毎年2~3月に、都民芸術フェスティバル助成のオーケストラ・シリーズ公演が催され、切符が手配出来れば(忘れていて売り切れでNHKなど買えないこともあったが)、N響と都響のコンサートを聴きに行くことにしている。
世界の大都市には夫々自慢のオーケストラがあり、例えば、一昨日ピョンヤンで熱烈歓迎を受けて米国籍で初のコンサートを行ったニューヨーク・フィルなどは、ニューヨークのみならず米国最古で屈指のオーケストラだが、どの都市にも精々2~3の著名オーケストラがあるだけで、ロンドンでも3楽団と非常に少ない。
ところが、クラシック音楽の故郷・西洋の都市でもない東京には、今回の公演に登場するオーケストラだけでも8団体もあり、いわば過密状態である。
結局選ばざるを得ず、独善と偏見で、今年も、19日の都響と27日のN響のコンサートで東京芸術劇場に出かけたのだが、さすがに、両方とも素晴らしい演奏会であった。
都響は、梅田俊明指揮、菊池洋子のピアノで、ベートーヴェンの「皇帝」と、ベルリオーズの「幻想交響曲」と言う非常にポピュラーな曲をそろえた演奏会で楽しめた。
梅田のエネルギッシュで溌剌とした指揮に、菊池洋子のピアノは、悠揚迫らぬダイナミックな、それも実にピュアーで美しいサウンドを奏でて応えていた。
一階の前方にいたので、菊池の白魚のような美しい指が銀板の上を心地よく妖精の様に乱舞するのを眺めながら、ピアノの呼吸まで聞える感じで感激しながら聴いていた。
菊池は全く平常心で、ニコッとしながら登場して、終わってもけろっとした爽やかで嬉しそうな顔をして退場して行ったが、スケールの大きさと言い、大した舞台度胸であり、それに、ザルツブルグのモーツアルト国際コンクール優勝と言うのだから、益々先が楽しみである。
梅田の幻想交響曲は、都響とは相性が良いのであろうか、実に、色彩豊かな情景描写が巧みで、それに、都響の管と打楽器の素晴らしいサウンドを引き出して気持ちの良い演奏であった。
N響は、オーボエ奏者から指揮者に転じたドイツのハンスイェルク・シュレンベルガーの指揮とオーボエ独奏で、ハイドンの交響曲第39番、モーツアルトのオーボエ協奏曲、メンデルゾーンの交響曲第3番「スコットランド」で、透徹したテクニックに裏打ちされた非常に清冽で美しいオーボエの音色と端正な指揮ぶりが印象的で、N響も良くシュレンベルガーのタクトに応えて素晴らしくダイナミックな演奏で聴衆を興奮させていた。
定期会員チケットを持っていると、お仕着せのプログラムなので作曲家や曲を選べないが、単独のコンサートだとそれが可能なので、行くか行かないかは総合的に判断すればよい。
今回は8楽団の揃い踏みで、フェスティバル気分で大衆化と言う意味もあってか、各オーケストラのプログラムも、御馴染みの選曲であった。
今回の8楽団の公演で、一番多く取り上げられていた作曲家は、何故かチャイコフスキーで、交響曲第4番、第5番、第6番に、ヴァイオリン協奏曲の4曲あり、シャスタコーヴィッチの交響曲第5番と、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、グリンカのスペイン序曲を加えると殆ど半数がロシア音楽である。
次に多いのは、東京交響楽団のオール・ベートーヴェン・プロがあるので、皇帝を加えたベートーヴェンで、ブラームス、ハイドン、モーツアルトと言うことになる。
マーラーやブルックナー、ショスタコーヴィッチ等が敬遠されるのは分かるが、バッハ、ショパン、シューベルト、シューマン、それに、もう少しモーツアルトが選ばれても良さそうに思えるのだが、やはり、夫々好みが違うのだから仕方がなかろう。
N響は全席売り切れて当日券がなかったようだが、他のオーケストラには多少空席があったということで、やはり、東京には、世界に伍して行くためにも、精々3つか4つのオーケストラが良い所ではないかと思っている。
