熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

旅心を刺激する本と言うのだが

2024年04月28日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   インターネットを叩いていて、「日経BOOKプラス ~ 本に学ぶ、明日が変わる」の「東京・吉祥寺 街々書林 旅心を刺激する魅惑の本屋さん」の記事に出くわした。
   2023年6月、「旅先への興味と敬意」をコンセプトにした、「旅する本屋 街々書林」が、東京・吉祥寺にオープンした。観光ガイドのみならず、紀行、エッセー、歴史、民族、地誌、言語など、「旅」を起点としたさまざまな本がそろう。当店のコンセプトを格好良く言えば、「旅先への興味と敬意」です。と言う。
   旅行ガイドや旅行記、紀行、エッセーなどと共に、たくさんの歴史の本や人文書があるという旅の本の専門書店であろう。

   さて、私自身読書ファンであって傘寿を越えた今も毎日読書を続けており、旅についても、学生時代から現役引退後もかなりの期間、内外の旅を続けてきた。私自身の読書と旅の関わりはかなり濃密であり、その関係というか遍歴はどうであったのか、はたと考えてみた。

   もう60何年も前の学生時代は、当時、学割周遊券やユースホステルが安かったので、苦学生でも長旅が出来たので、九州と北海道の一周の旅に出た。幸いに、京都での学生生活であったので、京都や奈良など近畿地方の古社寺や歴史散歩に明け暮れていた。
   それでは、旅心を刺激したとか旅の参考にした本は何だったのかと言うことだが、地方の旅では、一応、交通公社の観光ガイドが頼りではあったが、殆どは学校で勉強した知識が参考に寄与した程度で、副読本は、あまり読まなかった。
   しかし、京都や奈良の旅というか芸術文化行脚には、和辻哲郎の「古寺巡礼」や亀井勝一郎の「大和古寺風物誌」をはじめとして、歴史建造物、仏像、絵画、庭園、文學歴史などの関係本、源氏物語や平家物語など、随分読み漁って、理論武装して歩き回った。
   こうなると、読書が旅を刺激し旅が読書を刺激する、
   現役時代でも、出張が多くて土日を挟んで、かなり、地方を回る機会があって歴史や文化に触れてきたのだが、この場合にも読書と旅の好循環を経験してきている。

   海外の旅については、海外生活が14年で、1泊以上した国が、30カ国くらいになっており、世界の人々と切った張ったの激務ではあったが、私のような凡人には、見るべきものは見たと言う心境である。
   ギリシャ・ローマの文化や歴史に憧れて、パルテノンの丘にいつ立てるか、恋い焦がれた京都の学生時代が無性に懐かしいが、やはり、旅への憧れを触発したのは、世界の歴史や文化文明論、そして、写真や絵画、欧米のガイドブックなど多くの書物から得た世界への飽くなき思い。
   海外への門戸を一気に開いてくれたのは、奇しくも、フィラデルフィアへの大学院留学、
   海外業務と異郷の地で、寸暇を惜しんで、異文化異文明の遭遇渦巻く激流を噛みしめながら歩き続けてきた。

   ヨーロッパの旅行には、ミシュランのグリーンブックとレッドブック、そして、地図を携えて出かけた。必要に応じて、クックの時刻表や訪問国のガイドブックを使うことがあったが、旅行のスケジュール作成や旅行の手配一切は自分で独自でやって来たので、事前には、十分な情報を得て検討を重ねたつもりである。
   特に、イタリアやドイツやと言った、あるいは、ロマチック街道やスイスアルプスやと言った個別の情報に拘らずに、自分のそれまでの知識の総合で押し切り、現地に行けばミシュランガイドと現地情報で十分であった。

   めぼしい欧米の美術館博物館、歌劇場やホール、歴史遺産などには、現地で住んでいてアクセス自在だったので、ぶつけ本番で十分であった。特に、ダ・ヴィンチとフェルメールの絵画作品を殆ど鑑賞出来たのは本当に幸せだと思っている。
   シェイクスピア劇場へは小田島雄志の翻訳本を携えて通いつめ、結構シェイクスピア関連本も読んだ。
   しかし、このシェイクスピアもそうだし、レオナルド・ダ・ヴィンチもそうだし、本格的に関係本の大著を読んだり、ダンテの「神曲」やゲーテの「ファウスト」、ギボンの「ローマ帝国衰亡史」などを読んだのは最近であって、思い出を反芻している感じである。

   もう、体力的にも無理で、旅、特に、海外旅行を完全に諦めてしまったので、もう少し、外国の文化伝統歴史というか、その姿を本格的なバックグラウンドから見つめ直したいと言う気がしている。
   一見は百聞にしかずと言うが、実際に現地を旅して旅の本を読む楽しみは、格別であり、
   グラナダのアルハンブラ宮殿やコルドバのメスキータを観てイスラム文化を思うと、パレスチナのガザも違って見えてくる。
   
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菊枝垂れ桜、スズラン、ツツジ

2024年04月26日 | わが庭の歳時記
   わが庭では、エレガンスみゆき以外に植わっている桜は、菊枝垂れ桜のみ、
   八重桜の季節なので、満開である。
   一つの花の中に、もう一つの花が重なって咲いているものが菊咲き性の桜と言われているとかで、ピンク色の花弁数が非常に多い優雅な桜である。
   
   
   
   
  
