熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

傘寿を越えると病気の心配

2024年05月30日 | 健康
   先日、東京の如水会館で、会社の同期の同窓会があったので出かけた。
   歩くのが少し苦痛になってきたので逡巡したのだが、茅ヶ崎から東京上野ラインで大船経由で東京に向かう友が2人いたので、東京駅からタクシーで行くなど便乗することにした。
   別にこのルートで行けば、一人でも問題ないのだが、前には、JRで横浜まで出て東横線で渋谷まで出てメトロで神保町に向かって、浄水会館まで歩いていた。元気なときのルートで何の不安もない。しんどいだけである。

   さて、元々関西ベースの会社で東京に本社を移したので、OBは、東西半々、
   今回は、事務系の関東だけで、一寸少なくて9人集まったのだが、元気なのは同期生の5割方なので、歩留まりは良い方である。
   中には、毎日のようにテニスをやったりゴルフ三昧に明け暮れていると言う元気な御仁もいるが、見かけは平常でも、各自、体の話になると、ポロポロ、ホコリが飛び出てくる。
   病院をハシゴしている友人もいるのだが、見かけは病気持ちだとは全く思えないのが不思議である。
   保険会社の話によると、80代の半分はその心配があると言う認知症の気が誰にもないのは、集まりに出てこれる証拠であろう。

   東大の高齢社会研究機構の秋山弘子教授の研究では、日本男性の老年について、
   約2割の人が、70歳を迎える前の段階から寝たきりになり、その状態を10年ぐらい過ごしていると言うこと、大半の人が、70歳を超え始めたところから徐々に歩けなくなると言うこと、そして、80を過ぎても元気に働ける人は、1割程度しかいない、と言うことである。
   とすると、我々の健康歩留まりは格段に高いので、どう解釈すれば良いのか。

   仕事は楽だったとも思えない。戦乱の最中のバングラデシュで消息不明になったりインドネシアのジャングルの過酷な現場で働いていたK君など、老年テニスのチャンピオンだと言うから、何が元気の元だか分からない。
   サウジアラビアやタイにも長かった慶応ボーイも溌剌として往時を語っている。
   私など、欧米が多いと言っても、東南アジアの未開地や中南米の良く分からない国なども含めて色々な国の水を飲んできた所為か、腎臓結石に泣き、結石の詰まった胆嚢を全摘するなど、よく、世界のどこかで倒れなかったなと述懐することがある。若かったから、痛みや苦しみに耐え抜きながら異境の地で頑張れたのだと思っている。
   結局、人それぞれの持って生まれた運というか運命のような気がしている。
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PS:インドの選挙と国の経済の将来 The Indian Election and the Country’s Economic Future

2024年05月27日 | 政治・経済・社会時事評論
   ラグラム・G・ラジャンは、PSの論文で、
   最近、かつてのイギリスを追い越して世界第5位の経済大国となったインドのスターは確かに躍進著しい。 しかし、もしこの国が現政府の開発戦略にコミットし続ければ、経済が離陸速度に達するかなり前に勢いを失う可能性がある。と説く。
   現在の年間6~7%の成長率を維持すれば、まもなく停滞する日本とドイツを追い越して第3位に浮上するだろう。
   しかし、人口高齢化により、2050年までにインドの労働力は減少し始め、 成長は遅くなる。 それは、インドが老いる前に豊かになる可能性が狭いことを意味する。一人当たりの所得がわずか 2,500 ドルであるため、経済は次の四半世紀にわたって年間 9% 成長しなければならない。 それは極めて難しい課題であり、それが本当に可能かどうかは今回の選挙で決まるかもしれない。と言うのである。

   インド政府は急速な成長を追求するため、日本が戦後すぐの数十年間にたどった道、そして毛沢東の死後中国がたどった道を踏襲しようとしている。
   中国が成長への道を歩み始めた1970年代後半には両国も同様に貧しかったにもかかわらず、インドは、中国とともに目指した輸出志向の製造業への経済転換に失敗した。 熟練度の低い工場での雇用であっても、最低限の教育とスキルが必要であり、 当時、多くの中国人労働者はこの基準を満たしていたが、インド人の労働者のほとんどは満たしていなかった。
   また、中国共産党による中央集権的統治が原則だが、省や市の首長は大きな権力を行使して成長をもたらした。 対照的に、同時期のインドの官僚制は分散化されておらず、成長促進の動機付けもされていなかったため、むしろインドのビジネスにとってさらなる負担となった。
   更に、、独裁国家の中国はいつでも、民主国家のインドにはできない方法で製造業を優遇する可能性があるなど、国家資本主義手法が成長発展を促進した。
   この差が、インドの成長の足を引っ張った。

   それにもかかわらず、現在のインド政府は製造路線に乗りたいと考えて、 他の多くの企業が中国での生産から多角化を模索しているので、これをインドの経済政策立案者らは失われた時間を取り戻す機会と見ている。 確かに、インドのインフラは著しく改善され、 とりわけ、現在、多くの世界クラスの空港と港、電力不足を埋めるための再生可能エネルギー容量の増加、優れた高速道路システムを誇っている。
   しかし、他の障害が残っている。 モディ政権が発足してからの10年間で、自国の象徴的な財であるインドの衣料品輸出は5%未満の伸びにとどまった一方、バングラデシュとベトナムの衣料品輸出は70%以上増加し、現在では両国の輸出額は2019年の何倍にもなっている。 インド政府は、これらの継続的な障害を認識し、インドでの生産を奨励するための補助金の提供を開始するとともに、輸入品の関税を引き上げて、現在は保護されている大規模なインド市場への販売によるこれらのメーカーの利益を拡大し始めている。
   しかし、まだ初期段階だが、この戦略には懐疑的であるべきで、生産関連の補助金により、製造業者はインドで組み立てるようになるかもしれないが、それらの企業は依然としてほとんどの部品を輸入する必要がある。 さらに、インドの労働者は現在、かつてのように先進国の高給取りの労働者ではなく、低賃金のバングラデシュ人やベトナム人労働者と競争しているため、利幅は小さくなる。 企業が再投資できる利益がほとんどなく、補助金を差し引いた税収も少ないため、インドをバリューチェーンの上位に上げるために必要な好循環を達成するのははるかに困難になる。
   さらに悪いことに、たとえインド政府が製造業を拡大したとしても、世界は中国規模の輸出大国を新たに受け入れる準備ができていない。 製造業の保護主義への広範な移行と環境の持続可能性に対する懸念の高まりを考慮すると、中国式の製造業主導の発展を重視する政府の姿勢は世界が向かう方向とは相いれない。

