「成長と分配の好循環」による新たな日本型資本主義の実現が、岸田内閣の歌い文句である。
しかし、まず、分配の原資であるGDPのアップ、すなわち、経済成長を策するための生産性の向上が緊急要件だが、現下では、これに対応した政府の経済政策なり日本企業の取り組みが不十分なので、インフレばかりが加速して、国民生活は困窮度を増している。
先日、会社時代の同期同窓会があって、H君(早大政経)が、何故、日本の所得賃金が上がらないのか、問題提起した。
まず、これに持論を展開したのは、S君(慶応経済)。
経済成長が思わしくないのは、我々が企業戦士として働いていたときには、国のためにと必死に頑張っていたが、最近では、国民は、政府にあれをしてくれこれをしてくれと頼るばかりで、自主的敢闘心と努力に欠けていてダメである。それに、女性が働き出して、多くがパートなので賃金が低く、数字を引き下げているのも問題だ。とにかく、カネカネで、意欲に欠けて嘆かわしい。と慨嘆する。
それを聞いていて、私は、持論は差し控えて、スティグリッツ教授の見解を元に、ほぼ似通った日本の現状を説明した。
「プログレッシブ キャピタリズム」から要約すると以下の通り。
まず、国富を産み出すのは、第1に、国民の生産力・想像力・活力、第2に、過去2世紀半の間に見られたような科学他テクノロジーの進歩、そして、第3にその同じ時期に見られたような、経済・政治・社会組織の発展である。経済・政治・社会組織の発展には、法の支配、規則正しい競争市場、抑制と均衡にとって制御され、「真実を語る」機関を備えた民主主義体制の確立が含まれる。これらの発展が、過去2世紀にわたり生活水準の大幅な向上を支えてきた。
しかし、40年ほど前から、憂慮すべき2つの変化が起こった。経済成長の鈍化と、大多数の国民の所得の上昇停滞または減少である。それとともに、最上層にいる極少数の国民と、残りの大多数の国民との間に、強大な溝、極端な所得格差が生まれた。
企業の利益に沿う形で経済政策や政治方針が定められてきた所為で、経済力や政治力の集中が進んだ。このままほっておけば、国民が経済や政治から見捨てられた状態が、今後も続くであろう。
真の国富の基準は、全国民に高い生活水準を持続的に提供できる能力である。この能力は、持続的に生産力を向上させて行けるかどうかで、そのためには、工場や設備への投資が必要で、なによりも重要なのは、知識への投資、そして、資源を無駄にしない完全雇用経済への投資である。
しかし、国家を豊かにするためには、2つある。かって植民地の宗主国がそうしていたように、他の国から富を略奪するか、イノベーションや学習を通じて富を創造するかである。世界全体を真に豊かにするのは後者だけである。
ところで、現在のアメリカ経済でも巧妙な形で搾取が行われている。市場支配力を行使して高い価格を設定する。医薬品産業の用に、不透明な価格構成を採用する。略奪的な貸し付け、市場操作、インサイダー取引、金融産業の機能不全などの悪辣な行為、そして、米国流の汚職などである。
市場支配力のある企業は、その力がなければ出来ないような低い賃金を設定するなど、様々な方法で労働者を直接搾取する。
市場支配力は、また、政治力に繋がる。米国のように金権政治がはびこる国では、企業支配力にによって、価格を釣りあげ賃金を搾取して産み出した膨大な利益を元手に影響力を手に入れて、利益や権力を更に高めている。労働組合の力を弱める、競争政策の実施を抑制する、銀行に一般市民を搾取する自由を与える、労働者の交渉力を更に弱めるような形でグローバル化を進める、と行ったことが可能になる。
これらはアメリカ経済の説明だが、ほぼ、形を変えた状態で、日本経済にも当てはまると思っている。
大きな違いは、GAFAに匹敵するような最先端産業を産み出せなかったと言うこともあるが、根本的にイノベィティムな企業経営を目指せず生産性を高められなかったために、経済成長に見放されて、失われた30年を引きずってきたことであろう。
以下のグラフは、令和3年11月19日 経済産業省が発表した「日本経済の現状」報告で、
日本の労働分配率は、他の先進国に比べ低水準に留まる。と言及した資料の転載である。
日本の労働生産性が、それなりに上がっているにも拘わらず、日本の労働分配率は最低水準であり、長期にわたって実質賃金がアップせず低いまま推移していることが一目瞭然である。
30年間の実質賃金の上昇は、一般労働者の賃金下落に泣く米国の48%に比べても、信じられないような低い数字の4%。スティグリッツ教授が説く如く、企業が、労働者を搾取し続けてきたのであろうか。
無為無策の沈み行く日本。
Japan as no.1であったはずの日本が今や、先進国で最低グループに成下がり、国民は、何も言わずに、支持率30%切った内閣の「成長と分配の好循環」のお題目を信じてかどうか、太平天国を決め込んでいる。S君の嘆きが身に染みて、さびしい。
