熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ネット・ショッピングで調達し浴室乾燥暖房器を取り換え

2011年12月29日 | 生活随想・趣味
   先月、浴室乾燥暖房機が故障したので、付け替えることにし、何時ものように、千葉ガスに電話して、見積もりを取ると、機器代金16万円工事費3.5万円で、トータル19.5万円であった。
   機器代金は30%引きであったが、何となく、価格コムを叩くと、最低価格は50%引きであり、ほぼ、4万円も安い。
   このネット・ショップは、評価も高く、信頼できると思ったので、千葉ガスに電話して、工事だけならいくらになるか再見積もりを頼んだ。
   出て来た答えは、6.5万円で、工事費が50%アップすると同時に、今までなかった機器処分代金も含まれてしまってほぼ2倍となり、機器代12万円を加えると、18.5万円になる。

   まあ、1万円安くなるのだか、良かろうと思ったのだが、念のために、ネットショップや機器メーカーに工事業者の紹介を頼んだら教えてくれたので、電話して聞いたら、取り付け工事費は、5万円だと言う。
   これだと、機器代金12万円を加えても、17万円となり、最初の千葉ガスの見積金額より、2.5万円も安く上がることになる。

   メーカーから紹介を受けた地元のガス工事会社からも見積もりを取っていたので、この会社に、工事だけでもやってくれるかと聞いたら、当初の工事代金より少し高くはなったが5万円でやると回答して来た。
   結局、この会社に頼むことにして、ネット・ショップに、メールで機器の注文を出して調達し、着き次第最短距離で工事を完了して貰い、今では、順調に機能している。

   どうも、ガス水道電気などと言った公共の基幹的なインフラ関係の業務には、地域独占の弊害か、指定業者制度などがあるのか業者間でテリトリーが決まっていて、自由競争原理が働かないようになっているために、どうしても、価格硬直性が固定化しているような感じである。
   はっきりとは分からないが、今度工事を頼んだ会社は、指定業者でもなくテリトリー外の業者のようであったが、実際の所在地は、わが住居には、はるかに近くて優良会社であった。
   
   千葉ガスの場合には、実際には、お客さま窓口として各支社・サービス店舗名で表示されている千葉ガスリビングと言う別法人の指定業者が営んでいるサービス店が、機器の販売や工事などのサービス業務を行っていて、街では千葉ガスの看板を掲げており、当然、その担当テリトリーでは、その業者が、千葉ガスの名前で仕事をしている。
   したがって、私の対応した千葉ガスも、この別法人の指定業者なのだが、責任や信頼関係としては、問題がないので安心ではあろう。
   しかし、問題は、消費者にとっては、千葉ガスにコンタクトすれば、すべて、このリビングを担当する指定会社が独占していて、他の選択肢がないと言うことである。

   私のように、ガス機器と工事を別に発注して組み合わせると言うことを行う為には、それなりに別な手続きを取るなり、多少の手間暇がかかり、厄介かも知れない。
   しかし、型番やモデルがはっきりしている工業製品の調達には、どこで買っても同じ商品であり、特別な場合を除いて、インターネット・ショッピングの方が、はるかに、安く調達できることは間違いなく、楽天やアマゾン、価格コムなどのシステムを通じて調達して、私自身、殆ど問題やトラブルを生じたことがない。
   カメラや電気製品、或いは、ワインなど、殆どの商品で、大型の量販店と比べても、寅さんが「カドは一流デパートの赤木屋、白木屋、黒木屋さんで紅白粉つけたお姉ちゃんにください、頂戴で頂きますと、・・・」と言っているのと違って、ネット・ショップは、販売店などの流通コストをカットして、倉庫なり、場合によっては、メーカーから商品を直送するので、安くなるのは当然である。
   ICT革命は、ユニクロデフレとは違った意味で、価格破壊の立役者であり、絶対に、顧客サービス等で差別化戦略を取らない限り、価格面では、リアル・ショップは太刀打ちできない筈で、ネットとリアルの主客逆転は、当然の趨勢であろう。
   まして、今回の千葉ガスのケースのように、機器とかの商品価格に、利益を上乗せして、顧客からコストを回収しようとしたり、それがダメなら工事代金をつりあげると言ったビジネスが、いつまでも続けられる筈がない。

   今回、福島の原発事故を機会に、東電のビジネスについて、色々な角度から問題視されているが、以前に、日当10万円の筈の作業が、途中に、東電の子会社や多くの地元業者が介在するために、実際に作業員が貰っているのは8千円だと言う現実をテレビで放映していたのだが、地域独占のガス水道電気、あるいは、通信等々公益事業の多くでは、既得利権を持った組織が絡むなど、旧態依然としたこのような常識では考えられないようなビジネス慣行が残っているのであろう。
   私の今回のガス工事などは、全く些細なことであろうが、手厚く保護された地域独占事業であればある程、顧客のために、良かれとサービスこれ努めるのが、公益事業ではないのかと言う思いで、多少苦言を呈することとした。
   
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インド・ウエイとイノベーション

2011年12月28日 | イノベーションと経営
   先日、早稲田大学で、「The India Way『インド・ウェイ 飛躍の経営』出版記念シンポジウム」が開かれたので出かけた。
   著者たちがウォートン・スクールの教授たちなので、案内は、ウォートンの同窓会から来たのだが、著者の内ジテンドラ・シン教授とハビール・シン教授が来日し、ジテンドラが、躍進するインド経済を説明し、ハビールが、著書のインディア・ウェイについて説明し、如何に、支配的なアメリカ経営にたいしてインド経営が、新しいマネジメントの潮流を生み出して、インド企業の成長戦略を創出しつつあるかについて語った。
   Nomura Research Institute India 中島久雄社長や早稲田大学アジア・サービス・ビジネス研究所長太田正孝教授が加わっての講演やパネル・ディスカッションがあったのだが、この本のブック・レビューは、後日に譲るとして、私なりに、今、脚光を浴びているリバース・イノベーションや、プラハラードのネクスト・マーケットにおけるBOP市場の台頭の核となっている新興国発のイノベーションについて、インド・ウェイと絡ませて考えてみたいと思っている。

   新興国で最貧困層の消費者をターゲットとした商品やサービスが生まれていると最初に指摘したのは、プラハラード教授の「ネクスト・マーケット The Fortune at the Bottom of the Pyramid」で、ここでは、ファベーラの住民相手に信用販売の新手法を打ち出して成功したブラジルのカサスバイアや住環境を改善するために貯蓄プログラムを編み出して大躍進したメキシコのセメックスや、ベルーやニカラグアの企業の例もあるが、格安で万能の義足を作ったジャイプル・フットや、失明を根絶する革新的な眼科手術システムを構築したアラビンド・アイ・ホスピタルなど大半のケースはインド企業のイノベーションであった。
   正に、新興国でなければ生み出せない革新的なブルー・オーシャン市場を開拓した、所謂、クリステンセンの破壊的イノベーションなのだが、この段階では、まだ、新興国の最貧困層相手の市場がターゲットであったが、今日では、アラビンド・アイのケースなどは、ハーバードの医学生ほか世界中から研修生が集まって来ると言うデファクト・スタンダードとなったり、このプラハラードのケースでも国際商品となるなど、リバース・イノベーション(逆イノベーション、本来、イノベーションは先進国発だが、これは逆)の様相を呈し始めている。

   リバース・イノベーションは、Harvard Business Review October 2009に、GEのJeffrey R. Immelt CEO, Vijay Govindarajan, Chris Trimbleが、”How GE Is Disrupting Itself”を発表して、インドで開発した1000ドルの携帯型心電計(ECG)MAC400や、中国で開発した1万5000ドルのコンパクト超音波診断装置(ラップトップPCを使用した安価な携帯型)を例として挙げて、「GEが、リバース・イノベーションをマスター出来なければ、新興国の巨人に会社を破壊されてしまう」と危機意識に駆られた論文で、一躍脚光を浴びることになった。
   心電計のMAC800などは、アメリカの医療機関の大半が使っていると言うほどの革新的な製品で、今や、GEのインドの研究所など新製品開発部隊は、米国に匹敵すると言う規模であり、GEのリバース・イノベーションに対する意気込みの凄さが分かる。

   リーバス・イノベーションについては、ヴィジャイ・ゴヴィンダラジャン教授の次の発展段階説で良く分かる。
第一段階:Globalization   
第二段階:Glocalization adapting global offerings
to meet local needs
第三段階:Local Innovation in country, for country
第四段階:Reverse Innovation in country, for world
   先進国の製品がグローバル市場に伝播するのがグローバリゼーションで、次は、ローカル・ニーズに合わせて先進国の製品を改良して提供するのがグローカリゼーションで、最後のリーバス・イノベーションの段階では、まず、ローカル・ニーズに合わせて新興国で開発され、その製品の質が向上して世界標準となって、グローバル市場に供給されると言うことである。

   ここで論じているBOP市場を目指した製品やサービスの開発、リバース・イノベーションの開発のためには、完全に新興国のローカル・スタッフに移管して任せてしまうなどと言った成功戦略が説かれているのだが、日本企業の対応を考えれば、大半の企業は、日本で生産ないし開発した製品やサービスをスペックダウンしたり材料や品質を落とすなどして廉価版にして、新興国や発展途上国市場をターゲットにしようとしているようだが、これは、ゴヴィンダラジャンが説くグローカリゼーションの段階であり、殆ど、話にもならない。
   論文で、財部誠一氏が、先のGEのイメルト論文を紹介してリバース・イノベーションの日本の成功例として中国のコマツの製品にすべてコンピュータが埋め込まれていて建設機械の一切の動向が東京で把握できるのだと書いていたが、これなどは、中国でスタートしたと言うだけであって、リバース・イノベーションが何たるかを全く分かっていない例であり、日本企業が、何でも自分たちでやらなければ気が済まないブラック・ボックスでテクノロジーやノウハウを囲い込む自社主義を経営戦略の要としている限りは、リバース・イノベーション戦略によるグローバル市場の攻略など無理であろう。

   ところで、インド・ウェイだが、一つの特質は、誰も注目しないところに創造的な優位性を見つけ出す国家的なビジネスリーダーの能力にあるとして、タタ・ナノを挙げる。
   アメリカの自動車メーカーと反対の方向に動いて、不可能と思われるような低価格帯でナノを速やかに売り出すために徹底的にデザインを創意工夫した。
   ガンジー的工学原則と言う「徹底した倹約と既存の知恵に挑戦する意欲」に基づく全く新しいデザインを工夫するとともに、組み立てと流通用のコンポーネントキットが地場産業に一緒に販売されて、地元の修理工場などの技師が車を組み立てる際のツールを提供するオープン・ディストリビューション・システムを採用して最廉価の車を生み出したのである。
   これこそ、新興市場のロー・エンドが持つ巨大な潜在力を探るために革新的モデルを開発する重要性を説いたBOPのプラハラード説に対する恰好の応えであろうと言うのである。
   先に述べたように、インド発のリバース・イノベーションは、日本人の製造業や技術者の発想や思想の埒外にあり、到底、現在の日本企業の新興国をターゲットにした経営戦略では、頭を根本から切り替えない限り、対抗不可能と言うことである。

