熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

トマト栽培日記2010(9)・・・イエローアイコやっと色付く

2010年06月28日 | トマト栽培日記2010
   一番早く成長していたイエローアイコだが、実が成ってから足踏みしていて、他のミニトマトが少しずつ収穫期に入っていたのに、まだ、青いままだったが、やっと、黄色く染まり始めた。
   もう既に、6番花房まで、花が咲いて、上の方まで結果していて鈴なりなのだが、花房によっては、根元と先の方では、大分成長に差があるので、肥料を追加する方が良いのかも知れないと思っている。
   色付きは、イエローよりも、レッドのアイコの方が、早いようであった。

   狭い庭のあっちこっちに、かなり多くのプランターに、トマトを植えたので、やはり、日当たりが問題で、日当たりの悪い(と入っても5時間くらいは日が当たっているのだが)所に植えた苗は、生育がひ弱で間延びして、下の方は、花が落ちたり成長が止まったりして、上に行くにつれて花数が多くなって元気になっている。

   さて、先週、桃太郎ゴールドが、尻ぐされ症に罹って実の底が黒ずんだとレポートしたが、イタリアントマトや他のトマトにも、いくらか、被害が出た。
   見つけては摘果して、その後石灰を散布しておいたが、それ程広がりそうには思えないので、このままで様子を見ようと思っている。
   多少、摘果しても、間引いたと思えば良いのである。

   ところで、木が大きく育って、支柱を越え始めたので、茎の先端を切って摘心し始めている。
   やはり、第5番花房くらいまでは、残しておきたいので、適当には調整しているが、6番花房になっても、旺盛な花房をつけた木もあり、苗や種類の持つ個性が出ていて面白い。

   また、わき芽かきを忘れて伸びてしまった側芽を放置して、2本仕立てにしている木もあるのだが、今のところ、本枝に特に負担がかかっているようでもないので、このまま、伸ばすことにして、3番花房程度で、摘心しようと思っている。
   その点、家庭菜園は、農家と違って、趣味と楽しみのためにやっていて、実が成れば上出来で、それなりに有り難いと言う心境であるから、気が楽である。

   いずれにしろ、特別なことが起こらなければ、来週くらいから、日常、家内と二人で食べるだけのトマトくらいは収穫できるような気がしている。
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バラが咲く梅雨時の新宿御苑

2010年06月27日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   梅雨時の新宿御苑は、咲き乱れていた皐月が終われば、緑一色。
   その緑も、木によってマチマチで、自由に枝葉を広げているので、グラデュエーションと、パッチワークのような対比が面白い。
   花といえば、木陰に咲くクチナシや、紫陽花くらいで、何故か、真夏のアラビアで見た唯一の花である夾竹桃も、周りの広い空間に押されて寂しい感じで、これほど、色っけのない新宿御苑も珍しい。

   私は、新宿御苑に入ると、何時も、日本庭園に向かうのだが、楽羽亭の佇まいが何となく懐かしさを感じさせてくれ、池畔のやや高みにある休憩所からの、上の池越しの風景が、季節を一番感じさせてくれるからである。
   新宿御苑は、私が良く散歩道として通っていたキューガーデンとどことなく雰囲気が似ているが、この日本庭園周りの風景は、キューにはない。
   剪定、刈り込みなど、日本庭園のような行き届いた手入れが、キューにはなく、殆ど自然体なのだが、そのかわり、横をテムズ川が蛇行しており、渓谷にも近く、とにかく、色々な種類の沢山の野鳥が群れ集っているのが良く、見ていても飽きない。
   殆どカラスばかりの東京の森とは、大変な違いである。

   当然、この季節は、バラ花壇のあるフランス式庭園を訪れることになる。
   両側に、巨大なプラタナスの並木が左右の遊歩道を挟んで二本ずつ一直線に伸びていて、今は、緑の葉が萌え出でて美しいので、秋の紅葉の頃とは、違った趣があって素晴らしい。
   この遊歩道には、程よい距離を置いてベンチが並んでいるので、天気の良い気持ちの良いシーズンには、読書に勤しんだり、恋を囁く二人姿を、良く見かける。
   閉園の4時を過ぎれば、殆ど誰も居なくなるので、夕日を浴びながら、思いの丈を打ち明けるのには、絶好の舞台かも知れない。

   さて、肝心のバラだが、季節の終わりに近い筈だが、結構、咲いていて綺麗である。
   先のキューガーデンと違って、花がら摘みなど手入れが行き届いているので、最盛期のバラの木だけを残して咲かせているので、見栄えがするのは、流石に日本の庭園である。
   バラの花の種類は、ネームプレートがあるけれど、良く分からないのだが、特に、珍種だとか、最近作出の名品だとかと言ったバラの花が植わっているようには思えない。
   従って、フランス庭園だと言うのだが、最近人気上昇中のフレンチローズが、咲いている風でもなかった。

   この口絵写真は、バラ花壇越しにプラタナスの並木を遠望したものであるが、今、花ッ気があって見栄えのする風景は、このフランス式庭園だけであろう。
   しかし、最も素晴らしいのは、この庭園から、全くオープンなイギリス風景式庭園にかけて、更に新宿門まで広がる真っ青で光り輝いている芝庭である。
   当然、キューガーデンにもない素晴らしい空間で、芝生に寝そべったり、群れたり、車座になったり、やわらかな梅雨の合間の陽を浴びて、憩う人々が多いのもこのあたりで、乳母車を持った幼児連れの若いお母さんたちの小休止のば場もあり、緑と自然とに縁遠い都会人の絶好の憩いの場であろうと思う。

   私は、佐倉城址公園に良く行くのだが、昼の時間には、園内にある国立民族歴史博物館の職員の人たちが、緑陰を散歩しているのを良く見かける。
   ロンドンに居た時も、ビジネスマンたちは、パブで過ごしている人も多いが、そばに、立派な庭園が多いので、寸暇を惜しんで緑の空気と雰囲気を楽しむ人を見ていたのだが、やはり、人間生活にとっては、豊かな緑の空間が、最高の恵みであるのかも知れないと思っている。
   東京のビジネスマンに、皇居一周のジョギングが大人気だと言うのだが、この新宿御苑は、一番緑を必要としているビジネスマンにとっては、休日以外にはアクセス不可能であり、平日4時閉園で、7時でも明るくて気持ちの良い絶好の緑空間を閉鎖して拒否している。
   維持管理の経費が大変だ言うことであろうが、ボランティアを募集するか、雇用促進のために失業者を雇うなどして、夏季の一定期間、入園時間延長で、人々に開放出来ないのであろうか。

   とりとめもないことを考えながら、何時までも鳴り止まない蛍の光のメロディを流し続ける無粋なスピーカーを聞きながら、緑の芝生の絨毯を新宿門に向かった。
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わが庭の歳時記・・・ユリとバラと紫陽花

2010年06月26日 | わが庭の歳時記
   梅雨の時期、今、私の庭で咲いている花と言えば、ユリが最盛期で、バラは入れ替わり立ち代り、それに、紫陽花がかなり長い間花を保っている。
   まだ、フェジョアの花が、どんどん、咲き続けているが、この花は、赤い蘂がぽろぽろ落ちて四散して、花後の佇まいをそれ程優雅でもないので、咲き始めの珍しさとは違って、煩いばかりで、すぐに興味が薄れてしまうのが難である。

