熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

企業立地戦略と開発の行方

2006年10月31日 | 政治・経済・社会
   URビジネス・ロケーション・フォーラムを聴講して、新しい日本の地域開発について考えさせられた。
   田中角栄首相によって推進された日本改造論によって国土が大きく変貌したが、その後の新産業都市構想は途中で頓挫するなど、国土開発については功罪取り混ぜて色々な歴史の変遷を経て来た。
   最近では、地域格差が拡大して、地方の疲弊が問題化することによって、再び、地方の開発が活発になって来た。

   一時日本の生産拠点が、安い人件費を求めて中国などに移動する国内の空洞化現象が社会問題となっていたが、最近では、シャープの亀山工場を筆頭に九州の北部への自動車関連工場の集積などの日本回帰の動きが進行して、日本の製造業の地方への工場や研究施設等の建設が脚光を浴びて来たようである。

   ところで、今回、URのプレゼンテーションで比重を占めたのは筑波や千葉ニュータウンのプロジェクトで、東京や神奈川の開発余地はなくなり、千葉、茨城、栃木と言った関東の田舎県に移ってきたようである。
   先日も筑波の開発について聞く機会があったが、いずれにしても、旧市街地の再開発ではなくて、比較的田園や森林の残っている緑地を新工業団地や新市街地に開発するプロジェクトであって、首都圏のスプロール化現象の拡大のような気がして仕方がなかった。

   千葉ニュータウンについては、北総鉄道が京成線の高砂から延びて印旛日本医大前まで伸びていて、印西市を中心に大規模なショッピングセンターや新市街地が開発されている。
   近く、この鉄道が成田空港に直結されて、現在の京成本線と平行して成田ー羽田間を繋ぐことになる。
   現在、世界最大規模だと言うジョイフル本田の巨大なホーム&ガーデニング・センターなど大型のショッピングセンターなどが集積し始めていて、新しい住宅街が野っ原に広がっている。
   東京電機大学や日本医大などがあり研究機関等の公共サービスや商業ゾーンとしてのニュータウンなのであろうが、問題は高速へのアクセスがなく、タウン内の交通網は整備されていても、東西南北の人口集積地帯からのアクセスが非常に悪いことである。

   しかし、印旛沼の北方の未開拓だった北総に忽然と現れたニュータウンだが、このような開発が進んでいけば、東京近郊の土地はべったりと切れ目なく市街地が広がるだけで、首都圏が益々肥大化して行く。
   この都市化の拡大が、果たして進歩と言えるのであろうか。
   確かに、更にベターで便利で快適な環境を作り出すためには、既成の市街地では制約が多くて、未開の土地を開発することになるのだが、現実には、殆ど総合的な都市計画の骨組みなしに都市化が進行し、スプロール現象の拡大としか思えない。

   ロンドンやニューヨークなど世界の大都市は、大なり小なり東京に近い開発状況ではあるが、しかし、少し郊外に出ると田園地帯や静かな田舎に出る。
   緑の環境が、直ぐ側にあるのだが、東京の場合は、北に行っても西に行っても東に行っても、延々と市街地が繋がっていて切れ目がない。
   
   ロンドンのキューガーデンに住んでいた時には、黒歌鳥が一日中囀っていたが、都心から近かった。
   今、千葉の郊外に住んでいて、庭のムラサキシキブの実をメジロが啄ばんでいるが、都心からの距離は2倍くらいはあるし、開発の足音はそこまで近づきつつある。
   景気が良くなれば、又、無秩序な日本改造計画が進むのかと思うと心配である。
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大前研一氏開発戦略を語る

2006年10月30日 | 政治・経済・社会
   品川インターシティホールで、都市再生機構による「URビジネス・ロケーション・フォーラム2006 ビジネス成功をもたらす企業立地戦略」が開かれた。
   前半、「企業立地とまちづくりの関わり」をテーマに事例発表とディスカッション、UR都市機構プレゼンテーションが行われたが、興味深かったのは、後半の大前研一氏の講演「企業の立地選択の条件~生産・物流・オフイス・商業~」で、一般論だが、URは要求がきついのでと言いながら、4部門に渡って持論を展開した。

   生産拠点の建設については、
   ボーダーレスの最適地生産が一般化して、日本には最早適当な場所はなく、かっての大田や東大阪の産業クラスターは、タイのバンコックや台湾、カントンなどに移ってしまって、あらゆる部品がJUST IN TIMEで調達できるようになっている。
   中国は、マネージャークラスがいないのが問題。毛沢東の文革時代に育ったイエスマンばかりの中年しかいなくてこの欠落するマネージャークラスは総て台湾人がカバーしている。(200万人、9万社)
   良質安価を満足させてくれるのはヴェトナム、言葉が問題だが、中国の人件費の2分の1で民度も高い。

   このような新しい工業立地に進出拠点を建設する為に、個々の進出企業に代わって、あらゆる手続きや便宜を供与しワンパッケッジで開発手当てできるようなディベロッパーを立ち上げれば必ず成功する。

   来年から、団塊の世代が80兆円の資産(負債20兆円)を持って一線から退場するが、今まで苦しい生活をしてきたので、老後は、静かで快適な生活をしたいと言う要望が強い。暖かい南を目指して移り住む。
   これは世界的な傾向で、アメリカでも中高年層の南への大移動が趨勢となっていて、ぺんぺん草の生えていたフロリダのオルランドや砂漠のフェニックスやラスベガス、ラコステ等200万都市に成長している。
   ヨーロッパでは、ドイツ人やスエーデン人はスペインのコスタ・デル・ソル等へ、イギリス人はポルトガルへ、そして、ギリシャ、トルコのイズミール・アンタルキア等の西海岸等々へ大移動している。
   これらの南の楽園は、風光明媚で快適で生活環境が良く、アクティブ・シニア・タウンとして大発展している。
   「日本の南の田舎県の知事は、老人は要らない若者の移住が希望だと言うが、何にも分かっていない。金をたんまり持ったシニアを呼び込みアクテイブ・シニア・タウンを建設すれば、その土地が風光明媚で快適に豊かになるので、子供や孫達がやって来て大発展することを知らないのだ。」と言う。

   物流センターについては、フェデックスはメンフィス、UPSはケンタッキー等一つだが、物流のへそは一箇所か二箇所で良い。
   今地盤沈下をしている埼玉の大宮の少し北方の首都圏中央自動車道と北への高速との接点辺りが良いであろう。
   埼玉の開発については、その北にウェークエンド・ハウス群を作って人を呼び込む手がある。
   住環境は職住近接、都心回帰が始まっているが、それだけに、人々はウイークエンド・ハウスを求めることとなり。これも世界の趨勢である。

   オフイスについては、職住近接を考えるべきでオフイスだけの街を作ろうとすれば必ず寂れる、市内に住居のない大阪が良い例である。
   オフイスだけのランドマークタワーが失敗したがレンガ倉庫街が出来て生き返ったように、人の集まる商業施設やオフイス+住居開発が必須である。
   勝どき橋の倉庫突端から見れば、品川から上野まで高層ビルが林立し東京がマンハッタン化しているのが分かる。
   不況と言われた時期にこれが進行し、決して失われた10年ではなかったのである。
   都市は港に、海岸線に向かって発展して行く。
   ロンドンのカナリーウォーフ、ボルチモア、ニューヨークのバッテリーパーク、サンフランシスコのフィッシャマンズウォーフ、シドニー、皆しかりである。

   この3年後に、東北新幹線と東海道新幹線が直結して車庫が他に移って品川の操車場は空き地になり、また、羽田が国際線のターミナルになるが、そうなると東京はどう変わるか。
   その時は、どこが発展するか、先を読める人間が勝つ。
   都市機能の大きな変化によって、都市の中心がめまぐるしく変わってしまう。
   池袋のサンシャインは、物理的距離も時間的距離も料金的距離も遠いので取り残されてしまっている。

   商業・モールについては、ショッピングセンターだけでは駄目で、人の集まる場を作るべきである。
  テーマパークや憩い、夢のある場の設定が大切である。
  又、最近では、大都会の駅ビルの集積が威力を発揮しており、名古屋駅ビルの高島屋が栄の百貨店を凌駕しており、川崎でも、福岡でも大規模な開発が進められている。
  
