熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

今年もe-Taxをやってみた

2025年02月26日 | 生活随想・趣味
   現役を引退してから、何故か、ずっと確定申告を続けている。
   最近では、企業年金がなくなって、公的年金の収入だけになって、400万円以下のラインなので、申告しなくても良いのだが、医療費控除や生命保険控除などがあるので続けている。僅かだが、毎年少しだけ所得税が還付されている。
   少数株主だが、まだ特定口座を持っているので、少しずつ配当が入っていて、これは、源泉徴収処理をしている。所得税率が高いので、総合課税にすれば、多少税金が還付されるかもしれないが、場合によっては、社会保険料や地方税のラインが上がる可能性もあると言われたので、考えないことにしている。

   さて、e-Taxは、パソコンで、カードリーダーでマイナンバーカードを読み取って本人認証して行っている。
   今回は、10年以上使っているカードリーダーがダウンして前に進まなくなったので、新しいカードリーダーに代えてやってみたら、動き始めた。

   しかし、最後まで終わって送信したのだが、収入の欄などは空白で、納税額のゼロは良いのだが、いつもの申告内容確認票の表示とは全く違う。
   どうも、スタートの段階で、公的年金の記入を怠って進めてしまったようで、間違いに気づいた。
   誤って確定申告をした場合、訂正はどうするのか、インターネットを叩いて調べてみたら、
   期間内なら訂正可能で、再度一から申告すれば良くて、送信された最後の申告が有効とされて採用されると言うことであった。

   夜遅かったが、気になったので、パソコンを叩いた。今度は慎重に見落とさず注意しながら、確認申請書を作成して、前段階の申告内容確認票コピーをチェックして、様式が従来と同様なので、送信した。
   e-Taxの良いところは、24時間対応で、何時でも操作処理可能だと言うことである。
   マイページを開いて、送信結果を確認したら、確認申請の受領記録があり、その内容が申告内容確認票と全く同じなので、完了したことが分かった。

   翌朝、確認のために、鎌倉税務署に電話して、この顛末を説明して聞いてみたら、前述の処理方法で間違いないと言う事であったので、ひとまず安心した。
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夏ミカンマーマレードを作る

2024年12月26日 | 生活随想・趣味
   今年も、夏ミカンが実って綺麗に色づいたので、早速、数個捥いで、マーマレードを作った。
   ここ数年、JAPANマーマレード協会の國分美由紀理事長の「英国式簡単マーマレードレシピの紹介」の動画を参考にして作っている。
   これまで、インターネットで、「夏ミカンマーマレードの作り方」を検索して、色々試みてみたのだが、丁寧すぎて作業が大変であった。
   しかし、この「英国式簡単マーマレードレシピ」だが、イギリス人のことだから、手間暇掛けて込み入った複雑な方法でやるはずがないと思っていたので、やってみたら、まさにそうで、レイジーな私には格好の作り方であった。

   作り方だが、前に苦労したのは、夏みかんの皮の処理で、8等分にカットした皮の内側の白いワタを包丁で剥がして取り去る作業であったが、このレシペでは、8等分にカットした皮付きの実をそのまま水で煮て、柔らかくなるまで煮るだけで済む。それに、皮を千切りにするのも、煮立った皮をハサミで切り刻むだけで済むので、至って簡単である。
   その後の作業は、煮汁と千切りにした皮を鍋に戻し、砂糖を加えて煮詰めれば出来上がりである。
   時間の管理は、カンで処理する以外になかったが、まずまず、対応できたし、レシペで代えたのは、水の量を少し減らしたのと、砂糖の1㎏は多すぎるので7割程度に抑えたことくらいで、ほぼ、2時間くらいで出来上がる。 

   親しくしていたエンジニアリング会社の会長ジムの家を訪れると、訪れる度毎に、奥方マーゴが サーブしてくれる茶菓のジャムは庭の果物で作った自家製の物で、結構美味しかった。どうして作るのだと聞いたら、簡単なので教えてやると言っていたのだが、チャンスを失してしまった。 
   上等なジャムは、ピカデリーのフォートナム&メイソンで買うものと思っていたのだが、マーゴのジャムの方が風味があって美味しいので、帰国した時には、自分で手作りをしようと、フッと思った。

   幸い、鎌倉の庭には、果実の木が何本か植わっていたので、これまでに、キウイ、梅、枇杷などのジャムや果実酒を作って、楽しんできた。
   キウイは伐採したのでダメで、昨年は、梅と枇杷が不作で、僅かに実をつけた夏ミカンでマーマレードしか作れなかったのだが、来年は、素晴らしい梅酒と梅ジャムを作りたいと思っている。
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令和七年元旦の年賀状を出す

2024年12月20日 | 生活随想・趣味
   イギリスとオランダへのシーズンズグリーティング・カードを出すために郵便局へ行って、ついでに、年賀はがきを買った。
   郵便料の値上げが響いて、一気に年賀状が減ったと言うことで、出しても今年で年賀状終いをする人が多くなったと、メディアが報じている。
   私への年賀状も、毎年、歳のために年賀状じまいをする人が何人かいて、それに、亡くなっていく人もいるので、少しずつ減っている。
   年賀状じまい シールなども売っていて、年賀状への逆風が勢いを増しているのが良く分かって面白い。

