熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

わが庭:カノコユリが咲き乱れる

2014年07月31日 | わが庭の歳時記
   これまでは、カサブランカと言った派手な大輪の「オリエンタル・ハイブリッド」系のユリばかり育てていた感じなのだが、新しい庭には、今、カノコユリが、あっちこっちで花を開いている。
   これまで咲いていたユリは、鉄砲ユリのような形で、上を向くか下を向くかであったが、カノコユリは、開花すると、花弁を、一気に後ろへ巻き上げて、ボール状になる。
   真っ白なすっくと前に伸びた雌蕊を囲んで、先端に濃茶色の花粉を付けた雄蕊が6本ゆらゆら揺れていて、一寸精悍な感じで微笑ましい。

   花弁のピンク色の地に、鹿の子模様の斑点があることから、カノコユリと言う名前がついたようで、鹿の子の部分は、絞りのように小さな突起となっている。
   草丈は、1メートル少しくらいで、茎がかなりか細いので、自然に枝垂れて風情があり、花は、1本の茎の先に多いと10個以上もつくのだが、10センチくらいでかなり小さい。
   

   佐世保市の花とかで、市の広報に、シーボルトが持ち帰ってヨーロッパに伝わったと書かれているのだが、私がオランダで見たのは、どちらかと言えば、カサブランカの様な大輪が多く、カノコユリのような花は、フラワーアレンジメントなど、デコレーションの一部に使われていたような気がしている。
   いずれにしろ、日本のユリが、このオランダで、品種改良されて、カサブランカなどが生まれたのだから、素晴らしいことである。
   
   
   
   

   さて、切り花にして、部屋に取り込むと言うことだが、先日、日本製の陶器の花瓶に生けたのだが、今日は、シンプルなバカラを使って見た。
   カサブランカのように大きな花になると、雄蕊を切り落とすのだが、カノコユリは、小さな中輪なので、そのままにしている。
   
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クレイトン.M.クリステンセン他著「イノベーターのDNA」

2014年07月30日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   原書と並行読みしたので、前述したように、タイトルは「イノベーターのDNA」でレビューする。
   クリステンセンの「イノベーターのジレンマ」を読んで衝撃を受けたので、その後、立て続けに出版された同著者の「The Innovator's Solution」や「Seeing What's Next」などを読んで、破壊的イノベーション(disruptive innovation)の凄まじさを勉強してきた。
   しかし、この本を読むのが遅れてしまって、大分経つので殆ど記憶が薄れてしまい、後先が不明確になるのだが、基本的な考え方は同じで、この本では、
   その破壊的イノベーションを生んだ現代のトップ・イノベーターの思考方式などを徹底的に調査分析して、そのエッセンスである「Tink Different、Act Different」の拠って立つ5つの基本的な発見力を、イノベーターのDNAとして抽出して、卓越したイノベーターが、その破壊的なビジネスアイデアをどのようにして生み出すのか、ジョブズなど多くのケースを紹介して克明に記していて、非常に興味深い。

   冒頭から面白いのは、「ビジネス・ウィーク」の「最もイノベイティブな企業ランキング」に対して、これは、過去の業績を基にした人気投票であって、果たして、高ランクのGE,ソニー、トヨタ、BMWなどは、評判に見合う業績を上げているイノベイティブな企業なのであろうかと疑問を呈して、企業の現在のイノベーション能力と将来のイノベーションへの期待を基に独自の指標「イノベーション・プレミアム・ランキング」を編み出して、世界で最もイノベイティブな企業を選び出していることである。
   自分の財布を使って投票している投資家が、新しい製品、サービス、市場を生み出す可能性が最も高いと信じている企業を選ぶのが当然だと考えて、企業の時価総額のうち、既存の製品、サービス、市場に起因する割合を算出するための手法を開発したのである。

   
   企業の時価総額のうち、既存の製品や事業が既存市場で生み出すキャッシュフローを上回っている企業は、それだけ投資家が企業にプレミアムを与えており、その企業が新しい製品や新しい市場を開発して利益を上げることを企業に期待しているからで、この差額を、イノベーション・プレミアムと称して、その比率の高い企業からランク付けしたのである。
   トップは、セールスフォース・ドットコムで、アマゾンや、アップル、グーグルの高ランクは、変わらなかったのだが、最下位の5社は、サムソン、ソニー、ホンダ、トヨタ、BMWで、二桁のマイナスだったと言う。投資家は、これらの企業が革新的な新製品やサービスを基に成長することを期待していないばかりか、既存事業が縮小するか、収益性が低下すると予想していると言うのだから面白い。
   こう言う視点から、株の評価をしながら、優良銘柄を選定するのも面白いかも知れない。

   さて、アイデアを生み出すカギとなるイノベーターのDNAだが、最も重要なのは関連付け思考と言う認知的スキルで、物事を関連付ける脳内配線が活発に作動していて、イノベーションの触媒となる卓越した質問力、観察力、ネットワーク力、実験力の行動的スキルを頻繁に活用して、イノベイティブなアイデアを生み出すのだと言う。
   このようなDNAを持った筆頭がスティーブ・ジョブズであろうが、このイノベーターのDNAをフル活用しているので、大きなリスクを取りつつも、失敗する確率も低く、イノベーションを生み続け得たと言うことである。

   イノベイティブな企業は、ほぼ、必ず、イノベイティブなリーダーが陣頭指揮を執っていると言う。
   しかし、革新的なアイデアを生み出す関連付け思考などの能力が、知性だけではなく、行動によっても決まるので、誰でも行動を変えることで、創造的な影響力を益々発揮できるのであり、破壊的イノベーションを生み出すのは、チームプレーによってであるから、日本のように、ジョブズの様な秀でた超クリエイティブなイノベーターを生み出す土壌に欠けている国でも、かってのソニーのように、十分に、破壊的イノベーションを創造することが出来ると考えるべきであろう。

   それでは、企業は、破壊的イノベーションを生むために、どのようにしてイノベーション・コードを確立するのかと言うことだが、イノベイティブな組織のDNAは、往々にして、創業者のDNAが組み込まれていると言う。
   組織文化論においても、組織文化が生まれるのは、組織が特定の問題に直面したり、特定の任務の遂行を求められる、組織の草創期で、試行錯誤の後に、その組織の文化として定着するのだと言われており、アップルがスティーブ・ジョブズの、アマゾンがベゾスのDNAによるコーポレート・カルチャを持つのは当然であろう。
   しかし、その維持が問題で、イノベーターは、自分に似た人材を集め、自らもイノベーションに必要なスキルを高めるプロセスを導入し、イノベーションを興しスマート・リスクを取ることを奨励する文化を持つ哲学を育むことが重要だと説いていると言う。
   著者たちは、破壊的組織とチームのDNAを企業文化としてビルトインするために、どうあるべきか、人材、プロセス、哲学に亘って詳細に分析し詳論している。その迫力は、息が詰まるほどの激しさで、企業の日常業務として、取り込むのは大変であろうと思われる。
   例え、取り込み得たとしても、それは、人為的なDNAにしか過ぎない。

   イノベーターのジレンマで提起した最も重要な命題であった、イノベーター故に成長を維持できないジレンマをどう解決するのか、と言う回答の一例かも知れないと思って読むのだが、生き物である企業であるから、連戦連勝の王道などある筈がないと言う思いは何時までも拭い切れない。
   破壊的イノベーターの特徴である五つの発見力を身に着け、イノベーションを起こす勇気を発揮せよ――これが本書のメッセージであり、破壊的イノベーションへ向かってのたゆみない練習が熟達を齎し、熟達が新しい習慣を、そして、新しい能力を生み出すことが出来、はっきりとした違いを生み出せるのだと言うのだが。

   クリステンセンの破壊的イノベーションの考え方は、完全に、シュンペーターの創造的破壊"creative destruction"の企業経営版と言う位置づけだと思うのだが、数多のイノベーション論との違いは、企業の追求すべきイノベーションは、創造的破壊であるべきだと言う一点に的を絞って論じたことであろう。
   したがって、クリステンセンの創造的イノベーションは、完全にブルーオーシャン的イノベーションであって、中途半端な概念は殆どないと思っている。

   さて、結論部分で、ビジネス・イノベーターが、産業の破壊から転じて、貧困、教育、病気と言った世界が直面する最も手強い問題に意識と資源を向けることで、更に、大きな影響を及ぼそうとしていると論じている。
   これまでも、何度も論じているが、マイケル・ポーターの「共通価値の創造」経営の考え方と相通じる概念で、非常に望ましい。
   深刻な社会問題を解決するためには、経済も社会も同時に成長発展すべしと考える「共通価値」の原則に則って、社会のニーズや問題に取り組むことで社会的価値を創造し、その結果、企業も利益を上げて経済価値が創造されると言うアプローチで、
   企業が事業を営む地域社会の経済条件や社会状況を改善しながら、自らの競争力を高めると言う方針とその実行であって、社会の発展と、利益の追及と言う経済発展とを両立させることで、あくまで価値(コストを越えた便益)の原則を用いて、社会と経済双方の発展を実現することを目的とする。
   破壊的イノベーションは、正に、共通価値の創造でなければならないと言うことであろう。
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ビジネスにはT型ないしΠ型人材必須?