   スズランも咲き出した。
   庭のあっちこっちに、芽を出しているのだが、殆ど草などに覆われて隠れている所為なのか、花付きが良くない。
   陽当たりの良い綺麗な花壇に特別に植えるべき花なのであろうが、花木主体で草花用の花壇のないわが庭、宿根草であることを良いことにして、植えっぱなしで咲かせているのであるから文句は言えない。
   
   

   ツツジの最盛期である。
   ツツジとサツキは良く似ているので、一寸見ただけでは区別がつきにくい。
   普通は山勘だが、どちらか知りたいときには、おしべの数を数える。おしべの数が、サツキは5本で、ツツジは5本以上なので、今わが庭で咲いているのは、皆ツツジである。
   
   
   
   
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ウォルター・アイザックソン著「イーロン・マスク」マスクとゲイツ

2024年04月24日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本の第71章に、ビル・ゲイツ(2022)と言う章があって、ビル・ゲイツが、「一度ゆっくり、慈善活動と気候について話がしたいのですが」とマスクに持ちかけて、マスクのギガファクトリーで2022年3月9日に実現した会談の興味深い話が掲載されている。
   勿論、以前にも二人は会っており、ゲイツがスペースXを見ている。
   マスクとゲイツは似たところがわりとある。分析力に優れ、レーザーのように鋭く何かに集中する。一歩間違えば尊大とも取られかねないほどみずからの知性を信じている。ばか者はがまんならない。こんなふたりであるからぶつからない方がおかしいので、二人は工場に入ると、ぎんぎんにぶつかり合ったという。

   まず、ゲイツが、バッテリーで巨大なトレーラ-トラックを動かせる日は来ない。気候問題を解決するには太陽エネルギーは大きく力不足だと言い出した。
   先にゲイツは、著書「地球の未来のため僕が決断したこと」で、同じ重さで比べると、今手に入る最高性能のリチウムイオン電池に詰め込めるエネルギーは、ガソリンの35分の1だと言うことで、ガソリンと同じ量のエネルギーを得るには、ガソリンの35倍の重さのバッテリーが必要になる。バフェットが飛行機の電化論を提言したので、この話をしたら、ダメだと納得したと語っている。電池バッテリーの威力など信じていないのである。 
   この本で、テスラが生きるか死ぬかの苦境に立ったときに、テスラ株が空売りを浴びせられて、マスクが辛酸を嘗めた事件を克明に描写しているのだが、この時、ゲイツはこんな考えであるから、テスラの株価が下がることに賭けて空売りを仕掛けていた。何故空売りをしたのか、ゲイツは、電気自動車は供給が需要を上回り、価格が下落すると判断したからと答えており、何度も聞かれて、分かりきったこと、空売りすれば儲かると思ったからだと言っている。
   この件は、ゲイツは予想が外れて巨額の含み損を抱えたが、マスクの最も嫌ったのは空売り筋であったから、この話を聞いて、マスクははらわたが煮えくりかえった。ゲイツが謝罪したがマスクの気は収まらない。
   マスクは、電気自動車に向けて世界を動かすと言うミッションを信奉して、安全な投資と思えなくても、有り金すべてをつぎ込んできた。「どうして、気候変動と真剣に戦っていると言いつつ、一番奮闘している会社の足を引っ張るようなことが出来るのか。そんなの偽善に過ぎない。どうして、持続可能エネルギーの会社をこかして金を儲けようとするのか。」と憤懣やるかたない。

   慈善活動に邁進するために、財団の経営者に転進したゲイツにとっては、資金運用が第一であって、それに、電気自動車をそれほど評価していなかったのではなかろうか。
   慈善活動については、マスクは、昔から興味がなく、ほとんどは「たわごと」だと考えていた。自分が人類に貢献するには、お金を会社につぎ込み、エネルギーの持続可能性や宇宙開発、人工知能の安全性などを推し進めることが一番だと考えているからである。
   その後、ゲイツから、慈善活動のアイデアがいくつも記された文書が届き、慈善活動について話をしたいのだがと言ってきたので、まだ、テスラ株の空売りをしているのかと確認すると、まだ手じまいをしていないとのことであったので、「気候変動の解決に一番尽力している会社テスラに大規模な空売りを仕掛けている人が進めている気候問題の慈善活動など、真剣に考えることは出来ません」と突っぱねている。

   面白いのは、火星に対する二人の姿勢。
   ゲイツにとっては、火星などどうでも良い存在なのだが、マスクは火星に熱中しすぎで、地球で核戦争が起きるかも知れなくて、その時火星に人が住んでいて人がいれば、その人たちが戻ってきて、我々が殺し合って皆がいなくなった後、彼らが生きてくれるとかくれないとか、なんとも突拍子もない話だと言う。
   マスクにとっては虎の子のプロジェクトスペースXの火星へ行くと言う最大のミッションは、ゲイツにとっては、異次元の世界であったのであろうか。

   しかし、いずれにしろ、ゲイツは、工場は凄いし、マシンやプロセスの細かいところまで詳しく知っているマスクも凄い。スターリング衛星を沢山打ち上げ、宇宙からインターネット接続を提供するスペースXも凄い。20年前にテレデシックでやろうとしたことが実現されたわけだから。と述べている。
   そして、ワシントンDCの晩餐会で、マスクの批判があっちこっちで出たときに、「イーロンの言論についてあれこれ思うのは勝手ですが、科学とイノベーションの限界を彼ほど広げている人物は、この時代に、他にいませんよ」と指摘したという。
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修善寺への家族一泊たび

