熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

(株)ドン・キホーテ・宮田隆夫会長の経営哲学

2007年05月31日 | 経営・ビジネス
   木村剛氏の出た「攻めのリスクマネジメント」セミナー聴講に興味を持ったもう一つの理由は、パネル・ディスカッションに、ドン・キホーテの安田会長がパネリストとして登場したからである。
   ドン・キホーテの店には一度だけ入ったが、あのジャングルのような店の雰囲気に圧倒されてしまって、私の趣味に合わなかったので一渡り中を歩いて退出した。
   しかし、日本そのものが、商品で溢れかえっている商品ジャングルのようなものであるから、何もドン・キホーテの店構えに驚くことはないのだが、この斬新で意表を衝いたビジネスモデルに関心を持って、一度勉強してみようと思っていた。

   ドン・キホーテのホームページを開くと、顧客のニーズは、コンビニエンス(便利さ)とディスカウント(安さ)で、その購買意識を促するのがアミューズメント(楽しさ)であり、この3つを統合したものが会社の経営理念だと書いてある。
   私自身は、この考え方には基本的には賛成だが、しかし、私が買い物をする場合には、自分の買いたい商品に関する知識が十分にあれば別だが、まず第一に、その店の信頼性が最も重要で、付加価値が高くて品質のしっかりした商品を買いたいと思っているので、別に便利に買えたり必要以上に安い必要はないし、その店での買い物が特別楽しくなくても良いと思っている。
   おそらくドン・キホーテでは買い物をしないだろうと思うのだが、しかし、卓越した一家言を持って果敢に事業を展開している安田会長の経営哲学とこの徹底したビジネスライクな会社の姿勢と経営には感服している。

   安田社長は、社是だとして次の5項目を挙げた。
   ・公私混同の禁止
   ・役得の禁止
   ・不作為の禁止
   ・情実の禁止
   ・中傷の禁止
   自分自身への戒めだと言いながら、自分は今まで一点のくもりもなく、クリアホワイト、一線を踏み外すこともなく誠心誠意真面目に生きて来たので、役所であろうと暗い世界に対してであろうと怯むことなく言いたいことを言って生きて来たと語っていた。
   
   内部統制とリスク管理のセミナーなので、安田会長の発言で興味深かったのは、自社の社内ルールについては、①着手容易性 と ②継続容易性を重視しており、そうでなければ役に立たないと言う。
   従って、最近の有識者が内部統制システムで語っているのは総花的なマニュアルで、熱心に守れば会社の事業がおかしくなる、会社が倒産しても良いから守らなければならないと言うのはおかしいと言う。
   現実には、どこの会社も、利益ぎりぎりの鬩ぎ合いで事業を行っているのである。

   リスクについては、ドン・キホーテは、不幸な放火事件に遭遇して辛酸を舐めている。防災対策については、社運のかかっているリスクなので、利益とその対策コストとを天秤にかけるようなことは絶対にないと言い切る。
   リスクには、二種類あると言う。
   一度不祥事が発生すると容赦なく鉄槌が振り下ろされるので万全を期して対処すべき社運がかかっているようなリスクと、リターンとリスクがセットになっていて損得を天秤にかけて対処すべきリスクの二つだと言って、
例えば万引きの場合はゼロにしようとすれば異常なコストがかかるので、適当なところでリスクヘッジせざるを得ないと言う。
   リーガルリスクについては、絶対に避けるべきリスクだと考えているので、必ず役所の指示を仰いで対処している。利益の為には、奇抜なことはやるが姑息なことはしないと言う。

   その日のセミナーの一つの柱は、IT技術を駆使したドン・キホーテの子会社ドンキコムの「個人情報の流通革命 PDL(Personal Data Logistics)」の披露であった。
   流通革命の旗頭の一つドン・キホーテのビジネス・プロセス・イノベーションを革新的ソフト技術の形で汎用ソフトとして開発したもので、広く一般にも幅広く活用出来るということであり、非常に素晴らしいことだと思って聞いていた。
   安田会長は、何故こんなことが今まで気付かれなかったのか不思議だと言いながら、初めて言うのだがと恥ずかしそうに、
ドン・キホーテは、「力と根性」の会社だと言われているが、実は、システマチックな会社なのである、と語っていた。
   
   
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ITソフト経営に傾斜したヒューレット・パッカード

2007年05月30日 | 経営・ビジネス
   「ヒューレット・パッカードは、ソフトウエアに経営の焦点を合わせる。ソフトウエアが、総ての中心となる。」と「HP WOPLD Tokyo 2007」の基調講演で、HPアメリカ本社CTO&CSOのS.V.ロビソン副社長が言い切った。
   パソコン販売高でデルを抜いてトップに立ち、総売上高でもIBMを凌駕して名実ともにIT企業トップに躍り出たヒューレット・パッカードが、パソコンやサーバー、プリンターなどのハードウエア・ベンダーからビジネスモデルを転換し、ITソフトの雄を目指して大きく経営の舵を切ったのである。

   パソコンで受注生産して販売する革命的な直販方式を編み出したデルが、ウォルマートと販売提携してビジネス・モデルを変えるのだと報道されていたが、HPの追い上げもその一因であろうか。
   フィオリーナ前CEOが、創業者一族と血で血を洗う壮絶な株主投票権の争奪戦争で勝ち取ったコンパックの買収劇も、つい先ほどのことだと思っていたら、新体制に移ってから、こつこつと経営のソフト化を進めていたのである。

   今日では、R&Dの70%は、ソフトウエアの開発に注ぎ込み、最近のM&Aの大半はソフトウエア事業拡充の為の企業買収であり、PC組み込みのソフトや付属ソフトの他に業域拡大のための自社独自のソフトを開発し、さらにソフト分野の強化を図るのだと言う。
   実際にも、売上でも数年前にハードとソフトが逆転しており、大変だった模様だが、コーポレート・カルチュアの転換や経営の軌道修正に成功している模様である。

   ヒューレット・パッカードは、優秀なメーカーではあったが、如何せん製造業、特に、IT等ハイテク関連の企業は、技術の急激な革新的変化に煽られて業績の浮沈が激しく、景気の波に洗われて来た。
   アメリカの場合は、どんどんアウトソーシングが進展して行き、製造技術等重要なノウハウが空洞化して行き、ハツカネズミの水車のように走り続けてイノベーションを追求しても必ず成功すると言う保証はない。
   あの瀕死の状態であった超名門企業IBMも、ガースナーCEOが、ハードからソフトへ経営モデルを大きく転換させて「巨象を踊らせて」今日のIBMの基礎を築いた。
   100年前から唯一大企業として生き残っているGEも、ウエルチの経営改革を経て既に製造業ではなくなりソフト・オリエンテッドな企業に変身してしまっている。(もっとも、エジソンが、喜んでいるかどうかは分からない。)
   アメリカの場合には、ハイテクソフトの成功会社は驚異的な業績を上げて企業価値も高いが、ハイテク製造業は、外国企業の追い上げを受けて経営が悪化することが多くリスクは極めて高いので、私自身は、ヒューレット・パッカードの経営のソフトウエアへのシフトは、むしろ遅かったくらいだと思っている。

   ロビソン副社長は、ITを取り巻く大きな環境変化(BIG SHIFTS)について語った。
   並存していたコンシューマーITと企業ITが融合。
   ITは個々の生産性アップの手法だったがコミュニケーションとコラボレーションの手段。
   ハードとソフトが峻別していたが今日では境界が不明瞭に。
   かっての大きな挑戦はデバイスとネットワーク接続だったが、ユーザーとサービスとの直結が今日の挑戦課題。
   ITはビジネスのサポートであったが、今では、ビジネスの動力源。
   しかし、99%のCEOはITの必要性は認識しているが、実際にITを経営に直結して効果を上げているのは50%を切っていると言う。

