熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ドイツの対米外交・・・H.シュミットの「ヨーロッパの自己主張」

2006年05月31日 | 政治・経済・社会
   ブッシュ大統領は、オニール財務長官を切って、今度はスノー財務長官も更迭してしまった。
   経済が好調なのに、宣伝が下手なので大統領人気が地に落ちてしまった、責任を取れと言うことであろうか。

   さて、先の国連安保理の改革で、アメリカは、ドイツの加盟が許せないので、日本などの提案した改革案を葬り去ってしまったと言われている。
   なぜ、米独関係がそんなに悪化しているのか、H.シュミット元西ドイツ首相の「ヨーロッパの自己主張」を読んで見て少し分かったような気がした。

   シュミットは、アメリカの金融資本主義と自然科学研究における先端技術に関する卓越した実力は認めているが、外交面での「世界のリーダー」には可なり誇張があると言う。
   アメリカの外交政策は、対ヒットラーや第二次世界大戦や冷戦の時代と比較すると、最近はあいまいで先が読めず、将来緊張が高まると思われる中国やロシアに対して、そして、コソボやユーロ導入後のヨーロッパに対してもぐらついていると言うのである。

   アメリカの戦略の一貫性を欠く最大の要因は、冷戦でソ連を破ってから国内問題に集中して、政官学ジャーナリストなどに有能な人材が居なくなり、外政に対する禁欲と無視が主流となっている。
   このような状態の下では、唯一の超大国としてのアメリカの地位を確保・持続する為に戦略的情熱を燃やす一握りの人間が絶大な影響力を行使し、アメリカが「ユーラシア大陸」を支配する使命を帯びているのだなどと考えられては大変だと言うのである。
   現実には、アフガニスタン、イラク、そして、イラン等の中東での覇権強化、NATOの基礎である北太西洋条約の条文を超えた域外作戦など、アメリカの目論みは明白であろう。

   アメリカは、NATOに加盟して、軍拡に精を出していたソ連の脅威に対する楯となってくれていた時期は良かったが、今や、未来の不特定の敵との摩擦を想定したありがた迷惑な世界主義国になってしまった。
   これは、ヨーロッパにとって厄介な状況を生みかねないし、NATO加盟のヨーロッパの国が、自国ないしEU共通の利害のない何処かの紛争に関与することがあり得ることになる。

   コソボ問題について、アメリカは「基本的人権擁護を目的とする将来の軍事介入の手本」だと言うが、これは国連憲章や主権国家の国境を侵害すべからずと言う国際法の原則が無視されている。
   戦争目的や戦略、手段や指揮について、NATO諸国とアメリカの軋轢は増大しており、欧州諸国間でも意見が割れてEUを破綻させる衝突が起こらないとも限らない状態に至っている。
   
   欧州共通外交・軍事政策が有効に機能するまでには何年もかかるが、その間、アメリカはバルカンや中近東での殺戮を伴う危機に、戦略上の利害や内政の都合次第で、外交上・商業政策上の圧力をかけて、ヨーロッパの強力を求めてくるだろう。
   それに対する共通の返答を用意していなければ、EUの存続自体が危うくなってしまう、とシュミット言う。

   ソ連が崩壊して冷戦が収束しヨーロッパに平安が戻った段階で、アメリカはヨーロッパにとってお荷物になってしまった。
   ヨーロッパの再建の為に忙しくて、出来れば、自分勝手な理想と世界戦略で暴走するアメリカ主導の揉め事に関わりたくない、そんなところが本音であろうか。
   ネオコン主導のブッシュ政権と相容れる筈がない。

   このシュミットの本、主体はヨーロッパだが、「TVでも、インターネットでも、映画館でも、何処に行ってもアメリカがあり、近代技術は世界中に劣悪なエセ文化を振り撒き、娯楽番組で同じ画面を見て育った文化で、しだいに世界が染まってゆくと思うと身震いを禁じえない」とアメリカ文化を糾弾している。
   アメリカ嫌いは、フランスの場合は、もっともっと強烈だが、日本人の頭には、いつも「欧米」と一まとめにヨーロッパとアメリカを見る傾向があるが、これは現実・事実認識の欠如の最たるものであろうと思っている。
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阪神と村上ファンド

2006年05月30日 | 経営・ビジネス
   阪急は、昨日、村上ファンドとの阪神株買収交渉が纏まらず、時間切れで村上ファンドの了承を取らずに、阪神電気鉄道株を一株930円でTOBすると決議し発表した。
   村上側が1200円台、阪急が800円台の提示価格でスタートし900円台まで近づいたが数十円の溝が埋まらずに終わっていると言う。

   今日、IBMの「中堅企業イノベーション・フォーラム2006」で、企業買収の第一人者である一橋大学佐山展生教授が、「M&A戦略と企業価値向上」と言う演題で講演をし、阪急側のアドヴァイザーの立場で、この問題について語った。
   村上氏とは、三共・第一製薬の合併の時も、三共の大株主とアドヴァイザーの立場で対立したようで、今回は二回目とのことである。
   村上氏の言い分の95%は正しいし、株主の存在を世に知らしめた功績は大きく、高く評価していると言いながら、村上氏との企業買収に対する哲学の違いについて説明した。

   村上氏は、「一円でも多く儲けて投資家に返すことが使命だ」と言っているが、佐山氏は、「投資した対象会社を良くして株価を上げてキャピタルゲインを得ることが大切だ」と言う。
   会社に余剰資産や余剰資金があると、それを使うべきで使わなければ株主に還元せよと言う。しかし、そうすることによって企業価値が下がっても、吾感知せずと言うが、言っていることとやることが全く違う、と佐山氏は非難する。

   経営権を支配しないと言うことで株式の5%取得の報告義務を免除する特例を利用しながら、今度の株主提案で取締役の過半数を支配することを意図しているが、これは経営支配であるにも拘らず、「経営監視」だと言い逃れようとしており、全く素人が電鉄会社を経営など出来る訳がないとも言う。

   今回、日本の金融当局の監視監督を逃れる為にシンガポールに設立した会社には企業の経営も目的に入っているようだが、村上ファンドは、本来、グリーンメーラーで、株を取得して株価を吊り上げて売却して利益を上げるだけが目的の会社であり、株式の長期保有も会社の経営も関心がない筈である。

   株主総会で、村上提案が採択されて村上ファンド側の役員に経営権が移った場合を考えれば、阪神の経営はガタガタになり、株価暴落は筆致である。
   結局大損をするのは村上ファンドで、もし、経営権を掌握しても阪神を切り売りするだけで益々企業価値が下がり日本社会の反発を招くのでそのようなことは起こり得ない。
   もっとも、阪急のTOB条件の変更や村上ファンドは高いオファーがあれば誰にでも売ると言う姿勢を示しているのでハゲタカ・ファンド等への売却なり、要するに、何でもあろう。
   しかし、いくら、資本主義の原則に則った商行為であっても、日本の社会が認めなければ、即ち、日本の世論が許さなければ成功するはずなど有り得ないし、それが、日本の公序良俗であって日本の社会規範であり、今でも立派に作用していると思っている。

   結局、一部の保有株を残すかも知れないが、村上ファンドとしては、930円の阪急のTOBに応じて持ち株を処分して利益を確定せざるを得ないと思われる。
   阪急としては、このままほって置いても、袋小路に入った村上ファンドの立場が悪くなるだけなので熟柿のように掌中に落ちてくるので痛くも痒くもないと思う。
   しかし、経営状態の良くない阪急としては、巨額の買収資金は今後の経営を可なり圧迫するので、統合後の経営の舵取りを余程上手くしないと大変であろう。

   問題は、やはり、優良資産を遊ばせて活用しなかったバリュー株の阪神の経営不在の無能経営が引き起こした悪夢が端緒であったことには変わりない。
   また、阪神が優勝しても300円台にしか評価しなかった日本の株式市場の異常さにも問題があろう。
   日本の経営と株式市場に警鐘を鳴らした村上ファンドの功績は、佐山先生の仰る如く認めなければならないのかも知れないが、村上ファンドが買うとその後を追っかけてその株を買いに出て儲けようとする一般株主が情けない。

   
   
   

