「弁慶は、金剛杖を携え、旅を続ける。その姿は不思議と、槍を片手に諸国遍歴を続ける「ラ・マンチャ」のドン・キホーテと重なる。」この二つの役は、役者幸四郎の人生そのもののような気がする。」と言った弁慶の旅から始まる幸四郎の、沢山のエピソードを交えた「ひとりごと」が、この本。
幸四郎の本は、これまで、結構読んでいるので、大概の話は知っているのだが、新しい話題などもあって、それに、実際に見た歌舞伎やミュージカルの印象と重ね合わせて読むと面白い。
私が最初に見た幸四郎の舞台は、記憶がはっきりしないが、帝劇での「蒼き狼」のテムジンで、その後は、ロンドンのサドラーズ・ウェールズ劇場の「王様と私」であり、染五郎の舞台も、ロンドンでの「葉武列土倭錦絵(はむれっとやまとにしきえ)」が最初であるから、歌舞伎座の舞台で2人を鑑賞するのは、その後であった。
日本での舞台も、日生劇場での「オセロー」の方から入った感じで、今までに、随分、幸四郎の歌舞伎を観ているが、私には、「ラ・マンチャの男」を含めて、どちらかと言えば、パーフォーマンス・アートのマルチ・タレントとしての役者幸四郎のイメージがある。
今回は、一寸、視点を変えて、幸四郎の歌舞伎観や芸術観について、考えてみたいと思う。
「江戸に生まれた荒唐無稽な歌舞伎は、明治、大正で写実性を加味し、それに昭和の心理描写が加わり、平成の今、それらを受け継いで僕は「演劇としての歌舞伎」を考えている。伝えられた歌舞伎の魂を受け継ぎ、演劇として進化させたい。演劇としての歌舞伎を花開かせ、いつの日か実を結ばせたい。」
ここで、幸四郎が例証しているのは、「盛綱陣屋」での弟・高綱の首実検で、総てを知って父のために言いつけどおりに切腹した甥を哀れに思って、偽首を「高綱の首に相違ない。」と明言する時に、台詞を越えた表現をした初代吉右衛門の心理描写である。これは、原作のデフォルメではなく、長い年月を経て形骸化してしまった物語の核の部分に光を当てて、本来のドラマツルギーを蘇らせるのだと言う。
このことを、上方和事と江戸荒事と言った地方色の濃い民族芸能として栄え、ともすれば荒唐無稽に走りながらも、江戸時代の300年を費やして成熟した歌舞伎の明治以前の姿だと幸四郎は言うのだが、私は、見得やパーフォーマンス、格好良さや粋などの視覚美を強調した江戸荒事には言えるかも知れないが、上方和事、特に、近松門左衛門の浄瑠璃は、謂わば、シェイクスピアに近い戯曲の世界であって、リアリズムと心理描写を核とした芝居そのもの、演劇そのものではないかと思うのである。
演劇性の退化は、東京ベースの江戸歌舞伎の隆盛のなせる業で、上方歌舞伎の勢力減退、急速な衰退とも言うべき現象が拍車をかけて来た結果でもあろうし、
もう一つは、能の世界のように、日本人の観客は、空想の世界と言うか想像の世界と言うか、欧米人などと比べて、はるかに舞台を見ながら思いを巡らす感受性が豊かなので、リアリズムや心理描写を強調しなくても、意識の中で物語を増幅できるのではなかろうか。
尤も、現実には、歌舞伎の芝居が、時代から遊離して来ていたり、現代人が即物的刹那的になってしまったので、これでもかこれでもかと説明や解釈を加えないと分からなくなったと言うことかも知れない。
シャイクスピア劇の所で、「僕は、外国劇はそれがシェイクスピア劇であろうと何であろうと日本人が日本語で日本の観客のために上演するときはすべて現代劇だと思っている。」と言っている。
本場のシェイクスピア劇を見たければ、英米の劇団を呼べばよいし、日本人がやるイミテーションの古典劇など無意味であって、感動的で素晴らしい現代劇だから日本でシェイクスピア劇を上演する意義があるのだと言うのである。
さて、この考え方は、シェイクスピア劇を映画化した黒沢明監督や、シェイクスピア全戯曲を演出して舞台にかけようとしている蜷川幸雄は、或いは、晩年までシェイクスピアを題材にしてオペラに挑戦したヴェルディは、どう思うであろうか。
随分、色々な所でシェイクスピアを見て来たが、少なくとも、私自身は、どこの国の劇団であろうとも、シェイクスピア戯曲として演じられないシェイクスピアの舞台なら、見たくはないと思っている。
「本当の歌舞伎」と言うところで、
「歌舞伎劇を本当にわかっていない人が、「この歌舞伎は良くない」と言った時から、歌舞伎はおかしくなってゆく。」と言っている。美味しかった料理屋がとんちんかんな料理評論家に「まずい」と言われて味がおかしくなるように?
