熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

テレビの技術革新の凄さを感じるのだが

2024年10月20日 | イノベーションと経営
   手元にテレビが欲しいと思って、小型テレビ24インチをAmazonで検索した。商品数が少ないので、価格コムに切り替えると、2万円弱からその前後の中国製から3万円台の日本製まで、無数に出てきた。
   別に偏見はないのだが、やはり、買うなら日本製を選びたい。
   安いに越したことはないし、最新の24年版に拘ると、出てきた最適なのは、山善のテレビであった。アンテナ接続用の分配器、分波器とケーブルをしめて2万3千円、Amazonで買った。
   BS4Kはないが、外付けのハードディスクをつければ録画もできるので、これで十分である。
   
   私が注目したのは、テレビの技術革新というか、品質の向上と価格の下落などを総合した経済の発展である。
   定かではないが、半世紀少し前くらいにカラーテレビを買った記憶があるのだが、その品質等の差は今昔の感である。
   例えば、価格だが、当時1台20万円していたとすると、価格は10分の1に下がり、それ以上に、途轍もない質の向上を考慮すれば、GDPには換算されない経済の成長発展は、大変なものである。

   しかし、この価格の下落は、GDPベースでは、その分マイナス成長となっており、さらに、いくら、製品が驚異的な品質の向上を果たしても、GDPに加算されないので、むしろ、技術革新による経済成長が、経済統計上ネガティブに働いている。
   そう考えないと、一人当たりのGDPの成長が足踏みしているにも拘らず、日本人の生活環境が少しずつ良くなっていることの説明がつかない。
   いずれにしろ、技術革新による経済進歩が、物理的な成長から取り残された成熟経済の日本においては、必ずしもGDP成長に貢献するとは限らないパラドックス、
   発展と言えるのかどうか。

   科学技術の進歩による人類の未来については楽観主義者なので、成長論者であるが、経済の質の向上による人々の幸福感は、非常に重要だと思う。
   日本が、今、観光立国としてインバウンド隆盛で世界の人々を魅了するのも、日本が築き上げてきた豊かな歴史と文化伝統のなせる業である。
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日経:学校パソコン、もう返したい 教師の本音「紙と鉛筆で」

2022年02月14日 | イノベーションと経営
   今日は、新聞休刊日、
   日経電子版に気になる記事「学校パソコン、もう返したい 教師の本音「紙と鉛筆で」」が掲載された。
   時代に逆行する由々しき問題なので、コメントしたい。
   多少簡略化して纏めると下記の通り、図表は簡潔明瞭なので借用。

   義務教育の子どもにパソコンやタブレット端末を1人1台ずつ持たせる「GIGAスクール」構想が空回りしている。国の予算でばらまかれた端末を持て余す現場からは「もう返したい」との声も出る。日本の教育ICT(情報通信技術)はもともと主要国で最低レベル。責任の所在がはっきりせぬまま巨額の税金を投じたあげく、政策が勢いを失いつつある。「紙と鉛筆でなければ頭に残りませんよ」とは、中堅教師から本音。日々の業務が山積みの学校現場にとってGIGAスクールは「国から降ってきた話」であり、前向きに受け止めるムードになりにくい。
   一部の若い教師が関心を寄せても、学年や教科で足並みがそろわなければ「保護者から『不公平』というクレームがくるかもしれない」といった組織の論理が優先されがちだ。「結果的にパソコン授業をやりたくない先生やデジタル機器を扱うのが苦手な先生に合わせる流れができてしまう」のが実態。調べもの学習で子どもに自由にネット検索させると、授業の統率が取りにくい。ネットいじめも深刻な社会問題だ。「手間の割に効果がなく、なぜリスクを負ってICTを取り入れるのかと考える教師もいる」と言う。

   GIGAスクール構想は2019年10月の消費増税に伴う経済対策として前倒しで進められた。タッチパネル機能付きのパソコンやタブレットに約3000億円の予算を計上し、全国自治体の98%で「1人1台」が実現。校内の通信ネットワークを整備したり、ICT支援員を雇ったりする費用を含めて総額で約4800億円の税金を投じている。
   大がかりな政策の狙いは、教育ICTの遅れを挽回することだった。
   ところが、国から自治体、教育委員会、さらに学校という歯車はかみ合わない。それが露呈したのがコロナ緊急事態宣言下のオンライン授業で、「自宅にネット接続環境がない児童もいてルーター不足。
   関係省庁にも温度差がある。約4800億円の予算は表向き文部科学省の所管だが、目玉政策として1人1台を仕掛けたのは経済産業省だ。生徒それぞれの学習の進捗に合わせて人工知能(AI)で問題を作成するような「エドテック」を振興する意図がある。一方、文科省はリーマン・ショック後の09年、教材を大型モニターに映し出す「電子黒板」などの導入を進めた「スクール・ニューディール」のトラウマがある。電子黒板は教師らにメリットが伝わらず、「宝の持ち腐れになってしまった」。
教室や家庭で端末を具体的にどう使うか国に強制力はなく、成功事例を積み重ねて社会の支持を広げるしかない。端末は25年前後に更新時期を迎える。責任体制を明確にして政策を再起動しなければ、めったに使われないパソコンに巨額の税金を費やし、子どもたちの教育機会も奪うことになる。
   

   世界ではSNSでの公私の区別、フェイクニュースに振り回されないためのリテラシーといった「デジタル・シチズンシップ」の教育が盛んになっていて、デジタル社会を生きる子どもたちに自律的なコミュニケーションや批判的な思考を教えるべく、デジタル・シチズンシップの教材も多い。
一方、日本の学校教育では、スマートフォンやゲームに依存することへの注意喚起が多い。デジタル・シチズンシップを教えるよりも、学習の妨げになるネットから遠ざけたいという意図がうかがえる。民間調査で保護者が「1人1台」のGIGAスクールに慎重なのも端末が「遊び道具になる」と懸念しているからだ。いまや10代の主な情報源はSNSであり、「なるべく使わせない」という教育はむしろリスクを増幅しかねない。法政大学の坂本旬教授は「情報を疑う訓練が十分ではない」と警鐘を鳴らす。(DXエディター 杜師康佑、嶋崎雄太)
   

   結論から言おう。
   先の図表から日本の学校教育のデジタル率は、先進国では最低レベルであり、それも異常に劣悪だと言うことが分かったが、何度もコメントしているが、一人あたりのGDPが韓国に抜かれるなど、今や、日本のグローバルベースでの経済指標の多くが先進国で最低レベルに落ち込んでしまっていて、繁栄を謳歌していた昔日の面影は全く消えてしまい、普通の国以下の悲しい状態になってしまった。
   更にこれに輪をかけて、歴史上これまで経験しなかったような急速かつ爆発的なICT、デジタル革命の巨大な激動の渦中にあるにも拘わらず、その最強のドライブエンジンたるデジタル革命を軽視して後れを取れば、日本の将来はどうなるか、火を見るよりも明らかである。

   先日来、GLOBOTICS (グロボティクス) 時代に突入して、ホワイトカラーの職務の多くが、遠隔移民と「ホワイトカラー・ロボット」に駆逐されると書き続けてきた。
   多くの先進国では、ホワイトカラー・ロボットが、スタッフの椅子に座ってホワイトカラーの職務を代替しており、どんどん、高度化して上級ホワイトカラーを職から駆逐しつつある。
   また、機械翻訳の驚異的進歩によって、言葉のバリアーが消滅しつつあり、グローバルベースで、最高峰の高度な知見やスキルを備えた技術者や専門スタッフなどを、格安で遠隔移民(国を移動せずに現地に止まって移民のように働く)として雇用できる。これまでは、言葉の壁や移動のコストや困難さや通信技術の制約から、遠隔移民は極少数に限られていたが、機械翻訳の進歩が人財の津波を一気に引き起こし、更に、ビデオ会議や拡張現実(AR)、柔軟なチーム編成や革新的な協業ソフトなどの通信技術の飛躍的向上によって、世界中のあらゆる部門の有能な専門家や人財を、あたかも自社の職場の事務室や会議室で同席するスタッフのように雇用できる、のである。

   既に、世界では、海外のワーカーを発掘し採用し管理する人材とプロジェクトやjobsをマッチングするオンライン・サイトが多数生まれており、
   中国でさえ、最大のプラットホーム猪八戒は、フリーランサーの登録者数は1600万人で、600万社以上が利用していて、ビザは勿論物流や税関の心配もない雇用斡旋で前途有望であり、国際展開しているという。中国の大卒者数は、2022年1000万人超、この多くが真面な職に就けず、超優秀な若者達が、フリーランサーの遠隔移民として、日本にラッシュしてくれば、どうするのか。

   話は飛んでしまったが、私は、万難を排して、デジタルキッズを育てるべきで、紙と鉛筆をパソコンに代えるべきだと思っている。
   小学生と幼稚園の我が孫達は、何の抵抗もなく、喜々としてパソコンを叩いている。こうでなければ、世界に挑戦できない。
   我が年代の過半は、デジタル・デバイドなのだが、酒と同じで、味わえなければ、すなわち、パソコンを使えなければ、人生の半分は棒に振ったも同然だと思っている。
   
