熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

総合病院でマスク掛け忘れて10分

2024年06月25日 | 健康
   コロナの状況がどうなっているのか分からないが、某総合病院で、マスクをかけ忘れていて、看護師さんに注された。
   勿論、病院ではマスク掛けは厳重に守られていて、最初から最後までマスクを外さないのだが、その日に限って、院内のドトールコーヒーショップで、軽食を取ったので、マスクを外したまま、外に出てしまったのである。
   その後、ロビーに出て、機械で病院の支払いを済ませて、少し小休止して、聞くことがあったので受付でコンタクトして、出入り口近くにデスクしていた看護師さんに話していた時に、「病院だから、身を守るために、マスクは大切です。」と注意されて、やっと、気付いたのである。

   6回か7回か忘れたが、ワクチンはこまめに打っていたし、午後に入っていたので人の混み具合も減っていたし、ほんの5分か10分足らずの小時間なのだからと思っても、看護師さんの注意が気になる。

   それから、四六時中体温を測り、毎朝、体調に変化がないか気にしながら起床していた。
   一週間経ったが、別に変わった様子はない。
   無罪放免ではなかろうが、一寸、ほっとしている。
   歳を取ると、非日常のほんの些細なことでも対応をミスる。注意しなければと心している。
   

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傘寿を越えると病気の心配

2024年05月30日 | 健康
   先日、東京の如水会館で、会社の同期の同窓会があったので出かけた。
   歩くのが少し苦痛になってきたので逡巡したのだが、茅ヶ崎から東京上野ラインで大船経由で東京に向かう友が2人いたので、東京駅からタクシーで行くなど便乗することにした。
   別にこのルートで行けば、一人でも問題ないのだが、前には、JRで横浜まで出て東横線で渋谷まで出てメトロで神保町に向かって、浄水会館まで歩いていた。元気なときのルートで何の不安もない。しんどいだけである。

   さて、元々関西ベースの会社で東京に本社を移したので、OBは、東西半々、
   今回は、事務系の関東だけで、一寸少なくて9人集まったのだが、元気なのは同期生の5割方なので、歩留まりは良い方である。
   中には、毎日のようにテニスをやったりゴルフ三昧に明け暮れていると言う元気な御仁もいるが、見かけは平常でも、各自、体の話になると、ポロポロ、ホコリが飛び出てくる。
   病院をハシゴしている友人もいるのだが、見かけは病気持ちだとは全く思えないのが不思議である。
   保険会社の話によると、80代の半分はその心配があると言う認知症の気が誰にもないのは、集まりに出てこれる証拠であろう。

   東大の高齢社会研究機構の秋山弘子教授の研究では、日本男性の老年について、
   約2割の人が、70歳を迎える前の段階から寝たきりになり、その状態を10年ぐらい過ごしていると言うこと、大半の人が、70歳を超え始めたところから徐々に歩けなくなると言うこと、そして、80を過ぎても元気に働ける人は、1割程度しかいない、と言うことである。
   とすると、我々の健康歩留まりは格段に高いので、どう解釈すれば良いのか。

   仕事は楽だったとも思えない。戦乱の最中のバングラデシュで消息不明になったりインドネシアのジャングルの過酷な現場で働いていたK君など、老年テニスのチャンピオンだと言うから、何が元気の元だか分からない。
   サウジアラビアやタイにも長かった慶応ボーイも溌剌として往時を語っている。
   私など、欧米が多いと言っても、東南アジアの未開地や中南米の良く分からない国なども含めて色々な国の水を飲んできた所為か、腎臓結石に泣き、結石の詰まった胆嚢を全摘するなど、よく、世界のどこかで倒れなかったなと述懐することがある。若かったから、痛みや苦しみに耐え抜きながら異境の地で頑張れたのだと思っている。
   結局、人それぞれの持って生まれた運というか運命のような気がしている。
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第七回目のコロナワクチン摂取

2023年09月30日 | 健康
   28日に近くのクリニックで、7回目のコロナワクチンを打って貰った。
   65歳以上の枠で、鎌倉市役所から送られてくるワクチン接種案内書にしたがって受けていたら、いつの間にか7回にもなってしまったと言うことである。
   最初は、市役所指定の場所および日時に往復タクシー券付きと言うお仕着せシステムであったが、今では、自分自身でインターネットで予約して出かけることに簡便化されている。
   ワクチンのメーカーはファイザーだったが、最近の2回はコミナティである。
   幸い、私の場合、副反応が全くないので助かっているのだが、家族によっては酷いので止めている。

