈でイノベーションを捉えている。
   感性を高めて物差しを見えなくした感性イノベーションと、全く違った新しい用途を作り出した用途イノベーションの総合を「カテゴリー・イノベーション」としており、スターバックス・コーヒーがその典型だと言う。

   アメリカで、ドーナツやベーグルを食べる時や、時間がない時にスナックと一緒に、或いは水代わりにオフイスでがぶ飲みすると言った用途でしかなかったコーヒーを、一寸リラックスする空間を提供することによって「リラックスした時に飲む」と言う新しいカテゴリーを、価値の再定義と可視化の低下によって実現したとしている。
   イギリスでも、本来コーヒーは会食やパーティー等以外は自宅で飲むものであったが、スターバックスが美味しくてバリエーションに富んだ安いコーヒーを手軽く街頭で提供し始めてから、パブリックの場で好んで飲まれるようになった。
   日本では、実質的には「ドトール」が先行していたが、止まり木スタイルの狭い店で従来どおりのコーヒーを安く提供していただけなので、スターバックスにお株を奪われてしまったが、質と雰囲気でカテゴリーイノベーションの実を上げ得なかったと言うことであろうか。

   しかし、お茶を好み、喫茶店を商談や会合や憩いの場として重宝し続けてきた日本と違って、アメリカにもイギリスにも、コーヒーや紅茶を気楽に楽しめる日本の喫茶店のような場所はなかった。スターバックスが、彼等にしてみれば強くて一寸高いが途轍もなく美味しいラテやエスプレッソと言った素晴らしいコーヒーを提供したことによって、喫茶文化を変えてしまったのである。
   (本ブログ2005.11.21「スターバックス英国紅茶を駆逐・・・アフタヌーン・ティの危機」参照請う。)

   日本には、各地に素晴らしく雰囲気の良い喫茶店がまだ残っているが、如何せん、煙草や食べ物の悪臭を排除出来ず、それに、安物のパック紅茶を熱湯に浸して色を付けただけの紅茶を何百円も取るような商売を続けているようだと先は暗い。
   私は、日本の喫茶文化及び喫茶店の存在は、ある意味では世界に冠たる独特の食文化だと思っているので、これまでの喫茶店やスタバ、ドトール等から一寸毛色の変わった革新的な生活を豊かにするような場が創造出来れば新ビジネスの立ち上げは十分可能な様な気がしている。
   ところで、アメリカで、ニューヨーク、フィラデルフィア、ボストンで何箇所かスターバックスの店に入ってコーヒーを飲んだが、マクドナルド等の店と殆ど同じ様な雰囲気の店が多くなっていて、「リラックスした時に飲む」と言うコンセプトが妖しくなっており、このままだと、スタバ革命も量の拡大のみに終始しそうである。
   
   さて、竹内教授たちは、このカテゴリー・イノベーションは、見える次元の競争ではなく、顧客が使いながら価値が積み上がって行く積分的思考で、脱コモデティ化を図れて他者の追随を排除出来ると言う。
   しかし、スタバにも類似した競争者が沢山現れて競争は激烈になっており、また、カテゴリー・イノベーションの典型だと言うウォークマンにしても追随した競争者が市場に参入し、更に、iPodに先を越されてしまった。
   イノベーションとは、創業者に創業者利潤をもたらすが、それは時間的スパンの差だけであって、必ず追随者が現れて凌駕されイノベーターとしての利得はフェーズアウトしてしまう。

   ところで、カテゴリー・イノベーションの場合、ウォークマンにしても録音機として最高の技術を活用したものではなく、また、ポケモンもスペックダウンしたゲームであり、殆どの場合、感性と用途でのイノベーションを追求すれば、良ければ良いほどベターかもしれないが最高の技術は必ずしも必要がないところが面白い。
   
   日本は、モノ造り大国であるから、企業は最高の部品や製品を創造するために最大限の努力を傾注し最高のものを生み出して行く。
   しかし、その部品や商品、或いは、生み出された新しい技術を活用して新しい感性や用途を生み出し新しいカテゴリー・イノベーションを追求しようとする傾向が非常に弱い。
   最高のパソコンや携帯電話を作りだすが、ソフト面では完全に後れを取り後塵を拝している。
   私がソニーについて言いたいのは、新技術の開発力では最高水準のものを生み出す力を持っている世界に冠たるイノベイティブな会社だと思うが、トランジスターを活用してトランジスターラジオを生み出し、小型録音機を用途変更してウォークマンを生み出したように、原点に戻って、自分達が生み出した技術を活用して「カテゴリー・イノベーション」なり「市場破壊型イノベーション」を追求して欲しいということである。
  