   何の備えもなく、戦争は起こらないと信じて安閑としている平和ボケの日本人、このデジタル革命でも、悲しいかな、救いようもないデジタルボケ。
   余談だが、藤井聡太の将棋は、ディープラーニング系の将棋ソフト(dlshogi)を導入していると言うから、AIと最高峰の人知を融合したAI将棋であることを忘れてはならない。
   いずれにしろ、国境など政治経済社会が課す多くのバリアーを取り払った遠隔移民とホワイトカラー・ロボットが、雪崩を打って、ワーカーの過半を占めるホワイトカラーに挑戦を挑むのであるから、今回の雇用破壊は極めて深刻であり、世界の潮流から後れを取りつつある日本には、致命的な打撃となるのは必定である。
   最低限、国際競争力を維持するためには、AIを凌駕する知見やスキルを欠いた上司や専門家などが吹っ飛び、多くのサラリーマン・ホワイトカラーが雇用破壊の大津波を受ける、しかし、受けて立たざるを得ない。
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機械翻訳の驚異的な進歩発展

2022年02月13日 | イノベーションと経営
   先にレビューしたリチャード・ボールドウィンの「世界経済 大いなる収斂 ITがもたらす新次元のグローバリゼーション」だが、遠隔移民とグロボティクス転換の章で、機械翻訳の飛躍的な進歩発展について書いている。
   結論はともかく、私の経験では、どこの翻訳ツールか分からないのだが、window11で叩いているからMicrosoftなのかも知れないが、ニューヨークタイムズやワシントンポストなどの和訳では、誤訳と言うよりも意味をなさなくて困ることが多くて英語の方が良く分かるし、また、この私のブログの英訳も、殆ど真面な英文には程遠くて、納得出来ない。
   いずれにしろ、何処まで許容出来るかの問題だと思うのだが、日本語への翻訳、日本語の外国語への翻訳など、公式文書としては使用できる状態ではないし、まして、日本語の独特なニュアンスをどこまで翻訳できるかは、非常に難しい問題のように思われる。 

   面白いのは、冒頭で、アイスランドで、違法に釣をしていたフランス人が、英語が分からないふりをしてやり過ごそうとしたら、警官が、グーグル翻訳で尋問して多額の罰金を払わされたと語っていることで、イギリスの法廷では、中国人被告のために、グーグルの北京語通訳を使っており、アメリカ陸軍は機械翻訳ソフトを購入して、スマホやラップトップを使って、アラビア語やパシュトウ語を話すイラク人と会話が出来、外国語の文書を読んだり、映像を見たりすることが出来る。
   最近では、AIで訓練されたアルゴリズム「グーグル翻訳」の点数は、満点6に対して、平均的な翻訳者の5.1には見劣りするが、2016年には、5点をつけて急速に進歩しているという。
   しかし、機械翻訳については、多くの識者やプロの翻訳家は懐疑的で、見習い翻訳者が言葉の壁を大幅に引き下げて行くにしても、最高仕様の翻訳は今後も人間の手で行われると言うことである。
   どんなスマホでも、機械翻訳が利用でき、YouTubeでも海外の動画が機械翻訳で見られる機能があり、MicrosoftやAmazonも、この競争に参加しており、どんどん、機械翻訳の裾野が広がっていくと言う。

   さて、一寸話がわき道に逸れるが、これまでに、何度か調査団や視察団に参加して困った問題は、使った通訳の質や能力の問題である。
   随分昔のことになるので、今はどうかは分からないが、端的に言えば、その通訳が日本語と現地語両方に堪能であって、通訳するサブジェクトや内容に十分に知識があって精通していることである。サイマルの専門家などはたいしたものだと思うのだが、観光なら別だが、現地人と結婚した日本人妻と言った専門業務に詳らかでない通訳などに頼むと大変なことになる。
   機械翻訳の場合には、ディープラーニング機能が働くので、専門知識や用語の進化発展は問題ないのであろうが、あまり進むと人間の理解を超えてしまう心配はないのであろうか。

   いずれにしろ、言語間の翻訳なり通訳などで困るのは、全く同じ意味なり同じニュアンスの言葉などある筈がなくて、当たらずと雖も遠からずと言った言葉を使って、誤解を招いて国際紛争になった外交交渉もあれば、全く真意が通じなくて話にならなかったり、折角の意思疎通が台無しになることである。
   「旧約聖書」には、言葉の分断は、神が考えたと言う逸話があるようだが、とにかく、私も國際ビジネスの経験が長いので、言葉の違いによる意思の疎通には辛酸を嘗めており、その増幅作用であるカルチュアショックに苦しんできたので、機械翻訳の進歩発展には大いに期待している。
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リー・ブランステッター:イノベーションを阻むもの

2019年03月20日 | イノベーションと経営
   日経の18日の「経済教室」で、リー・ブランステッター教授の、”イノベーションを阻むもの 戦後システムの名残一掃を”という記事が掲載された。
   日本の過去の輝かしい実績も現在の苦境も原因は一つ、日本企業の経営慣行と政府の政策が一体となりイノベーションを生み出すシステムを作り上げてきたが、これは、先進国の技術に追いつこうとする時期にはよかったが、画期的なイノベーションのゼロからの創出には適していなかった。というのである。

   最初に指摘するのは、画期的なイノベーションをグローバル市場に投入するのは、多くは新しく誕生したスタートアップ企業だとして、クリステンセンの「イノベーターのジレンマ」の推移を説いて、この新規参入成功企業の過激なイノベーションの展開する時期も永遠に続かず、イノベーションの焦点も、大胆なものから漸進的な改善へと移る。と説く。
   クリステンセンの創造的破壊のイノベーションも、ローエンドから参入した破壊的イノベーターが市場を席巻して、この成功企業も同じように、イノベーターのジレンマに陥って持続的イノベータ―となると想定していると思われるので、破壊的イノベーションと持続的イノベーションを繰り返しながら経済が発展して行くと考えてよかろう。

   ここで問題は、米国のようにイノベーションが活発な国では、ある産業が漸進的な変化の時期に移行すると、別の産業が急激な変化の時期に突入して、多数のスタートアップが市場に参入して、大胆な実験に果敢に取り組むパターンが次々に生み出されてくる。
   しかし、日本の場合には、大企業有利・終身雇用など、戦後システムの名残が邪魔して、このシステムの起動を妨げている。というのである。
   この破壊的イノベーション創出を誘発するためには、新規参入企業の革新的なアイデアの保護(強力な特許権)を保障し、実験継続に必要な多額の資金調達(ベンチャー・キャピタル)を容易にし、高度な専門知識を持つ科学者、技術者、管理職の既存企業からの採用を可能にするような制度や政策、特に、人材の流動性が、必須だと言うのだが、日本は、まだ、そのような環境下には程遠い。

   ブランステッターは、日本の戦後期のイノベーション創出システムから説き起こして、その継続が、いかに、日本経済の成長要因を阻害しているかを説いている。
   まず、終身雇用制度が、大企業の男性正社員に盤石の雇用安定性を保障してこれに安住させ、金融制度もVCには向かず、特許制度も範囲が狭いなど、日本のイノベーションには、既存の企業が有利になるバイアスがかかることになっていた。すなわち、イノベーターのジレンマで、持続的イノベーションしか追及できなくなる体質が出来上がってしまっていると言うことであろうか。
   それに、地位を確立した企業は、漸進的な進化に有利な経済条件下におかれていた。低い労働コストと安い円の恩恵を受けて、画期的なイノベーションを目指すよりも低いコストで早く効果が上がる製造業に集中することが理にかなっていた。
   既存製品を、技術深堀りの持続的イノベーションを追求して、価格と質の国際競争で打ち勝って世界市場を席巻したのを、日本経済の実力だと過信して浮かれてしまったが、世界の経済リーダーとして、破壊的イノベーションを追求できなかったので、新しく渦巻いたICT革命とグローバリゼーションの大潮流にキャッチアップできずに翻弄されて、後塵を拝する以外にどうしようもなかったと言うことであろうか。
   また、大学が学部生の教育が中心で、大学院教育や基礎研究に力を与えず、最先端の技術を新しい産業に生かすことに向いていなかった。ということも、悲しい事実で、
   互換性の利く働きバチのスペアパーツばかり育成して、肝心のイノベーターやリーダーを育成してこなかったと言うことであろう。

   日本の既存の大企業は、今や、イノベーションで上回る米企業と低コストで優位にあるアジアの企業との挟撃にあって苦境下にありながら、仮に日本でグーグルが生まれたとしても、衰退する既存企業にとって代わるのが非常に難しいことで、まして、米国では一流の優秀な学生が行きたい企業は60年代と様変わりなのに、日本では殆ど変わっていないことだと指摘している。
   この日本の学生が就職したい企業ランク一覧を観て愕然としたのは、既に、何回も潰れかかって窮地に立った既存企業など、レッドオーシャンの最たるゾンビ企業紛いの企業に人気が集中していたことで、これでは、日本の将来は非常に暗いと書いたことがある。
   海外留学生の激減と、同時に、勉強しなくなった学生の動向と、トインビーの挑戦と応戦スピリットを失いつつある子供たちの将来を思うと、
   欧米何者ぞと、欧米のトップ大学を目指して雄飛し、地球を駆け回って切った張ったと奮闘努力していた我々の血と汗と涙のグローバル競争時代が、無性に懐かしくなってくる。

   日本政府も、特許制度の強化や大学改革、VCシステムの導入等努力してきたが、一国のイノベーション創出システムに、既存の大企業が有利になるバイアスや漸進的進化を好むバイアスがいったん根付くと、根こそぎにすることは極めて難しく、システムを構成するすべての要因が共進化し、相互適応と相互強化を重ねてきたために、必要な変化にしぶとく抵抗している。
   システムが強固となった今日、終身雇用制度の名残を完全に排除しない限り、どんな手を打っても、頑強なイノベーション創出システムは改革できない。と結論付けている。

