この口絵写真の花は、エレガンスみゆき、秋咲きの桜である。
まだ、2メートル弱の若木なので、ぽつぽつ花が咲いている状態だが、ソメイヨシノと同じで、一切葉をつけずに、5ミリ足らずの濃いピンクの可憐な花を咲かせる。
小さな花だが、一本の雄蕊の周りに沢山の雌蕊をつけ、一重でもなし八重でもなし、優雅な花弁を広げている。
蕾が膨らみ始めると、真っ先に、白い雄蕊が顔をのぞかせるのが面白い。
私の庭には、冬に咲く花が少なくて、寂しいのだが、早くも、鹿児島紅梅がほころび始めた。
この花も、梅としては、比較的小さな綺麗な花で、すぐに萎れるのだが、小さな小梅を3つつけて非常に愛らしいので、これだけは、千葉から持ってきて、移植した。
もう一つ、一輪ずつ咲き続けているのが、椿のタマグリッターズ。
近縁種のタマカメリーナは、小木なので、今年は蕾をつけなかったが、タマアメリカーナは、まだ、蕾が固い。
親木の玉之浦よりも複雑な花弁い変化して、さすがに、洋椿として里帰りすると、何となく、バラのイメージに近づいている感じで面白い。


青年期から壮年期にかけて、海外生活が長くなって、あちこっちを歩いているうちに、花の美しさとその神秘的な魅力に少しずつ引き込まれて、美しい公園や壮大で目を見張るような庭園などを回り歩いて、少しずつ、ガーデニングの楽しさに目覚め始めたように思う。
幸いにも、前の千葉の庭も、この鎌倉の庭も、それなりに、広い庭に恵まれているので、晴耕雨読と言うか、花木や草花を育てながら、ガーデニングを楽しみ、四季の移り変わりや朝夕の微妙な変化に揺れ動く花々の息遣いを身近に感じて感激してる。
さて、この一年は、私にとっては、それ程変化のない普通の年であったように思うのだが、世の中、特に世界情勢については、ブレグジットやトランプ現象などを筆頭に、予想外の事象が現出して、正に、異常づくめの一年であった。
しかし、結論から言えば、いくら、社会が、ブラック・スワン現象の出現で、予測不可能な異常な動きをして、我々を翻弄しようとも、本質的には、これらの美しい花々の生命のように、長期的に見れば、咲いては枯れ、枯れては咲き続けるように、それ程、変わらないような気がしている。
と言うよりも、正直なところ、そう思いたいと言う気持ちである。
尤も、変わらないと言っても、今のシリアなどの地球上の不幸な事象を考えれば、国際秩序の悪化は極に達しており、不遜な言い方が許されるならば、世界大恐慌や第二次世界大戦程度の揺れはあるだろうと言う前提と言うことになる。
ところで、現在、世界で起こっている現象は、特に、欧米先進国では、現在の政治経済社会、そして、それを支配するエスタブリッシュメントにNOを突き付け反旗を翻しただけであって、確たる将来の設計図もなく、これを破壊して世の中を変えてくれればそれで良いと言う反動的なパワーの炸裂であったような気がする。
詳細は避けるが、ブレグジットにしても、EUと袂を分かつことが経済的にイギリスにとって良いことなのかどうかは大いに疑問であるし、また、トランプを強力にサポートした白人中産階級以下の人々にとっては、たとえ、法人税の大幅減税と膨大な公共投資で経済が瞬間的に浮揚しても、共和党の強者富者優遇かつ弱者切り捨て政策を考えれば、悪夢にさえなるであろう。
まして、トランプのウォールストリート・シフトの閣僚人事などを考えれば、リベラル路線が後退して、現状の改革どころか、益々、格差拡大社会へ進む可能性が高くなろう。
少なくとも、アメリカは、 平等社会を志向した厚生経済とは似ても似つかない、もっと激烈な市場原理主義的な資本主義に逆戻りして行くような気がしている。
いずれにしろ、アメリカ ファーストで、アメリカが内向きになって行くことは必定で、Gゼロ下のグローバル世界においては、国際秩序の維持は、益々、困難になって行くであろう。
世界秩序が正常に維持されるには、いずれにしろ、パックス ロマーナ、パックス アメリカーナ、パックス ブリタニカの時のように、押しも押されもしない超大国あっての平和であって、それ以外には、キッシンジャーが説くように、新ウエストファリア体制の構築しかないとすると、これからの世界情勢は、益々、混沌としてくる。
花が咲き、枯れてまた咲くように、世の中は変わらないと思っているのだが、美しい花を愛でながら、少しずつ、不安になって行くのも事実。
地球上の貧困が消えて豊かになればなるほど、宇宙船地球号の負荷が重くなって、サステイナブルでなくなって行く、この矛盾をどう解決して行くのか。
その反動のように、どんどん、国際情勢が悪化し続けるのを心配する。
少しでも、人類の愚行が英知を凌駕すると、美しい花も一瞬にして命を絶つ。