   最後に、HPは、かってはハードウエア・ベンダーであったが、現在、HPは、ソフトウエアに関して真剣(serious)だと付け加えて講演を終わった。
   
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インド経済のアキレス腱インフラの整備

2007年05月29日 | 政治・経済・社会
   好調なグローバル経済を支えているのが中国とインドと言われるくらい両国の経済的躍進は凄まじい。
   BRIC’sと言っても、ブラジルはまだ眠っているし、ソ連は元々超大国でありながら一時崩壊の危機に直面していたのが、今日やっと石油価格の高騰など資源外交が効を奏して立ち直った状態で、年率10%近い経済成長を継続しながら成長を続ける中印に世界が注目するのも無理はない。
   しかし、問題は、この中国もインドも、大国でありながら政治経済的にはまだ発展途上国の段階にあり、国内には、膨大な貧困に喘ぐヒンターランドを抱えており、この解決が難しい。
   その上、インドの場合は、先を行く中国と違って、経済発展を支える大動脈とも言うべきインフラストラクチュアが極端に貧弱であるので、この早急なる整備拡充が急務となっている。

   早大の「インド経済シンポジウム」の二日目、インド経済発展の最大のアキレス腱であるインフラストラクチュアの整備、特に、そのファイナンスと開発政策に集中して議論が展開された。
   経済発展を阻害している貧弱なインフラに加えて、さらに深刻な貧困と格差を解消するためのソーシャル・インフラの整備など、貧しいインドにとって、気の遠くなるような課題が前途に横たわっている。

   インド政府の高官達は、壮大なインフラ整備計画をぶち上げ、厳しいチャレンジではあるが、同時に、空前絶後のビジネス・チャンスであると力説する。
   道路、空港、港湾、電力、上下水道、鉄道、通信等々あらゆるインフラ整備が必要で、ムンバイからデリーまで、或いは、コルコタからデリーまで、港に陸揚げされた貨物の運送が、たった千数百キロの道のりを何日も時には1ヶ月もかかり、或いは、電力不足の為に自家発電機を設置しないと持続して操業が継続出来ないと言うのである。
   従って、インド経済にとっては、これらのインフラ整備は必須であり、現在存在する1.5~2億人の富裕層が年間2500万人ずつ増加しており、益々、これらの人々からの質の高いインフラとユティリティやサービスの需要が拡大して行くので、民間及び外資によるPPPへの参画は、非常に有望な投資機会となること間違いないと言うのである。

   元々、インド経済は内需、国内のサービス産業と消費によって支えられてきたのが、アメリカ企業のバックオフイス業務のアウトソーシングが引き金になってIT産業が急拡大して経済成長を主導してきたのだが、その80%は外需に頼っており、M&Aで躍進著しいタタグループを筆頭に製造業も始動しはじめたがまだ揺籃期にあり、農業にいたっては依然不十分な状態にある。
   中国の経済的過熱とその先行きに不安を感じている筋も多いが、私自身は、それよりも、発展途上国でありながら、製造業と農業が遅れてサービス産業だけが突出している跛行的経済構造で、しかもインフラが極端に脆弱であり、更に一日1ドル以下で生活している最貧困層が20%も存在する貧しいヒンターランドを抱えた二重国家インドの方が、経済的リスクは高いと思っている。

   インド政府高官は、日本の場合は、一般投資家のインド株などへの投資は熱心だが、プロジェクト等への投融資には消極的であると言っていたが、為替リスクの問題以外にも、PFIと違って、初期の段階でインド政府が出資者として参画すると言うPPP方式そのものにも不明確な点が多くて、現段階では、おいそれと長期的なリスクを取って参画するなど中々難しいであろう。

   さて、昔、ケネディ大統領に志願してインド大使となったガルブレイスが、何かの論文か演説で、インドの経済開発へのアドバイスで
「貧しいインドにとって大切なことは教育の充実である。勉強すれば、鍬を取ることを悟る。」と言っていたのを覚えている。
   ガルブレイスがインドに興味を持ったのは、貧困問題と、素晴らしい歴史と文化だったと言っているが、面白いのは、コンピューター技術の開発支援をしたと言うことであった。
   シリコンバレーで多くのインド人起業家がIT関連事業を起こしたが、これらの企業家を通じてのアウトソーシングがインドのIT事業の発展をもたらしたのだが、40年経ってこのガルブレイスの努力が実ったのかも知れないと思うと面白い。
   しかし、残念ながら、肝心の初等中等教育など基礎教育の充実は上手く行かなかったようで、その後著しい発展はなかったようである。

   インドのハードとしてのインフラは経済力で推進出来たとしても、初等教育では、入学はするものの卒業できずにドロップアウトする率が極めて高いと言うことは、インド社会に内在する深刻な貧困問題とカースト制度などによる極端な差別と格差が教育の継続を阻んでいることを物語っており、環境・健康・医療などといった幅広いソフト面を含めたソーシャル・インフラの整備の困難さを如実に示している。
   インド経済については、ばら色の未来のみが強調されているのだが、前途は多難である。
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日銀福井総裁のインド経済雑感・・・インド経済シンポジウム

2007年05月28日 | 政治・経済・社会
   榊原英資教授の早大インド経済研究所が主催した「インド経済シンポジウム」で、ヤガ・V・レディ・インド準備銀行総裁の基調講演「インド経済の安定成長」に対して、日銀福井俊彦総裁が、コメントを述べ、その後のパネルディスカッションでも、インド経済について語ったのだが、含蓄があって面白かった。
   
   レディ総裁は、インド経済の脅威的な成長について語っていたが、かっては、デマンドプル、内需主導型のサービス経済主導で推移してきたので世界的な経済危機や不況等に影響されずに成長を持続できたこと、投資などの資金需要については主として国内の内部資金によって賄ってきたこと、グローバルなインバランスについて世界的に問題になったことがないこと等々、国内経済の健全性を強調していた。

      しかし、更なる経済成長の為には、大きなボトルネックとなっているインフラ整備が急務であるが、政府資金が不足しているので、PPP(Public Private Partnership)で民活を利用して対処すると言う。
   問題の経済の過熱気味とインフレだが、体制が整わないままに、高度成長に走ってしまったので、あっちこっちに歪と跛行現象が起こっており、安定成長の為に4%にダウンさせると総裁は言うが、不可能であろう。
   福井総裁も外資導入の為の金融市場の開放や近代化を提言していたが、金融セクターの改革が必要だと認識しながらも、国内経済の推移を見ながら外資導入策を推進して行く方針だと、まず、国内経済の健全性と競争力強化を重視して行くと匂わせていたのが印象的であった。

   インド企業のM&Aについては、これまで内向きであったが、グローバル競争に対処するため、規模の経済とハイテク等の知識・ノウハウ・技術を獲得するために益々盛んになるであろうとコメントしていた。

   ところで、福井総裁のコメントで面白かったのは、インドの教育制度が、本来の経済発展段階説を塗り替えてしまったインド経済のサービス経済化の原因ではないか、と言う点である。
   榊原教授が、近著「世界の世界勢力図」でもロストウの経済発展理論を引用して語っているが、これまで各国の経済は、農業生産主体の伝統社会から、工業化の推進によって経済が離陸して、サービス産業優位の高度大衆消費社会へと発展して来た。
   しかし、インドは、この工業化の成熟を見ずに、一挙に、農業経済から、高度なIT主体のサービス産業に移行し、これから、工業化の促進を図ろうとしている。
   これは、インドは、技術教育を主とした高等教育には力を入れているが、初等教育等一般教育が遅れて居る為に良い工業労働者を育成できなかったことが、製造業の発展を阻害しているのではないのかと言うのである。
   
   この点は、レディ総裁も同意していた。
   しかし、インドの貧困問題と格差をなくすためには、工業化を推進して雇用を拡大することが必須なのだと強調していた。
   昔は工業化して製造業を起こすためには大規模なシステムが必要であったが、今日では、製造工程を分類してアウトソーシングすれば良くなったので容易くなって来ていると言う。
   榊原教授が、製造業とIT産業などソフト産業の垣根が曖昧になってきているのだと解説していた。