   

   
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アジアの中心を目指す沖縄経済特区

2007年01月22日 | 政治・経済・社会
   日経ホールで、「アジアの中心を目指す沖縄経済特区~ようこそ、ビジネスの楽園へ~」と言うシンポジュームが開かれたので聴講した。
   内閣府の後援なので、高市早苗沖縄・北方担当大臣が来賓挨拶を行ったが、スキューバダイビングが趣味で良く行くと言った話から、シンガポールのIT立国話を交えて、立て板に水の名調子で沖縄のITハブ戦略を語っていた。

   要するに今回は、新しい意欲的な仲井眞弘多沖縄知事が沖縄特区の活性化のための企業誘致・東京行脚の一貫としてシンポジュームを開催し、日経が乗ったと言う構図だが、興味深くもあり色々考えさせられた。
   結論から先に言えば、自由貿易特区、情報通信特区、金融業務特区の3特区が設置されたが、この程度の特別優遇措置程度では生ぬるい、いくら鐘や太鼓の鳴り物入りで宣伝しても大した効果は期待出来ないのではないかと言うことである。
   構想と夢は壮大で素晴らしいが、もっともっと抜本的画期的な優遇条件で沖縄特区を推進すべきで、世界の企業が関心を示し、日本のトップ企業が触手を動かすような条件を整えない限り、「アジアの中心を目指す」などは夢の夢に終わってしまう。

   仕事で何度か沖縄に行ったことがあるが、那覇自体でも本土の都市と比べれば思ったより貧弱な都市だし、それに、美しい風景や風物を楽しんでいても、何処に行っても米軍の軍用機の爆音から解放されない。
   私自身は、日本人は、これまで沖縄に犠牲を強いて経済社会の繁栄と安寧を維持して来たのだと言う厳粛なる事実を十分に認識すべきで、沖縄の開発(自然環境や沖縄固有の歴史文化などにダメッジを与えないような共生型の開発)の為には、並みの優遇条件ではなくて、世界に冠たる超好条件を与えた特区を建設すべきであると思っている。

   ところで、田中直毅氏が、「沖縄経済特区の可能性」について基調講演を行った。
   概要は次のとおりである。
   経済のグローバリゼーションによって次のような変化が起こったが、この現象が沖縄の変化とその将来に貢献し特区発展の可能性を生む。
   ①選択と集中
   ②情報通信コストの大幅ダウン
   ③日本企業の直接投資の日本回帰
   ④日本企業の独自での研究開発志向
   これまでは、総合的組み立て産業が主体だったが、グローバリゼーションによるサプライチェーンの拡大により、アウトソーシングでIT部品の需要が増大し環太平洋経済が活況を帯びてきた。
   また、ITコストの大幅ダウンによって「距離の暴力」から解放された。
   円高の頃は、日本企業は海外に進出して国内の空洞化が進行したが、最近ではでは多くの企業が日本回帰を始め、MBO等によって時間をセイブする動き等も活発になり、また、自らのR&Dによって差別化された技術や製品、ノウハウを開発しない限りグローバル競争に勝てなくなってきている。
   更に、沖縄では、
   ①現在人口は136万人だが、自然及び社会的増加で毎年1万人ずつ人口が増加していて、若年人口が多く、かつ、その教育が充実している。
   ②経済社会の発展と振興のために経済特区の設立など特別措置法が施行されている。
   以上の様な、環境の中で、グローバリゼーションの進行、沖縄や日本の経済社会の変化に呼応して、沖縄経済特区の発展の可能性や将来像が展望できる。

   沖縄知事も、ITと観光で沖縄を活性化して、ベンチャーとイノベーションを志向したいのだと言っていたが、如何せん、現状での特区の活動状況は、パネルディスカッション「沖縄で花開くビジネスモデル」を聞いていて、プレゼン会社の動向や問題点を斟酌しても、可なり厳しいなあと思った。
   確かに、那覇を中心とすると2000キロ圏には、シンガポールだけを除いて、中国、韓国、日本、フィリピンの主要都市はすっぽり入り込み、地理的には好立地だと思われるが、那覇への交通アクセスが異常に悪くて不便であり、ITハブを目指すと言っても回線が極めて少ないし、産業インフラの貧弱性は拭い切れない。
   根本的な問題は、万難を排してでも沖縄に進出する魅力があるのか、今何故沖縄なのかと言うことであって、シンガポールやアイルランド、或いはフィンランドやアイスランドなどのIT立国を十分参考にして、日本政府が本腰を入れて、沖縄経済特区の活性化を推進しない限り無理だと思われる。
   ~ようこそ、ビジネスの楽園へ~と言った観光案内マガイのスローガンを打っているようなら先が思いやられる。

