熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

日産記事が消えた~グーグルの不思議第二報

2015年06月30日 | 経営・ビジネス
   先日、25日に書いた私の「第116回日産自動車定時株主総会」の記事が、何故か、1ページ目に表示されていたグーグルの検索ページから消去されていたので、昨日「日産記事が消えた:グーグル検索の摩訶不思議」を書いた。
   ところが、その後、同じように、グーグルで「第116回日産自動車定時株主総会」の文字を打ち込んで検索してみたら、口絵写真のような1ページ目が表示されて、タイトルが、「第116回日産自動車定時株主総会」と全く関係ないにも拘らず、昨日の私の記事「日産記事が消えた:グーグル検索の摩訶不思議」が表示されたのである。

   何故こうなるのか、グーグルの検索の摩訶不思議の謎は解けないのだけれど、読者の方が、このタイトルに興味を感じてクリックして、私のブログを開いて、私の「第116回日産自動車定時株主総会」を読むことになれば、誰かが何かの目的で、グーグルの検索から消去した筈のこの記事が、再び、目に届くことになる。
   消去した筈の私の記事が、不思議な形で蘇ると言うことになって、記事をグーグルの検索から削除した人の意図が、完遂されたのかどうか、興味深いところでもある。

   いずれにしろ、検索ページから、意図的にであろうか、記事のタイトルが消去されることがありそうだと言うこと、そして、検索ページに、不思議な現象が発生すると言う、稀有な経験をしたので、この事実を、記録として残しておきたいと思う。
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日産記事が消えた~グーグル検索の摩訶不思議

2015年06月29日 | 経営・ビジネス
   25日のこのブログで、
   「第116回日産自動車定時株主総会」 と言うタイトルで、ブログを書いた。
   私のこのブログは、皆さまのお蔭で、毎日、大体5~600人くらいの人に読まれているので、グーグルの検索では、タイトルにもよるのだが、1ページ目なり2ページ目なり、かなり、前の方に、掲げて頂けることが多い。
   この日産の記事も、他の記事を読もうと、翌日に検索したら、1ページ目の真ん中くらいにランクインしていて、皆さまに読んで頂いていることが分かって、嬉しかった。

   ところが、今朝、もう一度、同じく第116回日産自動車定時株主総会で、グーグルに検索を入れたら、何故か、私の「第116回日産自動車定時株主総会」が消えてしまっていて、それらしき位置に、全く関係のない、私が昨日書いた「第151期ニコン定時株主総会」が掲載されている。
   これは、このブログの口絵写真のとおりである。

   念のために、このグーグルの「第116回日産自動車定時株主総会」の箇所のページを順繰りに繰って行ったのだが、私の「第116回日産自動車定時株主総会」記事は、消えてしまったのであろうか。全く出てこないのである。
   参考のために、yahooやgooでも検索を行ったが、googleをなぞっているのか、殆ど同じで、「第116回日産自動車定時株主総会」の記事は見つからない。

   興味深かったので、第116回と言う枕詞を外して、googleで、「日産自動車定時株主総会」を打ち込んで検索を行ったら、不思議にも、私が昨年書いた「日産自動車第115回定時株主総会 - 熟年の文化徒然雑記帳」が、1ぺージ目の2番目に出て来た。

   グーグルの検索には、結構、イレギュラーな表示が出て来て面白いのだが、今回は、これらとは違っていて、何らかの力が加わったのであろうか、誰が何の目的で消去したのか分からないが、非常に異常だと思ったので、事実だけを書くことにした。

   私の今回の日産の株主総会記事は、一応、グローバルビジネスの経験を持った経済学と経営学をかじった全く素人の学徒として、日産の経営について、やや、辛口のコメントを書いてはいるが、誰でも考えられるような視点からの記事で特に異質だとは思えないし、このことは読んで頂ければ分かることで、全く悪意も他意もない。

   今回のこのグーグル検索の摩訶不思議は、案外、今日のICTデジタル革命の現実を物語っているようで、興味深いと思ったので、記録として残すことにした。

   このブログの左欄の上の方の「最新記事」の「第116回日産自動車定時株主総会」をクリックして頂ければ、グーグルからは消されてしまった私のオリジナルの記事が出て来るので、是非、お読み頂きたいと思っている。
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第151期ニコン定時株主総会

2015年06月28日 | 経営・ビジネス
   ニコンの株は、私の趣味の領域であり、かなり良好な状態の時に、1単位買ったのだが、その直後に、大暴落した。
   インテルとオランダの半導体製造装置大手ASMLが、資本業務提携し、インテルがASMLの株式を最大15%取得し、研究開発費を提供して、次世代技術の「極紫外線(EUV)」を利用した装置の開発を進める。と発表されたので、ニコンは、大口顧客であるインテル向け取引が減少し、ASMLが次世代技術で優位に立つと、ニコンの競争環境が一気に厳しさを増すとの懸念も強まって、大暴落したのである。
   その後、一眼レフなどの需要減退で、7割近くを映像事業に特化したような専業メーカーであるから、業績が悪化して、株価が上がる訳がない。
   今回、株価の低迷について、株主から経営不振がらみの質問があったが、将来性に乏しいコアビジネスに固守した経営を維持している限り、株価の上昇など期待薄であろう。

   従って、危機意識の反映か、
   これまで企業を牽引してきたじり貧のコア事業、すなわち、映像事業、半導体装置事業、FPD装置事業に加えて、マイクロスコープ・ソリューション事業、産業器機事業、メディカル事業を育成拡大して、6事業のポートフォリオで、成長する企業体に脱皮すべく、中期ビジョンとして「Next 100 - Transform to Grow」を立ち上げたと説明して、経営者の経営への意気込みを強調していた。
   ところが、業績も上がっていないのに、先回りして、
   第6号議案で、「取締役に対する業績連動型株式報酬等の額及び内容決定の件」を提示して、この中期計画に連動した取締役へのインセンティブ付与しようとしているのであるから、株主から揶揄気味の批判があったのが、面白い。

   あの写真システム・イノベーションを創出したコダックが崩壊したのを見ても分かるが、写真映像関連会社で、この映像事業の成功体験に固守してきた会社は、成長軌道に乗れなかったが、早くコアから脱却して、ビジネスモデルをアップデートして新機軸を打ち出した会社の方が成功している。
   富士フィルムなどは、リタ・マグレイス教授が「競争優位の終焉」で、時代を先取りした優等生的なビジネス展開を称賛して、王者であった同業のコダックの凋落と対比しながら語っている程だし、キヤノンやコニカミノルタの事業展開を見ていても、ニコンのように、一本足打法ではないし、今頃、6事業体制へ軸足を移すなどと言っているようでは遅すぎるのである。
   
   さて、この株主総会で、デジタルカメラの将来に触れて、担当常務が、一眼レフデジカメの需要は、26年度に底を打って、29年には、回復軌道に乗ると説明していた。
   メモを取っていないので、記憶だけで書いているのだが、要するに、一眼レフの将来は明るいと言うのである。
   その理由は、今日、ネットで公開されている写真が毎日18億を越えていて写真需要が極めて旺盛であることと、まだまだ、普及率の低い新興国の経済状況の持ち直しに伴って、需要の拡大が見込めると言うこと、そして、多少の希望的観測だと言うことである。

