熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

咲き乱れているアサガオ

2006年09月30日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   私の庭には、まだ、日本アサガオが咲き乱れている。
   昨年植えたアサガオの種が自然に発芽して咲き始め、ほって置いたら庭木を駆け上がり、ヤマモモの木やバラ、ツゲの木などを覆って、まだ、毎朝、沢山の蕾をつけて咲き続けている。
   それに、地面に這うように茎を広げたツユクサにも鮮やかなブルーの可憐な花が咲いている。

   口絵写真は、ムラサキシキブに絡んで咲いているアサガオの花であるが、これから秋深くなると益々鮮やかな紫色のキャビアのように光り輝くムラサキシキブとけんを競っている。
   薄いピンクの単色だったが、少しずつ、白い縦じま模様の斑が入るようになってきたが、何時まで咲き続けるのか様子を見て見ようと思っている。

   ミヤギノ萩の花は、完全に消えて、ヤブランの花が、ムラサキシキブのように美しい濃緑の実をびっしりとうもろこし状につけている。
   つわぶきが、沢山の蕾をつけ始めた。
   秋も深くなってきた。

   近所の植木店に出かけたら、椿の苗が沢山出ていた。
   黒いビニール製のポット植えが580円で、それを植え替えて鉢植えにしたのが780円であったが、面白かったのは、どの椿も同じ値段であった。
   侘助や薮椿、雪椿などの多様な椿のほかに、金花茶やベトナム椿もあったが、これらも同じ値段であった。
   普通の椿でも珍しい銘椿などは値段が高いし、金花茶やベトナム椿などは、普段何倍かの値段で売られていて結構高いのだが、全く同じ値段なのである。

   間違いではないかと店のマネージャーに聞いたら、お客さんは椿の種類など分かりませんので同じ値段にしましたと言う返事であった。
   私など、椿の銘柄については気になるのだが、確かにそう言われれば、大概の人は、椿にも色々種類があるのですねえと言うだけで、特に関心をはらう様でもない。
   販売戦略として、椿として同じ値段で売るのが良いのか、他を安くして金花茶等を高くしてメリハリをつけて従来のように売るのが良いのか、普通の値段付けと違っていたので考えてしまった。

   不思議なもので、自分に関心のない物事には、誰も至って無関心で、その違いなど気にしない。
   どこかのコーヒーメーカーが「違いの分かる男」などとTVで有名人を使ってコマーシャルをしていたが、関心のない人には違う男の差などには興味がないし、違いなど分からなくても良いのである。

   ところで、サウジアラビアでは、花はどんな花でも総て花と言うので、花には違いはないと聞いた。
   しかし、一番身近なラクダについては、オス・メスは勿論、歳や世代の差など色々な名前がついていて区別出来るのだと言う。
   尤も、雨なども、年に数度しか降らないので雨も総て雨であろう。五月雨や梅雨、霧雨など呼び方を変えて微妙に区別する日本の雨とは大違いで、やはり関心があるかないかが総てである。

   余談であるが、雨でサウジアラビアでの大雨を思い出した。
   カラチからダーランに入ったのだが、大変な異常気象で大雨が降り、ダーラン空港は至るところで雨漏り、とにかく、雨が降らないので防水など極めて好い加減なのである。
   空港から市街地までの道のりは、俄かに出来た大きな湖状の水面が延々と続いていて何日も水が引かなかった。

   飛行機などべた遅れで予定などズタズタ、しかし、リヤドに行ったら、ワジが川に復活して物凄い濁流が流れて滝のようになっているので見に行こう、とアラビア人パートナーに誘われて出かけた。
   日本なら何のことはない、普通の川が大水で増水して濁流が渦巻いているという程度だが、アラビア人にとっては、会社を休みにして弁当持ちで見に行く値打ちのある見ものなのである。

   椿の種類の違いから話が脱線してしまったが、兎に角、違いや差が気になり始めたら、そのことが自分にとって相当の関心事になっていると言うことであろう。
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バイオ・イノベーションの推進・・・一橋大学

2006年09月29日 | 経営・ビジネス
   昨日、六本木ヒルズ49階のアカデミーヒルズで、一橋大学イノベーション研究センターと日経の共催で「日本の競争力とバイオ・イノベーション」と言うテーマでシンポジュームが開かれた。
   富士は雲に遮られて見えなかったが、幸いに雨上がりの秋晴れで360度の素晴らしい東京の展望を楽しむことが出来た。

   米倉誠一郎教授のリーダーシップで立ち上げられたシンポジュームで、日本のバイオ・ベンチャーを元気付けようと言う試みで、非常に素晴らしい基調講演が行われた。
   しかし、後半のシンポジューム「日本のバイオテクノロジー産業の可能性」が、やはり日本のバイオベンチュアーの現状を現しているのか、内容に乏しかったので、その後の米倉教授主導の「未来へのソリューション~発明からイノべーションへ:ビジネス・インフラのあり方を語る~」を残念ながら聞かずに、多くの退場者の後に従って会場を出てしまった。
   人選を誤って多くの登場人物を登場させる短時間のシンポジュームで、司会の無能さを露呈すると如何に惨めになるかと言うことの好例だが、経営学とイノベーションのエキスパート米倉教授のお膝元で起こるとは驚きであった。

   米国バイオ医薬品最大手のアムジェンの成功戦略とその経営を、S.FORAKER副社長が、基調講演で1時間に渡って熱っぽく語ったが、兎に角、イノベーション、イノベーションで、如何に新薬開発の為に企業一体となって取り組むのかに終始していた。
   R&D戦略のポイントは、最善のイノベーションの追及。
   モダリティ・インフラと資源を、イノベーションを引き出すバイオロジーに焦点を当てる、そして、重い深刻な病気に集中する、のだと言う。

   事業展開の為には、ライセンシングと買収が主体だが、最近はベンチュアーへの取り組みも重要になって来ている。
   さらに、科学的なイノベーションには、他の組織とのコラボレーションが大切で、適切な段階で、適切な相手と適切な協働関係を結ぶことが如何に大切かを語っていた。
   経営で戦略と目標を定めると社内の科学者に十分検討させて早急に外部のソースを漁る、と言うのだが、イノベーションの世界でも大掛かりな異文化と外部の豊かな無尽蔵のリソースとの糾合等コラボレーションと総合化が如何に大切かを物語っている。
   総て内部で調達してワンセット対応しようとする日本企業の得意とするグループ対応の純粋培養型の経営戦略が、複雑化した今日の企業経営には如何に時代遅れかを物語っている、と言うことであろうか。

   アムジェン・バリューを従業員に徹底させて、アムジェン・カルチュアーを共有する、そして、従業員に対する十分な報酬を約束して、仕事を楽しむ環境を社内外に作り出すのだとも言っていたが、オートメーション・大量生産型のオールド・エコノミーの時代が遥かに遠くなって、プロフェッショナル、ナレッジワーカーの時代に大きく舵を切った経営の姿が浮かび上がってくる。

   興味深かったのは、今や3兆円市場を形成するペニシリンと並ぶ奇跡の薬スタチンを発明したバイオファーム研究所の遠藤章所長の「史上最大の新薬スタチンの誕生」と言う基調講演であった。
   高コレステロール血症が冠動脈疾患の重要危険因子の一つであるが、このコレステロール低下剤を追求する長い苦難の旅路を遠藤さんはとつとつと語った。
   子供の頃に、祖父の寂しさを紛らす為に連れて行かれた山でのキノコとの出会いから語り始めて、アオカビやキノコとの格闘など話は面白いが、しかし、この驚異的なスタチンが日本発とは。
   前の基調講演で新井賢一東大名誉教授が、「世界をリードした日本の創薬イノベーター達」を語っていたが、日本にもそれを生み出す土壌があったのである。
   公演後、新著「新薬スタチンの発見」にサインを貰った。

   ところで、一時驚異的な人気であったバイオ企業のIPOが先細り、株価が暴落している。証券専門家も良く分からないバイオは避けよと言っているし、何しろ素人投資家にとっては全く分からないし、PERが100倍などざらに起こり得る摩訶不思議な世界である。
   しかし、日本のベンチャーキャピタルが未成熟な日本においては、資金の要らないIT企業と違って膨大な資金を必要とするバイオベンチャーにとってはIPOで豊かな資金を調達する以外に選択肢が少ない。
   ハイリスク・ハイリターンと言う業態ではあるが、あまりにも確率的にリスクが大きすぎる。言うならば、賭けのようなベンチャーであるのだが、膨大な資金を必要とし結果が出るのに長期間を要する。
   日本の場合は、やはり、ITバブルの頃のIPOラッシュの時代なら別だが、大製薬会社の企業内ベンチャーかスピンアウトなどのような形で創薬イノベーションを追及するのが適切なような気がする。
   或いは、バイオ・ベンチャー資金集めの為に、10年スパンくらいの宝くじを売り出してはどうであろうか。気の長い話であるが、スタチンのように当たれば、何万倍にもなって孫子の時代に返ってくるかもしれない。
   他人事だから馬鹿なことを考えたくなってしまうと言うことであろうか。
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人類が滅亡に向かっているとシナリオを変えれば文明を救えるか

2006年09月28日 | 生活随想・趣味
   ピーター・センゲ他著の「出現する未来 Presence」を読み始めた。
   一橋の野中郁次郎先生翻訳の本だから中身が濃くて難しそうで、「世界とつながる自己・自己の内部から始まる世界」とサブタイトルがついているのだが、読んでみると案外経営書らしからぬ本で面白い。

