宮田裕章の「データ立国論」を読んでいたら、気になる記述が出てきた。
東大の高齢社会研究機構の秋山弘子教授の研究で、30年前の日本の高齢者が、60歳を過ぎてからどのように人生を辿るか追跡調査した結果報告である。
まず、一目瞭然なので、下図を見て説明すると、
約2割の人が、70歳を迎える前の段階から寝たきりになり、その状態を10年ぐらい過ごしていると言うこと、大半の人が、70歳を超え始めたところから徐々に歩けなくなると言うこと、」そして、80を過ぎても元気に働ける人は、1割程度しかいない、と言うことである。
秋山特任教授は、男女ともに70歳を過ぎて緩やかに自立度が低下しはじめる“点”に着目しました。この“点”を少しでも先送りし、就労を含めて高齢者が自立できる期間を長くする社会づくりを目指すべきだと考えています。そのうえで、心身が弱っても、独りになっても、高いQOL(生活の質)を維持しながら、住み慣れたところで暮らし続けられる生活環境を整備すること。これが人生100年時代の新しいライフデザインの土台です。
と言うことである。
下図は、人生は長い!(老後の自立生活時間の長さ:推計)
長い人生老後生活(※男性20年、女性25年)の9割は自立生活時間!
この殆どの人が急降下する自立期間を、いかに健全に暮らして、健康寿命を延ばせるかと言うことであろうか。
今日、NHKで、日本人で、100歳以上の高齢者は、86、510人に達したと報じていた。
宝塚の田舎に住んでいたが、私の子供の頃には、近くに、100歳を超えた老人など居なかった。
しかし、長生きするのなら、健康寿命の100歳でありたい。
さて、自分自身のことになるのだが、私は今年81歳になり来年82歳になる。日本人の平均寿命は、男性が81.41歳だと言うから、丁度、平均まで生きたことになる。
別に、どうと言うこともなく、晴耕雨読ながら、普通の日常生活を送っている。
特に、ジムに通うなど運動はしていないが、朝夕、孫娘を幼稚園に送り迎えをしているので、アップダウンの激しい1㎞強の通園路を2往復しているので、4㎞6000歩以上は歩いている。
特に、体力が衰えたなあと感じるのは、この歩行で、孫娘に走られると、ついて行けなくなる。
それに、目的もなく、強歩で、10、000歩歩くのも、少し、苦痛になってきた。
秋山教授の資料によると、
このグラフは、当然、歩ける健全な老人の平均値であろうから、参考にと思って、幼稚園の送り迎えの数値で計算すると、1.16㍍/秒である。
これは休憩もあり信号もあり道草もあり孫娘とのイレギュラーな数値なので、真面に一人で歩くと、4.5㎞/時間くらいであるから、1.2は大分超えるであろうから、まず、及第であろう。
今のところ、前立腺がんは、全摘したにも拘わらず再発して放射線治療で完治したので、一応安心で、
持病は高血圧だけだが、先日、大先生に、心臓の機能と血液検査については正常で問題ないと太鼓判を押して頂いた。
頭のCTを撮ったのは、少し前だが、これも異常なかったし、私自身、このブログも書き続けているし、専門書なども問題なく読み続けているので、認知症などのボケは、まだ、心配しなくても良いのではないかと、勝手に判断している。
最近、人間ドックや定期検診は受けていないのだが、適当に病院に通っていて、調子の悪いところは先生に相談して、良く分からないが、CTやMRIなど結構検査を受けていて、どこか異常があれば、何らかの形で分かるのではないかと素人判断している。
いずれにしろ、私自身、前述の健康老人の10%に入っているのであろう喜びを噛みしめている。
富と世俗的な意味での成功には程遠かったが、世界を歩いて人類の築き挙げてきた偉大な文化芸術を鑑賞するなど、見るべきものは見つと言う心境に至るまで、人生を生き抜けたことに感謝している。
しかし、愚かにも、そんなことを忘れてしまって、今、この今がまたスタートとなって、その先の安寧と幸せを願っている自分に気がついて複雑な気持ちになっている。
往生際が悪いと言うか、兼好法師の気持ちが少し分かったような気がしている。