   ところで、ユリの花だが、私の場合には、毎年、年が押し詰まった頃に、球根を買って来て鉢植えにするのだが、この頃は、その鉢の数も多くなって、気に入ったものだけに限っている。
   買う時には、ユリの種類や銘柄に注意して、大体派手なオリエンタル・ハイブリッドやアジアンティック・ハイブリッド系の球根を選ぶのだが、すぐに忘れてしまって、どんな花が咲くのか、初夏になってからのお楽しみと言うことになっている。
   花が終わると、しばらく肥料をやって肥培するのだが、掘り起こすことも偶にはあるが、殆どは、葉や茎が涸れてしまうと、そのまま、冬を越させて、翌年芽が出て、花が咲くのを待つと言う、至ってずぼらな方法を取っている。
   株が大きくなる場合もあるので、根鉢を崩さずに、一回り大きな鉢に移植することも、偶にはやっている。
   尤も、総てがまともに咲く訳ではないのだが、かなりの鉢が花を咲かせてくれるので、結構、満足している。

   それに、庭に直植えしているユリも、毎年、花後もそのまま放置した状態だが、翌年には、大体、花を咲かせてくれるので、梅雨時には、私の庭は、派手な大輪のユリの花で、結構華やかになって輝くのである。
   おしべの花粉が、服などにつくと取れなくなるので、おしべだけハサミで切り落として、適当にアレンジして、大き目の花瓶に生けて部屋に置くのだが、バラとは違った、派手さがあって、梅雨時の憂さ晴らしには、丁度良いと思っている。
   色々無造作に植えているので、花の色や形にバリエーションがあって、アンバランスなところが、それなりに面白いのである。

   蕾が肥大し始める頃に、薬剤散布をしておくことが肝心で、大型のオリエンタル・ハイブリッド系のユリなどは、ウイルス病にやられ易くて、咲く前に、花が歪になるなど駄目になってしまう。
   西日の当たるところは駄目だとか、テキストには、色々書いてあるのだが、あまり、神経質にならなくても、ユリは、結構綺麗に咲いてくれる。
   オリエンタルなどは、日本産のヤマユリやカノコユリなどの原種の交配で作出されるので、ジャパニーズ・ハイブリッドと呼ばれるようだが、やはり、ユリは、日本の風土に合った花なのであろう。

   バラだが、鉢植えしたイングリッシュ・ローズなどを、株の育成を図るべく、花の蕾をピンチすべきだったが、そのまま、肥料をやりながら自然に枝を伸ばさせて花を咲かせているのだが、リピート咲きで、次から次へと花が咲くので、結構、愉しませてもらっている。
   イングリッシュ・ローズのうち、ファルスタッフとアブラハム・ダービーは、花が開くと、株への負担を考えて、切り花にして、ガラス製の花瓶に生けている。
   すぐに、びっしりと花弁が詰まったカップ咲きになり、やがて、ロゼット咲きへと変化して行くのだが、かなり、しっかりした花で、比較的長い間楽しめるのが嬉しい。
   二鉢のオールド・ローズは、花が終わって、新しい枝が出て、どんどん、伸びて繁茂し始めている。
   一輪だけ咲いたフロリパンダのプリンセス・ミチコだったが、その後、急に新しい枝が伸びて、沢山の真っ赤な花をつけて豪華に咲き乱れているので、玄関口に移した。

   紫式部が、どんどん、枝を伸ばして、華麗な放射状のループを描き始めたと思っていたら、いつの間にか、そのループの上に、薄い赤紫色の可憐な花を二列縦隊に咲かせている。
   その後から、緑のキャビアのような小さな実をつけ始めている。

   クチナシの白い花が、一斉に咲き始めた。一重の矢車のような花弁を開いた実成りクチナシだが、花が散ると、濃いオレンジ色の小さなパイナップル状の実をつける。
   優雅で芳香の強い八重クチナシは、まだ、蕾が固い。


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野村ホールディング第106回定時株主総会

2010年06月25日 | 経営・ビジネス
   野村Hの株主総会に出たのは、昨年からの二回だけだが、リーマンショックなどで話題の多い業界にしては、平穏無事な総会で、新鮮味は乏しい。
   今回、特に意識したのは、渡部賢一CEOが、ワールドクラスの投資銀行となることが目標で、現在3.9%にしか過ぎないシェアーを10%以上を占めるゴールドマン・ザックスなど欧米の銀行と伍して競争できる実力アップを目指すのだと強調していたことである。
   既に、アメリカの投資銀行が実質崩壊(?)した世界で、今だ、証券業を中核とした金融業である野村が、何を目論んでいるのか、私には良く分からないのだが、リーマン・ブラザーズの欧州・アジアの人材を継承して、グローバル・ビジネスに拍車が掛かった事業展開に、余程、自信が出来たのであろうか。

   会社の説明では、利益は、その半分が米国、30%がヨーロッパで、日本からは、たったの10%にしか過ぎないと言うことだが、有価証券の売買等および売買等の委託の仲介、有価証券の募集および売り出しの取り扱い、有価証券の私募の取り扱いなどを主たる業務としていては、儲からないのであろうか。
   野村の投信で、家一軒分を損した、恥を知れと株主から揶揄されて、全く恥ずかしいと答えていた役員も役員だが、優秀な人材が総てで、そのような人材を確保する為に、恥ずかしくない給与水準を維持しなければならないとさんざん報酬アップを説いていたが、それ以前の問題であろう。

   今回の1億円以上の役員の報酬開示の措置のために、渡部CEOの報酬が、キャッシュで2億3千万円強、ストックオプションで、3400万円(?)と、その高額報酬が報告されたので、株主から、株主冷遇軽視だと批判が相次いだ。
   まず、問題は、二回の増資による希釈化など、現在、野村の株価が異常に安いことに対する不満で、役員の報酬と株主の価値との乖離が有り過ぎるのではないかと言う不満である。
   これについて、会社は、役員報酬はキャッシュだけではなく、報酬の一部を株式関連報酬として受け取るストックオプションの付与により、持続的な株価のパーフォーマンスを反映するので、株主の利益と一致しているのだと説明する。
   このストックオプション制度については、その比率の高いアメリカにおいて、短期的な収益確保に走り過ぎたCEOなどが問題を起こして、アメリカ資本主義を窮地に陥れたのだが、
   しかし、渡部CEOのケースのように、SP比率が10数%程度にしかならない場合に、株主との利害が一致しているなどと言えるのであろうか。
   日本の場合には、ストックオプション制度が、一種のカモフラージュと言うか、付加的報酬の色合いが強いようで、この制度を維持し続けることが良いのかどうか、多少、疑問に感じた。

   いずれにしろ、株主の関心事は、株価であり、配当であり、そして、今回、婦人株主から批難されていた500円の図書券(交通費にもならない)と言ったお土産であり、慎ましやかな思いなのだが、証券会社として、顧客に対しては、全く違った視線で他社の経営や株式を評価批判する割には、自社株に対しては勿論、経営に対しても、公平と言うかフェアな視点から対応できなくて、自己保身と言うか、通り一遍等な回答でお茶を濁す経営体質には、やはり、問題はあろうと思う。
   野村のホームページで、野村ホールディング株式会社 第106期定時株主総会 質疑応答の概要 を見れば、如何に、意味不明の無味乾燥なレポートをしているのかが良く分かって面白い。
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佐倉城址公園の花菖蒲

2010年06月24日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   梅雨の時期だが、午後になって珍しく気持ちの良い青空になったので、久しぶりに、佐倉城址公園に出かけた。
   この頃は、城址公園の緑が萌えるので、新緑の美しさは格別だが、花ッけは殆どなく、面白くはないのだが、姥ガ池の睡蓮と、その並びにある菖蒲畑の菖蒲と、その周りの紫陽花だけが、華やかな空間を作っている。

   残念だったが、菖蒲は時期が少し遅くてまばら咲きで、カメラの被写体になるような綺麗な咲き始めの花を探すのが大変なくらいで、殆どの花がトシマエンであった。
   農家のおばさんが、畑に入って、せっせと花柄摘みを行って、整理された菖蒲の株元に肥料を施し始めているのだから、仕方がない。
   先日、佐原の水生園の菖蒲を垣間見たのだが、この方は、立派に花が咲いていて、同じ千葉でも場所によって、多少の時期の差があるのであろう。