   ところで、インドにも、自分の強みを活かしてプレーする別の方法がある。 インドは成長を促進するために、十分な教育を受け熟練した国民が提供するサービスの輸出に注力している。 この集団は総人口のほんの一部にすぎないが、それでも数千万人に上り、このような戦略はインドの強みを活かすことになり、世界のソフトウェア産業における役割ですでに顕著で、現在では他の多くのサービスを輸出していて、世界のサービス輸出の5%以上を占めており、物品輸出は2%未満より多い。
   ゴールドマン・サックスからロールス・ロイスに至るまでの多国籍企業は、インドを拠点とするグローバル・ケイパビリティ・センター(GCC)に有能なインド人卒業生を雇用しており、そこではエンジニア、建築家、コンサルタント、弁護士が組み込み型の設計、契約、コンテンツ(およびソフトウェア)を作成している。 世界中で販売される製造品やサービスにおいて、これらのセンターはすでに世界の全GCCの50%以上を占めており、2023年3月時点で166万人のインド人を雇用し、年間収益460億ドルを生み出している。

    確かに、インドの製造業もこれらの変化から恩恵を受けていて、製造プロセスそのものよりも、エンジニアリング、イノベーション、デザインが重要な分野で起こっている。
   インドが自国の強みを築くのは当然のことで、何百万人もの高度なスキルを持ち、創造的で教育を受けた労働者であり、その多くは英語を話す。しかし、 残念ながら、教育の欠陥がさらに深刻なので、そのような労働者は不足しつつある。 急成長国の通常の道とは反対に、今日インドでは農業従事者の割合が増加していて、失業の危機に直面している。
   したがって、インドは創造的な高度スキル部門の拡大とは別に、人々が持つスキルを幅広く対象とした雇用を創出する必要がある。 また、インドの労働者が将来の仕事に就けるよう、短期的および長期的に教育とスキルを向上させる必要がある。 同様に、学生が雇用適性の基準を超えることを可能にする職業訓練プログラムや見習いプログラムに公的資金を提供すれば、何百万人もの人々が生産的な労働者に転換できる可能性がある。 医療提供者、配管工、大工、電気技師の需要は尽きない。

   この選挙での選択において、野党のマニフェストにもこの種の提案が見られる。 企業、特に衣料品、サービス業、観光業などの労働集約部門の中小企業を支援する改革と組み合わせることで、インドはさらに多くの人々を働かせることができる。 しかしこれには、現在補助金として大手製造業者に約束されている数百億ドルを再配分することで部分的に資金を賄う、慎重に設計されたプログラムが必要となる。
   長期的には、インドの最大の資産である国民を活用するには、保育、教育、医療機関の数と質を増やす以外に方法はない。 これらの分野における現在の公共支出の低水準は、成長の余地が十分にあることを意味するため、チャンスと見るべきである。
   インドはまた、その広大な世界中の印僑を利用して、高度なスキルを持つ人材の数を増やすために新しい高等教育および研究機関を創設する必要がある。 人々が適切なスキルを持ち、アイデアを生み出す機関と連携すれば、起業家精神により、思いもよらない場所で雇用が創出される。 結局のところ、インドのソフトウェア産業を創設したのは民活であって政府ではない。

   保護主義の高まりがこの道を妨げる可能性はあるだろうか? ハイエンドサービスの輸出は、バーチャルで提供される場合、国境で止めるのが難しいため、必ずしもそうではない。 さらに、先進国もそのようなサービスを世界的に販売しているため、米国の経営コンサルタントやベンチャーキャピタルを見れば分かるように、これらの分野における保護主義が魅力的ではなくなることを意味する。 そして、人口の高齢化を考えると、先進国は遠隔医療のようなインドが提供するサービスから多くの利益を得ることができる。

   以上がラジャン教授の論文の主旨だが、インド政府は、経済成長発展のためには、中国の発展路線を踏襲すべく策しているが、インドにはインド特有の問題があり、国情にあった成長政策を推進しない限り失敗するとして、成長政策を提言している。
   世界に冠たるインドのICT分野でのハイテク技術サービス分野での偉業は当然だが、この創造的な高度スキル部門の拡大とは別に、多くの産業分野において、教育や職業訓練を強化して労働者のスキルを向上させて、高度化した知見やスキルを持った労働者を幅広く対象とした雇用を創出する必要があり、かつ、起業家精神を喚起すべきだというのである。要するに、インドの経済社会全体の質の向上、その底上げが必須であり、今回の選挙でその帰趨が問われていると言うことであろうか。
   半世紀以上も前に、ガルブレイス教授が中印大使の時に、インドの欠陥は教育であると言ったことがあるが、IITで世界ハイテク界で冠たるインドも、貧しくて手を抜いている教育が、今でも問題だと言うことであろう。
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藤沢産業フェスタで輪島の日本酒を買う

2024年05月25日 | 生活随想・趣味
   藤沢市民会館 小ホールで、孫娘たちのバレエ発表会が開かれたので、父兄として、と言うよりは、写真係として出かけた。
   何時もは、重い一眼レフを持って行くのだが、厄介なので、コンパクトなデジカメにして、席を前の方に取った。
   下手な素人写真だが、中学生時代から写真を始めているので、もう70年の年季が入っていて、家族の写真の殆どは私が撮っている。
   

   ところで、このバレエも協賛のようだが、市民会館前の広場近辺が、藤沢産業フェスタ2024の会場となっていて、大変な人で賑わっている。
   ホールを出ると、正面に物産展のブースが並んでいて、目の前に、「がんばっとるよ、輪島」という能登地震の被災地輪島の売り場があった。
   文句なく、前に進むと酒瓶が並んでいる。
   何故か、日本酒よりもワインの方が多くて、日本酒は4種類しかない。
   迷うことなく、1本だけ残っていた一番上等な日本酒(奥能登自然栽培米×奥能登の白菊という白藤酒造店の日本酒 2019yr)、そして、横に並んでいた干物のおつまみも買った。今夜の晩酌にするつもりであった。
   