   私のような年寄りには、長い年賀状文化の歴史と伝統が染みついていて、時代が変わったからと言って、はいそうですかと、すんなりと止めるわけには行かない。
   それに、一年に一度だが、知人友人の消息が分かって嬉しいし、昔に帰って懐かしくなる。

   若かりし頃、と言っても、50年も60年も前のことだが、パソコンもなけれれば便利なプリンターもない、当時は、すべて手書きで準備したのだから、年賀状書きは年末の大仕事であった。
   私など、木版を掘って押していたが、毛筆で丁寧に書く人もいたり、一寸した芸術作品もあったりして、興味深かった。

   ところで、今の私の場合は、富士通パソコン添付のソフト筆ぐるめを使用しての年賀状作成。
   古いバージョンなので、サポート切れでダメだから新しいバージョンに切り替えろと催促通知が五月蠅いのだが、画像作成ソフトが使えて住所録さえ機能すれば全く問題はない。
   今春パソコンが機能不全になって初期化したので、全てのデータが消えてしまった。しかし、そのまま旧バージョンを起動して、住所録は再整備して、裏面の画像等通信面は新規作成したら、立派に令和7年年賀状が出来上がった。
  高いだけで、オーバースペックで、過剰機能の新規バージョンのソフトなど必要ないのである。

   私個人や家族との付き合いなどで、まだ、年賀状を80枚近く書いたのだが、来年も元気で、パソコンが叩けるかどうか、
   家内は出来ないので私の仕事なので、年賀状を出すか出さないかは私次第なのである。
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鎌倉に住み始めて早10年に

2024年12月10日 | 生活随想・趣味
   今年ももう師走も半ば、新しい年がそこまで近づいている。
   鎌倉で迎える新しい年も、これで10回目になる。
   緑に包まれた鎌倉山の西麓の静かな住宅街で、少し南に下れば江の島である。
   かなり余裕のある日本庭園風の庭に、私好みの椿や梅、モミジなどの花木を植え加えたので、結構季節の変わり目には、華やかになり、小鳥や蝶が訪れる。
   今日のように、風が穏やかで少し暖かい日には、庭に出て、コーヒータイムを楽しむ。

   さて、この鎌倉が何度目の住居なのか、よく考えてみると、80余歳の長い人生において、随分、あっちこっちと住居を移り替えてきた。
   色々なところで、悲喜こもごもの生活を送ってきたことに感慨を覚えている。

   西宮の戎神社のそばで生まれて、宝塚伊丹と阪神間で育ち、宇治、茨木高槻で過ごした根っからの関西人だったが、東京への転勤で関西を離れて、埼玉の上尾に居住。
   その後、留学や赴任で海外生活となり、フィラデルフィア、サンパウロ、アムステルダム、ロンドン、キューガーデン、この間にも何度か移転。
   帰国してからは、東京新宿に住み、千葉の佐倉に自宅を構えて定住したのだが、縁あって、今の鎌倉に移った。

   それぞれの住居で、生活状態の変化もあって、色々な経験をしてきたのだが、殆どはすでに忘却の彼方、
   時々、かすかに残っている記憶の片鱗が、脳裏をかすめて懐かしくなる。
  
   モミジの紅葉ももう終わり、冬も最盛期。
   ジョウビタキが、今年も訪れて来てくれた。
   晴耕雨読、書を読むのも楽しいが、穏やかな冷気の爽やかな初冬に、温かい陽を浴びながら、庭の自然と対話するのもまた良しである。
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年末にすべき株式取引の処理

2024年12月01日 | 生活随想・趣味
   インターネットで株式情報などを検索して読んでいると、結構、日頃は気付いていないことで教えられることがある。
   当然知っておくべき単純な知識なのだが、殆ど無関心な老人泡沫投資家にとっては、インターネットででも注意していないと、知る機会などないのである。

   年末にすべき株式取引の処理なのだが、
   一つは、節税のために、赤字株を売却処理して、新NISAで再投資した方がベターだという指摘である。
   確かにそうなのだが、僅か20%の節税を目的に、長く保有している赤字の塩漬け株を損切すべきかどうか、何となく惜しい気がして躊躇する。まあ、ポートフォリオをスッキリして新春を迎えよと言うことであろうか。
   私の場合、特定口座(源泉徴収あり)を契約済みなので、特定口座で保有している有価証券を売却して生じた損益は、年間を通じて自動的に損益通算され「年間損益額」が算出される。また、源泉徴収区分が「源泉徴収あり」の場合、都度、売却代金から譲渡益税が自動的に徴収・還付されるため、原則として確定申告は不要である。 と言うことなので、極めてシンプル、
   やっと、水面下から浮上した銀行株の売却益があり、些細ながら配当金もあるので、大損だが、あまりにも下落のひどい日産株を損切処分して、多少の節税をすることにした。

   もう一つは、期限の来た旧NISA株の処理である。
   2023年までの旧NISA(一般NISA)での非課税期間満了時の対応については、非課税期間には5年と言う期限があり、投資してから5年経ってそのままにしておくと、非課税期間終了後に保有商品は課税口座へ移管される。期間内に売却しなければ、NISA口座ではなくなり課税されるが、売却すれば、売却益が非課税で受け取れる。
   私の場合、たまたま、預かり証券を見た時、NISA預かりの銘柄の株欄に「本年末NISA期間満了預かりあり」という赤字の囲い表示がなされていて、このことを知って売却処理して助かった。まだ、旧NISA株が残っていて、赤字も黒字もあるので、今後注意しなければならないのだが、問題は処理のタイミングだと思っている。

