熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

伊丹敬之著「イノベーションを興す」(2)・・・オープン・イノベーション

2010年01月31日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   創造的破壊に関する伊丹教授論に対する意見に加えて、私が疑問に思うのは、オープンイノベーションに対する時代に逆行したようなネガティブな見解である。

   伊丹教授は、同書の第12章の「アメリカ型イノベーションの幻想」の冒頭部分で、
   オープンイノベーションは、「話がうま過ぎる懸念がある・・・仮に活発化したとして、その結果として生まれる産業秩序を推論して見ると、それがどの程度社会全体にとって望ましいかは案外考えもので、行き着く先は、イノベーションの萌芽の減少あるいは枯渇になりかねない。」と述べている。
   オープンイノベーションは、多くの企業が自分の得手の技術やビジネスを持ち寄る分業の集積でイノベーションを興そうとするので、分業の分野ごとへのアンバンドリングを推し進め、個々の分業の市場のコモディティ化につながり、その分野での新しい技術開発投資や種を萌芽に育てようとする努力へのインセンティブが減少する。と言うことのようである。

   オープンイノベーションについては、これまで、トーマス・フリードマンの「フラット化する世界」を皮切りに、顧客を巻き込んでの価値創造へのコラボレーションを説いたプラハラード他の「価値共創の未来」や、マスコラボレーションによる開発・生産の世紀の到来を告げたタブスコット他の「ウィキノミクス」などで展開されてきたグローバルベースでのオープンなビジネス環境の拡大深化が、ウルトラ・スーパー級のダイナミックな破壊力を発揮してイノベーションを生み出し、如何に多くの価値を創造し、人類社会を豊かにしてきたかを、このブログでも語って来たので、蛇足は避けたい。
   しかし、名だたるグローバル企業が、オープンビジネス環境の中で、グローバル共創に鎬を削って激烈な競争時代を生き抜こうとしているのか、その地響きのような足音が聞こえないようでは、何をか況やである。
   付言すれば、多くの日本企業が、この世界の潮流であるグローバル市場から新技術を吸収するオープンイノベーションに踏み込めずに、いまだに自前主義やグループ主義に固守している故に、国際競争場裏で、遅れを取っていると言えないであろうか。

   ウィキノミクスによると、オープンイノベーションを積極的に進めているP&Gでは、新製品の内、社外調達は35%で、新製品構想の45%が社外のアイディアを元に生まれており、「コネクト&ディベロップ」戦略によって、イノベーション関連の製品コストや設計、マーケティングなどが改善されたのみならず、研究開発費の生産性が60%向上し、イノベーションの成功率が倍以上となり、更に、そのコストは逆に下がって、売り上げに占める研究開発比率は、4.8%から3.4%に低下した。二年間の新製品の内、社外が関与したのは100品目を超えており、オープンイノベーション経営の効果は抜群だと言うのである。 

   更に、ウィキノミクスには、IBMのパルミサーノの説く「国ごとのタコつぼを壊し、世界の知識や資源や能力を利用し、国や企業内の境界を越えて人材を活用して、シームレスなグローバルコラボレーションよる地球規模のビジネス・エコシステム構築」への動きを主軸として、果敢なオープンイノベーションによって、ボーイングの787の開発やファブレスのBMWの新世代自動車開発などのケースを紹介しているが、世界の多くの名門企業が、オープンイノベーション戦略を積極的に遂行しており、伊丹教授の危惧しているような技術開発の後退やインセンティブの縮小など起こり得ず、市場規模の拡大とビジネスチャンスの増大によっても、益々、イノベーションにドライブがかかっているのが現状である。
   第一、分業への近視眼的局所集中やコモディティ化現象などは、経営の拙さ故であって、オープンイノベーションとは次元の違う話である。

   オープンイノベーションについては、ヘンリー・チェスブロウ教授著「オープンビジネスモデル」が、非常に参考になり興味深い。
   チェスブロウもクリステンセンも、既に、企業経営者がオープンイノベーション環境に置かれていると言う認識で論旨が展開されており、価値の創出、そして、創出された価値の一部の収穫の両方において、グローバルベースで、社外のはるかに多くの多様なアイディアを取り込み、価値を創出する「イノベーション活動の分割」と言う視点から、イノベーションの新しい組織モデルの構築を論じており、技術開発の自前主義を破壊する知財競争時代のイノベーションを語っている。
   あるグループが斬新なアイディアを考案した時、自分たち自身で商用化するのではなく、他社と提携し、あるいは、他社にアイディアを売却し、その他社がアイディアを商用化すると言うシステムで、その分割の機会を追求するために、企業は自社のビジネスモデルをオープン化する必要があると言う捕らえ方の進化発展である。 
   インターネットなどのIT技術の進化によって、グローバルベースでの無尽蔵な知識情報の調達活用の絶大な効用は勿論のこと、経済的にも、テクノロジー開発のコスト上昇、および、製品寿命の短縮など、これまでのクローズド・イノベーションに基づく研究技術開発には、既に限界が見えて来たのである。                                                    
   
   もう一つ伊丹教授の見解でしっくりしないのは、実験の国アメリカ、育成の国日本、と言う理論を展開して、アメリカは、移民の国であり、英語が世界共通言語であり、ドルが基軸通貨であるので、シリコンバレーモデルが生まれて、世界中の組織の蓄積を利用できるのだが、日本はそうではないし、日本語の壁と軍事の壁があって、その壁があるのに、それを軽視して向こうの夢だけを語るのは幻想にすぎないとする考え方である。

   日本企業にとって、シリコンバレーモデルは、幻想であろうか。
   世界中のあっちこっちで、色々なシリコンバレーモデルが生まれており、グローバルビジネス環境は、日進月歩で激動を続けている。
   日本企業の置かれた経済環境、歴史や伝統、強み弱みなどを十分に直視することは大切だが、「コークの味は国ごとに違うべき」だとしても、グローバルベースに乗らなければ生きて行けないような大潮流には、絶対、逆らっては駄目で、日本企業にとっては、オープンビジネスおよびオープンイノベーション戦略の遂行は、その最たるmustであることを、肝に銘じなければならないと思っている。
   

   
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本離れと言うけれど~私の場合

2010年01月30日 | 生活随想・趣味
   先日、日経に、年々、書籍と雑誌の売り上げが、どんどん下落しており、雑誌などは、値上がり傾向だと言う記事が載っていた。
   日本のみならず、文明国家では同じ傾向が続いているようで、やはり、楽しみにしろ知識情報の習得にしろ人々の読書で得ていた機能が、IT革命や文明社会の多様性の増大などによって、他に肩代わりされて行ったからではあろうが、人々の本離れは、ある意味では、一つの文明の大きな転換を告げている。
   本来、書籍は、知の集積であり、知の宝庫であるとともに、文化文明の象徴であった筈なのだが、その地位を明け渡してしまったと言うことであろうか。

   難しい話はともかく、私にとっては、読書とは、知識情報の収集と、その対決を通じて楽しみを味わっていると言うことのような気がする。
   読みたい本を探してその本と対峙しながら、知らなかったことや見えなかったことを発見し、新しい知の集積、難しく言えば、真善美へのアプローチとその発見、そして、その深化を感じながら、楽しみを味わっていると言うことであろうと思っている。

   尤も、このような知的な楽しみは、読書でなくても、いくらでも他の手段があるであろうが、しかし、素晴らしい本に、たった一人で、真剣勝負で対峙して、至福の境地を味わいながら、深い喜びを感じるような経験が可能なのは、読書を置いて他にはないと思っている。
   勿論、私が読む本の総てが、そのような本ばかりではなく、硬軟取り混ぜて、緩急自在に本を選びながら読書を楽しんでいるのだが、人生も、後それ程長くないとも思っているので、出来るだけ、無駄で無意味な本は読まないようには心掛けている。

   私自身の性分もあるのであろうが、暇があれば書店に出かけているので、本を読むことが、すなわち、私の人生の一部であるから、私には読書離れ現象などはないし、本のない生活など一日たりとも考えられない。

   この頃、本を読む時には、シャープペンシルと付箋・ポストイットを必ず携行していて、重要だと思った箇所には、鉛筆で傍線を引き、更に重要だと思うところには、付箋を貼る。
   更に、その内容の軽重によって、付箋の色を変えたり、ページの上や横や斜めなどの位置を変えて付箋を貼って行く。
   後で必要になると、この傍線部や付箋の付いたページを追っかければ良いと言う寸法である。
   当然、このようにして読む本は、専門書や学術書であって、小説や音楽美術など芸術書などには、傍線も付箋もない。
   そして、読み終えれば、最後の昔印税印が張られていたページに、その日付と旅先などの地名を書き込んでいる。

   昔は、アメリカでの留学時代に、マーカーを使っていたので、黄色の蛍光ペンなどで、重要箇所をマークしていたが、完全に本を壊してしまうので、大分前に、資料のマーク以外は止めている。
   尤も、今のように鉛筆で傍線を引き、付箋を貼れば、殆ど本を毀損しているようなものだが、消しゴムで消して付箋を取れば、少しは、現状復帰出来るという本への思いやりは残しているつもりである。
   
   これは、一人の読書人としての提言だが、学術書や専門書など知的水準の高い本には、必ず、索引を付けて欲しい。
   欧米の本には、必ず着いているのだが、日本の本は、索引の重要性を認知しない出版社が多くて、コスト削減のためなのか、素晴らしい専門書にさえ索引がない場合が多くて、著しく、その本の価値を貶めている。
   それだけ、文化文明度が低いと言うことであろうか。

   ところで、本の値段だが、最近、経済や経営学書の価格が、少し上がってきたような気がする。
   普通の単行本は、1800円くらいが平均であったが、最近では、少し、ページ数が増えたり、ベストセラーにはなりそうにないような専門書は、2400~2500円が一般的となり、3000円、4000円と言った本も少なくなくなってきた。

   しかし、私の学生時代から考えても、専門書の価格アップは、精々、3~4倍であり、他の物価の上昇よりは低いと思う。
   手元にある昭和37年4月28日発行のシュンペーターの「資本主義・社会主義・民主主義」が、46判298ページで、480円である。
   思いだすのは、もう、40年以上も前になるのだが、シュンペーターの「経済発展の理論」の第5巻が、1500円していたのを、買えなかったことである。
   京大の学費が、確か、年9000円くらいであったから、専門書はやはり高く、古本も、今のように、二束三文ではなかったのである。
   そんな時代であったから、蔵書は貴重であったし、蔵書する楽しみもあった。
   本離れなど、考えられなかった時代があったと言うことである。
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激安商品を生む逆イノベーション

