熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

久しぶりの神田古本まつり

2019年10月31日 | 生活随想・趣味
   何年ぶりであろうか、良く行っていた恒例の神田古本まつりに、久しぶりに出かけた。
   以前には、三省堂のロビーや外庭にも、そして、スズラン通りにも、犇めくほど古書店が店を張っていて、大変賑わっていて、書棚に近づくのも一苦労であったが、今昔の感と言うか、本離れ活字離れの影響か、非常に、寂しくなっていた。

   神保町の交差点がメイン会場で、靖国通りの南側に沿って、古書店の店先と歩道に並べられたワゴンが俄か店頭となって、このあたりは、賑わっている。
   オープン4日目の平日と言うこともあろうか、以前には、地方から上京した古書買い付けや読書ファンらしき人たちが、沢山見かけられたのだが、そんな雰囲気もなく、散策に来たと言った感じの人が、多いようであった。
   5000円以上買えば、全国配送無料券をくれるので、以前には、私も沢山買い込んで発送したりしていたのだが、やはり、パラパラ、1冊か2~3冊買う客が主体で、宅配センターは閑古鳥が鳴いていた。
   古書探しなら、ICT革命の恩恵で、アマゾンや「日本の古本屋」などから検索すれば、結構探せるので、特別な本でない限り、神田神保町へ通わなくても良くなったと言うことでもあろうか。

   私にとって興味あるような本を並べていたのは、神保町交差点の書店と、岩波ホール裏の通りの書店。
   食指が動いたのは、ルネサンスやダヴィンチなどの歴史や美術の本、圓朝や米朝などの落語の本などだったが、結局、買ったのは、やはり、興味を失ってはいないオペラの本。
   もう20年以上も前の本だが、持っていると思いながらも、奇麗な本で、4000円が、500円だったので、ディガエターニ著「オペラへの招待」
   それに、
   水谷彰良著「プリマ・ドンナの歴史 Ⅰ Ⅱ」
   これは、衝動買いで、厳重に封印されている新本なので、どんな中身か分からなかったが、8000円程する膨大な2冊本が、2000円で、東京書籍刊だから、まあ良いかと思って買った本。
   現役など20世紀後半のプリマなら、日本人の著者では無理で、私の方が欧米の劇場で良く聴いているので、歴史的な叙述であろうと思ったら、やはりそうで、
   一寸期待に反した本だが、昔通い詰めたオペラ劇場には行く余力がなくなったが、これからも続けるMETライブビューイング鑑賞時に、作品背景資料として役立つだろうと思っている。

   随分、色々な本が出ているなーと言う感慨と、結構読みたい本を見落としているなあと言った思いを繰り返しながら、2時間くらい歩いたのだが、まだ、何百冊も積読で、書斎や倉庫に山積みになっている本をどうするのか、
   平均寿命だと、もう、後、それ程残っていないので、辛抱する以外にないのが寂しい。
   
   
   
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ヘンリー・ポラック著「地球の「最期」を予測する―2030年・気候危機という名の科学的真実」

2019年10月30日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   アル・ゴアと共に、IPCCのメンバーとして、ノーベル平和賞を受賞した地球物理学者のヘンリー・ポラック教授が、氷河の歴史を掘り下げ、氷が、この地球上で果たしてきた大切な役割を論じながら、気候変動によって、地球環境が、どんどん、窮地に追い込まれて行く状況を説いている興味深い本が本書。

   この本では、IPCCの第4次報告が引用されているのだが、最新の2014年の第5次IPCC報告の概要は、(環境省の報告より引用)
   • “気候システムの温暖化には疑う余地はない” 気温、海水温、海水面水位、雪氷 減少などの観測事実が強化され温暖化してていることが再確認された。
    “人間の影響が20世紀半ば以降に観測された温暖化の支配的な(dominant)要因で あった可能性が極めて高い(95%以上)”
   • 今世紀末までの世界平均気温の変化はRCPシナリオによれば0.3~4.8℃の範囲に、 海面水位の上昇は0.26~0.82mの範囲に入る可能性が高い。
   • 気候変動を抑制するには、温室効果ガス排出量の抜本的かつ持続的な削減が必要 である。

   5年毎の報告の度毎に表現が厳しくなってきているのだが、極めて厳格なルールに従って、2000人以上の現役の気象学者が参画して作成し世界中の科学者が認めた最大公約数の見解であり、経済や政策の観点からの議論も行われて各国政府の承認した報告書なのだが、それでも、温暖化を疑うのか、と言うのが著者の厳しい見解である。
   
   しかし、現実には、「温暖化否定論者」が増殖し、二酸化炭素を大量に放出し稼いでいる業界(石油業界や自動車業界など)が裏で手を回し、メディアの情報操作して、気象学者を、「不安定」で「不確か」で、「根拠のない」科学者だと非難し、また、一部の科科学者たち(その多くは業界から研究費などの支援を受けていた)も温暖化に異議を唱えているという。
   勿論、その否定論の根拠を引用して、すべて反証できると論破している。

   最近では、大分、世論の風向きも変わってきたが、まだ、色々な利害関係故に科学的データから目をそらして、温暖化の進行を認めたがらない人がいるので、「自然の温度計、天然の声」に聴けと言う。
   陸と海に生きる動物や植物たちが、気温の微妙な変化を感じ取って、花を咲かせる時期を早めたり、春に鳥が卵を抱く時期も早まっていたり、寒くなると南へ渡る筈の鳥たちは冬が穏やかになったので秋深くまで旅立たなくなったなど、生物の世界では、地球温暖化の影響はどんどん出ている。
   確かに、私の趣味の椿の開花時期が大分早くなってきたのを感じているし、もう半世紀も経つが、学生時代に、比べたら、京都の紅葉の季節が、大分、遅くなってきたような気がしている。

   さて、私が興味を持ったのは、300年前に、パナマ地峡が閉じて、海洋循環の調整とそれに伴う大気への影響で、地球への降水分布が再編成されて、赤道の北で乾燥が始まり、大陸が冷えて乾いてきて、森林が草原になり、アウストラロピテクスは順応しようと苦闘し進化の必要に迫られ、道具や技術が発展したということである。
   また、およそ7万年前の最終氷期の中頃、アフリカの気候変動で乾燥が進んで、ホモサピエンスは、生活が成り立たなくなって、絶滅寸前となったのだが、幸い、氷河作用で海水が大規模な大陸氷河に覆われていたお陰で、住むのに適した大陸へ、大地の果てへと大移動を開始したという。
   「ミトコンドリア・イブ」を起源とするアフリカ単一起源説を取れば、当然、アフリカから徒歩での民族移動であり、毎年10マイルほど進み、1000年以上の時を経て、新天地へ渡って定着したと言うことであろう。

   何度も繰り返されてきた氷期は、地形を劇的に変え、気候の変動とそれに翻弄された人類にストレスを与えた。氷床は、人類や生物の頼りにしていた植生を覆い尽くし、浸食する氷の所為で住む場所を追われたが、海水面が低下したことで移住への道が開けた。
   氷が世界を支配していたわけだが、人類は、氷河の前進と後退に必死で対応して生き続けてきた。
   そして、最後の氷期が終わるころに、人類の叡智は繰り返し襲ってきた氷河期のストレスによって鍛えられ、世界制覇を狙えるまでに至ったというのである。
   トインビーの説いた「挑戦と応戦」が、シュンペーターの言うイノベーションを生み出し、文明文明の進歩発展を促進したと言うことであろう。

