熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立劇場・・・歌舞伎「通し狂言 世界花小栗判官」

2018年01月31日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   新春の国立劇場の歌舞伎は、音羽屋の華やかな舞台「通し狂言 世界花小栗判官」であった。
   歌舞伎座のアラカルトの見取り公演とは違って、復活通し狂言と言う斬新さと何を見せてくれるかと言う時めきや期待を抱かせてくれて、非常に興味深いのである。
   
   

   室町時代、足利義満への復讐と天下掌握を企てる謎の盗賊・風間八郎(菊五郎)は、足利家の重宝「勝鬨の轡」「水清丸の剣」を強奪。足利家の執権・細川政元(時蔵)は風間の野望の阻止を図り、風間に父を殺害された小栗判官(菊之助)は、紛失した重宝と風間の行方を詮議し、風間と政元・判官の対決を軸に、歌舞伎が展開される。
   HPの説明を借りると、
   菊五郎演じるスケールの大きな悪の権化風間の暗躍を軸にして、荒馬・鬼鹿毛を鮮やかに乗りこなす馬術の名手・判官の曲馬乗り、風間と政元との虚々実々の駆け引き、照手姫(尾上右近)の危機を救う元・小栗の家臣浪七(松緑)の命懸けの忠義と壮絶な立廻り、離れ離れになっていた判官と照手姫の邂逅がもたらす長者の後家お槙(時蔵)と娘お駒(梅枝)の悲劇、熊野権現の霊験が判官と照手姫に起こす奇跡など、
   ビジュアルにもサウンドにも舞台全体に面白い趣向を加えるなど工夫に工夫を重ねての演出で、非常に楽しませてくれた。
   早い話、小栗判官の菊之助の乗る荒馬・鬼鹿毛など、張り子の馬と言うよりは、競馬馬のサラブレッドのような颯爽としたスマートな素晴らしい姿であり、並の舞台馬とは違って、それだけに、菊之助の雄姿が脚光を浴びるのである。
   小栗判官伝説に基づく判官と照手姫の物語もこの歌舞伎の軸なのだが、菊之助と尾上右近の華麗な舞台も華を添えていて素晴らしい。
   お槙(時蔵)と娘お駒(梅枝)と言う親子コンビの芸の素晴らしさは流石で、このあたりに、伝統芸術の凄さを感じた。
   勿論、この舞台は、菊五郎あっての歌舞伎なのは言うまでもないが、松緑の骨太の演技は特筆もので、彦三郎父子兄弟、團蔵、権十郎、萬次郎、秀調と言ったベテラン脇役陣の活躍も見逃せない。

   余談だが、新春の国立劇場には、羽子板のディスプレイなど華やかな展示がされていて面白い。
   
   
   
   
   
   

   この日、和服姿の観客に加えて、きもの学院の人たちが参集していて、客席が日頃以上に華やかであった。
   
   
   

   さて、開場時間には、時雨程度であったが、開演中に雪が降り始めて、一気に雪景色に包まれた。  
   休憩時の雪景色は、以下の通りだが、
   終演時には、歩くのにも困るほどの大雪となり、這う這うの体で自宅に辿りついた時には、わが庭は雪一色。
   
   
   
   
   
   
   
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マーティン・フェルドシュタイン ・・・米国経済下降時に高まるリスク

2018年01月30日 | 政治・経済・社会
    マーティン・フェルドシュタイン教授が、プロジェクト・シンジケートに、”The Heightened Risks of a US Downturn”を寄稿した。
   米国経済は、過去50年間に9度の不況を経験している。現在の状況を過去よりも異常にし、更に憂慮すべきものとしているのは、短期金利が低レベルにあり、連邦債務が高く増加傾向にあることで、次の不況に対処するために必要な経済的刺激をなし得る政策者能力を削いでしまっていることである。と説いている。
   しかし、米国経済の不況について言及しているのではなく、現下の情勢では、次の不況時には対応が極めて限られてしまっており、大変だと警告しているのである。

   経済拡大への最大のリスクは、財政部門の脆弱性である。過去10年の異常な低金利によって、資産価格を異常に高騰させ、10年国債の実質利回りはゼロで、S&P500の株価収益率は歴史的趨勢より70%高い。資産価格などこれ等が、歴史的水準に戻った時には、投資家は、10兆ドルの損害を被り、消費者支出や企業投資の暴落を惹起する。
   経済活動は、朝鮮問題、高まる貿易戦争、米国の政治情勢などの国際的混乱の結果からも、スローダウンする可能性もある。
   と、現状の米国経済について、過熱気味であり、楽観はしていない。

   フェルドシュタインは、これまでFRBは、通常、不況の時には、短期国債の金利を切り下げるなどで対応してきたと説明した後で、
   先ごろ、資産や不動産投資を誘発するために長期金利を下げるべく実施して来た、最近の異常な金融政策や国債の購入などの政策は、金利が低水準にあるかぎり、期待した刺激的効果があったかどうかは明確ではない。として、
   次の不況の時に経済を刺激する責任は、財政政策、すなわち、税制改革と財政支出となる。と説いている。

   税については、一時的な個人所得の減税は、債務返済や貯蓄に回って経済刺激効果は薄いので、長期的減税であるべきで、2017年減税は、やや長期なので期待でき、次の不況時には、減税恒久化の好機である。と言う。

   次の不況対策は、政府支出の増加である。
   オバマ政権時には、はかばかしく進まなかった所為もあり、あらゆる分野のインフラ投資の増加については、今や、超党派でサポートされている。
   現在、議会もホワイトハウスも、インフラプロジェクトを準備中であり、次の不況時には、その計画を実施すべきである。と言う。

   もう一つの経済刺激策は、軍事支出の増加である。
    Budget Control Act of 2011で、軍事支出が、2012年のGDP比4,3%から、2023年GDP比2,8%に減額することになっているが、国家安全上、これでは非常に危険なので、軍事専門家も論じているように、GDP比4%以上に引き上げるべきである。と言う。

   現在、GDP比77%で、次の10年後にはGDP比97%に達すると言う国家債務の水準では、減税も財政出動も、非常に難しくなる。
   しかし、FRBに殆ど打つ手がなくなってしまった現状で深刻な経済不況に直面すれば、議会にも、選択の余地が殆ど残っていない。
   したがって、将来財政出動が必須となることを見越して、米国は、早急に、国家債務の増加をダウンさせる戦略を打ち出さなければならないことは明白である。
   これこそが、実際に経済が必要とする拡大財政政策を実施できる余地を残す唯一の方策である。と結んでいる。

   FRBの金融政策が殆ど作動しなくなった現状では、次の不況下での経済刺激策は、減税と財政支出の発動に頼らざるを得ない。
   しかし、国家債務が異常に高くなってしまった以上、減税も財政出動も非常に難しくなってきているので、早急に、国家債務を、可能な限り削減しなければならない。
   と言うのが、フェルドシュタインの論旨であろうか。

   ケインズ経済学の焼き直しだろうが、それでは、国家債務の削減には、どうすればよいのか。
   これは、成熟経済化してしまった日本でも、西欧先進国でも直面している深刻な問題だが、要するに、減税して財政支出せよと言うのであるから、原資が限られてしまえば、ない袖は振れないので、極端なインフレ以外には、経済成長を策する以外に道はない。

   宇宙船地球号が、限界に達しつつある現在、経済成長を論ずるのには問題が多いのだが、地球に優しい持続可能な経済成長が可能なはずであろうから、窮鼠猫を食む心境で必死になって、これに向かって対処すべきではなかろうか。

   それは、それとして、トランプが、必死になって、アメリカ ファーストと言って、効果があるかどうかは兎も角、アメリカ経済の再生を策している。
   フェルドシュタインは、トランプの連邦法人税率の大幅減税が、吉と出るか凶と出るかについては、前の論文Cutting US Corporate Tax Is Worth the Costで、効果あると好意的に見ているのだが、
   私は、今までに、アメリカでは、減税による経済成長効果は殆どなかったと言う説をどこかで読んだ気がしており、結果的には、トランプの大型税制改革は、経済成長を期待通りに誘発できずに、大幅な財政赤字を惹起して、国家債務の増加を引き起こすような気がしている。
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わが庭・・・鹿児島紅梅・白梅咲く