2010年01月29日 | イノベーションと経営
   ニューズウイーク最新号のSCOPEのコラム「低価格」で、インドのタタ自動車の20万円の大衆車ナノやエイサーのネットブックを取り上げて、今や、イノベーションは、貧しい国の企業がイノベーションを行い、製品をアメリカに持ち込む「逆イノベーション」の時代になったと言うビジュー・ゴビンダルジャンの説を紹介している。
   この考え方は、既に、C・K・プラハラードが、「ネクスト・マーケット」で、貧困層を顧客に変える50億人市場を創設する次世代ビジネス戦略として克明に論じていて、このブログでも、何度か取り上げている。

   これらの製品は、新興国市場向けに作られているために驚くほど安く、節約志向の先進国の消費者にも魅力的に映り、43ドルの浄水器、70ドルの携帯冷蔵庫など新しいものが生まれていて、貧しい国だけではなく、世界中の国々にとって、逆イノベーションは、未来の原動力になると、ゴビンダルジャンは述べている。

   プラハラードの紹介で、真っ先に印象に残っているのは、ジャイプル・フットの義足で、20項目以上にわたっての比較でも、8000ドルもするアメリカ製の義足と同等かそれ以上の機能を備えた製品であるにも拘らず、たったの30ドルで、泥道の悪路を走ろうと、土間に座って作業をしようと、びくともしないと言うのである。
   これを慈善団体BMVSSが製作しているので、患者には無償で提供されていると言うのだから泣かせる。

   もう一つは、アビランド・アイ・ケア・システムの年間20万件以上の白内障手術を手がけると言うシステムで、患者の特定から手術、カウンセリングに至るまでの全工程を新しいプロセスを導入して実施し、白内障の治療に革命を齎している。
   ここの医師と看護師のチームの生産性は、米国と比べてもかなり高く、同じ手術を米国で受けると2600~3000ドルするのだが、ここでは、50~100ドルで済む。
   人工の眼内レンズをも製作していて、米国では200ドルするのを、ここでは5ドルで、輸出もしている。
   今では、研究、製作、教育訓練、遠隔医療も手がけており、手術の実務を研修したくて、ハーバード大の学生など、アメリカからも医学生や医師などが、わんさと詰め掛けているのだと言う。

   このような生産やビジネス・システムの構築以外にも、プラハラードは、近著「イノベーションの新時代」で、インドで快進撃を続けている銀行ICICIの金融・バンキング分野での次から次へと繰り出す斬新なイノベーションについても、紹介しており、インドにおける「逆イノベーション」の実態を語りながら、The New Age of Innovationの企業戦略を展開していて、興味が尽きない。
   
   この逆イノベーションは、言わば、クリステンセンの「ローエンド・イノベーション」の国境を越えた変形の一種だと考えられるが、アメリカ市場へ進出して、最底辺の市場を開拓しながらローエンド・イノベーションを追及して今日の大を築いた筈のトヨタが、欠陥商品のオンパレードで窮地に立っているのも、何かの皮肉であろうか。
   ゲマワット教授の「コークの味は国ごとに違うべきか」で展開されている国によって違いのある、フリードマンのフラット化した世界の向こうを張った差別化異質化市場を逆手にとって、その差異の中から生まれた底辺の逆イノベーションが、グローバル市場に攻め入る逆展開の現実は、非常に興味深いと言うべきであろう。

   袋小路に入り込んで、グローバル・スタンダード、デファクト・スタンダードを生み出せず、苦しんでおりながら、相変わらず、先進国市場ばかりを向いて、しかし、オリジナリティに欠ける後追いの持続的イノベーションを続けている日本。
   掛け声だけは、新興市場への事業拡大を歌っている日本企業だが、次世代市場戦略は、当然、成長を続ける高圧経済の新興市場であり、BOP市場に向かうべき筈なのに、経営感覚は、クオリティに五月蝿い国内や欧米等先進国の顧客志向。
   そうであればあるほど、逆イノベーションの趨勢を見誤ると大変だと言う認識は、常に持っておくべきだろうと思っている。

   尤も、ハイ・クオリティ志向で、徹底して高級市場を追求して行くと言う経営戦略が選択肢として当然あり、日本が目指すべきビジネス・モデルの重要な柱であるべきだが、クリエイティビティと高度な感性の求められるもっともっと厳しい世界であり、未踏のブルー・オーシャン市場の開拓である筈なので、更なる挑戦が求められる。
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カワセミを追うアマチュア・カメラマン

2010年01月27日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   久しぶりに、愛犬リオとの散歩道でもあった近所の川に、カメラを持って出かけたら、何人ものアマチュア・カメラマンに出会った。
   勿論、被写体はカワセミだが、急に、カワセミ・ファンが増えたような気がした。
   この印旛沼近辺の川や池、田んぼの用水路などにも、そして、佐倉城址の堀にもカワセミが飛んでいるようで、あっちこっちを回って、カワセミを追っかけているのだと言う。
   
   私などは、近所だから、天気がよくて気持ちのよい日に、ひょっこり出かけて行けば済むのだが、結構遠方から自動車で来ている人も居て、何時も会っているのか、お互いに知り合いのような雰囲気である。
   カワセミに名前を付けていて、太郎が川下に飛んで行ったとか、今日は、花子が居ないとか、情報交換をしているのだから、年季が入っている。

   大体、定年をむかえてフリーになった人が多いようで、毎日のように来てカワセミの写真を撮っているセミプロ級の人も居て、この人たちは、カワセミが水に飛び込んで魚をとる姿や、飛び去る瞬間のホバリングと言った動的な写真を狙っている。
   自慢のショットをプリントしていて見せてくれるのだが、流石に上手で、決定的な瞬間のよい写真を撮っている。
   カメラを手持ちのままオートフーカスで連写する人も居るようだが、本格的になると、三脚ないし一脚を立ててカメラを構えて、露出など撮影条件を事前に設定して置きピンで連続シャッターを切るようである。

   この川は、印旛沼に流れ込んでいるようだが、犬の散歩道で、私など、以前は、犬仲間と知り合いで挨拶を交わしていたのだが、結構、最近では、老年の夫婦連れや年配の女性の散歩姿を見かけることも多くなった。
   周りが田んぼのオープンスペースで、冬には、川面には、あっちこっちに鴨がいて、水辺から白鷺が飛び立ち、空には鷹が舞っていると言った長閑な雰囲気で、第一、自動車が通らないのが良い。

   ところで、私のカワセミ写真だが、カワセミがススキや潅木などの小枝に止まっているところを見つけて、手持ちカメラを向けてオートフォーカスでシャッターを切ると言った極めてずぼらな手法で撮っているので良い写真が撮れる筈がない。
   他のカメラマンが居れば、カメラを構えているので、そこに行けば間違いなくカワセミが居るので楽だが、一人の時には、川岸を歩きながら、ブルーの点を探したり、時には、急に飛び立ったり、川面を滑るように飛んで行くので、その後を追っかけて止まったところへ行って撮ると言う寸法である。
   元々、散歩のつもりで出て来ているので、居なかったら居なかったで、執着せずに帰ってしまうのだが、熱心なカワセミ・ファンのアマチュア・カメラマンの薀蓄話を聞くのも面白いので、しばらく、同行しながら話し込むこともある。

   問題は、やはり、カワセミまでの距離で、上手くいけば5メートル近くまで寄れることがあるが、大概、対岸だと10メートルくらいの距離になって、ピントが甘かったり手ぶれだと写真にならない。
   いくら手ぶれ補正のデジカメだと言っても、私には、300ミリ(実質450ミリ)の望遠レンズが精一杯で、それ以上だと手持ち撮影は無理である。
   この口絵写真のメスのカワセミは、暗い川面をバックにしており、時には、日照りの小枝に止まったり、とにかく、露出条件は色々なので、私などカメラ任せのオート撮影だが、止まっているから良いものの、動きのあるカワセミを撮る為には、シャッター速度などこまめに調整する必要があるのであろう。

   昔、サンパウロに居た頃、森林公園などに出かけて、良く、ハチドリの写真を撮った。
   まだ、デジカメなどなかった頃で、Nikon F2に135ミリの中望遠レンズで撮っていたのだが、今なら、このデジカメ一眼レフで、素晴らしい写真が撮れるのにと思うと、一寸、残念な気がしている。
   何のことはない、ハチドリは、ホバリングしながら、一点に静止したまま、蜜を吸うので、カワセミのように苦労しなくても、誰でも、決定的瞬間の写真を撮れる筈なのである。
   尤も、下手で駄目な写真であっても、自分が撮った写真だから愛着が湧くのであって、性懲りもなくシャッターを切り続けるのも、いつか良いショットを狙えるかも知れないと思っているからであろうか。
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ポール・スタロビン著「アメリカ帝国の衰亡」(2)・・・世界政府の実現?