   昨年5月に、このブログで、「ニコンの苦境、カメラに思う」と言う記事を書いて、論じたのだが、ニコンは、時代の潮流、そして、ビジネスのイノベーションについて、殆ど分かっていないのではないかと言うことである。
   一つは、カメラが、パソコンの周辺機器に成り下がり、更に、スマホの登場によって、カメラ機能の向上と呼応して、通信機能など多くの機能を包含したオールラウンドな端末に完全に取り込まれてしまって、最早、日常生活では、カメラの必要性さえなくなってしまっている。と言う現状である。
   観光地や公園の花の撮影でさえ、そして、団体旅行でさえも、スマホやタブレットで記念写真を撮っていて、デジカメ一眼レフを使って撮っている人など、殆ど居ないと言う現実である。

   それに、もう一つは、
   脱物質化論のビル・ジョイが打ち立てた法則「プロセッサーの最大性能は1年単位で毎年倍増する」を敷衍すれば、ものの世界、特にハイテクの機器については、正に日進月歩で、幾何級数的に加速度的に進歩発展しており、同じ形態で存在し続けることなど有り得ないことで、すべてのイノベーションが、「小型化」を志向していて、どんどん、文明の機器が、小型化して行くと言うことである。
   カメラが、デジタルIT機器となってしまった以上、ムーアの法則(やビル・ジョイの法則)に従えば、機能がどんどん進化して行き、現在の一眼レフ・カメラのような大型の機器は、早晩、超小型化によって駆逐されてしまうのは、火を見るより明らかである。と私は書いた。

   私は、その方面には暗いので、はっきりと言えないが、電波望遠鏡や電子顕微鏡などを考えれば、今のカメラのようにレンズ機能を使用しないようなイノベイティブな映像機器が開発されれば、かって、銀塩カメラがデジカメに駆逐されたように、一気に、カメラシステムそのものが、大変革を遂げるような気がしている。
   昔、フィンランドを旅行した時に、森と湖に囲まれた美しい国土ではあったが、ズタズタに国土が分断されていてインフラが大変だろうと思ったことがあり、その直後、携帯電話の普及で、ノキアが一気に、すい星のように台頭した時には、さもありなんと、大いに納得したのを覚えている。
   中国やインドを考えても分かるし、未開のアフリカなどは驚異的だが、定置式電話が未発達な段階で、一気に、ICT革命によって、PC,携帯電話、スマホの時代に突入して、文明化の速度を加速化している。

   私の言いたいのは、趣味の写真ファンでない限り、高価で重いデジカメ一眼レフなど持ちたいと思う人などはいなくなり、写真を撮りたければ、絶えず携帯して瞬時に写真をとれるスマホやその後継文明器機を使用する筈だと言うことである。
   一頃のソニーのように、ニコンの問題点は、会社であまりにも勢力と権力を持ち過ぎているコアビジネス、高級カメラ部門に引きずられた経営体質になっているからではないかと言う気がしている。
   
   ニコンのやっているような持続的イノベーション経営では、ブルーオーシャンを目指した破壊的イノベーション経営に、一挙に、駆逐されてしまうであろうと言うことである。
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トマト・プランター栽培記録2015(8)・・・サントリートマト色付き始める

2015年06月27日 | トマト・プランター栽培記録2015
   遅れて植えたサントリーのミニトマトが、少しずつ、色付き始めて来た。
   長円形のアイコよりは、小ぶりの普通のミニトマトであるが、実付きなどは殆ど同じなので、サカタやタキイのミニトマトと、どう違うのか、面白いと思っている。
   イエローミニ、シュガーミニ、純あま、フルーティミニの夫々の色付き状態は、次のようなものである。
   
   
   
   

   レッドもイエローもアイコは、第2番花房が、上の方から色付き始めて、アイコは、第3花房も、少し色が変わり始めた。
   下から、少しずつ収穫を始めているが、やはり、自家で完熟状態で食べるトマトは、甘くて美味しい。
   脇芽を挿し木して苗にして植えたアイコも、しっかりと、実を付けはじめた。
   挿し木苗は、質の安定さには欠けるが、真面に育った苗の出来は、市販苗と遜色はなさそうである。
   
   
   
   

   さて、二本仕立てにした中玉トマトのティオクックだが、花付きは、同じような状態だが、結実して肥大する段階で、花房が上に行くほど、大きくなって行く実の数が、少なくなって行くようである。
   途中で、落果したり、成長が遅れて来るのだが、やはり、苗木に負担がかかっているのであろう。
   今年は、このままの状態で、二本仕立てのまま、自然に任そうと思っている。
   また、脇芽を挿し木にして育てている苗は、一本仕立てにしているので、その出来とを比較してみて、どちらが良いのか考えてみようと思っている。
   
   
   

   二週間ごとに、有機化成肥料を株もとに散布しているのだが、先のアイコの尻腐れ病も落ち着いてきており、下葉の枯れもなく、今のところ、病虫害などで、薬剤散布をする必要もないので、順調と言うところであろう。
   しかし、サントリーの中玉トマトのリッチゴールドだけ、先にレポートしたように、実付きも悪いのだが、下部の葉が、少しずつ黄ばみ始めて、肥大した実が尻腐れ病に似た様相を呈して黄変してきた。
   一応、消石灰を、そして、肥料を散布して、様子を見ることにした。
   他のトマトと、同じような環境で育てており、このリッチゴールドだけの病変なので、悪化すれば、廃却しようと思っている。
   
   
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第116回日産自動車定時株主総会

2015年06月25日 | 経営・ビジネス
   この日は、ソニーやみずほの株主総会があったのだが、結局、近いので、横浜の日産自動車の方に出かけた。
   何時もながら、ショーを兼ねたようなスマートな株主総会であったが、益々、カルロス・ゴーンの独演会の様相を呈していて、私など同時通訳レシーバーを使っていなかったので、益々、国籍不明の総会に参加しているような雰囲気であった。

   尤も、大株主明記の株主の内、ルノーの43.7%を筆頭にして外人らしき株主の株式を合計しただけで53.4%に達しているのであるから、資本主義の原則から言えば、既に、日産自動車は、日本の会社ではなくなっているのである。  
   今回のこの株主総会で、私が最も注目して聴いていたのは、この点に大きく関わるのだが、ルノーの大株主であるフランス政府が、殆ど完全にルノーの支配権を収める挙に出たことによって、ルノーを通じて、何らかの形でフランスのために、日産の経営に介入してくるであろうと言うことである。

   フランス政府は、国内産業や雇用保護を目的として、2014年に通称「フロランジュ法」を制定したのだが、これを適用する狙いで、筆頭株主であるルノー株を買い増すと発表したことが問題の発端である。
   同法は株式を2年以上持つ株主に2倍の議決権を与えると定めている。しかし、株主総会で投票者の3分の2が反対すれば適用されないので、ルノー経営陣は、主要2株主である仏政府と日産自動車のバランスが崩れると懸念して、株主総会に現行制度存続を求める議案を提出した。
   しかし、仏政府は、ルノー株を一時的に買い増して保有比率を19.7%まで引き上げ、会社側案を否決に持ち込んで、仏政府のルノーへの議決権は従来の15%から28%に増えることとなったのである。
   日産は、ルノー株を15%保有しているが、後述のゴーンの説明の如く議決権はなく、完全に片務的な、いわば、不平等条約であり、完全に日産の旗色が悪化する。

