熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ナショナル ジオグラフィック~70億人の地球

2010年12月31日 | 政治・経済・社会
   ナショナル ジオグラフィックの最新号が、2011年の後半に人口が70億人に達し、恐らく、2045年には90億人に達するだろうとして、増え続ける人類はどんな未来を描けるのであろうか?と問いかけている。
   私の子供の頃には、人口30億人と言っていたのだから、既に2倍以上だが、今生きている高齢者の中には、一生の間に世界の人口が3倍に増えたのを経験していると言うのだから大変なことである。
   自分の住んでいる町が発展して人口が3倍になったと言うのと、限られた面積の宇宙船地球号に乗っている乗客が3倍になったと言うのとでは、話が全く違うからである。

   人口統計学では、何処の国の人口の変化も、生活水準が向上するにつれて、多産多死から、多産少死、少産少死へと「人口転換」して行き、人口が増えも減りもしない水準「人口置換水準」に達すると言う。
   先進国の殆どは、この人口置換水準に、達するのに数世代もかかったが、新興国や発展登場国で速く少子化が進んでおり、一人っ子政策の中国は別にしても、アフリカ諸国でも出生率が低下しており、2030年までに、世界全体で人口の増加率が人口置換水準まで下がると言うのである。
   しかし、爆発的な人口増加の時代は、2050年までには終わるとみられているけれども、ピーク時の人口は、80~105億人の範囲に収まるものの、恐らく90億人は超えるであろうと考えられている。

   マルサスの人口論を筆頭にこれまで、何度も、人口増加の危機について論じられて来たけれども、幸いすべて科学技術の発展によってクリアーして来たのだが、現在のペースで経済が成長し生活水準が向上して行けば、資源の消費量は過去最大規模に達することとなり、現実的にも資源の枯渇や環境破壊など、一部には地球環境エコシステムが危機的なチッピングポイントを越えてしまっているなど、現在の先進国並みの消費スタイルを、今後、世界の国々が続けて行くのは難しいだろうと言う。

   この論文での著者ロバート・クンジグの指摘する問題点は、2点で、
   (1)スラムの住人に助けが必要なのは確かだが、解決すべきは人口過密ではなく貧困の問題だ。
   (2)大量の中流層の誕生を阻止するのは最早不可能だが、消費スタイルを変えるのは今からでも遅くない。 と言うことである。
   
   この第一点については、これまでにも論じて来たし、別な観点からの議論が適当なので今回は避けるが、第二点のビジョンの転換による人口問題の解決には、クンジグは極めて楽観的なのである。
   ルブラの「子供を沢山生むなと言うより、肉の消費量を減らす方が理にかなっている」とか、マルサスの「必要こそ希望をもたらす」という言を引用して、「自分や家族を養うために、何とかしなければならないと気付いた時に、往々にして眠っていた能力が目覚める。未曽有の事態に直面した時にこそ、その困難さを克服する知性が形作られる。」と説いて、未曽有の事態を前にして、その独創の才が発揮されることを祈ろう、と結んでいる。

   このあたりの人類の未来については、小宮山宏先生や、エリーカの清水先生など科学者の話を聞いても、科学技術の進歩を確信しているのか、非常に明るい展望を述べられるのだが、クルンジの説くごとく、人口のピークが90億人で止まるのなら、まだしも、私には、どうしても懐疑的な暗い予測しかつかないのである。

   この論文で興味深かったのは、世界中の人口統計学者が集まった米国人口学会の年次総会で、地球規模の人口爆発はもはや議題に上らず、今世紀の後半で人口爆発の時代は終わりを迎え、人口が横ばいか減る時代に突入すると言うのが統一見解だったと言うことである。
   世界中の人々がニューヨーク市と同じ人口密度で暮らせば、人間が住む領域はテキサス州と同じ面積で良いとか、人口が2045年位90億人になっても、南極を除く6大陸の人口密度は、今のフランスの半分強になるに過ぎないと言うのである。
   このあたりの議論については、私自身、人口密度が世界一だと言われていたオランダに住んでみて、広々とした空間が広がりひと気の少ない豊かなこの国が、何故、人ごみの多い日本より、人口密度が高いのかと、統計のトリックと言うか表現の幻覚を経験しているので分からない訳ではないが、人口問題の深刻さを超越した現世離れをしているような議論で、興味を感じたのである。

   しかし、もし、そのような議論が成り立つのなら、人口問題の本質は、先に端折った最貧国やスラムに住む人々の貧困問題や、世界全体に蔓延する格差や富の偏在など、政治経済社会にあるということなのであろうか。
   今年も随分いろいろな問題があって多難な一年であったが、こんなことを考えながら年を越すのも悪くないと思っている。
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わが庭の歳時記~春の息吹を感じ始める

2010年12月29日 | わが庭の歳時記
   年末なので、何日かかけて庭の手入れを行った。
   主な仕事は、残っていた剪定と雑草や落ち葉の処理なのだが、一から始めてみると、かなり厄介な仕事である。
   私の場合には、枯葉や枯れ草など、出来るだけ自然に返す形で埋め戻しているのだが、その上にトマト栽培で使ったプランターの用土を重ねて撒いたりしているので、土の補給にはなっているようである。

   雑草を抜き、積もっていた落ち葉をかき集めると、その下の地面のあっちこっちから、種が萌芽した若い苗木や、球根から出た芽が顔を覗かせている。
   水仙やクロッカス、ムスカリ、それに、チューリップやヒヤシンスまでも芽をだしている。今年の分は、やっと植え終わったところなのだが、前から残っている球根や宿根草の芽吹きは早い。
   花木では、私が直播きした椿のほかに、小鳥たちが落とした種から、万両、アオキ、隠れ蓑、ヤツデなどの花木も小さな芽を出している。
   枇杷の木の下に、びっしりと立錐の余地もないほど、これらの花木の苗木がひしめいているのだが、小鳥たちも枇杷の実を食べるのに時間がかかったのかもしれない。こんなに密集すると、どう処理すれば良いのか迷ってしまう。

   牡丹の芽が、鮮やかに赤く色づき始めて、芍薬のピンク色の芽ものぞき始めた。
   黄色の牡丹ハイヌーンは二株とも、いつも生育が悪く、まだ、はっきりとした動きがない。

   鉢植えのイングリッシュ・ローズのファルスタッフが、2メートル以上もある立派な新枝を2本伸ばしたので、庭の垣根に這わせることにして庭に植え替えた。
   他のイングリッシュ・ローズとフレンチ・ローズは、背丈が半分程度の剪定で良いと言うことのようなので、剪定後、鉢植えのままにして、この春の成長と咲き具合を見てから、どうするか考えることにした。
   少し、早いとは思ったが、ついでに、庭植えのバラの剪定を行ったので、庭がすっきりとした。

   今年春に買って庭植えにしていたクリスマス・ローズが大分成長して、何本か花芽を伸ばし始めた。
   私の庭では新顔なのだが、木陰で龍のひげの傍で、大きな葉を広げている。
   
   椿は、西王母と加茂本阿弥が、咲いているが、急に寒くなったので、霜にやられて色が変わってしまって可哀そうである。
   侘助や寒椿の花弁は、それ程、被害はないのだが、厚手の大きな花弁は、ひ弱いのかも知れない。

   最近、庭仕事をしていて、焚火が出来ないのが残念である。
   剪定した葉や枝は、細かくすれば、燃えるごみで、収集処分してくれるので助かるが、やはり、昔のように、竹箒で枯葉を集めて焚火をするのも風情があって懐かしい。
   木枯らしが吹き荒れる寒い冬は、まだ、これからだが、私の庭の植物たちは、もう、春の準備をしている。
   先日、掘り起こした土の中で眠っていたセミの幼虫やカエルたちも、もとの土に埋め戻したのだが、暖かくなると顔を覗かせるのであろう。

   冬の厳しいヨーロッパでは、春の訪れを数えながら歳時記が書かれると言うことのようだが、幸い、関東の冬は、比較的晴天が多くて、陽の殆どささない暗いヨーロッパの冬とは違って、何となく明るくて楽しみがあるのが良い
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BLIZZARD OF 2010~大荒れ気候異変の欧米

2010年12月28日 | 地球温暖化・環境問題
   昨夜のABCニュースのトップは、「BLIZZARD OF 2010」と言うタイトルで、アメリカの東部大都市を襲い、雷を伴った強烈な雪吹雪がニューヨークなどの機能を麻痺させ、地下鉄のドアが凍り付いて開かず8時間もカンヅメ状態だったと報道していた。
   雨が殆ど降らない筈のカリフォルニアに大洪水をもたらした気候異変の延長のようだが、このアメリカ東部の異常寒波は、昨年に続いた自然の人類への強烈な挑戦と言うべきで、同じく、ヨーロッパでも大雪で空港が閉鎖されるなど交通マヒが極致に達していると言う。
   
   ずっと前のことになるが、私は、アメリカに2年、ヨーロッパに8年住んでいたけれど、特に異常と言うほどの経験をしたことがないので、この欧米の冬の厳寒、夏の猛暑の異常ぶりは、想像外である。
   一度だけ、ヨーロッパで大きなGALEを経験した。これは、キューガーデンの何百年も経た巨木が、何本もなぎ倒された程で大変な突風ではあったが、日本の大型台風と言った程度で、当日、アムステルダムからヒースロー経由で、日本への出張の途次に、JALへの乗継には遅れたが、後のBAで帰れたので大したことはなかった。
   それに、アムステルダムで、大雪と寒波を経験したが、一度だけで、リア王の世界のような陽のないヨーロッパの冬にはなじめなかったが、寒さ暑さは、むしろ、東京よりも快適で、自然が美しかったと記憶している。