   インド・ウェイで強調されていた、あるもので間に合わせる応急措置的な即興力と適応力のあるジュガードの精神や、資源や資力の乏しさを克服するための創造的な価値提案をせざるを得ない環境なども、インド人経営者に、イノベーションを強いる要因であろうが、いずれにしろ、このイノベーションを生み出す能力に秀でたインド人経営者の動向や彼らの創造しつつあるマネジメント手法には、注目する必要があると言うことである。




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国立劇場十二月歌舞伎~「元禄忠臣蔵」

2011年12月26日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   5年前に、この国立劇場で、3回にわたって、真山青果の「元禄忠臣蔵」全編が上演されたのだが、あの時は、吉右衛門、藤十郎、幸四郎の3人が、内蔵助を演じ分け、内匠頭もお浜御殿の綱豊卿も梅玉が演じたと記憶している。
   「仮名手本忠臣蔵」のように古典歌舞伎として定着した見せて魅せる舞台とは違って、真山青果の「元禄忠臣蔵」は、虚実皮膜と言うか、真に迫った臨場感豊かな芝居であるので、感情移入が容易であり、そのまま舞台に入り込めるのが良い。
   その翌年に、仁左衛門が綱豊卿を歌舞伎座で演じたのだが、素晴らしい上方役者たちの登場で、正に、感動的な舞台を見せてくれた。

   最初の「江戸城の刃傷」の場では、定番の内匠守の殿中での刃傷の直後から始まって、切腹のために庭先に向かうところまでだが、千両役者梅玉の内匠頭の死を前にした静寂な芸を見る楽しみとは別に、歌六演じる多門伝八郎の情けある捌きと、駆けつけた片岡源五右衛門(歌昇)を庭先に伺候させて目を合わさせるシーンなどが山場で、今回の舞台では、あくまで導入部の役割を果たしている。

   何故、大石が仇討を目指して苦悶しているのか、そして、赤穂浪士の吉良暗殺が何故重大な意味を持つのかと言った真山青果の意識の核心部分は、次の「御浜御殿綱豊卿」以降で展開されている。
   吉良の面体を知りたいばかりに、綱豊の愛妾お喜世(芝雀)の身元保障上の兄・富森助右衛門(又五郎)が、「お浜遊び」見学を口実に御殿に潜り込むのだが、それを知った綱豊が、御座に呼び出して、煽りに煽って大石たちの動向を問い詰め、大学跡目相続の嘆願と仇討との矛盾に苦悶する大石の心情を説き、それとなく浪士たちの仇討への願望を示しながら、助右衛門たちの仇討の思いを確かめて笑みを残して座を立って行く。
   その前に、綱豊は、新井勘解由(梅玉)に、儒学の教えには反するが、浅野家の再興よりも仇討を応援したいと「討たしたいのう」と心情を吐露して、白石が涙を拭って応える。
   綱豊が、将軍にお家再興を嘆願して仇討の目がなくなったと早とちりした助右衛門は、能衣装を身に着けた綱豊を吉良と勘違いして切りつけるのだが、取り押さえられて、「義人の復讐とは、吉良の身に迫るまでに、本分をつくし至誠を致すことだ」と一喝される。

   この綱豊卿の舞台は、梅玉と仁左衛門の芝居を見ているが、二人とも匂う様な気品があって惚れ惚れとするお殿様ぶりであったが、吉右衛門は、また、別な風格と気品があるのだが、もう少し骨太で、どことなく野人の雰囲気があって、助右衛門を煽っていても丁々発止の迫力の差なのであろうか、響きに重厚さが増す。
   その意味でもあろうか、又五郎が、負けじとばかり全身全霊をぶち込んで、綱豊に立ち向かって挑戦しており、襲名披露後の進境著しさを感じて爽快であった。
   心を決めておきながら、明日、登城して綱吉に直々に願い出て認められると仇討ちの機会がなくなるぞ助右衛門を煽り、キッとした口調で「憎い口を利きおったぞ」と富森に言葉を残して笑みを浮かべて部屋を出て行く綱豊の余裕と、感極まって敷居を越えて綱豊に近づき涙を流して綱豊を凝視する助右衛門の火花の散るような魂と心の葛藤、正に、魅せるシーンである。

   大詰めは、「大石最後の一日」で、大石たちがお預けとなった細川家での切腹の当日の話である。
   同士を見送って、最後に、見送りの堀内伝右衛門(歌六)に、「初一念が届きました」と微笑んで、大石が、切腹の場へ向かって花道を去って行くところで終わるのだが、磯貝十郎左衛門(錦之助)とおみの(芝雀)の仇討に散った激しい恋が、実に切なくて感動的であり、ふたりを引き合わせようと必死になって奔走する歌六演じる伝右衛門と大石の優しさ温かさが、胸に響く。
   この二人の舞台は、前回も同じであったが、仇討のために結納の直後に消えた許嫁の本心を知りたい一心で生きて来たおみのの壮絶な思いと、結納の席で連れ爪弾いた琴爪を後生大事に懐中に忍ばせていた磯貝の至誠。大石は、それを知っていて、磯貝に琴爪を出せと命じるが、おみのにとっては、それで充分。泣き崩れるおみのに、知らぬ存ぜぬと拒み続けていた磯貝は、感極まって「婿に相違ござらぬ。」と叫ぶ。

   芝雀は、綱豊卿と助右衛門の板挟みになって右往左往するお喜世も様になっているが、このおみのの一途に思い詰めて、大石の諌めも願いも蹴って必死に「偽りを誠にしてみせる」と縋り付く姿は、正に、感動的で、この時だけは不思議にも、芝雀が女形であることを忘れてしまっていた。
   それに、今回は、歌六が、良い役に恵まれていたこともあるが、公明正大で潔白な目付の多門伝八郎の胸のすくような演技も良いが、この人情味あふれる伝右衛門も感動的で、おみのを語る時の長台詞の語り口の上手さは抜群である。

   最後になったが、吉右衛門は、歌舞伎ファンが、最も期待している大石内蔵助像を、最も的確に演じ切って、観客を満足させて喜ばせている歌舞伎役者であろうと思う。
   特に、今回の真山青果の「元禄忠臣蔵」のように、長台詞が、殆どを語り切ってしまっているような舞台では、その陰に隠れた心の叫びと言うべき奥に秘められた宝物のような作者の熱情を炙り出すことが必須であるのみならず、本当の大石なり綱豊卿の魂に乗り移ったような迫真の演技が要求されると思うのだが、そのあたりの芸の確かさは、流石であると感じ入りながら鑑賞させて貰った。
   梅玉は、正に、はまり役を、何時もながら立派にやりおおせているので文句の付けどころがなく、華のある舞台であった。
   今回、細川内記で登場した初々しい鷹之助を見て嬉しかった。
   
   ところで、忠臣蔵を見ながら、いつも思うのだが、この浅野内匠頭の切腹事件は、当時、繁栄を極めて大きな収入源になっていた赤穂の製塩業に対して、将軍綱吉と吉良義央の幕府側が、強引に製塩技術と塩販売の利権の譲渡を要求しており、この利権争いが伏流にあったと言う事実と、大石内蔵助が、製塩業で敏腕を振るおうとしていた実業家的な家老であり、スペイン文学をも学んだ学者で近松門左衛門の友人であったと言う歴史的な事実を、もう少し勘案すると、大石内蔵助像が全く変わってくる。
   そのあたりに視線を移した大石の一代記を忠臣蔵と絡ませて描いた舞台が出来れば面白いと思っている。
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男はつらいよ・寅さん映画の思い出

2011年12月25日 | 生活随想・趣味
   WOWWOWで、年末年始にかけて、「男はつらいよ」全編の放映が始まった。
   以前に、NHKBSで放映されたことがあったので、あの時も見たのだが、実は、私には、寅さんの映画には、大切な思い出がある。
   「男はつらいよ」の第1作は1969年だが、私が初めて見たのは、JALの機内か、アムステルダムのホテル・オークラか忘れたが、マドンナが竹下景子で、三船敏郎と淡路恵子の大人の恋を描いた第38作の「知床旅情」であったから、もう、20年くらい経ってからである。
   それまで、映画館には殆ど行かなかったし、海外勤務や海外出張が多かったので、映画を見るのは機内でくらいだったし、それに、人気とは裏腹に、どうせ娯楽映画であろうと言うくらいの認識しかなかったので、チャンスがなかったと言うことである。

   アムステルダムに居た時、娘が友達から寅さん映画のビデオを3本借りて来たので、Hi8に録画して、家族で楽しんでいた。
   沢山の日本のビデオも持ち込んではいたが、寅さんを何度も繰り返して見ているので、その後、東京へ出張する度毎に、4本5本とビデオにダビングして持ち帰り、途中、ガードがかかって録画できなくなってからは、市販のビデオやレーザーディスクを買って帰るなどして、ビデオで出ているすべての寅さん映画を、最初はオランダ、その後はイギリスで鑑賞した。
   最後の2巻くらいは、帰国して日本で見たのだが、家族全員が寅さんファンになってしまっていて、特に、娘二人などは、日本を離れて久しく、寅さん映画で日本を感じ、日本の空気を吸って生活して来たみたいなものであるし、それに、数年間で、寅さん映画を殆ど凝縮して見たのであるから、懐かしさも一入であろうと思う。
   ヨーロッパでは、学生時代に歌っていた歌の文句ではないけれど、私自身、「フィラデルフィアの大学(院)を出て、ロンドン・パリを股にかけて」ヨーロッパを走り回っていて殆ど留守をしていたので、寂しさを慰めるためにも、家族にとっては、寅さん映画は恰好の娯楽であり、私にとっては、願ってもない助っ人であったのである。
   娘二人とも、アガサ・クリスティの大ファンでもあったので、ヨーロッパ文化と日本文化とが、上手くバランスが取れていたのであろうと、海外生活で苦労させた罪滅ぼしでもないが、自分を慰めている。

   ところで、私の方であるが、娘と同じように、寅さんを見ながら、日本を感じ続けていたのだろうと思う。
   日本に帰ってから、その後、仕事の関係で、北海道の稚内から沖縄まで、全国を回るようになって、仕事の合間に、所々、歩きながら、寅さんの舞台を反芻することになったのだが、実際に現場に立つのと、異国で望郷の思いで「男はつらいよ」を見るのとでは、大分、感慨が違っていて、逆に、日本のふるさとの風景の中にどっぷりとつかりながら、何故か、異国での懐かしい思い出が走馬灯のように脳裏を駆け巡り胸を締め付けられるような気持になって茫然とすることがあった。
   寅さんのテーマ音楽を聞いただけで、丁度、パブロフの犬のように、私の心にスイッチが入って、懐かしい映画の日本風景が走馬灯のように脳裏を駆け巡って来て、一気に色々な思いや感情が湧き上がって来る。
   そんな、貴重な映画であった。