2024年04月22日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   土日の休日を利用して、家族揃って、修善寺に出かけた。
   伊豆マリオットホテル修善寺で、家族全員で寛ごうという趣向で、特に目的もなかったが、沼津の淡島ホテルに泊まって身延まで足をのばした昨春の車旅のアンコールである。
   天気予報は、曇りから雨模様と言うことであったが、幸い、曇り空が続いたものの雨には遭わず、気持ちの良い温かさで、新緑が美しく萌えて爽やかな旅であった。

   このホテルは、伊豆の林間の急峻な山道を登り埋めたところに建つリゾートホテルで、周りは緑一色で、部屋の窓から望む新緑萌える色彩のグラデーションが美しい。
   各部屋のベランダに温泉露天風呂が設営されていて、緑滴る緑陰を見下ろしながら、部屋によっては、富士山や天城連山を眺めながら贅沢な湯浴みが楽しめる。
   家族たちは、何度も湯船に浸かって露天風呂を楽しんでいた。

   ホテルには、何の娯楽施設もスポーツ施設もないし、バーと言った場所もない。ゆっくりと、休暇を楽しみなさいと言う趣向である。
   広いダイニングには、ビュッフェスタイルが併設されているのだが、アラカルトメニューを選べば、高級西欧料理が楽しめる。
   メンバーであれば、ラウンジに入れば、夜遅くまで、存分に、色々な酒類の飲酒を楽しみながら、過ごせるので、格好のリラックスタイムとなる。
   土曜日、ホテルに着いた日は、部屋でゆっくりと過ごし、レストランで家族とミニパーティをし、夜半までラウンジで男同士で、一寸固いが、時事問題やビジネスなどカレントトピックスを語り続けた。
   

   翌朝、チェックアウトまで、家族たちは、ホテル近くを散策しながら楽しんでいたようだが、私は、部屋とラウンジで昼過ぎまでホテルで過ごした。
   前日には微かに姿を現していた富士山の裾野部分が、八重桜の枝間から微かに見えている。
   

   歳を取ると、観光にもあまり興味を感じなくなる。
   ガイドを見て行こうと思ったのは、修善寺と竹林、

   修善寺に近づくと人が混み始めて、門前の広場にには沢山の人が集まっていて、長い行列が出来ている。
   迂闊にも知らなかったのだが、4月20-21日は、弘法忌春季大祭
   修禅寺を開創した弘法大師:空海の法要で、この日は、本堂の大師の厨子を奥之院まで神輿に乗せて運ぶ【みこしお上がり】をはじめ、万灯会・湯汲式などの催しが二日間にわたり行われる大祭だったのである。
   車で門前を通り抜けるのがやっとで、結局、近くの竹林も諦めて、Uターンして家路に着くことにした。

   鎌倉への途中、伊豆の国に、「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録されている韮山反射炉があったので、立ち寄った。
   反射炉とは、銑鉄を溶かして優良な鉄を生産するための炉で、銑鉄を溶かすためには千数百度の高温が必要となるが、反射炉内部の溶解室の天井部分が浅いドーム形となっており、そこに炎や熱を「反射」させ、銑鉄に集中させることで高温を実現する構造となっている。このように、反射させる仕組みから反射炉と呼ばれた。
   対面の小山の中腹の茶畑が美しい。
   新茶の発売日だというので、一袋買った。宇治分校の学生時代に、茶問屋に下宿していたので懐かしくなった。
   
   
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ウォルター・アイザックソン著「イーロン・マスク上下」

2024年04月20日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ウォルター・アイザックソンの著作を読んだのは、「スティーブ・ジョブズ」と「レオナルド・ダ・ヴィンチ」と、この「イーロン・マスク」で3作目だが、イーロン・マスクを徹底的に調査研究して余すところなく現代屈指のイノベーター、アントレプレナーとしての偉大な足跡を活写していてまさに驚異を覚える。

   マスクの凄さ偉大さについて、一つだけ例証すれば十分で多言は要しないであろう。
   それは、火星に行きたいとして立ち上げたスペースXの物語である。
   2008年、艱難辛苦を乗り越えて、3回失敗し4回目の打ち上げで、ファルコン1が、民間が独自で開発したロケットとして初めて、地上から打ち上げて軌道に到達したのである。マスク以下、わずか500人で一から設計して、製造も総べて自分たちでやった(ボーイングは、当該部門だけで5万人を擁している)。外部に委託したところはないに等しい。資金も民間だ――大半はマスクのポケットマネーだから。NASAその他とミッション契約は結んでいるが、成功しなければお金は払われない。補助金もなければ実費精算という話もない。
   そして、マスクは、「これは長い道のりの第一歩にすぎない。来年はファルコンを軌道まで打ち上げる。宇宙船ドラゴンも開発する。そして、スペースシャトルの後継になるのだ。やることはまだある。火星にだって行かなければならない。」と言った。
   その年の12月、NASAから、国際宇宙ステーションまで12往復、16億ドルの契約がスペースXに与えられた。

   2020年5月、クルードラゴン宇宙船を頭に付けたファルコン9ロケットがNASAの宇宙飛行士を乗せて、国際宇宙船を飛び立った。
   宇宙飛行士を国際宇宙船まで運べるロケットを開発する契約をスペースXと結んだが、NASAは同日付で、同等の契約を予算60%増しでボーイング社と結んでいる。だが、このスペースXがミッションを達成した2020年、ボーイングは、国際宇宙船ステーションと宇宙船の無人ドッキング試験さえ出来ていなかった。

