熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

エルピーダが潰れるのも、被災地復興工事が進まないのも当たり前(2)

2012年02月29日 | 政治・経済・社会
   財部誠一氏が、「労務費高騰で進まぬ被災地の復旧工事、反社会勢力の跋扈も」と言う記事を、NIKKEI BP netに掲載していたが、私の考えとは多少違うので、私見を述べたい。

   問題は、財部氏の言葉を引用すれば、”被災地の復旧工事が思わぬところで頓挫している。土木工事業者が初めから入札に参加しなかったり、入札が成立しないことを前提とした低価格で応札したりといった事態となり、県や市が発注する土木工事の4割前後、所によっては5割が入札不調となり、復旧工事そのものが宙に浮いてしまっている。 なぜ、そんな事態に陥っているのか。 一般的な解説は単純だ。人件費と資材の急騰で、落札して工事をしても、赤字になってしまうから、だという。確かに被災地では臨時作業員の手間賃が異常に値上がりしている。”と言う書き出しで始まっている。
   しかし、後半で、地元業者と大手のゼネコンとの違いが鮮明 だとして、「ざっくりいえば入札不調は主に地元業者が行う工事代金が500万円以下のケースで頻発しています。逆に大手・準大手のゼネコンが行う工事代金1000万円以上のケースでは入札不調が少ない。要するに大手・準大手のゼネコンは人の手当てがそれなりにきちんとできているということです」と アナリストの見解を引いて、あたかも、労務者調達力の差のように述べている。
   さらに、”建設土木工事では「公共工事で大手ゼネコンは地元の仕事を奪ってしまう存在で、地元の中小業者は泣かされている」との思い込みは、いまの入札不調の実態は必ずしもそうではない。現地の復興のためには復旧工事を出来る限り地元業者に委ねたいという気持ちは当然のことだと思うが、地元の建設業者とはいえ、人件費高騰で黒字が見込めない工事はやれない。こういう事態が続けば反社会勢力につけ込む隙を与えるばかりだ。”と言う。
   
    結論から言えば、私自身は、今回の問題は、所謂、官公需法、すなわち、「官公需についての中小企業者の受注の確保に関する法律 昭和41年6月30日 法律第97号 」によって雁字搦めに構築されてしまっている(?)地方の公共工事に対する建設業のシステムが、この国家の命運を制する復興復旧工事と言う緊急事態においても、依然として居座り続けていて、前述の制度疲労ではないが、それが暗礁に乗り上げてしまったのだと思っている。
   この法律の目的だが、”この法律は、国等が物件の買入れ等の契約を締結する場合における中小企業者の受注の機会を確保するための措置を講ずることにより、中小企業者が供給する物件等に対する需要の増進を図り、もつて中小企業の発展に資することを目的とする。”と言うことで、趣旨は、非常に見上げたもので、素晴らしいのだが、公共工事の発注は、出来るだけ、地元の中小建設業者が受注できるようにせよと言うことで、その為に取られた歪んだ行政のために、かっては、所謂、地方版の政官財の癒着の温床となっていたことは周知の事実であろう。

   極端な例を示せば、本来、5キロメートルの道路舗装工事が あったとすると、地元業者に発注するために、資格要件を満たすべく工事規模を小さくして500メートルずつ工区を切って入札にかけ、受注した地元業者が、施工能力がない場合が多いので、マージンだけ抜いて大手の道路会社に「上請け」発注して丸々施行させるようなケースが罷り通るらしい。
   この「上請け」については、東大の金本良嗣教授が、「道路舗装工事における「上請け問題」」と言うタイトルで論文を書いているので、一部引用させて貰うと、” 「上請け」が問題になる典型的なケースは,元請業者である中小業者がなんら有益な役割を果たさず,単に中間マージンを取っているだけの場合(「丸投げ(一括下請負)」のケース)である.この場合には,下請けの大手企業に直接に発注すれば,納税者は中間マージンを払う必要がなくなる.発注者が納税者の利益をまじめに考えているならば,「丸投げ」を避けようとするのは当然である.ただし,この問題は「丸投げ」という極端なケースにとどまるものではない.「上請け」がなされている場合には,「丸投げ」には至ってなくても,元請業者の技術力・経営力が劣っており,下請け(上請け)業者に直接に発注した方が工事費用を削減できる場合が多い.
   ・・・きちんとした工事ができない業者に発注した上で,その業者が施工することを強制すれば,工事品質に問題が起きることは目に見えている.上請け問題の発生メカニズム「上請け」問題の責任は一にかかって発注者にあり,発注者が変わらなければその解決はあり得ない.・・・”