歌舞伎には文楽を基とする浄瑠璃をはじめ、能、狂言を原点とする松羽目物等、数多くの古典芸能を歌舞伎化したものがあるが、それらは総て歌舞伎になっておらねばならず、義太夫を聴きたければ文楽へ、能、狂言を見たければ能楽堂へ行って欲しい。従って、能、狂言、浄瑠璃でもない、それらを原点とし成熟させ舞台の上の全部が歌舞伎化された本当の大歌舞伎をお見せするのが、我々歌舞伎関係者の義務だと思う。と言うのである。
能、狂言、文楽は、歌舞伎よりももっと歴史のある古典芸能であり、幸四郎の言う演劇とは違ったジャンルのパーフォーマンス・アートである。
歌舞伎劇とは、一体、何なのか、どう定義する古典芸能なのか、そして、歌舞伎劇を本当に分かると言うことは、どういうことなのか。演劇としての歌舞伎を目指すと言うのなら、他の演劇とどう違うのかetc.
型の演劇である歌舞伎が、その型が生まれ残ると言うのは、その演じ方がその時代の観客に受け入れられて来たからで、本能的に歌舞伎の良さを察知し、感覚的にいい歌舞伎を分かっている観客の見る目の力が、今日の日本の古い、いいものを残して来てくれた、この蓄積の上に築かれた現在あるものが、本当の歌舞伎の姿だと言うことのようである。
したがって、能、狂言、義太夫を歌舞伎役者が学ぶのは素養としてであって、義太夫も人形ではなく生身の人間が演じる歌舞伎の義太夫でなければならないし、地方、囃子等すべてが、歌舞伎になっていなければならないと言う。
当然のこととして、良くても悪くてもと言うことであろう。
さて、能、狂言、文楽からテーマや主題を借用して歌舞伎化した歌舞伎だが、幸四郎の言うように、本当に価値ある本歌取になっているのかどうか。
6月に、人間国宝の野村萬が、三十年ぶりで、狂言の大曲「花子」を勤めるのだが、何回か見ている歌舞伎の「身替座禅」が、アウフヘーベンされた演劇なのかどうか、見比べてみたいと思って楽しみにしている。
幸四郎の本は、これまで、結構読んでいるので、大概の話は知っているのだが、新しい話題などもあって、それに、実際に見た歌舞伎やミュージカルの印象と重ね合わせて読むと面白い。
私が最初に見た幸四郎の舞台は、記憶がはっきりしないが、帝劇での「蒼き狼」のテムジンで、その後は、ロンドンのサドラーズ・ウェールズ劇場の「王様と私」であり、染五郎の舞台も、ロンドンでの「葉武列土倭錦絵(はむれっとやまとにしきえ)」が最初であるから、歌舞伎座の舞台で2人を鑑賞するのは、その後であった。
日本での舞台も、日生劇場での「オセロー」の方から入った感じで、今までに、随分、幸四郎の歌舞伎を観ているが、私には、「ラ・マンチャの男」を含めて、どちらかと言えば、パーフォーマンス・アートのマルチ・タレントとしての役者幸四郎のイメージがある。
今回は、一寸、視点を変えて、幸四郎の歌舞伎観や芸術観について、考えてみたいと思う。
「江戸に生まれた荒唐無稽な歌舞伎は、明治、大正で写実性を加味し、それに昭和の心理描写が加わり、平成の今、それらを受け継いで僕は「演劇としての歌舞伎」を考えている。伝えられた歌舞伎の魂を受け継ぎ、演劇として進化させたい。演劇としての歌舞伎を花開かせ、いつの日か実を結ばせたい。」
ここで、幸四郎が例証しているのは、「盛綱陣屋」での弟・高綱の首実検で、総てを知って父のために言いつけどおりに切腹した甥を哀れに思って、偽首を「高綱の首に相違ない。」と明言する時に、台詞を越えた表現をした初代吉右衛門の心理描写である。これは、原作のデフォルメではなく、長い年月を経て形骸化してしまった物語の核の部分に光を当てて、本来のドラマツルギーを蘇らせるのだと言う。
このことを、上方和事と江戸荒事と言った地方色の濃い民族芸能として栄え、ともすれば荒唐無稽に走りながらも、江戸時代の300年を費やして成熟した歌舞伎の明治以前の姿だと幸四郎は言うのだが、私は、見得やパーフォーマンス、格好良さや粋などの視覚美を強調した江戸荒事には言えるかも知れないが、上方和事、特に、近松門左衛門の浄瑠璃は、謂わば、シェイクスピアに近い戯曲の世界であって、リアリズムと心理描写を核とした芝居そのもの、演劇そのものではないかと思うのである。
