ニューヨーク・タイムズの電子版のトップ・記事が、「Big Banks Paid Billions in Bonuses Amid Wall St.Crisis」。
以前、物議を醸したAIGだけだと思っていたのだが、「2008年度ウォール・ストリート1億円(1ミリオン ドル)クラブ会員は、5000人」と言う書き出しで、ニューヨーク州司法長官が、大損失を出して税金を何千億円も注入された大銀行が、大惨事の時期に、少なくとも4793人の行員やトレーダーに対して、1億円以上のボーナスを支給していたと報告したと報道したのである。
早速、クオモ長官の「NO RHYME OR REASON The 'Heads I Win, Tails You Lose' Bank Bonus Culture」を読んで見たら、ここまで、アメリカ金融界のモラルがダウンしたのか、と言うよりも、市場原理主義に基づく契約社会とはこう言うものかと言うことを思い知らされた感じであった。
NY州司法長官事務所が、昨年の経済危機関連の調査、すなわち、格付け機関の失敗、政府規制当局の役割、CDS市場の大洪水、過度のレバリッジ効果、住宅金融詐欺などを調査中に発見したと言うことでの、いわば特別報告である。
殆どの銀行は、業績が良ければ良く、悪ければ悪く支払うと言う、業績に基づいて報酬を支払うことが最も重要だと強調した。
しかし、司法庁は、銀行や関係機関の関係者からの事情聴取を含めて徹底的に調査した結果、彼らの主張に反して、そのような報酬制度に対するいかなる明確なRHYME OR REASONも、発見できなかった。
過去3年間は、業績連動の報酬制度の試行錯誤であったようだが、調査の結果、実際の銀行員への報酬は、銀行の財務諸表の業績からは切り離されてしまっていて、出鱈目だったと言うのである。
したがって、銀行の業績の良い時には良く支払われ、悪い時にさえも良く支払われ、更に、銀行が、最悪の業績に陥った時にも、膨大な税金の注入を受けながらも、良い報酬が支払われた、すなわち、ボーナスと全体の報酬は、利益消失とは殆ど連動してダウンしなかったのだと断罪している。
最悪であったシティグループやメリルリンチなど、トータル540億ドルの損失を出し、政府から550億ドルの救済資金を受けながらも、90億ドルものボーナスを出し、シティが1億円以上支払った人間は738人にも上ると言う。
少し業績の良かったゴールドマン・ザックスの場合には、もっと寛大で、1億円以上は953人、3億円以上は212人もあり、政府から100億ドルの救済資金を受けながら、収入23億ドルの2倍の48億ドルのボーナスを支払っている。
バンカメ、モルガン・スタンレー、JPモルガン・チェイスまど他の銀行もこれに倣えで、その責任感のなさとモラルの欠如は目を覆うばかりの惨状である。
ドラッカーも、ガルブレイスも、市場原理主義の暴走と経営者のモラルの欠如等によって、現代資本主義が堕落してしまったことを慨嘆しながら逝ってしまったのだが、今回の金融危機によって引き起こされた未曾有の大恐慌を見なくて済んだことは、せめてもの幸せであったかも知れないと思うと寂しい。
私は、この記事を読みながら、ニッサンのカルロス・ゴーンを思い出した。
このことは、先月のニッサンの株主総会レポートでコメントしたが、今期、大赤字で株主配当さえゼロにしたにも拘わらず、高額の役員報酬を支払ったことについて、報酬は前年度の業績連動であると言って株主の批判を一蹴し、かつ、今回の経済危機による業績悪化は、不可抗力であって、会社のフリー・キャッシュ・フローを維持するために無配にしたとするゴーン発言である。
ゴーンの経営哲学は、徹頭徹尾、今回のウォール・ストリート金融機関の報酬哲学と同列で、良いか悪いかは別にして、ニッサンは、最早、日本的公序良俗を内包した会社ではなくなっていると言うことである。
どうしても私が解せないのは、あのトヨタでさえ赤字になった経済不況であるから、業績の悪化は経営者の責任ではないと言うゴーンの理論である。
偶々、ICTおよび金融革命(?)による長期景気循環の上昇局面の波に乗って、世界同時好況のために、自動車産業が活況を呈していただけで、当然発生し得る景気後退期においては、耐久消費財の自動車の需要が落ち込んで業績が悪化するのは当たり前の筈で、そんなことは、ゴーン自身、欧米で十二分に経験して熟知済みであり、不可知ではない筈である。
それにも拘わらず、ニッサン再生プランを高らか掲げて実現可能を吹聴して、長期的上昇を続ける高額配当は、「コミットメント」だと大見得を切り続けていた。
理屈に合っているようで実際は全く理屈に合っていない、そんな銀行の対応を、クオモは、The 'Heads I Win, Tails You Lose' Bank Bonus Culture と言うタイトルで、レポートを書いたが、それが、資本主義の本質なら、われわれの未来は、益々暗い。
ところで、ゴールドマン・ザックスを筆頭にして、沈んでいた金融機関が元気を取り戻し始めたようだが、クルーグマンなど多くの学者や欧米の経済紙誌などは、金融機関を野放しにせず、このまま箍を嵌め続けろと警告を発し続けている。
しかし、どんなに箍を嵌めて、締め付けようとも、資本主義そのものが、自由を求めて動き続けるシステムである以上、その上を行き、これをコントロールする人間が。もっともっと賢くならない限り制御できる筈がない。
