イギリスに行く目的の一つは、ロイヤル・オペラを鑑賞することで、帰国してからも出かけて行き、ワーグナーの「ローエングリン」や「トリスタンとイゾルデ」、前回は、ドミンゴ指揮のレオンカヴァレロの「道化師」等を楽しむ機会があった。
チケットの手配は、総てロイヤル・オペラのホーム・ページからで、シーズン毎にメールが来るので予定は予め分かっており、旅程に合わせて予約を入れる。
今回は、ロンドン滞在予定時期には、「ワルキューレ」「リゴレット」「オテロ」「ポントの王ミトリダーテ」が公演されていて、ドミンゴの歌う「ワルキューレ」は即刻ソールドアウトであった。
旅程を確定した時には、残っていた「リゴレット」と「オテロ」も売切れてしまって、取得出来たのはモーツアルトの「ミトリダーテ」だけであった。
ロンドンに着いた翌日、即ちテロの翌日、真っ先にコベントガーデンに出かけて、ボックスオフイスに向かった。
「ミトリダーテ」のチケットをピックアップする時に、実直そうな窓口の中年紳士に、リゴレットとオテロのチケットがないかと聴くと、幸い良い席が一枚づつ残っていると嬉しいことを言う。
「ワルキューレ」については、昨年、ニューヨークでドミンゴを聴いているし、かち合っているロンドン塔の「アンナ・ボレーナ」を諦める心算はなかったのだが、「オテロ」は、グローブ座の「冬物語」と一時間重なっている。
しかし、ルネ・フレミングの歌うデズデモーナの誘惑には勝てない、結局、掛け持ったのであるが、こんなことは旅先での常である。
7月9日、この日は、マチネーが「ミトリダーテ」、夜が「リゴレット」で、一日、ロイヤル・オペラで過ごすことになった。
ロイヤル・オペラは、在英5年間はシーズンメンバーチケットで通い、その他の在欧期間や旅行中を含めて結構行ったので、随分多くのオペラを楽しませて貰った。
最初に観たオペラが、大阪フェスティバルで来日したバイロイト祝祭オペラの「トリスタンとイゾルデ」で、ビルギット・ニルソンとウイントガッセン、ハンス・ホッターのワーグナーに度肝を抜かれてから、はるばる歩んできたオペラ鑑賞の旅路だが、随分遠くまで来てしまったと感慨しきりである。
モーツアルトは、私の好きな音楽家で、あの天国的な美しさが堪らないし、若くして亡くなったあのモーツアルトが、こんなに豊かなオペラを書くなんてと思うと、小澤征爾が言っていた「神様がモーツアルトの手を取って書かせたとしか思えない」と言う言葉が良く分かる。
この「ポントの王ミトリダーテ」は、モーツアルトが、旅の途上ミラノで、14歳の時に作曲したオペラ・セリエで、初めて聞いたが、可なり入り組んだオペラで、当時のミラノオペラ界で活躍していたカストラートの影響を受け、珍しくカウンターテナーを起用して居る等話題性も有り、後の4大オペラとは全く違ったモーツアルトの非凡さを示したユニークなオペラである。
父親の愛人アスパシアを愛する二人の兄弟の愛の葛藤、その合間に揺れるアスパシアをポーランドのソプラノ・アレクサンドラ・クルザークが感情豊かに歌う。あのギオルギューやブリン・ターフェルが駆け出しの頃をこのコベントガーデンで観ているが、素晴らしいタレントの出現は嬉しい。
タイトル・ロールは、アメリカのベルカント・テナー・ブルース・フォードで、厳ついメイクが気になったが、秀逸。
カウンターテナー・ファーナスは、デイヴィッド・ダニエルスが、ウイリアム・タワースに代わっていたが、殆ど聴く機会のないカウンターテナーの層の厚いのにビックリした。
このオペラで面白いのは、衣装で、ウイーンにあるヴェラスケスの「マルガリータ姫」の絵の様に、横に大きく張ったペチコートを付けたフロックを男女ともに身に着けていることで、そのデザインが、カブキ、トルコ、インド風ミックスだと言うユニークさ。
このオペラが、モーツアルト没後2000年にザルツブルグで再演され、ロイヤル・オペラでは20年後の1991年に初演、今回が3回目。
他の演目と違ってチケットは最後まで売り切れなかったようだが、惜しいと思った。
終演の後、レスタースクエアーの方に歩き途中のパブに入って、ギネスを楽しみながらプログラムを読み返した。
このロイヤルオペラのプログラムは、6ポンド(1200円)だが、どこかの国の様に、豪華に見えるがナンセンスな偉いヒトの祝辞やプロマイド写真、下手な解説と広告で埋められたものとは全く違っていて、実に教養があり内容豊かな有り難い本であることを付記しておきたい。