2018年01月29日 | わが庭の歳時記
   わが庭の梅も咲き出した。
   紅白咲いているが、江は、鹿児島紅梅。
   直径3cmくらいの濃紅の八重咲の中輪花だが、寒波の厳しい時に咲くので、花弁や蕊が開き切れないので、可哀そうである。
   千葉から移植したので、まだ、2メートルくらいだが、今年は、しっかりと咲いてくれているのが嬉しい。
   
   
   
   
   

   白梅は、かなりの大木で、南高梅なのか豊後梅なのか種類は分からないが、結構、実がなるので、梅酒にしている。
   昨年は、剪定しすぎて実成りが悪かったのだが、今年は結構花付きが良く、収穫できそうである。
   傷めずに実を取るのが大変で、スーパーで買った方が簡単なのだが、そこは、自分の庭の梅だと言うことで、思い入れが違ってくる。
   ワインや日本酒と違って、好んで、梅酒を飲むわけでもないので、随分長い間放置されるのだが、味は変わらない感じである。
   
   
   
   
   

   薬剤散布だが、鎌倉も最低氷点下近くに温度が下がっているので、硫黄合剤を、一寸強いかも知れないが、10倍液にして散布した。
   最近、小瓶での販売がないので、18Lのを買って使っているのだが、真冬に2回くらい硫黄合剤を散布すると、効果てきめんで、温かくなっても、頻繁に薬剤散布の必要がないので助かっている。
   ここ数日、寒い日が続いているが、日が長くなってきた所為もあって、新芽や花芽が動き始めている。
   もう、春がそこまで来ているのである。
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安田登著「能」650年続いた仕掛けとは

2018年01月28日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   「能」と言うシンプルなタイトルに惹かれて読んでみたが、面白かった。
   「百番」を目標に「観倒す」ことも一つの導入の方法です。と言うのだが、私の場合は、まだ、そこまでは多少距離があるのだけれど、能が良く分からないのは、相変わらずである。

   著者は、最初に観た「松風」で、須磨の浦の水面に浮かぶ月の風景がはっきりと見えた、「幻視」を経験した。集中して舞台やパフォーマンスを見て何かを読み取ろうとすると、フィクションの情景が思い浮かぶものだ。と言う。
   能にハマる多くの人は、役者の姿に感覚が刺激されるのか、面が感覚を喚起するのか、囃子の音が脳内ARを発動させるのか、時々「見える」感覚がある。能が、「ここまで来い」と待っているラインを何かの拍子で超えた時に、見えないものが見えてくる。と言うのである。
   その観点から言えば、私など、消費の対象として能に接している不熱心な鑑賞者で、妄想力に欠けるために、ラインを越えられないので脳内ARが働かず、能を観ていても、何も見えていないと言うことになる。

   さて、そのことは、ともかく、著者の説く能楽論と言うか、文化論で興味を感じた点を列記すると、
   まず、能楽の歴史についてだが、幕府や武家の後ろ盾がなくなって、能が史上最大の危機に直面した時に、支えたのは、岩倉具視、そして、1965年の能の大ブームを引き起こしたのは、立原正秋の小説「薪能」、そして、三島由紀夫の「豊饒の海」、
   「翁」の「あらたらたらりたらりら」の詞章は、チベットの「ケサル王伝説の最初に謡う神降ろしの歌」だと言うこと、
   能面の目的は、「変身」。神懸り、憑依であり、それを可能にする装置、
   謡の言葉の文体は「候文」であり、口語で互いに通じなかった江戸時代には、この候文が武士間の公用語として使われていた。
   
   世阿弥が完成させた「夢幻能」は、「念が残る」「思いが残っている」と言った残念、特に敗者の無念を昇華させた物語構造になっている。
   幕府と言う勝者が、わざわざ非業の死を遂げた敗者をテーマにする能を認めたのは、敗者を鎮魂する、敗者たちの恐れを厄落としをしたと考えられる。
   これを前提に、松尾芭蕉、そして、奥の細道を考えているところが興味深い。

   芭蕉が奥の細道の旅に出発したのは、源義経の500年忌にあたり、その目的地平泉こそ、義経終焉の地である。
   さて、代々の天皇が恐れたのは崇徳院だが、当時の徳川将軍の一番恐れたのは、武家で怨念を抱いて死んだ義経の怨霊であった。その義経の鎮魂と言う大事業を任されたのが、柳沢吉保の歌の先生北村季吟が推薦した弟子の松尾芭蕉であった。
   こうして、芭蕉は、門人曽良を伴って、深川を発ったと言うのである。
   以前から、芭蕉の隠者スパイ説が囁かれていたのだが、面白い仮説である。
   更に、著者は、芭蕉が、ワキ僧の役割を果たしたとして、「遊行柳」や「殺生石」を絡ませながら語っているのが興味深い。
   
   もう一つ面白いと思ったのは、能は、花鳥諷詠の俳句と同様に、「極楽の芸術」だと言っていることである。
   能では、どんな悲惨な人生を描いたものでも、その主人公の多くが舞を舞う。舞によって、「今までの障害が救われ、極楽世界に安住することを示す」、つまり、舞は救いを齎すもので、舞い謡い遊ぶ芸術である能は、極楽の芸術だと言うのである。
   
   この本では、他に、家元制度と能の継承、プロプリオセプター、「申し合わせ」だけのぶっつけ本番公演、等々興味深い話や、如何に、能が素晴らしくて日本文化芸術の根幹なのかなど、我田引水も含めて、一寸毛色の変わった能楽解説書で、面白い。
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観世能楽堂・・・梅若玄祥の「土蜘蛛」と桂南光の「火焔太鼓」

2018年01月26日 | 能・狂言
   先日、米團治の独演会に行ったとき、チラシを貰って、能と落語 至高の華 と言う面白い公演があることを知って、直近の公演なのでダメだろうと思ったのだがチケットが取れたので出かけた。
   何故、能の人間国宝の梅若玄祥と上方落語の桂南光のコラボレーションが実現したのか、昨年秋に、国立能楽堂で、南光の落語を聞いたので、能楽堂での落語は兎も角として、普通では、接点など考えられないし、キンチョウとカンワの古典芸能が、能舞台で実現するのは稀有であろう。
   
   
   

   これについては、この日の冒頭の二人の「新春スペッシャルトーク」で、玄祥師が、この公演の経緯を語った。
   祖父の梅若実が、落語家の圓朝に毎日通い顔パスで通る昵懇の間柄で、家に頂戴した名作のかしき面があるのを記憶していて、新しい風を起こせるのではないかと思って、南光師に話して、大阪で能と落語 至高の華を開いたら好評であったので、東京でも実現した。と言う事であった。
   南光、”私、平成の圓朝かナァ。小朝が文句言うデェ”
   この日、この公演をプロデュースした西尾智子さんが、このトークの司会をして、二人の興味深い話を引き出して楽しかった。

   南光が、能との出会いを語った。
   贔屓筋から招待されて能楽堂に行き、最初に観たのは、土蜘蛛だったが、良く分からなくて寝ていた。殆どお客さんも寝ていたが、終わったら、今日の能良かったなぁと言っていたと笑わせていた。
   この南光が、能「安宅」を観て、弁慶と富樫の心の対決に感激し、能は凄いなあと思ったと語り、NHKホールの公演で、泣いていたと西尾さんが言っていた。
   南光、”観る方も、習うより慣れろでっせ。”

   南光の落語は、名調子の「火焔太鼓」。
   まわりに華麗な火焔の枠組みのある太鼓である。
   いつもゲテモノしか仕入れられず売れない冴えない道具屋の主人が、掘り出し物の埃まみれの火焔太鼓を仕入れてきて、ビックリするような値段で買い取られると言う噺である。養子の旦那が、お嬢さんと呼ばざるを得ない妻に、コテンパンに罵られるのだが、最後に留飲を下げると言う人情噺で、心地よいテンポが秀逸。
   これは、江戸落語だが、南光は、上方落語で、太鼓を買ってくれるのは、江戸落語では赤井御門守と言うお殿様だが、住友の大旦那に代わっている。
   オチは、江戸では、火焔太鼓に味をしめて、今度は、景気よく火の見櫓の半鐘を仕入れようと言ったら、妻が「半鐘はいけないよ、おジャンになるから」だが、
   上方は、「買えん太鼓」のようだが、南光は、夫婦円満になったと噺を締めくくった。  
   私は、前に、たまの「火焔太鼓」を聞いているが、江戸落語はまだ聞いていない。
   増上寺に立派な火焔太鼓があり、先日、このブログでも紹介した。