   今や、日本全体が、建て替えの時期に来ている。
   GOOD LIFE, HAPPY LIFEを求めて都市を再生する必要がある。
   そのために、地方税を免除するような免税債を発行して資金を集めてインフラを整備し、民間の資金を呼び込んで開発を進める必要がある、と語る。
   
   ぽんぽん鉄砲玉の様に展開する大前節は、さすがに聞いていて面白いし、考えさせられるが、さて、どうすればよいかと言うことになると中々難しい。
   
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再び高校必修科目スキップ問題を問う

2006年10月29日 | 政治・経済・社会
   今日の日曜討論でも、高校の教育指導方針を逸脱した必修科目の未履修問題について議論されていた。
   しかし、奇異に思うのは、問題を引き起こしたのは、方針を逸脱した学校の校長等ガバナンスの当事者であるにも拘らず、一切、世間も役所も政治家もメディアも、校長が悪い、教師が悪い、と、言わないし、その罪を問おうともしないことである。
   当事者も世間も、校長や教師達が社会のルールを犯して悪いことをしたと言う認識に乏しく、必修逃れをした生徒達が可愛そうだ、救済しろと言う議論ばかりである。

   世間が糾弾しないから、校長も生徒の為に良かれと思ってしたことで、悪いとは思っていないし、生徒達には申し訳ないと詫びてはいるが、必要悪だったと言う程度の罪の意識しかない。
   まして、この必修科目スキップ問題は、現時点で、400校以上、関係する生徒は8万人をオーバーすると言われているから、全国規模に渡る大掛かりなものとなり、実際には今年に始まったことではなく以前から行われていた慣行だとも考えられるので、受験問題のみならず、高校教育全般の問題となり深刻である。
   しかし、こんなに幅広く大問題になると、結局、皆で渡れば怖くない赤信号、と言う形で決着する可能性が極めて高くなってしまう。

   この問題の背後には、文部科学省の学校教育に対する指導やガイダンス、あるいは管理監督に融通無碍と言うか好い加減なところがあって、確固たる方針や姿勢がなかったのかも知れない。
   しかし、私自身は、もっと根本的な原因は、日本の法律に対する官僚の姿勢にあるような気がしている。
   日本では、最近議員立法がかなり出てきているが、それでも、法律は官僚が作ることが多く、又、その法律が成立しても、官僚の自由裁量で運用されることがあり額面通りに法律が施行されないことがある。
   窓口規制や窓口指導などはその例だが、要するに、法律は法律だが、その解釈と運用は官僚の裁量によって左右されると言う慣例がずっと続いてきていたが、国民はこれを疑問にさえも思わなかった。
   このことが、日本人の遵法精神が希薄であることの一因ともなっているような気がする。

   法治国家として全くおかしいシステムだが、これは、長いものには巻かれろと言う役人に対する国民の姿勢と、ムラのオサに支配され統治されて来た古い社会構造を色濃く引き摺っていることで、これが、官製談合を含めた談合体質にも相通じている。
   従って、今回の必修科目スキップ履修の問題にしても、その曖昧模糊とした行政の範疇であるから、当事者も関係者も、適当なところで行政決着と言うか政治決着がつき、罪人が出ないように収まると思っている。

   今回、文科大臣だけが、まともに履修した高校生とずるを強いられた高校生との間のアンフェアを問題にしていたが、この問題を考える時に、欧米で一番基本的な価値観であるフェアかアンフェアかと言う価値判断が欠けている。
   更に、校長の犯した罪は、学生にアンフェアな学習指導を行ったのみならず、成績表や提出書類を虚偽記載するなどと、これも欧米人が一番嫌うウソをつき通してきた。倫理感覚の欠如である。
   別に、欧米人の価値観でモノを考える必要はないが、一寸、戦争直後に、マッカーサーに日本人は12歳だと言われたことを思い出したのと、グローバル時代に、臆面もなくアンフェアで嘘をついても意に介さない教育者に若者の教育を任せておいて良いのかと思ったのである。

   私自身は、現行の指導要領が適切であるかどうかについては問わないが、しかし、国家の基本姿勢として、学習指導要領と言う基本的な指針があって、そのルールに従って高等学校教育が行われるのは当然であると思っている。
   また、大学教育の大前提を体現した入試問題ならイザ知らず、入学者選考のための試験であるならば、その試験の為に、万一履修科目など高等学校教育の基本が歪められると言うことにでもなれば、これは本末転倒も甚だしいし、そうあってはならないと思っている。

   昔の日本は、暗黙の了解で上手く治まる社会的秩序があったような気がするが、これだけ大きく革命的に世の中が変化しグローバリズムが進展してくると、そのような力が働かなくなってきて、規範や規則、法律などで統べなくてはならなくなる。
   ところが、日本人の頭と性格姿勢がそれについて行けない、今、そんな過渡期にあるのかも知れないと言う気がしている。

   


   

   
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神田古本まつり

2006年10月28日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   神田神保町の古書店街で、昨日から秋の古本祭が開かれている。
   日頃静かなすずらん通りには、ワゴンを並べた俄か露天の本屋街が出来上がっていて古書ファンでごった返している。
   すずらん通りの入り口には、キャナリストリートジャズバンドと称する中年のおじさん達が軽快にニューオルリンズジャズを演奏し景気付けている。
   
   今回は、三省堂の一階ロビーとすずらん通り側玄関口の三省堂会場が閉鎖されていたので、その分、靖国通り側の古書店前の歩道にワゴン店が切れ目なく並び、こっちの方が歩けないほど賑わっている。

   私は、古書店でも、特別な本を除いては、新古書しか買わないので、特に、特別な思い入れはないが、出版社毎に出店しているワゴンには意識して出かけることにしている。
   しかし、今年に限った限りでは、各店とも、売れ残りの本を並べたとしか思えないような感じだったので一冊も買わなかった。
   何時も思うのだが、折角本の虫たちが集まる貴重なチャンスなのに、売れ残りの本しか持ってこない出版社のバカさ加減と言うか、PRの機会をミスミス捨てている販売戦略に疑問を感じている。
   目玉商品と言うか、自社の最も誇るべき書物を展示して大バーゲンを打って派手に宣伝する、そんな才覚があっても良いような気がしているのだが、そんな会社はない。

   結局、私が今回買ったのは、何時も行っている書店で2冊、
   T.C.フィッシュマン著「中国がアメリカを越える日」ランダムハウス
   幸田真音著「タックス・シェルター」朝日新聞社
   だけであった。
   案外、経済や経営等と言った専門書は少ないし、大体、古本まつりで買おうとするのが間違いでもある。

   その後、東京駅に出て、大和IRのJ-REIT会社説明会に参加して、帰りにもう一度神保町に出て、イギリスの友人に送る為に、浮世絵の版画を買って帰った。

   ところで、電車の中で読んだ朝日新聞に、朝日新書創刊記念トークショー「今、教養とは」と言う講演会の記事が載っていた。
   5人の識者が夫々教養について語っているが、要するに何を言っているのか分からない議論をしているのだが、齋藤明大教授が、
   「本を読んだら、「すごい、すごすぎる」と叫んでみる。すると知識に対して素直になれます。」と言っている。

   教養とは何かと大上段に構えるのではなく、本を読むことが教養を養う一つの手段だとするならば、何故本を読むのかと考えた方が分かり易いかも知れない。
   私の場合は、とにかく、読書が生活の一部になっていて、本に囲まれて生活しているようなもので、暇があれば本屋に行くし、暇を見つけては本を読んでいる。
   とにもかくにも、あれを知りたい、あれを勉強したいと言う気持ちが先行して本に向かっていると言うことで、別に理屈も何もないし、それが苦痛でも重荷でもない。
   本から離れている方が居心地が悪いと言うのが正直なところであろうか。

   そのことと教養がどのような関係にあるのか分からないが、何れにしろ、新しいことを知ったり、素晴らしい話に遭遇したり、あるいは、少しづつ理論がまとまり始めたりすると幸せを感じるし、自分の視野なり心なり人生がぐんぐん広がって行くような喜びを感じて感動することがある。
   見えていなかったものが見えてくる、分からなかったことが霧が晴れたように眼前に広がってきて姿を現す、知ることの喜び、出会いとの喜び、そんなことであろうか。
   