   ワクチン接種のお陰かどうか分からないが、今のところ、コロナには縁がない。
   コンサートや病院や買い物などで遠出するときや公共交通機関の中、それに、近くのスーパーや郵便局など、人との接触機会のある場などには、マスクを心がけている。
   公共の場であっても、最近では、ノーマスクの人が結構多くなったが、後期高齢者であるので、用心に超したことはないと思っている。

   新型コロナウイルスに関する発表が厚生労働省のリリースに初めて登場したのは2020年1月6日と言うから、もう、4年近く、  
   知人友人の中にも結構罹っている人がいて、他人ごとではないが、早く終熄して欲しい。
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80歳でも脳が老化しないためには睡眠が大切

2023年06月04日 | 健康
   アマゾンの㌻を叩いていて、脳科学者西 剛志の「80歳でも脳が老化しない人がやっていること」に行き当たった。
   「試し読み」を開いて、目次を見たら、殆ど中身が推測できたので、感想を書くのだが、
   要するに、何もしなければ、脳の老化、すなわち、老人脳になると言うことだが、脳の老化は、老人になってから起こるのではなく、脳のピークは機能によっては若年から起こっていると言うことである。
   情報処理能力のピークは18才 人の名前を覚える力のピークは22才 集中力のピークは43才 と言った調子で、老年にとっての救いは、語彙力のピークは67才で、50才を越えても伸び続けているのである。
   ピークを長く保てる人は、老人脳にならないために、脳の老化を緩やかにしたり(スローエイジング)、積極的に若返らせる工夫(ダウンエイジング)しており、そのピークを70代、80代にも伸ばせる。ことが可能だという。

   脳を元気にして、人生を充実するのは大切な行為だと指摘して、真っ先に言及するのは、「歳を取ると睡眠が短くなるのも老化現象の一つ」として、睡眠の重要性を説いている。
   睡眠時間の短い人は、脳のゴミであるアミロイドαが脳に蓄積しやすくなり、結局、アルツハイマー認知症の発症リスクが高くなる。この脳のゴミを貯めないために、良い睡眠が必要である。と言うのである。

   睡眠時間は、10才毎に10分ずつ短くなるが、睡眠の質は変らないという。
   良い睡眠を取るためには、①30分以内の昼寝をする ②いびきを改善する ③歯を大切にするなどと処方が記されていて興味深い。

   さて、私の場合だが、この処方に対しては、昼寝はしないが書斎で本を読んだりTVやビデオを見ているときには時々居眠りをしており、いびきは横向きに寝て避けており、歯は8020運動をクリアーして80才を越えても25本以上の歯が健在である。
   その他、日光を浴びるとか、寝る前にカフェインやアルコールを避けるのなどは普通だし、寝付きが悪いだけで不眠症には縁がない。
   孫娘の幼稚園への送り迎えが必要だったときには、それなりに、早く朝起きが必要だったが、もう、それが終ったこの頃では、むしろ起床時間が遅くなり、何十年も深夜過ぎの就寝のリズムは同じだし、8時間を越すこともあって、睡眠時間の短さは解消している。
   就寝途中に2回くらい小用に立つことがあって、途中で、嫌なことを思い出したりして眠れなくなることもあるが、何日も続くわけでもないので、寝不足という程にはならない。
   もう、この歳まで、問題なく寝続けてきたのだがら、眠れないはずがないと高をくくっている。

   さて、実際にこの本を読んでいないので、これ以上言及できないが、脳の能力のピークが、かなり、若年に達していることからすれば、老化現象の減速努力や回避に対しては、相当人生の早い段階から手を打っておかなければならないような気がしている。
   私の知人友人の中で、認知症に罹っている人の多くは、現役引退前後の生活環境の変化に上手く適応できなかったような気がしている。それまでの職場人生に慣れきって、先のことなどを何も考えずに、同じ人生のリズムが続くものと何の疑問も抱かずに突っ走ってきたのであろう。