   
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日経・景気討論会・・・2%台成長基調

2006年05月29日 | 政治・経済・社会
   久しぶりに日経ホールで開かれた景気討論会に出てみた。
   いざなぎ景気を超える戦後最長の好況と言う感じで会場の雰囲気は明るかったが、巷の常識的な経済観を繰り返すだけで、何故そうなのか、長期的な視点に立った論陣を張る論者は誰も居らず、私には全くの消化不良の討論会に終わった。
   
   景気については、どうしてもマクロ的なGNP、GDP分析から、その成長率を論じ、需要側からの分析が主体になり、民間の個人消費、民間設備投資、公共支出の伸びがどうかと言うことになるが、早い話、三面等価の原則で、同じGDPでも、生産、又は、分配の側から分析すれば、全く毛色の違った経済、景気の姿が見えてくる。

   色々議論されていたが、吉川洋東大教授の論点で要を得ているので纏めてみると次のとおりであった。

   日本経済は、昨年3%成長を果たし安定成長期に入り、今年末から来年にかけてこれを持続し、2006年度は2.5%、2007年度は2%の成長が見込まれる。
   昨年の経済成長においては外需の貢献度はゼロで、民間消費や民間設備投資など内需が好調であったことを示してる。
   銀行等の不良債権の処理が収束し、民間企業の高度な技術が勢いを盛り返してファンダメンタルは良好で成長持続力はついており、安定成長を維持する。
   外的要因については、アメリカの経済は長期的に安定しており、原油の値上がりについてはエネルギー効率のアップで対処でき、為替レートについては大きな異常な変動はないと思われる。
   金利は、政策金利がゼロだが実質金利は2%くらいで、今後、金利のアップ、株や為替への影響など注意する必要がある。
   火の車の財政政策については、歳出の抜本的削減、次に、増収、次に、税制改革と言う優先順位で早急にプライマリーバランスをゼロにしなければならない。
   また、政策のもう一つの柱は、日本経済の成長力強化、競争力強化政策で、成長なければ財政再建もない。

   吉川教授の最後のコメントは、「数年前から、日本の労働人口は減少基調にあるが、2%前後の経済成長を維持している。人口減少下での経済成長と言う異常な状態を維持している日本経済の力を認識しなければならない。」と言うことであった。
   経済学的には、経済成長=人口増×生産性の上昇、であるから、日本の技術力のアップによる経済成長力が高く、日本経済には十分な経済競争潜在力があると言うことであろうか。

   ところで、今ベストセラーの経済学書ハリー・S・デント・ジュニアの「バブル再来」に面白い人口に対する議論が展開されている。
   デント自身、人口特性トレンドを重視した未来予測で、日本の長期不況やアメリカの株式ブームを的中させ、今、2009年までのブーム再来を予測しているのだが、単純明快で、アメリカの人口統計を50年ずらせて予測しているのである。
   しかし、デントの凄い所は、経済循環への造詣が深く、特に80年サイクルでのイノベーションの役割を的確に分析していることで、今度の経済の好況局面と株式バブルの予言もこれ等を人口トレンドと縦横に錯綜させながら予測をしていることである。
   今回のIT革命もITバブルではなく、その後のインターネットやブロードバンドの全産業に対する浸透と影響、そして経済への革命的インパクトを分析しているのである。

   余談だが、TVでも、新聞でも、所謂経済評論家とか経済学者とかが景気を論じているが、殆ど当らないし参考にもならないケースが多いが、経済学に対する最低限の知識さえあるのかどうか疑わしい人が居る。
   誰でも経済生活を営んでおり経済学は身近なもので分かっているような気になるが、本来、経済学は、複雑で極めて高度な難しい学問なのである。
   日経が、コマーシャルで、『私の経済力』等と言っている次元で経済が分かれば苦労はしないし、日経を理解するにも結構経済学や経営学の基礎知識が要求されている。
   自動車の運転には免許書が必要だが、経済学も同じで、我々が学生の頃は最低限度サミュエルソンのECONOMICSは読まなければならなかった。今では、マンキューやスティグリッツのマクロ・ミクロの経済学であろうか。
   慣れと経験と勘だけで雑誌や新聞等メディアの情報を上手く繋ぎ合わせて経済や景気を論じているエセ××家が多すぎる、だから、これだけ日本経済の不況が長引いて、あたら貴重な時間と国富を失ってしまったのである。

   
   
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小澤の代わりに振ったブラームス・・・アルミンクの新日本フィル

2006年05月28日 | クラシック音楽・オペラ
   木曜日の夜、錦糸町のトリフォニーで新日本フィルの定期を聴いた。
   本来、小澤征爾が指揮する予定であったが病気の為に、音楽監督クリスティアン・アルミンクが、そっくりプログラムを引き継いで代わりに指揮台に立った。
   入り口では、一回公演券の差額払い戻しを行っていた。
   小澤だと14000円だがアルミンクだと7000円になる。これが市場価値の差であろうか。

   軽快なスメタナの「売られた花嫁」序曲で始まったが、次のブラームスは、ヴァイオリン協奏曲と交響曲第一番のオーソドックスなプログラム。
   何十年も前に、初めて小澤征爾の演奏を聴いたのは、フィラデルフィアのアカデミー・オブ・ミュージックでのボストン交響楽団でのブラームスの交響曲(何番か記憶にない)だったので、このシーズン最後の演奏会に期待していたのだが仕方がない。
   しかし、アルミンクも大変な熱演で、小澤の代役を無事に果たしたと言う満足感であろうか、楽団員と嬉しそうに喜びを分かち合っていた。
   日本に大分慣れたのか、この頃アルミンクのお辞儀の仕方も日本人のようになってきている。

   三大ヴァイオリン協奏曲の一つと言われて最初に聞いたクラシック音楽の一つが、このブラームスの協奏曲で、レコードで何度も聞いたが、バービカンでアンネゾフィー・フォン・ムター独奏・ロンドン交響楽団のコンサートを聴いた記憶がある。
   今回のソリストは、久方ぶりのドイツの大型女流ヴァイオリニストと言われるアラベラ・美歩・シュタインバッハーで、ベノワ・ロランの弓はムター個人から貰ったものだと言う。
   この曲はブラームスがオーケストラ部分を過剰に緻密に書き音量でソロのヴァイオリンの音色を押さえたりその上厄介な箇所が多くて、ソリストが最も体力を消耗する曲だと聞いていたが、アラベラは実に優雅に素晴しい音色を日本音楽財団から貸与されているストラディヴァリュースから紡ぎ出し観客を魅了した。
   ギドン・クレーメルを筆頭に実に個性的な演奏スタイルで舞台を動き回るヴァイオリニストなど色々居るが、アラベラは、実に端正なスタイルで美しいボーイング、舞台姿が何とも言えないほどエレガントで感動的である。

   交響曲第一番、ベートーヴェンの第十番だとも称される悲劇的な雰囲気の大曲だが、運命との戦いがテーマとも言われ、とにかく、メリハリの効いた重厚な曲で、新日本フィルが本当に上手くなったなあと思えるほど燃えていた。
   先月のコンサートで、アルミンクが今回の代役を意図して意識的にプログラムをブラームスに切り替えて演奏したが、あのブラームスの音楽がこの最後の第一番で凝縮したような感じがして聴いていた。

   クラシック音楽情報誌「ぶらあぼ」6月号に、「音楽の力で、あなたを「誘惑」します」と言うタイトルで、クリスティアン・アルミンクのインタビュー記事が載っている。
   今年は「誘惑SEDUCTION」で、これまでは、「愛LOVE」「生LIFE」「信FAITH」と毎年そのシーズンのテーマを決めてプログラムを組んでいることを紹介しているが、これも面白いが、やはり、毎年コンサート形式のオペラをプログラムに組んでいることも大変な特質である。
   今年は、ワーグナーの「ローエングリン」で、大いに期待が出来る。

   定期も演奏回数が減って、小澤指揮の回数が年一回と減ってからは、小澤征爾のオーケストラと言う感じが少しづつ薄れて来ていて、今は、アルミンクの新日本フィルになった感じである・
   定期の半分はアルミンクが振っているが、プレトークを含めてアルミンクの新日本フィルへの貢献は極めて大きい。