   
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歌舞伎展・・・日本橋三越本店

2006年10月27日 | 展覧会・展示会
   今、日本橋三越で、「衣装・小道具で見る 歌舞伎展」が開かれている。
   東京では珍しい企画ではないが、今回のは比較的大規模で系統だった展示会だったので面白かった。
   
   入場すると、仮名手本忠臣蔵の衣装で、大序の舞台の塩谷判官の黄色、桃井若狭之助の浅黄、高師直の黒の衣装が並べられていて、衣装の色が役の性格を現していると解説されている。
   同時に、大星由良助の一力茶屋の段と討入りの段の衣装が並べられていて、その対照が興味深い。

   やはり、今回の展示会の衣装で目を引くのは女性達の衣装で、特に、「助六由縁江戸桜」揚巻の襦襠で、豪華な地に金糸銀糸の豪華な刺繍の施された派手な衣装で舞台栄えするのは当然であると思った。
   少し地味だが、綺麗な八ツ橋の襦襠も並べて飾ってあった。
   もう一つ女性の衣装で目を引いたのは、歌舞伎で名高い「赤姫」の「三姫」の華麗な衣装である。
   八重垣姫は、赤い衣装と狐火の白い衣装2点が展示されていて、赤い雪姫、ピンク地の時姫が並べられていたが、やはり、華やかで、赤い衣装の鮮やかさは格別である。

   反対側に、一寸地味な、千鳥やお三輪やお鹿の衣装が展示されていたが、対照的な彩を添えていた。

   興味深かったのは、舞台の途中で一瞬にして衣装が変る早替りの趣向を、「引抜き」と「ぶっ返り」の衣装で見せてくれていたことである。
   「引抜き」は、「京鹿子娘道成寺」の花子が「鞠唄・廓づくし」のところで、赤地衣装から浅黄の衣装に早替りするのだが、その衣装を、一方は、上だけ引抜いたマネキンに着せ、一方は、赤地の上だけを着せたマネキンを並べて立てて、そのからくりを示していた。
   「ぶっ返り」は、鳴神仙人の衣装を使って、腰より上の部分の縫い目をはずしてすっぽり腰下に垂らした姿で示していた。

   衣装の部で今回一番印象に残っているのは、大正12年の大震災に焼け残って三越に保管されていた豪華な素晴らしい衣装である。
   六世菊之助が着ていた松王丸の長着羽織と七世幸四郎が着ていた意休の羽織で、前者は松に雪が積もった絵柄を描き、後者は龍の華麗な刺繍が施されていて、夫々浮き上がった絵模様が実に鮮やかな豪華な衣装である。
  これを見ると、現在の豪華な衣装も顔色なしで、昔の歌舞伎の衣装は如何に豪華で素晴らしい文化遺産であったのかが分かるような気がした。

   引越しに持って行けるのが小道具で、持って行けないのが大道具で、会社と担当が違うのだと説明されていたが、その小道具の数々が展示されていてからくりを示すなど面白かった。
   まな板の鯉が跳ね上がる仕掛けを動かせたり、籠に入るなどの客サービスもしていたが、矢が立ったり菊がしおれたりするからくりや、擬音の装置、猪や馬の張りぼて、扇や烏帽子、刀や煙草盆、それに大仰な毛抜きと磁石、大物浦の知盛の大碇等々面白い小道具が展示されていて、とにかく、歌舞伎の裏舞台が垣間見られた様な雰囲気になって中々面白い展示会である。

   本物に似せてできるだけ嘘にならないような誇張と工夫を施した小道具の数々、長い伝統と歴史の集積の結果であろう。
   役者の居ない舞台のない歌舞伎の数々だが、身近に観ると親しみも増して中々楽しいものである。
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必修科目世界史を教えない高校・・・コンプライアンスの欠如

2006年10月26日 | 政治・経済・社会
   高等学校学習指導要領に、「歴史地理のうち世界史A及び世界史Bのうちから一科目並びに日本史A、日本史B,地理A及び地理Bのうちから一科目」と規定されているにも拘らず、受験勉強に十分に時間を取れないために、世界史を教えていない高校がある、必修科目を履修していないので卒業できない、と言って騒がれている。

   高等学校の授業は大学受験が目的なのかと言う意味では言語道断だが、その前に、私自身が最初に思ったのは、日本人はやはり順法精神の欠如した文化を背負って生きている国民だと言うことである。
   大学進学率を上げるためには、生徒の受験勉強の負担を軽減する為には、受験に必要のない科目の勉強は、たとえそれが、高校卒業の要件であっても教えずに、他の受験科目の授業にその時間を振り向けようとする、指導要領無視の教育である。
   高校卒業要件を満足させ得ない授業カリキュラムを組んで学校運営をするなどコンプライアンス意識の欠如も甚だしいが、更に要件を知っていながら、受けてもいない授業に成績をつけていたと言う学校まであるとなれば、正に犯罪行為である。

   スクール・ガバナンス(?)の欠如と言うべきか、企業経営におけるのと同じ様なことが学校教育の場でも起こっている。
   教育の当事者に指導要領を遵守しなければならないと言う順法意識が欠如しているのみならず粉飾評価まで行っており、学校当局や関係機関にガバナンスは働かず、更に、それを監視指導しなければならない文部科学省や教育委員会にもその意識が乏しい。

   もう一度繰り返すが、日本人には、順法精神が乏しい、見つからなければ何をしても良いと言う風潮と法律遵守を交通法規のように考えているきらいがあって、学校教育の現場でもそれが日常茶飯事に全国規模で行われていると言うことである。
   営利団体であろうとなかろうと、ある目的を持って活動する組織は、会社のように、コンプライアンスとガバナンスが命。法律に準拠して活動し、目的に沿った正しい行動を正しく行っているか監視監督を行い統治するのは、組織としての初歩の初歩である。
   いくら立派な教育基本法に改定しても、精神を敲き直さねば無駄に終わってしまう。
   日本の学習指導要領が正しいと言う大前提を置くとしても、今回の不祥事を悪いと思わないような教育者乃至教育関係者が、何を生徒に教えられると言うのであろうか。
   今回のこの問題を問うた某世論調査では、理解できないが56%、理解できるが36%、どちらとも言えないが10%だとかと言うことだが、理解できるなどと言う言う人が多数いるのが実に情けない。 
   
   ここからは余談だが、
   私自身の経験から言えば、大学の時も大学院の時も、必修科目は、学年の若い時期、大学なら2年生、遅くても3年生に履修することを心がけて来た。
   大学時代に、3浪した友人が、必修科目の経済原論を4年生の最後まで残して、試験当日に朝寝坊して受験をミスって卒業できずに1年を棒に振ったのを知っている。
   アメリカでは必修はCORE(基礎)科目であるから早い時期に履修するのだが、必修科目とはそう言うものであろう。

   私たちが高校生の頃は、やはり英数国が必須で、理社は従、美術音楽体育と言った科目はおまけだと言う雰囲気が確かにあって、受験科目以外は勉強しても無駄だと言う風潮があった。
   しかし、私の受験した旧帝大系の大学は、受験科目が8科目で、英・数(2科目)・国の他に、社会2科目(私は世界史と地理)と理科2科目(私は生物、化学)あり、科目の点数の比重も同じで、全科目均等に手を抜かずに勉強せざるを得なかった。
   ところが、数学も幾何を選択したし、この幅広い受験勉強のお陰で、その後の人生が実に豊かになって大変感謝をしている。
   その後、私の趣味にオペラやクラシックが加わり、何故、学生時代に音楽を軽視していたのか後悔したりもしている。
   
   ところで、問題の世界史であるが、文科省は、グローバル時代の今日においては、重要な科目だと考えて必修にしたのであろう。
   時代の変遷によって世界史の認識は大きく変るが、世界史は、言うならば、人間がこの世に生を受けてから歩んできた人類の文化文明の軌跡をグローバルベースで総括する学問、こんなに大切な科目は他にはない。
   世界史には血塗られた悲しく悲惨な歴史も多いが、私は、世界遺産や人類の残した素晴らしい文化遺産に接して何時も感動し続けている。
   美しい芸術や素晴らしい文化に接すると何時も思う、先日、孫達が歌っていたが「ニンゲンッテ、イイナ」と言う感慨である。

