熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ATMの不便さを感じ始めた

2022年05月31日 | 生活随想・趣味
   パソコンやスマホで処理すれば間単に出来るはずなのだが、いまだに、送金などは、ATMで処理している。
   これまでに何度も書いているのは、このATMは、DIYであって、アルビン・トフラーがコインしたプロシューマー(prosumer)、即ち、生産消費者で、消費者であり受益者である自分がサービス提供者に代わって仕事をすることである。昔は、銀行の窓口などで、女性行員が、やってくれていたのを、デジタル革命で、客が自分でやるようになったのである。
   従って、客が行員の代わりに仕事をするのであるから、対価を客が貰うべきなのだが、逆に、手数料を取る。プログラム設定時には、コストが掛かったとしても、日常のランニングコストはゼロに限りなく近い。尤も、某銀行のようにこりもせずにシステム障害を起しておれば高価につくかも知れない。

   さて、不便になったのは、三菱UFJが、大船駅前の支店を閉鎖して、藤沢支店に統合して、ATMに切り替えたのである。
   大船と言えば、JRの殆どの列車が停車する東海道線の交通の重要な主要駅のある非常に繁華な都会の一角である。
   三菱UFJが、大船を切らねばならないほど経営状態が悪くて合理化をしなければならないのかどうかは分からないが、昔、三菱UFJの株主総会で、大阪の万博跡地近くの老人株主が東京まで出てきて登壇して、鳴り物入りでお願いしますと派手に開店した支店を、さっさと閉鎖した、いい加減にしろと怒鳴り込んでいたのを思い出した。
   その大船のATMだが、機械が4台しかなく、いつ行っても長い列が続いている。トラブルでもあれば致命的。
   藤沢支店は駅から遠いし、顧客サービスとは何なのか、銀行の劣化は救い難い。

   もう一つは、ゆうちょ銀行のATM。
   振り込み詐欺の所為かは知らないが、50万円を越える引き出しはダメでロックされる。2回3回とやれば良いのかと聞いたら、上限50万円で1日に1回だけだという。
   50万円以上の送金もロックされて出来ない。
   送金するためには、ATMのロックを外すので、運転免許証か健康保険証などの本人確認書類を持って来いという。

   これを知らなくて、ATMで時間をとって処理していたら、後ろで待っていた中年女が、私の背中を叩いて、一人1回3分以内と書いてあるから早くしろとセッツク。
   余程、焦って頭にきていたのか、張り紙を見れば、3人目の人は・・・と言う位置の指示書きで、3分以内などとは絶対に読めないので、口から出任せ。
   鎌倉夫人などというのは、昔の小説の話で、銀行と同様に、時代の流れであろう、劣化もここに極まりである。

   銀行に聞いても、送金には、ATMのロックを外さなければならないという。
   結局、家に帰って証明証を持ってきて、始末書のような書類を書いて、ATMのロックを外して貰って送金した。

   特別なケースがあるのかも知れないが、こんなに厄介なことをして、窓口で送金チェックするのなら、振り込み詐欺など、送金時に十分に防止できるのではないであろうか。聞いてみたが、NOアンサーであった。
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わが庭・・・ルージュ・ロワイヤル咲く

2022年05月30日 | わが庭の歳時記
   わが庭のバラで、最後に咲いたのがルージュ・ロワイヤル。
   フランスのメイアン作出のバラで、京成バラ園で買った深紅のバラである。
   
   
   
   

   バラが咲き終わると、わが庭は、殆ど新緑一色で、大分寂しくなっているのだが、点景は、クレマチス湘南、カンゾウ、
   ぼつぼつ咲き始めたのは、アジサイ、びょうやなぎ
   もう、梅雨がそこまで来ているのであろうか。
   クレマチスは、このシンプルな1株だけなのだが、名前が気に入って、植えっぱなしにしている。本当は、綺麗に咲かせようとすれば丁寧な手入れが必要で手間暇をかけなければならない。
   私にできるのは、椿の手入れくらいだけかと思っている。
   その椿も、鉢植えは、花芽のつき始める、ここしばらく、水やりを抑えて萎れる寸前に水を遣るという芸の細かいところを見せないと、花付きが悪くなる。
   
   
   
   
   
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邂逅の紡ぐハーモニー・・・自然との融合

2022年05月29日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本は、暦年風に小泉和裕の履歴を追うのではなくて、思い出に残る数々の逸話を小文に綴り合わせて紡ぎ上げたエッセイ集なので、筆者自身の生き様や心の軌跡や人生観、指揮者としての音楽観などがビビッドに描かれていて、非常に面白い。
   小泉さんの指揮した公演には、新日本フィルや都響などを含めて、年に1~2回としても、少なくとも20回以上は行っていると思う。
   意識せずに、聴いていたのだが、この本のお陰で、これからは、もう少し余裕を持って真面目に鑑賞出来そうである。

   この本で興味を持ったのは、著者の自然観で、自宅は、飛騨古川の草深い田舎の、元は養蚕農家だった築100余年の古民家で、かって蚕棚のあった二階には舞台を設けて小さな演奏会が出来るようになっていて、家の周りには田んぼも畑もあり、仕事の休みの時にはなるべく自分で野菜の種を蒔いているのだという。
   音楽家にとって、自然の中での暮らしは、生活上の安らぎだけを意味するわけではなく、専門にしている17~19世紀のクラシック音楽は、自然の中で生まれてきたことは確かである。バッハも、モーツアルトも、ベートーヴェンも、マーラーも、作曲家の誰もが自然から啓発されて音楽を作ってきた。と言う。
   毎日音楽ばかりでは成長がなく、成長するのはその間の、休んでいるときで、リフレッシュするために、唐津で海の生活を、飛騨古川で山の生活を楽しみ自然に浸る、そうした切り替えが一番の健康法で、趣味と言えば趣味である。
   指揮者として、これから如何に自分の内面を成熟させていくかが課題の第二段階では、たとえ西洋音楽を専門にしていても、一年中ヨーロッパに住む必要はない、しかし、自然の中で生きねばならない、と言うことだけは確かである。と語っている。