   ここ異常気候現象は、これまで、何度も科学者たちが、地球温暖化によるものと予言を続けていたことで、驚くに値しないのかも知れないが、愈々、宇宙船地球号も、自分自身で、地球のエコシステムを制御できなくなったと言うことであろうか。
   この地球温暖化問題の危機的な状況にはついては、何度も触れて来たので、ここでは、多言を避けるが、問題は、世界の人々が、この異常気候現象を、病んだ地球の命の叫びであることを理解していないと言うことである。

   ハリケーン・カタリーナで、アメリカ人は、大変な自然の脅威と言うかしっぺ返し・挑戦を受けたにも拘わらず、何の教訓も学んでいないと言うことが、折角、オバマ大統領が宣言したグリーン・ニューディールへの戦いを、経済不況克服を理由に後戻りさせ、ないがしろにしようとする風潮からも良く分かる。
   結局、石油がぶ飲みのアメリカは、カタリーナ級の自然の挑戦が、何度も何度も直撃して、その脅威の凄まじさを経験して身に沁みない限り、目覚めないであろうと言うことであろう。

   もう一つの地球温暖化対策に消極的な公害大国中国だが、多くの中国人がラッシュして訪日するのは、殆ど買い物の様で、偽物や公害に汚染された中国製品を嫌って、間違いなく、本物の価値ある品物・商品を、日本で買えるからだと言うことである。
   私が学生の頃には、阪急電車で神崎川を越える時には悪臭が鼻を突き、尼崎の街に出ると、煤煙で洗濯物が真っ黒になっていたのだが、とにかく、明日を目指して突っ走っていた国民の殆ど誰も公害など意に介していなかった。
   外部不経済が、将来、如何に、社会的コストを増大させて、国民に過酷な負担を強いるかと言うことさえも、一部の経済学者だけの関心事で、公害はタダだと言う認識で垂れ流し状態であった。その典型は、水俣であろうか。
   ところで、私は、上海の凄まじい雑踏しか知らないが、例えば、黄河が断流し、国土の殆どの川水は汚染されていて飲料に適さなくなってしまっていると言うのだから、今の中国の公害ぶりは、当時の日本の比ではないのだろうと思う。
   自縄自縛、この国の民も、生活に一所懸命で、自分自身が窮地に立たなければ、エコシステムを破壊しながら、自分たちの生活圏をどんどん蚕食していることに気付かないのであろうと思う。

   私は、ガーデニングで、草花や花木を育てているが、残念ながら不注意や怠慢で、枯らせたり痛めてしまったりすることがあり、いつも、痛く反省している。
   植物は、犬や猫のように鳴き声を出して訴えないし、子供のように泣き叫ぶことが出来ないので、何も言えずにじっと耐えて自然環境に馴染もうと、必死になって生きている。
   世話をする人間が馬鹿だと、生物は生きて行けないのである。
   私は、地球も、この植物と一緒で、何も言わないので分からないのだが、最近の異常気象は尋常ではなく、声なき声を振り絞った地球の命の叫びのような気がしている。

    隣国が非常事態の戦時体制を敷いているにも拘わらず、太平天国を決め込んで、国家の命運を背負って立つ筈の政治家が、詰まらない政争に明け暮れている能天気な国の姿が、どこか、この悲劇に重なるのだが、結局、煮えガエル状態になって、悪化の一途を辿って行くのかも知れないと言う気がしている。

(追記)口絵写真は、NYTより借用。
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国立劇場十二月歌舞伎・・・「仮名手本忠臣蔵」

2010年12月26日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   やはり、年末の舞台は、忠臣蔵である。
   昨夜も民放で、田村正和主演で「忠臣蔵.その男、大石内蔵助」が演じられていたので楽しませて貰ったが、オペラのカルメンと同じで、これさえ演じておれば客が入ると言うスタンダード・ナンバーなのだが、何故か、最近は歌舞伎人気が下火なのか、国立劇場の「仮名手本忠臣蔵」にも空席が目立った。
   幸四郎、染五郎の高麗屋父子、福助たちの素晴らしい熱演の舞台であったのに、一寸、残念な気がした。

   今回は、三段目の「足利館松の間刃傷の場」から四段目「塩谷判官切腹の場と表門城明渡しの場」、それに、お軽・勘平の「道行旅路の花婿」七段目の「祇園一力茶屋の場」、終幕の十一段目の「討入から引揚げ」と言ったダイジェスト版であったが、それなりに楽しめた。
   私の好きな九段目の「山科閑居」がなかったり、七段目の茶屋場の前半部分を大きく割愛するなど、多少、不満はあったのだが、今回の舞台では、初役だと言う幸四郎の高武蔵守師直と染五郎の塩谷判官高定に大いに期待して出かけたので、二人の素晴らしい芝居を楽しめて満足であった。
   
   この師直と言う極めてユニークな悪役が、忠臣蔵の悲喜劇のすべての発端なのだが、その塩谷判官苛めの動機が、真実はともかく、映画(私が見たのは片岡千恵蔵の忠臣蔵)や先のTVでは、賂・賄賂としての浅野家の進物が貧弱であり過ぎたことで、この歌舞伎や文楽の世界では、進物の品定めに加えて、浅野内匠頭すなわち塩谷判官の妻顔世に懸想して振られた腹いせと言うことになっている。
   全くお粗末極まりない話なのだが、これが、太平天国で惰眠を貪っていた世に一石を投じて、江戸市民を熱狂させたと言うのだから面白い。
   今でも国会喚問とかで騒がれている政治家がいるのだが、江戸時代には、この賄賂・賂の風潮は常態と言うか非常に激しかったようで、武士は食わねど高楊枝などと言うのは、清廉潔白な下級武士の世界だけであったようである。

   さて、師直が塩谷判官をいたぶるシーンは、昨夜のTVでも映画でも、供応接待の作法教授への遺恨による松の廊下での刃傷直前である。
   歌舞伎や文楽では、松の間で、判官が遅参したので機嫌を損ねた上に、求愛の歌を渡して色好い返事が返ってきたと思っていそいそと読んでみたら、横恋慕の相手の当の夫の前で、「恋はかなわぬ」と言う「古今和歌集」の歌の返歌を読まされたのであるから、辱められたと激昂した師直は、悪態の限りを尽くして、判官を罵倒する。
   最初は、嫌がらせにじっと耐えていた判官も、「鮒侍」と罵られ、罵詈雑言と嫌がらせに、遂に堪忍袋の緒が切れて、御法度の禁を犯して切りつける。

   この松の間刃傷の場は、殆ど、師直と判官との熾烈を極めた心理劇なので、この二人の対決が総てなのだが、私は、年齢的にも芸歴の軌跡から言っても、この幸四郎と染五郎のキャストは、今まで見た中でもベストだと思っている。
   仁木弾正と言った舞台は別にして、格式は高い高貴な身ではあるもののこのような品性下劣な悪役には、比較的縁の遠かった幸四郎の師直だが、セリフ回しと言い、判官を追いつめて怒り心頭に煽り込む話術とアクションの確かさは抜群で、実に素晴らしい師直で感心して見ていた。
   しかし、胸がむかむかするほど頭に来て、次から見るのも嫌になるのが師直像だが、芸に感動しながらも、何故か、不思議にも嫌味のない実に後味の良い師直を見た思いであった。
   リアリズムに徹するのも良いのであろうが、歌舞伎では、乞食でも錦の衣装を着て見せる芝居であり、虚実皮膜と言うか、このように、芝居そのものの精神やストーリーを損なわずに、美しく感動的に見せる芸の世界を見せて貰った思いであった。

   染五郎の判官は、正に、水も舌たる純粋無垢と言うか匂い立つような素晴らしいお殿様で、これが、悪辣で業突く張りの師直に、徹頭徹尾苛め抜かれて、耐えに耐えて忍従の限りを尽くしながらも、遂に耐え切れずに刃傷に及ぶと言う悲劇を、心の起伏を、動作を抑えに抑えて、顔の表情に凝縮させて演じており、正に等身大の熱演であった。
   後の切腹の場も、実に凛々しく、同じく初役だ言う勘平のお軽との道行も実に優雅であったが、近い将来、五段目の山崎街道や六段目の与一兵衛住家の勘平の素晴らしい舞台を期待したい。
   
   茶屋場での幸四郎だが、何度も見慣れている舞台なので、多少、見る方の私にはマンネリ気分だが、今回は、この舞台は、冒頭の敵を欺くための祇園での遊蕩シーンなど伏線部分を全部端折って、九太夫と伴内との会話、顔世御前からの手紙を読み始めるシーンから始めていたので、どっちつかずの芝居になってしまって一寸感興がそがれてしまった。
   しかし、この茶屋場でもう一つ重要なのは、後半の寺沢平右衛門(染五郎)と妹お軽(福助)兄弟の物語であろう。
   夫勘平を一途に思いながら、夫の仇討参加の資金工面のために苦界に身を沈めたお軽が、必死になって勘平の消息を聞き出そうとするが、割腹して果てたとは言うに言えない兄平右衛門の苦しい心情と頓珍漢な会話が一服の清涼剤で、二人にとっても既に立派に持ち役になった役柄であるから、呼吸の合った泣き笑いの兄弟愛がよく滲み出していて面白い。
   玉三郎の優雅さや妖艶さ(?)とは、或いは、芝雀の初々しい可憐さとは、一寸変わった福助のお軽ではあるが、夫を思い兄に殉じようとする一途な心情がよく出ていて、何のてらいもないオーソドックスな正攻法の演技が胸を打つ。
   判官切腹後の沈んだ渋い顔世を演じていたが、落差の激しい二役を無難にこなしていた。

