熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

4年ぶりの衆議院議員選挙なのだが

2021年10月31日 | 政治・経済・社会
   先週の鎌倉市長選挙には、忘れていて行けなかったが、今回の衆議院議員選挙には、会場が近くの小学校なので、朝早く投票に出かけた。
   衆議院議員選挙でも参議院議員選挙でも、自分自身の主義心情なり考え方は、民主主義と自由主義市場経済を旨とする資本主義の信奉者なので、自民党に近い筈なのだが、選挙では、昔から社会党右派に近い系列の政党に投票している。カウンターベイリング・パワーとしての期待なのである。
   学生時代、穏健派でさえ「我が祖国ソビエト・ロシアは!」と叫んで学生運動に明け暮れていながら、後の浮世では変節して功成り名を遂げた学友達とは違って、思想信条にブレがないところが私の誇りでもあるのだが、どちらかと言えば、今でも、アメリカのリベラル色が強い民主党左派よりの考え方に近いと思っている。
   そんなわけで、今回は、小選挙区では立憲民主党、比例代表では社民党に投票した。最高裁判所に関しては、良識の府を維持して貰っていると信じて投票している。

   しかし、保革逆転というか、野党が政権を取ることには期待していない。
   かっての民主党政権による素人政治の酷さを思えば、政権運営には経験とノウハウのバックグラウンドの豊かな自民党の方が、日本の政治経済社会の安定のためには、次善の策ではあるが、短期的には仕方がないのであろうと思っている。
   尤も、今の旧態依然とした自民党政権では、どうしても、これ以上日本が良くなるとは思えないし、益々、普通の国に成り下がって先進国の後塵を拝する境遇から抜け出せるとは思えないのが苦しいところではある。
   選挙結果としては、自公が政権政党として継続するも弱体化して、逆に、野党の勢力が進行して、勢力図がもう少し均衡することを期待している。野党が、カウンターベイリング・パワーとして機能するような緊張関係が必要だと思っている。

   以上が、20時前、開票前の、私の心境である。
   今から、テレビの選挙放送を見ようと思う。
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マット・リドレー著「人類とイノベーション:世界は「自由」と「失敗」で進化する」(2)

2021年10月30日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   クリステンセンが説いた「イノベーターのジレンマ」は、イノベーションで成功したイノベーターが、現在繁栄中のの事業に固守して守り抜くために、破壊的イノベーションによって台頭してきた新規事業に乗り遅れて駆逐されて行くと言う成功故の蹉跌を論じている。
   イノベーションを実現するためには、「魔の川(Devil River)・死の谷(Valley of Death)・ダーウィンの海(Darwinian Sea)」と言う難関を突破しなければならないのだが、
   この本で、リドレーが、説いている興味深いトピックスは、これとは一寸趣が違うのだが、破壊的イノベーションを、政府機関が押さえ込んだり封印しようとする官制のジレンマとも言うべき政策によって、イノベーションが遅れているケースが結構あることである。

   第11章「イノベーションへの抵抗」で、イノベーションは繁栄を生み出すが、当初は誰もが反対し不人気であると、国王とワイン業者がコーヒーハウスを潰しに掛かったという例から、興味深いイノベーションへの反対物語を語っている。
   安全性の訴え、既得利権者の私利私欲、そして、権力者の被害妄想など昔のコーヒー戦争そのままに、近年の遺伝子組み換え食品やソーシャルメデイアに関する議論に関しても繰り返されているという。
   因みに、何故、コーヒーが反対に遭ったのか、国王や為政者が嫌ったのは、コーヒーハウスがうわさ話の場所となって国民の不満を増幅するという被害妄想であり、また、フランスではワイン、ドイツではビールの製造販売会社が医療専門家を味方に付けて競争相手に抵抗した。スウェーデンのコーヒー撲滅運動は20世紀まで続いたという。
   マーガリン戦争も同じような憂き目に遭った。

   最近では、バイオテクノロジーが広まるのを防ぐ運動である。
   当初、1990年代のアメリカを中心とした遺伝子組み換え(GM)作物の開発はスムーズに進んだのだが、イギリスで急に、背後に巨額の資金と皇太子など著名な支持者がついた活動家と評論家の軍団が反対運動を展開し始めて、EUでは、「フランケンシュタイン食品」と揶揄されて、一時禁止措置を受けている。
   EUでは、しかるべき指針として予防原則を導入していて、イノベーションの意図せぬ影響を心配すべきだという、この一見すると分別ある考えは、命を救う新しいテクノロジーが危険な技術に取って代わるのを、活動かが阻止するための道具になっている。
   鍵を握る2つの武器は、悪者扱いと先延ばし。つまり、危険性を主張すること、そして、設備投資を止めさせようと、実現の先送りを要求することだ。と言う。

   予防原則がイノベーションを妨げるやり方の一つは、試作品から実用化までの期間の実験を困難にすることで、開発者に、実施すべき作物について、大量の証拠を集めて、特別な許可を取得することを求められる。
   「セル方式」のコンセプトがテクノロジーに革命を起こして、「無線電話機」が生まれるはずであったが、極少数のための贅沢なサービスだとして許認可が下りず、携帯電話は、実際より数十年遅れて実現した。と言う。
   ドローンもよく似たケースで、政府の厳しいルールがその利用を制限して、それが学習を妨げて、イノベーションを抑制することになった。

   企業が官庁に自分たちの都合が良くなるように働きかけるレントシーキングや、知的財産権や特許など複雑な要因が絡んで、ブレイクスルーには大変だが、政府の介入や規制や法律など官制のジレンマが、前途を阻むことが多い。

   私自身は、ある程度の理性的な規制なり誘導は必要だとは思うが、ルネサンスが、世界中の知と美を結集してメディチ・エフェクトを炸裂させて華開いたように、人為的な介入は避けた方が良いのではないかと思っている。
   LinuxやWikipediaなどのように、オープンソースによるオープンイノベーションが存分に機能して、Windowsに対抗し、Britannicaを凌駕しつつあることなどを考えても、人類にとって良いはずの多くの新しいテクノロジーを、闇に葬ったり成長や成功を妨げたりしていることを考えれば、一層そうであろう。
   特許侵害狙いで商売をする業者もあると言うし、イノベーションの促進に特許が必要だという証拠もなければ、役立つという証拠もなく、むしろ、特許故に商品コストがアップし、時には、新しいイノベーション誕生の障害になる。
   また、知財権がもたらす額の、「4倍」が、訴訟に注がれていると言う。

