今月も、それなりに劇場に通って、観劇を楽しんできた。
このブログで、観劇について書いたのは、文楽2回と立川流落語会と能の舞台を一回、ウィーン・フォルクスオーパーの「こうもり」だけで、今日の「能楽祭」を含めて一番多いのは能狂言だが、ほかに、歌舞伎へも行っている。
歌舞伎は、恒例の團菊祭で、團十郎家と菊五郎家との合同歌舞伎で、今月は、夜の部しか見ていない。
演目は、見取りで、勢獅子音羽花籠、三人吉三巴白浪、時今也桔梗旗揚、男女道成寺。
團十郎が亡くなってからは、何となく寂しくなってしまって、今回は、吉右衛門が登場したのだが、菊之助の長男寺嶋和史、すなわち、外孫が初お目見えしたので、菊五郎と、「勢獅子」に、チョコっとご祝儀出演しただけで、世代替わりか、後の舞台は、昔の3助、菊之助、海老蔵、松緑など若手主体の歌舞伎公演であった。
三人吉三では、当然の配役で、菊之助のお嬢吉三、海老蔵のお坊吉三、松緑の和尚吉三。
考えられる現在の最高の配役だと思われ、今回は、冒頭の「大川端の場」。
客が落とした百両を持った夜鷹のおとせ(市川右近)から、盗賊のお嬢吉三が金を奪い、おとせを川に突き落とす。そこへ別の盗賊・お坊吉三が現れて金の奪い合いになるが、盗賊の和尚吉三が仲裁して、三人は義兄弟の契りを交わす。
お嬢吉三が、杭に片足を置いて、浪々と流れるように歌う(?)名ぜりふ。
”月も朧に白魚の篝も霞む春の空、冷てえ風も微酔に心持よくうかうかと、浮かれ烏のただ一羽塒へ帰る川端で、・・・”
ここだけは、御大菊五郎の素晴らしい舞台を鮮明に覚えている。
正式には、「三人吉三廓初買」
河竹黙阿弥作の世話物、白浪物、全七幕。3人の盗賊が百両の金と短刀とをめぐる因果応報で刺し違えて死ぬまでを描いた物語だと言うのだが、私など、アウトロー賛美の思いはさらさらないし、盗賊は盗賊であるから、惡の華などと言った意識は全くないので、なかなか、楽しめない演目なのだが、
最近は、難しいことを考えずに、芝居として舞台を楽しめば良いのだと、仰る方がおられて、自分もそう思い始めており、そのつもりで見ている。
「時今也桔梗旗揚」は、悲劇の武将明智光秀の物語で、今回は、二幕目の本能寺の場(馬盥の場)と、三幕目の愛宕山連歌の場で、序幕の饗応の場(眉間割)は省略されていたが、光秀が、信長に徹底的に虐められ恥をかかされて、憤懣やるかたなくなって、信長を討つべく本能寺へ向かうまでの物語である。
史実はともかく、徳川時代の儒教思想による影響か逆賊として扱われていた光秀を、この歌舞伎では、四代目鶴屋南北が、かなり公平に扱って、悲劇の武将としてストーリーを展開しているところが興味深いと思っている。
歌舞伎では、信長でも秀吉でも、史実とは関係なく、虚構として物語として描かれているので、気にすることはないのであろうが、信長の光秀虐めは、常軌を逸した卑劣極まりないものなので、あの厳しい封建時代の世で、どれだけ光秀が屈辱に耐え得るのか、そのあたりを、ある意味では教養もあり文化人としての誇りも高い光秀の苦衷を、如何に演じ切るのかが、光秀役者の力量なのであろう。
この「時今也桔梗旗揚」の後編とも言うべき歌舞伎が、「絵本太閤記」と言うことで、正に、歌舞伎は面白いのである。
小田春永の團蔵は、はまり役だと思うのだが、これまで見ていた悪役専門役者としてのあくどさエゲツナサは、この役に限って、何故か、風格の方が目立って、それ程感じられなくて、むしろ、光秀の松緑の方が、感情移入が激しく、メリハリのはっきりした演技を見せていたように感じた。