   いずれにしろ、特定口座や旧NISAの銘柄を処理して、無期限に非課税の新NISAに移してスッキリとしたい。
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ボジョレー・ヌーヴォーが到着

2024年11月21日 | 生活随想・趣味
   特別な拘りはないのだが、今年も、ボジョレー・ヌーヴォーを買ってしまった。
   私の場合は、店頭販売ではなく、殆ど、ネットショッピングで調達しており、間違いなしに、解禁日の11月第3木曜日、今日の朝に到着した。
   今夜は、家族で乾杯である。

   確か、2022年に価格が高騰して、それまで買っていた会社の価格が異常に高くなったので、再検索して、それ以降は、イオンがメインで推薦している「 ロングセラー!こだわりヌーヴォー3本セット / オリジナル(Beaujolais Noubeau 3 Bottle set 2022) 本体価格 7,680円 (税込価格 8,448円)の予約を入れて、それを続けている。
   今年も価格に変更はなく、イオンでは上等な方だし、ボージョレ・ ヴィラージュ・ヌーヴォー主体なので、満足している。 
   と言っても、味が分かるわけではなく、適当に買って、季節の到来を楽しんでいるだけである。

   これまで、毎年、ボジョレー・ヌーヴォーの思い出など書き続けてきているので、今回は、酒談義に切り替えてみたい。

   ワインを飲み始めたのは、欧米への旅行がきっかけで、本格的になったのは、1985年のアムステルダム駐在からで、欧米人とのレセプションや会食が多くなると、必然的にワインを無視できなくなる。
   ミシュランの星付きレストランの行脚も続けたし、ロマネコンティから色々なワイン、ピンからキリまで飲んできたと思うのだが、いまだに、ワインは良く分からない。
   美味しいと思って印象に残っているのは、ブラジルの片田舎で飲んだ地元ワインであったり、イタリアのピサの高級レストランで飲んだローカルワインであったり、ベルギーのミシュランレストランで経験したフルコースの皿ごとにサーブされた多彩なワインであったり、とにかく、いい加減であるが、
   私にとってのワインは、食中酒であって、飲む食べ物だという認識である。
   劇場などでワインを飲んだり、つまみと一緒にワインを楽しむと言った習慣はあまりなくて、食事と一緒に飲みながら、相性の良さ、増幅されるミックスした味を楽しむという趣向である。

   ロンドンに居た時には、ヒュー・ジョンソンの店へ行ったり、彼のポケット・ワイン・ブック を片手にフォートナム&メイソンなどへ行ってワインを選んだり、結構、ワイン関係の本を読んだりしてそれなりに勉強してきた。
   しかし、知識と味とは別もの、相性どおりの食事や環境で飲めるわけでもないし、
   早い話、ロンドンではハイクラスの晩餐会に何度も出席してきたが、標準的なワインなのであろう、ワインが良かったかどうか、全く記憶にない。

   さて、日本酒は、やはり、日本食には欠かせない酒で、晩酌とはいかないが普通に飲んでいる。地方に出かけて地元の料理に地酒を飲むのが楽しみであり、これは、ヨーロッパで地元のワインを、そして、ドイツで地ビールを味わう楽しみと同じで、地方それぞれの食べ物には、長い歴史と伝統に培われた食文化のエキスが凝縮されている。
   私は、あまり食に拘らない方なので、世界中を歩いてきて、地元の食事を拒否したこともないし、日本食に固守したこともないので、酒も郷に入っては郷に従えで、分からないままに、色々な酒も飲んできた。マオタイ、ウォッカ、テキーラ、カイピリンニャ、エスキモーの酒、とにかく、40か国くらい歩いているので、分からない酒も多い。

   いずれにしろ、酒類は飲む食べ物だというのが持論であるから、地元料理には地元の酒を飲むことにしていた。
   強弱色々あって、ミュンヘンでストロングビールをあおってひっくり返りそうになったり、強すぎて倒れてしまったり、・・・
   酒で、醜態をさらしたり問題となるような失敗はしたことはないが、多少のトラブルは経験していて、楽しみばかりではないところが、酒は魔物たる魔物の所以。
   酒を飲めない人は、人生の楽しみを半分捨てたようなもの、と言う人もいるが、さて、どうであろうか。
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日本人であることの幸せを感じる

2024年10月14日 | 生活随想・趣味
   歳をとると、朝目を覚ました時に、爽やかな思いで起床できると、つくづく幸せだと思う。
   毎朝、コーヒーを煎れて、クレッテッドクリームとブルーベリージャムをつけたスコーンを、窓越しに鎌倉山の緑を眺めながら頂く、その繰り返しなのだが、今日も無事に好きなことをしながら過ごせるという安心感が何よりなのである。

