熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

わが庭・・・梅:春の気配

2022年01月30日 | わが庭の歳時記
   鹿児島紅梅が、一斉に咲き始めた。
   メジロが渡り始めたと思って見上げたら、白梅が1輪開花していた。高みなので、花は定かには見えないが、かたかった蕾も白み始めて開花寸前になっている。
   梅雨時には、たわわに実るので、今年も、梅酒と梅ジャムを作ろうと思っている。
   先日、昨年6月に仕込んだ梅酒の瓶を開けて試飲したら、中々行ける味である。
   副産物の残った梅の実が美味で、下戸の家内が喜んで賞味しているのが面白い。
   
   
   
   
   
   

   日本スイセンが咲き続けている。清楚でよい。
   タマグリッターズの実生苗が、咲き始めていて、珍しく、シンプルながら親木に似ているのが興味深い。
   まだ、花のシーズンには早いので、咲く花の数は少ないのだが、それでも、庭に咲く花を適当に切り花にして、好みの花瓶に生けて、部屋のインテリアにして楽しんでいる。
   庭に花木を植えていると、季節毎に花が咲いて、殆ど年中切れ目なく、好きな花を生けて楽しむことが出来る。昔、草花の鉢植えを窓辺に飾って楽しんでいたのだが、生け花だと日持ちがしないけれど、自分が育てた花を、長い人生であっちこっちで見つけて買った花瓶とマッチングさせながら、生けて鑑賞するのも、また、違った楽しみで面白い。
   オランダに居た時には、花が安くてフンダンに手に入ったので、存分に生花を楽しめたのだが、日本では、そうも行かないのが寂しいけれど、わが庭の花々が、それを慰めてくれている。
   
   
   
   

   午後、キウイジャムを作った。
   キウイは、年末年初に鵯が一網打尽に残っていた実を食べてしまったのだが、その前に収穫したのが大量に残っていて、一部、庭の倉庫に保管していた。寒いので冷蔵保存と言うことであろうか、熟成せずにそのままの状態で残っていたので、いくらか綺麗なのを取りだして、部屋に入れて1週間ほど追熟させたのを使ったのである。
   今年既に、ブルーベリージャムの空き瓶に何回か作っているので、慣れたもので、1時間ほどで出来上がる。
   ずぼらな簡便法を覚えた。
   まず、他の果実酒と違って皮などを使わないので、実を出すだけでよい。
   キウイを半分に切って、丁寧に根元から実を押し出せば簡単に出る。皮を残さないように注意する必要がある。
   集めた実を、スプーンで、押しつぶし加減にしておくとよい。
   鍋に入れて沸騰させて出てきたアクを取り、適当なところで、味加減を見ながら、砂糖を混ぜ込み、やや、火力を落として弱火にして煮込み続けて、ジャム状に煮上がれば出来上がり。途中、焦げ付かないようにスプーンで掻き回す必要がある。消毒した空き瓶に、熱いまま詰め込んで冷めるのを待つ。
   以前には、レモンなどを加えたことがあるが、今は、砂糖以外は、何も加えない。
   ジャムは、朝食に常食としているスコーンに、クロッテッドクリームと一緒に挟んで食べているので、毎朝必用であり、いつもは、ブルーベリージャムを使っている。
   しかし、最近は、梅ジャムとキウイジャムを自分で作っているので、その間は、これらを使うことにした。
   特に、ジャムの好みがあるわけでもないので、添加物ゼロの有機栽培であるから、この方が良いのかも知れないと思っている。
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ビル・ゲイツ著「地球の未来のため僕が決断したこと」

2022年01月29日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   人と経済の「本当に持続可能な未来像」を描きだす、ビル・ゲイツ20年ぶりの著書
   と言うのがこの本。原題は、How to Avoid a Climate Disaster: The Solutions We Have and the Breakthroughs We Need
   
   ビル・ゲイツは、この本で、気候変動の悪夢を回避するために、如何に、世界が、温室効果ガスをゼロにするか、広範囲に渡って実際的なそして達成可能なプランを提示している。
   物理学、科学、生物学、エンジニアリング、政治科学、財政等々多岐にわたった最高水準の専門家達の助力を得て、気候変動の原因とその効果について調査研究して、わが宇宙船地球号が、環境的な大惨事に突入しないために何をなすべきかについて集中して議論を展開している。この本で、我々は、温室効果ガスの排出量をどのようにゼロにすべく努力すべきか、そして、どのようにしてそのゴールを達成すべきか、その詳細について説いている。
   彼は、我々人類が直面する挑戦についてハッキリと詳述しており、
   イノベーションと新しいアイデアが市場でどのように活性化されるのか自身の知見を述べながら、テクノロジーが既にガス排出削減に役立っている分野や、これらの現状のテクノロジーをより良く有効に機能させるためにはどうすべきか、どの分野でどのようなブレイクスルーが必用か、これらの必須のイノベーションを推進すべきは誰なのか等々詳細に論じている。最後に、温室効果ガス排出ゼロを達成するために、政府の政治的な役割や我々個人の努力など具体的かつ実際的なプランや処方箋を示している。
   ビル・ゲイツは、排出ゼロの達成は決して容易なことではないが、ここに示したプランを実行すれば、間違いになしにゴールに達成できると主張している。

   以上が、この本の能書きであるが、
   ビル・ゲイツは、科学者でありエンジニアであるとして、人類の科学技術の進歩、イノベーションによるブレイクスルーを信じており、
   今後の10年を使って、2050年までに、排出ゼロを目指して、温室効果ガスを除去できる技術、政策、市場構造に集中して取り組むべきである。と結んでいる。

   このようなビル・ゲイツでも、2006年に、エネルギーと気候に焦点を当てたNPOを立ち上げた同僚とこの問題に精通した気候科学者たちから説明を受けるまで、温室効果ガスの排出ゼロの必用性を理解していなかった。 温暖効果ガスの所為で気温が上昇するくらいは知っていたが、周期的な変化など様々な要因によって、大惨事になるのは自然に防がれると思い込んでいた。そのため、人類が温室効果ガスを少しでも排出している限り上がり続けると言う話は、すぐに受け入れがたかったと述懐している。
   その後何度も彼らに会って説明を受けてやっと理解して、気候変動について学べることは総べて学んだ。気候とエネルギー、農業、海洋、氷河、送電線、その他ありとあらゆる分野の専門家に会って勉強した。と言う。
   ビル・ゲイツの仕事上の特権は、トップクラスの科学者や学者、企業家と会って、彼らから直接学ぶ機会に恵まれていることで、最新最高峰の知見で理論武装した上での、賢人ビル・ゲイツの地球環境のサステイナブル理論であるから、優しくて丁寧な語り口だが、類書をはるかに超えた知見や提言に満ちあふれていて、教えられると共に感動さえ呼び起こす。