   言おうとしても出来ない、指揮をしようとしても出来ない、何か他の力でないと出来ない、そんな時、
   飛騨古川の山里で眼前に広がる山々の夕映えをじっと見ていると、なんだか出来そうな気持ちになってくる、きっとできる、何かがやらせてくれる、この土地は何かそう言う力を与えてくれる場所のようだ、と言う。
   カナダのウィニペグ交響楽団の音楽監督の時には、自宅に和風庭園も設え、ワインを自家製したりする自然派で、古川での畑や田んぼ仕事は勿論、唐津焼を焼けば、料理にも腕を振るうと言った多才な生活も披露していて、自分にはもの創りの楽しさが全てでしょうと述べている。

   興味深いのは
   音楽をやること自体が趣味のように、遊びのようになればと思っている。つまり、いい意味で緊張感がなく、自然に音楽の世界に入り込める状態が大切だと思う。音楽を特別なものとして捉えるのでなく、普段の生活そのものが全て音楽に繋がるということである。生活と仕事が遊びのように思えたら最高である。と言う。

   昔、小澤征爾のドキュメントをテレビで見ていて、早朝、真っ暗な時間に起きて総譜を勉強しながら、毎日が、このエッヂを歩いているようなもので、何時、奈落に転落するか分からないと、机の縁に指を這わせながら語っていたのを思い出す。
   小澤征爾は、いつも、決死の覚悟でバトンを振っていたのだろうと思っている。

   さて、小泉さんは、
   音楽は言語や文化、社会や時代の違いを越えて、そのまま胸の内に入り込み、こころを揺り動かします。それが音楽の素晴らしさです。音楽から受けた感動は記憶の奥に刻まれ、ずっと残るものだと思います。カラヤンが話していたように「音楽はわれわれ人間を高みへ引き上げてくれるもの」、心を高めてくれるものなのです。語っている。
   音楽は、時空を越えて、万人に共通に響く芸術であるが故に、私には、翻訳で伝わる文學や、芝居やオペラ、そして、絵画や彫刻などよりは、難しくて理解に苦しんでいる。音楽が分かるのかと聞かれれば、分からないと答える以外にない。
   と言っても、音楽を理解するとか分かると言うことがどう言うことなのかと言うことなのだが、楽譜が読めない、音楽的な解説や音楽評論などが理解できない、と言った基本的な知識に欠けるので、要するに、プログラムなどの説明を額面通りに受け取れないと言うことである。
   しかし、クラシック音楽に興味を持ち始めてからは、訪日するトップアーティストのコンサートにせっせと通い、欧米生活が長かったお陰で、最高峰の音楽を十分以上に鑑賞し続けてきた。これは、好きであったからである。
   今でも、コロナ騒ぎで、これまで通い詰めていた日本の古典芸能の鑑賞少し少し足が遠のいてしまったが、音楽鑑賞は続け始めたので、やはり、クラシック音楽鑑賞は、私には一番の趣味なのである。
   要するに、分かっても分からなくても、劇場や音楽会場で、聴いていて、楽しいと感じて聴いておれば、それで良いのだと言うのが結論である。
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邂逅の紡ぐハーモニー・・・カラヤンの教え

2022年05月26日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   高名な指揮者小泉 和裕の自伝とも言うべき新書本「邂逅の紡ぐハーモニー」を、小泉指揮の都響コンサートの劇場ロビーで買って読んだ。
   非常に興味深い話題に富んだ本だと思うが、その中に師匠であったカラヤンとの逸話が語られていて、興味を引いたのは、カラヤンも、最高のものに接するべきと言っていたと言うことである。
   マエストロとしての心構えで、「滞在先はその街で一番のホテルを選ぶこと。健康のためにきちんとした食事をとること、最初の頃は無理でも、経済的には自分が支えるから、心配しないでそうするように」と言ったと言う。

   盛田昭夫も、ニューヨークで、トランジスター・ラジオを悪戦苦闘しながら売っていた頃、貧しかったので安宿に泊まっていたが、本当の仕事をする積もりなら一流のホテルに移れとアドヴァイスを受けて、その後、急速にトップクラスのアメリカ人知己を得たと語っている。
   イギリスにいた頃、この辺りの知識に欠ける日本の大企業の大社長が、社内の旅費規程に縛られて、安ホテルに泊まってビジネス交渉に当たって、痛く見くびられたと言う話をイギリス人の友人が語っていた。当時、大概の日本の大企業は、旅費規程に金縛りであったことを知っている。
   欧米では、例えばロンドンなら、どこに住んでいるか、何処のホテルに泊まっているか、その格が問題であって、誰もが認める高級な場所でなくては話にならないと言うことである。
   どんなペイペイでも、イギリスのビジネスマンは、東京に出張してくると、帝国ホテル級の高級ホテルに宿を取るのが普通なのもこの類いである。
   関西財界の重鎮である某大会社の社長が、旅費規程で、いつも、高級ホテルながら簡素なシングルに泊まっていたのだが、ホテルが見かねてグレイドアップしていたと言う切ない話もある。

   ところで、私がここで述べたいのは、このような異文化による価値観や物の見方の違いではなくて、何でもそうだと思うのだが、最高のもの、一流のものに接して切磋琢磨することが大切だと言うことである。
   このことについては、随所に書いてきたが、坂田藤十郎・扇千景著「夫婦の履歴書」のレビューで、武智鉄二の教えについて触れている。
   武智は、「一番いいものを見て、一番いいものの中に育っていないと芸が貧しくなる」と言って、「関西で一番の財界人の皆さんが行っている散髪屋に行きなさい」「クラブも、女性も一流のところで遊びなさい」と言って、総て、貧しい扇雀が払える訳がないので、当然、一切の費用は武智が持った。
   日本一の文楽の大夫豊竹山城少掾の所へ連れて行って台詞の稽古をさせ、金春流の能楽師桜間道雄から、能を学ばせるなど、武智のお陰で、トップクラスの芸術家から台詞の発声、イキの詰め方と言う基礎を訓練されたが、更に、京舞の井上八千代に稽古をつけて貰った。と言う。
   刀の目利きを育てるためには、本物の名刀しか見せないと言われているが、その訓練方法である。

