「上方落語会」であるから、女道楽の内海英家を含めて全員が上方の噺家で、大阪弁の一日である。
米團治が、トリで、「蔵丁稚」を語った。
江戸中期の上方の古典落語で、明治になって東京に移されてたのだが、仮名手本忠臣蔵の四段目塩谷判官の切腹の場がテーマになっているので「四段目」となっているのが面白い。
米團治は、まくらで、3月に逝去した実父米朝の葬儀の様子を語り、更に、今は亡き爆笑王・桂枝雀長男が、40を越えて落語家に転身して、枝雀の弟弟子ざこばに入門したことが、大阪で大変な話題になっていて、上方落語界は、騒然としている。と語った。
この「四段目」は、「仮名手本忠臣蔵」の「四段目」で、御殿で刃傷に及んだ塩冶判官が、上使として塩冶家に訪れた石堂右馬之丞と薬師寺次郎左衛門から上意を受けて切腹する場で、このパートを、仕事をサボって芝居を見てきた芝居好きの丁稚の定吉が、堪忍袋の切れた店の旦那に蔵の中へ閉じ込められて、空腹を紛らわせるために、一人芝居を演じると言う話である。
面白いのは、必死に嘘八百を並び立てて言い訳をし、芝居など嫌いだと言い張る定吉に、旦那は一計を案じて、そんなに嫌いなら、明日奉公人を残らず歌舞伎座に連れて行くので、お前は留守をしろと言って、今月の『忠臣蔵』は良いそうで、五段目の山崎街道に出てくる猪の前脚を中村鴈治郎、後ろ脚を片岡仁左衛門がやるそうだ。と引っかけるところである。
あんなものは、下っ端の役者がやるもので、成駒屋や松嶋屋がやる筈がない、今見て来たところですねんと言って、ばれてしまうのである。
この猪のところは、東京では、市川團十郎と市川海老蔵に代わるところが面白い。
オチは、定吉が切腹のシーンになって、刀を振り回しているのを覗きこんだ女中がびっくりして旦那に注進したので、子供のことだから腹がすいて変な料簡を起こしたのだろうと、調理場に飛び込んでお鉢を引っつかんで蔵へ。
戸をガラっとあけると、
「御膳(御前)」・・・「待ちかねたァ」
歌舞伎や文楽では、判官切腹で瀕死の状態で、由良助が、駆け込んでくる。この感動的なシーンが、落語になると、ハチャメチャになる。
この落語では、上使の石堂と薬師寺が判官家を訪れて、由良の助が登場するまでの歌舞伎の舞台を、定吉のひとり語りとして、実際に、噺家が、臨場感たっぷりに語っており、歌舞伎の舞台を観ているより良く分かり面白い。
米團治は、刀を持って来た力弥がじっと判官を見据えて名残を惜しみ、これに応える判官の目の動きを実にリアルに表現していたが、これなどを見ていても、相当、歌舞伎なり文楽に精通していないと、台詞は勿論、異分野の古典芸能は、語り辛いであろうと思った。
Youtubeで、枝雀の「蔵丁稚」を聞くことが出来るのだが、米朝の得意ネタでもあったようで、語り口は随分違うが、殆ど、同じ内容なので、米朝一門のスタンダードナンバーなのであろう。
とにかく、若々しくて溌剌とした米團治の語り口は、アクがなく素直で、非常に好感の持てる舞台で、楽しませて貰った。
中トリは、枝雀の一番弟子桂雀々で、この日は、まくらに、枝雀への入門から雀々命名の経緯や稽古の様子などを、枝雀の口調を実に巧みに真似て語り始め、本番の「夢八」の語りなど、枝雀を彷彿とさせる語り口で、芸の継承の凄さを感じて嬉しかった。
跡目相続が、どうなるかと言うことであろうか、米團治は、微妙な表現をして笑わせていた。
私は、残念ながら、枝雀の実際の高座に接したことはなく、テレビやDVDで落語やテレビでドラマを見たくらいなのだが、大変な逸材でありながら、心が病んで亡くなったようだで、惜しい限りである。