   一つ、目から鱗が落ちた思いは、飛行機の電化理論である。
   同じ重さで比べると、今手に入る最高性能のリチウムイオン電池に詰め込めるエネルギーは、ガソリンの35分の1だと言うことで、ガソリンと同じ量のエネルギーを得るには、ガソリンの35倍の重さのバッテリーが必要になる。バフェットが飛行機の電化論を提言したので、この話をしたら、ダメだと納得したと語っているのが面白い。

   特筆すべきは、やはり、「全ての生命の価値は等しい(ALL LIVES HAVE EQUAL VALUE)」との信念のもとに運営されているビル&メリンダ・ゲイツ財団での活動を通しての経験と知見によって培って来た未開発な発展途上国へのビル・ゲイツの溢れるばかりの温かい眼差しで、徹頭徹尾、電気もなく生活苦に喘いでいる弱者、貧しい人たちのための地球環境論を説いている。ことである。
   気候変動の大部分を引き起こしているのは、豊かな人たちと中所得の人たちで、最も貧しい人たちは、問題の原因となることは殆どしていないのに、最も被害を受けている。世界から手助けを受けてしかるべきであり、今よりより多くに支援が必用だ。と言う信念である。
   
   COVID-19の問題の解決もそうだが、COP-27で議論すべきは、豊かな先進国が、挙って、発展途上国に手を差しのべて、宇宙船地球号をサステイナブルに維持し続けるプランを真剣に追求することであろうか。
   しかし、発展途上国のキャッチアップのための成長開発を容認すべきとしても、ブラジルのように、アマゾンの常軌を逸した乱開発による目に余る自然環境破壊や原住民への傍若無人な蹂躙や人権侵害などは当然許すべきではないのは当然で、難しい選択に迫られる。
   チッピングポイントを超えたのかどうか、瀬戸際にあることは事実であり、予断は許されない状態である。
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ジョブ型雇用の促進というのだが

2022年01月26日 | 経営・ビジネス
   日経が、”22年春季労使交渉開始 ジョブ型導入・賃上げ率など焦点”と報じた。
   2022年の春季労使交渉が25日、事実上始まった。労働生産性の低迷が続くなか、働き方の見直しなどで付加価値を高める人的投資に関する議論が欠かせない。経営者側は働き手の職務内容をあらかじめ明確に規定するジョブ型雇用の導入などを進めたい考えだ。
   ジョブ型雇用は会社の業務に最適な人材を配置する仕事主体の仕組みで、専門性の高い職種などでは年齢に関係なく賃金を高くできる。人材獲得競争が激しくなるなかで導入の利点が増している。と言う。
   先日も書いたが、日本の労働生産性のアップ低迷とその低さは危機的な状態で、OECD加盟国38カ国中28位で、前年の26位から後退するなど目も当てられない状態に痺れを切らせた経団連が、人材の活躍のために日本型雇用システムの見直しを加速する必要性があると、ジョブ型雇用の重要性を強調し、「総合的に勘案しながら検討する必要がある」と訴えているのである。

   口絵写真に、分かりやすいので、インターネットから日本の人事部の図を借用させて頂いたが、濱口桂一郎さんによると、
   「ジョブ型」雇用とは、企業が人材を採用する際に職務、勤務地、時間などの条件を明確に決めて雇用契約を結び、雇用された側はその契約の範囲内のみで働くという雇用システム。そのため別部署への異動や他拠点への移動、転勤はなく、昇進や降格も基本的にはない。
    個々のジョブが、ジョブディスクリプション(職務記述書)に業務内容や責任など明確に規定されていて、当然給与も固定で決まっていて、採用は、その仕事に適任者をはめ込むというシステムであり、キャリアアップのためには、自分自身の業務能力や知識スキルをレベルアップして、上位のジョブを得ることとなる。
    一方日本は、新卒一括採用が中心のメンバーシップ型雇用で、知識・経験がない状態から潜在能力に期待して採用し、実務を通してOJTによって育成され、職能レベルを高めて人材配置を繰り返しながら、身に付けたスキルに応じて、階層を上って行き、ジョブが宛がわれて行くシステムである。

   ほぼ半世紀前に、私自身、ウォートンスクールでMBA教育を受けていたので、このジョブ型雇用が欧米の雇用システムの常態であることは承知済みで、今頃、日本で囃されているのが不思議であり、今昔の感に堪えない。
   細やかな認識だが、日本では、部署毎に業務分掌が決められていて、人事部なら、精々、人事課と言った課単位、乃至、細かくても係単位で規定されていて、業務分担は上司が適当に決めていて、例えば、外部から電話が掛かってくればその部署の誰彼と拘ることなく部署の誰かが受け答えする。
   ところが、アメリカではそんなことはあり得ず、越権行為となるので、他人の机の電話が鳴っても無反応だし、
   アラスカの横断鉄道に乗ったときに、巡回に来た車掌に、カメラのシャッターを切ってくれと頼んだら、それは、自分の仕事に入っていないと断わられた。
   ジョブを総べて漏れなく書き記すなど信じられなかったが、電話帳のような契約書を作成する法化社会が徹底したアメリカでは出来たのであろうが、日本ではやれるのであろうか。

   まず、日本の教育システムから変革することが必須で、今のように、適当な業務知識やスキルも業務経験もない素人の法学部や経済学部の新卒者を、どのようにジョブ型雇用にはめ込むのか。
   アメリカでは、ビジネススクールやロースクールなど各分野に渡った大学院レベルのプロフェッショナル・スクールがあって、実務以上の知識やスキルを教育しているので、卒業後、直にその高度なジョブに就くことが出来て、わがウォートンスクールの同期生は、大企業の人事部長に採用されていた。
   アメリカでもイギリスでも、エンジニアリング・スクールを出た新人でも学位があれば、高度なエンジニアとして遇される。整然と身分が決まっていて、「戦場にかける橋」の将校の世界である。
   日本では、役に立つ実務に直結した教育を怠っており、企業が大卒や大学院卒の新人の実務能力を信用していないので、たとえ、アメリカのトップ・ビジネススクールを出て企業に帰ってきてもジョブを代えることさえしないのが普通であり、大学院を出た博士でも新入社員は一からのスタートである。
   まず、やるべきは、日本の大学教育を改めて、新卒でも、上位のジョブにつけるようなシステムを構築すると同時に、大学院レベルのプロフェッショナル・スクールを充実させてレベルアップすることであろう。
   そして、企業が、教育の実績を高く評価する姿勢を確立すべきで、金の卵の新卒者を低位のジョブに嵌め込むようなシステムに陥れば、後顧の憂いを残すこととなる。

   新興の飛ぶ鳥落とす勢いのIT企業なら、ジョブ型雇用は当然だが、旧態依然たる古参企業が主体の経団連が、古色蒼然とした日本の教育制度や雇用制度を十分に理解した上でのジョブ型雇用の提言かどうか、
   アメリカやヨーロッパ企業のジョブ型雇用には、自由主義個人主義の伝統がビルトインされた歴史と伝統があり定着しているのだが、全く土壌が異なる日本で、木に竹を括ったようなジョブ型雇用が息づくことが出来るのかどうか、
   必ずしも、ジョブ型雇用が合理的で最善だという保証もなければ、はやりの成果主義でもないし、成功するのかどうかさえも疑問である。
   尤も、日本の場合、高度な知識やスキルを持った専門家などプロフェッショナルを採用するための新手法と考える向きもあるようだが、そのような小手先の戦術を従来の企業組織に取り組むだけで、生産性アップの雇用改革や組織革命が出来るのかどうか、疑問でもある。