   私は、この口絵写真のトンボを追っかけてカメラを向けていた。
   オオシオカラトンボだと思うのだが、ブルーの綺麗な体をしたトンボで、菖蒲の蕾の花先や、花の落ちた茎などに止まっていて、思い出したように急に飛び立っては移動している。
   今、私の庭でも急に、トンボが多くなった感じで、近づくと急に飛び立つのだが、このトンボは、黄色い褐色の体でウスバキトンボと称するらしい。
   秋が深まると、真っ赤なアキアカネに入れ替わるのだが、赤とんぼを見ると、子供の頃の懐かしい宝塚の田舎を思い出す。

   菖蒲の花に一匹のくまんばちが戯れ始めた。
   私には、戯れているように見えるのだが、蜂にとっては、大切な蜜集めで、仕事中なのであろう。
   昆虫が近づくと、蜜を求めているように思うのだが、よそ目には蜜などありそうにもない花に群れている虫もあり、果たして、菖蒲の花のどこに蜜があるのであろうか。

   姥ヵ池は、睡蓮の葉がびっしり池面を覆っていて、所々、白い水練の蕾と半開きの花が顔を覗かせている。
   少し、ピンクがかった睡蓮もあるが、殆ど白色で、それに、花径も20センチ弱で小さいので目立たない。
   水面が揺れたと思ったら、亀の甲羅が水中を動いている。
   人通りが少なくなって静かになると、がまがえるか、ヒキガエルか分からないが、大きなカエルの大合唱が始まって喧しい。
   人通りが始まると、急に静かになる。

   遠くで、歌を忘れたのか、鶯が、ホケキョケキョケキョと変な声で鳴き始めた。
   カラスが居ないだけでも、救いである。
   
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日経:ギリシャ~領収書革命

2010年06月23日 | 政治・経済・社会
   今日の日経朝刊の「ユーロ危機」のコラムで、財政危機に揺れるギリシャで、政府が、地下経済にメスを入れるために、「領収書革命」と呼ばれる税制改革を始めたと報道している。
   所得に応じて一定額以上の領収書提出を義務付け、その額に満たなければ罰金を、それを越えて集めた場合は一定額を所得税から控除する「アメとムチ」の政策だと言う。
   ギリシャでは、領収書なしで課税を逃れる地下経済が、大きく、アメリカでもそうだが先進国でも結構この規模が大きくて、OECDの推計では、ギリシャの場合GDPの25%、実質40%に達していると言うのだから、驚きである。

   誰でも、出来るだけ税金の支払いは少なくして節税したいと思うのであろうが、やましい商売をオープンにせずに闇に潜らせるアングラ経済が一般的であろうが、この節税を目的とした地下経済の大きさも周知の事実で、ロシアでは、税金を引き下げたら、無理に地下に潜らせて危ない橋を渡るよりも、オープンにした方が良いと国民が考えて、地下経済の規模が縮小して、税収が増えたと言うのであるから押して知るべしである。
   税金については、サプライサイド経済を信奉するアメリカの保守派などは、いまでも、ラッファーカーブを信じて、税率を下げて減税すれば経済は成長発展すると考えており、日本の左派政党は、逆に、儲けの多い大企業や金持ちから税金を取り上げて格差解消を図れと壊れた蓄音機のように唱え続けているのだが、税金の経済への効果は、経済がどのようなシチュエーションにあるかによって全く違ってくる。

   さて、この記事を読んで、昔のブラジルでの経験を思い出した。
   もう、何十年も前のブラジル・ブームの時、我々日本企業も、大挙してブラジルへ進出したのだが、当時、物を買って持ち帰るなど移動する時には、必ず、買った時の領収書(確か、ノッタと言ったと記憶している)を所持していないと、抜き打ちチェックで見つかると罰せられると言われていたのである。
   ラテン系のブラジルなので、アングラ経済の凄まじさは、当然のことで、このような場合でも、係官に、それ相応のマネーをその場で手渡せば丸く収まるので、こんな制度で地下経済が解消される筈がないのだが、一般庶民は、真面目に対応していて、私も、ブラジル人の会計士から喧しく言われていた。

   ところで、日本は、比較的アングラ経済の規模が小さいと思われているが、私は、実質的にはかなりあるのではないかと思うことが結構ある。
   今、民主党も自民党も、消費財10%を議論し始めているが、消費税がヨーロッパ並みに高くなれば、商店や企業などの節税インセンティブが働くのは当然で、こんな消極的な面からも地下経済の拡大が始まるかも知れない。
   日本人が、かなりのアングラ経済を許容しているのではないかと私が思うのは、日本人が納税番号制度の実施に前向きではないからである。
   アメリカではソーシャル・セキュリティ番号で個人の殆どの経済行為がおこなわれているし、日本の場合にも、個人の経済行為をこの背番号で総てを処理すれば、所得・蓄財・納税などは勿論、日常の取引まで殆どオープンになり便利ではないかと思っている。(勿論、プライバシーや人権問題など、秘密主義の強い日本人にとっては、ネガティブ要因が多々あるが、ここでは、やらないよりはやる方がメリットが多いと言う前提の議論をしている。)

   余談だが、例の振り込め詐欺の場合にも、相手の納税番号を記入し正しく照合できなければ振り込めないようにすれば、あんなに易々と老人たちが騙されて、アングラ経済に金が回る筈がなくなる。
   あの話題をまいた住民基本台帳カードがどのように活用されているのか知らないが、私自身は、年に一回だけe-Taxで使うだけだが、これを援用して活用するのが良いのかどうかは分からないが、あくまで次善の策だとは思うが、行政効率化の切り札であるe-government推進のためにも、諸悪の根源である社会悪を取り締まる為にも、納税番号による国民総背番号制は、絶対に実施すべきだと言う気がしている。
   世界中で税収が大きく落ち込む原因でもあり、諸悪の多くの根源でもあるアングラ経済にメスを入れ、大鉈を振るう為には、経済行為の当事者である個人を捕捉しない限り到底不可能なので、個人の経済行為は須らく、納税番号なり社会保障番号なり個人に打たれた背番号で処理されるべきだと思っている。

   話が横道にそれてしまったが、要するに、何事もFAIRであるべきである。
   勿論、国民総背番号制の実施も、極論だと言うことは、百も承知の上での議論であるが、何十年も前からやっているアメリカに出来て、日本に出来ない筈がないと思っている。
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イングリッシュローズ:ファルスタッフ咲く

2010年06月22日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   イングリッシュローズのファルスタッフが咲いた。
   写真で見た感じとは全く違った濃いピンク色の花弁のびっしり詰まった花で、雨に打たれた所為もあって、首をやや俯き加減に咲いている。
   咲き始めは、普通のバラの花と同じような雰囲気だったが、開くと、典型的なカップ咲きで、コップ状の口に平べったく表面に凹凸なくびっしりと花弁が重なり合って詰まっていて、見慣れているハイブリッドティーの優雅さとは違った味があって面白い。
   もっと開くとロゼット咲きに変化すると言う。

   このバラは、ブッシュタイプで、イングリッシュローズとしては、木立ち性だと言うが、私の鉢植えのこの株は、まだ、4本シュートが出ているだけで、とにかく、花が見たくて咲かせたので、すぐに花と蕾をピンチして、他の枝を出させようと思っている。
   他のイングリッシュローズなどの株もそうだが、肥料を漉き込んで植えつけて、時々、液肥を与えていると、この季節だから、小さな芽を勢い良く伸ばして綺麗な葉を茂らせてくれるのである。