   地場建設業者のみに受注機会を与えようとするシステムの問題は、これだけに止まらないのだが、ここでは、要するに、工事費が異常に高くなるだけであるから、能力のない業者に発注を行うような「上請け」システムを、絶対に許すべきではないと言うことであろうか。
   私が、幾重にも業者が絡む地元業者優先の工事施工システムが、いまだに、東北で機能しているのではないかと感じたのは、このブログでも書いたが、東電福島原発の復旧工事の作業員の日当が10万円で発注されても、東電の子会社以下多くの地元業者が間に入ってピンはねするので、実際の作業員には、8千円しか支払われていないと報道されていたからである。

   先に、結論だけ言えば、非常事態であるから、今回の復旧工事については、緊急性と経済性を最大に優先して、工事規模を出来るだけ総合化統合化してシステマティックに纏めて入札を行うこと。
   そして、時限立法でも良いから、非効率なこれまでの悪弊を破壊すべく、競争原理を働かせるためにも、全国業者をも糾合して入札を実施し、実際の工事の運用上において、受注した大手ゼネコンに、下請けを地元業者優先にするとか条件をつける等して法の精神を維持しながら、出来るだけ早く効率的に実施することが肝要だと言うことである。
   復旧事業が動き出せば、一挙に被災地域の経済が活性化する。
   早く、雇用を拡大し、地域の経済活動を動かすことが肝要である。

   手厚い保護で惰眠を貪って来た内需産業全般についても、市場の競争原理を優先して、事業を推進することが、何よりも効果的である筈で、特に、このような緊急を要する複雑な公共工事において、技術と施工能力を持った企業を外して入札するのは、経済原則に反するし、国益にもならない。
   地場の建設会社の参入については、JVや下請けを条件にするとか、行政が公正と平等を考えて対応すれば良いことで、とにかく、ICT時代に入って、大も小も平等の土俵の上で勝負が出来る時代となったのであるから、そのような視点から、新時代の潮流にマッチした地方行政があって然るべきだと思われる。 

   竹中平蔵教授が、「増税する前に「三つの異常」を正し、3%経済成長をめざすべき」と言う論文で、「雇用調整助成金」のようなばらまきをするから、必要なところに労働が回らずに、企業内失業者ばかり増えて経済がダメになるのだと言っているのだが、これは、かってのゾンビ企業を手厚く保護温存して経済を益々悪化させた轍を踏むように、建設業も同じで、地場建設会社を、「上請け」に安眠させずに、本当に競争場裏において、切磋琢磨して施工能力を高められるようなシステムを作り出すことが先決であろうと言うことである。

   今現在、元気で国際市場で活躍している断トツの技術で勝負している日本の中小企業が、結構沢山あるのだが、破壊的イノベーションや技術優位が、多くの小企業で起こっていると言うのも、新時代の潮流であり、半世紀も前の官公需法を後生大事に守って、企業努力をスポイルするようなシステムを維持している時代でもなかろう。
   私は、日本の経済の悪化・凋落は、経済に十分な競争原理を働かせられなかったことによるもので、日本人の骨の髄まで染みついた「競争すれば共倒れ」と言う競争忌避メンタリティが災いしており、このままでは、熾烈極まりないグローバリゼーションから、益々、見離なされて行くような気がして仕方がない。
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エルピーダが潰れるのも、被災地復興工事が進まないのも当たり前(1)