   実務を離れて随分経つので、事実認識に誤りがあったかも知れない。
   長くなるので、ここでは端折るが、
   ジョブ型雇用を推し進めれば、能力や知識スキルによって仕事にラベルをつけて人に貼り付けることになる。弱肉強食の熾烈な競争社会が進展して、雇用上の峻別格差そして階層化が激しくなるので、今以上に、経済格差が拡大して、弱者を圧迫するであろう心配があることを付記しておきたい。
   
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ファッション企業:ワインの副産物でレザー

2022年01月25日 | 地球温暖化・環境問題
   WIREDが、”ワインの副産物から生まれる合成皮革が、ファッション業界を変える”を報じた。
   2016年に、ヴァレンティーナ・ロンゴバルド(口絵写真)が設立したイタリアのブランド「VEGEA」が、ワインの製造時に出る副産物をレザーの代替品であるヴィーガンレザーに生まれ変わらせるという、驚きの技術を現実のものにしている。そのきっかけとは、ほかの共同創業者と一緒に「ブドウの廃棄物を再利用してバイオ素材を開発するという大胆なアイデアを思いついたこと」だという。
   完成したヴィーガンレザーは完全に植物性であるだけでなく、一般的な合成皮革に使われている石油化学製品も使っていない。「ワインの製造過程でブドウの実を圧搾したあと残る皮や茎、種を使っています。これに植物性油脂を混ぜて、見た目も手触りも本物の革のような素材に仕上げているんです」と、ロンゴバルドは説明する。さまざまな質感、色合い、弾力性、厚みのものが揃うVEGEAの生地は、有害な毒素や汚染物質を含まないうえ、「製造施設の電力は再生可能エネルギーでまかなっている」という。のである。
   この画期的な取り組みにより、VEGEAはH&M Foundationが主催する「Global Change Award」を受賞した。「この賞のおかげで、わたしたちのイノヴェイションはさらにスケールアップしました。何より大きかったのは、ファッション業界とのつながりができたことです」と、ロンゴバルドは語る。VEGEAは昨年、H&M Conscious Exclusiveコレクションで、自社素材を使ったシューズやバッグを発表した。と言うことである。

   蛇足ながら、H&M のホームページを開くと、「サステナビリティ」を重視していることが良く分かる。

   私は、今、ビル・ゲイツの「地球の未来のために僕が決断したこと」を読んでいるところなので、特に興味を持ったのだが、ファション王国の若い起業家が、斬新な素晴しい芸術的なファッションではなくて、レオナルドのようなイノベイティブな発明発見を生み出したことに、非常に感銘を受けたのである。
   随分昔のことになるが、イタリアに行くと、ミラノの街の中などを、あっちこっち迷い込みながら散策することが好きだったので、あてもなく歩き回ったことがあるが、ミラノの名だたるファッション企業の本拠や事務所が、気づかないような路地裏にひっそりとあったりしてビックリしたことがある。イタリアでは、いくら世界に冠たる企業であっても、ルネサンス時代の個人経営や工房の雰囲気をそのまま残して息づいているようで、その片鱗を垣間見て嬉しかったのを覚えている。
   これに似た雰囲気は、京都にもあって、街中のひっそりとして路地に、伝統を守りながら上質な伝統工芸品などを商っている老舗の店が息づいているのを見ることが出来る。
   
   ブドウ園が喜んで協力してくれるのは、生産者が捨てるしかないものを衣類や家具、包装などに利用できる美しい生地に変えているからだと言うのだが、世界の資源には限りあるので、ファッション業界の循環を成り立たせるには、このようなイノベーションがもっと必要なのだと、よりサステイナブルなファッションの実現に貢献したいというこの取り組み、
   このような新たな技術こそが、資源が無限だと言わんばかりの過剰消費が地球のエコシステムを破壊し、いまの世界に与えている過重な環境負荷を低減するだけでなく、次の世代が生きる未来の世界をよりいいものにしてくれることだろう。と言うのである。
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異常なインフレの進行だが

2022年01月23日 | 政治・経済・社会
   現在、世界的なインフレ率の上昇が喫緊の課題で、米国では、昨年12月の消費者物価上昇率(前年比)が7.0%と、1982年以来39年振りの7%台となり、この異常なインフレがバイデン政権を窮地に追い込んでいる。欧州でも、昨年12月のユーロ圏消費者物価上昇率(前年比)は5.0%に達しており、大なり小なり世界中にインフレ懸念が蔓延している。
   このインフレが一時的なものなのか、構造的なものなのかが問題だが、
   新型コロナウイルス禍で落ち込んでいた個人消費が、経済活動の再開で持ち直し、一方、人手不足や物流の停滞といった供給制約や、米中対立による供給網の分断などサプライチェーンの機能マヒも加速して、世界各地でモノ不足が起きて物価の上昇要因となり、また、世界的な脱炭素運動の進行をビルトインした石油や天然ガスなどのエネルギー問題が構造的な要因になっているなど、複雑な要因が錯綜して予断を許さない状態となっている。

   まず、冒頭に何故オレゴンのブルベリーの口絵写真を使ったのかと言うことだが、少し前に、気づかないうちに、この瓶が小さく変っていて、固形量450㌘ 内容総量850㌘であったのが、固形量360㌘ 内容量680㌘と大幅に減量されていたことである。一寸見では、瓶の変化には気づかないし、殆ど同じ値段で売られていたのでそのまま買い続けていたのだが、わが青春の故郷でもある消費大国アメリカでさえ、このような姑息なマネをするのかと大変驚いたのである。

   さて、わが日本だが、米欧に比べれば消費者物価の上昇率は高くはなかったが、企業間の取引価格を示す企業物価指数は、昨年12月には前年比8.5%とかなりの上昇に転じてその煽りで、製造コストの上昇に窮してメーカーも背に腹は代えられず、製品単価を上げざるを得なくなって、消費者物価が高騰し始めたという。

   産経新聞が、”「薄利多売にも限界」 物価上昇、身近な商品への影響大きく”と、
   原油高や円安を背景にした、物価の上昇が続いている。ガソリンや灯油のほかにも、食品、日用品などスーパーでの店頭価格に波及。と報じている。
   背景にあるのは、原油や液化天然ガス(LNG)などの資源価格の高騰だ。世界的な景気回復で需要が急増したため、食品や日用品の生産コストが増大する。輪をかけたのが円安で、輸入に頼る原材料の仕入れ値上昇につながっている。と言う。
   今回のインフレは、コストプッシュにディマンドプルが加わっての増幅したインフレなので、始末が悪くて、経済を混乱させて、固定化長期化する恐れがある。
   政府や日銀の政策では、インフレが金科玉条のように喧伝されているが、デフレ脱却へのインフレ傾向は容認できても、本来、インフレは両刃の剣であって、庶民にとっては決してよい経済現象ではないことを忘れてはならない。