   ところで、この株のラベルもそうだし本などに書かれている和名も、フォルスタッフとなっているのだが、シェイクスピアのFALSTAFFなら、ファルスタッフの方が一般的であろう。
   シェイクスピアと言うよりも、ファルスタッフと言えばヴェルディのオペラの方で有名だが、勿論、シェイクスピアの「ウインザーの陽気な女房たち」がオリジナルで、何度かシェイクスピアに挑戦したヴェルディが、最晩年になって、好色無頼漢のファルスタッフを主人公オペラを書いたと言うのが非常に興味深い。

   実は、私が、イギリスに居て、一番最初に観たシェイクスピア戯曲が、ヘンリー4世二部作で、放蕩王子ハルとその仲間の悪の権化とも言うべき無頼漢のファルスタッフの強烈なキャラクターが、私のシェイクスピアへの誘いであったと言う気がしている。
   いかがわしい居酒屋猪首亭に入り浸っての放蕩三昧の二人だが、世継ぎとなってヘンリー5世に即位すると、一挙に、英邁な理想的な君主に変身したハルは、即刻、フアルスタッフをお払い箱。
   次の「ヘンリー5世」では、昔のよしみで近づくが相手にされず、ファルスタッフは失意の内に死んで行く。
   しかし、その前に、落ちぶれたファルスタッフは、ウインザーに行き、生来の好色振りを発揮して二人の女房に同文のラブレターを書いてモーションを掛けるが、さんざんコケにされ嘲弄されて、川に投げ込まれたり、夜中に森の中に誘われて住民にさんざん痛めつけられて嘲笑されるなど冴えない滑稽な無頼漢・悪党の役回りを演じる。
   これが、人気の高い「ウインザーの陽気な女房たち」であり、ヴェルディの「ファルスタッフ」である。

   しかし、このファルスタッフが、何故、この深くてコクのある優雅な濃いピンクのイングリッシュローズのイメージとなるのか、その意味が理解出来ないのは、私だけではないような気がしている。
   
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トマト栽培日記2010(8)・・・トマトが色付き始めた・尻ぐされ症に罹る

2010年06月21日 | トマト栽培日記2010
   口絵は、色付き始めたミニトマト・ピンキーの写真である。
   40本ほどプランター植えしたトマトの初めての色付きで、一寸、ほっとしている。
   やはり、トマトは赤くなければトマトではないのである。

   イエローアイコの実も、少し黄みを帯びてきたので、色付き間近なのであろう。
   今年は、イエローもレッドも、アイコは、沢山の実を付けていて、上出来である。
   植え場所が問題なのか、日当たりの関係か、遅く植えた地中海トマトとタキイのミニトマトの生育が、一寸、思わしくないのが気になっている。

   ところで、問題は、タキイの桃太郎ゴールド4本が、尻ぐされ症にかかって、実の底が黒く変色し始めて、大きくなって来ていた実を、10数個、摘果してしまったので、殆ど、木に実が残らなくなってしまった。
   何故か、実が丸くならずに、平べったくなっていたのだが、その平べったい実の底が、茶色から黒ずんできたのである。
   同じように、そばに並べて植えてある他のトマト、特に、大玉トマトについては、全く、尻ぐされ症の兆候はないので、何故、この桃太郎ゴールドだけが被害にあったのか分からない。

   藤田智先生の解説によると、土中のカルシューム不足や水不足で、窒素過多が続くと起こる生理現象だと言うことで、石灰を多めに施し、水や肥料の管理を見直せば回復すると言う。
   一番日当たりの良いところに置いたプランターなので、一寸、留守をした直後に帰ってきた時に、少し水切れ状態で萎れていたことはあったが、それは、他の木のトマトも同じような状態になっていたし、また、土壌や植え付け条件なども全く同じだったので、この桃太郎ゴールドだけが、弱くて被害にあったとしか考えられない。
   いずれにしろ、やはり、プランターのために水分の蒸散が早くて、梅雨だからと気を抜くと、すぐに、水切れが起こるので、注意しなければならない。

   急いで、園芸店に行って、石灰を買って来て、株元に散布したのだが、結構、木が間延びせずに詰まっていて3番花房や4番花房の高さが比較的低いところにあるのでこれに期待して、下の方は諦めて、木の回復を待とうと思っている。
   カルシュームを多く含む葉面散布用の液体肥料が効くということだが、園芸店で探せなかったので、これは断念した。
   
   アイコは、大玉トマトの木よりも、細く長く伸びるので、既に、第6花房でも、2メートルを越えてしまったので、その上で摘心して成長を止めた。
   木の支柱については、私の場合には、色々な出来合いを買って試みてみたが、一番手っ取り早くて経済的なのは、篠竹の支柱を使うことで、一本は、プランター外の地面に差し込んで固定柱とし、もう一本を支柱としてプランターの中の苗のすぐそばに立てて、二本の竹の先を針金で縛って固定し、紐で、この支柱に苗を固定する方法を取っている。
   苗の固定をルーズにすると、アイコなどのミニトマトは、実の重みで、木が折れ曲がって下に沈み始めるので、ところどころで固く支柱に木を固定し直さなければならない。
   
   梅雨に入ったのだが、毎日雨が降ってじめじめした蒸し暑い梅雨ではなくて、今年は、雨の中休みが多くて、まだ、トマトには、梅雨の被害は出ていない。
   薬剤散布をすれば良いのか、梅雨明けを待った方が良いのか、悩むところだが、とりあえず、延期して、施肥だけにしようと思っている。
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映画:屋根の上のバイオリン弾き

2010年06月20日 | 映画
   先日、BShiで、「屋根の上のバイオリン弾き」を放映していたので、録画しておいて、久しぶりに最後まで見た。
   記憶と言うのは良い加減なもので、何回か見た、あんなにポピュラーな映画であるにも拘らず、話の概要や、ところどころのシーンや役者などを覚えている程度で、細かいことは殆ど忘れてしまっている。
   しかし、今回見て、この映画が、素晴らしく感動的な作品であることをあらためて認識した。
   これまで、世界中を歩きまわり、あっちこっちで色々な歴史や異邦人の生活などに触れながら経験し蓄積して来た私自身の人生の年輪が、そっと私の背中を押したのかも知れないが、しみじみとした人間賛歌が、感動を新たにしてくれたと言うことであろうか。

   映画は、舞台となるアナテフカ村が、夜のしじまから少しずつ明るくなって行き、屋根の上のバイオリン弾きのメロディが聞こえると、夜明けとともに仕事に出かけようとする主人公のミルク売りテビエの独白から始まる。
   ”この村の住民は、みんな、あの屋根の上のバイオリン弾きと同じで、素朴で楽しいメロディをキイキイ掻き鳴らして生きている。何故高いところに上って危険なことをするのか、ここに居る理由は、このアナテフカ村がHOME(我が家)だからだ。
   わしらの調和を保っているのは、すべてこれ、TRADITIONのお陰だ。
   TRADITIONによって、自分が誰であるかをわきまえ、神のご意思を知るのだ。”
   高らかに、TRADITIONの合唱が流れると、ユダヤ教を象徴する映像が流れ、やがて、賑やかなアナテフカ村のユダヤ人たちの生活が映し出されて、物語が始まる。

   この映画を見ていて、最初に一寸違和感を感じたのは、この映画の最も重要なテーマであるTRADITIONを、「しきたり」と訳して押し通していることで、このようにしきたりと翻訳するとニュアンスも意味も全く皮相的になってしまって、出鼻から観客を固定観念に呪縛してしまうと言うことである。
   電子辞書を開くと、伝統、慣例、ならわし、しきたり、伝承、口伝、伝説、そして、ユダヤ教では神からMosesに授けられ、口伝された不文律、と記されている。
   信仰心に篤いユダヤ人にとっては、生活の総て(?)の根幹にユダヤ教のドクトリンがある筈で、その上に培われてきた長い間の伝統やならわし、しきたりなどが生活を統べていて、この映画のTRADITIONは、ユダヤ教を中心としたこれら総ての意味合いを持った総合的な概念であると思う。