   私の場合、クラシック音楽や絵画などの芸術鑑賞で、この教訓を実感している。
   最初に観たオペラは、大阪フェスティバルホールでバイロイト祝祭劇場の引越し公演「トリスタンとイゾルデ」で、その後、イタリア・オペラ、万博の時のボリショイ・オペラやベルリン・ドイツオペラなど、その後、米欧に出たので、MET、ロイヤル、スカラ、ウィーンなどトップクラスのオペラを鑑賞。
   オーケストラも、万博の時に、カラヤン指揮ベルリン・フィルのベートヴェン、バーンスティン指揮ニューヨーク・フィル、ショルティ指揮ウィーン・フィル、それに、フィラデルフィア管、コンセルトへボー管、ロンドン響などはシーズン・メンバー券を買って通い続け、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルなど結構聞く機会があった。
   イギリスでは、RSCなどに通い詰めてシェイクスピア劇を鑑賞し続けていたし、METやルーブルなど世界の目ぼしい美術館・博物館の多くを回って本物の絵画や芸術品に接し、その素晴らしさを感じ続けてきた。
   千載一遇のチャンスだと思って、文化芸術鑑賞には銭金は惜しまなかったので、年中ピーピー言っていたが、しかし、幸せであった。
   これらの原点は、受験勉強の世界史と世界地理で育んだ世界への憧れであり、京都での学生時代に、京都や奈良などの文化遺産や歴史の跡を求めて、古社寺行脚を続けたことにあると思う。

   尤も、これらのことどもが、平凡な人生を送ってきた自分にとって良かったのか悪かったのは分からないが、少しでも本物に接したい、より美しいものを見たい、価値あるものを学びたい、などと言った真善美への渇望が、ドライブし続けてくれたのであるから、幸せであったと言うことである。
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都響定期C・・・オール・ロシア音楽

2022年05月25日 | 欧米クラシック漫歩
   東京芸術劇場で、第950回定期演奏会Cが開かれたので、久しぶりに池袋へ出かけた。
   プログラムは、次の通り。
出演
指揮/小泉和裕
ピアノ/清水和音
曲目
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 op.18
チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 op.36


   ウクライナ侵攻で、ロシアの音楽家や音楽が、世界中で拒否され続けている煽りを受けて、予定されていたロシア人のピアニストのニコライ・ルガンスキーが、現下の諸状況に鑑み、双方で協議を重ねた結果、残念ながら今回の来日を断念することになったと言うことで、ソリストが変更となった。
   ルガンスキーは、人民芸術家で、ラフマニノフを得意とすると言うことなので、残念であった。
   もう、12年前に、都響定期で、ルガンスキーのショパン「ピアノ協奏曲第1番」を聴いて感動した思い出があるので、よけいに聴きたかった。

   ギルギエフやネトレプコと言った大物芸術家はともかく、ロシアの芸術家を見境もなく排除するという風潮が吹き荒れている。
   「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という感情を、これほど強烈に、芸術の世界にまで持ち込むのは、どうであろうか。

   さて、私の関心事は、この日のプログラムは、オール・ロシア音楽であるのだが、都響は、別に何の意思表示もしていないし、プログラムの変更も意図していない。観客が、どんな姿勢で対応するのかであった。
   しかし、何の変ったこともなく、ボイコットした観客がいたとも思えない盛況で、日頃の定期コンサートと全く変らなかった。
   
   ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番も、清水和音の愁いを帯びた抒情豊かに歌い上げるピュアなサウンドの冴えは抜群で、私だけの感覚だと思うが、ロシアの土の香りさえする感じさせくれ、一度見たザンクトペテルブルグのネバ川の夕暮れを思い出させてくれた。
   こんなに美しい芸術を生む文化伝統を、一気に葬り去ろうとする専制者の暴挙を、阻止さえ出来ないロシアという国の悲しさ。
   
   チャイコフスキーの交響曲第4番は、第6番の「悲愴」ほどでもないが、第5番と共に、結構聴く機会の多い曲である。
   風土が良く似ている所為か、アムステルダムのコンセトヘボウで、ドイツや北欧の指揮者で聴くチャイコフスキーなどのロシア音楽は素晴しかったのを思い出す。
   この「運命の交響曲」とも呼ばれている第4番のフィナーレは、これまでの暗い雰囲気を一気に吹き飛ばすような華麗で凄い迫力のサウンドなのだが、ウクライナ戦争でのロシアの迷走ぶりを思い出して、何故か、明るい祭りの雰囲気を醸し出すのではなく、空元気というか、空回りして苦境に落ち込んで行く運命を暗示するように感じさえしてしまった。
   ところで、小泉さんが、小遣いで最初に買ったレコードが「悲愴交響曲」で、学校から帰ると毎日聴いていたと言うから、チャイコフスキーには特別な思いがあるのか、大変な熱演で、会心の出来であったのであろう、終演後、興奮冷めやらぬ表情で観客に応えていた。

   私は、感動して会場を出たのだが、ウクライナを思って、この日は、一切拍手をやめて仏頂面を通した。せめてもの抵抗である。
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LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界(2)

2022年05月22日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   「老化」を遅らせるためには、どうするか。
   シンクレア教授は、「今あるような老化に終止符を打つために、すぐにも出来る対処法や、現在開発中の新しい医学療法を紹介する。これを用いれば、老化を遅らせ、食い止め、あるいは逆転させるのも夢ではない。」と言うのだが、その対処法について詳細に語っているものの、一足飛びに結論に至っているのではなく、身近な処方箋から語っている。
   今回は、最も初歩である長寿遺伝子を今すぐ働かせて「健康長寿のために誰もが取り組める方法」について紹介してみたい。
   結果的には、「なんや、そんもん、常識やないか」と言うことに近いかもしれないのだが、高度な理論的裏付けあっての処方箋なので、聞く価値はある。