   さて、地球は、呼吸するように、何度も氷期の到来を繰り返してきたが、この1万年ほどは比較的安定した温暖期が続いているので、蒸発する海水の減少量と、降雨や河川及び氷河の流入で海に戻る水の量がほぼ釣り合っていて、基本的に収支バランスが取れていた。
   ところが、20世紀になって、地球が温暖化して、氷河の流れが速くなって氷の解ける量が増大し、加えて、温暖化による海水の膨張で、このバランスが崩れ始めたと言うのである。

   もう、後戻りは効かない。
   いつかは、海面の上昇で、大洋の島嶼国や、上海やニューヨークなどの海辺の大都市が、水没して行くと言うことであろうし、今回のスーパー台風や大雨の被害の加速も分かろうと言うことであろうか。
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国立能楽堂・・・狂言「子の日」:能「望月」

2019年10月28日 | 能・狂言
    台風21号の影響で大雨の日、国立能楽堂の企画公演に出かけた。
    プログラムは、
    狂言「子の日」シテ 茂山逸平
    能「望月」 シテ 観世銕之丞

   まず、短い曲なのだが、面白かったのは、茂山家の狂言「子の日」。
   明治への時代の移り変わりの時期に、京都御所の留守居役を申し付けられた冷泉為理が作曲したというから、シテも公家(大宮人)で、和歌がメインとなる何となく雅な雰囲気を醸し出した面白い曲である。
   
   初の子の日に、公家が野に出て謡い舞いながら、縁起の良い小松を引いていると、女(千五郎)が、それを察知して小袖を被いてやってくる。魅力を感じた公家は、この子の良き日に、この女と、夫婦の契りを交わそうと、「子の日して 心を寄する 小松姫」と詠みかけると、幸いにも、女は「引かれて君が 袖に添はばや」と色よい返事をする。喜んだ公家が、顔を見るとその不器量さに仰天、女が袖を引いて迫るのだが、「ひとたびは 手に引き取りし 小松姫 見捨て顔にぞ 打ち掛くる雪」と詠んで、女の顔に、搔き集めた雪を投げかけて逃げて行く。ところが、女は、怒るどころか、松の一千年の色は雪のうちに深しと言うから、自分の寿命も長かろう、嬉しやの~嬉しやの~と言う。話。

   この日、シテは七五三だったが、病気休演で、次男の逸平に代わった。
   別の公演で、逸平がシテで、七五三が女を演じており、逸平の持ち役なのでもあろう。
   そこは親子、実に芸が七五三そっくりで、滲みだす微妙な笑いの表情も、生き写し。
   その上に、丁度嫁取り前の若い貴人のギラギラした色好みの雰囲気を醸し出していて秀逸。
   NHKのドラマなどで、飄々とした軽いノリながら、関西男の若者の味を絶妙に演じる貴重なキャラクターだが、何時も、注目して舞台を観ている。
   女の千五郎当主は、オーソドックスで風格のある芸を披露。
   冷泉為理は、千五郎家で狂言を習っていたようで、この曲は、千五郎家のみの所演曲だと言う。
   私など、根のついた松が店頭にあれば、その小松を買って門松飾りにしている。

   能観世流の「望月」は、ほぼ、次の通り。
   信濃の国の住人安田の荘司友春の家臣小沢の刑部友房(シテ 銕之丞)は、主人の友春が望月秋長(ワキ 森常好)に殺害され自分も命を狙われているので、近江国の守山の宿で甲屋という旅館を設けて暮らしていたのだが、寄るべもない友春の妻(ツレ 谷本健吾)は、一子花若(子方 谷本康介)を伴って、故郷を出て京へ上る途中、守山の宿にたどりつき、偶然、甲屋に泊まり、主従は奇しくも再会し、涙を流して喜びあう。そこに、計らずも、敵の望月秋長が、従者(アイ 千三郎)を連れて、都から故郷に下る途中、甲屋に宿を取る。それを知った友房は、その夜、旅の徒然をなぐさめると称し、友治の妻に、盲御前として謡を謡わせ、花若には鞨鼓を打たせ、自分は獅子舞を舞って興を添え、望月が酔いつぶれて油断するすきを見て、花若と一緒になって、望月を討ち本懐を遂げる。

   この能は、「夜討曽我」「小袖曽我」などの曽我物や「放下僧」のように仇討ちをテーマにした曲で、そして、芸尽し物でもあり、「放下僧」のように、望月の油断を誘うために、主人の妻子が、盲目の女芸人一行に扮して謡いを謡い鞨鼓を打つという芸を見せ、友房も、秘曲の「獅子」の舞を舞うなど、見せて魅せるところが良い。
   「獅子」が舞うのは、このほかに、「石橋」があるが、これは、獅子口の面を付けた獅子そのものが舞うのだが、この「望月」では、人が獅子舞装束を被いて「獅子」を舞うので、望月が寝込んだのを見定めた友房は、獅子の衣装を脱いで、望月に対峙する。それに、獅子頭には、広げた金扇を獅子の口に見立てて、布で覆面をした「扇の獅子」で舞っている。
   興味深いのは、盲御前の妻が、曽我兄弟の仇討を謡うのも露骨すぎるのだが、その途中、箱王が、不動明王に、「敵を討たせたまえや」と謡った瞬間、花若が、いきり立って、「いざ討たう」と叫んで、場を緊張させて、友房が、「鞨鼓を打とうと言ったのだ」と宥めるシーン。
   観世流では、最後の仇討場面は、望月が傘だけ残して切戸口に退場して、友房と花若が、その傘をめった切りにするというのは、一種の能の美学であろう。
   それに、謡が少なくて、殆ど、会話形式で話が進むので分かり易い。

   ところで、観世流では、銕之丞家の分家樹立の時に、獅子を舞う能のうち、「石橋」は本家、「望月」は分家と言う住み分けが行われたようで、銕之丞家にとっては、「望月」は、非常に重要な曲だという。
   この能のシテ友房は、直面。
   銕之丞師の凄い至芸を、凛々しくて精悍な能面以上の素晴らしい素顔での舞台を拝見して、感激した。
   それに、この曲は、芝居がかった会話劇の舞台なので、ワキの森常好、アイの千三郎も、シテと互角に演じていて楽しませてくれた。
   この舞台、囃子方も、大鼓を亀井忠雄、小鼓を大倉源次郎と言う二人の人間国宝が加わった豪華版、獅子の出の乱序が素晴らしい。
   感動的な凄い企画公演であった。
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久しぶりの秋日和、庭仕事のひと時

2019年10月27日 | ガーデニング
   大嵐の去った秋の気持ちの良い木漏れ日を楽しみながら、一日を庭で過ごした。
   今、キンモクセイが最盛期で、わが庭には、かなり立派な木が2本植わっていて、優しくて甘い芳香を感じながらの、清々しい庭仕事であった。

   庭仕事と言っても、まず、3回の大嵐で荒れた庭の整理で、枯れ葉や折れた木の枝などの整理片付けから始めたが、結構、大変なのである。
   その後、気になるのは、所かまわずに伸びて、庭木に絡みついている蔦や蔓植物の取り除きや、徒長枝など伸びすぎた枝葉の剪定で、思いきって、バサバサと刈込ばさみをいれた。
   花芽がついている花木の剪定は、注意を要したが、植物の再生のためには、時には、強剪定が必要なのである。

