二月の歌舞伎座は、松本幸四郎と中村吉右衛門兄弟が重要な役割を果たした。
吉右衛門の方は、尾上菊五郎や田之助、玉三郎等と共演していたが、幸四郎の方は、少し若手との共演で一寸違った味を出していた。
私が、興味を持ったのは、昼の部の「一谷嫩軍記」の「須磨浦陣門の場」と「浜辺組打の場」の方で、昨秋、仁左衛門の「熊谷陣屋」を観て感激したので、その前座とも言うべき「陣門」と「組打」なので、それに、定評のある高麗屋の舞台なので、大いに期待して出かけた。
この歌舞伎は、平家物語の話にひねりを入れて、敦盛(中村福助)を後白河院のご落胤と言うことにして、義経の敦盛を助けよとの命令を受けて、直実が自分の息子小次郎直家を身代わりに殺すと言う話に変えてしまっている。
平家物語の話だけで十分であって、私は、改悪だと思っているが、この小次郎を身代わりにしたと言う話は、最後の「熊谷陣屋」を観ないと分からないし、それに、この身代わりは、その前の「陣門」で、直実が、傷ついた実子小次郎(実は敦盛)を助け出す時に兜で顔を隠して去って行く暗示以外には、全く、その気はない。
次の「組打」の場では、敦盛との組打で、敦盛の首を討つことになっているが、実際の敦盛が舞台に出て敦盛(実は小次郎)を演じるので、これを小次郎だと思って見よと言われても、歌舞伎の舞台だから許されるとしても、全くのところ無理がありすぎる。
この場合、関東武士として育った小次郎が雅な平家の公達敦盛の風情を出せる訳がないし、それに、敦盛として親に討たれる小次郎がどう演じれば良いのか。
もっとも、この2場は、最後の「熊谷陣屋」の伏線で意外であれば意外であるほど良いのだから、敦盛が討たれたと観客に思わせれば良いだけなのであろう。
したがって、この場合は、小次郎の演技にはそれを期待できないので、身代わりの苦渋は、ひとり直実が、舞台で演じなければならない。
私は、10年前の幸四郎の本「ギャルソンになった王様」に、幸四郎が、真実の涙『一谷嫩軍記』の「陣門」「組打」「陣屋」のところで、熊谷の心境を書いているのを思い出した。
幸四郎は、「武士としての熊谷が、苦悩の末、我が子小次郎の首を討って、敦盛の身代わりにし、義経もその心意気にうたれたと解釈するのが、一番自然な気がします。つまり、俗に言う「武士の情け」です。義経主従を見逃してやる「勧進帳」の富樫にもいえることですよね。」と言っている。
主君には絶対服従なのだから背く訳には行かないが、ただそれだけだと、武士としての熊谷が薄っぺらくなって、義経も温情とか人間味が全くなくなって、魅力ある存在ではなくなってしまう、と言うのである。
私は、幸四郎直実の一挙手一投足をジッと観察しながら、その苦渋のカゲを観ていたが、ひとり芝居の、孤独な心の葛藤を丁寧に噛み締めながら演じていたのを流石だと思って感激して鑑賞していた。
自分の子供を、断腸の思いで殺さざるを得なかった武士としての苦痛と悲しみを、運命の非情さに心で慟哭しながら敦盛への哀悼に変えて直実を演じており、あの仁左衛門とは違ってはいるが、同じ無慈悲な運命への怒りが胸に沁みて哀れであった。
真面目一徹で一寸不器用な幸四郎の演技が、更に、「人生僅か16年・・・」の無常観を胸に叩きつける。
福助の凛々しくも美しい敦盛(小次郎)が華を添えている。
幕が開いて最初に耳にして小次郎が感激した敦盛の妙なる笛の音(儚く消え行く雅な文化)が、やはり、この哀れな平家物語の一つの重要なテーマ。軍記物だが、美しい舞台でならなければならないと思っていたが、熊谷と敦盛の波打ち際での組打、玉織姫を演じた中村芝雀の艶姿など綺麗な舞台であった。
ところで、夜の部の「梶原平三誉石切」であるが、実に舞台に良くかかる演目だが、今回は、初代吉右衛門型で、舞台を背にして手水鉢を切り袱紗を使っていた。
幸四郎はお家の芸だから別として、幸四郎が、本当の主役は二人だと言っている六郎太夫(歌六)と梢(芝雀)父娘だが、実に上手く情感豊かに演じていた。
アクの強い彦三郎の大場三郎景親もさすがにベテランだが、いい男の筈の愛之助が厳つい奴姿の俣野五郎を憎憎しく演じていたのが面白かった。
二月大歌舞伎には、玉三郎と菊之助の「京鹿子娘二人道成寺」、芝翫、菊之助と橋之助の「浮塒鷗」、芝雀、橋之助と歌昇の「春調娘七草」があったが、バレーは一寸別としても、舞踊劇には鑑賞眼がないのが残念であり、コメントは控えざるを得ない。
(追記)昨年3月1日に、この「熟年の徒然文化雑記帳」を始めてから一年経った。
手術入院とヨーロッパ旅行等で少し抜けたが、大過なく書き続けて来られたのは幸いである。
別に何の準備をするでもなく、その日に浮かんだテーマを書き続けて来ただけなので、とにかく、政治経済から旅や観劇まで、統一が取れずに終わってしまったが、これも人生。
