この日は、東山沿いに歩いてみようと思っていた。
本当は、詩仙堂あたりから南に下れば良いのだが、家族連れだし、とにかく、まず、銀閣寺に行って考えようと思ってバスに乗った。
四条河原町からのバスで、それ程混んではいなかったのだけれど、銀閣寺口に着くと、参道から沢山の観光客で一杯であり、何時もどこからそんなに人が集まるのか不思議に思いながら、雑踏の中を銀閣寺に歩いた。
総門を抜けて右折れして、突き当りを左折れすると質素な中門に至るのだが、この間、左右に聳えたつような銀閣寺垣が圧倒し、その生垣に藪椿が使われているので、花の季節には、何時も、赤い椿を見て身が引き締まる思いになる。
それに、中門を入って、五葉の松を左に見て直進して唐門を抜けると、一気に、空間が広がって真っ白な銀沙灘と向月台が眼前に展開されるので、そのコントラストが好きで、シェイクスピアが、総てこの世は劇場であり、人は単なる役者に過ぎない(All the world's a stage, And all the men and women merely players.)と言った言葉を思い出しながら、質素で質実剛健な筈(?)の禅寺での舞台を楽しむことにしているのである。
青山秀夫教授の経済原論の授業の時、雪が深々と降り始めたので、「銀閣寺にでも行きなさい」と、授業を早く切り上げたことがあり、折角だからと、銀閣寺道を歩いたことがある。
学生の頃は、まだ、観光客も少なくて、近くなので良く銀閣寺を訪れたことがあるが、大概は、桜の美しい春や紅葉の美しい秋のハイシーズンで、これは、京都に通学している学生の特権として、正確な絶好のタイミングに合わせて、銀閣のみならず、京都の古社寺などの魅力を思う存分楽しめると言うことでもあった。
京都と言うと、どうしても、歴史上は、平安時代や安土桃山、江戸幕末の頃が脚光を浴びて、どちらかと言えば、暗くて応仁の乱など京都を焦土と化した悲惨な歴史を背負っている所為か、室町時代の影が薄い感じがするのだが、歴史上の中世時代の不人気と同様ながら、この銀閣寺や金閣寺などを見ても、結構存在感を示しており、私など、最近、能狂言に興味を持ち始めてからは、一寸意識して勉強を始めている。
義満の金閣と義政の銀閣、そして、そのバックに流れる北山文化と東山文化を考えてみるだけでも、奥深い。
この銀閣寺は、金閣寺より境内が狭いのだが、私は、微妙に変化する池畔の雰囲気や高台からの境内の展望など、コンパクトながらの自然の営みを観察しながら境内を歩くのが好きである。
高台からは銀閣や方丈、東求堂などを一望出来て、吉田山の麓に広がる京都の住宅街が見えて、聖と俗の接点が興味深いのである。
一輪、どこから落ちたのか分からなかったが、真赤な椿が落ちていて、その横の侘助有楽の落ち椿が、苔に映えて美しかった。
参道を下って哲学の道の角に出たのだが、桜にはまだ早いし、小学生の孫に哲学でもなかろうと思って、何時もなら、哲学の道を川沿いに永観堂あたりまで歩くのだが、この日は、孫に、わが母校を見せておこうと百万遍に向かった。
孫に、京大を目指せと言っているのだが、何故か、無理だとか何とか言って抵抗するので、お祖父ちゃんでも行けたのだから行けない筈がないと家族も後押しをすると素直について来たので、久しぶりに、京大の構内を散策した。
学生の雰囲気を味わわせるためには、生協の学生食堂で昼食を取るのが一番良いと思って、学生や先生に交じって、食事をした。
帰りに、記念にと思って、生協の売店に行って、マグカップや文具など、京大グッズを選ばせて買ってやった。
フィラデルフィアのわが母校ペンシルベニア大学のショップには、ウォートン・スクールの帽子やシャツなどまであって、色々な種類の大学グッズを売っているいるので、これまでにも、買ってやっているのだが、京大の場合には、東大と比べても、大学グッズの品揃えは貧弱である。
ところで、構内や出入り口に立てられた派手な立て看板だが、我々の時には、米帝国主義打倒だとか革マル派のプロパガンダだとか政治闘争が総てであったが、今は、同好クラブや研究会の勧誘看板ばかりで、正に、今昔の感である。
東一条からバスに乗ったのだが、京都駅行きだったので、大変な混みようである。
観光客は勿論学生や京都市民も乗っているのだが、結構、老人も乗っているけれど、まず、シルバーシートにも近づけない。