2014年07月29日 | イノベーションと経営
   これも、「イノベーターのDNA」でのトピックスだが、
   世界で最もホットなイノベーション・デザイン企業のIDEOのイノベーション・デザイン・チームは、T型の専門知識を持つ人材で構成される機能横断チームだと言う。
   T型とは、深く精通した専門分野(タテ軸)を一つ持ちながら、多くの分野で幅広い知識(ヨコ軸)を持つ人材なのだが、IDEOでは、この専門的なスタッフが、デザイナーやエンジニア―やIT技術者などは勿論のこと、哲学や宗教学、経済学や地政学などあらゆる分野に亘った混成集団であることでも脚光を浴びていて、正に、クリステンセン教授の優等生の様な会社なのである。

   
   もう少し、IDEOについて記すと、デザイン・ファームなので、どのチームにも、デザインに深く精通したメンバーが一人はいるが、同時に、
   「ヒューマン・ファクター」人類学や認知心理学と言った行動科学の素養があり、ユーザーの視点から新製品やサービスの望ましさを判断できる洞察力を具えた人材、
   「テクニカル・ファクター」新製品やサービスに使えそうな幅広い技術について専門知識を提供できる人材、
   「ビジネス・ファクター」革新的な新製品やサービスが、商業的に成り立つかどうかを判断するのに必要な専門知識を提供する人材
    を、配置するよう心掛けていると言う。

 
   IDEOは、幅広い専門分野から優秀な人材を採用し、お互いに補い合う専門知識を持った人材でチームを組んで、問題を多様な観点から眺めて、イノベーションを誘発し、望ましく実現可能な新製品や新サービスを生み出し続けているのである。

   ところが、同じくイノベーターとして最たる企業であるアップルは、一寸、ニュアンスが違う。
   ジョブズの言葉を借りれば、
   「マッキントッシュを画期的商品たらしめたのは、この製品を手がけたのがミュージシャンであり、詩人であり、アーティストであり、動物学者であり、歴史学者であったこと、そして、彼らがたまたま世界最高のコンピュータ・サイエンティストであったことである。」
   「アップルが、iPadのような製品を生み出せるのは、常に、テクノロジーとリベラル・アーツの交わるところに立ち、二つの世界の良いところを組み合わせようとしてきたからである。」と言っていて、ダブル・メイジャー、すなわち、Π(パイ)型人材について語っている。

   私にとって、ジョブズの言葉の中で、最も感動的なものは、やはり、イノベーションにおいても、企業経営においても、重要なのは、テクノロジーとリベラル・アーツの綜合であると言うことで、この哲学は、勿論、ドラッカーの経営学においても、クリステンセンのイノベーション論においても、核心中の核心であって、かくあればこそ、ジョブズが、イノベーターの神様としての生を全うできたのだと思っている。

   さて、Π型人間についてだが、これまでに、何度も議論して来ているので、結論を急ぐことにする。
   このΠ型人材、すなわち、ダブル・メイジャーの人材だが、先のT型人材の説明を引用すると、「深く精通した専門分野を二つ持ちながら、多くの分野で幅広い知識を持つ人材」と言うことになり、これこそは、企業の経営者に最も求められるべき資質であると思っている。
   多くの分野で幅広い知識と言う言葉を、豊かなリベラル・アーツの素養と置き換えられるのであれば、更に、望ましい。

   大学の専攻が、理工学関係であれば、大学院でMBAを取得する、また、大学の専攻が文系であれば、日本では無理かもしれないが、少なくとも、更に、MOTなり理工学系の学位を取得すると言った形で、文系と理工系の異質な二分野の専門分野を持ったΠ型人間を目指すことである。
   欧米や新興国のトップ・リーダーには、このケースのΠ型経営者が結構多い。
   会社法が、どんどん、変わって来ているのだが、法の要求するのは、プロの経営者による企業の経営であって、経営者は、プロでなければならない筈であるから、この程度の知的装備は、絶対に必要であろう。
   専攻が理工であったから、バランスシートが読めないとか、法化社会の由縁さえ理解できなくてコーポレート・ガバナンス意識欠如と言ったことは、絶対に、許されない筈なのである。
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海外経験が多い程イノベーションを生むチャンスが増加

2014年07月28日 | イノベーションと経営
   クリステンセンたちが、「イノベーターのDNA]の中の「発見力―実験力」の項で、
   「イノベーターの試す実験の中で最も効果的なのが、異文化の中で暮らし、働くことだと分かった。海外経験が多ければ多い程、その経験を活かして画期的な製品、プロセス、事業を生み出す可能性が高くなる。海外生活を少なくとも三か月以上経験した人は、革新的な新規事業を立ち上げるか、製品を開発する可能性が、そうでない人と比べて35%も高かった。と書いている。
   また、「CEOが、就任時に一か国でも海外経験をしている企業は、そうでないCEOの企業に比べて、財務成績が良く、時価総額は平均すると7%も高かった。この株価のプレミアムの一部は、CEOが海外経験で培ったイノベーション能力によるものなのだ。」と言っている。

   異文化異文明の遭遇する文化の十字路において、多くの異質な分野の専門的知識や情報、経験のぶつかり合いによって触発される関連付け思考から、クリエイティブな新しい文化文明、そして、イノベーションが生まれると言うのであるから、
   海外経験が、多ければ多い程、認知的スキルを高めることとなり、イノベーションを生むチャンスがアップするのは当然であろう。
   P&GのラフリーCEOが、フランスで歴史を学んだことや、日本での小売や統括事業の経験などの海外経験が、世界で最も古く最もイノベイティブな企業であるP&Gを率いる上で非常に役立ったと紹介している。

   この本でも詳しく書かれているのは、スターバックスの創業者シュルツの経験で、ミラノでエスプレッソにいたく感激して、コーヒー店の着想を得たことだが、これなどは、正に、生活文化に対する発想のギャップを逆手に取ったイノベーションである。
   私が、留学のためにフィラデルフィアに行った頃は、コーヒーを飲もうと思えば、マクドナルドなどのレストランやホテルのコーヒーショップなどで、水のようなアメリカン・コーヒーを飲む以外に方法がなく、美味しいコーヒーを飲みたければ、特別な高級ホテルやレストランに行かなければならなかった。
   日本のようにお茶でもしようかと言った気の利いた文化はなくて、喫茶店のようなものは皆無であったので、アメリカの喫茶文化は、極めて貧弱だったのである。
   ヨーロッパでも、イギリスなどアングロサクソン系の国では、アメリカ同様であった。   喫茶文化の豊かな国は、ラテン系やオーストリアや東欧の国であったので、アメリカ人であるシュルツが、ミラノで、エスプレッソの美味しさとエスプレッソ・バールの雰囲気の素晴らしさに感激し、そして、偶然、巡り合った夢のような味のカフェラテに驚嘆するのは当然であった。
   こんな素晴らしい場を、アメリカに作りたい、紆余曲折を経ながら、益々、豊かさを増しながら、スターバックス文化を世界に発信し続けている。

   このスターバックスの登場で、イギリスでは、紅茶文化の衰退を招き脅威となっていると言うことについては、大分前にこのブログで書いた。
   アメリカに行けばわかるが、街角のあっちこっちにスターバックスの店が、マクドナルドやケンタッキー・フライド・チキン以上に展開されていて、古くからあったアメリカ固有の生活空間のように根付いてしまっているのが面白い。

   日本のドトールコーヒーの創業者は、かってのブラジル移民経験者と聞くが、この最初のシステムは、ブラジルの街角には必ずある止まり木や立ち飲みコーヒーのあるバールと全く同じで、この飲み物だけの日本版としてスタートした筈である。
   もう一つは、イノベーションだと言われている1000円散髪のQBハウスだが、私が、何十年も前にアメリカ留学時に経験していた理髪店のカット・オンリーをシステム化しただけである。アメリカでは、散髪は、段階的に料金が追加されて行くシステムで、カット、髭剃り、シャンプー、ネイルと続くのだが、我々日本人学生は、外人に髭を当たられるのは不安であったので、カットオンリーで止めて、寮に帰って髭を剃り頭を洗った。
   QBハウスが追加したのは、最後の散髪後の毛の吸い取りくらいであろうか。
   スターバックスもそうだが、海外でのビジネスをそっくり真似て本国で事業化すればイノベーションになるのであるから、後は、認知力の涵養と事業化への経営能力如何であろう。

   このように、注意深さと観察眼、それに、起業家精神さえあれば、外国に行けば、いくらでも商売のタネ、イノベーション的発想を生むチャンスは充満している。
   私自身、外国を回っているような生活を続けていたので、この国で、このようなビジネスを始めれば成功するなあ、と思ったことは何度もあるが、やっていたビジネスマン稼業がそれなりに充実していて興味深かった所為もあって、脇目を振れなかった。
   尤も、言うだけで、自分には、起業家としての才がないことは、十分に認識していたと言う事情もあったと言うことでもある。

   なお、大分前に書いたが、トヨタの張富士夫氏やキヤノンの御手洗冨士夫氏、パナソニックの中村邦夫氏については、アメリカでの駐在経験が、大きく、経営改革など経営戦略の構築に貢献したことは明らかであり、商社を筆頭に日本のMNCの多くのトップが海外経験者であること、もっと、明確なのは、グローバルベースのマルチ経営者カルロス・ゴーンCEOのケースを考えれば、前述したクリステンセンたちの主張の正しさが分かろうと言うものである。

   世界に冠たるトヨタ生産方式(Toyota Production System)については、大野耐一氏が、「じつはかんばん方式は米国のスーパーマーケットからヒントを得たのである。」と言っていたのは有名な話で、とにかく、無理をしてでも、異文化異文明の錯綜する外国へ飛び出して、カルチュア・ショックの洗礼を受けることは、成長の源だと言うことでもある。
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何故日本ではイノベーターが生まれ難いのか