   私が一番気にしている椿だが、まず、蕾の数を減らして、木に負担を掛けないことで、これも思い切って、同じ芽から2つの蕾を付けているところは、1つ蕾を落として1つだけ残して、他の枝でも、蕾は一枝に1つ程度におさめて、折角付けた蕾だが、諦めることにした。
   鉢苗には、10月最後の液肥を施した。

   不思議なもので、個体保持のためであろうか、折角付けた蕾を自然に落とす木もあって、春の開花時まで、健康な蕾を維持するのは大変で、自然界の摂理に従う以外、思うように行かないのである。
   鉢植えの椿は、大体、蕾を付けているのだが、残念ながら、今年は、青い珊瑚礁や王昭君やミリンダ、鳳凰など、蕾を付けなかった木もあり、一寸寂しいのだが、しかし、実生苗で、初めて蕾が着いている木が数本あって、雑種苗の筈であるから、どんな花が咲くのか、大いに楽しみにしている。

   それに、千葉から持ち込んだ実生苗にも、新しく蕾が着いているので、これにも、どんな花が咲くのか期待している。
   グーグルアースで、前の千葉の家の庭を見たら、50種類以上はあったであろう、銘椿の木が悉くなくなって、オープンなガレージになってしまっていて、複雑な気持ちになったが、守れなかった忸怩たる思いがあるのだが、仕方がない。
   それだけに、千葉から移植した椿や、10本以上持ち込んだ実生苗の生育が、私には非常に重要で気になるのである。

   移植の時期を失してしまって、一寸遅すぎるのだが、根鉢を崩さずに、そのままの状態で、椿と樒を数株、庭に移植した。
   まだ、凍結していないし、それに、地面も温かいので、大丈夫だろうと思う。  

   もう少し、剪定をして、庭をすっきりさせて冬を迎えようと思っている。
   
   
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東日本直撃のスーパー台風被害

2019年10月25日 | 地球温暖化・環境問題
   関東に上陸した台風15号と台風19号による大被害の悪夢が冷めやらぬのに、また、台風21号崩れの大雨が、東日本を襲って、首都圏から東北に氾濫や土砂崩れを起こして、更なるダメッジを与えている。
   今日、国立能楽堂の企画公演が終わって、玄関を出ようとしたら、猛烈な豪雨で、今まで経験したことのないような激しさで、大自然の怒り・咆哮のような恐ろしさを感じて、外へ踏み出せなかった。

   自然の猛威とはいえ、これだけ、東日本を徹底的に叩き、それも、大被害となると、あらためて、その元凶を、地球温暖化の所為だと言いたくなる。

   アル・ゴアが、同時にノーベル平和賞を受賞したヘンリー・ポラックの「地球の「最期」を予測する」の序文で、
   私たちが見て見ぬふりをしてきた所為で、世界中で海面が上昇している。干ばつは深刻になり、嵐は一段と狂暴になり、感染症は蔓延し、収穫は失われ、手つかずの自然が減り、気候難民が増えて、各国の政治を揺るがせている。
   と言っている。

   アル・ゴアは、環境活動家として地球温暖化問題について世界的な啓発活動を行っており、これまでにも、ゴアの著書であり映画である『不都合な真実』をはじめとして、随分書いてきており、ローマクラブの「成長の限界」以降からだから約半世紀前、地球温暖化など環境問題への危機意識は、一気に強くなって、勉強を続けてきた。
   その前に、ガルブレイスの「豊かな社会 The AFFLUENT SOCIETY」を読んでいて、大企業の利益追求志向が、social balanceを崩したとして、税金で構築せねばならない不十分な公共財と売らんかなで益々豪華に上等になって行く民間財との質の異常な格差を経済発展の違いによって明らかにして、社会のあるべき姿を説いていたので、自由市場経済がドライブする資本主義体制が良いのかどうか、疑問を持ち始めた時期でもあった。
   経済成長を最高の善として経済学を学び始め、今でも、経済成長は人類にとって必要だと思っているが、人類の独りよがりの経済活動で、宇宙船地球号が限界に近づきつつあり、エコシステムを破壊しようとしていると悟ってからは、大分、市場経済や資本主義システムに対する考え方が変わって、外部経済をも十二分に考えなければならないと思うようになった。

   地球温暖化による地球環境破壊については、蛇足なので、これ以上書くつもりはない。
   しかし、前述のゴアの”嵐は一段と狂暴になり"と言う部分で、今回のスーパー台風の東日本への痛撃を考えると、識者の見解では、今後、台風や地震・津波など自然災害が、益々、スケールを拡大して、凶暴さを増して、「百年に一度」とか「これまでに経験したことのないような」痛撃を、宇宙船地球号に与え続けると言うので、どうすれば良いのか、空恐ろしくなってくる。

   スウェーデンの少女グレタ・トゥンベリが巻き起こした若者主導の地球環境を守ろうとするグローバルスケールの運動さえ、横やりを入れて揶揄する世界のリーダーがいるような現状では、益々、地球のエコシステムの悪化は避けられそうにはないが、
   このまま、手をこまねいてばかりいると、先の3.11の大地震や大津波、今回のスーパー台風が、日本列島を直撃したよりも、はるかにスケールの大きな大自然の怒りが爆発することは、間違いなさそうなので、心しておくべきであろう。

   地球環境破壊で、種の多様性が、どんどん消えて行く今日この頃、
   風雨に耐えて咲いた一輪の椿、
   いつまで、この美しさを見せてくれるのか。
   
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ハロウイン:ジャック・オー・ランタンを作る

2019年10月24日 | 生活随想・趣味
   アメリカ留学で、フィラデルフィアの学生寮に住んで居た時、ハロウインがやってきて、当時、ナーサリースクールの園児であった長女のために、ジャック・オー・ランタンを初めて作った。
   1973年10月のことだから、半世紀近くも前のことである。
   娘は、友達たちと一緒に、お化けや魔女の仮装をして、小さな籠をもって、「Trick or Treat(トリック・オア・トリート)」「騙されたくなければ、お菓子をおくれ」と唱えながら、家々を回って歩き、お菓子を貰って帰ってきた。

   ところで、ハロウインでは、最もポピュラーなのが、オレンジ色のパンプキンでできたジャック・オー・ランタンJack-o'-Lantern かぼちゃのお化けである。
   ハロウィンの夜に、パンプキンを刻んで怖い顔や滑稽な顔を作り、家の戸口において、悪い霊を怖がらせて追い払うのだという。
   長女の後、次女、孫たちにも、ジャック・オー・ランタンを作り続けてきたが、欧米では、ハロウインは歳時記の重要なイベントであるから、いくらでも、好きな形と大きさのオレンジ色のパンプキンがあったので、苦労はなかったのだが、問題は、孫の代の日本では、このパンプキン探しが大変なのである。
   大きなガーデニング・センターや園芸店、気の利いた花屋などにあるのだが、タイミングを外すとなくなるし、ネットショッピングでは、異常に高くて品物が良く分からないので不安であり、いつも、気に入ったパンプキンがあるとは限らないので、毎年ではないが、結構、こまめにジャック・オー・ランタンを作り続けている。
   パンプキンさえ手に入れば、内部の種などの贓物を取り除いて奇麗にするのに手間がかかるが、彫るのは、パンプキンの表面に水性マジックで目鼻口を書き込んで彫ればよいので雑作はない。
   2週間くらいで腐ってしまうので、作るのは、1週間くらい前である。