2012年02月28日 | 政治・経済・社会
   エルピーダが、会社更生法を申請したことにより、ものづくり産業立国の日本の将来に暗雲が立ちこみ始めた。
   DRAM価格の下落や韓国勢の攻勢をかわしきれなかったと言うのだが、まずもって、日本企業が直面している6重苦と一般的に言われている、円高、高い法人税率、自由貿易協定への対応の遅れ、製造業の派遣禁止などの労働規制、環境規制の強化、電力不足、と言ったような諸外国と比べて日本の事業環境が極めて不利となる、このように厳しいハンディを背負っておれば、当然の帰結である。
   経済産業省によると、2011年時点の法人実効税率は日本(東京都)の40.69%に対して、米国(カリフォルニア州)が40.75%、ドイツが29.41%、韓国が24.2%など。日本は法人減税と復興増税があり、12年度は38.01%になる予定だと朝日新聞は報じている。

   そのアメリカが、しびれを切らして、オバマ米政権は法人税改革案で、国際的に高水準にある連邦の最高税率を現行の35%から28%に引き下げると提案し、更に製造業は25%まで下げると言う。更に、サントラム候補は、17.5%を提言している。
   それに、最近、中国の人件費が高騰して、ドル安も加わって、米国での生産コストが下がって、国際競争力がついて来たので、中国に進出していた製造業が、米国回帰して来たと言う。
   弱り目に祟り目、20年も失われた時を過ごしてきた天然記念物のような日本には、もう、悲しいけれど、6重苦を跳ね返すことは非常に難しく、今のヴィジョンもリーダーシップも欠如した政府を頂いている限り、中々燭光が見えないのだが、このままでは、健全な日本企業まで見殺しにしてしまうことになる。

   まず、結論から言えば、日本企業が置かれている位置だが、今回のエルピーダのように、同じものを製造して国際競争を行っているような日本企業には、断トツのトップでない限り、特にモジュール型生産分野では、コスト競争力で勝つ可能性などはなく、ウィナー・テイクス・オールで、早晩、駆逐されてしまうのは目に見えていると言うことである。
   いまだに、日本企業の国際競争力の低下と業績の悪化は、円高の所為だとする見解が跋扈しているのだが、元気な時の日本企業は、ニクソン・ショック後の急速な円高や二度の石油危機にも革新に革新を重ねて、苦難を乗り越えて来たし、円高対策のためには何十年もの準備期間があった筈で、結局、あの時の活力と体力を消耗してしまったのである。

   前述した6重苦以外にも、この失われた20年間の間に、日本の政治経済社会そのものが制度疲労してしまい、時代の潮流に取り残されてしまって、熾烈極まりないグローバル競争に対応できなくなっており、その中で生きる日本企業の国際競争力は、トータルで著しく落ちてしまっている。
   日本企業で、国際競争場裏で成功を収めて利益を確保している殆どの企業は、中小企業も含めて、断トツの生産技術を誇り、市場占拠率の極めて高いオンリーワン企業が大半であることを見ても、このことが分かる。
   日本企業が、グローバル市場で勝つためには、破壊的イノベーションを追及して、オンリーワンの製品やサービスを開発して、ブルー・オーシャン市場を開拓しない限り、生き残る道はない。
   しかし、私自身は、企業を取り巻く経営環境が厳しくはなったけれど、優秀な能力とDNAを持ち、そして、素晴らしい経験を積み重ねてきた日本の企業であるから、経営目標と戦略さえしっかりして挑戦すれば、ブレイクスルーは必ず見つかるであろうと思ってはいるが、悲しいかな、時間が限られている。 

   尤も、これは、各企業の姿勢であって、政府が、積極的に6重苦を克服する努力をする必要があることは論を待たない。
   円高、高い法人税率、自由貿易協定への対応の遅れ、製造業の派遣禁止などの労働規制、環境規制の強化、電力不足、の殆どは、政府の施策によって改善することで、FTTと労働規制については、経済の活性化のためには、積極的に門戸を開放して市場の競争原理を働かさなければならないと言うことで、後ろ向きではなく、積極的に経済成長戦略を取らなければならないと言うことであろう。
   環境問題については、やはり、グリーン・イノベーションの追及であり、電力不足についても、再生可能エネルギーなど代替エネルギーへのイノベーションが必須であり、環境悪化を逆手に取った積極的な成長プログラムの推進である。
   年金問題など将来不安が国民意識に蔓延しているので、消費が伸びず、経済が停滞しているのだが、結局、日本の国民生活と経済を立て直すためには、経済成長を推し進める以外に道はないと言うことである。