2014年07月27日 | イノベーションと経営
   クレイトン・クリステンセンの「イノベーターのDNA★]を読んでいて、日本のような社会では、イノベーターが、中々生まれないと指摘している個所があり、なるほど、と興味を感じた。
   ここでの論点は、イノベーションを生みだす創造的能力は、遺伝的なものか、後天的なものかと言うことで、創造的能力が生まれながらに授かった遺伝的素質であるだけではなく、伸ばす能力でもあるとする先行研究は多く存在するのだが、果たして、どちらがより重要かと言うことである。
   
   結論は、イノベーションに必要な能力のほぼ三分の二が、学習を通じて習得できる。まず、能力について理解し、練習を積めば、やがて、自分の想像力に自信を持てるようになる。
   卓越したイノベーターを調査したところ、自分がその能力を身に付けられたのは、手本となる人たちが、安心して、また、楽しみながら新しいやり方を発見できる環境を整えてくれたおかげだと、口を揃えて言っている。と言うことである。

   このことは、日本や中国、韓国、多くのアラブ諸国など、個人より社会を、実力より年功を重視する国で育った人が、柔軟な発想で現状を打破してイノベーションを生み出す(又ノーベル賞を受賞する)ことが少ない理由を部分的に説明する。と結論付けるのである。

   政治経済社会体制が、全体主義的社会主義的である国家よりも、自由主義的な国家の方が、創造性豊かな発想が出来そうだと言うことは良く分かる。
   そして、日本は、かなり、自由な民主主義国家であり、経済制度そのものも、自由市場経済であるので、自由な国家だと思えるのだが、昔から言われているように、欧米の先進国と比べてみれば、かなり、管理社会と言うか社会主義に近い体制を具えた国家であることは、明らかであろうし、「個人より社会を、実力より年功を重視する国」であることには間違いない。

   この本で、クリステンセンが強調するのは、
   イノベーターは、「関連付けの思考」と呼ぶ認知的スキルをふんだんに駆使する、すなわち、斬新な発想でものを考え、一見無関係に見える疑問や問題、アイデアを結びつけて、脳が新しいインプットを様々なカタチで組み合わせて、新しい方向性を見出してイノベーションを生み出す。
   画期的な飛躍的前進は、多様な領域や分野が交わるところで見られることが多く、フランス・ヨハンソンの説く「メディチ現象」の出現が必須である。
   ルネサンス期のメディチ家が、彫刻家から科学者、詩人、哲学者、画家、建築家まで、幅広い分野の人材をフィレンツェに呼び集めて文化文明の十字路を形成し、創造的な爆発を現出した。多方面の専門分野が交わるところで新しいアイデアを生み出し、世界史上最も革新的な時代、ルネサンスを生み出した。あの「関連付けの思考」こそが、イノベーションを生む最も重要な要因だと言うことである。
   この本で、革新的なビジネス・アイデアを生み出すためには、革新的なインプットを組み合わせる認知的スキルを育むことが必須だが、その為に、卓越した行動的スキルを如何に涵養すべきかを、「質問力」「観察力」「ネットワーク力」「実験力」の4項目に亘って克明に説明しているのだが、日本の教育なり実際のビジネスの世界から如何に遠い世界かを実感させられる。

   さて、このブログでも、日本の教育制度が、如何に、子供たちの創造性を育む教育から程遠いかを、何度も論じて来ているので、蛇足は避けるが、まず、有能な子供の成長を阻害する最たるものは飛び級制度がないことで、その上に、秀でた特別な才能を圧殺するような、互換性の利くオールラウンドなスペアパーツばかりを造ろうとしていることであろう。
   例えば、英数国の教科で、英語が悪ければ英語の家庭教師をつけて英語の成績を数国並みに上げると言った手法を取り、この英数国の成績を均等に上げようとする考え方の中には、数学の天才は育ち得ない。
   リベラル・アーツ軽視教育にも問題があろう。

   イノベーションが、日本にとっても、日本企業にとっても、必要なことだとするならば、根本的に日本人の思考なり、政治経済社会制度の在り方を考えなければならないのではないかと思っている。

★この本は、「The Innovator's DNA」。しかし、翻訳本は、「イノベーションのDNA」。
 また、「The Innovator's Dilemma」も、翻訳本は、「イノベーションのジレンマ」。
 両方とも、著者の意に反して、イノベーターをよりポピュラーなイノベーションと言う言葉 に変えたばかりに、大きな誤謬を生じている。
    例えば、イノベーターのソニーのジレンマであり、ソニーのDNAであって、ソニーのウォークマン(イノベーション)のジレンマでも、DNAでも全くない。
    ソニーと言うイノベーターが、どのようなDNAを持っており、イノベーターであるが故に、ソニーはどのようなジレンマに遭遇しているのかと言う認識がなければ、クリステンセンは読めない。
    もっとひどいのは、Richard S. Tedlow 「 Denial: Why Business Leaders Fail to Look Facts in the Face---and What to Do About It」が、「なぜリーダーは「失敗」を認められないのか―現実に向き合うための8の教訓 」となっていることで、著者の真意は、「なぜビジネス・リーダーは、眼前の事実を見誤るのか」と言うことで、迫り来る眼前の事実・現実・真実を見抜けなかった、見誤ったが故に失敗すると言うことであって、本を読めば分かるが、翻訳本のタイトルとは全くニュアンスが違う。
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ラタン・タタ・・・タタ・ナノを語る

2014年07月26日 | イノベーションと経営
   日経の「私の履歴書」で、ラタン・タタが、今日の朝刊で、”ナノ 「庶民に車を」世界最安 業界から「安全軽視」の批判”と言うタイトルで、革新的な小型乗用車「タタ・ナノ」の開発について語っている。
   この話は、色々な形で語られていて、経営学上でも、非常に突出したエポックメイキングな出来事で、イノベーションの一つの重要なマイルストーンをも形成している。

   ポイントは、このタタ・ナノは、これまでの乗用車の延長線上の持続的イノベーションではなく、破壊的イノベーション、言うならば、トヨタがかって米国で仕掛けて浮上したようなローエンド・イノベーションであると言うことである。
   ラタンも書いているように、想定価格10万ルピー(17万円)の世界最安値の車を発表した時に、業界関係の多くも安全性などに懐疑的で、インドでトップシェアを握るスズキの鈴木修会長からも厳しく指摘されたと言う。

   鈴木会長がどのような発言をしたのか知らないが、「10万ルピーの車は非現実的」だと言われたとして、ラタンは、立腹したようだが、私には、この両者の頭のギャップが非常に興味深い。
   鈴木会長の頭には、恐らく、現状の自動車と言う概念しかなくて、あらゆる意味から、小型車については、最新の科学技術を総動員してコストカットに邁進して来ているので、それ以上の合理化や生産性のアップなどは容易には有り得ないと言う、持続的イノベーションの考え方しかなかったのではないかと思う。
   しかし、ラタンの頭には、ジュガードなどのインド人独特の精神が脈打っていて、全く新しい革新的な自動車である破壊的イノベーションの発想が渦巻いていたのである。

   これからは、新興国市場でのイノベーションの特異性、特に、リバースイノベーションなどを含めて、最近、遅れている筈の新興国などBOPマーケットにおけるイノベーションの新しい胎動を展望しながら、議論を進めていく。
   このタタ・ナノの誕生には、ウォートンのジテンドラ・シン教授などの著作「インド・ウェイ 飛躍の経営」で説かれているインド経営の四つの原則の内の「ジュガードの精神 即興力と適応力」に秘密がある。
   与えられた極めて限られた劣悪な環境下であっても、「普通」から「最高」のレベルまで、試行錯誤を繰り返して、柔軟性と復元力をフルに活用して、顧客満足を第一に、最も望ましい結果を追求して適応しようとするインド気質である。

   とにかく、ナイナイづくしの貧しいインドで、価値あるものを生み出すブルーオーシャン市場を開拓する以外に生きて行く方法がないのであるから、その環境なり条件下で、考えに考え抜き工夫に工夫を重ねて、顧客の求める財やサービスを生み出そうとする。
   インド人特有の適応力、柔軟性、復元力が、インド人の創造性を喚起して、イノベーションを生み出す原動力になっているのである。

   一例だが、ジャイプル・フットと言う義足は、インド人であるから、地面に直接座って仕事をし、泥道を走り回ったり木登りも出来る義足で、それも、アメリカの合金製の8000ドルに対してプラスチック製の30ドルの義足で、貧しい人には無償で支給しても商売になっている。
   もっと驚くべきは、アラビンド・アイ・ホスピタルの白内障手術で、アメリカでは、75,000から150,000ドルかかる手術を、この病院では、3,000ドルで実施しており、かつ、貧しい3分の1の患者は無料で手術をしても病院は十分に利益を上げている。同じ最高峰の機器や資財を使って手術するのに、何故、これ程安く手術が出来るのか、フォードが1世紀前に実施した大量生産方式とトヨタのリーン生産方式を活用した結果だが、世界最高峰の眼科病院で、ハーバード大学の医学生が押しかけていると言うのだから驚く。

   従って、たった2,000ドルの自動車タタ・ナノを生み出すためには、マインドをリセットして、ゼロから発想しないと生み出せないイノベーションであって、不可能を可能にする挑戦ではあったが、成功しない訳がなく、このようなブレイクスルーを実現しながら新興国発のMNCが、成長を遂げつつあり、タタ・グループは、正に、その雄である。