   結局、日本経済そのものが、イノベーターのジレンマ状態に陥ってしまっていると言うことで、創造的破壊を来すためには、戦後体制に雁字搦めに呪縛されている日本の政治経済社会システムを、ガラガラポン、リセットする以外にないと言うことであろうか。

   私自身は、ブランステッター教授の指摘には、殆ど異存はないが、根本的には、日本人のメンタリティとスピリットの問題が最も重要だと思っている。
   先に記したように、学生の就職人気企業が、大半、将来性を期待できないブルーオーシャンの既存大企業だと言うことは、学校も親族も、そして、社会全体も、そのような価値観で、子供を教育していると言うことを意味しており、「敵は幾万ありとても」というリスクを背負ってでも戦い抜くと言う、挑戦に応戦する敢闘精神を取り戻さなければ、イノベーション精神どころか、日本の将来さえ、非常に危ういと言うことである。
   明治維新で、そして、終戦復興で、燃えに燃えた日本人魂の再興を目指した政治経済社会システムの再構築が必要だと思うのだが、それなりに豊かに成って太平天国にドップリト浸かってしまうと、「アクセクすることもない、もう、これでいいか」と思って安住してしまっているということであろうか。

   とにかく、リー・ブランステッターに、ここまで言われたくないのだが、Japan as No.1で破竹の勢いで成長街道を驀進していたわが日本が、鳴かず飛ばず、イノベーションを忘れたカナリアに成り下がって、普通の国になってしまったことは事実で、頑張らなければ日本が廃ると思っている。
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Innovationではなくて、Innovator

2018年10月20日 | イノベーションと経営
   有楽町駅前の三省堂に行ったら、「クリステンセン関連書」と言うテロップの書棚があった。
   イノベーション関連の本が、並んでいたが、いつも気になるのは、クリステンセンの学術書、
   The Innovator's Dilemma
   The Innovator's Solution
   Innovator's DNA
   原タイトルでは、上記のように、イノベーターであるのに、翻訳書では、
   イノベーションのジレンマ、イノベーションへの解、イノベーションのDNA
   となって、イノベーターが、イノベーションに変わってしまっている。ことである。
   本の中身は、すべて、イノベーターのジレンマであり、イノベーターの解であり、イノベーターのDNAであって、イノベーションではない。
   
   この点については、随分以前から、このブログでも書き続けているのだが、どうでも良いことではなく、イノベーションとイノベーターでは根本的に違う、読みかえればよいと言う次元の話とは違う。
   例えば、最初のイノベーターのジレンマでは、ジレンマに遭遇して経営危機に直面するのは、イノベーターであって、イノベーションでは決してない。
   イノベーションを起こして革新的な経営に成功したブルーオーシャン経営を志向した経営が、その成功ゆえに、ローエンドから破壊的イノベーションによって台頭してきた新規イノベーターに先を越される、イノベーター、すなわち、経営者が、そのようなジレンマに直面すると言うことである。
   経営学の初歩だと思うのだが、本のタイトルは命であり、むしろ、原題通りのカタカナ表記の方がマシな場合がある。
   昔から、翻訳本、特に、専門的な経済学書や経営学書では、結構誤訳が多いのだが、本当は、日本の翻訳者も、その原本の本国で、その専門領域を勉強してきた、両方の言語とその専門領域を理解できている人が望ましいと思っている。
  
   最近出た本で、
   伊神 満氏の新しい本は、「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明 となっており、
   ハーバード・ビジネス・レビューも、5つの「発見力」を開発する法 イノベーターのDNA DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー論文 となっていて、イノベーターと言うタイトルを使用しており、イノベーター何々、というタイトルの本が多くなってきている。
  
   蛇足だが、
   タイトル誤りの酷い例の一つは、日経出版の
   リチャード・S・テドロー著「なぜリーダーは「失敗」を認められないのか」で、
   この本の原題は、Denial: Why Business Leaders Fail to Look Facts in the Face---and What to Do About It で、否認:何故ビジネス・リーダーは、眼前の現実を見誤るのか、そして、それに対処する方法、と言うことであって、翻訳本のタイトルは、原題とは勿論、著者の意図とも中身とも違っていて、あのヘンリー・フォードでさえ、「眼前に展開していた経営環境の変化を直視せずに否認して経営を誤った」と言うことであって、失敗を認められないと言った次元のストーリーではないのである。
   リチャード・S・テドローは、「アンディ・グローブ 上下―修羅場がつくった経営の巨人」というタイトルの素晴らしい本を著した経済史・経営史のハーバードの教授であり、凄い本であることを付記して置く。
   
   タイトルが問題なのかは分からないが、トーマス・フリードマンのベストセラーだろうと思っていた
   「遅刻してくれて、ありがとう(上下) 常識が通じない時代の生き方」と言う立派な本が、三省堂では、売れないのであろうか、まだ、第1版が売られていた。
   これは、原タイトルに近いのだが、安直な本と取られてたのであろうか。
   翻訳本のタイトルの設定は、非常に難しいとは思うのだが、出版社も、それなりの敬意と注意を払って欲しいと思っている。
     
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ブルーボトルコーヒーは日本の喫茶店から

2017年05月10日 | イノベーションと経営
   ニュースでは知っていたが、ブルーボトルコーヒーが、 清澄白河に一号店をオープンして、大変な人気で、東京で順次店を展開中だと言う。
   HPからは、
   清澄白河ロースタリー&カフェは、海外各地から届いた豆が積み上がった倉庫の中で、大きな焙煎機で煎られる豆を見ながら、バリスタたちが入れるコーヒーを飲める場所。
   と言うことで、行ったことがないので、良く分からないのだが、マーティン・ファクラーの「世界が認めた「普通でない国」日本」を読んでいて、このコーヒー店が、日本の喫茶店から発想を得たのだと言うのに、興味を感じたのである。

   ファクラーによると、ブルーボトルの創業者フリーマンに話を聞いたところ、このコーヒーショップのアイデアを得たのは、日本街中どこにでもある個人経営の喫茶店だったと言う。
   店に入ると、注文を受けてから、一杯一杯ドリップしてコーヒーを淹れていて、その美味しさにびっくりして、アメリカでも同じような店が出来ないか考えて、日本の喫茶店のスタイルをもとにして、独自のカフェを考案して、チェーン店を始めたと言うのである。
   これが、アメリカで好評を得て、清澄白河へ、逆上陸したと言うわけである。

   このケースは、ハワード・シュルツが、ミラノで、エスプレッソとカフェラテの美味さに感激してスターバックス起こして、美味しいコーヒーを、安くて簡便に身近な店で味わえなかった英米人に提供したので、皆が喜んで押しかけて一気に人気を博した成功物語を彷彿とさせる。
   この両者に共通していることは、同じコーヒーであったも、味やサーブの仕方や店舗システムなど、異文化異文明の異国で展開すると、全く違う反応なり受け取り方をされて、鴇によっては、大ブレークすると言うことである。
   
   このスターバックスについては、あの偉大なピーター・ドラッカーでさえ、イノベーションだと言ったほどで、私も、このブログで、イノベーション論やスターバックスについては、何度も書いている。
   私は、確かに、スターバックスの経営手法や事業展開については多少の差はあったとしても、喫茶店文化が幅広く花開いている日本人にとっては、特に目新しいものではなく、欧米などでは、イノベーションであっても、日本ではそうでないと思っている。

   これとよく似たケースは、ドトールコーヒーである。
   創業者は、ブラジル移民として渡航後帰国して起業したと言うことだが、あの最初の止まり木形式の簡易ショップの発想は、ブラジルの街角に沢山あるバールから得ているのに間違いない。
   サンパウロなどには、街路に面したビルの角などに、小さな飲料や軽食をサーブする止まり木形式の小さな椅子を置いた簡易ショップが必ずあって、人々は気楽に憩っていて重宝している。
   この発想で、安くて簡単にコーヒーが飲める場を提供して百円コーヒーを始めれば、今のコンビニでのコーヒーが流行っていることからも、成功は十分に推察ができる。
   要するに、ところ変われば品も変わるので、イノベーションになるのである。

   これも、再説で気が引けるのだが、イノベーションとして囃されている1000円散髪のQBハウスのケースである。
   私が、フィラデルフィアのウォートン・スクールで学んでいた時、イタリア人の散髪屋に通って居たのだが、いつも、「カットオンリー」であった。
   アメリカの散髪システムは、頭を刈って、髭を剃って、頭を洗って・・・と日本のように順繰りに整髪作業が進むのだが、途中で、止めても良い。
   日本人学生は、外人に剃刀を持たれるのは躊躇するので、殆ど、「カットオンリー」であった。
   カットした後、寮に帰って、頭を洗って髭を剃れば良いので、安上がりで簡便である。
   カット後の、バキュームの様な毛の吸い取りマシーンが違う程度で、QBハウスのシステムは、私がやっていた「カットオンリー」と殆ど変わりがないのである。

   少し極論かもしれないが、ところが変われば、品も変わってしまうので、上手く行けば、イノベーションとなって、ビジネスブレークすることがある。
   このあたりに、海外進出なり、日本での新規事業のヒントがあるような気がすると言うことである。
   
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ジョン・スカリー・・・新しいムーンショット

2016年09月29日 | イノベーションと経営
   Company Forum 2016で、ジョン・スカリーが、「A New MoonShot」について語った。
   会場に行けなかったので、インターネットでライブ中継を見たのだが、スティーブ・ジョブズとの関りやイノベーションについて語っていたので、興味深かった。