   私自身は、傘寿を越えた今でも、大学や大学院時代の専門書を普通に読んでいて不自由はしていないし、このブログも、それなりに18年間続けていて、それ程程度は落ちていないと自負している。
   何も変ったことをしてきたわけではないが、学生時代と変らずに、新しい本や難しい本にも挑戦して、何十年も同じペースで読書三昧に明け暮れてて来たことや、かなり自分勝手ながら、知りたい観たい聴きたいと思ったことども真善美を求めて趣味に生きてきたことなどが、頭の活性化に役だったのではないかという気はしている。
   メガネは、遠中近と3つ使い分けてはいるが、目に故障がなかったのが幸いしている。
   尤も、歳には勝てず、耳も目も少しずつ老化しつつある。頭は、まだ、持つであろうと期待しているのだが、いずれにしろ、老いとの闘いである。

   今日も、阪神が勝った。
   わが生まれ故郷西宮の誇りであり、阪神の快進撃は私の健康にとっても良いことである。
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80歳の坂を越すのは大変なのだ

2022年10月24日 | 健康
   先日、和田秀樹先生の「80歳の壁」を読んだと思ったら、また、半年の内に、80歳関連でも、先生の本が「70歳、80歳でとても幸せになる人、不幸になる人 」「70代で死ぬ人、80代でも元気な人」「70代、80代を楽しむためにこれだけは知っておこう!」など3冊も出ている。同じことが書いてあるのであろうから読む気にはならないが、健康関連の本の乱発も良いところである。
   先日、掛かりつけ医に、和田先生の言を引いて、80歳を超えれば、血圧やコレステロール値について高くても薬は飲まなくても良いし、気にすることはないのかと聞いたら、絶対にそんなことはないときつく叱られた。
   私は、和田先生の本で、多少気は大きくはなったが、疑心暗鬼で、一応こまめに、毎日血圧や体温、体重を量って、数値を追っている。

   さて、東大の高齢社会研究機構の秋山弘子教授の研究では、日本男性の老年について、
   約2割の人が、70歳を迎える前の段階から寝たきりになり、その状態を10年ぐらい過ごしていると言うこと、大半の人が、70歳を超え始めたところから徐々に歩けなくなると言うこと、そして、80を過ぎても元気に働ける人は、1割程度しかいない、と言うことである。

   私の身近な知人友人、80歳前半なのだが、を考えてみれば、約30%くらいが既に亡くなっていて、多くが、認知症や病気で何らかのかたちで介護状態になっていて、「80を過ぎても元気に働ける人」というか、特に不自由なく日常生活を送れている人は、10~20%と言うか非常に少ない。
   先日、大学時代のゼミの同窓会について書いたが、12名の内、7名が、コロナ開けの来年適当なときに、会おうと言うことになっているのだが、これは、上出来だと言うことであろう。
   近況を聞くにつけ、殆ど本も読めずに寝たきりに近い生活をしていたり、認知症で意識が希薄になっていたりして、日常生活もままならなくなった友と、口角泡を飛ばして天下国家を論じたあの頃が、無性に懐かしくなる。

   ところで、私の場合だが、毎朝、起きたときに元気で生活できていることに無上の幸せを感じて、深い感謝の気持ちを込めて合掌している。
   今、医者にかかっているのは、高血圧症の治療というか、薬を処方して貰うために、3ヶ月に1回通う程度で、ほかに、時折、定期健診に歯医者に行くが、これは任意である。もう一つの通院は、前立腺ガンの全摘が再発して放射線治療を受けたので、その経過健診で、これは、数年PSA値がゼロ近辺なので、殆ど無罪放免。
   何年か前から悩んでいた脊柱管狭窄症については、直ってはいないのであろうが、腰の温暖化療法で小康状態で、朝起きたときには多少痛みがあっても、日常生活には全く異常がなくなっている。
   それよりも、最近、急に、足腰が弱くなって歩くのが不自由になり始めて、転ばぬ先の杖で、遠出をするときには杖を持って出かけている。
   歳を取ると真っ先に弱るのは「歯目足」というのだが、まさに、その足に老いの直撃を受けている。
   秋山教授の言う「70歳を超え始めたところから徐々に歩けなくなる」という徴候なら致命的なので、毎日、散歩を欠かさず続けている。
   孫娘の幼稚園への送り迎えで、毎日、往復2回で都合4キロ弱の道を歩いていたのだが、近くの小学校に変ったので途切れてしまい、方向転換である。
   歯は、8020運動はクリアしており、特に問題はない。
   目はメガネを掛けてはいるが、まだ、英語の専門書でも2~3時間は読めるし、パソコンの前に何時間いても不自由はない。
   頭の方は、まだ、専門書や学術書などは読み続けているし、このブログも書けているので、当分は大丈夫であろう。