そんなことを考えつつ過ごした一年でもあった。
まだ、2メートル弱の若木なので、ぽつぽつ花が咲いている状態だが、ソメイヨシノと同じで、一切葉をつけずに、5ミリ足らずの濃いピンクの可憐な花を咲かせる。
小さな花だが、一本の雄蕊の周りに沢山の雌蕊をつけ、一重でもなし八重でもなし、優雅な花弁を広げている。
蕾が膨らみ始めると、真っ先に、白い雄蕊が顔をのぞかせるのが面白い。
私の庭には、冬に咲く花が少なくて、寂しいのだが、早くも、鹿児島紅梅がほころび始めた。
この花も、梅としては、比較的小さな綺麗な花で、すぐに萎れるのだが、小さな小梅を3つつけて非常に愛らしいので、これだけは、千葉から持ってきて、移植した。
もう一つ、一輪ずつ咲き続けているのが、椿のタマグリッターズ。
近縁種のタマカメリーナは、小木なので、今年は蕾をつけなかったが、タマアメリカーナは、まだ、蕾が固い。
親木の玉之浦よりも複雑な花弁い変化して、さすがに、洋椿として里帰りすると、何となく、バラのイメージに近づいている感じで面白い。


青年期から壮年期にかけて、海外生活が長くなって、あちこっちを歩いているうちに、花の美しさとその神秘的な魅力に少しずつ引き込まれて、美しい公園や壮大で目を見張るような庭園などを回り歩いて、少しずつ、ガーデニングの楽しさに目覚め始めたように思う。
幸いにも、前の千葉の庭も、この鎌倉の庭も、それなりに、広い庭に恵まれているので、晴耕雨読と言うか、花木や草花を育てながら、ガーデニングを楽しみ、四季の移り変わりや朝夕の微妙な変化に揺れ動く花々の息遣いを身近に感じて感激してる。
さて、この一年は、私にとっては、それ程変化のない普通の年であったように思うのだが、世の中、特に世界情勢については、ブレグジットやトランプ現象などを筆頭に、予想外の事象が現出して、正に、異常づくめの一年であった。
しかし、結論から言えば、いくら、社会が、ブラック・スワン現象の出現で、予測不可能な異常な動きをして、我々を翻弄しようとも、本質的には、これらの美しい花々の生命のように、長期的に見れば、咲いては枯れ、枯れては咲き続けるように、それ程、変わらないような気がしている。
と言うよりも、正直なところ、そう思いたいと言う気持ちである。
尤も、変わらないと言っても、今のシリアなどの地球上の不幸な事象を考えれば、国際秩序の悪化は極に達しており、不遜な言い方が許されるならば、世界大恐慌や第二次世界大戦程度の揺れはあるだろうと言う前提と言うことになる。
ところで、現在、世界で起こっている現象は、特に、欧米先進国では、現在の政治経済社会、そして、それを支配するエスタブリッシュメントにNOを突き付け反旗を翻しただけであって、確たる将来の設計図もなく、これを破壊して世の中を変えてくれればそれで良いと言う反動的なパワーの炸裂であったような気がする。
詳細は避けるが、ブレグジットにしても、EUと袂を分かつことが経済的にイギリスにとって良いことなのかどうかは大いに疑問であるし、また、トランプを強力にサポートした白人中産階級以下の人々にとっては、たとえ、法人税の大幅減税と膨大な公共投資で経済が瞬間的に浮揚しても、共和党の強者富者優遇かつ弱者切り捨て政策を考えれば、悪夢にさえなるであろう。
まして、トランプのウォールストリート・シフトの閣僚人事などを考えれば、リベラル路線が後退して、現状の改革どころか、益々、格差拡大社会へ進む可能性が高くなろう。
少なくとも、アメリカは、 平等社会を志向した厚生経済とは似ても似つかない、もっと激烈な市場原理主義的な資本主義に逆戻りして行くような気がしている。
いずれにしろ、アメリカ ファーストで、アメリカが内向きになって行くことは必定で、Gゼロ下のグローバル世界においては、国際秩序の維持は、益々、困難になって行くであろう。
世界秩序が正常に維持されるには、いずれにしろ、パックス ロマーナ、パックス アメリカーナ、パックス ブリタニカの時のように、押しも押されもしない超大国あっての平和であって、それ以外には、キッシンジャーが説くように、新ウエストファリア体制の構築しかないとすると、これからの世界情勢は、益々、混沌としてくる。
花が咲き、枯れてまた咲くように、世の中は変わらないと思っているのだが、美しい花を愛でながら、少しずつ、不安になって行くのも事実。
地球上の貧困が消えて豊かになればなるほど、宇宙船地球号の負荷が重くなって、サステイナブルでなくなって行く、この矛盾をどう解決して行くのか。
その反動のように、どんどん、国際情勢が悪化し続けるのを心配する。
少しでも、人類の愚行が英知を凌駕すると、美しい花も一瞬にして命を絶つ。
そんなことを考えつつ過ごした一年でもあった。