   興味深いのは、ビジネスヨーロッパが、EUの規制がイノベーションに影響を及ぼした事例の長いリスとを作成した。規制がイノベーションを促進したのは、廃棄物政策と持続可能な輸送だけで、EUの規制が、法的曖昧さ、他の規制との矛楯、テクノロジーを縛るルール、面倒な包装条件、高い規制遵守コスト、あるいは、過度な予防措置を導入することによって、変革を妨げていた事例のリストの方がはるかに多かった。と言う。
   イギリスが、ブラッセルの一方的な規制に業を煮やしてブレクジットしたのは、正解であったと言うことであろう。

   しかし、日本の許認可制度につては、不満続きであるが、これは、私だけであろうか。
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わが庭・・・ルージュ・ロワイヤル咲く

2021年10月28日 | わが庭の歳時記
   今年も手入れに失敗して、鉢花15鉢以上もあるのだが、ばらの咲き具合が悪い。
   春の花後の手入れと真夏の世話に手を抜いてしまったので当然の帰結だが、やはり、随分以前のように、バラ優先で本格的に世話をしないと、繊細で微妙なバラは応えてくれない。

   ルージュ・ロワイヤル、フランスのメイアンの作出、
   クオーターロゼット咲きと言うようだが、複雑な花姿であるが、ほのかな香りと濃いレッドがシックで良い。

   
   
   
   

   
   

   紅葉が、だんだん、日本列島を南下してきたようだが、わが庭のモミジは、まだまだ、色付くには間がありそうである。
   
   
   
   紅葉の美しいのは、やはり、日本であろう。
   生活をして、1年中、その地に住んでみないと、四季の花木の様相は分からないのだが、私の経験では、欧米で、真っ黄色に輝く黄金色の華麗な森林の美しさには、何度も感動したが、赤く色付いた紅葉を見たのは、古城や民家の壁面に這っていたツタくらいで、まして、錦のように彩色豊かに色付いた日本のような風景など、見た記憶がない。
   紅葉もそうだし、桜花もそうだし、日本では、四季折々に、素晴しく華麗な色彩豊かな大自然に包まれるので、椿の侘助や日本蘭のように、シンプルで清楚な花が、逆に、好まれるのが分かるような気がする。利休がアサガオ一輪で秀吉を迎えたあの美意識は欧米人にはないであろう。
   その点、欧米では、四季の移り変わりが、少し単調であって、趣向が逆と言うか、バラに始まって、ユリも椿も皐も、東洋オリジンの花を、バラのように、デラックスに、ゴテゴテと華麗に品種改良して、花を益々飾り立てないと気が済まないのであろう。フラワーアレンジメントもそうだし、とにかく、色彩豊かで豪華な造形で押し通す欧米の花飾りの圧倒的な迫力も、この辺りにあるような気がしている。
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ジャック・オー・ランタンを作る

2021年10月27日 | 生活随想・趣味
   毎年、ハローウィンのシーズンには、カボチャをくり抜いてジャック・オー・ランタンを作る。
   毎年というのは、一寸正確ではなくて、娘や孫達が子供の時にといった方が正確であろう。
   長女が4歳の時、もう、何十年も前のことになるが、私がフィラデルフィアで勉強していた頃で、娘が現地のナーサリースクールに通っていた時に、ハローウィン行事の一環として始めたのが最初である。
   最近は、孫達のために、殆ど毎年、このジャック・オー・ランタンを作っている。

   日本では、適当なオレンジ色の綺麗なカボチャを探すのが、大変である。
   千葉の時には、園芸店がいくらもあって、カボチャ探しには苦労しなかったが、鎌倉に来てからは、運転免許も返上してしまって足がなくなって、自由に調達できなくなった。
   インターネットで買えば良いのだが、異常に高すぎて、二束三文の欧米の思い出があるので、出来れば、適当な価格のボチャを近くで調達したい。
   最近は、近くのコープの花屋さんに10月初めに一つ二つ店頭に列ぶので、都合が良ければそれを買っている。
   年によって、カボチャの出来にムラがあって、必ずしも満足いかないこともあるのだが、あるだけましかと思って利用させて貰っている。
   今年は、まずまず、綺麗なカボチャが手に入った。

   本格的にやろうとすれば、カービング用具が必要なのであろうが、要するに、大変なのは、カボチャの上か下に大きな穴を開けて、中の種など贓物を取りだして綺麗な壁面にすることと、目鼻口を描いて切り取ることだけなので、お玉とナイフがあればこと足りる。
   カボチャの開口部だが、昔は、頭の方を輪切りにしていたが、これだと傷が見えて見栄えが良くないので、最近では、ヘタの方を輪切りにして穴を開けている。

   長女は、アメリカでハローウィンを迎えていたので、ナーサリースクールでも行事に参加していたであろうし、当日、仮装をして、パンプキン籠を持って、近所の子供達と一緒になって、「トリック・オア・トリート」と唱えながら家々を回り、お菓子を貰って帰ってきていた。
   次女は、オランダでハローウィンを迎えたので、色々思い出はあるのだろうが、私自身多忙でヨーロッパ各地に出張続きで留守が多かったので、なぜか、殆ど記憶がない。その後のイギリスでもそうだが、次女には、異国での母子家庭状態をいまだに責められている。罪滅ぼしに、ヨーロッパを十分見せたし、帰ってからも、アメリカや中国にも連れて行ったが、それとこれとは違うようである。
   いずれにしろ、我が娘達には、ハローウィンの雰囲気を醸し出す欧米のバックグラウンドを見せてきたので、また、違った形で、孫達に語り繋いでいるのであろうと思っている。
   
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ハローウィンの大船フラワーセンター

2021年10月24日 | 鎌倉・湘南日記
   久しぶりに、大船フラワーセンターに出かけた。
   コロナで巣籠もり生活のため、出かけることもなかったのだが、急に気温が下がって気持ちよくなったので、花の写真でも撮ろうと腰を上げたのである。

   丁度、ハローウィンのシーズンなので、フラワーセンターの入り口も飾り付けで、記念写真を撮る人の列が続いていて、広場には、お化けカボチャが点在して子供達が遊んでいた。
   

   花は、やはり、コスモスが、一番秋の雰囲気を醸し出していて良い。
   
   
   いつも、真っ先に行くのは、椿庭園だが、サザンカ系統の花がちらほら程度で、椿は殆ど咲いていなかった。
   

   さてバラ園だが、それなりに咲いてはいたが、少し時期が遅かったのか、写真になるような姿の良い花は殆どなかった。
   結構シャッターは切ったのだが、掲載に値する写真など1枚もなく、プリンセス・ミチコとうららの写真だけ載せておく。
   また、探したのだが、イングリッシュ・ローズやベルサイユのばら、バビロンなど、気になっていたばらが殆ど消えてしまっていた。
   カラフルではあったが、ばら専門の京成バラ園とは格段の相違であることが分かった。
   側に咲いていた花のショットを1枚追加。
   