   最近、孫たちの色紙や単純な文房具用品、それに、私の庭仕事の雑品などを買うために、時々、百均のダイソーへ行くのだが、生活防衛のためだろうか、客足が増えている感じで、結構、食品などを買っている人を多く見かけるようになった。
   最近は、値上げか質の向上か、200円、300円と言ったバリエーションのある商品も出ていて選択肢が増えている。しかし、労働コストアップで大変だという中国製でも、まだ、これだけモノを安く製造できているのかと驚いている。
   日本における百均の庶民への貢献度は大変なもので、また、アマゾンや楽天などのネットショップあってこそのデフレ継続であって、実店舗の駆逐後退は、コロナの追撃を受けて、更に進行する。
   私など、最近は、コロナや歳の所為で外出を控えており、本でさえも殆どネットショッピングで済ませているが、実際には、大型書店に出かけて、時間をかけてブック探索の醍醐味を満喫したいと思っているので、非常に悲しいトレンドではある。
   実店舗の生き抜く道はただ一つ、客を引きつける魅力を如何に提供することができるか、これに尽きる。

   ダヴォスのアジェンダに、岸田総理の「新しい資本主義」が取り上げられている。
   On the Agenda: Davos! How Japan is ushering in a new form of capitalism.

   まだ、戦略的実施計画の詳細やマクロ的な数値的展開など詳細が示されていないので、コメントを控えるが、日経記事を引用させて貰うと、
   

   アベノミクスが殆ど不発に終ったのは、「3本の矢」のうちの第3の矢、③民間投資を喚起する成長戦略(成長産業や雇用の創出を目指し、各種規制緩和を行い、投資を誘引すること)を実現し得なかったことであった。
   岸田内閣の「新しい資本主義」も、新しい資本主義というネーミングはともかく、現下の日本経済の活性化のためには、必用な処方箋であろうと思うのだが、
   まず、適正な「分配」政策を遂行するためには、生産性のアップがあってこその分配であって、そうでなければ、コストプッシュに終ってしまう。
   この生産性の引き上げにに失敗し続けて経済成長から見放されてしまって、30年も鳴かず飛ばずの日本経済をどのようにして復興するのか、
   インフレ含みで動き始めた日本経済に、さらに、コストプッシュ要因たる作為的な分配政策を推し進めて、日本経済を救えるのかどうか、
   大いに疑問である。

(追記) 日刊SPA!が、”韓国に追い抜かれる日本。平均賃金や一人当たり実質GDPも…韓国人の本音は?”を報じて、OECD、Big Mac index、S&P Global Ratingsを出典として、次の表を掲載した。30年も成長がストップしていたのであるから、当然の帰結ではあろうが慚愧に堪えない。
   
   成長と分配の好循環などというのはJapan as No.1の時代のように溌剌とした成長基調の経済に言えるのであって、成熟化して疲弊しきってエンジンが止まってしまったこんな状態で、正論だとしても、日本経済に活力を与えて起動し得ずに、安易なコストプッシュ圧力をかけることは、極力避けるのが賢明ではなかろうか。
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パソコンのマウスの右クリックが機能しない

2022年01月21日 | 
   パソコンの前に座らない日がないほど、パソコンのお世話になっている。
   ところが、水や空気と同じで、旨く機能しているときにはその存在さえ忘れるほどだが、一度、何かの機能が麻痺して動かなくなると、一気にパニック状態で困ってしまう。
   
   昨日の朝、パソコンを叩いて、マウスを操作していると、右クリックが、ウントモスントモ言わず、とにかく、反応さえしなくなった。
   写真の取り込みなど、便利な裏機能があって、頻繁に使っているので、動かなければ不便で仕方がない。

   マイクロソフトの年間サポートに加入していた時には、遠慮なく電話をかけて相談し、遠隔サポートなどで問題を解決していたのだが、今回は富士通の最上級機種のパソコンを買ったので不都合も少なかろうと思い、それに、サポート費用も相当な負担なので、止めたので、まず、自分で解決しなければならない。
   幸い、デジタルデバイス寸前に、パソコンを叩き始めたので、最近では、多少のトラブル処理や修復程度は、自分で出来るようになってはいる。

   まず、パソコンを叩いて、「マウス右クリック出来ない」など言った文言を入れて、インターネットで検索する。
   沢山、修復方法や関連記事が出てくるが、windows 11 での記載は殆どなく、類推しながら、進めるのだが、ピッタリくるのは一つもない。
   富士通のサポートページも役に立たない。
   電池を交換せよとか、再起動せよとか、初歩的なパソコンの操作などは別として、パソコン本体の故障なりソフトの異常がないかをを気にしたのだが、インターネットの指示をチェックした限りでは、問題はなさそうであるが、しかし、この点は、老年パソコンユーザーとしては、自信がない。

   最も疑うべきは、マウスの故障だが、安いので新しいものを買って試みれば良いのだが、パソコンの故障の場合もあるので、富士通の引き換え修理などの5年間の補償に入っているので、富士通に電話した。
   このサポート窓口の電話が繋がらないのは、何処も殆ど同じで、このカスタマーサービスを根本的に改善してブレイクスルーすれば、どれだけ信用を博して企業価値をアップして経営に資するのか分からない経営者が多いのは、全く解せないのだが、経営学のイロハであろう。
   余談だが、みずほの機能障害のトラブルは、ICT革命以降の生命線とも言うべきこの方面の業務や投資を、コストと考えて切り詰めようとした経営の全く初歩的な失敗で、一気に信用と名誉を失墜した。何を将来への投資と考え、何を切り詰めるべきコストと考えるべきか、経営戦略戦術の基本中の基本であることさえ理解できないお粗末さ。
 
   さて、このサポートサービスでも、1回では解決せずに、2回3回、
   マウスの交換か、パソコンを工場に送って点検修理するか、
   パソコン引き取り修理だと2週間は掛かるというので、可能性の高いマウスの故障と判断して、
   新しいマウスを送って貰うことになった。

   2日後に送られてきたマウスを、再設定して、右クリックすると機能した。苦もなく問題は解決したのである。
   まさに、水と空気の有り難さである。  
   
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学習塾での小学生の難しい算数

2022年01月20日 | 
   小学4年生の孫息子が、学習塾に通っている。
   学習や進学については、両親の管轄なので、私には、何の権限もないのだが、暇なのは私だけなので、家庭教師の代わりということで、勉強をサポート補助している。
   私見だが、高校受験は大切な成長時期に於ける無駄だと思っているので、中高一貫校に進学して、その6年間にスポーツや美術の勉強に励むなど、自由にのびのびと青春を謳歌する方が、まして、今日のような時代の進歩発展が急速で激動の激しいグローバル時代においては、はるかに効果的だと思っている。
   私など、公立中学校から地元の県立高校に入ったので、別に受験勉強などしなかったが、その代わり、トップ大学には縁のないような高校だったので、大学受験には独習だったが努力して難関を突破した。
   エスカレーターシステムが良いのか、トップクラスの優秀な中高一貫校が良いのか、大学への道には、色々あるであろうが、学びたい道を目指して、出来るだけ良い大学に入ろうと努力するのが常であろう。

