ロバート・B・ライシュは、「アフター・ショック」で、格差の拡大と中間層の没落が、アメリカ社会を益々窮地に追い込みつつあると論じているのだが、その格差拡大の影響が教育分野にも影を落としており、豊かな家庭の師弟は教育機会には恵まれているが、中間層以下の子供には、名門大学へのアクセスさえ難しくなってきていると言っている。
まず、富裕層の子供は、レベルの高い私立高校や、富裕層しか住めないような場所を通学圏とするトップクラスの公立高校に通っていて、苦手科目の勉強を家庭教師に手伝ってもらったり、SAT(大学進学適性試験)などの入試試験のためのテスト準備サービスを利用したり、入学願書作成の助言をしてくれるアドバイザーを雇ったりできる。まして、中には、親がその大学に沢山の寄付をしていて、入試担当者から特別扱いを受ける者もいる。
しかし、一方、大多数の中間層の子供は、程度の低い公立高校に通わざるを得ず、自力で道を切り開かなければならないので、益々、名門大学への入学機会は、少なくなる。
名門大学は募集定員が限られていて、これが大学の評判を保つひとつの手段でもあるが、こう言った大学は多くの場合、最高の職業への登竜門の役割を果たすために、入試での競争は非常に激しく、富裕層の子供には、益々、有利になっていると言うのである。
私が、アメリカのビジネス・スクールで学んでいたのは、1972年から1974年で、ライシュが、大繁栄時代(1947年から1975年まで)と呼ぶ、アメリカの歴史でも最も民主的で、米国全土できちんと「基本的な取引」が実施されて、労働者が生産したものを購入できるだけの十分な給与が、労働者に支払われていた、大量生産と大量消費が補完関係にあった幸せな時期であった。
従って、世界最古で全米屈指のトップクラスのビジネス・スクールであったが、学生は、金持ちの師弟ばかりという感じではなく、比較的真面目に勉強してきた中間層の師弟が平均的で、アファーマティブ・アクション(Affirmative Action / Positive Action )と言う差別を受けてきた黒人(アフリカ系アメリカ人)等の少数民族や女性の社会的地位の向上のために雇用・教育に関わる積極的な優遇措置をとる施策で入学した学生や、復員兵援護法(G.I. Bill)により除隊後に奨学金や学生ローンを得て進学してきた学生などもいたし、外国からの留学生もかなりいて、タイや香港からの留学生は金持ちの子供ではあったが、ヨーロッパからは普通の学生が来ていたし、日本からの留学生は殆ど官庁、銀行、企業からの派遣なので、ほぼ質素で貧しい学生生活であった。
それに、ビジネス・スクールであるから、キャリア・アップが目的で、職を離れて再入学をしたり、共稼ぎで夫婦かわりばんこに入学したりと言った、自分たちの経済力で、MBAに挑戦していた学生が大半だったような気がしている。
本当に、当時のアメリカは、ライシュが言う大繁栄時代であり、国民すべてが、アメリカン・ドレームを信じて、一生懸命に生きていた黄金時代であったのであろう。
ところで、よく考えてみれば、私が、大学生を送っていた1960年代の安保反対に明け暮れていた頃の日本も、結構、平等社会で、私が通っていた京大など、学生は非常に貧しくて苦学生が多かったような気がする。
当時、新聞に、同志社の構内には自家用車が駐車しているが、京大の構内には、一台もなく、自転車ばかりだと書かれたことがあったが、平均して、国公立大学の学生は、私立大学の学生よりは、はるかに貧しかったはずである。
英語の講師が、今日は金がないので、昼食にバンを買って代わりに歩いて帰るか、パンを諦めて電車に乗って帰るか考えているのだと、授業で語るほどの時代であり、祇園祭や葵祭の行列の大半は京大生のアルバイトだと言う時代だったのである。
とにかく、いくら貧しくても、歯を食いしばって頑張れば、アルバイトで食いつないで、どうにか最高学府を卒業できたと言う時代だったのだが、今では、東大生の大半は、富裕層で学歴の高い家庭の師弟だと言うから、教育さえも金次第と言う時代になってしまったのである。
この傾向は、前述したライシュのアメリカのみならず、韓国も中国も、ロシアやインドさえも、優良な教育機会を得るためには、豊かでなければならなくなって来てしまっている。
しからば、国民に、教育機会を均等に付与するためには、どうするのか。
格差の是正と中間層以下の経済力アップ、すなわち、ライシュの言う大繁栄時代の復活ができれば理想的なのであろうが、経済が成熟段階に入ってしまって成長から見放されてしまったアメリカや日本、そして、多くのヨーロッパ先進国にとっては、殆ど実現不可能であろう。
さすれば、政府なり公共機関が、教育機会均等付与政策を編み出して推進する以外にはないのだが、既に、無い袖を振れなくなってしまった悲惨な公共財政状態では、多くを望めない。