   インド・ウェイの一つの特質である、誰も注目しないところに創造的な優位性を見つけ出す国家的なビジネスリーダーとしての能力を具えたラタン・タタあればこそ、タタ・ナノが生まれたのであって、
   アメリカの自動車メーカーと反対の方向に動いて、不可能と思われるような低価格帯でナノを速やかに売り出すために、自動車の概念を根本的に見直して、徹底的にデザインを創意工夫した。
   ガンジー的工学原則と言う「徹底した倹約と既存の知恵に挑戦する意欲」に基づく全く新しいデザインを工夫するとともに、組み立てと流通用のコンポーネントキットが地場産業に一緒に販売されて、地元の修理工場などの技師が車を組み立てる際のツールを提供するオープン・ディストリビューション・システムを採用して最廉価の車を生み出したのである。
   正に、エジソンが電球を発明して、発電所から送電体制等一切のシステムを構築してガス灯を駆逐した時のように、キット組立式の新しい自動車を生み出して、生産から流通、修理やメインテナンスシステムまで、インド流に構築してしまったのである。

   これこそが、新興市場のロー・エンドが持つ巨大な潜在力を活性化して革新的ビジネス・モデルを開発することが、如何に重要かを説いたBOPのプラハラード説に対する恰好の応えであろうと思う。
   プラハラード亡き後、リバース・イノベーション論のゴヴィンダラジャンが新興国など途上国で胎動しているイノベーションの重要性を説き続けている。
   先に述べたように、鈴木会長の対応のように、インド発のリバース・イノベーションは、日本の製造業の経営者や技術者の発想や思想の埒外にあり、到底、現在の日本企業の新興国をターゲットにした経営戦略では、頭を根本から切り替えない限り、対抗不可能と言うことである。
   
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庭に咲く花を生けて楽しむ

2014年07月25日 | 生活随想・趣味
   何時頃かは忘れたが、庭に咲く花を、適当な容器に生けて部屋の中に飾る(?)習慣がついているように思う。
   お客さんがある時などには、当然、花瓶などに花を生けるのだが、随分、長い間、外の花屋などで、花を買ってきたような記憶は、仏前などの花以外は、全くない。
   庭に、何かの花が咲いていて、その花を切り花にして、花瓶などに挿せばよいからである。

   
   この写真は、庭に咲いていた返り咲きのばらの、一寸咲き切った花を剪定のつもりで切って挿したものだが、結構華やかであり、部屋を明るくしてくれる。
   挿したのは、花瓶ではなく、オランダのデルフト焼の水差しで、泊まっていたホテルで30年以上も前に買ったもので、その後、探しても見つからなかったので、この作者限りであったのであろう。
   花を生けるのは、あっちこっちで買い求めた花瓶を使うのが普通だが、気分によっては、ヘレンドのカップや、茶道用の茶碗、ボヘミアン・ガラスの容器など、適当に食器棚や飾り棚から取り出して使っており、結構様になる。
   バックにあるのは、リヤドロの人形とローゼンタールの花瓶で、本当は、茶花などに興味があるのだが、部屋そのものが洋風なので、どうしても風流に欠けるのも仕方がないと思っている。

   花が、沢山、庭に咲き乱れる時には、増田兄に頂いた大きな陶器の花瓶を使い、花にそれなりの面白さがあれば、有田焼や萩焼や備前焼などの花瓶を使い、背丈の長いすっきりとした花の時には、長首のデルフトを、そして、一輪だけで存在感を示すバラにはバカラと言った調子で、私なりに、思入れもあるのだが、適当な容器に生けた花のアンバランスなミスマッチが、面白い雰囲気を醸し出してくれることもあり、結構、私自身の美意識が問われることとなって面白い。

   いずれにしろ、庭に色々な花木や草花を植えて育てていると、替りばんこに綺麗な花を咲かせてくれて、手招きをしてくれている感じで、花との対話が結構楽しいのである。
   不思議なもので、季節によって、花の姿や形が、どんどん変わって行くのだが、何時も、何かの花が咲いており、万一、花がない時には、葉や枝ぶりなどが面白いものを使って生けるので、部屋の中は、途切れることなく、自然の恵みを見せてくれている。

   最初は、綺麗な花を摘んだり切ったりするのが、何となく、可哀そうで忍びなかったのだが、大概の花木や草花は、切ればその後に綺麗な花が咲き、ばらなどもそうだが、切らなければ、むしろ、その植物の生育上悪いのだと分かってからは、その花の一番綺麗な時に、鑑賞させて貰って、花に感謝しようと思うようになった。

   ところで、千利休は、朝顔一輪だけで、秀吉を茶室に迎えたようだが、私には、そんな芸はないので、朝顔は、庭オンリーである。
   たった一日だけの命だが、毎朝、次から次に、新しい花が咲くのが面白い。
   
   
   
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映画「忠臣蔵」1958年を見て

2014年07月24日 | 映画
   先日、NHK BSで放映され録画して居た大映映画「忠臣蔵」1958年を見て、懐かしくなった。
   映画やテレビ、それに、歌舞伎や文楽などで、随分、忠臣蔵ないしその関係の作品を見て来たのだが、私の「忠臣蔵」は、やはり、当時、この映画をはじめ、東映、松竹、東宝などが競って立て続けに製作していた「忠臣蔵」映画を通じて形成されたように思う。

   1964年に、NHK大河ドラマで放映された「赤穂浪士」でも、映画と同じ、大石内蔵助が長谷川一夫、吉良上野介が滝沢修であったので、私には、特に、この大映の「忠臣蔵」が、印象に残っている。
   「忠臣蔵」には、無数の逸話が残っているのだが、3時間のこの映画には、我々が良く知っている話などでもかなり省略されているのも仕方がないであろう。
   この映画は、
   監督・脚本: 渡辺邦男 脚本: 八尋不二/民門敏雄/村松正温 撮影: 渡辺孝 音楽: 斎藤一郎 出演: 長谷川一夫/京マチ子/三益愛子/市川雷蔵/若尾文子/中村玉緒/勝新太郎/山本富士子/中村鴈治郎/鶴田浩二/淡島千景/滝沢修/菅原謙二/川口浩 と言う素晴らしい陣容。

   面白いのは、二代目中村鴈治郎が垣見五郎兵衛として登場するシーンで、長谷川一夫も、多くの映画で名優ぶりを発揮していた鴈治郎と、実に呼吸の合った感動的な芝居を見せていて、特に、この場面は感動的である。
   仇討ちのために天野屋が調達した武器を江戸へ運ぶのだが、天下法度で関所の通過は不可能であるために、日野家の名代で垣見五郎兵衛が禁裏御用のために輸送係として京都から江戸へ下るのを知って、垣見の名を名乗っての道中である。
   運悪く神奈川宿で、本物の垣見の道中がやって来て、宿の「垣見五郎兵衛御宿」という看板を発見し、本物の五郎兵衛が仰天して大石の部屋に踏み込む。
   「我こそが垣見五郎兵衛」と譲らない大石に、垣見は、それなら道中手形を見せろと迫る。切羽詰った大石は、懐から、殿の短刀(九寸五分)を見せる。
   じっと凝視していた垣見は、大石の真意を察して、自分の方が偽物だと詫びて、偽造したと言って道中手形を大石に渡して、何食わぬ顔で席を立つ。
   落ちぶれて知る情の温かさに感激するも、襖の外では決死の覚悟でかたずを飲んで聞き耳を立てている部下たちが対峙しているので、「武士は相身互い。よくよくのご事情があってのこととお察し申す」と応えるのが精一杯、部屋を出た垣見に向かって、大石は、座布団から席を外して深々と頭を下げる。

   長谷川一夫だが、1916年に、初代中村鴈治郎の門下に加わり、林長丸の芸名を与えられ、女形として人気を博したとウィキペディアに書いてあるので、二代目鴈治郎とは兄弟弟子であり、また、最初の妻は、その妹だと言うのであるから、呼吸の合うのは当然であろう。
   当時は、歌舞伎と映画が一体になっていたようで、非常に興味深い。
   この話は、仮名手本忠臣蔵にはなく映画や芝居だけである。

   この映画では、吉良邸の絵図面が重要な役割を果たしていて、まず、最初に、浅野に好意を示す目付多門伝八郎(黒川弥太郎)から、吉良の本所への屋敷替えを前にして、移転先の松平信望旧宅の絵図面を、岡野金右衛門(鶴田浩二)が受け取ってスタディし、かつ、門前に商家を構えることに成功する。
   そして、その次が感動的な場面で、同じく岡野が、吉良邸の改築を行った大工・政五郎(見明凡太朗)の娘・お鈴(若尾文子)から、絵図面を受け取る。
   吉良在宅14日の報を得て、切羽詰った岡野が、絵図面を欲しいとお鈴を口説くお馴染みのシーンだが、その後の絵図面を盗み出そうとして見つかる父娘の会話や、築地塀越しの岡野と政五郎の掛け合いなど、非常にシンプルながら洗練されていて感動的であった。

   この芝居では、岡野の鶴田が中々渋い演技をしていて、本来は現代劇の二枚目役が多かった鶴田の時代劇だが、良い味を出していた。
   それに、善玉として颯爽として美丈夫な多門の黒川が、清々しくて良い。
   何と言っても素晴らしい役者は、浅野内匠頭を演じた市川雷蔵で、看板役者の面目躍如、映画の方も、殺伐とした切腹シーンはなくて、白衣の内匠頭からカメラを一気に引いて桜花の蔭にぼかして場面転換を図るなど、同じ娯楽映画でも、くどいところがなくて感動シーンを紡ぎ出すところなど、中々、興味深い演出である。