   さて、この問題について、株主総会でも争点となり、まず、株主とカルロス・ゴーンの応答について、メディアの報道を、電子版から引用させて貰って、ゴーンの見解を明らかにしたいと思う。
   最初に、ルノーと日産の良好な関係を保つ方法についての産経の報道は、
    --ルノーとの関係について。2年以上株を保有した株主の議決権が2倍になり、仏政府が影響力を高めている。日産とルノーの提携も危機にさらされるのではないか
   ゴーン氏「日産がルノーの議決権を有していないのは、フランスの会社から40%以上の出資受ける場合、出資を受ける会社の議決権を持つことが禁じられているためだ。日産とルノーの提携が危機にさらされないために、常に管理しなくてはいけないリスクは2つ。日産が方向性や優先順位、事業の焦点を見失うリスクと、現在の勢いがそがれるリスクだ」
   「日産とルノーの信頼関係が揺らげばリスクは顕在化する。両社の提携が成功している理由は対等な関係にあるからだ。実際には厳しい作業で、毎日の継続的な努力とぶれない取り組みが求められる。力をあわせ率直に協力できる態勢が必要で、そのカギは信頼だ。ルノーは日産の事業に干渉したことはなく、日産もルノーに干渉しない。ルノーの議決権変更がリスクになるのは、日産のルノーのパートナーシップが揺らいだときだ」。
   「私は16年前に日産の経営を任せてもらった。さまざまなリスクに直面したが、リスクをチャンスにかえてきた。今後、どのようなリスクに直面しても日産とアライアンスをさらに強化する覚悟だ」
   --「信頼関係があると」言うが、そんな言葉で回答にされても困る。ルノー優位の関係を見直すべきという幹部がいるという報道もある
   ゴーン氏「信頼関係がなければ、両社の合意を形成することはできないし、自動車業界で潜在力を発揮できない。多くの人が信頼関係を『契約』や『命令』に置き換えることができると言うが、その結果、(企業間の提携で)多くの価値が損なわれた。信頼関係はパートナーシップを継続する唯一の方法で、あらゆるリスクから守ってくれるものだ」

   ロイターは、
   ルノーの大株主であるフランス政府が議決権を倍増させ、経営への影響力を強めているが、こうした動きが日産に与える影響を懸念する株主も見られた。これについてゴーン社長は、日産が事業の方向性を見失う、提携効果が損なわれるという2つのリスクを挙げながらも、ルノーとの信頼関係があればそのリスクは回避できるとの考えを示した。

   ブルームバーグは、
   提携するルノー については、大株主のフランス政府が経営に影響力を強める動きに出ている。この問題に関連して、ゴーン氏は総会で、ルノーとの提携の信頼が弱まればリスクになると指摘した。リスクは2種類あるとし、一つは日産が方向性、優先順位を見失うことであり、もう一つは提携の勢いがそがれるリスクとした。

   日経は、
   仏政府が日産の提携先である仏ルノーへの影響を強めようとしていることに対し、株主からの懸念の声があがった。ゴーン社長は「私は常に日産とアライアンスの利益を最優先にしてきたし、今後も変わらない。(提携を)強化できるよう取り組んでいく」と述べた。

   ゴーンCEOは英語で語っているので、通訳と言葉の差などのニュアンスにもよるのだが、要するに、その見解は、日産とルノーの提携関係が信頼(trust)の欠如によって揺らぎ始めれば、危機に陥る可能性があるだろうが、この16年間、ルノーは日産には介入(interfere)しなかったし、日産もルノーに介入しなかったし、更にアライアンスを強化してシナジー効果を高めて両者の利益向上のために経営の舵を取って行くと言うことであろうか。

   さて、大前研一氏は、
   ルノーの株式の15%はフランス政府が保有していて、経営にも政治介入してくる。フランス政府としてはルノーの立て直しには 興味があっても、日産の立て直しには興味がない。だからルノーがリストラをやろうとすると「リストラするなら日本でやれ」とか、 「マイクラ(マーチ)をフランス国内の工場でつくらせろ」と口を出してくるのだ。と言う。
   現に、日産車のフランス工場での生産増加など、ルノーを通じての日産への圧力が見え隠れしているし、また、ゴーンのルノーCEO選任時に、「日産によるルノー支援を徹底すべし」と言う条件が付いたとか。
   それよりも、ルノーの経営が成り立っているのは、日産からの配当金など日産の貢献度が大であり、日産とのアライアンスがなければ、潰れてしまうと言う噂まで出て来ていると言う。
    ルノーの経営を握ったのであるから、エマニュエル・トッドの指摘に従えば、自主的にドイツに隷属したフランス政府は、何時かは、日産の経営に介入してくる可能性が高いのではないかと言う気がしないでもない。



   ここで、考えなければならないのは、日産とルノーのCEOを兼務して、両者の経営の生殺与奪の権を一切カルロス・ゴーンが握っており、総てにおいて、ゴーンありきだと言うことである。
   それに、トラストなどと言う概念を持ち出して巨大なMNCの提携関係を論じるなどは、米英のアングロサクソンのビジネス観では考えられないことであるし、生き馬の目を抜くような熾烈なグローバルビジネスで、永続する筈がなく、まして、雇用政策に血眼になっている斜陽のフランス政府が、経営に介入する可能性がある中で、どうして、経営ビジョンとして、受け入れられるであろうか。

   ここで、もう一度、カルロス・ゴーンが、ビジネスで最もシビア―だと言われているレバシリ・オリジンであり、ブラジルで生まれたブラジル人であり、レバノンとフランスで教育を受けたと言う3つの国籍を持つマルチ人間であるが、極めてシビア―なビジネス・センスを持ったラテン人であると言う、この特質を忘れてはならないということである。
   極論すれば、そのようなバックボーンのカルロス・ゴーンであるからこそ、良かれ悪しかれ、今の日産とルノーのアライアンスが持っていると言うことである。

   いずれにしろ、カルロス・ゴーンCEOも、何時かは、表舞台から退場する筈であり、その後を考えれば、そして、日産自動車を日本の会社に戻したいのなら、どのような道があるのか、冷静に考えてみるのも大切かも知れないと思う。
   日本人株主が、何と言おうとも、潰れかかった日産自動車を救ってくれたのは、フランスでありルノーでありカルロス・ゴーンであることは、厳然たる事実であって、同時に、資本主義の論理から言っても、今や、日産は、日本の会社ではないのも厳粛なる事実なのであるから。
  

   何時の総会でも取り上げられているカルロス・ゴーンの10億円オーバーの報酬については、私は、大前氏の次の発言で十分であろうと思う。
   ”日産から破格の報酬を得ていながら、ルノーとフランス政府のために日産を食い物にしているのは、日産株主から 見たらあからさまな利益相反行為だ。”
   この利益相反と言う問題については、フランス政府なりルノーが、何らかの形で、日産の経営に圧力をかけて来たり介入してくると、必ず、起こり得る問題であって、トピックス次第では、ビジネス・スクールの格好のケース・スタディの教材になるような気がして興味深い。
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わが庭:ユリが咲き始めた

2015年06月24日 | わが庭の歳時記
   梅雨の季節には、アジサイやユリが相性が良いのであろうか、急に開きだした。
   わが庭の花は、何故か、何時も、他とは違って、ワンテンポ遅れて咲くようだが、咲いてくれれば、それなりに嬉しい。

   ユリは、庭のあっちこっちから茎が伸びて、蕾をつけているのがあるのだが、やはり、肥培せずに、放置しておいただけでは、球根が十分に育たずに貧弱なので、毎年、新しい球根を植えるべきなのであろう。
   今回は、年を越してから、時期遅れで、球根を植えたので、発芽しなかったり、病虫害にやられたりして、30球の内、真面に咲いたり咲きそうなのは、20球くらいで、歩留まりが悪い。
   
   
   
   
   
   アジサイの方は、結局、昨年、鉢植えを庭に移した小さな株が、少し、花を開いた程度で、冬に強剪定したアジサイの咲き具合は、思わしくなかった。
   来年は、楽しめそうである。
   
   
   
   