   結局、この日の夜は、スシローに出かけたので、輪島酒の晩酌はお預けとなった。
   しかし、期せずして、被災地に少し寄り添ったような気持ちがして嬉しかった。
   
   このように、露店が立つフェスタやバザールが開かれると、何となく興味を持ってハシゴしたくなるのだが、ヨーロッパに居たときに、あっちこっちの街で、市庁舎前の広場などで開かれている蚤の市を歩くのが楽しかった。
   今でも、ドイツかベルギーか忘れたが、マイセンやドレスデンやボヘミアなどと言った骨董の食器や置物が我が家には残っている。
   若かったので、骨董趣味など全くなかったので、ヨーロッパで買うのは新品の名産品ばかりであったが、今になって、ヨーロッパに8年も居たのであるから、骨董店を行脚して、もう少し味のある名品を求めておくべきだったと後悔している。
   帰国真際に、イギリスの田舎町の骨董店で買った古いランプをしみじみと眺めながら、ヨーロッパの昔に思いを馳せている。
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電動自転車をどうしようか

2024年05月24日 | 
   10年程前に、鎌倉に移転してからすぐに、電動自転車を買った。
   鎌倉では、自動車の運転は危険なので、免許証を返納するつもりでいたので、湘南鎌倉散策には、自転車、それも、歳を取っているので、電動自転車を使うのが良いと思ったのである。
   近くの自転車店で試し乗りをして、多少フラついたのだが、中学校も高校も自転車通学をしていたし、大学も1回生の時宇治分校へも自転車で通っていたので、すぐに慣れると思って、迷わずに、ヤマハのPASナチュラルXL スーパーと言う自転車を買った。

   ところが、後期高齢者直前で、悲しいかな、運動神経がついて行かなくて、時々左右に振れて危ないし、用心して走らないとダメだし疲れるし遠出は出来そうにない。電動自転車は、バッテリーの所為か結構重くて、故障でもすれば手押しでは帰れない。
   町内の住宅街を走って練習を重ねたり、近くの役所や店舗の往復など近場に行くなど試みたが、西鎌倉から数キロ離れた鎌倉市内の古社寺散歩などと言った当初の目的など無理だと言う気がして諦めた。
   結局、10年間、殆ど使うことなく、バッテリーの充電くらいが、メインテナンスであった。

   さて、先日このブログに書いたように、長い間使用しなかったので、電気系統がダメになって、Nikonのミラーレスカメラをパーにしてしまったので、
   機械系統は使い続けなければダメだと気付いて、この自転車も1年以上もほったらかしなので、気になって、バッテリーを充電しようと思ったのである。

   埃を被ったシートを取って自転車を出して、バッテリーホールダーにキィを差し込んで回したが、キィが回らない。
   車輪側のロックにキィを差し込んでも動かない。
   この自転車も、カメラと同様にパーになったのかと嫌な予感がした。

   心配になって、と言っても、使っていないし使うつもりもないので、壊れても損をしたと言うことだけで済むので、諦めつつ、ヤマハのお客様相談室に電話を入れて聞いてみることにした。
   買ったときの保証書やドキュメントが残っていたので、すぐに、追跡して情報が出た。
   2~3年前に、車体に不都合があるので部品を交換したいと言うクレーム処理の連絡があり、近くの自転車店で処理したので、その時にキィを交換しているので、新しいキィを使っているかとと言う指摘を受けた。
   何のことはない、何処に置いたか忘れて家捜しして、キィを見つけて試みたら、スンナリと、バッテリーを取り外せた。
   バッテリーは、まだ、充電できるし、自転車に装填したらメモリー系統も機能しているし、電動も問題なさそうである。

   とにかく、長い間使っていないので、現役に戻れるのかどうか、いくらかかるか分からないが、自転車店に、点検修理に出して、使えるようなら、中学生の孫に譲ろうと思っている。
   潰れて、使えないものだと思っているので、家族は誰も、この電動自転車に関心を持っていなかったのである。

   歳をとるということは、体力も知力もドンドン衰えてきて、何でもできて、何でも覚えていたことが、徐々にそれが出来なくなって行く、
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イギリスで飲む紅茶は美味しいのだが

2024年05月23日 | 生活随想・趣味
   イギリスに永く住んでいて、結構、紅茶に入れ込んで嗜んできたのだが、最近は殆ど縁がない。
   ところが、友に、何故イギリスに比べて日本で飲む紅茶は不味いのかと聞かれて、はたと、考えた。

   友からのメールは、
   かってロンドンで(貴兄の在任中だと思いますが) 宿泊したホテル(名前は出てきませんが市内の割と由緒あると思われる)で朝食を摂ったとき 紅茶がべらぼうに美味くて感激したことがあります
紅茶がこんなに美味いものであったかと驚き また味わいたいと東京に戻りデパートを巡り それらしい葉っぱを手に入れて試してみましたが全く不味くて 何が違うのか しばらく頑張ってみたものの どうしようもありませんでした
葉はおそらくそれほどの違いはないのでしょうが 淹れ方が違うのか 水が合わないのか 要は全くダメでした
多分 硬度の差が大きいのではないかと思われます
硬度の違う日本の水でも美味く淹れる術をご承知なら 是非ご教示ください
話が前後しましたが 本を片手にお飲みになっているのはコーヒ-それともテイ-ですか 私は専らグリーンテイ一本です

   私も良く分からないのだが、次の駄文を返した。
   ところで、イギリスの紅茶ですが、やはり、感激するほど美味しい言った経験を何度かしています。
強烈に覚えているのは、日本から着いて、その直後にロンドンの郊外の英人知人宅で頂いた紅茶が美味しくて、一気に何杯も飲んだのを覚えています。
飛行機で脱水症状であったのかも知れませんが、特に変った特別な茶葉ではなく、日常の紅茶だと言っていました。
一般的には、イギリスの硬水がテイーに合うのだと言われていますが、ロンドンは、中硬水で、これが、紅茶の美味しさや香りの良さを抽出するのかも知れません。
日本は軟水ですが、水質の違いが影響するのかも知れません。しかし、硬水か軟水かは、定説があるのかないのか、判然としておりません。
純水やエビアンなどミネラル不足の水は論外で、適度な硬水が手に入れば、と思っています。ティーバッグに100度の熱湯を注いで数分蒸らして、茶葉を残さずに、一気に引き上げるのがコツだとも聴いています。
日本茶と違って、英国紅茶の価格差はそれ程大きくないので、ロンドンに居た時には、確か3~4倍くらい高いフォトナムメイソンのダージリンのファーストフラッシュを使っていました。違いは分かりません。
一時、ロンドンから輸入していましたが、三越の特約となり、異常に高くなったので止めました。
最近は、専らコーヒーで、UCCをメリタのコーヒーメーカーで煎れるというなまくら作業で、紅茶もコーヒーも、良さを楽しむという趣向は失っています。