   しかし、これから、何が起こるか分からないので、臨終のことをを学ばなければならない。
   いずれにしろ、健康寿命も平均寿命も超えてしまって、いわば、余得の人生を生きているようなものであるから、健康寿命を全うして迷惑を掛けずに逝きたいと願っている。
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夏ミカン・マーマレードを作る

2022年03月09日 | 健康
   今年は、夏ミカンの裏年で、いつもなら、何十個もたわわに実がつくのだが、大きな木に、10数個しかついていない。
   しかし、数が少ない所為か、大きな立派な夏ミカンなので、そのままにしておくのも勿体ないので、マーマレードを作ってみようと思った。
   梅とキウイのジャムづくりで慣れているので、マーマレードも同じであろうと、やることにしたのである。

   800㌘のジャムの瓶にと思って、とりあえず、大きな夏ミカンを二つ選んで、作業に入った。 
   いつものように、インターネットを叩いてレシペや作り方の動画をいくらか見て、自分のやりやすい方法を編み出してやるのが私の手法である。

   まず、大変なのは、夏ミカンの皮の処理である。この皮の一寸歯ごたえのあるシャキシャキ感が、マーマレードの命である。
   夏ミカンを綺麗にあらって、包丁で、皮に8等分くらいの輪切りに切り口をつけて皮を剥く。
   目の形になった皮に横から包丁を入れて、2枚に切り離して、白い綿の方は捨てて、皮の部分を残す。
   皮の方を、細かく千切りにする。
   水の入ったボウルで手洗いして、綺麗な水に一晩寝かせる。
   翌日、千切りにした皮を煮沸して、吹きこぼれる瞬間に差し水をして、これを2~3回繰り返して、適度に煮込む。
   綺麗な水に付けて揉み洗いして、苦みを抜く。
   水に浸かっていた皮を揉み洗いして苦みを抜いて搾って鍋に入れて、それに、別に皮を剥いて綺麗に取りだしておいた夏ミカンの実を加える。実は、少し切り刻んで小さくしておくと良い。
   この皮と実をあわせた重量の8割程度の砂糖を用意する。
   皮と実を入れた鍋に、カップ1杯の水を加えて、煮込む。
   私は、最初は中火で少しグツグツする程度に煮込み、アクを取りながら10分ほどしてから、砂糖の3分の1を加えて混ぜながら煮続ける。
   この間に、一緒に煮込んでいた種を丁寧に取り出す。
   更に10分煮て3分の1の砂糖を加え、これをもう一度繰えして砂糖を全部入れて煮続ける。この間、少しずつ火力を抑える。
   飴色の綺麗なジャム状になり、とろりとした段階で火を止めて出来上がり。この辺りは、経験というか阿吽の呼吸である。
   熱いまま、ジャム瓶に移して蓋をしっかり閉めて冷めるのを待つ。

   多少、皮の部分が、煮込みが不足したのか、固い感じだったが、食感が味わえる分、まずまずであった。
   もう一つ、気を使ったのは、砂糖の量をセーブしたことである。市販のジャムは、相対的に砂糖気が多くて甘いのだが、やや甘さを抑えて、果実自体の固有の味を残した方が良いことは、梅やキウイのジャムづくりで経験している。
   コロナでの巣籠もり生活の影響でもないが、昨夏から、梅とキウイのジャム作りを始めたので、最近は、ブルーベリージャムを含めて、市販のジャムを買うことが少なくなった。
   良いのか悪いのか、しかし、自分で思い通りにジャムを作って食するのも悪くはない。
   
   
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健康寿命を延ばすと言うこと

2021年09月14日 | 健康
   宮田裕章の「データ立国論」を読んでいたら、気になる記述が出てきた。
   東大の高齢社会研究機構の秋山弘子教授の研究で、30年前の日本の高齢者が、60歳を過ぎてからどのように人生を辿るか追跡調査した結果報告である。
   まず、一目瞭然なので、下図を見て説明すると、
   