   1990年、南アフリカ連邦のデ・クラーク大統領が、アパルトヘイトに終止符を打った大演説をぶったが、非合法であったアフリカ民族会議や汎アフリカ会議などを含め南アフリカの全組織の代表が参加しこれを聞き、歴史が大きく地響きを立てて動き出した。
   この時、4つのシナリオが用意されたが、中々飛ばないが、飛び始めると一斉に飛ぶ「フラミンゴ」が採用されたのである。
   それでは、シナリオを変えれば、歴史が変わるのか、危機に瀕している人類の歴史を救済できるのか、こんな問題意識からのU理論の展開だが、この問題は後で検討するとして、
冒頭、レクイエム・シナリオの章で、面白い逸話を見つけたのでそれについて考えてみたいと思った。

   世銀職員のピーターが、不治の病を宣告され、何人もの医者に見せたが結果は同じであった。
   最初の数週間は、治らないという事実を否定して死に直面した苦痛を味わったが、次第に、あと数ヶ月しか残っていない寿命を受け入れられるようになり「素晴らしいこと」が起こった。
   重要でないこと、どうでも良いことを全部止めて、前からやりたかった子供向けのプロジェクトに取り掛かった。母親と言い争うのも止めた。充実した毎日であった。
   そんな時、恋人が出来、彼女の助言で他の医者に見せると症状は珍しいが治る病気と分かった。
   「電話で聞いたとき、私は赤ん坊のように泣いた。元の生活に戻るのが怖かったから。」
   彼が目覚める為には、死期が近いと言うシナリオが必要だった。生活をがらりと変える為には、それくらいの衝撃が必要だった。
   地球上の一人一人に必要なのは、そのような衝撃的なシナリオ、レクイエム・シナリオが必要なのではないであろうか。

   この話で思い出したのは、大前研一氏の若き頃の経験と世界的な経営コンサルタントの因果関係である。
   「旅の極意、人生の極意」と言う本で、披露しているのだが、学生の頃に、上等なクラリネットが欲しくて、英語を勉強してJTBの添乗員になってアルバイトした。
   英語の習得は勿論海外情報の取得、2,000人以上住所録を持つ外人との人脈、65歳以上の外人ばかりだったので用意周到な人間関係と時間配分、顧客管理等徹底した人間管理、その上、チップの増額を目指して、微にいり細にいり日本事情や観光情報を絵入のテロップにして説明するなど至れり尽くせりの世話に心がけた。

   もっと興味深いのは、小学校6年の時に、門司の祖父を一人で訪問する為の切符を貰う為に、父親に、交換条件として、横浜から門司までの駅名を全部丸暗記して、その上、山や川等駅周辺の地理的なこと、神社仏閣、お城などの名所旧跡、工場の場所等を調べて、それらが車窓からどう見えるか説明しろと言われて実行したと言う。
   今なら、行かなくてもパソコンを叩けば情報は取得自在だが、当時、それも小学生の情報収集となれば言語に絶する苦労があったと思うのだが、大前少年はやり遂げたのである。
   これだけで、もう、現在日本で世界に通用する唯一の日本人経営学者であり思想家とも言うべき大前研一の原点が分かると言うものである。

   もう一つ、先日にも書いたが、日本一の職人岡野雅行氏は、青年時代に太鼓もちで向島玉ノ井のおねえさんの相手をしたくて朝3時頃まで遊び呆けて、朝6時半には起きて仕事をしていたが、睡眠3時間と言うナポレオンのような体内時計が出来てしまったと言う。

   この二人の話は、先のシナリオとは違うが、何かの拍子に特異な経験をすると人生が変わると言うことである。
   それにしても、我々凡人は人生を随分無駄にしているものだと思う。
      
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ローマ歌劇場・・・感動的なブルソンの「リゴレット」

2006年09月27日 | クラシック音楽・オペラ
  琵琶湖ホールで幕が開いたローマ歌劇場の東京初日、オーチャードホールで、「リゴレット」を観た。
  やはり初日は多少晴れやかで、ロビーの雰囲気も華やいでいて、それに、この公演のスポンサーでもある宝飾店ダミアーニの豪華なダイアモンドを鏤めたネックレス等がディスプレイされていて光り輝いていた。

  イタリアの首都にありながら、ミラノ・スカラ座等名だたる歌劇場と比べて一寸影の薄いローマ歌劇場であるが、人間の魂の営みにはやかましい法王庁バチカンのお膝元なのだから仕方がない。

  このリゴレットも、その所為ではなかろうが、冒頭のマントヴァ公爵邸での大宴会の舞台でも、昨年ロンドン・コベントガーデンのロイヤル・オペラで観た全裸の男女が絡み合う大狂乱とは大違いで、騎士がフェンシングし合う等至って地味な舞台設定である。
  第三幕の幕切れがあまりにも悲劇的なので、メリハリを利かせてもう少し華やいだ舞台設定の方が良かったような気がした。
  舞台は、2段に別れていて、中央に大きな階段が2階に向かって上っていて、2階部分の壁面中央に大きな開口部・扉がある。1階の階段の左右は場面ごとに部屋になったり出入り口になったりして、うまく2階構成の舞台に設えている。
  男性の歌手陣が廷臣や家来になったりするのだが、マスクをかぶったり比較的地味だが、さすがに素晴らしい合唱を聴かせてくれる。女性の群集は総て日本人であった。

   私が最初に観たリゴレットは、もう40年以上前で、東京文化会館でのイタリア・オペラ公演で、若きパバロッティのマントヴァ公爵の度肝を抜くような素晴らしい「女心の唄」に感動したあの時で、その後、ニューヨークやロンドンで何度か観ているが、イングバール・ビクセルを除いて殆ど出演者も覚えていない。
   尤も、昨年観たロイヤル・オペラ、ホルストフスキーのリゴレット、シウリーナのジルダ、ヴィラゾンのマントヴァ公爵の素晴らしい舞台は、いまだに強烈な印象が残っていて忘れられない。(このブログの2005.8.1)

   このオペラは、せむしの道化師リゴレットが、宝石のように大切に育てている深窓の令嬢ジルダを、ドンファンのマントヴァ公爵の家来達に略奪されて公爵に辱めを受けたので、復讐のために殺し屋スパフチーレに殺害を頼むのだが、公爵を愛するジルダが身替りなって死ぬと言う悲劇である。
   ユーゴーの「逸楽の王」とモリエールの「ドン・ジュアン」を下敷きにしたと言われているのだが、リゴレットを観る度に、シェイクスピアの悲劇に似た感慨を覚える。
   オテロとマクベスで素晴らしいシェイクスピア・オペラを作曲しているが、ヴェルディが「ヴェニスの商人」をオペラにしたらどうなったであろうかと思う。
   このリゴレットは、権力にモノを言わせたドン・ファンが手当たり次第に女性を毒牙にかける手口はモーツアルトの「ドン・ジョバンニ」と同じだが、このリゴレットは権力に抑圧され身体ゆえに差別されて誰にもまともに相手にされない下積みの人間と天使のように清新な乙女の主人公を慟哭させることによって、権力構造の異常さを痛烈に批判している。
  

  指揮者は、当初予定されていたブルーノ・カンパネッラが80歳の高齢の為体調不良で来日出来なかったのが残念だが、代わったアントニオ・ピロッリも2月にローマ歌劇場でリゴレットを振っており、オーケストラに非常に瑞々しい美しいヴェルディ・サウンドを歌わせていて感動的であった。

   レナート・ブルソンのリゴレットだが、兎に角、70歳でこれだけ長い間素晴らしいバリトンを聴かせて世界中を魅了し続けているのに、いまだに、陰影のある心理描写の豊かな美声を響かせるなど正に驚異的である。
   ホルストフスキーは殆ど演技らしい演技をしない歌手だが、ブルソンはリゴレットの心の揺れと悲しさを歌唱のみならず実に表情豊かに表現する。
   第1幕第1場の晴れやかな宮廷風景ががらりと第2場では変わって、真っ暗な路地裏のリゴレットの家の前。呪いをかけられて恐怖に慄くリゴレットがとぼとぼと歩く姿、殺し屋に仕事を持ちかけられた後で歌うモノローグ「二人は同じ」の悲痛な響き、ジルダに会って喜んで切々と歌う亡き天使のような妻の思い出、ジルダとの二重唱、兎に角、もうこの場面だけでもリゴレットの総てが凝縮されている感じがして胸を打つ。
   やはりリゴレットの素晴らしさが際立つのは第2幕、ジルダが囚われている公爵の館に帰って来て廷臣達に向かってぶっつけるアリア「悪魔め、鬼女」、放心したように解放されて出てきたジルダの歌うアリア「いつも日曜日に教会で」。同じく娘を弄ばれて激昂した老モンテネーロ伯爵が牢屋送りになって通り過ぎるのを見て、恨み骨髄に徹したリゴレットが「復讐だ」と叫ぶ激しい歌声が畳み掛けるように渦を巻き、ジルダの許してやってくれと言う歌声と重なってフルサウンドのオーケストラが激しく咆哮する、ヴェルディのオペラでも最も劇的な音楽で場内を圧倒する中をリゴレットとジルダは手を繋いで急ぎ足で舞台を去る。