   
   
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中村吉右衛門歌舞伎・・・石川五右衛門と紅長

2006年05月27日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   歌舞伎座で團菊祭をやっていながら、数町離れた新橋演舞場で、中村吉右衛門を座頭にしたこれまた充実した「五月大歌舞伎」を公演しているのであるから松竹歌舞伎も凄い。

   今回は、夜の部だけしか見ていないが、石川五右衛門と「松竹梅湯島掛額」の紅屋長兵衛のとぼけた吉右衛門の舞台であるから両方ともに中々愉快な面白い公演であった。
   それに、その間に、「京鹿子娘道成寺」で中村福助が、白拍子花子の華麗な舞を見せてくれたので、とにかく、華やいだ夜であった。

   「石川五右衛門」は、百済王直系・琳聖太子の子孫由緒正しい大内家の末裔、天下を騒がす大盗賊でありながら天下を掌中に納めようと大望を抱く。
   足利家に勅使としてやってくる呉羽中納言から勅書を奪って、中納言に成りすまして足利家を訪れて、朝廷から足利義輝に預けた太政官の御正印を奪おうと企む。
   そこへ供応役の藤吉久吉(染五郎)が出て来て3千両で手を打とうと申し出る。しかし、皆が退出すると、身元を知っている藤吉は、「友市」と幼馴染の名前で呼びかける。
   ぎょっとするが威厳を保ちながら藤吉の顔を見るまでの五右衛門の表情が面白い。幼馴染に戻った二人が、かたや大泥棒になった経緯を、かたや立派な重臣になった経緯を頬杖をついて語り合う姿がまた面白い。
   どちらもマトモナ道を歩いて来ていないので話が弾むのだが、大盗賊と雅な公家を演じ分ける吉右衛門の芸の確かさ。

   藤吉は、売りたいものがあるといって五右衛門の育ての父次左衛門(段四郎)の入った葛篭を見せたので、仕方なくそれを買って背に背負って屋敷を去る。
   この葛篭が中空を移動し、花道スッポン上空から中村吉右衛門が、『中村吉右衛門宙乗りにてつづら抜け相勤め申し候』と、一挙に葛篭から飛び出して葛篭を背負った形になり、花道の上を上下しながら3階の後方へ消えて行く。

   最後は、南禅寺山門での「絶景かな、絶景かな」の舞台で、華麗な山門の真ん中にどっかと五右衛門が座っている。
   何となく山門が小さいので感じが出ないが、何度か上っているのだが、確かに南禅寺の山門は高くて壮大な建物であり、前の立ち木が少し邪魔にはなるが京の町が良く見える。
   山門下に藤吉が現れて「石川や浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」と門柱に書き記し、二人が対峙しながら幕となるが、吉右衛門と染五郎の息のあった舞台であった。

   最後の「松竹梅湯島掛額」だが、吉祥院の小姓吉三郎(染五郎)とお七(亀治郎)の話であるが、最後の火の見櫓の太鼓は木戸を開けさせる為に叩く話になっていて火事とは関係がない。   
   この大詰めの「四つ木火の見櫓の場」で、お七の亀治郎が、人形遣いに操られて人形振りのお七を演じる。
   文楽の人形は極めて動きがスムーズで、ヨーロッパのマリオネットのようにぎこちなさがないので歌舞伎役者が人形振りを見せるのは中々難しい。
   去年、日高川で清姫を玉三郎が人形振りで演じて観客を魅了したが、今回の亀治郎も実に器用である。
   動きがぎこちなくなると人形らしくなるが文楽の人形ではなくなる、しかし、亀治郎は、顔の表情や手の動きを工夫こらして上手く演じていた。

   狂言回しのような軽くてひょうきんな紅長を演じる吉右衛門は、庶民になりきって正に地を演じている感じで、お七を陰からけしかけたり、二人の睦言が佳境に入ってくると柱に足をかけて身をくねらせたり、兎に角芸が細かい。
   真言密教の土砂加持で使う振りかけると硬直した身体や心が忽ち柔らかくふにゃふにゃになると言うお土砂を、所かまわず人かまわずに振りまいて、吉祥院は大騒動。
   兎に角、お七と下女以外は皆お土砂をかけられて舞台にバッタバタ、役者ではない黒衣やつけ打ちや幕引きまでもなぎ倒すのであるから、最後は吉右衛門が幕を引いた。
   
   舞台途中で、観客姿の役者が花道から駆け込み、吉右衛門とデジカメで記念写真をパッチリ。それを追っかけてきたお姉さんにもお土砂をふり掛けたが、これもふらふらと舞台に沈没。
   ところが、このお姉さんの醸し出す女の色香がムンムン。よく考えてみれば、歌舞伎に綺麗なお姉さんがサービス係の制服で出て来て舞台で身をくねらせて倒れるのなどは、前代未聞。この世にないあだ花の世界を演じるのであるから歌舞伎の女形は妖艶で美しいのだと雀右衛門さんは言うのだが、本物の女性の女の色香には勝てないということであろうか。
   
   余談だが、團十郎と波野久利子との女系図、純名りさとの海老蔵の信長、樋口可南子との三津五郎の近松心中物語の方が、何故か新鮮で面白かったような気がする。
   
   ところで、亀治郎のお七は実に初々しくて、一途に吉三郎を思いつめる女心の表現が実に上手い。
   一寸高音で頭に抜ける声音が気になったが、美形ではなく孝太郎に似た性格型の女形ながら、こんなに女らしい女を演じられる役者も少ない。
   去年ののNINAGAWA十二夜で、オリヴィアの侍女マライアを演じて、オリヴィアの執事マルヴォーリオ(菊五郎)を散々コケにして笑わせる役を演じたが、あの時も、一寸おきゃんでユーモアのある演技に感銘を受けたが、素晴しい役者である。

   面白かったのは、信二郎の道化もどきの長沼六郎役で、イナバウアースタイルで花道を下りたり永谷園のふりかけで舞台を笑わせたり、二枚目ながらユーモアたっぷりの愉快な舞台を見せてくれた。
   ギャグあり珍芸あり、一寸吉本に似たこの「松竹梅湯島掛額」は結構面白い楽しい舞台であった。
   
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巨大市場インド経済の現状セミナー・・・榊原英資氏早大教授に転身

2006年05月26日 | 政治・経済・社会
   経団連ホールで、終日、早稲田大学インド経済研究所設立記念シンポジュームが開催されて、熱心な聴衆が集まり、インド経済の現状について認識を新たにした。

   駐日インド大使館と日経の後援で、証券会社の協賛を得たシンポジュームであるが、榊原英資氏が慶應大学から早稲田大学に移籍してインド経済研究所の所長として本格的にインド学を専門にやろうとする記念すべきセミナーで、日頃のインドに対する薀蓄を傾けた講演で幕が開いた。

   「インド経済の現状」については、インド国際経済関係研究所会長イシャー・アルワリア博士が詳細に説明し、「インド投資環境の現状」については、ウィプロ社のアジム・プレムジー会長が講演し、その後、榊原教授の司会で、パネルディスカッションが持たれた。
   
   午後からは、一寸毛色が変わって「早稲田大学インド投資セミナー」で、近藤正規国際基督教大準教授の「投資市場としてのインド」に引き続いて、インドからの専門家による「マクロ経済の現状」「インドへの直接投資」「株式市場の現状」「不動産市場の現状」について講演と質疑応答がなされた。
   数日前のインド株式市場の暴落もあって熱心にセミナーが進められていた。

   榊原教授は、インドに関わったのは2000年からだとウィプロ社の社外取締り役としての経験から説明。
   1991年の経済改革からインド経済の成長が加速し、現在は第二の成長段階に入り、中国に続いて経済大国への道を昇り始めたが、日本のインド経済との関わりは、中国韓国等から大きく遅れをとっている現状を説いた。
   現在、インド政府は、インフラ整備、産業の育成、貧困の撲滅等積極的に経済および構造改革を進めていて、中国に劣らない経済成長を続けている。
   東南アジア共同体の拡大とインドを主とする南アジア経済圏との接近は当然の帰結で、インド経済市場との密接な協力関係なくして日本経済の将来の発展は望み得ないと言うことであろうか。