2010年01月26日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   スタロビンは、アメリカ後の世界を展望したシナリオで、最も実現する可能性の高いのは、「世界政府」の実現ではないだろうかと言う。
   歴史を振り返って見れば、そのようなプロセスを辿って誕生した国家や文明が存在していた、それは、アメリカ合衆国でありEUである。
   アメリカは、一世紀の間、イギリスから独立して共和国になるまでにも、アメリカとしてのアイデンティティを維持していたし、EUに統合されたヨーロッパ諸国でも、すでにフランスやドイツと言うよりヨーロッパとしてのアイデンティティが高まっていたと言うのである。

   グローバル化が進んで、全世界のあらゆる地域、あらゆる人々が共有すると言う意味の普遍的な「世界文明」が生まれれば、いずれ「世界政府」を生み出す可能性が高くなるのだが、カギとなるのは、「世界の一員」だと言うアイデンティティを持つ人々や組織が、いつ「臨界点」を超えるかである。
   ダンテが、「饗宴」の中で、もし世界に絶対君主が一人しかいなければ、戦争も戦争の原因もなくなり、世界は平和に保たれると言ったとか、
   50年代のアメリカを、「近代的で効率的な社会発展の手本」と考えていたタルコット・パーソンズの「構造機能主義」を引いて、「社会機構は、欲求不満を解消するために、自ら社会に適応し、進化する。その結果、効率よく合理的に諸問題を解決できるようになる」として、その後、EUが生まれたので、あながち夢物語ではないと言う。

   スタビロンは、世界文明と世界政府を実現するための道のりとして、三つのモデルを指摘する。
   第一は、「商業の道」。多国籍企業の経営者や法律家、エコノミストなど「世界経済主義者」たちが、既に、世界を一つの大きな「市場」と看做して、ビジネスの効率化を図るため、共通の運営ルールつくりを目指している。
   第二は、「人権の道」。国籍を超えた社会活動グループなどが、国民国家体制に基づく現在の法律システムを、世界的な法律システムに変えようとしている。
   第三は、「地球の健康を目指す道」。「地球温暖化」など世界共通の環境問題に関して、世界の活動家や政府が集まって知恵を出し合い協力し行動を起こしている。

   最初の「商業の道」が一番現実的で、国際会議の重要性、世界貿易のグローバル化、WTOなどの国際機関組織の活動、国際テロ対策などへの世界中の法執行機関の協力体制などを考えれば、国際ビジネスや経済活動の現場では、法律も既に複雑で巨大な国際システムの中に編み込まれつつあり、後戻りが利かなくなっている。
   
   グローバル経済体制を上手く機能させるためには、スタビロンが指摘するように、普遍的な法体系の確立が必須であろう。
   特に、現在の資本主義下において、多くのグローバル企業が、既に世界を一つの市場として活動している現状に鑑み、世界的な統一商法典の実現は、不可欠である。
   それに、国際会計基準は、かなり進展を見ているのだが、ソロスが指摘する世界経済の秩序を守る「保安官」制度の確立や、メルケル首相の提言するグローバル・ベースでの「規制システムの標準化」など、解決すべき課題は、山積している。
                                     
   第二の「人権の道」は、これまで一番不完全だと言われていた「倫理面」での法体系の確立をどう進めるかであろうか。
   1948年に国連で「世界人権宣言」が採択されたが、確実に遂行する具体的な仕組みがなかったので、現実には、アムネスティなどのNGOの活動が先行している。
   しかし、画期的な進展は、2002年オランダのハーグに、「国際刑事裁判所(ICC)」が設置されたことで、アメリカは調印していないが、もし調印すれば、アルカイダの容疑者に対する水責めの拷問に対して疑惑の責任者を裁きたいとなれば、ブッシュやチェイニーも穏やかでは居られなくなる。
   最早、世界の人々は、アメリカを「世界の警察官」とは認めていない。グローバル・ベースで、正義を求める強い要求が、世界政府の法体系への道・「超国家的な司法システム」の確立に向かって動き始めているのである。

   (第三の「地球の健康を目指す道」については、私自身、地球温暖化ガスの充満で、既に、チッピング・ポイントに近づきつつあり、宇宙船地球号の運命が風前のともし火だと言う認識なので、この道での世界政府の樹立などと言った悠長な気持ちになれないので、コメントは省略する。)

   面白いのは、自由主義の「世界政府」を生み出す源泉は、アメリカではなく、ヨーロッパだと言うスタロビンの指摘である。
   ヨーロッパ諸国は、以前から、地球温暖化問題や人権運動にも積極的に取り組み、従来の国民国家の枠を超えようと大きな試みに挑戦しEU統合を実現した。それに、アメリカのようにメルティング・ポットとして同化した「新しい人種」を生み出したのではなく、民族的、言語的多様性を残してそのまま包含して「多文化社会」を実現している。

   もう一つ、東洋の文明も大きく貢献するとして、「物質的な欲望」を抑制して精神的な価値に重きを置く仏教などの東洋の宗教が、「地球温暖化」や「化石燃料の枯渇」と言った問題が深刻化すれば存在感を増す。肉体と精神を別のものだと考えがちな欧米型の医療の限界も見え始めており、益々多くの欧米人が、東洋の崇高な知恵に目を向けるであろうと指摘している。

   さて、私自身の考えだが、アメリカの弱体化に伴って、世界権力構造が多極化して行くものの、当分の間は、国連や各種の国際機関や組織などの国際交流の場を舞台にして、G5程度の数の中核国を中心に、G20が取り巻き、多くの協議と試練を経ながら、世界政府を志向した法体系などグローバル・システムが、形成されて行くことになるような気がしている。

   世界政府の思想は、私が、宝塚中学の図書館で見つけた単行本「世界連邦○○○・・・」に触発されて、大学生頃まで、興味を持って勉強してきたテーマで、私の青春のメロディでもあった。
   これまでの長い人生で、世界中を飛び回って経験してきた思い出を噛締めながら、改めて、あの時、真剣に平和とは何かを考えていたことを思い出す。
   ほかに、宝塚中学時代で、もう一つ忘れられない思い出があるのだが、六甲連山の片隅に、鉄兜のような綺麗な形をしていた甲山の姿を眺めながら、武庫川の急流に思いを馳せていたあの頃が、無性に懐かしい。
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バタフライ効果反転の予言と菅谷事件

2010年01月24日 | 政治・経済・社会
   「イーリアス」に登場するヘレノスは、過去を正確に予言した後ろ向きの預言者であったと、「ブラック・スワン」のタレブが、面白い話をしていて、未来を見通すよりも、歴史をリバース・エンジニアリングすることの方が、如何に難しいかを説いている。
   解ける角氷の例をあげて、一つは、床の上に置いた角氷が解けた後の水溜りの様子の予測で、もう一つは、床の上の水溜りの水がどこから来たかの推測で、その違いを論じている。
   前者の前向きの過程の予測は、かなり正確に可能であるが、後者の水溜りから元の角氷の形を予測する後ろ向きの過程は、無限の可能性があり、ましてや、その水の元が角氷ではなかったとすると、推測など殆ど不可能に近い。

   もう一つ例に挙げているのは、ロレンツの「バタフライ効果」である。
   インドで蝶が羽ばたくと数年後にノース・カロライナでハリケーンが起こると言うあれだが、逆に、ハリケーンは何故起こったかの推測の方は、それを引き起こす要因は無数にあり、ハリケーンから蝶へ辿り着く過程は、蝶からハリケーンへ辿り着く過程よりもずっと複雑で推測困難である。
   このバタフライ効果は、複雑なシステムでは、非常に特殊な条件下で、ランダム性がなくても小さな原因で大きな結果となることを示しており、日本の「風が吹けば桶屋が儲かる」と合い通じる考え方であろうが、先の二つの予言の違い、その意味合いは、極めて大きい。

   歴史の仕事に伴う不確実性やランダム性は、現実的には、不完全情報のことで、不知、すなわち知らないことに過ぎないのだが、このために、世界は不透明でぼやけて見えて、騙されてしまうのだとタレブは言う。
   懐疑主義的経験論者の歴史家の世代の到来を待つべきだと言うのだが、難しい話はさておいて、真実は一つであっても、繰り返しの利かない歴史のリバース・エンジニアリングは、焼いた卵を元の卵に戻せないのと同じ仕組みで、非常に難しいので、おいそれと、手を出すべきではないと言うことであろう。

   これを読んでいて、冤罪に問われて、17年半も人生を棒に振った菅谷利和さんの足利事件を思い出した。
   ラーメンを美味そうに啜りながら、幸せを噛締めている菅谷さんの実直そうな笑顔を、TVで見て堪らなくなってしまったが、
   今から考えてみれば、唯一つの証拠、検察は、不完全なDNA鑑定の結果を根拠にして、菅谷さんを罪に落とし込んで行ったとしか思えず、真犯人を野放しにして、事件の解決を反故にしてしまった。
   菅谷さんの願いにも拘らず、事件を担当した森川大司検事が、「当時の全証拠を検討した結果、犯人に間違いないと判断し、起訴した」と言って謝らなかったと言う。
   タレブの本など、読まないのであろうと思うが、これを是とする社会なら、日本の明日は暗い筈である。
      
   アガサ・クリスティやシャーロック・ホームズの世界なら、読んで楽しめば済む話だが、人を裁くことの恐ろしさを感じると、身の毛がよだつ思いである。
   今、小沢献金偽装(?)事件でも、検察捜査の動向が注視されているのだが、このケースの推移はともかく、警察国家的な傾向が目立つような社会にだけは、戻って欲しくないと思う。
   世界の警察を自認して、我が物顔に君臨していたアメリカも、経済力の陰りとともに、後退し始めている。
   
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デフレーションと100円ショップ

2010年01月23日 | 生活随想・趣味
   日本経済も、再び、デフレ局面に入ったとかで、二番底が警戒され始めている。
   しかし、私が学生だった頃は、インフレと不況が同時進行するスタグフレーションを勉強していた。実際にも、1970年代以降、アメリカ経済もこれに悩まされて、現在、再び表舞台に登場したボルカー元連銀総裁が、果敢にインフレとの戦いに明け暮れていたのだが、そのインフレ退治の後、本格的なデフレ不況に突入したのは、日本である。

   100円ショップを愛用している近所の子供に 、物価が上がるインフレが良くて、ものの値段が下がって安くなるデフレが何故悪いのか、おかしいではないかと聞かれた。
   インフレも、戦後のように、ハイパー・インフレになれば悪いことや、日本が経験したデフレ・スパイラルの恐ろしさなどを、易しく説明したのだが、しかし、物価が下がることは、決して忌むべき悪いことばかりではない筈である、と言う気になったのである。
   
   私は、アメリカ留学時代から、一昨年のニューヨーク旅まで、何度もアメリカを訪れているのだが、為替レートの問題もあるが、アメリカの消費者物価が特別上がったと言う感じは殆どしていない。これは、自由市場経済が徹底しているアメリカ特有の現象で、輸入可能なものやサービスの相当部分が海外調達で占められている所為ではないかと思った。
   アメリカは、自由経済下でのマーケット原理が働いており、世界各地から最も安いものを調達する経済である。それに、ウォルマートを筆頭に各種の商業流通革命が進行して価格競争が激化し、全産業に及ぶIT革命による生産性の向上がこれに呼応し、更に、グローバリゼーションの進展で中国やインドなどの価格破壊が追い討ちをかけてきたのであるから、物価がおいそれと上がるような状態にはなかった。
   このような経済構造の大変化によって生じる物価の安定ないし下落は、貨幣的な現象でもないし、実需不足によって発生するものでもなく、むしろ、経済の効率化と生産性の向上の結果であって、経済にとっては、好循環であった筈だと言うことである。
   尤も、アメリカでも、この変革や価格下落に対応出来なかった産業や企業、労働者などは、要素価格の平準化定理が働いて、破壊的な被害を被り、格差拡大など、深刻な構造問題を惹起していることも事実である。