   ところで、この赤穂藩士の討入だが、大石始めとした重臣は別として、殆どが下級武士で、足軽である寺坂平右衛門などはその典型だが、昔から「金持ち喧嘩せず」の喩があるごとく、人間少し豊かになると、失うものが多くなるので、不甲斐なくなる。
   丁度、今の日本の状態が正にそれであろうが、悲しいかな、革新の気風がどんどん削がれて行く。
   坂の上の雲を見失った悲劇なのかも知れない。
   
   また、赤穂取り潰しは、吉良上野介は引き金を引いただけで、大石たちが率先して進めていた塩ビジネスの巨大な利権を、面白く思わなかった柳沢吉保など幕府の政策意図が濃厚に反映した事件とも言われており、権力を握っていた役人・侍の腐敗が、赤穂事件として現れ出たのが、非常に興味深い。
   
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ブログ雑感~衰退と言うけれど

2010年12月24日 | 生活随想・趣味
   「ブログの時代は終わったか」米調査、と言う記事を見つけた。(WIRED VISION medea)
   原文をあたったら、wired.comの”「Blogging ‘Peaks,’ But Reports of Its Death Are Exaggerated」ブログはピークを打ったのか、しかし、その死のレポートは誇張だ”、と言う記事である。
   Pew Internet & American Life Projectのレポートを踏まえての記事だが、2006年と比べると若年者のブローガ―は半減しているようだが、「ブログとして知られる活動は頭打ちになったように見える一方で、インターネット・ユーザーはFacebookやTwitterなどのソーシャル・サイトで、「ブログ的な活動」を行なっている。従って、ブログ現象が開始した「情報共有」自体が減少したというわけではない。単に、若い世代が「長い文章」を嫌うようになっただけかもしれない。」と言う。
   「最近では、従来からあるブログシステムよりずっと簡単な方法が普及している。例えば、大きな人気を集めている『Tumblr』という「ブログ」システムでは、投稿は簡潔なものがほとんどで、画像だけのこともある。また『Twitter』では140文字に限定されており、簡潔に書き、リンクを活用する必要がある。Facebookでも簡単に、写真やウェブ上で見つけた面白いことや自分のいまの気分について、大量にシェアすることができる。」と言うことであり、Twitterなどのユーザーは、5億人を超えている。

   今、手元に、スコット・ローゼンバーグの「ブログ誕生」と言う460ページもある大著があり、本当はこれを読んでから論じるべきなのであろうが、時間がかかるの、今回は、私自身のブログに対する雑感だけの記述に止め、読んでから、再度、書評で掘り下げてみたいと思っている。
   この本の冒頭は、2001年の9.11事件での世界貿易センタービルの崩壊でのブログの果たした大きな役割から説き起こしており、ネットバブルで壊滅的な打撃を受けていたICT産業の起死回生と言うか、このあたりから、ブログが重要なメディアとして認知されて急速に発展して、2000代の半ばにピークを迎えて、今日に至っているのであろう。
   私がブログを始めたのは、7チャンネルのWBSで紹介されていたので興味を持って始めたので、2005年の3月のことである。あのころから、数年、ブロガーの数が急速に増えたような気がするが、確かに、最近は、殆ど変っていないのかも知れない。
   私の場合には、フォーマットを一度変えただけで、殆ど、最初と同じスタイルで、5年以上も書き続けているが、唯我独尊と言うか、人様はどうだと言うのではなく、総て我流で、備忘録のような形で、気の向くままに書いていると言うことである。
   ブログは、コストがゼロに近いネット版の「活版印刷」を一般の人々にもたらして、普通の人が自分自身でメディアを作れるようにするというビジョンであるので、私の場合には、これに便乗して、趣味と実益を兼ねて書くことを楽しんでいると言うことであろうと思っている。
   したがって、ブログが衰退しようと廃れようと、一向に構わないとと言うことである。

   ブログについては、もっと短く書けとか、結論を先に書けとか、いろいろ注文を受けているが、読んで頂ければ大変ありがたいと思っているし、嬉しいのだが、元々、備忘録と言う意味合いでもあり、感動したことや貴重な経験、それに、勉強したことどもを資料として残して置きたいと思って書いているので、自分自身の思考通りに、気の向くままに書き続けたて行きたいと思っている。
   有難くも、今のところ、大体、毎日、ほぼ500人以上の訪問者の方々をお迎えし、そして、1000から1500の閲覧を頂いているので、まずまずの出来かも知れないと、安どしている。
   これだけの読者の方々のお手を煩わせているので、googleなどからの検索項目によっては、かなり、上位に記事が掲載されており、また、とにかく、長い間、色々なトピックスについて書き続けて来ているので、何年も前の記事を読んで頂いている場合もかなり多い。
   実名で書いているし、広告も受け付けていないし、とにかく、自分自身の至らなさはあるけれど、のりを越えないように正直なところを書き綴ることを旨としているつもりである。

   コメントや、トラックバックを時々頂くのだが、あまりにも思想的に極端なもの、私の真意をご理解頂けていないもの、独善的で中傷的なもの、私の考え方とかなり隔たりのあるもの、身元不明のかたのもの、公序良俗に反するもの、等々、申し訳なくも割愛させて頂いているものもかなりある。
   尤も、この場合にも、削除せずに、保留状態で管理させて頂いている。
   また、コメント頂いた場合には、何らかの形でお応えするのが礼儀だとは思っているが、どうお応えしたら良いのか困ることが多く、短文では難しいので、勝手ながら失礼させて頂いている。
   
   結局、私自身のために書いているのだが、例えば、項目毎に検索して引き出して纏めて、多少修正などを加えてアジャストすれば、結構、立派な講演資料になるので役にも立つ。
   いずれにしろ、本は出版出来ないけれど、書いたつもりで、綴り方を楽しんでいると言うことである。
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アマゾンの「Best Books of 2010」

2010年12月22日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   アマゾンのメールマガジンで、2010年のショッピングのBest of 2010が送信されて来たので、興味を持ってチェックした。
   年間なので、従来の書店などの発表しているベストセラー情報と多少毛色が違うのだが、書籍全体としてのベストセラーにも拘らず、ベストテンでは、小説は、村上春樹の「1Q84 BOOk 3」(第3位)だけで、ドラッカー関連が2冊、それも、「もしドラ」がトップで、ドラッカーの「マネジメント」が第4位、それに、米国大学の有名講義関連本が、NHKで放映もされたマイケル・サンデルの「これからの「正義」の話をしよう」が第5位、ティナ・シーリングの「20歳のときに知っておきたかったこと」が第6位と、かなり高度な本が躍り出ていて、その水準の高さに驚いている。
   第2位は、宋美玄の「女医が教える本当に気持ちのいいセックス」で、わが若かりし頃のヴァンデヴェルデの「完全なる結婚」に匹敵するのであろうか、それに、第7位以降は、健康、ダイエット、美容関連本が並んでいるのだが、私には、さしずめ縁のない本ではあるけれど、売れる理由は良く分かる。

   この中で、飛ばし読みだが、私が読んだのは、「もしドラ」一冊だけで、まあ、ドラッカーの「マネジメント」は、何度か以前に読んでいるので、読んだとしても、まだ、サンデルもシーリングも読んでいない。
   サンデルは、まず、NHKで放映された講義を聞き始めたところで、その後に、サンデルが最も信頼を寄せると言う小林正弥教授の「サンデルの政治学」を読もうと思って、手元に置いている。サンデルの著書への挑戦は、その後である。
   
   スタンフォードのティナ・シーリングの本は、イノベーションを勉強している私にとっては、既に読んでいて当然の本ではあるが、残念ながら、まだ、手元にさえない。
   アマゾンのページを開くと、正に才色兼備とも言うべきチャーミングでダイナミックなシーリング教授の講義映像を見ることが出来るのだが、実にユニークで、冒頭から意表を突いた独創的な企業家精神を喚起する素晴らしい講義を披露していて魅了される。
   驚くべきは、スタンフォードの医学部で、精神科学の博士号を取っており、工学部のアントレプレナー・センターのテクノロジー・ベンチャー・プログラムのエクゼクティブ・ディレクターで、理系の経営工学の立場から、企業家精神、ベンチャー、イノベーションを論じているので、経営学と言う枠に嵌らない視点での講義に非常に興味があるので、すぐにでも読まねばならないと思っている。

   第11位は、クリス・アンダーソンの「FREE」、第12位は、ステイーブ・ジョブズの脅威のプレゼンで、これらも、非常にイノベィティブな人の著作であり、大いに啓発される。
   このベストセラーの傾向を見ていて感じたのは、やはり、アマゾンの顧客は、ICT革命の洗礼を受けたネット世代の若くて知的水準の高い読者が多いので、このような、アメリカ発の時代の先端を行ったクリエイティブ、かつ、革新的な知的好奇心を満足させてくれるような本に引かれるのではないかと感じている。

   逆に言えば、日本の大学に象徴されるのであろうが、とにかく、講義や学問環境などが面白くなくて、知的好奇心を亢進させてくれるようなクリエイティブ時代に相応しいシチュエーションにはないと言うことなど、日本社会の閉塞感と言うか、知的環境のデッドロック状態を反映しているのではないであろうか。