しかし、老人たちは困っているようでも文句を言うでもなく、毎度のことだと言った感じである。
それに、京都市バスの運転は、極めて乱暴で、私の場合、バスに乗ることは殆どないので、関東でもこうなのかは分からないが、気を付けていないと、なぎ倒されてしまうし、シルバーシートを必要とする人など、乗っては危ないと思う程である。それに、条里制の碁盤目十字路ばかりだから、何回も止まる。
今回知ったのだが、市内の限定区間内に限って、500円均一の市バス専用一日乗車券カードがあるのが有難い。
普通は五条坂を清水へ上るのだが、この日は、松原通りから清水坂を上って、三年坂の入り口に向かって歩き、仁王門についた。
三叉路の七味屋本舗まで上るとほっとするが、それから仁王門までの道がごった返していて大変である。
仁王門前の紅梅が花盛りで、朱塗りの仁王門の赤と真っ青な空に映えて、被写体になるので、記念写真を撮る人が多い。
下からは、鐘楼、三重塔などが見える程度で、本堂や舞台は、その裏手にある。
結局、清水寺に入ったのは、私と孫だけだったが、舞台や音羽の滝、そして、遠くに見える京都市内の風景などに興味を持ったようであった。
この日は、本堂の内陣まで上がっのだが、大体、多くの人は、孫と同じで舞台とこの寺の名前の由来でもある音羽の滝くらいにしか興味を持っていないようである。
桜や紅葉の季節には、清水寺の魅力が倍加するのだが、この日は、適当に殺風景な風景を眺めながら、順路沿いに境内を回って下山した。
その後のコースは、三年坂、二年坂、八坂の塔を左手に見て、ねねの道を石塀小道に左折して、八坂神社を通り抜けて、四条大路に出た。
町並保存がかなり徹底していて、京都でも、観光に耐え得る散策コースだと思うのだが、孫は、そこに立ってと言ったら、素直に写真を撮らせていたが、これは、何十年も前に、私が好んで歩いた道で、あの頃は、もっと静かだった、京都は、大学で勉強する以上に得るものが多くて、学生生活を送るのには、最高の環境だと思うと言ったら、頷いていた。
もう一度、花見小路に入って、昼の一力の前に立ったが、閑散としていた。
本当は、詩仙堂あたりから南に下れば良いのだが、家族連れだし、とにかく、まず、銀閣寺に行って考えようと思ってバスに乗った。
四条河原町からのバスで、それ程混んではいなかったのだけれど、銀閣寺口に着くと、参道から沢山の観光客で一杯であり、何時もどこからそんなに人が集まるのか不思議に思いながら、雑踏の中を銀閣寺に歩いた。
総門を抜けて右折れして、突き当りを左折れすると質素な中門に至るのだが、この間、左右に聳えたつような銀閣寺垣が圧倒し、その生垣に藪椿が使われているので、花の季節には、何時も、赤い椿を見て身が引き締まる思いになる。
それに、中門を入って、五葉の松を左に見て直進して唐門を抜けると、一気に、空間が広がって真っ白な銀沙灘と向月台が眼前に展開されるので、そのコントラストが好きで、シェイクスピアが、総てこの世は劇場であり、人は単なる役者に過ぎない(All the world's a stage, And all the men and women merely players.)と言った言葉を思い出しながら、質素で質実剛健な筈(?)の禅寺での舞台を楽しむことにしているのである。
青山秀夫教授の経済原論の授業の時、雪が深々と降り始めたので、「銀閣寺にでも行きなさい」と、授業を早く切り上げたことがあり、折角だからと、銀閣寺道を歩いたことがある。
学生の頃は、まだ、観光客も少なくて、近くなので良く銀閣寺を訪れたことがあるが、大概は、桜の美しい春や紅葉の美しい秋のハイシーズンで、これは、京都に通学している学生の特権として、正確な絶好のタイミングに合わせて、銀閣のみならず、京都の古社寺などの魅力を思う存分楽しめると言うことでもあった。
京都と言うと、どうしても、歴史上は、平安時代や安土桃山、江戸幕末の頃が脚光を浴びて、どちらかと言えば、暗くて応仁の乱など京都を焦土と化した悲惨な歴史を背負っている所為か、室町時代の影が薄い感じがするのだが、歴史上の中世時代の不人気と同様ながら、この銀閣寺や金閣寺などを見ても、結構存在感を示しており、私など、最近、能狂言に興味を持ち始めてからは、一寸意識して勉強を始めている。
