AIロボットが東大に合格するのか、「東ロボくん」と名付けた人工知能を開発して、東大合格を目指すチャレンジを試みてきた数学者が、この本の著者荒井紀子教授。
国語や英語でクリアできない限界があり、知能指数65までは行けてもそれ以上は無理で、東大には合格できないが、既に、MARCHや関関同立などの有名私学には、合格する実力を備えているという。
ということは、国民の大半の知能指数は、「東ロボくん」以下だという深刻な指摘で、これからの人間とAIとの鬩ぎ合いの熾烈さ深刻さを暗示していて、恐怖そのものである。
この「東ロボくん」は東大に合格するロボットを作ろうとしたのではなく、AIは、何処までのことができて、どうしてもできないことは何かを解明することで、AIに仕事を奪われないためには、人間はどのような能力を持たねばならないかが自ずと明らかになるので、AIの様々な技術とその研究者の粋を結集させて検証することだという。
まず、冒頭から、AIの真実に迫る。
「AIが神になる?」――なりません。「AIが人類を滅ぼす?」――滅ぼしません。「シンギュラリティが到来する?」――到来しません。
AIは、神に変って人類にユートピアをもたらすことはないし、その能力が人知を超えて人類を滅ぼすこともありません。ロボットが、人間の仕事を総て引き受けてくれたり、人工知能が思想を持ち、自己存在のために人類を攻撃したりすると言った考えは、妄想に過ぎないことは明らかです。
コンピューターは計算機ですから、できることは基本的には四則演算だけです。AIは、計算できないこと、基本的には、足し算とかけ算の式に翻訳できないことは処理できません。
人間の認識や人間が認識している事象の大半を数式に翻訳することができ、しかも、それらが計算可能な式ならば、「真の意味でのAI」が完成する日は遠くないかも知れないが、それは今の段階では原理的に不可能だと考えています。数学には表現できることが限られているのです。
論理、確率、統計。これが4000年以上の数学の歴史で発見された数学の総てであり、科学が使える言葉の総てです。次世代スパコンや量子コンピューターであろうと、非ノイマン型であろうと、コンピューターである限り使えるのはこの3つの言葉だけで、決定的に欠けているのは、「意味」を記述する方法がないということです。
コンピューターには意味が理解できません。「真の意味でのAI」ができないのは、それが、大きな壁になっているのです。
さて、AIが、人々から仕事を奪って職から駆逐するということについては、非常に手厳しい未来を説いている。
オックスフォード大学の研究チームの研究を引いて、10年から20年後には、702種類に分類したアメリカの職業の約半数が消滅し、全雇用者の47%が、「at risk」、つまり、職を失う恐れがあると予測している。
これは、アメリカだけの話ではなく、日本も全く同様で、IT技術やAIに代替される仕事はことごとく駆逐されていく。放射線画像診断やフィンテック、ブロックチェーンなど例にしながら、第一部の半沢直樹は消えて逝かざるを得ず、バンカーなども大半危ないと言う指摘が面白い。
いずれにしろ、急速に、多くの職が、AIに奪われて行き、多くの労働者が職から駆逐されていくという見解には、殆どの識者が一致している。
興味深いのは、長期の好景気や企業の内部留保も最高額にもかかわらず、日本の賃金の中央値が下がり続けていることについて、これは、イノベーションによる労働者の分断で、イノベーションに代替可能なタイプの労働価値が急激に下がっているからだという指摘である。
ITやAIやロボットに代替されるような職に就いている労働者は、どんどん、賃金給与をダウンされ、職から駆逐されて行き、貧富の差が、益々拡大して行くという指摘。この問題の解決には、このような職に就く人々の教育訓練によって、新しい技術に即応した能力をつける以外に方法はなく、もし、不可能なら、ベイシックインカム制度の導入など救済策を実施すべきだと言うことであろう。
これまでのような弱肉強食の市場原理による経済格差の拡大とは違って、ICT革命、デジタル化によって、時代の潮流について行けない知的技術的弱者や無資格者が駆逐されて行くという、全く新しい知識ポスト・インダストリアル社会の到来による深刻な問題なのである。
さて、荒井教授の、コンピューターは、意思のない四則演算のみで機能する計算機であり、かつ、そのAIを起動する数学に限界があって、その限界を超えることができないので、AIが、神になって人間を滅ぼすこともないし、シンギュラリティも起こりえない、という見解は理解できた。
しかし、先に逝ったスティーブン・ホーキンス博士は、「コンピューターが、世界を乗っ取るという危険は、既に現実のものになった」と言っており、今、「2045年 AIは人類を滅ぼす」と説くジェイムズ・バラットの「人工知能」という本を読み始めたのだが、どう考えれば良いのか。
先に読んだユヴァル・ノア・ハラリなどは、切り口が違うが、次のように述べている。
情報テクノロジーとバイオテクノロジーの融合が、現在の価値観の核となる自由と平等を脅かす。生物学者たちが人体の謎、特に、脳と人間の感情の謎を解き明かしつつあり、コンピューター科学者たちが、前代未聞のデータ処理能力を開発しており、このバイオテクノロジー革命と情報テクノロジー革命とが融合した時には、我々の感情を自分たちよりもはるかにうまくモニターして理解できるビッグデータアルゴリズムが誕生する。その暁には、権限はおそらくコンピューターに移り、これまでアクセス不能であった我々の内なる領域を理解し操作する組織や政府機関に日々出くわし、人間や心をハッキングされて、自由意志と言う自分たちの幻想が崩れ去るであろう。
AIが人間を支配して神になると恐れる識者が、結構多いというのも事実である。