   
   

   温室には、色とりどりのハイビスカスが咲いていて美しかった。
   それに、温室の花は、エキゾチックな雰囲気の花が多いので、それなりに楽しませてくれる。
   
   
   
   

   睡蓮の咲く水際が良い。
   キューガーデンで、巨大なアマゾンのオオオニバスを観た時にはビックリしたが、ここの睡蓮はこぢんまりしていて、清楚で良い。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
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わが庭・・・椿:三河雲龍咲き始める

2021年10月23日 | わが庭の歳時記
   朝から、久しぶりに美しい秋晴れである。
   咲き始めた三河雲龍の花弁には、昨夜の雨露が残っている。
   この椿は、枝が地面を這ったような形で蛇行しながら成長して行く雲竜型の椿である。
   園芸店から買ったときには、ほんの30㎝ほどの枝を植木鉢の縁に倒れた形で植わっていたのを、大きな鉢に植え替えて育てている。
   枝の途中に添木を当てているが、しっかりと蛇行した枝を張って随分大きくなって沢山蕾を付けている。
   花は、やや歪つでシンプルだが、侘助椿の雰囲気である。
   さて、一方向に這うように伸びて成長するこの椿をどのように育てるか、花壇を嵩上げして植え替えるか、大きな鉢植えにして台の上に置くか、一寸悩んでいる。
   
   
   

   木陰には、ホトトギスが枝を伸ばして、びっしりと花を付けて咲き誇っている。
   花の形は色々あるのだが、この花の形は独特である。
   
   

   椿は、沢山蕾を付けているが、まだ固くて、開花までには間がある。
   モミジは紅葉までに、まだ大分時間が掛かりそうで、それまで、葉が持つかどうか。
   天気が良いと、読書三昧の合間に、何の気なしに、木々に語りかけたいような気がして庭に出る。
   
   
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アマゾン:試し読み、look insideの効用

2021年10月22日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   アマゾンで、本を検索すると、左肩に、本の表紙の写真が表示されて、その本の右上の欄外に、「試し読み」という表示が現われる。
   これをクリックすると、Kindleからの転用であろう、本の表紙から、目次、序章や第1章、参考文献、索引など、本の一部が読めるようになっている。
   この口絵の「監視資本主義」では、第1章と第2章の一部が、転載されているので、相当のボリュームであり、著者の意図する論旨が、かなり、理解できる。

   私が、書店で本を探すときには、まず、作者の論旨を摑むために、目次を一覧して、はじめに、序章、あとがき、などを読み、気になる本文の一部を読んで、ついでに、監修者の解説や訳者のあとがき、などを走り読みして、買うかどうかを決める。
   尤も、著者なり編集者を決めて本を選ぶ場合が多いので、そんな時には、特にチェックすることもなく、また、読みたいトピックスの本などでは、よく知らない著者や編者でも気にせずに幅広く選ぶようにしている。

   コロナで、大型書店に行けなくなって、直接、本を手に取れないので、勢い、ネットショッピングすることになり、アマゾンにお世話になることが多くなった。
   よく知っている著者については、大体、本の内容やその質など分かるのだが、知らない著者の本になると、全く事情も中身も分からないし、著者の略歴などバックグラウンドを調べたり、出版社や訳者の信頼性、それに、インターネットを叩いて書評など周辺情報を集める。
   私の場合には、翻訳本が多いので、英文のWikipediaや著者の所属する大学や機関などのHPからも、かなり、有効な情報が手に入る。

   ところで、米英版のアマゾンでも当然「試し読み」機能がある。ここでは、「look inside」だが、私の場合には、翻訳本のチェックもあるが、良く分からない和文に訳されている専門用語のオリジナルの英語が、どう言う言葉なのかの確認が、最も重要なチェック機能である。
   このブログでも、何度も書いているが、特に、原書のタイトルの誤訳が頻繁であり、意味不明の専門用語のチェックについては、大体、頻繁に出てくる基本単語なので、「look inside」で調べる程度でも用を足す。
   尤も、原書(The Age of Surveillance Capitalism: The Fight for a Human Future at the New Frontier of Power)を買えば問題はないのであろうが、この翻訳本「監視資本主義」でさえ、¥6160であるから、年間相当数の専門書などを買って読んでいる年金生活者には、おいそれと手は出せない。

   また、先日の話題、電子書籍か紙媒体の本かと言うことだが、やはり、やはり、一過性の電子書籍には馴染めない。
   ただし、索引で、始終苦労しているので、出来るのかも知れないが、キーワードを入れれば、瞬時に、索引項目なりページが現われるのなら、電子書籍も良いと思うのだが、ただ、一つのマシンで対応するのは難しいであろうと言う気はしている。
   いずれにしろ、アマゾンの「試し読み」は結構重宝している。
   
   
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ベルリンの歴史的な写真を見て

2021年10月21日 | 海外生活と旅
   インターネットを叩いていたら、
   MATSURISTORY・COMの「有名な歴史的瞬間をとらえた41枚の珍しい写真」が出てきて、興味を感じて、見ていると、その中に、ベルリンのことについての写真が3枚出てきた。
   そのまま借用させて頂くと、次の通りである。

ベルリンの壁が崩壊して以来初めて、ブランデンブルグ・ゲートに通り道が出来たため、西ドイツと東ドイツが自由に両サイドを移動できるようになりました。

ベルリンでのジョン・F・ケネディーの「Ich bin ein Berliner」演説中に撮影された後方からの眺め。 [1963年]

ベルリンの壁の破壊の日に穴の隙間から花を渡す東ドイツの兵士。 [1989年]


   東ドイツが、1961年8月13日、東西ベルリン間の通行をすべて遮断し、西ベルリンの周囲をすべて隔離したのが、ベルリンの壁の始まりで、1989年秋の東欧革命後の東ドイツ国内の混乱のなか、同年11月9日に東ドイツ政府の不用意な発表から、壁の国境検問所がなし崩し的に無効になり、壁の崩壊が始まった。
   ベルリンの壁が存在したのは、1961年から1989年まで、
   壁は、米ソ冷戦の象徴でもあり20世紀の歴史を凝縮しており、壁の崩壊は、共産主義優位の末路であり、「歴史は終った」かに見えたが、多難な世紀末と、想像を超えた新世紀の始まりであった。
   ケネディの演説は、壁が築かれた直後であり、花の写真は、壁の崩壊の日の一瞬であり、ブランデンブルグ門の車の渋滞は、壁の崩壊直後である。