   Moonshot!とは、ケネディのアポロ計画で実現した「月面着陸」を意味する言葉だが、現在は「その時点では到達不可能に見える無謀な挑戦」を指すシリコンバレー用語とかで、いうならば、破壊的イノベーションで、マイクロプロセッサーやワールド・ワイド・ウェブ(WWW)、iPhoneなどの発明がムーンショットだと言う。
   iPhone・iPadなど、画期的な製品で革命を起こしたスティーブ・ジョブズに、ペプシから引き抜かれてアップルの経営を担い、アップルの一時代を築き上げたジョン・スカリーが、ジョブズのイノベーション・スピリットを体現しながら、世界を変える革新的なビジネス=Moonshotを生み出す秘訣を語ると言う触れ込みであった。

   スカリーの新著「ムーンショット! -Moonshot!」を読めば、良く分かるのであろうが、その本の説明では、やや、ニュアンスの違った説明がなされていて、興味深い。
   ムーンショットとは、シリコンバレーの用語で「それに続くすべてをリセットしてしまう、ごく少数の大きなイノベーション」のことをいう。
   クリエイティブな人々に向けて初めて手頃な価格などで販売提供された、Macやwww、グーグルのネクサス・ワンやiPhoneと言ったムーンショットに共通しているのは、「技術的なことに疎い一般の人々を賢くした」ということで、スティーブ・ジョブズのいう「知性の自転車」となったと言うのである。

   いずれにしろ、スカリーの論点は、
   MoonShot、強烈にインパクトのあるイノベーションは、世界を根本的に変えてしまい、元に戻らない。
   今や、A New MoonShotは、市場パワーがシフトする「顧客主導」(Market Power shift to:"Custmaers-in-Control"だと言うことである。
   急激に進歩するテクノロジーによって、市場パワーが、従来のビジネス・リーダーから、「顧客主導」に移って行く。今日では、顧客は。これまでのリーダーの評価名声よりも、他の顧客の意見に、もっともっと影響される。
   このことは、現実にも、フェイスブックやツイッター、グーグルやアマゾン等々SNSの急激な台頭で、先刻我々が経験していることで、正に、市場パワーが、企業から顧客へ主導権が移ってしまったと言うことである。

   スカリーは、コダックの凋落を、使い捨てカメラ競争でウォルマートに敗北し、デジタル写真やアップルのipodやフォーンチップに駆逐された経緯をかたり、
   指数関数的な進歩を続けるテクノロジーの変化が如何に激しいか、The Era of Urgency「迅速の時代」だと、
   6月には誰も知らなかったポケモンGoが、翌月には、ツイッターを凌駕したと、その威力を語った。

   したがって、従来の業務のやり方は、あらゆる情報を駆使して精緻を極めたビジネス・プランを作成して、戦略戦術を練って実施してきたが、最早、この手法は、時代遅れで、
   最新のICTテクノロジーを駆使して顧客プランを構築した業務改革が必須である。
   現在は、迅速性の時代に移っており、顧客が市場をコントロールしている。これに適応出来るか出来ないかで、企業の命運は決まる。と強調する。

   ところで、スカリーは、自分を引き抜いたスティーブ・ジョブズを解任し、その後、業績悪化でアップルを退任した。
   今日の講演で、自分は、adaptive innovatorだと言っていて、イノベーションを生む人材として、ダーウィンの適者生存を引用して、適応できる人間が大切だと強調していた。
   スティーブ・ジョブズなどその典型だが、クリステンセンのコインした破壊的イノベーションを生むdisruptive innovatorとの対極のイノベーター像で、興味深く聞いていた。

   私自身は、disruptive innovatorの方が重要だと思うのだが、ジョブズよりは実務家に近いスカリーであるから、adaptive innovatorに対するイノベーション創出パワーにも、一家言あるのであろう。
   クリステンセンの持続的イノベーションとは、全く違った概念のイノベーター像だと思うので、かなり、アメリカamazonでの評価も高いので、「ムーンショット! -Moonshot!」を読もうと思っている。
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クリス・アンダーソン・・・21世紀の産業革命の行方

2015年11月03日 | イノベーションと経営
   日立の「SOCIAL INNOVATION FORUM 2015」で、3Dロボティックス社のクリス・アンダーソンCEOが、「21世紀の産業革命の行方 ~オープンイノベーションによる、新たな価値創造~」と言う演題で、貴重な講演を行った。
   アンダーソンは、「ロングテール」「フリー」そして「メイカーズ」の著者であり、その透徹したハイセンスのイノベイティブな発想には定評があり、今回は、メイカーズの概念を更に展開して、Wired誌の編集長を辞めて、設立した3Dロボティックス社の立ち上げから、スマート・ドローンの開発について、正に、メイカーズを地で行く興味深い話を語った。

   「ロングテール」「フリー」は積読で、「メイカーズ」だけは読んで、このブログでもブックレビューしているのだが、ここで、アンダーソンが説こうとしているメーカーズと称する製造会社は、第三次産業革命後の、今現在台頭しつある全くコンセプトの違ったメーカーズなのである。
   私のブログを、そのまま引用すると、
   デジタルツールを利用して画面上でデザインして、デスクトップの工作機械でものづくりを行うメイカーズのことで、ウェブ世代のこのメイカーズは、当たり前に自分の作品をオンラインでシェアする。モノづくりのプロセスにウェブ文化のコラボレーションを持ち込むことで、メイカーズは、これまでのDIY(専門業者に任せず自分でものを作る)に見られなかったほどの大きな規模で、一緒になって何かを創り上げて行く。
   すなわち、メイカーズは、DIYムーブメントをオンライン化することで、オープンソースによってパブリックの場でものづくりを行うことで、巨大な規模のネットワーク効果を生み出す、デジタル・マニュファクチュアリングとパーソナル・マニュファクチュアリングが一体となって起こる第三次産業革命ともうべき、メイカーズムーブメントの産業化であって、これが、次代の製造業の大きな潮流となる。と説くのである。

   驚くべきは、バイオテクノロジーは勿論、DNAの操作など生体分野においても、考えることは、何でも3Dプリンターで作成可能になりつつあると言うアンダーソンの指摘である。

   アンダーソンが強調するのは、クリエイティブな人材は、広く世界中に存在するので、すべてのノウハウや技術をオープンにして、そのオープンソースに立脚したプラットフォームにクリエーションを糾合することが大切であり、創造・クリエーションは、社会が作り出すのだと言う経営姿勢である。
   したがって、かっては、カンパニー対カンパニー、プロダクツ対プロダクツ、の競争であったが、現在は、エコシステム対エコシステムの競争であり、この競争に勝つことが必須だと言う。
   いくら革新的魅力的な企業であっても、どんどん有能でクリエイティブな人材は流出して行く、どのようにして、人材を確保し続けて行くのか、これが最も重要な経営戦略となるのであろう。

   現在、3Dロボティックス社では、最高峰とも言うべきドローンを製造しているのだが、家で子供たちと3Dプリンターで、ドローンを作ったのが始まりで、、DIY Dronesというネット上のコミュニティで知り合った無名のメキシコ青年ジョルディ・ムノスに遭遇したのがきっかけで、、航空工学など専門知識など全くなく、起業したと言う事で、メキシコのティファナとアメリカのサンチャゴに工場を建てて製造を始めた。
   今や、軍事的に製造されたドローンよりも、はるかに性能が高くて安価だと言う。
   何故、そうなのか。
   軍事用にプロが作ったものは、使い勝手が悪く、ユーザーが洗練されていないので、ボタン一つで捜査可能なスマホで実現されているような洗練されたクリエイティブな発想ができないからだと言う。

   「メイカーズ」で、アンダーソンが、一般から出資者を募る「クラウドファンディング」の「キックスター」と言うシステムを使って立ち上げたベンチャー企業が、ソニーが新製品のスマートウォッチを販売しようとした時に、先を越して、デザインでもマーケティングでも価格でも、世界最大手のエレクトロニクス企業の上を行く製品を作って勝利した。と紹介しているのだが、
   このように世界中のファンやユーザーやステークホルダーを糾合したオープンイノベーションやオープンソースのビジネスモデルが、エスタブリッシュメントを駆逐するケースは、枚挙に暇なくなってきており、創造性が如何に大切かを物語っており興味深い。

   3DRのHPを開くと、最先端の機種である口絵写真のSMART DRONE SOLO のデモ映像が映し出されるのだが、BUYのところをクリックすると、その価格が、たったの999.95ドル(12万円)だと言うから驚く。
   

   さて、日本企業の第3次産業革命たるメーカーズへの対応だが、3Dプリンターなどハードの活用はどんどん進むであろうが、IOTやインダストリー4.0に対して、どこまで対応できるかであろうが、しかし、日本の企業文化を考えれば、オープンソースへのビジネスモデルやオープンイノベーションへの変革については、後手後手に回って、世界の趨勢から遅れをとるのではなかろうか。

   2009年創立の3D Roboticsが、今や、世界最高峰のドローン・メイカーになった言うイノベーションの加速化と革命的な企業の躍進は、驚異的だが、須らく、オープンソースのマネジメントによる。
   同社のようなオープンソース・ハードウェアのメイカー企業にとって、オープンにすることは、模倣されるリスクを補って余りあるほど、そこから生まれるイノべーションを取り込めるという利点がある。と言っており、果たして、日本企業が、そのような企業文化を構築できるであろうか。
   他の役員には全く知らされずに、一部のトップしか知らないと言う会社法違反だと思えるような技術のブラックボックス経営をして、窮地に陥ったシャープを考えれば、日本企業が、如何に、オープンソースのビジネスモデルに、拒否反応があるかが、よく分かる。

   この日、IDEOのトム・ケリー共同経営者が、「協創のデザイン・シンキング~組織と個人の創造性のマネジメント~」を語って、非常に啓蒙的であった。
   IDEOの創造的デザイン事業についても、このブログで書いてきたが、世界の最先端を行く企業の革新的なアプローチなり、如何に、未来志向で創造性を追及しているのか、垣間見えて勉強になった。
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ビジネスにはT型ないしΠ型人材必須?