   インドの国際経済に占める強みは、やはり、IT関連の世界のアウトソーシング基地、バックオフイスとしてのソフト力に負うところが大きいようだが、ITをインデアン、チャイニーズの略語だと言われるくらいインド人のハイテクIT技術力には定評がある。
   とにかく、ゼロを発見した国であり、九九は子供でも20×20まで覚えている国だから、アメリカでインド人の数学能力には度肝を抜かれた経験がある。

   イギリスには、巨大なインド人社会があり、旧大英帝国のコモンウエルスを筆頭に世界全体に印僑が住んでいて、国連や世界銀行など国際機関の職員はインド人が一番多くて、インド人の世界での影響力は抜群である。
   その上、本国には10億以上の人口があり、近く一人っ子政策の中国を凌駕すると言う。
   インドのもう一つの強みは、中国とは違って同じ地盤に立った民主的な資本主義国であると言うことであろうか。
   何となく、まだ、カントリーリスクの比較的高い国と言う気がしているが、本で得た知識とは違って、今日のシンポジュームで少し別な角度からインドに対する知識が増えたような気がする。
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「ポンペイの輝き」展・・・Bunkamura

2006年05月25日 | 展覧会・展示会
   西暦79年、イタリアのヴェスヴィオス火山が爆発して一日にして光り輝いていたローマの都市ポンペイとその周辺都市を地中に埋没させてしまった。
   その豪奢で活気溢れていたローマ文化をその日を最後に化石のように凍結してしまったのだが、その輝きを蘇らせて展示しているのが、今、渋谷の東急Bunkaburaのザ・ミュージアムで開かれている「ポンペイの輝き」展で、大変な人で賑わっている。

   沢山の素晴しい宝飾品や日常の生活道具から、壁画や彫像等目を見張る素晴しい歴史的な遺品、そして、溶岩に飲み込まれて死んでいった人々の断末魔の姿や逃げ場を失って死んでいった人々の骸骨などが会場一杯に展示されていて、一種異様な興奮状態にさせる雰囲気である。

   私が特に注目したのは、この口絵の「竪琴弾きのアポロ」を中心とした3面の壁画で、最近描いたと思えるほど新鮮で鮮やかな輝きのフレスコ画である。
   高さ2.5メートル、幅5メートルほどの壁画3面で、真ん中にアポロ、そして左右に2対のムーサ(ミューズ)が描かれており、他の2面も綺麗なムーサが3体づつ描かれている。
   このアポロは、ここを訪問した皇帝ネロを描いたものだとも言われているとか。
   ポンペイ郊外のモレージネ地区で、1959年に高速道路建設中に見つかったが工事続行の為に埋め戻されて1999年に再発掘されたものだが、2000年の間、この新鮮さを保てたのは、地下水にどっぷり浸かっていたお蔭で腐食も変色もしなかったのだと言う。

   もう一つは、会場入り口に素晴しい姿を見せるパピルス荘で発掘された「ヘラの全身像」と「アマゾンの頭部」の2体の大理石像である。
   実に美しい彫刻で、アマゾンの頭部は、ルーブルのミロのビーナスに匹敵する美しさであり、それが、目の前に無造作に置いてあり感激である。
   このパピルス荘は、カエサルの義父ルキウス・カルプニウス・ピソ・カエニウスのものだったとかで、1750年に発見され膨大な歴史遺品を輩出したと言う。

   兎に角、金の指輪や装飾品の数は夥しく、その精巧さと美しさにはビックリするが、皮肉にも、火山の大爆発の為に一瞬にして埋没した為に、歴史的な遺品として残ったのであり、ローマのフォロロマーノの遺跡には何も残っていないのと比較すると面白い。

   私は、1985年に、丁度、ヨーロッパに赴任した年に家族とこのポンペイを訪れて、廃墟の街を歩いている。

   実際には、それ以前の1973年にアメリカ留学中にヨーロッパ旅行をして、ポンペイの入り口まで来たのだが閉館で入れなかった。
   午前中にナポリに入ったのだが、まず、ホテルにチェックインしてからと思ってホテルに入り昼食を取ったのが悪かった。
   兎に角ここはイタリア、簡単なはずの昼食が中々出てこなくて、その上イタリア語が分からず四苦八苦して2時間以上を無駄にして、駅に向かってローカル列車に乗ったのは良かったが中々着かず、着いたら時間切れ、最初の異国旅はそんなものであった。

   1985年の時は、ローマを拠点にしてバス・ツアーを利用して出かけたのでポイントは見学出来たが、何故か、殆ど記憶はない。
   凄い街が当時建設されていたのだなあと感に堪えなかったが、細かいことは、綺麗な壁画の前で女画家が壁画を模写していてその絵を買ったことなど僅かしか覚えていない。

   そんなことどもなど、何度かのイタリア旅を思い出しながら小一時間会場で過ごしたが、充実した楽しい時間であった。

   
   
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人類は危機に瀕した地球を救えるか・・・レスター・ブラウンの叫び

2006年05月24日 | 地球温暖化・環境問題
   地球環境問題では世界的権威であるレスター・ブラウンの『経済発展と食料・エネルギー・環境問題~地球環境の視点から~』と言う貴重な講演を聴いた。
   第一回三井物産環境基金セミナー~環境と経済~の一環で、その前に、同じ演題で寺島実郎氏が、世界経済の現状を分析し、
21世紀に入ってから、世界全体が異様なまでに経済の高度成長の同時化局面に突入して、三つのE,即ち、エコノミー、エンヴァイロンメント、エネルギーのバランスを崩して、持続可能な成長を危うくする危険な状態にあることを説いた。

   レスター・ブラウン氏の主要論点を私なりに纏めると次のとおりである。

   現在、世界経済は、地球の自然の限界を超えつつあり、人類の文明は衰退し崩壊しかねない状態にある。
   人類全体の需要が初めて地球の再生能力を超えたのは1980年頃だが、一度再生可能な範囲、即ち、自然の限界を超えて崩壊すると取り返すことが不可能となり、シュメールやマヤやイースター文明のように滅び去ってしまう。

   これを回避する為には、化石燃料依存型で車中心の使い捨てのオールド経済から、『リサイクルやリユースのニュー経済(エコ・エコノミー)』に切換わらなければならない。
   風力、太陽光、地熱、水力、バイオ燃料など豊富な再生可能エネルギー源が主流となろう。
   風力発電、自転車専用道路、屋根上ソーラーパネル、古紙再生施設、森林再生などのエコ・エコノミーが一つづつ増えるごとに維持可能な経済環境に近づく。

   ピークオイルが何時来るのか分からないが、既に需要が供給をオーバーして石油の高騰が続いていて諸物価に影響を与えているが、更に高騰すると食料物価に大きく影響する。
   何故ならば、「口にするものは殆ど何でも自動車の燃料になる」ので、スーパーとガソリンスタンドが、小麦、トウモロコシ、大豆、サトウキビ等の農産物をめぐって競争するからである。例えば、小麦ならスーパーではパンに、ガソリンスタンドではエタノールに形を変えて。
   食料の供給力の圧迫と高騰は、食料としての穀物を輸入出来なくなる世界の最貧国を直撃することになる。

   石油は中東の一部の国に依存しグローバリゼーションを促進してきたが、エネルギー源が風力、太陽電池、地熱等再生可能なものに移行してくるとローカリゼーションが進むことになる。
   石油や資源、農産物等供給過剰基調の余剰の時代から、不足の時代の地政学が出現し、中国やインドの加入により熾烈な争奪戦の時代に入っている。

   未来は中国を見れば分かる。中国が成長を維持しアメリカ並みになるのが2031年だとし、その時アメリカ並みの生活を維持するなら世界の資源は悉く危機に瀕するのは自明の理であろう。  
   グローバル化し相互に依存する経済では、「一国の混乱」は「世界の混乱」を引き起こす。
   国家の利益と言う概念が意味を成さない時代に突入してしまったことを忘れてはならない。

