1月29日、ニューヨーク最終日の前日、フィラデルフィアを訪れたが、アムトラック特急が1時間も遅れて着いたので、滞在時間はたった4時間しか取れず、フィラデルフィア美術館で懐かしい絵画などに再会し、その後、母校ペンシルベニア大学ウォートン・スクールの構内を散策するのがやっとであった。
一昨年イギリスのビジネス・スクールを出て帰って来た次女にアメリカを見せておこうと思って一緒に来たので、二年ぶりだし、私がMBAを取った頃とも学校の雰囲気は、近代的な校舎が増えた程度で、昔と殆ど変わっていない。
ペンシルベニア大学は、シティホールからも遠くない街の中にキャンパスが広がっているので、碁盤目模様の大通りが構内をつき切っており、校舎などは街の中に散在していて障壁など全くないオープンスペースである。
大学の巨大なアメリカン・フットボール競技場や博物館、大学病院、劇場、図書館、無数の校舎、それに、大きな都市ホテルなど公共建物も含めて巨大な文教コンプレックスを形成している。
しかし、結構緑があって、リスが走り回っていて、アメリカ映画に良く出てくる古い大学のキャンパスの雰囲気は随所にある。
川嶋教授が我々より少し前に留学されていたので、紀子さまも、このキャンパスを走っておられたのかも知れない。
この大学は大学院大学なので、今でも残っているこじんまりとした大学部のキャンパスの中に、1740年創立当時の建物が残っているのかも知れないが、1881年設立の最古のビジネス・スクールであるウォートン・スクールも、そんな古い面影などは残っていない。
どちらかと言えば、半世紀以上も前に建設された、世界的なアーキテクトであったルイス・カーン教授の設計した校舎や研究所などのモダンな建物が、しっくりキャンパスに溶け込んでいて素晴らしい。
ハリーポターに出てくる古風で重厚な感じの学校の雰囲気は、オックスフォード大学の中にはふんだんにあるが、アメリカには、ハーバードやプリンストンなども擬古的だが、やはり、1776年独立の国アメリカには、ヨーロッパの大学のような貫禄は見当たらない。
世界で二番目に古い大学だと言われているスペインのサラマンカ大学は、コロンブスも訪れたと言うから、流石に古くて歴史を感じさせてくれる。
私は、旅をすると、結構、あっちこっちの大学を訪れるのだが、知の歴史が凝縮されているようで興味深いのである。
私たちが学んでいた頃は、ウォートン・スクールの建物は、ディートリッヒ・ホール(校舎をホールと言う)だけだったが、卒業した年に、近代的なバーンス・ホールが出来たが、実際には、図書館やコンピューターセンターなど、大学の共有施設を使うことが多かった。
今回、教室に入って、久しぶりに、学生に混じって講義を聴いてみようと思ったのだが、試験シーズンだったのか休暇シーズンだったのか、構内には、殆ど誰も居ず、教室や研究室も締まっていた。
しかし、建物の入口は開いていたので、守衛に卒業生だと言って中に入れて貰い、廊下や階段を昔の面影を探しながら歩いたり、ロビーのソファーに座って思い出を反芻していた。
昔なら、開けっぴろげであった筈だが、今は、治安の問題からか、教室の中には入れなかったが、ハイテク化されているのであろうが、円形の椅子が取り巻く階段状の講義室は昔のままであった。
ところで、フランクリンの創立なので、アイビー・リーグの中でも宗教色が全くないのがこの大学だが、しかし、小さな教会があって、何故か、エリザベート・シュワルツコップやブダペスト弦楽四重奏団などの演奏会を聴きに行った記憶がある。
夏の夕方、キャンパスから出るバスに乗ってロビンフット・デルで開かれるフィラデルフィア管弦楽団の野外コンサートにも良く出かけた。
嵐のような2年間だったような気がするが、思い出すと色々なことがあったようで、走馬灯のように頭を駆け巡る。
校舎を出て、ブックストア(と言っても一寸した百貨店のワン・フロアーは十分にあるショッピングセンター)に立ち寄り、孫の土産にと思って、大学のロゴ入りの帽子やシャツなどを買った。
フランクリンの銅像など懐かしいキャンパスのあっちこっちを散策して、構内のスターバックスで若い学生達に混じって小休止しただけで、時間がなくなり、ペン・ステーションへ、タクシーを走らせた。
