国際舞台において、中国が、世界の独裁政権、反欧米政権のチアリーダーを演じている姿を随所で観る機会があった。
ベネズエラのウゴ・チャベスへの財政的援助、シリア内戦への現政権への国際的圧力を減じようとする動き、ジンバブエのムガベ政権サポート、極め付きは、スーダンにおけるダルフールのジェノサイト(虐殺)の無視etc.等であろうか。
ダイヤーは、この問題を、「20世紀がファシズムとリベラルな民主主義、資本主義と共産主義との激しい思想的な戦いの世紀だったとすれば、21世紀に主要な境界線の一つになるのは、国家主権の問題だとして、中米関係を論じている。
スーダンは、その衝突が本格化する前の前座で、北京は自らの新たな影響力を行使して、国際政治の基調を定め、欧米の倫理観やおせっかいを阻止しようとしている。と言うのである。
国連の推し進める人権と少数集団の保護であるが、世界最悪の人道上の問題の多くは、相対的に少なくなった国家間の戦争ではなく、国の内部でおこる虐待――ウガンダやカンボジア――によって引き起こされていて、中国も、国連で満場一致で可決された「保護する責任」に同意している。
しかし、中国は、当初からこのプロジェクト全般に深い懸念を抱いていた。
民主主義が急速に拡大していた時期、一党独裁の中国共産党を外の世界から守るために、国家主権擁護は党の生存本能であり、主権国家は、他国の国内事情に干渉すべきではないする古いウエストファリア的見解を強固に支持せざるを得なかったからである。
そして、中国には、厳密な非介入の方針こそ、国際体制の強固な土台となる、と言う中国なりの論拠があって、欧米が人権と透明な統治に対して評価するのに対して、中国は安定に重きを置く、強固な政府と他国から尊重される主権があってこそ、初めて、成長を促し貧困を減じるのに必要な一貫した政策を取れるようになる。と言う考え方がある。
西側が、虐待にもっともらしい主張をして人道的な介入をしても、時には植民地的な干渉の口実となって事態を悪化させるだけで、不安定をもたらすお節介に過ぎない場合があり、非介入は、この悪弊を避ける防波堤だと言うのである。
中国は、発展途上国世界にくすぶり続ける反植民地主義の怒りを、アメリカの救世主的傾向に対して向けるのに長けており、
この中国による国家主権の保護は、国連という場では、過去に植民地であった途上国から多くの支持を受けており、ブラジルやインドと言った大きな民主主義国の共感まで得ていて、途上国の多くは、民主国家も独裁国家も含めて、アメリカによる他国への人道的干渉に限度が設けられることを望んでいる。
第二次世界大戦後に、アメリカが確立した国際秩序に異を唱える国は、中国だけではなく、インド、南ア、ブラジル以外にも、トルコ、韓国、インドネシアと言った新世代の準強国なども、国際政治における浮動票と言うべき存在となっている。
干渉と国家主権をめぐる論争において、もし、このような国の政府が中国やロシアの側につくことが多くなれば、アメリカが国際的なアジェンダを定め続ける上で大きな脅威となる。とダイヤーは言う。
興味深いのは、アメリカの人道介入におけるダブルスタンダードについて述べているところで、中国のムガベ支持が、アメリカの長年にわたるムバラク支持とどう違うのか、イランからの石油輸入とサウジアラビアからの石油輸入とどう違うのか、・・・と言った指摘で、我々日本人は、どうしても、アメリカなど西側の情報メディアによって影響された知識情報によって物事を判断しているので、かなりバイアスがかかっているのではないかと言う気がしないでもない。
しかし、シリア内戦に関しては、自国民に戦争を仕掛けるアサド政権への制裁を先頭に立って阻止したのはロシアだが、中国もその過程でことある毎に追随してきた。