   因みに、プレイ教授のヨーロッパの労働力と教育水準の調査では、トップ水準の比率は同じだが、義務教育しか終えていない労働者の占める比率が4分の1以下のドイツやスイスと、3分の2近くに達する英国とを比較すると、前者の生産性は後者の2倍以上高く、品質も同程度かむしろ優れているということである。

   インドが、アメリカのバックオフイス業務のアウトソーシングでグローバル経済に組み込まれ、同時に、IT技術を駆使して経済大国への道を走り始めたのは、正に、経済社会が知識情報化産業社会に突入しソフト化した結果であり、膨大な設備とインフラを必要とし、永い伝統と高度な知識と技術の蓄積が必要な製造業が主体であった工業社会との違いを如実に示している。
   中国は、どちらかと言えば、古い形の経済発展段階論の階段を上っているのだが、インド経済の現状が経済学の重要部分である経済発展論を書き換えるであろうと言う事実も非常に興味深い。

   福井総裁は、インドのグローバル規模での発展については、英語、コスモポリタン的な国民性、欧米文化の影響を受けた文化社会等の貢献が大きいとしていたが、これは、以前、シン首相が言っていた「民主主義・法治主義の価値」を民主主義先進国と共有していた社会背景が大切だと言うことであろう。
   1991年まで一時期社会主義的な国だったとは言え、これはマルクス・レーニン主義とは大分異質だったし、この点がソ連や中国との大きな違いで、制度等体制的なソフトパワーの共有は極めて重要である。
   インドは、2025年には日本を凌駕して世界第3位の経済大国になると予測していたが、やはり、若年労働人口とハイテク技術と知識を持った頭脳人口の比率の高さが他国を圧倒していることからも当然かもしれない。
   もっとも、このことは、中国やインドが順調に経済成長を続けて行けば、と言う話であって、この先何が起こるか分からないのが歴史である。

   
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30年前のヨーロッパ旅鮮やかに

2007年05月27日 | 海外生活と旅
   何十年も撮り続けて来た写真を整理して、スキャナーでスキャンしてパソコンに取り込んでDVDに落として保存することにした。と言っても、フィルムと少し残っている未整理のプリントを合わせて小さな整理ダンスに2杯あるのだから気が遠くなるような話である。
   しかし、世界各地で撮り続けて来た多くの写真がある。ベルリンの壁崩壊前後の東ベルリンや東独、東ヨーロッパの写真ももあれば、アンデスのインデォやブエノスアイレスのタンゴの写真、歌劇場やシェイクスピア劇場での舞台、雑多だが色々な写真があって、涙がこぼれるほど懐かしい写真も沢山ある筈である。

   殆どネガフィルムによる写真ばかりだが、特別な保存法を採った訳ではないので、フィルムによっては黄変してしまったり、カビついたりしているのもあるが、とにかく、大切だと思うフィルムだけでも救出しようと思っている。
   40年間位の写真だが、ブラジルに居た頃のラテンアメリカ時代のフィルムは危ないが、日本での写真と欧米時代の写真はどうにか使えそうであるが、とにかく、海外でも8回、日本でも5回も宿替えをしているので、紛失しているネガも結構沢山ある。
 
   今回真っ先にスキャンしたのが、1978年3~4月に家族でヨーロッパ旅行した時のフィルムで、29年前のコダックの36EX19本分。
   その頃、サンパウロに在住していて3年間の一時帰国の途中2週間の休暇を取ってヨーロッパ2回目の長期旅行を決行したのである。
   日本製フィルムの愛好家だが、如何せんサンパウロとイタリアでは、当時のことでもありコダックを使う以外にはなかった。
   DPEは東京でやったのだが流石に日本、殆ど無傷の状態で、キヤノンのプリンターMP950が、多少時間がかかるのが難だが、色彩の劣化も程々に押さえて快調にスキャンしてくれた。
   ボルゲーゼ美術館のティツィアーノの「聖と俗」を写した写真のコピーが口絵の写真である。

   あの頃は、カメラは多少重いがニコンF2で、F1.2の標準レンズで押し通した。交換レンズは携帯が大変だったので殆ど使わず、とに角、明るいレンズで遅いシャッターでもぶれない方が有難かったし、当時は、ズームレンズなど暗い上に高くて手が出なかった。
   翌々年、フランクフルトで買ったライカR3サファリF1.4が加わり、長い間この2台でヨーロッパや海外を歩いた。

   その後、オートフォーカスの一眼レフが出たのだが、キヤノンのEOSの発売が遅かったので待てず、ベルリンでニコンF501を買って、その後、交換レンズが増えたので、EOSも買ったが、結局ニコンF801、F801s、F100とニコンを続けることになった。
   コンタックスTVSⅢやミノックスで撮った写真もあるが、大半の写真は、ニコンとライカである。
   ニコンF2は、その後、出張でサンパウロへ飛ぶ途中乗り継ぎのケネディ空港で荷物が紛失して帰ってこなかった。
   ヒースローでも荷物紛失にあったが、あの1980年代は、欧米の空港での組織的窃盗は常態で、殆ど何時も盗難の心配をしなければならなかったし、一流ホテルでも、サムソナイトが切り刻まれたことがあった。

   余談だが、あの時、ニューヨークでスーツケースが紛失し、重要書類は勿論のこと、手荷物以外は一切なくなったのだが、夏と冬の全く気候が違う北半球と南半球を着の身着のままで1週間以上も過ごすのは大変な苦痛であった。
   ブラジルとアメリカであるから、日本人の胴長単足に合う衣服などおいそれと見つかる訳もなく、出張中だから仕事だけは寸秒単位でこなさなければならない。同僚からは「あっちこっち行けてよろしいですなあ」と言われて出てきている以上泣くに泣けない、そんなこともあった。

   ところで、この1978年の旅の写真だが、一部の写真は押入れのアルバムに貼ってあるけれど、今回は全部パソコンに納まってくれたので、検索や加工が便利になった。
   小学生の息子のいる長女が、丁度同じ年頃でヨーロッパの街を走り回っている懐かしい写真が沢山出てくる。
   IT革命・デジタル化のお陰で、自分自身で自由に写真を修整し好きなように加工してアルバムが作れる、イノベーションの賜物である。
   私には、もう思い出など不要だが、娘達に、写真を整理して残しておいてやりたいと思っている。

   さて、この1978年の旅は、写真を見ると次のような旅程であった。
   サンパウロを発って、
   ローマ、ナポリ、ポンペイ
   アテネ、コリント、ミケーネ、エピダウルス
   マドリード、エスコリアール、トレド、グラナダ、
   ロンドン、
   東京へ

   学生時代に、アーノルド・トインビーの「歴史の研究」に触発されて壮大な世界史、特に、西洋史に興味を持ち、美術にも関心が移っていた頃なので、やたらと美術館・博物館を訪れて彫刻や絵画作品を撮った写真が多い。
   それに、あの時は、どうしても、パルテノンの丘で十分に時間を割いてプラトンの「ソクラテスの弁明」等を思い出しながらギリシャ文明の息吹に触れたかった。

   その後、15年ほど経ってから、国際会議の合間の土日を利用して、一人でゆっくり同じギリシャの旅の後を辿った。
   どうしてもスーニオン岬の夕日を見たくて、パルテノンからタクシーを飛ばしてギリシャの田舎を走ったのも懐かしい思い出だし、デルフィのアポロン神殿跡で真っ青な空を仰ぎながら誰もいない廃墟で何時間も瞑想に耽ったのも忘れられない。
   今度は、この旅のフィルムをスキャンしようと思っている。
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新日本フィル定期公演・・・下野竜也のダイナミックな指揮