   ジルダを歌うエヴァ・メイ、少し張りのあるソプラノだが初々しくて実に上手い。どちらかと言えば悲劇の主人公と言うよりは健康的なジルダである。
   「何時も日曜日に教会で」等のアリアだが、演技よりも歌唱を優先しているようで顔の表情等がドラマのシチュエーションと一寸ちぐはぐなのが気になったが、ブルソンとのニ重唱の巧みさとその表情の豊かさは群を抜いていて、素晴らしい父娘の心の触れ合いが胸に迫る。

   マントヴァ公爵のステファノ・セッコは、ジュゼッペ・フィリアノーティとダブルキャストであったが、ラ・ボェームのロドルフォを歌っているのでこの日を選んだ。
   まだ、若手で売り出し途中のテノールのようで欧米のデータベースにも記録は少ないが、端正な素晴らしい美声で、綺麗なアリア「彼女の涙が見えるようだ」と「女心の唄」を聞かせてくれた。
   少し小柄な所為か、すっくとしたメイや殺し屋の妹マッダレーナのグラマーなレナータ・ラマンダに圧倒されて、一頃の大型ソプラノに押され気味だったホセ・カレーラスのように一寸損な役回りをしている。

   モンテローネ伯爵のルチアーノ・マンタナーロの他を圧する朗々としたバリトン、スパラフチーレのコンスタンティン・ゴルニーのドスノの利いたバス、それに、グラマーでパンチのあるマッダレーナのレナータ・ラマンダのメゾ・ソプラノ、夫々の持ち味の歌声の凄さがイタリア劇団の底力を示している。
   とにかく、やはりヴェルディ節を素晴らしく奏でるのはイタリアの歌劇団、ローマ歌劇場の素晴らしいリゴレットを楽しんだ3時間であった。

   

   
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青い目が見た日本のIT産業

2006年09月26日 | 経営・ビジネス
   私の場合は、幸いどうにか滑り込みセーフでITデバイドにならずに済んで、必要程度にはITやパソコンに付き合えている。
   しかし、この方面は元々弱くて日進月歩の進歩なので、IT関連のセミナーや講習会には、分かっても分からなくても意識して積極的に出かけることにしている。

   ところで、「儲かる国ニッポン」の著者達は、日本は世界一のITの先駆者であることを認めるが、それは世界を凌駕するようなハードウエア部門だけで、ソフトウエア部門に至ってはお粗末限りなく「技術の不毛の地」だとのたまう。
   これはハードウエア重視の日本の企業文化の為せる業で、ITは企業戦略の重要な一部にも拘わらず、経営トップや上級幹部の軽視が甚だしく、IT関連部門の仕事だと考えていると言う。
   大切なことは、ITハードウエアやソフトウエアの製造ではなく、成長と生産性向上を目的としてITを如何に活用するかと言うことなのである。

   日本のIT企業は、ハードウエアの設計・製造・販売からソフトウエアの開発、顧客への配達とシステムの統合・メインテナンスに至るまでIT業務全般を処理する。
   ハードウエア会社を母体とするソフトウエア会社は、グループ企業が遣うカスタムメイドのソフトウエアを受託開発し、余力で他企業へのシフトウエア開発事業を展開する。
   しかし、十分に質の高い十分なカスタムメイド路線を維持できるような人的資源が日本のコンピューター産業にないことを見て取って、トッテンは、パッケージ・ソフトウエア販売の将来性に着目して、ソフトウエア輸入販売会社アシストを立ち上げた。
   ろくすっぽまともにソフトを開発出来ない上に高額なコストを負担させられ続けている日本企業にとって、パッケージソフトが如何にITコストを削減し顧客に大きな恩恵を齎すかと言うことである。
   
   その後、オラクル、SAS等直接販売に切り替えたので、アシストは戦略を変えて、コンサルとソフトウエア販売、導入、販売後サポート、保守管理等に方向転換したが、日本のソフトウエア市場でトップの座を維持している。
   パッケージソフト市場はアメリカでは30%だが日本は10%弱、日本人の優秀なプログラマーはカスタムメイドのソフトウエア開発に集中していて、パッケージソフトのベンチャーは人材不足で、正に外資の起業家のねらい目だと言う。

   物理的な制約が殆どないITの世界で起業が成功するためには、飛躍が過ぎるくらい遠大かつ奇想天外なひらめきが要求される。
   また、全体を把握するずば抜けた能力を備えた人間、しかも一人の人間が考えた総合的かつ戦略的なビジョンを生み出す先見の明ある人間が要求されている。
   日本の学校や職場は、飛躍的発展に繋がる着想を編み出して実現するのに必要な個人の創意や自負心を育てる教育をしてこなかったし、日本の内向き指向、集団への適応、ハードウエア思考は、このようなITには全く時代遅れである、と言う。

   この論法で行ったら、日本のアニメやゲーム等世界に冠たるジャパンクールの世界をどう説明するのか、何れにしろ、問題は日本の学校や会社制度の問題で、日本人自身の本質を論じている訳ではなかろう。
   しかし、日本のハードウエア重視の製造業の本質については言いえて妙で、ソフトはオマケ程度に考えていて、ソフトが如何に重要な創造的業務で利益源かと言う認識の欠如は覆い隠すべくもない。
   日本の場合、部品や材料等専業メーカーの利益が高く、かつ、ソフトの美味しい部分を欧米のソフト会社に持って行かれてしまっていると言うのも事実であろう。

   先日、松下の中村会長が、「真似した電器では駄目である。何故なら、あの時代はそれでも良かったが、デジタルになってからは、創業者のみ、そしてダントツのトップ企業のみしか創業者利潤を追求できなくなっている。」と言っていたが、差別化を追及するイノベーターでなければ利益を生めない時代になったのである。メーカーでそうなら、ましてやソフト会社では、と言うことである。

   しかし、ハーバード・シリーズの「ITにお金を使うのは、もうやめなさい」の中で、ニコラス・G・カーは、ハードは勿論ソフトさえコモディティ化して、ITは電器や湯水のようになると言っている。
   そんなソフトウエアの開発に十分な開発さえままならないプログラマー達に、高い金を払ってカスタムメイドのソフトウエア開発を頼むのは愚の骨頂である。
   ITなどパッケージソフトで十分であると言うが、さて、ITのソフトウエアなどが十分にコモデティ化して使った分だけ料金を払えばよい、と言うのは一体何時のことであろうか。  
   待っている間に、青い目の起業かにソフトウエアの世界を席巻されてしまうのであろうか。 
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吉田玉男さんを悼む

2006年09月25日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   朝日新聞に、簔助さんの追悼の言葉が掲載されていた。
   「第一部の城明渡しが終わったところで悲しい知らせを聞き涙が止まらなかった。今日の千秋楽の舞台は、玉男さんに奉げる心で演じました。」と言うことであるが、第二部 七段目の「祇園一力茶屋の段」の由良助は、玉男の魂が乗り移って大変な名演であった事だろうと思う。

   私が始めて聴いて観た文楽が近松門左衛門の「曽根崎心中」で、玉男の徳兵衛と文雀のお初であったから、文楽鑑賞を本当に正当派の最も充実した舞台からスタートしたので幸せであった。
   55年に、全く途絶えていた「曽根崎心中」をゼロから復活上演して、今日ある素晴らしい舞台に仕立て上げ、徳兵衛は1100回もの舞台を務めているとか、戦後の混乱期から今日の世界文化遺産としての隆盛まで文楽に貢献した玉男さんの功績は大変なものである。

   4年以上前になるが、山川静夫さんが吉田玉男さんとのインタヴューでまとめた素晴らしい本「文楽の男 吉田玉男の世界」を読んで感激した。
   その時の感想を、AMAZONのブックレビューに書いたので、その文章を載録して思い出を新たにしたいと思っている。
 
   「至芸を演じる吉田玉男の文楽の世界」

   吉田玉男の文楽を始めて観たのは、ロンドンのジャパン・フェスティバル。ナショナル・シアターでの”曽根崎心中”の徳兵衛で、お初は、文雀が演じていた。シェイクスピア劇や、人形劇と言えばマリオネットに慣れ親しんでいる英国の友人夫妻と共に、痛く感激したのを覚えている。
   帰国してからは、趣味のオペラに変えて、歌舞伎と文楽に通っているが、昨年秋、その懐かしい曽根崎心中を、玉男と簑助で演じられてるのを、東京で観て、懐かしくも嬉しく堪能させて貰った。
   
   この山川静夫の本は、玉男との豊かな会話を中心に、多くの舞台写真を活用し、随所に、演目の役作りや、文楽の約束事、歴史等の解説を加えながら文楽の男を語る、楽しい読み物になっている。
   さすがに、山川であり、縦横無尽に、玉男から、珠玉のような芸談を引き出していて、簔助の”文楽の女”と共に、この2冊は、人間国宝の貴重な文楽記録になっていると思う。

   小学校卒では、会社勤めで出世でけへんので、何でもエエから手に職をつけた方がええと思って、「文楽て、なんや?」と言う少年が、誘われて「そんなら、いっぺん見に行くわ」と言って出かけて、最初に観た文楽で、一度にその気になった話。
   主遣いで至芸を演ずる玉男が、「足とか、左とかは、やるだけやってこないとね、左は一生やってもエエいうくらいのもんやからね」と言う話。
   一番好きな役は、三悪人だと言う話等々。兎に角、ファンなら、堪らないくらい興味深い話が、宝石のように鏤められている。文楽を知らなくても楽しい、まして、観て知っておれば更に楽しい。そんな貴重な本である。