   今だから言えるのかも知れないが、私が、アーノルド・トインビーの偉大な「歴史の研究」を知ったのも、平家物語や源氏物語、或いは近松門左衛門の素晴らしさを教え導いてくれたのも受験勉強のお陰であったし、世界各地を心配なく渡り歩けたのも世界地理や世界史の受験勉強のお陰だと思っているし、やはり、あの厳しい受験時代があったればこそと思うことが多い。

   私自身、あの頃は、受験校でもなかったし予備校にも行かなかったので対策など全く無視して我流に勉強しただけだったが、それでも得たことは多かった。
   なまじっか傾向と対策ばかりに奔走して、本来の教育の本分と使命を忘れて、受験科目ばかりに集中して安易にショートカット教育をしているとしっぺ返しはきつい筈。
   勉強することが如何に素晴らしいことか。そんなことを生徒達に感じさせるような教育を目指さなければ駄目だと思っている。
   
   
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ダリ回顧展・・・異様な幻想世界の饗宴

2006年10月25日 | 展覧会・展示会
   上野の森美術館で、ダリ回顧展が開かれていて、来年の正月まで開催だと言うのに、平日にも拘らず大変な人出で、特に、中高年の多い従来の美術展と違って若い人々がつめ掛けていたのが非常に興味深かった。

   1987年に84歳で生涯を終えたサルバトール・ダリの生誕100年記念だと言うが、ダリの故郷カタルーニァ・フェゲラスのガラ=サルバトール・ダリ財団とフロリダのサルバトール・ダリ美術館から作品が来ているので、結構世界の美術館を回っているのだが、全く始めてみる作品ばかり。
   しかし、ダリ10代の頃の初期から晩年までの多くのバリエーションに富んだ作品が一挙に公開されているので、兎に角驚異的な迫力で、何時もは客の肩越しに飛び飛びに見るのだが、今回は久しぶりに、中々動かない鑑賞者の列に並んで最初から最後までじっくりと見て歩いた。
   正味2時間、しかし、面白いほど、想像を掻き立ててくれる楽しい午後のヒトトキを過ごすことが出来た。

   大分以前に、マドリードで、ダリの特別展を見た事があり、あっちこっちの美術館でダリの作品を見ているが、大体、美術書などに出ている大作なので、それなりに鑑賞を楽しめたが、今回のように、日頃知らないようなダリの作品などを一挙に沢山見せられると、ダリに対する印象が全く変ってしまう。
   やはり、驚異的なシュールレアリスト画家であったことを実感させられる。
   特に、相対性原理や量子物理学等科学的な思考に影響された後期の作品等を見ていると、ダリの分裂症気味の思考が益々冴え渡り、関係ないのに、何故か、複雑系の経営学や経済学を思い出してしまった。

   ダリの故郷カタルーニァは、バルセローナしか行っていないが、ガウディやミロの故郷でもあり、兎に角、ここは極めて民族色の強いところで執拗にカタロニア語を守り抜いていて、スペインと言うよりは独立の地域国家であり、ホセ・カレーラスもそうだが、特異な逸材を沢山輩出している。
   ダリのデザインした劇場美術館の写真を見ていると、バルセロナにあるガウディの建築物と殆ど雰囲気が変っていないのにビックリした。
   ラテン系特有のイタリアとは一寸違った偉大な芸術の発露が開花していて面白いが、ダリの精巧な絵画の中の背後の風景には、カタルーニァの海岸か荒涼とした大地が描かれていて色濃く風土が表現されているのも興味深い。

   この素晴らしい描写力を駆使した精巧な筆致で描いた風景を背景にして、時計が溶けて壁にへばりついたり、片目だけが大きくぎょろりとむき出した体から怪獣のような手が大きく飛び出したり、とにかく、奇妙な物体を配置した幻想的な世界を描出している。
   この口絵の絵も、「夜のメクラグモ――希望!」と言う題名だが、チェロを弾く裸婦のとろけた顔の上にメクラグモが描かれてその下に平和の敵アリが這いずり回っている。杖に支えられた大砲様の筒から馬が飛び出し、それらの光景を天使が見ている。何がどうなっているのか分からないが、いやに想像を掻き立てる。
   何を描いているか理解されたいかと聞かれて、ダリは描いている本人さえ何を描いているのか分からないのだと答えている。モーツアルとのように神がダリの手を動かせて絵を描いていたのかも知れない。

   面白かったのは、「ヴォルテールの見えない胸像」のダブルイメージの絵で、遠くから見るとヴォルテールの胸像に見えるが、近づいて見ると、五人の貴族達の群像に見える。
   精巧に描かれた「リチャード3世の扮装をしたローレンス・オリビエ」は、左向きの肖像に正面向きの顔を半分重ねて描かれていたが、これはピカソの世界である。
   また、色々の名画や彫刻のイメージを使って絵を描いていたことで、ミレーの晩鐘やマルガリータ王女を描くベラスケスなど面白かった。
   マルガリータの絵については、ピカソも何度も習作を描いているが、やはり、スペイン画家にとってベラスケスは偉大なのであろう。

   最愛の妻ガラの綺麗なドローイングが展示されていたが、二人は同一の一つの玉子から生まれ出たのだと言う位だからダリの幻想的な絵の構想の多くはガラに触発されて生まれて来たのであろう。
   愛に耽溺したのかエロチックな幻想画もあるが、他人の妻だったガラに恋をして苦楽を共にしガラの死後は筆を絶ったと言うダリ、劇場美術館の壁面トップの装飾に玉子が並んでいるのが面白い。

   このダリだが、映画に興味があり、ヒッチコックやディズニーとも接点があったとか、アメリカにも移り住み、多彩な活躍をし続けた芸術家である。
   このダリ回顧展は、十分に楽しめる素晴らしい企画である。

   
   
   

   
   
   
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従業員重視の経営・・・マリオットの場合

2006年10月24日 | 経営・ビジネス
   津田倫男氏は「突破する企業「大逆転」のシナリオ」と言う著書の中で、常識に囚われずに成功した企業を例示しながら、固定観念を打ち破って創造的経営を行うことが如何に大切かを論じていて面白い。
   ブルーオーシャン戦略理論の展開を、もっと身近に簡略化して優しく説いた本で、勿論QBハウスの例も説明されていて、大半は、あっちこっちの経営書に書かれているので目新しくはないが、マンデラの例を引くなど色々な視点からの分析が面白い。

   いくらか興味深い点があるのだが、その一つは、新旧サービス業の「市場創造と自己改革」の中で、アメリカの企業マリオット・ホテルでの「従業員第一」の姿勢を打ち出して経営危機を乗り越えたことを論じている。
   ビル・マリオット・ジュニアが、「株主、顧客、従業員の中で最も大切な集団は従業員である」と言っており、内向きの広報には、3大重要グループは、従業員、顧客、地域社会だと言って、株主重視とは言っていないと言う。
   従業員が満足して働いていない所で、顧客に本当に喜んでもらえるサービスなど提供出来る筈がないと言うのである。

   マリオット一族がモルモン教徒であり、ホテル業が多くの従業員を抱えていて従業員が財産でもあると言う事かも知れないし、著者の言うように、13万人と言う従業員が、即顧客でもあると言うことでもあろうが、アメリカの企業としては、従業員第一と言って憚らない経営は極めて珍しい。

   稲盛和夫氏の近著「アメーバ経営 ひとりひとりの社員が主役」と言う本の基本精神も従業員重視の経営で、特に、従業員の経営参加と従業員の経営資質の向上を説いている。
   最近の欧米流の人事管理制度を導入する企業が多くなっているが、真っ向から疑問を呈して従来の従業員重視の経営の重要さを説いているのが興味深い。

   キヤノンの御手洗経営もトヨタの奥田経営も、終身雇用等の日本の経営思想を重視した経営であり、好業績をあげていて高く評価されている。
   大分以前だが、某米国格付け会社が、終身雇用ゆえにトヨタの格付けを下げたことがあったが、今から思えば、如何に格付け会社の物差しがいい加減であったかと言うことが分かる。
   「日本の経営」のアベグレン氏も、日本の経営環境は大きく変ったが、日本の雇用制度については根本的に変っておらず、これが日本経済再生の核になると論じている。

   それにしても、これまでの未曾有のデフレ大不況は、日本の人材を随分無駄にして来た。
   従業員を過剰資産と看做して切り捨て合理化を図り、更に、新卒を採用できない為に、多くのフリーターやニートを生み出し、自殺者を輩出して来た。
   少子高齢化と言うが、高齢化は順送りだから仕方がないが、少子化で出生率が下がった原因の多くは、大不況の為に先が見えず子供どころではなかったからである。
   アメリカが不死鳥の様に不況から蘇って来たのも、移民の流入も含めて若年者の増加が続いているからであろう。

