近松門左衛門の男女の悲劇を描いた作品だが、この「冥途の飛脚}は、「曽根崎心中」や「心中天の網島」のように、男女の心中、すなわち、情死で終わらずに、公金横領の咎で、逃亡を企てて、捕縛されて幕が降りる。
面目を潰されたと息巻いた飛脚問屋亀屋の養子忠兵衛が、御法度の封印を切って追い詰められ、その金で恋仲の新町の遊女梅川を身請けして忠兵衛の在所新口村を目指して逃亡するすると言う話なので、いわば、心中する必然性はない。
一説によると、梅川は、苦界から抜け出すために、忠兵衛を唆して横領させたしたたかな悪女だとも言われていて、忠兵衛は、千日刑場で死罪となったが、梅川は、入牢するも無罪放免となって新町に帰って大繁盛したと言うから面白い。
興味深いのは、近松門左衛門は、この「冥途の飛脚」では、大谷晃一教授によると、梅川を、姿も心も、この上ない美しくて優しい遊女として描いたために、観客は彼女の哀れさに涙で袖を絞り、大当たりしたと言う。
もう一つ興味深いのは、歌舞伎では、忠兵衛を煽りに煽って封印を切らせた張本人である八右衛門を悪人として描いているのだが、近松門左衛門は、むしろ、善人として描いており、その説得や梅川の窘めにも耳を貸さずに、激高した忠兵衛が、暴走して封印を切ると言う話になっている。
梅川の玉三郎との舞台で、短気で見栄っ張りのがしんたれの優男の忠兵衛を演じた仁左衛門が、八右衛門になって登場すると、悪口雑言の限りを尽くして、藤十郎の忠兵衛を煽りに煽って、切羽詰って封印を切らせ、去り際に、こっそり封印の紙を拾って、公金横領を訴えると言う徹底的な悪役を演じて、憎々さも秀逸なのだが、何故か、冴えた大阪弁の啖呵が、心地よく響くのであるから面白い。
一方、近松の浄瑠璃でも文楽でも、この新町越後屋の場で、八右衛門が、忠兵衛のことを思って郭に寄せ付けないようにと諭す意味で善意で忠兵衛の金の不如意の話をしているのだが、その内容が、このままでは泥棒してさらし首となると言った極端な話をするので、門口で立ち聞きしていた忠兵衛が誤解して堪忍袋の緒を切って部屋に飛び込み、八右衛門も梅川も、忠兵衛の懐の金は公金であろうと思っているので、必死になって手を付けるなと説得するのだが、短気で見栄っ張りの忠兵衛は、この金は大和から養子に来る時の持参金で他所に預けていたのを見受けのために取り戻した金だと言って、激情を抑え切れずに男の意地を押し通して、とうとう封印を切ってしまう。
忠兵衛は、梅川の身請けの残金、借金、そのほかの祝儀などに使い切り、今晩のうちに、梅川が廓を出るようにしてくれと急き立てるのだが、梅川は、一生の晴れのこと、傍輩衆への別れもちゃんと済ませてとはしゃぐと、忠兵衛はわっと泣き出し「かわいそうに、何も知らぬか、今の小判は堂島のお屋敷の急の金じゃ。・・・
舞台は、一気に暗転。
「ふたりで死ねば本望。生きられるだけ生き、この世で添えるだけ添おう。」と、まろびつ転びつ、手に手を取って、逃げて行く。
今回の舞台でも、文楽ではいつもそうだが、浄瑠璃の下之巻のうち、「道行相合駕籠」で終わっていて、歌舞伎「恋飛脚大和往来」ではよく演じられる「新口村の段」は、上演されない。
その方が、余韻を残して良いのかも知れないが、芝居としては、「新口村の段」だけでも、独立した味のある舞台となるほどの名場面なので、ないとなると、物足りない感じがする。
梅川と忠兵衛は、忠兵衛の故郷新口村まで落ち延びて来て、父親孫右衛門に涙の再開をして、逃げる途中に捕縛されて引かれて行くのである。
通りかかった孫右衛門が下駄の鼻緒を切らして泥田へと転んだので、梅川は、おもわず家から飛び出して助け、事情を察した孫右衛門が、路銀にせよと金を梅川に渡して去って行く悲しい親子の別れが余韻を引く。
歌舞伎でも、この舞台は涙を誘う。
私など、専攻が経済学なので、商都大坂の飛脚問屋、書状と貨幣を預って輸送して商売と金融の重要な役割を果たしていた通信金融システムに興味が行く。
18世紀に、世界に先駆けて、大坂の堂島で、米相場から近代的な商品先物取引が始まったと言う大坂であるから、当然のことだが、その信用システムの一寸した歪と言うか蹉跌が、芝居のサブテーマになっていて、面白いと思ったのである。
芝居でも絵画でもそうだが、その時代の政治経済社会の有様が、非常にビビッドに表れていることがあって、そんな側面からの、脱線した鑑賞も味があって良い。
今回の舞台は、玉男の忠兵衛と清十郎の梅川であったが、私が一番最初に観たのは、もう15年以上も前だが、初代玉男の忠兵衛、簑助の梅川、文吾の八右衛門であった。
その後、もう一度、玉男と簑助の舞台を観たが、この時は、玉男の最晩年でもあり、「道行相合かご」の忠兵衛は、勘十郎に代わっていた。
この時、「淡路町の段」で、忠兵衛が、堂島の蔵屋敷に300両を持って届けるべく、梅川のいる新町に引かれて、西横堀で、行こうか戻ろうかと逡巡するシーンで、玉男の忠兵衛が、三味線の軽快なリズムに乗って、ステップを踏んでいたのを、思い出す。
その後は、二代目玉男の徳兵衛と紋壽の梅川であった。
良く分からないが、二代目玉男も清十郎も、実に感動的な舞台を見せて魅せてくれたが、初代玉男と簑助の、どこか心の底から湧き上がってくるような連綿とした味と言うか感動のうねりが、懐かしいと思って観ていた。