2014年07月29日 | イノベーションと経営
   これも、「イノベーターのDNA」でのトピックスだが、
   世界で最もホットなイノベーション・デザイン企業のIDEOのイノベーション・デザイン・チームは、T型の専門知識を持つ人材で構成される機能横断チームだと言う。
   T型とは、深く精通した専門分野(タテ軸)を一つ持ちながら、多くの分野で幅広い知識(ヨコ軸)を持つ人材なのだが、IDEOでは、この専門的なスタッフが、デザイナーやエンジニア―やIT技術者などは勿論のこと、哲学や宗教学、経済学や地政学などあらゆる分野に亘った混成集団であることでも脚光を浴びていて、正に、クリステンセン教授の優等生の様な会社なのである。

   
   もう少し、IDEOについて記すと、デザイン・ファームなので、どのチームにも、デザインに深く精通したメンバーが一人はいるが、同時に、
   「ヒューマン・ファクター」人類学や認知心理学と言った行動科学の素養があり、ユーザーの視点から新製品やサービスの望ましさを判断できる洞察力を具えた人材、
   「テクニカル・ファクター」新製品やサービスに使えそうな幅広い技術について専門知識を提供できる人材、
   「ビジネス・ファクター」革新的な新製品やサービスが、商業的に成り立つかどうかを判断するのに必要な専門知識を提供する人材
    を、配置するよう心掛けていると言う。

 
   IDEOは、幅広い専門分野から優秀な人材を採用し、お互いに補い合う専門知識を持った人材でチームを組んで、問題を多様な観点から眺めて、イノベーションを誘発し、望ましく実現可能な新製品や新サービスを生み出し続けているのである。

   ところが、同じくイノベーターとして最たる企業であるアップルは、一寸、ニュアンスが違う。
   ジョブズの言葉を借りれば、
   「マッキントッシュを画期的商品たらしめたのは、この製品を手がけたのがミュージシャンであり、詩人であり、アーティストであり、動物学者であり、歴史学者であったこと、そして、彼らがたまたま世界最高のコンピュータ・サイエンティストであったことである。」
   「アップルが、iPadのような製品を生み出せるのは、常に、テクノロジーとリベラル・アーツの交わるところに立ち、二つの世界の良いところを組み合わせようとしてきたからである。」と言っていて、ダブル・メイジャー、すなわち、Π(パイ)型人材について語っている。

   私にとって、ジョブズの言葉の中で、最も感動的なものは、やはり、イノベーションにおいても、企業経営においても、重要なのは、テクノロジーとリベラル・アーツの綜合であると言うことで、この哲学は、勿論、ドラッカーの経営学においても、クリステンセンのイノベーション論においても、核心中の核心であって、かくあればこそ、ジョブズが、イノベーターの神様としての生を全うできたのだと思っている。

   さて、Π型人間についてだが、これまでに、何度も議論して来ているので、結論を急ぐことにする。
   このΠ型人材、すなわち、ダブル・メイジャーの人材だが、先のT型人材の説明を引用すると、「深く精通した専門分野を二つ持ちながら、多くの分野で幅広い知識を持つ人材」と言うことになり、これこそは、企業の経営者に最も求められるべき資質であると思っている。
   多くの分野で幅広い知識と言う言葉を、豊かなリベラル・アーツの素養と置き換えられるのであれば、更に、望ましい。

   大学の専攻が、理工学関係であれば、大学院でMBAを取得する、また、大学の専攻が文系であれば、日本では無理かもしれないが、少なくとも、更に、MOTなり理工学系の学位を取得すると言った形で、文系と理工系の異質な二分野の専門分野を持ったΠ型人間を目指すことである。
   欧米や新興国のトップ・リーダーには、このケースのΠ型経営者が結構多い。
   会社法が、どんどん、変わって来ているのだが、法の要求するのは、プロの経営者による企業の経営であって、経営者は、プロでなければならない筈であるから、この程度の知的装備は、絶対に必要であろう。
   専攻が理工であったから、バランスシートが読めないとか、法化社会の由縁さえ理解できなくてコーポレート・ガバナンス意識欠如と言ったことは、絶対に、許されない筈なのである。
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海外経験が多い程イノベーションを生むチャンスが増加

2014年07月28日 | イノベーションと経営
   クリステンセンたちが、「イノベーターのDNA]の中の「発見力―実験力」の項で、
   「イノベーターの試す実験の中で最も効果的なのが、異文化の中で暮らし、働くことだと分かった。海外経験が多ければ多い程、その経験を活かして画期的な製品、プロセス、事業を生み出す可能性が高くなる。海外生活を少なくとも三か月以上経験した人は、革新的な新規事業を立ち上げるか、製品を開発する可能性が、そうでない人と比べて35%も高かった。と書いている。
   また、「CEOが、就任時に一か国でも海外経験をしている企業は、そうでないCEOの企業に比べて、財務成績が良く、時価総額は平均すると7%も高かった。この株価のプレミアムの一部は、CEOが海外経験で培ったイノベーション能力によるものなのだ。」と言っている。

   異文化異文明の遭遇する文化の十字路において、多くの異質な分野の専門的知識や情報、経験のぶつかり合いによって触発される関連付け思考から、クリエイティブな新しい文化文明、そして、イノベーションが生まれると言うのであるから、
   海外経験が、多ければ多い程、認知的スキルを高めることとなり、イノベーションを生むチャンスがアップするのは当然であろう。
   P&GのラフリーCEOが、フランスで歴史を学んだことや、日本での小売や統括事業の経験などの海外経験が、世界で最も古く最もイノベイティブな企業であるP&Gを率いる上で非常に役立ったと紹介している。

   この本でも詳しく書かれているのは、スターバックスの創業者シュルツの経験で、ミラノでエスプレッソにいたく感激して、コーヒー店の着想を得たことだが、これなどは、正に、生活文化に対する発想のギャップを逆手に取ったイノベーションである。
   私が、留学のためにフィラデルフィアに行った頃は、コーヒーを飲もうと思えば、マクドナルドなどのレストランやホテルのコーヒーショップなどで、水のようなアメリカン・コーヒーを飲む以外に方法がなく、美味しいコーヒーを飲みたければ、特別な高級ホテルやレストランに行かなければならなかった。
   日本のようにお茶でもしようかと言った気の利いた文化はなくて、喫茶店のようなものは皆無であったので、アメリカの喫茶文化は、極めて貧弱だったのである。
   ヨーロッパでも、イギリスなどアングロサクソン系の国では、アメリカ同様であった。   喫茶文化の豊かな国は、ラテン系やオーストリアや東欧の国であったので、アメリカ人であるシュルツが、ミラノで、エスプレッソの美味しさとエスプレッソ・バールの雰囲気の素晴らしさに感激し、そして、偶然、巡り合った夢のような味のカフェラテに驚嘆するのは当然であった。
   こんな素晴らしい場を、アメリカに作りたい、紆余曲折を経ながら、益々、豊かさを増しながら、スターバックス文化を世界に発信し続けている。

   このスターバックスの登場で、イギリスでは、紅茶文化の衰退を招き脅威となっていると言うことについては、大分前にこのブログで書いた。
   アメリカに行けばわかるが、街角のあっちこっちにスターバックスの店が、マクドナルドやケンタッキー・フライド・チキン以上に展開されていて、古くからあったアメリカ固有の生活空間のように根付いてしまっているのが面白い。

   日本のドトールコーヒーの創業者は、かってのブラジル移民経験者と聞くが、この最初のシステムは、ブラジルの街角には必ずある止まり木や立ち飲みコーヒーのあるバールと全く同じで、この飲み物だけの日本版としてスタートした筈である。
   もう一つは、イノベーションだと言われている1000円散髪のQBハウスだが、私が、何十年も前にアメリカ留学時に経験していた理髪店のカット・オンリーをシステム化しただけである。アメリカでは、散髪は、段階的に料金が追加されて行くシステムで、カット、髭剃り、シャンプー、ネイルと続くのだが、我々日本人学生は、外人に髭を当たられるのは不安であったので、カットオンリーで止めて、寮に帰って髭を剃り頭を洗った。
   QBハウスが追加したのは、最後の散髪後の毛の吸い取りくらいであろうか。
   スターバックスもそうだが、海外でのビジネスをそっくり真似て本国で事業化すればイノベーションになるのであるから、後は、認知力の涵養と事業化への経営能力如何であろう。

   このように、注意深さと観察眼、それに、起業家精神さえあれば、外国に行けば、いくらでも商売のタネ、イノベーション的発想を生むチャンスは充満している。
   私自身、外国を回っているような生活を続けていたので、この国で、このようなビジネスを始めれば成功するなあ、と思ったことは何度もあるが、やっていたビジネスマン稼業がそれなりに充実していて興味深かった所為もあって、脇目を振れなかった。
   尤も、言うだけで、自分には、起業家としての才がないことは、十分に認識していたと言う事情もあったと言うことでもある。

   なお、大分前に書いたが、トヨタの張富士夫氏やキヤノンの御手洗冨士夫氏、パナソニックの中村邦夫氏については、アメリカでの駐在経験が、大きく、経営改革など経営戦略の構築に貢献したことは明らかであり、商社を筆頭に日本のMNCの多くのトップが海外経験者であること、もっと、明確なのは、グローバルベースのマルチ経営者カルロス・ゴーンCEOのケースを考えれば、前述したクリステンセンたちの主張の正しさが分かろうと言うものである。