   尤も、そんな固いことを言わなくても、映画を見れば分かるので、蛇足だと言うことかも知れない。
   この映画は、そのTRADITIONが少しずつ移り行く姿を描いた映画、すなわち、父親が一切を仕切って決定権を持っていた娘の結婚と言う伝統しきたりを、3人の娘が悉く破って父に逆らい、長女は、マッチメーカーの仲立ちを蹴って相思相愛の貧しい仕立て屋と、次女は、ロシア革命運動を首謀してシベリア送りにされた男の許に旅立ち、三女は、あろうことか異教徒のロシア青年と結婚すると言う型破りの展開を、
   ユダヤ教の敬虔誠実な信者であるテビエが、時代の流れと娘たちの幸せには逆らえずに、TRADITIONに拘りながらも少しずつ受け入れて行くと言う感動的なヒューマン・タッチの物語になっている。
   娘たちの愛の姿に目覚めて、妻に、私を愛しているか、とテビエが聞きながら近づき、何を今更と照れながら受け応えて唱和する夫婦のデュエットが、胸を打つ。
   長女の結婚式の場面で流れるSUN RISE SUN SET! ユダヤ魂の輝きと誇りを何と神々しくも高らかに歌い上げていることか。
   ロシア政府に故郷を追われて、僅かな家財道具を荷車に乗せて、夕闇迫る荒野を、ニューヨークに旅立っていくテビエ夫妻と幼い2人の娘を、バイオリン弾きが哀調を帯びたメロディを奏しながらついて行く姿を、遠方から広角レンズで追うラストシーンは、堪らなく感動的である。今も昔も、ユダヤ人は、千年王国を求めて世界中を根無し草のように彷徨い続けている。
   私は、時代の流れに翻弄されながらも、時の流れに順応しながら必死に耐えながら雄雄しく生きて行くテビエの人生を見ていて、あの近代へのイタリアの転換期を貴族の没落を描きながら高らかに歌い上げた「山猫」のバート・ランカスターを思い出していた。

   ところで、私は欧米で仕事をしていたので、ユダヤ人たちとの付き合いや経験が結構あるので、これまでにも書いたことがあるのだが、その思い出の片鱗を記してみたい。
   最初に、このTRADITIONとも関係あるのだが、ウォートン・スクール留学時代、インターナショナル・ハウスと言う寮にいたのだが、隣にユダヤ人の数学者が住んで居て、「今日はエレベーターを使えない日なので、階段を歩いて下りて行くから、先に下りて、地下の非常口を開けて待っていて欲しい。」と頼まれたことがある。
   同じ日だったと思うが、フィラデルフィアの某ホテルも、このユダヤの風習に従ってか、エレベーターを各階止まりの自動に切り替えて、ボタンを押さなくても、好きな階で乗り降り出来るようにしていた。
   良く分からないが、ユダヤ教で機械に頼っては駄目だと決められた日だったのであろうか。

   もうひとつ貴重なウォートン時代の経験だが、ジェイコブ・メンデルスゾーンと言うユダヤ人の友人が居て、パス・オーバーの日に、彼の故郷の親元に招待されて、老いも若きも一族郎党の男たちが集まって行われた儀式に参加して、あの小さな帽子を被って席についてgood bookの輪読に加わったり、一緒に過ぎ越しの食卓に着いたことがある。
   何故、異教徒の私が招待されたのか今だに疑問だが、あの時、ジェイの部屋で見せられた額縁に入った楠木の絵のような家系図が忘れられない。
   太い幹から枝分かれした分枝毎に祖先の名前が書かれていて、びっしりと書かれた最先端のジェイと言うところを示して、これが自分だと言った。
   家系図にサークルを描きながら、ここはアメリカ、ここはオランダ、ここはイギリス、ここはブラジル等々と世界中に分散した親族の模様を語ったが、一箇所だけ、中央あたりで枝が途切れて束になっているところがあり、これは何だと聞いたら、ナチスにやられたドイツだと応えて顔を曇らせた。

   もうひとつ、これもフィラデルフィアでの思い出だが、ソ連政府が、ユダヤ人のイスラエルへ移住を認めなかった頃で、丁度、ムラビンスキー指揮レニングラード・フィルの演奏会が、アカデミー・オブ・ミュージックで行われたのだが、当時、興行界を握っていたのがユダヤ人社会で、劇場前でのデモの激しさは勿論だが、客席を半分に真っ二つに仕切って、一方が完全に空席と言う異常な演奏会が始まり、私自身、その異様さにびっくりしたのを覚えている。
   
   あの「栄光への脱出」も、ユダヤ人のイスラエル建国の物語だが、故国を追われて何世紀もの間放浪の旅に明け暮れたユダヤ民族の歴史は壮絶だが、私の好きな音楽家の大半も、経済学者の多くも、ユダヤ人であり、ユダヤの偉大さには疑問の余地はない。
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ソニーの創造する3Dの世界

2010年06月19日 | イノベーションと経営
   ソニーの株主総会で、同時開催された製品展示会で、メインを占めたのは、3D World Createde by Sonyと銘打ったステージ背後の大スクリーンと、周りを取り囲んで設営された3Dテレビ受像機に映し出された3D動画の世界のデモンストレーションである。
   私たちが子供の頃に、赤と緑のセロファンのめがねを掛けて見た懐かしい立体写真の動画版と言うところだが、急に、巨大なスクリーンから眼前に飛び込んでくる自動車や水しぶきの迫力は、流石に動画ならではである。
   入り口で手渡される特殊なメガネを掛けなければならないので一寸煩いが、それ程、異質感が強いわけでもないので、慣れれば気にならなくなるであろうと思う。

   ソニーがスポンサーで放映している「世界遺産」の新しいテーマ音楽を演奏しているバンドネオン奏者小松亮太のライヴ演奏が、ステージで行われ、その映像を撮影しながら、バックスクリーンに映し出されて、観客はメガネを掛けて3D動画を愉しむと言う試みが行われた。
   この口絵写真の右上角の方形の箱が受像カメラで、このカメラをエンジニアがアームを動かして操作して画像を撮影している。
   メガネを外して見れば、普通の映像を見ているのと殆ど変わらないが、3D画像のために観客に近い部分の画像は、二重写しになっていて多少気にはなる。
   このように、殆ど位置を移動しないライブ映像は、立体的な画像としての鑑賞になるのだろうが、例えば、眼前に突進してくるようなアクション映画などでの迫力は各別かも知れない。
   ソニーが、FIFAのスポンサーなので、今夜のワールドカップの日本オランダ戦を3Dで放映したようだが、ボールが飛び込んでくる様子などは、臨場感が全く違ってくるのであろう。

   3D画像を見ていて気になるのは、あくまで、映像枠に囲われた長方形の部分に映し出された被写体のみが立体画像になるのであって、その外側の部分まで映し出されるわけではないので、多少、中途半端な画像になることである。
   私などは、どちらかと言えば、鑑賞のためにテレビを見るのは、オペラや歌舞伎と言ったパーフォーマンスアートであったり、ドキュメンタリー、ニュース番組、それに、文化芸術学術と言った教養番組、政治経済経営関連が大半なので、特に、3Dでなければならないと言うわけではなく、それ程有難いとは思わない。
   しかし、映画などの鑑賞の場合、アクション物は勿論、例えば、ジュラシックパークなどのように恐竜が鎌首を待ち上げて迫ってくるなどと言うのは、面白いかも知れない。
   
   問題は、3Dはこれからと言うことで、ソフトの蓄積がないことが致命的で、実際のTV番組においても放映はこれからで、その切り替えなどは、デジタルへの普及よりは、時間が掛かるのではないかという感じがしている。
   日本の場合、初期には、デジタルよりハイビジョンに力を入れすぎて批判されたことがあったが、実際には、ブロードバンドの普及など最先端を行ったし、現在では、ハイビジョンが高く評価され世界の主流になりつつある。
   従って、3Dの今後の動向も分からないが、メガネの利用から開放されるようなイノベーションが起これば、普及・一般化は早くなるかも知れない。