   最近、戦火が拡大して、地球上が危機的な状態に陥っているが、つくづく、日本人であることの幸せを感じている。

   一言では表現できないような、起承転結の激しい人生を繰り返しながら、80余歳まで、どうにか平穏無事に生き抜いてきたことが、奇跡だと思うことがある。
   考えれば考えるほど、幸せだと思えるのは、平和で豊かな民主主義国の日本で生まれて日本人として生きたこと、その運命に尽きると考えている。
   足掛け14年海外で生活して、その倍くらいの年月を海外と関わりながら暮らしてきており、世界中をかなり知っているので、特にそう思う。
   戦争に明け暮れて明日をも知れない生活に翻弄されている国もあれば、生活苦に追い詰められた最貧国もあり、表現の自由を奪われた専制国家もあれば、教育の自由を圧殺された国があるなど、この同じ地球上に、信じられないような不幸に泣き続ける同胞が沢山住んでいる。
   ウクライナロシア戦争、ガザイスラエル戦争、アフリカの民族戦争、毎日テレビでその想像を絶する惨状を見聞きして苦痛を禁じ得ない。

   尤も、昭和15年生まれなので、悲惨な第二次世界大戦の戦火を浴び、貧困の極致とも言うべき貧しくて辛い戦後を生き抜いてきたという記憶は残っているが、
   幸いにも私の場合、復興期に最高峰の大学教育を受け、その後、アメリカでの大学院教育や欧米生活での高度な知的環境に触発されたので、学ぶべきは学んだという思いがあり、それだけに、強力な知的武装を授けてくれた民主国家日本人としての立ち位置の有難さを身に染みて感じている。
   切った張ったの激烈なビジネス戦争にも臆することなく、Japan as No.1の日の丸を背負って、世界を歩いてこれたのである。

   さて、悲しいかな、日本経済は、失われた30年の停滞で、昔日の面影もなく沈潜し、先進国でも後塵を拝するような状態で、日本も普通の国になってしまった。
   しかし、まだ、豊かで安定した経済を維持し、安心安全な平和国家としての民主主義国家体制は盤石でビクともしていない。

   総選挙が終わっても、多少浮沈はあっても、自民党政治はそのままで、その後も期待できないと思うが、このまま、低空飛行で日本流の文明社会を引き摺って行きそうな気がしている。安定志向の日本の宿命かもしれないと思う。
   
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マーケット市況動画を見はじめる

2024年08月25日 | 生活随想・趣味
   今月に入って、日経平均株価が大きく乱高下して、マーケットが異常に激動しており、前後に、僅かながら株を買ったので、株価動向が気になり始めた。
   さしあたって、情報を得るためには証券会社の解説を見るのが一番手っ取り早いと思って、野村の「マーケット解説動画|野村の投資情報」や大和証券、日興証券などの「市況動画」などを見始めたのである。
   以前にも見ていたのだが、結構面白いのは事実である。

   ところで、この株式市況やマーケット分析の世界は、私自身の学んだ経済学や経営学とは全く違っているので、照準を合わせるのに苦労している。
   大学で経済学を専攻し、大学院でMBAを取得し、今でも専門書を読み続けてブラッシュアップしているので、それほど専門知識は落ちたとは思ってはいないのだが、残念ながら、市況動画の説明や解説が分かったとしても、さて、株の売買に、どう対応すればよいのか殆ど自信がない。
   なまじっか、経済学や経営学の知識があればこそ、役立つどころか、判断を誤らせて、邪魔になることが多いような気がする。

   例えば、私は、経済成長と景気循環を主体に勉強してきたが、資本主義がどうだとか、スタグフレーションがどうだとか、もっとスケールの大きい、経済構造の本質を学んできたのだが、直近の政治や景気状況、為替や金利、インフレなどのマーケットに立つ波風が微妙に市況に影響して、株価などが乱高下する投資の世界とは違うのである。まして、チャート分析など、馴染みがない。
   経済学の景気循環と市況のアップダウンは違うし、経営学の経営戦略戦術が、そのまま企業の業績に直結するわけでもない。
   尤も、将来の経済状況を見極めて、企業を特定して、その企業の経営分析を行って、投資対象を選択すればよいのかもしれないが、そんな気持ちもない。

   ただし、景気循環は資本主義の本質でありアップダウンは必然であって、それでも、経済社会は、成長発展を続けて上昇している。
   株も同じで、会社がつぶれない限り、下がれば上がり、長期的には、上昇トレンドで推移するのは間違いない。

   新NISAだが、将来のある若い人には、長期・分散・積立の定石に従って、こつこつ、長期にわたって投資を続けて行けば、恰好の投資手段となるであろう。
   若い時に、自社株をドルコスト方式で投資して、自宅建設資金として重宝したことがある。適当な投信を選んで、少額でもよいから、毎月積み立てて長期に保有すれば、年金や個人型確定拠出年金(iDeCo)の援軍として役に立ち、潤沢な老後資金を得ることとなるので安心である。
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梅の実を買って梅ジャムを作った

2024年06月19日 | 生活随想・趣味
   毎年、我が庭の梅の木には、たわわに梅の実が成って、梅酒と梅ジャム、時には梅ジュースを作る。
   しかし、今年は、冬の異常気象で、全国的にも梅は不作で、我が庭の梅も、ほんのちらほら結実しただけで、全く駄目であった。
   梅ジャムを作りたくなったので、仕方なく、スーパーで、一袋1キロの梅を買ってきたのである。千数百円で、異常に高いが仕方がない。