(追)椿は、天ヶ下
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初春大歌舞伎・・・「金閣寺」華麗な玉三郎の雪姫

2007年01月21日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   1月の歌舞伎座は実に華やかで、幸四郎・吉右衛門の共演、久しぶりの勘三郎に加えて、玉三郎が、素晴らしい舞台を見せてくれる。
   昼の部の勘三郎との「喜撰」で、茶汲み女・祇園のお梶を演じるのだが、和歌に優れていて小野小町に見立てられた町女。ほろ酔い機嫌のチョボクレ坊主の勘三郎の喜撰法師を相手に、手ぬぐいを使って艶やかに踊る。

   夜の部では、幸四郎の松永大膳、吉右衛門の此下東吉を相手に、祗園祭礼信仰記の「金閣寺」で、”三姫”の一つである素晴らしい雪姫を8年ぶりに演じて観客を魅了している。
   幕府の執権大膳に絵師の夫狩野直信(梅玉)を投獄され、権力を傘に着て一夜をともにするか金閣寺の天井に龍の絵を描くかと迫られる雪舟の孫娘と言う設定。父が殺害されて奪われた名刀倶利伽羅丸を大膳から奪い取り斬りつけるが、逆に桜の木に縛られる。雪舟のように桜の花びらを足指で掻き集めて鼠を描くとその鼠が動き出して縄を噛み切り助けられる。
   赤ではなくて鴇色の綺麗な着物を着たスマートな玉三郎が、桜吹雪を前身に浴びながら、縄を引き摺って舞台を彷徨って、立ち止まって絵を描き始めるが、この”爪先鼠”の場面だけでも実に素晴らしい絵になる。
   昔、「土手のお六」で娘に見えないと言われたようだが、この雪姫は、雪舟の孫の女絵師でもあり、大膳に斬りかかる程のしっかり者の若妻であるから、娘である前に気品のあるLadyであることで、玉三郎には合っているし、特に強く主張することなく華麗な舞台を見せていて好ましい。
   
   ところで、幸四郎の大膳だが、大舞台での存在感は十分すぎるほど十分だが、大悪人でありながら嫌味が全くなくて、空気のように澄んでいる感じの演技が面白い。
   弱みに付け込んで雪姫に一夜を迫るなど、言うならば卑劣で助平な執権だが、そんな気さえ感じさせない全く無色透明な錦絵を見ているような様式美に徹底した悪人役で、ある意味では、これが時代物の歌舞伎の一面かも知れないと思って見ていた。
   その憎々しい悪役を、十河軍平の左團次と大膳弟松永鬼藤太の彌十郎が代わりに演じていたと言う感じであった。
   ところで、昼の部の高麗屋のお家芸勧進帳の弁慶、何回も観ているのだが、やはり、幸四郎の弁慶は格別である。今回、最後の眼目の飛び六方だが、疲れたのか、呼吸を整えて二呼吸置いてから豪快に花道を引っ込んで行った。

   一方の此下東吉の方は、もっと俗人的で、地で行っているような演技であり、吉右衛門の持ち味が十分に発揮された颯爽とした清々しい舞台を楽しむことが出来た。
   吉右衛門は、どこかで、歌舞伎の場合は物語の一部を切り取った「見取り」で公演されることが多いので物語全体を把握して舞台に臨むのだと書いていたが、確かにそうでないと、大きく立場の違ってくる此下東吉後に真柴筑前守久吉の味は出せなかったであろう。

   夜の部の最後は、橋之助の与三郎と福助のお富の兄弟による「切られお富」で、例の「もし、御新造さんえ、おかみさんえ、・・・お富さんえ・・・いやさお富、久しぶりだなあ」の「与話情浮名横櫛」ではなく、書き換え狂言の「処女翫浮名横櫛」だが、福助の悪婆ぶりが面白い。
   幸四郎兄弟の場合と違って、福助兄弟の場合は、同じ兄弟でも男女の役で、色模様を演じるのであるから一寸気になる。
   お富が散々切り刻まれて瀕死の重傷を負うのだが蝙蝠の安蔵(彌十郎)に助けられて、安蔵と、後に出世した仇の赤間源左衛門(歌六)を徹底的に強請って金を巻き上げる話である。
   残忍さと悪婆のしたたかさがポイントなのだろうが、福助のお富の悪婆ぶりを観て、あの「伊勢音頭恋寝刃」の仲居万野を演じた福助の舞台を思い出した。
   福助は、同じ女形でも性格俳優としての素質も満点である。
   