   新しい経済の鍵となるのは、市場にエコロジーの真実を正しく伝える機能を持たせることである。
   共産主義は市場の真実を伝えることが出来なくて滅びたが、このグローバル化した世界も、生態系エコロジーの維持保全に如何にコストが掛かっているかを市場に伝えて、資源を野放図に浪費するいびつになった経済を立て直さなければならない。
   長江流域の大洪水で中国が、『地に生えている木が伐採された木の3倍の価値がある』ことを悟って森林伐採を禁止した。
   環境維持保全コストを加味した環境税の導入も有効であろう。
   
   レスター・ブラウンは、気が遠くなるほどの現実を前にしても希望を持っている。
   汚染と破壊と紛争の世界から、現状維持のプランAではない「プランB」を提案して希望の世界を目指そうと提案している。
   1.総ての環境破壊は事実上自分達がもたらした
   2.超工面している問題は、いずれも既存の技術で対処できる
   3.世界経済を環境的に維持可能な道に導く為に、しなければならないことはすべて、一つ以上の国で既に実現している
と言っている。
   アメリカや中国の入っていない京都議定書の不備を言うのではなく、もう待ったなし、気付いて立ち上がった国、人々からプランBを実践してこの地球を守っていこうと提言しているのである。

   私もレスターブラウンにエールを送りながら「プランB」にサインを貰って握手し会場を後にしたが、書物を求める若い人々の長い行列が、マンダリンオリエンタルの3階ロビーを埋めていた。
   
   余談だが、私の学生の頃に、アウリオ・ペッティ氏が中心となって出版されたローマクラブの「成長の限界」と言う本が世界中で話題になった。
   やはり、経済成長の問題を真摯に捉えて世の中に人類の将来に対して警鐘を鳴らした本だが、丁度、その後アメリカに行ったので関心を持って勉強した。
   メキシコのモンテレィに行った時、フィラデルフィアでの友人であったリカルド宅にお世話になったが、工業都市でその一部だが公害が酷くて、持っていた日本版「成長の限界」を置いてきた。

   マルサスの人口論もそうだが、地球危機説は繰り返す歴史的事象だが、さて、今回のレスター・ブラウンの警告は無視できるのであろうか。
   ブッシュ政権の環境政策のお粗末さは言語道断だが、日本も京都議定書の排出基準を守れないと言う。

   
   

   

   
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團菊祭五月大歌舞伎・・・昼の部

2006年05月23日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   3年ぶりの團菊祭だとか、兎に角、今を時めく團十郎と菊五郎の歌舞伎界での活躍と人気は大したもので、今回は、團十郎の病気平癒の記念すべき舞台でもあって昼の部は大入り満員。子供に是非見せたいと言って、主婦が二人の子供の手を引いて、いそいそと3階の幕見席に上って行った。

   團十郎の登場したのは「外郎売」の一幕だけだが、お客さんはこれを見たくて来ているのであるから、揚幕の陰から團十郎の外郎売の凛と透き通った第一声を聞いて緊張、花道に登場すると掛け声とやんやの喝采。
   途中で菊五郎と二人の口上が入り、華やかな舞台に花を添えた。
   この外郎売は、海老蔵襲名披露公演で披露する筈が病気で断念したようだが、あの外郎の効能を説明する為に述べる意味不明で一種ナンセンスだが面白い長台詞を、團十郎は、リズム感と抑揚を付けて立て板に水、実に爽やかに詠うように述べて元気印をアピールした。

   それぞれの祖父達が初演したと言う「江戸の夕映え」を、團十郎演出で、元の三之助が、若さ溢れた実にフレッシュな舞台を展開した。
   サンフランシスコ講和条約が発効して日本が独立を取り戻した翌年、日本開国100年記念の1953年に大佛次郎が書いた歌舞伎のための作品。
   明治初年の江戸を舞台に、時代の激動期に生きた庶民の生き様を描いたしっとりした江戸情緒豊かな作品である。

   官軍が支配し始めた江戸、許婚お登勢(松也)に去り状を残して、軍艦に乗って新天地蝦夷地へ向かう本田小六(海老蔵)。
   それを止める武士に見切りを着けて町人になった堂前大吉(松緑)と相棒柳橋芸者おりき(菊之助)。
   結局夢破れて零落して帰ってきた小六を、飯倉坂の蕎麦屋で見つけた大吉がお登勢に会うことを勧めるが、小六は武士の体面と男の意地で拒絶する。
   蕎麦屋の小僧が迎えに出ておりきとお登勢を呼んできてハッピィ・エンドとなるのだが、同じ旗本ながら、現実的な大吉と理想主義的で折り目をきっちりつけたい小六との対比が、時代の陰を映していて興味深い。
   祖父や父達の舞台は分からないが、真面目一徹で一本気な旗本を演じる海老蔵、現実的で庶民的な江戸の粋な男を演じる松緑、しっとりとして色気があり情緒たっぷりの芸者を演じる菊之助など孫達は実にはまり役で上手い。

   官軍はあまり良くは描かれていないが、お登勢に横恋慕する参謀吉田逸平太(亀蔵)を毅然たる態度で拒絶し官軍に靡かなかった父・松平掃部を演じた團蔵の凛とした爽やかな幕末武士の姿に感動した。
   それに、お登勢を演じた松也の何と初々しくて、そして、実に健気で優しい天然記念物のような乙女、あの素晴しい芸は何処から来るのか、実に感動的でじっと凝視していた。
   
   最後の岡本綺堂作の「権三と助十」だが、江戸の長屋を舞台にした世話物。   小間物屋彦兵衛が殺人罪で誤って捉えられた大岡裁きの事件で、真犯人を見た駕篭かき権三(菊五郎)と助十(三津五郎)が、権三の女房(時蔵)おかんや家主六郎兵衛(左團次)や助十の弟助八(権十郎)など長屋の愉快な住人を巻き込んでの引き起こす出来事を、長屋の年中行事井戸替えをバックに演じる。

   江戸の長屋の住人を演じれば右に出るものが居ない人間国宝尾上菊五郎に粋で男気を前面に押し出した芸達者な三津五郎がガップリと四つに組んでの面白い舞台。
   夜の部の「傾城反魂香」の吃音の又平の舞台との鮮やかな対比を考えれば、三津五郎の達者ぶりは特筆もので、NHKの功名が辻の明智光秀とも大分違った芸の世界である。
   昔、蜷川幸雄の「近松心中物語」で、樋口可南子との舞台を観たが、あの時から注目しており、今度の山田洋次監督の「武士の一分」を楽しみにしている。

   魁春もそうだが、時蔵の長屋のおかみ・おかんも秀逸で、庶民の女をやらせれば実に味があって上手い。
   左團次だが、いつもの骨太で厳つい舞台姿と違って人情味豊かな庶民の味を上手く出して大家を好演している。
   役人石子伴作の彦三郎と小間物屋彦兵衛の田之助は、ほんの一寸出の舞台だが、そこは重鎮で存在感十分である。
   とにかく、このような肩の凝らなくて楽しく愉快な舞台はいくら見ても良い。

   いずれにしろ、今度の團菊祭歌舞伎だが、團十郎復帰記念人気だけではなく、中身も充実した素晴しい舞台であること請け合いである。
   
   
   
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貴方の趣味は何ですか

2006年05月21日 | 生活随想・趣味
   貴方の趣味は何ですかと聞かれるとどう答えればよいのか、いつも困っている。
   特に、これが好きでこれを熱心にやっていると言うものは、正直な所、何もないと言った方が正しいかも知れないからである。

   一番よく行く所は何処かと言われれば、やはり、神田神保町界隈であるから、読書と言うことになるのかも知れないが、これは、半分仕事の為の情報と知識の収集の為であるから、趣味と実益を兼ねてとは言っているが、趣味ではない。
   しかし、同じ本でも、経済や経営の本ではなく、シェイクスピアや世界史等の本を読むとこれは趣味の域に入る。
   ところが、書店に行くと必ず新しい本を買ってしまうので、ドンドン本が増えて、読書出来るキャパシティを越えてしまい、それがプレッシャーになって穏やかではなくなるので困る。

   ところが、よく考えてみれば、困ったことに、読書の時間より、パソコンの前に座ってインターネットと格闘している時間の方が遥かに多くなってしまっている。
   しかし、これは、意地でも趣味だとは思いたくはない。

