チレアのオペラは初めてだし、勿論、この「アドリアーナ・ルクヴルール」も初めて。
ネトレプコを聴きたくて、劇場に出かけたのだが、素晴らしいオペラに感動した。
ストーリーは、非常にシンプルで、三角関係の恋の物語である。
18世紀前半のパリ。有名な劇場コメディ・フランセーズの大人気女優アドリアーナ・ルクヴルールは、ザクセン伯爵の旗手マウリツィオと愛し合っているのだが、マウリツィオは実は伯爵本人であり、職務上で大貴族のブイヨン公妃と密会中に、ブイヨン公たちがやってくる。公妃を別室に隠して、やってきたルクヴルールに公妃逃亡を依頼する。実は、ブイヨン公妃も、マウリツィオに恋心を抱いており、この逃亡劇の最中に、マウリツィオとの関係を語っている間にお互いに恋敵だと知る。アドリアーナとブイヨン公妃は火花を散らし、夜会の席で朗読を所望されたアドリアーナは、暗に公妃の不義をなじる内容の詩を読み上げて復讐したので、激怒した公妃は、毒を仕込んだスミレの花束をアドリアーナに送りつける。恋を失ったと憔悴しきっているアドリアーナのところへ、マウリツィオがやって来て、結婚の意思を伝えて喜ぶのもつかの間、毒が回って、アドリアーナは息絶える。
このオペラは、大筋でスクリーブとルグーヴェの原作に忠実にオペラ化されていると言うことだが、マウリツィオとブイヨン公妃とは、長年の男女関係にあったにも拘らず、アドリエンヌが登場で彼が公妃を捨てたのであって、オペラのように、ブイヨン公妃が、マウリツィオを横恋慕で奪おうとしたのではないと言う。それでも、このオペラのように、彼は政治問題になると公妃のコネを利用しようとするのであるから、公妃が怒って復讐を企てるのは当然だと言うことになるのだが、アドリエンヌ・ルクヴルールほかの登場人物も実在であり実話を脚色しているので、とにかく、虚実皮膜と言うところであり、「ヴェリズモ・オペラ」たる所以でもある。
実際には、どろどろした男女の恋の鞘当てを純化して、ルクヴルールの純愛物語に仕立て直したオペラと言うことであろうか。
監督: 指揮:ジャナンドレア・ノセダ/演出:デビッド・マクビカー
出演: アドリアーナ・ルクヴルール(ソプラノ):アンナ・ネトレプコ、
マウリツィオ(テノール):ピョートル・ベチャワ、
ブイヨン公妃(メゾソプラノ):アニータ・ラチベリシュビリ
ミショネ(バリトン):アンブロージョ・マエストリ
ピョートル・ベチャワは、先の「ルイズ・ミラー」で素晴らしい舞台を観たが、今回、圧倒的であったのは、「アイーダ」と同様に、タイトルロールを歌ったアンナ・ネトレプコと、恋敵を演じたアニータ・ラチベリシュビリの激しくて熾烈を極めた恋の鞘当てある。
「アイーダ」の時には、王女と奴隷の侍女と言う激しい身分差があったのだが、今回は、公妃と天下の大女優、それに、激しい直接的な感情表現に重きを置く「ヴェリズモ・オペラ」であるから、丁々発止、烈しい恋の応酬の凄さは圧巻である。
アドリエンヌ・ルクヴルールは、ウイキペディアによると、1717年にはコメディ・フランセーズにクレビヨンの『エレクトル(Électre)』でデビューした。同座での10余年の活躍中、彼女は100以上の演目(うち22は初演)で合計1,884回の舞台を踏んだとされる。それまでのフランス演劇で伝統的だった華麗にして大仰な台詞回しとは一線を画した、より自然な舞台演技を行って注目された。 と言う大変な大女優。
したがって、このオペラは、途轍もないディーバ(diva)が登場しない限り、オペラの体をなさないと言うことであり、今回は、ネトレプコあってこその舞台であったと言う。
かって、あの偉大なソプラノ・レナータ・テバルディが、ビングに、歌わせなければ、METには出演しないと言ったとかで、W・バーガーが、これまで、METで歌ったのは、このテバルディのほかに、モンセラ・カバリエ、レナータ・スコット、ミレッラ・フレーニだと語っていた。
私自身、テバルディは、フランコ・コレルリとのリサイタルしか聴いていないが、ほかのソプラノは、オペラ劇場でオペラを観ており、いずれも、一世を風靡した凄い歌手たちである。