   このブログに、ベルリンの壁崩壊時に東ベルリンに入ったときの思い出を記しているので、そのまま引用すると、
   ”ベルリンの壁が崩壊して、東ベルリンに自由に入国できるようになった直後、どうしても、この目で見たくて、休日を利用して、東ベルリンに入った。
   早朝、鉄道経由で、確かフリードリヒ通り駅Bahnhof Berlin Friedrichstraßeだと思うが、この検問所から東ベルリンに入った。
   ビザなしだったと思うのだが、門限が決まっていて、夜何時だったか忘れたが、この時間までに出国する必要があり、忙しかったが、私的旅行だったので、私の行きたかったのは、ブランブルグ門、フンボルト大学、ペルガモン博物館などで、偶然、マチネー公演があって、ベルリン国立歌劇場でオペラ「ホフマン物語」を鑑賞できた。
   ブランデンブルグ門は、壁の内側、東ベルリン側にあるので、それまで、アプローチできなかったので、感動冷めやらず、長い間、殆ど人影のいない門の傍で、感慨に耽っていた。
   ベルリンの壁のかけらだと言うので、記念にと思って安かったので買って帰ったのだが、どう見ても、新しい代物、ナチスの勲章や襟章の方が、記念になったかもしれない。
   その直後、経済団体が、東ベルリンで、東西経済交流の大会議を開いたので、参加したが、西ヨーロッパは、勿論、ソ連や東ヨーロッパからも沢山要人たちが参加した大規模な国際会議であった。
   その成果よりも、強烈に覚えているのは、第1日目の朝のセッションが終わった直後に、同時通訳用のレシーバーの過半が消えて帰ってこなくなったことである。
   当時、ソ連が日本製の電卓を水深測量計に改造して使っていたと言うから、貧しくて文明機器の不足していた東側の参加者が、通信機器か何かに転用しようと持ち帰ったのであろうと、噂していたが、共産主義体制崩壊の末路を見たようで、複雑な気持ちになった。”

   翌年に、東欧事務所設立準備のために、東西ベルリンを起点にして、東ドイツに入ってライプチッヒとドレスデン、そして、チェコスロバキアのプラハとハンガリーのブダペストを訪れた。
   この時は、ポッダムを訪れて、ポツダム宣言所縁の故地やサンスーシー宮、そして、ルターの宗教改革の口火を切った『95ヶ条の論題』を掲げたヴィッテンベルクの教会なども訪れて、歴史を実感した。
   どの大都市も、戦争や革命騒ぎで、壊滅的な打撃を受けるも、戦後復興も全く手付かずで、崩壊したそのままの状態でフリーズしたような哀れな姿を露呈していて、あらためて、ソ連支配の東欧諸国の失われた戦後の歴史の悲惨さを感じて愕然とした。情勢は、体制移行の過渡期で、殺伐とはしていたが、移動や視察には、何の支障も不安を感じることもなかった。
   東ドイツに入れば、舗装が無残に剥がれて疲弊した道路を、ぺろぺろの貧弱な小型乗用車トラバントが走っていて、
   田舎に出たら、ヒットラーが、非常時には、滑走路に転用しようとした中央分離帯のないハイウエイが、そのまま残っていて、延々と真っすぐに伸びている異様さ。
   その後、仕事の関係で、何度かベルリンを訪れたが、西ベルリンの方ばかりで、東西ドイツの統合で近代化した東ドイツの様子は分からない。

   ベルリンの象徴とも言うべきブランデンブルグ門だが、私の行った時には、殆ど人が居らず、壁の欠片やナチスの勲章などを売る露天がちらほらある程度で、側に立って手に触れて何時間佇んでいても問題なかった。それに、爆撃で崩壊して形態だけは残っていた国会議事堂の中にも、人が居らず、自由に入れたのを覚えている。
   二回目の東ベルリン訪問の時には、ホテルの隣に、ベルリン・コーミッシェ・オーパー(Komische Oper Berlin)があったので、オペラ「魔弾の射手」を観たのだが、まだ、軍国主義の風潮が覚めやらないのか、衣装が、厳つい軍服のオンパレードでビックリした。

   ベルリンの写真を観て、懐かしくなって、思い出を反芻してみた。
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鎌倉 松原庵 青でのランチ

2021年10月19日 | 鎌倉・湘南日記
   江ノ島は目と鼻の先、腰越橋の交差点に最近オープンしたそば処レストラン鎌倉 松原庵 青がある。
   久しぶりに、江ノ島に出て、ランチを取った。

   私は、元関西人なので、蕎麦にはあまり興味がないので、お仕着せのセットメニューを選んだ
    昼のコース ■ 藍 あい 季節の前菜七種盛り合わせ そば( せいろ もしくは かけ)
          サイドに エビ盛り合わせ天ぷら
   
   

   近くでは、鎌倉山に、広大な庭園を擁した檑亭というそば処がある。
   高台にあるレストランから庭を見下ろしながら蕎麦を賞味するのも良いが、四季の移り変わりを演出してくれる庭園を散策するのも楽しい。
   この 松原庵 青は、すぐ、波打ち際に下りて、江ノ島を向こうにして砂浜を散策できるし、橋を渡れば、江ノ島である。
   平日でもあり、曇り模様で寒くなってきたので、砂浜に出る人も殆ど居らず、サーファーも見かけない。
   京浜地方は、梅雨時よりも10月の方が雨が多いというのだが、リア王の世界のような天気になると、江ノ島の風景も寂しくなる。
   江ノ島の右方面に見える富士の姿もかき消されて仰げない。
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日経を読むのは無意味なのか

2021年10月18日 | 政治・経済・社会
   PRESIDENT Onlineで、ひろゆき『ひろゆきのシン・未来予測』を再編集して、「日経新聞を読んでいないと時代に取り残される」そう考える人のほうがよっぽどマズい理由」という記事を掲載した。

   ”僕自身、大学時代に、日本経済新聞を取って毎日隅々まで読むということをやっていました。広告まで含めて全部目を通すと、どれだけ集中しても1時間程度かかります。かかる時間と得られるものを考えたときに、続ける意味を見出せずに1カ月でやめてしまいました。ましてや、情報の速度が飛躍的に上がった今の時代、新聞に書いてあることはすでに時代遅れもいいところです。日経新聞を読みこなせば賢くなるとか、ビジネスに役立つ情報をキャッチできているとか考えている時点で、かなりまずいでしょう。”と言う。

   新聞は消滅の危機にあるとして、毎日の河内孝記者の言を引用して、”日本の新聞は、ビジネスモデルを変えなければ生き残れない。一番の危機は、インターネットの時代を生き残るビジネスモデルが見つかっていないこと、見つけようともしないことである。インターネットで誰もがつながっている時代になって、SNSなどでいろいろ情報を共有し合っているときに、メディアが「第四権力」などと威張って、上から情報を流す時代は終わった。”と言う。