   さて、今回のトピックスは、孫息子の塾の教材を見てビックリしたことで、特に、算数の問題など、我々が勉強した頃の算数とは様変わりであるのみならず、非常に難しく複雑になっていることである。
   個々の問題については、説明とコメントは差し控えるが、4年生の孫息子が、チャレンジしている算数は、次の中学受験の算数項目の大半であって、5年生や6年生の水準や難易度などの区別は殆どなく、勉強している。

   平面図形、速さ、旅人算、図形や点の移動、立体図形、場合の数、規則性、割合と比、食塩水の濃度、時計算、グラフと量の変化、計算の工夫、面積図、ニュートン算、和と差、流水算、通過算、方陣算、折り紙、N進法、仕事算、平均算、還元算、年令算、数の性質、2量の関係、相当算、分配算、帰一算、消去算、差集め算、日暦算、倍数変化算、過不足算、単位換算、魔方陣、周期、角度、相似、展開図、特殊算など、やりとり算、集合算、つるかめ算

   つるかめ算とか流水算だとか旅人算など言った問題には記憶はあるが、加減乗除の計算が算数だと思っていた我々には似ても似つかない算数の変転ぶりで、複雑な文章題が頻出していて、十分な読解力を要求されるのみならず、想像力や推論を駆使して判断する理論的展開が必用であり、時には、何例も表やグラフを描いて検証する必要があるなど、とにかく、小学生が良くやるなあと思うほど難しいのである。
   日本では軽視されている統計・確率や順列組み合わせ問題のはしりや論理的推論を重視した数理問題の展開など、非常に良いことだと思う。
   しかし、私が気になるのは、このような中学受験を目指した塾の教材と、従来の文科省基準の小学校の教材との大きな差、落差をどう考えるのかと言うことである。あまりにも易しすぎるので、学校教育の水準をもっともっと上げないと、数理科学教育に取っては死活問題ではないかと言うことである。

   私自身は、日米での教育のお陰かヨーロッパで学んでいた娘達の勉強を見ていたお陰かどうかは分からないが、たまには、ヒントや解説を参照することはあるが、すべて問題を解いて、孫息子に説明するなど、家庭教師の役割を果たしている。しかし、普通の家庭では、十分にフォローできるのかどうかは大いに疑問で、一寸、受験競争の激しさを感じてしまう。
   数学だけではなく、国語も理科も社会も、同様に、難しくなっているのであり、塾にさえ行かせておれば、良い学校には入れるなどと安易に考えていたら、足を掬われることは間違いない。
   東大生の親たちの多くは、一部上場企業の部長以上だとか、東大などトップ大学の卒業生だとかと言われているようだが、中学校の受験から、いや、幼稚園や小学校からも、経済力などすべての家庭の総合力が試されると言う現実をどう見るのか、
   われわれが受験の頃は、四当五落と言われていた。寝るのは4時間で受験勉強をすべきで、1日に5時間も寝ていたら落ちると言うことだが、悲壮感と言ったものは感じなかった。旧帝大の学生などは、学費にも四苦八苦するような苦学生が殆どであった牧歌的な我が青春時代を思うと、今昔の感に堪えない。京大の講師さえ、昼飯のパンを抜くか、市電を乗らずに歩いて帰るか考えていると言った時代のことである。

   高校、大学、米国MBA大学院、と受験を続けてきた自分だが、もう、絶対に、受験はしたくないと肝に銘じている。

   
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わが庭・・・鹿児島紅梅咲き始める

2022年01月18日 | わが庭の歳時記
   昨年は、元旦に咲き始めた鹿児島紅梅が、少し遅れて咲き始めた。
   八重咲きの中輪で、本来は鮮やかな深紅の紅梅だが、わが庭の花は、何故か、紅が浅くてピンクが勝っていて、重厚さには欠けるが優雅である。
   遅咲きだというのだが、わが庭の白梅も紅梅もまだ蕾が固く、この鹿児島紅梅の方が、毎年、最も早く咲き始める。
   昨年は、沢山実を付けたので、良いのか悪いのか分からなかったが、この鹿児島紅梅で梅酒を作った。
   今まだ、少し梅が形を保っているので、もう少し待ってから試飲して見ようと思っている。
   
   
   
   

   椿だが、花が開ききらずに、宝珠咲きで止まって枯れていた唐錦が、寒気を押して、やっと蘂を綻ばせた。
   タマグリッターズやタマアメリカーナが咲き続けている。
   メジロが飛んできて花をつついている。
   
   
   
   
   
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レゴとプチブロックで遊ぶ

2022年01月17日 | 
   孫娘が、レゴにはまっている。
   クリスマスプレゼントに、買って貰った複雑な遊園地のブロックを、苦もなく作り上げた。
   非常に教材用としては、良いのだが、幼稚園ならいざ知らず、とにかく、作品に仕上がれば広い場所が必要となるので、家庭では、始末に困ってしまう。

   ところが、ダイソウで売っている「プチブロック」だと、個々には、小さな単体か2体程度の作品で、大きさも10センチ以内であるので、いくら作ってもおもちゃ箱に収容したり、スタンドの合間などに置けば場所を取らない。
   プチサイズのブロックで、小さくてリアルな世界を組み立てようということである。
   それに、たったの110円で、レゴのように、何千円、何万円もするのとは違って、ブロックを組み立てて動物や車などの作品を作り上げる手法や楽しみは同じである。
  
   困るのは、ブロックが小さいので、組み立てにくいのと、説明書きが不明瞭なので、よく間違ってやり直しをしなければならないこと。
   それに、made in chinaの所為か、ブロックの数が合っておらず不足していたり、色が似ていても他の作品のブロックが入っていて、嵌まらないなど、問題が多いことである。どの作品も、ブロックの数は多く入っていて余るのだが、必用なものが欠品だと、とにかく困るのだが、品質管理の杜撰さが気になる。

   このプチブロックは、Age 12+なのだが、5歳の孫娘は、困ったところを少し助ければ、一人で器用に何なく組み立ててしまう。
   トランプやかるた、パズルなどをやっていても、私より上手だし、子供の勘は鋭くて、年齢で制限したり、どうだこうだと言った指導は必要ないように思っている。
   私のパソコンも、起動から自分の好きなホームページの立ち上げや、簡単な検索程度は自分でこなして、パソコンで遊んでいる。
   