アンナ・ネトレプコは、「ビロードのような美声と絶大なるカリスマ性で、現代のオペラ界を牽引するプリマ・ドンナ」と言うことで、今や最高のソプラノであり、容姿端麗で演技力も抜群であり、「濃密な声と卓越した表現力、圧倒的な存在感で世界を席巻するスター・メゾ」のアニータ・ラチヴェリシュヴィリの悪女ブイヨン公妃と、烈しく恋の鞘当てを演じるのであるから、凄まじく凄い舞台である。このラチヴェリシュヴィリは、ミラノ・スカラ座で「カルメン」のタイトルロールに抜擢されて成功を収め、METでもと言うことだが、とにかく、パンチの利いた圧倒的な輝きと迫力のある途轍もない声量の歌声には驚異さえ感じる。
今回は、異例にも、開演前に、ネトレプコは、ゲルブのインタビューを受けていたが、上演中は、エモーショナルになるので、避けたいと語っていた。
フィナーレで逝ったアドリアーナのネトレプコが、直後、カーテンコールに一人登場したのだが、顔面蒼白、憔悴しきった表情で登場したのだが、アドリアーナになり切っていたのであろう。
昔、イボ・ビンコが、妻の名メゾ・ソプラノのフィオレンツァ・コッソットが、閉幕後も中々歌ったキャラクターの世界から目覚められないのだと語っていたのを思い出した。そう言えば、カーテンコールで登場したアズチェーナのコッソットの表情は、舞台の延長そのものであった。
さて、舞台は、
第1幕: コメディ・フランセーズの楽屋
第2幕: セーヌ河に面する、女優デュクロの邸宅
第3幕: ブイヨン大公邸
第4幕: アドリアーナの邸宅
デビッド・マクビカーの演出だが、18世紀のパリを模したゼフィレッリ張りのクラシックな美しい舞台で、劇中劇の雰囲気を醸し出していて面白い。
中央に設営された舞台がセットを変えて、劇場になったり、邸宅になったり、大宴会場の舞台になったり、質素な邸宅になったり、
正面のステージ一つだけを使っての演出で、ハイテクの舞台装置がありながら、このステージには回り舞台がないので、舞台セットをみんなで押して舞台の方向を変えていたのが面白い。
指揮のジャナンドレア・ノセダは、素晴らしい。
それに、インタビューでの理路整然とした語り口や誠実な人柄が良い。
とにかく、素晴らしいオペラであった。
ネトレプコを聴きたくて、劇場に出かけたのだが、素晴らしいオペラに感動した。
ストーリーは、非常にシンプルで、三角関係の恋の物語である。
18世紀前半のパリ。有名な劇場コメディ・フランセーズの大人気女優アドリアーナ・ルクヴルールは、ザクセン伯爵の旗手マウリツィオと愛し合っているのだが、マウリツィオは実は伯爵本人であり、職務上で大貴族のブイヨン公妃と密会中に、ブイヨン公たちがやってくる。公妃を別室に隠して、やってきたルクヴルールに公妃逃亡を依頼する。実は、ブイヨン公妃も、マウリツィオに恋心を抱いており、この逃亡劇の最中に、マウリツィオとの関係を語っている間にお互いに恋敵だと知る。アドリアーナとブイヨン公妃は火花を散らし、夜会の席で朗読を所望されたアドリアーナは、暗に公妃の不義をなじる内容の詩を読み上げて復讐したので、激怒した公妃は、毒を仕込んだスミレの花束をアドリアーナに送りつける。恋を失ったと憔悴しきっているアドリアーナのところへ、マウリツィオがやって来て、結婚の意思を伝えて喜ぶのもつかの間、毒が回って、アドリアーナは息絶える。
このオペラは、大筋でスクリーブとルグーヴェの原作に忠実にオペラ化されていると言うことだが、マウリツィオとブイヨン公妃とは、長年の男女関係にあったにも拘らず、アドリエンヌが登場で彼が公妃を捨てたのであって、オペラのように、ブイヨン公妃が、マウリツィオを横恋慕で奪おうとしたのではないと言う。それでも、このオペラのように、彼は政治問題になると公妃のコネを利用しようとするのであるから、公妃が怒って復讐を企てるのは当然だと言うことになるのだが、アドリエンヌ・ルクヴルールほかの登場人物も実在であり実話を脚色しているので、とにかく、虚実皮膜と言うところであり、「ヴェリズモ・オペラ」たる所以でもある。
実際には、どろどろした男女の恋の鞘当てを純化して、ルクヴルールの純愛物語に仕立て直したオペラと言うことであろうか。
監督: 指揮:ジャナンドレア・ノセダ/演出:デビッド・マクビカー