チケットの手配は、総てロイヤル・オペラのホーム・ページからで、シーズン毎にメールが来るので予定は予め分かっており、旅程に合わせて予約を入れる。
今回は、ロンドン滞在予定時期には、「ワルキューレ」「リゴレット」「オテロ」「ポントの王ミトリダーテ」が公演されていて、ドミンゴの歌う「ワルキューレ」は即刻ソールドアウトであった。
旅程を確定した時には、残っていた「リゴレット」と「オテロ」も売切れてしまって、取得出来たのはモーツアルトの「ミトリダーテ」だけであった。
ロンドンに着いた翌日、即ちテロの翌日、真っ先にコベントガーデンに出かけて、ボックスオフイスに向かった。
「ミトリダーテ」のチケットをピックアップする時に、実直そうな窓口の中年紳士に、リゴレットとオテロのチケットがないかと聴くと、幸い良い席が一枚づつ残っていると嬉しいことを言う。
「ワルキューレ」については、昨年、ニューヨークでドミンゴを聴いているし、かち合っているロンドン塔の「アンナ・ボレーナ」を諦める心算はなかったのだが、「オテロ」は、グローブ座の「冬物語」と一時間重なっている。
しかし、ルネ・フレミングの歌うデズデモーナの誘惑には勝てない、結局、掛け持ったのであるが、こんなことは旅先での常である。
7月9日、この日は、マチネーが「ミトリダーテ」、夜が「リゴレット」で、一日、ロイヤル・オペラで過ごすことになった。
ロイヤル・オペラは、在英5年間はシーズンメンバーチケットで通い、その他の在欧期間や旅行中を含めて結構行ったので、随分多くのオペラを楽しませて貰った。
最初に観たオペラが、大阪フェスティバルで来日したバイロイト祝祭オペラの「トリスタンとイゾルデ」で、ビルギット・ニルソンとウイントガッセン、ハンス・ホッターのワーグナーに度肝を抜かれてから、はるばる歩んできたオペラ鑑賞の旅路だが、随分遠くまで来てしまったと感慨しきりである。
モーツアルトは、私の好きな音楽家で、あの天国的な美しさが堪らないし、若くして亡くなったあのモーツアルトが、こんなに豊かなオペラを書くなんてと思うと、小澤征爾が言っていた「神様がモーツアルトの手を取って書かせたとしか思えない」と言う言葉が良く分かる。
この「ポントの王ミトリダーテ」は、モーツアルトが、旅の途上ミラノで、14歳の時に作曲したオペラ・セリエで、初めて聞いたが、可なり入り組んだオペラで、当時のミラノオペラ界で活躍していたカストラートの影響を受け、珍しくカウンターテナーを起用して居る等話題性も有り、後の4大オペラとは全く違ったモーツアルトの非凡さを示したユニークなオペラである。
父親の愛人アスパシアを愛する二人の兄弟の愛の葛藤、その合間に揺れるアスパシアをポーランドのソプラノ・アレクサンドラ・クルザークが感情豊かに歌う。あのギオルギューやブリン・ターフェルが駆け出しの頃をこのコベントガーデンで観ているが、素晴らしいタレントの出現は嬉しい。
タイトル・ロールは、アメリカのベルカント・テナー・ブルース・フォードで、厳ついメイクが気になったが、秀逸。
カウンターテナー・ファーナスは、デイヴィッド・ダニエルスが、ウイリアム・タワースに代わっていたが、殆ど聴く機会のないカウンターテナーの層の厚いのにビックリした。
このオペラで面白いのは、衣装で、ウイーンにあるヴェラスケスの「マルガリータ姫」の絵の様に、横に大きく張ったペチコートを付けたフロックを男女ともに身に着けていることで、そのデザインが、カブキ、トルコ、インド風ミックスだと言うユニークさ。
このオペラが、モーツアルト没後2000年にザルツブルグで再演され、ロイヤル・オペラでは20年後の1991年に初演、今回が3回目。
他の演目と違ってチケットは最後まで売り切れなかったようだが、惜しいと思った。
終演の後、レスタースクエアーの方に歩き途中のパブに入って、ギネスを楽しみながらプログラムを読み返した。
このロイヤルオペラのプログラムは、6ポンド(1200円)だが、どこかの国の様に、豪華に見えるがナンセンスな偉いヒトの祝辞やプロマイド写真、下手な解説と広告で埋められたものとは全く違っていて、実に教養があり内容豊かな有り難い本であることを付記しておきたい。