帰りのアムトラックは、遅れることなく、ニューヨークのペン・セントラル・ステーションに着いた。
その足で、メトロポリタン歌劇場に向かった。
一昨年イギリスのビジネス・スクールを出て帰って来た次女にアメリカを見せておこうと思って一緒に来たので、二年ぶりだし、私がMBAを取った頃とも学校の雰囲気は、近代的な校舎が増えた程度で、昔と殆ど変わっていない。
ペンシルベニア大学は、シティホールからも遠くない街の中にキャンパスが広がっているので、碁盤目模様の大通りが構内をつき切っており、校舎などは街の中に散在していて障壁など全くないオープンスペースである。
大学の巨大なアメリカン・フットボール競技場や博物館、大学病院、劇場、図書館、無数の校舎、それに、大きな都市ホテルなど公共建物も含めて巨大な文教コンプレックスを形成している。
しかし、結構緑があって、リスが走り回っていて、アメリカ映画に良く出てくる古い大学のキャンパスの雰囲気は随所にある。
川嶋教授が我々より少し前に留学されていたので、紀子さまも、このキャンパスを走っておられたのかも知れない。
この大学は大学院大学なので、今でも残っているこじんまりとした大学部のキャンパスの中に、1740年創立当時の建物が残っているのかも知れないが、1881年設立の最古のビジネス・スクールであるウォートン・スクールも、そんな古い面影などは残っていない。
どちらかと言えば、半世紀以上も前に建設された、世界的なアーキテクトであったルイス・カーン教授の設計した校舎や研究所などのモダンな建物が、しっくりキャンパスに溶け込んでいて素晴らしい。
ハリーポターに出てくる古風で重厚な感じの学校の雰囲気は、オックスフォード大学の中にはふんだんにあるが、アメリカには、ハーバードやプリンストンなども擬古的だが、やはり、1776年独立の国アメリカには、ヨーロッパの大学のような貫禄は見当たらない。
世界で二番目に古い大学だと言われているスペインのサラマンカ大学は、コロンブスも訪れたと言うから、流石に古くて歴史を感じさせてくれる。
私は、旅をすると、結構、あっちこっちの大学を訪れるのだが、知の歴史が凝縮されているようで興味深いのである。
私たちが学んでいた頃は、ウォートン・スクールの建物は、ディートリッヒ・ホール(校舎をホールと言う)だけだったが、卒業した年に、近代的なバーンス・ホールが出来たが、実際には、図書館やコンピューターセンターなど、大学の共有施設を使うことが多かった。
今回、教室に入って、久しぶりに、学生に混じって講義を聴いてみようと思ったのだが、試験シーズンだったのか休暇シーズンだったのか、構内には、殆ど誰も居ず、教室や研究室も締まっていた。
しかし、建物の入口は開いていたので、守衛に卒業生だと言って中に入れて貰い、廊下や階段を昔の面影を探しながら歩いたり、ロビーのソファーに座って思い出を反芻していた。
昔なら、開けっぴろげであった筈だが、今は、治安の問題からか、教室の中には入れなかったが、ハイテク化されているのであろうが、円形の椅子が取り巻く階段状の講義室は昔のままであった。
ところで、フランクリンの創立なので、アイビー・リーグの中でも宗教色が全くないのがこの大学だが、しかし、小さな教会があって、何故か、エリザベート・シュワルツコップやブダペスト弦楽四重奏団などの演奏会を聴きに行った記憶がある。
夏の夕方、キャンパスから出るバスに乗ってロビンフット・デルで開かれるフィラデルフィア管弦楽団の野外コンサートにも良く出かけた。
嵐のような2年間だったような気がするが、思い出すと色々なことがあったようで、走馬灯のように頭を駆け巡る。
校舎を出て、ブックストア(と言っても一寸した百貨店のワン・フロアーは十分にあるショッピングセンター)に立ち寄り、孫の土産にと思って、大学のロゴ入りの帽子やシャツなどを買った。
フランクリンの銅像など懐かしいキャンパスのあっちこっちを散策して、構内のスターバックスで若い学生達に混じって小休止しただけで、時間がなくなり、ペン・ステーションへ、タクシーを走らせた。
帰りのアムトラックは、遅れることなく、ニューヨークのペン・セントラル・ステーションに着いた。
その足で、メトロポリタン歌劇場に向かった。