   なぜ「新聞」が軽減税率の対象になったのかとか、アメリカでは、ハイパーローカルやニッチなコンテンツなど、新しいジャーナリズムの動きが出ている一方、日本の新聞はいまだに迷走しているとか、大手新聞社は都心の一等地を保有していて、不動産業で利益をあげているとか、日本独特の「記者クラブ」というシステムに問題があるとか等々、大手新聞社は「体質」を変えられるかと疑問を呈して、新聞の消滅の危機について論じている。

   これだけでは、何故、「日経新聞を読んでいないと時代に取り残される」そう考える人のほうがよっぽどマズい理由」なのかと言う理由が良く分からないのだが、紙媒体の新聞の凋落については、理由の如何に拘わらず、時代の趨勢であるので論じるのは避けて持論を述べる。

   あくまで独善と偏見の私見だが、日経新聞を読むことは、時代に取り残されるかどうかは別にして、知識情報を得るための一つの媒体であって、その意味では、読む価値はあると思っている。
   まず、疑問なのは、日経を隅々まで読むという姿勢で、全く無意味であるし愚の骨頂だと思う。
   私が終始徹底しているのは、日経を開いて全ページを一覧して、その時に、読みたいと思った記事を読むことにしていて、読み飛ばした記事には目もくれない。
   何十年も日経を読んでいれば、日経の何処を読んで、どう活用するのかくらいの知恵は着くはずである。

   さて、新聞と言うのなら、日経電子版についても論じる必要があるが、これは、一応デジタル時代の要件は満たしている。内容が時代遅れだとか文句を付けるのなら、日本で、日経以上の内容のある知識情報媒体が何処にあるのか聞きたい。
   その前に、紙媒体の新聞の価値についてだが、未だに、紙媒体の本を駆逐できない電子書籍で論じたのと付合するのだが、何よりも一気に一覧できることで、必要に応じて前に戻って反復できることで、電子媒体では、これが難しい。
   新聞記事の大半は、新聞の電子版やインターネット記事で補足しているが、どうしても、新聞の一紙は、紙媒体で読みたいので、それが、私には日経なのである。

   「日経新聞を読んでいないと時代に取り残される」そう考える人のほうがよっぽどマズい」というのなら、それでは、時代に取り残されないためには、どうするのか。それを示さずに、このような無責任な発言をすることが許されると思っている神経自体が問題である。
   そのような適切な方法など、ある筈がなく、あったとしても、人それぞれ違うし、至難の業である。
   経済学者の経済予測が殆ど当たらないのも、株のプロの株予測が猿がダーツを打って命中する確率よりもはるかに悪いのも、須くこれである。

   余談だが、よしや、時代の潮流がつかめても、取り残されないためにはどうするのか、この方が、はるかに難しい難題であり、地球と一緒に運命を共にするのも、一つの選択肢であろうと思っている。「時代の潮流に乗り遅れて時代に取り残される」こと自体が、果たして、悪いことなのかどうかさえ疑問だと思っている。

   私自身は、これまで、自分なりに、時代の潮流をつかみたいと思って、専攻した経済学と経営学に関連する新しい知見などについては単行本主体だが極力フォローしてきたし、それとは別に、必要だと思われる歴史書や文化文明論、未来学関係本と言った、むしろ、雑誌や週刊誌などを避けて、真面な知識情報媒体に対峙してきた。
   新聞の電子版は、ニューヨークタイムズ、ワシントンポスト、ロイター、時には、ロンドン・エコノミストや、プロジェクト・シンジケートなどの記事を読んで補足している。
   日経新聞は、それらの貴重な知識情報媒体の一つである。
   テレビについては、NHK BS関連の時事特集や教養番組に注目して見聞きしており、ニュースについては、BS1の「キャッチ!世界のトップニュース」と「国際報道2021」を必ず見るようにしている。
   しかし、このようなやり方が良いのか悪いのかと言う以前に、自分が時代の潮流に取り残されずに済んでいるのかどうかという確信など皆無であるし、大体、時代の潮流そのものがどう言うものか、おそらく、こう言うことではなかろうかと言う程度のあやふやな知識しか取得できないし、それに自己満足していると言うのが正直なところである。

   もう一度、日経に戻るが、時代遅れだと言われようと何と言われようと、日本の知識情報媒体として、最高峰の存在だと思っている。
   日経がなければ、勿論、日経新聞単独を言うのではなく、日経がトータルで提供している事業全部をひっくるめて言うのだが、日本の文化知的水準は、ぐっと低下するはずである。
   
   「日経新聞を読んでいないと時代に取り残される」そう考える人のほうがよっぽどマズい」のではなくて、読む人間の姿勢なり、知的対応力が問題であって、日経新聞を、斜交いに見て、真面に読めない人のほうがよっぽどマズいのである。

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フィルターバブル (filter bubble)の危険

2021年10月17日 | 政治・経済・社会
   マット・リドレーの「人類とイノベーション」を読んでいて、「通信とコンピュータのイノベーション」の項で、十分に気づいていたものの、改めて恐ろしいと思ったのは、「フィルターバブル (filter bubble)」という現象である。
   デジタル大辞泉を引用させて貰うと、
   フィルター‐バブル【filter bubble】とは、
インターネットで、利用者が好ましいと思う情報ばかりが選択的に提示されることにより、思想的に社会から孤立するさまを表す語。サーチエンジンなどの学習機能によって、利用者の望む情報が優先され、望まない情報から遠ざけられる様子を、泡の膜に包まれている状態にたとえたもの。米国の活動家イーライ=パリサーが自著で用いた造語。
   インターネットで、検索などで日々打ち込んだキーワードがフィルターのように働いて、個々の利用者向けに最適化された情報(パーソナライズされた情報)ばかりが表示されて、その個人が好まないと思われる情報や多様な情報などの自身と相容れない意見などに触れる機会が失われている状態を言うのだという。

   パルサーが、著書「フィルターバブル」の中で、例示しているのは、メキシコ湾での原油流出事件が問題になっていたときに、BPと言う言葉で検索したら、ひとりは環境に纏わるニュースで、もうひとりは投資アドバイスのニュースを取得したという。
   パーソナライズするために個人のデータや好みを取り込むことで、これだけ違った検索結果が出るのである。

   さらに、パルサーが予言したように、「パーソナライゼーションのフィルターは目に見えない自動プロパガンダ装置のようなものだ。これを放任すると、我々は自らの考えで自分を洗脳し、馴染みのあるものばかりを欲しがるようになる。暗い未知の領域にひそむ危険のことなど忘れてしまう。」
   フィルターバブルとケーブルテレビが、世界中の政治的二極化の原因であることには疑いがないとして、反対の政治的イデオロギーのメッセージを伝えるウェブポットを1ヶ月フォローする実験を行ったら、共和党員はより保守的に、民主党員は少し進歩主義に傾いたという。