生まれも住まいも、私の故郷に近く、苦しかった頃、私の通っていた高校の給仕をしていたと言うから、接点があるので、こてこての関西弁の名調子の落語を聴きたかったと思っている。
三喬は、「月に叢雲」。
「落語界のくまのプーさん」と言うらしく、角刈りの手入れの利いた頭をさして、「カツラに頼りたくない」と言って笑わせていた。
”盗人噺(泥棒が出る噺)を得意としているため「泥棒三喬」の異名も持つ。”と言うことで、今回の噺も、Youtubeでも聞けるし、得意中得意の噺なのであろう、泥棒が、盗んだものを買ってくれる特別な店に収穫物を持ち込んでの笑話である。
寺から盗んで、逃げる途中で一部を落として、7面観音や6福神を売り込もうと言う話など、頓珍漢が面白い。
文鹿は、「紙相撲風景」。
大の大相撲ファンだと言うことで、これは、新作落語であろう。
自分で、精密な場所の模型を作り上げて、紙相撲をさせてその結果によって番付表から15日間の取り組み表まで作成するほどの入れ込みようだと言う。
演台に二本の小さな拍子木のような木片を立てて、演台を叩きながら相撲の実演をするのだが、拍子木から呼び出し、放送など一切自分で演じて、正に、玄人なみの名演で、好きこそものの上手なりを地で行ったような語り口。笑わせてくれる。
吉坊は、「軽業」だったが、是非聴きたかったのだが、何故か、時間を1時間間違って会場に行き、早く出たつもりが、30分遅れで会場に入って、結局、聴けずに終わった。
残念で仕方がない。
唯一の女流演者である女道楽の内海英華は、中々、魅力的な美人で、三味線片手に、粋な歌を謡う。
さのさであっただろうか、良く分からないのだが、これを京都言葉や河内弁で替え歌にして歌っていたのだが、女性が喋っても、河内弁は、あんなにガラが悪いのであろうかと、面白く聞いていた。
米團治が、トリで、「蔵丁稚」を語った。
江戸中期の上方の古典落語で、明治になって東京に移されてたのだが、仮名手本忠臣蔵の四段目塩谷判官の切腹の場がテーマになっているので「四段目」となっているのが面白い。
米團治は、まくらで、3月に逝去した実父米朝の葬儀の様子を語り、更に、今は亡き爆笑王・桂枝雀長男が、40を越えて落語家に転身して、枝雀の弟弟子ざこばに入門したことが、大阪で大変な話題になっていて、上方落語界は、騒然としている。と語った。
この「四段目」は、「仮名手本忠臣蔵」の「四段目」で、御殿で刃傷に及んだ塩冶判官が、上使として塩冶家に訪れた石堂右馬之丞と薬師寺次郎左衛門から上意を受けて切腹する場で、このパートを、仕事をサボって芝居を見てきた芝居好きの丁稚の定吉が、堪忍袋の切れた店の旦那に蔵の中へ閉じ込められて、空腹を紛らわせるために、一人芝居を演じると言う話である。
面白いのは、必死に嘘八百を並び立てて言い訳をし、芝居など嫌いだと言い張る定吉に、旦那は一計を案じて、そんなに嫌いなら、明日奉公人を残らず歌舞伎座に連れて行くので、お前は留守をしろと言って、今月の『忠臣蔵』は良いそうで、五段目の山崎街道に出てくる猪の前脚を中村鴈治郎、後ろ脚を片岡仁左衛門がやるそうだ。と引っかけるところである。
あんなものは、下っ端の役者がやるもので、成駒屋や松嶋屋がやる筈がない、今見て来たところですねんと言って、ばれてしまうのである。
この猪のところは、東京では、市川團十郎と市川海老蔵に代わるところが面白い。
オチは、定吉が切腹のシーンになって、刀を振り回しているのを覗きこんだ女中がびっくりして旦那に注進したので、子供のことだから腹がすいて変な料簡を起こしたのだろうと、調理場に飛び込んでお鉢を引っつかんで蔵へ。