9年と12年の秀山祭で、吉右衛門の光秀を2回観ており、(その時の春永は、富十郎と歌六、)凄い芝居を観たと言う印象が残っているのだが、あの微妙な光秀の心の変化や内に秘めた苦悩と慟哭を垣間見せる国宝級の芝居には、松緑には、まだまだ、道遠しであろうか。
私は、春永の嫌がらせで、饗応の場の眉間割や馬盥の盃までは許せるが、貧苦のため客のもてなしに光秀の妻皐月(時蔵)が髪を切って売った黒髪を納めた白木の箱を、光秀に渡して苦しかった過去を満座の前で暴露する卑劣さは、物語であっても、許せないと思っている。それだけに、「愛宕山連歌の場」で、傷心して自宅に帰ってきた光秀が、切り髪の入った白木の箱を、妻の皐月に見せて、屈辱を語りながら、二人して苦しかった昔のことを思い出しながら涙にくれる所などは、しみじみとした光秀の温かさを感じて熱くなる。
暗い芝居で、観ているのが辛いのだが、ラストシーンの小脇に抱えた白木の箱を持ち替えて演じる「箱叩き」から花道の入りになって、私だけであろうが、やっと、ほっとするのである。
最後の「男女道成寺」は、能の「道成寺」からインスピレーションを得て歌舞伎化された歌舞伎舞踊「道成寺」のバリエーションの一つで、白拍子花子(菊之助)と狂言師左近(海老蔵)の華麗な舞台。
やはり、歌舞伎舞踊は、このように溌剌としてエネルギッシュで美しくなければならないと言う典型的な舞台であろう。
美しいバックシーンの前にずらりと勢ぞろいした長唄と常磐津と囃し方の掛け合いの演奏にのって、それこそ、最高に美しい衣装を装った美男美女(?)が華やかに華麗な舞を見せて魅せるのであるから、これは、能にも、文楽にもない、歌舞伎独壇場の「道成寺」であり、菊之助と海老蔵であるから観せてくれる舞台である。
このブログで、観劇について書いたのは、文楽2回と立川流落語会と能の舞台を一回、ウィーン・フォルクスオーパーの「こうもり」だけで、今日の「能楽祭」を含めて一番多いのは能狂言だが、ほかに、歌舞伎へも行っている。
歌舞伎は、恒例の團菊祭で、團十郎家と菊五郎家との合同歌舞伎で、今月は、夜の部しか見ていない。
演目は、見取りで、勢獅子音羽花籠、三人吉三巴白浪、時今也桔梗旗揚、男女道成寺。
團十郎が亡くなってからは、何となく寂しくなってしまって、今回は、吉右衛門が登場したのだが、菊之助の長男寺嶋和史、すなわち、外孫が初お目見えしたので、菊五郎と、「勢獅子」に、チョコっとご祝儀出演しただけで、世代替わりか、後の舞台は、昔の3助、菊之助、海老蔵、松緑など若手主体の歌舞伎公演であった。
三人吉三では、当然の配役で、菊之助のお嬢吉三、海老蔵のお坊吉三、松緑の和尚吉三。
考えられる現在の最高の配役だと思われ、今回は、冒頭の「大川端の場」。
客が落とした百両を持った夜鷹のおとせ(市川右近)から、盗賊のお嬢吉三が金を奪い、おとせを川に突き落とす。そこへ別の盗賊・お坊吉三が現れて金の奪い合いになるが、盗賊の和尚吉三が仲裁して、三人は義兄弟の契りを交わす。
お嬢吉三が、杭に片足を置いて、浪々と流れるように歌う(?)名ぜりふ。
”月も朧に白魚の篝も霞む春の空、冷てえ風も微酔に心持よくうかうかと、浮かれ烏のただ一羽塒へ帰る川端で、・・・”
ここだけは、御大菊五郎の素晴らしい舞台を鮮明に覚えている。
正式には、「三人吉三廓初買」
河竹黙阿弥作の世話物、白浪物、全七幕。3人の盗賊が百両の金と短刀とをめぐる因果応報で刺し違えて死ぬまでを描いた物語だと言うのだが、私など、アウトロー賛美の思いはさらさらないし、盗賊は盗賊であるから、惡の華などと言った意識は全くないので、なかなか、楽しめない演目なのだが、