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ソニー神話を壊したのは誰だ・・・立花隆:中鉢良治

2007年01月20日 | イノベーションと経営
   文藝春秋二月号に、立花隆氏と中鉢良治社長の対談「ソニー神話を壊したのは誰だ」と言う面白い記事が載っている。
   先に出井氏の新書「迷いと決断」について感想を書いたが、今回も、文春の記事を読んでいて、改めてソニーの経営上の問題点をいくつか感じたので触れてみたい。

   「経営トップに問う」と言う記事なので、「電池発火事故、プレステ3製造遅れ。ソニー低迷の理由は何なのか?」と言う問題提起で、立花氏が中鉢社長に対して執拗に質問をぶっつけて追求している。
   
   まず、「久夛良木氏はなぜ社長を外れたのか」との部分で、中鉢社長が、
   「(プレイステーション3(PS3)の)性能は事前に見聞きしていましたけど、実際に手にして驚きました。ゲームが出来るのは勿論のこと、DVD約5枚分の情報量を持つブルーレイディスクは再生できる、インターネットなどパソコンでできるサービスも受けられると言う1台3役の機械で、買う前からこれだけの充実度を期待した人はどのくらいいるのだろうか。ゲーム機ではありますが、買ってみて、初めてその凄さに気付かれるだろうと思いますね。」と言っている。
   
   耳を疑うのは、いくら別の子会社とは言え、ソニーで最もイノベイティブで、かつ、社運をかけて先行投資を行い起死回生を目指した筈のPS3に対して、社長がスペックは勿論製品そのものに対して正確な理解なり認識が殆どなかったことを臆面もなく暴露していることである。
   もう一つの問題は、立花氏がきっぱりと指摘していることなのだが、PS3が、途轍もないスーパーコンピューターを凌駕するような性能を搭載していながら、中鉢社長にその凄さと重要性、そして、それを如何に活用するかの認識が全くないと言うことである。
   この点は、重要なので後述するとして、まず、全く初歩的な問題点は、ソニーは、何を顧客に売ろうとしていたのかと言う製品に対する正確なコンセプトがPS3には全く見えないと言うことである。
   ゲーム機(社長がゲーム機と言っているのだからゲーム機であろう)と言うコンセプトなら、安くて便利な任天堂のWiiで十分であり、虎の子のセルを使用して途轍もない演算速度を持ち、かつ、ブルーレイに対応するような超高級なスペックは必要ない筈で、もっと安くもっと早く顧客のニーズにマッチした適切なゲーム機を市場に提供できた筈である。過ぎたるは及ぶばざりしであろうか。
   何を、いくらで、何時売り出すか等の基本の基本たる5W1Hの定義付けさえせずにPS3を開発して売り出したとしか考えられない。

   立花氏によると、PS3で使用されているCellは、1チップで258ギガフロップスの能力があり、「地球シュミレーター」に使われた巨大ロッカー型スーパーコンピューター4台分に匹敵すると言う。
   地球シュミレーターに500億円かかり、スパーコンピューターに数千万円かかっているのに、PS3はたったの数万円。日本はPS3の大ブレイクによって世界に比類のないスーパーコンピューター王国となり、PS3を数台連結すれば、デスクトップの地球シュミレーターが出来て、様々な応用の試みが行われる。
   東大の生産技術研究所に預ければたちまち凄い使い方を見つける。ソニーが潰れることがあっても、このプロジェクトだけは国家が乗り出しても保護すべきだ、とまで言うのである。

   「Made in America」でアメリカ産業に競争戦略を伝授したMITチームの新著「グローバル企業の成長戦略」で、古いモデルへの固執は危険が伴うとソニーを批判しながらも、自らのイノベーション創出力に命運を賭けて来たセルプロセッサーのような新製品で続々ヒットを飛ばせば、V字回復を経て一気に連勝街道を突っ走れる、と注視しているCellなのである。

   ここで、ソニーの本質的なイノベーションに対する対応だが、このCellの開発を、既存製品の能力アップと言う持続的維持型のイノベーションの延長上で考えている。
   クリステンセン流に考えると、技術が、顧客のニーズより遥かに先行し過ぎてしまって、顧客は必要以上の対価を払う筈がないのでコストの回収さえ難しくなる。
   しかし、これまでのソニーのイノベーション製品の多くは、トランジスター・ラジオやTVにしろ、或いは、ウォークマンにしろ、既存技術を活用した新市場破壊型の全く新しい市場を創造するような新製品の開発であった。
   従って、この持続的維持型の途轍もないイノベーションであるCellを、新しい革新的なソフトや活用方法を開発することによって市場破壊型イノベーションを追求し、新しい創造的な製品を生み出す以外にブレイクスルーへの選択肢はない筈なのである。
   既に、ソニーは、FeliCaと言う途轍もない製品を開発しながら、その活用ノウハウを開発出来なかったばかりに、千載一遇のチャンスをミスって部品メーカーになり下がった苦渋を舐めているのに、まだ、学習出来ていないのである。