   いずれにしても、イノベーションを追求して他社との差別化を図って創造的経営を行う為にも、大切なのは、企業の人財であることには間違いなかろう。
   
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芸術祭十月大歌舞伎・・・昼の部

2006年10月23日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   芸術祭と銘打つだけあって、昼も夜も中々意欲的な出し物で、楽しませて貰った。

   冒頭の「葛の葉」は、これまでは、藤十郎が演じたのを2回見ている。やはり、藤十郎の芸には抗しがたい程胸を打つ狐の悲しさ、親子の情愛の深さに感動させる凄いインパクトがあるが、今回は、魁春の葛の葉と門之助の安倍安名で、雰囲気はがらりと変ってしまった。
   魁春は、雀右衛門に教えを受けたようだが、やはり、初役でもあり若い所為もあってか、理屈ぬきにストレートで全くけれんみのない演技で、曲書き等もスムーズと言うか、狐言葉や狐の仕草なども優等生のそれで、それなりに新鮮な感動を与えてくれた。
   今回、魁春は、「熊谷陣屋」は、芝翫の熊谷妻相模を相手にして平経盛室藤の方を演じて、中々品のある華麗な舞台を見せており、それに、夜の部の「仮名手本忠臣蔵 五段目」では、一文字屋お才を演じるなど、一日でバリエーションのある役柄を器用に演じていて流石である。

   安名の門之助は、夜の部の「髪結新三」で、白子屋手代忠七を演じていて、どちらも男としては一寸冴えない優男風の舞台だが、中々味のある芸を見せていて、近松の心中モノを演じたらどんなものであろうかと思いながら見ていた。
   私が門之助に注目したのは、随分以前になるのだが、何だったか忘れてしまったが猿之助との舞台で、粋で綺麗な江戸の芸者姿を見た時で、その美しさと色気に圧倒された。

   この葛の葉の子供が、後の陰陽師安倍晴明なのだが、森羅万象地球上の総てのものに生命があるとする八百万の神を信じる多神教の日本ゆえの物語で、多くの動物譚が日本文学を豊かにしてくれている。
   たとえ狐でも、長年夫婦の恩愛を重ねて子までなした中、恥など一切感じない安名が子供を抱えて後を追うが、後をも振り向かずに信田の森へ向かって駆け出して行く狐葛の葉の姿が悲しい。

   「寿曽我対面」は、やはり、典型的な江戸歌舞伎の舞台と言うべきか、華麗で粋な見ごたえのある極彩色の世界を見せてくれる。
   團十郎演じる工藤左衛門祐経など、曽我兄弟が仇と狙う敵役だが、この舞台では、座頭が演じるようになってから白塗りの立役で、堂々とした貫禄の武士となったと言うが、逆に曽我兄弟の方が陰が薄い感じである。
   本復した團十郎の舞台姿は流石で、十郎祐成の菊之助と五郎時致の海老蔵のパンチの効いた華麗な姿と好対照で、久しぶりの本格的な父子共演が素晴らしかった。
   ことに、海老蔵の凛と透き通った美声と錦絵から抜け出たような華麗な見得が堂に入って素晴らしい。
   菊之助の流れるような優しい演技が海老蔵の骨太な演技と呼応して絵のようであるが、言うならば、話の内容などどうでも良く、客は美しい華麗な格好の良い舞台だけでも満足だと言うことであろうか。

   「熊谷陣屋」は、幸四郎の直実、芝翫の妻相模、魁春の平経盛室藤の方、團十郎の義経、段四郎の弥陀六だから、大変豪華な舞台である。
   夫々に感動するほど素晴らしい演技に満ちた舞台だったが、一つだけ気になったのは、幸四郎の感情移入が強すぎるのではないかと思ったことである。
   幸四郎については、このブログでも何回も書いているし、天下随一の役者だと思っているが、この舞台だけは何故か違和感を感じて見ていた。

   勿論、この「一谷嫩嫩軍記」の歌舞伎は、史実とも、或いは、平家物語とも違う虚構ではあるが、熊谷直実は、頼朝に「関東一の剛の者」と言われた鎌倉屈指の武将であると同時に、敦盛を討った後、平家物語では、敦盛の父平経盛に、首と青葉の笛を添えて「熊谷状」を送っている義に篤い人物でもあった。
   保元の乱で義朝に味方して初陣を飾り、一時平家にも仕えた百戦錬磨の武士の中の武士と呼ばれた直実が、歌舞伎の舞台では、主君義経の意向を察して敦盛を助ける為にその身替りにわが子の首を差し出して血の滲むような忠義で報いている。

   そんな熊谷直実が、何故、わが子恋しさに陣屋を訪れた妻相模に露骨に辛く当たり、敦盛の最後を大仰に声音を変えてまで語ることがあろうか。
   また、最後の「16年も一昔。ああ、夢であったなあ」と陣屋を後にして行く感動的な場面だが、何故、網笠を震わせてまで別れに慟哭する必要があるのか。
   一切の結末を承知の上で剛直に生き抜いた直実には、微動だにしない男の意気地で観客を感動させる、そんな舞台が似つかわしい筈である。
   私は、先の仮名手本忠臣蔵で勘平の仁左衛門が、下を向いて微動だにせず必死になって苦渋に耐えていた姿に限りなき男の悲劇を感じて感動して観ていたが、あれである。
   私には、昨年観た仁左衛門の殆ど派手な演技を交えずにジッと苦痛を噛み締めて天を仰ぎ、静かに花道を去って行った直実の方がずっと好きである。

   幸四郎については、夜の部の「髪結新三」の一寸ヘマナ小悪人であるタイトル・ロールの方は、伸び伸びと大らかに演じていて良かったと思っている。
   幸四郎は、凄い芝居の主役ばかりの役者だが、このような悪賢いがどこか一寸底が漏れている小悪人や庶民の生活を描いた世話物などを実に人情味豊かに心憎いほど上手く演じている。
   
   昼の部の最後は、「お祭り」で仁左衛門の鳶頭松吉の、粋でイナセナ清元の風俗舞踊で、かなり重い先の舞台の後の清涼剤として楽しい。
   しかし、昼の部だけしか観ないお客さんには、一寸仁左衛門の素晴らしい舞台が観られないのが残念かも知れない。
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ニコン東京大撮影会

2006年10月22日 | 生活随想・趣味
   秋空の清々しい日曜日の今日、西立川の国営昭和記念公園で、ニコンの撮影会が催されたので出かけて行った。
   千葉からだと一寸した小旅行なのだが、面白いので都合がつけば毎年出かけている。
   以前には、キヤノンの撮影会にも出かけていたが、今は、ニコンだけである。

   最近、殆どの遊園地や公園が営業不振の為に閉鎖されてしまって、撮影会の会場も極めて限られてしまっている。
   この昭和記念公園は、初めてだったが、結構広くて花が咲き乱れていて、それに、手入れが行き届いていて素晴らしい公園である。
   広い芝生の緑地広場は、一面に人々が座ったり寝転んだりして憩っており、花壇は、特に、イエローキャンパスの黄色コスモスが広大なお花畑を作っていて素晴らしいし、緑陰にはホトトギスの群落があるなど、森や湖、サイクリング道、子供広場など、少子高齢化と言うが、子供たちで溢れていた。

   ところで、撮影会は、プロの先生が9人で、1人はネイチャー担当だが、他の先生は夫々2人づつのモデルがつくので、日本人と外人モデルが14人に、子供モデルが2人で、それに、レフ版担当などの係員が一緒になって、多くのアマチュアカメラマンを引き連れて移動するのだから異様な光景である。

   それに、緑陰の芝生に敷物を敷いてその上に寝そべった若い女性モデルを取り囲んで、ロングの長いレンズを装着したカメラを、沢山の中高年のおじさん達が群れて、いっせいに構えて放列をしき、
   「マリヤちゃん、こっち向いて、目線を頂戴!」
   「一寸右手で髪を掻き揚げてくれないかなア、そうそう、綺麗だ」
等と勝手なことを言いながらパシャパシャ、
とにかく、横を通る人々が珍しそうに眺めながら通り過ぎて行く。