   世界に冠たるトヨタ生産方式(Toyota Production System)については、大野耐一氏が、「じつはかんばん方式は米国のスーパーマーケットからヒントを得たのである。」と言っていたのは有名な話で、とにかく、無理をしてでも、異文化異文明の錯綜する外国へ飛び出して、カルチュア・ショックの洗礼を受けることは、成長の源だと言うことでもある。
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何故日本ではイノベーターが生まれ難いのか

2014年07月27日 | イノベーションと経営
   クレイトン・クリステンセンの「イノベーターのDNA★]を読んでいて、日本のような社会では、イノベーターが、中々生まれないと指摘している個所があり、なるほど、と興味を感じた。
   ここでの論点は、イノベーションを生みだす創造的能力は、遺伝的なものか、後天的なものかと言うことで、創造的能力が生まれながらに授かった遺伝的素質であるだけではなく、伸ばす能力でもあるとする先行研究は多く存在するのだが、果たして、どちらがより重要かと言うことである。
   
   結論は、イノベーションに必要な能力のほぼ三分の二が、学習を通じて習得できる。まず、能力について理解し、練習を積めば、やがて、自分の想像力に自信を持てるようになる。
   卓越したイノベーターを調査したところ、自分がその能力を身に付けられたのは、手本となる人たちが、安心して、また、楽しみながら新しいやり方を発見できる環境を整えてくれたおかげだと、口を揃えて言っている。と言うことである。

   このことは、日本や中国、韓国、多くのアラブ諸国など、個人より社会を、実力より年功を重視する国で育った人が、柔軟な発想で現状を打破してイノベーションを生み出す(又ノーベル賞を受賞する)ことが少ない理由を部分的に説明する。と結論付けるのである。

   政治経済社会体制が、全体主義的社会主義的である国家よりも、自由主義的な国家の方が、創造性豊かな発想が出来そうだと言うことは良く分かる。
   そして、日本は、かなり、自由な民主主義国家であり、経済制度そのものも、自由市場経済であるので、自由な国家だと思えるのだが、昔から言われているように、欧米の先進国と比べてみれば、かなり、管理社会と言うか社会主義に近い体制を具えた国家であることは、明らかであろうし、「個人より社会を、実力より年功を重視する国」であることには間違いない。

   この本で、クリステンセンが強調するのは、
   イノベーターは、「関連付けの思考」と呼ぶ認知的スキルをふんだんに駆使する、すなわち、斬新な発想でものを考え、一見無関係に見える疑問や問題、アイデアを結びつけて、脳が新しいインプットを様々なカタチで組み合わせて、新しい方向性を見出してイノベーションを生み出す。
   画期的な飛躍的前進は、多様な領域や分野が交わるところで見られることが多く、フランス・ヨハンソンの説く「メディチ現象」の出現が必須である。
   ルネサンス期のメディチ家が、彫刻家から科学者、詩人、哲学者、画家、建築家まで、幅広い分野の人材をフィレンツェに呼び集めて文化文明の十字路を形成し、創造的な爆発を現出した。多方面の専門分野が交わるところで新しいアイデアを生み出し、世界史上最も革新的な時代、ルネサンスを生み出した。あの「関連付けの思考」こそが、イノベーションを生む最も重要な要因だと言うことである。
   この本で、革新的なビジネス・アイデアを生み出すためには、革新的なインプットを組み合わせる認知的スキルを育むことが必須だが、その為に、卓越した行動的スキルを如何に涵養すべきかを、「質問力」「観察力」「ネットワーク力」「実験力」の4項目に亘って克明に説明しているのだが、日本の教育なり実際のビジネスの世界から如何に遠い世界かを実感させられる。

   さて、このブログでも、日本の教育制度が、如何に、子供たちの創造性を育む教育から程遠いかを、何度も論じて来ているので、蛇足は避けるが、まず、有能な子供の成長を阻害する最たるものは飛び級制度がないことで、その上に、秀でた特別な才能を圧殺するような、互換性の利くオールラウンドなスペアパーツばかりを造ろうとしていることであろう。
   例えば、英数国の教科で、英語が悪ければ英語の家庭教師をつけて英語の成績を数国並みに上げると言った手法を取り、この英数国の成績を均等に上げようとする考え方の中には、数学の天才は育ち得ない。
   リベラル・アーツ軽視教育にも問題があろう。

   イノベーションが、日本にとっても、日本企業にとっても、必要なことだとするならば、根本的に日本人の思考なり、政治経済社会制度の在り方を考えなければならないのではないかと思っている。

★この本は、「The Innovator's DNA」。しかし、翻訳本は、「イノベーションのDNA」。
 また、「The Innovator's Dilemma」も、翻訳本は、「イノベーションのジレンマ」。
 両方とも、著者の意に反して、イノベーターをよりポピュラーなイノベーションと言う言葉 に変えたばかりに、大きな誤謬を生じている。
    例えば、イノベーターのソニーのジレンマであり、ソニーのDNAであって、ソニーのウォークマン(イノベーション)のジレンマでも、DNAでも全くない。
    ソニーと言うイノベーターが、どのようなDNAを持っており、イノベーターであるが故に、ソニーはどのようなジレンマに遭遇しているのかと言う認識がなければ、クリステンセンは読めない。
    もっとひどいのは、Richard S. Tedlow 「 Denial: Why Business Leaders Fail to Look Facts in the Face---and What to Do About It」が、「なぜリーダーは「失敗」を認められないのか―現実に向き合うための8の教訓 」となっていることで、著者の真意は、「なぜビジネス・リーダーは、眼前の事実を見誤るのか」と言うことで、迫り来る眼前の事実・現実・真実を見抜けなかった、見誤ったが故に失敗すると言うことであって、本を読めば分かるが、翻訳本のタイトルとは全くニュアンスが違う。
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ラタン・タタ・・・タタ・ナノを語る

2014年07月26日 | イノベーションと経営
   日経の「私の履歴書」で、ラタン・タタが、今日の朝刊で、”ナノ 「庶民に車を」世界最安 業界から「安全軽視」の批判”と言うタイトルで、革新的な小型乗用車「タタ・ナノ」の開発について語っている。
   この話は、色々な形で語られていて、経営学上でも、非常に突出したエポックメイキングな出来事で、イノベーションの一つの重要なマイルストーンをも形成している。

   ポイントは、このタタ・ナノは、これまでの乗用車の延長線上の持続的イノベーションではなく、破壊的イノベーション、言うならば、トヨタがかって米国で仕掛けて浮上したようなローエンド・イノベーションであると言うことである。
   ラタンも書いているように、想定価格10万ルピー(17万円)の世界最安値の車を発表した時に、業界関係の多くも安全性などに懐疑的で、インドでトップシェアを握るスズキの鈴木修会長からも厳しく指摘されたと言う。

   鈴木会長がどのような発言をしたのか知らないが、「10万ルピーの車は非現実的」だと言われたとして、ラタンは、立腹したようだが、私には、この両者の頭のギャップが非常に興味深い。
   鈴木会長の頭には、恐らく、現状の自動車と言う概念しかなくて、あらゆる意味から、小型車については、最新の科学技術を総動員してコストカットに邁進して来ているので、それ以上の合理化や生産性のアップなどは容易には有り得ないと言う、持続的イノベーションの考え方しかなかったのではないかと思う。
   しかし、ラタンの頭には、ジュガードなどのインド人独特の精神が脈打っていて、全く新しい革新的な自動車である破壊的イノベーションの発想が渦巻いていたのである。

   これからは、新興国市場でのイノベーションの特異性、特に、リバースイノベーションなどを含めて、最近、遅れている筈の新興国などBOPマーケットにおけるイノベーションの新しい胎動を展望しながら、議論を進めていく。
   このタタ・ナノの誕生には、ウォートンのジテンドラ・シン教授などの著作「インド・ウェイ 飛躍の経営」で説かれているインド経営の四つの原則の内の「ジュガードの精神 即興力と適応力」に秘密がある。
   与えられた極めて限られた劣悪な環境下であっても、「普通」から「最高」のレベルまで、試行錯誤を繰り返して、柔軟性と復元力をフルに活用して、顧客満足を第一に、最も望ましい結果を追求して適応しようとするインド気質である。

   とにかく、ナイナイづくしの貧しいインドで、価値あるものを生み出すブルーオーシャン市場を開拓する以外に生きて行く方法がないのであるから、その環境なり条件下で、考えに考え抜き工夫に工夫を重ねて、顧客の求める財やサービスを生み出そうとする。
   インド人特有の適応力、柔軟性、復元力が、インド人の創造性を喚起して、イノベーションを生み出す原動力になっているのである。

   一例だが、ジャイプル・フットと言う義足は、インド人であるから、地面に直接座って仕事をし、泥道を走り回ったり木登りも出来る義足で、それも、アメリカの合金製の8000ドルに対してプラスチック製の30ドルの義足で、貧しい人には無償で支給しても商売になっている。
   もっと驚くべきは、アラビンド・アイ・ホスピタルの白内障手術で、アメリカでは、75,000から150,000ドルかかる手術を、この病院では、3,000ドルで実施しており、かつ、貧しい3分の1の患者は無料で手術をしても病院は十分に利益を上げている。同じ最高峰の機器や資財を使って手術するのに、何故、これ程安く手術が出来るのか、フォードが1世紀前に実施した大量生産方式とトヨタのリーン生産方式を活用した結果だが、世界最高峰の眼科病院で、ハーバード大学の医学生が押しかけていると言うのだから驚く。