   さて、梅若玄祥がシテ/怪僧・蜘蛛の精を舞う「土蜘蛛」。
   人間国宝の土蜘蛛を鑑賞できるなど、期待以上であった。
   トークで、キシメンのような太い昔の糸から蜘蛛の糸の噺や投げ方などを興味深く語っていたが、この日は、目付柱を取り外しての公演で、南光が心配していたが、熊坂の面でも問題なかったので大丈夫だと語っていた。
   蜘蛛の糸については、20弱と語っていたが、少し勢いは弱いが非常に的確で華麗な放物線を描いて美しく、特に、両手で一気に投げつけるシーンが多くて迫力があった。

   先日、国立能楽堂で、金剛流の土蜘「土蜘蛛」を、シテ廣田幸稔で観たのだが、非常にエネルギッシュでダイナミックな舞を披露していて興味深かったが、結構、糸の扱いが難しいようで、橋掛かりで独武者に投げかける糸がすっぽ抜けて白砂に落ちた。
   この土蜘蛛で興味深いのは、ラストの土蜘蛛が首を切り落とされるシーンだが、この舞台では、シテは切戸から静かに消えて行ったが、玄祥師の時には、作り物の塚に隠れて退場して行った。

   今回の能で、印象的だったのは、ツレ/胡蝶/(西尾萌)が、化粧した直面で舞い、美しいと思った。
   「問答入り ササ蟹」と小書きがついていて、面をつけた派手な衣装のアイが、面白い舞台を演じた。
   頼光/馬野正基、独武者/殿田謙吉、
   出演者は、比較的若くて清新な舞台で好感。

   この後、少し遅くなったが、時間があったので、国立能楽堂の「世界と能楽」のシンポジュウムに行き、ラストの能金春流「枕慈童」を鑑賞する機会を得た。
   慈童/高橋忍、臣下/宝生欣哉
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国立文楽劇場・・・「良弁杉由来」「傾城恋飛脚」

2018年01月24日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   第二部は、追善及び披露公演とは、直接関係ないのだが、「良弁杉由来」と「傾城恋飛脚」の「新口村の段」と言う非常に意欲的な作品であった。

   特に、「良弁杉由来」は、非常に上演機会が少ない感じで、これまで観たのは、文楽では、8年前の国立小劇場での公演で、良弁が和生、渚の方が文雀、歌舞伎では、12年前の歌舞伎座で、良弁が仁左衛門、渚の方が先代の芝翫、夫々、非常に感動的な舞台であった。
   今回の文楽は、良弁が玉男、渚の方が和生で、二月堂の段の浄瑠璃は、千歳太夫と富助であり、非常に感動的な舞台を紡ぎ出して感動ものである。
   何度も訪れて、東大寺の二月堂下の良弁杉には、お馴染みなので、この場が最後の感動的な幕切れの二月堂の段の舞台だと言うことでもあり、親しみを感じている。

   東大寺の開山・良弁は、近江国の百済氏の出身で、2歳の時に、母親が桑を摘む野良仕事の最中、突然舞い降りて来た鷲にさらわれて、東大寺の二月堂前の杉の木に引っかかっているのを、義淵に助けられて育てられ、高僧となり、全国を流浪して探し続けた母と30年後に、再会したと言う良弁杉由来に基づいた物語で、真偽はともかく、非常に格調の高い感動的な舞台である。
 
   菅丞相を演じれば絶品の仁左衛門が演じると言う良弁僧正であるから、歌舞伎や文楽の中でも、最高峰の高潔な人物像であり、文楽の場合には、初代玉男が、顔の表情も変わらなければ、殆ど動きのない位置づけであるから、人形遣いにとっては、非常に難しいと言っており、独特なキャラクターなのであろうが、強烈な印象を与える。
   特に、かしらは、上人と言う白塗りの超美男子で、この良弁杉由来では、もう少し老成していた方がイメージに合うのだが、正に、安珍清姫の安珍、高野聖の宗朝、横笛と恋に落ちた滝口入道を彷彿とさせるような美しい青年像なので、慈愛に満ちた輝くような姿が、観ていて、実に感動的である。

   尤も、これは、文楽のかしらの話であって、私自身は、これまで、寺院や博物館などで、開基、開山など高僧の仏像や絵画を随分見て来たが、殆どは、かなり個性的な老人像で、美男だと思える像などは全くなかった気がしている。  

   30年を経たある日、二月堂の前に聳える杉の木の梢に貼られた紙を観た良弁が、みすぼらしく落ちぶれた乞食の老女に会って、鷲に攫われた経緯を話す内に、渚の方が、幼子に持たせた如意輪観音像を収めた守り袋を、良弁がその錦の守り袋を取り出して、涙の再会。

   母子の生き別れについては、女の狂いをテーマにした「三井寺」や「百萬」などがあり、女物狂いになって東国まで辿り着いた母が亡き子の墓標に対面する悲しい能「隅田川」などがあるなど、他にも、結構物語になっていてり、恰好のテーマのようで興味深い。

   この「良弁杉由来」の人形については、良弁は、両玉男であり、渚の方は、文雀・和生でなければ、決定版を演出できないような気がする。
   それ程、感動的な素晴らしい舞台なのである。
   それに、二月堂の段は、千歳太夫の義太夫富助の三味線、しみじみとした温かい生きる喜びをも紡ぎ出す熱演。

   傾城恋飛脚の「新口村の段」は、先月、東京の国立劇場で観ている。
   その時は、 亀屋忠兵衛 勘彌 傾城梅川 清十郎 孫右衛門 玉男 であった。
   今回は、孫右衛門が、玉男から、玉也に代わっていて、また、一寸違った感動的な舞台を演出している。
   義太夫は、前は呂勢太夫は同じ(三味線は、燕三から寛治)だが、後は文字久太夫と宗助に代わっていた。
   印象は殆ど変わらなかった。
   
   
   
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国立文楽劇場・・・竹本織太夫襲名披露公演「摂州合邦辻」「平家女護島」ほか

2018年01月23日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   大阪の国立文楽劇場は、八代目竹本綱太夫 五十回忌追善および豊竹咲甫太夫改め 六代目竹本織太夫 襲名披露公演で賑わっている。
   東京でも、来月同じ公演が行われるのだが、私は、文楽の本拠地であるこの国立文楽劇場で、大阪弁が飛び交う雰囲気の中で鑑賞したくて、襲名や特別な文楽公演の時には、大阪に来ることにしている。

   来月東京では、「口上」と同時に、「花競四季寿」と、追善/襲名披露 狂言「摂州合邦辻 合邦住家の段」が、上演されるのだが、この大阪では、抱き合わせにして、「平家女護島 鬼界が島の段」が、上演されており、この近松作品を是非聴きたい観たいと思った。
   この「平家女護島」については、昨年2月に国立劇場で、「六波羅の段」「鬼界が島の段」「舟路の道行より敷名の浦の段」が上演されて間もないのだが、思い出深いのは、この大阪で、初代玉男の最後の俊寛を観たのである。
  尤も、体調がすぐれなかったのであろう、その時は、別れを惜しむ康頼、成経、千鳥を乗せて船が島を離れた後、俊寛が、岩によじ登って、松の木にしがみついて、茫然と立ち尽くして船を見送るラストシーンは、当時の玉女が、代役を務めた。

   この文楽の「平家女護島」については、先の文楽公演や歌舞伎の「平家女護島」の記事で、作品によって、俊寛の人間像の描写が違っていて興味深く、菊池寛や芥川龍之介の「俊寛」などについて書くなどかなり私見を述べたので、蛇足は避けるが、平家物語の「足摺」をシンプルに取り入れた能「俊寛」と比べると、近松門左衛門の創作が非常に興味深い。

   特に、鬼界ヶ島の海女で成経の妻千鳥と言う架空の女性を紡ぎ出して、清盛の強引なセクハラで、最愛の妻への思いを断ち切られた人間俊寛の義侠心と愛への絶望を描いて感動的である。
   この舞台では、都での成経との生活を夢見た喜びもつかの間、同行を許されなくなった千鳥の悲嘆のクドキが秀逸で、人間国宝簑助が、哀調を帯びた浄瑠璃と三味線の音に乗って、流れるように悲痛の絶頂を歌い上げながらクドキを舞う千鳥の姿は、感動の一語に尽きる。
   今回の俊寛僧都を遣ったのは、玉男で、先代譲りの剛直な芸を継承して、悲哀と愛情綯い交ぜの繊細で優しい人間俊寛を垣間見せて実に上手い。
   呂太夫の義太夫と清介の三味線が、舞台の素晴らしさをいや増して素晴らしい。