   バラは、イングリッシュローズの二番花が、ダーシー・バッセルなど、咲き始めているのだが、大分花も小さくなって、大人しい感じである。
   切り花にして、バカラに生けているのだが、花持ちが悪くて、すぐに萎れたり散ってしまう。
   ぼつぼつ、蕾をトリミングして、秋の花に備えようと思っている。
   
   
   
   
   
   
   
   

   まだ、咲き続けているのは、ビョウヤナギ、ハーブ、それに、命短いツユクサ。
   今年、来春に備えて、中国ミツマタと常盤万作を、庭植えにした。
   沈丁花の挿し木もやってみたのだが、一寸、込み過ぎかも知れないと思っている。
   
   
   
   
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黒澤明著「蝦蟇の油 自伝のようなもの」

2015年06月23日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   私が黒沢映画に興味を感じた切っ掛けは、「七人の侍」だったと思うが、その後、シェイクスピアの戯曲を脚色した一連の映画、『マクベス』を基にした『蜘蛛巣城』や『リア王』を基にした『乱』などと、どんどん、進んで行ったのだが、それなりに感動して見ていたものの、正直なところ、世界で称賛されている黒沢明の凄さ、良さは、それ程良く分からなかった。
   数年前に、NHK BS放送で、黒沢映画特集をしていて、多くの作品が放映されて、録画を続けながら、何度か、鑑賞し直して、少しずつ、感じ入るようになってきたのである。

   先日、1984年刊であるから、30年以上も前の「蝦蟇の油 自伝のようなもの」の良質本を、神保町の古書店で見つけて、読んで見たら、黒沢明の人間性が滲み出た素晴らしい語り口に引き込まれて、のめり込んでしまい、益々、ファンとなって、倉庫で埃を被っていた黒沢映画のDVDを取り出してきた。

   この本の冒頭から意表をつく自叙伝で、1歳の時の記憶を鮮明に覚えている子供でありながら、「精薄児だったとは思いたくないが、知恵が遅れていたのはたしか」で、「先生が説明していることはまるで訳がわからないのが悲しく苦し」くて、「小学校の一年から二年にかけて、学校生活は私にとって地獄の責め苦だった。」と語っている。

   さて、この本には、私たちが抱く黒沢明のイメージとは全く違った桁違いの話が多くて、大変面白いのだが、私が興味を持って読んだのは、あの偉大な黒沢映画を創出し続けた黒沢の芸術を生み出す原点がどこにあったかのか、何が、そのような素晴らしい才能を喚起し涵養したのかその秘密を知りたいと言うことであった。
   結論から言えば、P・L・Cに入社して、山本嘉次郎監督に遭遇するまでは、あの安藤忠雄に良く似た自学自習の徒であったと言うことである。

   100倍の難関を突破して、P・L・Cに入社した五人は、東大出、京大出、慶応出、早大出で、もう一人、変な経歴の者(これが私だった)であったと書いている。
   この映画の道へ出るまでの筋道は、全くそんなことはないのだが、美術、文学、演劇、音楽、その他の芸術を貪婪に食い散らして頭に詰め込み、そのすべてを吐き出し盛り込める映画と言う道があることを見通していたかのように、偶然にしては、あまりにも巧みに仕組まれていたようで、何だか不思議で堪らない。と言っていて、非常に興味深いのである。
   以下に、この本で描かれている黒沢明を芸術家に仕立て上げた道筋だけをピックアップして書いてみたい。

   小さかった頃、厳格な父だったが、洋画が主だが映画を良く見せてくれたし、神楽坂の寄席に連れて行ってくれた。
   小学校で主席ながら、府立四中の入試に落ちた時に、算術や理科は全くお手上げで、数字もキチンと書けず、文化系の人間で、どうやら自分の行く道は、文学か美術の道だと見えてきた。
   京華中学の行き帰り、樋口一葉、国木田独歩、夏目漱石、ツルゲーネフなど、兄の本、姉の本、自分で買った本、ただ無茶苦茶に解っても解らなくても読んだ。まだ、人間のことはよくわからなかったが、自然の描写は良く分かった。

   中学を卒業し、はっきりと画家として立とうと決意して、父の了解を得て、美術学校を受験したが落ちたけれど、翌年二科展に入選した。
   19歳の時、1929年は、世界恐慌の勃発で、日本中不況風が吹き荒れて、プロレタリア芸術運動が盛んになり、エロ・グロナンセンス時代を現出するのだが、絵を描くにも、キャンバスも絵具も高くてままならず、画に没頭し切れぬままに、文学、演劇、音楽、映画を貪るように食い散らした。
   当時、氾濫していた外国文学、日本文学の古典現代を問わず読み漁った。机に向かっては読み、寝床に入っては読み、歩きながらも読んだ。
   演劇は、新国劇も見たが、驚異の目で見たのは、小山内薫の築地小劇場の演劇であった。
   音楽は、音楽好きの友人の家で、専ら古典音楽をレコードで聞いた。また、近衛秀麿の新交響楽団の練習もよく聞きに行った。
   勿論、画家の卵としては当然のことだが、洋画、日本画の別なく、画集も、目を皿のようにして見た。

   映画にも傾倒した。
   映画に造詣が深く、映画に没頭していた兄が推薦する良い作品を貪るように見たと言って、我ながら驚くほど、映画の歴史に残る作品ばかりを見ていると、9歳から19歳までに見た映画を年代順に列挙している。

   19歳の時に、世の激動をよそに、生物や風景を描いているのに飽きたらず、プロレタリア美術家同盟に入り、その後、プロレタリア運動の非合法な政治活動の中へ入って、街頭の連絡員をしていた時に、警察に追われたことがあり、病気になって神楽坂の兄の長屋に潜り込んだ。
   この長屋生活は、三馬や京伝の洒落本を読んでいるようで面白く楽しかったが、同時に、とても勉強になったと言っており、そこで雑役仕事で働いている長屋の老人たちのお蔭で、毎日毎晩、映画館と寄席に通い、落語、講談、音曲、浪花節等々、この庶民に親しまれた寄席の芸を、それが将来どれ程役に立つかなどとは考えずに、気楽に楽しんでいた。
   当時、映画は、トーキイ時代に入り、西部戦線異状なしなど名画が輩出し、熱心に見たと言う。
   落語の話など、山田洋次監督との接点を感じて面白かった。

   この後は、偉大な山本嘉次郎監督との思い出をはじめ、映画作り人生を「羅生門」までを綴っていて、その破天荒とも言うべき波乱万丈の人生が、実に感動的である。
   関東大震災や第二次世界大戦、そして、廃墟から立ち上がろうとしていた頃の日本の激しいストライキに明け暮れた労働運動など、日本の歴史や日本人の生活が活写されていて、非常に興味深くて楽しませてくれる。
   黒沢明は、映画だけではなく、文章の達人でもあったのである。
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第7回三越伊勢丹ホールディングス定時株主総会

2015年06月22日 | 経営・ビジネス
   三越伊勢丹Hの株主総会は、非常に大人しいと言うか、平穏無事に終わった。
   質問も会社回答も、極めて平凡なので、私なりに、社長の説明など踏まえて、印象記を記して見たい。

   この会社は、色々な業務を幅広くやっているように見えるが、売り上げ1.273兆円の内、84,9%の1.17兆円が百貨店業の売上であるから、いわば、徹頭徹尾、百貨店業である。
   その内、伊勢丹新宿、三越日本橋、三越銀座の旗艦3店舗で、ほぼ4割の0.5兆円を売り上げているので、これらの店舗の業績推移を見れば、経営実態の殆どが見えてくるような気がする。
   しかし、百貨店業の利益は、65%に過ぎなくて、クレジット・金融・友の会部門や、不動産業で、利益がかさ上げされていて、やはり、コアの百貨店業は、苦戦を強いられている。