2007年05月26日 | クラシック音楽・オペラ
   今回の演奏会は、私にとって、オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」以外は、指揮者の下野竜也の指揮も、演目のラインベルガーのオルガン協奏曲第2番も、ラフの「交響曲第5番 ホ長調「レノーレ」」も聴くのは初めてで、何となく親しみを感じることなく出かけて行ったのだが、結果は、満足であった。

   「天国と地獄」はオペラで観ているし、街の運動会にも使われているポピュラーな音楽と言う感じで聞いているのだが、冒頭からメリハリの利いた軽快なリズムで飛ばす下野のダイナミックな演奏に初めて聴くのに、すぐにその魅力に取り込まれてしまった。
   それに、下野の指揮は、最初から最後まで、新日本フィルから流麗なサウンドを紡ぎだして実に色彩豊かで美しいのである。
   小林英之のオルガンも、あのバッハなどの古典的な荘重感のある籠もった感じのサウンドではなく柔らかくて優雅なので、時々、久しぶりにムード音楽を聴いているような錯覚に陥ってしまった。
   このラインベルガーのオルガン協奏曲だが、曲相でもあろうがオーケストラとよく溶け込んでいて、後半のオルガンと金管との協奏による高まりなど実に素晴らしかった。
  
   最後のラフの交響曲「レノーレ」は、全曲では日本初演と言うことであるから、馴染みがなくて当たり前なのだが、標題音楽で物語がある。
   恋焦がれている恋人が30年戦争で出兵して帰って来ないので絶望して神を否定する。真夜中に死神となってやって来た騎士姿の恋人に伴われて彼の墓場で息絶える、と言った話のようだが、私には、そんな話よりも、色彩豊かなサウンドだけを楽しんで聴いていた。
   クラシック音楽に興味を持ち始めた若い頃には、新しく聴く馴染みのない音楽には結構拒絶反応があったのだが、この頃は、それなりに楽しめるようになったのは、やはり、分からないままに好きなだけで聴き続けてきた長い経験の所為かもしれないと思っている。

   ところで、昔の管弦楽団の演奏会から変わったなあと思うのは、演奏前にコンサートマスターが後れて出て来て皆が拍手をして向かえることと、アンコール演奏を殆どしなくなったこと。
   私は、別に拘っている訳ではないが、指揮者やソリストが登場する時には拍手するが、楽団員やコンサートマスターの登場には普通拍手はしない。
   また、昔は、外来オーケストラの登場が多かったので客の要求でアンコール付きが普通であったのであろうが、私の場合、海外経験が長くて、欧米では、外来は別だが、レジデント・オーケストラの場合には普通アンコールがないのに慣れているので、新日本フィルの演奏会の場合でも、アンコールがあるのかないのか知らないが、一通り拍手を送れば席を立つことにしている。
   大体、アンコールする余裕を残してコンサートをするなどは、おかしいし、岩城宏之が振った大晦日のベートーヴェン交響曲全曲演奏のあの壮絶さが素晴らしいのである。

   ところで、ユージン・オーマンディのフィラデルフィア管もベルナンド・ハイティンクのコンセルト・へヴォーも、ティルソン・トーマスのロンドン響も、コンサートの雰囲気は一寸違うが、お馴染みさんに日頃の研鑽を披露して共に音楽を楽しむと言う非常にレジデント・オーケストラの良さがあった。
   新日本フィルに醸し出されて来ているあのアルミンクの親しみと雰囲気が中々素晴らしいと思っている。
   
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財務と経理を分離すべし・・・木村剛

2007年05月25日 | 経営・ビジネス
   内部統制および情報セキュリティのセミナーで、木村剛氏が「攻めのリスクマネジメント」と言うタイトルで講演をした。
   今巷で演じられている内部統制システムに関する狂騒曲については、会社実務の経験のない弁護士等のアホな指導に従って悪いルールを作れば、そのこと自体が会社にとって最大のリスクだと切って捨てる。
   チェック項目4000、10センチも厚さのある内部統制マニュアルなど言語道断で、本業を圧迫してコストばかり掛かって儲からないような内部統制システムなら、根本的に間違っていると言うのである。

   アメリカでも、SOX法自体が実態に合わないなど問題となっているし、企業文化、経営手法や精神が全く違う日本にそのまま導入して根付く訳がない。
   私も、弁護士、会計監査法人、IT企業などが主導する内部統制セミナーに随分通って勉強して来たが、要するにIT企業が代わる位で学者や専門家(?)は殆ど同じ役者が登場し、金太郎飴でハンを押したように膨大なマニュアルやチェックリストを伴ったセミナーである。
   多くの企業がこれに倣ってシステムを構築しているのなら、金だけかかって殆ど経営には無意味で、末恐ろしい限りであると感じている。
   一昔前に、TQC運動が流行って猫も杓子も狂騒曲を演じて狂奔したが、儲けたのは一部の先生(?)だけで、企業は疲労困憊して結果は惨憺たるモノに終わって、今では忘れ去られてしまっているが、私には、これと同じ現象の再発だと言う予感がしている。
   木村氏は、現在の現象も3年で終わりますよと言っているが、私もそんな気がする。
 
   余談だが、別のイノベーション論で、ジョー・ティッド教授などが、次のように言っているが、良く似ていて面白い。
   ”過去に、競争力を獲得する為に有効だとする見せ掛けの万能薬を沢山見てきた。
   ・先端製造技術(ATM)
   ・トータル・クオリティ・マネジメント(TQM)
   ・ビジネス・プロセス・リエンジニアリング(BPE)
   ・ベスト・プラクティスに対するベンチマーキング
   ・QCサークル
   ・ネットワーキングもしくはクラスタリング
   これらの変革が必ずしも役に立つとは限らず、大きな失望や幻滅を味わうケースが多かった。”
   
   内部統制システムの根本は、企業不祥事が起これば総て経営の最高責任者の責任であると言うこと。
   経営者として内部統制システムを確立して最善を尽くしたが、不祥事を完全に防ぐことが出来なかったと言うことを立証出来なかったら、社長は罪人になるということである。
   IT手法でデータとチェックリストで固められた4000項目もある内部統制システムを社員はおろか役員さえ分かる訳がなく、機能しないので不祥事は起こる。システムの不備は明白。
   内部統制は、「お前を信頼して任せるから総て責任を持ってやってくれ」文化を排除する典型的なシステムで、自分が充分問題を認識して経営を行わない限り不祥事は総てトップの責任と言うシステムでもある。
   
   木村氏は、ニューヨークの大和銀行事件を例に挙げてトップの責任を説明する。
   あの時、頭取は「私は知らなかった。」と言ったが、日本では完璧な答えであっても、アメリカでは、頭取の評価はたった二つ
   white liar(真っ赤な嘘つき)
   incapable manager(無能な経営者)
   即ち、ウソをついていないのなら、不祥事を未然に防ぎ、或いは、不祥事をトップにレポートする内部統制システムさえ確立出来ていない無能な経営者だと言うことである。
   今回の内部統制システムは、このトップの責任を回避する為のシステムの構築だと言えば言い過ぎであろうか。

   今回の木村氏の講演で新鮮で面白かったのは、「財務と経理を分離しろ」と言うポイントである。
   財務部と経理部が分離していても殆どの会社は、その上部管理者が同一人物で両部門を統括していたり、小規模な会社なら同一部門であることが多い。
   一頃、日本の有名企業が引っかかったプリンストン債を例に挙げて、資産調達や運用を担当する財務部門の暴発を、同一人物が、それをチェックして管理する経理部の担当だと、利益相反と同様な現象が発生してチェック機能が働かないと言うのである。
   勿論、同一組織でもチェック機能はいくらでもビルトイン出来るが、これはトレイダーと管理を兼務していて不祥事を起こした大和ニューヨークの井口ケースと同じである。
   問題は、内部統制やリスク管理と言っても、マニュアルや精密なシステム構築ではなくて、統制するメカニズムやプロセスの方が遥かに大切なのだと言うことである。