   ところで、日本の現在のデフレ問題を、どう考えるかと言うことであるが、アメリカと同じような現象が起こっており、世界経済のグローバル化に対応できなくて、経済不況の煽りをモロに受けて、中国など新興国経済の攻撃を、受けて立てなかった日本経済の脆弱性にあるのではないかと言うことである。

   私は、時々、100円ショップに出かける。買うのは、シャープペンシルの芯とかポストイット様の付箋、それに、ガーデニング用のプラ鉢などなのだが、簡単な文房具などは、三菱やとんぼと言った日本製でないと買わないのだが、しかし、よく見ると、プラ鉢もそうだが、商品の大半は、made in Chinaである。
   ウォルマートの商品の過半は中国製で、何兆円分を、2基の人工衛星管理で調達していると言うことだが、中国製品の日本での価格破壊も、随分、以前から、100円ショップで展開されている。
   人件費などが安くて、恐らく、日本の5分の1や10分の1のコストで生産可能であろうから、日本のメーカーが容易に対抗出来るわけはなく、ショップから見れば、シュンペーターの「原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得」であるから、れっきとしたイノベーションである。

   このように、グローバル市場からの挑戦を受けた価格破壊に対しては、その上を行くイノベーションなどによって生産性の向上を実現してコスト競争力を高めるとか、ものやサービスに更なる付加価値をつけてブルー・オーシャンを狙うとか、とにかく、有効な対抗手段を見出さない限り勝ち目がない。
   すなわち、一人勝ちの快進撃を続けているユニクロのような絶えないイノベーション戦略を追求して、「ユニクロ効果」を実現持続する以外に道はない。
   平たく言えば、価格競争力からだけ考えても、デフレによる物価下落率以上の生産性の向上がなければ、その企業は、市場からの競争力を失い、人件費の削減とかコストを切り詰める以外に生きる道はなくなる。
   このような閉塞状態が、日本経済全般に広がり、更に、需給ギャップが異常に拡大し、実需が35兆円以上も不足しているのであるから、日本経済は、正に、危機的な状態に陥ってしまっている。

   もう一度、最初の「物価が下がることは良いこと」だと言う問題に戻るが、個別のメーカーにとっては、需要の落ち込みがなくて、デフレ率以上の生産性の向上を実現出来るのであれば問題はなく、更に、コスト削減や差別化が出来て売り上げ増が可能であれば、デフレ下でも好循環は可能であろう。
   この状態を、その国の経済全体で実現出来るのなら、(尤も、物価下落を見越した買い控えなどイレギュラーな事態がないと言う前提だが)、デフレも悪くはないのかも知れないが、しかし、現実には、日本では、個別企業のみならず、経済全体が、強烈な価格破壊に対応できず、更に、デフレスパイラルの進行で、益々、需給ギャップが拡大して行く現状であり、悪化の一途を辿るとしか言いようがない。

   100円ショップで、事務用ハサミを買った。
   燕市のエコー金属発売のシリコンコーティング加工のスマートなステンレスのハサミで、105円では考えられないような立派なハサミなのだが、made in Chinaである。
   このことが、日本の製造業、特に、雑貨に近い消費財メーカーの苦境を如実に示しており、グローバル経済下での要素価格平準化定理の猛威の恐ろしさを実感せざるを得ない。
   政府の中小企業対策や雇用維持政策などのややピント外れの経済政策が、どこまで効果を発揮するのか、本当は、日本人全体が総力を結集して、経済構造を抜本的に改革しない限り、付け刃に過ぎないのにと思いながら、暗い気持ちになっている。

   もう一つの価格破壊、ブックオフで、一冊、105円で買った本。
   伊藤元重著「入門 経済学 第2版」 日本評論者 3000円+税
   デビッド・S・ポトラックほか著「クリック&モルタル」 SE 2000円+税
   夫々、初版は8~9年前の出版だが、完全な新本で、前者は、簡単な資料、後者は、ミスっていた好著。

   100円ショップも、ブックオフも、ビジネスモデルの変革による価格破壊の旗手だが、バブルを知らない経済不況下で生まれ育った若者たちで賑わっている。
   豊かになった筈の日本のもう一つの現実である。
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東京の交響楽団の定期会員雑感

2010年01月22日 | 生活随想・趣味
   昨夜、上野文化会館での東京都交響楽団の定期演奏会に行ってきた。
   井上道義指揮による「日本管弦楽の名曲とその源流シリーズ」で、前半は野田暉行のコラール交響曲とピアノ協奏曲で、後半は、ブリテンの「シンフォニア・ダ・レクイエム」とベルクの「ルル組曲」で、私には馴染みのないプログラムだったが、観客の入りは良かった。
   面白いのは、ブリテンの「鎮魂交響曲」で、1940年の「紀元2600年奉祝会」のために日本政府が委嘱した作品だったのだが、キリストの典礼による内容が天皇に対する不敬とされ、作曲料7000円は支払われたものの、演奏されずにつき返されたと言う。
   当時、ヒットラーがチェコに進出しポーランドに侵攻するなど欧州が風雲急を告げていた最中に、それも、後に戦争レクイエムを作曲するようなブリテンに奉祝音楽を依頼するなど常識では考えられないのだが、作曲された作品が、先の世界大戦の多くの悲惨な死を悼み「両親の思い出に」重ねて楽想されたレクイエムとは、日本の将来を見越した凄いアイロニーだとしか思えない。

   しかし、この曲だが、太鼓連打に始まり、白石美雪さんの解説によると、「著しい緊迫感と悲痛な情感、行進の不穏な歩み、洗い清められたような透明な楽想が楽章ごとに対比をなし、思いの深さに圧倒される」良い作品である。
   私は、昔、ロイヤル・オペラで、「ピーター・グライムズ」を見てからブリテンを敬遠し、その後、ベルクの「ルル」や「ウォツェック」なども見たことがないのだが、昨夜の演奏会で、一寸、認識を改めなければならないと思った。 

   さて、東京に、確か8団体くらいの交響楽団があるようだが、それぞれ、年に8~9回の定期演奏会をメインにしたシリーズを組んで会員を募り、活動を行っているようである。
   ようであるというのは、私自身、2~3のオーケストラしか知らないので何とも言えないからである。
   今、現在、新日本フィルと都響の定期会員だが、新日本フィルは、小澤征爾のコンサートを聴くために入ったので、もう15年以上続いているが、数年前から小澤のプログラムがなくなってしまっているで、継続をどうしょうかと思っている。

   私が、最初に定期会員になったのは、NHK交響楽団で数年続いたのだが、その後、海外に出てしまった。
   今でも、N響を聴きたいとは思っているが、千葉からでは、とにかく、会場が遠いのが難である。

   海外では、チケットの取得が難しいので、真っ先にチケット・ボックスに出かけて、定期会員チケットを手配したのが、フィラデルフィア管弦楽団であった。
   その後、ヨーロッパに移ったので、アムステルダムで、ロイヤル・コンセルトヘヴォーの定期会員権を取得した。この時は、現代音楽主体のシリーズも含めて、3シリーズ手配したのだが、結構、忙しくて、出張に出たりして行けなくなることが多くて、それほど回数が多いとも思わなかった。
   ところで、この2交響楽団については、定期会員権を、子供から孫へと継承する会員が多くて、その上に、会場が比較的こじんまりしていたこともあって、殆ど、市場には出ないために、大変取得が困難であったので、良いプログラムだからチケットを手配しようと思っても出来ないケースが多かった。
   当時の感覚では、かなり安かった所為もあり、とにかく、前もってチケットを抑えておくに如くはなかった。

   ところが、ロンドンに移った時には、ロンドン交響楽団の定期会員になったのだが、更改を忘れていると、催促の電話が架かって来たくらいだし、バービカンセンターの会場も広かったので、チケットの手配には、それ程苦労はなかった。
   定期ではなかったが、フィルハーモニア管弦楽団やロイヤル・フィルなどにも出かけていたし、それに、ロイヤル・オペラはバレーと交互ながら、そして、イングリッシュ・ナショナル・オペラも毎日公演しているし、世界中から来る名だたるオーケストラが、毎夜の如く演奏会を繰り広げているので、結構出かけたけれども、特別な場合を除いては、それ程、チャンスをミスることはなかった。
   ウィーン・フィルやベルリン・フィルなどのチケットも、それ程、高い値段ではなく、比較的容易に取れたし、ロイヤル・オペラも、同じように、家内と定期会員に入っていたので、オペラやバレーも、それなりに楽しめた。

   日本の定期会員の場合にも、30%くらいは安いので、1~2回ミスっても、損にはならないのだが、ロンドンでは、日本の感覚よりも安かったし、それよりも、魅力的な公演をミスる方が心配だったので、定期会員券の魅力は、それなりにあったような感じがする。
   尤も、パバロッティやドミンゴなどは、別枠で、この方は、結構取得困難か、または、高いかで、それなりの苦労はあった。
   日本の場合には、そのようなケースは、まず、殆どないので、定期会員の場合の魅力は、お馴染みのオーケストラのチケットが、比較的安く手に入って、労せずして同じ席で、気楽にコンサートを楽しめると言うことであろうか。

   この新日本フィルと都響の定期公演のコンサートには、やはり、クラシック音楽ファンが主体なので、おかしな所で拍手したりするようなことはまったくなく、非常に、観客マナーの良い演奏会だと思っている。
   ところが、新日本フィルの場合には、毎回、同じ人が隣や近くの席に座っていてお馴染みと言う感じだが、都響の場合には、会場の広さもあるのだろうが、私の席の隣もそうだが、かなりの人が入れ替わっており、私のように、何時も同じ席に座っているファンは比較的少ないような感じがしている。

   ところで、会場で、同オーケストラや、当日のゲスト指揮者やソリストなどのCDやDVDが売られているのだが、買っているファンが、結構多い。
   私など、もう少し若くて、海外に居た時には、会場でCDや本を買って、サインを貰ったりしていたのだが、この頃は、歳の所為か、DVDは別だが、殆ど、新しいCDを買わなくなってしまった。
   新日本フィルは、ロビーで、CD以外に、結構色々な面白いグッズを売っている。文化会館の売店は、特に、都響グッズと言うようなものは扱っていないようだが、外国のオペラハウスなどには、立派な売店があって、色々趣向を凝らしたキャラクター商品やグッズを売っていて、客で賑わっているし、結構楽しいのである。
   日本の楽団経営も、何か、ファンを惹きつけるような斬新なアイディアを出せないものだろうかと思ったりしている。
   
   
   
   
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ナシーム・ニコラス・タレブ著「ブラック・スワン」・・・経済予測など当たる筈がない?