   出井経営論批判でも触れたが、モノづくり技術の深化ばかりに力を入れても、今日のイノベーションはソフトに比重が移ってしまっており、むしろ、新技術を如何に活用して市場破壊型イノベーションを追及した市場創造型の商品やサービスを生み出すかと言う事の方が遥かに重要なのである。
   別なところで、中鉢社長は、「デジタル化の時代は、単に物を作るだけではなく、携帯電話やゲームのように、市場でのディファクトスタンダードになって良を売らなければ利益にならない。つまり、「規模の経済」を追求する必要がある。」と言っている。
   全く間違っている。
   ソニーは、このようなコモデティ市場で持続的維持型イノベーション競争ばかりに現を抜かしているから駄目なのであって、ニッチ市場の開拓がソニーの得意技と言うのなら、市場破壊型イノベーションを追求すれば規模を求めて薄利多売することはない筈なのである。
    
   ところで、「EVAが総ての元凶」と言う段落で、中鉢社長は、大賀社長時代に導入した社内カンパニー制と、出井CEOが導入したEVA経営の弊害がソニーの業績を圧迫しているとして、経営改革について語っているが、これは、むしろソニーの取り組み方・経営手法の方に問題があると思うのだが、これについては稿を改めたい。
   いつも、ソニーは経営不在なのではないかと思うことが多い。出井氏の場合も中鉢社長の場合も社内の掌握の難しさについて言及しているが、それにしても、経営管理部門の体たらくが見え隠れしていて不思議な気がしている。

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犬養孝氏の万葉の旅

2007年01月19日 | 生活随想・趣味
   今朝、何となくTVを見ていたらNHKBS2で、「このひと」と言う番組で、懐かしい犬飼節が聞えてきた。
   言わずと知れた万葉集の大家で、随分前になるが、犬養氏が主宰する万葉集を求めて奈良大和などを散策して万葉集を楽しむ「万葉の旅」に人気があった。
   皇室の歌会始ではないが、独特な抑揚をつけた歌うような犬養節が非常に心地よく素晴らしかった。
   万葉の頃は、字が読めない人達も和歌を詠んでいたのでこのように歌っていたのだと言う。万葉集は、字面だけではなく言葉のリズムや声の抑揚など総てが総合されて始めて本当に味わえるのだと言うことで、学生には節をつけて好きなように歌えと言っているのだと説いていた。
   高校生の頃、これを知って是非この犬飼ツアーに参加したいと思って阪大に行こうかと考えたこともあった。結局は京都の魅力の方が強くて京大に行ってしまってそのチャンスはなかった。

   そんな所為もあるのか、経済学部の学生であったので、経済原論のゼミナールには熱心に通ったが、特別、毎日授業に出る必要がなかったのを良いことに、あっちこっちを歩いて回った。
   経済学や経営学の勉強にも可なり頑張った心算だが、学生時代の思い出に残っているのは、何故か、京都や奈良、或いは、滋賀、三重、大阪、兵庫と言った関西地方の古社寺や歴史的名所旧跡などの見学と言った歴史散策である。
   
   古典に触れて日本の歴史や文学、芸術などに興味を持った切っ掛けは、私の場合は受験勉強で触れた古文を含めた国語の勉強であったように思う。
   和辻哲郎や亀井勝一郎の文章など結構例文として出ていたし、古文に至っては文献の宝庫であり、私自身にとっては、巷で言われている様に、受験勉強は決して無駄でも悪でもなかった。
   日本史は取らなかったが、世界史と人文地理の勉強は、その後の長い外国生活において国際感覚を養うのに結構役に立ったと思う。
   
   ところで、私自身は、日本の古典芸術でも詩歌管弦音曲と言った方には関心が行かず、もっぱら歩くことが主体で、鑑賞の対象は、古建築や仏像、絵画、庭園と言った古社寺を訪れることが主体であった。