演劇性の退化は、東京ベースの江戸歌舞伎の隆盛のなせる業で、上方歌舞伎の勢力減退、急速な衰退とも言うべき現象が拍車をかけて来た結果でもあろうし、
もう一つは、能の世界のように、日本人の観客は、空想の世界と言うか想像の世界と言うか、欧米人などと比べて、はるかに舞台を見ながら思いを巡らす感受性が豊かなので、リアリズムや心理描写を強調しなくても、意識の中で物語を増幅できるのではなかろうか。
尤も、現実には、歌舞伎の芝居が、時代から遊離して来ていたり、現代人が即物的刹那的になってしまったので、これでもかこれでもかと説明や解釈を加えないと分からなくなったと言うことかも知れない。
シャイクスピア劇の所で、「僕は、外国劇はそれがシェイクスピア劇であろうと何であろうと日本人が日本語で日本の観客のために上演するときはすべて現代劇だと思っている。」と言っている。
本場のシェイクスピア劇を見たければ、英米の劇団を呼べばよいし、日本人がやるイミテーションの古典劇など無意味であって、感動的で素晴らしい現代劇だから日本でシェイクスピア劇を上演する意義があるのだと言うのである。
さて、この考え方は、シェイクスピア劇を映画化した黒沢明監督や、シェイクスピア全戯曲を演出して舞台にかけようとしている蜷川幸雄は、或いは、晩年までシェイクスピアを題材にしてオペラに挑戦したヴェルディは、どう思うであろうか。
随分、色々な所でシェイクスピアを見て来たが、少なくとも、私自身は、どこの国の劇団であろうとも、シェイクスピア戯曲として演じられないシェイクスピアの舞台なら、見たくはないと思っている。
「本当の歌舞伎」と言うところで、
「歌舞伎劇を本当にわかっていない人が、「この歌舞伎は良くない」と言った時から、歌舞伎はおかしくなってゆく。」と言っている。美味しかった料理屋がとんちんかんな料理評論家に「まずい」と言われて味がおかしくなるように?
歌舞伎には文楽を基とする浄瑠璃をはじめ、能、狂言を原点とする松羽目物等、数多くの古典芸能を歌舞伎化したものがあるが、それらは総て歌舞伎になっておらねばならず、義太夫を聴きたければ文楽へ、能、狂言を見たければ能楽堂へ行って欲しい。従って、能、狂言、浄瑠璃でもない、それらを原点とし成熟させ舞台の上の全部が歌舞伎化された本当の大歌舞伎をお見せするのが、我々歌舞伎関係者の義務だと思う。と言うのである。
能、狂言、文楽は、歌舞伎よりももっと歴史のある古典芸能であり、幸四郎の言う演劇とは違ったジャンルのパーフォーマンス・アートである。
歌舞伎劇とは、一体、何なのか、どう定義する古典芸能なのか、そして、歌舞伎劇を本当に分かると言うことは、どういうことなのか。演劇としての歌舞伎を目指すと言うのなら、他の演劇とどう違うのかetc.
型の演劇である歌舞伎が、その型が生まれ残ると言うのは、その演じ方がその時代の観客に受け入れられて来たからで、本能的に歌舞伎の良さを察知し、感覚的にいい歌舞伎を分かっている観客の見る目の力が、今日の日本の古い、いいものを残して来てくれた、この蓄積の上に築かれた現在あるものが、本当の歌舞伎の姿だと言うことのようである。
したがって、能、狂言、義太夫を歌舞伎役者が学ぶのは素養としてであって、義太夫も人形ではなく生身の人間が演じる歌舞伎の義太夫でなければならないし、地方、囃子等すべてが、歌舞伎になっていなければならないと言う。
当然のこととして、良くても悪くてもと言うことであろう。
さて、能、狂言、文楽からテーマや主題を借用して歌舞伎化した歌舞伎だが、幸四郎の言うように、本当に価値ある本歌取になっているのかどうか。
6月に、人間国宝の野村萬が、三十年ぶりで、狂言の大曲「花子」を勤めるのだが、何回か見ている歌舞伎の「身替座禅」が、アウフヘーベンされた演劇なのかどうか、見比べてみたいと思って楽しみにしている。