   
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横浜キヤノンイーグルスのラグビー観戦

2022年01月16日 | 展覧会・展示会
   昨日、横浜の日産スタジアムでのNTT JAPAN RUGBY LEAGUE ONE 2022の、
   横浜キヤノンイーグルス vs コベルコ神戸スティーラーズとのラグビー対戦を観に行った。
   スポーツに得手ではなく、趣味ではない私には珍しい経験で、キヤノンに務めている娘婿の招待で、孫達と一緒に家族全員で出かけたのである。
   阪神ファンなので、後楽園や神宮などでの阪神の試合や他の試合などプロ野球は何度か、大相撲を数回、来日した母校ペンシルバニア大学のバレーの親善試合くらいで、外国では、サンパウロでコリンチャンズのサッカーの試合、ロンドンではアスコット競馬やクリケット程度で、私のスポーツ観戦は非常に限られており、自分の意思で、能狂言やクラシックコンサートのように、チケットを買って観に行くなどと言うことは考えられない。
   しかし、サッカーやラグビーなどをやっている孫たちとオリンピックやラグビーの国際試合をTVでずっと一緒に見続けていると、何となくルールが分かるなど興味を持ち始めていて、今回は、その実際の試合を、現地で臨場感タップリに観たのであるから、非常に面白くて、良い経験をした。

   試合は、キヤノンが55,コベルコが21で、前半後半とも優位に立ったキヤノンが勝利した。
   オミクロンが勢いを出し始めているが、観客11230人とかで、多くの子供達の家族連れやファンで賑わっていた。
   
   

   TVで雄姿を観ていたキヤノンの田村優のキックなど見所も多く、TVの観戦でお馴染みのタックルの激しさなど、それぞれの興味深いシーンが、2時間に渡って展開させていて、飽きずに楽しむことが出来た。
   
   
   
   
   
   大変だったのは、競技場の駐車場での車の出し入れ、
   それに、鎌倉からスタジアムへの往復の交通事情の悪さ、
   小さな孫がいるので、次女の運転で車で往復したのだが、一寸、大変であった。
   しかし、この横浜国際総合競技場は素晴しいスタジアムで、無風状態の晴天日和に恵まれて、非常にラッキーであった。

   ところで、興味深かったのは、我が席は日陰席であったが、反対側の席は太陽が当たっていて逆光観戦であったので、マドリッドやメキシコでの闘牛場のチケットを思い出した。
   闘牛の通常の公演は午後に行われるので、太陽の位置によって座席の価格が異なっており、直射日光が当たるソル(太陽)席はソンブラ(日陰)席よりも安いのである。私は、両方ともソンブラ席のチケットを買ったので、その差は分からないのだが、ドーム状態でないと、どうしても差が出てくる。
   しかし、今回の試合は、殆どスタジアムの日陰で行われていたので逆光の影響を受けなかったので、観戦には障害がなかったのであろう。
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薬剤散布:硫黄合剤を散布する

2022年01月14日 | わが庭の歳時記
   庭で咲く美しい花を愛でることは、素晴しいことなのだが、雑草と違って、普通の花木と同様に、園芸品種の草花などは、ひ弱くて、病虫害の攻撃からは逃れがたい。
   したがって、四季の移り変わりにつれて、定期的に、薬剤散布をしなければならない。
   私の場合、最近は草花の栽培はしていないので、花木の世話が主体で、椿、バラ、梅や桜、柑橘類と言ったところだが、それぞれに、季節も違うし、薬剤の種類も違うし、丁寧にフォローしておれば、年に何回か薬剤散布を繰り返さなければならない。

   もう、随分前のことだが、丁寧にマニュアル通りに、適当な薬剤を何種類も買って薬剤散布を続けていたのだが、ある園芸教本に、硫黄合剤の効力は抜群で、厳寒の時期に、間隔を開けて2回散布し、マシン油乳剤と並行散布すれば、十分であると書かれているのを見て、レイジーな私には打って付けだとおもって、やり始めた。
   尤も、実際には、これで完全に病虫害からフリーになったわけではなく、普段の薬剤を使ってフォローはしたが、お陰で、一気に薬剤散布の手間と回数が減った。
   今では、忘れてしまって、温かくなってから思い出してミスることもあるのだが、最近では、硫黄合剤の散布だけで通しており、病虫害が出たときには、スプレーの殺菌殺虫剤を噴霧して補っている。
   バラでもトマトでも、スプレーで十分にフォローできている。

   ところで、何故か、最近では、1㍑程度の小瓶の硫黄合剤が消えて、10乃至18㍑で買わなくてはならない。
   わが庭で必用なのは、精々2㍑あれば十分で、何年か前に18㍑のボックスを買って何年か使っているのだが、既に、有効年限を過ぎているかも知れない。
   利かなければ、薬害があるのかないのか分からないが、普通の薬剤散布に戻せばよいと思っている。
   
   椿だが、フルグラントピンクとタマカメリーナが咲き始めた。
   厳寒に咲くので、やはり、花が痛みやすく、それに、完全に開花する前にしおれてしまう花もある。
   唐錦は、先に咲き始めた花は、一番外側の花弁が開いて、宝珠咲きになったところで、木にパワーがないのか、そのまま止まって傷んでしまった。
   
   
   
   
   
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斎藤幸平:日経「民主主義、気候変動でも試練」

2022年01月11日 | 地球温暖化・環境問題
   斎藤准教授の「人新世の「資本論」」」が脚光を浴びていて興味深いのだが、まだ、この本は読んでいない。
   面白かったのは、NHKで新春に放映された「欲望の資本主義2022」での斎藤准教授とセドラチェックとの資本主義・社会主義・共産主義と言った体制論争で、その知識の範囲内で、今日の朝刊の日経の「民主主義、気候変動でも試練」という論文についての感想を述べてみたい。

   まず、斎藤准教授の考え方は、次のようなものではないかと思っている。
   資本主義は利潤追求であり、これが価値を持続的に増殖して経済成長を促進させて、地球を破壊してきた。原初のような「コモン」を形成して、生産手段を社会的所有に変え、意思決定を民主的に行う体制を確立して、地球環境を守るべきであると主張する。
   人類の経済活動が地球に与えた影響があまりにも大きいために、地質学的に見て地球は新しい年代に突入したとして、ノーベル化学賞学者パウル・クルッツェンが「人新世」と称したので、この現在の人新世の「資本論」を説く。

   より公正で、持続可能な社会を志向するために、万人にとって生活に必要なコモンズ(共有財産)を、水や空気のように、生産手段を「使用価値」として共同体で管理する必要があり、脱成長と平等からなる「脱成長共産主義」を確立することである。
   そのためには、①「価値」ではなく、「使用価値」に重きを置いた経済に転換して、大量生産・大量消費から脱却する。②労働時間を削減して、生活の質を向上させる。③画一的な労働をもたらす分業を廃止して、労働の創造性を回復させる。④生産のプロセスの民主化を進めて、経済を減速させる。⑤使用価値経済に転換し、労働集約型のエッセンシャル・ワークの重視 によって経済成長をスローダウンさせることである。とする。