   アマゾンのページを頻繁に開いて、本を検索すると、その本などの紹介に添付して、次のような項目が出て、多くの関連商品が紹介される。
よく一緒に購入されている商品
この商品を見た後に買っているのは?
この商品に関連する商品、この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
   これらの新規情報が煩わしいときもあるが、新刊書や気づいていなかった関連本や商品が分かって、重宝することがあり役立っている。
   毎日のように、チェックした商品や関連商品の紹介メールが送られてくるのも、アマゾンの特色で、私のアマゾン検索や購入商品のデータを活用してのカスタマーゼーションなのであろう。
   このアマゾン現象には、特に不都合は感じていない。

   さて、パルサーの指摘する「パーソナライゼーションのフィルターは目に見えない自動プロパガンダ装置のようなもので、我々は自らの考えで自分を洗脳し、馴染みのあるものばかりを欲しがり、暗い未知の領域にひそむ危険のことなど忘れてしまう」という危険については、非常に危惧している。
   しかし、現実には、私は、フェイスブックやツイッター、LINEなどのSNSとは縁がないので、このフィルターバブルの影響は、パソコンのインターネットくらいであり、直接的には、影響は少ないであろうと感じている。

   もう、20年近く前の話だが、東大安田講堂でのセミナーで、阪大総長が、グーグルの検索において、結構直接関係のないデータが出てくるのだが、この一見無関係だと思われる情報が新しい発想のきっかけになり役立つことがあると言っていたが、要するに無駄や遊びが必要なのであり、役に立つシステムばかりでは人生が無味乾燥となって面白くないこともある。と書いたことがある。
   グーグルの検索エンジンが、未開発であった時には、牧歌的でどこか惚けた味があって、人生が豊かになっていたが、今や、自らを洗脳する自動プロパガンダ装置と成り下がって、危険装置以外の何ものでもなくなってしまった、と言うことであろうか。
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わが庭・・・椿:紅茜咲きはじめる

2021年10月16日 | わが庭の歳時記
    少しずつ、椿のシーズン到来で、わが庭で、二番手に咲き始めたのは、紅茜。
    早咲きの濃紅のあざやかな椿で、 一重の筒咲きが気に入って育て始めたのだが、侘助椿だとは知らなかった。
    最初、侘助椿に興味を持って、千葉の庭では、何種類も植えていたのだが、大きく育ちすぎて、特に小輪と言うだけで特色がないので、鎌倉の庭では、植えていない。
    侘助椿は、日本人好みなのだが、ヨーロッパ生活が長くなって、バラなどの派手で仰々しい花を見慣れた所為か、帰ってからは、品種改良された洋椿の方に、趣向が移ってしまっている。
    
    
    
    

    酔芙蓉が、まだ、元気に咲き続けている。
    
    
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マット・リドレー著「人類とイノベーション:世界は「自由」と「失敗」で進化する」(1)

2021年10月14日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本の原題は、How Innovation Works: And Why It Flourishes in Freedom
   マット・リドレー(Matt Ridley)は、世界的に著名な科学・経済啓蒙家で、事実と論理にもとづいてポジティブな未来を構想する「合理的楽観主義(Rational Optimism)」の提唱者である。この合理的楽観主義をはじめて提示した著書が、前にレビューした『繁栄:明日を切り拓くための人類10万年史』なのだが、とにかく、くらい未来論が多い中で、異彩を放っていて、読んでいてホッとする。
   尤も、人類の未来を楽観している識者については、このブログで、既に、
   P・H・ディアマンディス&S・コトラー著「楽観主義者の未来予測」上下
   スティーブン・ピンカー著「21世紀の啓蒙 上下: 理性、科学、ヒューマニズム、進歩 」
   ニコラス・クリスタキス 著「ブループリント:「よい未来」を築くための進化論と人類史」上下 をブックレビューして、紹介済みではある。
   
   イノベーションは、どのように作用し働くのか、そして、何故、自由であってこそイノベーションがFlourish繁栄するのか、この本では、
   自由を失いつつある現実社会に、イノベーションの陰りを感じつつ、一寸影を落とした合理的楽観主義が気になる。

   さて、人類の未来について、悲観的にならざるを得ないのは、地球温暖化の問題、気候変動が、人類を窮地に追い込むと言う危機だが、もう一つ、昔から懸念されている深刻な問題は、マルサスの亡霊である。
   マルサスは人口の増加が生活資源を生産する土地の能力よりも不等に大きいと主張し、人口は制限されなければ幾何級数的に増加するが生活資源は算術級数的にしか増加しないので、生活資源は必ず不足する、という帰結を導き、人口増の継続が、生活資源の継続的な不足をもたらし、したがって重大な貧困問題に直面すると予言した。このマルサスの予言が、的中するかも知れないと言う恐れが、人々の念頭から離れなかったのである。

   しかし現実には、マルサスが、これを予言した人口論を発表したのは、1798年で、当時世界人口は10億人をやや切っていたのだが、今や80億人に到達しようとしているのだが、アフリカなどの最貧国は別として、地球全体として食糧が危機的な状態になってはいないし、先進国など飽食の時代に突入し、廃棄食物の処理が問題になっているくらいである。

   ところで、リドレーは、「食物のイノベーション」の章「農業革命は「自然を破壊」したのか」という項で、ハッキリと、マルサスの予言、飢餓に導くような食料供給の不足に従い、過剰な人口が増加を停止するとする、マルサスの罠を否定している。

   20世紀に、機械化、肥料、新品種、殺虫剤、そして遺伝子組み換えの結果として、農業の生産力が大幅に向上したことで、人口は増え続けているのに、地球上から飢饉がほぼ完全に消え、栄養失調は劇的に減った。この状況を予測した人は殆どいなかったが、この改善は、自然を犠牲にして実現したと心配する人が大勢いる。
   実際にはその逆で、食糧生産のイノベーションのお陰で、農地の生産性が上がったことで、多くの土地や森が耕起や放牧や伐採から免れている。この「土地温存」は、土地共有よりはるかに生物多様性にとって良い。
   1960年から2010年の間に、一定量の食糧を生産するのに必要な土地の面積は、およそ65%減った。もしそうでなければ、世界中の森林も湿地も自然保護区もすでに耕されるか、家畜が放牧されていて、アマゾンの雨林はもっとはるかにひどく破壊されていたであろう。しかし実際には、原野と自然保護区は着実に増えており、森林面積の減少は止まり、多くの場所で、現在増えつつあるので、1982年以降、全体的に見れば森林面積は7%増加している。今世紀の半ばには、世界は1950年に30億人を養っていた時よりも狭い面積で、90億人を養っているだろう。と言うのである。