戸をガラっとあけると、
「御膳(御前)」・・・「待ちかねたァ」
歌舞伎や文楽では、判官切腹で瀕死の状態で、由良助が、駆け込んでくる。この感動的なシーンが、落語になると、ハチャメチャになる。
この落語では、上使の石堂と薬師寺が判官家を訪れて、由良の助が登場するまでの歌舞伎の舞台を、定吉のひとり語りとして、実際に、噺家が、臨場感たっぷりに語っており、歌舞伎の舞台を観ているより良く分かり面白い。
米團治は、刀を持って来た力弥がじっと判官を見据えて名残を惜しみ、これに応える判官の目の動きを実にリアルに表現していたが、これなどを見ていても、相当、歌舞伎なり文楽に精通していないと、台詞は勿論、異分野の古典芸能は、語り辛いであろうと思った。
Youtubeで、枝雀の「蔵丁稚」を聞くことが出来るのだが、米朝の得意ネタでもあったようで、語り口は随分違うが、殆ど、同じ内容なので、米朝一門のスタンダードナンバーなのであろう。
とにかく、若々しくて溌剌とした米團治の語り口は、アクがなく素直で、非常に好感の持てる舞台で、楽しませて貰った。
中トリは、枝雀の一番弟子桂雀々で、この日は、まくらに、枝雀への入門から雀々命名の経緯や稽古の様子などを、枝雀の口調を実に巧みに真似て語り始め、本番の「夢八」の語りなど、枝雀を彷彿とさせる語り口で、芸の継承の凄さを感じて嬉しかった。
跡目相続が、どうなるかと言うことであろうか、米團治は、微妙な表現をして笑わせていた。
私は、残念ながら、枝雀の実際の高座に接したことはなく、テレビやDVDで落語やテレビでドラマを見たくらいなのだが、大変な逸材でありながら、心が病んで亡くなったようだで、惜しい限りである。
生まれも住まいも、私の故郷に近く、苦しかった頃、私の通っていた高校の給仕をしていたと言うから、接点があるので、こてこての関西弁の名調子の落語を聴きたかったと思っている。
三喬は、「月に叢雲」。
「落語界のくまのプーさん」と言うらしく、角刈りの手入れの利いた頭をさして、「カツラに頼りたくない」と言って笑わせていた。
”盗人噺(泥棒が出る噺)を得意としているため「泥棒三喬」の異名も持つ。”と言うことで、今回の噺も、Youtubeでも聞けるし、得意中得意の噺なのであろう、泥棒が、盗んだものを買ってくれる特別な店に収穫物を持ち込んでの笑話である。
寺から盗んで、逃げる途中で一部を落として、7面観音や6福神を売り込もうと言う話など、頓珍漢が面白い。
文鹿は、「紙相撲風景」。
大の大相撲ファンだと言うことで、これは、新作落語であろう。
自分で、精密な場所の模型を作り上げて、紙相撲をさせてその結果によって番付表から15日間の取り組み表まで作成するほどの入れ込みようだと言う。
演台に二本の小さな拍子木のような木片を立てて、演台を叩きながら相撲の実演をするのだが、拍子木から呼び出し、放送など一切自分で演じて、正に、玄人なみの名演で、好きこそものの上手なりを地で行ったような語り口。笑わせてくれる。
吉坊は、「軽業」だったが、是非聴きたかったのだが、何故か、時間を1時間間違って会場に行き、早く出たつもりが、30分遅れで会場に入って、結局、聴けずに終わった。
残念で仕方がない。
唯一の女流演者である女道楽の内海英華は、中々、魅力的な美人で、三味線片手に、粋な歌を謡う。
さのさであっただろうか、良く分からないのだが、これを京都言葉や河内弁で替え歌にして歌っていたのだが、女性が喋っても、河内弁は、あんなにガラが悪いのであろうかと、面白く聞いていた。