   当時は、ベルリンの壁の崩壊前後の10年間くらいであったから、ヴォ―ゲル教授が、Japan as No.1と持ち上げ、日本経済が最盛期の頃であり、我々海外で仕事をしている日本人は、正に、良い意味でも悪い意味でも、1等国の誇りと意気込みで働いていた。
   しかし、私自身は、それまでに、アメリカやブラジルで勉強し仕事を経験していたし、ヨーロッパとの付き合いも長かったので、日本の本当の姿なり立ち位置については、かなり冷静に見ていたので、ヨーロッパの文化や文明の素晴らしさは承知で、それを学ぶためにあっちこっち動き回っていた。
   その代り、昔、京都や奈良を頻繁に歩いて、曲がりなりにも日本の誇るべき歴史や伝統についても多少の知識があるとうぬぼれていたので、イギリスやヨーロッパの友人・知人たちに、日本を語って聞かせ、日本について議論することが結構あったし、ジャパン人気で、良く聞いてくれた。
   そんな私の話を、豊かに増幅してくれたのは、正に、寅さん映画で私の血肉となっていた日本への思いと日本の姿であった。
   サザエさんと同じで、日本の実際の姿より、少し、庶民感覚で脚色しているところはあっても、カレント・トピックスを適度にアレンジして、日本人の生活と心を、あれほどビビッドに鮮やかに描いている映画はないであろうし、何よりも心にしみる日本人の心を叩き込んだ追経験なり代理経験を味わえるのが堪らなかった。
   長い海外との付き合いで、結構、苦しいことも楽しいこともいろいろ経験して来たけれど、この寅さん映画のお蔭もあるのだが、結局、益々日本の良さと言うか素晴らしさを実感することになって、私自身、日本人であると言う思いを痛い程身に沁みて感じながら誇りを持って、生きているような気がしている。

   渥美清が、希代の名優であることは、誰もが認めるところであり、語れば蛇足になるので、止めるが、私は、一度だけでも良いから、渥美清の演じるシェイクスピアの戯曲を聴きたかったと思っている。
   悲劇も喜劇も断トツに上手い両刀使いの渥美清の、滔々と聴く人の心の奥底に語りかけて感動を呼ぶ語り口の素晴らしさは抜群であり、想像もできない程の舞台を創り上げてくれたであろうと思っている。

   多くの日本の素晴らしい女優との恋物語にワクワク、時にはほろりとしながら見ていたのだが、笠智衆を筆頭に倍賞千恵子など脇を固める助演陣が、又、実に素晴らしい。
   それに、替わりばんこに登場する日本の誇る素晴らしい名優たちが、感動的な舞台を見せてくれるのも大変な楽しみであった。
   志村喬の今昔物語の話、森繁久弥の島の老人、田中絹代の農家のおかみさんの語る渡世人の死、画家の宇野重吉と岡田嘉子との恋、陶芸家の仁左衛門、マドロス姿の島田正吾、知床の獣医三船と淡路の恋、小林桂樹と樫山文枝との恋、それに、柳家小さん、小沢昭一、宮口精二、嵐寛寿郎、小暮実千代、ミヤコ蝶々、京マチ子、松村達雄。私より古い世代の名優たちだが、夫々、実に感動的な芸を見せていていぶし銀のように光っていた。

   昨日、テレビを見ていたら、第15作の「寅次郎の相合い傘」を放映していて、船越英二が、家出して旅に出た小樽で、初恋の人を人目見たいばっかりに、彼女の喫茶店へ客として訪れるシーンが出て来て、一言も発せずに店を出るのだが、鞄を忘れて出て来たので、彼女が持って出て来て、玄関口で名前を呼ばれる。
   彼女・岩崎加根子が、入ってきた時から分かっていたと言って、お入りになったらと誘うのだが、電車の時間がありますからとか言って、その場を去って行く。
   夕暮れの港で、あの人と結婚しておれば幸せになれたのにと涙ぐむ船越に、女一人幸せにできない情けない奴と言った寅に、リリーの浅丘ルリ子が反発して喧嘩別れ。
   そんな話だが、寅さんの恋も面白いが、このようなサブテーマの恋物語に、先の三船や宇野の恋物語もそうだが、しみじみとした味わいがあって、好きである。
   私など、気の弱い方だから、船越のだらしなさが痛い程良く分かる。

   ところで、私も仕事や個人的にも、随分、あっちこっちを旅して来たが、残念ながらと言うべきか、寅さんのように、語れるような恋物語はなかった。
   確かに、随分、海外も国内も、一時は旅に明け暮れたような生活をしていたので、多くの美しくて魅力的な女性にめぐり逢って、それなりの思いを感じては来たものの、それだけで、すべて忘却の彼方である。
   ただ、旅に出ると非常に人恋しくなったり、人の人情の機微や温かさが身に沁みて、心が何となくハイになることは事実で、やはり、旅は、寅さんでなくても、非日常の特別なシチュエーションを作り出してくれるようである。
   
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趣味は読書ですと言えるのであろうか

2011年12月23日 | 生活随想・趣味
   昔、履歴書なんかに、趣味と言う項目があって、何を書けばよいのか、迷ったことがある。
   大辞泉によると、趣味とは、1 仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄。「―は読書です」「―と実益を兼ねる」「多―」2 どういうものに美しさやおもしろさを感じるかという、その人の感覚のあり方。好みの傾向。「―の悪 ...」と書いてある。
   昔から、私は、読書やレコード鑑賞と言ったものなら、すぐに書けるが、これなどは、好きでやっているような程度なら、趣味と言えるほど大げさなことでもないし、また、海外美術鑑賞旅やオペラやクラシック音楽鑑賞のための欧米旅行などということなどになると、1年に一回程度行くだけなら、本人にとっては大そうなことかも知れないが、趣味とは言えないような気がする。と言った感想を持っていた。
   欧米に暮らしていた時には、頻繁に、あっちこっちの美術館や博物館、劇場、コンサートなどを巡っていたので、これらの鑑賞も趣味と言えたが、帰国してからは、例えば、イギリスの頃とは違って、シェイクスピア劇鑑賞も、殆ど機会が少なくなってしまったので、シェイクスピア劇鑑賞と言っても、戯曲を読むだけになってしまった。ので、趣味とは言えなくなってしまったと思っていたのである。
   しかし、大辞泉の2の項目の「どんなものに美しさや面白さを感じるのかその人の感覚のあり方や好みの傾向」と言うことなら、頻度や関わりの深さを問題としている私の趣味感は、少し、ずれていると言うことになる。
   
   音楽鑑賞の場合にも、私は、実際に劇場やコンサート・ホールに出かけて、生演奏を聴いて楽しむのを鑑賞と考えていて、DVDやCDで楽しむのは、いうならば、今様レコード鑑賞であって、同じ音楽鑑賞であっても、全くジャンルが違って来ると思っている。
   この差は、実際に海外旅行をするのと、海外旅行の番組をテレビや映画やビデオで見たり、海外旅行記を本で読んだりするのと同じで、実体験と臨場感など経験的な観点から言っても全然別物だと思うのだが、それよりは、音源の違いによる差と言う要素もあって、旅程の違いはないのかも知れない。
   しかし、昔、日本の音楽評論家など、クナッパーツブッシュなどの実演を聴いたこともないのに、レコードだけ聞いただけで貶して、某日本人指揮者を褒め上げていたのを知っているが、これなどは、比較以前の良心の問題であろうと思う。

   音楽でも芝居でも、やはり、実演に接するのと、奏者なり役者が眼前で、生身の体で芸術を演じているので、機械的に反復される記録媒体とは、雲泥の差があるように思う。
   まずもって、コトが行われる場所へ出かけると言うことから始まって、劇場での臨場感や雰囲気そのものも一種の鑑賞のセレモニーの一瞬であるし、何よりも、鑑賞の対象である奏者なり役者が、眼前で演じており、同じ空間を共有して呼吸していると言う掛け替えのない経験が、音楽そのものを聴くと言うことと同時に、何よりも大切なのである。
   音楽や物語など、細かいディーテールなどは、劇場での鑑賞時よりも、テレビなどで見ている方がはるかに良く分かるのだが、感激なり喜びなりの感覚や感動は、劇場での方がはるかに強い。不思議だが、私の経験ではそうである。
   したがって、同じ音楽鑑賞や観劇鑑賞でも、趣味としての違いはかなり大きくて、芸術云々、芸云々と言うことになると、もっと、差が大きくなるのではないかと思っている。

   さて、趣味は読書です、と言う感覚だが、「どんなものに美しさや面白さを感じるのかその人の感覚のあり方や好みの傾向」と言うことになると、私の場合には、読書が趣味と言うことになる。
   面白さを感じると言うよりも、読者そのものが、私の生活の重要な部分を占めていて、食べ物を食べて生きているように、読書をしながら、仕事も楽しみも娯楽も、すべて、読書が中心で動いていると言うことであろうか。
   生き甲斐だと言うつもりはないが、生活時間の相当部分を読書が占めているのだから、本のない生活など考えられないと言うことである。

   東京に出れば、と言っても、片道1時間と少しだが、必ず、書店の2~3軒ははしごして、時間があれば、神田神保町に出かけて行き、読めもしない筈なのだが、何冊かの本を求めて帰ってくる。
   速読術ではなく、じっくり味わいながら傍線を引いたり付箋を貼って読んでいるので、読むのはかなり遅いのだが、もう少し若くて元気な頃には、専門書的な本が主体で、年間、200冊は下らなかったのだから、これまでの人生でも、何千冊かを読んだと言うか、本を通り過ぎたことになる。
   今では、読書量も、随分少なくなってしまったが、それでも、本に囲まれた生活は変わっていない。
   e-Bookや電子書籍や、タブレットには全く興味がないので、分厚くて重い紙媒体の本であり、地震の度毎に書棚から転げ落ちる。

   しからば、「美しさや面白さを感じるのか」と言うことだが、確かにそう感じているから本を読んでいると思うのだが、もう少し言葉を変えると、知らなかったことを知る喜びと言うか、新鮮な知や美や善に触れる喜びと言うか、それを経験したくて、それを求めて本を読んでいると言う気がしている。
   幸せなことは、友人の多くは、歳の所為で目が悪くなって本を読むのが辛くなってきたと言うのだが、私の場合には、近視用メガネを掛けてはいるが、全く苦痛なく何時間も机に向かうことが出来ると言うことである。
   この幸せついでが、私の趣味読書を支えていると言うことのようである。
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十二月大歌舞伎・日生劇場~「碁盤忠信」「茨木」