   経済成長がなければ、国家債務が異常に高い日本が、将来の破綻を避けるためには、税金を上げたり国民から収奪するなどして財政を補填するか、国家資産を処分して収入を増やすなど、要するに、筍生活を余儀なくされて、国民経済の縮小均衡の道しか有り得ないのだが、日本人の殆どは、丁度、煮えガエルのように、少しずつ徐々に生活がひっ迫に向かっているので、それを意識できずに、自分の生きている間には、破綻はないと思っている。
   企業も、そうだが、国も同じで、成長が止まれば、衰退あるのみである。

   しかし、今回はエルピーダ、次は××××・・・、成熟国家になって経済に活力を失ってしまって、暗いニュースばかりが、次から次へ続き、良くなる兆しが先細って来ると、益々、世相が荒れる。
   年金も、消費税問題も、要するに、社会保障・税一体改革も重要な課題ではあるが、今こそ、国家が、真っ先に戦略を打つべきは、日本経済の成長で、これさえ前に進めば、例えば、余分に2%経済アップで、10兆円のGDPが増えて、これを10年続ければ、消費税アップなどしなくても済む。
   攻撃は最大の防御なりと言う諺があるのだが、悲しいかな、日本国は、撤退ばかりを繰り返している。










   
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何時も迷子になる私のメガネ

2012年02月27日 | 生活随想・趣味
   定かではないのだが、私は大学生になった頃からメガネを掛けはじめたと思う。
   昔の写真を見れば、いつごろからメガネをかけるようになったのか分かるのだが、古い写真がどこにあるのかも分からない。
   今でも近眼のメガネを使っているのだが、50を過ぎてから、読書に不便を感じ始めたので、遠近両用のメガネに変えた。
   しかし、便利なようでだが、あまり調子が良くなかったので、日常用と、読書用との二種類のメガネを使うようになった。

   外出の時でも、結構、本を読むことが多いので、読書用のメガネを離せないのだが、最初はメガネケースに入れて、その都度、交換をしていたけれど、煩わしいので、裸のまま、ワイシャツの胸ポケットに入れて、交換を繰り返している。
   しかし、何かの拍子に、メガネの入っているのを忘れて、胸を硬いもので押さえたりして、レンズをツル近くで折ってダメにしたり、入れたつもりが入ってなくて落としたりすることがあって、トラブルが結構多い。
   被害にあうと、ケースを使ったりするのだが、やはり、億劫なので、今も胸ポケットに入れ続けている。

   問題は、それよりも、メガネをどこかへ置き忘れて、家探しすることが多いことである。
   と言うのは、幸か不幸か、多少ピントはぼけているのだが、私は、メガネを掛けなくても、しばらくの間ならそんなに不自由をしないので、時々、メガネを外したままで作業をしたり、パソコンを叩いたりなどするので、その都度、適当なところにメガネを置いて、その場所が定まっていないので、どこに置いたか忘れてしまって往生するのである。

   尤も、置き場所を忘れるのは、歳の所為か、メガネだけではなく、鍵や財布や本や色々なものもあるのだが、一番、日常生活で脱着が激しいのはメガネであるし、それに、いくらなくても見えるとしても、やはり、メガネに勝るものはなく、ないと不便なのである。
   この口絵写真は、本の上に置いたメガネだが、殆ど見えないし、探す時間が勿体ないと思いながらも、置き場所を決められず、何時も、無意識にメガネを外して行き当たりばったりに置いてしまう。
   近くの小さな文字を読んだり、糸に針を通す時などは、メガネを外した方が良く見えるし、庭仕事などで繁みに入る時などには、当然、メガネを外すし、とにかく、近くを見る動作の時には、メガネを外すか読書用のメガネにかけ替えるかなので、どちらにしても、胸ポケットに何か入っていると、外したメガネをどこかに置いてしまうのである。

