首相が、「鳩屋」の大向こうからの掛け声に気を良くしていたと山川さんが語っていたが、この国立劇場の11月歌舞伎は、藤十郎と團十郎の東西名跡の共演。
2007年1月の大阪の松竹座で実現し、藤十郎が、東西名跡の初共演の実現といたく感激して私の履歴書に書いていたが、その後は、何度か舞台にかかっていて、今回は、近松門左衛門の「傾城反魂香」の「土将監閑居の場」で、
二人の面白い舞台が楽しめた。
藤十郎の又平女房おとくは適役としても、團十郎の浮世又平はどうかなあと思っていたが、鴈治郎時代に共演済みだと言う。
勿論、狩野元信をテーマにしたと言うこの物語は、近松の浄瑠璃狂言だが、私は、まだ、文楽の舞台は見ていない。
しかし、歌舞伎では、4回目で、2回が吉右衛門の又平で、おとくは雀右衛門と芝雀、もう1度は、三津五郎の又平で時蔵のおとくであった。
三津五郎は、時蔵との相性も良く非常に自然体で感動的な舞台を務めていたが、雀右衛門父子の熱演に支えられていた吉右衛門の浮世又平が、決定版かも知れないと思っている。
ところで、又兵の師である土佐将監光信は、大和絵の土佐派の重鎮で、右近将監として宮廷に使えていたが、蟄居を命じられて山科に閑居していると言う設定で、律儀で真面目一徹の又平と夫思いの女房おとくが、毎夜のように閑居を訪れて光信夫妻を見舞う。
ところが、弟弟子の修理之助(亀鶴)が元信の襖絵から抜け出した虎を一筆で消し去った功で、土佐の苗字を許され先をこされる。焦った又平夫婦の必死の嘆願にも拘らず聞き入れられず、飛び込んできた姫救出出立さえ拒否され、将監に「絵の道で功を立てよ」と一蹴される。
しがない大津絵師としてみやげ物の絵を描きながら、細々と極貧を極めて生きている又平にまともな絵を描く機会など皆無の筈。
「サァ又平殿。覚悟さっしゃれ。今生の望みは切れたぞや。」との言葉に短刀を手にするが、女房おとくに促されて、おとくが密かに借り受けて差し出した将監の筆と硯を取って、傍らの手水鉢を石塔に見立てて最後の自画像を描く。
絵師として今生の別れ、精魂込めて描いた渾身の自画像が、手水鉢の硬い石壁を通り抜けて正面に浮かび上がる。
切腹の前の死に水を取りに手水鉢に近づき柄杓を持ったおとくが絵を見て驚愕する。
仰天するおとくが又平を手水鉢に導いて又平に伝えるまでのこのスローモーション映画を見ているような演技が、正に歌舞伎の歌舞伎たる由縁なのであろうが、とにかく、藤十郎と團十郎の舞うようなシーンの数々が印象的であり面白い。
「かか、抜けた」と絶叫する又平。
将監が登場して、この絵師として例のない奇跡を賞賛して、「土佐又平光起」の名を与える。
この又平だが、おとくの後に付いて来て、最初の土佐の苗字を願うところでも自分の一大事であるにも拘わらず、自分で切り出せずにおとくに代弁させて頭を下げるだけで、全く、ふがいない頼りないどうしようもない男であった。
ところが、姫救出を願い出る場面になると、吃音をものともせず、将監の前に進み出て、吃音に必死に抗しながら直訴嘆願し、命じられた修理之助に縋り付いて代役を願い師への抵抗をいさめる女房を蹴飛ばして、そのあまりも激しい抵抗に将監に刀に手をかけられる。
又平にとっては、このまま吃音にかまけて涙を呑んでいると一生棒に振ると言う危機感が目覚めたのであろう。
ここで、既に、手水鉢での軌跡の複線が打たれているのだと吉右衛門は語っている。
この短いが、起承転結の激しい、人生の喜怒哀楽、人間の意気地を凝縮した近松の舞台を團十郎が演じた。
この舞台の前に、團十郎は、「外郎売」で、得意の早口の外郎売の言い立てを披露した。
この外郎売は、団十郎家の「歌舞伎一八番」の一つであり、それなりに良く出来た芝居で素晴らしい。