   犬養博士の「犬養万葉記念館」が明日香村に建設されたようだが、やはり、私自身万葉と言われれば、真っ先に出てくるイメージは飛鳥である。
   少し小高い甘橿の丘に上って見晴かす飛鳥の風景はやはり、明るくて大らかな万葉の雰囲気であり、何処となく陰湿な京都とは違う。
   飛鳥坐神社の境内からボーっと霞に霞む大和三山の優しい起伏を見ていると、今すぐにでも万葉の時代にスリップインするような心地がしたのを思い出す。

   もっとも最近明日香を訪れたのは、もう既に20年近く前になるが、便利で綺麗になり過ぎていたので、一寸万葉をイメージするには無理があった。
   私が、頻繁に飛鳥に通ったのは、もう40年近くも前のことだが、飛鳥寺も田んぼの中にあったし入鹿の首塚も畦道に埋もれていたし、石舞台もむき出しで上に上って長い間物思いに耽ることが出来たし、それに、酒舟石など何処にあるのか分からずに竹やぶを掻き分けて登っていった記憶がある。
   石舞台の裏から山の中に入り、山道を迷いながら登って行って談山神社のある多武峰に抜けたこともあるが、あのあたりは、まだ本当に田舎であった。
   春には、畑が一面の蓮華草に覆われて空高く雲雀がさえずっていて、温かい陽気に誘われて畦道でうたた寝する等、正に天国であった。

   飛鳥坐神社には、沢山の陰陽石が奉られていて、大きなしめ縄飾りの石の男根があったり、境内の石畳には精巧な女陰型の石の彫刻が嵌め込まれていたり、兎に角、万葉そのもので大らかである。
   もうすぐ行われるおんだ祭(お田植神事)には、五穀豊穣と子孫繁栄を祈念して、天狗とお多福の面を被った若者がセックスシーンを演じるのだが、TVで見た如何にも由緒正しい古儀式の開けっぴろげな威儀正しさが面白かった。

   猿石や鬼の俎あたりまでは行ったが、まだ、高松塚古墳など知らなかった頃であるが、最近では、奈良のあっちこっちで、昔懐かしい田舎風景が殆ど消えてしまっているのが何となく寂しい。
   入江泰吉氏の奈良の写真の風景は、殆ど消えてしまっているが、幸いにも、「万葉の花」だけは、そのまま残っている。
   
   犬養万葉記念館のホームページを開くと、犬養氏の人生最後の朗唱歌は、山部赤人の、
   わかの浦に 潮満ち来れば 潟を無み
   葦辺をさして 鶴鳴き渡る

   私の大学生の頃には、まだ、そんな懐かしい風景が、日本のあっちこっちに残っていたような気がする。
   貧しかったかも知れないが、人間がもっと弱くて自然と共生していた頃の方が、幸せであったのではなかったか、そんな気がし始めている。
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METライブビューイング・・・ドミンゴの『始皇帝』

2007年01月18日 | クラシック音楽・オペラ
   中国の作曲家タン・ドゥン作曲の「始皇帝」の世界初演がMETで幕開けし、タイトルロールをプラシド・ドミンゴが歌うと言うので、当初から大変な評判だったが、やはり、実際にMETライブビューイングで聴いて観て見ると流石に面白い。
   スペクタクルなグランド・オペラの華麗なる舞台である。
   オペラとしての音楽の価値がどうかと言うことは私には全く分からない。
   しかし、東洋と西洋の融合と言う意味では画期的な作品で、Making the First Emperorの一面として、オペラの準備や舞台裏の状況、それにタン・ドゥンの指揮の様子が録画で幕間に紹介されていたが、彼が、中国やインドの音楽のリズムについてその違いを教えていたのなど面白く、それに、随所に東洋的な芸術の伝統が取り込まれている。早い話、演出は中国映画界のホープ・チャン・イー・モウ監督、衣装はアカデミー賞のわが日本の誇るワダ・エミ、英語台本は中国の小説家ハ・ジン等々で、東洋ムード満開である。

   タン・ドゥンが20年前に来米してMETでドミンゴのトーランドットの舞台を見て、将来オペラを作曲してドミンゴに歌って貰いたいと言う夢を持ったと語っていたが、実際に今回の初演でタン・ドゥンから誘いを受けてドミンゴが引き受けたと言う。
   作曲中もこのオペラについては、二人の接触はあったようで、友情が育まれており、ドミンゴは、作曲者のタン・ドゥンが、自ら指揮をして自分の意図したことや、オーケストラや歌手達と一緒に創り出したいことを自分自身で表現することは素晴らしいとMETのインタビューで言っている。
   始皇帝のドミンゴだが、昨年の日本でのワルキューレの舞台では疲れを感じたのだが、この舞台では至って元気で、素晴らしい美声を聴かせてくれた。