2010年01月21日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   「ありえない」なんてありえない! 不確実性とリスクの本質を説いたと言う「まぐれ」の著者タレブのこの「ブラック・スワン」は、非常に面白い。
   全編示唆に富んだ素晴らしい本なので、さすがに、ベストセラーだが、今回は、経済学者の予測が何故当たらないのか、日ごろ疑問に思っていたことを、鮮やかに論破しているので、この点について、コメントしてみたい。

   この記述は、予測のスキャンダルと銘打った章で論じている。
   まず、生まれつき人間は、外れ値、つまり黒い白鳥を過小評価する性質が備わっていて、知識に対する自惚れがあるので、これによって、まれな事象は、見込み違いに大きく左右され、普通は深刻に過小評価されているが、時々深刻に過大評価される。と言う。
   黒い白鳥と言うのは、世界中の人々が、全て白鳥は白いと信じていたのだが、オーストラリアに黒い白鳥がいるのが分かって、その定説常識が覆されたのをタレブが象徴的に使って、
   以下の三つの特徴を備えた事象を指すとして、如何に、我々人間の思考、推測や予測に影を落としているかを説いていて興味深い。
   すなわち、異常であること。とても大きな衝撃があること。異常であるにも拘わらず、私たち人間は、生まれついての性質で、それが起こってから適当に説明をでっち上げて筋道をつけたり、予測が可能だったことにしてしまう。

   タレブは、オナシスが仕事をするのに使った道具は、必要な情報を全部それに書いたノートだけで、仕事机もオフイスもなかったとして、「まぐれ」の効果とともに、「日々の仕事の細かなことを知っても無駄だし、実際毒になる」と言う命題は、学術的調査実験でも実証されているとして、情報は知識の妨げになると言うのである。
   推測も予測も同じだが、仕事で予測をする人は、その方面での勉強や教育や経験でのうぬぼれが過ぎているので、そうでない人より、いっそう前述の精神の障害が酷いので、その予測が当たらない。経験上の現実について得る情報が詳しくなればなるほど、目にするノイズも多くなり、それを情報だと勘違いして物語を作り上げて、追認のバイアスと判断への固守が災いして、そのアイデアを捨て切れずに、予測を誤る確率が高いと言うことらしい。

   情報が増えても予測の精度は高まらないのに、自信だけは目に見えて増幅して行くのだが、専門家には、情報が毒だと分からなくて、多ければ多いほど良いと言う信念があり、この情報の毒性が検出される。
   面白いのは、仕事を二つに分けて、専門家が何か役割を果たせる仕事と、果たせるとの証拠が見られない仕事があり、後者の専門家が専門家でないケースとして、経済学者、金融予想屋、ファイナンスの教授、政治学者、リスクの専門家等々経済金融に関わる専門家を列挙していることである。

   タレブは、さらに辛辣で、モルガン×××などと言った著名データ提供会社の、7桁の年収を稼ぐスーツを着た「著名エコノミスト」たちが、数字を計算したり予測を作ったりする研究員を後ろに従えて、スター扱いで、子々孫々までも記録が残るのに、馬鹿だから、自分の予想を公然と発表する。愚かにも、金融機関や研究所などが、翌年を占った「20××年の見通し」などと言うタイトルの小冊子を作るのだが、調べもせずにそんな予測に乗る一般人は、連中に輪を掛けて馬鹿かも知れないと言う。
   日経新聞社を筆頭に、年末年始に掛けて、嬉々として、この方面の特集記事を新聞雑誌などメディアや各種機関などが、巷にばら撒くのだが、タレブから言うと、害毒以外の何ものでもないと言うことなのであろう。

   ところで、エコノミストの予測に、それを相殺しようとする政府の経済政策などのフィードバック効果が働くために外れるのだと言う論点に対して、タレブは、それが原因ではなく、世界は複雑過ぎて彼らの学問では歯が立たないからだと言う。
   エコノミストは、予想が外れると、地震や革命の所為にして、自分たちがやっているのは、測量学でも気象学でも政治学でもないと言うのだが、自分たちの学問が、そういう分野と切り離せないのを認めて、そういう分野を取り込もうと絶対にしない。経済学は、学問の中でも、一番孤立した分野で、仲間内以外から一番引用されない分野でもあり、今、俗物が一番闊歩している学問と言えば、多分経済学だとまで言うのである。
   これとの関連で面白い指摘は、オタク効果の威力で、モデルに乗らないものを無視し、自分の知っていることばかりに焦点を当てるリスクで、自分は、モデルの内側からしかものを見ないので、不測の事態を惹起する計画や予測に織り込まれなかった予期せぬ要素、すなわち、使っているモデルの外側にある要素を無視することの弊害である。

   もうひとつ、アンカリングと言う何かアンカーとなる数字があると、不確実性に感じる不安を抑えるために、予測が、その数字に引っ張られることで、何時も感じる「日経景気討論会」の「専門家」の景気予測数字が、その時点での数字に影響されて、プラスマイナス殆ど差のない予測数値に収束していて大概外れることを考えれば、この説が当たっており、更に、これまでのタレブ論が正鵠を得ていることが良く分かる。

   長期予測で、2000年から翌年にかけて、金利がたった一度、6%から1%下がるのを予測できなかっただけで、その予測が完全に無効となったが、重要なのは、どれくらいの割合で正しいことがあったかではなく、累積の誤差率がどれだけ大きいかだと言う。
   この累積誤差率は、予期せぬ大きな出来事や大きなチャンスに大きく左右される。
   どの分野の予想屋もそんな出来事を当てられないし、他人とかけ離れることを恐れるのでそんな予測をするのも嫌がるのだが、事件と言うのは、起こってみれば殆ど常に突拍子もないものなのである。
   結局、経済予測が当たらないのは、予測の外にある最も重要な要因である筈の黒い白鳥を正確に把握出来ないような予測であるから、当たらなくても、当然だと言うことであろうか。

   タレブは、TVを見たりや新聞を読んでは駄目で、本を沢山読めと言う。
   小沢がどうだ、鳩山がどうだと言ったTVや新聞雑誌の報道漬けで、連日連夜毒されておれば、日本人の頭がおかしくならないのがおかしいということであろうか。
   自民党の嬉々としたハッスルぶりが出色だが、これまで自分たちがやってきたことを暴露するだけで攻撃材料になるのだから当然だと思うのだが、使命感とモラルの低下は覆い隠すべくもなく、やはり、政治は二流。坂の上の雲を目指して頑張っていたあの頃の高邁な日本魂が何処へ消えてしまったのか、NHKも、坂本龍馬だけでは駒不足で、年末と言わずに、「坂の上の雲」の第二部を、繰上げ放映して、今の政治が、如何にお粗末極まりないかを浮き彫りにすべきではなかろうかと思っている。
   
   
   
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今日のアメリカのスプートニクは中国の台頭・・・トーマス・フリードマン

2010年01月19日 | 政治・経済・社会
   ニューヨーク・タイムズのコラムで、トーマス・フリードマンは、いまだに、オバマ大統領が、国際テロリスト対策に弱腰だと非難しているチェイニー前副大統領などに対して「いい加減にしろ」と言わんばかりに、アメリカの中東からの撤退を強烈な調子で提言して、
   今日のアメリカが、真剣になって直面すべきは、21世紀のスプートニク打ち上げにも匹敵する中国の台頭に向かって邁進することで、50年前に、ロシアのスプートニクをアメリカに対する最大の挑戦と受け止め、全米一丸となって、教育やインフラや科学を再構築すべく国家的な努力に結集した、あの思いを蘇らせることだと熱っぽく論じている。

   まず、中東問題へのコメントだが、
   アフガニスタンから撤退し、アルカイダ問題はパキスタンに解決させ、イスラエルとパレスチナの平和問題は両国で解決させ、輸入石油から脱却するために1000億ドルの国防予算を削減し、オサマ・ビン・ラディンへの報奨金を価値並みに減らせと説く。
   尤も、フリードマンは、単なる撤退を説いているのではなく、テロとの戦いのために現地の人々やリーダーを助けるべく方針転換するべきだが、彼らが、自分たち自身で主体となって、自分たちの国の未来を切り開くために、狂乱状態と戦って解決すると言う確固たる意思がなければ駄目で、それが出来なければ、隔壁として、高い壁を築いた方がましだと言うのである。
   
   ワシントンポストのブルース・ホフマンのエッセイを引用して、
   50年前に、フルシチェフがアメリカを葬ってやると言ったように、アルカイダが、グローバル金融危機の最中に、経済戦争を仕掛けて、破産させてやると言っているが、彼らならやるであろうとコメントしている。
   中東におけるアメリカの存在、石油依存、果てしない海外援助が、かの地の政情悪化を招き、当事者たちの責任と説明責任を回避させ、悪ければ、全てアメリカの責任だと言われる元になっている。
   当地の多数の穏健派に、自分たちの敵は自分たちで打ち倒すことを任すべきで、イランやイラクで、彼らの勢力が強くなり自分たちで戦い始めているのに期待していると言う。

   このコラムは、台北からの発信で、大華僑中国圏(Greater China Region)に来ると、いつも、香港や台湾や中国のリーダーたちが、アルカイダの爆破騒ぎでアジェンダを掻き回されているわが大統領よりも、自国の発展のためにどうすれば良いか、もっともっと多くの自分たちの時間を傾注して努力しているのが羨ましく感じると言う。
   
   かっては何十年間も、お互いにミサイルの銃口を向け合いながら対峙し、風雲急を告げていた台湾海峡だが、この2年間に、急速に中国と台湾の国際関係が良くなり、経済協力、直行便の開通、留学生交換などが実現した。
   台湾は、石油もなければ天然資源もない。2300万人の人が岩山にしがみ付き、必死になって働いて世界第4位の外貨保有国になった。彼らは、自分たち自身を啓発して、企業家精神を発露させ、自分たちの努力と責任で、今日を築き上げたのだと言う。