スーダンやシリアをめぐる熾烈な論争において、中露が国連で拒否権を行使して独裁者を外部の圧力から守っていると言う「専制の枢軸」論が台頭し始め、国連が推し進めて軌道に乗りかけた人権や少数集団の保護と言う崇高な人権主義が暗礁に乗り上げるとするならば、西側先進諸国が、民主主義、自由主義、人道主義etc.国際社会の核となる価値観を今後も創り出して行けるのか、悲観論が広がるのも当然かも知れない。
ダイヤーは、アメリカにとって、ロシアが近いパートナーになることはないにしても、ロシアを遠ざけないことが大切で、中露を新たな「専制の枢軸」扱いすることで、この両国の距離が近づくと言う結果を招かないようすべきだと述べていて示唆に富む。
また、最近の動きとして、例えば、アラブ連盟が、中ロの反発を無視して、リビアに対してアメリカ追随政策を進めたり、南米のメルコスール諸国がハイチに平和維持部隊を送るなど、途上国全体で、何が何でも、国家主権を守るべきだと言う主張への支持が着実に薄れて来ていて、政治的曲がり角を越えつつあるとも指摘していて興味深い。
もっと面白いのは、中国のスーダン政策の激変である。
ダルフール危機の時には、人権問題を完全に無視して独裁政権を支持し続けていたのに、自国の石油への投資と利権を守るために、中国は、非干渉の公約を破棄して、アメリカと同じ側に立って、スーダンの分離独立をサポートして、民主主義国南スーダン誕生の助産婦役を演じたのである。
このような中国の投資が本来の政治的原則と真っ向から衝突して、中国の利害が齎す衝突と矛盾に対処するため、
そして、更に、最近では、中国人労働者が、雲霞の如くアフリカなど世界中に進出しているのだが、これら無防備な国民を守るために、不本意にも、遠く離れた国に政治的影響力を及ぼすと言う不慣れな役割を担うはめに陥っていると言う。
欧米の植民地主義に泣いたアフリカなどの途上国や、資源輸出で潤った新興国などが、救世主のように歓迎して迎えた中国に対して、徐々に拒否反応を示し始めて来たと言う。
中国のオーバープレゼンスが、摩擦を起こし始めたと言うことだが、無鉄砲な国益優先政策を推し進めて行く限り、トラブルを惹起するのは当然かも知れない。
ベネズエラのウゴ・チャベスへの財政的援助、シリア内戦への現政権への国際的圧力を減じようとする動き、ジンバブエのムガベ政権サポート、極め付きは、スーダンにおけるダルフールのジェノサイト(虐殺)の無視etc.等であろうか。
ダイヤーは、この問題を、「20世紀がファシズムとリベラルな民主主義、資本主義と共産主義との激しい思想的な戦いの世紀だったとすれば、21世紀に主要な境界線の一つになるのは、国家主権の問題だとして、中米関係を論じている。
スーダンは、その衝突が本格化する前の前座で、北京は自らの新たな影響力を行使して、国際政治の基調を定め、欧米の倫理観やおせっかいを阻止しようとしている。と言うのである。
国連の推し進める人権と少数集団の保護であるが、世界最悪の人道上の問題の多くは、相対的に少なくなった国家間の戦争ではなく、国の内部でおこる虐待――ウガンダやカンボジア――によって引き起こされていて、中国も、国連で満場一致で可決された「保護する責任」に同意している。
しかし、中国は、当初からこのプロジェクト全般に深い懸念を抱いていた。
民主主義が急速に拡大していた時期、一党独裁の中国共産党を外の世界から守るために、国家主権擁護は党の生存本能であり、主権国家は、他国の国内事情に干渉すべきではないする古いウエストファリア的見解を強固に支持せざるを得なかったからである。
そして、中国には、厳密な非介入の方針こそ、国際体制の強固な土台となる、と言う中国なりの論拠があって、欧米が人権と透明な統治に対して評価するのに対して、中国は安定に重きを置く、強固な政府と他国から尊重される主権があってこそ、初めて、成長を促し貧困を減じるのに必要な一貫した政策を取れるようになる。と言う考え方がある。
西側が、虐待にもっともらしい主張をして人道的な介入をしても、時には植民地的な干渉の口実となって事態を悪化させるだけで、不安定をもたらすお節介に過ぎない場合があり、非介入は、この悪弊を避ける防波堤だと言うのである。