   音楽の方だが、結構、レコードやCD,DVD等集めて聞いているし、コンサートにも沢山出かけているので、クラシック音楽鑑賞と言うことになるが、残念ながら何も楽器をいじれないのが寂しい。
   欧米に居た時には結構コンサートやオペラに出かけたが、日本に帰って来ると、やはり、機会が限定されているのと兎に角チケットが高すぎるので出かける回数が減ってしまった。
   若い頃ほど、カリスマ的なスーパースターがいなくなったのか、私自身の興味が薄れて来たのか、目の色を変えて外来音楽家の演奏会を追いかけることもなくなってしまった。
   その代り、DVDを買ったり、NHKのBS番組の録画が多くなって来たが、それも、溜まるばかりで、結局あまり観ない。
   
   同じ様に文楽や歌舞伎、シェイクスピア等の舞台劇の観賞やその関連の読書があるので、これも嫌いではないが、それほど熱心ではないし、人様に趣味で見ていますとはおこがましくて言えない。
   やはり、感受性が欠如しているのか、どっぷりと舞台にのめり込めない所為もあるが、好きなのか出かけては行くが深くはならない。

   写真歴は長い。
   今でも、10台以上のカメラに囲まれていて、庭の花が咲いたり珍しい鳥が来たりするとカメラを構えるし、家族の写真をこまめに写している。
   世界各地を歩いているので写した写真は膨大な量だが、家族写真以外は殆どDPE店から受け取った袋に入ったままなので、古いものは、もう、張り付いたり変色しているであろうと思う。
   今では、肖像権の関係か、コンサート会場での写真はご法度と言うか、喧しいくらい注意アナウンスされるが、昔は、比較的緩かったし、外国はそれほどでもなかったので、結構、貴重な音楽家の写真も残っている。

   変色も修正してくれるスキャナーがあるので、パソコンに取り込んで編集しようかと思って始めたが、まだ速度が遅いので埒が明かない。 
   寅さんの映画を見ていて思うのだが、古い昔の絵や写真は実に懐かしい。
   いつか時間を見つけて、古い写真を整理して、世界の旅やコンサートや観劇等の思い出を綴ろうと思っているが、いつになるか楽しみでもある。

   随分、いろんな所を旅して歩いて来たが、スポーツには縁が遠かった。
   それに、自分の趣味は、人付き合いが下手な所為か、相棒や友がいないと出来ないと言う趣味は殆どないので、どれもこれも中途半端だが、自分のペースでやれたので長続きしているのであろう。

   結局、どっちつかずだが、あれやこれや、趣味と実益を兼ねながら生きてきたことが趣味といえば趣味かも知れないと思い始めている。  
   
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.国立劇場・五月文楽公演・・・簔助の「生写朝顔話」

2006年05月20日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   観たくて今まで観られなかった「生写朝顔話」が、今回の文楽の最後の演目であった。

   芸州岸戸の家老の息女深雪(簔助)が大内家の侍・宮城阿曽次郎(後に駒沢次郎左衛門(玉女))に宇治川での蛍狩りで恋に落ち深い仲になる。
   明石浦で再会して逢瀬を楽しむ、駆け落ちする為に両親への書置きを残すべく船に戻るが、嵐が近づき出船騒ぎで岸を離れて生き別れとなる。
   深雪に縁談が持ち上がり、相手が阿曽次郎本人でありながら、叔父である大内家の家老駒沢の家督を継ぐ為に阿曽次郎は駒沢次郎左衛門に改名した事が分からずに、これを嫌って家出して全国を彷徨うが、泣き腫らして盲目となる。
   島田宿で、駒沢は、宿屋の部屋の衝立に自分が書き送った朝顔の唱歌が書かれているのを見て、盲目の門付芸人・朝顔の存在を知り、座敷に呼んで琴を弾かせるが、相方の所望で語った身の上話で深雪だと知る。
   しかし、敵方のウルサイ奴が旅の相棒で側にいるので名乗り出せずに、出立する。
   胸騒ぎがして帰ってきた深雪は、駒沢の残した扇の詩で阿曽次郎であることを知って、死に物狂いで後を追いかけ大井川に差し掛かる。
   しかし、駒沢は出発した後で、大水となって川止めとなる。

   思いつめて恋一筋に生きる深雪の四度に亘る悲劇的なすれ違いを脚色した女の恋の物語であるが、本来なら玉男が遣うのであろう、玉女が、簔助と一緒になって素晴しい舞台を見せてくれた。

   最後は、大井川べりで、駒沢が残した薬を飲んで深雪の目が開く。
   今回は、「明石浦船別れの段」「宿屋の段」「大井川の段」だけだが、冒頭、阿曽次郎と深雪のしっぽりとした小船での逢瀬など実に優雅で情感たっぷりの美しい舞台であった。
   
   宇治川での、蛍狩りでの出会いと言うが、宇治は、源氏物語宇治十帖の舞台でもある。
   平家物語の先陣争いでも有名なように流れの速い川でもあるが、中州で囲まれた支流は穏やか、何れにしろ、この場面が上演されれば詩情豊かな美しい舞台になるであろうと想像して見ていた。 

   ところで、島田宿での宿屋の段だが、朝顔(深雪)が、琴を弾き、夫恋しの身の上話を語る。
   玉女の駒沢は、斜交いに構えて天を仰いで瞑目して聞いていて堪りかねて顔を覆う。
   「ヲヲ朝顔とやら大儀であった。初めて聞いた身の上話。若しその夫が聞くならば、さぞ満足に思うであろう。」と言う。 
   
   ”深雪は何か気にかかり、座敷仕舞ふてうとうとと、また立ちかえる・・・”
   虫の知らせか宿に引き返した深雪は、宿の主人から駒沢の残した扇を見せられて、扇面に『宮城阿曽次郎事、駒沢次郎左衛門』と書いてあるのを聞いて夫であったことを知る。

   ”エ、知らなんだ、知らなんだ、知らなんだ、知らなんだ、知らなんだ、知らなんだわいなあ。”
   動転した深雪の人形がのた打ち回る愁嘆場。
   追いかけようとするのを宿の主人は、暗い雨の夜、盲目の身で危ない危ないと止めるが、”たとへ死んでも厭ひはせぬ”と、"突き退け、はね退け、杖を力に降る雨も、いつかな厭はぬ女の念力、跡を慕ふて”、簔助の深雪の人形が主人を突き飛ばして半狂乱になって駆け出して行く。
   豊竹嶋大夫と語りと鶴澤清介の三味線が肺腑を抉る。

   話の腰を折るようだが、養老先生の説を敷衍すると盲目の深雪の聴覚には違いの分かる力があって、駒沢の声を聞いて夫であることを予感したと思われる。

   この段で、深雪は、鶴澤清丈の琴に乗せて華麗に琴を演奏するが、あそこでも凛とした演奏をする阿古屋での簔助の舞台を思い出した。
   それに、大井川で、駒沢に会えずに柱にしがみ付いて嘆き悲しむ姿や川に身投げしようとする姿は、娘道成寺と二重写しになって哀切極まりない。

   大谷晃一先生によると、文楽の女は、ただひたすらに男を思う真実心、誠の心で、”恨み辛みは露ほども、夫を思う真実心なおいや増さる憂き思い”であり、義理も人情もそこから生まれると言う。
   やはり、封建時代の大阪の文楽の世界、化石のように凍りついたある時代の美意識だと言うことかも知れないが、胸に応える。

   世界遺産に登録された年には満員御礼であったが、最近は文楽の公演も空席が多くなってしまった。
   一寸寂しい気がしている

   

   
   
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ITと経営の融合が経営革新か、しかし、科学と技術立国を!