   そう言えば、ロンドンに居た時にも、帰国してからもしばらく、かなり多くの紅茶やコーヒーの専門書やガイドブックなどを読んで勉強し、これだと思われるレシペに忠実に従って煎れ続けたことがあるのだが、納得できた試しはなかった。
   結局、紅茶やコーヒーを嗜む時の雰囲気や体調や心の反応などのシチュエーションが一番影響しているのではないかと言う気もし始めている。

   女王陛下は、ストレートだと言われていたが、イギリスのミルクや米国起源のレモンティーやインドのチャイなど、ところ変れば品変るで、それぞれの風土や食事によって、ティーと言っても千差万別である。
   あっちこっち外国を歩いていて、色々なティーを味わってきたが、それぞれ、それなりに満足してきたと思っている。

   ティーも、酒と同じで、長い歴史と伝統に育まれたその土地の食文化の反映であって、簡単に移植できるわけがない。
   極論すれば、全く風土も食文化も違う日本で、イングリッシュティーを、イギリス並みに美味しく味わおうと思うこと自体が無理ではないかと言うことである。
   昔、インドの富豪の令嬢がロンドンに輿入れしたときに、インドの食品の苗木を移植したが悉く失敗したと聴いたことがある。
   私は、コカコーラはアメリカでは美味しいと思ったが日本では飲まないし、ブラジルの国民的飲料ガラナーは、日本では不味くて飲めないという。
   阪神巨人戦は、甲子園か後楽園で観戦すべきと言うことかも知れない。

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大学経済学部卒業60周年の同窓会

2024年05月21日 | 生活随想・趣味
   先日、大学の経済学部の卒業60周年の関東地区の同窓会が、東京で開かれた。歩行に不安があり、立食形式だったので欠席した。
   卒業生200人のうち、40人くらいが集まったと言うから、かなり、皆元気である。
   ところで、しばらくして、ゼミの同窓会が開かれたので、これには、出席した。
   12人のうち、前回同様に、参加者は5人。

   集まって話題となるのは、まず、近況と健康の話、
   その後、最近読んだ専門書や国際情勢の話など多岐にわたるのだが、ゼミ当時の雰囲気と殆ど変らない。

   会話の中で、気付いたことを、二言三言、

   パソコンは、ブログを書いている私ほどではないが、結構使っているのだが、ウイルス対策ソフトを使っていないと言っている。
   私など、ソフトを入れていても、悪質なアタックに罹って困ったことがあるので、心配で、パソコンもスマホも、ウイルス対策ソフトのお世話になっている。
   マカフィーが、スマホもカバーすると言うことを知って、最近、スマホのウイルス対策を止めてマカフィーに切り替えた。
   ウイルスにやられてダメになれば、パソコンを買い換えれば良いと言うのだが、私など、30万円もしたパソコンの廃却などおいそれとは出来ない。

   健康の話になると、それぞれ傘寿を越えているので、話題に事欠かない。
   気になったのは、殆ど皆が介護認定の指定を受けていて、何らかの形で介護保険のお世話になっていると言うことである。
   体に異常を来したときに認定を受けたということのようだが、今は問題なくても、転ばぬ先の杖だという。
   私も、歩行困難で困っているのだから、認定を受けておけと薦める。
   帰って鎌倉市に電話して、脊柱管狭窄症とロコモの進展で困りつつあると言ったら、市役所まで来れば申請の手続きを進めるという。
   
   集合は、三々五々にレストランだったので、帰りに東京駅まで地下道を一緒に歩いたのだが、私同様に杖をついたり、背を曲げてゆっくり歩く姿など似たり寄ったりで、やはり、歳には勝てないと実感した。
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クレマチス、そして、モミジ

2024年05月19日 | わが庭の歳時記
   わが庭には、クレマチスが一株植わってる。
   「湘南」という名前に惹かれて、何となく買って、門扉裏に植えたのだが、植えぱなしで世話を焼かないので、一年に一度だけ、伸び上がって花を咲かせてくれる。
   花弁が4弁のシンプルな花だが、郵便受けの上に這って伸び上がっている。
   

   モミジが、芽吹いて、やっと、葉を広げた。
   まだ、小木だが、私が鎌倉に来て植えた好みのモミジである。
   鴫立沢、琴の糸、獅子頭、手向山
   秋には、それぞれ、個性を出して綺麗に紅葉する。
   
   
   
   

   今年は、暖冬の所為か、花木の実成が悪い。
   毎年、結構実がなって、梅酒や梅ジャムをつくって重宝していた梅が、殆ど実をつけておらず、今年は諦めざるを得ない。
   ナシも、実を付けていない。
   個人の庭植えの果実なので、どうでも良いのだが、農家の方々は、年によって、収穫にこのように大きな落差があると、大変であろう。
   
   

   バラは、まだ、咲き続けている。
   今年は、我が家の庭に、鶯がズッと訪れてきてくれて、毎日、囀り続けている。
   良い先生についたのか、正調の綺麗な鳴き声である。
   
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円安で海外旅行が難しくなった

2024年05月18日 | 海外生活と旅
   極端な円安にも拘わらず、日本人の海外観光旅行への意欲は依然として衰えない。
   私など、海外が長かったので、円安であまりにも割高になった海外旅行など、思いもよらない。

   Japan as No.1の時代、忘れてしまったが、円が強くて、1ドル80円台から100円以下の時代に、海外生活をして旅をしていたので、欧米などの物価は、それ程高いとは思えなかった。
   高級ホテルや高級レストランでも、手の届く価格で利用できたし、トップクラスのオペラやクラシックコンサートでも、日本並みの価格で楽しめた。
   尤も、まだ、日本の賃金水準が低かったので、今ほど、価格差を実感出来なかったかも知れないが、少なくとも、高級品や高級サービスの価格は、日本と殆ど変らず、我々並の海外駐在員にも、違和感なく生活が出来た。