   ところで、小松亮太と仲間たちのタンゴ演奏だが、イベント会場での、ほんのさわりの演奏会だったが、軽快なリズム感が心地よく、私としては、非常に愉しませてもらった。
   私の場合、タンゴに親しんだのは、アルフレッド・ハウゼのコンサートに出かけて、碧空などのコンチネンタル・タンゴからであったが、当時も、クラシック一辺倒だったが、タンゴも実に美しかった。
   後年、実際に、ブエノスアイレスに行って、タンゴが生まれたボカのうらぶれた港町を訪れてカミニートと言うカラフルな小径を歩き、古い船底の廃墟のような佇まいのビエホ・アルマセンと言うナイトクラブで、むせ返るような熱気の中で、激しくも切ないバンドネオンの音に乗せて繰り広げられる踊りと歌に、激しい旅愁を感じたのを、ほんの昨日のことのように覚えている。
   
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ソニー第93回定時株主総会

2010年06月18日 | 経営・ビジネス
   ソニーの定時株主総会が、品川のホテルで開催されたので、今年も出かけた。
   特に、話題があるわけでもなかったし、業績も極めて悪かった所為もあって、総会の出席者も例年より少なく、質疑応答前に退場する株主も多くて、総会終了間際には客席に空席が目立った。

   業績については、売上高および営業収入は下落する一方で、7兆円少し、税引き前利益については、黒字に転換したとは言っても、269億円と微々たるもので、コアビジネスのコンシューマープロダクツ&デバイスとネットワークプロダクツ&サービスは、依然、赤字を脱し得ずで、金融および、映画、音楽で得た利益が貢献した形である。
   コアビジネスの収益向上も、コスト削減が大きな貢献要因で、プロダクツの差別化や創造性など前向きの付加価値の増加によるものは、殆どなかった模様である。
   映画や音楽にしても、マイケル・ジャクソンのTHIS IS ITや、スーザン・ボイルの売り上げ増が寄与したと言うから、お寒い限りであり、コアにしても、アップルや任天堂に負けて、もう、何年になるのか、売り上げ増でしか利益基調になれないソニーの弱点が継続し続けるのであろうか。
   昨秋、2012年には、営業利益を5%、ROEを10%にすると言う経営数値目標をぶち上げたようだが、ストリンガーのコメントにあるようにデジタル時代への対応さえ道半ばで、未だにままならないソニーが、果たして、平常状態ならいざ知らず、グローバル経済環境に不都合を来たしたら、実現可能であろうか。

   株主からの質問で、やはり、ソニーブランドの低落・失墜について、LEDバックライト搭載TVを最初に開発しながら、製品化でサムソンに出し抜かれるなど、寂しい限りで、ナンバーワンの製品がいくらあるのかと追求されていた。
   ストリンガーCEOは、ソニーは、新技術の開発は最初だが、過去の記憶がアザとなる場合もあり、No.1を維持し続けるのは難しいとしながら、今回、ソニーの新技術戦略で強調していたのは、最先端を行く3D技術への積極果敢な対応と、グーグルとの提携によるアンドロメダを活用したインターネットTVへの取り組みであった。
   特に、後者については、ハードとソフトを自社内で完結しているソニーの戦略上の強みが発揮されたもので、オープンプラットフォーム対応では、最先端を走るのだと強調していた。

   ところで、このソニーの新技術の開発は一番最初だが、製品化で遅れを取るという現実については、イノベーション追求を最大の武器とする製造会社としては、最低とも言うべきであろう。
   発明発見、技術やノウハウのシーズはいくら生まれても、死の谷やダーウィンの海を突破してイノベーションを実現し、更に、製品化して利益を上げてコアビジネスにすると言う最後のプロセスが至難の技であり、これが、実行出来ない製造会社は、競争戦略を考え直さなければならない筈である。
   今回、下期になって、やっと、PS3のハードコストが販売価格を割って利益基調となり逆ザヤが解消したと発表していたが、
   テレビにしろデジカメにしろ、ソニー製品の殆どが、所謂、競争者のあるコモディティまがいの商品であるから、価格下落とコスト削減のイタチゴッコに明け暮れ、その激しい鬩ぎ合いに永久に晒されて、余程のブルーオーシャン商品の開発で他の追随を振り払わない限り、競争相手が、韓国台湾中国と言った新興国メーカーであればあるほど、このコアビジネスでの業績好転などは望み薄であろう。

   ストリンガーCEOが力点を置き、今回、製品説明会で展示場の殆どを占めていた3DTVなどソニーの誇る3D対応技術だが、既に、サムソンは勿論、日本の他のメーカーも、それなりの技術で製品化に成功しており、多少の技術的優位はあったとしても、最早、ソニーの独壇場ではなく、強力な差別化製品でもなくなっており、デジタル製品ゆえの急速なコモディティ化は避けられず、利益を生むコアビジネスにはなり得ないであろうと思われる。
   私は、ソニーの起死回生は、かってのウォークマンのような他の追随を許さないような全く斬新な破壊的イノベーション、すなわち、ブルーオーシャン製品の開発以外には有り得ないと思っている。
   
   今回の総会の議題は、取締役14名の選任と、ストックオプション付与を目的とした新株予約権を発行する件の2件だけであった。
   最近の経済学書や経営学書で、アメリカ資本主義を崩壊に追い込んだ元凶として悪の権化のように糾弾されているストックオプション制度を、温存して更に進めようとするソニー経営陣は、何を考えているのかと言うところだが、フクシマ報酬委員会議長から、ソニーの役員報酬制度について、極めて懇切丁寧な詳細に亘っての報告があり、現行報酬制度を継続するために必要な議案だと言うことが分かった。
   今回も、市民オンブズマンより報酬について質問があり、フクシマ議長は、執行役を兼務するストリンガー、中鉢、大根田3人の報酬額を数字を上げて明確に説明したのだが、やってみれば何のことはなく、何故、これまで、報酬開示について、つまらないバトルを続けてきたのか不思議な思いである。
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イングリッショローズ:アブラハム・ダービー

2010年06月17日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   鉢植えのイングリッシュローズのうち、アブラハム・ダービーの最初の花が咲いた。
   ピンクとアプリコット系が交じり合った複雑な色合いの花と言うことだが、茶色がかったピンクと言うか、私の愛飲しているダージリン紅茶に近い色合いである。
   薄い花弁が密集したロゼット咲きの花で、10センチ以上もあるので重たくて、うつむき加減なので、写真に撮り難い。

   名前の由来を調べると、鉄の大量生産を可能にした技術を開発して産業革命に貢献した人物の名前だと言う。
   忘れていたが、イギリスは産業革命の発祥地なのである。

   イギリスに住んでいた時、産業革命が産声を上げたブラック・カントリー(黒郷)に行ったことがある。
   開発公社だったか組織は忘れたが、当地の代表をしていたフランシス氏を知っていたので、産業革命の息吹を感じることが出来ると思って、喜んで出かけて案内をしてもらった。
   昔のことなので、良く覚えていないが、村の鍛冶屋と言った感じの工場跡地などが残っていたが、勿論、近代的な工業地帯とは程遠く、生産活動の爆発的な転換と言っても、やはり、当時としても、それ程、大規模な変化と言うことでもなかったらしい。
   しかし、ロンドンで、カール・マルクスが住んでいた家が、クオバディスと言うイタリアレストランになっていて、良く訪れて、マルクスが起居していた屋根裏部屋に入った時の実感と同じように、産業革命の発祥地を見たと言うブラック・カントリー訪問は、私にとって、エポックメイキングな出来事でもあった。