   ドラッカー人気だが、やはり、日本には、ドラッカー・ファンが多いので、書店には、ドラッカー・コーナーがあって、ドラッカーの著作で溢れている。
   私の書棚にも、ビジネス・スクール時代にアメリカで買った「MANAGEMENT TASKS.RESPONSIBILITIES.PRTACTICES」以降のドラッカーの本が沢山並んでいるのだが、最近、39冊の全著作をを展望してリック・ワイツマンが編集した「ドラッカーの講義(1943-1989)」が出たので、読み始めたのだが、半世紀以上を経た今でも、色褪せていないのだから、ドラッカーは、正に怪物である。
   余談だが、こんなに偉大なドラッカーや、私の敬愛するガルブレイスを顕彰しないノーベル賞は、どこか、おかしいのではないかと思っている。
   
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国立劇場:十二月文楽・・・本朝廿四孝:三段目

2010年12月21日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   文楽でも歌舞伎でも、「本朝廿四孝」と言えば、私は、謙信のの娘・八重垣姫と信玄の息子・勝頼の話しか殆ど知らなかったし、それしか見ていないのだが、今回の文楽「本朝廿四孝」は、三段目と言うことで全く違った話であり、上杉(文楽では長尾)方と武田方との間の物語だが、主題は、上杉と武田の間での山本勘助の争奪戦である。
   それに、国立劇場のプログラムを読んでも、実際に文楽を見ても、史実を全く脚色した筋書きである上に、すっきりと筋書きが良く分からない話で、私には、玉女、勘十郎、和生、清十郎の人形捌きと、大夫の語りや三味線の音だけが、強く印象に残った舞台と言う感じであった。

   我々が良く知っている山本勘助は既に亡くなっていて、その妻、すなわち、次代の勘助の母(和生)がその後を継承していて、二人の息子、兄・横蔵後に勘助(玉女)、弟・慈悲蔵後に直江山城之助(勘十郎)の争奪戦が長尾と武田の間で展開されるのだが、既に、兄は、信玄の家臣であり、弟は、上杉の家臣であることが、終幕で明かされるのだが、しからば、芝居にしても、それまでの2時間以上に亘って演じられていたドタバタ劇は一体何だったのかと言うことである。
   問題は、話の筋を、中国の「二十四孝」の趣向を取り入れて、上杉と武田の物語を、「本朝廿四孝」として組み立てたことによるのかも知れないが、考えてみれば、浄瑠璃作家も、良くこれだけ頭が回るものだと感心する。

   冒頭の桔梗原の段は、慈悲蔵が、自分の息子・峰松を甲斐と越後の国境に捨て子するのだが、山本勘助と書いた名札がついているので、武田と長尾の重臣が取り合うシーンで始まる。
   後に、この捨て子は、横蔵がどこかで生ませた子供・次郎吉を、横車を押して慈悲蔵夫婦に育てさせていて、生活苦(?)で仕方なく一方を捨てたのだが、後に、この次郎吉が、足利家の幼君だと明かされる。峰松は、結局、連れ帰られるが、元々、慈悲蔵が、長尾の命を受けて、兄横蔵の命をもらうために、わが子峰松の命を差し出すことになっていたので殺される。
   この峰松が、武田方の重臣の奥方が乳を飲まないので親元に連れ返すのだが、慈悲蔵が許さないので厳寒の門口に縛り付けられて、寒さとひもじさに泣き叫ぶので、二人の子供の泣き声の板挟みに翻弄されながら、わが子峰松を思って狂ったように右往左往して、戸口をけ破って必死の思いで抱きかかえたわが子を飛んできた懐剣で殺されると言う母の断腸の悲痛を、清三郎は、実に感動的に演じていて、凄い迫力で感動的であった。

   子供のことで、道草を食ってしまったが、この芝居で、面白いのは、傍若無人の暴れ者でところ構わず女に孕ませると言う村の持て余し者の横蔵と、母のために寒中に魚を取って帰る孝心厚い慈悲蔵と、全く対照的な兄弟だが、何故か、母は、横蔵ばかり可愛がって、慈悲蔵に辛く当たり、慈悲蔵に、厳寒の中で、筍を掘って来いと命じる。
   結局、孟宗の故事に因んだこの筍掘りのシーンが、この文楽の山場で、兄弟が争いながら掘るうちに、箱が出て来て池に取り落とすと水煙が上がり、母が登場して、箱を見つけた慈悲蔵を褒める。箱には、六韜三略の巻物ではなく、横蔵が隠し埋めていた源氏の白旗が入っていたと言う設定である。
   横蔵を貰い受けたいと願い出ていた長尾方は、実は、横蔵が、長尾景勝に似ているので、身代わりに切腹させるつもりであり、その意を受けた母が、横蔵に白装束と九寸九分の腹切り刀を渡すと、隙を見て逃げ出そうとする。手裏剣が飛んできて逃げられなくなった横蔵は、その刀を右目に突っ込んで血を拭いながら、人相が変わったので、身代わりにはなれない、今日から、父の名字を継ぐと言って、足利家の後継・次郎吉と白旗の由来と信玄との主従関係を明かす。

   このあたりの、勇ましい横蔵の人形を、玉女は豪快に遣い、玉男、文吾亡き後、押しも押されもせぬ文楽界の立役を背負って立つ人形遣いの貫録と雄姿を、存分に披露して、正に、爽快である。

   今回は、実直かつ真面目一方で、母を思い兄を立てると言う優等生に回って、激しい動きのない大人しい慈悲蔵の人形を遣った勘十郎だが、やはり、人形の表情と表現の豊かさは格別で、しみじみとした情感と品のある直江山城之助像を醸し出していて素晴らしい。
   また、実質的には、山本勘助の代理とも言うべき、本舞台の主役である勘助の母を使った和生の、気品のある凛とした老女の存在価値抜群の舞台も忘れ難い。

   いずれにしろ、この筍掘りの三段目について、話のさわりを書いてみたが、例えば、横蔵だが、平気で慈悲蔵の妻に、俺の女になれとか、母にも悪口の限りを口走るし、切腹せよと言われれば逃げようとする体たらく、結局、足利家のお家騒動を捌いて信玄の重臣であったと言うことで、勘助を継がせたと言うことかも知れないのだが、慈悲蔵との関係を考えても、あれやこれや、いまだに、話の筋が良く分からない。
   大体、話など分からなくても、そのつもりで、芝居を観て楽しめればよいと言うことだろうが、何故か、今回は気になった。
   
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都響定期709~ニコライ・ルガンスキーのショパン「ピアノ協奏曲第1番」

2010年12月20日 | クラシック音楽・オペラ
   今夜、久しぶりに、クラシック音楽演奏会で感激した。
   若い頃や欧米で暮らしていた時には、殆どひっきりなしにコンサートやオペラに通っていたが、この頃はあまり行かなくなって、東京文化会館での都響の定期くらいになってしまったのだが、今夜は、珍しく、ロシアのピアニスト・ニコライ・ルガンスキーの素晴らしいショパンのピアノ協奏曲を聞いて感激して、久しぶりにヨーロッパの色々な風景や思い出が蘇って来て懐かしくなった。

   私は、好きなので、クラシック音楽のコンサートやオペラには、超一流と言われるものには、手当たり次第に通い詰めてはいたので、数だけはこなしているのだが、この方面の知識や素養は殆ど皆無で、感性だけで聴き込んでいて、良いとか悪いとか楽しいとか面白くないとか、その時々に感じて満足していると言った方が正確かも知れない。
   しかし、いずれにしろ、今夜は、ルガンスキーのリリシズムの極致とも言うべきロマンチックで情熱的で、どこか陰のある愁いに満ちた素晴らしく澄んだピアノの音色に、感に打たれてしまったのである。
   熱狂的な聴衆の拍手に応えて、何のてらいもなく弾き出したアンコール曲のショパンの幻想即興曲が、また、感動的でたまらないほど美しい。
   ロシアの偉大なピアニストの系譜を継承する次なるピアニストと呼ばれているようだが、私が何度かコンサートに出かけたのは、リヒテルとギレリスだけなので良く分からないが、やはり、ヨーロッパでも人気が高いようである。

   この日の演奏会は、都響のプリンシパル・ゲスト・コンダクターに就任した若きチェコの指揮者ヤコブ・フルシャの溌剌としたエネルギッシュな指揮で、他に、リストとマルティーヌなどの東欧の音楽であったが、非常に興味深いコンサートであった。

   ところで、ショパンのこのピアノ協奏曲は、昔、ルービンシュタインのレコードを良く聞いていたが、最初のコンサートは、確か、中村紘子さんのピアノでワルシャワ・フィルであった。もう、何十年も前のことである。
   その後、1番か2番か定かではないが、外国で何度か聴いた記憶がある。
   と言うのは、ショパンの曲を聴くと、何故か、走馬灯のように、私自身があっちこっち歩き回ったヨーロッパの風景や思い出が湧き出て来るので、その記憶があるからである。丁度、小学唱歌を聞くと無性に昔が懐かしくなるように、ショパンのあの独特のメロディーが、転変の激しかったヨーロッパでの生活の思い出の数々を触発するのかも知れないと思っている。
   ウィーンやベルリンと言ったコンサートではなく、何となくいつも通っていた定期公演のような気がするので、フィラデルフィア菅、コンセルトヘボー菅、ロンドン響、或いは、フィルハーモニア菅かも知れないが、ヨーロッパでのどこかでのような気がする。
   何故か、ピアニストが誰だったのかも思い出せないが、特に、大ピアニストの演奏会を目がけて行ったのではないと思う。
   