   タン・ドゥンは国境のない音楽を作曲したのだと言っていたが、素晴らしいベルカント風のアリアはなかったが、音楽は全編にわたって非常に美しくて、華麗に語りかけるような琴の演奏を筆頭に東洋的な楽器がエキゾチックな雰囲気を盛り上げていて、最後まで飽きさせなかった。
   始皇帝の頃の楽器は土器などを使っていたと言うので、大小の火鉢様の壺をならべたり、太鼓の放列をしいたり、一頃のシャンカールのようなEAST MEETS WESTのムードだが、異質感は全く感じられないほど融合していた。

   舞台は、下から上まで階段状になっていて、詰まれたブロックが300個、天井からぶら下げられたロープが600本で長さが11キロメートルと言うのであるから、大変なボリュームで、この階段舞台が宮殿になったり奴隷達が積み上げる万里の頂上になったりするのだが、ぶら下がったロープが壮大な教会の列柱のような雰囲気を醸し出すなど素晴らしい演出である。
   バックの合唱団が、群集になったり奴隷になったり、このオペラでは大変効果的な動きをしている。
   タン・ドゥンも意識したのであろうか、音楽も何処かトーランドットに似たところもあり、舞台も群集の扱いも良く似ており、この舞台が、次の新しいトーランドットの演出に影響を与えるような気がする。

   ところでこのオペラであるが、秦の始皇帝についてのオペラだと思えば完全に意表を衝かれる。
   あの法治主義で郡県制をしいたり、中央集権制を批判した儒者に対して行った焚書坑儒や、万里の長城や兵馬俑を造った始皇帝のイメージなど全くない。
   このオペラで重要なテーマは、偉大な帝国に相応しい新しい国歌を、宮廷音楽家カオ・ジャンリ(ポール・グローブス)を捉えて作曲させることことである。
   ジャンリは、始皇帝が村を破壊し母親を殺したので憎み抜くが、始皇帝の娘ユエアン(エリザベス・フラトル)と恋に落ちる。ユエアンは将軍と結婚させられるが操を守り抜いて夫に殺害される。将軍も自害し、ジャンリも舌を噛み切り死んでしまう。
   絶望した始皇帝がジャンリの作曲した素晴らしい国歌を聴こうとして、群集に歌えと命じるが、その歌は、まさしく奴隷達が歌っていた悲しみと慟哭の歌であった。ジャンリが復讐を遂げたのである。

   エリザベス・フトラルの美しく澄んだソプラノを筆頭に、ポール・グローブス、そして将軍を歌ったハオ・ジャン・タン達も素晴らしい音楽を聴かせてくれた。 
   今回、音響についてはそれ程気にならなかったのが幸いした。

   「マルコ・ポーロ」や「ティー」で既に名声を得ているタン・ドゥンだが、この「始皇帝」は、中国の統一と国歌の創作と言うことに発想を得てこれを比喩にして、彼の音楽を新しい統一された全体像を作り出すために異質なものを統一しようとする試みだと言う。
   METと言う桧舞台に殴り込みをかけたタン・ドゥンの心意気が、正に、中国の建国と言う壮大なテーマに合致したのかも知れない。
   
   
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国立劇場・・・菊五郎の「梅初春五十三驛」

2007年01月17日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   国立劇場開場40周年記念公演の第2弾が「梅初春五十三驛」。
   160年以上も前に途絶えてしまった舞台を、活字の台本がないので、大阪で再演された時の手書き台本を起こしての公演だと言う。誰も見たことがないので完全に現在の創作舞台なのだが、そこは豊かな歴史と伝統に育まれた歌舞伎であるから、素晴らしい古典歌舞伎の復活である。
   鶴屋南北調のネコ屋敷が登場して、十二単を着た老婆姿の怪猫が行灯の油を舐める怪談狂言有り、頼朝転覆を目論む弟の範頼や木曽義仲の遺児義高の宝剣や鏡の絡むお家のっとり騒動あり、金と色好みの坊さん達の絡む抱腹絶倒の田舎芝居あり、白井権八の恋物語有り、兎に角東海道の五十三次に事寄せて、豊富なトピックスごっちゃ混ぜの派手な舞台が展開していて面白い。

   この口絵写真のように、座長の菊五郎は、義高、猫石の精霊(行灯の油を舐める老女)、神主の多中、小夜衣お七(男勝りの女郎、八百屋お七のように鐘を打って権八を逃がす役もこなす)の4役を実に器用にこなして八面六臂の活躍をしており、流石に東西随一の人間国宝・千両役者である。
   女郎のお七の菊五郎が、伊勢参り姿で現れる若者吉三郎の菊之助を口説くので、たじたじになって逃げるあたりの親子の演技が実に面白い。
   菊五郎家のお家の芸の怪猫の演技は流石だが、猫があっちこっちで登場するところなど舞台に色々工夫があって面白いし、精巧な猫の動きは、天井から下がった紐でマリオネット形式で操作されていた。