   口上は、咲太夫と織太夫と二人だけの雛壇であったが、文楽の場合には、襲名する本人は口上を述べないので、咲太夫が、八代目竹本綱太夫の偉大な業績や五十回忌追善の大切な意義や、芸の精進著しい豊竹咲甫太夫が六代目竹本織太夫を襲名して披露公演が実現できた喜びなどを語った。
   
   「合邦庵室の段」は、俊徳丸伝説に基づいた「摂州合邦辻」の最終段で、俊徳丸を思う玉手御前の嘘と不倫の恋がテーマとなっている凄まじい舞台のハッピーエンドである。
   同じ俊徳丸伝説でも、能「弱法師」とは、随分違った、実に、人間臭さいドロドロした物語だが、人間の強さと同時に、弱さ悲しさを抉り出していて凄い舞台である。

   玉手御前は、後継者争いで、命を狙われている次男の俊徳丸を救うために、毒酒を飲ませて醜くして後継を不可能にして、同時に、次郎丸の陰謀の発覚を隠して、義理の二人の息子を救うのだが、
   俊徳丸の病を治すために、義子俊徳丸に邪恋を仕掛けて、激しいモーションをかけて、父親合邦を怒らせて殺害させようと芝居を打つ。最愛の父の手で殺させて、寅ずくしの奇跡的な自分の生き血を俊徳丸に飲ませる。と言う歌舞伎常套の物語を綯い交ぜにした面白い物語である。

   俊徳丸(一輔)と浅香姫(簑二郎)の若い二人の中に割って入って俊徳丸に邪恋を仕掛けて激しく迫り、がらりと舞台が代わって、終幕の瀕死の状態で真実を打ち明けて苦悶する玉手御前を、勘十郎が実に巧みに演じていて素晴らしい。
   義理と人間の道一点張りの合邦を和生が、その女房を勘壽が、受けて立ち、凄い舞台を展開している。
   父は、人間の道を外れて息子に恋焦がれる娘を許せないが、母親は、「二十そこらの色盛り、歳よった左衛門様より、美しいお若衆様なら、惚れいでなんとするものぞ。」と言うあたりは、モダンで面白いのだが、とにかく、盛沢山の内容の詰まった芝居なので面白い。

   咲太夫と清治が、切場を演じた後、終幕の劇的な舞台を、襲名なった織太夫が絶好調で語りきり、燕三が、感動的な三味線で応える。
   日本の古典芸能の浄瑠璃の凄さ素晴らしさを実感させてくれる素晴らしい襲名披露公演であった。

   ロビーには、八代目竹本綱太夫 五十回忌と六代目竹本織太夫襲名祝いの場が設けられていた。
   毎年のにらみ鯛の飾りつけも同じであり、劇場全体が、東京の国立小劇場とはちょっと違った雰囲気があって面白い。
   
   
   
   
   
   
   
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大阪と東京の観劇はしご・・・大雪異変

2018年01月22日 | 生活随想・趣味
   21日の朝大阪に行って、一日中国立文楽劇場で文楽を鑑賞し、翌日朝東京に帰って国立劇場で歌舞伎を観た。
   どうしても、大阪の文楽を観たかったのだが、この日しか日にちが取れず、その翌日に、国立劇場の予約をしていたので、期せずして、このように詰まったスケジュールになったのである。
   ところが、困ったのは、天気予報では、22日に、全国的な大寒波と大雪が予想されて、鉄道などが大混乱しそうだと言うことである。

   関東での大雪は、22日の昼頃からであり、大阪からの飛行機は8時半なので、とにかく、予定通り決行して、東京での正午から4時過ぎまでの歌舞伎鑑賞を調整することにした。
   結局、やってみて大過なく終わったのだが、やはり、帰宅途次の交通の大混乱に巻き込まれて、帰りつくのに苦労した。
   メトロで永田町から南北線で乗りついで東急東横線で横浜に出て、横浜からJRで、大船に向かったのだが、すし詰めのノロノロ運転の列車で、難行苦行、
   随分遅れて、大船について、長い間待てど暮らせどバスは来ず、幸い、空中を懸垂車両で走るモノレールが走っていたので、これに乗り換えて、大分長い道を、バージンスノーを踏み分けて寒さに堪えて帰り着いた。
   モノレール駅から自宅までは、かなり、傾斜のきつい坂道を登って行かなければならなかったので、まだ、路面が凍結しておらず、雪を踏み込むだけで良かったので、幸いしたのだが、私の場合には、モノレールがあったので良かったのだが、
   大船駅のタクシー乗り場では長蛇の列であったが、バスも運休しているとなると、タクシーは走れるのであろうか。

   さて、21日には、7時半のJALで伊丹に向かったのだが、良い天気で、東京の上空遠くに富士山が見え始めた。
   横浜の街やクリアな富士山も眼下に収めることが出て、赤石山脈の雪山の稜線も良く見えた。
   
   
   
   

   大阪へは早く着き、リムジンバスで、なんばに出たのだが、11時の開演前までには大分時間があったので、千日前と道頓堀、黒門市場経由で、日本橋の国立文楽劇場に向かった。
   千日前の吉本のなんば花月は、まずまずの賑わいで、この街の派手派手な看板やデコレーションの乱舞の中で、目立つのはたこ焼き屋と遊技場(パチンコ屋)、
   良く分からないが、中国のどこかの風景のようで、全く国籍不明であり、早朝から、大声を張り上げて、呼び込みをしており、正に生きている。
   
   
   

   法善寺横丁、道頓堀、松竹座、黒門市場
   とにかく、ここ界隈は、客の大半は、中国人の雰囲気である。
   オフィスビル前で屯するビジネスマンが中国人がかなりいて、黒門市場の店員の中にも中国人が多いことを考えると、ビジネスあたりも資本その他中国化しているような気がしている。
   
   
   
   
   

   国立文楽劇場の公演は、次の通り。
   これまでもそうだが、襲名披露公演や特別なプログラムを組まれた公演などの時には、やはり、文楽の本拠地大阪で聴く観るべきであると思っているので、大体、大阪のこの日本橋の劇場に来ている。

   初春文楽公演
   第1部 午前11時開演 
       花競四季寿 万才・鷺娘
       平家女護島 鬼界が島の段
       八代目竹本綱太夫 五十回忌追善
       豊竹咲甫太夫改め 六代目竹本織太夫 襲名披露口上
       追善/襲名披露 狂言
       摂州合邦辻 合邦住家の段
   第2部 午後4時開演
       南都二月堂
       良弁杉由来 志賀の里の段/桜の宮物狂いの段/東大寺の段/二月堂の段
   傾城恋飛脚 新口村の段

   今回は、襲名披露狂言もそうだが、私は、特に、「平家女護島 鬼界が島の段」と「南都二月堂 良弁杉由来」に期待して出かけた。
   
   

   ところで、22日朝のJALは、寒波と大雪の前の空模様なので、かなり、揺れたが問題なく、定刻に羽田についた。
   すこし、国立劇場には早く着いたが、途中で買った弁当をゆっくりと頂く時間があった。
   歌舞伎は、「通し狂言 世界花小栗判官」
   面白かったが、印象記は、後日とする。
   
   
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壽初春大歌舞伎・・・白鷗の「寺子屋」

2018年01月20日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   高麗屋三代襲名公演の昼の部では、「菅原伝授手習鑑」の「車引」で、幸四郎が松王丸を、そして、白鷗が「寺子屋」で、松王丸を演じた。
   先に観た「夜の部」では、白鷗の歌舞伎を観ることが出来なかったので、やはり、年季の入った高麗屋の伝承の芸を凝縮した白鷗の十八番の寺子屋は、格別である。

   同時に演じる役者たちの布陣も、次の通りで、素晴らしい感動的な舞台を作り上げている。
   松王丸  幸四郎改め白鸚
   武部源蔵 梅玉
   千代 魁春
   戸浪 雀右衛門
   涎くり与太郎 猿之助
   百姓 吾作 東蔵
   春藤玄蕃 左團次
   園生の前 藤十郎
   その他百姓 由次郎、桂三、寿猿、橘三郎、松之助、寿治郎、吉之丞