   従って、たった2,000ドルの自動車タタ・ナノを生み出すためには、マインドをリセットして、ゼロから発想しないと生み出せないイノベーションであって、不可能を可能にする挑戦ではあったが、成功しない訳がなく、このようなブレイクスルーを実現しながら新興国発のMNCが、成長を遂げつつあり、タタ・グループは、正に、その雄である。

   インド・ウェイの一つの特質である、誰も注目しないところに創造的な優位性を見つけ出す国家的なビジネスリーダーとしての能力を具えたラタン・タタあればこそ、タタ・ナノが生まれたのであって、
   アメリカの自動車メーカーと反対の方向に動いて、不可能と思われるような低価格帯でナノを速やかに売り出すために、自動車の概念を根本的に見直して、徹底的にデザインを創意工夫した。
   ガンジー的工学原則と言う「徹底した倹約と既存の知恵に挑戦する意欲」に基づく全く新しいデザインを工夫するとともに、組み立てと流通用のコンポーネントキットが地場産業に一緒に販売されて、地元の修理工場などの技師が車を組み立てる際のツールを提供するオープン・ディストリビューション・システムを採用して最廉価の車を生み出したのである。
   正に、エジソンが電球を発明して、発電所から送電体制等一切のシステムを構築してガス灯を駆逐した時のように、キット組立式の新しい自動車を生み出して、生産から流通、修理やメインテナンスシステムまで、インド流に構築してしまったのである。

   これこそが、新興市場のロー・エンドが持つ巨大な潜在力を活性化して革新的ビジネス・モデルを開発することが、如何に重要かを説いたBOPのプラハラード説に対する恰好の応えであろうと思う。
   プラハラード亡き後、リバース・イノベーション論のゴヴィンダラジャンが新興国など途上国で胎動しているイノベーションの重要性を説き続けている。
   先に述べたように、鈴木会長の対応のように、インド発のリバース・イノベーションは、日本の製造業の経営者や技術者の発想や思想の埒外にあり、到底、現在の日本企業の新興国をターゲットにした経営戦略では、頭を根本から切り替えない限り、対抗不可能と言うことである。
   
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日経:イノベーションの条件

2014年05月07日 | イノベーションと経営
   日経が、経済教室に3回にわたって、「イノベーションの条件」を掲載した。
   山中伸弥京大教授の「研究に専念できる体勢を」
   延岡健太郎一橋大教授の「市場より『顧客価値』重視を」
   伊地知寛博成城大教授の「意欲的企業の障害除け」の3篇で、お互いに何の脈絡もないので、日経の意図が分からない。

   
   山中教授は、冒頭で、持論の「大学発イノベーションを生む環境づくりで重要なのは、特許の確実な取得と、それを可能にする様々な専門家を雇用出来る体制だ。」と説く。
   iPS細胞研究所では、知財チームを確立して、「iPS細胞の作製技術を特定の企業に独占させないために」特許を確保し、非営利機関には無償、企業には利用しやすい価格で提供している。不安定な研究者の安定した雇用を確保し、研究者が研究業務の周辺業務に時間を取られず、リスクの高いテーマにも取り組める仕組みを、知財、人材、資金の面で整えることが、日本の研究機関でのイノベーション創出に繋がる。と言う。
   桁違いの寄付額を誇る米国の大学と比較して、東大や京大の寄付額が如何に少ないかを示すために、「大学への年間寄付額」グラフを示して、国には、競争力のある研究環境を構築するために、寄付を後押しする政策や柔軟な研究資金の提供などのサポートを期待したい。と結んでいる。
   基礎研究ステージで、所謂、イノベーションのシーズとなる発明発見の段階であるから、実際のイノベーションへの、過酷かつ熾烈なダーウィンの海や死の谷突破への道程とは違った生みの苦しみに対する科学者としての真摯な要望であろう。

   延岡教授は、「イノベーションの本質は技術革新ではなく、革新的な商品やサービスによって、社会に役立つ新しい価値を創出すること、つまり、価値づくりにある。」として、イノベーション創出に苦労している日本企業の最大の問題は、技術革新が「真の顧客価値」に結びついていない点にある。と言う。
   商品の価値には、機能的価値と意味的価値があるのだが、顧客が主観的に意味付ける価値である後者が、過当競争を生き抜くためにも、技術や社会に成熟化に伴い益々重要性を増しているにも拘らず、機能的価値重視の日本企業は、大きく後れを取っている。
   これまでのような市場起点アプローチで、規模が大きく成長する市場だけ狙うと言う日本企業の対応ではダメで、意味的価値の涵養のためには、顧客に入り込んで共創する顧客起点の経営に切り替えなければならない。
   数字や言葉で表しにくい意味的価値は、日本的コンセンサス重視の意思決定では扱いにくく、今でも、日本企業は、技術や機能の差別化を強調し、企画書は競合企業との技術仕様の比較が中心だ。と延岡教授は言うのだが、確かに、私の趣味のカメラの世界を見ても、当たっていて、スティーブ・ジョブズの世界等夢の夢であろう。

   伊地知教授は、政府による日本企業のイノベーション動向調査を総括したレポートで、ポイントを要約すると、次の通り。
   人材、資金、技術情報の不足が革新阻害
   日本は商品より組織・営業の革新が中心
   中小に大学などとの協働開発促す制度を
   
   伊地知教授は、イノベーションの定義を、国際的には、新たなプロダクト(商品やサービス)を市場に導入したり、新たなプロセス(生産工程や供給方法など)を自社内に導入する「行為」を指している。としている。
   各人各様にイノベーションのコンセプトが違っており、私自身は、シュンペーターとドラッカーをミックスしたような考え方をしており、このブログで100篇以上もイノベーションについて論じているので、詳論は避けるが、延岡教授や伊地知教授の説とは、大分、ニュアンスが違う。

   経営戦略としてのイノベーションについては、モノとサービスの商品の開発に限れば、私自身は、最高のブレイクスルーである無競争の新規市場ブルーオーシャンの開発だと思っている。
   人類の文化文明の発展のためには、産業革命規模のイノベーションである。
   いずれにしろ、文化文明も、国家も、企業も、須らく、イノベーションがなければ、成長発展は有り得ないと思っている。

   人間の創造性クリエイティビティは、無から有を生ずることはなく、必ず既知の知識や経験の新しい組み合わせによって生まれるのだと言われているが、イノベーションも、既知の技術や知識の自由かつ斬新な組み合わせで生まれ出る筈であるから、これからは、地球規模、すなわち、グローバルベースでの知の融合による共創が、必須要件となる筈である。
   

   ヘンリー・チェスブロウがコインしたオープンイノベーションの時代であり、日本企業も、グローバルベースでのオープンビジネス志向に経営の舵を大きく切り替えなければならない。
   日本経済を活性化して、再び、経済的覇権を確立したければ、日本の国を、あのメディチ家が、フィレンツェを、学問芸術、文化文明の十字路にしてルネサンスを現出したように、世界中の人知を日本に糾合して、産業のルネサンスを生み出さなければならないと思っている。
   アベノミクスの第三の矢と言った程度の成長戦略では、ダメなのである。
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バーンズ&ノーブルの革新

2014年02月18日 | イノベーションと経営
   以前に、アメリカの最高かつ最大の書店バーンズ&ノーブルが、ネット・ブック・ショップとして開業したアマゾンの追撃に対抗できなかったことにふれ、既存の成功会社として権威を誇っていた企業と言えども、如何に簡単に駆逐されてしまうか、そして、破壊者による破壊的イノベーションの威力がどれほど凄まじいかについて書いた。
   その後のバーンズ&ノーブルの、謂わば、帆船効果とも言うべき既存事業の再ポジショニングや電子書籍事業への転身などについて、HBRに「相反する2つの変革を同時に進める法」と言う興味深い論文で、紹介されているので、考えてみたいと思う。

   クリステンセンが、「イノベーターのジレンマ」で、イノベーターとして成功して一挙に時代の寵児となって繁栄を謳歌していた企業が、その成功故に、破壊的イノベーションを起こして追撃してきた企業に駆逐されてしまうと言う熾烈な現実を指摘して以降、この既存の企業が、その地位を如何にして維持するかが、経営学上のホット・トピックスとなって、クリステンセンはじめ、多くの経営学者などが持論を展開してきたのだが、依然、決定論は出るすべもないようである。

   このHBRの論文も、その一環の研究で、エイドリアン・J・スライウォツキーが、ダブル・ベッティングとして提唱していた議論の焼き直しと言った感じで、既存のコア事業の再ポジショニングと破壊的な新規事業の開発と言う2つの事業を同時並行で進めるべきと言う理論である。
   成功するためには、コア事業での優位性や財務基盤を維持するなど、ケイパビリティ(組織的能力)の交換によって、経営資源の共有を図って、相乗効果を引き出し、2つの事業を阻害なく成功させることだとして、ゼロックスやバーンズ&ノーブル、デザレットを例に引いて論じている。

   しかし、後述するが、必ずしも、バーンズ&ノーブルが起死回生したとは思えないし、このような二股戦略を完遂するなどと言うのは、余程、有能な経営者がいて、強力かつ卓越したリーダーシップを発揮できる能力を有するなど恵まれた経営環境になければ、至難の業である。
   むしろ、かってのソニーやスティーブ・ジョブズ時代のアップルのように、次々と、破壊的イノベーションを連発して、企業を成長軌道に乗せて行く方が、優しいかも知れない。
   それ程、破壊的イノベーションによって、市場を制覇した成功企業ほど、持続的な発展成長維持は、難しいのである。