   先日も、電車の中で本を読んでいて、下車駅に近づいたので、メガネを外したものの、胸ポケットにものが入っていたので、読書用のメガネを外して空いていた横のシートに置いて、本をバッグに入れたり傘を出し入れしている間に忘れてしまって、そのまま電車を下りてしまったことがある。
   結局、愛用のメガネと、また、おさらばなのだが、要するに、物忘れが激しすぎるのか、整理整頓下手のちゃらんぽらんな性格の所為なのか、とにかく、計画性のなさと言うか、用心深く物事をキチンと出来ないか、そのあたりが原因で、大切なメガネを迷子にさせていると言うことであろう。
   
   少し前に、頭のCTスキャンを受けた時に、頭の皺が十分にあったようで、当分頭は問題ないと先生が言ってくれていたので、安心しているのだが、いずれにしろ、歳が行くと物忘れが進むことは間違いない。
   しかし、メガネに紐かチェーンをつけている人がいるが、あれだけはやりたくないと思っている。
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国立劇場:二月文楽・・・菅原伝授手習鑑

2012年02月26日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今回の菅原伝授手習鑑は、後半の「寺入りの段」と「寺子屋の段」で、一子小太郎を管秀才の身替りに差し出す松王丸と千代夫妻が主役となる実に悲しくも悲痛な物語である。
   今回、松王丸を、玉女が遣っており、私が、大分前に見た松王丸は、2回とも元気な頃の文吾が演じていた。
   千代は、今回、文雀で、その前は、簔助と紋壽であったが、いずれも素晴らしい舞台で、歌舞伎とは大分趣が違うのだが、人形遣いの芸ばかりではなく、浄瑠璃を語る大夫と三味線とが呼応して醸し出すぐいぐいドライブする高揚感が、また、堪らないところに文楽の醍醐味がある。
   特に、何回も見ていて、話の筋など知り過ぎていても、あのベートーヴェンの田園や運命を聴く度毎に感激するのと同じで、古いと言われそうだが、この理不尽極まりない寺子屋の段には、何時も特別な思いで見ている。

   この芝居を、封建時代の馬鹿らしい話と思ってしまえばそれまでだが、果たして、宮仕えである自分たちが、このような境涯に立ったら、どう生きるべきかと考えると、深刻にならざるを得ない。
   この寺子屋の段で、匿っている恩師・菅丞相の息子・菅秀才の首を差し出せと命じられた武部源蔵が、切羽詰って「せまじきものは、宮仕へ」と妻戸波とともに涙に暮れるのだが、この場合、例えば、管秀才の命を守ることが至上命令であり正義だと考えるなら、現在に置きかえれば、会社のために違法行為をやるなど絶対に許されない行動を取れるかどうかと言うことであろうか。
   もう一つ、親も兄弟二人も大恩ある人に組しているのに、自分だけ敵方に居て、何時か、恩を返したいと願っているのだが、その為に、現在なら、最も大切な家族を犠牲にしてでも、会社のために尽くすべきであろうか。
   恐らく、多くの勤め人は、このような人生の岐路には、何度も遭遇しているであろうが、真面目に、そして、真剣に生きれば生きるほど悩むこととなる。

   逆に言えば、封建時代だからこそ、この松王丸のように、妻を説得してわが子を諦めさせ、まだ、分別も定かでないわが子に、親の大義名分のために死んでくれと言えるのであって、現在のサラリーマンなら、理不尽でなければ、会社人生を棒に振ってでも、家族を守るであろうが、実際には、家族の犠牲も違法行為も、運命の暴走が正に紙一重の、ぎりぎりの状態で生きていることが多いので、苦渋の選択に迫られながら日々生きている筈である。
   「せまじきものは、宮仕へ」などと思っているようなら、もう、既に、人生の落伍者で、会社人生はまともに勤まらないと言う人が必ずいると思うのだが、問題は、そう言う次元のことではなく、正義でも何でも良いが、人生の岐路に立った時に、自分自身の生き死にの選択を迫られる、そんな時にどう生きるか、本当に誇りを持って自分自身を肯定できる価値ある生き様を貫けるかどうかと言うことである。
   そんなことを考えて、殆ど最終コーナーを回ろうとしている私自身、人生を顧みれば、反省することばかりである。