   ところで、この舞台は、コスト削減ではないであろうが、主要な殆どの役者達が2役乃至3役を演じていて、話が複雑なだけにこんがらがってしまって、筋書きを読んでも中々分かり辛い。
   シェイクスピア劇などでは、このように同じ俳優が何役も演じるのは不思議ではないが、歌舞伎では、早変わりは別にしてそれ程頻繁に行われているようには思えない。
   しかし、その分、一人の役者が同じ舞台で数役演じていると、その芸の対比や変化が同時に見られて面白いと言うメリットがある。

   例えば、三津五郎であるが、木曽の旧臣・根の井小弥太(頼朝の娘・大姫の供)で立派な時代物の侍と所化弁長で小賢しいコミカルな坊主を演じている。特に、田舎芝居で拍子外れの義太夫を語ったり、宝剣と住職の財を奪って逐電して金持ちになってお七を口説き、騙されて殺される役など、そのしみじみとしたおかしみは秀逸である。
   弁長は素面だが小弥太は顔も手も首も塗っているので化粧を塗ったり落としたり大変だが役柄の違いを楽しみたいと本人も言っている。

   また、松緑は、本人の説明によると、大江因幡之助は忠臣蔵の桃井若狭之助のような若殿、狩野之助は裁き役で「先代萩」の細川勝元、それに、百姓杢作はとぼけた田舎者と言った調子であり、特に、杢作は、一昨年のシェイクスピアの「十二夜」のサー・トーヴィーの味のある素晴らしいボケ役を思い出させてくれた。

   一方、菊之助は、白井権八と久須見吉三郎で、男姿も女姿も演じるがこれは殆ど菊之助のイメージから離れてはいない。
   時蔵は、菊五郎の義高の許婚でお姫様だが、遊女の小柴で菊之助の権八と絡むがこれもイメージどおりの役柄。菊五郎のお七も良いが、この舞台の女形は時蔵が支えている。

   彦三郎が、朝廷に恨みを持つ頼豪阿闍梨の霊と権威を嵩に着た役人海老名軍蔵を、團蔵が、頼朝の弟範頼と商売気たっぷりの大日和尚を、それぞれ役柄を使い分けて演じていて面白かった。

   人間国宝の田之助だが、田舎芝居のどたばた舞台に、庄屋太左衛門役で出てきたがコミカルな味が実に良く、登場するだけで値打ちがある。
   もう一人、猫屋敷に小弥太や大姫を案内するおくらを演じた梅枝の清楚な乙女姿と器用な芸が印象に残っている。

   ところで、芝居とは関係ないが、当日、1階の私の席の近くに、歌舞伎関係の人だと言って掛け声をかける人がいて、ト書き台本のようなものを見ながら大声で掛け声をかけていた。
   演技の最中は殆どなくて、役者が登場した直後の掛け声が大半だが、暗がりの中でメモを取りながらやっていたが、静かな舞台だったので寂しくならないように一種の景気付けの意味もあるのであろう。
   他に一階席から掛け声がかかっていたが声が小さかった。

   前日、12チャンネルのTV番組を電車の中でレシーバーで聴いていたのだが、勘三郎が掛け声について話していた。
   別にルールは何もなく、興奮したり感激した客が声をかけたことから始まっており、「大統領!」「大根!」などと好きな時に好きなことを言えばよいのだと言っていた。
   面白かったのは、一度だけ名古屋か何処かで、3階席の後から、雀右衛門と富十郎の二人椀久が大変素晴らしかったので「世界一!」と声をかけたらしい。「日本一!」と叫ぶ心算が、先に言われてしまったので「世界一!」に変わったという。
   本職の歌舞伎役者が掛け声をかけるのも面白いが、そう言えば、昔、若い日の小澤征爾が、バーンスティンの幻想交響曲の演奏に感激して「ブラボー」と叫んでいた。大阪フェステイバルでのことである。

   歌舞伎座の場合は、掛け声の殆どは3階席からのようだが、たまに、1階席の女性客の声を聞くことがある。
   時々、掛け声がワンテンポ遅れて続くことがあるが、これは、タイミング等先輩の教示を受けているのであろうか、親鳥の声を子鳥が口移しに真似ているようで面白いと思った。 


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