どこまで続けられるか、また、明日からスタートである。
吉右衛門の方は、尾上菊五郎や田之助、玉三郎等と共演していたが、幸四郎の方は、少し若手との共演で一寸違った味を出していた。
私が、興味を持ったのは、昼の部の「一谷嫩軍記」の「須磨浦陣門の場」と「浜辺組打の場」の方で、昨秋、仁左衛門の「熊谷陣屋」を観て感激したので、その前座とも言うべき「陣門」と「組打」なので、それに、定評のある高麗屋の舞台なので、大いに期待して出かけた。
この歌舞伎は、平家物語の話にひねりを入れて、敦盛(中村福助)を後白河院のご落胤と言うことにして、義経の敦盛を助けよとの命令を受けて、直実が自分の息子小次郎直家を身代わりに殺すと言う話に変えてしまっている。
平家物語の話だけで十分であって、私は、改悪だと思っているが、この小次郎を身代わりにしたと言う話は、最後の「熊谷陣屋」を観ないと分からないし、それに、この身代わりは、その前の「陣門」で、直実が、傷ついた実子小次郎(実は敦盛)を助け出す時に兜で顔を隠して去って行く暗示以外には、全く、その気はない。
次の「組打」の場では、敦盛との組打で、敦盛の首を討つことになっているが、実際の敦盛が舞台に出て敦盛(実は小次郎)を演じるので、これを小次郎だと思って見よと言われても、歌舞伎の舞台だから許されるとしても、全くのところ無理がありすぎる。
この場合、関東武士として育った小次郎が雅な平家の公達敦盛の風情を出せる訳がないし、それに、敦盛として親に討たれる小次郎がどう演じれば良いのか。
もっとも、この2場は、最後の「熊谷陣屋」の伏線で意外であれば意外であるほど良いのだから、敦盛が討たれたと観客に思わせれば良いだけなのであろう。
したがって、この場合は、小次郎の演技にはそれを期待できないので、身代わりの苦渋は、ひとり直実が、舞台で演じなければならない。
私は、10年前の幸四郎の本「ギャルソンになった王様」に、幸四郎が、真実の涙『一谷嫩軍記』の「陣門」「組打」「陣屋」のところで、熊谷の心境を書いているのを思い出した。
幸四郎は、「武士としての熊谷が、苦悩の末、我が子小次郎の首を討って、敦盛の身代わりにし、義経もその心意気にうたれたと解釈するのが、一番自然な気がします。つまり、俗に言う「武士の情け」です。義経主従を見逃してやる「勧進帳」の富樫にもいえることですよね。」と言っている。
主君には絶対服従なのだから背く訳には行かないが、ただそれだけだと、武士としての熊谷が薄っぺらくなって、義経も温情とか人間味が全くなくなって、魅力ある存在ではなくなってしまう、と言うのである。
私は、幸四郎直実の一挙手一投足をジッと観察しながら、その苦渋のカゲを観ていたが、ひとり芝居の、孤独な心の葛藤を丁寧に噛み締めながら演じていたのを流石だと思って感激して鑑賞していた。
自分の子供を、断腸の思いで殺さざるを得なかった武士としての苦痛と悲しみを、運命の非情さに心で慟哭しながら敦盛への哀悼に変えて直実を演じており、あの仁左衛門とは違ってはいるが、同じ無慈悲な運命への怒りが胸に沁みて哀れであった。
真面目一徹で一寸不器用な幸四郎の演技が、更に、「人生僅か16年・・・」の無常観を胸に叩きつける。
福助の凛々しくも美しい敦盛(小次郎)が華を添えている。
幕が開いて最初に耳にして小次郎が感激した敦盛の妙なる笛の音(儚く消え行く雅な文化)が、やはり、この哀れな平家物語の一つの重要なテーマ。軍記物だが、美しい舞台でならなければならないと思っていたが、熊谷と敦盛の波打ち際での組打、玉織姫を演じた中村芝雀の艶姿など綺麗な舞台であった。
ところで、夜の部の「梶原平三誉石切」であるが、実に舞台に良くかかる演目だが、今回は、初代吉右衛門型で、舞台を背にして手水鉢を切り袱紗を使っていた。
幸四郎はお家の芸だから別として、幸四郎が、本当の主役は二人だと言っている六郎太夫(歌六)と梢(芝雀)父娘だが、実に上手く情感豊かに演じていた。
アクの強い彦三郎の大場三郎景親もさすがにベテランだが、いい男の筈の愛之助が厳つい奴姿の俣野五郎を憎憎しく演じていたのが面白かった。
二月大歌舞伎には、玉三郎と菊之助の「京鹿子娘二人道成寺」、芝翫、菊之助と橋之助の「浮塒鷗」、芝雀、橋之助と歌昇の「春調娘七草」があったが、バレーは一寸別としても、舞踊劇には鑑賞眼がないのが残念であり、コメントは控えざるを得ない。
(追記)昨年3月1日に、この「熟年の徒然文化雑記帳」を始めてから一年経った。
手術入院とヨーロッパ旅行等で少し抜けたが、大過なく書き続けて来られたのは幸いである。
別に何の準備をするでもなく、その日に浮かんだテーマを書き続けて来ただけなので、とにかく、政治経済から旅や観劇まで、統一が取れずに終わってしまったが、これも人生。
どこまで続けられるか、また、明日からスタートである。