   6月に来日予定のロイヤル・オペラの「リゴレット」のチケットが、1枚72,000円のようだが、最近殆ど変っていないにしても、私が、1993年まで維持していたシーズンメンバーチケットでも1万円を切っていたと思うので、円安の影響だとしても異常に高い。
   尤も、ロイヤル・オペラでも、パバロッティやドミンゴの「トスカ」と言った特別公演となるとチケット取得が至難のワザであるのみならず、当時でも、5~6万円はしたと思う。

   さて、東京大が授業料引き上げの検討を始めた。最大で年10万円増の64万2960円とすることも視野に入れると言うことであるから、円安と云っておれなくなる。
   日本の購買力平価は低いので、もう少し円安が円高に振れても良いと思うのだが、仕方がない。
   いずれにしても、円高水準から比べれば、現在の円の水準は半値であるから、私など、海外旅行など行ける身分ではない。

   さて、私の海外旅行だが、2013年のロシア、2017年の中国以来、止まっている。
   2年ほど前に、ニューヨークへの文化鑑賞とフィラデルフィアへのセンチメンタル・ジャーニーを思い立ったのだが、体力の限界を感じて諦めた。
   私の行きたい海外旅行は、このブログで書いたような、欧州紀行(文化三昧ミラノ・ロンドン旅)やニューヨーク紀行と行った形の文化芸術鑑賞三昧の旅である。体力が許せば、思い出が凝縮していて懐かしいイタリアやギリシャの歴史的遺産や故地を気ままに歩いて芸術文化を回想する歴史散歩をしたいと思っていた。
   最近の企画力に富んだ新しい旅などには、全く興味がなく、
   もう、歳だし、煩わしい旅に出て、面倒を起したくないし、海外旅行は完全に諦めている。
   海外出張も家族旅行も殆ど自分一人で企画して手配をしてきたので、裏表、旅の情報や事情を知り得て、二重にも三重にも海外旅行を楽しめた。長い間、海外業務に携わり、海外にも住んでいたし、とにかく、若くて元気であったから出来たのであろう。
   諦めてしまうと、もう、海外旅行に行きたいという気が失せてしまって、逆に、色々な旅の思い出が、走馬灯のように脳裏を駆け巡るのが面白い。
   NHK等では、海外情報の番組が頻繁に放映されており、実際に現地で味わった思い出を重ね合わせて見ていると、不思議にも、色々な物語が浮かび上がってくる。
   特に、歴史遺産などには、その後の、知見の増加もあって、新しい発見を感じて嬉しくなることがある。

   この口絵写真は、もう、50年も前のブエノスアイレスのナイトクラブ・ビエホアルマセンで撮ったタンゴ演奏のワンショットである。
   一眼レフのF1.2のレンズを開放して撮って増感現像したのだが、なぜだか、唯一の古い旅の記録として残っている。
   下記の修復なったレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の写真を見ると、必死になってレオナルド行脚に明け暮れていた頃が、無性に懐かしい。
   

   海外旅行は、若くて元気な時に行くべきで、行きたいと思うときが好機であって、円高などはどうでも良いのかも知れない。
   異文化異文明との遭遇と、世界規模での歴史的な驚異にインスパイアーされる魅力は、何ものにも代え難い筈。
   そんな気もしている。
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Nikon 1 J3 パーになって残念

2024年05月16日 | 生活随想・趣味
   ミラーレスカメラのはしりのころ、Nikon 1 J3 小型10倍ズームキットを買った。口絵写真のカメラである。
   ミニマルデザインと優雅なフォルムの世界最小ボディー。
   そこに凝縮された革新的な機能。
   撮りたい瞬間を逃さない高速AF&高速連写性能もさらに進化しました。と言うふれ込みで、2013年2月7日新発売であった。
   オープン価格なので覚えてはいないが、10万円はしなかったが、かなり高かった。
   残っている記録では、
   1 NIKKOR VR 10-100mm f/4-5.6 旧製品 2013年2月7日発売 希望小売価格:99,000円(税別 90,000円)と言うから、レンズだけでも相当なものだったのである。
   在来型の一眼レフや高精度のデジカメを常用しているので、最近では、全く使うことはなかった。
   しかし、小型でズーム力もありコンパクトなので、中国やロシアの旅には持って行って重宝した。

   ところで、久しぶりに使おうと思って倉庫から引っ張りだして、電池を充電して使おうとしたら、液晶画面に画像が出てこない。
   他のデジタル機能などは、DATAなどディスプレイされるので問題ないのだが、レンズがオープンしないので、画像が結ばないのであろうか。
   色々、試みてみたが、治らず埓が開かない。

   ニコンイメージングに問題点を指摘して問い合わせたら、Nikon Support から、次のような回答が帰ってきた。
   すでにお試し済みの場合は恐縮ですが、念のため、カメラとレンズの
CPU接点を乾いた柔らかい布で清掃した後、何度か装着しなおしていただき、
状況をご確認いただきたく存じます。

また、他にもレンズをご所有の場合は、別のレンズを装着してご指摘の
現象が発生するかご確認いただきますようお願いいたします。

複数のレンズで発生する場合、カメラ側の修理が必要な状況と存じますが、
Nikon 1 J3につきましては、すでに修理サービス期間を終了しており、
修理補修用部品の在庫もないため、点検や修理での対応ができかねる
状況でございます。

また、特定のレンズ装着時に現象が発生する場合、レンズ側の修理が
必要な状況と考えられますが、現在修理受付可能なレンズは、以下ページに
記載のとおりとなります。

   1 NIKKOR VR 10-100mm f/4-5.6しか使っていないと回答したら、
   他に動作をご確認いただけるレンズをご所有でない場合、前回ご案内した
内容以上にお客様ご自身でお試しいただける操作はなく、ご指摘の症状
については、カメラとレンズのどちらに原因があるか分かりかねます。

CPU接点の清掃やレンズを何度か装着し直しても改善しない場合、カメラと
レンズ両方の点検・修理が必要な状況と存じますが、前回ご案内の通り、
Nikon 1 J3については、点検や修理での対応ができかねます。

なお、ご所有のレンズが1 NIKKOR VR 10-100mm f/4-5.6 の場合は、
現在も修理を承っておりますので、レンズの点検・修理をご依頼
いただくことをご検討くださいませ。