   私は、ヨーロッパで生活していたので、音楽家の故郷や故地を結構歩いたのだが、残念ながら、ポーランドには、ついに行けなかった。
   ショパンの故地では、パリと、それに、ジョルジュ・サンドと一時暮らしていたマジョルカ島を訪れているが、マジョルカでは、記念館で、ショパンが使っていたピアノを見て、偉大な音楽家を偲んでいた。
   パリに移ってからは、サンドのような女傑と恋に落ちたようだが、ショパンの二つのピアノ協奏曲は、初恋の人コンスタンツィアを想いながら書いたポーランドとの告別の曲だと言うことで、余計に抒情的で情熱的で愁いに満ちているのであろうか。
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制約を利点に変えて成長する経営

2010年12月18日 | 経営・ビジネス
   ロバート・M・トマスコの「拡大主義への決別」は、非常に面白い企業成長論の本だが、その中で、「制約を利点に変えて行く」と言う項目があって、興味を感じたので、少し、考えてみたい。
   冒頭は、ウォルマートの創業者サム・ウォルトンの話で、自営の小さな店を拡大しようとした時、妻に出店するのなら小さな町だけにして欲しいと言われて、田舎町に限定した出店が、ケイマートやシアーズなど既存の大型小売業と競合することなく、安全な出店環境を気長に作って行き、目立たず潜伏しながら思うように拡大路線を突っ走って行けたと言うことである。

   次は、IKEAで、客自身が、あの倉庫のような商品置き場から自分で商品を運び出して持ち帰ると言うシステムは、長い間倉庫の人員不足が続き、店で長い間お客を待たせてしまう状況に陥ったので、店の責任者が、倉庫を改造してお客が自由に出入りできるようにしたことから始まって、時間のないお客を待たせないで買い物ができると言う評判をとり売り上げが増大したと言う。
   もう一つのIKEAの特徴は、梱包を平らにして持ち運び易いようにした組立式家具であるが、この方式も両方とも、お客を、アルビン・トフラーの言う生産消費者(PROSUMER)に変えてしまって成功したケースである。

   グーグルで生産消費者を検索すると私のブログが出て来るので、説明はここでは省略するが、要するに、本来生産者や店がやっていた仕事をお客が自分自身でやってしまったり、肩代わりしてやらせて付加価値をつけることで、例えば、写真の場合など、今では、デジカメで写した写真を、自分自身でプリントまで仕上げてしまうことが多いのだが、自分自身が生産者であると同時に消費者でもあると言うことである。

   もっと典型的なのは銀行のATMで、デジタル革命以前は、銀行での金銭出納などは、窓口で長い間待たされて、銀行員のお嬢さんの手を煩わさなければならなかったのだが、今は、極めて簡単で機械がすべてやってくれるし、場合によっては、ATMまで行かなくても、パソコンや携帯が銀行の支店代わりとなって送金など決済機能を代行してくれる。
   ところが、不思議なのは、以前は行員がやってタダであったのに、お客に出納などの仕事をやらせて置きながら、銀行は、代金をお客に払わずに、逆に、手数料を取っているのである。
   
   この銀行の手数料徴収と言う折角のイノベーションに胡坐をかいた姑息な手段が、インターネット銀行を勢い付かせて好業績を上げさせて、自分たちの市場を蚕食されている。
   例えば、ネット・バンクのセブン銀行は、その収入源はATMである。したがって、通常の銀行のように預金者から資金を集めて企業に貸し付けて利ざやを稼ぐと言うビジネスモデルは成り立たないし、貸し倒れなどが出るとマイナスなのでむしろやらない方が良い。
   また、口座保有者が少なければ少ない方が良く、他銀行の預金者が、セブン銀行のATMで頻繁にマネーを引き出してくれればくれるほど収入になる。それに、イトーヨーカドーに行けば、セブンのATMが最良の場所にあって、他の銀行が奥の角に追いやられているので、間違ってセブンのATMを使ってしまう客もいるほど、商売上手でもある。
   無人のデジタルが稼ぐのであるから、コストはどんどん縮小して行くので、正に濡れ手に泡(?)であろうか。

   他の銀行は、セブンは銀行ではないと言っているようだが、世紀のICTイノベーションをビジネス・モデルとして活用する知恵があっただけで、銀行業として許認可を受けたれっきとした銀行であって、黒字を計上しており、潰れかかった上に、長い間税金も払えなかったメガバンクよりはるかにましである。
   しかし、インターネット銀行を駆逐するのは、至って簡単で、生産消費者であるお客に感謝して、銀行自らが、ATMなどの手数料を一切無料にすれば良いのである。
   蛇足だが、IKEAは、お客を生産消費者にした分、商品のコストを下げてお客に報いたが、カスタマー・サティスファクションのカも分からない日本の銀行は、成果は取りっぱなし(ICTコストは、イニシャルは掛かるが、無限に低下する筈)で、一向に改善の余地はなく、このビジネス・モデルの差は大きい。

   もう一つ追加言及すれば、シュンペーターが、「ブレーキは、より速く走るためにある。」と言っていたにも拘らず、銀行はそれが分からずに、ブレーキである筈のデジタル技術のATMを、より速く走るためではなく、止まるためのブレーキとして金儲けのために課金手段として活用してしまったのである。
   
   話が横道にそれてしまったが、面白いのは、トマスコは、制約があってこそ創造性が生まれるとして、トヨタのハイブリッド車プリウスの例を挙げている。
   真偽のほどは定かではないのだが、ドイツのディーゼル車は燃料効率が良く、トヨタはディーゼル車の技術でははるかに遅れをとっており、従来のエンジンを載せた車では競争できないので、代替品としてハイブリッド車の製造に着手したのだと言う。
   いずれにしろ、制約があると、その状況の中で何か違った考え方をせざるを得なくなる。
   それが、イノベーションを生み出し、企業の成長へのブレイクスルーとなると言うことである。
   
(追記)このブログの右上欄外の検索で、「イケヤ」で、「このブログ内で」で検索頂くと、ウォルマートとイケヤ両社とも、ケチケチ創業者の物語を書いたブログが出てくるので、参考にして頂けると有難い。
口絵写真は、プリンセス・ミチコ。晩秋の花は色が深い。
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野中郁次郎/勝見明著「イノベーションの知恵」

2010年12月16日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   野中先生は、イノベーションは、現場での機能的なアプローチによるリーダーの実践知によって持たされるものであって、アメリカ流のビジネススクールで、経営をサイエンスと位置づけるMBAの教育をいくらやっても、イノベーションのコアになるリーダーは育成できない、と言う。
   実践知の多くは暗黙知であって、それを言葉で表現できる形式知として聞き出しても、言語化できないので、現在、日本各地の企業で生まれ出ている素晴らしいイノベーションの成功例の数々を、物語として展開しながら、野中先生のイノベーション論からの高度な解釈を交えて語られているのがこの本で、上質なドキュメンタリー・タッチの物語を読んでいるようで、正に感動的である。
   奇跡の旭山動物園、一挙に国立大入学者を6名から106名に引き上げた堀川高校、JR東日本のエキナカビジネス・エキュート、トヨタの超小型車」iQ、「死の湖」霞ヶ浦を蘇らせたアサザプロジェクト等から、葉っぱをお金に変えたおばあちゃん企業家の「つまものビジネス」、銀座をミツバチの天国にした養蜂プロジェクトまで、とにかく、「アホとちゃうか」と思われるような信じられないような発想から軌跡的な変革を達成してイノベーションを起こした物語が目白押しで、そして、これらの物語の中で、野中経営学の神髄とも言うべき高度かつ革新的なイノベーション論が、いっさい手を抜かずに語りつくされているのであるから、これほど、素晴らしい経営学書はないと言うことである。

   野中先生の講演を昨年聴講して、このブログでも書いたが、ドラッカーについて、
   ドラッカーのすごさは、徹底して形式知を追及し、その連結により個別具体の事例から普遍の本質を掴むことで、事例の追体験と分析によってイノベーションの原理と方法を体系化して明確に定義したが、しかし、観察者としての立場を崩さず、暗黙知を重視しておらず、具体的な方法論にとどまり理論化していないと言う弱みがあった。すなわち、イノベーションは目的意識と体系的な形式知の分析により可能となると言う考え方であり、個人の暗黙知、特に、身体知を重視していなかったとして、
   個別具体に普遍の本質を観るのであって、飽くなき形式知を追求したドラッカーの教養、飽くなき経験知を追及した本田宗一郎の現場を例証して、本質の追求こそが知識創造プロセスであり、知識を知恵化するイノベーションだと語っていた。
   その時、同時に、
   「動きながら考え抜く実践知のリーダー」像を紹介し、「ロダンの考える人と筋肉隆々たるボディビルダーを合わせたような、共通善に向かって「よりよい」を無限追求する知的体育会系(INTELLECTUAL MUSCLE)の知的野蛮人が必要である。傍観者では駄目で、エイヤーと決断が出来る知的野蛮人的な賢愚リーダーによる勇気と愛が大切だ」と説いていた。
   知識創造は、暗黙知と形式知の相互変換運動であり、その相互作用によるスパイラルアップこそがイノベーション経営の根幹であり、この経営手法を駆使した賢愚リーダーこそ、これからの社会に最も必要な経営者像だと言う。

   このあたりのドラッカーの限界論が、アメリカ経営学批判にも反映されているのであろうが、この本では、冒頭から、変革のイノベーションには、欧米流の「理論的三段論法」を否定して、①大前提:目的、②小前提:手段、③結論:行動とする「実践的三段論法」を提唱して、必要な「場づくり」「やり抜く力」を生み出し、演繹法でも帰納法でもない仮説設定法を身に着ける必要を説いている。
   続いて、
   「モノ的発想」から「コト的発想」への転換
   「考えて動く」ではなく「動きながら考え抜く」
   「名詞」ベースではなく「動詞」ベースで発想
   結びつかないもの同士の「見えない文脈」を見抜く眼力
   偶然を必然化する と言った野中イノベーション論のエッセンスを、勝見さんの素晴らしいケース・ドキュメント筆致で、奇跡の物語を語りながら展開している。
   