しかし、この歌舞伎十八番は、七代目が、当時の名優割拠の時代において、「勧進帳」の宣伝を兼ねた差別化戦略の一環として生まれたようだが、無知を覚悟で言わせて貰えば、物語性と言うかリアリズムからは程遠い、言うならば、シェイクスピアなど西欧芸術と言わないまでも、近松や西鶴など上方芸術からも大分かけ離れた見せる芝居である。
その荒事、団十郎家の歌舞伎十八番を得意とする團十郎が、今回は、又平と言う近松門左衛門の物語性のある芝居の主役を演じたのである。
女系図で見たのだが、團十郎の演技は、実に大仰でぎこちなく、見方によってはミスキャストにしか見えなかったのではなかったかと思う。
この又平でも、どうしても荒事の團十郎のイメージが強すぎて、オーバーアクションが気になった。
吃音での表現だが、吉右衛門や三津五郎の場合にも、出だしは大仰な顔の表現が先立って普通の語り口の言葉が後でついて出る手法は同じだが、團十郎の場合には、出だしの迫力のある表情の後の口調は、いつもの張りのある早口口調が続いてその落差が大きくて、芝居の流れにリズムが打ちすぎる。
尤も、普通の新劇を見ている訳ではなく、これは様式美と伝統芸を重んじる歌舞伎の舞台であるから、團十郎のようなメリハリの利いた見せる演技が正統なのかも知れない。
芝居の流れ、話の筋よりも、舞台を見る楽しさ、千両役者が眼前で芝居をしているその演技を見る楽しさを味わうのが歌舞伎の鑑賞の極意なのかも知れないと考えたりしている。
その意味では、私には気付かなかった新しい又平像を見せてもらったのだと思っている。
藤十郎のおとくは、やはり、近松ものを得意とする上方役者の本領発揮で、その夫思いの優しさ甲斐甲斐しさは流石で、團十郎の男を前面に押し出し、夫唱婦随と言うか、新しい又平像の創造に尽くしていたような気がしている。
彦三郎の将監は、2度目だが、あの朴訥な味が実に良い。
2007年1月の大阪の松竹座で実現し、藤十郎が、東西名跡の初共演の実現といたく感激して私の履歴書に書いていたが、その後は、何度か舞台にかかっていて、今回は、近松門左衛門の「傾城反魂香」の「土将監閑居の場」で、
二人の面白い舞台が楽しめた。
藤十郎の又平女房おとくは適役としても、團十郎の浮世又平はどうかなあと思っていたが、鴈治郎時代に共演済みだと言う。
勿論、狩野元信をテーマにしたと言うこの物語は、近松の浄瑠璃狂言だが、私は、まだ、文楽の舞台は見ていない。
しかし、歌舞伎では、4回目で、2回が吉右衛門の又平で、おとくは雀右衛門と芝雀、もう1度は、三津五郎の又平で時蔵のおとくであった。
三津五郎は、時蔵との相性も良く非常に自然体で感動的な舞台を務めていたが、雀右衛門父子の熱演に支えられていた吉右衛門の浮世又平が、決定版かも知れないと思っている。
ところで、又兵の師である土佐将監光信は、大和絵の土佐派の重鎮で、右近将監として宮廷に使えていたが、蟄居を命じられて山科に閑居していると言う設定で、律儀で真面目一徹の又平と夫思いの女房おとくが、毎夜のように閑居を訪れて光信夫妻を見舞う。
ところが、弟弟子の修理之助(亀鶴)が元信の襖絵から抜け出した虎を一筆で消し去った功で、土佐の苗字を許され先をこされる。焦った又平夫婦の必死の嘆願にも拘らず聞き入れられず、飛び込んできた姫救出出立さえ拒否され、将監に「絵の道で功を立てよ」と一蹴される。
しがない大津絵師としてみやげ物の絵を描きながら、細々と極貧を極めて生きている又平にまともな絵を描く機会など皆無の筈。
「サァ又平殿。覚悟さっしゃれ。今生の望みは切れたぞや。」との言葉に短刀を手にするが、女房おとくに促されて、おとくが密かに借り受けて差し出した将監の筆と硯を取って、傍らの手水鉢を石塔に見立てて最後の自画像を描く。