しかし、まず、分配の原資であるGDPのアップ、すなわち、経済成長を策するための生産性の向上が緊急要件だが、現下では、これに対応した政府の経済政策なり日本企業の取り組みが不十分なので、インフレばかりが加速して、国民生活は困窮度を増している。
先日、会社時代の同期同窓会があって、H君(早大政経)が、何故、日本の所得賃金が上がらないのか、問題提起した。
まず、これに持論を展開したのは、S君(慶応経済)。
経済成長が思わしくないのは、我々が企業戦士として働いていたときには、国のためにと必死に頑張っていたが、最近では、国民は、政府にあれをしてくれこれをしてくれと頼るばかりで、自主的敢闘心と努力に欠けていてダメである。それに、女性が働き出して、多くがパートなので賃金が低く、数字を引き下げているのも問題だ。とにかく、カネカネで、意欲に欠けて嘆かわしい。と慨嘆する。
それを聞いていて、私は、持論は差し控えて、スティグリッツ教授の見解を元に、ほぼ似通った日本の現状を説明した。
「プログレッシブ キャピタリズム」から要約すると以下の通り。
まず、国富を産み出すのは、第1に、国民の生産力・想像力・活力、第2に、過去2世紀半の間に見られたような科学他テクノロジーの進歩、そして、第3にその同じ時期に見られたような、経済・政治・社会組織の発展である。経済・政治・社会組織の発展には、法の支配、規則正しい競争市場、抑制と均衡にとって制御され、「真実を語る」機関を備えた民主主義体制の確立が含まれる。これらの発展が、過去2世紀にわたり生活水準の大幅な向上を支えてきた。
しかし、40年ほど前から、憂慮すべき2つの変化が起こった。経済成長の鈍化と、大多数の国民の所得の上昇停滞または減少である。それとともに、最上層にいる極少数の国民と、残りの大多数の国民との間に、強大な溝、極端な所得格差が生まれた。
企業の利益に沿う形で経済政策や政治方針が定められてきた所為で、経済力や政治力の集中が進んだ。このままほっておけば、国民が経済や政治から見捨てられた状態が、今後も続くであろう。
真の国富の基準は、全国民に高い生活水準を持続的に提供できる能力である。この能力は、持続的に生産力を向上させて行けるかどうかで、そのためには、工場や設備への投資が必要で、なによりも重要なのは、知識への投資、そして、資源を無駄にしない完全雇用経済への投資である。
しかし、国家を豊かにするためには、2つある。かって植民地の宗主国がそうしていたように、他の国から富を略奪するか、イノベーションや学習を通じて富を創造するかである。世界全体を真に豊かにするのは後者だけである。
ところで、現在のアメリカ経済でも巧妙な形で搾取が行われている。市場支配力を行使して高い価格を設定する。医薬品産業の用に、不透明な価格構成を採用する。略奪的な貸し付け、市場操作、インサイダー取引、金融産業の機能不全などの悪辣な行為、そして、米国流の汚職などである。
市場支配力のある企業は、その力がなければ出来ないような低い賃金を設定するなど、様々な方法で労働者を直接搾取する。
市場支配力は、また、政治力に繋がる。米国のように金権政治がはびこる国では、企業支配力にによって、価格を釣りあげ賃金を搾取して産み出した膨大な利益を元手に影響力を手に入れて、利益や権力を更に高めている。労働組合の力を弱める、競争政策の実施を抑制する、銀行に一般市民を搾取する自由を与える、労働者の交渉力を更に弱めるような形でグローバル化を進める、と行ったことが可能になる。
これらはアメリカ経済の説明だが、ほぼ、形を変えた状態で、日本経済にも当てはまると思っている。
大きな違いは、GAFAに匹敵するような最先端産業を産み出せなかったと言うこともあるが、根本的にイノベィティムな企業経営を目指せず生産性を高められなかったために、経済成長に見放されて、失われた30年を引きずってきたことであろう。
以下のグラフは、令和3年11月19日 経済産業省が発表した「日本経済の現状」報告で、
日本の労働分配率は、他の先進国に比べ低水準に留まる。と言及した資料の転載である。
日本の労働生産性が、それなりに上がっているにも拘わらず、日本の労働分配率は最低水準であり、長期にわたって実質賃金がアップせず低いまま推移していることが一目瞭然である。
30年間の実質賃金の上昇は、一般労働者の賃金下落に泣く米国の48%に比べても、信じられないような低い数字の4%。スティグリッツ教授が説く如く、企業が、労働者を搾取し続けてきたのであろうか。
無為無策の沈み行く日本。
Japan as no.1であったはずの日本が今や、先進国で最低グループに成下がり、国民は、何も言わずに、支持率30%切った内閣の「成長と分配の好循環」のお題目を信じてかどうか、太平天国を決め込んでいる。S君の嘆きが身に染みて、さびしい。