(追記)写真は、都響のホームページから。
世界の大都市には夫々自慢のオーケストラがあり、例えば、一昨日ピョンヤンで熱烈歓迎を受けて米国籍で初のコンサートを行ったニューヨーク・フィルなどは、ニューヨークのみならず米国最古で屈指のオーケストラだが、どの都市にも精々2~3の著名オーケストラがあるだけで、ロンドンでも3楽団と非常に少ない。
ところが、クラシック音楽の故郷・西洋の都市でもない東京には、今回の公演に登場するオーケストラだけでも8団体もあり、いわば過密状態である。
結局選ばざるを得ず、独善と偏見で、今年も、19日の都響と27日のN響のコンサートで東京芸術劇場に出かけたのだが、さすがに、両方とも素晴らしい演奏会であった。
都響は、梅田俊明指揮、菊池洋子のピアノで、ベートーヴェンの「皇帝」と、ベルリオーズの「幻想交響曲」と言う非常にポピュラーな曲をそろえた演奏会で楽しめた。
梅田のエネルギッシュで溌剌とした指揮に、菊池洋子のピアノは、悠揚迫らぬダイナミックな、それも実にピュアーで美しいサウンドを奏でて応えていた。
一階の前方にいたので、菊池の白魚のような美しい指が銀板の上を心地よく妖精の様に乱舞するのを眺めながら、ピアノの呼吸まで聞える感じで感激しながら聴いていた。
菊池は全く平常心で、ニコッとしながら登場して、終わってもけろっとした爽やかで嬉しそうな顔をして退場して行ったが、スケールの大きさと言い、大した舞台度胸であり、それに、ザルツブルグのモーツアルト国際コンクール優勝と言うのだから、益々先が楽しみである。
梅田の幻想交響曲は、都響とは相性が良いのであろうか、実に、色彩豊かな情景描写が巧みで、それに、都響の管と打楽器の素晴らしいサウンドを引き出して気持ちの良い演奏であった。
N響は、オーボエ奏者から指揮者に転じたドイツのハンスイェルク・シュレンベルガーの指揮とオーボエ独奏で、ハイドンの交響曲第39番、モーツアルトのオーボエ協奏曲、メンデルゾーンの交響曲第3番「スコットランド」で、透徹したテクニックに裏打ちされた非常に清冽で美しいオーボエの音色と端正な指揮ぶりが印象的で、N響も良くシュレンベルガーのタクトに応えて素晴らしくダイナミックな演奏で聴衆を興奮させていた。
定期会員チケットを持っていると、お仕着せのプログラムなので作曲家や曲を選べないが、単独のコンサートだとそれが可能なので、行くか行かないかは総合的に判断すればよい。
今回は8楽団の揃い踏みで、フェスティバル気分で大衆化と言う意味もあってか、各オーケストラのプログラムも、御馴染みの選曲であった。
今回の8楽団の公演で、一番多く取り上げられていた作曲家は、何故かチャイコフスキーで、交響曲第4番、第5番、第6番に、ヴァイオリン協奏曲の4曲あり、シャスタコーヴィッチの交響曲第5番と、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、グリンカのスペイン序曲を加えると殆ど半数がロシア音楽である。
次に多いのは、東京交響楽団のオール・ベートーヴェン・プロがあるので、皇帝を加えたベートーヴェンで、ブラームス、ハイドン、モーツアルトと言うことになる。
マーラーやブルックナー、ショスタコーヴィッチ等が敬遠されるのは分かるが、バッハ、ショパン、シューベルト、シューマン、それに、もう少しモーツアルトが選ばれても良さそうに思えるのだが、やはり、夫々好みが違うのだから仕方がなかろう。
N響は全席売り切れて当日券がなかったようだが、他のオーケストラには多少空席があったということで、やはり、東京には、世界に伍して行くためにも、精々3つか4つのオーケストラが良い所ではないかと思っている。
(追記)写真は、都響のホームページから。