   中東の再生復活、そして、更なる発展のためには、人々が、この台湾のような自助努力による成長戦略を見習って、自分たち自身の問題として国家建設に邁進する以外にないと言うことだろうが、あまりにも長い間、その道を、アメリカ自身が妨げて来たのではないかと言うのが、フリードマンの問題意識でもあるのであろう。
   ブッシュなどは、中東の民主化のためと言う御旗を掲げていたが、目的の大半は、石油の確保であり、イスラエルの支援であったのであろうから、元々、方向が違っていた。
   そのアメリカが、経済力が疲弊してしまって、ない袖が振れなくなって、例えば、旧ソ連圏に楔を打とうと、グルジアやウクライナなどに茶々を入れたのだが、息が続かず、世界戦略も、少しずつ暗礁に乗り上げつつある。

   このコラムのタイトルは、「What's Our Sputonik ?」。
   ジョンズ・ホプキンスのマイケル・マンデルバウムの言葉を引用する。
   「スプートニクへの挑戦によって、アメリカは、教育の質を向上させ、より生産性を高め、技術的にも向上し、より独創的ななった。科学や教育に対する投資が、インターネットを開発し、より多くの学生に数学を学ばせ、国民を国家建設に邁進させることとなった。
   スプートニクは、我々を鼓舞して、未来へのハイウエイを構築させた。
   しかし、テロとの戦いは、何処へも橋を架けることを促さない。」
   早くしないと間に合わない。カネも、時間もない。

   アメリカの落日を感じて、悲壮だが、分かりきっていることでも、大きな車は回りが遅い。
   それよりも、経済不況のどん底で、国民が苦境に喘いでいるのに、そして、もっともっと大切で、日本の将来のために重要な緊急事があるにも拘らず、そっちのけで、日本の政治は、偽装献金問題ばかりで、空転。
   経済一流、政治は二流と言われていたのだが、何を思ったのか、その二流政治家たちが、急に、生きりだして、政治主導だと言い出して、日本の方向を変えようとした。結局、とどのつまりは、二流は二流。
   悲しいのは、あなたの同盟国も同じですよ、と言うことであろうか。
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国立劇場初春歌舞伎・・・旭輝黄金鯱

2010年01月18日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   国立劇場の初春歌舞伎は、菊五郎劇団による通し狂言「旭輝黄金鯱」で、柿木金助と言う大盗賊が、名古屋城の天守閣の黄金鯱を盗みとると言う話で、金助に扮する菊五郎が、舞台下手2階席上空から大凧に乗って、舞台上手の天守閣に舞い降りると言う宙乗りと、その黄金鯱に跨って虚空に浮かび上がると言う大技を演じており、非常に爽快である。
   並木五瓶の「けいせい黄金鯱」を、現在風に改作アレンジして、4時間(休憩含)の通し狂言にして100年ぶりに蘇ったと言う意欲的な舞台で、これまでにも、国立劇場は、菊五郎劇団座組で、何度も復活狂言を行っている。今回も、菊五郎が演出を試みており、座頭としての芸のみならず、その芸術観が、はっきり見えていて興味深い。

   お蔵入りになっていた古い歌舞伎を蘇らせて上演するのだから、古い台本や資料を整理して補綴して上演できる台本に仕上げる国立劇場の文藝課の努力も並大抵ではないと思うが、
   役者たちが意欲的な舞台を勤められるように現在の歌舞伎として仕上げ、観客本位主義を貫き、とにかく、お客を喜ばせようとするのだから、演出家菊五郎の力量が遺憾なく発揮されると言うものである。
   金助伝説として有名な大凧に乗って天守閣の金鯱を狙うと言うシーンが、並木五瓶の原作にはなかったので、特に大仕掛けで取り入れたとか、お家騒動や大泥棒の諍い等時代物の重たい舞台に、お笑いの場を設けるべく、「伊勢音頭恋寝刃」の「太々講」を元にして、金鯱観世音を祭るイカサマ祈祷所を舞台にしたドタバタ劇を挿入するなど、菊五郎の創造性が垣間見えて、魅せる舞台になっている。

   幕が開くと、「京 宇治茶園茶摘みの場」で、若くて綺麗な(?)女たちが、茶摘みをしている華やかで美しい舞台がパッと眼前に展開されて、よく道行の舞台で現出する絢爛豪華な桜花爛漫の舞台とは一寸趣の違った雰囲気だが、素晴らしい。
   私が、京大の宇治分校に通っていた頃には、近くの宇治市内には、新幹線の車窓から見える静岡の茶園のように大規模な茶園など殆ど見かけなかったので、茶所と言う感じはしなかったのだが、近所の黄檗山万福寺の開山隠元禅師が、それまでの抹茶とは違った煎茶を普及させたので、江戸時代には、舞台のような華やかさがあったのかも知れない。

   ところで、この歌舞伎は、名古屋城主小田春長(菊之助、後に松禄)は、家老道閑(亀蔵)の取り替え子で、本物の世継ぎは、盗賊向坂甚内(松禄)であり、この甚内を乳母として育てたのが、金助の母村路(時蔵)であると言った入り組んだ関係になっていて、村路は、敵の子を育てたと知って自害する。
   丁度、やはり、取り替え子のトロヴァトーレのジプシーの老婆アズチェーナの悲劇を思い出して、しんみり見ていた。
   時蔵は、この金助の母としての老け役が秀逸で、実子金助と、甚内との中に入って、しっとりとした本格的な芝居を演じていて、芸の幅と深さを見せていて好演していた。
   女形としては、両膝に人工関節を入れて傷みがなくなったと言う田之助が、御台所操の前で、久しぶりに元気な姿を見せていた。

   私が、菊五郎の芸の素晴らしさを堪能したのは、お笑い系の芸に徹していた金助の忍びの姿の金田金太夫で、あのねのねの暢気なとうさんのような雰囲気で、イカサマ祈祷師大黒戎太夫(團蔵)の娘おみつ(尾上右近)を口説きながら追っかけまわして、金鯱講の奉納金を盗み取ろうとする冴えない中年男の役なのだが、菊五郎だと分からなければ、どんな名優が演じているのかびっくりするほどである。
   私は、NINAGAWA十二夜で、謹厳実直で融通の利かない執事マルヴォーリオ(丸尾坊太夫)と、道化のフェスタ(捨丸)を演じた抱腹絶倒(?)の菊五郎の舞台に脱帽しているので、存分に楽しませて貰った。
   蜷川幸雄も、笑いが止まらなかったと言うことだから、菊五郎のおかし味は、芸の域を越えているのであろう。
   喜劇役者としての菊五郎は、正に、天下絶品だと思っている。

   おみつが、戎の弟子万斉(菊之助)に出した恋文と、自分がおみつに出した恋文とを差し替えられて、園生(時蔵)に、満座の前で読まれて、大恥をかく所などは、実にこっけいで、手紙の相手が、実子菊之助と言う設定なので、戎太夫の團蔵が、「水も滴るいい男といい気になっているから、海老に先を越されるのだ」とか、エロ××と言ったら「親の顔を見たい」などと、チャチャを入れるので、観客は大笑い。
   この「伊勢 御師大黒戎太夫内の場」だが、金鯱観世音が鎮座する祈祷所に、多くの参詣人で賑わって商売繁盛の商人たち講員が参集して、有難たや有難たやとやっている。
   秘仏ご開帳で、舞台が真っ暗になったかと思うと、祭壇の壁が開いて、菊五郎扮した怪しげな仏が現れて、手先に長い爪をつけた手を踊るように動かすと、後ろに従う9人の黒衣が同じく波打つように長い爪を揺らせるので、そこだけ、特殊な光で輝くので異様な雰囲気になる。
   新興宗教へのカリカチュアか、宗教を煙に巻いて笑い飛ばす趣向を、古色紛々とした時代物歌舞伎に入れ込んだ発想は、実に新鮮で面白い。
   團蔵の金一辺倒のイカサマ祈祷師は、芸達者で実に面白く、それに、娘おみつの右近の初々しさとストレートでさっぱりした乙女らしい雰囲気が良かった。

   今回の舞台で、重要な役どころを抑えながら、溌剌とした素晴らしい助演振りを発揮した二人・菊之助と松禄の貢献は大きい。
   菊之助の春長の凛々しい威厳と品格は、定番だとしても、今回は、本物の春長を譲って忠臣鳴海春吉となってから、木曽川で暴れ出した金鯱をし止めるために、舞台に設えられた大滝と大川の中で、くんずほぐれつ大暴れをするのだが、今回は、これまでの美しい女形とは打って変わって、素晴らしい立ち役に徹していた。やはり、両刀使いの菊五郎の息子である。
   松禄は、地のまま突っ走れば良い役回りだったので、実にのびのび大らかな舞台を展開していて、非常に歯切れの良い芸を見せてくれていた。
   相変わらず渋い役の彦三郎、溌剌とした若殿春勝の松也、お姫様然とした品のある国姫の梅枝などの好演も印象に残る。
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伊丹敬之著「イノベーションを興す」(1)~創造的破壊?

2010年01月16日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   伊丹敬之教授が、一橋から東京理科大に移って、MOTの視点からイノベーションを書いたのが、この本「イノベーションを興す」である。
   これまで沢山出ているイノベーション関連書を、要領よく纏め上げた、イノベーションを興すためのガイドブックと言った感じの本で、イノベーションの初歩的テキストとして読めば、それなりに面白いが、特に新鮮味はない。

   私が、多少拘りを感じたのは、2点あって、シュンペーターの「創造的破壊」を、逆であって「破壊的創造」だと指摘している点と、「オープンイノベーション」は、日本企業には不向きだと言う論点である。

   まず、「創造的破壊 Creative Destruction」だが、「資本主義・社会主義・民主主義」から、
   ”(内外の新市場の開拓および手工業の店舗や工場からUSスチールのごとき企業にいたる組織上の発展は、)不断に古きものを破壊し新しきものを創造し、たえず内部から経済構造を革命化する産業上の突然変異(――生物学的用語を用いることを許されるとすれば――の同じ過程を例証する。この)「創造的破壊」の過程こそ、資本主義についての本質的事実である。”[()内は補足、同書P.83~4] を引用して、
   創造的破壊に違和感を覚える。破壊がイノベーションの中心にあるような印象を与える表現である。しかし、経済理論の世界ではなく現実の世界でイノベーションを考えてみると、破壊が中心で本当に社会が動くのか、人がついていくのか、私は疑問なのである。として、シュンペーターを破壊主義者の権化のように糾弾している。