※カメラ側に原因がある場合、レンズのみの点検・修理では改善しません。
あらかじめご了承ください。

   結局、素人考えだが、
レンズとカメラのCPU接点に問題がるのなら、レンズだけ修理しても、機能するかどうかは分からない。完全に修理できなければ無意味なので、諦めることにした。
   機械ものは、常時使っていないと、ダメになることは分かっていて、そのような苦い経験を多くしているのだが、後の祭り、
   良いカメラだったので、残念だが、仕方がない。
   使い始めて、まだ、たった10年と少し、
   せめて、20年くらいは、パーツを保存するとかメイテナンス期間を延ばせないか、と思っている。
   後で買ったCanonのミラーレスは、現役で動いている。
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わがブログ:ブログ開設から7013日

2024年05月13日 | 生活随想・趣味
   今日、何となくわがブログの編集㌻を見ると、「ブログ開設から7013日」という表示に気がついた。
   ブログを始めたのは、2005年3月であるから、もう、19年、そうなるのであろうか。
   ほぼ、月の7割以上の日々に書き続けてきたので、記事数は5000篇を超えているであろうか。

   熟年の文化徒然雑記帳
   徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。
   と言うことで、ブログを書き始めた。
   最初は、海外生活が長くて、結構苦労しながら世界中を歩いてきたので、面白い話もあって、海外の紀行や見聞録など世界の徒然雑記旅を書こうと思っていた。
   しかし、既に、現役を引退して自由な生活に入っており、生活の場や趣味嗜好も広がっていたし、良く考えてみれば、60年以上にわたって、多方面に生きてきたので、思い出も多岐にわたっている。結局、思い出は二の次になって、ブログのタイトルのように、その都度の関心事を綴ることになった。

   海外生活は、1972年初夏に、アメリカのビジネススクールへ入学するために、フィラデルフィアへの旅立ちから始まった。
   その後、前後して、アメリカに2年、ブラジルに4年、オランダに3年、イギリスに5年住んで、ブラジルとイギリスには永住権も持っていた。
   1993年に帰国するまでは、東京での勤務も海外関係の業務担当であり、年の過半は海外に行き来していたので、海外漬けの生活であった。
   その後も頻繁に海外に出ていた。このブログが始まった2005年以降、特に、最近は海外には縁がなくなってしまったが、それでも、このブログで、ヨーロッパ、アメリカ、中国、ロシアへの旅紀行を書いていて、本にしようかと思ったこともある。
   女学生節の「向こう通るは女学生 三人揃ったその中で」を、フィラデルフィアの大学を出てロンドンパリを股に掛けて、地で行った話や、
   チャールズ皇太子(現英国王チャールズ三世)との会話やダイアナ妃との面会握手などを始め、思いも掛けなかったような遭遇や経験に驚きを感じながらの連続で、無我夢中で突っ走ってきた様な気がしている。  
   一泊以上した訪問国は、30カ国以上で、若かったから出来たようなもので、危険との隣合わせで、異国人との切った張ったの激しいビジネス戦争の連続、
   鞄一つを持って、英語と日本語だけで徒手空拳、無手勝流で世界を歩いてきたのだが、今なら、出来ない。

   ところで、海外紀行をブログに書こうと思ったのは、倉庫に、海外旅行で撮った膨大な写真が、ネガと共に、行李2杯に残っていて、それを整理しながら思い出を反芻しようと思ったからである。当時は、まだ、多少張り付いたり色褪せしてはいたが、デジタル化は可能であり、懐かしい写真が綺麗に再現できた。
   しかし、20年経った今、倉庫に埋もれて取り出しようもなく、私も歳で、諦めざるを得ない。
   それに、パソコンを使い始めた1990年代後半に、備忘録のつもりで記録し始めたヨーロッパ記録が、パソコンのパンクで、全部ダメになって消えてしまった。
   まだ、60前後であったから、記憶は鮮明だったが、気が多くて記録も出来ず、歳に勝てなくなって、今や、万事休す。

   一部、残っていた記録を起して、クラシックやシェイクスピア鑑賞の思い出を、このブログにも残したが、欧米のオペラハウスやコンサートホールに通いつめ、歴史遺産や名だたる博物館・美術館を行脚してきたので、写真と記録があれば、多少気の利いた欧米の文化文明論を書けたのにと思うと残念である。

   さて、このブログで、比較的多い記事は、経済学や経営学に関するブックレビューや評論記事であるが、これは、大学や大学院で専攻した学問に対して、ずっと、興味を持って勉強し続けてきたと言うことにつきる。
   多くの観劇記事は、私の趣味である。
   色々あったが、もう一年で、満20年。


追記:写真は、良く訪れたロンドンのシャーロックホームズ・パブ。
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NHK BS4K スカラ座「ドン・カルロ」

2024年05月11日 | クラシック音楽・オペラ
   5月5日、NHK BS4Kで、ミラノ・スカラ座 ヴェルディ作曲 歌劇「ドン・カルロ(1884年ミラノ4幕版)」 が放送された。
   収録:2023年12月7日 演出:ルイス・パスクワル
  <出演>は、次の通りで、凄い布陣である。
  フィリッポニ世:ミケーレ・ペルトゥージ
  ドン・カルロ:フランチェスコ・メーリ
  ロドリーゴ:ルカ・サルシ
  大審問官/修道士:パク・ジョンミン
  修道士(カルロ五世):イ・ファンホン
  エリザベッタ:アンナ・ネトレプコ
  エボリ公女:エリーナ・ガランチャ ほか
  合唱:ミラノ・スカラ座合唱団
  管弦楽:ミラノ・スカラ座管弦楽団
  指揮:リッカルド・シャイー

   さて、2年前に、METライブビューイングの舞台をレビューして書いたが、私がドン・カルロの実演を観たのは次のたった一度だけで、
   1989年4月3日、ロンドンのロイヤルオペラの舞台であった。
   5人のトップ歌手が揃わないと上演出来ないと言う至難のオペラで、鑑賞するチャンスが極めて希有だと言う。
   指揮 リチャード・アームストロング 演出セット衣装等 ルキノ・ヴィスコンティ
   ドン・カルロス:デニス・オニール フィリップ2世:サミュエル・レイミー ロドリーゴ:ジノ・キリコ
   エリザベート:カーティア・リッチャレッリ エボリ公女:アグネス・バルツァ
   これも素晴しいキャストで、感動したという記憶だけは残っている。登場のオペラ歌手も、すべてロイヤルオペラで聴き続けて知っていたので、イメージが湧いていたし、特に、リッチャレッリとバルツァは、憧れの歌手であった。