   マスクは、今や、このスペースXに加えて、テスラ、X Corp.(旧:Twitter)ほか幾多の最先端の企業を経営するイノベイティブな企業家でもあるが、壮大なミッションを掲げて、完遂するためにはドンドンハードルを引き上げて行き、一切の妥協や怠慢を許さず、スタッフを叱咤激励して、突っ走り続けている。
   若くして逝ったスティーブ・ジョブズと並ぶ希有の天才起業家だが、まだ、若いので、この21世紀をどのような別天地に変えてくれるのか、夢は尽きない。

   さて、私が強烈に感じたのは、前述の逸話から、マスクの事業から比べれば、ボーイングでさえ、ゾンビ企業に過ぎないと言うことである。況んや日本の企業をやである。
   現代資本主義が危機だと言われ、日本企業の凋落が問題視されているが、マスクを思えば、そんな悪夢は飛散霧消する。
   国際競争力を失墜しつつある日本企業の経営者が、せめても、このアイザックソンのマスクの本や「スティーブ・ジョブズ」を、ケーススタディの教材として、経営戦略や戦術を、真剣に練り直せば、如何に有効か。
   格好のイノベーション戦略論でもあり、攻撃の経営学本でもある。

   勿論、上下で900㌻にわたる大著なので、多くの驚異的な逸話やストーリーの連続で、マスクとビルゲイツやジョブズ、ベゾス等との絡みなども興味深く、マスクも凄いが、アイザックソンの博学多識の筆の確かさにも舌を巻く好著である。
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NHK:バイエルン国立歌劇場 喜歌劇「こうもり」

2024年04月18日 | クラシック音楽・オペラ
   NHK BS4Kで、バイエルン国立歌劇場 喜歌劇「こうもり」(ヨハン・シュトラウス作曲)。歌劇場管弦楽団創設500年を記念した豪華な公演。を鑑賞した。

   演出:バリー・コスキー 出演:ゲオルク・ニグル(アイゼンシュタイン)、ディアナ・ダムラウ(ロザリンデ)、アンドリュー・ワッツ(オルロフスキー公)、ショーン・パニカー(アルフレート) 、マルクス・ブリュック(ファルケ) 、ケヴィン・コナーズ(ブリット) 、カタリーナ・コンラーディ(アデーレ) 、ミリアム・ノイマイヤー(イーダ) 、バイエルン国立歌劇場合唱団 、合唱指揮:クリストフ・ハイル 、バイエルン国立歌劇場管弦楽団 、 指揮:ウラディーミル・ユロフスキ、
   とにかく、全編、華やかなワルツに彩られたヨハン・シュトラウス節に紡がれたウィーンを舞台にした楽しい喜歌劇で、第二幕のオルロフスキー公爵邸での豪華絢爛たる舞踏会の様子など特筆ものである。

   「こうもり」を、最近レビューしたのは、2021年末のウィーン国立歌劇場のライブ配信の舞台だが、私が最初に観たのも、1974年のヨーロッパ旅行の時に、大晦日の夜にここで観た舞台。
   元旦のニューイヤーコンサートの前日で、観客も全員正装していて、豪華な宮殿のような劇場が、王朝時代のような華やかさで匂い立つ。
   「こうもり」の舞台は、比較的少なくて、ロンドンに居た時に、ロイヤルオペラで2回、2008年8月に、小澤征爾の「こうもり」、2015年5月に、ウィーン・フォルクス・オーパーの来日公演、
   他には、新日本フィルのコンサート形式の演奏などだが、各舞台ともワクワクしながら愉しませて貰った。

   さて、この喜歌劇がなぜ「こうもり」なのか、
   3年前ファルケとアイゼンシュタインが仮面舞踏会に出かけた帰りに、アイゼンシュタインが、酔いつぶれたファルケを公園に放置して帰ってしまったので、朝方目を覚ましてこうもりの変装のままだったので散々嘲笑されて恥をかかされたので、こうもり博士と言われ続けたファルケの仕返し。
   ファルケは、ロシアのオルロフスキー公爵邸で開かれた大舞踏会を、どんでん返しの喜歌劇に画策。極めつきは、仮面を付けて現われたハンガリーの貴族の淑女に、アイゼンシュタインがゾッコン惚れ込んで口説き落としたつもりが、実は、妻のロザリンデであったという話。
   侮辱罪で収監される直前にパーティにトンズラしたアイゼンシュタイン家に、ロザリンデに思いを寄せているアルフレートが忍び込んできて、口説いているところに刑務所長のブリットが現われて、アイゼンシュタインだと勘違いして逮捕。第3幕の刑務所の場で、二人がかち合わせて、大混乱。夫妻の不実が分かり仲直りで大団円。
   
   ダムラウのハンガリアン「チャルダッシュ」のコケティッシュな魅力や、カウンターテナーのワッツのロシア公爵の艶やかさ、ニグルの軽妙洒脱な演技や達者なステップの確かさ、狂言回し師としての策士然としたブリュック、小間使いながら女優を目指すコンラーディの絶好調の歌唱、それに、
   とにかく、コナーズの型破りの女性趣味の刑務所長や牢番のタップダンスなどが、これまでの刑務所の雰囲気をがらりと変える演出で面白い。

   オーストリーやドイツの歌劇場では、大晦日に、この「こうもり」を上演して古い年を、笑い飛ばして送り、新年を迎えるという。
   何となく、年末年始を、ヨハン・シュトラウスのワルツで送り迎えする気持ちが分かって興味深い。
   
   
   