   
   間違いなく確実な方法は、食べる量を減らすことである。
   ヒポクラテス以来医師達は食べる量を制限することが如何に有効か説き続けてきている。キリスト教の「七つの大罪」にある「貪欲」を慎むだけではなく「意図的な禁欲」によって量を抑えることである。
   勿論、栄養失調や飢餓状態ではダメなのは当然だが、モノに溢れたこの恵まれた世界にあっては、一般的な許容限度以上にたびたび体を欠乏状態に追い込むことである。
   カロリー制限を通して、体を「ギリギリの状態」に保ち、体の健康な機能を保てるくらいの食物を食べ、決してそれ以上にしなければ、サバイバル機能が始動して、原初の昔から行われてきた仕事をせよと長寿遺伝子に命じることが出来る。細胞の防衛機能を高め、環境が厳しいときに生命を維持し、病気や体の劣化を防ぎ、エピゲノムの変化を最小限に留め、老化を遅らせることが出来る。
   100歳以上の住民が多い沖縄での1978年の調査では、児童の摂取する総カロリー量は本土の児童の3分の2に満たず、成人の総カロリー量も本土の成人よりも20%低かったが、長生きするだけではなく健康寿命も長く、しかも、脳血管系疾患、悪性腫瘍、心臓病が非常に少なかった。と言う。
   カロリー制限で長寿効果を得るのに「年齢の上限」のようなものはなさそうだが、始めるなら遅いより早い方が良く、分子レベルで見た場合、下り坂に差し掛かるのは40歳を過ぎた辺りだと言う。
   しかし、寿命を延ばし、心臓病や糖尿病、脳卒中やがんを防ぐ効果があると言っても、欠食児童状態を年中続けるなどは「正気の沙汰」とも思えない。

   食物が足りない時の遺伝子の反応を確実に再現できれば良いので、なにものべつ幕なしに腹を空かせなくても、
   「間欠的断食」という画期的な健康増進法がある。
   方法には色々あって、
   朝食を抜いて遅い昼食を取る、週に2回はカロリーを75%に減らす、週に2~3日は一切食物を摂らない、毎月1週間を空腹で過ごす、等々、各種モデルを組み合わせても良い。

   もう一つは、寒さに身をさらして長寿遺伝子を働かせることである。
   夜通し窓を1枚だけ開けておいたり、眠るときに厚い毛布を使わなかったり、少しばかり寒さを味わうことで、活性脂肪細胞のミトコンドリアを活性化でき、長寿遺伝子を働かせられると言うのである。
   ところで、逆に体を温めること、サウナに効果があるのかということだが、ハッキリしないと言うのが興味深い。

   運動が良いのは勿論で、運動によって、数々の長寿遺伝子がプラス方向に調整される。
   そのお陰で、テロメアが伸びる、細胞に酸素を運ぶ新しい微細血管ができる、ミトコンドリアの活動が高まって化学エネルギーが増えると言った効果が現われる。こうした機能は加齢と共に減少するので、運動によるストレスの影響を最も強く受ける遺伝子が、それらの機能を若い頃の水準に引き戻してくれる。
   気楽なウォーキングはやらないよりはマシだが、一番効果があるのは、呼吸は速く深くなり一息つかないと二言三言しゃべれない程度の低酸素応答と呼ばれるストレス状態だという。
   いずれにしろ、断食と運動を組み合わせたら、寿命は長くなること間違いなしだという。

   さて、野菜を増やして肉を減らし、加工食品よりは生鮮食品の方が良いと言うことは、誰もが知っている。
   アミノ酸を摂取しないと、人間はかなり短期間に死ぬ。
   肉類には9つの必須アミノ酸が総べて含まれていて、手軽なエネルギー源ではあるが、肉自体がきけんであって、心血管系疾患による死亡率とがんの発症率が共に高まり、特に加工した赤身肉がいけない。ホットドッグやソーセージ、ハムにベーコン、恐ろしく発がん性が高く、結腸・直腸がん、膵臓がん、前立腺がんとの関連が確認されている。
   動物性タンパク質の代わりに、もっと、植物性タンパク質を摂れば、全死因死亡率が著しくさがる。

   たばこや有害な化学物質、放射線は老化を早める。
   人や車の多い都市部では、ただ息を吸い込むだけでDNAを傷つけるのには十分であり、あっちこっちに、プラスチック、溶剤や雑脂剤、農薬や油圧作動液、有機ハロゲン化合物・・・DNA損傷因子に取り巻かれていて、逃げようがない。
   有効な薬はないのであろうか。
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LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界(1)

2022年05月21日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   「老化」は、単なるありふれた病気であって、積極的に治療することがたんに出来るだけではなく、そうすべきであって、
   今あるような老化に終止符を打つために、すぐにも出来る対処法や、現在開発中の新しい医学療法を紹介する。これを用いれば、老化を遅らせ、食い止め、あるいは逆転させるのも夢ではない。ただの寿命ではなくて健康寿命が延びて、病気や体の不自由に苦しむことなく長く暮らせる世界だ。
   と、ハーバード大学の偉いデビッド・A・シンクレア教授が宣う。
   傘寿を越えた私に、今頃になって言われても困るのだが、老衰は病気であるから治療すれば治るという凄い学説を説いた本なのである。

   とにかく、私の専門外の難しい本なので、結論だけ、久坂部羊先生の説明を引用させて貰うと、
   「老い」を致し方ないと思うのは単なる思い込みで、「老い」は「病気」だから治療できるというのだ。がんでも糖尿病でも心不全でも、現代の医療は目の前の病気を治そうとする。著者はこれをモグラ叩きだと言う。あらゆる病気の源流に「老い」があるのだから、それを治療すれば、支流の各疾患は発症さえしないのだと。
   眉唾だと思ってはいけない。本書によれば、老いの本質はDNAの損傷による細胞の機能の混乱であり、ゲノムにはサーチュインという酵素がついていて、DNAが損傷されると、それが修復に向かう。そのときゲノムは生殖機能を失う。サーチュインがもとにもどれば機能は回復するが、もどれないとき、ゲノムのオン・オフを司るエピゲノムが混乱して、さまざまな不具合を来す。老化はその蓄積で起こるというのだ。だからDNAの損傷を減らし、サーチュインを安定させて、エピゲノムの混乱を防げば、老化は阻止できると著者は主張する。

   さて、「老化」とは、「外傷、疾病、環境リスク、あるいは不健康な生活習慣の選択と言った要因が存在しなくても、時と共に臓器の機能が不可避的にかつ不可逆的に低下すること」である。老化は避けて通れないものなのではなく、「幅広い病理学的帰結を伴う疾患のプロセス」であり、老化そのものが1個の疾患なのだ。
   したがって、老化を病気だと認めれば老化との戦いには勝利する。と言う。