   鎌倉に来てからは、近くのコープの店先の花屋で、頃を見計らってかぼちゃを買っているのだが、昨年は、気候異変で北海道で不作で調達できず、今年は、一寸変わった色の平べったい大きなかぼちゃと、この口絵の縦に長い小ぶりのかぼちゃしかなかったので、これで、辛抱した。
   三歳の孫娘は、大喜び。
   前の保育園には、あっちこっちにジャック・オー・ランタンが飾りつけられていたが、なぜか、今の幼稚園にはない。

   さて、お化けだが、ハロウインの故地ケルトの首都エジンバラには、エジンバラ・ダンジョンと言うお化け屋敷があって、随分前に訪れて、微かに記憶はある。
   イギリスでは、お化けの出る家と言うのは、超人気で、不動産価値が、グーンと上がて、高値を呼んでおり、ホテルなども、それを売り物にしている。
   車で、イングランドからスコットランドに入る時、国境にほど近いニューカッスル・アポン・タインの、お化けで有名なホテルに泊まったのだが、ここは、近くのワシントン(大統領の故郷)近郊の日産のイギリス工場を良く訪れたので、定宿にもしていた。

   とにかく、お化けは、日本では、牡丹灯籠の圓朝や鶴屋南北の世界のように凄惨でオドロオドロシイものなのだが、イギリスでは、ハリーポッターの世界、おとぎ話の世界であって、愛すべきキャラクターなのである。
   🎃は、本来は、秋の収穫を祝い、悪霊などを追い払うケルト人の宗教的な儀式だったのだが、いまでは、全世界に広がって子供のお祭り。
   同じく、ピルグリムファーザーの最初の収穫を祝して催された感謝祭Thanksgiving Dayも、七面鳥を食べながらアメリカやカナダで祝う秋の祝祭。
   秋の収穫を祝い感謝するのは、人類共通の喜び、素晴らしいことである。

   日本では、もっともっと公式に、古式豊かに、毎年11月23日に宮中祭祀の新嘗祭が行われて、天皇が五穀の新穀を天神地祇に供え、自らもこれを食べられ、その年の収穫に感謝する(収穫祭)とともに、神の御霊を身に体して生命を養う儀式が、宮中三殿の近くにある神嘉殿で執り行われている。
   今年は、令和天皇が皇位を継承されたので、行なわれるのは大嘗祭で、特別な貴重な祭祀である。
   おめでたい限りである。
   
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わが庭・・・ホトトギス咲く

2019年10月23日 | わが庭の歳時記
   台風で叩きつけられて、殆ど地を這っていたホトトギスが、むっくり、頭をもたげて花を咲かせた。
   傷みが激しいが、真面に花形が残っている花もあり、ホトトギスの胸元の斑点のような紫斑のついた6枚の花弁の真ん中から、すっくと伸びた雌蕊の先が割けて、また、細い花弁状の蕊が伸びて反転し、その上に、極小のガラス玉のような粒が列をなしていて、日陰で微かに光っていて、雰囲気があって中々面白い。
   この花は、日本から台湾、中国、インドにかけてのアジアの花で、黄色の花もあると言うのだが、まだ、見たことがない。
   
   
   
   

   椿は、タマグリッターズ
   バラは、あおい、快挙、ポエッツ・ワイフ
   
   
   
   
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リアル店舗の衰退は必然か?

2019年10月22日 | 経営・ビジネス
   今日の日経に、
   「百貨店など相次ぐ閉鎖 増税、大編成の号砲か」と、その記事の隣に
   「持ち帰り・宅配「中食」急拡大 消費税10% 吉野家・出前館で顧客増 小売りは総菜増やす」
   と言う記事が掲載されていた。
   消費税10%の影響を反映した記事のようだが、本質は、リアル店舗の益々の衰退退潮である。

   まず、消費税増税の影響だが、たった2%のアップにも拘わらず、国民の反応の敏感さを反映していて非常に興味深い。
   たった数%と言うことだが、ずっと昔、ペンシルバニア大学のXmas休暇のバス旅行に参加してマイアミに向かった時に、州境を越えて、酒税などほんの5~6%の地方税が無税になる州に入ると、客が店に押し掛けたのを見ているので、驚かないが、消費者にとっては、お買い得が魅力なのである。

   ところで、まず、リアル店舗の退潮だが、ICT革命によって不死鳥のように生まれ出でた、アマゾンや楽天の目を見張るような大躍進を見れば、もう、リアル店舗の敗退は自明であって、勝負がついている。
   アマゾンが逆に、リアル店舗を展開して、相乗効果を策していることを考えれば、そして、ウォルマートが、リアル店舗を魅力化してネットショッピングとのコラボレーションで新戦力を打ち出して起死回生を図っているように、デジタル革命によってビジネス環境を大きく改変成長して行く文明の利器を、如何に活用するかが、企業の帰趨を征する状態になっている。

   最近は、行っていないので、状況は分からないが、20世紀の世紀末に向かうにつれて、欧米の百貨店が、どんどん、退潮傾向を進めて衰退して行き、閉店に至る店舗があったのを見てきた。
   これは、ネットショッピングの影響ではなく、大型ショッピングセンターやスーパー、そして専門店などの台頭など小売り産業のビジネス構造が大きく変革した時期で、どちらかと言うと、高級志向の何でも店の百貨店が、時代の潮流にそぐわなく成ったのである。
   とにかく、小売業のビジネス環境の変化、それに、対応したビジネスモデルの変革の激しさは、驚異的な速度で進んでいて、回し車のハツカネズミのように走り続けなければならないのである。

   さて、少子高齢化社会が、どんどん、進化するにつれて、果たして、小売り産業はどう変わって行くのか。
   まず、百貨店だが、膨大な余剰金融資産を持っている高齢者が、購買者として、需要を喚起することが出来るのかと言うことだが、これは、殆ど望み薄だと思っている。
   私の場合で恐縮だが、現役時代は、買い物の主体は百貨店であったけれど、悠々自適の生活に入ってからは、ハレの場に出たり外向きの正式な改まった生活が殆どなくなって来ており、それに、これまでに、十分な生活環境を整えてきたので、殆どのものは有り余るほど所持していて、百貨店で買うようなものは、全くと言っていい程ないので、利用するとしても贈答品くらいである。
   生活に余裕が出てきたので、有り余ったお金を有効に活用して、これまで以上に高級な実り豊かな生活をしようと、高額な高級品を求めて百貨店に向かう老齢者もいるであろうが、一般的な老齢の消費者は、更なる消費を求めて、今まで以上に、百貨店を必要とするとは思えないので、まず、少子高齢化と人口減によって、百貨店需要の退潮は必然であろうと思われる。

   もう一つ、先に言及したように、百貨店に行かなくても、ネットショッピングの利便性や魅力の向上は驚くべき程で、夫々のサイトにアプローチすれば、ロングテールで、欲しいものは、どんなものでも、あらゆるものがサイトに現れて、価格コムなど比較サイトを叩けば、最安値店舗が表示され、その信用度などが購買者の評価コメントで分かるようになっており、返品やクレームなど、アマゾンなどでは、電話すれば瞬時に対応してくれる。
   それに、最近では、何でも揃う筈の百貨店の百貨は名ばかりで、ない物が多すぎるのである。
   私など、最近では、リアル店舗に行くよりも、ネットショッピングの方が遥かに多くなっており、子供たちも、日曜雑貨や飲料など大型の嵩ばむ商品などコモディティ商品は、殆どネットで調達しており、家族たちも、食料品などの調達の多くは、定期的なコープなどの宅配を利用しているので、リアル店舗へ行くことは、どんどん減っている。
   