   今回の舞台は、冒頭の第1幕の、カルロと許嫁のエリザベッタが愛を育む「フォンテンブローの森」が省略された短縮版で、
   既に父王フィリッポ二世の王妃になったエリザベッタを諦めきれないカルロの苦悩からスタートする。後半、国王は、二人の関係に苦しみ王妃に愛されない悲哀と孤独に苛まれ続ける。
   カルロは、唯一の理解者で親友の、ポーザ侯爵ロドリーゴに励まされ、カトリック教のスペインに弾圧されて虐げられているフランドルの民を救うため、戦いに加わることで愛の苦悩を忘れるよう促される。
   全編を通じて、カルロとエリザベッタの愛の交流が主旋律だが、副主題として、カルロに思いを寄せる王妃の女官エボリ公女の恋の鞘当てが絡み、運命を翻弄する。
   国王を賛美する大聖堂前の大広場では、異端者が火刑に処されるところへ、王子カルロがフランドルの使節たちを連れて現れ、フランドルの救済を願い出るが、国王は聞く耳を持たない。興奮して思わず剣を抜いたカルロは、反逆罪で捕らえられて投獄される。
   ロドリーゴは、反逆者はカルロではなく自分だということにして身代わりになって、カルロの独房にやってくる。フランドルの救済をカルロに託し、自らは暗殺される。このとき、カルロの解放を求めた民衆の暴動が起きて、その騒ぎに紛れて、エボリがカルロを牢から逃がす。
   静かな修道院で、昔の幸せを思い出しながらエリザベッタが待っているところへ、カルロが現れ、スペインを捨ててフランドルへ行き、自由のために戦うのだと告げエリザベッタも唱和して、二人は天上での再会を約して永遠の別れを告げる。
   フィリッポ2世がやって来て、カルロを捕らえようとしたが、そこへ先王カルロ5世の亡霊が現われて、カルロを連れ去る。
   
   私が注目したのは、マドリードの王宮の王の書斎の場での国王の独白で、ウィキペディアをそのまま引用すると、
   妃に一度も愛されたことがなく、今や息子にも裏切られた国王は、王として生きることの苦難について瞑想し、孤独にアリア「ひとり寂しく眠ろう」を歌い悲しみ吐露する。感情的な疎外感からの自己憐憫(弦楽器による執拗な音型の繰り返しを伴い「彼女は私を愛したことがない」という激しい感情の発露で頂点に達するアリオーソ)から死についての暗澹たる瞑想を経て自からの権力についての再認識し、最後には感情の高揚で終結するアリアとなっている。
   ところで、歴史上は、フィリッポ2世は、
   スペイン絶頂期に君臨した国王で、絶対王制の代表的君主であり、その治政はヨーロッパのみならず、中南米・アジアにも及ぶ大帝国を支配し、その繁栄は「太陽の沈まない国」と形容されたほどの史上屈指の権力者であった。
   その偉大なフィリッポ2世が、シラーの作とは言え、このオペラでは、悲哀の限りを慨嘆して泣くという落差の激しさ、
   何度かスペインを訪れて、その偉大さを実感しているのだが、歴史の虚実の不可思議さをを感じながら、素晴しいミケーレ・ペルトゥージのアリアを感慨深く聴いていた。
   それに、オランダに3年間住んでいたので、フランドルの歴史を反芻して、往時の世界史に思いを馳せた。

   このオペラでは、感動的なアリアが鏤められているのだが、終幕のエリザベッタが歌うアリア「世のむなしさを知る神よ」が胸を打つ。プーチン支持でMETを干されているアンナ・ネトレプコだが、情感豊かに切々と歌う、千両役者の貫禄である。
   軽く手を叩きながら、シャイーは、拍手の鳴り止むのを長い間待ってからバトンを振った。
   
   
   カルロの「美しい夢を見ました」に続いて、二人の二重唱「天国で会いましょう」と、別れの悲しみをうたい上げる二重唱「永遠にさらば」が、悲劇の終幕を純化して感動的である。
   

   タイトルロールのドン・カルロのフランチェスコ・メーリを凌ぐほどの歌唱の魅力を示すのはロドリーゴのルカ・サルシ、
   それに、アリアが多くて起承転結の激しい役柄を器用に熟して性格俳優ぶりも演じきるエボリ公女のエリーナ・ガランチャも凄い。
   METライブビューイングで、ネトレプコとガランチャの舞台に魅了されてきたが、今回も素晴しい舞台に接して感動した。
    
   指揮者のリッカルド・シャイーは、オペラを聴いた経験はないが、コンセルトヘボウの指揮者であったので、結構聴いている。
   ハイティンクからシャイーに変って、一気に重厚なコンセルトヘボウのサウンドが明るくなった感じがした。

   この舞台は、特に衣装が当時を再現した豪華な出で立ちで素晴しく、それに、合唱団も多くて、舞台セットも、大聖堂やエスコリアルなどをイメージしたクラシカルでシックなので、まさに、打って付けの演出効果であった。
   もう一度、METライブビューイングの録画を観ようと思っているが、流石に、ヴェルディの凄いオペラである。
   
   
   
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イングリッシュローズ:ベンジャミン・ブリテン咲く

2024年05月09日 | わが庭の歳時記
   イングリッシュローズのベンジャミン・ブリテンが咲いている。
   年によって花色が微妙に変るのだが、鮮やかなサーモンピンクのディープカップ咲きである。
   ブリテンは、英国の代表的作曲家で、ロイヤルオペラでオペラ『ピーター・グライムズ』を、ロンドン響で『戦争レクイエム』を鑑賞したが、現代曲なので良く分からなかった記憶がある。

   バラを栽培して、しばらく経ってから園芸店で見つけて、イングリッシュローズに興味を持って、デビッド・オースチンのバラ苗を求めて栽培を始めたのだが、最盛期には20種類ほど育てたと思う。
   イギリスに住んでいた頃には、まだ、それ程の知名度はなくて知らなかったのだが、優雅な花の魅力のみならず、イギリスに住んでいたという親しみもあって栽培を続けていたのである。
   このブログでのわが庭の歳時記で、結構美しく咲いているイングリッシュローズの写真を見て思い出すこともあるのだが、皆、枯れてしまって、残っているのは、このベンジャミン・ブリテンだけである。
   植えっぱなしでも、綺麗な花を咲かせ続ける椿とは違って、バラは、手間暇を厭わずに愛情を込めて大切に育てないと、綺麗な花を咲かせて応えてくれない。
   それだけに、愛おしいのである。
   
   
   