   ところで、気になったのは、年齢順に老化現象を語っているところで、
   85歳の男性は平均4種類の診断を受けている。心臓病にがん。関節炎に糖尿病。正式な診断を貰っていなくても、それ以外に複数の症状を抱えている患者が殆どである。たとえば高血圧、虚血性心疾患、認知症など。
   しかし、老化は、これらすべてに共通するリスク要因で、むしろ、それこそが唯一のリスク要因なのであり、この重要さに比べればほかのことはどうでもいいといいたくなる。と言うことだが、他人ごとではない。
   老化現象を止めれば、すべての病気は快癒するというのである。

   私の場合、定期的に病院に通っているのは、高血圧と前立腺がん再発放射線治療後の検診だが、今のところ問題はなく、珍しく、最近は、コロナで外出することもないからであろうか、病気らしい症状はない。
   しかし、歳と共に、老化につては、日々感じており、気になり始めている。
   傘寿を越えると、同級生などで、逝ってしまったのが3割、体を壊したり健康を損ねているものが過半数いて、いよいよ、寄る年波に勝てなくなりつつある。

   さて、どうすれば、老化を抑えられるのか、気になるところである。
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わが庭・・・ポエッツ・ワイフ、アメジスト・バビロン

2022年05月19日 | わが庭の歳時記
   イングリッシュ・ローズのポエッツワイフが咲いている。
   黄色いバラで、先に咲いたモリニューに良く似た雰囲気である。
   わが庭のイングリッシュ・ローズは、多弁咲きでどっしりとした花にもかかわらず、花茎がか細いので、花屋のバラのようにすっくと立ち上がれなくてしなっている花が多い。
   良いのか悪いのか、それなりの雰囲気があって面白い。
   
   
   
   

   オランダ生まれのバラ、アメジスト・バビロンも咲き出した。
   ピンク系統の花だが、花弁の底が濃い赤紫に色付いていてアクセントになっている。
   
   
   
   
   

   今咲いている花はシャクヤク、
   それに、夏みかん、レモン、柿
   昨秋は、夏みかんの裏年で、殆ど実がつかなかったのだが、今年は、ビックリするほど花が咲いている。
   
   
   
   
   
   
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ウクライナ戦争に耐えられないロシア経済

2022年05月17日 | 政治・経済・社会
   最近とみにウクライナ戦争で、ロシアの苦戦が報道されている。
   私はウクライナ侵攻以前から、経済的弱小国であるロシアが、途中で耐えられなくなると主張してきた。米日欧など西側先進国相手では、最初から結果は目に見えているのである。
   ところが、NHKなどテレビを観ていると、ロシア経済に詳しいという専門家が登場して、ロシアは、石油や天然ガスの輸出で今までと変らずに外貨を稼いでいて、ルーブルも強いので、当分は経済的に心配はないと論評している。
   これは、数字だけ見ているだけで、ロシア経済の実態を全く知らない者の戯言である。

   私が注目するのは、GDPベースの経済的弱小国(アメリカの14分の1、日本の3分の1)だと言うことに加えて、更に重要な点は、ロシアの経済が構造的に自立できない、特に、高度なテクノロジーを要する工業が備わっていない、すなわち、完結した工業力を持たない跛行的なモノカルチュア産業構造の国だと言うことである。
   特に、濡れ手に泡の石油や天然ガスなどの輸出で繁栄した経済に胡座をかいて、産業の近代化や高度化などを怠って惰眠をむさぼってきたプーチン施政下においては、経済成長発展を大きく阻害してきた。
   張り子の虎状態のロシア経済の実態をも把握できずに、プーチンは、世界を敵に回して、ウクライナ戦争を仕掛けて戦いを挑んだので、対抗する西側は、前代未聞の強烈な経済制裁で応えた。
   今回は、貿易制裁と事業撤退による経済制裁が如何にロシア経済の打撃になるかを論じてみたい。

   ロシアがウクライナに侵攻を開始した後、AppleやTSMCなど世界規模のテック企業は、「iPhone」から半導体に至るまであらゆるもののロシアに対する供給を停止した。ウクライナでの戦争が貿易、サプライチェーン、資本の流れ、エネルギー価格にもたらす影響は世界経済にも広範な範囲に及んでおり、ICT市場にマイナスの結果をもたらすのだが、特にロシアへのダメッジは大きい。
   重要な高度な技術や部品を必要としたサプライチェーンの一環が断ち切られると、自国一国で自立能力のないロシアの産業が動かなくなる。
   端的なケースで言うと、半導体は総べて西側からの輸入品であるから、台湾などからの半導体の輸入が出来なくなると、半導体を使う関連産業の仕事がストップしてしまう。
   そのために、戦車の製造が止まってしまうであろうし、ウクライナの家庭などで強奪した家電製品などの半導体を引き抜いて製造や修理部品に使っていると報道されているほどで、いくらロシアの戦車がソ連時代の旧式なものだとしても、テレビや洗濯機の半導体が転用できるとは思えない。
   とどのつまり、ロシアは在庫の部品を使い尽くしてしまうと、ロシア軍がウクライナでミサイルやシステムを使い果たしても、代替品を探せないし、あるいは半導体不足のせいで代替品を製造する能力を欠き、早晩、戦車もミサイルも生産不能となって武器の補給さえ利かなくなる。

   自動車など高度な工業は、殆ど西側資本との合弁や外資であって、西側依存であり、これらのハイテック企業が相次いで撤退しており、更に、技術や部品などのサプライチェーンが断ち切られると工業は麻痺してしまう。間違いなしに、世界に誇る戦闘機などの防衛産業および航空機産業などはストップする。
   リース拒否で収奪したはずの欧米の航空機500余機など欧米製の航空機の部品などを欠き、メインテナンスさえ出来ずに安全を担保できないという1例を考えても、経済制裁による西側先進国との関係断絶は、ロシア経済にとっては、強烈なブローとなる。
   工業生産が正常に機能せず麻痺状態となるのは必定で、脆弱かつ弱小な経済が、更なるロシアの戦争遂行能力をサポートし続けられるはずはなく、
   ウクライナの戦場でロシア軍を、叩き潰して軍事力を疲弊させなくても、ロシアの経済を孤立化させ実質的に自立不可能な壊滅状態に追い詰めれば、結果的には、ロシアは、軍事的にも経済的にも一気に更に弱小化して立ち上がれなくなる。