   もう少し具体的に言うと、真の変革を実現するリーダーが自ら身に着けるべき知の作法は、
   目的を明確にし、手段を考え、実践すること。
   独創的な目的や目標を描くには、モノ的発想をコト的発想へ転換して、傍観者ではなく、自ら文脈の中に入って動きながら考え抜くこと。
   組織では、名詞ベースの安定化ではなく、動詞ベースでIとWeを両立させ、創造性と効率性を発揮すること。
   「知の貯水池」の中で、結びつかないもの同士の「見えない文脈」を見抜き、ジグソーパズルのように結び付け、新しいコトづくり力をつけること。
   偶然を必然化するために、リーダーは、行動力、言語表現能力、強い目的意識を涵養すること。
   このリーダーシップを、メンバーや部下に伝承し、育成していくこと。 と言うことであるが、これまでのリーダー像とは全く違った新しいリーダー像である。
   したがって、人間を抽象化して理論を現実に合わせるようなアメリカ流の「コンピテンシーモデル」ではダメで、基本は、間身体性により相互主観性を作り上げることのできるリーダーとメンバーとの関係、身体性の共有とも言うべき徒弟制であり、集合実践知の醸成とその伝承・育成だと言うのである。

   この本を読んでいて興味深いのは、「経営は知識創造であり、新たな知の創発である」とする野中経営学のイノベーション論が、ものがたりとして語られていることだが、視点を変えれば、これまで、トム・ピーターズ他の「エクセレント・カンパニー」や、ジェームズ・C・コリンズ他の「ビジョナリー・カンパニー」など、随分多くの革新的でイノベイティブなエクセレント企業のものがたりをテーマにした経営学書は出版されて来たし、夫々、一世を風靡してきた。
   もう一度、古い映画をカラー映画化やデジタル化するように、これらの本を、野中流のイノベーション論のフィルターをかけて分析すればどうなるのか、私には、日本の企業だけが特に特殊であるとは思えないので、案外、似通った結論が出たり、或いは、もっと興味深いものがたりが表出するかもしれないと思っている。

   もう一つ思いついたのは、全く文脈は違うのだが、ダニエル・ピンクの「第四の波」論との絡みである。
   ダニエル・ピンクは、情報や知識が先進国経済を推進する社会、即ち、「左脳主導思考」のドラッカーの言うナレッジワーカーが経済社会の主要プレイヤーであるこの第三の波の「情報の時代」は、もう、次の新しい「コンセプトの時代」に移行しつつある、即ち、現在の先進国の経済社会は第四の波の渦中にあると言っている。
   コンセプトの時代とは、既成概念に捕われずに新しい視点から物事を捉えることの出来る、右脳主導思考を身につけたクリエーター(創造する人)や他人と共感できる人が中心となる時代である。当然今までと同様に左脳型の要素も重要だが、21世紀に入り、仕事上の成功や個人の生活上の満足感を得るためにも右脳主導思考が益々主導権を握ると言う。
   従って、左脳思考のMBAではなく、右脳思考のMFA(Master of Fine Arts)型人間の方が重要になると言うことである。

   この本で、野中先生も、経営はサイエンスである反面アートであり、人間は多様性の中で、最善の判断を行い、行動を起し、新しい知を生み出すが、同じことは二度と起こらないアートの世界で、アートの発想がイノベーションを生んでいると語っている。
   私としては、全くの未消化だが、実践知による暗黙知だけが、イノベーションのドライバーではなくて、人間の知の世界のインスピレーションのようなものが、重要なプレイヤーになることがあるのではないかと言う気がしている。
   
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わが庭の歳時記~侘助椿と寒椿が花盛り

2010年12月14日 | わが庭の歳時記
   私の庭も、ようやく、侘助椿が咲き始めて、少し華やかになってきた。
   咲いているのは、庭植えにしたピンクの相模侘助、赤い紅侘助、白い白侘助だけなのだが、小さな花が木を一面に覆い始めると、庭が、急に明るくなる。
   厳寒の最中に咲く椿は、花をしっかりと硬い緑の葉が覆っていて、花が隠れていることが多いのだが、これも自然の摂理で、大切な子孫のために花を守っているのであろう。
   切り花にして生ける時には、申し訳ないのだが、花を取り巻く葉の何枚かは、退場してもらうことにしている。

   背は低いが、地面に這うような玉作りの寒椿は、ピンクも白も八重で華やかに侘助の伴奏をしている。
   私の庭には、山茶花が一本もないので、この寒椿が唯一の山茶花風である。

   しかし、侘助は、何故か、花の命が短くて、すぐに、ポロリと花弁が落ちてしまうし、寒椿の方も、山茶花と同じで、ひらひらと花弁が散ってしまう。
   切り花にして生けてみても、落ち椿となるので、数日しか持たない。
   晩秋から初冬にかけて、寒さが増す頃の切り花は、バラにしても随分長持ちして楽しませてくれるのだが、侘助や寒椿は、花の命が短い。
   尤も、庭の落ち椿は、春の藪椿の華やかな落ち椿とは大分雰囲気が違うが、枯草の上に蝶のように舞う小さくて可憐な侘助椿の風情も、中々、捨てたものではないと思っている。

   大輪の椿で咲き始めたのは、西王母で、ピンクの花弁が優雅で風格がある。やや肉厚だが、何かの拍子に傷むと、そこが茶色くなって見苦しくなるのが難と言えば難である。
   その他の椿は、まだ、蕾が硬くて、開花は、年を越しそうである。
   以前には、初冬に咲く椿の花を写真に撮って、気の利いたものを年賀はがきに図案化して使っていたのだが、温暖化の影響もないのであろうか、やはり、春の花でもあり、彼岸が近づくと一斉に咲き乱れる。

   秋の紅葉も終わりだが、今年は、ブルーベリーの葉が沢山残っていて、西日を受けて逆光に輝くと真っ赤に萌えて美しい。
   私の庭のモミジの紅葉は、ワンテンポ遅いのだが、まだ、かなりのオレンジや赤褐色に色づいた葉が残っていて、ひらひら落ちている。

   思い切って、ばさばさと庭木の剪定をしたので、大分、私の庭もすっきりして、見通しが良くなったが、まだ、雑草などが残っていて、下草の整理など庭仕事が残っている。
   今年は、少し早く、と言っても、世間並には遅いのだが、庭やプランターに、チューリップや酔仙、ユリなどの春の草花の球根を植え込んだ。
   オランダやキューガーデンの庭を思い出しながら植えるのだが、昨春の花の球根などが残っていて、スコップで切ってしまったりするので、めくら滅法球根を押し込んでいると言ったところで、どこで花が咲くのか、春になってのお楽しみと言ったところである。

   ピラカンサの実をヒヨドリがつつき始めた。
   アメリカ・ハナミズキの実は、食べつくしてなくなっている。
   まだ、背の低い万両の実には嘴をつけていないので、綺麗に陽を浴びて光っている。
   ヤブランの実も、つげの黒い実も残っている。
   メジロ用の紫式部の実は殆どなくなったが、まだ、木の実は残っているので、この冬は、当分、小鳥たちも困らないであろう。
   時々、ジョウビタキや百舌鳥が訪れて来てくれている。
   蝶やトンボが消えた庭に冬鳥が来てくれる季節になったのである。
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中西輝政著「アメリカの不運、日本の不幸」

2010年12月13日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   いつも行く神保町の古書店で、この中西輝政教授の最近著「アメリカの不運、日本の不幸」と言う本を見つけて読み始めたが、教授の他の専門書然とした本とは違って、極めてくだけた語り口調タッチで書かれているので、非常に面白い。
   「民意と政権交代が国を滅ぼす」と言うサブタイトルがつき、オビには、「超大国USAはあと20年、経済大国JAPANは5年で衰滅する。統治不能・底抜けの危機迫る! 菅さん、オバマさん、なぜローマに学ばないのですか?」と書いてある。
   本文で、「菅政権も、おそらく1~2年で財政をぼろぼろにして、民主党は政権をおわれるだろう。」と述べており、京大教授と言う裃をかなぐり捨てての警告の書と言うべきで、賛否はともかくとして、非常に示唆に富む。

   ヒスパニックに蚕食されつつあるアメリカの現状を、ハンチントンを引用して、19世紀に膨張に膨張を重ねたアメリカが、今収縮期に入ったとして、この「非アングロサクソン化」によるアメリカの衰亡は、「ローマの衰退」と似た衰亡のパターンを辿っていると言う。
   つまり、大きな戦争で負けたのでもなく、どこかに征服されたのでもなく、或いは内乱が起きたのでもなく、じわじわと、種としての根源が入れ替わりつつある。
   200年間のパックス・ロマーナを謳歌していたローマ帝国が、弾圧していたキリスト教を国教にして、首都をコンスタンチノープルに移した時点で衰退がはじまり、財政が破たんして、下水道を備えた都市機能、図書館、文化施設、神殿、道路などが、どんどん壊れて行ったと言うのである。