   コーポレートガバナンスで最も重要なことの一つは、取締役会の機能だと思うが、ごく最近、HOYAとのM&A案件を、ペンタックスの前の社長が、他の取締役に事前に一切知れせずに抜き打ち的に採決したと報道されていた。
   昨年の日航の増資の場合でも、直前の株主総会無視は勿論のこと、取締役に周知徹底せずに取締役会で決議したと言う同様のケースがあった。
   このように事前に取締役に衆知させずに、取締役会での重要な決定事項抜き打ち的に採決すると言う会社組織で最も重要な取締役会を骨抜きにする、日本には、他にも会社法の精神に反する行為が頻発している。
   私の懸念するのは、このような会社法無視の経営が実際に横行していながら、経済社会もメディアも国民も、問題視しないしおかしいとも思わない日本の社会に、何が内部統制かと言うことである。
   前述したが、内部統制は、経営の最高責任者のためのシステム。内部統制が機能するかどうかは、所詮トップ経営者のモラルと経営能力の問題でありこのレベルアップか、さもなければ、カウ・ボーイ社会と同じで徹底的に処罰する、これに尽きると思っている。
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イノベーションと「帆船効果」

2007年05月24日 | イノベーションと経営
   イノベーションによって、古い製品や企業が新しいものに取って代わられるのを、歴史上において、いくらでも見聞きしているし、普通の場合には、後戻りは効かない。
   しかし、蒸気機関の発明が即座に帆船を駆逐するようなことはなかった。蒸気機関の出現そのものが帆船の改良を開始させる引き金となって帆船の競争力が持続して、帆船と蒸気汽船との並存時代が続いたのである。
   このように、以前には挑戦がなく安閑とあぐらをかいていた旧企業が、深刻な脅威に晒されると、革新的な新しい参入者に負けじとばかり工夫改良を加えて応戦するケースについて、ジョー・ティッド等は「イノベーションの経営学」の中で、「帆船効果」と呼んでいる。

   この理論は、J・M・アッターバックが、「イノベーション・ダイナミックス」で展開した理論で、ガス灯会社が電球の発明によって生まれた電灯会社と競争するために、ガスの供給や配送、ガス灯システムの改良等で持続的イノベーションを追及して生産性のアップにこれ努めた例など、多くのイノベーションの発生・転換期のケースを引きながら説明している。
   ヴァルスバッハのマントルによるガス灯照明の効率の著しい改善をアッターバックは例証しているが、確立した地位に守られた、豊富な資金を持った既存の業者が、「既存技術のイノベーション」で逆襲してくる。このような新旧入り乱れてのイノベーション競争が、新技術の参入の時期には繰り広げられるのである。

   ところが敵も然る者、エジソンは、消費者向け商品については、慣れ親しんでいる外観をそのまま使って、古いシステムを新しいシステムに変換して質を上げて競争することが有効だと知っていたので、既存のガス灯用の溝を使って電線を引き、ガス灯用の燭台に電灯を取り付けて売り出したのである。
   その後、ネオンや蛍光灯が生まれて電飾世界は益々豊かになって来ているが、あの暖色系統でほのぼのとした味のある白熱電灯の人気も依然高いし、LEDの発明、特に、中村修二氏の青色ダイオードの発明によって驚異的な展開を見せている。

   ところで、新技術が旧技術を駆逐するケースで、真空管からトランジスターへの転換が良く例に引かれるが、真空管工場に膨大な設備投資をして市場を抑えていた電機会社にとっては、おいそれと、技術的にも不安定なトランジスターに転換出来ずにイノベーションに乗れずに苦杯を舐めた。
   ソニーの今日あるのは、正にこのトランジスター・イノベーションに命運を賭けた賜物であろうが、典型的な破壊的イノベーション成功のケースであり、その後、ソニーは代表的なイノベーターとしての道を走り続けた。
   ところで、今でも最高のサウンドを出せるのは真空管プレーヤーであるようで、旧技術と言えども、持続的イノベーションを続けて行けば、何処までも質の向上は望めると言うことであろうか。
   因みに、最近、レコード・プレーやにも人気が出ているようで、無味乾燥なと言わないまでも少し人工的でピュアー過ぎるデジタル音楽を、久しぶりに摩擦音の雑音が入るアナログ音楽に切り替えてみようかと思っている。
   アメリカで集めたりした懐かしいレコードが、沢山押入れの中で眠っている。
   

   
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不安を煽る「呼び鈴効果」

2007年05月23日 | 経営・ビジネス
   門扉や玄関の呼び鈴を押した後、インターフォンから応答があるかドアが開くまでに、何となく居心地が悪く不安になることがある。
   自分はドアの外にいるので、一切中は見えないし時には音もしない。
   不安になって、もう一度呼び鈴を押そうかどうか迷ったりする。
   問題は、待つことが苦痛なのではなく、どうなるかが分からない状態で待たされていることなのである。
   この状態を、トム・ケリーは「呼び鈴効果」と呼んでいる。

   先日のこのブログで、エレベーター待ちのイライラ解消法について、エレベーター・ホールの待ち客の気を散らすことによって緩和する方法について書いたが、普通何らかの形で待たされて耐えられる時間は3分だと言われている。
   しかし、我々の実生活においては、この様なケースは頻繁に起こっているが、結果がどうなるか、その後の推移がどうなるのか全く分からない宙ぶらりんの状態で放置されると不安とイライラが益々増幅されてくる。

   この状態にあるお客様の不安を解消して、カスタマー・サティスファクションを増進させることが、極めて有効な事業戦略となることは言うまでもない。
   エレベーター待ちの客が比較的待ち時間に耐えられるのは、今何階にエレベーターが止まっていて上がるのか下がるのか分かるからであるが、最近では、宅配便についてもコード番号をパソコンで叩けば即座に現在品物が何処にあるのか何時着くのかが分かるようになっていて便利である。

   私の経験では、色々あるが、一つは、病院の待ち時間が長すぎることだが、これは命がかかっているから仕方がないと諦めても、これも真剣に考えてみれば「呼び鈴効果」を押さえる方法はいくらでもあるので病院の怠慢である。
   だが、一番「呼び鈴効果」で不満があるのは、電話による企業のカスタマー・サービスセンターの対応である。
   一頃、電話を何回架けても通話中で架からなかったことが多かったが、最近では多少良くなったものの、ダイヤル指示が長くて繋がっても延々と待たされる。
   先日も、光電話網のダウンで問題があった翌々日くらいに、落雷での停電でインターネットが不通になったのでNTTに電話を架けたが、「込み合っておりますが、順番にお繋ぎしますので、そのまましばらくお待ちください。」とのレコーダーの指示に従って20分間待ったが、途中で一方的に電話が切られてしまった。
   結局、その後何回も試みて深夜1時頃に電話が繋がって、懇切丁寧な係り嬢の手助けで事なきを得たのであるが、もう少し、どうにかならないものであろうかと思う。
   もっとも、他の民間会社のカスタマーサービスは、週日の勤務時間中だけと言う顧客を全く馬鹿にした制約があるが、NTTは24時間サービスであり比較的丁寧に対応してくれているのでこれはこれで見上げたもだと思っている。

   「呼び鈴効果」以上に最悪なのは、インターネットで商売をしている会社の対応で、ヤフーにしてもアマゾンにしても、eプラスにしてもぴあにしても、あるいは他のポータル会社やIT関連サービス会社にしても、電話では一切受け答えしてくれないし、大体、ホームページを探しても住所や電話番号さえも書いていない所が結構多い。
   とにかく、某会社の係員が、電話は、五月蝿いので一切排除するのだと公言していたのを聞いたことがあるが、クレームすることが出来ず困った時はどうするのか、メール対応では中々埒があかない。e-commarceの重大な盲点であり、商道徳の欠如である。
   