   ところで、百貨店業の売上および利益の前年比は、夫々、97.7%、92.6%となっていて、漸減トレンドは、変わっておらず、三越銀座店の売り上げの前年比が、107.5%と上昇しているのは、中国人観光客の爆買のお蔭であろう。
   旗艦店の新企画として、三越銀座の8階に空港型の免税店を新設すると言うことだが、世界中の小売店舗を見れば分かるのだが、対応が遅過ぎるのである。

   もう一つの新しい試みは、三越日本橋店に、カルチャーリゾートを創って文化の発信基地にするのだと言う。
   昨年3月に、「カルチャーリゾート百貨店宣言」を発して、本館7階に「Hajimarino cafe(はじまりのカフェ)」をオープンして、ファッション百貨店ではなく、カルチャー百貨店を目指してスタートしたようである。
   見ていないので、何とも言えないが、趣旨は見上げたものながら、スタッフが、総マルチタレントでハイセンスの文化人教養人でなければならないであろうから、極めてハードルが高い筈である。

   社長が、百貨店がなくなることはなかろうが、少子高齢化など人口減や百貨店業の下降傾向を考えれば、今のように百貨店業が75%では、見通しが暗いので、将来は、5~60%くらいに抑えて、他の事業を拡大して行きたいと述べていたが、そのあたりに、三越伊勢丹の悩みがあるのであろう。
   欧米を見れば歴然としているが、ICT,デジタル時代に、もう、何十年も前から斜陽傾向にある業態を維持し続けているようでは、経営学のイロハの埒外だと言うことかも知れない。

   三越と伊勢丹の合併については、株主からは、一体化が望ましいような発言があったが、社長は、三越、伊勢丹夫々の顧客のロイヤリティを大切にしていて、夫々のコーポレートカルチャーを維持していると言ったような発言があったが、百貨店のようなかなり高度な顧客の志向によって維持されているような業態では、当然、経営効率化に資するような組織や業務体制は整理するにしても、むしろ、店舗などは、夫々のカルチャーを重視して画一化を避けるべきで、異単位の集合体のホールディング形態で良いであろうと思う。

   ところで、業務体制におけるICT化の問題は、20年前に導入したサーバー型を改良しながら使っていると説明していたが、お粗末極まりないと言うべきであろう。
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日経:「シニアを癒やす南国の風 」と言うのだが

2015年06月21日 | 海外生活と旅
   今日の日経電子版に、「シニアを癒やす南国の風 155万人 海外長期滞在人口 」と言う記事が掲載されていた。
   ”年金生活を迎え、第二の人生は海外で--。長期滞在を支援する「ロングステイ財団」(東京・港)によると海外で2週間以上滞在した日本人は155万6000人で過去最高を記録した(2013年度の推計値)。健康的で長生きするシニア層の増加が、旅行スタイルを多様化させている。”と言うのである。
   この海外長期滞在人口155万人と言うのは、ビジネスでの海外在住も含めているようで、この記事に該当する60歳以上は、約21万4700人で、04年度の6割増だと言うことであるが、第二の人生は海外でと言う人の実数は、遥かに少ないであろうが、ともかく、増えていると言うことである。

  ”最近は物価が安く日本以上の生活水準が期待できる東南アジア各国に注目が集まり、特にマレーシアは06年度から9年連続で滞在したい国の首位を維持していて、マレーシアでの10年間ビザの邦人取得は428件(2014年)”だと言う。
   次表を見ると、マレーシア、タイであろうが、安定した先進国と言う意味では、ハワイ、オーストラリア、カナダと言う選択肢は、良く分かる。
   

   老後の海外移住についての自論は、これまでに何度も書いているので、蛇足は避けるが、私自身の今の心境は、この日本での生活に満足しており、海外移住の気持ちはないと言うことである。
   留学やビジネス主体ではあったが、海外を随分歩いて来たし、アメリカ、ブラジル、オランダ、イギリスで、トータル14年を過ごし、かっては、ブラジルとイギリスで、永住ビザを持っていて、海外での生活には、殆ど不都合を感じない筈の私だが、やはり、日本での老後生活の方が、はるかに良いと思っている。
   多少、億劫にはなってきているが、海外に旅に出たいと思ったら、その時に、何時でも出て行けば良いのである。

   要するに、何のために、海外移住をするかと言うことだが、
   ”長期ビザは「自分へのご褒美」”と言うサブタイトルのところで、
   ”「毎日が日曜日ですよ」。首都近郊のゴルフ場には、長期滞在するシニアたちが連日集まり笑い声が響き渡る。企業戦士として仕事に明け暮れた「自分へのご褒美」と口をそろえながら、ゴルフ三昧の日々を満喫している。海外生活での楽しみ方は様々だ。”として、「ラウンドを終え食事する日本人の長期滞在者。ゴルフ三昧の生活に笑顔もはじける」と銘打った老人たちが寄り集まって談笑している写真が掲載されている。

   私には、このような生活には、全く興味はないし、耐えられなくなって三日も持たないと思う。
   永住しろと言われれば、ロンドンかニューヨークを選びたいと思ってはいる。
   もう一度、キューガーデンに居を構えて、ロイヤルオペラやロイヤル・シェイクスピア・カンパニーなどのシーズン・メンバー・チケットを取得して、暇に飽かせて大英博物館などに通って勉強しながら、思い立っては、ヨーロッパの古都や文化遺産を訪ねて文化三昧に耽る・・・そんな夢を見るのも悪くはなかろうと思って、暫く、イギリスの永住権を維持していたことがある。

   ところで、この記事は、「パンや牛乳など食料品の価格も上がってきた・・・アベノミクスによる円安で、為替メリットも享受できなくなってきている。健康に不安をかかえ、よりどころを日本に求めて帰国を考える人たちも少なくない。」と言ったネガティブなことも書いてあるが、
   「生活防衛や終のすみかにも」として、「将来、シニアが直面する健康や介護への不安を払拭できれば、東南アジアは「理想のすみか」であり続けるかもしれない。」と締めくくっている。
   果たして、そうであろうかと言うのが、私の正直な感想である。

   さて、何故、日本に居たいのか。
   私にとっては、色々な理由があるのだが、自分勝手な言い分に限れば、例えば、今興味を持ち始めて通っている国立能楽堂での能・狂言の鑑賞など、日本文化や歴史に触れながら日本の良さ味わい深さを、もっともっと身近に感じたい、勉強したい、と言う気持ちは、この東京を離れては、満たし得ないであろう。
   学生時代を過ごした京都など故郷でもある関西も良いのだが、あの神保町の雰囲気なども含めて、東京が与えてくれるトータルのパワーは、桁違いに大きいのである。

   私のような生き方も、「アホとちゃうか」と言う友もいるので、 正に、人、夫々であって、私は、自分の選んだ道を歩む以外に仕方がない。
   今のところ、健康上も生活上も、特にこれと言って問題がないので、勝手なことを言って居られるのだが、一寸先は闇で、将来、どうなることかは、全く分からないので、出来るだけ、納得しながら生きて行きたいと思っている。
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第96回三井物産定時株主総会

2015年06月19日 | 経営・ビジネス
   初めて三井物産の株主総会に出たのだが、ソニーと同じ新高輪の国際館パミールが会場であったけれど、開催時間を過ぎても、本会場に入れたのは、知名度や大衆化の差であろうか。
   何時も奇異に思うのは、開場前に、総会の土産もの(大したものではない)だけを受け取って帰って行く株主が非常に多いことで、株主と言っても、配当は当然としても、株主優待などに魅力を感じていて、経営などについては、殆ど無関心と言う人が多いのではないかと思っている。
   株主総会が終了するまで、会場に居る人は、6割くらいであろうか。
   
