インターネットを叩いていて、「日経BOOKプラス ~ 本に学ぶ、明日が変わる」の「東京・吉祥寺 街々書林 旅心を刺激する魅惑の本屋さん」の記事に出くわした。
2023年6月、「旅先への興味と敬意」をコンセプトにした、「旅する本屋 街々書林」が、東京・吉祥寺にオープンした。観光ガイドのみならず、紀行、エッセー、歴史、民族、地誌、言語など、「旅」を起点としたさまざまな本がそろう。当店のコンセプトを格好良く言えば、「旅先への興味と敬意」です。と言う。
旅行ガイドや旅行記、紀行、エッセーなどと共に、たくさんの歴史の本や人文書があるという旅の本の専門書店であろう。
さて、私自身読書ファンであって傘寿を越えた今も毎日読書を続けており、旅についても、学生時代から現役引退後もかなりの期間、内外の旅を続けてきた。私自身の読書と旅の関わりはかなり濃密であり、その関係というか遍歴はどうであったのか、はたと考えてみた。
もう60何年も前の学生時代は、当時、学割周遊券やユースホステルが安かったので、苦学生でも長旅が出来たので、九州と北海道の一周の旅に出た。幸いに、京都での学生生活であったので、京都や奈良など近畿地方の古社寺や歴史散歩に明け暮れていた。
それでは、旅心を刺激したとか旅の参考にした本は何だったのかと言うことだが、地方の旅では、一応、交通公社の観光ガイドが頼りではあったが、殆どは学校で勉強した知識が参考に寄与した程度で、副読本は、あまり読まなかった。
しかし、京都や奈良の旅というか芸術文化行脚には、和辻哲郎の「古寺巡礼」や亀井勝一郎の「大和古寺風物誌」をはじめとして、歴史建造物、仏像、絵画、庭園、文學歴史などの関係本、源氏物語や平家物語など、随分読み漁って、理論武装して歩き回った。
こうなると、読書が旅を刺激し旅が読書を刺激する、
現役時代でも、出張が多くて土日を挟んで、かなり、地方を回る機会があって歴史や文化に触れてきたのだが、この場合にも読書と旅の好循環を経験してきている。
海外の旅については、海外生活が14年で、1泊以上した国が、30カ国くらいになっており、世界の人々と切った張ったの激務ではあったが、私のような凡人には、見るべきものは見たと言う心境である。
ギリシャ・ローマの文化や歴史に憧れて、パルテノンの丘にいつ立てるか、恋い焦がれた京都の学生時代が無性に懐かしいが、やはり、旅への憧れを触発したのは、世界の歴史や文化文明論、そして、写真や絵画、欧米のガイドブックなど多くの書物から得た世界への飽くなき思い。
海外への門戸を一気に開いてくれたのは、奇しくも、フィラデルフィアへの大学院留学、
海外業務と異郷の地で、寸暇を惜しんで、異文化異文明の遭遇渦巻く激流を噛みしめながら歩き続けてきた。
ヨーロッパの旅行には、ミシュランのグリーンブックとレッドブック、そして、地図を携えて出かけた。必要に応じて、クックの時刻表や訪問国のガイドブックを使うことがあったが、旅行のスケジュール作成や旅行の手配一切は自分で独自でやって来たので、事前には、十分な情報を得て検討を重ねたつもりである。
特に、イタリアやドイツやと言った、あるいは、ロマチック街道やスイスアルプスやと言った個別の情報に拘らずに、自分のそれまでの知識の総合で押し切り、現地に行けばミシュランガイドと現地情報で十分であった。
めぼしい欧米の美術館博物館、歌劇場やホール、歴史遺産などには、現地で住んでいてアクセス自在だったので、ぶつけ本番で十分であった。特に、ダ・ヴィンチとフェルメールの絵画作品を殆ど鑑賞出来たのは本当に幸せだと思っている。
シェイクスピア劇場へは小田島雄志の翻訳本を携えて通いつめ、結構シェイクスピア関連本も読んだ。
しかし、このシェイクスピアもそうだし、レオナルド・ダ・ヴィンチもそうだし、本格的に関係本の大著を読んだり、ダンテの「神曲」やゲーテの「ファウスト」、ギボンの「ローマ帝国衰亡史」などを読んだのは最近であって、思い出を反芻している感じである。
もう、体力的にも無理で、旅、特に、海外旅行を完全に諦めてしまったので、もう少し、外国の文化伝統歴史というか、その姿を本格的なバックグラウンドから見つめ直したいと言う気がしている。
一見は百聞にしかずと言うが、実際に現地を旅して旅の本を読む楽しみは、格別であり、