   別なところで、トム・ケリーは、次のように書いている。
   ”世界中の一流ホテルが、どれほどハイテク化されようと、人が人との対話を求める限り、フロント・デスクから人の姿が消えることはあるまい。
   それ故に、カスタマー・サービスを向上させる本当の鍵は、最先端の技術的な情報を使って充分に教育された人材を育成し、その人により良いカスタマー・サービスを届けさせることであろう。”

   E.V.ヒッペルMIT教授が「民主化するイノベーションの時代」で、メーカー主導からユーザー主導のイノベーション、即ち、イノベーションにはユーザーの智恵や改良が大きく組み込まれるようになったことを論述しているが、その意味では、案外、カスタマー・サービスが最も重要な問題意識を持った顧客との接点、最前線であり宝の山であることを気付かない会社が多いと言うことであろう。
   カスタマー・サティスファクションが、企業へのロイヤリティを高め利益向上への重要な戦術だとするならば、尚更そうである。
   
   
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佐倉城址公園の黄菖蒲

2007年05月22日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   佐倉城址公園は、むんむんする新緑で爽やかだが、咲いている花は池畔の黄菖蒲と睡蓮だけ、随分静かである。
   面白いのは、菖蒲湯に使う本当の菖蒲はさといも科の植物で全く違うし、花菖蒲は日本で改良された純日本のアヤメ科の植物であるが、この口絵の黄菖蒲は明治時代に渡来したヨーロッパ原産の花で野生化したものだと言う。
   いずれアヤメかかきつばた?と言われるように、何度聞いても、アヤメと花菖蒲とかきつばたの区別がつかなくて困っている。
   花菖蒲については、夫々お殿様が力を入れて開発したので、江戸系、肥後系、伊勢系と、実に華やかで美しい。
   これから、各地で菖蒲祭りが催されて賑わうことであろう。

   黄菖蒲に混じって青紫の野花菖蒲が咲いている。
   関西に居た子供の頃に見た花はアヤメで、この野花菖蒲に良く似ていて何となく懐かしい。
   豪華だが、花びらがひらひら弱弱しくて、その上、大きすぎて垂れ下がっている花菖蒲よりも、この黄菖蒲や野花菖蒲のように野性に近くピンと花びらが張って凛としている花の方が好きである。
   無理に人間好みに作り上げられたようで、丁度、ランチュウを見ている感じがして気の毒になってしまう。
   同じ様な感じで、色はパステルカラー調で多少優しいが、ジャーマンアイリスの花もそんな派手な雰囲気で、過ぎたるは及ばざるが如しということである。

   沢山の黄菖蒲が菖蒲園の湿地帯にも咲いているが、池畔の岸辺から乗り出して咲いている黄菖蒲や野花菖蒲の方が風情があって良い。

   池畔びっしり敷き詰められた睡蓮の上に、15センチほどの小さな白い睡蓮が沢山花を咲かせている。
   睡蓮の葉っぱの隙間から亀が顔を覗かせて伸びをしており、大きな蛙が葉の上に飛び乗って憩っている。
   緑陰のトンネルを通り抜けて流れてくる冷気に揺れながら木漏れ日が水面を舞う。
   ウグイスが木陰から綺麗な声で囀り続けている。
   如何にも長閑な午後のひと時で、城跡も、廃墟になって植物や小鳥達の天下になってしまうと、全く装いを変えてしまうのが面白い。

   
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シエスタ(午睡)はイノベーションを生む?

2007年05月21日 | イノベーションと経営
   日中に適度な仮眠を取れば、1日に2度朝が来るようなもので、2度ピークに達せられる、とトム・ケリーは言う。
   彼のデザイン会社IDEOでは、イノベーションを生むためにブレイン・ストーミングを頻繁に行っているのだが、どうやら、朝こそはエネルギーと創造性がピークに達している刻限らしいので、昼寝をして、朝を二度迎えればもっと効果的であろうと言うのである。
   それでは、時代錯誤で馬鹿馬鹿しいと言って排除されつつあるラテン系の国々のシエスタ(午睡)制度は、創造性を育む為にも、人間の企業活動に適合しているということなのであろうか。
   
   余談だが、1974年、もう30年以上も前になるが、ブラジルのサンパウロに赴任して驚いた。
   シエスタ制度があって、時間帯はどうだったか忘れてしまったが、昼には自宅に帰って食事をして少し昼寝をして、午後遅くなってから再び会社に出て仕事をするのである。
   最初赴任した時には、ホテルを宿舎にしていたので、重い午餐をたっぷり取ってベッドに入ると正体もなく眠ってしまい、午後の仕事に戸惑ったのを覚えている。

   隣のパラグアイに出張した時は、朝7時頃から午後1時頃まで仕事をして、午後の4時頃からまた7時頃まで仕事を始めると言った調子であった。
   政府の役人などは、午前中で仕事が終わるので、午後から許認可をアドバイスする別会社を作って二足のわらじを履いていた。(この職権乱用とも言うべきシステムは、合法的な賄賂取得法だったのかも知れない。)

   ラテンアメリカでは、概ねこのシエスタがあったが、私の記憶では、その後、訪れたイタリアなどラテン・ヨーロッパにも、シエスタが残っていたし、現在は知らないが、私がヨーロッパに居た頃、15年ほど前にもスペインなどビジネスの時間帯はシエスタ制度そのものであった。
   ビジネス・ランチは2時頃から始まって、夕食などは9時以降でないとレストランは開いていなかったし、延々深夜まで続いた。
   フラメンコ・ショーの真打の踊りなどは深夜1時以降でないと見られなかったのである。

   本論に戻るが、科学的には、短時間の深い昼寝が、活力を取り戻すパワーアップに効果的であることを示していると言われている。
   昼間の仮眠は、情報過多を緩和するので、極めて大きな回復効果があり、脳が様々な仕事を学習する能力を高めて、記憶を強固にするというハーバードの調査もあると言う。
   もっとも、前述のシエスタのような寝過ぎはどうかと言う研究報告はないので問題外かも知れない。

   昼寝実践の達人が居た。
   エジソンは、夜の5時間ほどの睡眠に昼寝を加えて、発明を連発したのである。
   マーガレット・サッチャーも、ジョン・F・ケネディも、この昼寝パワーアップの実践者だったと言う。
   
   偏見や先入観を捨てさえすれば、昼寝が野心的で創造的な人間の強力なツールであることは容易に想像することが出来る。
   こと創造的な仕事に関しては、人を適切な心理状態に置くのに短時間の昼寝が役に立つことは確かで、イノベーションを生むための安上がりな手法であるとトム・ケリーは言うのである。
   今では、リクライニング・チェアーが何台も置かれた「仮眠室」が社内に儲けられた会社が結構あると言うのだから面白い。
   
   
   
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中国の民主化は幻想?・・・ジェームス・マン

2007年05月20日 | 政治・経済・社会
   アメリカは、中国の政治体制が自由化の途上にあると言う実際に起こってもいない幻想を抱き続けてきているが、一党支配が続き反体制派の活動を抑圧していると言う現実から目を逸らせることは出来ない。
   今から四半世紀後の中国は、確かにより豊かで強力な国になっているであろうが、依然何らかのかたちの独裁国に止まっている可能性が高い。
   中国を宥和的な包括的融和政策で遇しておれば、自由主義経済の浸透等によって不可避的に民主化して行くと言うアメリカの現在のパラダイムでは、対中国政策を根本的に誤ってしまう、と言う警告を、ジェームス・マンが新著「危険な幻想」で展開している。

   ジェームス・マンは、20年前にロサンゼルス・タイムズの北京支局長を務めるなど同紙の外交専門記者の後、米戦略国際研究センターの所属し中国関係について外交専門誌や雑誌などで論陣を張っている中国専門家だが、徹頭徹尾、大統領・米国政府役人、中国学者や中国専門家、プロ中国の実業家トップなどの中国論や政策を糾弾している。
   ついでながら、アルビン・トフラーが、ニューヨーク・タイムズとロサンゼルス・タイムズと英文ヨミウリしか読まないと語っていたが、ロサンゼルス・タイムスは、元よりアメリカでは権威のあるトップクラスの新聞である。