2011年12月22日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の歌舞伎は、日生劇場が舞台で、七世松本幸四郎襲名百年記念と銘打って、その曾孫である染五郎と松緑と海老蔵の3人が、夫々主役を演じる縁の作品が上演されている。
   梨園と称される血筋重視の閉鎖的な歌舞伎の世界ではあるが、この七世松本幸四郎は、歌舞伎とは関係のない素人の子供で、数え3歳のとき、振付師・二代目藤間勘右衛門の養子となり、1880年(明治13年)に、九代目市川團十郎の門弟となり、市川金太郎を名乗って舞台に立ったと言う歌舞伎界の名優である。
   十一代目市川團十郎、八代目松本幸四郎、二代目尾上松緑と言う偉大な名優の実父と言うことであるから、その歌舞伎界に残した功績には計り知れないものがあり、その曾孫である、これも、今の歌舞伎界を背負って立つ若手のホープ3人が、顔合わせによって名舞台を披露するのであるから、会場も、若い女性ファンが詰めかけるなど華やいだ雰囲気に包まれている。

   私が観たのは昼の部で、「茨木」は、渡辺源次綱(海老蔵)が、鬼退治で羅生門で切り落とした左腕を、茨木童子(松緑)が、伯母真柴(松緑)に化けて自分の腕を取り返しに来て、騙して腕を得て本性を現した鬼と、大立ち回りを演じると言う話である。
   舞台が開くと、バックには能舞台を思わせるような一本の巨大な松が描かれていて、その前に、ずらりと、長唄連中が緋毛氈の雛段に居並ぶという河竹黙阿弥の松羽目物の舞踊劇である。

   舞踊劇なので、殆ど謡で語られるのだが、トーンを落として野太い声で語りかける海老蔵の声音が、舞台がら、能狂言ともニュアンスの違った響きで面白いが、このような前半殆ど動きのないシーンでも、最後の大きく立ち回るシーンでも、海老蔵の見得や動きが様になっていて素晴らしい。
   主役は、やはり、松緑の伯母真柴と茨木童子であるが、前半の、綱に対面を断られて引き下がる愁いを帯びた嘆き悲しむ仕種など、新境地だと思うのだが、丸顔で目がパッチリ開いた顔に、老婆らしく皺などの、或いは、鬼らしく熊取をしているのだけれど、どう見ても童顔だけに、化け猫のような雰囲気で、折角の押さえて切り詰めた芸の素晴らしさが、ストレートに来ないのが惜しいと思った。
   この話は、平安時代だと言うことだが、当時は、盗賊など世間を荒らしまわる悪人たちを鬼と称していたようで、この茨木童子は酒呑童子の家来で、坂田金時(金太郎)など頼光四天王たちが、この鬼たちを退治している。

   さて、興味深いのは、染五郎が演じる義経の忠臣佐藤忠信の『碁盤忠信』だが、七世松本幸四郎が明治44年11月の襲名披露興行で一度だけ上演した狂言で、それを百年ぶりに染五郎が復活させて演じると言うのである。
   ところが、創作の手掛かりは、台本と、雑誌『演藝畫報』に掲載されていたモノクロの扮装写真と、舞台面については、帝劇に一枚だけ写真が残っていたということで、これらを参考にして創り上げたと言うのであるから、殆ど完全に古典歌舞伎の手法に則った創作歌舞伎である。
   あの頃の歌舞伎は、シェイクスピア時代と同じように、演じられる度毎に演出や舞台が変っていたと言うのであるから、当然、決定版と言ったものではなかった筈で、染五郎が、自身の経験や習得した知識や芸術論を総合して作り出した舞台であって、観客が楽しめれば、上出来なのである。
   私自身は、古典もの、特に、荒事の芝居は、話の筋などは二の次で、辻褄が合わず奇想天外であっても、魅せて見せれば良いと思っているので、今回のこの「碁盤茨木」の随所に視覚的な新境地を開いた舞台を楽しむことが出来た。
   忠信が、多くの捕り手たちを相手に、碁盤を振り回して大立ち回りを演じるのだが、捕り手たちを使ってのマスゲーム的な群舞(?)やロープのすっぽ抜けなど現代的な手法を随所に取り混ぜて演じるなど、斬新な面白さがあったし、染五郎のイメージチェンジと言うか、線の細さを克服した荒事の典型的な派手でエネルギッシュなパーフォーマンスなどは、父の幸四郎や叔父の吉右衛門とは違った迫力があって、魅力全開であった。

   上村以和於氏が、「『碁盤忠信』の大詰、同じ二本隈を取った相似形のような扮装で海老蔵とふたり並ぶと、睨んでご覧に入れるのが身上の海老蔵が浚ってしまうのは、気の毒だが仕方がない。」と書いているが、これは、定番の海老蔵とを比較するからの評論で、私は、成田屋とは違ったニュアンスの睨みや見得があっても良いと思っている。
   それに、今回の「碁盤茨木」にも少し批判的だが、復活創作第一号バージョンであるから、最初から批判のない決定版などあり得ないのであるから、手垢のついていない新鮮な演出と舞台であっただけでも、上出来だと思っている。

   ところで、この歌舞伎では、寝返った舅・小柴浄雲(錦吾)が酒で酔わせて忠信を殺害しようとするのだが、別には、忠信は京へ入り、四条室町の愛人かやをたずねて隠れ住もうとしたのだが、既に心変わりして敵に内通しており、酒に酔わせて襲わせるのだが、刀はかやに隠されてしまっていたので、近くにあった重い榧の碁盤を振り回して戦い、その場を逃れたと言う逸話が残っていて、碁盤忠信と言うことになっていると言う。
   染五郎は、「今、新しい作品をつくろうとすると、どうしても面白いストーリーを、と考えます。でも、歌舞伎は物語だけによってあるのではない。むしろ目や耳、五感を楽しませてこその歌舞伎だという想いがありました。そういう歌舞伎が、『碁盤忠信』ならばできるのではないか。歌舞伎本来の時代な芝居がつくれるのではないかと思いました。」言っている。
   碁盤忠信の意味は兎も角、碁盤を枕にして寝込む忠信の夢枕に、亡き妻小車(高麗蔵)が現れて、碁盤を写し出して、敵に囲まれているのを暗示させるなど結構面白くなっているし、これだけ、見せ場もあり楽しめる舞台を創り上げた染五郎の奮闘努力を多としたいと思っている。

   
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ウォルター・アイザックソン著「スティーブ・ジョブズ」Ⅱ~オープンかクローズドか

2011年12月21日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   このスティーブ・ジョブズ全編を読んでいて、最大の関心事は、ジョブズのイノベーション連発の発想と姿勢であった。
   まず、ジョブズのジョブズたる所以は、やはり、世界の潮流から逸脱したジョブズしか出来なかったであろう個性と製品を一つに纏める”統一場理論”とアイザックソンが指摘するハードウエアとソフトウエアとコンテンツを統一して一貫したシステムにする統合システムである。
   ジョブズは、完璧を求めるが故に、アップルの凄いソフトや完璧な製品が、勝手なアプリやコンテンツで汚されることを徹底的に嫌って、アップルの製品については神経質なほど、エンドツーエンドでコントロールしようとした。

   尤も、ジョブズは、一度だけ、マッキントッシュのオペレイティングシステムで、粗悪な製品が勝ってしまったんだと言って、ウインドウズが勝利したことを認めて、アップルの時と同じやり方をしようとしたのは間違いだったと言っている。
   しかし、その後のiPodやiPadなどでは、このクローズド・システムで勝利していて、ジョブズは、殆どオープンシステムには関心を示さなかった。
   このオープンかクローズドかと言うことについて、ジョブズとゲイツは、最後の会談で、お互いに成功したことを認め合っているのだが、その後、ゲイツは、「スティーブが舵を握っているあいだは統合アプローチがうまく行きましたが、将来的に勝ち続けられるとは限りません。」と言っている。
   このゲイツの見解をジョブズに伝えたら、そんなばかなことがあるかと笑ったようだが、それでは、エンドツーエンドの統合で凄い製品を作った会社はどこがあるかと聞いたら、考え込んで、「自動車メーカーだな」と言って「少なくとも昔はそうだった」と一言付け加えたと言う。

   私は、ジョブズのような完璧主義の全経営権を握ったカリスマイノベーターの場合には、ある特定の製品やシステムのイノベーションには成功できる場合があるとは思うが、ソニーのような権力や経営体制が分権化した大企業などの場合には、クローズドシステムでの統合システムが、成功することは殆ど有り得ないと思っているし、もし成功したとしても、アップルのように決定的な世界標準を握ることなどは有り得ないと思っている。
   非常に限られた特定の商品やサービスでの統合システムでのブルーオーシャン的なイノベーションは、あるかも知れないが、質やスケールの大きさ深さにおいて高度化複雑化して来た今日では、単一の企業が、技術ノウハウをブラックボックス化して価値あるイノベーションを生むのは至難の業で、オープンシステムやアウトソーシングによって外部の知識情報ノウハウ・テクノロジーを糾合しない限り不可能であるからである。

   アップルの見事なところは、以前にも書いたことがあるが、統合システムのイノベーションで断トツの利益を叩き出しているが、その殆どは、iPodにしろiPadにしろソフトなど周辺の魅力的なビジネスモデルではなく、製品の売り上げによると言うことである。
   コンピューター・メーカーがどんどんコモディティ化して行く中、アップルのPC市場における売上高では7%に過ぎないのに、営業利益の35%を占めていると言うことであり、ソフトの魅力も、コンテンツの魅力も、トータル・システムの素晴らしさも、すべからく、製品の魅力と利益アップの為なのである。
   プリンターやカメラを価格破壊でダンピングして売って、純正と銘打ってインクやペーパーの消耗品の売り上げで利益を叩き出そうともがいているどこかの国の製造業と大違いであるのが面白い。
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スティーブ・ジョブズは「世界はひとつなんだ」と言う

2011年12月19日 | 生活随想・趣味
   スティーブ・ジョブズは、アップルを追われた直後のヨーロッパツアーが最高だと言う。
   メキシコや南太平洋、地中海などに家族旅行を楽しんだようだが、晩年、豪華なクルーザーの建造計画も進めていて設計に入れ込んでいたらしい。
   クルーズで、イタリアからアテネ、エフェソスを経て、イスタンブールに行った時、歴史学の教授の案内でトルコ風呂に行き、説明を聞いていた時に、若者のグローバリゼーションについて閃きを感じた言う。

   ジョブズは、本物の啓示だと言うけれど、何故、こんなことが閃きかと思うのだが、トルココーヒーを飲んでいる時に、教授は、トルココーヒーの淹れ方が他の地方と違うことをしきりに説明したのだけれど、トルコを含めて、どこの若者がコーヒーのうんちくを気にするのかと思ったと言う。
   イスタンブールを歩いて、沢山の若者を見たが、他の国の若い連中と同じ飲み物を飲み、同じような服を着て、携帯電話を持っており、しかし、トルコ電話なんてものもなければ、他の地域と違ったトルコの若者だけが欲しがる音楽プレイヤーなんてものもない。
   世界はひとつなんだ。と言うのである。