   悲惨な舞台で、唯一の清涼剤とも言うべき舞台を繰り広げる涎くり与太郎に猿之助、その父親の吾作に東蔵と言う豪華キャストで、スッポンでの寸劇が秀逸であり、観客を喜ばせる。


   私が歌舞伎の「寺子屋」を観たのは、もう20何年も前で、この歌舞伎座で、松王丸が猿之助(猿翁)、千代が菊五郎、源蔵が勘九郎(勘三郎)、戸浪が福助であった。
   また、菅原道真公没後千百年記念の通し狂言で、この時は、松王丸が吉右衛門、千代が玉三郎、源蔵が富十郎、戸浪が松江(魁春)であった。
   その頃、文楽では、元気であった文吾の剛直豪快な松王丸を観ており、それ以降、随分、この寺子屋を観ているが、白鸚の舞台が一番多かったような気がする。
   仁左衛門の松王丸も覚えているが、それ程、私の寺子屋の松王丸は、白鸚の松王丸なのである。

   この「寺子屋」は、白鸚の松王丸を鑑賞する舞台である。
   源蔵が、寛秀才の首を討つ為に首桶を持って奥へ下がると、松王丸は立ち上がって正面に向かうが、首を討つ音が響くと一瞬足がもつれてよろけて棒立ち。吾が子小太郎が討たれた瞬間であり、その苦痛と悲しみを全身に漲らせて後ぶりで慟哭を演じる。 
   振り返った瞬間、居ても立ってもいられなくて走り立った千代とぶつかり、「無礼者めが!」と叫ぶが、目が引きつって正気を失っており、しばし茫然自失。
   恩ある名付け親に忠義を示そうと、自分の子供を身代わりとして差し出したばかりに、遂に首を討たれてしまったと言う絶体絶命の苦痛を噛みしめ、忍従に必死に堪えている松王丸の動揺を、最小限に切り詰めて演じる白鸚の芸の冴えと凄さは、格別である。

   小太郎の亡骸を乗せた籠に向かって奏されるいろは送り。
   文楽は、悲しい程華やかだと言うこともあろうが、悲しさの絶頂である筈の千代は、踊るように舞うように優雅な姿で、サンサーンスの瀕死の白鳥のように、全身で悲しみを表現して、踊ってはいけないと言われている筈の三味線が華麗に爪弾き、悲嘆ドン底の松王丸も、どこか優雅に振舞っていて絵のようなシーンだが、
   この舞台では、義太夫と三味線の哀調を帯びたいろは送りに乗って、悲しみに満ちた松王丸と千代が、静かに慟哭を噛みしめながら焼香を続けて哀れを誘う。

   首実検寸前までの松王丸は、もの凄く髪の盛り上がった五十日鬘に黒地に雪持松の着付羽織と言う実に個性的な敵役めいた凄みを利かせた偉丈夫な姿で通すのだが、
   源蔵宅に立ち戻って真実を語り始めた松王丸は、一変して、血も涙もあり刃を当てれば血がほとばしり出るような人間に戻って、忠義を貫いた使命感の達成と裏腹にわが子を人身御供に送ってしまった苦悩と悔恨が交錯しながら胸を締め付けられて、断腸の悲痛を吐露する。
   松王丸の激しい心情の落差を、白鸚の松王丸は、実に感動的に演じていて、
   小太郎が未練がましくなかったかと聞き、にっこりと笑って首を差し出したと聞いて、「でかしおった・・・千代 喜べ」と言って、豪快に破顔一笑し、その顔が、徐々に崩れて泣き顔に変って行き、
   桜丸の非業の死を悔恨して激しく慟哭して泣き伏すのだが、
   最後まで、千代に対する思いやりと愛情に満ちた眼差しを忘れない優しさ。
   「泣くな、泣くな」とたしなめられても、苦痛に喘ぎ悲嘆に暮れて身悶えする千代の愁嘆場の悲壮も、胸に応えて苦しくなるほどで、それでいて、魁春の、実に美しく優雅に舞うような身のこなしが感動的である。

   この舞台で、有名な台詞は、源蔵の「せまじきものは宮仕へ」
   松王丸の「持つべきものは子でござる」。
   宮仕へについての源蔵の心境は、師匠の子菅秀才の首を差し出せと厳命されて、窮地に立った心情であるから、今の時代でも真実で、誰でも分かる。
   しかし、「持つべきものは子」と言うのは、ことわざ辞典によると、
   「他人ではあてにできない事も、わが子ならばしてくれる。子は持つべきもので、わが子ほどありがたいものはないということ。」と言うことだが、
   松王丸にとっては、自分の菅丞相への忠義心を示すために、一子小太郎を菅秀才の身代わりとして差し出した、すなわち、わが子があったが故に、子供が自分に代わって手柄を立ててくれた、有難い、と言う心であって、あくまで、前時代の価値観である。

   ところで、いつも、引っかかるのだが、この「菅原伝授手習鑑」の重要キャラクターの松王丸などの3人兄弟は、すべて、舎人である。
   舎人とは、ブリタニカによると、 
   「令制で天皇,皇族などに近侍して警固,雑事にあたった下級官人。内舎人 (うどねり) ,大舎人,中宮舎人,東宮舎人,衛府の兵士などの総称。内舎人には身分の高い貴族の子弟が,大舎人以下には下級官人,地方豪族の子弟,白丁 (庶民) が任じられ,課役免除の恩典があった。」とある。
   ところが、この「寺子屋」の松王丸に至っては、下級役人どころか、最高峰の武人貴人と言った風格と威厳を持った存在として、描かれており、実際にもそのような舞台が展開されているのだが、歌舞伎だから、そんなことを考えずに、伝統の芸を楽しめと言うことであろうか。

   最後になったが、梅玉の源蔵、雀右衛門の戸浪の素晴らしさは、正に、襲名披露公演に華を添えている。
   左團次の玄蕃の嫌味の少ない昇華された枯れた芸が好ましい。
   藤十郎の園生の前は、ご祝儀出演と言うところであろう、登場するだけで千両役者の風格である。
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ジム・オニール・・・とうとう、好況到来か

2018年01月18日 | 政治・経済・社会
    先週のProject Syndicate に、Jim O'Neill の「Good Times at Last?」が掲載された。
   
   前例のない程政治的リスクや巨大な地政学的再編が勃発している今日この頃だが、世界的に経済的な代表指標は、ここ数年来、良好のように思われる。
   しかし、今年のグローバル経済の成長率が、4%を超えるかどうかは、主要な中央銀行が、適切な金融政策のバランスを叩き出す能力があるかどうかにかかっている。
   と説くのである。

   昨年、The Global Economy’s Surprising Resilienceを書いたが、その時のインディケーターの大半が上向き、良くなっているとして、今年度の楽観的な見通しを、韓国月例貿易額の成長率South Korea’s monthly trade dataと購買担当者景気指数Purchasing Managers’ Index (PMI) の2指標を利用して、解説しているのが面白い。

   まず、韓国の貿易実績だが、2017年度は、15.8%と1956年以降最高を記録している。昨年は、ユーロ危機とコモディティ価格ダウンを危惧したが、それ程のこともなく、この貿易指標のアップは、グローバル貿易の縮小を予言していた人々に強烈なブローとなった。

  一方、PMIは、世界的に、2000年以降で、最高水準に達している。
  英国でさえ、EU同様に数値が上昇しており、グローバル経済環境がこのまま回復して行くのなら、成長抑制要因であった筈のBrexitにも拘らず、英国のEU離脱は幸運に恵まれる。とさえ言う。

   もう一つ注目すべき指標は、中国の成長で、特に、サービスと国内消費の増加である。
   この二つの成長指標は、中国経済のみならず、中国市場を目指してコモディティや工業製品を輸出するほかの国の経済をも利する。
   中国経済については、これまで、いわばアメリカの植民地経済の様相を呈したと言うか、輸出経済依存度が高くて、「新常態」への構造改革政策で、内需主導型の経済への移行が緊急時であったのだが、オニールの言うように、サービスと国内消費の比率が拡大しつつあると言うのなら、グローバル経済には朗報であろう。