   中国が民主化するのは間違いないと言った中国肯定のパラダイムは、それがアメリカの国内の各種関係団体にとって好都合だからである。
   ニクソンがキッシンジャーを派遣して中国との国交を回復して以降、1970年代後半から80年代にかけては、この考え方が安全保障問題権威筋の見解であった。
   必然的にソ連は中ソ国境に大規模な兵力を張り付けねばならなくなり、ソ連に対抗する為には、中国と密接な関係を維持することはアメリカにとって必須だった。
   冷戦期のイデオロギー闘争の中で、中国の協力を求めることは極めてデリケートな問題だったが、中国の政治体制が自由化の途上にあると言う見方は、議会や一般国民の了解を取り付けるために役立ったのである。

   1990年代のソ連が瓦解し冷戦が終了した時点で、このパラダイムを新たに支持したのが、経済界、特に、市場を求めていた多国籍企業である。
   中国がその政治体制を開放しつつあると言う幻想に加えて、貿易が自由の扉を開ける鍵となる、貿易が政治的自由化と民主主義に扉を開く鍵となると言うパラダイムに変換して行った。

   ジェームス・マンの問題意識は、このパラダイムが間違いだったと分かった時にどうするのかと言うことである。
   現に、中国のレーニン主義的な一党独裁体制は強固なままで、反体制運動は徹底的に弾圧・抑制されており、一向に明るい民主化、自由化の兆しは見えないし、将来の見通しも暗いではないかと言うのである。

   しかし、そうは言っても、中国の急速な経済成長と大国への躍進が、中国の経済社会構造をどのように変革するのか、マルクスの下部構造の上部構造への影響と言った議論を引き出すまでもなく、何らかの変革を引き起こすであろうことは考えられよう。
   どのような未来を予測するのかと言うのは、中国の崩壊論から民主化論まで幅広いが、13億の民を巻き込んだ人類史上初めての経験であり、予断を許さない。
   ゴルバチョフ訪中時に、天安門事件が勃発し、その模様が全世界に生中継されてしまったが、今回の世紀の祭典・北京オリンピックでも、膨大な人数の国際的報道陣の前で、鉄壁の監視を突破して、もし反体制派など不満分子が暴発したらどうなるのか、と言うジェームス・マンの指摘は興味深い。

   ジェームス・マンにとっては、中国の民主化に幻想を抱くアメリカの中国関連エリート達を許せないのであろう。糾弾の矛先は熾烈であり、彼らが中国の抑圧的体制を公然と批判するのを躊躇うのは、金銭が絡んでいるからだと言う。
   政府の長官や高官が退任後、キッシンジャーのようにコンサルタントを設立して膨大な謝礼金を稼ぎ、法律事務所などに天下りして利権を得るなどしていて、これが政府のトップから実務者レベルまでの公務員に広がっている。中国研究者やその他多くの中国専門家達も企業の顧問等で副収入を得ている。
   それを考えれば、まかり間違っても、中国批判などは出来ないと言うのである。
   産経の古森義久氏が、「凛とした日本」の中で、自民党の最大派閥だった橋本派の瓦解によって、日本の対中外交が「友好ごっこ」から「普通の国」へ変わったと言って、中国利権に絡まった橋本派の親中(時には媚中)姿勢を実名入りで語っているが、何処の国にも中国の大きな光と影がさしているという事であろうか。

   
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グローバリゼーションの行方・・・S,J.コブリン教授

2007年05月19日 | 政治・経済・社会
   ダボス会議などのアドバイスもしている著名なグローバリゼーション論の権威、ウォートン・スクールのステファン J コブリン教授が、立教大学のキャンパスで、「グローバリゼーション:何処から始まり何処で終わるか」を語った。

   "20世紀初頭の第一次グローバリゼーションは、第一次世界大戦と大恐慌で敢無く潰えたが、今回のグローバリゼーションは、IT革命と言う不可逆なテクノロジーを伴った大変化なので、人類の歴史において後戻りはない。
   しかし、この変化は、中世から近世への大変革に匹敵する巨大な歴史的な大きなうねりでありながら、どのようにコントロールすれば良いのか分からないので全く先が見えない。”

   ”依然として世界同時好況が続いているが、ドットコム・ブームに沸いた1990年代が終わり21世紀に入ると、ドーハラウンドの行き詰まりなどで経済的にも保護主義が台頭し始め、チャベスやサルコジ等の政治的な動きに象徴されるように経済的ナショナリズム傾向が強くなるなどグローバリゼーションに影が差してきた。
   同時に、国際テロの横行で、グローバルな財の流れが阻害され、グローバリゼーションは、中国やインドに恩恵を与えているが、最大の経済大国アメリカには摩擦など問題が生じ始めて、最近では、熱心にグローバル化を言わなくなった。”

   ”グローバリゼーションの行く末について、三つの考え方がある。
   1.景気循環論的見解
   2.国際政治の動向による政治的見解
   3.技術革命による構造的見解
   循環的或いは政治的見解によると、グローバリゼーションは後退する可能性も考えられるが、急速に経済社会を根底から改変し不可逆的な技術的な変革を考えると、この可能性は殆ど考えられない。
   今日では、IT革命によって、瞬時に情報が飛び交って距離と空間を無意味にした。
   多国籍企業も、世界中から最も安くて良い物を調達して生産する最適調達生産方式によって価格競争力を追求し、製品そのものが多国籍化してしまっており、保護貿易主義に立ち返って国境を閉鎖するなど、全く考えられなくなってしまった。”

   ”この第二次グローバリゼーションは、日本の明治時代にも匹敵する大改革で後戻りは出来ないのだがが、しかし、問題は、全く不確実かつ不安定で先を見通せないので、正に人類を不安の時代に投げ出してしまったことである。
   どうすれば、この統合されグローバル化した経済社会を上手く機能させることが出来るのか、そのガバナンスの方法が全く分からないので人類は深刻な問題に直面してしまった。
   しかし、確実に分かっていることは、次のような重要な問題を叡智で解決できなければ、人類の未来は限りなく暗いということである。
   その一つは、上手く機能させるためにFAIR・公正なルールを作ること。
   次は、格差問題を排除すべく平等でなければならないこと。
   最後に重要なことは、多元的であることで、違った資本主義を認め、多様な違いを容認して等しく人類が共存共栄して行ける多元的な政治経済社会を確立することである。
   人類総てが、意思決定に参加できる民主主義的な世界でなければならない。”

   以上がコブリン教授のスピーチの要旨であるが、理想論だとは言え、スティーグリッツ教授のグローバリゼーション論に相通じるヒューマニズムの息吹が感じられて、アメリカのリベラルが健在であることを感じて多少安心した。
   久しぶりに、昔の高校生のような可愛い立教大学生の中に混じって授業を受けた感じで楽しかった。

   コブリン教授は、翌日、ウォートン・スクールの同窓会ウォートン・クラブ年次総会で、同じ様なスピーチを行った。
   途中で中座したが、日本人が半数くらいの国際化した9月からの新入生達が元気に挨拶していたこと、日興を傘下に組み込んで意気軒昂のシティ・グループの役員が自信満々の戦略をぶっていたこと等が印象に残っている。
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攻撃に徹した経営・・・P.ティッシュ一筋のイデシギョー

2007年05月18日 | 経営・ビジネス
   構造不況産業と言われる紙業において、38年間黒字を続けて気を吐いている会社がある。
   ポケット・ティッシュ生産量日本一のイデシギョーで、儲かった金は、総て新しい機械等に設備投資をするのが、これまでの成長路線を支えてきた秘密だと言う。
   株や土地価格の狂奔で沸いたバブルなど知らなかったし、わき目を振っているそんな余裕もなかったと言うのである。
   