   世界はひとつだと言うニャンスと表現がよく似たのが、トーマス・フリードマンの「世界はフラットだ The World is Flat」と言う言葉だ。
   世界は本当にフラットかと散々非難を浴びたフリードマンは、「フラット化する世界」の改訂版を出して、
   「厳密にいえば世界はフラットではない。しかし、丸くもない。フラットと言う単純な概念を使ったのは、これまでになく平等な力を持った人々が、接続し、遊び、結びつき、協力し合うようになった、といいたかったからだ。」と書いている。
   昨日放映された「坂の上の雲」で、ロシアのバルチック艦隊が、対馬海峡か津軽海峡かどの方向からウラジオストックに入るのか分からず、日本海軍をどの位置で待機させるかが、まさに、戦略戦術の要諦であったと言うことだったが、ICT革命なった今日では、こんなことは、何の努力をしなくても先刻お見通しとなる。
   先の若者のグローバリゼーションも、フリードマンのフラット化も、まさに、デジタル革命によって引き起こされたICT技術とその影響による人類史上未曽有の大革命のなせる業なのである。

   この通信と情報の革命的な進歩によって、世界の片隅に起こったニュースが、一気に地球上、すなわち、グローブを駆け巡って地球の隅々にまで伝播して行く。
   20年以上前に起こったベルリンの壁の崩壊時は、無線やラジオ、或いは、TVで、鉄のカーテンに囲まれた地域の人々は、壁の向こうの西欧の民主主義と豊かな生活の情報を得て蜂起したのだが、今や、北アフリカや中東のアラブの春革命を見れば分かるように、ユーチューブ、ツイッター、フェイスブック等インターネットを通じて臨場感あふれる情報が世界を瞬時に駆け巡り、世界中が現実を等しく共有できる。

   昔は、先端を行く芸術やファッションや科学・技術など舶来情報は、殆ど、海外の書籍や雑誌、映画などから伝わり、その後、テレビに移ったのだが、今のICT革命による情報の瞬時の爆発的な氾濫は桁外れで、それ故に、仮想の世界ではあるが、世界はフラットになり、ひとつになる。
   フランスの少女たちが、「かわいい」と言って日本の少女の真似をし、アメリカの若者たちが、日本のアニメに殺到するなどジャパン・クールが世界中の若者たちの心を捉えているのも、やはり、ICT革命故である。

   さて、世界はフラット化して、若者たちはグローバル化したと言うのだが、日本の若者たちは、グローバリゼーションから取り残されて、殆ど成長が止まってしまって政治経済社会を変革できなくなってしまった日本の現状によって、閉じ込められてしまったのではないかと言う気がしている。
   今秋、幸いにも、二つの大学で、学生たちに講義をする機会を得て、主にブラジルなどBRIC'sの現状や新興国でのビジネス戦略などについて語ったのだが、私自身は、マイケル・サンデルが脚光を浴びていたので、アメリカのビジネス・スクール時代を思い出して、対話形式で講義を進めようと試みたのだが、学生たちは非常におとなしくて、殆ど反応がなくて出来なかった。
   学生たちは熱心に聞いていてくれたし、非常によく勉強して頑張っていると言うことだったが、やはり、知識を吸収して良い成績を取って良い会社に入ろうとしていた我々が学生であった頃の傾向がそのまま残っているのか、もう、40年以上も経っているのに、不思議な気がした。
   私の講義などは、実務者の話なので、成績云々には関係ないと思うのだが、徹頭徹尾、日本の若者たちは、おとなしくなって社会の激動にも反応しなくなってしまったのか。
   私などは、穏健な方だったと思うのだが、それでも、安保反対などと叫んで京都の河原町に繰り出していたし、いまだに、激しくデモを続けているフランスやアメリカの学生を見ていると、日本が成長したのかそうでないのか、良くなっているのかそうではないのか、分からなくなってしまう。

   私は、元々、いまだに権力を握って既得利権の維持に汲々としている老年のエスタブリッシュメントは、出来るだけ早く退場して、若者たちに道を譲って、日本の舵取りを任せるべきだと思っているので、いくら大人しくなっても日本の若者を信じている。
   知恵と経験に裏打ちされた発想やものの考え方には、老人に一日の長はあるだろうが、それは、あくまで参考にすれば良いだけで、権力は完全に若い世代に譲渡さなければ、明日の日本はないと思っている。
   それが、スティーブ・ジョブズが閃いた若者のグローバリゼーションであり、フリードマンの感じたフラット化した世界の本当の意味ではないかとと言うことである。
   
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ウォルター・アイザックソン著「スティーブ・ジョブズ」Ⅱ~ソニーとの差

2011年12月17日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   このⅡ部には、アップルが、ソニーとの競争で何故勝ったのか、ソニーとのイノベーションとの取り組みに関する対応の差など、何ヵ所かで書かれていて、非常に興味を持った。
   これまで、このブログで、ソニーのお家芸であった筈の破壊的イノベーションによる新製品の開発が止まってしまって、持続的イノベーションばかりに傾注して革新的なヒット商品を打ち出せずに、アップルや任天堂に先を越されたのみならず、コモディティに堕してしまったTVなどコンス―マー・エレクトロニクスをコアに事業を展開するなど、歌を忘れたカナリア状態にあることについて、何度も書いて来たので、特に、スティーブ・ジョブズのソニーに対する見解については、大変関心があった。尤も、どこまでがジョブズの考えなのかは、アイザックソンの文章なので推測するしかないのだが。

   ソニーが、アップルに出し抜かれたのは、間違いなく、iPodとiTunesの新機軸が、ウォークマンを凌駕した時である。
   2003年、アップルが、iTunesストア発表した週に開かれたソニーの新年度年頭訓示総会で、ソニーミュージックのトップになったアンディ・ラックが、iPodをポケットから出して、
   「これがウォークマンキラーだ。怪しげなところなどどこにもない。こういうものが作れるように、ソニーは音楽会社を買ったんだ。君たちならもっと良いものが作れる。」と檄を飛ばしたが、しかし、ソニーには出来なかった。
   ウォークマンでポータブル音楽プレイヤーの世界を拓いた実績もあれば、素晴らしいレコード会社を傘下に持っている。美しい消費者家電を作って来た長い歴史もある。ハードウエア、ソフトウエア、機器、コンテンツ販売を統合すると言うジョブズの戦略に対抗するために必要なものはすべてそろっているのに、何故、ソニーは失敗したのだろうか、と、アイザックソンは問いかけて、二つの理由を挙げている。

   ひとつは、ALOタイムワーナーなどと同じように部門ごとの独立採算性を採用している点だろう。そのような会社では、部門間の連携で相乗効果を生むのは難しい。
   アップルは、損益計算書を持つ部門はなく、会社全体で損益を持つと言うのだが、これは、損益の問題と言うよりは、部門間の連携がスムーズに行われないセクショナリズムが蔓延する日本の組織構造の典型であり、部分最適が幅を利かせて全体最適の文化に乏しい結果の表れであろう。
   まして、出井信之氏さえ自身の意思命令を、全社的には勿論、技術部門などへも十分に伝達出来なかったと言うのであるから、ソニーそのものが、大企業病に侵されて制度疲労をしていたのだから、尚更であろう。
   
   このソニーの部門間の調整不能現象については、ジョブズのiTunes交渉に加わっていたレコード会社のトップたちは、長い間同じような交渉をソニーとしていたのだが埒が明かず、ソニーではどうにもならないと縁を切って、アップルに乗り換えたのだが、ユニバーサル傘下のJ・イオヴォインなどは、「どうしてソニーがダメだったのか分からない。史上有数の失策です。アップルの場合、社内で協力しない部門は首が飛びます。でもソニーは社内で部門同士が争っていました。」と言っている。

   もう一つは、ふつう会社はそういうものだが、ソニーも共食いを心配した。デジタル化した楽曲を簡単に共有できる音楽プレイヤーと音楽サービスを作ると、レコード部門の影響が出るのではないかと心配したのだ。と言う。
   その点、ジョブズは”共食いを恐れるな”を事業の基本原則として、iPhoneを出せばiPodの売り上げが落ちるかも知れないし、iPadを出せばノートブックの売り上げが落ちるかも知れないが、躊躇せずに突き進んだのである。

   イノベーションのためには、破壊しなければならないと、ドラッカーは、ずっと唱え続けていたし、GEのジェフリー・イメルトCEOなどは、昨年、HBRに”How GE Is Disrupting Itself”と言う過激とも言うべき論文を発表して、自社を破壊してでも、リバース・イノベーションを追求しなければ、新興国の巨人に駆逐されてしまうと危機感をつのらせて、新興国でのイノベーションの追及戦略を開陳していた。
   このあたりの認識も、成熟に達して成長の止まった先進国においてではなく、真に価値ある破壊的イノベーションは、今や、巨大な市場として勃興しつつある新興国のBOTやMOPの中から生まれて来ると言う強い確信があるからであろう。

   このアップルのiTunesの成功について、もう一つ、アイザックソンは、興味深い指摘をしている。
   このチャンスを与えたのは、ソニーだと言うのである。
   音楽ファイルを保護する標準技術が早期に確立され、音楽関連の企業が皆参加すれば、数多くのオンラインストアが次々に生まれた可能性がある。そうなっていたら、ジョブズがiTunesストアを生み出し、オンライン販売をアップルが一手に握るのは難しかったであろう。
   ところが、クパチーノで行われた2002年1月のミーティング後、ソニーは、協力関係を解消して、使用料が徴収できる独自規格のに道を行くと決めたのである。
   
   いずれにしろ、ソニーは、すべてにおいて、アップルを凌駕する技術も能力も持ち合わせていたにも拘わらず、ジョブズのエンドツーエンド戦略に負けてしまって、iTunesで曲が売れればiPodが売れ、更に、マッキントッシュが売れる相乗効果で益々独走を許した。
   ラックにとって、悔やんでも悔やみきれないのは、同じことがソニーにも出来た筈なのに、ハードウエアとソフトウエアとコンテンツ部門を協力させられずに失敗したことである。
   マイクロソフトのビル・ゲイツも歯軋りして残念がり、自分たちにはもっと上手にやれると言ったものの、それは、あくまで二番煎じの後追い戦略であって、オリジナリティで破壊的イノベーションを追及して革新的なビジネスモデルを立ち上げたジョブズの完全勝利であった。

   もう一つ興味深いのは、最晩年のジョブズが、電子新聞で協力関係を確立したマードックとのディナーで、会社には起業家精神と機敏さを重んじる文化を植え付けなければならないと言う話が出て、ソニーは失敗したとマードックが指摘して、ジョブズも同意した。と言う記述がある。
   また、ジョブズは、昔、大会社は明確な企業文化を持てないものだと思っていたが、マードックは実現したし、自分もアップルで実現できたので、今は、持たせられると思うと言っている。
   結局、ソニーには、社内におけるベンチュアーと言うか、起業家を育む企業文化がなくなってしまったと言うことであろうか。