   イノベーションによって、光合成の効率を調整し、窒素固定細菌を植物の細胞に挿入し、害虫や菌や雑草による損失を更に減らし、植物それぞれのエネルギーをもっと沢山貴重な食糧に転換することによって、農業の生産量は増え続けるので、穀類や豆類など作物の平均収穫高は2050年には50%増えるであろう。
   農業革命のイノベーションが進めば、耕す土地をはるかに少なくして、国立公園や自然保護区を拡大し、土地を森林や手付かずの自然に戻し、花や鳥や蝶のために管理する土地を増やし、自分たちの食糧を確保しながらでも、地球の生態系を改善できる。
   とリドレーは説く。

   しかし、アマゾンの熱帯雨林が開発の美名の元に、どんどん、消滅している現実や世界各地で進行中の原生林の乱開発などを見ていると、リドレーの説明を額面通りには受け取れない。
   また、リドレーは、一切触れていないのだが、地球温暖化による世界全体で頻発している異常気象による地球環境の破壊で、農地は勿論、生活環境が、大きくダメッジを受け続けている。現状の農業環境では、対処しようがないのだが、どうするか。
   作物のイノベーション重視の農業革命だけでは乗り越えられない、人類の運命を帰する農業を取り巻く環境をも十分に考慮した対策も必要であろう。
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Lloyd's of London:奴隷貿易関与の過去

2021年10月11日 | 政治・経済・社会
   イギリスのシティにある国際的な保険取引所ロイズ・オブ・ロンドン (Lloyd's of London)について、
   ロイターが、”アングル:「負の遺産」直視する英金融街、奴隷貿易関与の過去”と報じた。

    英国の船舶は、奴隷とされたアフリカの人々を300万人以上、大西洋の向こう側に運んだ過去がある。こうした船舶の多くは、英保険市場ロイズ・オブ・ロンドンによって保険をかけられていた。ロイズの引受人は、甲板の下に鎖でつながれた人々を家畜と並んで「生鮮品」に分類することもあった。
   しかし、「奴隷制が残した遺産が人種差別だ。奴隷とされた人々を人間以下の存在とみなさない限り、奴隷制を機能させるための条件を整えることはできない」「私たちは、民族、人種、肌の色をもとに差別をした。それは英国、そして欧州の文化に染みついている。私たちはいま、その問題に対処しようとしている」と言う。
   昨年の「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大切だ)」を掲げる抗議を経て、ロンドンの他の金融機関と同様、ロイズも人種差別的な過去に向き合わざるをえなくなっている。ロイズとイングランド銀行は、奴隷貿易においてどのような役割を担ってきたか、それぞれ歴史研究者に調査を依頼しており、来年その結果を公表する計画だ。と言うのである。

   さて、この記事に注目したのは、先日、このブログで、「ダグラス・マレー 著「西洋の自死」(3)西欧の植民地支配の罪悪感」で、西欧が、植民地の住民を搾取し蹂躙し、奴隷化するなど植民地主義の悪行で、今日の富を築き上げて来たことに対して、罪悪感を感じ始めていて、このために、移民・難民の流入に対して寛容になっている、と書いてきたので、
   これは、その傾向の顕著な一例であり、急な、世界観、歴史観の大転換、とも言うべき現象がイギリスの深部にまで及んでいると言うことを再認識させられたからである。

   ロイズには、奴隷貿易の痕跡が広く深く残されている。西インド諸島における欧州諸国のサトウキビ生産用植民地は、17─18世紀にアフリカから運ばれた奴隷の労働によって建設された。そしてシティー・オブ・ロンドンは、大西洋をまたぐ人身売買のための金融の中心地だった。18世紀には英国の海運保険市場の3分の1─3分の2は奴隷貿易を基盤としており、プランテーションでの生産物を積んで欧州に戻る船舶に保険をかけていた。
   シティがどうだと言うよりも、太陽の沈まない国と豪語した大英帝国の繁栄は、世界各地を植民地化して蹂躙し搾取した結果であったと言っても良いくらいで、映画「ガンジー」を見るだけでも、その酷さが分かる。
   いずれにしろ、
   イングランド銀行は今年、奴隷貿易とのつながりのあった歴代の総裁・理事らの肖像画・胸像10点を撤去し、
   シティー・オブ・ロンドンの市庁舎であるギルドホールでは、奴隷貿易とのつながりのあった政治家2人の彫像を撤去する決定が以前に下され、
   ナショナル・ギャラリーは、奴隷貿易に関わったロイズの名士たちの肖像画をどうするか、と言うことだが、
   米英で、奴隷貿易や奴隷制度に関わった為政者や偉人の銅像などが撤去されてきたように、偶像は落ちると言うことであろう。

   しかし、奴隷問題を筆頭として、西洋の植民地支配も、アメリカの原住民蹂躙も、これまでは、勝者の文明史観で、すべて、人類の成長発展、文化文明の進化として、是認されてきたのだが、このような先進諸国の所業が悪だと言うことになると、歴史の書き換えや人類社会そして文明の進化発展について、根本的に考え直さなければならないであろう。

   たとえば、欧米の植民地主義や帝国主義について考えるときに、何時も思い出すのは、偉大な文化遺産や芸術作品の収奪である。
   昔話題になった典型は、映画「日曜はダメよ Never on Sunday」で主役を演じて文化大臣にまでなったメリナ・メルクーリが、イギリスの大英博物館に展示されている、パルテノン神殿にあった考古学的な価値を持つ彫像群「エルギンマーブル」をギリシャに返せ、と噛みついた「エルギンマーブルの呪い」事件である。
   偉大な文化遺産の多くは、正当な理由に基づいて取引が成されたとは思えないので、その遺産を、それを生み出した故国へ変換せよと言うことになれば、大英博物館もルーブル美術館もメトロポリタン美術館も、空っぽになる。
   余談だが、サウジアラビアへ飛ぶ途中に、カラチで乗り継ぎに数時間あったので、空港を出て、シルクロードの片鱗でも見ようと、カラチ博物館に行ったのだが、何もめぼしいものはなく空っぽで、痛く失望したことがあり、文化の落差の激しさを感じた。

   いずれにしろ、エルギンマーブルのように、廃墟と化したパルテノンに据え置くのが良かったのか、イギリスに渡って文化財の価値が分かる環境で保存されたのが良かったのかは大いに疑問で、タリバンによるバーミアン石仏破壊やISのパルミラ遺跡の古代神殿の爆破など、バンダリズムの台頭で、今も、貴重な世界遺産が破壊されているのを考えると、改めて、文明とは、人類の進歩とは、一体、どう言うことを意図するのか、翻って考えなければならないと思う。
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信じられないようなネットショップ