   しかし、殆どの人は、こっち向いてと言うのが精一杯で、モデルがカメラの方を向いてくれるのを待っている。
   先生は、黙ってないでどしどし注文をして、自分のためのモデルさんのように指図して、と言うのだが、恥ずかしいし、どう注文をつけて良いのか分からないのが、正直なところである。

   ところが、一人だけ綺麗で実に女らしい素晴らしいモデルなのに、何故かカメラマンが少ない。
   近づいて見ると、ブラジル女性で、殆ど、日本語も英語も通じないのでコミュニケーションが上手く行かず、そのために人が少ないのだと言う。
   私も、「セニョリータ、アキ、パールファボール」程度は言えるがそこまでで、30年以上前のポルトガル語なので忘れてしまって細かい指示など出来ない。
   しかし、後で移動中に聞いたら、クリチーバ生まれで父が日本人3世(日本語は全く分からない)でハーフ、来日して2ヶ月だと言う。
   後で、デジカメで撮った写真を見たら彼女の表情が一番美しかったので嬉しかったしほっとした。

   何れにしろ、色々なモデルがいて、夫々個性豊かで面白いのだが、やはり、人懐こくて人見知りしない女性が好まれるようであり、ぽんぽん受け答えしているのが良さそうである。美人と言う程でなくても、人が沢山集まる、やはり、愛嬌である。

   余談だが、最近の外人モデルの出身地は、ルーマニア、ベルラーシ、ウクライナなどの東欧圏などが多いが、確かに、世界中にはビックリするような美女がいる。
   至近距離で挨拶したダイアナ妃も美しかったが、ルフトハンザにいた抜けるようなドイツ美人やロンドンのエレベーターで乗り合わせた絵本から抜け出たようなアラビアの美少女etc。あっちこっちでビックリするような経験をしているが、玄宗皇帝でなくても美人にウツツを抜かす気持ちも良く分かる。
   

   ところで、大体、日常生活において、綺麗な若い女性をジッと眺めてシャッターを切るなどと言う幸運はまず撮影会か結婚式などくらいしかないので、確かにそれなりに楽しい。
   しかし、先生はチャンスは、総てみんな平等だよと言うのだが、同じシャッターを切っても、プロの先生の様に中々良い写真は撮れない。

   今年は、大分、デジカメの一眼レフに切り替えたファンが多くなっているような気がした。フィルムを交換している人が少なくなっているのである。
   先生も、ニコンD200を持っている人が多かったし、やはり撮影しながら露出など出来上がりが瞬時に分かるのが良さそうである。
   先生も、「デジカメで露出を確認して」、と指導していたので、色の表現などフィルム並みに豊かになれば、もうデジカメ独壇場の世界になる。
   コンテストなど、まだ、銀塩フィルムの作品が多いようだが、最近では、プロの個展などでもデジカメの作品が多くなっているし、デジカメの進歩は日進月歩なので、銀塩カメラの淘汰も時間的な問題かも知れない。

   3時半に撮影会が終わったので、花壇に咲くコスモスなどを写しながら帰った。
   
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幼稚園の運動会

2006年10月21日 | 生活随想・趣味
   ここ3年、秋には、孫の幼稚園の運動会に出かけている。
   我々の子供の頃は、まず、幼稚園に行く子供は少なくて、そのまま小学校に上がる子供が大半であったし、3年保育などと言うことは想像外であった。

   それに、我々の子供の頃の幼稚園は運動会などは今のように単独ではなくて小学校との合同であったし、それも、器具を使うと言えば、綱引きか玉入れくらいで、後は、騎馬戦にしろ組立体操にしろリレーにしろ、いずれにしても徒手空拳であった。
   ところが、この頃の子供の運動会は、実に華やかで、競争競技であっても派手な衣装をつけたり、障害物でも遊園地並みに工夫を凝らした器具を使用したり、踊りなども一寸したエアロビクス並の振り付けであり、それに、伴奏音楽がアニメあり映画ありで実にモダンで楽しそうである。

   一寸違和感を感じるのは、競争競技では、団体では順位を考慮するのに、個人競争では順位を全く考えずに無視していることである。
   この世の中には、オリンピックはじめ、多くの世界で、優勝、入賞が正に目的で順位が踊っており、そのために、日本人がデープインパクトに失望したのにである。
   順位をつけて競争させることは教育上良くない、みんな一等賞だと言う、総ての子供を順位なしで平等に遇するべきであると言う考えのようである。
   しかし、これは全く本末転倒した平等主義と言うべきで、子供の頃にこそ、優勝劣敗、優れた者が勝者となる、と言う現実を経験させると同時に教えるべきであると思っている。

   日本の教育で一番問題なのは、秀でた才能をトコトン伸ばすと言う視点が欠けている事で、優勝劣敗の教育が推進されれば、当然のこととして、順位を付けて競争させることになるので、自分の秀でた才能を伸ばすことに重点を置かざるを得なくなる。
   今の教育では、数学が出来なければ数学の補習をして学力を補うなどと言う無駄をしているが、出来なければ出来ないで、出来る音楽を一所懸命にやれば良い。
   そうすれば、自分の勉強したいことに打ち込めるので、心配しなくても、素晴らしい学者なり研究者が各分野で生まれてくる。人間の関心事は無限に広がっているのである。

   今、安倍内閣が教育基本法の改定問題を正面から取り上げようとしているが、素晴らしいことではあるが、下手な考え休むに似たりと言うこともある。
   子供が、喜んでのびのびと勉強できる環境があれば良い。
   それに、メディチ・インパクトのような、爆発的な知の集積を生む学問環境を生み出せないものであろうか。
   とにかく、嬉々として運動会に走り回っている子供たちを見ていて、如何に日本の学校教育が面白くないのか、この辺りに教育の貧困があるような気がした。
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WPC TOKYO 2006・・・マイクロソフトの独壇場

2006年10月19日 | 政治・経済・社会
   東京ビッグサイトでMPC TOKYO 2006が始まった。
   私は、昨日、MPCフォーラム2006の基調講演の方を聞くためにビッグサイトに行って、その後、フェアを見学した。

   基調講演のトップは、インテルのムーリー・エデン副社長の「デュアルコア、マルチコアが創り出す新世代コンピューティングと新しいライフスタイル」で、Core2 DuoによるPCの新しい展開など新製品による飛躍的な発展についての説明があったが、特に強調していたのは、モバイル・ライフスタイル実現に向けての技術革新であった。

   日本では、デスクトップとノートブックPCの比率は近年殆ど50%近辺で変化がないが、欧米では、ノートブックPCの比率が急速に上がって遥かに50%を突破している。
   日本でも、その分、携帯電話による通信がPCを最近急速に上回っており、欧米日とも、PCのモビリティ性とパーソナライゼーションが急速に進展している。
   とにかく、自分で身近に携帯して自分好みのPCをいつでも利用し楽しみたいと言う要求が益々強くなっており、PCもその方向に急速に進展していると言うのである。

   ソニーが、myloを12月に出す。この世界の到来であろうか。
   ソニーは、一度は撤退した筈だが、今度は、小型軽量ボディにフルキーボード搭載ワイアレスLANでインターネットコミュニケーションが楽しめるパーソナルコミュニケーション機器myloで帰ってくる。
   スカイプを使って無料電話も楽しめそうだが、携帯よりPCに近いので楽しみにしている。

   今後のPCのトレンドについて、
   ①ホーム エンターテインメント
   ②ストリーミング、ビデオ、サービス
   ③VOiP
   ④自宅で、旅先で
   と言う傾向が益々進展すると説明していた。

   アメリカやカナダでは、既に、人々は、TVよりPCの方が好きで、PCの前で時間を過ごす方が遥かに多くなって、TVからPCへの移行が急速に進展していると言う。
   とにかく、PCで、ビジネス、実務、エンターテインメント等々あらゆる人間活動が出来るようになったのである。
   また、近い将来、ワイヤレス業界は、WiMAXによって大きく変動するのだと言う。

   二番目の基調講演は、マイクロソフトの「Microsoft Windows Vista & the 2007 Office Systemの競演 革新的デジタルワークスタイル」で、マイケル・シーバート氏とクリス・カポセラ氏の説明に、日本マイクロソフトのダレン・ヒューストン社長が飛び入りして、来年早々に売り出される新しいソフトWindows VistaとOffice 2007の説明とデモンストレーションを行った。