義満の金閣と義政の銀閣、そして、そのバックに流れる北山文化と東山文化を考えてみるだけでも、奥深い。
この銀閣寺は、金閣寺より境内が狭いのだが、私は、微妙に変化する池畔の雰囲気や高台からの境内の展望など、コンパクトながらの自然の営みを観察しながら境内を歩くのが好きである。
高台からは銀閣や方丈、東求堂などを一望出来て、吉田山の麓に広がる京都の住宅街が見えて、聖と俗の接点が興味深いのである。
一輪、どこから落ちたのか分からなかったが、真赤な椿が落ちていて、その横の侘助有楽の落ち椿が、苔に映えて美しかった。
参道を下って哲学の道の角に出たのだが、桜にはまだ早いし、小学生の孫に哲学でもなかろうと思って、何時もなら、哲学の道を川沿いに永観堂あたりまで歩くのだが、この日は、孫に、わが母校を見せておこうと百万遍に向かった。
孫に、京大を目指せと言っているのだが、何故か、無理だとか何とか言って抵抗するので、お祖父ちゃんでも行けたのだから行けない筈がないと家族も後押しをすると素直について来たので、久しぶりに、京大の構内を散策した。
学生の雰囲気を味わわせるためには、生協の学生食堂で昼食を取るのが一番良いと思って、学生や先生に交じって、食事をした。
帰りに、記念にと思って、生協の売店に行って、マグカップや文具など、京大グッズを選ばせて買ってやった。
フィラデルフィアのわが母校ペンシルベニア大学のショップには、ウォートン・スクールの帽子やシャツなどまであって、色々な種類の大学グッズを売っているいるので、これまでにも、買ってやっているのだが、京大の場合には、東大と比べても、大学グッズの品揃えは貧弱である。
ところで、構内や出入り口に立てられた派手な立て看板だが、我々の時には、米帝国主義打倒だとか革マル派のプロパガンダだとか政治闘争が総てであったが、今は、同好クラブや研究会の勧誘看板ばかりで、正に、今昔の感である。
東一条からバスに乗ったのだが、京都駅行きだったので、大変な混みようである。
観光客は勿論学生や京都市民も乗っているのだが、結構、老人も乗っているけれど、まず、シルバーシートにも近づけない。
しかし、老人たちは困っているようでも文句を言うでもなく、毎度のことだと言った感じである。
それに、京都市バスの運転は、極めて乱暴で、私の場合、バスに乗ることは殆どないので、関東でもこうなのかは分からないが、気を付けていないと、なぎ倒されてしまうし、シルバーシートを必要とする人など、乗っては危ないと思う程である。それに、条里制の碁盤目十字路ばかりだから、何回も止まる。
今回知ったのだが、市内の限定区間内に限って、500円均一の市バス専用一日乗車券カードがあるのが有難い。
普通は五条坂を清水へ上るのだが、この日は、松原通りから清水坂を上って、三年坂の入り口に向かって歩き、仁王門についた。
三叉路の七味屋本舗まで上るとほっとするが、それから仁王門までの道がごった返していて大変である。
仁王門前の紅梅が花盛りで、朱塗りの仁王門の赤と真っ青な空に映えて、被写体になるので、記念写真を撮る人が多い。
下からは、鐘楼、三重塔などが見える程度で、本堂や舞台は、その裏手にある。
結局、清水寺に入ったのは、私と孫だけだったが、舞台や音羽の滝、そして、遠くに見える京都市内の風景などに興味を持ったようであった。
この日は、本堂の内陣まで上がっのだが、大体、多くの人は、孫と同じで舞台とこの寺の名前の由来でもある音羽の滝くらいにしか興味を持っていないようである。
桜や紅葉の季節には、清水寺の魅力が倍加するのだが、この日は、適当に殺風景な風景を眺めながら、順路沿いに境内を回って下山した。
その後のコースは、三年坂、二年坂、八坂の塔を左手に見て、ねねの道を石塀小道に左折して、八坂神社を通り抜けて、四条大路に出た。
町並保存がかなり徹底していて、京都でも、観光に耐え得る散策コースだと思うのだが、孫は、そこに立ってと言ったら、素直に写真を撮らせていたが、これは、何十年も前に、私が好んで歩いた道で、あの頃は、もっと静かだった、京都は、大学で勉強する以上に得るものが多くて、学生生活を送るのには、最高の環境だと思うと言ったら、頷いていた。
もう一度、花見小路に入って、昼の一力の前に立ったが、閑散としていた。