   その衰退の課程が、いつの時代でも、どこの国でも、行き過ぎた社会保障制度にあり、ローマの最初の衰退へのプロセスも、帝政になった直後、社会保障が完備して行くプロセスと一致している。
   社会保障が行き過ぎて止まらなくなったのは、ローマ皇帝が選挙で選ばれるようになり、福祉が選挙に勝つための人気取りの道具になってしまって、政権と言う国家最高の権力を、政治の動向を、一般大衆が直接決めることになったことによると言う。
   この過程を辿って衰退を速めた例は、イギリスで、アメリカも、特に、オバマ政権になってから、今回もムーディーズが米国国債をネガティブに格付けを下げると公表するなど暗雲が漂い、このプロセスを辿りつつあるのだが、中西教授の指摘は、むしろ、日本の現状を浮き彫りにしていると言う方が当たっているであろう。

   政治家は、国民の人気取りばかりに汲々としていて、何が国益に叶い、本当に国民を幸せにするのかを考えない。
   イギリスがそうであったように、ポピュリズム(大衆迎合主義)が強くなって世の中は競って「弱者の天下」へと動き出し、政治の一大テーマとしての「社会福祉」が国を動かし始めたことが衰退の兆しで、福祉とは、頑張って働いても報われない人々を救うことが目的だった筈が、民主党の所得制限なしの子ども手当などは、その最たる衰退への兆しだと言うことであろうか。

   それに、中西教授は、同じ子ども手当でも、「小沢一郎的な金権政治、派閥政治、密室政治の三つを放逐することが自分の使命だ」と明言していた本人が、母親からもらった巨額の「子ども手当」を子分の面倒見に使った鳩山元首相の偽装献金事件や、厚顔にもすり寄って総理にして貰ったと感謝する小沢一郎の民主主義破壊とも言うべき悪行(?)の数々を「小沢的なるもの」の異常と言うタイトルを儲けて糾弾している。
   白鳥は、死の間際に素晴らしい「白鳥の一声」を発して天国へ旅立つと言うのだが、師の田中角栄や金丸御大のように、賞味期限切れの小沢一郎も晩節をけがしながら政界を去るのであろうか。
   
   社会の一体性が崩れている時は、演出が上手な保守が勝つ傾向が強く、大衆民主主義と言うポピュリズム化した社会が、あるたくらみを持った人間に絡み取らて行く。
   自党の未来を自分個人の野心のためにかけてはいけないのだが、大衆化を辿る政治家は、それを自分でやるようになり、それが、中曽根政治であり、小泉政治であり、先般の小沢=鳩山政治だと言う。
   政治家とマスコミ、これがいつの時代も民主主義にとって最も罪の深いウソをつくのだが、しかし、「政治」に何回騙されても教訓を身に着けようともせず、その尻馬に乗って馬鹿な判断ばかりしている「民意」が一番罪が深くて、自国の歴史に重大な責任を感じるべき「A級戦犯」は大衆国民だとも言うのである。
   ろくすっぽ勉強もせず深くも考えずに、マスコミに踊らされ、テレビを見て簡単に判断する日本の一般大衆が悪いと言うことであろうが、一番賢い筈の首都圏の有権者や大阪の民が青島ノック現象にうつつを抜かしていたのもそれ程昔の話ではないし、祖父や父が総理大臣だったと言うだけで性懲りもなく無責任にも途中で政権を投げ出す無能極まりない総理を何代にも亘って選択して来た国民の民意のお粗末さは、悲劇と言うにはあまりにも悲しすぎると言うことであろうか。

   民主主義国家になればなるほど、ポピュリズムが台頭して行き、福祉を避けて通れない歴史のジレンマ、無邪気な有権者の独裁国家となった日本の悲劇をどう解決して、再生のブレイクスルーを目指すのか、難しい岐路に立った日本だが、貧すれば鈍するで、益々、経済成長が止まって貧しくなって行く日本に燭光がさすのであろうか。
   大学を卒業しても就職できず、卒業後の進路が当てにできない京大生の話題が、働かなくても食べて行ける道・「生活保護の受け方」だと、中西教授は暗澹としている。

(口絵写真)枇杷の花
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十二月大歌舞伎・・・「摂州合邦辻」「達陀」

2010年12月11日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の松竹の歌舞伎は、日生劇場に移って上演されている。
   劇場が変わると雰囲気も違って来るのだが、今回は、摂州合邦辻が菊之助、達陀が松緑と言う若手俳優が主役で演じていて、非常に溌剌としたフレッシュな舞台で、賞味期限切れではない芝居を楽しませて貰った。
   50~60はハナタレと言う世界であろうが、やはり、芸の奥深さや質よりも、見せて魅せる舞台の魅力には抗し難いものがある。
   三之助と呼ばれていたそのうちの一人の海老蔵が、無期限謹慎中と言う中にあって、他の二人が、意欲的で素晴らしい舞台を見せているのも、皮肉と言えば皮肉である。

   
   まず、真っ先に、継子・俊徳丸(梅枝)を伴って花道から登場する菊之助の実に上品で美しい玉手御前の姿に圧倒されるのだが、それ程、菊之助の玉手御前は、これまでの玉手像を根本からイメージチェンジしてしまったのである。
   この妖艶でセクシーで美しい後妻が、あろうことか、継子の俊徳丸に惚れ込んで、激しくモーションをかけて迫りに迫り狂うのであるから、面白くない訳がない。
   ところが、この俊徳丸は、相思相愛の浅香姫(右近)と言う美しい許嫁が居て、迷惑千万、恥を知れと強く拒絶して逃げ回るのだが、益々、玉手は燃え上がって、病床にまで付きまとう。
   玉手は、20歳くらいと言う設定だから、俊徳丸は16~7歳で、歳もそれ程違わないので、邪恋を仕掛けても不思議はないのだが、最後には、この禁断の恋は、実は、妾腹の兄・次郎丸(亀三郎)とのお家騒動から俊徳丸の命を守り、露見すると殺される次郎丸を救うための謀だったと言うのだから、話がややこしい。
   しかし、忠臣・羽曳野(時蔵)や父・合邦道心(菊五郎)母・おとく(東蔵)の静止や諫言を蹴散らかして猪突猛進する激しい邪恋に狂う玉手御前、そして、合邦に脇腹を抉られて瀕死の状態で、苦しみぬいた謀を吐露する今わの際の幕切れの玉手御前を、菊之助は、実に、感動的に描きぬいたのである。
   前に、藤十郎の素晴らしい玉手御前の舞台を見て感動して、このブログでも感想を書いたが、如何せん、歌舞伎の舞台は視覚の世界で、やはり、美しい二十歳の後妻のイメージが濃厚であり、そんな芝居を観たいと思うのは人情であり、立女形の役どころであった玉手像を、菊之助は一挙に変えてしまったのである。

   この玉手だが、冒頭、俊徳丸の命を救うためにとして、鮑の杯に酒を注いで飲ませて恋心を打ちあけるのだが、忽ち、顔に悪痘が表れ失明寸前となる。そのため、出奔して乞食となり天王子門前に小屋がけして暮らし、通りかかった浅香姫と再会し、同じく通り合わせた玉手の父・合邦に救われて合邦庵に匿われるのだが、追い回す玉手は嗅ぎつけてやってくる。
   ここで興味深いのは、玉手が、俊徳丸の病は、寅の年・寅の月・寅の日・寅の刻に生まれた自分の肝臓の生血を、この鮑の杯に注いで飲ませれば治ると言うこと教えられているので、自分が絶えず俊徳丸の傍についている必要があると思って追いかけているので、その時来たりと、父親・合邦を煽りに煽って激怒させて自分に刃を向けさせて殺させると言う設定である。
   この話は、妹背山婦女庭訓で、疑着の相が出たとしてお三輪が、その生血が入鹿暗殺に必要で恋しい求女の役に立つと喜んで殺されるのと似ているのだが、インカに良くあるあの人身御供の日本版と言うところであろうか。

   さて、この物語は、河内国高安に伝わる俊徳丸伝説から起こっているようで、容姿端麗で聡明な俊徳丸は、隣村の長者の娘と恋に落ちるが、自分の息子を世継ぎにしたい継母に失明させられて追い出され、四天王寺門前で乞食として暮らすが、長者の娘に助け出されて、観音菩薩に祈願して癒されると言う。
   それに、能の「弱法師」では、高安通俊が、他人の讒言を信じて追放された徳俊丸が、悲しみのあまり失明して天王子の門前で乞食生活を送るのだが、最後には、罪滅ぼしに貧者に施しをする父に助け出されて連れ戻されると言う話になっている。
   こんなところが、浄瑠璃、歌舞伎にインスピレーションを与えて物語を紡ぎ出したようで、面白い話なっている。
   しかし、とにかく、回りくどい話だが、主人公玉手御前を、邪恋の鬼に仕立て上げて、禁断の恋に走るだけ走らせて、最後に、善人として、二人の異母継子を思う貞女の鏡として、もどりでどんでん返しを見せると言う趣向だが、中々のものである。

   今回、女形の梅枝が、気品のある凛とした素晴らしい俊徳丸像を作り出しており、それに、右近の初々しくて可憐な、しかし、俊徳丸を巡って玉手御前と取っ組み合いになる終盤の激しいバトルのシーンなど、菊之助に互角に渡り合って素晴らしい舞台を見せている。
   菊五郎の合邦は、住大夫の絶叫調の喜怒哀楽にメリハリをはっきりつけた肺腑を抉るような名調子の語りとは違って、もう少し穏やかで人間の心の闇と慟哭を炙り出すような胸に迫る語り口と、じっと玉手を見つめ続ける苦しそうな横顔に苦渋の限りを表出していて感動を呼ぶ。また、飄々として、天国と地獄への番人だとして閻魔大王への寄進に回り、町人たちと戯れるなまぐさ坊主の好々爺ぶりが実に良い。
   涙にくれて掻き口説く老女や老母を演じれば天下一品の東蔵は流石で、菊五郎との相性も実に良く上手い。
   玉手を諌める風格と威厳を見せる忠臣羽曳野の時蔵、パンチの利いた奴入平の松緑などわき役も人を得て、中々素晴らしい。