   尤も、逆に、ロシアは、レアメタルの生産量が多く、世界シェアの4割を超えるパラジウムなどの供給が止まると、ブーメラン効果で、ロシアとの貿易ストップは、西側にも大きな障害となるが、EU諸国が必死になって、ロシア産石油や天然ガスからの脱却を図っているように、ロシア抜きの経済構造の構築が急務となろう。
   このロシア抜きのグローバル経済と世界秩序の構築が、ロシアの将来の悲劇を暗示している。
   
   この記事を書いた直後に、NHKの国際報道で、油井キャスターが同じことを述べていたので、画像を下記に転載する。
   昔、ベルリンの壁が崩壊した直後に、東ベルリンで、東西経済交流セミナーが開かれて、東西の経済界など多くの要人達と参加したのだが、開幕早々、同時通訳レシーバーの殆どが消えてしまった。冷戦終結時の、東西の経済や技術の落差の激しさは目を覆うばかりで、東側の参加者が着服して持ち帰って転用しようとしたのだと話題になったのだが、何故か、あのシーンを思い出した。
   
   
   
   
   

   私自身は、このブログの「晩秋のロシア紀行」で書いているように、ロシアの文化文明、歴史的貢献など大いに評価していて、一種の憧れさえ感じているので、ロシアに対しては、何の拒否反応もないのだが、今日のプーチンのpower politicsに耐えられないので、辛口のロシア論になってしまった。
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METライブビューイング・・・ドン・カルロス

2022年05月16日 | クラシック音楽・オペラ
   コロナで、映画劇場に行くのを逡巡していたのだが、METライブビューイングで、ヴェルディの「ドン・カルロス」を上演するというので、二年ぶりに劇場へ出かけた。
   このオペラは、ヴェルディの作品でも大曲で、休憩を含めて5時間に及び、登場人物の少なくとも6人が主役級の歌手を揃えなければならないと言う作品で、中々上演される機会がなくて、私自身、欧米で結構オペラに通い詰めていたにもかかわらず、ロンドンのロイヤル・オペラで、一度だけしか鑑賞機会を得ていない。
   パンフレットを探して見たら、1989年4月3日 指揮 リチャード・アームストロング 演出セット衣装等 ルキノ・ヴィスコンティ
   ドン・カルロス:デニス・オニール フィリップ2世:サミュエル・レイミー ロドリーゴ:ジノ・キリコ
   エリザベート:カーティア・リッチャレッリ エボリ公女:アグネス・バルツァ

   33年前のことなので何も覚えていないが、バルツァは、カレーラスとの凄い「カルメン」で感激し、リッチャレッリは、ヴェルディの「レクイエム」でその魅力に魅せられていたので、期待して観劇したことだけは覚えている。
   オニールは、イギリスきってのテノールであり、レイミーやキリコについても、ロイヤルオペラで聴く機会があったし、舞台のオリジナルはモドローネ伯爵ルキノ・ヴィスコンティであったから、凄く壮大な舞台であったのだろうと思う。

   最近は、オペラに行く機会がなくなって、METライブビューイングくらいであり、今回の舞台で、お馴染みなのは、エリザベートのヨンチェヴァくらいであるが、キャストは、次の通り。
指揮:パトリック・フラー
演出:デイヴィッド・マクヴィカー
出演:ドン・カルロス:マシュー・ポレンザーニ、エリザベート:ソニア・ヨンチェヴァ、エボリ公女:ジェイミー・バートン、フィリップ2世:エリック・オーウェンズ、ロドリーグ:エティエンヌ・デュピュイ、大審問官:ジョン・レリエ
   残念だったのは、指揮の音楽監督のヤニック・ネゼ=セガンと、「カルメン」と「サムソンとデリラ」で素晴らしい舞台を見せたエボリ公女のメゾソプラノのエリーナ・ガランチャが代役に代わったことである。

   このオペラは、16世紀、宗教戦争の激しかった最盛期のスペインが舞台で、シラーの戯曲を元にしたヴェルディのフランス語のグランド・オペラ。
   スペインの王子ドン・カルロスは、フランス王女エリザベートと婚約していたが、仏西の戦争終結和議で、エリザベートはカルロの父君のフィリップ2世の妃としてスペイン王妃となり、二人は悲運に泣く。冒頭の第一幕は、フォンテンブローの森での二人の夢心地の出逢いが、一瞬にして悲劇に暗転するシーンを活写して、このオペラの一つの主題である二人の悲恋を提示、これに、王妃に馴染まれずに愛されていない苦痛に泣くフィリップ2世と、カルロスへの片思いに振られて憎悪するエボリ公女の愛憎劇が絡む。
   
   もう一つのテーマは、宗教戦争、カトリックとプロテスタント、スペインとフランドルとの戦いである。
   エリザベートを諦めきれないカルロスは親友のロドリーグに悩みを打ち明けると、宗教迫害に苦しんでいるフランドルのプロテスタント救済に使命をかけることを勧める。このロドリーグが、厳しいカトリックの教義を国是とするフィリップ2世のスペインに激しく抵抗して、迫害に戦いを挑んでいる自由な新教徒たちのフランドル側に立つ急先鋒で、カルロスを巻き込む。新教徒の火刑の日、カルロスはフランドルからの使者を伴い、王にフランドルを譲ってくれと抜剣して迫ったので入牢される。これに、教義に厳しい大審問官が絡み、遂に、急進派のロドリーグが殺害され、カルロスとエリザベートは永遠に別れを告げる。
   最後は、オペラでは、王と大審問官に追われるカルロスが、先帝である祖父のカルロ5世の亡霊が現われて連れ去られることになっているが、この舞台では、追っ手に瀕死の重傷を負わされたカルロスを、冥界からロドリーグが現われて連れ去るところで幕となっている。