   騒ぎ出して退場させられた株主が一人いた程度で、至って平平凡凡な質問ばかりであり、通り一辺倒の会社説明での応答なので、盛り上がりのない、会社にとっては、平穏無事な総会であった。
   会社の経営に不満と言うかプロパガンダの為か分からないが、かなり会社経営について知識のある株主からの提案が9議案出ていたが、下手な株主質問よりは、はるかに問題点を指摘しており、もう少し、提案者に議案説明を行わせて、会社側からも、丁寧に反対説明を行うべきであろうと思う。
   大塚家具などのように委任状の争奪戦に至れば別だが、既に回収済みの委任状等で、決議条項は、総て会社の意向通りに承認されていて、株主総会は、単なるセレモニーに過ぎないのであるから、招集通知を読めば分かると言った対応はどうかと思う。
   尤も、これらの株主提案は、その良し悪しは別として、会社としては、あまり突っ込まれたくない経営事項なので、当然の対応でもあろう。


   業績については、昨年より悪化しており、更に、来季も悪化すると言う見通しで、株価も、株主の指摘では、伊藤忠に抜かれたとかで冴えない。
   会社も問題意識を持っているからこそ、新社長を大抜擢したのであろうが、その意味からも、どのような経営戦略を掲げて、新体制に向かうのか、興味を持って、会社説明を聞いていた。
  
   株主が指摘するまでもなく、PBRが、0.73と言うのは、如何にも低い。
   極論すれば、会社を分解して叩き売った方が、株主にとって価値が増すと言う数値であるから、こんなに、日本株が上昇している時に、異常な現象と言うべきであろう。
   尤も、三菱商事でさえ、0.83くらいだから、商社としては、普通なのかも知れないが、
   会社の説明では、新興国経済の不振によって、資源に対する需要が減退しており、石油や鉄鋼などの資源価格の下落で、業績が悪化して、そのための株安だと言う。
   社長は、この株価については、全く満足しておらず、全社あげて危機感を共有しており、資源部門の底上げを実施し、天然資源は、結局は、消費して行くものであるので、コスト競争力のある拡張性を志向した資源開発に邁進したいと強調していた。
   いずれにしろ、オペレーション的にも、金属資源やエネルギーの比重が非常に高いために、もろに、業績が悪化しており、当然、回復が遅れる事となろう。

   したがって、新中期経営計画でも、今後の攻め手として、食料と農業、メディカル・ヘルスケア、衣食住と高付加価値サービスに努力を傾注すると言うことである。
   化学品事業と食糧事業をつなぎ、食糧増産・安定供給を実現と言う方向は、これまでの商社事業の延長線上であろうから問題はなかろうが、
   「IHHヘルスケア社を核とした病院周辺事業の推進 誓約企業への支援サービス事業の展開」や、
   「アジア中間層の消費拡大を捉えた多角的展開 サービス・プラットフォーム事業とした川下領域への積極展開」と言った戦略は、どうであろうか。
   アジア・シフト戦略で、どちらかと言えば、プラハラードのBOPやボリュームゾーンと言うよりも、この地域の富裕層をターゲットにした事業展開を図ろうと言うことなのであろうが、まだまだ、国内オリエンテッドの商社にとっては、中々、大変であろうし、そんなに簡単に、金属資源やエネルギー事業に肩を並べられるような業態になるとも思えない。

   また、新たな「攻め手」を追求するために、次世代・機能推進セグメントに、コーポレートディベロップメント本部を、インターネット、メディア、ITサービス等、ビジネスチャンスが増大している情報通信技術領域におけるビジネスモデルの革新を加速するために、ICT事業本部を置いたと言うのだが、遅すぎるのではないかと思わざるを得ない。

   もう一つ強調していたのは、フリーキャッシュフローが、プラスになったので、更に強靭なキャッシュ創出力に裏打ちされた「新規事業」への投資と「株主還元」に注力したいと言うことである。
   来期減益予想にも拘わらず、今回同様に、配当性向が高くなるにも拘らず、配当を64円に据え置くのも、この戦略の一環のようだが、資金を成長投資に向けるのは、利益基調になってきた昨今の日本企業の動向であり、望ましいことであろう。

   このキャッシュフローと関係が強いのだが、三井は、EBITDA 重視の経営を行っていると言う。
   EBITDA は、売上利益に、減価償却費などが加算された値になっており、キャッシュの流出入で計算したキャッシュ利益と言う概念のようなので、キャッシュフロー重視経営、そして、将来への投資指標としては、重要なのであろう。

   会場のスクリーンには、三井物産のスローガンの 360° business innovation.が踊っており、良く分からなかったので、
   グーグルで開けると、パワフルな動画が飛び出す。
   ところが、説明文の日本語の「世界の未来を、世界と創る」以下の文章と、英語の「For the world. With the world.」以下の文章とで、相当、ニュアンスが違っていて、このチグハグさと言うかその差が、三井物産の経営戦略とグローバル戦略の差だと理解すると、かなり、意味深で興味深いと思うのだが、どうであろうか。
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梅酒と梅ジュースを造ろう

2015年06月18日 | 生活随想・趣味
   梅雨は、梅の実が熟する季節と呼応する。
   熟した梅の実が落ち始めて来たので、叩き落として実を集めた。
   冬に強剪定したにも拘らず、沢山梅の実が実った。
   何時も、梅の実が甘ければ良いのだがと思うのだが、酸っぱくて苦みがあるからこそ、梅なのであろうと思い直す。

   折角の綺麗な梅の実なので、昨年同様に、梅酒と梅ジュースを造ることにした。
   最近は、パソコンを叩けば、写真付きの実に丁寧な作りかたのレシペが出て来るので、それに従ってやれば簡単で、素人でも、文句なしに、それなりの梅酒や梅ジュースが出来る。
   昨年作った梅酒が、まだ、少し残っていて賞味しているのだが、チョウヤ梅酒に遜色ないと思っている。

   梅酒の方は、昨年使った4Lの梅酒用のボトルがあるので、梅を1キロ、ブランデー入り梅酒用リカー1.8L,氷砂糖500g~1キロあれば、準備万端整うと言うことで、多少、手順に注意してビンに詰め込めば、後は、熟成を待つばかりである。
   梅ジュースも、多少、手順は違うが、それ程、苦労せずとも雑作はない。

   ところで、梅酒や果実酒を自宅で作っても、良くて、どぶろくなら、日本では酒税法によって許可なく製造することは禁じられているのだが、元々、酒であるホワイトリカーを使って、酒を変形するだけなので、問題ないのであろうか。
   ところで、フランスやドイツ、イタリアなどでは酒類の自家醸造は許されており、自家醸造を禁止していたイギリスは1963年に、アメリカ合衆国も1979年に解禁しており、ワインの自家醸造も1933年に解禁されたというから、先進国では、日本だけが、酒税目的で、自家醸造を許さないのであろうか。

   ところで、近くのコーポでは、入り口の目立つところに、梅酒作り一式の材料が、並べられており、私も、これを重宝しているのだが、梅も含めて、結構、買って帰る人がいるので、自家梅酒作りのファンが、かなりいるのであろう。
   
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初夏の光則寺と鎌倉文学館

2015年06月17日 | 鎌倉・湘南日記
   梅雨のはっきりしない曇り空には、アジサイが似つかわしい。
   この日、午後に、鎌倉文学館で、尾崎左永子さんの源氏物語の自作を語る講演会があったので、少し、早めに出て、丁度、アジサイの見頃でもあり、近くなので長谷寺へ向かった。