   突然変異という言葉からも、シュンペーター自身のこの文章からも、伊丹論が出てくる余地など全くないと思うが、若干補足しよう。
   吉川洋教授が、「いまこそケインズとシュンペーターに学ぶ」で、21世紀の日本においてもシュンペーターは健在だとして、引用している小泉内閣の基本方針に、「停滞する産業・商品に代わり新しい成長産業・商品が不断に登場する経済のダイナミズムを「創造的破壊」と呼ぶ。これが経済成長の源泉である。創造的破壊を通して労働や資本など経済資源は成長分野へ流れて行く・・・」と書いてあるのだが、これだけで、創造的破壊の説明は十分であろう。
   シュンペーターが、「経済発展の理論」「前掲書」「景気循環論」で繰り返し論じていた「新結合」「イノベーション」が何を意味するのか、読めば分かる筈だが、「創造的破壊」とは、古い非効率なものが新しい効率的なものに駆逐されて行く経済活動における新陳代謝のプロセスを述べているのである。
   更に、蛇足だが、吉川教授が、グリーンスパンの言葉を引用しているので記しておく。「製品の需要の変化や産業界の動きを目をこらして見ることで、資本主義のダイナミズムを実感できた。経済学者シュンペーターの「創造的破壊」である。」

   シュンペーターは、イノベーションの例として、駅馬車から鉄道への変革をあげており、フォードのT型車を良く引用したと言われているが、これを考えても、駅馬車を破壊して汽車が生まれたわけでもなく、既存の自動車産業そのままで、フォードが従来の自動車製造システムを改革して大量生産したT型車が主流になって他を駆逐したと言うことであって、シュンペーターは、破壊が先で、後から創造が生まれるなど言った「新結合」「イノベーション」論を展開してはいない。
   伊丹教授の「破壊ではなく、新しく生まれてくることがあることがイノベーションなのである。創造的破壊ではなく、あえていうのなら破壊的創造というべきである。」と言ったような議論が、何処から出てくるのか、字面だけからの解釈だとしか思えない。
   
   シュンペーターを、もう一度読んで貰いたいところだが、そもそも、伊丹教授の語るイノベーションとは一体何なのか、その理解さえ怪しくなってくるのは、私だけであろうか。
   本の帯の正面に、北斎の赤富士をバックに、「社会を動かす『破壊的創造』」と大書しているのだが、出版社の日経は、意味が分かっているのか。卓越した新説だと言うのなら、何をか言わんや、である。

   イノベーションは、単なる企業の成長戦略として重要であるばかりではなく、吉川教授が指摘するように、「イノベーションと言う概念は、シュンペーターが見抜いたように、資本主義が資本主義である以上、永遠不滅である。」のである。
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JALへのセンチメンタル・オマージュ

2010年01月15日 | 海外生活と旅
   私は、海外生活が長いし、それに、国内業務でも、かなり長い間、海外関連業務に就いていたので、JALには、随分お世話になっている。
   片道一回と考えて、国内便を含めれば、100回以上は、JAL便に乗っている計算になる筈で、まだ、ANA便が少なかった頃なので、国際便は殆どJALであった。
   外国へ行く時には、その国の航空機で入国するのが礼儀だと思って、共産時代のハンガリーへは、マレブ便を使い、サンパウロへの赴任時には、ヴァリーグ便を使うなど心したこともあったが、ロンドンやアムステルダムなどの勤務地やニューヨークなどアメリカへの往復などは、5回の内4回はJAL便と言った具合で、兎に角、いつもの調子で気楽な気持ちで旅が出来るので、特に考えることもなかったのである。

   ところで、私が、JALを意識したのは、まだ、宝塚にいた子供の頃で、戦後初めて許されて、民間航空機の定期便が飛んだと言うので、伊丹空港まで見に行った時で、空港近くの道路の上空ま近を轟音を立てて着陸する飛行機の鮮やかな日の丸のマークを見て、感激した。
   川西航空の工場だったか、何処で見たのか定かではないのだが、終戦直後、ゼロ戦の残骸が燻っているのを見ており、制空権を米軍に握られて、米軍機が伊丹空港を吾が者顔に離着陸していたのを悔しく思っていたので、日の丸の感激は、尚更であった。

   その後、実際にJAL便に乗ったのは、ずっと後で、伊丹から羽田を往復したのだが、その時、上司が、飛行機をバックに写真を撮ってくれた。
   海外へは、1972年に、アメリカの大学院へ留学するために羽田からサンフランシスコまで乗ったJAL便が最初で、そこから、アメリカの航空機で、シカゴ、フィラデルフィアへ飛んだのだが、全く見も知らない異国での生活が始まると言う緊張感も手伝ってか、サンフランシスコで降りたJAL機が、日本との最後の別れのような気がして、無性に心に残ったのを覚えている。

   その後、アメリカ国内や休暇時のヨーロッパ旅行を皮切りに飛行機に乗ることが多くなって、JALとの二人三脚と言った海外との生活が始まったのである。
   何故、JALだったのか。
   英語に不自由をしている訳でもなく、外国の航空機に抵抗感があった訳でもなかったので、JALである必要はなかったのだが、やはり、私も徹頭徹尾日本人であったのであろう、とにかく、JALに日本を感じて安心していたと言うか、予約が取れないとか、何か理由があるなど特別な時意外は、ルーティン的にJALに乗って海外に出た。

   JALで海外を往復していたと言っても、何をしていたのか、殆ど思い出が残っている訳ではなく、最初は、窓から風景を見たり、映画やオーディオなどを適当に楽しんでいたが、その後は、空港に着くと適当に買い物をしてさくらラウンジに入って小休止し、JAL機に乗って目的地に向かうと言う繰り返しが続いた。
   機内では、殆ど、本を読んでいた。特に、意識して、経済や経営の本ではなく、歴史や芸術などと言った本が主体であった。
   これだけ、JALに乗っておれば、マイレッジが貯まったであろうということだが、私の手元にある多くのカメラの内、Nikon F801とNikon F801sは、このポイントで貰ったもので、ヨーロッパ滞在中の多くの写真を撮るために役立ってくれた。
   
   しかし、不思議なもので、これほどJALに乗っておりながら、私の飛行機旅での思い出の大半は、他の航空会社でのものである。
   それ程、私にとって、JALが水や空気のようにフィットした存在だったのか、それとも、全く特色のない平凡な航空会社だったのか、不思議に思っている。

   ヨーロッパでは、アムステルダムとロンドンに駐在していたので、当然、BA英国航空とKLMオランダ航空、それに、パリへの旅行も多かったのでAFフランス航空を使うことが多かったのだが、ヨーロッパでは、1時間程度の飛行で目的地に着けるので、正に、バス感覚の交通手段であった。
   一度、列車TEEで、アムステルダムからブラッセル経由で、パリに入ったことがあるのだが、社内でゆっくりリラックスしながら味わった本格的なフランス料理の味や、車窓に流れる風景が、非常に印象的であったのを思い出す。
   それに、ヨーロッパでは、地方空港間を結ぶ小型のグラスホッパー機が沢山就航していて、かなり、低空飛行を続けるので、眼下のヨーロッパ風景が楽しめて面白かった。
   それに、アムステルダムにいた頃は、ベルギーやドイツなどの近い都市へのビジネス旅は、車で高速道路を走った。アムステルダムを朝に出れば、その日のかなり早い午後に、ブレンナー峠イタリア国境を越えることが出来るのが、ヨーロッパの道路事情だからである。

   BAは、特定会員には、無料のカーサービスを実施していて、ヒースローに自分の車で乗り付けて、搭乗口近くの指定のポイントで車のキーをスタッフに渡せば車を預かってくれて、空港に帰り着いた時には、すぐに、車を駐車場から出して来てキーを渡してくれ、そのまま家路につけると言うシステムがあって、時間短縮のみならず交通の心配をせずに済み随分重宝した。
   もう一つ、多忙なビジネスマンにとって重宝したのは、食事サービスで、KLMなど、アムステルダムからロンドンまで、ほんの1時間前後の飛行だが、その間に、かなり、本格的な食事を出してくれたので、(ビジネスランチはビジネスなので別だが、ヨーロッパでは普通の昼食を取るのさえ厄介なので、)昼食時間をセイブ出来て、到着後即ビジネスに入れて、日帰り出張なども容易になって非常に助かった。
   ヨーロッパでは、大都市間路線のナショナル・フラッグ・キャリアー間の熾烈な競争に加えて、バージン航空を皮切りに、その後、多くの革新的な格安航空会社の参入で、航空産業自身が、イノベーションを追求して激烈な競争に勝ち抜かなければならなかったので、どの会社も差別化に必死であったように思う。

   キャセイ・パシフィックやシンガポール航空などでの楽しいアジア旅の思い出、南米でのローカル機でのアンデス越え、その他、中東や欧米での面白い、時に、危険な飛行機旅の思い出など色々ある。
   今思えば、JALにこだわらずに、色々な航空会社の飛行機に自由に乗っておれば、もう少し違った世界が見えていたのかも知れないが、私のように、何となくJALと言う日本人としてのロイヤリティが強いJALファンが大半で、これが、今日までのJALを支えて来たような気がしている。

   世界を制覇したような勢いだったパンナムが、はるか昔に消えてしまっている。
   トム・ピーターズだったか、エクセレント・カンパニーとして、デルタ航空を取り上げた頃から、航空産業は激動の時代に突入しており、現在では、経営学書でしばしば取り上げられているのは、革新的な経営のサウスウエスト航空だが、名だたる世界の航空会社が、グローバル化した国際ビジネス環境の乱気流の中で、四苦八苦しながら、明日の航空産業のあり方を必死になって模索している。
   JALの経営については、これまで、辛口のコメントを続けて来たが、この19日に、会社更生法の適用を申請して、直後に、企業再生支援機構が支援を決定して、新生日本航空を目指すと言う。
   私の海外生活は、JALとともにあったようなものなので、再び、世界のJALとして羽ばたく日の近いことを祈りたい。
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ポール・スタロビン著「アメリカ帝国の衰亡」(1)・・・「アメリカの世紀」から「中国の世紀」へ

2010年01月14日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   スタロビンが、「アメリカ後」の世界を描いているシナリオで、一番可能性のあり得るのは、「多極化世界」であろうと思うのだが、その時の世界の中心として君臨する未来の指導国として、インドと中国を克明に分析をしている。
   私が注目したのは、ストロビンの中国に対する目線で、ユダヤ系アメリカ人と言う所為もあろうが、従来の欧米文化文明を是とした視点からの中国論ではなくて、むしろ、中国の国際社会でのあるべき姿の方が、21世紀においては、支配的になるのではなかろうかとさえ示唆するような論調である。