   以前に、スライウォツキーが、ソニーの凋落は、ダブルベッティングに失敗したからだと述べていたことにコメントしたことがるが、ローエンドの破壊的イノべーしょんが発生した時点で、はっきりと、それと認知できるとは限らない。
   ジョブズのiPodやピクサーなどにしても、最初から明確な意図があって順風満帆に成功したのではなく、紆余曲折やセレンディピティがあったのも事実で、要するに、眼前の困難を克服してブルーオーシャンを目指して突き進み、諦めずに戦い抜いた結果であって、企業の中に、そのような意思を持った経営者なり、起業精神に燃えたイノベーターを生み出す土壌があるのかどうかと言うことが重要ではないかと思う。

   もう一つ、これは私の持論なのだが、ソニーのトップないし経営者の一人でも、クリステンセンの「イノベーションのジレンマ(本当はイノベーターのジレンマ」を真面に読んでいたら今日の凋落はなかったと思うのだが、
   アイザックソンは、「クレイトン・クリステンセンは「イノベーターのジレンマ」と言う言葉で、「何かを発明した人は自分が発明したモノに最後までしがみ付きがちだ」と表現したけれど、僕らは時代に取り残されたくないからね。」とジョブが言ったことを引用している。
   この差が、実は致命的な差なのである。
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わが庭の歳時記~春の草花の球根を植える

2011年12月16日 | わが庭の歳時記
   秋植え球根を10月くらいから植えるのが普通のようだが、私は、大体、年末が押し詰まった頃にならないと腰が上がらない。
   年賀状の場合にも、クリスマス前後のぎりぎりになってしまうので、元旦に届いているのかどうか心もとないけれど、元々、なまくらな性分なのである。

   ところで、球根だが、正月前後に植え付けても、少し遅れるかも知れないが、シーズンになれば、間違いなしに咲く。
   園芸店の球根も、大半、売れ残りなので、元気はなく、芽が出ていたりするのだが、尤も、発芽しないものもたまにはあるけれど、半額になっていたりするので、コストパーフォーマンスはそれ程変わらない。

   昨年は、フリージャなど色々な球根を植えたが、今年は、チューリップとヒヤシンスとユリに絞った。
   チューリップは、庭への直植えとプランターと両方に分けたが、ヒヤシンスとユリは、鉢植えにした。
   庭の土が盛り上がって、古い球根が発芽し始めているのだが、いつも、メクラ滅法空間のあるところを掘って、新しい球根を植えて来たので、どこに古い球根があるのか分からないし、それに、スコップで、折角出た芽や球根を切ってしまうことが多いので、春先になってから、鉢の苗を移植しようと思っている。
   尤も、庭の球根は、生育が十分ではないので、必ずしも、まともな綺麗な花が咲く訳ではないが、私のように、綺麗なガーデンを作る心算がなくて、庭植えの椿などの花木や牡丹や芍薬と言った、まずまず手入れが不十分でも咲いてくれる花々とが醸し出す、春の雰囲気が味わえればよいので、不恰好にでも庭のあっちこっちに草花が咲いておれば良いのである。
   
   ユリは、まず、今春咲いた鉢をそのままにしてあったので、鉢を空けて、球根が出来ておれば、新しい鉢に植え替えるのであるが、比較的、植え替えて花が咲きそうな球根は少ない。
   アマリリスは、ほっておいても、毎年、律儀に咲き続けているのだが、大体、どんな草花も、咲き切らせてしまうので、自然な球根の肥培は難しいようであり、何年か待たなければならない。
   オランダのチューリップ畑を見れば良く分かるが、花が咲くと数日で花弁をすべて切り落として、その後時間をかけて球根を育てて出荷するので、畑一面に極彩色の絨毯のように広がるチューリップ畑を見ることが出来るのは、ほんの数日、一瞬の間だけである。
   観光客は、キューケンホフの花公園に集まっているのだが、一寸離れた周りには、一面にチューリップやヒヤシンスなどの球根畑が広がっていて、最盛期のこの光景の素晴らしさは格別であるのだが、いつ行っても、誰も居らず私一人で、涼風に吹かれて楽しんでいた。
   あの頃、随分、写真を撮ったのだが、ネガは、大きな収納箱の中に眠っているので、探すのが大変で、見られないのが残念である。

   園芸店では、newと言う文字が、チューリップの球根袋に書かれているのがあるのだが、今でも、どんどん、オランダなどで新種が作出されているのであろう。
   キューケンホフに行くと、新種の花が展示されていて、それを見るのが楽しみであったが、トルコ原産の小さな花が、いつの間にか、多種多様に、豪華になっているのだが、まさに、チューリップは悪魔の花で、人類史上最初のインフレーションの引き金を引いたのであるから、どこまでも魅力的なのである。

   さて、庭の花木も、春の準備を始めている。
   椿などは、秋から咲いているのだが、やはり春の木で、3月頃から最盛期を迎える多くの花は、たわわに蕾を付けていて、先が色づき始めたものもある。
   梅の木は、葉が殆ど散って、蕾が肥大し始めている。
   牡丹は、花芽がはっきりと色づいて大分大きくなって来ている。
   牡丹は非常に育て易いのだが、問題は、バラである。
   まだ、イングリッシュローズやフロリパンダなどが咲いているのだが、これを最後に切り花を終えて、来月には、剪定に入ろうと思う。
   昨夏、次女に孫が生まれたので、長女の孫の時のように、歩く前にバラをすべて切れと言う命令が下りるので、庭植えは、来春が最後の見納めと言うことになるのだが、フェンスなどのつるバラをどうディフェンドしようかと思っている。
   

   
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茂木健一郎著「脳と仮想」

2011年12月14日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   茂木氏の本は、興味深くて示唆に富んでいて面白いので、結構読む機会が多いのだが、易しい時は易しいが、内容が内容だけに、難しい時には難しい。
   この本も、「脳と仮想」と言うことで、分かったようで何となく分からないところがあるのだが、英語のタイトルが、The Brain and Imaginationと言うことなので、イマジネーションの方がしっくりと来る。
   興味深いトピックスが並んでいるが、そして、茂木氏の結論なり、論旨からは外れてはいるのだが、私の印象に残ったところを、2~3感想を記してみたい。

   まず、「他者という仮想」と言う章だが、他人の思いや心の内を理解できるのかと言う問題である。
   「他者の主観的体験を再体験しているわけでは決してないのに、その「他者の心」がわかったように思えることは、確かにある。」しかし、「私たち「健康人」も、完全に他者を理解する能力など持っていないという事実である。」
   「認知科学で言う「心の理論」のモジュールがたとえ機能していたとしても、他者の心は依然として絶対不可視な存在である。物理的に独立した二つの脳の神経活動として成立している二つの心が、直接的に交流することは原理的に不可能なのである。」
   「理解と誤解の間には、無限と言っていいほど諧調がある。肝心なのは、理解と言うことを、世の中に確かに存在するはずの「他者の心」の把握と言う意味にとらえるならば、完全な理解など、決して存在しないということを認識することである。」と言う。
   難しく書いてあるのだが、要するに、他人の心の内など、推測に過ぎず分からないと言うことであろうか。

   面白いのは、と言うより切実なのは、
   「人は恋をして初めて、他者の心が自分にとって推しはかりがたい存在であることを切実に感じる。」として、ワーグナーの「ニーベルンゲンの指輪」で、ジークフリートが、ブリュンヒルデに愛されているのかどうか悩む例を引いて、
   「他者の心は自分にとって切実な意味を持つ。自らがコントロールできる対象ではない。相手には、相手に意思がある。価値判断がある。そのような、他者の心が、その独自の意思に基づいて自分に好意を寄せてくれる。だからこそ、恋愛の成就は、飛び上がるほどうれしい。ジークフリートも、はじめて知った恐怖を乗り越えて、ブリュンヒルデが自らの求愛を受け入れてくれた時、天にも上るほどうれしい。」

   たしかにそうであろう。しかし、現実には、いくら知りたくても、相手の心の内がはっきりと分からない以上、恋をすればする程燃え上がるのだが、自分に都合の良い善意の解釈ばかりしているのではないかと不安が強まり、同時に、相手が自分にとって大切であればある程、失った時の恐怖苦しみが大きくなって、益々、シュリンクしてしまうのが人間、特に、男ではないかと言う気がしている。
   いずれにしても、恋する時ほど、相手の心の内を知りたくて、悩みに悩む時はないと言うのが真実であろうが、茂木さんの言うように相手の心など分かる筈がないと言うことなら、悩みぬく以外に方法はないと言うことであろう。

   次に興味を感じたのは、心に傷を受けるような従来の認知の枠組みでは対処できない体験をした時、脳の中に生じた神経細胞の活動によって、脳が大規模な再編成を余儀なくされるのだが、そのようなシチュエーションで、創造や芸術が生まれると言う指摘である。
   特に、私は、イノベーション論に興味を持って勉強しているので、茂木氏の創造性に関する見解に注目して来た。
   「強烈な印象を残す体験を受けての再編成は、意識のコントロールできるプロセスとして起こる訳ではないので、自分でも驚かされることが起こり、このプロセスを創造と言う。脳は、傷つけられることがなければ、創造することもできないのである。」と言うのである。
   「素晴らしい経験をすると、自らもそのような何かを生み出したくなる。適当な形で心が(脳が)傷つけられることで、その治療の過程としての創造のプロセスが始まる。」と言うことらしい。
   今、アイザックソンの「スティブ・ジョブズ」を読んでいるところなので、ジョブズの想像を絶する壮絶な生きざまを見れば、この茂木説が、痛い程良く分かる。
   
   「人は主観的な体験の中で、そこはかとない悲しみを、断腸の思いを、至上の喜びを感じる存在であるからこそ、芸術を生み出し芸術を体験し、また宗教的な救済を求めようとする。
   愛や死を巡る切迫した状況の中で生きるうちに、、自分が感じるものの中に世界全体が立ち現われて来るのを感じる。そのような仮想を感じさせてくれるのが優れた芸術である。」と言う。

   衣食足って礼節を知ると言う諺があるのだが、貧しくて苦しむのは論外としても、とにかく、新しいイノベーションを求め続けたジョブズのように艱難辛苦の戦いに明け暮れ、或いは、苦しくて苦しくて死ぬ思いをして愛し抜くような激しい恋をしてect、心や脳を傷つけない限り、創造的な生き方は出来ないと言うことなのであろう。
   
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台頭するブラジル(仮題 BRAZIL ON THE RISE)(21) これからの政治の課題