   2018年のグローバル経済成長予測が、4%、ないし、それ以上であっても、可能である。と言うのである。
   
   経済成長が加速すれば、米国連銀は、金利を上げるであろうし、他の主要中銀も、これまでのような異常な金融緩和策から脱却するであろう。
   しかし、グローバル経済が、真に、比較的高い安定した成長軌道に回復するのであれば、金融引き締め策が経済を害したりすることはなく、インフレ台頭の強い兆候を待つまでもないであろう。
   グローバルベースの政治的感心だが、多くの危機的な状態が続いているにも拘らず、政治的リスクについては、無関心気味である。
   米国の中東政策や朝鮮半島情勢に対するリーダーシップの欠如や、ヨーロッパの直面する長期的な挑戦など、深刻な問題が多く存在するので、投資家は、これらに十分注意を払うべきである。と説いている。

   財政状況が、今日の循環的強化の結果として、過度な金融引き締め政策を取らない限り、この10年間のグローバル経済パフォーマンスは、これまで誰もが考えていたよりは、更に良くなるであろう。と言う。

   系統立てて、今日のグローバル経済を勉強している訳ではないので、これだけのオニールの論評で、云々するのも何だが、BRIC'sをコインした経済学者であるから、多くの経済指標を駆使しての経済予測であろう。
   アメリカの株価が最高値をクリアし、日本も、グローバルベースでの経済的地位の低下傾向には、不安はあるが、日経平均株価が、2万4000円をオーバーしたと言うから、少なくとも、ムードとしては、グローバル経済は、好調なのであろう。

   ジム・オニールが、”my three decades of experience in global financial markets leads me to believe that the economic situation is not quite as straightforward.”
   と言っているように、経済情勢など直線的ではないのであろうが、経済がサイクルを打つことは、歴史が証明しており、「山高ければ谷深し、その逆も真なり」と言うことであるから、2008年の経済的大惨事を考えれば、ぼつぼつ、山が来ても不思議ではない時期でもあろう。

   とにかく、トランプが、あれ程、異常な大統領職を遂行していて、さまざまな政治問題を起こしながらも、アメリカのマクロ経済は、好調であり、グローバル経済も、格差拡大を問題にしなければ、まずまず、順調と言うところであろうか。
   
   さて、17日、トランプ大統領は、FakeNews Awardsを発表した。
   その第一位は、ニューヨークタイムスのNov. 14, 2016のクルーグマンのコラム「Trump Slump Coming?」。
   その直後の16日に、私は、”ポール・クルーグマン・・・Trump Slump Coming?”を、このブログに書いた。
   私は、クルーグマンは、
   ”選挙直後には、グローバル不況が即座に到来すると示唆したが、トランプニズムのその効果が出るのは、もっと後であって、1,2年、経済成長が加速されると考えても驚くべきではない”と言っており、
   このコラムは、長期的な視点を考慮すれば、決して、間違ってはいないし、FakeNews ではないと思っている。
   いずれにしろ、経済は動くものであり、どんな正しい経済政策を打っても反作用を誘発して、結果はスキューする上に、経済学の決定版はあり得ないので、正確な予測などは不可能である。と思っている。
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森西真弓著「上方芸能の魅惑―鴈治郎・玉男・千作・米朝の至芸 」

2018年01月16日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   上方芸能の魅惑に加えて、鴈治郎・玉男・千作・米朝の至芸について解説された本だと言うので、15年前に出版された本だが、文句なく読みたくなってページを繰った。
   私が、舞台を観たのは、文楽の初代玉男と、鴈治郎の頃からの藤十郎だけなのだが、千作の狂言や米朝の落語については、最近よく劇場に通っていて、その後継者の芸を通じて学ぶこともあるので、非常に関心を持っている。
   藤十郎、玉男、米朝は、日経の私の履歴書などを読んでおり、また、千作は、狂言 三人三様 茂山千作の巻 など何冊かを読んでおり、この本に書かれていることは、殆ど既知ではあるのだが、偉大な芸術家、芸人の奥深い話は、何度、読んだり聞いたりしても興味深いのである。

   さて、この本の第一部は、「上方」とその特質 で、特に、江戸との比較において、大坂や京都、上方の歴史的な背景や文化を活写しながら、上方の芸、文化芸術の成長発展やその推移特質などを克明に描いている。
   古い話でもあり、多少専門的な話題にも及んでいるので、軽く飛ばし読み。

   今の大阪のイメージだが、たこやき、お笑い、タイガースと言うのだが、芸能の範疇では、「お笑い」が、大阪を代表しているのかも知れない。
   大阪では、漫才が盛んだし、落語も江戸と上方と比べると、人情噺に重きを置く江戸落語に対して、上方落語は笑いの多い滑稽噺を主流としている。
   ところで、興味深いのは、この大阪人が、笑いが好きで笑いの文化に理解があると言うのは、「笑う」「笑われる」と言うことに敏感だと言う風土をも表していると言うのである。
   近世の大阪では、人前で笑われると言うことを著しく忌避した、約束を破った際の制裁は鉄拳ではなく、公衆の面前で笑われることであった。
   何故、大阪では、人に笑われることを恥としたのか、それは、大阪は商いの都、町人の街であったので、大阪人にとっては、京都や江戸の様に、貴族や武士と言った身分制度と言う保証がなく、商人は保証が財産であり、約束を守って人格を高めるなど、自分を律し、男を磨いて信用を博することを旨としたのである。

   火事と喧嘩を好む江戸っ子、着倒れの京都、大阪人は、ひたすら人格高揚に励んでいた。商売の基本は、相手の信頼を得ることが必須条件、儲けると言う字は、信じる者と書く。
   笑いの文化を育んだ大阪は、同時に商人の形成する都市として、理非を正し、人格を磨く生き方を奨励し、自ら実行してきた。と言うのだが、
   笑われることを潔しとしない、その文化が笑いの芸を育んだと言う逆説的な解釈だが、面白い。
   以前に誰かが、大阪人気質はラテン系で、東京はアングロサクソン系だと言っていたのを思い出すが、風土なり歴史が育んだ気質の違いのような気がするし、長年にわたって積み重ねられてきた大阪弁なり京都弁が体現するど根性と言うか文化の差が、大きく作用しているように、私は思っているのだが、どうであろうか。

   いずれにしろ、著者の言うことは分からない訳ではないのだが、それでは、近松門左衛門が、曽根崎心中の徳兵衛や、冥途の飛脚の忠兵衛や、心中天の網島治兵衛などと言った、何故、あれ程、がしんたれで、どうしようもない程、腰抜けで不甲斐ない大阪男を描いたのであろうか。

   もう一つ面白いと思ったのは、新派の台頭で、旧態依然たる歌舞伎が窮地に立った時に、東京では実現しなかった、大阪では、新旧合同と言う新スタイルを生み出した。近世年間、歌舞伎を演じる芝居小屋や劇団には、江戸幕府が公許した大芝居と、それ以外の中・小芝居があり、江戸では両者の交わりはなかったが、上方では、両者の人的交流があり、実力と人気があれば、大芝居にも出られた。この実力を重んじる風潮が、新派と歌舞伎の交流を許した。と言うのである。

   この異業種の交流と言うか、上方の各界のトップ芸術家や芸人が集まって上方文化、上方芸能の振興を図ろうと言う動きは、「上方風流」の発会で実現しており、この中から多くの人間国宝や偉大な古典芸能のリーダーを輩出している。
   面白いのは、会員は30代で、40代であった千作や玉男は、入れなかったと言う。
   一流人が、異文化異文明の交流で切磋琢磨する、これがルネサンスを生んだメディチ・イフェクトだが、上方文化芸能も同じであろう。

   これによく似た動きは、武智鉄二に触発された藤十郎の多方面での芸歴や、千作・千之丞兄弟の異業種との芸の活動が能楽協会退会騒動を起こしたこととか、米朝の芸域の広さ豊かさなどに表れており、突出した優れた上方の芸術家や芸人には、タガなど嵌められないのである。
   東京で大学生活を送り、正岡容の薫陶を受けた米朝は、永六輔や小三治などとの「やなぎ句会」などを通じてでも関東との交流が豊かであり、落語界最高峰の知識人としての面目躍如である。
   
   第二部は、名人たちがつむぎだす上方芸能の魅力
   歌舞伎――鴈治郎、文楽――吉田玉男、狂言――茂山千作、落語――桂米朝、
   と言う形で、夫々の古典芸能の歴史や背景を俯瞰しながら、4人の偉大な古典芸能の世界を浮き彫りにしていて、非常に啓発的でもあり興味深い。