   さて、非常に興味深いのは、このオペラの録画は、3月26日で、ロシアのウクライナへの侵攻の1ヶ月後であり、スペインのフランドルでの人民迫害が、現下のウクライナ戦争と酷似の舞台を現出していることへの驚きである。
   第2幕第2場で、ロドリーグはフランドルの宗教弾圧の酷さと救い難いほどの市民の苦境状況をかき口説くが、王は冷酷にも政治による支配が必要だと答えて突っぱねる。しかし、ロドリーグは、それに明確に反対しフランドルには解放と平和が必要であると率直に本音を主張して王に迫る。
   このシーンなど、ウクライナとロシア、ゼレンスキーとプーチンとの対話に置き換えても不思議のない迫力である。
   
   
   3月14日に、METで、ウクライナに侵攻したロシアに抗議し、ウクライナへの連帯を示すコンサートが開かれ、ウクライナ国歌で幕開けし、ウクライナ人歌手ウラジスラフ・ブヤルスキー氏が独唱パートで「敵は消えうせるだろう。陽光の中の露のように」と歌い、ベートーヴェンの第九「合唱」など、その一部がこの映画に組み込まれていた。

   ところで、5時間近い上演だったが、私は、上質なシェイクスピア戯曲のオペラバージョンを観ているような感じで、非常に感動しながら楽しませて貰った。
   音楽が主体の筈のオペラで、芝居としてストーリーを楽しめたのは久しぶりであった。
   特筆して有名なアリアはなかったが、感動的なナラティブな歌唱が絶好調
   フォンテンブローでのカルロスとエリザベートの二重唱「胸を刺すような激しい想いに」、
   王妃に愛されぬ悲哀になくフィリップのアリア「ひとり寂しく眠ろう」、
   王と大審問官の二重唱「私は王の御前にいるのか」、
   エボリ公女のアリア「呪わしき美貌」、
   ロドリーグのロマンス「私の最後の日」、
   エリザベートのアリア「世のむなしさを知る神よ」

   ヴェルディの凄さに、改めて感じ入った日であった。

(追記)写真は、METライブビューイングHPより借用
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わが庭・・・プリンセス・アレキサンドラ・オブ・ケント、快挙

2022年05月14日 | わが庭の歳時記
   イングリッシュローズのプリンセス・アレキサンドラ・オブ・ケントが咲き出した。
   ディビッド・オースティンの説明では、
   輝くような温かみのあるピンクで、珍しいほどの大輪です。花びらがぎっしりと詰まったディープカップ型で、外側のソフトピンクの輪が内側のピンクを包み込むような、非常に安らいだ雰囲気を持っています。
   綺麗な花は素晴しいのだが、花が大きくてびっしりと詰まった花弁が、昨夜の雨を含んで、か細い花茎が堪えられずに、たわわにしなって頭を垂れている。
   
   
   
   

   京成バラ園作出の黄色いバラ快挙も咲き始めた。
   和製のバラには珍しく、
   イングリッシュ・ローズのように花弁が多くてロゼット咲きのバラで、爽やかな雰囲気が、まさに、快挙である。
   
   
   
   
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わが庭・・・イングリッシュローズ・ベンジャミン・ブリテン咲く

2022年05月13日 | わが庭の歳時記
   イングリッシュローズ・ベンジャミン・ブリテンが咲きだした。
   デビッド・オースチンの説明では、
   ベンジャミン・ブリテン(Benjamin Britten)は、イングリッシュローズには珍しい、魅惑的な赤に若干のオレンジという色合いを持つ品種。深いカップ型の花は徐々に開いて、少しカップ型のかかったロゼットになります。と言うことだが、年によって、微妙に色も形も変ってくるのが面白い。
   ロンドンでは、結構聴く機会があったのだが、ベンジャミン・ブリテンは、イギリスの作曲家で、突出した音楽家である。
   今日は冷たい雨で、バラも可哀想である。
   
   
   
   
   
   
   

   今年は、かなり、バラの手入れが良かったのか、少しずつ、バラが綺麗に咲いてくれている。
   バカラやボヘミアンガラスなどの1輪差しに生けて楽しんでいる。
   
   
   

   テレビを見てい、荒廃したウクライナの田舎の庭に、チューリップがまばらに咲いているのを見て、ホッとすると同時に、何故か、無性に空しさを感じて悲しくなった。

   どんな結末に終ろうとも、ロシアは、間違いなしに、経済弱小の国力が更に疲弊して、今まで以上に脆弱な名実ともに弱小国家に成り下がり、信用を失墜して世界の孤児となって存在感を喪失する、
   それさえ認知できずに、世界を敵に回して、文化文明の進むべき軌道を逆転させる暴挙を止められないロシアの悲しさ、

   いままでに、民主主義と平和の有り難さを、これほどまでに、鮮明に描ききった悪夢はなかったように思う。
   一刻も早く、平和が訪れてくれることを祈る日々である。
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わが庭・・・バラあおい咲き始める

2022年05月11日 | わが庭の歳時記
   京阪園芸作出のバラあおいが咲き始めた。
   赤紫の中輪バラなのだが、一房に何輪か咲くので、咲ききるとブーケ状になって綺麗である。
   ネーミングのあおいの如く、何となく、京都をイメージさせる花で、シックな感じが良い。
   色と雰囲気は、先に咲いたイングリッシュ・ローズのダッシーバッセルに似ている。
   黄色いバラモリニューのオレンジ色に深みが出てきた、エレガントである。
   
   
   
   

   下草の合間から、アヤメが顔を覗かせた。
   ヤブランも咲き始めた。
   シャクヤクは最盛期で、蕾を膨らせてスタンドバイの株もあり、これからも楽しめそうである。
   
   
   
   
   
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クラウス ドッズ著「新しい国境 新しい地政学」 中国の海外覇権

2022年05月10日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   地政学とは何か、今流行りの國際政治課題だが、この本は、国境について詳細に語っていて面白い。
   今回は、消えゆく国境について、中国の国家戦略を考えたいと思う。
   中国は、陣営に巻き込んだソロモンやキリバスなどの消えゆく島々を抑えて、南太平洋に確固たる基地を確立すれば、列島線突破を策せずに、兵を使わずに海外覇権に近づくのではないかと言うことである。
   まず、カレントトピックスの中国の南太平洋へのアグレッシブなアプローチについて触れてみたい。

