昨日の日経朝刊が、”「読書難民」の孤独 1日1店消える書店、30年後7割減も 1億人の未来図”を掲載した。
デジタル化の進展などでECで本を購入するのは当たり前となり、電子書籍の市場は8年で4倍に拡大しており、図書館も増加傾向にある一方、書店が1店もない「書店ゼロ」自治体は約28%に達 していて、このペースが続いた場合、人口が1億人を切る50年代には約3000店まで落ち込む可能性がある。
書店が減っている背景には品ぞろえが画一化し、地元ニーズに応えられなかった面もあるとして、その危機的な状況に対処するために、住民との絆を強める地域密着の姿勢で生き残りをめざす書店の試みなどを紹介している。
文化庁調査では69%が「読書量が減った」と回答 してり、23年度では、1か月に本を読む冊数で、1冊も読まない人が62.1%も居て、全く読まないか1~2冊しか読まない人の総数は90%をはるかに超えている。本の質には触れていないので、質の高い本の読者は、学者や学生など限られていて、一般人の読書はお粗末極まりないのであろう。
しかし、興味深いのは、「読書量が減った理由」で、近くに本屋や図書館がないというのは6%であって、スマホなど情報機器で時間がとられるが43.6%で、仕事や勉強が忙しいや視力など健康上の理由が夫々30%以上で、ほかに、テレビの方が魅力的だとか読書の必要を感じないとか魅力的な本が減っているとかが上位に挙げられていて、書店の減少の影響は少ない。
尤も、身近に本屋がなければ、本に接する機会がてきめんになくなるので、影響は深刻であることには間違いない。
活字離れや書店の退潮など本に関することについては、このブログで随分書いてきたので、今回は蛇足は避ける。
最近では、体力的に遠出が無理になってきたので、書店に出かけることは殆どなく、書籍との交流はネットショッピングとなっている。
世界中歩いていても、時間があれば、どこかの書店に潜り込んで、何時間も沈没していたし、東京や大阪などの大書店をはしごしたり、神田神保町に通い詰めたことなど、暇さえあれば、書店に入りびたっていたのを思うと、今昔の感である。
私にとっては、小学生のころから本浸りであり、読書そのものが私の生活そのものであり、人生そのものであったから、この新聞記事とは殆ど縁がない。
さて、私の考えだが、地方の文化発信基地を期待するのなら、本屋を公営にして、図書館や市役所や公民館などの公営施設に併設すればよい。
少なくとも、書店が1店もない「書店ゼロ」自治体約28%には、効果があり、その他書店のある自治体では、経営委託なども含めて既存の書店との共存共栄など協業の綿密な調整などが必要だが、書店産業も、公共財の色彩を帯び始めており、私企業の公営化を考えるべき時期に来ていると思う。
尤も、書店の衰退は、政治経済社会の潮流の変化で、急速な需要の減退を受けての現象であり、産業構造の蹉跌でも経営の失敗でもない。
したがって、書店産業には、歴史と伝統に培われてきた文化財的な貴重な経営のノウハウなどの遺産が蓄積されているので、この文化を維持するのは当然であり、従来の公営化とは違ったキメの細かいかつ積極的な民活が必要であることは言うまでもない。
最近は、移動しなくなったので分からないが、現役時代に監査役として出張で全国を回っていたので、地方の商店街のこじんんまりした本屋さんを見つけると、必ず立ち寄って本を手に取っていた。
その後、地方都市の疲弊で、シャッター通りが続出したので、その多くが消えてしまったのであろうが、地方を歩きながら、しみじみと味わったその地方独特の田舎の文化の香りを思い出しながら、寂しさに耐えている。
このような文化こそ大切にすべきなのである。
しかし、後戻りはできない。
時代にマッチした現代的な書店復活の道を編み出さなければならない。