   約2割の人が、70歳を迎える前の段階から寝たきりになり、その状態を10年ぐらい過ごしていると言うこと、大半の人が、70歳を超え始めたところから徐々に歩けなくなると言うこと、」そして、80を過ぎても元気に働ける人は、1割程度しかいない、と言うことである。
   秋山特任教授は、男女ともに70歳を過ぎて緩やかに自立度が低下しはじめる“点”に着目しました。この“点”を少しでも先送りし、就労を含めて高齢者が自立できる期間を長くする社会づくりを目指すべきだと考えています。そのうえで、心身が弱っても、独りになっても、高いQOL(生活の質)を維持しながら、住み慣れたところで暮らし続けられる生活環境を整備すること。これが人生100年時代の新しいライフデザインの土台です。
   と言うことである。

   下図は、人生は長い!(老後の自立生活時間の長さ:推計)
   長い人生老後生活(※男性20年、女性25年)の9割は自立生活時間!
   
   この殆どの人が急降下する自立期間を、いかに健全に暮らして、健康寿命を延ばせるかと言うことであろうか。
   今日、NHKで、日本人で、100歳以上の高齢者は、86、510人に達したと報じていた。
   宝塚の田舎に住んでいたが、私の子供の頃には、近くに、100歳を超えた老人など居なかった。
   しかし、長生きするのなら、健康寿命の100歳でありたい。

   さて、自分自身のことになるのだが、私は今年81歳になり来年82歳になる。日本人の平均寿命は、男性が81.41歳だと言うから、丁度、平均まで生きたことになる。
   別に、どうと言うこともなく、晴耕雨読ながら、普通の日常生活を送っている。
   特に、ジムに通うなど運動はしていないが、朝夕、孫娘を幼稚園に送り迎えをしているので、アップダウンの激しい1㎞強の通園路を2往復しているので、4㎞6000歩以上は歩いている。
   特に、体力が衰えたなあと感じるのは、この歩行で、孫娘に走られると、ついて行けなくなる。
   それに、目的もなく、強歩で、10、000歩歩くのも、少し、苦痛になってきた。
   秋山教授の資料によると、
   
   このグラフは、当然、歩ける健全な老人の平均値であろうから、参考にと思って、幼稚園の送り迎えの数値で計算すると、1.16㍍/秒である。
   これは休憩もあり信号もあり道草もあり孫娘とのイレギュラーな数値なので、真面に一人で歩くと、4.5㎞/時間くらいであるから、1.2は大分超えるであろうから、まず、及第であろう。
  
   今のところ、前立腺がんは、全摘したにも拘わらず再発して放射線治療で完治したので、一応安心で、
   持病は高血圧だけだが、先日、大先生に、心臓の機能と血液検査については正常で問題ないと太鼓判を押して頂いた。
   頭のCTを撮ったのは、少し前だが、これも異常なかったし、私自身、このブログも書き続けているし、専門書なども問題なく読み続けているので、認知症などのボケは、まだ、心配しなくても良いのではないかと、勝手に判断している。
   最近、人間ドックや定期検診は受けていないのだが、適当に病院に通っていて、調子の悪いところは先生に相談して、良く分からないが、CTやMRIなど結構検査を受けていて、どこか異常があれば、何らかの形で分かるのではないかと素人判断している。

   いずれにしろ、私自身、前述の健康老人の10%に入っているのであろう喜びを噛みしめている。
   富と世俗的な意味での成功には程遠かったが、世界を歩いて人類の築き挙げてきた偉大な文化芸術を鑑賞するなど、見るべきものは見つと言う心境に至るまで、人生を生き抜けたことに感謝している。
   しかし、愚かにも、そんなことを忘れてしまって、今、この今がまたスタートとなって、その先の安寧と幸せを願っている自分に気がついて複雑な気持ちになっている。
   往生際が悪いと言うか、兼好法師の気持ちが少し分かったような気がしている。
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高血圧の悪化を心配して大慌て

2021年09月11日 | 健康
   先日、朝、寝起き頭に、息苦しくなった。
   10回以上深呼吸を繰り返すと、どうにか正常に戻った。
   気になって、放置していた血圧計を引っ張りだして、測ったら、165-115、
   ビックリして、何度か計り直したが、150-105以下には下がらない。
   もう、40年以上も、高血圧で、血圧降下剤 を飲み続けているのだが、最近は、130-85くらいで落ち着いているはずであった。