   梅ジャムの作り方は、毎年、インターネットを叩いて、適当なレシぺを見つけて、それを使う。
   とにかく、手間暇を掛けたくないので、簡略シンプルに徹する。
   今回取った手法は、我流折衷法で次の通り。
   梅をきれいに洗ってヘタを取って水けをふき取ってビニールパックに入れて、一晩冷凍室で寝かせる。
   翌日、鍋に梅を移して実が隠れる程度に水を入れて弱火で温め沸騰させると実が柔らかくなって崩れてくる。(冷凍梅なのですぐに崩れる)
   水を抜いて実が冷たくなると、梅の実を握り潰して果肉を残して種を取り除く。
   残った果肉を鍋に移して、弱火で煮込みながら、徐々に砂糖を加え、ヘラで攪拌する。
   レシぺでは、砂糖は同量の1キロだが、私はいつも7割程度に抑えている。
   15分くらいで火を落として、熱いままのジャムを、消毒済みの瓶に詰める。
   大瓶が二瓶、上出来であった。
   
   当分、朝食用のスコーンのジャムとして重宝する。
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藤沢産業フェスタで輪島の日本酒を買う

2024年05月25日 | 生活随想・趣味
   藤沢市民会館 小ホールで、孫娘たちのバレエ発表会が開かれたので、父兄として、と言うよりは、写真係として出かけた。
   何時もは、重い一眼レフを持って行くのだが、厄介なので、コンパクトなデジカメにして、席を前の方に取った。
   下手な素人写真だが、中学生時代から写真を始めているので、もう70年の年季が入っていて、家族の写真の殆どは私が撮っている。
   

   ところで、このバレエも協賛のようだが、市民会館前の広場近辺が、藤沢産業フェスタ2024の会場となっていて、大変な人で賑わっている。
   ホールを出ると、正面に物産展のブースが並んでいて、目の前に、「がんばっとるよ、輪島」という能登地震の被災地輪島の売り場があった。
   文句なく、前に進むと酒瓶が並んでいる。
   何故か、日本酒よりもワインの方が多くて、日本酒は4種類しかない。
   迷うことなく、1本だけ残っていた一番上等な日本酒(奥能登自然栽培米×奥能登の白菊という白藤酒造店の日本酒 2019yr)、そして、横に並んでいた干物のおつまみも買った。今夜の晩酌にするつもりであった。
   
   結局、この日の夜は、スシローに出かけたので、輪島酒の晩酌はお預けとなった。
   しかし、期せずして、被災地に少し寄り添ったような気持ちがして嬉しかった。
   
   このように、露店が立つフェスタやバザールが開かれると、何となく興味を持ってハシゴしたくなるのだが、ヨーロッパに居たときに、あっちこっちの街で、市庁舎前の広場などで開かれている蚤の市を歩くのが楽しかった。
   今でも、ドイツかベルギーか忘れたが、マイセンやドレスデンやボヘミアなどと言った骨董の食器や置物が我が家には残っている。
   若かったので、骨董趣味など全くなかったので、ヨーロッパで買うのは新品の名産品ばかりであったが、今になって、ヨーロッパに8年も居たのであるから、骨董店を行脚して、もう少し味のある名品を求めておくべきだったと後悔している。
   帰国真際に、イギリスの田舎町の骨董店で買った古いランプをしみじみと眺めながら、ヨーロッパの昔に思いを馳せている。
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イギリスで飲む紅茶は美味しいのだが

2024年05月23日 | 生活随想・趣味
   イギリスに永く住んでいて、結構、紅茶に入れ込んで嗜んできたのだが、最近は殆ど縁がない。
   ところが、友に、何故イギリスに比べて日本で飲む紅茶は不味いのかと聞かれて、はたと、考えた。

   友からのメールは、
   かってロンドンで(貴兄の在任中だと思いますが) 宿泊したホテル(名前は出てきませんが市内の割と由緒あると思われる)で朝食を摂ったとき 紅茶がべらぼうに美味くて感激したことがあります
紅茶がこんなに美味いものであったかと驚き また味わいたいと東京に戻りデパートを巡り それらしい葉っぱを手に入れて試してみましたが全く不味くて 何が違うのか しばらく頑張ってみたものの どうしようもありませんでした
葉はおそらくそれほどの違いはないのでしょうが 淹れ方が違うのか 水が合わないのか 要は全くダメでした
多分 硬度の差が大きいのではないかと思われます
硬度の違う日本の水でも美味く淹れる術をご承知なら 是非ご教示ください
話が前後しましたが 本を片手にお飲みになっているのはコーヒ-それともテイ-ですか 私は専らグリーンテイ一本です

   私も良く分からないのだが、次の駄文を返した。
   ところで、イギリスの紅茶ですが、やはり、感激するほど美味しい言った経験を何度かしています。
強烈に覚えているのは、日本から着いて、その直後にロンドンの郊外の英人知人宅で頂いた紅茶が美味しくて、一気に何杯も飲んだのを覚えています。
飛行機で脱水症状であったのかも知れませんが、特に変った特別な茶葉ではなく、日常の紅茶だと言っていました。
一般的には、イギリスの硬水がテイーに合うのだと言われていますが、ロンドンは、中硬水で、これが、紅茶の美味しさや香りの良さを抽出するのかも知れません。
日本は軟水ですが、水質の違いが影響するのかも知れません。しかし、硬水か軟水かは、定説があるのかないのか、判然としておりません。
純水やエビアンなどミネラル不足の水は論外で、適度な硬水が手に入れば、と思っています。ティーバッグに100度の熱湯を注いで数分蒸らして、茶葉を残さずに、一気に引き上げるのがコツだとも聴いています。
日本茶と違って、英国紅茶の価格差はそれ程大きくないので、ロンドンに居た時には、確か3~4倍くらい高いフォトナムメイソンのダージリンのファーストフラッシュを使っていました。違いは分かりません。
一時、ロンドンから輸入していましたが、三越の特約となり、異常に高くなったので止めました。
最近は、専らコーヒーで、UCCをメリタのコーヒーメーカーで煎れるというなまくら作業で、紅茶もコーヒーも、良さを楽しむという趣向は失っています。