   おかしな話になってしまったが、玉男も文吾も逝ってしまった今、この松王丸を格調高く豪快に遣えるのは、やはり、玉男の薫陶を受けた玉女しかいないであろう。
   菅秀才の首実検で、自分の子供小太郎の首を確認する錯綜した苦渋の表情、妻千代への思いやり、いろは送りで小太郎を送る愁いの表情、とにかく、豪快で強気一途の松王丸から人間松王丸への変身など、実に芸が細かく、人形が呼吸をしている。
   文雀の千代は、いつもそうだが、人形と思えないような優雅で品のある佇まいは堪らない程魅力的だが、今回は、正に悲劇のヒロイン、非常に控え目な表現だが、人形のむせび泣きと号泣が聞こえてくるようで、愁いに沈む横顔の美しさなど格別である。
   武部源蔵の線の太い男意気に、和生の新境地を見たような気がしている。玉女の松王丸と互角に渡り合って爽やかであった。勘寿の戸波も実に良い。
   嶋大夫と富助の「いろは送り」は、絶品であった。
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中村邦夫著「これからのリーダーに知っておいてほしいこと」

2012年02月25日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本は、「創業者と同行二人」の思いで、破壊と創造の経営改革を実践した経営者がはじめて語り明かすリーダー論!と、帯に書かれたパナソニック中村邦夫会長の経営論である。
   中村会長のインタビューを中心に、松下幸之助の著作と哲学思想を絡ませて進めているので、非常に興味深いのだが、口絵写真で示したように、5年前に出版されたフランシス・マキナニー著「松下ウェイ」の中に、瀕死の状態であった松下電器を起死回生に導いた中村改革の実像が良く分かり、参考になる。

   「松下ウェイ」については、このブログで3回に亘って記事を書いたし、他にも、松下経営については書いたので、所々引用するが、
   危機前の松下電器は、”復興と高度成長のかっての経済社会環境では、松下幸之助が築き上げたシステムと会社体制で十分に機能していたのだが、松下が古い残滓を背負ったまま事業を行っていた間に、世界は急速にIT革命の進行に伴うデジタル化とグローバル化の進行によって様変わりを遂げてしまって、完全に時代の波に乗れずに取り残されてしまった。
   20世紀末には、創業者・松下幸之助が築いたシステムは破綻しており、松下そのものが経営危機に直面して幸之助経営の継承は不可能となっていたにも拘わらず、歴代の経営者たちは、不世出のイノベーターであり経営者であった松下幸之助の卓越した経営哲学と信条を、アップツーデイトにリッシャフル出来ずに惰眠を貪り続けてきた結果、経営管理体制は惨憺たる状態であった。”と言うことだが、このことについては、控え目ながら中村会長が、このままでは潰れると言う表現で語っている。

   これが中村会長の危機意識を刺激した。
   中村改革は、見方によっては、松下幸之助が軌道を敷いた幸之助経営学と経営路線を否定し根本的に変えてしまったと思えなくはないが、幸之助路線の継承であり、幸之助経営学の実践であると言う。
   中村会長は、松下危機を回避し再生するに際して、幸之助の「正しい経営理念を持つと同時に、それに基づく具体的な方針・方策はその時に相応しい日に新たなものでなくてはならない」と言う言葉に勇気付けられ、現実に経営を取り巻いている経済社会を真正面から見据えて、幸之助が生涯を通じて追求した哲学・行動を読み解き、幸之助なら決断から逃げなかった筈で、実際、ほぼ似たような決断を下したであろうと言う確信を得て改革を進めたという。