   百貨店などの一般の小売店にしても書店などにしても、リアル店舗には、消費者が行って楽しめる環境なり、人を惹きつける魅力なり、物語を紡げる斬新な喜びを味わえるような場が提供されなければ、集客に成功するとは思えない。
   劇場やコンサートホールに人が集まるのは、当たり前だと考えられているが、決して、特別ではなく、リアル店舗も、ウインドーショッピングのみならず新しい物への出会い、人生をより豊かにする筈の買い物の喜びを提供してくれるわけであるから、正に、条件さえ整えば、人間の創造の世界であり、生き甲斐を与えてくれる場なのである。
   尤も、門外漢の私には、どうすれば良いのか分からない。

   随分前になるが、ヨーロッパを旅していた頃には、一寸したイタリアの観光地やベルギーの蚤の市やバザールなど、何処でも、わくわくしながら眺めていたが、何かの出会いを期待してリアル店舗を梯子する喜びは、人々の好奇心を満足させてくれる最高の喜びの一つだと思っている。
   ネットショッピングに、市場は、どんどん、蚕食されて行くであろうが、外出してショッピングを楽しみたいという人間の強い要望が消える筈がなく、益々昂じる筈なので、リアル店舗の魅力は衰える筈がないので、起死回生の道は、いくらでもあると思っている。
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国立劇場・・・10月歌舞伎:芝翫の「天竺徳兵衛韓噺」

2019年10月20日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の国立劇場の歌舞伎は、通し狂言「天竺徳兵衛韓噺」。
   20年前の公演では、お家の芸として菊五郎が天竺徳兵衛を演じたが、今回は、芝翫が豪快で派手な素晴らしい芸を披露した。

   この歌舞伎は、文化デジタルライブラリーによると、鶴屋南北の作品で、主人公の天竺徳兵衛は、播州高砂の船頭・天竺徳兵衛で実在の人物であり、江戸幕府の鎖国以前の寛永年間に御朱印船で2度、天竺に渡り、長崎奉行所に提出した若き日の渡海記録「天竺徳兵衛物語」が「異国話」の原典だと言う。
   この作品の初演時代には、ロシア使節レザノフが長崎に来航しており、庶民の間でも外国の存在感が徐々に増してきた時期で、異国の匂いを感じさせる演出が、随所に取り入れられて、大当りした。
   例えば、天竺徳兵衛が唱える「デイデイ、ハライソハライソ」という呪文は、「主イエス」「天国」という意味の隠れキリシタンのオラショ(祈祷)であったり、水中の早替りは「切支丹の妖術ではないか」という噂まで呼んで話題をさらい、座頭・徳市の演奏する木琴は中国から輸入されたものを演奏するなど、天竺徳兵衛が語る異国話から、異国情緒満点である。
   この天竺徳兵衛の父吉岡宗観は、朝鮮国に仕えた木曽官で、日本に侵略された恨みをはらすために密かに来日して復讐の機会を待っていたので、実は日本名大日丸であったことを知らされた徳兵衛は、日本国転覆の野望を受け継ぐために、蝦蟇の妖術を伝授され、暴れまくると言うスケールの大きな芝居となっている。

   ところで、徳兵衛の異国話だが、現在風にアレンジして、最初に漂着したのが琉球で、「沖縄美ら海水族館」や国立劇場おきなわの話になり、天竺インドとは反対の方角のハワイのオアフ島にたどり着いて、ワイキキの波乗りやダイヤモンドヘッドの頂上からの展望など、期待を裏切った話ばかりだったが、観客は大喜び。
   中国には蝦蟇仙人の逸話があるのだが、日本では、筑波山の蝦蟇がお馴染みだが、他にも、大蝦蟇の怪異話があり、江戸時代の奇談集『絵本百物語』や、北陸地方の奇談集『北越奇談』などに見られると言うが、この脚色であろうか。
   舞台では、徳兵衛が繰り出す奇想天外な妖術の数々――屋敷を押しつぶす大蝦蟇の出現と“屋体崩し”、捕手を翻弄する蝦蟇からの突然の変身と“水中六方”、本水を用いた意表を突く早替りなど、芝翫がダイナミックな芸を披露していて面白いし、縫い包みを着た蝦蟇が器用に飛び跳ねて、取り手たちと演じる軽快なバトルシーンも面白い。
   

   ところが、この歌舞伎は、
   将軍・足利義政の治世で、将軍家の重臣佐々木桂之介(橋之助)が、将軍家より管理を命じられた宝剣「浪切丸」の紛失と梅津掃部(又五郎)の妹・銀杏の前(米吉)との不義を咎められ、あわや切腹寸前のところ、掃部の計らいによって宝剣詮議のための百日の猶予を与えられ、家老の吉岡宗観(彌十郎)の屋敷に預けられ、詮議の期限の翌日に、桂之介の気晴らしに、天竺帰りの船頭徳兵衛が宗観の屋敷に連れて来られ、見聞してきた異国の話を面白く語り聞かせる
   と言う話で、それ以降は、本筋が曖昧になって、徳兵衛の活劇舞台が主体になる。
   梅津掃部の奥方・葛城(高麗蔵)は巳の年・巳の月・巳の日に生まれており、色仕掛けで徳兵衛に近づいて殺され、その巳の年月日の揃った生血によって、徳兵衛の蝦蟇の妖術は挫かれてしまい、徳兵衛が所持していた雲切丸も取り戻され、追い詰められた徳兵衛も蝦蟇の術が使えず、
   歌舞伎の常套手段で、この対決は、また次に、と全員華麗な見得を切って幕。

   鑑賞のポイントは、序幕の最後の、天竺徳兵衛の花道の「引っ込み」で、「水中六法」という、水の中をくぐり抜けていく様子を見せたものとかで、豪快な勧進帳の弁慶の飛び六方とは違って、芝翫は、優雅で美しく六方を踏んで揚幕に消えて行く。
   もう一つは、座頭・徳市の演奏する中国の木琴演奏で、下座音楽の伴奏に乗って、芝翫が器用に演じて秀逸。

   芝翫の素晴らしい芸が光る重厚な舞台だが、橋之助の進境も著しく、宗観妻夕浪の東蔵や彌十郎、又五郎、高麗蔵などのベテランたちが脇をしっかりと固め、松江、歌昇、米吉、廣太郎などの清新な芸が舞台を引き締め、楽しい舞台となっている。
   国立劇場の公演は、意欲的な通し狂言の魅力である。
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ブレイクスルーへの思考: 東大先端研が実践する発想のマネジメント

2019年10月19日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   理系や文系と言った垣根を取り払った学際的な異端児学者が糾合する東大先端技術研究所が実践する発想のマネジメント、ブレイクスルーへの思考を、インタビュー形式で、教授たちが開陳した興味深い本。
   2016年12月東大出版会の発行で定価2200円+taxながら、私は、ブックオフで新本の廉価版を買ったが、amazonでは、古書だが送料ともで500円で買えるから、とにかく、このような興味深い、所謂、思考の助けになる良質本が、二束三文だと言うことは、日本の本文化の衰退と言うだけではなく、知的水準の低下と言う感じがして、一寸気になった。

   10人以上の学者たちが、夫々の専門分野の興味深い研究成果などを語っており、ブックレビューと言うのもそぐわないので、今回は、日本各地で大被害を受けた台風について、その対策などに役に立つ情報がないかと考えて、気が付いた点について書いてみたいと思う。
   と言っても、関係ありそうな学者は、都市工学専攻の西村幸夫教授くらいで、この場合も、直接、台風被害対策については、言及していないし、私の意図そのものが無理なのである。