   そう言えば、ロンドンに居た時にも、帰国してからもしばらく、かなり多くの紅茶やコーヒーの専門書やガイドブックなどを読んで勉強し、これだと思われるレシペに忠実に従って煎れ続けたことがあるのだが、納得できた試しはなかった。
   結局、紅茶やコーヒーを嗜む時の雰囲気や体調や心の反応などのシチュエーションが一番影響しているのではないかと言う気もし始めている。

   女王陛下は、ストレートだと言われていたが、イギリスのミルクや米国起源のレモンティーやインドのチャイなど、ところ変れば品変るで、それぞれの風土や食事によって、ティーと言っても千差万別である。
   あっちこっち外国を歩いていて、色々なティーを味わってきたが、それぞれ、それなりに満足してきたと思っている。

   ティーも、酒と同じで、長い歴史と伝統に育まれたその土地の食文化の反映であって、簡単に移植できるわけがない。
   極論すれば、全く風土も食文化も違う日本で、イングリッシュティーを、イギリス並みに美味しく味わおうと思うこと自体が無理ではないかと言うことである。
   昔、インドの富豪の令嬢がロンドンに輿入れしたときに、インドの食品の苗木を移植したが悉く失敗したと聴いたことがある。
   私は、コカコーラはアメリカでは美味しいと思ったが日本では飲まないし、ブラジルの国民的飲料ガラナーは、日本では不味くて飲めないという。
   阪神巨人戦は、甲子園か後楽園で観戦すべきと言うことかも知れない。

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大学経済学部卒業60周年の同窓会

2024年05月21日 | 生活随想・趣味
   先日、大学の経済学部の卒業60周年の関東地区の同窓会が、東京で開かれた。歩行に不安があり、立食形式だったので欠席した。
   卒業生200人のうち、40人くらいが集まったと言うから、かなり、皆元気である。
   ところで、しばらくして、ゼミの同窓会が開かれたので、これには、出席した。
   12人のうち、前回同様に、参加者は5人。

   集まって話題となるのは、まず、近況と健康の話、
   その後、最近読んだ専門書や国際情勢の話など多岐にわたるのだが、ゼミ当時の雰囲気と殆ど変らない。

   会話の中で、気付いたことを、二言三言、

   パソコンは、ブログを書いている私ほどではないが、結構使っているのだが、ウイルス対策ソフトを使っていないと言っている。
   私など、ソフトを入れていても、悪質なアタックに罹って困ったことがあるので、心配で、パソコンもスマホも、ウイルス対策ソフトのお世話になっている。
   マカフィーが、スマホもカバーすると言うことを知って、最近、スマホのウイルス対策を止めてマカフィーに切り替えた。
   ウイルスにやられてダメになれば、パソコンを買い換えれば良いと言うのだが、私など、30万円もしたパソコンの廃却などおいそれとは出来ない。

   健康の話になると、それぞれ傘寿を越えているので、話題に事欠かない。
   気になったのは、殆ど皆が介護認定の指定を受けていて、何らかの形で介護保険のお世話になっていると言うことである。
   体に異常を来したときに認定を受けたということのようだが、今は問題なくても、転ばぬ先の杖だという。
   私も、歩行困難で困っているのだから、認定を受けておけと薦める。
   帰って鎌倉市に電話して、脊柱管狭窄症とロコモの進展で困りつつあると言ったら、市役所まで来れば申請の手続きを進めるという。
   
   集合は、三々五々にレストランだったので、帰りに東京駅まで地下道を一緒に歩いたのだが、私同様に杖をついたり、背を曲げてゆっくり歩く姿など似たり寄ったりで、やはり、歳には勝てないと実感した。
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Nikon 1 J3 パーになって残念

2024年05月16日 | 生活随想・趣味
   ミラーレスカメラのはしりのころ、Nikon 1 J3 小型10倍ズームキットを買った。口絵写真のカメラである。
   ミニマルデザインと優雅なフォルムの世界最小ボディー。
   そこに凝縮された革新的な機能。
   撮りたい瞬間を逃さない高速AF&高速連写性能もさらに進化しました。と言うふれ込みで、2013年2月7日新発売であった。
   オープン価格なので覚えてはいないが、10万円はしなかったが、かなり高かった。
   残っている記録では、
   1 NIKKOR VR 10-100mm f/4-5.6 旧製品 2013年2月7日発売 希望小売価格:99,000円(税別 90,000円)と言うから、レンズだけでも相当なものだったのである。
   在来型の一眼レフや高精度のデジカメを常用しているので、最近では、全く使うことはなかった。
   しかし、小型でズーム力もありコンパクトなので、中国やロシアの旅には持って行って重宝した。

   ところで、久しぶりに使おうと思って倉庫から引っ張りだして、電池を充電して使おうとしたら、液晶画面に画像が出てこない。
   他のデジタル機能などは、DATAなどディスプレイされるので問題ないのだが、レンズがオープンしないので、画像が結ばないのであろうか。
   色々、試みてみたが、治らず埓が開かない。