   さて、悪玉の筆頭は、吉良上野介の滝沢修で、憎々しくて卑劣極まりないと腹を立てて見ていたのだが、役者としては、実に上手いと言うことであろうか。
   そして、千坂兵部の小沢栄太郎の策士としての老獪さも、見逃せない。

   もう一つ、この映画で見逃せないのは、女性陣の豪華さ華やかさである。
   女間者・おるい:京マチ子、大工の娘・お鈴:若尾文子、瑤泉院:山本富士子、りく:淡島千景、浮橋太夫:木暮実千代、戸田局:三益愛子、大石の母・おたか:東山千栄子
   この映画の創作だろうか、千坂から放たれる女間者・おるいの京マチ子が、実に美しくて魅力的であり、大石に恋をするところなど中々興味深く、14日吉良が在宅だと言うことを知らせる役どころだと言うのも面白い。
   やはり、山本富士子は、当然、瑤泉院であろうか。原節子とは一寸違った、日本人としての典型的な美女で、あの頃、主演映画を良く見に出かけた。
   お鈴の若尾文子だが、京や山本とならぶ看板女優で、最初は「十代の性典」イメージだったが、地で行きながら雰囲気を出して素晴らしい芸を見せるところが、魅力的。夫の黒川紀章のロンドンでの展示会で、会場に来ていた文子夫人と暫く立ち話をした。
   寅さんのマドンナを見てもそう思うのだが、この映画を見ていて、女優のイメージも随分変わったものだと思っている。

   映画には、ストーリーにバリエーションが結構あって面白いのだが、歌舞伎や文楽は、やはり、仮名手本忠臣蔵が基本なので、芸で見せる良さがあって、興味深く、また、真山青果の元禄忠臣蔵のモダンで緻密な現代劇を見られるのも素晴らしい。
   いずれにしろ、今のように娯楽に溢れた社会ではなかったので、映画製作に非常に熱が入った時代であったから、映画も良く出来ていた。

   また、忠臣蔵については、私自身が、関西人で、同じ兵庫県の西宮生まれなので、赤穂浪士の討入り物語を知ってからは、ずっと、ファンだったので、多少、思い入れが違うのかも知れないと思うことがある。
   
   
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富裕国の貧困層か貧困国の富裕層か

2014年07月22日 | 政治・経済・社会
   先日、ダニ・ロドリックの「グローバリゼーション・パラドックス」をブック・レビューしたが、この本で、興味深い論点が展開されていて、同じく先に論じた「老後の海外移住は幸せなのであろうか」とも非常に関係があって面白いので、考えてみたいと思う。
   それは、ロドリック教授が、ハーバードの授業で、学生に「あなたは貧困国の富裕層になりたいですか? それとも、富裕国の貧困層になりたいですか?」と質問して、その答えに面白いバイアスがかかっていると言うことである。

   まず、定義だが、豊かな人とは、所得分配上国内の上位10%に入っている所得層で、貧しい人とは、下位10%の所得層に入っている人である。
   そして、富裕国とは、総ての国を一人あたりの平均所得でランク付けした時に上位10%に入る国で、貧困国は、そのリストの下位10位に入る国である。

   学生たちは、途上国の富裕層が、運転する派手な高級外車や、その人たちの住んでいる大邸宅を見て知っているので、大半の学生は躊躇することなく、貧困国の富裕層に成りたいと返答する。
   しかし、これは間違った答えで、正しいのは、「富裕国の貧困層」であって、これには疑問の余地がないと言うのである。

   教授の持つ経済指標によると、富裕国の貧困層の平均所得は、貧困国の富裕層の平均所得の3倍以上であり、乳幼児死亡率など幸福に関するその他の点についても同様である。
   何故、学生たちが錯覚したのか、それは、BMWを乗り回したり豪邸に住んでいるのは超富裕層で、貧困国の総人口の0.01%にも満たないのではないかと言うことで、上位10%まで対象範囲を広げると、その所得水準は、富裕国の貧困層の大半が稼ぐ所得と比べても、僅かになってしまうのである。
   

   ここで重要なことは、今日のグローバル経済においては、所得格差も健康やその他の幸福に関する指標においても、国内よりも国家間の方がはるかに大きいことを示唆していると言うことである。
   産業革命が始まった頃には、富裕国と貧困国の所得格差は、2対1くらいであったのが、今や、20対1、最も豊かな国と貧しい国では、80対1にまで拡大している。
   富裕国と貧困国との溝は、前例にない深さにまで確実に広がっており、ラント・ブリッチェットによると、グローバル経済は、「大分岐」を経験したのだと言うことである。

   このグローバリゼーションのジレンマと言うかパラドックスについては、ロドリックは、この本で詳細に論じているのだが、本稿の論点と外れるので、これ以上触れない。
   問題にしたいのは、先の「老後の海外移住は幸せなのであろうか」と言う論点との絡みで、「年金だけでも優雅に暮らせる老後の海外移住」と言う甘い言葉に乗って「海外経験なし! 老後に日本を脱出しても大丈夫か」と言った気持ちで、移住することが良いのかどうかと言うことを、もう一度考えてみようと言うことである。

   ”移住先として人気があるのは、タイ、マレーシアといった東南アジアの国々。生活費目安は月10万円ほどで、一般市民は5万円ほどの月収で暮らしている。・・・アジア並みに物価が安いのは中南米諸国、それ以外では北アフリカのモロッコ・・・”と言うことだったら、生活費が安いので、「年金だけでも優雅に暮らせる老後の海外移住」が出来ると説得されると、普通の人は、それでは、倍の20万円くらいは生活費にまわせるので、御の字だと考えてしまう。
   この移住先として考えられている国は、ある程度の発展段階に達した新興国と言うことになるので、ロドリックの言う最貧国の理論は成り立たないのだが、いずれにしろ、年金生活者の日本の老年夫婦は、移住すれば、現地の人びとよりもかなり裕福な生活が出来て、日本で生活するよりも、経済的には生活が安定するだろうと考えてしまう。

   ところが、現実には、何処の国に移住しても、新興国では庶民の大半は貧しくて、その国でかなり豊かな上流生活をしようと思えば、ロドリックの説くように、国民の0.0数%と言った超富裕層でないとダメであろうと言うことである。
   まして、日本より発展段階でも経済的にも劣った新興国で、安心安全で幸福度が高く何の心配もない日本での生活程度や生活水準を期待して生活しようと思えば、遥かにコストがかかることは必定で、それさえも殆ど期待出来ないかも知れないのである。
   尤も、購買力平価で考えると、名目GDP表示よりも大分高くなって、経済的には好転するのだが、私が問題にしたいのは、生活の利便性など幸福度の著しい落差で、まず、この失望度が大きいであろうと言うことである。

   私自身は、「年金だけでも優雅に暮らせる老後の海外移住」などと言って「海外経験なし! 老後に日本を脱出しても大丈夫か」などと考えるのは、愚の骨頂だと思っているので、
   住み慣れた故郷で生活することが一番幸せなことであり、海外に行きたければ、故郷を基地にして、旅行するなり、短期滞在を行えばよいことで、安心安全をベースとした心の故郷とも言うべき日本の住居を大切にして、老後の生活設計を立てるべきだと思っている。
   

   さて、新興国の経済発展だが、移住先として有望だと鳴り物入りで喧伝されているタイやマレーシア、それに、BRIC'sの雄中国でさえ、中所得国の罠に陥って、経済成長が頓挫する心配さえ論じられており、現在、隆盛で魅力的であっても、一寸先は闇で見通しがつかない筈である。
   その上に、穏やかだったタイが、暴動やデモで荒れに荒れ、マレーシアが2回の不可解な飛行機事故で海外からの旅行者が激減しており、中国の対日政策の異常などを考えても、いずれもカントリー・リスクが高く、安易な気持ちで、海外経験もなくカルチュア・ショックの洗礼も受けたことない年金だよりの老年が、喜んで移住すべきところであろうか、と考えざるを得ないのである。
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観世能楽堂:納涼祭「土蜘蛛」ほか

2014年07月21日 | 能・狂言
   私が通っているのは、殆ど、国立能楽堂なのだが、能楽協会の公演では、宝生能楽堂や観世能楽堂で行われることがあって、今回の納涼祭能は、観世能楽堂であった。
   国立能楽堂では、字幕ディスプレィがあるので、詞章を追いながらかなり理解が進むのだが、観世能楽堂にはないので、国立能楽堂のプログラムを持って行って、時々、詞章を見ることにした。

   これまで、国立能楽堂主催の公演では、「高砂」は3回、「土蜘蛛」は2回観ているので、都合5冊、能楽堂への道中、解説なども含めて読んで復習をした。
   シェイクスピア戯曲の場合にもそうだが、事前にシナリオを読んだりストーリーを勉強して行くのだが、いざ、会場で観劇の段になると、すっきりとは頭に入っていないので、困ることになる。
   今回の「土蜘蛛」は、派手なアクションが伴っていて物語性が高い上に、会話形式の詞章が多いので分かり良いのだが、「高砂」は、もう、5回くらいは観ている筈ながら、中々、舞台を観ているだけでは、いまだに、謡が良く聴き取れなかったりして、すっきりとは舞台に馴染めないのである。

   「土蜘蛛」だが、最初に観たのは、2年前の式能で、喜多流の「土蜘蛛」でシテは中村邦生であったが殆ど覚えていないのだが、昨年、国立能楽堂開場30周年記念で行われた金剛流の「土蜘蛛」シテ/金剛永謹は、かなりよく覚えている。
   「千筋之伝」「ささがに」の小書きがついた公演で、この「千筋之伝」は、金剛唯一がこの華やかな小書きを工夫したようだが、今では、何処の流派も真似ているので、金剛流では、より多くの糸を投げて華やかさを増しているのだと言う。