   とにかく、新しいビスタについては大変な人気で、マイクロソフトの展示場に据え付けられた250台のビスタを搭載したPCの前には人だかりで近づけないくらいの盛況であった。
   私は、セキュリティのブースで説明を聞いたが、確かに、大分便利になっていて助かると思った。
   最近追い上げ急なリナックスを意識しての新製品なのであろうが、このWPCは言うならば、マイクロソフトの独壇場の舞台で、悲しいかな、日本企業のブースは貧弱で寂しい。
   CEATECの様なハード部門ではきわめて強い日本企業もソフトでは完全にアメリカに敗北しているのであろうか。

   同時に、Security Solution 2006, eドキュメントJAPAN 2006, Biz Innovation 2006が、隣の会場で開催されていて出入り自由なのだが、昨年のWPCより面白くなくなった感じで、早々に引き上げて帰ってきた。
   余談ながら、コジマなどの、安売り・バーゲンも、目玉がなくて冴えなかった。
   
   
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国立劇場「元禄忠臣蔵第一部」

2006年10月18日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   国立劇場開場40周年記念での特別企画公演で真山青果作「元禄忠臣蔵」が、この10月から12月にかけて3部構成で上演される。
   通して上演されるのは始めての様で、今月は第一部で、江戸城の刃傷の場から最後の大評定まで、即ち、内匠頭の松の廊下での刃傷から大石内蔵助が最後に赤穂城を立ち去るまでが演じられている。

   この歌舞伎は、仮名手本忠臣蔵とは違って、戦前の作ではあるが、大石良雄によって主導された赤穂浪士のあだ討ちに焦点を当てた史実に近い芝居で、題名のとおり元禄と言う時代背景を色濃く写し出している。
   連日の満員御礼の盛況で既に切符は完売していて買えない。

   都合で少し遅れて劇場に入ったので、私が観たのは、梅玉の内匠頭が殿中で吉良に斬りつけ梶川与惣衛門(吉三郎)等に「殿中でござる」と背後から抱き抱えられている所だったが、仮名手本忠臣蔵の顔世御前に対する懸想が発端の遺恨が原因の前置きの長さを考えれば、冒頭から松の廊下での刃傷で始まるテンポの早さ。この歌舞伎の最後は、内蔵助が切腹の場へ向かう所で終わるのだが、主題は元禄ボケの江戸幕府のご政道に対する痛烈な批判である。

   この第一部は、冒頭の刃傷と内匠頭の切腹も劇的だが、昼行灯と言われた大石が如何に主君の無念を晴らす為に、吉良を討つ決心をするのか、その心の軌跡を「第二の使者」と「最後の大評定」で、解き明かして行く重要な舞台である。

   勿論、大石の頭には最初から吉良の首を討つ以外の選択肢はなかった筈だが、真山が強調したのは御所の「これはお噂もうすも勿体なき事ながら、貴き御簾のうちよりのお言葉に、内匠頭一念達せず不憫なりとの――御声を漏れ・・・承った者があるのじゃ。」との意向で、一番恐れていた大不敬がなかったことに感涙する大石の姿を浮き彫りにしている。
   戦前の作であるから多少天皇家に対する思い入れもあるだろうが、重要なことは、天の摂理が自分に味方をしていると信じた大石が、ここで、心底感激して迷いも邪念も総て取り去ってあだ討ちの決心をしたことである。
   この段が「第二の使者」で、内匠頭の帰趨について正確な情報を伝える江戸からの第二の使者を意味しているのだろうが、もっと重要なのは、京都からの使者小野寺十内(家六)の方である。
   この吉右衛門と家六の対話の場面が非常に感動的で、二人とも実に上手い。
   天を仰いで慟哭する(?)内蔵助の独白が胸を締め付ける。
   「この上は、もはや、いずこを憚り、いずこを恐るる処もない。家中一同の所存にまかせ、殿の御無念を報ずるばかり――いや、殿の御冥福を祈るばかり――」と一寸勇み足の言葉を吐くが決然として緊急の評定を命ずる。

   この赤穂での舞台で重要な位置を占めるのが、富十郎演じる浪人・井関徳兵衛である。さすがに人間国宝で、実に素晴らしい男の悲哀を見せる。
   20年前に先代藩主に勘当されて浪々の身だが内蔵助の元親友で、大事を聞いて報恩の列に加わるべく馳せ参じて来たのだが、結局、許されず、一子紋左衛門(隼人)と共に城外門前で自害する。
   腹に刀を突き立てながら、内蔵助に「必ず何か大望があろう。・・・死出の旅路を踏み出した俺だ。聞かしてくれ、内臓助聞かしてくれ! 耳が、耳が遠くなりそうだ。早く言え、早く言え」と叫ぶ。
   内蔵助の吉右衛門は、左右を警戒して、徳兵衛の傍らに屈み込んで抱き抱えるようにして顔を近づけて「内臓助は、天下の御政道に反抗する気だ。」と、ここで初めて生涯の親友・徳兵衛に吉良仇討ちの決心を明かす。

   喉笛を掻き切って果てた徳兵衛の亡骸に幡をかけ、紋左の胸に鎧の胴をかけて側を離れて、両手を握り締めて合掌する。
   内蔵助は、遠ざかって行く大手門を仰ぎ感極まって嗚咽が胸を突き号泣して地面に倒れ付す。しばらくしてすっくと立ち上がって城を後に、仁王のごとく前方をシッカと睨み付けて花道を下がって行く。
   この舞台は、この吉右衛門の心の軌跡が命で、天命を知って孤高の境地に上り詰めて行く男の感動と悲劇が限りなく胸に迫る、正に千両役者吉右衛門の真骨頂の舞台である。

   多門伝八郎と堀部安兵衛を演じる歌昇が、男っぽい実に素晴らしい芸を見せる。
   浅野内匠頭に対する柳沢等重臣の片手落ちの扱いに、ご政道のあり方について正論を滔々と打つ爽快さは格別だが、印象的なのは、内匠頭の切腹の場に、小姓頭片岡源五右衛門(信二郎)の立会いを許し、十四夜の月の美しさに託けて頤をしゃくって内匠頭の注意を引いて庭の暗がりに跪く源五右衛門に気付かせるシーン。
   「四つの目、相吸わるる如く、凝然として動かず。」
   涙を振り払って、突然叫ぶように、田村家付き人に書置きを書き取らせ辞世の歌を詠む。

   梅玉の浅野内匠頭の風格と凛々しさ、そして、運命を悟って死に行く君主の悲劇を実に品良く感動的に演じていて、その素晴らしさは言うまでもない。
   片岡の方を見て辞世の句を読み、庭先に嗚咽して平伏す片岡の心情に暗涙し、あらぬ方の中天を仰いで棒立ち。
   忠臣蔵の冒頭の感動的な舞台で、派手な刃傷も切腹の場もない真山の忠臣蔵の導入部としては十分すぎるほど十分の幕切れである。

   大石松之丞の種太郎と井関紋左衛門の隼人の初々しくて若者らしい清清しい舞台に好感を持った。
      
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赤とんぼ

2006年10月17日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   清々しい秋晴れの涼風に誘われて、椿の植え替えと草抜きをしようと思って久しぶりに庭仕事を始めた。
   椿は、今、西王母が咲いているが、あとはまだ蕾が固い。

   フッと息抜きをしようと思ってイスに座ると、目の前をトンボが横切って、片隅の支柱の先に止まった。
   何気なく見ると、真っ赤な赤とんぼである。
   先週、庭に出た時には、まだ、ややオレンジがかった感じであったが、急に寒くなったからであろうか、もう、真っ赤に染まって美しかった。
   このトンボは、夏の終わり頃から飛び始めていたが、あの頃はまだ普通の色をしたトンボであったが、秋深くなると真っ赤になる。
   何故かこの赤とんぼを見ると、急に子供の頃の思い出や、歩き回ったあっちこっちの外国や国内の秋景色を思い出して急に人恋しくなるのである。