以前、物議を醸したAIGだけだと思っていたのだが、「2008年度ウォール・ストリート1億円(1ミリオン ドル)クラブ会員は、5000人」と言う書き出しで、ニューヨーク州司法長官が、大損失を出して税金を何千億円も注入された大銀行が、大惨事の時期に、少なくとも4793人の行員やトレーダーに対して、1億円以上のボーナスを支給していたと報告したと報道したのである。
早速、クオモ長官の「NO RHYME OR REASON The 'Heads I Win, Tails You Lose' Bank Bonus Culture」を読んで見たら、ここまで、アメリカ金融界のモラルがダウンしたのか、と言うよりも、市場原理主義に基づく契約社会とはこう言うものかと言うことを思い知らされた感じであった。
NY州司法長官事務所が、昨年の経済危機関連の調査、すなわち、格付け機関の失敗、政府規制当局の役割、CDS市場の大洪水、過度のレバリッジ効果、住宅金融詐欺などを調査中に発見したと言うことでの、いわば特別報告である。
殆どの銀行は、業績が良ければ良く、悪ければ悪く支払うと言う、業績に基づいて報酬を支払うことが最も重要だと強調した。
しかし、司法庁は、銀行や関係機関の関係者からの事情聴取を含めて徹底的に調査した結果、彼らの主張に反して、そのような報酬制度に対するいかなる明確なRHYME OR REASONも、発見できなかった。
過去3年間は、業績連動の報酬制度の試行錯誤であったようだが、調査の結果、実際の銀行員への報酬は、銀行の財務諸表の業績からは切り離されてしまっていて、出鱈目だったと言うのである。
したがって、銀行の業績の良い時には良く支払われ、悪い時にさえも良く支払われ、更に、銀行が、最悪の業績に陥った時にも、膨大な税金の注入を受けながらも、良い報酬が支払われた、すなわち、ボーナスと全体の報酬は、利益消失とは殆ど連動してダウンしなかったのだと断罪している。
最悪であったシティグループやメリルリンチなど、トータル540億ドルの損失を出し、政府から550億ドルの救済資金を受けながらも、90億ドルものボーナスを出し、シティが1億円以上支払った人間は738人にも上ると言う。
少し業績の良かったゴールドマン・ザックスの場合には、もっと寛大で、1億円以上は953人、3億円以上は212人もあり、政府から100億ドルの救済資金を受けながら、収入23億ドルの2倍の48億ドルのボーナスを支払っている。
バンカメ、モルガン・スタンレー、JPモルガン・チェイスまど他の銀行もこれに倣えで、その責任感のなさとモラルの欠如は目を覆うばかりの惨状である。
ドラッカーも、ガルブレイスも、市場原理主義の暴走と経営者のモラルの欠如等によって、現代資本主義が堕落してしまったことを慨嘆しながら逝ってしまったのだが、今回の金融危機によって引き起こされた未曾有の大恐慌を見なくて済んだことは、せめてもの幸せであったかも知れないと思うと寂しい。
私は、この記事を読みながら、ニッサンのカルロス・ゴーンを思い出した。
このことは、先月のニッサンの株主総会レポートでコメントしたが、今期、大赤字で株主配当さえゼロにしたにも拘わらず、高額の役員報酬を支払ったことについて、報酬は前年度の業績連動であると言って株主の批判を一蹴し、かつ、今回の経済危機による業績悪化は、不可抗力であって、会社のフリー・キャッシュ・フローを維持するために無配にしたとするゴーン発言である。
ゴーンの経営哲学は、徹頭徹尾、今回のウォール・ストリート金融機関の報酬哲学と同列で、良いか悪いかは別にして、ニッサンは、最早、日本的公序良俗を内包した会社ではなくなっていると言うことである。
どうしても私が解せないのは、あのトヨタでさえ赤字になった経済不況であるから、業績の悪化は経営者の責任ではないと言うゴーンの理論である。
偶々、ICTおよび金融革命(?)による長期景気循環の上昇局面の波に乗って、世界同時好況のために、自動車産業が活況を呈していただけで、当然発生し得る景気後退期においては、耐久消費財の自動車の需要が落ち込んで業績が悪化するのは当たり前の筈で、そんなことは、ゴーン自身、欧米で十二分に経験して熟知済みであり、不可知ではない筈である。
それにも拘わらず、ニッサン再生プランを高らか掲げて実現可能を吹聴して、長期的上昇を続ける高額配当は、「コミットメント」だと大見得を切り続けていた。
理屈に合っているようで実際は全く理屈に合っていない、そんな銀行の対応を、クオモは、The 'Heads I Win, Tails You Lose' Bank Bonus Culture と言うタイトルで、レポートを書いたが、それが、資本主義の本質なら、われわれの未来は、益々暗い。
ところで、ゴールドマン・ザックスを筆頭にして、沈んでいた金融機関が元気を取り戻し始めたようだが、クルーグマンなど多くの学者や欧米の経済紙誌などは、金融機関を野放しにせず、このまま箍を嵌め続けろと警告を発し続けている。
しかし、どんなに箍を嵌めて、締め付けようとも、資本主義そのものが、自由を求めて動き続けるシステムである以上、その上を行き、これをコントロールする人間が。もっともっと賢くならない限り制御できる筈がない。