   ところで、デイビッド・オースティンの開発したイングリッシュローズには、カンタベリー物語は勿論、シェイクスピア戯曲の登場人物などの名前も、結構、使われている。
   偶々、ヘンリー4世やウインザーの陽気な女房たちで大活躍するファルスタッフと言う赤いイングリッシュローズを見つけて植えてあり、もうすぐ、咲きそうなので、楽しみにしている。
   
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山川静夫著「歌舞伎の愉しみ方」

2010年06月16日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   山川さんは、歌舞伎関係の本も沢山出していて、そのかなりの数を読んでいるのだが、あらためて、初歩的だと思える岩波新書の「歌舞伎の愉しみ方」を手にした。
   「約束事」がわかればもっと面白い! 名舞台から小道具まで、ご案内いたしましょう。と本の帯に書いてあるが、私などは、何の予備知識もなくて、イギリスから帰ってきて、それまで愉しんでいたオペラやシェイクスピア戯曲を鑑賞するのと同じ気持ちで、日本の伝統芸能である歌舞伎や文楽を愉しもうと言うことで、歌舞伎に近づいたのであるから、元より、十分な知識など欠落してのスタートであった。

   しかし、今回、この本を読んでいて、正攻法のやり方ではなかったが、10数年も歌舞伎を見続けて、それなりに、解説本や歌舞伎・文楽関係の出版物を読んだり、テレビなどで見続けていると、結構、知識が付いて来ていて、それ程、違和感を感じなかったのである。
   約束事の章では、花道、女形、傾城、型、柝、回り舞台、スッポンと言ったことなどの解説であったり、次の歌舞伎・「物」づくしの章では、時代物と世話物から始まって、曽我物、荒事と和事、と言った調子で興味深く説明されているのだが、元より、このような知識がなければ、歌舞伎の初歩さえ楽しめないのだから、年季が入れば、自然と身についてくる知識なのであろう。
   興味深いのは、このような言葉の説明ではなくて、山川さんのアメニモマケズカゼニモマケズ風雪に耐えて(?)蓄積してきた豊かな経験と知識に裏打ちされた薀蓄を傾けた語り口なのである。

   歌舞伎を鑑賞していて、何時も感じるのは、江戸歌舞伎と上方歌舞伎、言い換えれば、荒事と和事という言葉に象徴されるような東西の歌舞伎の違い、差についてである。
   私自身は、シェイクスピア戯曲を英国で見続けて来ているので、芝居は、まともな筋書きのある舞台芸術だと思っていたので、初代市川團十郎が創始した剛勇無双の荒くれ男が、悪者や権力者を散々やっつけて胸のすくような舞台を見せる、無理に話をこじつけたような単純な筋書きの見せる歌舞伎には、最初、かなり違和感を感じて観ていた。
   今でも、実在の石川五右衛門は一寸脇に置くとしても、盗賊を主人公にした白波物の「白波五人男」や「三人吉三」などについては、掛詞や美辞麗句を駆使して七五調のリズムに乗せた華麗な舞台を展開し、結局は勧善懲悪に終わるとしても、何となく違和感があって、あまり、好きにはなれないでいる。
   普通のパーフォーマンスアートとは一寸異質な、日本の古典芸能の特徴であるひとつの分野に、まだ、馴染めていないと言うことだろうと思っている。
   
   山川さんの言葉を借りると、竹本義太夫と言う天才作曲家と、近松門左衛門と言う天才劇作家によって、元禄時代に確立された人形浄瑠璃が、完全に、歌舞伎を食ってしまって、歌舞伎が、必死になって「国性爺合戦」や、竹田出雲たちの人形浄瑠璃の三大傑作などを、脚色(?)して舞台に取り入れた。
   上方歌舞伎の人気が高くなって、上方の役者が江戸に下ると、義太夫節を担当する太夫と三味線弾きの二人を舞台の上手に座らせて、人形ならぬ人間が芝居をする義太夫狂言、すなわち、でんでん物が流行りだしたと言う。
   いずれにしろ、江戸歌舞伎の荒事、白波物などよりは、まだ、芝居に中身があり、私は、どちらかと言えば、近松物が好きである。

   上方の坂田藤十郎の「和事」は、いつの間にか絶えてしまって、その片鱗さえも殆ど残っておらず、三代目中村鴈治郎が、坂田藤十郎を襲名して、その伝統を蘇らせようと試みている。
   山川さんは、藤十郎の芸談について興味深い話を展開していて、初代藤十郎が、祇園のお茶屋の妻女に恋を仕掛けて相手の反応を演技の参考にした逸話を引いて、自然体の中で「まこと(リアリズム)」を追求した人だと言う。
   江戸歌舞伎は先祖から受け継いできた「型」を大切に踏襲してきたが、一方の上方歌舞伎は伝統的な型にあまりとらわれないと言うのも、そのあたりに理由があるのであろうか。
   上方の歌舞伎役者は、毎回、同じ演技をしていると、客が満足しないので、絶えず工夫を重ねて演技に磨きをかけ続けなければならないのだと聞いたことがるが、そうであろう。
   森繁久弥の舞台も、上方漫才もそうだが、とにかく、台本にはないアドリブが秀逸で、先般も、仁左衛門が、近松の舞台で、自分で台詞を考えて即興で演じたのだと語っていたが、状況に応じたクイックレスポンスの生きたビビッドな舞台が、上方芸術のひとつの宝かも知れない。
   
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わが庭の歳時記・・・フェジョアの花が咲いた

2010年06月14日 | わが庭の歳時記
   4~5日留守をしている間に、わが庭も大分様子が変わった。
   まず、固い蕾だったフェジョアの花(口絵写真)が、一斉に咲き始めた。
   もう、30年近くが経つのだが、ブラジルから帰って来てから、園芸店で、フェジョアの苗木を見つけて、ブラジルが懐かしくなって買ってきて、10本ほど、庭に植えたのである。
   ところが、フェジョアは、非常に行儀の悪い木で、どんどん大きくなってところ構わず枝を広げるので、結局、残したのは4本で、それも、毎年、心置きなく強剪定を続けないと、庭中を占領する勢いである。
   この花の分厚い白い花弁をサラダにすると良いと言うのだが、まだ、その気にはなれない。
   キウイのような大きさの緑の実が成り、ジェリー状の果肉を食べると甘くて美味しいのだが、私の庭のフェジョアは、皆、同じ種類の木なので、実つきが悪く、結実しても途中で殆ど落果してしまう。
   しかし、この浮世離れした花姿が好きで、紫陽花と同じ頃に咲くので、梅雨時だが、咲き始めると何時も、晴天のブラジルの大地を思い出している。

   紫陽花も咲き始めた。
   真っ白な房状の斑入り紫陽花の花も、負けずに木陰から顔を出している。

   ところで、案の定、色付き始めていた枇杷の実が、小鳥にやられて跡形もなく消えてしまっている。
   幸い、実の重みで、下に垂れ下がっていた1本の枝が襲撃を免れていたので、10個程だが賞味することが出来た。

   花柘榴が2本植わっていて、オレンジ色の硬い実をつけ始めた。
   表面が縦割れして、柔らかい布のような花びらを覗かせるのだが、これも、浮世離れした面白い花姿である。
   子供の頃から、あの甘酸っぱい柘榴の実の味は忘れられないのだが、敢えて、実のならない花が咲く柘榴を植えた。

   庭のバラは、キャプリス・ド・メイアンと、名を忘れてしまったのだが、黄色いバラが、勢い良く枝を伸ばして房咲きに咲いていて壮観である。
   もう一本、リンカーンだと思うが、真っ赤なバラが、2メートル以上の高さの金木犀を潜り抜けて枝を伸ばして、咲いている。
   このバラは、もう20年以上も前に植えたのをそのまま育てているのだが、沢山分枝して、根元は、逞しく、バラとも思えないような太い幹になっている。
   庭植えのバラは、この3本だけだが、鉢植えのイングリッシュローズが、メアリーローズ以外にも、小さな蕾をつけてきたので、月末くらいには、花を咲かせてくれるかも知れない。
   秋の花を楽しむ為には、鉢植えして間もないので、摘花して、木を育てる方が良いのだろうが、勢い良く枝葉を伸ばし始めているので、数輪だけでも咲かせてみようと思っている。