   現在、グーグルが、悪質なサイバー攻撃や検閲制度に業を煮やして中国からの撤退も辞さずと息巻いており、大方のマスコミは、思想や知識情報に対して強力に国家統制している中国の専制国家的な態度を非難するようなニュアンスで報道している。
   今、書店の店頭に「アフリカを食い荒らす中国」と言うタイトルのフランス人の著作が現れたが、中国は、資源確保のためには形振り構わず、世界中のならず者国家ばかりをバックアップして、国際紛争と治安悪化を招いていると言うのが一般的な見方で、中国の資源外交など国際社会での評判は非常に悪い。
   しかし、これらの見方は、現在支配的な完全に欧米的な視点からの中国論であって、実情を正確に把握すれば、それ程単純ではなく、独善的な考え方ではなかろうかと言うことなのである。
   ブッシュのイラク戦争について、あれだけフランスなど大陸欧州が異議を唱えていたにも拘らず、米国主流のメディア情報に流されて、真実が見えなかったことを思うだけでも、常識の危うさが良く分かる。

   スタロビンは、世界中を精力的に飛び回って調査し、学識経験者・知識人は勿論実際の現場の実務者なども含めて多くの人々に直接インタビューするなどして知識情報を収集して、その上で本書を著しているで、非常に説得力がある。
   まず、アメリカの裏庭であった筈のラテン・アメリカ、特に、チリの銅資源獲得のための中国の果敢なアプローチから、中国の国際外交の現状を説き起こしているのだが、要するに、ラテン・アメリカでも、アフリカでも、中国に対する態度は肯定的で、アメリカよりも中国の方が、より大きな利益を齎すだろうと考えられているとコメントしているのである。

   「中国の世紀」を実現するためには、中国は、三つの関門を突破しなければならないとして、第一の関門「経済力」はクリア出来るのは間違いないとしても、第二の関門「軍事力」においては、アジア地域において並ぶものなき強国となるには、日本やインドやロシア、それに、アメリカが存在するので困難を伴うが、現状を維持して積極的な軍備拡大を続けて行けば、手が届くかも知れない。
   しかし、中国にとっては最も厳しい最後の関門、他国を引き付けるだけの「磁力」を中国が持てるかどうかが、問題である。中国が名実ともに、この世界の覇者となるためには、世界中の国々、少なくとも十分な国々に、「中国が率いる世界で生きて行きたい」と思わせるような魅力的な「物語」を作り上げなければならないと言うのである。
   イギリスから覇権を引き継いだアメリカには、「世界のために何か役に立つものを提供してくれそうだと思わせる魅力があったからこそ「アメリカの世紀」が実現したが、ソ連にはそれがなかったと言うのだが、確かに、その魅力・磁力を失った故に、アメリカは凋落したのであろう。

   中国がどのような魅力的な「物語」を描くのかが問題だが、所詮、欧米の理解や共感を勝ち取ることは不可能であろう。
   しかし、それは決定的な障害にはならない。北米と欧州にロシアを加えても、総人口で精々24億人に過ぎない。そもそも中国が語るべき「物語」は、北半球の富裕な国々に対してではなく、南米やアジア、アフリカの、膨大な人口を抱え、あまりにも長く続いた欧米支配に対する怒りが蓄積した貧しくて抑圧されて来た地域の人々に訴えかける物語なのである。

   「アメリカの物語」は、いかに宗主国イギリスの抑圧と戦い、独立を勝ち取ったかの物語であったと同様に、「中国の物語」も当然、反帝国主義がテーマとなる。 
   かって栄光を誇った優れた文明が、19世紀にヨーロッパの尊大な帝国によって弱体化され分断されたが、虐げられた時代が続いても誇りと自尊心を失わず、ついに暴君を駆逐して、国家の卓越した舵取りのもとに順調に成長し豊かになり、ついには世界に冠たる大国になって欧米からも尊敬される国になったと言う「物語」なのである。

   尤も、現在の欧米から見れば、中国には、チベットやウイグル自治区などに対する弾圧や人権抑圧問題など、解決すべきアキレス腱は沢山あるが、喉もと過ぎれば熱さを忘れるで、かって欧米列強が行ってきた残忍極まりない非人道的な血塗られた歴史を思い起こせば、発展途上の一過程だと言うことであろうか。
   欧米の国々は、「自由主義」こそが最も偉大な歴史の産物であり、世界が認めるべきトップブランドだと信じてきたが、欧米で「最良」とされるモデルが、どの文化文明にも適合する「最良」モデルだと言うのは、勝手な思い込みではなかったかと、スタロビンは問いかける。
   政治的、経済的、文化的な伝統は、国や地域によって異なり、発展段階も違う。発展途上国においては、むしろ、「アメリカ型モデル」より、貧困から立ち上がって成長を続けてきた発展段階の良く似たステージにある「中国型モデル」の方が名実ともに受け入れやすい筈であり、多くの南米やアフリカの国々が、「中国型モデル」に共感を持つのは、帝国主義欧米列強憎しの感情だけではなく、そのモデルが、自国の発展と開発のために有効だと考えているからではないかと言うことである。
     
   私自身は、このスタロビンの考え方には、非常に共感を覚えており、これまで、文化文明をリードして来た欧米の価値観なり政治経済社会システムそのものが、ある意味では、暗礁に乗り上げて曲がり角に差し掛かっており、グローバル化して一体となった人類社会の比重が、貧しく遅れている下方に移動しつつあることを考えれば、発展街道を驀進する中国やインドなど新興国の生み出す文化文明、価値観、開発発展手法などが、市民権を得て、宇宙船地球号の将来を担って行くとしても、決して不思議ではないと思っている。

   今日の中国に対しては、私もやや辛口の感想を持っているのだが、しかし、中国に対する我々日本人の見方も、現在支配的な欧米的な価値観からだけから論評するのではなく、白紙に戻って見直してみると、別な中国像が現れて来て、新鮮な対応が出来るような気がしている。
   少なくとも、文化文明、人類の政治経済社会のパラダイムが、大きくシフトしつつある歴史的な大転換の足音くらいには、耳を澄ますべきではないかと思っている。
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トカイナカの真冬の吾が庭の生き物たち

2010年01月12日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   庭の木陰を、つぐみのようにぴょんぴょん跳びながら移動する雀に似た小鳥が、一匹いたので、近づいて行ったら、椛の小枝に飛び上がった。
   雀の行動とは全く違うので、良く見えなかったが、飛び去る前に、写真を数枚写したその一枚がこのショットで、この写真と野鳥図鑑を見比べると、どうも、マヒワのメスのような感じである。
   オスの方は、黄色みが強いらしいが、この鳥も、やや薄緑がかった黄色の感触で、私には始めての綺麗な小鳥である。

   今、私の庭で良く見かけるのは、ヒヨドリ、ムクドリ、メジロで、数羽ずつ、入れ替わり立ち代り、訪れて来ては、すぐに飛び去る。
   ヒヨドリが、一番、木の実を啄ばんでいて、とうとう、最後まで残っていた万両の赤い実を殆ど食べ尽くしてしまった。
   咲き始めた椿の花に、大きな鋭い嘴を突っ込んで、蜜を吸っているのだが、折角綺麗に咲いた花を、どんどん、落としてしまうので、一寸困っている。

   一匹だけで庭に来て、木陰で地面を突付いて掘り起こしながら、昆虫かミミズを探して啄ばんでいるのがツグミで、かなり、近くまで近づいてくるので、馴染みになっている。
   ところが、同じツグミ科のようだが、毎年来ていた腹部が鮮やかなオレンジ色のジョウビタキの姿を、今年は、まだ見ていない。必ず、毎年同じ所へ来るというので、シベリアからの旅で何かあったのか、心配している。

   これも、同じ仲間のようだが、雀より少し大き目のアカハラとシロハラが、時々やって来て、木陰で、枯葉や地面を掘り起こして餌を漁っている。
   ツグミよりは、動きが遅く、木陰で止まると殆ど動かないので、中々、写真が撮りづらいのだが、遠くから渡って来るツグミとは違って、北海道などで繁殖して冬に暖地に来る漂鳥だと言う。

   別に、私は、バード・ウォッチャーでもないのだが、私の庭を訪れて来てくれる小鳥たちを見ながらシャッターを押し続けていると、今まで気付かなかったような新しい野鳥に出くわして、多少知識が増えて行くのを楽しみ始めたと言ったところであろうか。
   雀、カラス、鳶、ひばり、ツバメ、鵙、鳩、白鷺くらいしか、野鳥に接したことのなかった子供時代と比べれば、かなりの成長である。

   春の草花の球根を植え、種を蒔き終わって、春を待つだけだが、この秋から冬にかけて、例年よりは、椿の花が、よく咲いているような気がしている。
   紅妙蓮寺や天ヶ下などは、もう終わりそうだが、アラジシや曙椿、相模、白、一子などの侘助椿は今が最盛期で咲き乱れており、玉之浦も咲き始めた。
   小さな八重咲きで、花びらの間のあっちこっちから黄色い蘂の出ているフルグラントピンクと言う里帰り椿が、華やかな花弁を開き始めたのだが、零下の戸外では、花びらが傷んで可哀想である。

   ミニ・ガーデン・シクラメンも、寄せ植えにして門口に並べているが、やはり、花弁が薄いので、最近の寒さには耐えられないのか、花の傷みが激しく、今年は、何故か、地球温暖化に逆行するような気候が気になっている。
   しかし、不思議なもので、花壇の土に手を触れると結構温かく、春の草花の球根が、どんどん、芽を出し始めている。
   凍てつけば別だが、時々土を掘り起こすと飛び出てくる冬眠中のアマガエルも、結構、地面の中では温かいのかも知れない。

   今年は、枇杷の結実が良さそうで、少しずつ、実が膨らみ始めた。
   地植えしたオレンジ・レモンは、まだ、葉を落としていないので、今年は、千葉の寒さを乗り切れそうである。暖地でないと駄目だと言われているが、大丈夫なようなので、今年は、レモンを庭に植えてみようと思っている。
   そのためには、今植わっている庭木を間引かなければならないのだが、まだ、取りきれずに沢山残っている柚子の隣に無理をすれば植えられるかも知れないとも思っている。
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