2006年05月19日 | 政治・経済・社会
   昨日同様に東京ホーラムでの「富士通フォーラム2006」の特別講演会を聴講した。
   今日は、東京工大大山永昭教授の『「IT新改革戦略」の実現に向けて』と言う~いつでも、どこでも、誰でもITの恩恵を実間できる社会の実現~を目指した政府のIT戦略の講演があった。

   ところが、先日、このブログでも触れたダニエル・ピンクの「ハイ・コンセプト」で、左脳主導のITC主体の知識情報化社会はもう古い、今や、第4の波・右脳主導の「コンセプトの時代」に入っており、「新しいこと」を考え出す人でなければ生きて行けない、と言う経営哲学が強烈に頭に残っている。
   そのために、政府のITC戦略や、IT,ITと言う日本企業の動向、今回の富士通の「経営とITの一体化で勝つ」と言うテーマにも殆ど新鮮みを感じなくなってしまった。
   アメリカは、もう一歩先を歩き始めた。日本は、遅れているのではないか、と言う何時もの感覚である。

   IT,ITC革命は、大変なイノベーションで、正に第三次産業革命だと思う。
   しかし、このITも、先に産業革命を主導した蒸気機関や電気、電話・電信、鉄道、自動車等々も、謂わば結果的にはコモデティのような黒衣であって、生産性を革命的に引き上げて大きく産業社会を変革し物質文明を豊かにしてくれたが、触媒のようなエネルギーと言うか所謂エンジンであった。
   そんな意味もあって、ITそのものの発達・発展も、利便性の高い文化生活を満足させてくれるかも知れないが、それが、人間にとって本当に幸せなことなのかどうかと考えざるを得なくなって来た。
   まして、生産性のアップには繋がるかも知れないが、魂と哲学の伴わない経営とITとを結び付けても、空回りするだけであろう。
   それに、実生活においても、ロボットに出迎えを受けて部屋に案内されたり、ユビキタスIT化で、朝に目を覚ませば、自然に音楽が流れてカーテンが開いてブレックファーストも用意されていて、・・・と言ったナンセンスなIT生活が本当に幸せなのであろうか。

   次は、『企業「改革と経営」の要諦』と言う演題の伊藤忠商事の丹羽宇一郎会長の講演であった。
   日頃は、専門であったのか食料の話をするのだが、今日は、日本の科学と技術に対する危機意識のなさを説き、オール日本研究体制を提唱。
   あのブッシュでさえ、科学技術重視の国家戦略を推進しているのに、日本はお粗末な限りで、国家の科学技術関連予算を統一し、国立研究所を立ち上げ、知の集積を生み出す環境を整備するなど、早急に抜本的な対策を打たない限り、日本で、イノベーションの爆発は有り得ない。
   斜陽のゴルフ場を2つ位10億円程度で買い取れば研究施設は立派に建つ。イノベーションは、T+M+F,即ち、技術とマーケティングとファイナンスで、この開発競争に負ければ明日の日本はないと言う。  

   日本の企業もやっと過去の精算を終えたが、これからは、如何に新しい収入源を見つけ出すかと言うことである。
   その為には、技術開発の促進以外に方策はなく、税制上の恩典と同時に技術大国日本を支えている中小製造業の支援策など抜本的な手を打たなければならないと言う。

   いずれにしろ、丹羽会長の指摘は、国家戦略も企業の経営戦略も、如何に科学技術を重視した政策を立ち上げてイノベーションの爆発を誘導・誘発させるかと言うことである。
   しかし、真っ先に、互換性の利くスペアパーツばかりを育てている日本の教育を、創造性を養う、そして、ピンクの言う右脳を養い活性化する新しい教育体勢に変革しない限り不可能であろう。
   先日の党首討論で小沢代表の教育論争に対して識見のなさを暴露した首相と文部省主導の教育では日本の将来は暗い。

   次に聞いたのは、島田晴雄慶應大学教授の「日本経済の展望と構造改革の真の課題」という講演。
   御用学者の小泉・竹中経済政策の絶賛と擁護は何時ものとおりで、馬耳東風を決め込んだ。
   しかし、隠し遂せないのは日本の惨状で、小泉改革がいくら成功しても、財政赤字、労働力の減少、貯蓄率の低下、地方の疲弊等によって惹起される日本の異常に悪化した慢性的な経済社会問題は殆ど解決不能であることを認めている。
   解決の島田で有名だと言いながら、いくらか解決策らしいものを述べていたが、殆ど焼け石に水。
   8000万円の借金を抱えた年収400万円の人間が、毎年400万円借金しながら生活している異常さをどう解決するのか。国際競争力がどんどん落ちてしまって、並みの二流国への道を突っ走っている悲しい現状が、わが祖国なのであろうか。
   貯金があると思っている国民が国の借金を肩代わりしているだけの花見酒の経済を何時まで続けて行くのか。気がついた時には、終戦当時の借金棒引き徳政令、これ以外にない悲しい現実でもある。
   しかし、その時には、今生きている人間は亡くなりこの世にいないので、痛みを感じなくてすむ、丹羽宇一郎会長は、団塊の世代ではなくて「食い逃げ世代」だと言っていたが、こうなればもう正真正銘の「植木等」の世界である。

   

   
   
   
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イオンの企業価値アップ術

2006年05月18日 | 経営・ビジネス
   今日、東京国際フォーラムで開催された「富士通フォーラム2006」の特別講演で、イオンの岡田卓也名誉会長が、「大黒柱に車をつけよ~私の歩いた小売業60年~」と言う演題で1時間の講演を行った。
   富士通の会長と友人だと言うことで演台に立ったようだが、冒頭の黒川博昭富士通社長の「経営とITの一体化」、続いて、経済産業省の羽藤秀雄課長の「情報産業:New Horizonと政策と展望」等、展示会場も、IT、ハイテク一色なので、全く異質な感じであったが、極めてアナログ的で興味深く聞かせてもらった。

   セブン&アイHLDGSの鈴木敏文会長とは全く毛色の違った話し振りではあったが、やはり、小売業界では一方の旗頭で一家言ある経営哲学で結構示唆に富んでいた。

   一線を離れた現在の心境は、
1.経営から離れた所からのイオンの企業価値の高揚、
2.小売業の地位の向上
3.社会貢献を通して世の中を良くする事、
に尽くすことだと言う。

   岡田会長の頭には、当初から、同郷に、三重紡績を前身とする東洋紡、三重電鉄を前進とする近鉄と言う合併によって大を成した見本があったので、合併が企業の成長にとって極めて役に立つ経営手法であると言う認識があったようである。
   そのため、姫路の会社を合併してジャスコを設立し、その後、各地の会社を糾合しながら連邦制経営を志向して来た経緯があり、M&Aには慣れていて、2010年には世界で10位以内に入らないと競争に負けてしまうと言っているのも、M&Aを考えてのことであろう。

   面白かったのは、アメリカのタルボット社の買収で、土地や建物など大して資産も財産もないグッドウイルだけの通販システムを持った会社を400億円の大枚をはたいて買ったと言うことで、自主と責任だけの会社を前にして、目に見えない信用とかノレンに企業価値があることに気付いたと言うことである。
   ニューヨーク証券取引所に上場して30%株を売却して元を取って、今では、アパレルの立派なチエーン店に成長しており、一切人を派遣せず任せきりで、年に4回役員会に行っただけだと言う。

   ところが、この会社のあるミネアポリスは、企業の社会的貢献に大変関心を持っている所で、5%クラブが存在するなど企業活動を通じて社会の為に貢献する必要を教えられて、企業価値の高揚のためにも企業にとって非常に良いことであると感じたと言う。

   21世紀は、南北問題が重要になり、環境問題の解決が絶対の必須要件だと考えて、環境財団を設立して、万里の長城や東南アジアの各地は元より、日本でもあっちこっちにボランティアの人々を糾合して木を植え続けている。
   また、岡田文化財団を設立して、カンボジアなどアジアの各地に学校を建てて、アジアの文化教育に尽くしているのだとも言う。
   現今の情勢を見れば、何に使われるか分からないので、自分の株4000万株1200億円を財団に寄付して社会の為に貢献したいと思っている、今は、総ての職から離れて、二つの財団の代表と1%クラブに委員長だけだと爽やかに笑っている。

   ところで、長い商売の中で、大半は、経済界から雑魚だと言われて蔑まれてきた小売業のイメージアップの為に戦い続けた思い出が鮮烈なのであろう、何回もそのことに触れていたが、あの渋沢栄一でも、正に、商の地位の向上のための戦いでもあった。
   士農工商、この封建時代の名残りが、戦後長い間続いていたようであるが、今や小売業は、まさに、イノベーションと激動の中での変革の寵児で、花形ビジネスとして脱皮しようとしている。