最近は、難しいことを考えずに、芝居として舞台を楽しめば良いのだと、仰る方がおられて、自分もそう思い始めており、そのつもりで見ている。
「時今也桔梗旗揚」は、悲劇の武将明智光秀の物語で、今回は、二幕目の本能寺の場(馬盥の場)と、三幕目の愛宕山連歌の場で、序幕の饗応の場(眉間割)は省略されていたが、光秀が、信長に徹底的に虐められ恥をかかされて、憤懣やるかたなくなって、信長を討つべく本能寺へ向かうまでの物語である。
史実はともかく、徳川時代の儒教思想による影響か逆賊として扱われていた光秀を、この歌舞伎では、四代目鶴屋南北が、かなり公平に扱って、悲劇の武将としてストーリーを展開しているところが興味深いと思っている。
歌舞伎では、信長でも秀吉でも、史実とは関係なく、虚構として物語として描かれているので、気にすることはないのであろうが、信長の光秀虐めは、常軌を逸した卑劣極まりないものなので、あの厳しい封建時代の世で、どれだけ光秀が屈辱に耐え得るのか、そのあたりを、ある意味では教養もあり文化人としての誇りも高い光秀の苦衷を、如何に演じ切るのかが、光秀役者の力量なのであろう。
この「時今也桔梗旗揚」の後編とも言うべき歌舞伎が、「絵本太閤記」と言うことで、正に、歌舞伎は面白いのである。
小田春永の團蔵は、はまり役だと思うのだが、これまで見ていた悪役専門役者としてのあくどさエゲツナサは、この役に限って、何故か、風格の方が目立って、それ程感じられなくて、むしろ、光秀の松緑の方が、感情移入が激しく、メリハリのはっきりした演技を見せていたように感じた。
9年と12年の秀山祭で、吉右衛門の光秀を2回観ており、(その時の春永は、富十郎と歌六、)凄い芝居を観たと言う印象が残っているのだが、あの微妙な光秀の心の変化や内に秘めた苦悩と慟哭を垣間見せる国宝級の芝居には、松緑には、まだまだ、道遠しであろうか。
私は、春永の嫌がらせで、饗応の場の眉間割や馬盥の盃までは許せるが、貧苦のため客のもてなしに光秀の妻皐月(時蔵)が髪を切って売った黒髪を納めた白木の箱を、光秀に渡して苦しかった過去を満座の前で暴露する卑劣さは、物語であっても、許せないと思っている。それだけに、「愛宕山連歌の場」で、傷心して自宅に帰ってきた光秀が、切り髪の入った白木の箱を、妻の皐月に見せて、屈辱を語りながら、二人して苦しかった昔のことを思い出しながら涙にくれる所などは、しみじみとした光秀の温かさを感じて熱くなる。
暗い芝居で、観ているのが辛いのだが、ラストシーンの小脇に抱えた白木の箱を持ち替えて演じる「箱叩き」から花道の入りになって、私だけであろうが、やっと、ほっとするのである。
最後の「男女道成寺」は、能の「道成寺」からインスピレーションを得て歌舞伎化された歌舞伎舞踊「道成寺」のバリエーションの一つで、白拍子花子(菊之助)と狂言師左近(海老蔵)の華麗な舞台。
やはり、歌舞伎舞踊は、このように溌剌としてエネルギッシュで美しくなければならないと言う典型的な舞台であろう。
美しいバックシーンの前にずらりと勢ぞろいした長唄と常磐津と囃し方の掛け合いの演奏にのって、それこそ、最高に美しい衣装を装った美男美女(?)が華やかに華麗な舞を見せて魅せるのであるから、これは、能にも、文楽にもない、歌舞伎独壇場の「道成寺」であり、菊之助と海老蔵であるから観せてくれる舞台である。