2011年12月13日 | BRIC’sの大国:ブラジル
   1985年に右翼系軍事政権が崩壊して以降、今日のブラジルを築き上げた偉大な大統領は、カルドーゾとルーラであろう。
   カルドーゾが、ルーラ・プランを実施して、ブラジルのハーパー・インフレを終息させて通貨を安定させ、経済を軌道に乗せると同時に、混迷続きの政治を安定させ、これを継承したルーラが、経済成長を図って、国民の所得を引き上げて生活を豊かにし、国際収支を好転させて深刻であった債務超過経済を一気に債権国に格上げする一方、外交関係においても近隣諸国と貿易を拡大し平安を保っている。

   しかし、政治的には、ルーラ政権の8年間は、共和国の歴史上でも、金額的にもスキャンダル数でも、最も汚職が多かったと言われるくらい、いまだに、腐敗体質から脱却していない。
   汚職、詐欺、たかり、欺瞞、違法行為、縁故優遇主義などに対して、世論調査毎に、ブラジル人は、嫌悪感を示すのだが、ルーラが悪いことをしたと糾弾するのではなく、国会議員や閣僚たちに怒りの矛先を向けていたと言うのである。
   ルーターは、ルーラの酒癖が悪いと記事に書いた時、ルーラ自身が口封じに適用された軍政時代と同じ法律で、追放されたと権力乱用に息巻いているのだが、いくら法制度上は権利が認められていても、例えば、プレス報道をコントロールして脅迫威嚇をしているのだから避けようがない。
   ブラジル人にとっては、所得が増えて、中流国民が増加して生活水準が上がり、社会的インフラ投資が拡大し、生活が豊かになったのだから、ルーラ政権には好意的なのである。

   ローターは、ブラジルが豊かになればなるほど、継ぎはぎだらけの政治システムにビルトインされた欠陥故に、益々、政治が悪化し、汚職が増加する傾向にあると言う。
   1988年制定の憲法では、ブラジルの選挙制度は、アメリカのようにウイナー・テイクス・オールではなくて、比例代表制である。州毎に政党が選挙名簿を作成し、リストの上位から選ばれて行くので、最も金を使って買収した候補が当選すると言うことになっている。
   したがって、選ばれた議員には党へのロイヤリティなどはなく、慢性的に弱くて規律のない党を蔓延させる公算が強くなると言うのである。
   政治家が党を渡り歩くのはざらで、自分や領袖たちにとって有利な党へ靡いて行くのである。ある党から立候補して当選し、登院した段階で他党に移り、止める時には第3党に移っていると言うのは異常では何でもないらしく、某党の副党首は8回も変わったと言う。

   ブラジルには、必ずしも国会に議席を持っていないものもあるが、20以上の政党が乱立している。
   民政移行後、サルネイ大統領以外は、政権政党が国会の過半数を占めたことがないので、議案を通すためには、たえず交渉してコンプロマイズする必要があり、政局の混乱を招くこととなり、汚職や買収などの違法行為や腐敗行為が介入することになる。
   2005年6月にルーラ大統領が率いる与党・労働党は、政権基盤を磐石なものとするために連立を組む他党の議員に毎月3万レアルをばらまいていたと言われ、2006年3月27日には、経済政策の面でルーラ大統領を支え、「ブラジル経済の守護神」といわれたパロシ財務相までが汚職問題で辞任すると言うスキャンダルの連続だったが、ボルサ・ファミリアで最貧層に無償補助金を支給していたこともあって、貧困層の支持があって2次政権も持ったのであるが、とにかく、政権維持のためにも、金が動く国柄であるから、抜本的な政治改革は必須なのである。

   金銭であろうと他の報奨であろうと、このグルになって助け合い、裏工作をして、買ったり売ったりする買収工作塗れのシステムは、1988年成立の憲法に由来すると言うのだが、ブラジル人が、clientelismoと呼んでおり、従属と報奨の垂直連鎖を含む独裁モードのレギュレーション・システムだと言うことらしい。
   しかし、チリ―やアルゼンチンなどの他のラテンアメリカ諸国と違って、ブラジル政治で特異な点は、民主政治への移行をスムーズに推進したのは、ガイゼル大統領など穏健派の軍事政権のお蔭でもあると言うことである。
   メジチ大統領時代でさえ、クーデターを粉砕して、ある程度のデモクラシーの維持に努めていた。
   マルキスト・ゲリラの粉砕などによって、チリ―やアルゼンチンのように過激な軍事的政治闘争を避け得たことや、独立当初から、国家分裂を一度も起さすことなく、ブラジル一国で通し続けたと言うことも、ブラジルの特質かも知れない。

   ブラジルの政治システムがオーバーホールされない限り、誰が成っても、ブラジルの大統領は、民主的な国家の舵取りは不可能だろうとローターは言う。
   経済は、どんどん成長して大国になって行くのに、政治システムは、時代遅れの体制と慣習のままで進歩から取り残されて、そのギャップが拡大する一方である。
   経済的に豊かになった大企業や億万長者たちが、益々、民主主義的な原則や価値観を主張するようになって、時代錯誤の政治システムへの反発を強めて来ており、改革は急務となって来ている。
   改革には多くの問題を内包しているが、政党の安易な移動の制限や、比例代表制の選挙制度の改正などは、その一歩となろう。
   いずれにしろ、16世紀の建国以来培ってきたブラジル文化社会や価値観が、果たして、21世紀のBRIC’s大国ブラジルの将来に如何にあるべきかが、厳しく問われていると言うことであろうか。
   
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国立能楽堂・・・狂言「横座」能「高砂」

2011年12月12日 | 能・狂言
   1か月に1回くらいは能楽堂に通って、少し、古典芸能鑑賞の幅を広げようと思って、今回は、田中貴子教授の解説付きの普及公演に出かけた。
   普及公演と言っても、人間国宝が登場するような歴とした舞台で、一切の手抜きはないのだが、私のような能楽狂言初歩組には、普及と言う言葉に意味があるのである。

   今回は、本当に久しぶりに能を見た。
   私にとって能楽は、白洲正子の本は読んだが、日本の古典藝術では最も縁の遠い分野で、とにかく、殆どその良さが分からないのだから、まず、あの結婚式で謡う「高砂や・・・」が出てくると言う、それだけで「高砂」を、まず、見ようと思ったようなものである。
   しかし、田中教授の話を聞くと、兵庫県人の私には、この舞台に登場する播磨の高砂や大阪の住吉などは、故郷であるし、地名やその雰囲気などには、少なからず親近感があり、興味を持って鑑賞することが出来た。
   田中教授の話では、この能は、本来、流布しているような結婚讃歌ではなくて、和歌の隆盛を願い、ひいては、世の中の平和を願った世阿弥の作品で、江戸後期あたりから、婚礼の席などで祝言曲として謡われるようになったのだと言う。
   この「高砂や、この浦舟に帆を上げて・・・」は、神主友成主従が、高砂の浦から、住吉に向かって船出するシーンで謡われるのだが、映画やテレビでしか見たことがないのだけれど、婚礼の席での雰囲気とは全く違って、実に荘重であった。

   私にとって良く分からないには、相生の松で、高砂市のホームページを見ると、この能の舞台でもある高砂神社の松について、「松どころ高砂でも特に有名なのが、高砂神社の相生の松です。相生の松とは、根が一つで雌雄の幹が左右に分かれた松のことで、ある日、尉と姥の二神が現れ「神霊をこの木に宿し、世に夫婦の道を示さん」と告げたことから、霊松として人々の信仰を集めるようになりました。」と書いてあり、第3代目だと言う相生の松の写真が載せられている。
   田中教授も説明していたが、松は雌雄同体であるので、雌雄の幹が左右に分かれてオマツ、メマツに分かれる筈がないのだが、別名が、クロマツがオマツ・オトコマツ、アカマツがメマツ・オンナマツと称されているので表現上間違いではないにしても、接ぎ木で増やす場合があるので、相生の松は、接ぎ木ではないかと思っている。
   こんな理屈が気になるようでは、能楽鑑賞などは、無理なのかも知れないと思ったりしているのだが、今のところ、能楽堂全体の雰囲気も含めて、新鮮なときめきを感じている。
   
   前場で松のめでたさを語る場面では、動かない「居グセ」が基本とかで、非常に動きが少ないシーンが続くのだが、後場に入って、後シテ/住吉明神が、邯鄲男の面をかけて非常に豪華な若い男神の姿で足早に登場して、テンポの速い囃子に乗って颯爽とした舞を舞い、華麗な舞台を展開する。
   この能楽堂には、前の座席の背に、はがきより少し大きな感じの字幕スクリーンがあって、簡単な説明や、能楽師が謡う台詞などがディスプレイされるので、私には非常に都合が良い。
   この形式のディスプレイを最初に見たのは、改装中で郊外に移転していたミラノ・スカラ座だが、METにもあって、大変便利であるのだが、新歌舞伎座などでも、取り付けるのであろうか。

   狂言の「横座」は、非常に面白かった。
   前回、楽しませて貰った大蔵流の大藏彌太郎が、シテ/牛博労で、善竹十郎が、アド/耕作人として登場する。
   耕作人が手に入れた牛が、良い牛かどうか見定めて貰うために、牛博労に見せるのだが、実は、この牛は、居なくなった牛博労の牛なので、返せと言う。
   自分の牛かどうか確かめるために、牛の名前の「横座」と呼べば、鳴くと言うので、3度の呼びかけの約束で2回試みるが、声をかけると耕作人が大声を上げて邪魔をするので、牛は反応しない。
   牛博労は、3度目に、賢い牛の故事来歴話をトクトクと牛に語って聞かせて「横座」と呼ぶと、大きな鳴き声をだして応えたので、いそいそと牛を引いて帰る。
   そんなたわいもない話なのだが、両人が、大真面目に対決する、何とも、時代離れした対話が面白い。
   前回の太郎冠者もそうだったが、彌太郎の真面目一徹の雰囲気から醸し出すユーモアとウイットに富んだ語り口が何とも言えない程おかしみを誘って爽快である。
   それに対応する謹厳実直で強面の十郎のうけが、好対照で面白く、もし、牛がなかなければ、博労に家来になって仕えろと最後通牒を突きつけるのであるから、笑い事ではなく、真剣勝負の牛鳴かせ対決なのである。
   この牛の横座と言う名前なのだが、可愛い子牛の時に、いつも、横に座らせて可愛がっていたのでそうなったと言うのだが、このあたりのひねった動物愛護のトピックスを交えた話も、中々味があって面白いと思った。
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大前研一著「訣別ー大前研一の新・国家戦略論」

2011年12月11日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   本の帯に、
   ”バカな政府を持つと高くつく。過去の延長線でしか考えない官僚と、政局しか頭にない政治家に任せておけば、日本は間違いなしに衰退する。しかし、バカな政府をつくったのは国民であり、結局のところ自分で変えていくしかない。過去に成功した「ニッポン・モデル」はすっかり陳腐化し、硬直化した。いまこそゼロベースの大改革を断行し、新しい日本をつくるときだ。”と書いてあるのだが、
   私は、この本で、大前研一氏が提案している「2025年ビジョン」には殆ど異存はないのだが、既に、日本は立ち上がれない程衰退してしまっており、織田信長や坂本竜馬のような卓越した革命的リーダーが現れない限り、このまま、煮えガエル状態になって、二流国家、三流国家に成り下がって行くであろうと思っている。