   正確に言うと、渡欧前に、三井記念病院で、高血圧だと診断されたのだが、当座の薬だけを持って、アムステルダムに赴任した。
   外国だし、その上多忙で、気楽に病院に行くなど余裕がなかったので、そのまま、薬の処方をせずに走り回っていて、途中で、急に目が充血して体調がおかしくなって病院に飛び込んだ。この時も、上が165以上になった記憶があり、高血圧を注意されたのだが、この時薬を貰っただけで病院には行かず、良く覚えていないが、その後、イギリスに移り住み、都合、EUで8年間、何もせずに無防備で、走り回っていた。
   帰国して会社の診療医に診て貰ったら、当然、高血圧の診断が下り、その後、ずっと、程度は上がったり下がったりだが、薬を飲み続けている。

   ところで、30年近くお世話になっている行きつけの病院は、東京なので、コロナの影響で、この1年半くらいは行っておらず、薬は、先生に電話で処方して貰っていて、直接診断は受けていない。

   いずれにしろ、巷では、血圧は130-85以下でないと高血圧の危険があって危ない、特に、老人は気をつけよと喧しい。
   しばらく、様子を見ようと、素人判断ながら、薬を2倍にして飲んだところ、血圧を測ったら、上がったり下がったり、とにかく、高い数字は変らない。

   3日目の朝、東京へは行けないので、最近少しずつ他の科で診療を移している鎌倉の病院へ、朝駆け込んで、診断を受けた。
   勿論、紹介状もないし、係員に事情を説明しても中々埓があかず、しかし、親切にも、先生が事情を確認しようと診断してくれることになった。
   血圧は高いが、この程度の血圧では、心配ないが、脳梗塞の可能性があるかも知れないので、本格的に全部検査しようと言うことになった。
   この病院は、殆どの分野で最先端の検査システムを完備している高度な総合病院なので、病気の心配はともかく、私にとっては、願っても叶ってもない幸運であった。

   腎臓の障害を避けるために点滴をつけて貰って、CT,心電図、エコー、レントゲン、他に何だったか忘れたが、あっちこっち検査室を回って、検査を受けた。

   全部検査が終って、先生の診断を受けた。
   先生は、予想に反して、全く問題なく正常であったと、ニコニコとして話された。
   丁度、日本男性の寿命である81.4歳に差し掛かっていたので、どんな判定を下されても仕方がないと思っていたので、信じられなかった。
   心臓の弁が規則正しく順調に動いている画像や綺麗な冠動脈などのCT画像、エコーや心電図などのコピーを見せながら、血液検査の数値も、腎臓にやや数値にLやHがあるが、全く問題がないと言う診断を頂いた。

   処方する薬は、変更するが、3ヶ月後に、又来るように、問題があれば、いつでも来てくれれば良いとの指示を頂いた。
   紹介状はと聞いたら、当然、要らないという返事。
   100日分の薬の処方箋を貰って病院を離れた。
   帰って、病院のHPを開いたら、お世話になった先生は、トップの偉い先生であることが分かって、嬉しくなった。
   
   今日、血圧を測ったら、多少、異動はあるが、正常値に近づきつつあるので、安心している。
   
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老いを生きる・・・読書とワイン

2021年08月28日 | 健康
   先日、池田清彦の「欺されない老後」をレビューした。
   冒頭、地球温暖化などはウソだと暴言を吐いているので、一寸、読書をためらったのだが、元々、不良老人の生き方を語っているのだから、気にすることはない。
   私はこう思って生きているが、お前はどうか、そんな問題を投げかけて挑発していると思えば良いのである。

   歳を取れば、何を食べてもたいした差がない。しかし、アレルギーには注意。
   テレビや雑誌で、「この食べ物を食べれば良い」とか、(「この錠剤を1日一粒」とか、無知な大衆を煽り立ててこれ宣伝に努めているが、利いたためしがなく、(ここは、私の追加))サプリメントの必要など全くなくて、食べたいものを食べて「広食性」を維持すれば良い。
   至極尤もなことを言う。