   ところで、東大寺の二月堂を舞台にして行われる修二会を題材にした「達陀」だが、実にダイナミックで、それに、幻想的でフォトジェニックな舞台に展開される豪壮な群舞や美しい絵画を切り取ったような僧集慶(松緑)と青衣の女(時蔵)の舞姿が実に印象的な舞台を展開している。
   真っ暗な舞台の正面を僅かに開いてベール越しに、二月堂の内陣を写し出して垣間見せる手法が、舞台展開を重層化させて、密教的な修法を暗示させるなど視覚的にも美しくて素晴らしい。
   前に、菊五郎の集慶を見たが、あの時も、美しい恋の物語と厳しい修行僧の葛藤を感動的描いた素晴らしい演技や激しくも勇壮な舞台に感動したが、今回は、初役を演じる松緑の直線的で全身をぶっつけて挑んだダイナミックな演技と、実に優美で蠱惑的な時蔵の艶姿の揺らめきを感じながら楽しませて貰った。
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Season's Greetings Cardを探すのが大変

2010年12月10日 | 生活随想・趣味
   今でも、イギリス人などの友人たちと、年末になると、Season's Greetings Cardを交換している。
   私には、仏教徒であるので、当然、クリスマス・カードは送って来なくて、Season's Greetings Cardが来るのだが、私も、外国にいた時には、会社からクリスマス・カードを出していたが、帰って来てからは、総て、Season's Greetings Cardに変えて出している。
   何故かと言うと、正直なところ、親しいけれど、結構、ユダヤ人など、キリスト教徒以外の友人もいたし、貴方の宗教は、何ですかと聞く訳にはいかないし、それに、面と向かって宗教の話をすることも殆どないので、相手の宗教など分からないことが多いのである。
   しからば、無難に、年末年始の挨拶をすると言うことで、グローバルに通用するSeason's Greetingで通そうと思ったのである。
   それに、異教徒である私が、キリスト教徒の友人に対して、Merry Christmasと言うのも、筋が通った話でもないと言うことでもある。

   ところが、問題は、百貨店や書店、ギフトショップなど、あっちこっち探しても、クリスマス・カードばかりで、Season's Greetings Cardなど殆どなくて、まして、気の利いたカードなどを探すのは至難の業である。
   クリスマス・カード作成会社も店舗も、外人は総てキリスト教徒であって、Merry Christmasと印刷したカードさえ売り出して居れば、こと足れりと思っているとしか思えないのである。
   その意味では、日本の年賀状などは、公平かつ実に理屈があっていて合理的な習慣であると思う。

   ところで、年末の百貨店やちょっと気の利いた店舗などは、日本人の殆どが、キリスト教徒かと思えるほど、クリスマス関連商品やディスプレイで飾り立てられていて、クリスマス・ムードで充満している。
   お釈迦さんの誕生日やお盆あたりなどの仏教の吉日でも、宗教には殆ど無関心な日本人が、何故、クリスマスだと言ったら、ケーキまで食べてはしゃぐのか、全く理屈の通らない話なのであるが、やはり、これも舶来・欧米コンプレックスと言うべきか、或いは、商魂逞しい商業ビジネスの成せる業なのであろうか。
   いずれにしても、クリスマス・カード一辺倒ではなくて、もう少し、Season's Greetings Cardにも意を用いて欲しいと思っている。
   
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OECDの学習到達度調査2009に思う

2010年12月08日 | 学問・文化・芸術
   OECDが3年毎に実施している世界中の15歳の高校生の学習到達度調査で、2009年分の結果が発表されて、TVや新聞などのニュースで、日本が、上位にあった2000年から下がり続けていたランキングが、やや持ち直したと報道された。
   結果は、この口絵の表(産経から借用)の通りで、トップ10には入っており、欧米諸国には勝っているが、上海、シンガポールの後塵を拝しており、韓国や香港など受験競争の激しい国々にやや遅れを取ると言った水準である。
   早速、高木文科大臣が、”各リテラシーとも前回調査から下位層が減少し上位層が増加しており、読解力を中心に我が国の生徒の学力は改善傾向にあると考えます。”とコメントを発表した。
   言語の関係で、中国(国として)やインドが加わっていないが、教育先進国である欧米に大きく水を空けているのであるから、日本の若者の学力は大したものだと喜ぶべきかどうかだが、アメリカでも3大ネットワークなどが、水準の低さに危機意識を持って報道していたので、やはり、次代を背負って立つ若者たちの学習到達度調査には、貴重なメッセージが込められているのであろう。
   アンジェル・グリアOECD事務総長が、“Better educational outcomes are a strong predictor for future economic growth,”より良い教育成果は、将来の経済成長の力強い預言者である” と言っている。

   この調査は、読解力と数学的応用力と科学的応用力の3つの視点からテストが実施されているのだが、やはり読解力が主体の様で、OECDのの広報ではは、「韓国とフィンランドがトップ」と言うタイトルで報道されている。
   興味深いのは、”While national income and educational achievement are still related, PISA shows that two countries with similar levels of prosperity can produce very different results. This shows that an image of a world divided neatly into rich and well-educated countries and poor and badly-educated countries is now out of date.”国民所得と教育の成果は連動しているのだが、同レベルの富裕水準の二国間でも、教育水準が大きく違っている。世界は、富裕で教育水準の高い国と貧しくて教育水準の低い国とにはっきりと分かれていると言うかってのイメージが時代遅れになってしまったことを示している。と指摘していることだが、このことは、今回の調査でも、アジアの新興国が、豊かな欧米を大きく凌駕していることからも分かる。

   さて、日本の教育については、ゆとり教育の弊害が反省されて教育制度がやや規制改革された結果のランクアップだろうと言われているが、いずれにしろ、フィンランドを別にすれば、詰め込み式の教育に近い受験戦争の激しいアジアの先進国や新興国の国が上位を占めているので、この調査が、そのまま、教育水準の高さなり教育の質の高さ、教育システムの優位性を表しているとは、必ずしも言えないと思っている。
   以前に、クルーグマンだったかフリードマンだったか忘れたが、アメリカの初等中等教育の質の低さが、将来のアメリカにとっては深刻な問題だと書いていたことについてコメントしたことがあるが、このことは、成績の悪いヨーロッパ先進国の悩みでもある筈で、価値そのものが根本的に変ってしまった、ICT革命によって生まれ出でた知の爆発する知識情報社会の宿命なのかも知れない。

   先日のJSTのシンポジウムで、「出る杭を伸ばす」システムと言う演題で語った細野秀雄教授は、冒頭に、日本には、出る杭そのものが少ないしいないと言っていたし、阪大西尾章治郎副学長は、人口1000人当たりの日本の大学院生は、たったの2人だが、アメリカや韓国、欧米諸国は8~9人も居ると嘆いていたが、卒業しても、その虎の子の筈の多くのポスドクが職に有り付けずに結婚も出来ない状態であって、その数がどんどん増加していると言うのが、今の日本の現状だと言うから、何をか況やである。
   その上に、「一番でないと何故いけないのですか」と愚問を発する時代錯誤の天然記念物のような大臣たちが、仕分と言う印籠を振りかざして、科学技術、芸術等々の文教予算をどんどん切り捨てて兵糧攻めにしていると嘆く学者たちが多いと言うから、益々、悲しくなる。
   いずれにしても、クリエイティブの時代に突入した今日、知識情報で装備した教育水準の高い有能な人ほど評価されて活躍の場を与えられて然るべき筈が、そうでないとすれば、どこか、否、根本的に日本の経済社会はおかしいのである。

   先日、建築設計関係のシンポジウムで、ある識者が、日本の若者が海外留学をしなくなったと嘆いたのに対して、若いアーキテクトが、海外で学ぶ必要など全くなくて日本で十分だと答えていた。
   私は、ここまで日本の若者がアロガントに世間知らずになってしまったのかと愕然とした。
   今も日本の偉大な科学者が二人、ノーベル賞を受賞するためにストックホルムで、ノーベル賞ウイークを過ごしているが、日本人のノーベル賞受賞者の大半は、アメリカなり海外で勉強した人々であり、今や、日本のホープである偉大な科学者山中伸弥教授も細野秀雄教授もアメリカで学んでいる。
   私は、痩せても枯れても、アメリカは、世界の頭脳と英知を惹きつけて止まない偉大な国だと思っており、初等中等教育(OECDのPISA評価だけかもしれない)の水準が低くても、最高峰の教育大国だと思っている。
   何十年も前の私の経験だが、ウォートン・スクールで、MBA取得のために色々な教科を学んだが、その中のたった2教科(マクロ経済学とミクロ経済学)だけで、京大経済学部4年間で学んだ経済学より多くを学んだと思っている。ビジネス・スクールの学生の多くは、必ずしも大學での専攻が文系ではないのだが、サミュエルソンの「エコノミックス」をたった4回くらいの授業で終えて、その講座の終了間際には最新の経済学論文を読めるまでに持って行く、それ程、アメリカの大学院のプロフェッショナル教育は凄いのである。
   
   話が横道にそれてしまったが、このOECDのPISAは、一つの教育に対する指標かも知れないが、教育は、トータルとしてのシステムとして、国益のために如何にあるべきかを熟慮して考えなければならないと思っている。
   今や、普通に国になってしまった日本、文教政策一つにしても、真剣に考え直さないと、沈没してしまうのではないかと危機意識を持つべきなのである。
   

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