   吉田玉男さんを真近で拝見したのは、ナショナル・シアターのロビーに出て談笑されている時であった。もう15年以上前のことで、玉男さんも文雀さんも若かったし、イギリスなので、幕後、カーテンコールがあり、何度も人形を持って出て来られていた。
   カーテン・コールで、文雀のお初が、玉男徳兵衛の額の汗を拭う仕草をすると、少しテレ気味の徳兵衛の姿が印象的であった。

   あらためて、吉田玉男さんのご冥福を心からお祈りいたしたい。
   
   
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国立劇場・九月文楽・・・仮名手本忠臣蔵・四段目

2006年09月24日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   仮名手本忠臣蔵の第一部は、大序の「鶴が岡兜改めの段」から四段目「城明渡しの段」までである、殿中での刃傷から塩谷判官の切腹を含む冒頭の劇的な部分である。

   この歌舞伎では、鎌倉の執権高師直が、塩谷判官の妻・顔世御前に懸想して口説きに口説くのだが靡かず、断りの返事の和歌を夫の塩谷判官から手渡されたのに業を煮やして、塩谷判官を世間を知らぬ鮒侍と罵倒して徹底的に苛め抜く。
   憤懣遣るかたのない塩谷判官が殿中で師直に切りつけて傷を負わせる。切腹を命じられて、城を明け渡す。

   権力者が部下の妻を召し上げようとするよくある話で、何とも締まらない話に摩り替えての忠臣蔵。これに、塩谷判官の随身勘平が殿のお供で登城しながら顔世の腰元のお軽と逢引していて、その最中に殿中刃傷事件が起こり、勘平は恥じて田舎・山崎に隠遁する。色に耽ったばっかりに大事な時に現場を離れた男の悲哀。
   第二部で、重要な役割を演じるこのお軽・勘平の物語も男女の恋が発端となるのだが、歴史的な重要事件もクレオパトラのように男女のラブアフェアが引き金を引くことがあると言うことであろうか。
   クレオパトラの場合も絶世の美女ゆえの歴史展開であるが、中村歌右衛門も、顔世が美しかったからこそ忠臣蔵が成ったのだと何処かで言っていた。
   しかし、いくら庶民の為の浄瑠璃や歌舞伎とはいえ、江戸中期の封建時代に、忠臣蔵でこれだけ生き生きと女の意地と生き様を描けた日本文化も捨てたものではない、と何時も感服している。

   簔助が、第一部と第二部で大星由良助を遣っている。
   元気なら玉男の役割だが、素晴らしい女形の至芸を演じ続ける簔助が、由良助を遣うなど正に期せずして貴重かつ幸せな機会を得たのであるから、目を凝らして観ていた。
   特に、四段目の「塩谷判官切腹の段」での判官切腹の場に遅れて駆け込んでくる登場からの緊迫した場面、その後の「城明渡しの段」でに決意を秘めた激しい激情を表す一人舞台など、日頃観られない簔助の魂の乗り移ったような入魂の人形遣いに圧倒された。
   
   塩谷判官の壮絶な最後。
   「定めて仔細聞いたであろう、聞いたかエ聞いたかエ、無念。口惜しいわやい」
   一歩距離を置いて畏まっていた由良助が、「ハハア、委細承知仕る。」と言って顔をぐっと判官の耳元に近づけて敵討ちの存念を判官最後の魂に叩き込むこの迫力。
   そして、「由良助。この九寸五分は汝への形見。わが鬱憤を晴らせよ」と言って、判官は切っ先にて吭はね切り、血刀投げ出しうつ伏せにどうど転び息絶える。
   和生の遣う判官は、最初から最後まで、実に優しく流れるように美しい。

   「城明渡しの段」、大手門を背にして由良助が、腕組みをして沈思黙考、静かに進み出てくる。
   映画では、城に最後の暇乞いをする重要なシーンであるが、簔助は、提灯の家紋をそぎ落として懐に入れ、下手に方向転換して大股でゆっくり歩く。
   急に立ち止まって憤怒の形相になってあらん限りの力を振り絞って仁王立ち、懐から形見の九寸五分を取り出してあだ討ちの決心に燃える。
   短い殆ど心理劇に近い舞台だが、簔助のハッと言う掛け声で人形が躍り上がる迫力は凄い。
   
   もう一つ興味深かったのは、吉田文吾の休演で、吉田玉也が、高師直を変わりに演じ、本来の斧九太夫と共に二役演じて、灰汁の強い嫌味な悪人を好演した事である。
   日頃、米搗きバッタの様に身体を上下に揺すりながら個性的な人形遣いをしていて印象に残っているが、兎に角、この歌舞伎の発端の種を蒔いた師直の憎憎しさは抜群である。何故か、左團次の師直が二重写しになって迫ってきた。

   九段目「山科閑居の段」で重要な役割を演じる加古川本蔵(玉女)と妻戸無瀬(文雀)と娘小浪(清之助)が、二段目三段目で登場する。
   私は、文雀の遣う老女形の演技が好きで楽しませてもらっているが、ことに、教養豊かで品格のある奥方や良妻賢母などは実に素晴らしく、その後ぶりの優雅な美しさと格調の高さなど秀逸であり、忠臣蔵の戸無瀬など本当に感激して観ている。
   簔助の老女形には、時にはドキッとするようなこぼれるような色気と艶やかさを感じてビックリすることがあるが、文雀は一寸雰囲気が違っていて、あくまでオーソドックスな正当派でそれが私には堪らない魅力である。
   「床本の裏っかわに何が書いてあるか、裏まで読んで役の気持ちになることが大事です。
   歌舞伎や文楽は、歳がいてこんことには芸に深みが出てこない。若い人は役どおりやってるけど、その奥に何かあるんです。」
   こう言う文雀も、「私も78歳になり、膝を悪くしてよう歩けません。玉男さんも出られなくなったし、・・・」と言う。
   心なしか今回も動きがギコチナイのが気になっていたが、出来るだけ長く至芸を見せて頂ける事を祈るのみである。

   最後になったが、「塩谷判官切腹の段」を語った豊竹十九大夫と三味線の豊澤富助の素晴らしい熱演に感激である。
   「通さん場」で客席への出入り禁止の段であるが、十九大夫の張りのある素晴らしい美声と緩急自在に語りかける富助の三味線の音が場内を圧倒して、忠臣蔵第一の見せ場を頂点に盛り上げていた。

   私は、今回は都合で後先前後して観てしまったが、忠臣蔵はやはり通しで観るべきであると思う。
   数年前に、歌舞伎で團十郎が主演した新橋演舞場、その前に松竹100周年記念の時と2回、文楽では、前の国立劇場での公演を観ているが、流石に3大歌舞伎の一つで、素晴らしくよく出来た作品であることがよく分かる。
   
   
   (追記)夜8時45分のNHKニュースで、吉田玉男さんの訃報を聞いた。
    12月の東京は寒いので行かないのだと言っていたが、肺炎で亡くなられたと言う。
    巨星落つ。
    ご冥福を心からお祈り致します。
   
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国立劇場・九月文楽・・・仮名手本忠臣蔵・山科閑居

2006年09月23日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   第3部の夜の部は、久しぶりに「満員御礼」の札がかかっていたが、演目は、八段目「道行旅路の嫁入」から、十一段目の「花水橋引揚の段」までで、討ち入りの段は省略されているが、それでも通し狂言は、終演は9時25分、朝10時30分の開演であるから丸一日の舞台である。

   前回と違って、玉男と第一部と第二部で素晴らしい由良助を遣った簔助を欠いた舞台であったが、至芸とも言うべき文雀の戸無瀬が、住大夫の名調子に乗って人の悲しさ崇高さを演じてくれた、やはり、人間国宝の舞台は感動的である。
   次代を背負う由良助の桐竹勘十郎、妻お石の吉田和生、そして、加古川本蔵の吉田玉女の3人の蝶々ハッシの息もつかせぬ人形遣いが舞台を圧倒する。しっかりと3人の人間国宝の一番弟子として芸を継承しているのである。
   特に今回の戸無瀬の文雀とお石の和生との師弟コンビによる激しくも悲しい女の戦いの迫力は感動ものであった。
   吉田清之助の娘小浪の何と初々しく可憐で健気なことか、そして、吉田簔二郎の大星力弥の凛々しさが舞台に華を添える。

   本来は、文楽を聴くと言うのであろうが、玉男と簔助の近松の人形に魅せられて文楽に興味を持ったので、どうしてもまだ文楽を観ると言う段階だが、人間国宝竹本住大夫(三味線野澤錦糸)の舞台だけは、文楽を聴くと言う気持ちで接している。
   この山科閑居の段は、師匠山城少掾さえやったことのない大曲で、声柄ではなく適していないと思ってずっと断っていたが平成10年に国立文楽劇場に口説かれて全編ではなく前切だけ引き受けたと言うが、その再演を12年の国立劇場(小)で聴いているので今回が2回目である。
   この前切は、世話物風で女が主役の舞台であるが後半の後奥を豊竹咲大夫(三味線野澤燕三)の素晴らしい名演が続き、豪快な本蔵と重厚沈着な由良助の男の世界を巧みに演じて大詰めを迎える。
   この舞台ほど、浄瑠璃の素晴らしを感じさせてくれる世界も少ないと思うが、それに引き摺られて人形が実に感動的な人間像を演じてくれる。