   利潤追求に汲々とする資本主義は、資本の寡占・独占に突き進み官僚化、階層化かを激化させる。と言う。
   しかし、アリストテレスの「コモンズの悲劇」が示すように、共有財産であったコモンズの牧草地は、放牧しすぎて誰も利用も管理するものもなく皆が利用するだけで荒廃したが、これは共産主義者が我々の土地から収奪しただけだったのと全く同じだとセドラチェックは指摘する。
   また、私利私欲や利己主義に左右されず 中央計画が実行されれば、民衆の幸福と公共の利益を実現させる筈の政治体制が、何故、実現せずに破綻したのか。机上の計画が実現されたこともなければ、共産主義は、悉く失敗した。とセドラチェックは言う。

   さて、資本主義の暴走(?)によって、地球環境エコシステムを窮地に追い込み、格差拡大を増幅するなど、現下の資本主義の蹉跌については認めるとしても、斎藤准教授の言う理想としか思えないようなコモンズをどのようにして確立して、誰が管理運営するのか、定かではないが、国家や独占的企業などではないことは確かで、地域共同体や労働者によって共同管理される会社などのイメージであろうか。
   しかし、そのような運営組織が、現下の政治経済社会で、上手く生まれて機能するとは、容易には考え難い。

   「脱成長コミュニズム、脱成長共産主義」だが、計画的なコミュニズムをイメージするならば、ソ連や冷戦以前の共産主義社会は例外としても、中国などの今様共産主義国家を考えるしかないが、人権など文化文明にとって最も重要な公序良俗を軽視する専制国家であって、理想的な社会だとは思えない。そして、全く逆に、経済成長に至っては、中国の最大最高の至上命令であって、世界中の生産手段を独占しようという勢いで、公害に至っては、世界最大の地球温暖化ガスなどの排出国で国土が汚染塗れの公害大国であり、その終熄の目処さえ立っていない程酷い状態である。
   斎藤准教授の言う「脱成長コミュニズム」の5条件には、欧米先進国と比べても、最も実現不能な国であり、
   中国のイメージでなければ、そのような「脱成長コミュニズム」をどのようにして作り上げようとするのか、
   そのような理想社会が、民衆の自発的な意思で、容易に生まれ出でるとは到底思えなし、理解に苦しむ。

   アダム・スミスの「見えざる手の導き」やヨーゼフ・シュンペーターの「創造的破壊」などの多くの先哲の教えに導かれて、右往左往しながら多くの錯誤誤謬を繰り返しながら紆余転変を経て今日ある資本主義の方が、はるかに、人類にとって価値ある体制だと思っている。
   大企業が寡占化独占化で富を集中して人類社会に極端な格差拡大を惹起したのは、哲学と指針を示して軌道修正なり方向付けをし実行できなかった政治経済体制の失敗であって、弱点が強化されすぎて迷走しているが、パンデミック対応時のような大権を行使して、方向付ければ、修正可能であろうと思う。
   何が、人類の未来にとって大切か、宇宙船地球号をサステイナブルにするにはどうすれば良いのか、資本主義国のリーディング国家が衆知を集めて対応できれば、「脱成長コミュニズム」を目指すよりも、はるかに、理想的で実現可能だと思う。
   私自身は、計画経済や権力集中のコミュニズム体制が、当座の中国のように成長街道を突き進んで権力基盤を拡大し続けようとも、自由平等博愛を旨とする民主主義には代えられないと思っており、相協和しながら成長してきた資本主義の修復軌道修正こそ大切だと信じている。
   以上の論点については、「人新世の「資本論」」も、マルクスの「資本論」なども読まずに論じているので誤解があるかも知れない。
   
   さて、横道に逸れてしまったが、斎藤准教授の気候変動危機論だが、
   人類の経済活動が地政学的力として、この惑星に何万年にも及ぶ負の影響を与え、人類がその力に翻弄されている「人新世」において、コロナ禍はその象徴で、過剰な森林伐採、工業型畜産、野生動物取引が感染症流行のリスクを高め、社会は大混乱に陥っている。気候危機も同様だ。先進国が、死活問題の温暖化を1.5度に抑える目標を掲げられないのは、経済成長とは両立不可能だからだ。と説く。
   1.5度目標のためには、緑の資本主義やESGのような市場のインセンティヴでは間に合わず、包括的な経済計画が必用であり、かつ、資本主義に緊急ブレーキをかける計画と強制が必用となり、やがて、「上からの統制」による全体主義に帰着する。と言う。
   全体主義を避けて進む道はないのか。
   いずれにしろ、民衆からの強い圧力なしに、国家は市場を犠牲にする気候変動対策には取り組まない。社会運動や社会的企業、自治体のボトムアップ型の民主主義は不可欠だ。として、「コモン(共有財産)」として管理する国際連帯があってこそ、資本主義と対峙する大胆な気候変動対策が見えてくる。と、
   バルセロナやベルリンで胎動しつつある革新自治体の国境を越えた取り組みを説明している。

   前述したように、斎藤准教授の「脱成長コミュニズム」論については、カウンターベイリング・パワーとしての理論価値は認めるが、私は取らないことを付記しておく。

   この「コモンズ」から、「脱成長コミュニズム」についての理論は、もう少し勉強しなければならないが、この日経論文の斎藤准教授の説く気候変動の危機の打開に対する個々の提言には、殆ど異存はない。
   
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バラの冬剪定をしながら年賀状の少なくなってきたのを思う

2022年01月10日 | 生活随想・趣味
   遅ればせながら、庭のバラの冬剪定を行った。
   もう何十年もやっているので、勘と経験のルーティン仕事である。
   剪定ばさみだけはと思って、燕三条の秀久の上等なプロ用のステンレス剪定鋏を持っていて、手応えは抜群である。
   最近は、バラの世話を多少怠っているので、昔のように、綺麗な花が楽しめなくなってきている。
   別に、歳の所為ではないが、一時期のように、年中かけて、丁寧に世話をすれば、バラほど正直に応えてくれる花はなく、私などレイジーな似非ガーディナーは、本来、バラの栽培などダメなのかも知れないと思っている。
   しかし、ロンドンから帰ってきてバラ栽培に熱中していたときには、春秋その季節には、千葉の庭はバラが咲き乱れていたし、近くだったので、京成バラ園には良く足を運んで勉強していた。

   さて、綺麗な花をイメージしながら思い起こすのは、知人友人達のことで、年賀状の季節になると、それぞれの消息が分かって、少しずつ寂しくなる。
   年賀状を交換している相手は、やはり、私自身の年格好と同じで、後期高齢者が大半である。
   少しずつ、毎年、何らかの理由で消えてゆく人が出てくるのだが、一番、気になるのは、寄る年波には勝てず、今回で年賀状の交換を最後にしたいという年賀状の挨拶文である。
   毎年、2~3人は、そんな年賀状をくれる。
   口角泡を飛ばして天下国家を論じていた学友であったり、激務に苦楽をともにした同僚であったり、非常に親しかった知人友人から、そんな年賀状が来ると胸が痛くなる。
   私など、パソコンがあってインターネットのお陰で、住所録があり年賀状の通信面を適当にアレンじてプリントすれば、数時間で準備できるので、それ程苦痛に思ったことはないが、人によっては、体が云うことを利かなくなったとか、認知症が進んできたとか、相当、健康状態が悪いのであろう。