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遅まきながら花木に薬剤散布

2024年04月15日 | ガーデニング
  わが庭の花木は、暖かさに呼応するように、一気に芽吹き始め、蕾も膨らみ始めた。
   まだ、病虫害の兆候が現われていないので、サボっていたのだが、重い腰を上げて、薬剤散布を行った。
   以前は、冬の寒い時期に、硫黄合剤を2度散布して、病虫害が出てくれば、ピンポイントで薬品を散布すると言うことで乗り切ってきたのだが、去年から普通の薬剤散布に切り替えた。

   今回も、昨年3月に倣って、住友のベニカを主体に、殺虫剤と殺菌剤の混用を意図して、GFオルトランとGFベントレートに展着剤ダインを加えてタンクで混合して、5ℓの溶剤を作って散布を始めた。
   硫黄合剤に時のように、散布後の葉に白っぽい跡が残らないところが良い。
   歳の所為もあって小忠実に薬剤散布が出来ないので、バラも椿も同じ薬剤を使っていて、その後、バラにはバラ用の薬剤を使ってフォローしているのである。
   タンクを使って、何度か庭全体に薬剤散布を続けていたが、木にもそれぞれ個性があるし、病虫害も木によって違ってくるので、何種類かのスプレイ式の薬剤を用意する方が便利なのである。

   薬剤散布で大変なのは、バラ。
   もう30年も前になるが、イギリスから帰ったときには、千葉の庭には花木がまだ少なくて、広い空間があったので、京成バラ園に行って、苗木を買ったり勉強したりして、バラの栽培を始めた。ガイドブック通りに丹念に育てたので、見事なバラの花が咲いた。
   気を良くして、その後、イングリッシュローズにも興味を持って栽培を始めて、フレンチローズにも手を広げるなど、珍しいバラも含めて、ドンドン広がっていった。
   しかし、バラ栽培にも慣れてくると、病虫害の処理など億劫になり始めて、少しずつレージーになって、1本枯れ2本枯れ、ドンドン消えて行ってしまった。
   このブログの「わが庭の歳時記」で、以前の記事では、咲き続けるバラの写真が掲載されていて、懐かしい限りである。

   それに比べて、並行して栽培を始めた椿の方は、至って手間暇のかからない花木で、バラのような華やかさや豪華さはないが、手を広げて行くと、結構奥が深くて楽しませてくれる。
   特に注意しなければならない病虫害は、チャドクガで、気付かなければ、一気に葉が落ちてしまうが、初期段階で薬剤散布すれば、間単に駆除出来る。
   私のような熱心ではない似非ガーディナーにとっては格好の花木なのである。

   さあ、これから、初夏、そして、梅雨にかけて、一気に木々が萌える。
   病虫害との闘いが始まるのだが、緑が一番美しく輝き、椿が翌春の花芽をつける。
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椿:エリナカスケード 咲く

2024年04月14日 | わが庭の歳時記
   エリナカスケードは、「cascade」すなわち、小滝・階段状と言うことで、菊の懸崖作りのように垂れ下がったしなやかな枝に、淡い桃色の1cmほどの可愛いい小さな花を鈴なりに咲かせる風情のある椿である。
   ヒメサザンカ(姫山茶花)と中国の野生椿との交雑によって作出された品種とかで、椿の仲間とは思えないところが良い。
   サザンカのように花びらがひらひら落ちるのではなく、花弁が椿のようにポロリと落花するのだが、残念なのは、かなり花持ちが悪くて、すぐに地面を白く染めることであろうか。
   
   
   

   椿は、咲き続けているが、実生苗も花を咲かせ始めていて、中には、わが庭にはない、見たことのないような花が咲いて面白い。
   他家受粉なので、雑種となって、新しい品種なのであろうが、蘂が花粉化して殆ど結実しない椿の偶々出来た種を実生苗にしているのであるから、変った花が咲いても不思議はないのかも知れない。
   育種家でもないので、何の椿の種か覚えておらず、親を追跡できないのだが、まだ、来年も新種が生まれそうで期待している。
   
   
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クラブアップル、ナシの花咲く

2024年04月13日 | わが庭の歳時記
   わが庭には、桜が植わっていないのだが、春の花木で、姫リンゴのクラブアップルとナシの花が咲き出した。
   昨秋、強剪定したのでこじんまりしているのだか゛、一気に庭が華やかになる。
   この姫リンゴは、イギリスに居た時にあっちこっちの畑で見かけて印象深かったので、庭うえしたのだが、わが庭では、イギリスのように、広い空間を提供できないのが残念である。
   初夏に可愛い小さな実を結ぶ。
   
   
   
   
   
   梨の木も1本植わっていて、白い花を咲かせている。
   昨年、小さな実を付けたので、結実するのが分かって興味深かったが、そう言えば、ロンドンの家の庭に洋梨の木が植わっていて、結実したので食べてみたら、結構美味しかったのを思い出した。
   
   
   
   
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ボッカッチオ「デカメロン」

2024年04月11日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ボッカッチョ (著), 平川 祐弘 (翻訳)の「デカメロン」を読んだ。

   講談社BOOK倶楽部の、田辺聖子の「ときがたりデカメロン」の内容紹介が、「デカメロン」を的確に説明しているので、そのまま引用すると、
   悪党、若妻、修道僧、騎士などの多彩な人物がおりなす性と笑いの物語。大胆に官能を楽しむ笑いと愛の物語ーー機知ある悪党、不倫の若妻、女色にふける修道僧、強情が仇となる人妻、悲恋の王子と王女、復讐された高慢な未亡人、自分に克った聡明な老王など、多彩な人物が、人間の欲望を大胆に肯定し、愛と正義の与える不思議な力で、官能的生を楽しむ永遠の名作。男女のリアルな生活とその美醜をあますところなくとらえ、機智と哀歓に満ちた一幕として明るい笑いとともに、人間性を開放した、ルネサンス期の傑作の楽しい物語。当代随一の作家が、美しい言葉で面白く説き語る愛の物語集。永遠に新鮮な古典の親しみやすい説き語り。
   と言うことで、まだこの本は読んでいないが、平川版のこの本で、頻繁に引用されて居るので興味を持った。