   前の「道行旅路の嫁入の段」で、前半は富士を後半は琵琶湖をバックにした舞台で、戸無瀬と小浪の山科への道行きが演じられるが、この山科閑居の段では、やっと探し当てて山科の大星亭に着いた二人が力弥との祝言を願うが、お石に主君の仇・師直殺害の邪魔をした「へつらい武士」の娘は嫁に出来ぬと断られる。
   願いが叶えられず、死の決心をした二人の心底を察してお石は祝言を許すが、婿への引き出物として本蔵の首を所望する。
   結末を予測していた本蔵が、屋敷を訪れて力弥に槍で突かれて本心を伝えて引き出物に師直家の絵図面を渡してこときれる。

   塩谷判官の師直闇討ちを後から押さえて止めたことは、塩谷側にしてみれば最も憎むべき仕業だが、「相手死せずば切腹には及ぶまじ、抱き止めたは思い過ごし・・・」と苦渋の中から語る本蔵の心は判官思ってこその行為。
   お石が悪口雑言を籠めて戸無瀬に小浪との祝言を拒むのは、主君あだ討ちの為に死んで行く息子の嫁にして不幸にさせたくない親心。
   そんなことどもが、後半大詰めで明らかになって行くのだが、忠臣蔵の感動のエッセンスを脚色して凝縮した形で感動の舞台を作り上げた竹田出雲達作家の技量に感服する。
   
   ところで、住大夫の語りであるが、戸無瀬と小浪の母娘の肺腑を抉るような情のうねり、力弥を思う母親お石の愛情、戸無瀬とお石の熾烈を極めた女の意地と道理の応酬。最初は、京見物などの穏やかな話から入っていって徐々に険悪になって行き、人間としてどうしようもない限界まで追い詰められて行く人間模様を実に感動的に語って行く。
   戸無瀬とお石が同じ首の「老女形」なので、語り分けが難しいが、お石の方を少しテンポを早めにして、戸無瀬を少し緩めに語る。妻として母として女としての情愛をどれだけ出して伝えるか、精神的にも体力的にもしんどいと言う。

   小浪については、先代寛治師匠から何度も「小浪は処女でっせ」と言われて駄目だしが出たようで、「可愛らしゅう聞こえるよう語らないけません」、気を使いますとも言う。
   お石に一方的に嫁だと言うなら離縁すると言って座を蹴られると、小浪の身を切るような苦衷の口説きが始まるが、この哀切極まりない小浪のいじらしくも切ない語りを住大夫は、観客の胸にかみそりを当てて鮮血を迸り出させる。
   「折角思い思われて許婚した力弥様に、逢せてやろとのお詞を頼りに思うて来たものを。姑御の胴欲に去られる覚え私やない。母様どうぞ詫び言して祝言させて下さいませ・・・
   ・・・力弥様よりほかに余の殿御、わしゃいやいやいや」
   義理の娘ゆえに筋を通せぬ苦衷に耐えかねた戸無瀬が死ぬ覚悟をすると小浪は「殿御に嫌われ私こそ死すべき筈。・・・ここで死ぬれば本望じゃ。早う殺して下さりませ」とかき口説く。
   感極まった戸無瀬が、「ヲヲ、よう云いやった。でかしゃった、でかしゃた、でかしゃた、・・・・・」と小浪をしっかとかき抱いて号泣する。
   文雀の戸無瀬と清之助の小浪の感動的な名演を片目で追いながら、住大夫の何度も繰り返される感極まった「でかしゃった、でかしゃた」と泣き叫ぶ表情を追う。
   少し前に観た玉三郎の戸無瀬と菊之助の小浪の美しくも感動的な歌舞伎の舞台が眼前に彷彿とする。

   住大夫は、
   「大夫はその人物になりきったらあきまへん。役者さんは、一人一役でその人物になりきればよろしいでしょうが、大夫は、ナレーターや登場人物も語らないきません。なりきる一歩手前で転換していくのです。その転換は声では変りません。イキですね。」
   「浄瑠璃の場合、その声が出ないというのは勉強不足で、悪声でも、耳うつりの良い声が出るように努力するのです。出ない声はおまへんなぁ。」と語っている。  
   聴き手を感動させる為には大変な稽古と弛まない修練なのであろう。
   
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未来創発フォーラム2006・・・玉子屋の革新経営

2006年09月22日 | 経営・ビジネス
   野村総研が、東京フォーラムで、”ITが変える日本の未来、ひとが変えるITの未来”と銘打って「未来創発フォーラム2006」を開催した。
   第一部「ITが変える日本の未来」では、野村総研の三浦智康氏が「2010年の金融」、日野典明氏が「2010年の流通」夫々、調査結果を踏まえて非常に興味深い事業展開とその展望を語った。
   第二部「ひとが変えるITの未来」では、國領二郎慶大教授が基調講演「2010年、ひとが変えるITの未来」を行った後、村上照康理事長の司会で、国分教授に加わり、アイランド(株)の栗飯原理咲社長、(株)玉子屋の菅原勇一郎社長と野村総研の齋藤義明氏が参加してパネルディスカッション「2010年、ITと人間の関わり」が行われた。

   夫々非常に質の高い公演で興味深かったが、面白かったのは、最後のパネルディスカッションで、アイランドと玉子屋のビジネスモデルと、齋藤氏の語ったインセンティブとモチベーションを高める為に試みている多くのエクセレント企業の試みのケーススタディであった。
   話題が、ひとに比重が移っていて従業員のモチベーションやインセンティブを前面に出したので、インターネット、特に、Web 2.0を活用しているアイランド以外は、直接ITに深く関係していないが、ITが見え隠れしていて時代の趨勢を感じさせた。

   アイランドの栗飯原社長は、若くて中々しっかりしたチャーミングなレディで、やはり若い女性の豊かな発想から生まれた事業で、お取り寄せグルメの口コミサイト「おとりよせセット」の主宰者で、ホームページを開いてみたら実に面白い。
   ヤフーや楽天のショッピングサイトを開いても、欲しい品物でもどれが良いのか全く分からなくて困るのだが、このサイトには、グルメハンターの5人の内少なくても3人以上が自腹を切ってでも買いたいと言う評価を与えたものでないと紹介しないし、ランキングのみならず懇切丁寧な消費者の口コミ情報が満載されている。
   「レシペブログ」や「朝時間.jp」等の人気サイトも展開中だが、DeNAの南波社長の「モバオク」と似た発想で、Web2.0のインターネットのIT技術をフル活用したこのような豊かな事業展開は、何処まで進んで行くのか中々楽しみでもある。

   さて、お弁当の玉子屋であるが、サラリーマン向けのお昼弁当の仕出屋。
   兎に角、東京都区内と神奈川の一部に限って一日7万食も売り上げるが、ロスは一日40食程度と言う驚異的な数字をクリアーするビックリするような会社である。
   翌日の売上予測を6万食と想定すると、夜中の12時から2時にかけて食材5万8千人分を注文して調達し弁当を作り始める。(絶対に前もって食材は調達しない方針)
   9時から10時半までに電話とインターネットで注文を受け付けて、不足分の食材を調達して弁当を作って昼の12時までに注文先に届けると言う。
   予測数字は、年に3日程度間違うことがあるが常にぴったり当たるという。

   食材費は、質の高い弁当を安く提供する為に原価の50%以上で現在53%強だが、無駄をすると直ぐに赤字になる数字で、大体普通のレストランの食材費が30%以下だと聞いているので、大変良心的なサービスである。
   メニューは前もって示しているが、一日一種類の単品メニューで価格は430円だが、季節感を大切にした栄養バランスとカロリーを十分に吟味したメニューで、この価格でこれかとビックリするような弁当であるから、売れない訳がない。
   
   ところで従業員は、中卒や高校中退など学歴がない人が殆どだが、正社員とパート等の比率は1対5で業態にしては正社員の比率が高い方である。
   従業員全員に、お客さんからお金を頂いているのだと言う考えを徹底さており、今までに一度も褒められたことのないような者ばかりだが、商品が良くて褒めてもらえるのと社会に大いに貢献していることが嬉しくて、それが生甲斐になってモチベーションになっている。
   このような従業員の努力の結晶が、今日の無駄のないビジネスモデルを自然に創り上げて来た。
   離職率の高い会社の従業員の研修に社員を預かることがあるが、離職率ゼロのなったと喜ばれている、と社長は言う。

   支払方法や料金の回収は、お客さんに任せており不都合はないと言うが、何故か、電話注文からインターネット注文に切り替えると客数が減るのだと言う。
   電話受付は100人いるが、営業は配達人がやってくれるので営業の人間は一人もいない。
   弁当容器は総て回収して洗って再利用する。 
   今のところ、配達区域が限られているのでお断りせざるを得ない場合が多いのが残念だと言うが、本来、一番ローテクで生産性の低い泥臭い弁当販売が、ビジネスモデル次第では完全に近代産業として蘇る素晴らしい例を見て、日本のビジネスの底深さと奥の深さに感服しながら菅原社長の話を聞いていた。 

   携帯電話が普及したので、この弁当屋の事業も成り立つようになったのだといっていたが、兎に角、IT時代、IT技術を駆使したヒューマンタッチの時宜を得たビジネスモデルを構築することは、起業の本質的要素なのかも知れない。
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今年初めて庭に咲いた椿花