   今更と思うのだが、老後の移転も結構多くなっている。
   庭など家周りの世話が苦痛になってきたので、一戸建てを処分して終活も兼ねてマンションに移転したり、老人ホームに入ったり、故郷の村へ帰っていったり、
   現役で、まだ、元気で働いていても、結構病気に罹って手術をしたり入退院を繰り返したり、
   完全に健康で、問題のない知人友人などは殆どいない。
   尤も、ボケ防止に中輪管理のボランティアをやっているとか、詩吟をやり始めたが上手くならないとか、バイオリンとゴルフを始めたとか、ダンスを楽しんでいるとか、碁会所に通っているとか・・・
   コロナで、ここ2年くらい、同窓会も同期会もないので、友の消息は定かではないのだが、我が老年は、一瞬にして運命が変ってしまい、明日は、まさに分からない。

   東大の高齢社会研究機構の秋山弘子教授の研究で、30年前の日本の高齢者が、60歳を過ぎてからどのように人生を辿るか追跡調査した結果報告では、
   約2割の人が、70歳を迎える前の段階から寝たきりになり、その状態を10年ぐらい過ごしていると言うこと、大半の人が、70歳を超え始めたところから徐々に歩けなくなると言うこと、そして、80を過ぎても元気に働ける人は、1割程度しかいない、と言うことである。

   私の場合、幸いにもと言うべきか、朝夕、孫娘の幼稚園の送り迎えで、アップダウンの激しい坂道を片道1キロ、都合4キロを歩いているので、まずまずではあろうが、やはり、足腰の弱りには勝てず、彼女が走れば追っかけられない。
   まだ、毎日のように専門書を読んでいるし、このブログも手を抜かずに、まずまず書けていて、高血圧の定期検診くらいで、この何年かは大病したり手術もないので、当分、健康は大丈夫であろうと自己診断している。
   軽度の脊柱管狭窄症以外には痛いとか苦しいとかといった感覚はなく、夜はよく眠れるし、朝は普通に元気で起きられるので、幸せだと思っている。
   もう、傘寿を越えた以上、臨終を考えて生きなければならないと思うのだが、まだ、全くその気になれないところが凡人の悲しさでもある。
   出来れば、ギリギリまで健康寿命を引き延ばして、家族に迷惑をかけないような状態で終えたいと願っている。
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新春を言祝ぐような綺麗な雪

2022年01月06日 | 生活随想・趣味
   急に気温が下がって寒くなったら、天気予報通り、朝に雪がちらつき始めたと思ったら、少しずつ勢いがまして、庭に積もり始めた。
   いつもなら、2月に降る雪が、今年は正月早々に降り始めたのである。

   孫娘が、庭に出たいというので、外に出たら、流石に寒い。
   「アナと雪の女王」のファンなので、オラフをイメージして、雪だるまを作り始めた。
   まだ、降り始めてすぐなので、雪の塊を転がせば、庭の黒い土がつく。
   テーブルと椅子に積もった綺麗な雪を集めて小さな雪だるまを作った。
   
   
   
   椿のつぼみに雪が降り注ぐ。
   椿は、晩秋から咲き始めて、桜の頃には咲き乱れるのだが、厳寒に咲く椿の花は、葉に隠れていて凜と咲く。
   夏ミカンにも雪、
   普通のミカンは、鵯に一気に食べられてしまって、1日で消えてしまった。
   
   
   
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鎌倉芸術館:能「七騎落」狂言「文蔵」

2022年01月05日 | 能・狂言
   1月5日、鎌倉芸術館で、能楽協会・鎌倉能舞台主催「日本全国 能楽キャラバン!in神奈川」が開催された。
   演目は、講演「父子の愛-石橋山のドラマ」葛西聖司
       狂言「文蔵(ぶんぞう)」野村萬斎
       能「七騎落(しちきおち)」観世喜正
   NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の先触れのような公演である。
   コロナ前には、毎月通っていた国立能楽堂へは、ほぼ2年、ご無沙汰しているのだが、まず、地元鎌倉で、格好の能狂言が演じられるので、出かけた。
   一般的な小劇場に、能舞台を設えているので、柱がなくて橋掛かりが短く、見所はすべて正面席で、やや舞台を高みから見下ろす形になるなど、能楽堂とは、雰囲気が随分違うが、かなり、能狂言の鑑賞には良くできていた。

   狂言「文蔵」は、3年前に、京都茂山家の大蔵流の舞台を見ている。
   主(茂山千三郎)の許しも得ずに、都見物に出かけた太郎冠者(茂山あきら)が、主の叔父の家で頂いた御馳走の名前を思い出せなくて、主のいつも読む草紙に出てくる名前だと言って、主に、源平盛衰記の石橋山合戦を語らせて、文蔵と言う名を聞いて、温糟粥(うんぞうがゆ)の名を思い出すと言う話である。
   この狂言の重要なポイントは、「語り」が大変重要な芸で、主は、葛桶に腰を掛けて、石橋山合戦の様子や情景を派手な身振りを交えて、息の流れを生かして緩急を付けながら、迫力満点に語り続ける。
   主萬斎の素晴らしい語りと惚けた調子の石田幸雄の太郎冠者の相性が良く、楽しい舞台であった。
   石橋山合戦とは、何の関係もないのを、一くさり仕方話で語らせて、狂言師の巧みな芸を披露させるという名曲だが、
   「それはうんぞう、これは文蔵、よしない物を食らうて主に骨を折らせた。しさりおれ」と𠮟り飛ばして幕。

   能「七騎落」は、石橋山の敗戦の後日譚で、
   源頼朝(中森建之介)が石橋山の合戦で敗れ、安房上総へ落ち延びるにあたり、船中には8騎が居て8は縁起が悪いから1人船から降ろせと命じる。諍いののち、土肥実平(観世善正)が、泣く泣く我が子遠平(富阪耀)を船より降ろす。遠平は討死の筈だったが、頼朝側に寝返った和田義盛(舘田善博)に助けられ、送り届けられて、親子涙の対面を果たす。
   上演が少なくて、それほどポピュラーでもないのか、岩波講座や角川の「能を読む」など私の持っている参考文献には記述がないので、インターネットの断片情報で繋ぐ以外に情報源はない。
   ただ、難しい謡は少なくて詞章は口語口調の対話方式が主体であり、中森貫太師が考案した字幕スクリーンが役に立って、非常に分かりやすくて十分に楽しむことができた。世阿弥の能のように無限能ではなく、いわば、時代劇のワンシーンを切り取ったような芝居なので、全員、直面である。
   この能の見どころは、親子の対面がなって感動したシテ実平が舞うラストシーンの男舞である。 男舞は「安宅」などでも楽しめる、亡霊ではない現実の男の舞う舞で、笛・小鼓・大鼓によって勇壮に囃されるテンポの速い舞で、善正の端正で格調高い舞いが感動的であった。
   萬斎の長男野村裕基が、アイ船頭で、清新な芸を披露していた。
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