   平川版も、
   世界文学の金字塔! 待望の新訳決定版、ついに完成! いま、清新なルネサンスの息吹が甦る!
   ペストが猖獗を極めた十四世紀イタリア。恐怖が蔓延するフィレンツェから郊外に逃れた若い男女十人が、おもしろおかしい話で迫りくる死の影を追い払おうと、十日のあいだ交互に語りあう百の物語。人生の諸相、男女の悲喜劇を大らかに描く物語文学の最高傑作が、典雅かつ軽やかな名訳で、いまふたたび躍動する。挿画訳60点収録。
   と言うことで、この本は、2012年刊で休刊であるが、今文庫版がでている。
   平川祐弘教授のダンテ「神曲」や「神曲講義」などを読んで興味を持っていたので、文句なしに、800㌻に及ぶ平川版に挑戦することにした。

   前述したような艶笑談が、最初から最後まで、次から次へと100篇繰り広げられるのであるから、面白いと言うよりも、その話題の豊かさと凄まじさに圧倒される。
   語り手すべてが、バージンで結婚する乙女など一人もいないと言うほどオープンなルネサンス初期のイタリアの人生模様の描写であり、生きる喜びを愛に託して謳歌するために、人々の智慧と機転を利かせての手練手管の数々、
   一つ一つの話題が短いながら、独立した短編小説の趣なので、それぞれに興味をそそる。

   ところで、この本の話題は、どれもこれも、愛の交歓、恋の鞘当て、愛憎劇など男女の物語で、プラトニックラブや片思いと言った柔な話はなく、必ずコトに及ぶのだが、描写は極めてシンプルで、嫌みがなくて、ボッカッチオの筆捌きの鮮やかさで、クスリと笑いを誘う程度である。
   前世紀に日経新聞の渡辺淳一の「失楽園」を読み始めて、その性描写の凄まじさにビックリした記憶があるが、それから見れば、この「デカメロン」など温和しくて、発禁本などと言えるジャンルの作品ではない。
   
   第二日第七話に、バビロニアのサルタンの娘アラティエルをアフリカのガルボ国王の花嫁として嫁がせるせる話がある。
   ところが、航行途中で船が難破して、言葉も通じない異国に辿り着き城主に助け出される。貞操観念が強かったが、宴会でたしなみを失って城主と契る。その時の描写が、「城主は女と愛の楽しい営みを始めた。女はそれを感じた。それまで男がどんな角で女の体を突くのかアラティエルは知らなかった。それなものだから、ひとたび醍醐味を味わうと、なぜ今まで男が言い寄った時、もっと早く同意しなかったのかと悔やまれたほどであった。」
   途中は省略するが、アラティエルはあまりにも美しすぎたので、それが知れ渡って、次から次へと略奪、拉致されて不幸に遭遇し続ける。
   しかし、最後には、「4年間に8人と一万回ほど共寝した姫であったが、国王の脇に処女として横になり、そのとおり国王に思い込ませて、王妃として末永く幸多く国王と連れ添った。」と言う話。

   面白いのは、邪恋であろうと不倫の愛の交歓であろうと何であろうと、愛が成就したハッピーエンドの艶笑話の最後には、
   「神様、私たちにも同じように愛の楽しみを存分にお与え下さいませ。」と結んで、皆も同意する。

   ところで、このデカメロンだが、エログロナンセンスの悪書だと思われている向きもあるが、決してそうではなく、ダンテの「神曲」の対極にある愛を主題にした世俗小説であって、
   私など、実業でビジネスに活躍したボッカッチオの見た地中海世界や知見で蓄えた当時の勃興期のヨーロッパの様子が垣間見えて興味深かった。
   しかし、面白いが、このような艶笑談を、延々と続けられると、途中で飽いてくるのは必定で、これも人情かも知れない。と思う。
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椿:鳳凰咲く、至宝の変化

2024年04月09日 | わが庭の歳時記
   椿の鳳凰が咲き出した。
   ピンクの八重の蓮華咲きで、鳳凰の尾羽のように切れ長の花弁の綺麗な椿である。
   枝木が細長くて華奢なので、花は垂れ気味で、それに、成長が遅いので、手入れが難しい。
   
   
   

   至宝は、花付きが良いので沢山蕾を付けているのだが、途中で結構摘蕾しているが、やはり、花に無理が行くのか、歪な花が咲いて、綺麗な花が咲きにくい。
   利休のアサガオのように、一蕾だけ残して花を咲かせれば良いのであろうが、何となく忍びなくて咲くに任せている。
   色々な歪な咲き方をしている。
   
   
   
   
   

   ゆりのシルクロードが芽を出してきた。
   シャクヤクも蕾が出てきた。
   わが庭も草花が咲き始めて賑やかになって来た。
   
   
   
   
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椿:エレガンス・シャンパン、ダローネガ咲く

2024年04月08日 | わが庭の歳時記
   エレガンス系の椿のエレガンス・シャンパンが咲き出した。
   玄関脇花壇の主木で、豪華な真っ白な唐子咲きの大輪の椿なのでよく目立つ。
   黄色い蘂が鮮やかな花弁もあれば、白い唐子だけの花もあって個性豊かなのだが、葉に埋もれたような形で咲くので、写真に撮りにくい。
   
