先週、午後のコンサートに東京へ行くために、江ノ島ー大船路線の最寄りの江ノ電バスの停留場で、バスを待っていた。私を無視して、バスは走り去ろうとしたのである。
停留場の標識は、歩道ギリギリに立っているのだが、保育園の玄関口に面していて、人通りや自転車の往来が激しいので、歩道に並ばずに、2㍍ほど車道からセットバックした保育園前の歩道の外れに立ってバスを待っていた。いつもバス待ちの客は、歩道ではなく、保育園の玄関前の空地に待機していて、バスが近づくと歩道に出て、標識横まで進んで乗車する習わしになっていて、私もそうしていたのである。
バスに乗るので、マスクをかけようとして(杖をついていて、その杖を足で支えて、自分自身が倒れないように立っているのがやっとで、マスクかけに時間がかかった)、ようようかけ終わったら、右手10㍍先にバスが近づいて来ているのに気付いた。何時もなら、5分や10分は遅れるのだが、何故かその日だけは時間ピッタリであった。
その時、何時ものように、バスの運転手の顔を見ていたのだが、何故か不思議にも、停車場の標識の方を見ずに、反対方向の右手に顔を向けたままで、こっちを見ておらず、嫌な予感がしたが、急いで、歩道に出て標識の前に立った。いくら、右向きであっても、停留所手前100㍍くらいは、バス道路が右側に湾曲してカーブしているので、私の存在は視野に入っていたはずであり、完全に無視したとしか思えない。
通常通り待ったが、バスは2㍍ほどまでに近づいて来て、バスの鼻先が標識を通過しても止まらずに通過し始めた。声をかけたが聞こえないのか進み続けたので、ついていた杖を伸して、バスのドアーをコツコツとたたいた。
数㍍先に信号機があり、その手前少し進んだところで止まって、ドアーが開いたので乗り込んだ。1時間に、3本しか便がないので、おくれれば困るので、内心ホッとした。
しかし、どう考えても、このバス停通過は、故意としか思えない。
バスの停留場ポストから、正面少し離れたところで、うつむき加減で苦労してマスクかけしていたので、待ち客と思わなかったのかも分からないが、運転手なら誰でも知っている筈のいつもの待機位置である。私が運転手の顔を見続けていた限り、一度も顔を右手前方から変えずに、視線も合わせない。停留場の方を全く見ずに通過しようとしたことは間違いない。いくら不注意でも、バス停方向を見ていなくても、普通に正面を向いておれば、私の存在は視界に入るはずであり、その時は、私以外にその場には誰もいなかったし、無為にバス停前で立っているはずがない。
大概のバスは、こんな時には、必ず止まってドアを開けて、客の意志を確認して出発してくれている。それに、このバス停は、藤沢行きも通過するので、必ず停車して確認してくれるのが常である。
私は、杖をついてよろよろ歩いている状態であり、通過するバスを追いかけて杖を叩く芸当など出来ないし、現に、バスストップの標識の前に立って、1㍍すこしの長さの杖で、この小型バスのドアーを叩いているのであるから、バスが通解しようとする時点で、私自身は確実にバス停に立っていた。それを無視して通過しようとしたが、ドアーを叩かれたので、やむを得ず停車させたのであろう。
念のために、運転手の名前を覚えておこう思って、運転席周辺を見たが名札も何の記載もない。
大船で下車の時に、「運転手さんの名前は何処に書いてあるのでしょうか」と聞いたら、気色ばったので「名前を教えて下さい」と言った。何故だと怒気を含めて返答したので、このバスストップでの一件だと悟ったのか怒りだしたので、「止まらなかったじゃないですか」と言うと、「止まった」と言う。
「私が杖で叩いたから止まったのでしょう」と言うと、「叩かないで下さい」と返事する。畳みかけて、「止まらないから杖で叩いたのだ」と言うと、「叩かないで下さい」と答えるだけで、この繰り返しで埓が開かず、下り客の邪魔になるので、車から離れた。名前に触れただけで、何も言っていないしこの件に触れてもいないのに、怒気を帯びた気色ばんだ態度を取ったので、故意に私を無視して走り去ろうとしたのだと分かった。
確か、タクシーに乗ったときには、ハッキリと運転手の名前が記されていたのだが、多数の乗客の命を預かるバスの運転手の名前を表記せずに許されるのであろうか。
乗客無視は、これだけではなく、最終便の発車時間に十数秒遅れて、停留所前の階段を夢中で下りて急いだにも拘わらず、バス停からほんの数メートル先の目の前を通過されたこともあったし、結構問題もあったが、運転免許証を返却したので、このバス路線は日常の足であるから、口には出していない。
この江ノ電バス、「江ノ電グループの経営理念」として実に見上げた理念を掲げている。
⾏動指針=Enoden Value“価値”として社会に誓いますとして、
私たちは感謝の気持ちで「おもてなし」することを誓います。
私たちは熱意を持って仕事に取り組むことを誓います。
私たちは素直な⼼で⽇々鍛錬することを誓います。と宣言している。
悪く考えれば、虫の居所が悪かったので、その腹いせに、弱者を虐めて溜飲を下げ様とする類いの迷惑行為かも知れないが、こんな態度で、公共バスの運転をされたら誰もが困るので、注意を喚起するために、あえてレポートすることにした。
江ノ電や運輸局にクレームすれば、運転手が特定されるので避けたのである。