   種を蒔いて、ポットに仮植えしていた朝顔の苗が、大分大きく伸びてきたので、庭に移そうと思っている。
   混色の種を買ったので、どんな花が咲くのか分からないのだが、昨年は、面白い西洋朝顔が出てきたので、今年も、そんなサプライズが出てくればと期待をしている。

   木陰に放置していた鉢から真っ赤な花が咲いて存在を主張している。
   アマリリスの花である。
   もう何年になるのであろうか、花後には肥培はするのだが、冬には上葉も全くなくなり鉢土だけしか見えなくなるので、木陰に放置しておくのだが、春遅くなると、毎年、忘れずに必ず、四方にラッパのような大きな真っ赤な咲かせてくれる。
   この花を見ると、オランダの懐かしい風物を思い出す。
   あのチューリップで有名なキューケンフォフ公園も、チューリップやヒヤシンス、クロッカスなどの春の花が終わって閉館間近になると、室内展示場は、沢山のアマリリスで、埋め尽くされるのである。
 
   私にとっては、季節の移り変わりで、花が咲くごとに、懐かしい人たちとの思い出や、懐かしい異国や心の故郷の風物を思い出して、幸せなひと時を楽しむのである。

(追記)日本がカメルーンとのサッカーに勝利して、世界各地や日本国中で、日本の若者たちが熱狂し、沸きに沸いた。
若き日本の人々が沸くと、日本は元気になる。
菅内閣にとって上げ潮となろう。
民主党がどうと言う前に、とにかく、日本の政治を安定させなければならない。
そのためには、日本中の若者たちをスパークさせて、彼らに日本の将来を託す土壌を、早急に育成しなければならない。
我々は老兵。去り行くのみで、それも、早ければ早い方が良い。
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朝日新聞世論調査:抜かれる日本、日本に不安95%

2010年06月13日 | 政治・経済・社会
   6月11日の朝日新聞に、現在の日本や生活についてどう思うのか、「いまとこれから」と言うテーマの興味深い世論調査の結果が掲載されていた。
   第一印象は、たった半世紀くらいの間に、日本人の考え方が、全く変わってしまったと言うショックに似た思いである。
   記事のサブタイトルを列挙すると、次のとおり。
   一面は、「日本に不安95%、73%格差小さい国を望む」
   特集ページは、抜かれる日本 冷静な目
    自信:経済力誇れない65%
    将来像:大きな政府望む58%
    自画像:勤勉さ自負せず 求める自立心
    国際社会で:大国化必要なし55%

   この結果をコメントする前に、私自身が、いかに青春・学生時代を過ごし、企業戦士として世界で戦ってきたかを振り返ってみれば、同年代の日本人の考え方なり生き方が良く分かり、良いか悪いかは別にして、その落差の大きさが見えてくるような気がする。

   私の学生時代は、戦後の荒廃から立ち直って、日本経済が上り調子に転じて、神武景気や岩戸景気を謳歌して自信を取り戻しつつあり、安保反対運動に日本が騒然としていた頃で、その後、東京オリンピック開催で新幹線が走り、大阪万博開催で、とうとう、日本が国際社会の桧舞台に登場し、一等国への道を驀進し始めた。
   私が、京大経済学部でテーマに選んだのも、経済成長論で、シュンペーターやロストウなど片っ端から読んで経済成長と経済循環論を勉強した。
   1970年に、アメリカの未来学者ハーマン・カーンが、「超大国日本の挑戦」を著して、「21世紀は日本の世紀」として、世紀の変わり目には、一人当たりの国民所得もアメリカを抜くとぶち上げた。
   「ほんまかいな」と思ったのを覚えているが、その後、フィラデルフィアに発って、ウォートン・スクールでビジネスの勉強を始めたのだが、まだ、繊維交渉程度だったが、授業での日本の経済や経営への関心の高まりを身近に感じ、日本の工業力が、少しずつ、アメリカ産業の脅威になりつつある現実を垣間見た思いであった。

   1979年に、エズラ・ヴォーゲルの「Japan as No.1」が出版されるに至って、日本ブームと世界中の日本への関心が一挙にスパークして、実際にも、1990年代初期のバブル崩壊まで、日本経済の快進撃が継続し、世界中の経済や産業を圧倒し、正に、Japan as No.1の世界を現出した。
   この間、私自身は、世界中を飛び回ってビジネス・チャンスを追及し、ブラジルやヨーロッパににも駐在して実際に開発や建設事業に携わってきたので、日本企業が、如何に世界中を舞台にして活躍していたかを具に見て経験している。
   あの頃、世界のトップ10大銀行の内8行は日本の銀行だと言うほど羽振りが良かったのだが、今ではその栄華は跡形もなく無傷の銀行は1行も残っておらず、その諸行無常と言うか落差の激しさが、当時の現実を物語っている。

   漣舫大臣が、仕分けで、「何故一番でなければならないのですか。二番では駄目なんですか。」と質問していたが、こんな愚問は、元よりなく、当時の日本人の頭には、Japan as No.1しか念頭になかったのである。
   実際に、某大メーカーの重役が、進出先の従業員の仕事振りを見て、アメリカ人だから、あるいは、イギリス人だから駄目なんだと豪語していたし、悪く言えば、傲慢極まりないし、良く言えば、自信が漲っていたと言うことであろうか。

   私の世界観なり人生観は、このブログで何度も触れているので蛇足は止めるが、良かれ悪しかれ、そんな時代が、ほんの少し前に日本にもあったと言うことを述べるにとどめたい。

   私が、今回の世論調査で注目したのは、バブルの崩壊した90年代初頭以降に青春時代を送ってきた世代、すなわち、日本が成長を謳歌してバブルに浮かれていた時代を全く経験したことのない世代、豊かさを全く享受できなかった世代の世論で、それ以前の世代との時代感覚が全く違ってしまっていると言うことである。
   これらの若い世代は、その多くが、長期の経済不況のために、学校を出ても満足な職に有り付けず、フリーターやパラサイト・シングルを通すなど、生活設計が思うように立てられずに自立に困難を来たし、格差社会の犠牲となっている。
   私が、失われた10年、あるいは、失われたこの20年の間に、日本が未来の世代に残した最大の罪は、これら次代を背負って行く若い人々に、勇気と夢と希望を与えられずに、人生設計をズタズタにしてしまったことだと思っている。

   若い世代の人々が、日本の経済力についても、誇れるとは思わないと考え、経済的豊かさはそれ程でもないが格差は小さい国が良く、仕事優先よりも生活優先と感じ、税負担が重いが、社会保障などの行政サービスが手厚い「大きな政府」が望ましいと考え、日本が国際社会の中で、責任や負担が大きい「大国」である必要がないと思うのも当然であろう。
   このような考え方は、われら壮老年世代の生き方人生観とは、かなり対極にあると思うのだが、今の中国人のような、欲しい欲しいで、より良い明日を信じて、我武者羅に突っ走ってさえいれば明るい明日があった、そんなかっての日本人の生活と精神構造は、最早、過去の遺物になって忘却の彼方に消え去ってしまったのであろう。

   日本も、成長は停滞したが、古い文化や伝統を愛し、民度の高い市民社会の息づくヨーロッパのような普通の国になって行くのだと言う人も居るが、実際に、かなり長くヨーロッパで暮らしてきて、そのヨーロッパも、外野から見る程、ハッピーではないことを知っているので、明日の日本を描きながら、複雑な気持ちになっている。
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