先日、NHKのグローバルディベイトウイズダム「グローバル経済の未来は」を聞いていて、非常に興味深かったのだが、要するに、競争重視の市場経済主義的な考え方をするのか、格差縮小・貧困撲滅など福祉厚生経済的なリベラルな考え方をするのかによって、平行線の議論に終始していた感じである。
その中で、最後に議論されていた「脱成長」と言う考え方が良いのか悪いのかと言う論点に興味を持ったので、これについて考えてみたい。
「脱成長」とは何かと言うことが問題だが、一般には、経済成長、GDPなりGNPのアップを考えないようにしようと言うことであろうか。
こんな表現をすると、極めて不穏当で、我々の住む文化文明社会の進歩を考えないのかと言う議論も出てこようが、要するに、我々の生活の質の向上や文化文明の発展進歩は十分に追及して行くが、経済成長、経済成長と言って、経済成長を強調した政策を取らないと言うことであろう。
成長よりも質を重視した経済政策を取れと言うことであろうが、私自身は、経済成長の質や中身については条件があるけれど、どちらかと言えば、成長支持派である。
まず、単純な話、これまでに、日本の国家債務の深刻さについて、日本経済の崩壊に繋がりかねないと議論してきているのだが、まず、日本経済が成長しなければ、この債務は、徳政令を敷いて借金棒引きにするとか、巨額の税金で回収するとか、棚上げにして雪だるま状態にして行きつくところまで行くとか等々、いずれにしろ、国民が大きな犠牲を払わない限り、永遠に償却不能となってしまって、日本経済のみならず、日本そのものの将来が危うくなる。
パイを極端に縮小して、そのパイの適切な再分配を図らない限り、日本社会の秩序厚生は保てなくなる筈である。
ギリシャやスペインなど深刻な債務国家で、民衆は暴動を起こして政府を糾弾しているが、花見酒の経済で食いつぶした以上、その分自分たちの生活水準を大きくダウンさせて切り詰めない限り問題は解決しないのである。
もう一つ、もっと分かり切った話だが、地球上に多くの深刻な貧困や格差が存在してはいるけれど、経済成長によって、少しずつ、人々の生活が豊かになってきていると言う事実である。
中国やインドなど新興国の貧困率が急速に減ってきていると言うのは、その査証であろう。
番組でも語られていたが、経済成長をしなければ、現在のグローバルベースで貧困に喘ぐ人々をどうして救うのかと言うことである。
要は、経済成長の仕方に問題があるのであって、「脱成長」、経済成長のない世界、などと言うのは、私には、全く考えられないと思っている。
しかし、我々人間が、天然資源を消費し活用して経済成長を図っている以上、ジェレミー・リフキンの言を借りれば、利用可能なエネルギーの蓄えを減らし、排出されるエントロピーを蓄積するという代償を払って財やサービスを生み出しているのがGDPであるので、GDPは、国内総コストだと言う厳粛なる事実も認めなければならない。
いつまで、宇宙船地球号を切り刻み続けるのか、そんなことは、不可能であろうし、賢い人類がイノベーションを駆使して持続可能な経済社会を実現しない限り、いつかは限界が来る。
資源に限界がある以上、マルサスの人口論の呪縛からは永遠に解放されないであろうと言うことである。
その中で、最後に議論されていた「脱成長」と言う考え方が良いのか悪いのかと言う論点に興味を持ったので、これについて考えてみたい。
「脱成長」とは何かと言うことが問題だが、一般には、経済成長、GDPなりGNPのアップを考えないようにしようと言うことであろうか。
こんな表現をすると、極めて不穏当で、我々の住む文化文明社会の進歩を考えないのかと言う議論も出てこようが、要するに、我々の生活の質の向上や文化文明の発展進歩は十分に追及して行くが、経済成長、経済成長と言って、経済成長を強調した政策を取らないと言うことであろう。
成長よりも質を重視した経済政策を取れと言うことであろうが、私自身は、経済成長の質や中身については条件があるけれど、どちらかと言えば、成長支持派である。
まず、単純な話、これまでに、日本の国家債務の深刻さについて、日本経済の崩壊に繋がりかねないと議論してきているのだが、まず、日本経済が成長しなければ、この債務は、徳政令を敷いて借金棒引きにするとか、巨額の税金で回収するとか、棚上げにして雪だるま状態にして行きつくところまで行くとか等々、いずれにしろ、国民が大きな犠牲を払わない限り、永遠に償却不能となってしまって、日本経済のみならず、日本そのものの将来が危うくなる。
パイを極端に縮小して、そのパイの適切な再分配を図らない限り、日本社会の秩序厚生は保てなくなる筈である。
ギリシャやスペインなど深刻な債務国家で、民衆は暴動を起こして政府を糾弾しているが、花見酒の経済で食いつぶした以上、その分自分たちの生活水準を大きくダウンさせて切り詰めない限り問題は解決しないのである。
もう一つ、もっと分かり切った話だが、地球上に多くの深刻な貧困や格差が存在してはいるけれど、経済成長によって、少しずつ、人々の生活が豊かになってきていると言う事実である。
中国やインドなど新興国の貧困率が急速に減ってきていると言うのは、その査証であろう。
番組でも語られていたが、経済成長をしなければ、現在のグローバルベースで貧困に喘ぐ人々をどうして救うのかと言うことである。
要は、経済成長の仕方に問題があるのであって、「脱成長」、経済成長のない世界、などと言うのは、私には、全く考えられないと思っている。
しかし、我々人間が、天然資源を消費し活用して経済成長を図っている以上、ジェレミー・リフキンの言を借りれば、利用可能なエネルギーの蓄えを減らし、排出されるエントロピーを蓄積するという代償を払って財やサービスを生み出しているのがGDPであるので、GDPは、国内総コストだと言う厳粛なる事実も認めなければならない。
いつまで、宇宙船地球号を切り刻み続けるのか、そんなことは、不可能であろうし、賢い人類がイノベーションを駆使して持続可能な経済社会を実現しない限り、いつかは限界が来る。
資源に限界がある以上、マルサスの人口論の呪縛からは永遠に解放されないであろうと言うことである。