   西村教授の見解で興味深いのは、
   都市開発は権力と親密だ。関係者は権力を行使できるため、ある意味、居心地がいい。しかし、力ずくでまちの記憶を消し去った場所で、住民は豊かに暮らせるのだろうか。と言う指摘。

   都市の立地を考える時に、「安全な場所に住みたい」とか、丘陵の一番突端で見晴らしいのがよいとか、水が得やすいとか、周りより少し高いところであるとか、川の合流点であるとか、そこには、何かの判断があって、他ではないこの場所が選ばれていると言うところが当然ある。
   そして、次に、やはり都市なので、山に向かって道があるとか、神社があるとか、お城があるとか、ある種の構造を持っている。人々は、この都市はこうあるべきだとか様々な構想をし、沢山の変化が起こる。それぞれの人々の考えの積み重ねで、夫々の施設が置かれる時にはそれぞれの判断がある。
   そういうのを集合的に観るとやっぱり誰かが構想しているんだと、擬人的に言えば都市が構想しているとも言えるわけである。
   また、都市の細部や、「時間」とか「空間」のアクティビティから都市を見、都市の歴史をさかのぼって見るとか、異なった視点で都市を理解しようとすると、その都市の個性のようなものが良く見えてくる。そこから先の計画は、その先を進めればよい。と言うのである。

   都市の成り立ちや都市計画については、これでわかるとしても、このようにして生まれ育まれて発展してきた都市が、今回のようなスーパー台風の襲撃を受けて、土砂災害、浸水害、洪水が発生し、そして、先の東日本を襲った巨大な地震・津波、また、巨大な火山などのような自然災害によって、都市が壊滅的な被害を受けた時には、抗うすべもない。
   武蔵小杉や多摩川の水害のような都市災害については、都市計画でカバーできるとしても、この分野は、高度な国家施策と土木工学や防災工学の世界であろう。
   自然災害の激震地日本の運命とも言うべき日本人の試練をどう生き抜いて行くか、あの美しい富士山が何時か大爆発するかもしれないと言うダイナマイトの上に胡坐をかいている日本の危うさ、心しなければならないと思っている。

   もう一つ、興味を持ったのは、「渋滞学」の西成活裕教授の、
   交通渋滞を解消する究極の方法は「分散」と言う考え方。
   正月やお盆の頃の高速道路の渋滞は大変なものだが、これは、日本人の重要な年中行事であるから、教授の説く「休暇の分散」も機能しないであろう。
   果たして、河川の堤防決壊を避けるために、「渋滞学」を活用できないであろうか。

   そして、社会デザインの森川博之教授のIOTの指摘で、
   センサーを用いた土砂崩れ対策をこうじて、センサーを設置して危険を感知するようにすれば、人間が見回りに行かなくても済むと言うこと。
   河川の洪水など、川に設置された水位計を見て判断しているようだが、AI、IOT時代に、メソポタミアやエジプト文明以下の悲しい現実。

   私のように、2度のスーパー台風の上陸地点直近に住まいする鎌倉の住人ながら、幸せにも、殆ど大きな被害に合わなかったが、被害地の方々の甚大なダメッジを見聞きするにつけ、自分がその立場に立っていたら、生きるすべを総てなくして、大切な人々を失い、これから、どうして生きて行くのか、到底自信などなく、泣き暮れているであろうと思うと、いたたまれなくなってしまい、深甚な心からの同情を禁じ得ない。
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野村四郎・山本東次郎:芸の心 〔能狂言 終わりなき道〕

2019年10月16日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   能楽師野村四郎と狂言師山本東次郎と言う両者人間国宝の能狂言界のトップ芸術家が、能狂言について、思う存分語った対談集で、非常に面白い。
   まず、能と狂言との関係だが、野村四郎に著書「狂、言の家に生まれた能役者」があるように、15歳まで狂言師として薫陶を受けており、兄の萬と万作は、両方とも人間国宝と言う偉大な能楽師であって、能のみならず狂言に対しても造詣が深く、東次郎と、非常に奥行きの深い蘊蓄を傾けた会話を交わしていて興味深い。
   前著で、”15歳まで狂言をみっちり仕込まれたので、身体には狂言の血が入っていて、いくら自分でいいつもりで芸を盗んでやってみても、「狂言の足だ」「狂言の手だ」「狂言だ」と言われっぱなしで、「なんだよ、狂言はそんなに軽いものかよ」「馬鹿にすることはないじゃないか」と反骨精神が出て、「何クソ」と、「今に見てろ」と言って今日までやってきた”と書いている。
   狂言軽視は、兄の万作が、「太郎冠者を生きる」の中で、芸術祭の催しで「土蜘蛛」の間狂言を一生懸命稽古して大いに期待して出かけたのにも拘わらず、シテの旅行の汽車の都合で、間狂言がカットされてしまったので、こんな人格を無視した無謀なことがあって良いのかと言いようのない屈辱感を味わったと書いている。 能と狂言が同一舞台で演じられるのは、単に能一番の中に狂言の役があるから頼むので、狂言は、どうでも良いのだと言っても良いくらいの結びつきだったと言うのである。
   観客の狂言軽視も結構あって、例えば、先年の「式能」の舞台で、能「翁」と能「岩舟」の後、続いて、和泉流の狂言「三本柱」が、シテ万作で演じられたのだが、休憩なしで延々2時間半の連続公演であるとは言え、人間国宝野村万作が登場しても、席を立つ人が多くて、日頃のしわぶき一つさえ憚られる静寂そのものの能楽堂の雰囲気とは様変わりであった。

   この本でも、野村四郎師は、”能の人は、狂言を観ない人が多い。狂言を知らなくても平気だし、・・・”と述べて、アンテナをなくして、流儀とか家だけの狭い世界になって、能狂言に生きて行く覚悟が希薄になって、畏れを知らない、学ぶことへの意欲が弱くなった。と嘆いている。

   この二人の会話で感動するのは、血の滲むような修行と訓練の過酷さ烈しさで、その裏話を読んでいると、前に読んだ尾上梅幸著「拍手は幕が下りてから」の記事を思い出した。
   六代目の稽古の厳しさは、梅幸にとっては正に壮絶と言うべきで、「3時間以上寝る奴はバカだ」と昼夜を徹して行われたようで、隣の犬がいつも昼寝をしているのが羨ましくて、本気で「犬になりたい」と思ったほどだと言う。
   もう一つ梅幸の話で感動的なのは、次の逸話。
   ロシア・バレーのアンナ・パブロワが帝劇で「瀕死の白鳥」を上演した時、どうしても舞台袖から見たくて大道具に化けて菜っ葉服姿で観察していたら、ラスト・シーンで、白鳥が左右に羽を徐々に下げながら倒れて行く時、ずっと息をつめたままだった。
   偶々の会談の時に、感動したと感想を述べて、もし幕が下りなかったらどうするのかと聞いたら、パブロワは「その時は死ぬだけです。」と答えたと言う。