   バス停についてから、長谷寺への観光客の波に嫌気が指して、隣の参道を東に向かって、光則寺に行くことにした。
   この方は、至って観光客は少なくて、アジサイの寺としても名が知られているとのことなので、始めてだったが、この季節で、人が少ないと言うのが良い。

   ウイキペディアによると、
   光則寺は、神奈川県鎌倉市長谷にある日蓮宗の寺院で、
   日蓮の佐渡配流に際し鎌倉幕府5代執権北条時頼は、弟子の日朗も捕らえ家臣の一人宿屋光則邸の土牢に監禁した。しかし、監視役の光則は日朗と日蓮を私淑する様になり、文永11年(1274年)、日蓮の放免後自邸を寺に改め日朗を開山に迎えて創建した。これに先立ち文永元年(1260年)には「立正安国論」が、宿屋光則の父宿屋行時から北条時頼に建白されている。と言うことである。

   非常にこじんまりした寺院で、山門をくぐると、目ぼしい歴史的な伽藍は、本堂だけで、背後の山を上って行くと、日朗の土牢がある。
   途中の石段に沿って、アジサイが植わっているが、この寺で、目ぼしいアジサイの群植はここだけで、他は、殆ど単植である。
   
   
   
     

   光則寺は、花の寺としても有名なようで、特に本堂前のカイドウは、樹齢200年ともいわれる古木で、鎌倉市天然記念物であり神奈川の名木百選の一本だと言う。 
   山門と本堂との間に立っている石碑の間に、蓮の鉢植えが置かれていて、一輪だけ、造花のように鮮やかに咲いていて、目を引いている。
   
   
   

   さて、アジサイだが、単稙の花も夫々、鮮やかに咲いて美しいのだが、この寺のアジサイの殆どは、鉢植えが並べられていて、それも、珍品と言うか新種と言うか、非常に珍しい花ばかりで、若い木である所為か、花も元気に咲いていると言う感じではなく、寂しい。
   境内が狭いので、この鉢植えのアジサイを総て、庭植えにするなど不可能であろうから、どうするのか気をまわしてしまう。
   
   
   
   
   
   
   

   花の寺と言うことで、今、池畔には、花菖蒲が咲いていて、萩も咲き始めている。
   場違いながら、浴衣を着た若い女性が二人、本堂の裏で、何をバックにしてか、自撮り写真を何枚も写していて、すぐに消えてしまった。
   この寺の入り口に、「四季の光則寺 山野草と茶花マップ」と言うA3の境内地図に、びっしりと、植えられている花の名前が書きこまれていて、花の寺の面目躍如である。
   
   
   

   小一時間、光則寺で過ごして、由比ヶ浜大通りを鎌倉の方に歩き、鎌倉文学館に向かった。
   途中に、小ざっぱりしたシックな店があって、店頭に、珍しいアジサイの鉢植えが置かれていて、興味深かった。
   甘味処の店先で、外人カップルが、何を食べようかと語り合いながら、描かれた写真入りのお品書きが興味深かったのか、写真を撮っていた。
   
   
   

   鎌倉文学館は、やはり、文学にと言うか、多少、文化的な雰囲気を楽しむ人でないと来ないところであろうから、大体、静かで、穏やかな鎌倉を楽しめる。
   まだ、バラが、ちらほら、かなり、綺麗に咲いていた。
   それに、アジサイやカノコユリが咲いていて、初夏の香りを楽しませてくれる。
   芝生越えの旧前田家の建物は、シックで良い。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
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国立演芸場・・・花形演芸会スペッシャル

2015年06月16日 | 落語・講談等演芸
   落語家など大衆芸能の若手芸人が登場する演芸会だが、今回は、年間大賞などの受賞者による表彰式を兼ねた演芸会であった。
   私は、人気絶頂の談春や、大学の後輩でパンチの利いた話術で面白いと言う上方落語の笑福亭たまなどが登場すると言うので予約を入れたのだが、チケットは、すぐに完売となったと言う。
   

   大賞は、ポカスカジャン。
   ウィキペディアによると、「ポカスカジャンは、楽器を使った音ネタ専門(古くはボーイズ)の日本のお笑いトリオ。」
   たとえば、フラメンコを、市場のセリ・スタイルで演じると言う奇想天外な演奏で、ハイテンションで緩急自在、リズム感豊かで乗りが良いので、殆どが中年以上の観客なのだが、若者のように、手を振ったり声を出したりで、一緒になって楽しんでいる。
   残念ながら、私は、オペラやクラシック音楽鑑賞派なので、全く、場違いな感じで、バツが悪い。
   それに、その日は、国立能楽堂で、狂言「柿山伏」、能「竹生島」を楽しんだ後だったのである。
   

   司会でゲスト出演の談春は、「山号寺号」を演じた。
   若旦那が、幇間・一八に会って、どこに行くのかと尋ねられて、「浅草の観音様だ」と答えると、「金龍山浅草寺ですか」と言われて、お寺には『なになに山なになに寺』という正式な『山号寺号』があると言うことで、○○山××寺の言葉遊びが始まる。
   車屋さん広小路、自動車屋さんガレージ、時計屋さん今何時、肉屋さんソーセージ と言ったたわいのない掛け合いが続くのだが、語り口と言いテンポや間合いと言い、やはり、チケットの取れない落語家と言われるだけあって、談春は、上手くて聞いていて楽しい。
   今度、もう少し、まともな高座を聞きたいと思う。

   笑福亭たまと金賞の三遊亭萬橘は、「寿限無」を語った。
   「寿限無、寿限無 五劫の擦り切れ 海砂利水魚の 水行末 雲来末 風来末 食う寝る処に住む処・・・」の言う途轍もない長い名前を、和尚の発案で、赤ちゃんに付けたと言う話で、子供の名前を呼んでいる間に、ことが済んでしまうと言う早口言葉をもじった言葉遊びの落語である。
   しかし、本来の話が変形して、多くのバリエーションがあって、たまは、病人の延命治療をどうするかと言う話で名前を何回も呼んで相談している間にこと切れてしまうと言う話になり、萬橘は、寿限無の意味を一つ一つ、子供が親に詰問すると言う話になり、面白い。
   何でも、特に、若者の間では、言葉の省略系が流行っているので、今日では、こんな話になる筈がないのだが、やはり、話術の世界の話である。
   ところで、思い出すのは、イギリスで、一語で世界一長い町の名前だと言って、駅だったか市庁舎だったか忘れたのだが、壁面に描かれていたのだが、
   ランヴァイル・プルグウィンギル・ゴゲリフウィルンドロブル・ランティシリオゴゴゴホ: Llanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobwllllantysiliogogogoch
   これなどは、省略の仕様がないのであろうか。

   桂宮治が、「まんじゅう怖い」、立川志ら乃が、「平林」と言ったポピュラーなスタンダード噺を語っていたが、話術が巧みなので、何度聞いても面白い。
   古今亭志ん陽は、「つぼ算」、三遊亭歌奴は、「匙加減」を語ったが、初めて聞く話であったので、楽しませて貰った。
   U字工事の漫才だが、金賞なので、素晴らしいのであろう。
   いつもそうだが、上方漫才に慣れ過ぎてしまった私には、東京漫才は、何故なのか、波長が合わなくて、残念ながら、まだ、十分に楽しめてはいない。

   いずれにしろ、素晴らしい演者たちが、特別な舞台を見せて聞かせてくれたのだが、ほんの、15分くらいの高座なので、正に、アラカルトで、十分に、その芸を楽しめるような舞台設定ではなかったのが、残念であった。
   