   富士通フォーラムで、”攻撃は最大の防御なり”を地で行き、ニッチ市場を追求し続ける隠れたエクセレント・カンパニー・イデシギョーの井出純一社長が、疋田文明氏を相手にこんな興味深い話を語り続けた。

   戦略的に必要な機械は、長期に借り入れて買うが、通常の機械については、3年で償却出来る見通しが立てば、すぐに新しい機械設備は買う。機械メーカーが、収支を計算して数字を持って新しい機械を売り込みに来る。
   機械については、その図面から交渉して、500メートルのキャパシティなら800メートルのスペックに引き上げて、大きなモーターに切り替え、部品なども太め大きめにしてしておく。70~80%のキャパシティで稼動させれば、モーターも焼けないし機械が長持ちする。
   それに、従業員が慣れると20~30%の生産性はすぐにアップすると言う。
   
   工場などの建物の建設についてもユニークである。
   土地は減価償却出来ないので、効率を上げる為に、エレベーターを必要としない3~4階建てにする。建蔽率を上げない為に階段は総て外付けにする。
   モノを上下に移動するオートレーダーは設置するが、人の乗るエレベーターは据えつけない。毎日歩いて見回っているが、健康に良い。

   販売戦略も、問屋を排除して小売店への直接販売に切り替えた。
   問屋は、メーカーに競争させて天秤にかけて安くさせ、その上、注文数が不安定なので、これでは生きて行けないと思って、問屋の影響がなくて目立たない岩手県水沢から小売店訪問を開始して、販売ノウハウを勉強して蓄積し、徐々に直販を拡大して行った。
   問屋なら単品販売が主になるが、小売直結だと、紙関係全品の需要が見込めたし、当時伸張を続けていたホームセンターが顧客になった。
   小売店に営業をしかけられる営業マンをヘッドハンティングして営業所長の人材を育成して行った。
   この直販システムを拡大して行くと、問屋と競合するので問屋からの購買を即座に打つ切られたが、物流システムの工夫等で切り抜けた。

   あるホームセンターでは、紙関係一つにしても、営業時間中に色々な問屋から納入されていたので、その都度倉庫係が検収していたが、井出社長は、「朝8時までに全品納入するので開店前に品揃えが終わり、収めた商品リストをコンピューターに打ち込むだけで済み手間暇架からず、倉庫係の数を削減出来て業務の邪魔にもならないので任せてくれ」と提案した。
   他の問屋や業者からも買い入れて全品揃えて一挙に納入するのだから、問屋も有無が言えず、その上競争会社の原価も全部分かるようになり競争力を増した。
   物流はアウトソーシングしているが、納入する紙製品については、あらゆる原料から買い入れ一貫生産をして、顧客に最も近い所まで納める努力をしている。
   しかし、自社にはない製品、例えば、コーヒー用フィルターなどは、自社の工場内に業者を入れてアウトソーシングし、厳しい条件を提示し、その上で利益を折半する、自営なので業者も必死になって頑張るので、生産性がぐんと上がる模様である。

   マクドナルドの包み紙から紙製品一切は勿論、ナプキン、便座ペーパー、検便用紙、肉の血を吸わせるミートーペーパー、ソフトクリームの三角紙、ご飯の蒸れを押さえるライス・ペーパー等々、大手の紙会社のやらない商品は総て進出してナンバーワン企業、時には、オンリーワン企業を目指して、子会社と共に生産にまい進するのだと言う。
   
   転んでもただで起きないのが、井出社長の凄いところで、紙を漉いた後のヘドロを使って猫の猫砂の代わりに紙砂を造って売って、無駄な200万円を200万円の収入に換えた。
   元々、水を多用するのが製紙会社なので、ノウハウと残りの設備を活用してミネラルウォーターまで製造販売している。

   営業会議の前日には、必ず、飲み会をして毒気を抜いてから自由な発想で語らせる。
   また当日、何か一つ気に入ったものを持ってこさせて語らせる、自分は、良いデザインのものがあるので、最近は、ハンカチに目をつけているのだと言う。
   経営セミナーに行けば、必ず、聴講者の中に、ホームセンター、スーパー、ドラッグストア等の人を探して、これ営業に努めている。経営学は、勉強したことがないが、先輩達に可愛がられて教えられて来たと言う自学自習の経営者である。

   まだまだ、意表を衝く井出社長の独特な面白い経営哲学が語られていたが、要は、一つの中小企業の生きる為の壮絶な生き残り作戦から生まれた経営の智恵で、こんな素晴らしい企業が生産、物造りの現場を支えているから、日本の製造業は強いのである。
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よみうり写真大賞・・・銀座富士フォトサロン

2007年05月17日 | 生活随想・趣味
   口絵写真は、「ワー動いた」と言うタイトルの愛知県杉浦幸雄さんの写真だが、アマゴ、イワナつかみに来た幼女が、しっかりつかんだ魚が大きく跳ねた瞬間を撮った。ぎょろりと目を向いた魚と目があってしまった。
   記念写真の心算で撮った写真が、素晴らしい作品となった瞬間である。
   とにかく、ピントがシャープに合った魚の目と、女のこのビックリした表情が秀逸である。

   この写真展は、「報道部門」「ファミリー部門」「テーマ部門」「秋の部」などに分かれて夫々優秀な作品が選ばれているが、日頃見ている大先生たちの小難しくて分からない作品より、はるかに面白くて楽しめること請け合いである。
   店に突っ込んで大破した車や凄い天を突く稲妻など豪快な写真から、鳥や猫など動物、祭りや結婚式、詩情溢れる田園風景や豪華絢爛と咲き乱れる花々などバリエーション豊かだが、何と言っても面白いのは家族など人々の表情で、特に子供たちの巧まぬ姿や仕草などの表情描写が素晴らしい。

   水田の畔に、「金メダル イナバウアー」と看板が立っている案山子の前で、整列した幼稚園児くらいの女の子が四人夫々臍だしスタイルで反り返ってポーズをつけている姿を写した「イナバウアー」
   学芸会か何かで壇上に並んだ幼児たちが、お坊さんの長い話に飽きてうんざり顔で痺れを切らしている様子の「まだかいなー」
   バーに洗濯バサミで吊り下げられたパンを必死になって食いつこうとする小学生のパン食い競争を写した「まけないぞー」
   綺麗な着物に着飾って髪飾りをつけた女の子たちが船べりにずらりと並んで真ん中にお母さん達が乗っている姿を上から俯瞰撮影した「小さなおひな様たち」だが、嬉しそうな表情をして面映いのは母親達だけ。
   サルのぬいぐるみをつけた幼児が一面に敷き詰められた布団の上でぽつねんと大きな懐中電灯を逆さに立てて寂しそうに見入っている「初めてのお泊り」
   ほかに、新一年生、剣道帰りの子供たち、戯れる兄弟姉妹たち、道路に落書きする子供たち、・・・見ているだけで、物語が自然に湧き出てきて楽しい。

   詩情豊かで面白かったのは「サギと婆様」と言う香川県さぬき市六車正竹さんの写真で、花しょうぶ畑を囲む一列に並んだ丸太杭の上にゴイサギが憩っていて、それを畑の草取りをしている老婆が一人は笑ってみており一人は下を向いて黙々と働いている如何にも長閑な写真である。
   もう一つ面白かったのは、鎮守の森の祭りか何かであろうか、老婆が二人が必死になって餅を銜えて引っ張り合っている「もち引き」
   嫁ぎ行く孫娘と老婆を写した写真が2点あったが、実にほのぼのとしていて素晴らしかった。

   私も結構写真歴は長いが、センスがないのか腕が悪いのか、中々、思うような写真が撮れない。
   もっとも、記念や思い出にはなっているので、よしとするしかなかろう。
   
コメント
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