   ところで、この本での、狂言と能の関係だが、東次郎氏が次のように語っている。
   江戸の頃は、差別はされていなくて、初期の大蔵虎明は大夫の位、称号を貰っていて、能と変わらなかった。ところが、江戸幕府が倒壊して、明治維新になって、シテ方には割ときちんとスポンサーがついて正しく芸が守られたのだが、狂言は食べられなくなって、狂言方の芸位が凄く落ちて、舞台が出来ない人や台詞もろくに続かないような危なっかしい狂言師が沢山いて、レパートリーも数曲しかなく、いつも同じものを出している状態だったと言う。
   それに、能は、シテ方のみならず、ワキ方、囃子方があって成り立つもので、すり合わせもあるし、規制や制約も多くて勝手なことが出来ないが、狂言は、数人でできて、囃子が入らないものや面をつけないものが多く、安易にできてしまうと言う狂言の危うさがある。
   しかし、狂言面の優れたもの中には能面に匹敵するぐらい、むしろ、抜けているものもあり、これこそ、本当の狂言の芸位の高さの証拠である。基礎の技術、例えば、運びとか、立ち居とか、扇の使い方とか、舞いにしても謡いにしても、殆ど、基礎は能と変わらない。と言っている。

   それを受けて、野村四郎師は、
   山本家との野村家は、舞歌二曲を基本として、江戸式楽の良い意味での様式性、厳しさを持つ「能の狂言」の伝統を守り続けてきた。
   世阿弥は、「幽玄の上階のをかし」と言っており、幽玄と言う世界で、しかもその一番上等な「をかし」、それが、狂言なんだと言うことである。と言っている。

   狂言軽視の風潮については、これまで、何度か、狂言は凄い素晴らしいと書き続けてきたので、蛇足は避けるが、このトピックスは、この本のほんの一部で、能狂言ファンには、堪らないほど興味深い話題に満ちている。
   私など、能楽堂には200回以上は通っており、野村四郎師の能舞台も、山本東次郎師の狂言の舞台も、結構、沢山観ているので、それらを思い出しながら読んでいたので楽しかった。
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わが庭・・・キンモクセイの甘い芳香

2019年10月15日 | わが庭の歳時記
   大型台風一過、穏やかな薄曇りの秋空に、パッと明るくなった庭木から、爽やかな芳香。
   キンモクセイが、咲き始めた。
   ヒガンバナは、彼岸に咲くが、一寸遅れて、甘い芳香を漂わせて咲くのが、キンモクセイで、春の沈丁花と双璧の季節を告げる匂い花である。
   雌雄異体の花だが、日本では雄花ばかりなので、黄色の勝った淡いオレンジ色の4辮の十字型の花に、2本の雄蕊と不完全な雌蕊がついていて、実は結ばない。
   挿し木で簡単に増やせるようだが、キンモクセイは、やはり、かなりの大木でないと味がない。
   花の命は短くて、奇麗な状態で落ちるので、うっすらと地面を染める落ちキンモクセイの風情も捨てがたい。
   
   
   
   

   椿の蕾が充実し始めて、満を持している。
   斑入りの葉が奇麗な越の吹雪に、今年は、蕾が着いた。
   花には特色がないけれど、葉とのコントラストが良い。
   
   

   もう一つ気になる椿の蕾は、挿し木3年苗の3本の幼苗。
   何本か挿し木して、真っ当な幼苗に育って、かなりの蕾を付けたのが、1本ずつ、至宝、エレガンス・シュプリーム、エレガンス・シャンパン、である。
   蕾は、もう少し落ち着いたら、3つくらい残して間引こうと思っている。
   背丈40センチほどになっているので、ほぼ、タキイなどで買った時の苗木の大きさであるから、春まで順調に育てば、親株のように、庭植えしようと思っている。
   
   
   
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国際色豊かなワールドカップ日本チーム

2019年10月14日 | 生活随想・趣味
   ワールドカップで、日本チームは、スコットランドに勝利して、ベスト8と言う歴史的な快挙を成し遂げた。
   殆ど、スポーツ番組を、テレビで、全試合を最初から最後まで見たことのない私だが、今回の対スコットランド戦は、サモア戦と同様に、全部見た。
   十分な知識はないのだが、日本が負けるわけはないと思っていたので、何の不安もなく見ることができたと言うこともある。
   勝負事を全くしないのも、負けると我慢が出来なくなり、勝つと相手が可哀そうになる性分なので、スポーツの観戦も、こんな所為か、あまり見なくて、ファンの阪神の試合も、結果だけ見ることにしていた。

   さて、今回のラグビーを観ていて、私が非常に興味深く思ったのは、全31人の選手のうち15人が外国出身であると言うことで、正に、コスモポリタンと言うか国際色豊かなチームであることである。
   日本代表メンバーになるためには、色々な要件があり、また、本人の意思も重要だと思うのだが、本来の自身の故国ではなく、外国とも言うべき日本の旗を背負ってプレイすることが、如何に大変かと思うと、私には驚異であり、そのような環境を、外国人に対してはそれ程オープンではなかった日本で実現していると言うことへの驚きである。

   私自身、アメリカでMBA教育を受けて、仕事の関係で、アメリカ、ブラジル、オランダ、イギリスで、足かけ14年海外生活を送って来ており、また、1泊以上した国が、40か国以上に亘っていて、異人種の坩堝を掻い潜って生活してきたので、国際的な生活環境には、何の抵抗も不安もないのだが、しかし、どう考えても、日本人であると言う意識はぬぐえず、日本人であることを止められるとは思えない。
   ブラジルとイギリスでは、永住権を持っていたので、移住は出来たが、その気もなかったし、日本での仕事や生活があったので、意識にも乗らなかった。

   随分長い人生を送っていると、何度か、転機があり、転身の誘惑に誘われることがって、岐路に立つことがあるのだが、中々、その勇気を奮えずに、まあいいかと言った調子で、そのまま、それまでの軌道を走り続けてしまい、後悔することが多かった。

   さて、今回、話題にしたかったのは、こんなことではなく、やはり、閉鎖的な島国日本も、随分、門戸を開放して、外国にオープンになったことである。
   今度のラグビーの日本代表には、ニュージーランド、韓国、トンガ、南アフリカ、オーストラリア、サモアの出身者がいて、勿論、主に、ラグビー大国の出身者だが、国際的な対抗試合であるから、日本のプロ野球とは違って、選手の意識にも、特別な日本への思いがあるのであろうと思う。
   オリンピックやパラリンピック、そして、ラグビーでも、サッカーでも、野球やソフトボールでも、その他のスポーツの国際試合でも、あれだけ、日本人も世界中の観客もが、自国チームの勝敗に一喜一憂して熱狂するするのを観ていると、自国へのアイデンティティ意識の強烈さを実感し、選手にとっては、その国の国旗を背負って戦うことが、如何に、特別かと言うことを、感ぜざるを得ないのである。

   私は、日本の鎖国政策や、キリシタン禁制などの排外政策が、日本の歴史的発展をスキューしてきたと思っており、奈良飛鳥時代のように、シルクロードをオープンにして、ペルシャやギリシャの文化文明が自由に行き来していた頃を理想としているので、日本の国を、もっともっと、オープンにすべきだと思っている。
   そのような意味で、今回のラグビー日本代表の国際色豊かな混成チームの大活躍が、日本の国際化、コスモポリタン志向の発展に繋がって行くような気がして、非常に、嬉しかったのである。

(追記)口絵写真は、インターネット記事から借用。
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台風19号伊豆半島に上陸

2019年10月12日 | 生活随想・趣味
   今夜7時前に、超大型台風19号が、先の15号と同じようなコースを取って、伊豆半島に上陸した。
   小田原を通過して、北関東を縦断しているので、わが鎌倉は至近距離なので、直撃したと言うことであろう。
   先の15号も、横須賀あたりに上陸したので、これも、至近距離で、1か月の間に、二つの大台風に、上陸地点で見舞われたと言うことである。