   私の手元に、積読だが、「ワイル博士の医食同源」と言う大著がある。引退してから、読もうと思って買った本だが、ペラペラページを捲り始めている。
   ワイル博士のレシペ集に加えて、「粗食のすすめ」の陣内秀夫氏が、ワイル博士監修でレシペ集を掲載しているが、残念ながら、料理は、総べて家内任せなので、私には何も出来ない。
   粗食と言うことだが、歳を取った最近では、それに近いとしても、若くて元気でヨーロッパを飛び回っていた頃には、ミシュランの星付きレストラン行脚を続けていたので、やはり、高級レシペの味の凄さ奥深さの魅力には勝てなかったのを覚えている。高級食あっての粗食の魅力である。

   ところで、ワイル博士は、「健康のための食事と、快楽のための食事は互いに矛楯するものではないと言う認識である。」と述べていることを付記しておきたい。

   さて、著者は、色々な切り口から、老後の生き方を語っている。
   このブログで、何回も触れているので蛇足も良いところだが、飽きずに、読書と晩酌について書く。

   まず、読書だが、著者は、「真の知識があれば欺されることはない」として、純粋に「知識欲」を満たすことを楽しむ読書のメリットを語る。
   一冊読んでますます興味が湧いたら、そのジャンルの本をもっと読んで知識を得れば良い。特にゴールがあるわけではなくても、純粋に知りたいことだけを自分勝手に追いかけるのは、この上なく楽しい。むしろごーるがないほうが継続的な生きがいになる。と言う。
   私の場合、「知識欲」と言えば「知識欲」だが、少しニュアンスを変えて、「真善美」に会いたいという思いである。何か自分には未知であり経験をしていない真実や善いことや美しいことを知りたいと思っている。読書以外でも、例えば、旅や芸術鑑賞や自然観察などもそうで、そんな思いで対峙していると、思いがけない感動に遭遇する。

   雀百までと言うか、今でも、少しは専攻した経済学や経営学の専門書を読んでいるが、これは、やはり、知識水準をそれなりに維持して遅れたくないという気持ちからである。これに関連して、歴史や社会学、政治関連の本が絡まるので、やはり、カレントトピックスからは離れられないと言う人間の性かも知れないと思っている。
   最近は、コロナで、東京へ観劇やコンサートに行けないので、古典芸術やパーフォーマンス・アーツ関連の本とは疎遠になっている。
   しかし、昔から好きで離れられないのは、シェイクスピア。
   そして、ルネサンス関連と、レオナルド・ダ・ヴィンチ。
   それに、昔から、欧米の博物館美術館を回って、名画を追いかけ続けてきたので、どうしても、美術の本に目が行く。
   何度同じ関連本を読んでも、新鮮な感動を覚える。
   
   本の大半は、倉庫に眠っているのだが、書斎の本棚や机の上、それに、足下に堆く本の山があって、時々入れ替えたり積み替えたりしていて、どの本も読みたいと思いながら、ままならない。
   今になって、速読法を身につけておけば良かったと後悔しているが、後の祭りである。
   
   さて、元々、晩酌をしたことがなかったのだが、この頃は、毎夜の如く、主に、赤ワインだが、晩酌らしきものをしている。
   酒は、飲めないわけではなかったので、学生の頃のコンパから、付き合いや仕事の関係上、その時に応じて、適当に飲むことはあっても、付き合い程度であった。
   ところが、ヨーロッパに赴任して仕事を始めると、ワインは飲む食べ物という位置づけであるから、ワインはつきもので、これなしには、ヨーロッパ人との付き合いは成り立たないし、仕事に支障さえ来す。
   食前酒や食後酒は、色々だが、食事中は、ずっと、白ワインか赤ワインが伴奏するので、その絶妙な味の調和なりバランス、何とも言えないコラボレーションの良さが分かってくると、ワインなしには、会食など食が進まなくなってしまう。
   ヨーロッパでの出張や一人旅でも、ミシュランの星付きレストランを探してあるいていたので、その土地土地に合ったワインをソムリエのアドバイスを得て飲み続けていると、これが、実に素晴しいのである。旅情も加わって、良い思い出となった。
   ミシュランの星付きレストランは、オランダやベルギーやドイツに行くと、鄙びた田舎にあって、小さな旅籠を併設したりしているので、気持ちよくほろ酔い機嫌で一夜を過ごす旅の醍醐味は、また、格別であった。

   魚料理の時には、白ワインか日本酒に代えているが、休肝日を除いて、殆ど毎夜、赤ワインである。
   適量というのか、酔うまでには行かないが、健康上、200ccがmaxで、100cc前後に抑えようと努力はしている。
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