私には、今のところ、突っ込んで、これぞと提案できる成案はないが、高校無償化や児童手当でさえ議論の多い昨今であり、生きるも死ぬもすべて自己責任と言う極めて冷たい議論さえ幅を効かせている世の中であり、考え込まざるを得ないと言う深刻な思いである。
まず、富裕層の子供は、レベルの高い私立高校や、富裕層しか住めないような場所を通学圏とするトップクラスの公立高校に通っていて、苦手科目の勉強を家庭教師に手伝ってもらったり、SAT(大学進学適性試験)などの入試試験のためのテスト準備サービスを利用したり、入学願書作成の助言をしてくれるアドバイザーを雇ったりできる。まして、中には、親がその大学に沢山の寄付をしていて、入試担当者から特別扱いを受ける者もいる。
しかし、一方、大多数の中間層の子供は、程度の低い公立高校に通わざるを得ず、自力で道を切り開かなければならないので、益々、名門大学への入学機会は、少なくなる。
名門大学は募集定員が限られていて、これが大学の評判を保つひとつの手段でもあるが、こう言った大学は多くの場合、最高の職業への登竜門の役割を果たすために、入試での競争は非常に激しく、富裕層の子供には、益々、有利になっていると言うのである。
私が、アメリカのビジネス・スクールで学んでいたのは、1972年から1974年で、ライシュが、大繁栄時代(1947年から1975年まで)と呼ぶ、アメリカの歴史でも最も民主的で、米国全土できちんと「基本的な取引」が実施されて、労働者が生産したものを購入できるだけの十分な給与が、労働者に支払われていた、大量生産と大量消費が補完関係にあった幸せな時期であった。
従って、世界最古で全米屈指のトップクラスのビジネス・スクールであったが、学生は、金持ちの師弟ばかりという感じではなく、比較的真面目に勉強してきた中間層の師弟が平均的で、アファーマティブ・アクション(Affirmative Action / Positive Action )と言う差別を受けてきた黒人(アフリカ系アメリカ人)等の少数民族や女性の社会的地位の向上のために雇用・教育に関わる積極的な優遇措置をとる施策で入学した学生や、復員兵援護法(G.I. Bill)により除隊後に奨学金や学生ローンを得て進学してきた学生などもいたし、外国からの留学生もかなりいて、タイや香港からの留学生は金持ちの子供ではあったが、ヨーロッパからは普通の学生が来ていたし、日本からの留学生は殆ど官庁、銀行、企業からの派遣なので、ほぼ質素で貧しい学生生活であった。
それに、ビジネス・スクールであるから、キャリア・アップが目的で、職を離れて再入学をしたり、共稼ぎで夫婦かわりばんこに入学したりと言った、自分たちの経済力で、MBAに挑戦していた学生が大半だったような気がしている。
本当に、当時のアメリカは、ライシュが言う大繁栄時代であり、国民すべてが、アメリカン・ドレームを信じて、一生懸命に生きていた黄金時代であったのであろう。
ところで、よく考えてみれば、私が、大学生を送っていた1960年代の安保反対に明け暮れていた頃の日本も、結構、平等社会で、私が通っていた京大など、学生は非常に貧しくて苦学生が多かったような気がする。
当時、新聞に、同志社の構内には自家用車が駐車しているが、京大の構内には、一台もなく、自転車ばかりだと書かれたことがあったが、平均して、国公立大学の学生は、私立大学の学生よりは、はるかに貧しかったはずである。
英語の講師が、今日は金がないので、昼食にバンを買って代わりに歩いて帰るか、パンを諦めて電車に乗って帰るか考えているのだと、授業で語るほどの時代であり、祇園祭や葵祭の行列の大半は京大生のアルバイトだと言う時代だったのである。
とにかく、いくら貧しくても、歯を食いしばって頑張れば、アルバイトで食いつないで、どうにか最高学府を卒業できたと言う時代だったのだが、今では、東大生の大半は、富裕層で学歴の高い家庭の師弟だと言うから、教育さえも金次第と言う時代になってしまったのである。
この傾向は、前述したライシュのアメリカのみならず、韓国も中国も、ロシアやインドさえも、優良な教育機会を得るためには、豊かでなければならなくなって来てしまっている。
しからば、国民に、教育機会を均等に付与するためには、どうするのか。
格差の是正と中間層以下の経済力アップ、すなわち、ライシュの言う大繁栄時代の復活ができれば理想的なのであろうが、経済が成熟段階に入ってしまって成長から見放されてしまったアメリカや日本、そして、多くのヨーロッパ先進国にとっては、殆ど実現不可能であろう。
さすれば、政府なり公共機関が、教育機会均等付与政策を編み出して推進する以外にはないのだが、既に、無い袖を振れなくなってしまった悲惨な公共財政状態では、多くを望めない。
私には、今のところ、突っ込んで、これぞと提案できる成案はないが、高校無償化や児童手当でさえ議論の多い昨今であり、生きるも死ぬもすべて自己責任と言う極めて冷たい議論さえ幅を効かせている世の中であり、考え込まざるを得ないと言う深刻な思いである。