絵師として今生の別れ、精魂込めて描いた渾身の自画像が、手水鉢の硬い石壁を通り抜けて正面に浮かび上がる。
切腹の前の死に水を取りに手水鉢に近づき柄杓を持ったおとくが絵を見て驚愕する。
仰天するおとくが又平を手水鉢に導いて又平に伝えるまでのこのスローモーション映画を見ているような演技が、正に歌舞伎の歌舞伎たる由縁なのであろうが、とにかく、藤十郎と團十郎の舞うようなシーンの数々が印象的であり面白い。
「かか、抜けた」と絶叫する又平。
将監が登場して、この絵師として例のない奇跡を賞賛して、「土佐又平光起」の名を与える。
この又平だが、おとくの後に付いて来て、最初の土佐の苗字を願うところでも自分の一大事であるにも拘わらず、自分で切り出せずにおとくに代弁させて頭を下げるだけで、全く、ふがいない頼りないどうしようもない男であった。
ところが、姫救出を願い出る場面になると、吃音をものともせず、将監の前に進み出て、吃音に必死に抗しながら直訴嘆願し、命じられた修理之助に縋り付いて代役を願い師への抵抗をいさめる女房を蹴飛ばして、そのあまりも激しい抵抗に将監に刀に手をかけられる。
又平にとっては、このまま吃音にかまけて涙を呑んでいると一生棒に振ると言う危機感が目覚めたのであろう。
ここで、既に、手水鉢での軌跡の複線が打たれているのだと吉右衛門は語っている。
この短いが、起承転結の激しい、人生の喜怒哀楽、人間の意気地を凝縮した近松の舞台を團十郎が演じた。
この舞台の前に、團十郎は、「外郎売」で、得意の早口の外郎売の言い立てを披露した。
この外郎売は、団十郎家の「歌舞伎一八番」の一つであり、それなりに良く出来た芝居で素晴らしい。
しかし、この歌舞伎十八番は、七代目が、当時の名優割拠の時代において、「勧進帳」の宣伝を兼ねた差別化戦略の一環として生まれたようだが、無知を覚悟で言わせて貰えば、物語性と言うかリアリズムからは程遠い、言うならば、シェイクスピアなど西欧芸術と言わないまでも、近松や西鶴など上方芸術からも大分かけ離れた見せる芝居である。
その荒事、団十郎家の歌舞伎十八番を得意とする團十郎が、今回は、又平と言う近松門左衛門の物語性のある芝居の主役を演じたのである。
女系図で見たのだが、團十郎の演技は、実に大仰でぎこちなく、見方によってはミスキャストにしか見えなかったのではなかったかと思う。
この又平でも、どうしても荒事の團十郎のイメージが強すぎて、オーバーアクションが気になった。
吃音での表現だが、吉右衛門や三津五郎の場合にも、出だしは大仰な顔の表現が先立って普通の語り口の言葉が後でついて出る手法は同じだが、團十郎の場合には、出だしの迫力のある表情の後の口調は、いつもの張りのある早口口調が続いてその落差が大きくて、芝居の流れにリズムが打ちすぎる。
尤も、普通の新劇を見ている訳ではなく、これは様式美と伝統芸を重んじる歌舞伎の舞台であるから、團十郎のようなメリハリの利いた見せる演技が正統なのかも知れない。
芝居の流れ、話の筋よりも、舞台を見る楽しさ、千両役者が眼前で芝居をしているその演技を見る楽しさを味わうのが歌舞伎の鑑賞の極意なのかも知れないと考えたりしている。
その意味では、私には気付かなかった新しい又平像を見せてもらったのだと思っている。
藤十郎のおとくは、やはり、近松ものを得意とする上方役者の本領発揮で、その夫思いの優しさ甲斐甲斐しさは流石で、團十郎の男を前面に押し出し、夫唱婦随と言うか、新しい又平像の創造に尽くしていたような気がしている。
彦三郎の将監は、2度目だが、あの朴訥な味が実に良い。