   何よりも興味深かったのは、「ささがに」のアイ狂言で、茂山千五郎と七五三が、蟹の精となって登場し、頼光館の事件を語るのは同じなのだが、舞台狭しと愛嬌のある掛け合いを演じながら、蜘蛛退治に出かけて行く。

   さて、今回の「土蜘蛛」は、観世流で、シテ(前シテ/僧、後シテ/土蜘蛛の精)は銕之丞、ワキ/独武者は、福王和幸で、「入違之伝」の小書きがついている。
   この小書きも金剛流では、「形は消えて失せにけり」で、シテが退場する時に、舞台から橋掛リの欄干を握って橋掛リを宙返りをするようだが、観世流のこの舞台では、いったん後見座にクツロぎ、橋掛リに出て走り出たワキと行き違ってから、三の松で振り向いて糸を投げ、揚幕に駆け込むのである。

   
   この土蜘蛛で、特異なのは、蜘蛛の糸。
   前シテの僧が、まず、頼光に向けて左右二筋の糸を投げつけ、更に、刀を構えて立ち上がった頼光に向かってまた二筋投げつけ、更に、後シテの蜘蛛の精が、激しい決闘の最中に、独武者と従者に向かって何度も糸を投げつけるので、狭い舞台は、正に、蜘蛛の巣状態で、凄まじい修羅場を呈する。
   歌舞伎の舞台では、後見が出て来て、必死に糸を丸めて始末するので舞台は綺麗になるのだが、能の場合には、舞台の進行上、役者が払いのけたりはするものの、流れに任せたままで、見所にも飛んで来るし、その惨状が舞台効果を高めて面白い。

   さて、前シテは、直面で、銕之丞の精悍な整った顔が素晴らしいのだが、後シテ土蜘蛛の精は、面、顰、赤頭、法被、半切、打杖の鬼神仕立。と能を読むに書いてあるのだが、確か、面は黒かったので、黒頭だったかもしれないのだが、残念ながら、記憶にない。
   金襴を施した広袖の上衣・法被に、同じく金襴の半切と言う袴を着用した鬼神スタイルの銕之丞の蜘蛛の精が、3人の荒武者を相手にして、糸をまき散らしながら、舞台狭しと暴れ回るのであるから、凄い迫力である。
   最後には、作り物の塚に向かって仁王立ちになり、左右に、パッと勢いよく糸を投げつけたかと思うと、見所をバックにして壮絶な仏倒しで、背中から倒れて大の字で留める豪快さを見せる。
   銕之丞のがっしりとしたいぶし銀の様な野武士スタイルの豪快な土蜘蛛の精と、スマートな若武者姿の福生和幸の流れるような立ち回りが、実に感動的であった。
   尤も、この蜘蛛が、妖怪として朝廷に靡かない被征服民の象徴として登場し、勝てば官軍負ければ賊軍で、為政者の立場からの英雄譚だと言うことが、一寸、素直に喜べないのが気にはなっている。

   前場で、凛々しい病床の源頼光を舞ったのは、山階彌右衛門で、去年の夏の国立能楽堂の舞台では、シテであった。中々、風格のある頼光で素晴らしかった。
   ツレ/胡蝶は馬野正基で、能では、歌舞伎とは違って、一寸意味深の役柄のようだが、唯一の女性役で、存在感があった。
   またこの舞台のアイ(三宅近成)は、先のささがにとは違って、ワキ/独武者の従者として登場するのだが、大体、普通はこの形式のようである。
   当然のこと、囃子や地謡の素晴らしさは特筆ものなのであろうが、私の語れる世界ではないので、楽しませて頂いたと感謝の気持ちである。

   
   能「高砂」は、喜多流で、シテは粟屋能夫、ツレは殿田謙吉。
   私には、何回観ても、難しい能である。

   狂言は、「棒縛」で、大蔵流宗家大蔵彌太郎家の出演で、シテ次郎冠者が千太郎、アド主人が彌太郎、アド太郎冠者が基誠、非常に面白かった。

   ところで、能楽協会の主催公演なので、この舞台には、5流すべての登場で、仕舞では、夫々の宗家の登場となり、凄い舞台が展開された。
   「屋島」は、宝生流 宝生和英宗家
   「松風」は、金剛流 金剛永謹宗家
   「網ノ段」は、金春流 金春安明宗家

   素晴らしい納涼祭の能舞台であった。
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トマト・プランター栽培記録2014(15)トマトの収穫最盛期

2014年07月20日 | トマト・プランター栽培記録2014
   大玉トマトもイタリアン・トマトも、今最盛期で、毎朝、結構、沢山収穫出来ており、味覚を楽しんでいる。
   トマトは、結構、体に良いことは知られており、適当に食べていると、血糖値など血液検査の数値が、面白い程良くなるので、助かっている。
   イタリアン・トマトと大玉トマトは、かなり、ボリューム感があって、そのまま、食べても良いが、料理に使うと、結構美味で面白い。
   
   

   イタリアン・トマトを含めて、大玉トマトは、プロならうまく育てられるのであろうが、素人が育てると、大小かなり大きさにばらつきがあって、安定感に掛ける。
   ところが、中玉やミニ・トマトになると、ほぼ、果房にまとまって鈴なりになるので、誰でも楽しめるので、育てるのには面白いし、失敗がないのが良い。
   ぼつぼつ、下段のトマトは収穫済みなので、今は、第3果房くらいが、収穫の中心になっている。
   木の勢いを維持しながら、上の方の実を充実させるために、追加の施肥が必要なのだが、最近は、結構乾燥が激しくて、毎日意識して水遣りをしないと、枯れそうになって萎れてしまう。
   6月に入って植えた苗の成長が思わしくないので、やはり、トマトは、4月か5月に植え始めた方が良さそうである。
   
   
   
      
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相曽賢一朗:ベートーヴェンの「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調」

2014年07月19日 | クラシック音楽・オペラ
    昨夜、東京芸術劇場で、_Nippon Symphony のコンサートが開催され、相曽賢一朗が、ベートーヴェンの「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調」を演奏した。
   
   私は、相曽が、フル・オーケストラをバックにして、ヴァイオリン協奏曲などのソロを演奏するのを聴いたことがないし、まして、私が学生の頃から、そして、欧米で何度かコンサートで聴いて感激し続けてきたベートーヴェンの協奏曲であるから、正直なところ、これを聴くために会場に出かけた。

   このヴァイオリン協奏曲は、中期の絶頂期であった交響曲第5番の「運命」などと同時期に作曲された曲ながら、豪快でエネルギッシュな曲と言うよりは、交響曲第4番やピアノ協奏曲第4番に似た叙情的で流れるように詩情豊かに歌い上げた大らかな雰囲気を持っていて、3大ヴァイオリン協奏曲と呼ばれているメンデルスゾーンやブラームスとも違っていて、私は一番好きで、ハイフェッツやオイストラッフ、シェリングのレコードを、何度も聴いて楽しんでいた。
   ヨーロッパでは、何度か聞いており、アムステルダムで、その内、何故か、チョン・キョンファがロイヤル・コンセルトヘヴォーをバックに弾いたのだけは覚えている。

   ところで、クラシック音楽については、好きと言うことだけで、嫌と言うほどレコードからCD,DVDなどを集め、コンサートには通い詰めて、鑑賞には大変なエネルギーを注ぎ込んできたつもりだが、如何せん、音楽的な知識が希薄なので、今回の相曽の演奏の素晴らしさを、専門的な音楽タームで説明できないのが残念だが、私にとっては、感動の連続であった。
   相曽の誰にも負けない程、ヴァイオリンから紡ぎだす美音の優雅さ素晴らしさは、格別なのだが、
   今回のヴァイオリン協奏曲の抒情性連綿とした曲種に合っていて、愛と熱情に燃えていた頃のベートーヴェンの心の叫びを、相曽は、計算し尽くされた説得力に満ちた適格なテクニックで表現し、実に温かくて優しくビロードのように滑らかな美音にのせて紡ぎだしており、愛器を愛しむようにしっかりと握りしめた弓捌きが感動を呼ぶ。
   ロンドンにいた時、相曽を何度か、音楽会に誘っているが、ベートーヴェンは、ロイヤル・オペラで「フィデリオ」を一緒に聴いたが、不思議にも、当時は、相曽の音楽感を聞いたことがなかった。

   今回は、会場の前の方の真ん中の席に座って聞いていたので、弓が弦から離れる瞬間までの限りなき美しいピアニッシモの途轍もない美しいサウンドを楽しむことが出来たのだが、こんなに美しくてピュアな音色を聴いたのは、後にも先にも、今回が二度目。
   最初は、随分前だが、レナード・バーンスティンが、ロイヤル・コンセルトヘヴォーを指揮したシューベルトの「未完成」交響曲の時の、天国からのサウンドと紛うべき素晴らしいコンサートであった。

   相曽のサウンドの美しさは、ピュアで美しいだけではなく、実に優しくて温かくほのぼのとして胸を打つ、その独特な相曽でしか紡ぎ出せない音色の美しさで、その感動は、コンサートの後までも残ることで、コンサートが終わると、ロビーに、CDを握りしめて、相曽のサインを待つ長い列が続いていることからもそれが良く分かる。