   文化芸術の世界も、世の中も、同じなのか、関西の経済的政治的地盤沈下で、豊かに育まれ、花開いていた上方文化や芸能が、少しずつ、フェーズアウトして行くような気がして、寂しさを感じている。
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銀座ブロッサム・・・桂米團治独演会

2018年01月15日 | 落語・講談等演芸
   昨年秋の上方落語が面白かったので、このブロッサムの「桂米團治独演会」のチケットを予約していた。
   国立演芸場へは、何十回と通っているが、他の劇場や寄席で落語を聞く機会は殆どないので、このような大衆化した古い中劇場での高座は、何となく異質であった。
   桂慶治朗の「みかん屋」と桂ひろばの「狸の化け寺」があったが、米團治が、「七段目」「花筏」「天王寺詣り」の3席を、今年は年男で、年末には還暦を迎えると言いながら、愉快に語り続けた。

   いつもは、マクラに、偉大な大先輩の父親を持ったバカボンの悲哀を語るのだが、この日は、まず、近くの歌舞伎座の前を通ってきて、高麗屋三代の襲名披露公演の賑わいを見たと言って、落語界では、三代続くのは珍しいと、正蔵三平を話題にした。
   親が偉いと、その息子は、エエカッコしいで、自分も、人には大盤振る舞いしながらも、裏では牛丼を食べていたと言う。
   話が、不倫騒ぎで、開き直ればよいのにと、逃げ隠れしている会長の文枝の話になり、上方落語協会の理事会が、開かれる筈なのに開かれない、副会長の自分としては困っている、相撲協会と落語協会とどっちが問題なのか、などと語って、笑いを誘う。
   トランプと同じで、普通なら、知られずに済む話でも、有名になれば、マスコミの餌食になって揶揄されるのだが、世間は、それ程気にしているようには思えない。

   昭和33年12月20日が誕生日で、今年は還暦、
   この年建ったのが、333mの東京タワー、長嶋茂雄が巨人に入団して背番号が33、
   天王寺の聖バルナバ病院に、入院した産気づいた母が、一週間しても出産せず、その上逆子、本来なら帝王切開なのだが、すべては神の思し召し・・・
   生まれた赤子は泣かないので吊り下げたら、かすかにフギャー、
   8割は育たないと言われたのだが・・・
   父親は、米朝らしい・・・とにっこり。

   あの偉大な日野原重明先生でさえ、京大在学中に結核にかかり休学して、約1年間闘病生活を送ったと言うのであるから、人生、分からないものである。
   
   さて、米團治の高座だが、
   「七段目」は、以前に聴いている。
   しかし、同じ歌舞伎の仮名手本忠臣蔵の「七段目」だが、ところどころ場面やシーンを変えて語っており、身振り手振り、芝居や声音の上手さ巧みさ、丁稚定吉との平右衛門とお軽兄妹の会話が秀逸である。

   「花筏」は、国立能楽堂で、桂南光の高座を聴いていて面白かったので、よく覚えているのだが、同じルーツの語りなので、反芻の面白さと、南光の庶民性土俗性と米團治のスマートさと言ったキャラクターの差が出ていて、楽しませて貰った。

   「天王寺詣り」は、初めて聞く落語だが、去年、この天王寺に行って、あのあたりを散策して、このブログにも書いているので、土地勘なり雰囲気がよく分かる。
   能「弱法師」の舞台だが、正式名は「四天王寺」で、JRの天王寺駅にはないので、天王寺さんとして親しまれている寺ながら、大阪人でも、良く知らない人が多いと、米團治は語り始める。
   愛犬を供養するために、連れ立って四天王寺に行き、犬の引導鐘をつく噺である。
   四天王寺界隈の賑わいや露店や庶民の声、西門あたりから石の鳥居、五重塔、亀の池などの境内ガイド、僧侶の読経等々、内容のそれ程ある話ではないのだが、非常にバリエーションに飛んだ語り口の豊かさ落差の激しさなど、正に、聞かせて笑わせる噺で、還暦とは言えども壮年期のエネルギッシュなパワー充満の米團治の面目躍如たる高座で、面白かった。
   残念ながら、米朝の高座を聴いたことがないのだが、やはり、親子なのであろう、米團治の語り口が、ビデオやYoutubeで観ている米朝とダブるのを感じて、まだまだ、2~30年は続くであろう米團治の更なる飛躍成長を実感して興味深かった。

   サゲの後、改まった米團治が、一丁じめと米朝じめで、観客の手を拝借して幕が下りた。
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わが庭・・・椿玉ありあけ咲く

2018年01月14日 | わが庭の歳時記
   玉之浦の変形種の玉ありあけが、咲き始めた。
   これは、日本での栽培品種のようだが、他のタマグリッターズやタマアメリカーナより、覆輪の外周の白い部分が、大きいようである。
   鮮やかな朱色と白の覆輪が好まれるのか、沢山の玉之浦の変種が作出されているのだが、大概、親の玉之浦より花弁が大きくなっていて、華やかになっている。

   一重で小輪の清楚な侘助椿が、日本人の好みと言うか、その侘び寂びの風情が珍重されていて、私も、千葉の庭には、何本も植えていたが、最近では、何故か、歳の所為なのかもしれないが、一寸、込み入った派手派手な椿の方に、趣味が移ってしまってきている。
   今咲いているタマグリッターズと比べると、何となく、日本人の好みが分かるような気がする。
   
   

   クリスマスローズの花芽が見え始めて来た。
   小さかった庭植えのクリスマスローズも、3年にもなると、随分、株も大きくなって、今年は、大分、派手に咲きそうである。
   
   
   

   わが庭には、3本の梅の木が植わているが、びっしりと蕾をつけている鹿児島紅梅が、一輪ほころび始めた。
   比較的早く咲く梅で、濃い紅色の小さな可憐な花が、綺麗なので、千葉の庭から小さな苗木を移植したのだが、大分、大きくなってきたので、今年は、門口を荘厳してくれそうで楽しみである。
   日本スイセンも咲き続いていて、八重も咲き始めた。
   先日、ばらの剪定を行ない、一部の庭木に寒肥を施した。
   もうすぐ、根が動き始める。
   
   
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壽初春大歌舞伎・・・幸四郎の「勧進帳」

2018年01月13日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   白鸚・幸四郎・染五郎の三代にわたる37年ぶりの襲名披露公演が話題を呼んでいて、連日、歌舞伎座は大変な賑わいである。
   まず、私が観たのは、襲名披露口上のある夜の部で、襲名する三代の高麗屋を真ん中にして、22人の威儀を正した名優たちが居並ぶハレの舞台である。
   近年立て続けに多くの名優が逝き、国立劇場や新橋演舞場、大阪松竹座などでの公演が並行して行われているので、多少寂しい感じではあるが、流石に高麗屋の襲名披露公演なので、披露口上は、藤十郎の司会で、非常に華やかに執り行われた。
   
   夜の部の演目は、
   双蝶々曲輪日記 角力場(芝翫、愛之助ほか)
   二代目松本白鸚 十代目松本幸四郎 八代目市川染五郎 襲名披露 口上
   歌舞伎十八番の内 勧進帳
   上 相生獅子 下 三人形(扇雀、孝太郎、および、雀右衛門、鴈治郎、又五郎)

   夫々、襲名披露公演に華を添える素晴らしい舞台ではあるが、襲名披露口上を除けば、高麗屋の登場する舞台は、「勧進帳」だけであり、私の場合は、別の日の昼の部の、菅原伝授手習鑑の寺子屋で、白鸚の松王丸を観られるのだが、何となく、白鸚の出ない襲名披露公演は寂しい感じがした。