   ニコンイメージングに問題点を指摘して問い合わせたら、Nikon Support から、次のような回答が帰ってきた。
   すでにお試し済みの場合は恐縮ですが、念のため、カメラとレンズの
CPU接点を乾いた柔らかい布で清掃した後、何度か装着しなおしていただき、
状況をご確認いただきたく存じます。

また、他にもレンズをご所有の場合は、別のレンズを装着してご指摘の
現象が発生するかご確認いただきますようお願いいたします。

複数のレンズで発生する場合、カメラ側の修理が必要な状況と存じますが、
Nikon 1 J3につきましては、すでに修理サービス期間を終了しており、
修理補修用部品の在庫もないため、点検や修理での対応ができかねる
状況でございます。

また、特定のレンズ装着時に現象が発生する場合、レンズ側の修理が
必要な状況と考えられますが、現在修理受付可能なレンズは、以下ページに
記載のとおりとなります。

   1 NIKKOR VR 10-100mm f/4-5.6しか使っていないと回答したら、
   他に動作をご確認いただけるレンズをご所有でない場合、前回ご案内した
内容以上にお客様ご自身でお試しいただける操作はなく、ご指摘の症状
については、カメラとレンズのどちらに原因があるか分かりかねます。

CPU接点の清掃やレンズを何度か装着し直しても改善しない場合、カメラと
レンズ両方の点検・修理が必要な状況と存じますが、前回ご案内の通り、
Nikon 1 J3については、点検や修理での対応ができかねます。

なお、ご所有のレンズが1 NIKKOR VR 10-100mm f/4-5.6 の場合は、
現在も修理を承っておりますので、レンズの点検・修理をご依頼
いただくことをご検討くださいませ。

※カメラ側に原因がある場合、レンズのみの点検・修理では改善しません。
あらかじめご了承ください。

   結局、素人考えだが、
レンズとカメラのCPU接点に問題がるのなら、レンズだけ修理しても、機能するかどうかは分からない。完全に修理できなければ無意味なので、諦めることにした。
   機械ものは、常時使っていないと、ダメになることは分かっていて、そのような苦い経験を多くしているのだが、後の祭り、
   良いカメラだったので、残念だが、仕方がない。
   使い始めて、まだ、たった10年と少し、
   せめて、20年くらいは、パーツを保存するとかメイテナンス期間を延ばせないか、と思っている。
   後で買ったCanonのミラーレスは、現役で動いている。
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わがブログ:ブログ開設から7013日

2024年05月13日 | 生活随想・趣味
   今日、何となくわがブログの編集㌻を見ると、「ブログ開設から7013日」という表示に気がついた。
   ブログを始めたのは、2005年3月であるから、もう、19年、そうなるのであろうか。
   ほぼ、月の7割以上の日々に書き続けてきたので、記事数は5000篇を超えているであろうか。

   熟年の文化徒然雑記帳
   徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。
   と言うことで、ブログを書き始めた。
   最初は、海外生活が長くて、結構苦労しながら世界中を歩いてきたので、面白い話もあって、海外の紀行や見聞録など世界の徒然雑記旅を書こうと思っていた。
   しかし、既に、現役を引退して自由な生活に入っており、生活の場や趣味嗜好も広がっていたし、良く考えてみれば、60年以上にわたって、多方面に生きてきたので、思い出も多岐にわたっている。結局、思い出は二の次になって、ブログのタイトルのように、その都度の関心事を綴ることになった。

   海外生活は、1972年初夏に、アメリカのビジネススクールへ入学するために、フィラデルフィアへの旅立ちから始まった。
   その後、前後して、アメリカに2年、ブラジルに4年、オランダに3年、イギリスに5年住んで、ブラジルとイギリスには永住権も持っていた。
   1993年に帰国するまでは、東京での勤務も海外関係の業務担当であり、年の過半は海外に行き来していたので、海外漬けの生活であった。
   その後も頻繁に海外に出ていた。このブログが始まった2005年以降、特に、最近は海外には縁がなくなってしまったが、それでも、このブログで、ヨーロッパ、アメリカ、中国、ロシアへの旅紀行を書いていて、本にしようかと思ったこともある。
   女学生節の「向こう通るは女学生 三人揃ったその中で」を、フィラデルフィアの大学を出てロンドンパリを股に掛けて、地で行った話や、
   チャールズ皇太子(現英国王チャールズ三世)との会話やダイアナ妃との面会握手などを始め、思いも掛けなかったような遭遇や経験に驚きを感じながらの連続で、無我夢中で突っ走ってきた様な気がしている。  
   一泊以上した訪問国は、30カ国以上で、若かったから出来たようなもので、危険との隣合わせで、異国人との切った張ったの激しいビジネス戦争の連続、
   鞄一つを持って、英語と日本語だけで徒手空拳、無手勝流で世界を歩いてきたのだが、今なら、出来ない。