2006年09月21日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   毎年早秋に花が咲く西王母は、まだつぼみが固いのに、ピンクの獅子咲きの綺麗な椿の花が咲いた。
   ネームカードをなくしてしまって、色々調べたが名前が分からないのが残念だが、紅荒獅子の仲間であろう。

   私は、毎年最初に咲く椿の花を見ると、これから寒い冬を通して春を迎え初夏直前まで咲き続けるので、椿の栽培に力を入れ始めると、椿の季節と思ってあまり寒い冬を気にしなくなった。
   木偏に春とは上手く作った漢字で、初秋から咲き始めて冬に耐え、春になると一挙に咲き乱れて初夏を迎えると花が消え、直ぐに新芽が萌え出でて新しい小枝に小さなつぼみを付ける。
   今、しっかりした小さな蕾を沢山つけているが、黒椿は黒っぽく、白椿は何となく明るい色をした蕾であるのが面白い。

   私の子供の頃、阪神間で見た椿は、殆ど、真っ赤な花弁に黄色い蘂の藪椿であった。
   今では、門外不出だった椿や新種なども沢山出てきたりして園芸種が増え、それに、欧米で品種改良された椿が里帰りするなどして、色も形も多種多様で絢爛豪華になっている。
   私の庭にも、自然に交配した椿の苗木があるので、案外新種かも知れない。

   見慣れていた薮椿は、花が咲き始めると直ぐに花弁が落ちてしまうので、武士が嫌うのだと聞いてなるほどと思った記憶がある。
   しかし、地面いっぱいに敷き詰めたような落ち椿は鮮やかで美しかった。
   それに、薮椿の蜜は甘かった。

   安達曈子さんは、父上が出会った「百椿図」絵巻を慕って、祝辞には紅白、お悔やみには白花の椿を選んで手紙や包みに添えて一輪贈るのだと言って、綺麗な漆塗りの文箱に添えて椿花が活けられていた。
   贈る花は、三分から七分咲きで足元は水を含ませた脱脂綿を巻いて防水の上から慰斗包みにするのだと言う。
   桧扇を器に見立てて挿した椿の優雅さ。扇の要の端下に小鉢を隠して足元に活けるのだと言うことだが、昔の趣味人の風雅さは、格別である。

   安達さんの個展で、緑鮮やかな竹を割った花器に色とりどりの椿が活けられていたのを見たが、林や森の中では寂しい花だが、庭や路地に育てて、花の季節に短く摘んで数品種を籠に盛って間近に眺めると、目が覚めるほど華やぐと言っていたのが良く分かる。
   京都の格式高い料亭や旅館のひっそりとした坪庭に咲く椿は実に優雅で美しい。
   桧の湯船に満足したイギリスのアーキテクトが、日本酒を嗜みながら愛でた柊家の寒椿の鮮やかさが眼に浮かぶ。
   椿を限りなく愛した麗しき花人はもう逝ってしまった。

   

   
   
   
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青い目が見た日本の医療・ヘルスケア

2006年09月20日 | 経営・ビジネス
   ティムとカールは、日本の医療制度は、患者ではなく、一部の部門を除いて医師を中心に成り立っていると言う。
   欧米人にとっては、日本では十分な治療を受けられないし危険で心配だと言うのである。

   私は、海外生活が長いが、風邪や高血圧程度で特に大層な医療サービスを海外では受けていないので分からないが、知人達の手術や入院を見た感じでは、階層によると言うか、保険も治療も金次第と言う感じがしている。
   高くて良質な医療サービスを受ける為には、高額で至れり尽くせりの保険に入ることで、支払能力に余裕があれば、いくらでも良質な手術を受けることが出来るし快適な入院生活を送れるが、貧しければ、アメリカでは保険にさえ入れないし医師の治療さえ受けられない。
   この意味では、ティムたちが何と言おうと、日本の比較的完備した健康保険制度で、何人も殆ど等しく平等に一定水準の医療サービスを受けることが出来る日本の方が優れているように思える。

   ところがその先、日本の医師制度に問題があると言うのである。
   医師中心の医療風土を支える最大の要因は、医療免許制度で、日本では医師免許が終身有効とされ、免許更新の必要はなく、医師の資格を保持する為に何年かおきに教育を受ける必要もない。医師免許さえあれば、自分の専門外の診療科の治療も行うことが出来る。
   教師の免許もそのようなので質が落ちると言われているが、何故か、世界一の品質の車を作っている日本で、警察官僚とその家族を利する為か、欧米ではありえない自動車免許書き換えは頻繁に行われる。
   世界の医療は急速に進歩していて変化しているのに、現在の日本では、何十年も前に受けたけ教育と訓練で十分とされている。慣れと経験と勘だけで医療サービスをしているだけだと言わんばかりである。

   この点は非常に重要な示唆を与えてくれていて、欧米では、高度なプロフェッショナル・サービスについては、出来るだけ、更新手段を講じてその質の高さを維持することが大切だと考えていることである。
   この点、遅れて近代化した日本は、ムラのオサ制度の国であり権威主義的であるので、一度資格と権威を得た人間は落ちないようになっている。
   本当は、急速に激変する今日こそ、高度なプロフェッショナル知識や技術ほど賞味期限が短くなって絶えずアップツーデイトしなければならない筈なのである。
   むかし、天気予報士制度が出来た時に、TVの有名な天気予報キャスターが試験に落ちて番組を降りたと言う話があったが、資格なしの無免許運転は以ての外ではあるが。

   もう一つ問題にしているのは、日本では、医療技術や研究レベルでは世界に遜色がないのに、医療現場では縦割り組織と縄張り意識の為に、診療科や医療従事者間のコミュニケーションが悪くてチーム医療に欠陥があって、欧米のように協働体制がないと言うことである。
   根本的な原因は、日本の「医局制度」、出身大学の医学部教授が医局の実質指導者であり関連病院の人事権を総て掌握して帝王のように君臨している学閥制度にあるらしい。
   このあたりは、昔一世を風靡した山崎豊子の「白い巨搭」が詳しく説明してくれる。

   「クリーデンシャリング」と言う欧米の制度では、学位、研修医時代の職歴、医師としての実績等の調査が徹底的に行われるので、医師採用の時は志願者の徹底的なスクリーニングが実施される。
   また、「プレビレッジング」では、特定の病院で担当するのを許される診療やサービスが事細かに決められているので、医師はプレビレッジされていない医療行為が出来ないので、医師の能力を最大限に活用出来て経験や技術不足の医師から患者を守れる。
   ところが、日本では医師の勤務評定もないし不都合な職歴や医療行為も藪の中であるし、医師採用では殆ど自由がなく医局からの宛がいぶちの医師に初日から患者に診療行為を許す、日本では医師は「全知全能の権威」と看做されていて十分な説明責任もない、と厳しいことを言う。

   病院の格付けを行えば、病院の質が客観的な第三者の立場から評価されるだけではなく、医療の実績と基準に関するデータの蓄積と開示を即すことになる。
   電子カルテの普及率は極めて低いようだが、患者の医療記録の閲覧と入手が困難なのはこの所為か、兎に角、正式なデータを収集、編集、分析する手法を速く確立して医療データ開示の明確なルールを創ることである。
   しかし、病院の格付けがはっきり分かり、自分の病状が白日の下に晒された場合、それが本当に幸せであるかどうかは微妙な問題でもある。

   深刻な医療費増加に苦しむ医療保険制度については、公定薬価制度の改正問題もあるが、個々の医療サービスの価格を決めるのではなくて、一つの病気に対する価格を決める「マネジドケア」への動き、包括支払方式(PPS)導入について書いている。
   アメリカ人マーク・コルビー医師の日本での開業、医療再教育とアクレディテーション(技術認定)、院内感染抑制の為の管理教育プログラム関連事業について紹介しているが、閉鎖的な日本の医療現場に風穴を開ける事は歓迎すべきことであろう。

   私自身は、首都圏で生活しており、その範囲内では最善の医療サービスにアクセスできていると思っているので、特に不都合は感じていないが、いくら少し外国語が出来ても微妙な痛みなどの表現は外人医者に対しては無理なので、やはり、医療サービスは日本で受けたい。
   彼らの言い分は尤もだと思っても、別に、欧米の医学が最高だとも最適だとも思っていないし、現在の状態で特に不都合は感じていない。
   死と直面した時にどうなるかは分からないが、ハッキリしていることは、この先ある時期が来れば、私自身が間違いなしに土にかえると言うことである。
   
   

   
   
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青い目の見た日本不動産業の不思議

2006年09月19日 | 経営・ビジネス
   先日、「日本人の知らない「儲かる国」ニッポン」について、日本で起業して儲けたアメリカ人の目から見た日本のサービス産業の後進性とお粗末振りについて序論を書いたが、面白いので、各論について考えてみたいと思った。

   口絵写真は、わが庭のイチジクの実の蜜を吸う問題のオオスズメバチであるが、外資はこのようなものであろうか。
   さて、日本のサービス産業は、外資、それも、先の読める普通の個人の外人にさえ簡単に攻略されるようなヤワなシロモノなのであろうか。
   この本は、昨年アメリカで出版されたもので、アメリカの起業家に対して、今こそ、日本は千載一遇のビジネスチャンスを与えてくれると進軍ラッパを吹いているのである。

   ところで、不動産市場であるが、これは最も地場に根ざした産業なので、日本的ローカル性の強いのは当然であるが、それにしても日本の特殊性は群を抜いている。
   今日の新聞に都市の基準地価が上がり始めたと言う記事が出ているが、正に日本のリバイアサンで、今度こそ上手くコントロールしないと、明日の日本が危うくなる。