   幸四郎の弁慶を観たのは、この歌舞伎座の顔見世公演2014年11月02日で、この時、私は、次のように書いた。
   東西随一の弁慶役者である実父松本幸四郎を富樫に、そして、同じく叔父中村吉右衛門を義経にと言う超豪華なサポートを得て、手負い獅子の如く勇猛果敢に、満を持して檜舞台に躍り出た。
   激しい気迫と気負いはあっても、お小姓弥生のたおやかさも、近松の大坂男の弱さ悲しさも微塵もなく、正に剛直そのものの弁慶染五郎になり切った舞台である。
   頂点を極めた弁慶役者幸四郎と吉右衛門のその目の前で、それも、曽祖父である七代目幸四郎が約千六百回勤めるなど高麗屋ゆかりの弁慶役を、初めて演じると言う、強烈なプレッシャーに抗しながら、不惑を越えたが故にか、
   黒紙の巻物を勧進帳に見立てて天も響けと読み上げる胆力と決死の覚悟、主の義経を杖で打擲する苦渋と悲哀、富樫の振る舞い酒を豪快に煽る豪胆さ、そして、「延年の舞」の巧緻さと「飛び六方」の豪快さ、澱みなく演じ切った。

   今回は、吉右衛門の富樫で、義経は、染五郎を襲名した実子金太郎、そして、四天王は、鴈治郎、芝翫、愛之助、歌六と言う名優揃いで、豪華な舞台を披露した。
   流石に、幸四郎で、お家の芸である「勧進帳」の弁慶を、既に、自分の重要なレパートリーに取り入れての極めて堂に入った豪快でエネルギッシュな舞台を見せてくれて、飛び六方で揚幕に消えるまでの全舞台を、一気に見せて観客を魅了した。

   尤も、この舞台を、非常に格調高く、素晴らしく感動的にしたのは、吉右衛門の絵の様に美しく風格のある富樫あってこそであることは言うまでもない。
   偽の勧進帳を読む弁慶ににじり寄る微妙な挙動、義経主従だと分かっておりながら、一行を通過させる決心をして、じっと運命の不可思議を噛みしめながら意を決して退場して行く武士としての愛情と悲哀、万感胸に迫る義経一行を見送るラストシーン、
   こんな素晴らしい富樫のカウンタベイリングパワーが炸裂した勧進帳の舞台、
   武士の情けに心の底から感謝しながらも、
   ”手束弓の、心許すな。関守の人々。
   暇申して、さらばよ、とて。笈を、おっ取り。肩に打ち懸け。
    虎の尾を踏み、毒蛇の口を、のがれたる、心地して、
   陸奧の国へぞ、下りける。" と、決死の思いで、飛び六方を踏みながら揚幕に消えて行く幸四郎の弁慶の芸が光るのである。

   私は、能を見始めてから、「勧進帳」のオリジナルである能「安宅」に非常に興味を感じて、能と歌舞伎・文楽と見比べており、5年前に、このブログに、「国立能楽堂:能「安宅」、そして、勧進帳との違い」を書いたのだが、偉大な名優たちが、最高峰の戯曲の舞台に、大変な思いと辛苦を投入して取り組んでいる姿を感じて、感激しながら鑑賞し続けている。
   これまで、シテ武蔵坊弁慶を、金剛永謹宗家、観世清和宗家の舞台で鑑賞したのだが、中々、観る機会には、恵まれていない。
   歌舞伎・文楽ともに、かなり、能の詞章を踏襲しているのだが、関所通過については、殆ど能では強行突破、歌舞伎文楽では切腹覚悟の富樫の武士の情け、と言った調子で演出に差があって、その違いなどの微妙な差が興味深いのである。

   さて、今回、義経を演じたのは、若くて清新な染五郎。
   これまで、随分、勧進帳を見て来たが、この義経は、最近では、吉右衛門、それ以前には、先代の芝翫、藤十郎、玉三郎、梅玉などと言った座頭級の大役者の舞台が大半であった。
   山川静夫さんが、この舞台の主役は義経だと言うのが良く分かったのだが、正に、染五郎となると、子方の演じる能の世界と相通じる感じがして、それもありかなあ、と新鮮な思いで見ていた。
  
   
   
   
   
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優先席にバスの様なボタンを設置すればどうか

2018年01月12日 | 政治・経済・社会
   いつも思うのだが、電車などに乗ると、「優先席があります。必要とされているお客さんにお譲りください」とか何とか、かなり頻繁に、車内放送されている。
   しかし、大抵、老人や妊婦や、優先席を必要とする客より、若者や壮年期の客で埋まっていることの方が多い。

   私など、既に喜寿を迎えた後期高齢者であると言う意識もあって、席が空いて居れば、普通席を譲って、優先席に座ることにしている。

   先日、大船から東京行きの東海道線に乗った時、優先席が空いていたので、座った。
   戸塚駅で、少し足の不自由な老婦人が乗ってきたので、3人席で空いている真ん中の席を、と思って横を見たら、目を瞑っていた若い女性客が足を斜めにして座っているので、一寸窮屈であり、「もう少し詰めてください」と言った。
   聞こえなかったのか、畳み掛けて、「ここは、優先席でしょ」と言ったら、目を見開いて私を睨みつけて、
   「法律に書いてあるのか! この年金野郎が!!」と宣った。

   老婦人は、怖気づいて後退りし、「もう、結構です」と言って傍を離れた。
   私も、次にどんな言葉を発するのか、関りになるのを避けて、席を離れた。
   こんな場合には、近くの客は、すべて、触らぬ神に祟りなしの風情。

   優先席のモラル軽視、エチケット違反は、いくらでも経験しているが、どんどん、民度が落ちてきたのか、礼節への意識が廃れて来たのか分からないが、杖をついて吊革にしがみついて居る老人が前に立っていても、3人座っている、背広のサラリーマンはスマホを叩き、若い男は大股披いて電話帳のような漫画を読んでおり、中年女性は眠ったふりをしている。
   朝晩のラッシュ時は、疲れたサラリーマンが優先席を取り合いしているのは、ともかくとしても、それ以外の時間帯では、やはり、優先席はオープンにして置くことにした方が良いと思う。

   提案だが、現在のような状態で、優先席があって、車内放送を何度繰り返しても、座る必要がない筈の人で、優先席へ座っても、何の心の痛みも感じないし、その存在さえ認識していない人が多くて、優先席が機能していない以上、殆ど無意味なような気がしている。
   以前に、女性優先車両の様に、優先席優先車両を設けたらどうか書いたことがあるが、JRの15両編成の優先席をトータルすれば、ユウに車両一両分になる筈である。

   もう一つの提案は、優先席付近の柱や壁に、バスにある乗り降りを伝えるべく押すボタンなりブザーのようなモノを取り付ければどうかと思う。
   

   このボタンを押せば、短くても良いので、その優先席あたりだけ聞こえる、
   「ここは、優先席です」だけでも良いし、
   「優先席です。必要な方に席をお譲りください」などと声の出るポータブルスピーカーを取り付けたらどうであろうか。
   ボタンを押すのは、必要とする人や、必要とする人が傍にいると認識した常識人など、優先席機能を活性化すべきだと感じた人で良い。
   煩わしさを避けるために、ほんの小さな局地的機能のスピーカーシステムだけで良く、ダミーカメラと同じで、こんな装置があると言うだけでも機能すると思う。

   尤も、良かれと思ってやったことには、必ず、裏をかかれたり、反作用があって、こんな提案をするのが良いのか悪いのか分からないのだが、優先席が、本当に必要だと思うのなら、試行錯誤すればよいと思う。

   眠っている膨大な預金の大半は、老人が持っているという日本。
   あのガルブレイスが、逝く間際に、日本のこの余剰資金の一部でも動き出せば、日本の失われた10年不況も吹っ飛ぶと予言していた。

   2040年には、高齢者が、日本人人口の半数以上を占めるなどと言う推測もあり、とにかく、老人を電車に乗せて移動されることが、どれだけ、国家経済に役立つか。
   まず、健康になって、医療費の負担が減るであろうし、金を使って有効需要を喚起する。
   その分、事故も増えるであろうが、いずれにしろ、老人が動き始めれば、今まで以上に、経済社会が活性化することは事実であろう。
   老人のことばかり書いたが、
   からだの不自由な方、
   内部障がいのある方、
   乳幼児をお連れの方、
   妊娠している方
   など、他にも、優先席を必要とされる方は多いと思うので、優先席の活性化は、課題大国として、世界の最先端を行く日本としては、最も重要な緊急事でもあると思う。

   私は、欧米での経験もかなりあるので、特に感じているのだが、欧米先進国では、随分多くの日常生活で不自由を感じている方々でも、経済社会に溶け込んで頑張っておられる姿を見ていて感動し続けて来た。
   日本の劣化は、経済や政治のみならず、世界に冠たる礼節なり礼儀までも、だと思いたくないと思っている。
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