   
   
   

   もう一つ、クリーム色の千重咲きのダローネガ、
   黄色い椿は、殆ど中国生まれで、これまで、何株も育てたが、寒さに弱くて庭植えして、悉く失敗したが、この椿は洋椿なので、もう、何年も咲き続けている。
   
   
   
   
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「郵便的不安」と言う経験

2024年04月06日 | 生活随想・趣味
   今日の日経夕刊に、「郵便料金、値上げの理由は?」と言う記事が出ていた。
   私が興味を持ったのは、郵便料金値上げのことではなく、「もっと教えて」というコラムの藤本勝治先生の「多様な通信手段あってこそ」の中の「郵便的不安」という言葉である。自分のメッセージが本当に相手に届くのか、と言う感覚を、哲学的にそう呼ぶのだという。言い換えれば、自分の出した郵便物が相手に届くのかどうかと言うことであろうか。

   強烈な記憶に残っているのは、着くか着かないかの不安ではなく、幸いにも着いたという思い出と、着かなかったという思い出である。

   まず、幸いにも着いて助かったという思い出だが、
   遺産相続についての委任状と戸籍謄本とを、多忙を極めていてヨーロッパへの赴任時に、成田空港でポストに入れるのを忘れてしまって、アムステルダム行きの飛行機に乗ってしまったのである。
   当時は、中継地ソ連のモスクワに一時停止するので、空港の郵便局で投函することにした。
   書留便で出したのか、どんな形態で出したかなど全く記憶はないのだが、ソ連の郵便事情など全く知らずに、日本の郵便と同じだと思って何の疑いもなく、投函した。
   戸籍謄本は、祖母の戸籍謄本で、この謄本を取った直後に逝去したので、いわば事前に用意した書類に関しては、大切な必要書類だったのである。
   私も、ヨーロッパ赴任なのですぐに帰れないし、日本で改めて処理できないので、無事にソ連から郵便が届いて非常に助かった。
   帰任時には、ロシアを経由して帰ろうと思ったのだが、ソ連の崩壊とロシア経済の崩壊寸前の治安の悪化で危険極まりなくて断念したのだが、良く考えてみれば、昨今の事情を考えれば、ソ連の社会情勢や郵便事情を信用して良かったのかどうか、
   とにかく、慌てていたのでモスクワで投函したが、アムステルダムに着いてから出せば良かったのである。

   つぎに、郵便を出して届かなかった例だが、フランスとブラジルでの経験である。
   いずれも、深刻な経験ではないが、宿泊ホテルのフロントの切手代着服の問題である。
   フランスの香水の都グラースでのことである。
   カンヌやニースに近い南仏のプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュールの美しい街、ラベンダーが一面に広がる畑が印象的で街を歩くと香しい香水の香りが漂う。
   ところで、香水の都であるから絵はがきも凝っていて、ラベンダーをあしらったり香水を使ったりした魅力的なものがあったので、何通か知人友人に送ることにした。
   普通は、切手収集も兼ねて、郵便局を見つけて投函するのだが、時間がなかったので、フロントに切手代プラスかなりのチップを渡して投函を依頼した。
   日本に帰った時に尋ねたら、1通も届いていないことが分かった。
   フランスでは他のところからも郵便を出して届いているので、このグラースの高級ホテルでは、フロントが私の絵はがきを出さずに廃却をしたとしか思えないのである。

   もう一つ、同じことが、ブラジルのサンパウロで起こった。
   ブラジル赴任時には、事務所や住宅の手配が整うまでは、ホテルを借り切って代用し、特に、宿舎を用意するのに時間がかかったので、ホテルでの滞在が長くなった。
   社用の郵便物は郵便局で処理したが、個人的な手紙などは、気軽に、フロントに依頼して処理していた。
   ところが、ある日に、日本とのコンタクトがあって聞いてみたら、郵便物が届いていないことが分かった。大切な手紙もあって随分礼を失して困ったことにもなった。
   用心して、書留にした私のその手紙だけは届いていたが、同僚の郵便物も全然届いていなかったのである。
   フロントやマネージャーに問いただしたが知らぬ存ぜずで埓が開かず、こんな国でこれから仕事をせねばならないかと、腹をくくった。
   ラテン系には、仕事では、カルチュア・ショックの連続であった。

   念のため、ブラジルについてお知りになりたければ、私のブログの左欄カテゴリーの「BRIC’sの大国:ブラジル」の23篇をお読み頂ければ良く分かります。
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イングリッシュ・ブレックファスト

2024年04月04日 | 海外生活と旅
   今朝、久しぶりに、家族でロイヤルホストに出かけて朝食を取った。
   出張や旅行など外出するときには、朝食をレストランや気の利いた喫茶店などで取っていたが、最近では殆どそんな機会はなかった。

   とにかく、ファミレスなので、朝食メニューは結構揃っていて、その中に、イングリッシュ・ブレックファストがあったので、懐かしくなってこれをオーダーした。
   もう随分時間が経ったので記憶は薄れているのだが、ロンドンに5年間住んでいて、それに、その後何回もイギリスに行っているので、あっちこっちで、イングリッシュ・ブレックファストにはお世話になっている。