   ところで、海外紀行をブログに書こうと思ったのは、倉庫に、海外旅行で撮った膨大な写真が、ネガと共に、行李2杯に残っていて、それを整理しながら思い出を反芻しようと思ったからである。当時は、まだ、多少張り付いたり色褪せしてはいたが、デジタル化は可能であり、懐かしい写真が綺麗に再現できた。
   しかし、20年経った今、倉庫に埋もれて取り出しようもなく、私も歳で、諦めざるを得ない。
   それに、パソコンを使い始めた1990年代後半に、備忘録のつもりで記録し始めたヨーロッパ記録が、パソコンのパンクで、全部ダメになって消えてしまった。
   まだ、60前後であったから、記憶は鮮明だったが、気が多くて記録も出来ず、歳に勝てなくなって、今や、万事休す。

   一部、残っていた記録を起して、クラシックやシェイクスピア鑑賞の思い出を、このブログにも残したが、欧米のオペラハウスやコンサートホールに通いつめ、歴史遺産や名だたる博物館・美術館を行脚してきたので、写真と記録があれば、多少気の利いた欧米の文化文明論を書けたのにと思うと残念である。

   さて、このブログで、比較的多い記事は、経済学や経営学に関するブックレビューや評論記事であるが、これは、大学や大学院で専攻した学問に対して、ずっと、興味を持って勉強し続けてきたと言うことにつきる。
   多くの観劇記事は、私の趣味である。
   色々あったが、もう一年で、満20年。


追記:写真は、良く訪れたロンドンのシャーロックホームズ・パブ。
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「郵便的不安」と言う経験

2024年04月06日 | 生活随想・趣味
   今日の日経夕刊に、「郵便料金、値上げの理由は?」と言う記事が出ていた。
   私が興味を持ったのは、郵便料金値上げのことではなく、「もっと教えて」というコラムの藤本勝治先生の「多様な通信手段あってこそ」の中の「郵便的不安」という言葉である。自分のメッセージが本当に相手に届くのか、と言う感覚を、哲学的にそう呼ぶのだという。言い換えれば、自分の出した郵便物が相手に届くのかどうかと言うことであろうか。

   強烈な記憶に残っているのは、着くか着かないかの不安ではなく、幸いにも着いたという思い出と、着かなかったという思い出である。

   まず、幸いにも着いて助かったという思い出だが、
   遺産相続についての委任状と戸籍謄本とを、多忙を極めていてヨーロッパへの赴任時に、成田空港でポストに入れるのを忘れてしまって、アムステルダム行きの飛行機に乗ってしまったのである。
   当時は、中継地ソ連のモスクワに一時停止するので、空港の郵便局で投函することにした。
   書留便で出したのか、どんな形態で出したかなど全く記憶はないのだが、ソ連の郵便事情など全く知らずに、日本の郵便と同じだと思って何の疑いもなく、投函した。
   戸籍謄本は、祖母の戸籍謄本で、この謄本を取った直後に逝去したので、いわば事前に用意した書類に関しては、大切な必要書類だったのである。
   私も、ヨーロッパ赴任なのですぐに帰れないし、日本で改めて処理できないので、無事にソ連から郵便が届いて非常に助かった。
   帰任時には、ロシアを経由して帰ろうと思ったのだが、ソ連の崩壊とロシア経済の崩壊寸前の治安の悪化で危険極まりなくて断念したのだが、良く考えてみれば、昨今の事情を考えれば、ソ連の社会情勢や郵便事情を信用して良かったのかどうか、
   とにかく、慌てていたのでモスクワで投函したが、アムステルダムに着いてから出せば良かったのである。

   つぎに、郵便を出して届かなかった例だが、フランスとブラジルでの経験である。
   いずれも、深刻な経験ではないが、宿泊ホテルのフロントの切手代着服の問題である。
   フランスの香水の都グラースでのことである。
   カンヌやニースに近い南仏のプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュールの美しい街、ラベンダーが一面に広がる畑が印象的で街を歩くと香しい香水の香りが漂う。
   ところで、香水の都であるから絵はがきも凝っていて、ラベンダーをあしらったり香水を使ったりした魅力的なものがあったので、何通か知人友人に送ることにした。
   普通は、切手収集も兼ねて、郵便局を見つけて投函するのだが、時間がなかったので、フロントに切手代プラスかなりのチップを渡して投函を依頼した。
   日本に帰った時に尋ねたら、1通も届いていないことが分かった。
   フランスでは他のところからも郵便を出して届いているので、このグラースの高級ホテルでは、フロントが私の絵はがきを出さずに廃却をしたとしか思えないのである。

   もう一つ、同じことが、ブラジルのサンパウロで起こった。
   ブラジル赴任時には、事務所や住宅の手配が整うまでは、ホテルを借り切って代用し、特に、宿舎を用意するのに時間がかかったので、ホテルでの滞在が長くなった。
   社用の郵便物は郵便局で処理したが、個人的な手紙などは、気軽に、フロントに依頼して処理していた。
   ところが、ある日に、日本とのコンタクトがあって聞いてみたら、郵便物が届いていないことが分かった。大切な手紙もあって随分礼を失して困ったことにもなった。
   用心して、書留にした私のその手紙だけは届いていたが、同僚の郵便物も全然届いていなかったのである。
   フロントやマネージャーに問いただしたが知らぬ存ぜずで埓が開かず、こんな国でこれから仕事をせねばならないかと、腹をくくった。
   ラテン系には、仕事では、カルチュア・ショックの連続であった。

   念のため、ブラジルについてお知りになりたければ、私のブログの左欄カテゴリーの「BRIC’sの大国:ブラジル」の23篇をお読み頂ければ良く分かります。
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