   各地に甚大な被害を齎していると、テレビで報道されているのだが、台風が、少し遠ざかったのか、ホッとして、このブログを書いている。
   午後から、ずっと、家の中にいたので、外回りに被害があったのかどうか、真っ暗で分からないのだが、家の中には、何の被害の兆候もないので、無事に通過してくれたのであろうと思っている。
   15号は、台風の目が、東を通ったので北風、19号は、西側を通ったので南風で、相当強かったはずである。
   雨は、一日中降り続いたが、大雨ではなかったし、鎌倉には、大きな川が流れていないので、水害の被害は、海岸線くらいであり、心配がないのが良い。
   
   三連休なので、それに、今回は、先の15号以上の途轍もない超大型台風だと言うので、三日くらい、電気やガスや水道が止まっても、小さな孫が二人もいるので、十分に生活できるように、買い出しに出かけて、準備万端整えた。
   普通は、地震や台風など自然災害が起ころうと、貴方任せで、準備したことはないのだが、やってみると、大変なのである。

   前日、近くのコープへ行って、必需品を買ったのだが、やはり、欲しい物は皆同じで、殆ど、売り切れていて、パン類やサトウのごはんなどと言った類は、全く残っていなかった。
   パンは、いつも、私が、パナソニックのパン焼き機で、レーズンパンを焼いているので、それを、普通の食パンに切り替えればよいのである。
   私には全く興味のない、沢山買い込んだインスタント食品をどうするのか。

   明日朝は、真っ先に外回りを見て、台風の後始末と、庭の植木や鉢の整理、
   良い天気だと言うので、口絵写真のような、赤とんぼに出会えるかもしれない。

   ところで、国立能楽堂から、大型の台風19号の接近に伴い、10月12日(土)午後1時開演の
国立能楽堂十月普及公演は上演を中止するとのメールが入った。
   金春安明師の「初雪」を期待していたのだが、これなど、仕方がないと諦められるが、鎌倉に住んで居ると、私の場合、モノレールかバスで大船に出て、何度も乗り継ぎを繰り返して東京の会場に行くことになるので、帰りの交通を心配して、結構、諦めることがある。
   アムステルダムやロンドンに居た頃には、車で、オペラ会場やコンサート・ホールに通っていたので、自由が利いたのだが、東京は違う。
   トカイナカ(都会と田舎)の環境を楽しめる鎌倉の良さは抜群だが、公共交通機関の完備した日本では、一寸、事情が違うと言うことであろう。
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国立能楽堂・・・銀鏡神楽 ~銀に輝く能舞台~

2019年10月10日 | 能・狂言
   宮崎県が恒例で公演している県の誇る神楽公演も、今回で4回目。
   毎回、鑑賞させてもらって居るが、日本の文化力の高さを実感して、いつも、感激している。
   プログラムは、次の通り。

第一部 講演   
【能にみる神々の舞】金春流 櫻間金記
【米良(銀鏡)神楽の特色と魅力】國學院大學 小川直之
第二部
 銀鏡神楽公演 11番

   この銀鏡神楽だが、西都市銀鏡地区に伝承される米良系の神楽で、神楽としては宮崎県で初めて、全国的にも2番目の事例として、国の無形民俗文化財に指定されたという日本屈指の神楽である。
   銀鏡を「しろみ」と読むのだが、何故、そうなのか、興味深い地元の逸話によると、
   『遠い遠い昔、初めて竜のような己の容姿を目にした磐長姫命は、驚きのあまり手にした鏡を投げ捨ててしもうた。そうして龍房山山頂の大木に引っ掛かった鏡は、周囲を白く照らすようになったとさ。このとき、夜でも昼のように明るく照らされた村は「白見村」と呼ばれ、投げられた銀の鏡にちなんで、やがて「銀鏡」と書くようになったげな。』

   銀鏡神楽(しろみ神楽)は、銀鏡神社の大祭(12月12日~16日)に、三十三番の夜神楽として奉納されるので、境内に外神屋とよばれる舞場が設けられ、神楽は、13日の夕方に式一番「星の舞」が内神屋で舞われ、14日には式二番「清山」が最初の舞になり、三十三番 神送りまで、夜を徹して15日朝まで舞い続けられると言う。
   この日の公演は、一番星神楽から、三十三番神送りまで、途中は選別されて、全部で11番が演じられた。

   銀鏡神楽の特色は何かと聞いたら、ほかの神楽と違うところは、式一番の星の舞だと言うことで、北極星を意図した神楽だと言うことであった。
   パンフレットでは、内神屋の天井中央に張った注連縄は、中国の天体思想「二十八宿星」を表現したものだと言うのだが、北極星を中心に大宇宙を回る星空を仰いで、夜を徹して神楽を舞い続けると言うのは、神仏の世界もそうだが、実にロマンがあって素晴らしい。

   80世帯くらいしかない小さな銀鏡集落で500年以上も育まれ続けてきた凄い神楽なのだが、若者の出演者が多いのは、神主が、柚子を産業資源として色々な製品を製造して村おこしをしていて、若者が地元に残って活躍しているからだと言う。
   ~銀に輝く能舞台~と銘打った神楽だが、今迄観た神楽の中で、一番芸術性が高くて洗練されていて、物語性も豊かで、ドラマチックな展開があり、能や狂言に近い感じがした。
   囃子(笛2、太鼓、板木、手平鉦)を伴った無言劇と言う要素もあって、興味深い。
 
   櫻間金記師は、式能から五番目ものまでの能の基礎から説き起こして、実際に、神舞を舞い、そして、神楽の詞章にある天照大神の天岩戸のシーンと同じ能「三輪」の天岩戸逸話の部分を地謡パートも独吟して舞ってみせた。
   興味深かったのは、神舞を、囃子の部分を口三味線宜しく口囃子で非常に調子よく謡いながら舞い続けたことである。
   実際に歌舞伎などで口三味線を聴いてその気になるのだが、能の囃子も、能楽師には、本当はあのように、リズミカルに謡うように聞こえているのかと思うと、正に、オペラの世界であり、新鮮な驚きであった。

   もう一つ櫻間師の話で面白かったのは、神舞は、様式化されていてすべて同じで、早くしたり遅くしたり、シチュエーションによって異なるが、何を舞っているのだと言われても困ると語っていたことである。

   ところで、この銀鏡神楽の舞台は、能楽堂の舞台に、一面ゴザが敷き詰められていて、日頃、ひのき舞台で摺り足で舞っている櫻間師のことであるから、神舞で、一寸、足を取られかけたが、囃子なし、地謡なしでありながら、凄い仕舞の至芸を魅せて貰って感激したひと時であった。
   この銀鏡神楽の特色と言うか至芸の一つは、足さばき、足の動きが天下一品で、おいそれとまねのできないほど難しく凄いのだと言う。
   とにかく、ゴザ敷きの舞台を滑るように流れるように飛ぶように踊るように舞っていて、美しい。
   
   山深い小さな寒村と思しき銀鏡集落で、このような凄い神楽が演じ続けられていると言うことは、私など、神がかりに近いとしか思えないのだが、伝統を守り続けると言うことは、こう言うことなのであろうか。
   いつも許されていた写真が禁止であったので、今回は舞台写真がない。

(追記)冒頭、宮崎県を、宮城県と打ち間違えたのを、訂正。
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