中国は、発展途上国世界にくすぶり続ける反植民地主義の怒りを、アメリカの救世主的傾向に対して向けるのに長けており、
この中国による国家主権の保護は、国連という場では、過去に植民地であった途上国から多くの支持を受けており、ブラジルやインドと言った大きな民主主義国の共感まで得ていて、途上国の多くは、民主国家も独裁国家も含めて、アメリカによる他国への人道的干渉に限度が設けられることを望んでいる。
第二次世界大戦後に、アメリカが確立した国際秩序に異を唱える国は、中国だけではなく、インド、南ア、ブラジル以外にも、トルコ、韓国、インドネシアと言った新世代の準強国なども、国際政治における浮動票と言うべき存在となっている。
干渉と国家主権をめぐる論争において、もし、このような国の政府が中国やロシアの側につくことが多くなれば、アメリカが国際的なアジェンダを定め続ける上で大きな脅威となる。とダイヤーは言う。
興味深いのは、アメリカの人道介入におけるダブルスタンダードについて述べているところで、中国のムガベ支持が、アメリカの長年にわたるムバラク支持とどう違うのか、イランからの石油輸入とサウジアラビアからの石油輸入とどう違うのか、・・・と言った指摘で、我々日本人は、どうしても、アメリカなど西側の情報メディアによって影響された知識情報によって物事を判断しているので、かなりバイアスがかかっているのではないかと言う気がしないでもない。
しかし、シリア内戦に関しては、自国民に戦争を仕掛けるアサド政権への制裁を先頭に立って阻止したのはロシアだが、中国もその過程でことある毎に追随してきた。
スーダンやシリアをめぐる熾烈な論争において、中露が国連で拒否権を行使して独裁者を外部の圧力から守っていると言う「専制の枢軸」論が台頭し始め、国連が推し進めて軌道に乗りかけた人権や少数集団の保護と言う崇高な人権主義が暗礁に乗り上げるとするならば、西側先進諸国が、民主主義、自由主義、人道主義etc.国際社会の核となる価値観を今後も創り出して行けるのか、悲観論が広がるのも当然かも知れない。
ダイヤーは、アメリカにとって、ロシアが近いパートナーになることはないにしても、ロシアを遠ざけないことが大切で、中露を新たな「専制の枢軸」扱いすることで、この両国の距離が近づくと言う結果を招かないようすべきだと述べていて示唆に富む。
また、最近の動きとして、例えば、アラブ連盟が、中ロの反発を無視して、リビアに対してアメリカ追随政策を進めたり、南米のメルコスール諸国がハイチに平和維持部隊を送るなど、途上国全体で、何が何でも、国家主権を守るべきだと言う主張への支持が着実に薄れて来ていて、政治的曲がり角を越えつつあるとも指摘していて興味深い。
もっと面白いのは、中国のスーダン政策の激変である。
ダルフール危機の時には、人権問題を完全に無視して独裁政権を支持し続けていたのに、自国の石油への投資と利権を守るために、中国は、非干渉の公約を破棄して、アメリカと同じ側に立って、スーダンの分離独立をサポートして、民主主義国南スーダン誕生の助産婦役を演じたのである。
このような中国の投資が本来の政治的原則と真っ向から衝突して、中国の利害が齎す衝突と矛盾に対処するため、
そして、更に、最近では、中国人労働者が、雲霞の如くアフリカなど世界中に進出しているのだが、これら無防備な国民を守るために、不本意にも、遠く離れた国に政治的影響力を及ぼすと言う不慣れな役割を担うはめに陥っていると言う。
欧米の植民地主義に泣いたアフリカなどの途上国や、資源輸出で潤った新興国などが、救世主のように歓迎して迎えた中国に対して、徐々に拒否反応を示し始めて来たと言う。
中国のオーバープレゼンスが、摩擦を起こし始めたと言うことだが、無鉄砲な国益優先政策を推し進めて行く限り、トラブルを惹起するのは当然かも知れない。