   ところで、現実的な話だが、イオンの本業で、今の旧ジャスコのスーパー主体で、ウオールマートなど強豪に伍して商業戦争に勝ち抜いて行けるのであろうか。
   狸と弧の住む所しか店を出さないと言われていた頃からある千葉の私鉄沿線の駅前のイオン店が近くにある。ここの店だけしか知らないので、最近の立派な大型イオン店は違うとは思うが、荒削りのアメリカやヨーロッパのスーパーと比べて見ても、薄ら寒いサービスぶりであるのだが。
   少し以前の話だが、一度、財布を店で落として、出てきたと言うので受け取りに行くと、女性係員が目の前で無造作に人の財布の中から総てをさらけ出して「お金が入っていたのですか」とのたまったのだが、この無神経さ。
   特売の男性下着売場で、上下サイズや色が揃っていないのばかりを並べていたで食って掛かっていた客がいたが、商品のチェックはしているのか。
   コーヒーや紅茶さえも、品物はショッチュウ変わるし欠品がいつもある。
   2時間無料の駅前駐車場として役に立っているのだから、まあ良いと言うことかも知れない。

   
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日本の風景写真・四季のいろ

2006年05月17日 | 生活随想・趣味
   数寄屋橋の富士フォトサロンで、第2回日本風景写真協会選抜展「四季のいろ」が開かれていて、素晴しい日本の風景が展示されている。
   デジカメ時代ではあるが、プロの、そして、ハイアマチュアのフォト世界では、依然銀塩フィルムが主体で、正に富士フィルムの独壇場である。

   クリステンセンのイノベーション論で言うように、持続的イノベーションを追及してきた富士写真フィルムも、写真の世界では、アグファや小西六の様にコアで城を明け渡して、結局、電子の保存媒体に移行せざるを得なくなって行くのであろうか。
   或いは、芸術としての写真に更に磨きをかける為に写真フィルムの持続的イノベーションを続けていくのであろうか。
   
   何れにしろ、富士ゼロックスの小林会長は、電子フィルムの時代の到来だと言われていたが、富士フィルムも社名から写真を外したし、フィルムはフィルムでも、時代の変遷とイノベーションによって大きく変わって行く。

   ところで、プロとアマで結成されたこの風景写真協会の写真だが、実に美しく感動的な写真が多く、まだ、日本の自然の風景も捨てたものではないなあ、と感じさせてくれる。
   東南アジアの田舎にしか残っていないと思っていたのだが、今でも日本のどこかに少しは残っているのであろうか、棚田をテーマにした写真が何点かあって、夕日や薄明かりに照らされて何処か懐かしい輝きを見せる日本の農村風景が旅情を誘う。

   奈良県の室生村で写した「月下の舞」と言う写真は、月明かりに鈍く反射した川面に無数に舞うホタルの光跡を長時間露光で捉えた幻想的な写真で、古い子供の頃の田舎を思い出させてくれて感慨一頻りであった。

   自然の風景を写しても、例えば、日本の湿度の高い高温で何処か気だるい夏や厳しい冬の寒さなど日本の自然環境を色濃く感じさせ、その空気が写っている感じがして正に日本の写真である。
   しかし、やはり時代の流れか、古くて懐かしい日本の伝統や文化を感じさせてくれる風景写真は殆どなくなってしまっている。
   
   奈良に行き、東大寺の戒壇院に向かって歩いていると今でも入江泰吉と表札の架かった簡素な家があるが、あの入江泰吉が残した懐かしい奈良の風景や風物は殆ど今の奈良には残っていないし、大原の三千院近くにも何十年前にはまだ茅葺の農家が残っていたが、もうそんな懐かしい日本の風景は消えてしまっている。

   原田泰治の描く童謡やわらべ歌が聞こえてくるような心の故郷の風景は絵画の世界だけになってしまったのであろうか。
   そう思いながら、懐かしい風景を探したが、この写真展では見つからなかった。

   ヨーロッパの古い伝統のある国には、今でも何百年前の住居や街に人が住んでいて、服装さえ変えれば、完全にタイムスリップしてしまえる。
   イギリスには、ふっとシェイクスピアが飛び出してきても不思議ではないような路地裏などいくらでもあり、実に、懐かしい。
   経済成長をテーマに勉強して、人間社会のの進歩の為に貢献できればと思って建設や開発事業に携わって頑張ってきたのだが、コンクリートと鉄とガラスのジャングルに少しづつ違和感を感じ始めて来たのは、年の所為かも知れない、そんなことを思う昨今でもある。
   
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薔薇とクレマチス、芍薬

2006年05月16日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   私の庭も、先月には咲き乱れていた椿が終わって急に寂しくなってしまった。
   いま、咲いているのは、薔薇(キャプリス・ド・メイアン)とクレマチス、それに、芍薬が咲き始めて、沢山花をつけたホタルブクロも大きく膨らみ始めた。
   春の花で残っているのは、パンジーやスミレなどのスミレ系で、枝が広がりすぎて先の方が地面を這っている。

   それに、ひっそりと下草のように咲いているのがミヤコワスレで、この花は、宿根草で、もう20年以上も前に植えたのだが、毎年、忘れずに咲いてくれている。
   同じ宿根草でも、今年は、福寿草は咲いてくれなかった。

   クレマチスとホタルブクロ、それに、ミヤコワスレは青紫色で、何となく清清しい初夏の雰囲気を醸し出してくれている。
   アジサイの株も一株だけ残っているが、これも小さな蕾をつけているので、梅雨の頃には鮮やかな青色に咲いてくれるであろう。
   それが終わる頃には、庭一面に露草が張り出して庭を覆うので、適当に間引くのだが、朝に咲いたかと思うと陽が高くなると直に儚く萎れてしまう。

   椿の木は一斉に新芽を出して大きく伸びているが、これも種類によって個体差があり、早く大きく育って欲しい木ほど何故だか成長が遅い。

   最近のように雨が多いと、花木や雑草が急に繁茂し始めて、ムンムンむせ返るほど緑が庭を支配して息苦しくなって来たので、少し剪定をしたり間引かなければならないと思っている。
   
   余談だが、友人に日本植木協会の会長がいる。
   朴訥な水戸っぽだが、れっきとした一橋大学の商学部を出たインテリの植木屋なのだが、日頃は、ゼネコンの下請けで造園等緑化工事で安くやれ安くやれと言われて困っているのだと嘆いている。
   日本の緑化や庭園芸術には一家言を持っているのだが、昔のように庭を愛して大切に日本の文化伝統の美しさを守ろうとする今様お殿様がいないので、維持管理にコストをかけられない庭や公園が多くなって少しづつ荒廃しているのだと言う。

   昔は、お殿様が小堀遠州等素晴しい造園家を挙って登用して素晴しい庭園の創造を競ったし、英国でも、王家や貴族達が卓越した芸術感覚を具えたガーディナーに素晴しい庭園を創らせ、今でも、各地に美の極地とも言うべきイングリッシュガーデンが沢山残っていて人々を魅了している。
   庭園の場合は、造園そのものも大切だが、その維持管理、年間のメインテナンスが大切で、素晴しい技量を備えたガーディナーとしての資質持った人材の確保が必須だと言うのだが、日本と同様に、外国でも伝統的な寺院・教会や歴史建造物を作ったり修復できる有能な職人が不足しているように、職人芸の劣化は目を覆うばかりだと言う。

   休日などには、ガーディニング・センターなど、DIYや園芸店、緑化関係の量販店は大変な賑わいで、個人的な園芸ブームは続いている。
   しかし、公共関係の公園・緑化関連予算は削減され続けており、そのメインテナンスが杜撰になりつつあって、街路樹や公共的な公園などは、益々安易な維持管理が行われるようになっているので、緑の環境と景観が悪化していると言う話も聞かれる。

   最近では日本の植木がヨーロッパでも人気が出て輸出され始めている。
   一風変わった日本趣味が広がるのが良いことか悪いことか分からない。
   しかし、世界の国をあっちこっち歩いて見て公園や緑の文化遺産などを見て来たが、やはり、日本庭園の美しさとその芸術性、そしてその深い精神性は卓越していると思うので、その伝統は大切にすべきだと思っている。
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