   著者達が問題にしているのは、日本の不動産市場そのもに触れているわけではないが、欧米との一番大きな違いは不動産評価の問題であると思う。
   もう20年も前になるが、ロンドンでビッグバン対応の為にシティの一等地を取得しようと試みた時に知ったのだが、物件買収価格を弾き出す手法は、今日本でも普通になっている収益還元法である。
   要するに、その土地で、何平方フィートの賃貸可能面積のビルが建設出来て何ポンドの賃貸料で貸せて、その収益率が総投下コストに対していくらなのか、期待収益率で土地価格を割り出す手法である。
   言うならば、不動産を特別な投資対象とは考えておらず、他の金融商品への投資と同じで、利回りいくらで有利か不利かと言うことが問題なのである。
   イギリスには、チャータード・サーベイヤーと言う専門の不動産鑑定評価会社があって、プロが物件取得や賃貸を仲立ちしてくれており、日本と比べて遥かに公正な価格システムが維持されている。
   因みに、自社ビルとして土地を取得する場合は、これに少し色が付くと言う事である。

   それに時価会計であるから、毎年、不動産の評価鑑定を行うので、移動がないのに財務諸表が変動して決算数字が変って来る。
   日本の様に、B/Sに土地を取得価格のまま計上して含み益を隠しておける取得原価主義に慣れた人間には晴天の霹靂であった。
   今考えると、欧米並みの時価会計システムを取っておれば、もう少し、日本のバブルも穏やかで、その後の失われた10年の落ち込みも緩やかであったような気がする。

   
   ところで、著者達がまず問題にしているのは、賃貸物件を斡旋する不動産会社が、物件所有者と賃貸人との双方代理・二重代理をつとめていて両方から手数料を取り、欧米で禁止されている利益相反の疑いがあり違法行為ではないかと言うことである。
   それに、よく言えば結婚の仲人のような立場だが、謂わば仲人口、仲介業者と不動産所有者との癒着関係に目に余るものがあり、賃貸や物件購入希望者の利益が著しく害されている。
   そこで必要上考え出されたのが、従来の不動産斡旋業ではない、賃貸や物件取得希望者にとって最良の取引条件を勝ち取ってくれる借り手専任の不動産代理業である。
   欧米の進出企業は、双方代理の日本の不動産会社など信用していないので、借り手・買い手側だけに立った不動産の専任代理ビジネスを立ち上げたドナルドソンの起業が成功し、その良さを知った日本の顧客が増えていると言う。
   
   面白いのは、日本の家屋は自動車と同じで中古になれば値段が下がるが、外国では逆に上がる。イギリスでは、古くなれば成るほど良く、苔むしてお化けが出ると評判が立てばぐんと値が上がり200年以上になると田舎の苫屋でも異常に値が張る。アメリカでは、改装や内装充実に力を入れて物件価値を上げようとする。
   それに、日本は、土地代が上昇一途だったので更地ほど高くなり粗製濫造のビルや家を建てる「スクラップ・アンド・ビルド」システム。ぼつぼつこの発想から脱却して建物の質の維持を考えるべき時期かも知れない。

   著者達が指摘するのは、中古物件の活用・活性化である。
   現代の基準や生活者のニーズには、異常な高さや品質の悪さを考えれば新築物件だけでは即座の対応は不可能なので、沢山市場に安値で放出されている中古住宅を買って、プロが現代基準に合致した質の高いリフォームを施して転売すればビジネスになる。
   更に、外国の建築や専門知識に加え、エスクローや不動産権保険、査定サービス、二次抵当市場における資産調達や証券化、ノンリコース・ローン、住宅仲介ローン、都市計画、景観計画、等々アウトサイダーの技術が活用できる筈だと言うのである。
   このことは、オフイスビルの場合にも当てはまり、二束三文の中古ビルを買って、現代の基準に合わせてリフォームし、欧米流のプロがしっかり管理すればドル箱に成り得ると言う。
   
   もっともこれらの事業については現実に少しづつ進んでいて目新しい話ではないが、傍目八目、案外、多くの日本の大企業の成功例も外国で見て得た発想を取り入れている場合が多いことを考えれば、青い目の提言も無駄ではない。
   他にも、ショッピングセンターの開発事業や病院等の設計などに関しても、欧米のノウハウを導入すれば如何に上手く行くのか、面白い話を展開している。
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国立劇場・九月文楽・・・仮名手本忠臣蔵・祇園一力茶屋

2006年09月18日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の国立劇場の文楽公演は、仮名手本忠臣蔵の通し狂言で3部に分かれていて、今回観たのは、第2部で、五段目の「山崎街道出会いの段」から七段目の「祇園一力茶屋の段」までである。

   前半は、お軽の田舎に引きこもった勘平(桐竹紋寿)が、あだ討ちに加わりたくその金の工面にお軽(桐竹勘十郎)が身売りする。その半金を持ち帰る途中父親与市兵衛(桐竹亀次)が、浪人斧定九郎(吉田幸助)に殺されて金を奪うのだが、これをいのししと間違えて勘平が撃ち殺し金を持ち帰る。
   与市平衛の亡骸が運び込まれて財布の模様から勘平が疑われて切腹するが、誤解と分かり、死の間際に連判状に血判を押して一味に加えられる。

   西国街道の京都手前の淀川のほとりの山崎、お軽一家の平穏な田舎暮らしが一挙に暗転する劇的な場面であるが、一人だけ浮いて田舎で不遇を囲っていた勘平の死が、赤穂浪士の裏面を語っていて興味深い。
   主君円塩冶判官にお供して登城したが、判官が殿中で高師直に切りつけた時に、お軽と逢引していてその場に居なかった勘平。「色に、色に耽ったばっかりに・・・」切腹を思い止まらせたお軽と共に山崎に落ちのび田舎生活を始めるのだが、所詮武士、主君の為の復讐あだ討ちしか意識にない。しかし、お軽や老夫婦は4人の生活に幸せを感じている。
   映画やTVの忠臣蔵は、武士としての赤穂浪士に焦点を当てて描かれているが、やはり、庶民が観客の文楽や歌舞伎は、このように武士と庶民との間など一井の人間の生き様に光を当てているのが面白い。

   随分前に、この国立劇場で同じ通し狂言仮名手本忠臣蔵を観たが、あの時は、吉田玉男が由良助で、吉田簔助がお軽を遣っていたと思うが、今回は、お軽を勘十郎が遣っているが、実に色気があって初々しくて簔助とは一寸違った魅力的なお軽像を作り出している。
   特に、祇園一力茶屋での2階部屋で柱に背を預けて佇む姿や梯子を降りる姿、時々見せる後振りの美しさとその色気は秀逸である。
   それに、この場は、本来の奥女中ではなく庶民の女房と遊女を演じているが、その燐とした一本筋の通ったお軽が清清しく、また、兄に勘平の消息を聞きだそうとするあの恥じらいの新鮮さを観ながら、玉三郎のお軽の舞台を思い出していた。

   女形の紋寿が、珍しく勘平を遣っているが、これが、緊張した凄い意気込みで舞台に登場し、気合を入れて遣っていて中々素晴らしい。
   普通に安穏な生活をしていた狩人が少しづつ疑心暗鬼になりはじめて、姑に責められて男の面目丸潰れの罪の意識に追い詰められて行く心の襞を上手く演じている。
   それに、優男風ではないが、どこか流れるような柔らかい雰囲気の勘平の動きは、やはりベテラン女形人形遣いのなせる技であろうか。

   後半の一力茶屋の場は、なんと言っても由良助を遣う簔助の世界で、玉男と違った別な雰囲気の実に優雅な品のある由良助の素晴らしさである。
   手紙を読みながらも、見られているのを意識しているので、床下や二階を引き込むように読むあたり芸が細かいし、それに、酔っ払って寝ながら平右衛門の願書を庭に投げ落とすところなど実に丁寧で心配りが滲んでいる。
   それにこの七段目の由良助は、玉男でさえ、若い時は出来ないといって断ったと言うが、人生の年輪を重ねて豊かな人生経験を経ないと出せない至難の芸なのであろう。
   前半は正体もないほどに酔っ払った由良助だが、力弥(吉田蓑二郎)から顔世御前の手紙を受け取る時の緊張、そして、獅子身中の虫・裏切り者の斧九太夫(吉田玉也)をお軽に成敗させる時の凄い迫力までの緩急自在の心を演じる人形遣いは流石に最高峰の芸である。

   玉女の寺岡平右衛門は、剛直で豪快、足軽でありながら本来入り込めない筈の一力茶屋で主のように振舞っていて爽快である。とにかく、後先など考えない一本気の忠義一途の男で、妹お軽と元城代家老の由良助との異質な相手との受け答えを丁寧に描いている。
   この日、文吾が休演していたようだが、玉男が居ない舞台では、極めて重要な立ち役遣いである。

   後の舞台は後日観ることにしているが、来月から、この国立劇場で3ヶ月に渡って歌舞伎で忠臣蔵が演じられる。
   吉右衛門、藤十郎、幸四郎が夫々由良助を演じるようだが、どんな舞台になるか楽しみである。
   やはり、オペラのカルメンと同じで、名作のスタンダードナンバーは何時演じられても観たくなる、不思議であるが仕方がない。
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タンホイザー序曲で新日本フィル・新シーズン開幕