停留場の標識は、歩道ギリギリに立っているのだが、保育園の玄関口に面していて、人通りや自転車の往来が激しいので、歩道に並ばずに、2㍍ほど車道からセットバックした保育園前の歩道の外れに立ってバスを待っていた。いつもバス待ちの客は、歩道ではなく、保育園の玄関前の空地に待機していて、バスが近づくと歩道に出て、標識横まで進んで乗車する習わしになっていて、私もそうしていたのである。
バスに乗るので、マスクをかけようとして(杖をついていて、その杖を足で支えて、自分自身が倒れないように立っているのがやっとで、マスクかけに時間がかかった)、ようようかけ終わったら、右手10㍍先にバスが近づいて来ているのに気付いた。何時もなら、5分や10分は遅れるのだが、何故かその日だけは時間ピッタリであった。
その時、何時ものように、バスの運転手の顔を見ていたのだが、何故か不思議にも、停車場の標識の方を見ずに、反対方向の右手に顔を向けたままで、こっちを見ておらず、嫌な予感がしたが、急いで、歩道に出て標識の前に立った。いくら、右向きであっても、停留所手前100㍍くらいは、バス道路が右側に湾曲してカーブしているので、私の存在は視野に入っていたはずであり、完全に無視したとしか思えない。
通常通り待ったが、バスは2㍍ほどまでに近づいて来て、バスの鼻先が標識を通過しても止まらずに通過し始めた。声をかけたが聞こえないのか進み続けたので、ついていた杖を伸して、バスのドアーをコツコツとたたいた。
数㍍先に信号機があり、その手前少し進んだところで止まって、ドアーが開いたので乗り込んだ。1時間に、3本しか便がないので、おくれれば困るので、内心ホッとした。
しかし、どう考えても、このバス停通過は、故意としか思えない。
バスの停留場ポストから、正面少し離れたところで、うつむき加減で苦労してマスクかけしていたので、待ち客と思わなかったのかも分からないが、運転手なら誰でも知っている筈のいつもの待機位置である。私が運転手の顔を見続けていた限り、一度も顔を右手前方から変えずに、視線も合わせない。停留場の方を全く見ずに通過しようとしたことは間違いない。いくら不注意でも、バス停方向を見ていなくても、普通に正面を向いておれば、私の存在は視界に入るはずであり、その時は、私以外にその場には誰もいなかったし、無為にバス停前で立っているはずがない。
大概のバスは、こんな時には、必ず止まってドアを開けて、客の意志を確認して出発してくれている。それに、このバス停は、藤沢行きも通過するので、必ず停車して確認してくれるのが常である。
私は、杖をついてよろよろ歩いている状態であり、通過するバスを追いかけて杖を叩く芸当など出来ないし、現に、バスストップの標識の前に立って、1㍍すこしの長さの杖で、この小型バスのドアーを叩いているのであるから、バスが通解しようとする時点で、私自身は確実にバス停に立っていた。それを無視して通過しようとしたが、ドアーを叩かれたので、やむを得ず停車させたのであろう。
念のために、運転手の名前を覚えておこう思って、運転席周辺を見たが名札も何の記載もない。
大船で下車の時に、「運転手さんの名前は何処に書いてあるのでしょうか」と聞いたら、気色ばったので「名前を教えて下さい」と言った。何故だと怒気を含めて返答したので、このバスストップでの一件だと悟ったのか怒りだしたので、「止まらなかったじゃないですか」と言うと、「止まった」と言う。
「私が杖で叩いたから止まったのでしょう」と言うと、「叩かないで下さい」と返事する。畳みかけて、「止まらないから杖で叩いたのだ」と言うと、「叩かないで下さい」と答えるだけで、この繰り返しで埓が開かず、下り客の邪魔になるので、車から離れた。名前に触れただけで、何も言っていないしこの件に触れてもいないのに、怒気を帯びた気色ばんだ態度を取ったので、故意に私を無視して走り去ろうとしたのだと分かった。
確か、タクシーに乗ったときには、ハッキリと運転手の名前が記されていたのだが、多数の乗客の命を預かるバスの運転手の名前を表記せずに許されるのであろうか。
乗客無視は、これだけではなく、最終便の発車時間に十数秒遅れて、停留所前の階段を夢中で下りて急いだにも拘わらず、バス停からほんの数メートル先の目の前を通過されたこともあったし、結構問題もあったが、運転免許証を返却したので、このバス路線は日常の足であるから、口には出していない。
この江ノ電バス、「江ノ電グループの経営理念」として実に見上げた理念を掲げている。
⾏動指針=Enoden Value“価値”として社会に誓いますとして、
私たちは感謝の気持ちで「おもてなし」することを誓います。
私たちは熱意を持って仕事に取り組むことを誓います。
私たちは素直な⼼で⽇々鍛錬することを誓います。と宣言している。
悪く考えれば、虫の居所が悪かったので、その腹いせに、弱者を虐めて溜飲を下げ様とする類いの迷惑行為かも知れないが、こんな態度で、公共バスの運転をされたら誰もが困るので、注意を喚起するために、あえてレポートすることにした。
江ノ電や運輸局にクレームすれば、運転手が特定されるので避けたのである。
そういえば、昔の東横線の改札の職員は酷い態度だったことを思い出しました。
学生は全員キセルしているという態度でした。
年齢も近く、働いていることに苛立っていた様な印象です。
かなりの頻度でそういう駅員と改札で出会うので、昔は東急線は嫌いでした。