   子供の頃は、宝塚の田舎に住んでいて、夕暮れになるまで野山や田んぼの中を転げまわって遊んでいたので、赤とんぼが沢山群れ飛んでいたし、友達でもあった。
   空には、かあかあ鳴きながらねぐらに急ぐカラスや、カギ型になって渡っていく雁の群れが真っ赤な夕日を浴びて飛んでいく姿があり、泥まみれになってドジョウやフナを追いかける小川があり、夜にはあぜ道に足をとられながら蛍を追いかけていた。
   とにかく、戦後大分経っていたけれどまだ日本全体が貧しかったが、原田泰治の絵のような懐かしい世界が残っていて、我々子供たちはそんな生活にどっぷり浸かって生きていた。
   今より、少しだけ幸せだったかも知れないと思っている。   

   外国でトンボを見たかどうか記憶はないが、実際に住んでいたアメリカやヨーロッパでは、四季のうち、私には秋が一番印象深かったし好きであった。
   勿論、日本の秋の紅葉の美しさは格別であり、京都や奈良の錦に輝く秋の美しさと日本独特の秋の風情は、何物にも代えがたいほど素晴らしい。
   しかし、アメリカでもヨーロッパでも、秋になって森や林が真黄色の黄金色に染め抜かれて輝き始めるとビックリするほど美しいし、オレンジがかった小豆色に染まった晩秋の野山の秋景色や、夕暮れにほんのりと輝く古風な街灯やショーウインドーの灯りの醸し出す温かい風情など胸に迫ってくるほど懐かしい。

   ヨーロッパでは、歳時記が結構重要な意味を持ち、四季の移り変わりや季節の野良仕事や行事などを描いた絵などに人気があるようである。
   それに、何故か、4枚の四季を描いた絵皿があっちこっちに売っていて、我が家にも、デルフトやウエッジウッド等の皿があり、子供達もイギリスで、四季のコーヒーカップ等をコレクションしていた。
   日本は、自然の変化が非常に木目細かく微妙に変って行くので、生活や文化に自然の移り変わりがビルトインされてしまっていて、四季、四季と取り立てて言う必要もないのかも知れない。

   ところで、庭の雑草を抜いていると、下から、小さな新しい木の芽が出てきている。
   椿、万両、ヤツデ、アオキ、クスノキ、もみじ、知っているのはそんなところであろうか。
   椿は、私自身が夫々の木の下に種を埋めて置いたのが生えてきたのかもしれないが、風で飛んできたもみじ以外は、小鳥達が運んできたものであろう。
   殆どは必要ないので間引いてしまうのだが、万両だけは、成長が遅く樹形が良くて下木に良いので残している、小鳥達の素晴らしい贈り物である。

   イチジクの木に群れていたスズメバチもいつの間にか居なくなってしまったし、訪れる小鳥もすずめだけになってしまった。
   アゲハ蝶も少なくなって小さな蝶が飛んでいる。
   しばらくすると、蓑虫が木からぶら下がってくるであろう。
   夕日の色も益々鮮やかな赤みを増し始めて空を真っ赤に染めている。
   秋たけなわである。

   芝生の上のテーブルに座って、すましたシェイクスピアのイラストのあるRSCのマグカップで、ダージリンを喫しながら、秋の風情を感じながら憩う、また、楽しからずや、である。
   

   
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大前研一著「新・経済原論」

2006年10月15日 | 経営・ビジネス
   「The Next Global Stage」は、母校ウォートン・スクール出版社の最初の経営学書で大前研一の意欲的な一冊だったので、出版後直ぐにアマゾンで買ったのであるが、少し読んでツン読になってしまっていたのを、翻訳版「新・経済原論」に先を越されてしまってので、急いで読んだ。
   原書で270ページなので院生の頃は2~3日で読んでいた筈だが、翻訳版は何故だか500ページ以上、読書力が落ちてしまったのか、飛び飛びで一週間掛かってしまった。
   いずれにしても、経営学に関しては、世界でも最大級の大変な知の集積のあるウォートン・スクールがこれまでに出版物を出さなかったのは不思議なくらいだが、既に日本でも10冊程度翻訳書が出版され始めて話題になっている。
   ITの時代を先取りして、もう一歩進めて、e-ラーニング指向のビジネス・スクールへの脱皮はどうであろうか。

   この本は、英文のタイトル通りに「次のグローバル・ステージ~ボーダーレス世界における挑戦と機会」と言った方が分かりやすいのだが、経済社会の発展段階を、流行の脱工業化や知価、知識情報化と言ったIT革命的な捉え方をせずに、あくまでグローバル・エコノミーの爆発的な発展として捉えている。
   「お気に召すまま」の中のジークイーズの「この世界はすべてこれ一つの舞台、人間は男女を問わずすべてこれ役者にすぎぬ」と言う言葉を引用して、これはシェイクスピアの比喩だが、しかし、グローバル・エコノミーは、無用な障壁や舞台装置の区切りもない巨大な現実の舞台であり、我々全員が独立した役者で構成される巨大な劇団を形成しているのだと言う。
   グローバル・エコノミーは、ボーダーレス、目に見えない、サイバー技術でつながっている、そしてマルチプルで測られる、特徴があり、これらがお互いに影響しあって自己増殖して発展して行く、しかも、まだ揺籃期にあるのだと言うのである。

   このグローバル・ステージが幕を切って落とされたのは、1985年、ビルゲイツの出現で、この年が新世紀の初年度で、その前がBG(Before Gates)、その後をAGと称する。この激動の年を、プラザ合意やゴルバチョフの政治改革と絡めて説き、IT革命に牽引された科学・技術とグローバリゼーションの新世紀の到来を語っている。

   今日のグローバル世界は、製造業主体の旧世界ではなく、テクノロジーの発展に多くを依存し、IT革命によってそれまでには不可能であったことが可能になった新世界で、複雑系が優位となり秩序や均衡を前提とする経済学は役に立たなくなったと強烈に現代経済学を糾弾する。
   例えば、グローバル・エコノミーは、マルチプルやデリバティブと言ったこれまでに考えられなかったビジネス要素を生み出し、資金の動きは国民経済から自由になって世界を駆け巡っている。過剰流動性を説明するマーシャルのkを無効にし、日本でもジャブジャブに日銀が資金を投入してもインフレは起こらなかったではないかと言う。

   IT革命に乗って奇跡の高度成長を謳歌しているアイルランドやフィンランドを例にあげて、持論の道州制、即ち、中程度の地域国家制度が如何に経済社会の発展の為に有効かを論じている。
   同じマクロ・リージョン理論でも、イタリアの高い製造技術と職人の匠の技に裏打ちされたニッチ市場をターゲットにした小企業の、高い認知度とブランド・ロイヤリティを追求する特化戦略等も念頭に置いた肌理細かい成長路線も紹介していて面白い。

   当然のこととして、日本の様に官僚制が強くて、政府は自分達が権力の宝庫だと考えている(?)ような強力な権力を振るう中央政府を維持しているような体制については、コテンパンに批判。
   最も時代遅れの概念が国民国家で、EUでは、国家にとって重要な筈の通貨、中央銀行、軍事などの権利さえ殆ど放棄してしまっている。

   ところで、この本で展開されている議論は、大半、大前研一氏がこれまでに主張してきている理論なり思想が核を占めているので、それ程斬新な展開はない(大前氏にはないけれど、巷の人間には斬新さが在り過ぎる)が、兎に角、豊かな学識と情報網から得た膨大なカレント・トピックスが、読んでいて実に有益で楽しい。

   xーBOP(国境を越えたビジネス・プロセス・アウトソーシング)について論じている所で、「先進国のホワイトカラーの仕事が奪われる」と言っているが、殆どの日本人が気付いていないものの、これは日本でももう現実に成りつつある。
   新生銀行のITシステムはインド人技術者によって本来の5分の1以下のコストで成功裏に行われたと報じられていたが、他のメガバンクはグループのシガラミから離れられず日本企業に依頼してトラブルの上、巨額のコストを支払った。
   日本企業がコスト・オリエンテッドになり世界中から最良のものを最安の価格で調達乃至導入するという方針に戦略転換すれば、IT関連ソフト業界のみならず、多くのホワイトカラーの従事する専門サービス業務は、インドや中国や中欧などに流出するのは必致であり、日本のホワイトカラーは失業する。

   この本は、小泉さんと同じで、知識を丸投げして、読者自身で戦略なり戦術を考えろと言う大前氏の親心の本なのだが、取るか取らないかは読者次第、しかし、つまらない経済書や経営書を読むより数段面白くて役に立つこと請け合いである。   
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