   外国旅行をしていると、大概のホテルは、比較的シンプルなコンチネンタル・ブレックファストで、似たり寄ったりなのだが、イングリッシュ・ブレックファストは、全く違っていて、桁違いに多種多様でボリュームがあるのである。
   私など、朝食後精力的に動き回っていたので、適当なレストランを見つけてゆっくりと昼食を取ることがままならなかったし、とにかく、米国流のファストフードなら別だが、ヨーロッパでは真面なレストランに入れば短時間で済むわけがないので、どこで昼食を取っても良いようにしておく必要があり、そんなこともあって、イギリスでは、タップリとしたイングリッシュ・ブレックファストを重宝していた。
   イギリスの色々なところで色々なイングリッシュ・ブレックファストを経験していたが、このブログの「欧州紀行(文化三昧ミラノ・ロンドン旅)」の「28 イングリッシュ・ブレックファスト」で、私の所属していたジェントルマン・クラブRACの例を紹介しているので、少し引用しながら説明してみたい。
   自分のクラブなので、宮殿のような建物のRACをロンドンでの定宿にしていたので、存分に典型的なブレックファストを賞味してきたということであろうか。

   朝起きて、メンバーズ・ダイニングに行く(当然スーツ着用)と、ウエイトレスがおもむろに席に案内してくれ、私は、バーカウンターにあるFTやTHE TIMESを持ち込み、席に座る。オーダーを取りに来るので、多少メインは変わるが、何時も迷わず、フル・ブレックファストをオーダーする。
   メニューには、イングリッシュ・ブレックファスト等と野暮な表示はなく、THE CLUBHOUSE BREAKFASTである。
   CONTINENNTAL BREAKFASTに次のものが追加される。
   まず、第一は、私の何時も注文するもので、
   たまご2個(ポーチ、フライ、スクランブルか、ボイル何れか)、アイルシャーのベイコン、カンバーランドのソーセイジ、ブラックプディング、ロースト・トマト、グリル・きのこ、そして、刻んだキャベツとジャガイモと肉の炒め物(Bubble and Squeak)である。
   他の選択として、マン島のニシンの燻製、スモークサーモン、フィンナンのタラ、ブルックランドの朝食オムレツ、或いは、メイプル・シロップのパンケーキ、と言ったところ。
   私は、魚料理を注文することもあるが、大体新鮮ではなく塩辛いので、やめることが多い。
   それに、ジュースとブラックかホワイトのトースト、それに、コーヒー。このトーストは、3角形で薄く焼け焦げ状態で、たっぷり、バターとジャムを塗って食べると頂けるが、豊かなフランスパンとは大分違う。
   安いか高いか、これが、12.5ポンド、約2.500円であった。
   口絵写真は、その時サーブされた最初の皿である。

   さて、ロイヤルホストのイングリッシュ・ブレックファストのプレートは、下記の写真の通り。
   イングリッシュブレックファスト English breakfast
   1,230円(税込1,353円)
   フライエッグにグリルトマト、ベーコン、ベイクドビーンズ、ソーセージを盛り合わせた英国スタイルのモーニングプレートです。と言うことである。
   イングリッシュ・ティの場合もそうで、日本でサーブされているイギリスものは、実際とはかなり違うのだが、
   まあ、日本だから、こんな所であろうかと思いながら、懐かしく頂いた。
   
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鎮守の森のヤブツバキを思い出す

2024年04月03日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   椿に魅せられて栽培を続けて久しいが、私の椿に対する記憶は、もう何十年も前の幼少期に始まる。
   特に印象に残っているのは、村はずれの神社の境内にあったヤブツバキの大木で、落ち椿が地面を鮮やかに赤く染めていたのを覚えている。
   鎮守の森のヤブツバキである。
   参道の両側を、椿の鬱蒼とした大木に覆われると薄暗くなるほどで、何故だか、椿と言えば大木のイメージしか残っていないのが不思議である。

   この口絵写真は、わが庭に植わっているピンク加茂本阿弥の実生苗の赤い椿だが、一寸違うが良く似た雰囲気の椿であり、赤い一重の花弁と黄色い筒蘂が特徴である。
   今でこそ、園芸種が多くなって、このヤブツバキを見かけることが少なくなったが、あの頃、宝塚の田舎で植わっていた椿は、総べてと言って良いほどヤブツバキであった。
   関東に来てからは、公園や住宅の庭などで、ピンクの乙女椿を見かけることが多くなったような気がしている。
   佐倉にいた時に、城址公園で昔見たヤブツバキの大木群を見て、懐かしくなった。

   このツバキは、青森県の夏泊半島の椿山が北限で、南限は沖縄の西表島から台湾に及んでいて、学名は、カメリア・ジャポニカ、
   安達瞳子さんは、
   世界数千に及ぶ園芸品種の内、3分の2は、このジャポニカの赤い血が流れている。とくに優れた諸形質を持っているためであろう。我が国が誇るべき常緑の花木であり、世界の母樹である。と言っている。
   花弁の赤色はバリエーションがあるようで、白花もあるという。
   わが庭での実生苗は、すべて雑種だろうが、朱色や赤色が濃くて深みのある花が咲くと嬉しくなる。
   
   

   椿は、他家受粉植物なので、虫媒花であり鳥媒介によって絶えず自然に新種が生まれており、育種家の交配によっても新しい椿が作出されているので、どんどん園芸品種が増えていくのであろうが、遺伝子組み換えはどうであろうか。
   青いバラのように、青い椿が生まれるかも知れない。
   尤も、新種に興味を持つ歳でもなくなったので、今付き合っている椿を大切にしたいと思っている。
   
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