   国民全体が、明治維新や終戦直後の日本人のような、燃えるような情熱も覇気も、そして、自信も失ってしまって、内向き志向で大人しくなってしまい、前進しようと言う前向きのプラス思考のエネルギーが消失してしまっては、どうしようもないのではなかろうか。
   国民が期待して選択した民主党政権が、大前氏の説く如く救いようのないバカ政権であるのなら、JAPAN AS NO1で突っ走っていた日本が、失われた20年でグローバル世界の躍動からどんどん取り残されて今に至っても、まだ、何も学んでおらず、目が覚めなくてバカを地で行っていると言うことで、正に、救いようがないと言うことになろう。

   すべての元凶は偏差値教育にありと、我々年代以降の世代を、日本の教育が、如何にスポイルして来たかを、大前氏は厳しく糾弾している。
   我々の世代には、「自分の限界はここまで」と言った発想はなく、偏差値のようなものでタガをはめられるのは真っ平御免で、人生は自分で決めて、やりたいことをやってきた。
   松下幸之助も本田宗一郎も、戦後第一世代の破壊的イノベーターは皆、分をわきまえない人ばかりであった。
   自分のやりたいことを見つけ、どうしたらできるかを考え、そのためにひたすら努力し続ける。勝ち組になるための法則は実にシンプルで、この組み合わせしかない。戦後第一世代の大経営者は皆、この法則に忠実だった。と言う。
   それに、比べて、偏差値世代の人々は、非常に従順で小市民的だ。偏差値教育が日本人の意欲やアンビション、そして、思考するクセを奪ってしまった。と言うのである。

   そうかも知れないが、私は、この傾向は、何も偏差値世代だけではなく、大前氏の言う我々世代も全く同様に不甲斐ないと言うか体たらく極まれりで、むしろ、後先も考えずに、花見酒の経済に酔いしれて無謀な借金を重ねて日本の将来を無茶苦茶にしてしまって、反省の色さえなく、まだ無駄な繰り言をボヤイテいることこそを恥じるべきだと思っている。
   そして、大方の世界の論調がそうだが、既得利権を握って離さない日本のエスタブリッシュの老害そのものが、若い芽を摘み、出る釘を叩きのめし、折角の活性化の機会を葬り去っているのではないであろうか。
   ホリエモンや村上ファンドの違法性には問題はあったであろうが、あの頃は、若者の起業意欲が爆発的に開花していた。
   今回の大王製紙やオリンパスのコーポレート・ガバナンスの欠如などを見れば、これなどは氷山の一角であろうが、日本の大企業が如何に、会社法を始め法制度を軽視し、ないがしろにして来たかが良く分かり、法化社会においては、この方がはるかに罪が深い筈であり、老害塗れのエスタブリッシュメントが、政財官の枢要を抑えて、自分たちにのみ都合の良い既得利権と現状維持を保守するために、明日の日本の為の活路を閉鎖してしまってきたのではないかと言うことである。
   老兵は去り行くのみと言う格好の良い言葉があるが、八重二十重にも残滓が重層化して動きの取れなくなった閉鎖社会を吹き飛ばして、明治維新や敗戦直後の日本のように、若者たちに、「坂の上の雲」を仰いで、まっしぐらに突っ走って貰う以外に、日本の明日は開けてこない。

   さて、大前氏の提言だが、とにかく、正に、シュンペーターの「創造的破壊」とも言うべき革新的なアイデア満載で、パンチがきいて説得力があり、日本にとって非常に有意義だと思えるものが多いのだが、大阪の橋下革命のように、相当現状から乖離があって実現へのハードルが高い。
   例えば、「途上国の税制から老熟国の税制へ」として、すべての税を廃止して、コミュニティーに資産税を、道州制には付加価値税をと提言している。
   所得税、法人税、相続税などの従来の直接税を全部廃止して、道州制のような統治機構が出来たタイミングで、資産税と、間接税を一本化して付加価値税の二本立てにする。生活基盤を作る責任があるコミュニティーは資産税を、産業基盤や雇用を作る責任のある同州が付加価値税を徴収すると言うのである。
   日本全体で不動産資産が1500兆円、金融資産が賞味1000兆円あるので、資産の時価評価の1%にすれば資産税の税収は25兆円、付加価値税は、GDPが500兆円であるから、5%なら25兆円、10%なら50兆円の税収が捻出できると言う計算である。
   道州制を導入した段階で、夫々の道州が自力で経済の活性化発展と自活を図るべしと言うことだが、地方間の経済格差の問題をどうするのかと言ったような問題など、簡単に踏み切れない要素があろうが、非常に示唆に富む提言ではある。
   
   大前提言の革新性とパンチ力には大したものだが、根本的な問題は、前述した若い世代への日本の舵取り移管問題と同じで、どう考えても、今の日本には、そんなことがおいそれと出来る余地など全くなくなってしまっているのではないかと言うことである。
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宮崎駿著「本への扉ーー岩波少年文庫を語る」

2011年12月09日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   昨年、「借りぐらしのアリエッティ」公開と岩浪少年文庫創刊60周年を機に、宮崎駿が、400冊の中から、特に薦める50冊を選んだのだが、その本の紹介と、自らの読書遍歴や児童文学に対する熱い思いや、現在の世相を見つめながら、物語や挿絵や映画などについて語っている、非常に滋味深いほんのりとした香り豊かな本が、この岩波新書の「本への扉」である。
   最初の半分は、50冊の本をカラー写真で紹介し、一つ一つ、宮崎駿の思い入れと愛情のこもったコメントがついていて楽しい。
   世界的なアニメ映画製作者の芸術家と、猛烈企業戦士として突っ走って来た私とは雲泥の差ではあるが、ほぼ同じ年代であり、ある意味では、同じ時代に日本の歴史を生き抜いて来た経験から、共通の思いもあって、懐かしく読ませて貰った。

   まず、私自身が、ここに挙げられた岩波の本を読んだかどうかは定かではないが、似たような物語や同じような作品は、結構読んでいるが、著者のように、大学で児童文学研究会に入ったり、入社したアニメーション・スタジオに揃っていた少年文庫を片っ端から読んだと言うような経験がないので、この方面の本との付き合いは限られていて、まして、児童書籍の絵や挿絵に感動したり、魅せられたりと言った経験などは皆無に等しい。

   著者は、本は読まなければいけないとか、勉強はしなければならないと思っていたと述懐しているが、私には、そのような思いや強迫観念は全くなかった。
   それ程勉強はしなかったけれど、別に、嫌いではなかったので、苦痛ではなかったし、子供の頃は、宝塚の田舎に居たので、貸本屋なども近くになかったので、小学生の頃から、本屋に出かけて自分で読みたい本を探して買っていたし、小遣いは殆ど本に消えてしまっていたと思う。
   高校生の時に、総合雑誌「世界」を購読していたので、世界文学や日本文学と言った本は、かなり早い時期に切り上げていて、小説などを読むことはなく、政治経済社会や歴史、時事関連の本が多くて、そのまま、大学の経済学部に走り込んだとと言う状態で、リベラル・アーツ関係の読書に心掛けたのは、それ以降のことである。
   
   著者は、何かを仕入れるために怒涛の如く本を読んでいたので、例えば、「魔女の宅急便」の主人公の女の子のイメージは、児童書の中に沢山取り上げられているので、何だか、自分のなかに抽斗(ひきだし)があるぞと思ったと言っているが、とにかく、発想を豊かにするためにも、精力的な読書が必要だと述べている。
   茂木健一郎が、人間には無から有を生むオリジナリティの発想などはなくて、必ず、過去の経験や知識が何らかの形で結合して生まれ出でるものだとして、脳に記憶された経験と知識の豊かさが如何に大切かを語っていたことがあるが、これに相通じる発想であろう。
   また、創造性を生むのは、経験×意欲の函数で、経験を豊かにするのみならず、高い意欲・高いビジョンを保ち続けることが大切であると言っているのだが、読書は、正に、典型的な代理経験の手段であるから、本を読むことによって触発されるアウフヘーベンへの意欲が如何に大切かと言うことでもあろうか。
   更に、著者の場合には、絵に魅せられて、忘れられない挿絵が、映像の断片が視覚として強烈に記憶に残り、芸術を触発するのであるから、児童文学の価値には、計り知れないものがあると言うことであろう。

   ところで、ヴィクトリア朝のアンドルー・ラング世界童話集には面白い挿絵が沢山入っていて、あの頃は挿絵の黄金期として限りなく輝いていたが、経済的な没落の結果、イギリス文学の挿絵は、ぎすぎすしてきて、デザインチックになって、つまらなくなったと言う。
   丁度同じ現象が、今起こっていて、挿絵の時代から、映画になり、テレビになり、違うところに来て、更に、携帯で写した写真を転送すると言った調子で、個人的なものになって来て、現実に対するアプローチの仕方がどんどん脆弱になって行く。
   今や、アニメがなければ絵なんか描かなかったと言うような人がアニメをやっている時代になってしまって、画一化し、サブカルチュア―がサブカルチュア―を生み、どんどん薄まって行くと言うのである。

   「僕らは、この世は生きるに値するんだと言う映画を作ってきました。」と言う宮崎駿は、現在の崩れ行く社会を憂う。
   現在の状態は、衰えたとは言え、印刷物も溢れ、押しつけがましいテレビやゲーム、漫画が子供の中を埋め尽くし、悲鳴のような音楽も溢れ、この生活を続けようと必死になっているが、ダメな時が来て、惨憺たることが次々に起こる、終わりが始まったばかりである。
   先の話だが、敗戦後のような本当に焦土になれば、必ず、石井桃子が立ち上げた少年文庫のような新しいファンタジーが、また、生まれてくるだろうと言う。

   児童文学は、「生まれて来てよかったんだ」というものなんです。生きててよかったんだ、生きていいんだ、というふうなことを、子供たちにエールとして送ろうと言うのが、児童文学が生まれた基本的なきっかけだと思います。と宮崎駿は言う。
   本はいっぱいは要らない。50冊じゃなくて1冊あればよい。ハードカバーの重い本で、世界のことが全部書いてある本が出来ないものかと夢見ている。とも言っているし、子供の時に、自分にとってやっぱりこれだという、とても大事な1冊に回り逢うことが大切である。とも言う。

   私など、既に、何千冊と言う本を読んできたと思うのだが、良いと思う本は幾らかはあるが、これだと言う一冊は、残念ながら、思いつかない。
   児童文学に親しむ幼少年時代をミスった所為かも知れないと思ったりしている。
   
   

      
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