2021年10月09日 | 経営・ビジネス
   孫娘が、「ディズニー&ディズニー/ピクサーキャラクターズ ワンダフルスイートパソコン」が欲しいと言った。今回は、中々諦めないので、いつものように、私のパソコン・ジャックの継続も困るので、買ってやることにした。
   いつもなら、迷わずに、アマゾンを叩くのだが、1万円以上するので、念のためと思って、価格コムを検索した。
   最安値価格で、A社の価格が1万円を切っている。
   価格コムでも、ネットショッピングした経験があり、困ったこともなかったので、迷うことなく、A社のページに飛んで、予約を入れた。
   価格コムのページから開けば、A社のショップ評価が分かったのだが、直接A社のオーダーページに飛んだので、A社がどんな店か、評判がどうか、何も分からずに、オーダーを入れてしまったのが、ことの躓きの始まりであった。
   

   アマゾンや楽天なら、翌日ないし1~2日で、発送の案内があって、すぐに送られてくるのだが、オーダー受注のメールは受け取ったが、一向に連絡がない。
   「お問い合わせ窓口」に電話を掛けても、混み合っているので後ほど掛けるようにとの音声案内で一方的に電話が切れる。何度試みても、この繰り返しで埓があかない。
   仕方なく、「お問い合わせフォーム」でメールを入れて配送時期を訪ねたら、翌日遅くに回答があって、発送は8日以内ということ以外は答えられないと言う返事。

   ところが、幸いというか、オーダーを入れてから、6日目夕刻に発送案内メールが届き、郵便局からのお届け案内メールも入った。
   翌日、郵便局の宅配で、A社からの品物が届いた。
   孫娘が幼稚園から帰るまで、包装をそのままにしておこうかと思ったのだが、何となく、気になって、箱を開いたら、パソコンどころか、全く似ても似つかない、口絵写真の「プラレール 新幹線変形ロボ シンカリオンZ ダークシンカリオン」が出てきた。
   発送案内には、ハッキリと、「ディズニー&ディズニー/ピクサーキャラクターズ ワンダフルスイートパソコン」とプリントされており、箱詰め時に、チェックすれば、間違いようがない極めて単純なミスなので信じられない。

   一週間待たされて、やっと、孫娘の喜ぶ顔を見られると思っていたら、どんでん返し。
   パニックになってしまった。
   さあ、どうするか。
   電話をしても繋がるはずはないし、メールで照会しても、また2~3日は掛るであろうし、上手く処理される補償もない。
  
   仕方がないので、繋がる電話を探して、交渉する以外にないと考えて、A社の本社を探して、電話を掛けてみることにした。
   親会社は、株式会社Bだと言うことが分かったので、インターネットで検索して、本社の電話番号を確認した。
   HPは立派で、素晴しい企業理念などが書かれていて、「SDGs達成に向けた取組」などは、大企業もビックリするような広報だが、肝心の顧客対応やコンプライアンスやガバナンス担当の部署などはなく、
   掛けたら、直接電話口に出たのは、業務部経理課の女性社員であった。
   事情を話して説明したら、担当の係員から、折り返して電話すると言う返事であった。

   30分ほどしたら、通販担当だという男性社員から電話が掛ってきた。
   同じようなことを説明して、善処を御願いした。間違って発送されてきた商品に貼られている会社の表示などを聞き確認していたが、実際の処理は、確認に時間が掛るので、短時間では回答できず、メールでどうするかを連絡するという。ルーティンで処理するということであろう、1~2日待てと言うことで、機能が麻痺しているので、通常のクレイム処理など指示されると、埓が開くはずがない。
   これでは、いつまで掛かって、それに、上手く満足いくような回答が貰えるのかどうかも分からないので、どう処理するつもりなのか電話で確認したいので電話番号を教えて欲しいと言ったら、例の通じない電話番号を繰り返して、これ以外には教えられないという。
   数時間経って、回答がなければ、先の本社経由で電話すると答えて電話を切った。
   
   2時間待って、先の本社の経理の女性社員に電話したら、通販係から、対応について同じ連絡を受けていた。
   担当外で、筋違いだとは思ったが、これでは、埓があかないので、彼女を信頼して頼ることにした。
   担当に再度連絡して貰って、注文品と同等の商品を今日発送できるのかどうか、それを確認して連絡して欲しい、間違っている商品は、正当な商品を受け取った時に、宅配業者に渡して返却する。この可否について、早急に、電話回答が欲しい、と頼んだのである。
   私も、ビジネスマンを何十年もやっており、こんな商品発送のミスなどは、調べてチェックするのは至って簡単で、やるつもりになれば、ほんの数分で終る仕事であることは百も承知している。発送時の注文書伝票と発送商品との照合チェックさえ出来ずに箱詰めして送るような会社では、業務に根本的な欠陥があって麻痺状態になっているので、猶予を与えれば益々袋小路に入るだけで、解決など出来るわけがない。瞬時に解決しなければならない。最後の手段として、価格コムにおけるこの会社の評判の酷さを述べて、会社の誠意に訴えた。
   キャンセルすることも考えたが、スンナリと処理できるはずがないと思って諦めた。

   1時間ほどして、通販の責任者らしき担当者から電話が掛かってきた。
   詳細は省略するが、
   注文の新商品を、最短で2日後の午前中に着くように発送する。その時に、宅配業者に手配するので、間違った商品を渡して欲しい。と言うことであったので、了解した。原則的には、商品が返ってから、代替品を送付するのだが、今回は、例外措置だと念を押す。
   送り返す商品を気にしていたので、梱包の外箱のテープを剥がしただけで、手付かずの新品のままだと言ったら安心した様子であった。
   いずれにしろ、私の電話を受けて、真摯に対応してくれた経理の女子社員に感謝している。

   再送品が、郵便局のゆうパックで届いた。
   配達の人に待って貰って、梱包を開いて、商品を確認した。
   今回は間違っていなかったので、商品を受領して、同梱されていた着払い伝票を利用して、前の商品を送り返した。

   念のために、A社の価格コムの評価を転記すると、次の通り。利用者のアンケート結果である。

   「A社 ショップ評価」
   またこのショップを利用したいですか? はい 25% (投稿数:105件/最近6ヶ月)
   ショップ出店年数 価格.comへの出店年数は12年です。

   欲しい商品をスムーズに注文できましたか? はい 75%
 ショップからの連絡や対応は適切でしたか? はい 20%
 予定の期日までに商品が届きましたか? はい 30%
 商品の梱包は必要十分なものでしたか? はい 65%
   またこのショップを利用したいですか? はい 25%
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