   相曽サウンドの秘密には、相曽の生まれながらの優しさ温かさと言った天性の個性、そして、何時も蔭に日向に相曽を見守り続けているご両親のバックアップなど、恵まれた環境によるものもあるだろうが、それだけではなく、
   平穏無事な藝大を途中で飛び出してアメリカに渡り、ロンドンで孤軍奮闘しながらロイヤルアカデミーをトップで卒業し、それから、ほぼ20年であるから、恐らく、異文化異文明の世界で、血の滲むような修業研鑽があったのであろうし、その集積によるものであろうと思う。

   もう一つ、私の記憶に残っているのは、相曽が、ロイヤル・アカデミー入学でロンドンにやって来て、我が家で最初に、宮城道雄の「春の海」の尺八パートを弾いてくれたことである。
   勿論、宮城道雄とシュメーの「春の海」で、シュメーが、素晴らしいヴァイオリンを披露しているのだが、それとは違って、相曽は、サウンドのかすれ具合もそのままに、尺八そっくりに演奏したのである。
   この逸話からも、言えることは、相曽の良さは、徹頭徹尾日本の文化伝統下で日本人として育ち日本人としてのアイデンティティを備えていることで、その上で、長い欧米生活にどっぷり浸かりながら、異文化異文明との遭遇の中で、独特な相曽サウンドを培って来たことである。

   イノベーションを誘発する発明発見は、悉く、違った科学技術や思想発想などの遭遇と融合、すなわち、最高峰の異質な学問芸術などが交差したルネサンスを生んだ文明の十字路でのメディチ効果によるものだと言われていて、豊かな異文化による芸術文化の遭遇程、芸術家の芸術の創造を掻き立てるものはない筈で、相曽は、尤も恵まれた境遇下環境下にあって、自己の芸術を磨き上げて来たと、私は思っている。
   そうでないと、あれだけ、説得力のある心の琴線に触れて感動を呼び起こす美しいサウンドを紡ぎ出せるはずがないのである。

   今回は、相曽の美しいサウンドについて書いて来たが、かって書いたように、相曽の本質は、高度な演奏技巧と楽曲表現の自然さと言う日本人離れした資質のみならず、
   サー・ジョン・エリオット・ガーディナーが、相曽のCD「BACH SONATAS FOR VIOLIN AND HARPSICHORD」に、献辞を書いており、「・・・彼の演奏は、知性、鋭敏な様式感、大変説得力のある音楽性を兼ね備え、それらが確固とした技術に支えられている。その優れた資質の豊かさは見逃されるべきではない。」としていることで、
  相曽の素晴らしい資質をまとめて、a cornucopia of qualities、すなわち、所有者が望むものは何でも出てくると言う途轍もない能力を持ったギリシャ神話の「豊饒の角」とまで言わしめていることである。


   名にし負う天下のロイヤル・アカデミーをベースにして、最高峰の音楽芸術を学び続けながら、鄙びたケントの田舎で鶏と戯れ、欧米以外にも南米や旧ソ連領のイスラム圏まで出かけて異文化を吸収し、とにかく、留まることを知らずに、音楽の止揚を求めてグローバル・ベースで行脚しながら、精進を続けている。
   その相曽が、毎年、秋に帰って来て、リサイタルを開いているので、そのサウンドの豊かさと味わいの深まりを、何時も、楽しみに待っている。
   今年の9月の津田ホールでは、珍しく、ウクライナの女性ピアニストを伴ってコンサートを開き、タイースの瞑想曲やバッハのG線上のアリアなどポピュラーな曲を演奏すると言うので、如何に、美しい相曽サウンドを奏でてくれるか期待している。

   さて、当日のNIPPON SYMPHONYの公演だが、冒頭田中照子のピアノで、レスピーギのピアノ協奏曲 イ長調が演奏された。
   日本初演とかと言うことだが、綺麗な曲で、ダイナミックな田中の演奏で、楽しませて貰った。
   休憩後は、ベートーヴェンの「英雄」交響曲。
   アンコールを含めて、2時間半にわたる熱演、素晴らしいコンサートであった。
  

(追記)口絵写真は、昨年津田ホールの公演の後、サイン中に声をかけて撮らせて貰った写真。
(追記 2)下記コメントを頂いたように、
    私自身、NIPPON SYMPHONYそのものを知らなかったので、日本オーケストラ連盟の名簿を調べてもなく、グーグルの検索で、ニッポン・シンフォニーの情報を得たのですが、このニッポン・シンフォニーのホーム・ページや十分な情報が出ておらず、殆ど総ての記事が小山の日本交響楽団_Nippon Symphony Orchestraの記述であったために、楽団を取り違えていたので、その分を削除して、文章を訂正しました。全く、私の不注意であり申し訳なく存じており、お詫び申し上げます。(2014.7.21 pm16.00)

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わが庭:百日紅が咲いた

2014年07月18日 | わが庭の歳時記
   梅雨明けがまだなのか、暑い日が続いている所為か、百日紅が咲き出した。
   この花が咲くと、一気に夏の到来を感じて、気候の厳しさに緊張を覚える。
   千葉のわが庭の百日紅は真赤であったが、この庭の百日紅は、ピンクで感じが少し優しい。
   夾竹桃も夏の花だが、我が家にはないが、サウジアラビヤの炎天下の街道脇に植えられていて、水不足で枯れそうになっていたのを覚えているのだが、真夏に咲く花は貴重である。
   

   ユリの花も、まだ、蕾が固いものが残っていて、咲き出すのに時間がかかりそうだが、茎がひょろりと長くて弱いので、蕾が膨らむにつれて、地面に這うように頭を下げる。
   どんな花が咲くのか、前の主が残した球根が芽を出して、あっちこっちに蕾をつけているので、楽しみである。
   
   

   アヤメのような葉を伸ばしていたので、ほっておいたら、咲き出したのは、グラジオラスであった。
   花の咲く期間がかなり長いので、昔は良く植えていたのだが、風に弱くて倒れやすいので、最近は、殆ど植えていない。
   
   

   イングリッシュ・ローズの返り咲きに加えて、ベルサイユの薔薇も蕾をつけ二番花が咲きだしている。
   秋の花のためには、蕾をピンチして咲かせない方が良いのであろうが、もう少し梅雨明けくらいまで咲かせて、その後、蕾をすべて摘もうと思っている。
   
   
   
   

   勿論、朝顔は最盛期である。
   毎日、ところを変えて咲くので面白い。
   庭木に這わせた朝顔は、まだ、咲いてはいない。
   
   
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浅草:駒形どぜうに残る江戸?

2014年07月17日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   現役の頃、アラスカのプロジェクトで、本来なら競争相手であるJVを組んだ同業および異業種の友人たちとアラスカ会を定期的に開いていて、午後のひと時を、海外での思い出など昔話に花を咲かせている。
   海外経験者の集まりなので、商社を筆頭に海外経験の長い人が多くて、大半は、米国での大学院生活を送るなど苦労しているので、話も多岐に亘って面白いのである。

   何時も世話をしてくれているのが京大工学博士で、茶道に入れ込みながら、謡から講談などの古典芸能のレッスンにも通うと言う多趣味多芸の元T社の建築技師。
   何時もは、上野の韻松亭で会っているのだが、前回からは、鎌倉の檑亭に移し、少しずつ、古い日本の面影なり風情が残っている場所を選ぼうと言うことで、今回は、浅草のどじょうとくじらの料理の店駒形どぜうを選んだのである。

   店の来歴によると、
   ”「駒形どぜう」の創業は1801年。徳川11代将軍、家斉公の時代で、初代越後屋助七は武蔵国の出身で、18歳の時に江戸に出て奉公した後、浅草駒形にめし屋を開いた。当時から駒形は浅草寺にお参りする参詣ルートのメインストリートであり、また翌年の3月18日から浅草寺のご開帳が行われたこともあって、店は大勢のお客様で繁盛したと言う。”200年の歴史を持つ老舗。
   関東大震災、第二次世界大戦では店は全焼したと言うのだが、歴史的建造物様の古風な建物で、暖簾をくぐると目の前にひろがる入れ込み席は、江戸の風情がそのままに残った空間だと言うことで、仕切りもなければ衝立もない広い籐席の空間が広がっていて、横縦列一直線に、床面と殆ど変らない高さの細長いテーブルが4列くらい切り込まれていて、それを挟んで左右に縦列一直線に置かれた座布団の上に、客が座って食事を頂くと言う寸法である。
   その床テーブル上に、口絵写真のようなどじょうの鍋や田楽などが並べられ、客は、盃を交わしながら、会食を楽しむと言う訳である。

   平日の昼過ぎに行ったのだが、店はガラガラ。
   帰る頃には、少し増えて、広い空間にばらばら、2割くらいの入りだが、やはり、ドジョウやクジラと言う食材の所為か、通か好きな人でないと、中々、足を向けられないのではなかろうか。
   客は、常連であろう、入り口奥の飾り物の前に陣取った老年の婦人二人が楽しそうに語りながら食べていた。一寸離れたところで、同じような老婦人が、ぽつり一人で、ドジョウを食べていたのが印象的で、客の殆どは、地元浅草の年寄りのような感じであった。
  しかし、シーズンや土日など休日には、観光客が沢山来るようで、今回は機会がなかったが、二階には立派な個室があって、優雅に会食を楽しめると言うことである。

   ところで、ドジョウだが、昔、どこかで、柳川鍋として食べたことがある。
   ウイキペディアによると、”どぜう鍋と同じくドジョウの鍋料理であるが、開いたドジョウを予め割下で煮こみ卵とじにしている点で一般的などぜう鍋と区別される。”と言うことで、ここのドジョウ鍋は、あらかじめ煮られてきたドジョウに刻んだねぎをまぶして煮ながら食べる。