しかし、AI終末論を信じられなくても、荒井教授の説く人類の行く末展望でさえ、恐ろしくて恐怖である。
国語や英語でクリアできない限界があり、知能指数65までは行けてもそれ以上は無理で、東大には合格できないが、既に、MARCHや関関同立などの有名私学には、合格する実力を備えているという。
ということは、国民の大半の知能指数は、「東ロボくん」以下だという深刻な指摘で、これからの人間とAIとの鬩ぎ合いの熾烈さ深刻さを暗示していて、恐怖そのものである。
この「東ロボくん」は東大に合格するロボットを作ろうとしたのではなく、AIは、何処までのことができて、どうしてもできないことは何かを解明することで、AIに仕事を奪われないためには、人間はどのような能力を持たねばならないかが自ずと明らかになるので、AIの様々な技術とその研究者の粋を結集させて検証することだという。
まず、冒頭から、AIの真実に迫る。
「AIが神になる?」――なりません。「AIが人類を滅ぼす?」――滅ぼしません。「シンギュラリティが到来する?」――到来しません。
AIは、神に変って人類にユートピアをもたらすことはないし、その能力が人知を超えて人類を滅ぼすこともありません。ロボットが、人間の仕事を総て引き受けてくれたり、人工知能が思想を持ち、自己存在のために人類を攻撃したりすると言った考えは、妄想に過ぎないことは明らかです。
コンピューターは計算機ですから、できることは基本的には四則演算だけです。AIは、計算できないこと、基本的には、足し算とかけ算の式に翻訳できないことは処理できません。
人間の認識や人間が認識している事象の大半を数式に翻訳することができ、しかも、それらが計算可能な式ならば、「真の意味でのAI」が完成する日は遠くないかも知れないが、それは今の段階では原理的に不可能だと考えています。数学には表現できることが限られているのです。
論理、確率、統計。これが4000年以上の数学の歴史で発見された数学の総てであり、科学が使える言葉の総てです。次世代スパコンや量子コンピューターであろうと、非ノイマン型であろうと、コンピューターである限り使えるのはこの3つの言葉だけで、決定的に欠けているのは、「意味」を記述する方法がないということです。
コンピューターには意味が理解できません。「真の意味でのAI」ができないのは、それが、大きな壁になっているのです。
さて、AIが、人々から仕事を奪って職から駆逐するということについては、非常に手厳しい未来を説いている。
オックスフォード大学の研究チームの研究を引いて、10年から20年後には、702種類に分類したアメリカの職業の約半数が消滅し、全雇用者の47%が、「at risk」、つまり、職を失う恐れがあると予測している。
これは、アメリカだけの話ではなく、日本も全く同様で、IT技術やAIに代替される仕事はことごとく駆逐されていく。放射線画像診断やフィンテック、ブロックチェーンなど例にしながら、第一部の半沢直樹は消えて逝かざるを得ず、バンカーなども大半危ないと言う指摘が面白い。
いずれにしろ、急速に、多くの職が、AIに奪われて行き、多くの労働者が職から駆逐されていくという見解には、殆どの識者が一致している。
興味深いのは、長期の好景気や企業の内部留保も最高額にもかかわらず、日本の賃金の中央値が下がり続けていることについて、これは、イノベーションによる労働者の分断で、イノベーションに代替可能なタイプの労働価値が急激に下がっているからだという指摘である。
ITやAIやロボットに代替されるような職に就いている労働者は、どんどん、賃金給与をダウンされ、職から駆逐されて行き、貧富の差が、益々拡大して行くという指摘。この問題の解決には、このような職に就く人々の教育訓練によって、新しい技術に即応した能力をつける以外に方法はなく、もし、不可能なら、ベイシックインカム制度の導入など救済策を実施すべきだと言うことであろう。
これまでのような弱肉強食の市場原理による経済格差の拡大とは違って、ICT革命、デジタル化によって、時代の潮流について行けない知的技術的弱者や無資格者が駆逐されて行くという、全く新しい知識ポスト・インダストリアル社会の到来による深刻な問題なのである。
さて、荒井教授の、コンピューターは、意思のない四則演算のみで機能する計算機であり、かつ、そのAIを起動する数学に限界があって、その限界を超えることができないので、AIが、神になって人間を滅ぼすこともないし、シンギュラリティも起こりえない、という見解は理解できた。
しかし、先に逝ったスティーブン・ホーキンス博士は、「コンピューターが、世界を乗っ取るという危険は、既に現実のものになった」と言っており、今、「2045年 AIは人類を滅ぼす」と説くジェイムズ・バラットの「人工知能」という本を読み始めたのだが、どう考えれば良いのか。
先に読んだユヴァル・ノア・ハラリなどは、切り口が違うが、次のように述べている。
情報テクノロジーとバイオテクノロジーの融合が、現在の価値観の核となる自由と平等を脅かす。生物学者たちが人体の謎、特に、脳と人間の感情の謎を解き明かしつつあり、コンピューター科学者たちが、前代未聞のデータ処理能力を開発しており、このバイオテクノロジー革命と情報テクノロジー革命とが融合した時には、我々の感情を自分たちよりもはるかにうまくモニターして理解できるビッグデータアルゴリズムが誕生する。その暁には、権限はおそらくコンピューターに移り、これまでアクセス不能であった我々の内なる領域を理解し操作する組織や政府機関に日々出くわし、人間や心をハッキングされて、自由意志と言う自分たちの幻想が崩れ去るであろう。
AIが人間を支配して神になると恐れる識者が、結構多いというのも事実である。
しかし、AI終末論を信じられなくても、荒井教授の説く人類の行く末展望でさえ、恐ろしくて恐怖である。