出演: アドリアーナ・ルクヴルール(ソプラノ):アンナ・ネトレプコ、
マウリツィオ(テノール):ピョートル・ベチャワ、
ブイヨン公妃(メゾソプラノ):アニータ・ラチベリシュビリ
ミショネ(バリトン):アンブロージョ・マエストリ
ピョートル・ベチャワは、先の「ルイズ・ミラー」で素晴らしい舞台を観たが、今回、圧倒的であったのは、「アイーダ」と同様に、タイトルロールを歌ったアンナ・ネトレプコと、恋敵を演じたアニータ・ラチベリシュビリの激しくて熾烈を極めた恋の鞘当てある。
「アイーダ」の時には、王女と奴隷の侍女と言う激しい身分差があったのだが、今回は、公妃と天下の大女優、それに、激しい直接的な感情表現に重きを置く「ヴェリズモ・オペラ」であるから、丁々発止、烈しい恋の応酬の凄さは圧巻である。
アドリエンヌ・ルクヴルールは、ウイキペディアによると、1717年にはコメディ・フランセーズにクレビヨンの『エレクトル(Électre)』でデビューした。同座での10余年の活躍中、彼女は100以上の演目(うち22は初演)で合計1,884回の舞台を踏んだとされる。それまでのフランス演劇で伝統的だった華麗にして大仰な台詞回しとは一線を画した、より自然な舞台演技を行って注目された。 と言う大変な大女優。
したがって、このオペラは、途轍もないディーバ(diva)が登場しない限り、オペラの体をなさないと言うことであり、今回は、ネトレプコあってこその舞台であったと言う。
かって、あの偉大なソプラノ・レナータ・テバルディが、ビングに、歌わせなければ、METには出演しないと言ったとかで、W・バーガーが、これまで、METで歌ったのは、このテバルディのほかに、モンセラ・カバリエ、レナータ・スコット、ミレッラ・フレーニだと語っていた。
私自身、テバルディは、フランコ・コレルリとのリサイタルしか聴いていないが、ほかのソプラノは、オペラ劇場でオペラを観ており、いずれも、一世を風靡した凄い歌手たちである。
アンナ・ネトレプコは、「ビロードのような美声と絶大なるカリスマ性で、現代のオペラ界を牽引するプリマ・ドンナ」と言うことで、今や最高のソプラノであり、容姿端麗で演技力も抜群であり、「濃密な声と卓越した表現力、圧倒的な存在感で世界を席巻するスター・メゾ」のアニータ・ラチヴェリシュヴィリの悪女ブイヨン公妃と、烈しく恋の鞘当てを演じるのであるから、凄まじく凄い舞台である。このラチヴェリシュヴィリは、ミラノ・スカラ座で「カルメン」のタイトルロールに抜擢されて成功を収め、METでもと言うことだが、とにかく、パンチの利いた圧倒的な輝きと迫力のある途轍もない声量の歌声には驚異さえ感じる。
今回は、異例にも、開演前に、ネトレプコは、ゲルブのインタビューを受けていたが、上演中は、エモーショナルになるので、避けたいと語っていた。
フィナーレで逝ったアドリアーナのネトレプコが、直後、カーテンコールに一人登場したのだが、顔面蒼白、憔悴しきった表情で登場したのだが、アドリアーナになり切っていたのであろう。
昔、イボ・ビンコが、妻の名メゾ・ソプラノのフィオレンツァ・コッソットが、閉幕後も中々歌ったキャラクターの世界から目覚められないのだと語っていたのを思い出した。そう言えば、カーテンコールで登場したアズチェーナのコッソットの表情は、舞台の延長そのものであった。
さて、舞台は、
第1幕: コメディ・フランセーズの楽屋
第2幕: セーヌ河に面する、女優デュクロの邸宅
第3幕: ブイヨン大公邸
第4幕: アドリアーナの邸宅
デビッド・マクビカーの演出だが、18世紀のパリを模したゼフィレッリ張りのクラシックな美しい舞台で、劇中劇の雰囲気を醸し出していて面白い。
中央に設営された舞台がセットを変えて、劇場になったり、邸宅になったり、大宴会場の舞台になったり、質素な邸宅になったり、
正面のステージ一つだけを使っての演出で、ハイテクの舞台装置がありながら、このステージには回り舞台がないので、舞台セットをみんなで押して舞台の方向を変えていたのが面白い。
指揮のジャナンドレア・ノセダは、素晴らしい。
それに、インタビューでの理路整然とした語り口や誠実な人柄が良い。
とにかく、素晴らしいオペラであった。