   この日は、良く分からなかったし昼だったので、なべ定食を注文し、駒形どぜう限定醸造だと言う「ふり袖 たれ口」を飲みながら、ドジョウを賞味した。
   大分産のドジョウと言うことだが、調理法の為であろうか、あのドジョウ独特のぬめりなどは消えていて、やわらかくてねぎに合っていた。
   特に、美味と言った食べ物ではなく、私自身は、何回も重ねて食べたいとは思わなかったので、人によっては好き嫌いがあるのではないかと思う。

   私が子供の頃、宝塚の田舎だったので、近くの小川に出かけて、フナやもろこ、ナマズと言った小魚を取って遊んでいて、水田に隣接しているので、水を切って泥をかくと、にょろにょろとドジョウが出て来て、沢山取った記憶があるが、食べる習慣がなかったので、鶏の餌にしていたと思う。

   ところで、この頃、江戸落語を聞きに良く出かけているし、十返舎一九の世界を思い出しながら、店内を見ていたのだが、浮世床、浮世風呂と言った江戸世界は、こんな雰囲気ではなかったかと思った。
   弥次さんや喜多さんがドジョウ鍋を挟んで駄洒落に遊んでいてもいいし、石松が大見得を切っていてもいい、そんな風景を描けるのが面白い。

   一寸、残念だったのは、興味を持って、結構店内の写真を撮ったり酒や料理にレンズを向けていたのだが、この店で、そのデジカメを忘れて帰り、なくしてしまったので、その写真が使えない。
   何枚か写真を撮り続けていたので、席の横に置いたままにして、帰る時にバッグに入れ忘れたらしく、帰ってTUMIのバッグを開けてパソコンに取り込もうとした時、カメラのないのに気付いたのである。
   仲間と店を出てメトロに乗り、そのまま家に直行して、バッグを開いたこともないので、途中での紛失は考えられない。店で忘れたのに違いはないと思い、それに、我々の席近くには誰もいなかったので、すぐに分かると思って、店に電話を入れたのだが、忘れ物などないと言う。

   そうだ、あの店は、江戸の浮世床や浮世風呂と同じで、大衆広場のど真ん中の茶店と言うか、往来の中のオープンな店で床几に座っていたのだ、と言うことに気付いて、少しは溜飲を下げた。
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国立劇場・・・歌舞伎「傾城反魂香」

2014年07月15日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   7月は、恒例の歌舞伎鑑賞教室公演で、今回は、近松門左衛門の「傾城反魂香」の「土佐将監閑居の場」一幕である。
   配役は、浮世又平後に土佐又平光起(梅玉)、又平女房おとく(魁春)、土佐将監光信(藤蔵)、将監北の方(歌女之丞)、土佐修理之助 (梅丸)、狩野雅楽之助(松江)で、梅玉も藤蔵も初役と言うことであったが、非常に重厚と言うか、素晴らしい舞台を見せてくれた。

  「傾城反魂香」は、近松門左衛門の作で、1708年に人形浄瑠璃として大坂で初演され、歌舞伎では1719年に上演された上中下の三巻構成のお家騒動の物語のようだが、私はこの上の巻の後半の「土佐将監閑居」しか観たことがない。
   少し前に、浮世又平(右近)、女房おとく(笑三郎)、土佐将監(寿猿)など澤瀉屋組で、序幕から二幕目の土佐将監閑居の場まで上の巻が、上演されたようである。


   この上の巻の前半、「近江国高嶋館の場」「館外竹薮の場」をさらっておくと、大体次のようなストーリーのようである。
   近江高嶋の大名頼賢は「名木の松の絵本」を集めていた。絵師狩野元信は歌に名が残っている幻の名松「奥州武隈の松」を描いて名誉を得たいと思って天満天神に祈り、その御告げで敦賀へ向かう。
   元信は敦賀で傾城遠山に会う。この遠山は、土佐将監の娘なのだが、謹慎処分を受けて貧苦のため、将監は娘に傾城勤めをさせていた。遠山は土佐家に伝わる「武隈の松の筆法」を元信に伝授し、二人は恋に落ち再会を約して別れる。
   元信の「武隈の松」が認められ、近江高嶋の六角家の姫君銀杏の前と結ばれることになるのだが、同家の絵師長谷部雲谷や執権不破入道道犬は元信の出世を妬み、お家騒動もからんで二人の祝言を妨害し、元信は捕らえられ柱に縛りつけられる。
   しかし、一心に念じる元信は、自分の肩を食い破って、口に含んだ自らの血で襖に虎の絵を描くと、不思議なことに絵の虎が抜け出しその虎が悪者を追い散らして元信を助けて外へ駆け出して行く。
  元信の弟子・雅楽之助は元信の命をうけ、銀杏の前救出のため後を追い、助けようと戦うが、力及ばず姫と御朱印状を敵に奪われてしまう。
   

   この後が、今回の「土佐将監閑居」の舞台となり、前半が分かっておれば、
   冒頭、庭先に逃げ込んで来た虎を見て、将監は、本物ではなく元信が襖に描いた絵から抜け出た虎だと見抜いて弟子の修理之助がこれをかき消すのも、すらりと筋が通る。
   また、娘が傾城に出ている話を将監がするのも分かるし、何故、唐突に、雅楽之助が花道から威勢よく飛び出してきて、姫が奪い去られたと大見得を切って注進する派手なパフォーマンスを演じるのかも、良く分かって面白いのである。

   さて、「土佐将監閑居」は、実直な絵師として精進を続けながらもチャンスがなくて梲が上がらない吃音の絵師浮世又平と甲斐甲斐しく必死になって夫に尽くすおしゃべりな妻おとくの愛情物語が秀逸である。
   絵の道において何の業績も実績も上げ得ていないので、夫婦で必死になって願うのだが、師匠将監から土佐の苗字を名乗ることを許されないので絶望して切腹しようと、おとくに今生の名残にと促されて、手水鉢を石塔に見立てて決死の覚悟で自画像を描き残す。
   死水を汲みに行ったおとくが、手水鉢の反対側に、又平が描いた自画像が抜け出ている奇跡に驚嘆し、二人は喜びに驚愕、それを見た将監が、執念が実ったと土佐光起の名を与え免許皆伝とし、姫救出の命を与える。

   蛇足のように見えるのだが、又平は、北の方から下付された紋付と羽織袴脇差を身につけて、お徳の叩く鼓に合わせて満面に笑みを浮かべて「大頭の舞」を舞うところが実に良い。
   また、舞の文句を口上にすれば、すらすらと話せることが分かり、将監から晴れて免許状の巻物と因果の筆を授けられた又平夫婦は喜び勇んで助太刀に向かうのだが、花道で、ひょろひょろ歩く又平に、おとくが、威厳のある歩き方を指南する幕切れも、微笑ましい夫婦愛を象徴していて面白い。
   尤も、住大夫によると、近松の原文は、苗字を貰った又平とおとくが、「めでとうめでとう」と謡に合わせて踊る場面で終わっていて、又平の吃音も治らないままだったと言うことである。

   土産用の漫画大津絵を描きながら細々と暮らす不遇の絵師とその妻のしみじみとした夫婦愛、そして、決死の執念と覚悟で描いた傑作が、二人の願いを実らせて奇跡を起こす。
   冒頭は、吃音故に思うことが十分に言えない又平の代わりに、おとくがべらべら喋くり、又平は、おとくに代弁させるのだが、意が通じなくて苛立ち、喉を掻き毟りながら苦衷を吐露する。ユーモラスでコミカルタッチの夫婦のタグが、一気に殺気を帯び始めて、諦めと憔悴に代わって行き、奇跡を呼ぶのだが、このあたりの夫婦と言うか男女の心の触れあい葛藤の描き方は、流石に、心中ものを得意とした近松門左衛門の筆の冴えであろうか。

   特に、おとくの人間描写などは、最高で、不器用でただ絵の道一筋、土佐の名字を得て将監の正式な門弟になりたい一心の又平に、つきつ離れつ、甲斐甲斐しく付き従いながら、一本大きな筋が通っていて肚の座った上方女が、躍動していて実に良い。
   今回の魁春のおとくは、近松の女を実に器用に淡々と、しかし、実に、情感豊かに演じていて、正に、感動ものであった。
   この愛しくて涙がこぼれるような健気なおとくを、魁春が、熱演していて、私など、感に堪えなかったほどである。

   真摯な芸風が魅力の中村梅玉が初役で又平を勤めて話題になっているのだが、弟の魁春のおとくとの相性は実に良く、これだけ、しっくりと又平おとく夫婦を演じ切ったコンビは、初めてだと思った。
   吃音の表現には、夫々の役者の個性があって、梅玉は、喋り出しの瞬間までは表現に工夫を加えて演じているが、その後の台詞回しは、普通の滑らかな台詞で語っていて、分かり易くて、十分に意を達していたと思う。

  中村歌右衛門の芸養子の東蔵が土佐将監を演じていたが、流石に、超ベテラン俳優の貫録十分で、実に情があり風格のある演技で、同じく気品を感じさせた北の方を演じた歌女之丞との雰囲気も良く、感動ものであった。
  それに、非常においしい役どころの雅楽之助を東蔵の長男で、魁春の名前を継いだ松江が、勇壮かつダイナミックに演じて爽快であった。
   今回のこの舞台は、先の中村歌右衛門一門の重鎮総出演と言う舞台であるから、素晴らしくない筈はなく、当然、決定版とも言うべき快作だと思うのだが、その意味でも、随所にこれまで観た「土佐将監閑居」とは、一味違った公演を観た感じがしている。
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