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バラ:あおいが咲き始めた

2024年05月08日 | わが庭の歳時記
   わが庭のばらも咲き出した。
   まず、あおい。
    四季咲き のフロリバンダ で赤紫の中輪 の優雅な雰囲気が、京都の都の風情を彷彿とさせていて、私の好きなバラである。
   京阪園芸の作出とかで、もう20年も以上前に京成バラ園で買って、50本以上も育てた中で、まだ、鉢植えのままだが、このバラ一株だけが、私の手元で生き続けている。
   貴重というか、健気というか、私にとっては、色々な思い出の詰まったバラである。
   
   
   
   

   ハンス・ゲーネバインも咲いている。
   
   

   今年は、夏みかんが、ビッシリと花を咲かせている。
   昨年は裏年で結実が少なくて、リスなどとの果実争奪戦で、やっと、6個確保して、マーマレードを作ったのだが、今年の晩秋は豊作なので、そんなことはなかろう。
   
   
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アヤメ、シャクヤク咲き始める

2024年05月06日 | わが庭の歳時記
   蕾が残っていた椿も、花を落とし始めた。
   椿の季節は終って、勢いよく、綺麗な新芽が伸び始めたので、ぼつぼつ、花芽を付ける準備に入るのであろう。
   梅雨が近づいてきたのか、アジサイの花芽が膨らみ始めた。

   芝庭の縁に勢いよく葉を伸していたアヤメが、咲き始めた。
   特に移植したわけではないのに、今年は、かなり、広く広がっていて風情がある。
   昔、キューガーデンの自宅の庭には、大ぶりのジャーマンアイリスが沢山咲いていた。千葉に居た時には、季節になると水郷地方に出かけて、華やかな菖蒲を鑑賞していた。
   しかし、どちらかと言えば、アヤメ系の花では、こじんまりして凜とした花姿のアヤメの方が、私の好みである。
   西洋化して色彩豊かに豪華絢爛と咲き乱れるバラや洋椿が、好きなわりには、不思議であると思っている。
   
   
   
   

   シャクヤクも、咲き始めた。まだ、咲いているのは一株だけだが、細い長い茎に大輪の花を咲かせて支えているので、いくらかは地面を這う。
   タキイで買って、結構庭うえしたのだが、消えてしまったり花が咲かなかったりしているが、咲いた花は優雅で美しい。
   木の牡丹は結構栽培が難しいが、草のシャクヤクは、植えっぱなしでも春になると芽を出して花を咲かせてくれるので、楽で良い。
   
   
   

   ヤブラン、イモカタバミ、トベラが咲いている。
   
   
   
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春たけなわ、同窓会の季節なのだが

2024年05月04日 | 
   コロナ開けで、長い間止まっていた同窓会が、昨年辺りから動き出して、この5月には、色々な同窓会の案内が来る。
   大学経済学部の卒業60周年同窓会は、本来終っているはずだが、コロナで順延されていて、今年になった。
   卒業生の内、関東在住者が50%とすれば、出席予定者は40人くらいと言うので、卒業生の約40%だから、元気なOBが、かなり多く健在だと言うべきであろうか。
   我がゼミは12名であったが、亡くなったり行方不明は5名で、その内健在なのは7名。昨年、何十年ぶりかで、ゼミの同期会を開いた。参加できたのは、その内5名で、一人が学生の頃の湯田中での合宿ゼミの写真を持ってきたので、当時の話に花が咲いたが、懐かしい思い出は尽きなかった。
   しかし、小さな集まりの同窓会や飲み会などが、一つ消え二つ消え、寂しくなってきているのだが、正式な同窓会も、もう、傘寿を越えているのだから、今回が最後ということになって、老兵の交流の場が静かに消えて行く。

   同窓会は、小学校、高校、大学、大学院とあって、何らかの形で出席してきた。
   しかし、残念ながら、中学校にはない。同期会では、生徒会長などをしていた私が音頭を取るべきだったのかも知れなかったが、途中で伊丹に移転してからも宝塚へ越境通学をしていたので縁が遠くなった。中学校の同窓会などないはずがないので、良く考えてみれば、点々と移転を繰り返しているにも拘わらず、中学校に一度も転居通知を出していないので、行方不明者になっているのであろう。
   これと同じことを、高校でもやってしまっていた。就職後程なく東京へ転勤して、大阪を離れて東京へ、そして、海外へ移転するなど激しい住所変更があったにも拘わらず、高校にも同窓会にも連絡しなかったので、長い間行方不明者扱いで、何十年も忘れられた存在であった。
   その点、大学と大学院の方は、同窓会がフォローしてくれており、迷子にならずに助かっている。

   ところで、私の方も迂闊で、同窓会名簿など何らかの形の名簿を持っている筈だが、紛失してしまって殆ど手元にない。知人友人の住所など連絡先は、年賀状用の住所録なり、このパソコンに収容されているDATAくらいであり、古い手帳や過去の年賀状を繰っても、個人情報の保護とかで、情報が制限されていて役に立たない。
   もう、歳も歳で、限られた人の間でしか交流がなくなったので、ジタバタすることもなかろう。

   さて、同窓会名簿だが、何年か前に、高校の同窓会名簿は買ったので手元にある。
   1㌻1㌻繰りながら、懐かしい友との思い出を反芻する。マドンナとの甘酸っぱい思い出も蘇ってきて切ない。

   ところで、不思議にも、手元に、口絵写真のアメリカの大学院の1994=5年版のwharton schoolの同窓会名簿が、手元に残っていることである。
   日本の同窓会名簿は、日本の同窓会の発行で、小冊子であるが、この名簿は全卒業生のオフィシャルの同窓生名簿で、電話帳程の大冊のハードカバーの立派な本である。Britannicaなどと一緒に保持していたのでなくさなかったのであろう。会社の役職も自宅の現住所も当時のままだが懐かしい。
   当然、whartonの同窓生であるトランプ前大統領の名前も68年学部卒として掲載されている。イーロン・マスクは卒業直前だったの載っていない。
   

   ところで、巷では、学歴詐称だと騒がれているが、どうでも良いと言えば問題だが、このようなオフィシャルなドキュメントを見せたり、大学から発行された学位授与証書など卒業を証するドキュメントを示せば欺しようがない筈であり、
   だめなら、極めて単純だが、正式なルートを経て、大学から卒業証明書を取れば決着がつく。これを疑うのなら論外である。
   
   
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