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国立劇場六月歌舞伎・・・「壺坂霊験記 」

2015年06月14日 | 観劇・文楽・歌舞伎

   私が、子供の頃には、テレビなど別世界の話で、ラジオを聞いていたのだが、何故か、浪曲の「妻は夫をいたわりつ 夫は妻を慕いつつ・・・」と言う名調子だけは、鮮明に覚えている。
   これが、どうも、今回の歌舞伎「壺坂霊験記 」だと気付いたのは、その後である。

   さて、この「壺坂霊験記 」は、1時間一寸の完結した舞台で、非常に有名な芝居だが、次のようなストーリーで、出演者は、お里(片岡孝太郎)と沢市(坂東亀三郎)の二人で、他には、終幕に、観世音の子役が登場するだけである。
   座頭の沢市は、妻のお里が毎朝早く外出するので、浮気をしているのではないかと疑って問い詰めると、この三年間、沢市の目の全快を願って壷阪寺の観音に願掛けに行っていたのだと答える。邪推を恥じた沢市は、お里と一緒に壷坂観音詣りに出かけるのだが、目の見えない自分がいてはお里を不幸にするばかりだと、お里が家に帰って目を離したすきに、滝壺に身を投げる。戻ってきたお里は、夫の死を知り、絶望して夫のあとを追って身投げする。二人の夫婦愛に感じ入った観音によって、霊験あらたか、奇跡的に二人は生き返り、沢市の目が明く。

   歌舞伎でも以前に観ているが、2008年に、文楽で、素晴らしい「壺坂観音霊験記」を観た。
   沢市内の段では、住大夫と錦糸の義太夫で、お里を簑助が、沢市を勘十郎が遣った。
   「エヽそりゃ胴欲な沢市様。・・・三つ違ひの兄さんと、云ふて暮らしてゐるうちに、・・・」で始まるお里の口説きで有名だが、盲目で疱瘡の為に顔の醜くなった生活力のない沢市が邪推して男でも出来たのではないかと詰問すると、お里が疑われているのが悔しいと涙ながらに、沢市の眼病快癒を願っての壺坂寺への観音参りであることを告白してかき口説く肺腑を抉るようなセリフで、簑助のお里の人形の嗚咽が聞えるようであった。

   この時、私は、次のように書いた。
   妻のお里は、正に天然記念物と言うべき人物。・・・貧しいどん底生活に喘ぎながら、何一つ愚痴をこぼさずに沢市の目を治す為に必死になって毎夜の観音参りで祈り続けた。「・・・貧苦にせまれどなんのその、一旦殿御の沢市様。たとへ火の中水の底、未来までも夫婦ぢゃと、思うばかりか・・・」と言うこれ程健気で心身ともに美しい女性はいるであろうか。
 
   沢市の方は、3年も経ってから、邪推に耐えられなくなって、妻に朝出を詰問すると言う能天気で、目が明いた瞬間、「お前は、どなたじゃへ」と聞き、女房だと言われて、「コレハシタリ初めてお目に掛ります」と言う、お里と比べれば非常にテンションの低い人物として描かれていて、
   「妻は夫をいたわりつ 夫は妻を慕いつつ・・・」と言う平等の夫婦愛とは思えなくて、この物語は、完全に、妻お里の純愛物語なのである。
   明治時代に作られた浄瑠璃で、その後、歌舞伎や講談、浪曲の演目にもなったと言うことで、文楽の床本と歌舞伎の台本との違いか、あるいは、演出の差か、孝太郎は、実に上手く好演していたのだが、何となく、文楽のお里の方が上出来と言うか、先の口説きもそうだが、後段でも、私は次のような印象を記していて、歌舞伎の方が淡白で、印象が随分違う感じがした。
   ”胸騒ぎを覚えて戻ってきたお里が、沢市の死骸を見て動転し、天を仰いで号泣し大地を叩いて地団太を踏んで断末魔の苦悶を訴える。この人形の阿鼻叫喚の嘆きと苦しみを、簔助は、お里の小さな人形に託して演じ切り、その哀切の表情は人形にしか表せない悲嘆の極致である。”

   ベテランで芸達者な孝太郎を相手にして、沢市の亀三郎は、中々の好演である。
   今回の歌舞伎は、「歌舞伎鑑賞教室」の演目で、観客の大半は、高校生や団体で占められていて、通常の歌舞伎の舞台と違っていて、劇場の雰囲気も随分違う。

   冒頭に、「解説 歌舞伎のみかた」があって、今回は、司会は坂東亀寿で、新しい趣向として、女形の化粧から着付け、そして、舞台での演技までのプロセスを、非常に簡潔に、片岡當史弥に実演させて、カメラがそれを追っ駆けてスクリーンに映し出して紹介していたのだが、非常に面白かった。
   代表に選ばれた男女二人の高校生が舞台に上がって、赤姫の基本姿勢を教えられて、着物を羽織って実技を、そして、當史弥の後に従って、舞台から花道を下がって行くまでを演じていたのだが、教育目的のプログラムとしては、上出来であろう。 
   このような歌舞伎鑑賞の機会は、最低限度、首都圏の学生に限られているのだろうが、古典芸能なり日本文化の普及を言うのなら、地方にも、結構、素晴らしい文化会館など会場があるのだから、商業ベースではなく、国家予算で、文科省が、このような移動歌舞伎プログラムを推進すべきであろうと思う。
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トマト・プランター栽培記録2015(7)・・・アイコ色付き始める

2015年06月13日 | トマト・プランター栽培記録2015
   やっと、アイコが、ほんのりと色付き始めた。
   同じ時期に植えたイエローアイコは、まだである。
   

   ところで、レッドとイエローともにアイコは、二本仕立てにして栽培しているのだが、今のところ、一本仕立てにくらべて、特に出来が悪いとか、病虫害や育ちに、問題が起きているようには思えない。
   実成り等は、普通の花房では、15個を切る房もあるのだが、二股になると大変な数になるし、実の大きさも、従来のと同じだと思えるので、それほど、二本仕立てにしたからと言っても、心配する必要はなさそうである。
   苗の先端が、2.1メートルの支柱(実際は、地面に差し込むので、2メートル)を越えはじめたので、摘心をし始めている。
   主主幹は、第5花房、副主幹は、第3花房で留めているのだが、苗木によっては、夫々、第6、および、第4まで可能なものがある。
   
   
   
   

   最初に植えたので、アイコの成長が、一番早いのだが、ほかのミニトマトも、ほぼ、順調に成長していて、実成りも、まずまずである。
   中玉料理用トマトのティオ・クックも、問題なく、成長していて、これも、二本仕立てによる問題は、なさそうである。
   一番大きな実は、ピンポン玉と軟球ボールの間くらいの大きさで、一房に6~7個くらいの実付きなので、まずまずであろう。
   
   

   (追記)葉に隠れていたイエローアイコの第1花房の実が、2個尻腐れ病に罹っているのに気付いた。
   窒素過多カルシューム不足の可能性が高いので、株元に消石灰を散布した。
   あるいは、梅雨の所為もあって、水過多なのかも知れないが、当分仕方がない。
   インターネットで調べると、有効な方法として、
   「トマトやミニトマトの花、もしくは蕾の反対側にある葉を一枚切り落とす」
   トマトやミニトマトの果実は、必ず花の後にできるわけだから、そのすぐ近くにある葉を切り落とせば、本来切り落とされた葉で消費されるはずだったカルシウムは、黙っていてもやがて果実となる花や蕾へ多く届くことになる、と言うことなので、有効かどうかは不明だが、取りあえず、葉が十分あるので、直近の葉だけ切り落とした。
   他の苗木には、尻腐れ病の兆候がないので、当分、様子を見ようと思っている。(2015.6.14)
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