   近年、急速に、中国が南太平洋への進出を加速させており、3月末、ソロモン諸島と「安全保障協定」で基本合意した。ソロモン諸島は1000以上の島とサンゴ礁からなる国だが、協定では、ソロモンが中国軍の派遣や艦船の寄港を認めるなど、高度な軍事面での協力が盛り込まれている模様で、ソロモン諸島は、アメリカとオーストラリアを結ぶ海上輸送路に位置する戦略的にも極めて重要な場所で、中国が地政学上の要衝に軍事的な拠点を設けようとする動きに、オーストラリアや米国は警戒を強めている。
   この安全保障協定が発効すれば、中国は、太平洋への軍事的進出の重要な戦略的プレゼンスを手に入れることになり、ソロモンのソガバレ首相は政権維持の重しとなる財源を得ることが出来、両者相互に利害が一致している。
   同じ頃、大統領選挙で勝った新大統領が台湾と断交して、中国と国交を結んだキリバスでも政変があり、南太平洋の14か国中、台湾との関係を維持しているのは4か国だけとなり、中国の影響力が一気に強化されてきた。

   さて、国家にとって重要な役割を果たす海洋上のテリトリーは、領海と排他的経済水域である。
   領海とは、基線から最大12海里(約22.2キロメートル)までの範囲で国家が設定した帯状の沿岸国の主権が及ぶ水域である。
   排他的経済水域は、国連海洋法条約で規定されている、自国の基線 から200海里(370.4キロメートル)の範囲内に設定されている水域である。設定水域における、海上・海中・海底、及び海底下に存在する水産・鉱物資源並びに、海水・海流・海風から得られる自然エネルギーに対して、探査・開発・保全及び管理を行う排他的な権利を有することが明記されている。

   問題は、地球温暖化による海面上昇で、世界中の島々が消滅しつつあると言う現実である。
   最悪の被害を受けるのは、キリバス、ツバルと言った南太平洋の諸島国家と、海抜1㍍に過ぎないモルジブだという。今世紀末までに世界の海面高が80㎝~1㍍上昇した場合、海洋面積の数百万平方㎞が浸水し、地球上の陸地面積が約1万7000平方㎞縮小し、1億8000万人もの人々が住まいを失うと推定されている。
   また、2030年までに、世界都市部の40%が日常的に洪水を経験するようになり、何百人もの人々を巻き込んだ大規模な人口移動が発生する可能性が高いと言う。
   
   ところで、気候変動の影響を受けて、海洋国家の島嶼国の島々が水没してくると、必然的に国土が縮小し、領海も排他的経済水域も消滅して行く。
   海に面した国々は、海岸線を都合良く利用する技術に徐々に長けてきて、領海の主張を行う際に、海浜の低潮線ではなくて、「低潮高地 干潮時だけに海面上に現われる磯や岩」を基準にする。
   最も悪名高いのは、中国で、南シナ海で人為的に新たな島や隆起を作って、海洋支配権を主張する支えとしている。
   中国の場合は、海軍と陸軍のプレゼンスを笠に着た浚渫船団を動員して、これらの領土が海面上昇によって水没することのないように投資を継続する。
   中国のこの行いは、法的・軍事的力の乱用と思えるが、多くの島嶼国が、生き延びるために人口島の建設や要塞化に手を染めなければならないとするならばどうするか、
   ソロモン諸島やキリバスには、そのような財政的余裕もなければ力もない。結果は見えている。

   中国は、既に、「一帯一路」戦略で、多くの発展途上国に、建物や空港、港などインフラ支援と引き換えに多額の借金を抱えさせて、いわゆる「債務の罠」に陥らせて、国家経済窮地に追い込んでインフラ設備等を抑えるなどして、支配体制を進めている。

   広大な領海と経済的排他水域を持つ、消えゆく国境の島嶼国ソロモンやキリバスなど南太平洋の島々を、「一帯一路」方式と南沙諸島の基地拡張方式ミックスで援助サポートして支配下において、確固たるプレゼンスを確立すれば、中国は、苦労して「列島線」突破を狙わなくても、期せずして、米国のどてっ腹に軍事基地を構築して、海洋覇権へ近づけると言うことではなかろうか。
   この本の主張とは関係ないが、フッと、そんなことを考えた。
   
   ところで、私自身は、自由と平等に価値をおかない非民主主義的な専制主義国家体制には賛同しかねるので、米豪日の奮起を期待したいと思っている。
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わが庭・・・イングリッシュ・ローズ咲き始める

2022年05月09日 | わが庭の歳時記
   バラの季節である。
   わが庭には、10数種類のバラが、鉢植えも含めて残っているが、イングリッシュローズから咲き始めた。
   残っているというのも可笑しいのだが、最近では、新しく苗木を買っておらず、長年植え続けているバラの木が、年々少しずつ枯れたりダメになっていって、その残っているバラが、健気にも咲いてくれたと言うことである。
   別に手を抜いてバラ栽培をしているという訳ではないのだが、やはり、片手間のガーデニング仕事には限界があって、真面にバラを育てて綺麗な花を咲かせようと思えば、年中通じて、徹底的にこまめな世話を心がけないと、ダメなのである。

   まず、黄色いバラのモリニュー。
   中心に行くほど鮮やかな深く濃い黄色のロゼット咲きのバラ。
   デビッドオースチンが、サッカーチームのウォルヴァーハンプトン・ワンダラーズFCのファンで、チームのユニフォームの色が良く似た黄色だったので、「モリニュースタジアム」の名前を取って名付けたのだという。
   
   
   
   

   赤い花なのだが、今回は明るい赤紫に咲き始めたのが、ダーシー・バッセル、
   オールドローズの雰囲気を色濃く残したややロゼット咲きに咲く花なのだが、完全に開くまでは、高島屋のバラの雰囲気。
   ロイヤル・バレエのプリマ・ダッシー・バッセルに因んだと言うことで、彼女が現役の頃に、何度か、ロンドンでロイヤル・バレエに行っていたので、観る機会があったかもしれない。粋な命名であり、想像をかき立てられて面白い。
   
   
   
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