2006年09月17日 | クラシック音楽・オペラ
   ”誘惑 SEDUCTION"をテーマにした新日本フィルの定期公演が今日トリホニーホールで開幕した。
   ワーグナーの歌劇「タンホイザー」序曲とオルフの世俗の賛歌「カルミナ・ブラーナ」で、2時間弱のコンサートであったが、ソリストや合唱団も新日本フィルの素晴らしい演奏に呼応して、久しぶりに聴衆を熱狂させた。

   定例のプレトークでは、指揮者のアルミンクは、今日のメインであるカルミナ・ブラーナではなく、最初から最後までドレスデン版のタンホイザー序曲とこの歌劇について語り、来春公演するコンサート形式の「ローエングリン」について熱っぽく抱負を語っていた。
   「さまよえるオランダ人」等は何度も演奏していてワーグナーに関してはかなり自信があるようだったが、ローエングリンは初めてでオーケストラにも大変な挑戦だと言う。

   このタンホイザー序曲やワルキューレの騎行を一度聞いただけで熱狂的なワーグナー教の信者になってしまったと言うワーグナー・ファンが結構居るが、ルートヴィッヒ2世やヒットラーでなくても、一度、ワーグナーの楽劇にのめり込むと逃げ出せなくなる。
   このタンホイザーは、ヴィーナスへの愛欲に溺れた騎士であり詩人であるタンホイザーが歌合戦で肉欲賛歌を歌うが、反省して魂の救済を求めてローマへ巡礼するが失敗する、最後にエリザーベートの愛と死によって救済される、そんなワーグナーにしては比較的短い歌劇である。
   激しくうねり狂う官能的な愛欲とその賛歌、そして、最後には、荘厳かつ壮大な巡礼の合唱が蘇って、精神と信仰の勝利を歌い上げる。兎に角、官能的で激しく躍動する愛と救済の音楽を、弦楽5部に打楽器と管楽器がフルサウンドで咆哮するのであるから凄い迫力である。
   しかし、新日本フィルのサウンドは実に滑らかで温かく、何処までも官能的で美しい。

   私は、最初に聞いた日本のオーケストラのワーグナーは、もう40年以上も前の大阪フェステイバルホールでのバイロイト・オペラ公演で、ピエール・ブレーズ指揮のNHK交響楽団だが、あの時の、ニルソンやウイントガッセンを歌わせた素晴らしいサウンドが耳に残っている。
   しかし、流石にウィーン育ちの指揮者アルミンクの指揮である、新日本フィルが、素晴らしい本当のワーグナーサウンドで歌ってくれた。
   欧米のオペラ劇場やコンサート・ホールで随分ワーグナーを聴いているが、久しぶりの感動である。
   アルミンクは、このタンホイザーで、音楽による素晴らしい”誘惑SEDUCTION”をスタートさせた。

   休憩の後、オルフのカルミナ・ブラーナが演奏された。
   ソプラノ 松田奈緒美、テノール 永田峰雄、バリトン クレメンス・ザンダー、合唱 栗友会合唱団(指揮 栗山文昭)、児童合唱団 NHK東京児童合唱団(指揮 金田典子)。
   少し前に、この新日本フィルで、同じカルミナ・ブラーナをこのトリフォニーで聴いており、このオーケストラの桂冠指揮者小澤征爾の素晴らしいベルリン・フィルのDVDも出ていてお馴染みである。   
   強烈なリズムと圧倒するような強烈なハーモニーのこの音楽は、13世紀の世俗歌を題材にしたというが、ヒットラーが台頭し始めた頃のドイツで作曲されていて、何か強烈な歴史のうねりの様なものを何時も感じる。

   冒頭の「おお運命よ」と歌う合唱の女神賛歌から強烈なパンチを受けるが、大らかに生と愛を歌い上げる全編息をつかせぬ激しい音楽に圧倒される。
   3人のソリストと2つの合唱団が実に上手くて、絵画を髣髴とさせて壮大なオペラを観ているような感じがした。
   新日本フィルだが、管楽器のソロで多少サウンドの不安定があったが、打楽器、ピアノ、それに弦楽も良く歌い、とにかく、素晴らしく感動的なカルミナ・ブラーナを聞かせてくれた。
   普通は、小澤征爾の時以外は、終われば会場を出るのだが今日は最後まで席に居て拍手を続けた。

   小澤征爾の新日本フィルだと思っていたが、クリスティアン・アルミンクの新日本フィルになったのかも知れない。  
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竹中平蔵大臣の退任に思う

2006年09月16日 | 政治・経済・社会
   竹中大臣が参議院議員を辞めることになり、正に、小泉首相の首相生命と運命を共にすることとなった。
   私自身は、竹中大臣のパーソナリティや使命感からしても今回の退任は当然あり得べきことで、驚いてもいないし、無責任だとも思っていない。

   一般的には、70万票もの国民のバックアップを受けて選任され、任期を4年も残しながら参議院議員を辞めるのは無責任だと言う批判がある。
   しかし、元々、立候補は、竹中大臣が小泉内閣で最も有効に小泉改革を推進して行くためには如何すれば良いかとの判断に基づくもので、議員資格はその為の方便であったと思っている。
   自民党のかなりの参議院議員が、ただ何かの理由で有名だと言うだけで選挙に出て当選して議員になって頭数だけ合わせているケースがあるが、これらの6年間もの長い間の議員資格継続の方が問題であろう。
   それに、議員の場合は、繰り上げ当選と言う道があるので、辞めたい議員は辞めれば良いと思う。
   ノック青島現象で、政治の貧困と選挙の空しさを経験した日本においては、如何に無能な首長や議員達を有効に排除出来るシステムを構築するか、その方が大切だと思う。
   会社の場合も同じで、これがガバナンスのガバナンスたる所以である。

   不況になれば、公共投資を拡大して重要サイドから経済を支えるケインズ理論が日本の経済政策の根幹であったが、竹中大臣は、これを転換して、小泉首相の構造改革路線を推進する為に公共投資を徹底的に切り詰めて、供給側の活性化に力点を置くサプライ・サイド経済政策を果敢に導入した。
   弱肉強食の市場競争原理を信奉する新古典派経済学政策を推し進めたのであるから、一時的とは言え、未曾有のデフレ不況に喘ぐ日本経済を更に悪化させ、弱者や地方を徹底的に痛めつけた。

   ダイエー問題等で窮地に陥っていた三和銀行を潰して国有化してシティバンクに叩き売ろうとしていると言う噂まで飛び交う程、強烈な金融機関の不良債権の処理政策を推進し、経済再生を図ろうとした。
   大臣になる前から、ペイオフ解禁を激しく政府に迫っていたのを覚えているが、日本経済を再生する為には、徹頭徹尾日本経済の無駄や脆弱性を排して競争原理に立脚した競争力を強化する以外にないと考えていた。

   私は、シュンペーターのイノベーション派なので、サプライサイド強化の経済学には注目しており、ギルダーなどの本を読んで勉強もした。
   しかし、どちらかと言えば、元々、ガルブレイスの制度学派的なケインジアン、それに、リベラルな厚生経済学的な考え方をしているので、マーケット至上主義的な新古典派経済学の経済手法には馴染めない。

   ところで、竹中大臣の経済運営であるが、根本的には、ガルブレイスが言う様に、「経済は、ほって置いても、悪ければ良くなり良くなれば悪くなる」と言う考え方なので、政府が言う様に小泉・竹中経済政策が成功したので日本の経済が回復したとは思っていないし、これまでの政府の経済政策に対しても必ずしも賛成ではない。
   しかし、バブルまみれで巨大化した、そして、デフレ不況に呻吟し国際競争力を失って崩壊寸前にあった日本経済に、強烈な競争原理を導入して活性化しようとした努力と奮闘には敬意を表している。
   官僚主導型で先進国にキャッチアップして先頭に立った日本経済、それも、過保護で競争原理が働かずに国際競争力を欠いた膨大な背後経済部門を持つ日本経済には、一度は、強烈なグローバル・スタンダードの弱肉強食的な競争原理の洗礼を受けて脆弱性を排除しなければならなかったので尚更である。

   竹中大臣の経済政策が、アメリカに追随しすぎると言う批判がある。
   近年、アメリカは、日本に対する政策や国家戦略を要望書に託して求めてくるのだが、日本政府の政策や経済運営がこれにあまりにも沿い過ぎていると言うところ等からの批判であろうが、私はこれも含めて竹中大臣の「国家の為に一所懸命頑張っている」と言う発言を疑っていない。
   竹中大臣の経済学理論とその経済政策は、政治上の妥協は多々あるけれども、良し悪しは別として一貫しており、アメリカを利する為だけの経済政策などあり得ないと思うし、まして、アメリカの回し者呼ばわりする学者や識者(?)がいるのが解せない。 

   私は、竹中大臣が小泉首相に殉じて退陣するのは間違っていないと思う。
   少なくとも、この5年に小泉内閣によって実行された経済社会改革は、異例とも言うべき小泉首相の出現と強力な経済を追求しようとするアメリカ型の経済学理論を信奉する竹中大臣による、それも、千載一遇のコラボレーションによって成し遂げられた稀有な例だと思っている。 
   良し悪しの結果は歴史が判定するであろうが、小泉経済改革の成果は、二人の一蓮托生の結果であることには間違いない。
   そして、競争原理を重視したマーケット至上主義の経済政策時代は、ついに終わりを告げたと言うことである。
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