 今回は、破壊的イノベーターの成長維持戦略については言及せず、バーンズ&ノーブルの新戦略の展開についてのみ、議論して見たい。

   まず、既存事業の再ポジショニングについてだが、B・ダルトンとして展開していた798店舗すべてと旗艦店を含めて業績不振のメガストアを閉鎖した。
   同時に、教科書部門を積極的に拡大し、大学内書店の委託運営を手掛けるアメリカ有数の企業を買収し、また、利益率の高いギフト用の商品や書籍、児童書、教科書に特化した。
   このコア事業の荒療治とも言うべき再ポジショニングによって、700店近くのチェーン店が黒字を出しているので、今後数年は持ちこたえられそうだと言う。

   大学の教科書なら、完全に売れるし、大学の書店なら、アマゾンで買うよりは、実際に書店で本を確認して買う学者や学生の方が多いであろう。
   また、ギフトの買い物や子供と一緒にゆっくりしたりしながら充実した時間を過ごせる買い物の場を、チェーン店に設営するなど、実際に商品を並べるスペース、ブランド構築、出版社ネットワーク、顧客情報等、持てる経営リソースを活用して、アマゾンとの差別化を図った。

   もう一方の破壊的事業と言うべき電子書籍事業についてだが、eコマース事業の重役であったウイリアム・リンチを引き抜いて、電子書籍の専用端末ヌック(NOOK GlowLight)を立ち上げた。
   カラー画面のヌックで、アマゾンの機先を制して、僅か2年で電子書籍市場の27%を獲得して、出版業界を驚かせたと言う。
   しかし、同社の売上高の大部分は、依然として小売部門が上げていて、ヌック事業は、多大な開発コストが回収できずに赤字である。

   さて、現実だが、
   この記事がHBRに掲載されたのは12年12月で、その後、13年11月27日のロイター電子版に、「米バーンズ&ノーブルは減収、電子書籍部門の不振続く」と言う記事が掲載されて、”電子書籍端末「ヌック」および電子書籍をはじめ、全部門で売上高が減少し、オンライン小売のアマゾン・ドット・コムに苦戦を強いられている状況が浮き彫りとなった。”と報じている。
   総売上高は17億3000万ドルと、前年同期の18億8000万ドルから減少したのだが、純利益はコスト削減が奏功し1320万ドルと、前年同期の50万1000ドルから増加した。
   しかし、電子書籍端末「ヌック」および電子書籍の売上高は32.2%減の1億0870万ドルとなり、大幅に下方後退したと言う。

   Barnes & Nobleのホームページを開くと、New! NOOK GlowLight の写真と$119を$107に値引きする表示がされているが、やはり、トップに出るのは、Biggest Booksで、紙媒体の本の販売広告。
   興味深いのは、New for Kids and Teensと言う大項目があって、子供本に力を入れているのが分かる。
   
   さて、この論文の最後に、
   バーンズ&ノーブルの将来は、ダイナミックな電子書籍市場にある。
   バーンズ&ノーブルは、書籍販売に会社ではなくテクノロジーの会社だと言う。

   私が、フィラデルフィアで勉強していた頃は、バーンズ&ノーブルと言えば、大変な書店で、知の香りのする素晴らしい場を提供していて、ニューヨークに出かけた時には、METとともに憧れの場所であった。
   しかし、大分前に、ボストンに行った時に、市内の大きなバーンズ&ノーブルの店舗に出かけたのだが、何の魅力もない店になっていたので、大変失望したのを覚えている。

   日本の大型書店も、イノベーションを追求して魅力的な店舗づくりと、革新的で魅力ある文化的な香りのするビジネスモデルを構築できなければ、アマゾンに、どんどん、追い込まれて行くに違いない。
   最近、神田神保町の三省堂書店が、1Fを中心に大幅な模様替えをしたのだが、コスト削減を目的としたしか思えないような改造で、書店としての魅力は、何も加わっていない。
   東京駅近辺の大型書店も、書棚などのディスプレィが変わるくらいで、この数年、いや、10年以上も何の進歩も変化もないように思う。

   最近では、何か、私の知らない本でも出版されていないか、見るくらいしか、大型書店に行く目的がなくなってしまった。
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破壊的イノベーター:キヴァ・システム

2014年02月14日 | イノベーションと経営
   先日、アマゾンのロジスティックを大きく変えたキヴァ・システムについて書いたが、ハーバード・ビジネス・レヴューの「破壊的イノベーション」号に、ミック・マウンツCEO自らが、「KIVA the Disrupter」を書いた記事が掲載されているので、破壊的イノベーションの実際について、このケースで考えてみたいと思う。

   物流センターでは、作業員が、倉庫内の棚まで商品を取りに行ってパッキングすると言うのが常態であったが、逆転の発想で、ロボットの一団を利用して商品を棚ごと作業員の所まで持ってこさせるとと言うのがキヴァ・システムである。
   口絵写真は、このHBRの記事写真を複写利用させて頂いているのだが、上からぶら下がっているロボットが、右手の作業台まで棚を運んで来て、包装掛りがパッキングする。

   マウンツが、このシステムの着想を得たのは、宅配サービス付きのオンライン食料品店の商業化を目指していたベンチャー企業ウェブバンで、運営見直しを担当した時に、労働力の70~80%が、ピッキングとパッキングの作業に割り当てられていて、勤務時間の60~70%が商品棚の間を歩き回ると言う高率の悪さに気付いた時であると言う。
   押してダメなら引いて見ろ、と言う訳であろうが、実際には、これと同じシステムで、何十年も前に、オランダにあった某日系企業の倉庫で、倉庫の棚からロボットが商品を取り出して来て、階下の荷台に運び込んで来る装置を見たことがあり、発想としては、決して斬新なことではない。
   しかし、重要な点は、この破壊的な発想を、イノベーションとして実用化したと言うことであって、この死の谷やダーウィンの海を突破する事業化への努力と実行である.
   今でこそ、このキヴァ・システムが、eコマース分野の大手小売業の指示を集めているにしても、当初は、ベンチャー・キャピタリストさえ一顧だにしなかったと言うことで、事業化には、かなりの年月を要した。

   まず、破壊的イノベーションの常として、顧客に対して、キヴァ・システムを、導入するのに、既存のシステムの放棄・破壊を実施して、400~600万ドルのコストを要することを説得するために、不確実性と投資のリスクの軽減策を提示しなければならない。
   クリステンセンのイノベーターのジレンマと相通ずる破壊的イノベーションの破壊的たる所以である。
   それを突破するために、キヴァは、価格設定の方法が核だと考えて、当初から、請求書を提出するのは、事前に確定金額を、契約時、設置時、承認時の3回に集約して、最終承認の前なら、いつでも、返品および全額返済に応じることを保証すると言う居に出て退路を断ったのである。

   また、キヴァの最大の特色は、従来型の伝統を維持する機械製造業界の世界に誕生した新興ハイテク企業であり、起業家精神にあふれたマウンツが、ハードウェアのエキスパートとソフトウェア設計のプロを糾合して立ち上げた会社であるから、ハードウェア設計技術とソフトウェア開発技術、そして、その両者の統合能力がすべて自社内にあって、ソリューションを丸ごと提供できる企業であったことである。
   したがって、どんな環境のセンターであっても、臨機応変に迅速にシステムを配備できることであって、それも、必ず有効に機能し、また、事業環境の変化に応じて、ワークフローやアルゴリズムを改善進化させており、この自動システムが、何処に移転をしても、稼働するように対処できたと言うのである。

   そのほか、システムの設置・保守サービスを収入源と見做さないと決断して、企業のサービス目標を、最低限のコストは回収するが、卓越した顧客経験を提供することに徹して、企業の収益と成長を牽引するのは、利益率の高いシステムの販売だとしたと言うから、ミッション・ステイトメントも卓越していたのである。

   もう一つ面白い指摘は、破壊的イノベーターたらんとする企業にとって最後のカギは、最初に獲得する少数の顧客が握っているとして、ステイプルズ社との良好な関係が、更に、業務の進行に役だったと述べていることである。

   破壊的イノベーターとしてのキヴァに対する競合他社の嫌がらせや挑戦に抗するために、企業文化を定義し、コア・バリューを、
   優れた「キヴァ人」の特徴は何か―競争力がある、独創性、友好的、顧客重視、迅速、結果を出す、良識がある、臨機応変―と言う点と、既存業界に破壊的イノベーションをもたらすためにキヴァがどうふるまうべきかを掲げたと言う。

   この論文には、かなり控えめなイノベーションへの道程しか書かれていないが、マウンツが言うように、すべての始まりは一つの優れたアイデアであったが、最も重要なのは、キヴァが、破壊的イノベーターとして成功するまでの、新しいビジネス・アプローチの大胆な実践の軌跡である。

   倉庫から商品を発送するのに、商品を集めて回るのを、逆にロボットに商品を手元まで運ばせると言う発想そのものが、正に、破壊的disruptiveなのだが、イノベーションとして実現したのは、ICT革命あってたればこそということでもあり、プロダクト・イノベーションのみならず、プロセス・イノベーションにおいても、ハードとソフトのベストマッチが、破壊的イノベーションを生み出す重要な要素であることを示していて興味深い。
   アウトソーシングを多用したスティーブ・ジョブズとは違って、殆ど日本型のワンセット主義で立ち上げた破壊的イノベーションのケースだと思うが、初期のベンチャー段階の起業においては、ソニーやホンダやキヤノンのような方式が有効かも知れないと示唆していて面白い。
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