グラナダのアルハンブラ宮殿やコルドバのメスキータを観てイスラム文化を思うと、パレスチナのガザも違って見えてくる。
2023年6月、「旅先への興味と敬意」をコンセプトにした、「旅する本屋 街々書林」が、東京・吉祥寺にオープンした。観光ガイドのみならず、紀行、エッセー、歴史、民族、地誌、言語など、「旅」を起点としたさまざまな本がそろう。当店のコンセプトを格好良く言えば、「旅先への興味と敬意」です。と言う。
旅行ガイドや旅行記、紀行、エッセーなどと共に、たくさんの歴史の本や人文書があるという旅の本の専門書店であろう。
さて、私自身読書ファンであって傘寿を越えた今も毎日読書を続けており、旅についても、学生時代から現役引退後もかなりの期間、内外の旅を続けてきた。私自身の読書と旅の関わりはかなり濃密であり、その関係というか遍歴はどうであったのか、はたと考えてみた。
もう60何年も前の学生時代は、当時、学割周遊券やユースホステルが安かったので、苦学生でも長旅が出来たので、九州と北海道の一周の旅に出た。幸いに、京都での学生生活であったので、京都や奈良など近畿地方の古社寺や歴史散歩に明け暮れていた。
それでは、旅心を刺激したとか旅の参考にした本は何だったのかと言うことだが、地方の旅では、一応、交通公社の観光ガイドが頼りではあったが、殆どは学校で勉強した知識が参考に寄与した程度で、副読本は、あまり読まなかった。
しかし、京都や奈良の旅というか芸術文化行脚には、和辻哲郎の「古寺巡礼」や亀井勝一郎の「大和古寺風物誌」をはじめとして、歴史建造物、仏像、絵画、庭園、文學歴史などの関係本、源氏物語や平家物語など、随分読み漁って、理論武装して歩き回った。
こうなると、読書が旅を刺激し旅が読書を刺激する、
現役時代でも、出張が多くて土日を挟んで、かなり、地方を回る機会があって歴史や文化に触れてきたのだが、この場合にも読書と旅の好循環を経験してきている。
海外の旅については、海外生活が14年で、1泊以上した国が、30カ国くらいになっており、世界の人々と切った張ったの激務ではあったが、私のような凡人には、見るべきものは見たと言う心境である。
ギリシャ・ローマの文化や歴史に憧れて、パルテノンの丘にいつ立てるか、恋い焦がれた京都の学生時代が無性に懐かしいが、やはり、旅への憧れを触発したのは、世界の歴史や文化文明論、そして、写真や絵画、欧米のガイドブックなど多くの書物から得た世界への飽くなき思い。
海外への門戸を一気に開いてくれたのは、奇しくも、フィラデルフィアへの大学院留学、
海外業務と異郷の地で、寸暇を惜しんで、異文化異文明の遭遇渦巻く激流を噛みしめながら歩き続けてきた。
ヨーロッパの旅行には、ミシュランのグリーンブックとレッドブック、そして、地図を携えて出かけた。必要に応じて、クックの時刻表や訪問国のガイドブックを使うことがあったが、旅行のスケジュール作成や旅行の手配一切は自分で独自でやって来たので、事前には、十分な情報を得て検討を重ねたつもりである。
特に、イタリアやドイツやと言った、あるいは、ロマチック街道やスイスアルプスやと言った個別の情報に拘らずに、自分のそれまでの知識の総合で押し切り、現地に行けばミシュランガイドと現地情報で十分であった。
めぼしい欧米の美術館博物館、歌劇場やホール、歴史遺産などには、現地で住んでいてアクセス自在だったので、ぶつけ本番で十分であった。特に、ダ・ヴィンチとフェルメールの絵画作品を殆ど鑑賞出来たのは本当に幸せだと思っている。
シェイクスピア劇場へは小田島雄志の翻訳本を携えて通いつめ、結構シェイクスピア関連本も読んだ。
しかし、このシェイクスピアもそうだし、レオナルド・ダ・ヴィンチもそうだし、本格的に関係本の大著を読んだり、ダンテの「神曲」やゲーテの「ファウスト」、ギボンの「ローマ帝国衰亡史」などを読んだのは最近であって、思い出を反芻している感じである。
もう、体力的にも無理で、旅、特に、海外旅行を完全に諦めてしまったので、もう少し、外国の文化伝統歴史というか、その姿を本格的なバックグラウンドから見つめ直したいと言う気がしている。
一見は百聞にしかずと言うが、実際に現地を旅して旅の本を読む楽しみは、格別であり、
グラナダのアルハンブラ宮殿やコルドバのメスキータを観てイスラム文化を思うと、パレスチナのガザも違って見えてくる。