   幸之助は膨大な量の経営哲学に関する文献を残して逝ったのだが、実際には人生訓に近い人の生きる道を説いた思想なり世界観であったから、幸之助の信条や経営哲学は、言うならば如何ようにも解釈できるのであって、私は、中村会長の「破壊と創造」は、幸之助およびその後継者たちが築き上げた松下電器の経営方針およびシステムの破壊であり、新しい松下グループへの改革であったと思っている。
   キャッシュフロー経営やセル生産方式など、キヤノンの御手洗会長に薫陶を受けたと言うが、マキナリーなりドラッカーなどの米国型経営手法の積極的導入であろうが、それにしても、デジタル革命の影響を最も受けている筈の電気機器メーカーの松下が、社長自らeメール通信を普及させたり、IT対応の遅れが目立ったのが驚きであったが、とにかく、近代経営の体をなしていなかったのである。

   経営とはイノベーションだと説くドラッカーを引用して、中村会長はイノベーションの重要性を説いているが、中村改革は、「まねした電器」から決別して、「V製品戦略とユニーバーサルデザインの追及」への独自製品の開発を目指して、新境地を開いたのだが、何故か、中村会長が、例として挙げたのは、ノンフロン冷蔵庫とななめドラム乾燥機程度で、いまだに、競合他社と似たり寄ったりのコモディティ紛いの製品ばかりを作って、差別化出来ずにコスト競争に明け暮れている。
   悲惨なのは、「プラズマはわれわれの顔だ」と大見得を切ったプラズマ・テレビの惨状で、投資額2100億円もの巨大工場「尼崎第3工場」を、10年1月に稼働しながら、結果的に約1年半で生産停止を決めたことだが、既に、液晶テレビに主導権が移っていたにも拘わらず、そして、コモディティ化の極であったテレビで、韓台中企業の追い上げの足音を聞いていたら完全に避け得た選択で、潮流を読む経営感覚なり経営戦略の不在を露呈している。
   オープン・ビジネス、オープン・イノベーションの時代に、技術のブラック・ボックス化を後生大事に進めているのも解せないが、蛇足だから止める。

   私は、パナソニックは、骨の髄まで染みついた「まねした電器」戦略、「うちには、東京にソニーと言う研究所がありましてな。ソニーさんが何か新しいものを作って、これエエなあと思ったら、それから作ったらエエのや。」と言うあの幸之助の戦略・戦術が災いしているように思って仕方がない。
   これは、北康利著「同行二人 松下幸之助と歩む旅」で得た知識だが、井植兄弟が松下から独立して三洋電機を立ち上げて、イギリス式の噴流式洗濯機で、松下を凌駕した時に、幸之助は頭にきて井植薫を呼んで「電気洗濯機を普及させたのは誰やと思てんねん」と怒ったところ、井植薫は、松下は先発メーカーと攪拌式電気洗濯機を普及させたのは事実だが、噴流式を普及させたのは三洋で、それを皆がまねしたまでだと切り替えしたと言う。幸之助は、この時点で、イノベーションとは何か、経営戦略として如何に大切かが分かっていなかったとしか思えない。

   もう一つは、後発の松下が、先進技術を導入する為に、一方的な片務契約で膨大な金を払ったフィリップスとの提携契約で、幸之助の苦衷の決断の背中を押したのは、「あのフィリップスの研究所をつくるのには何十億円もかかるやないか。2億円でフィリップスと言う大会社を「番頭」に雇ったと思ったらええんや。」と言う考え方で、真空管、ブラウン管、蛍光灯とフィリップの技術を駆使して松下の快進撃が始まったのだが、この時の成功体験が、ソニー研究所説の淵源となり、膨大な開発費と市場開拓費をショートカットして経費を浮かして、新製品の市場が成熟した段階で一挙に市場に出てマーケットシェアを奪うまねした電器戦術の導入となった、と言う気がして仕方がない。
   勉強不足で、知らないのは私だけかもしれないが、パナソニックには、ソニーやアップルのように、一世を風靡したブルー・オーシャン市場を開拓した破壊的イノベーションの製品やサービスが、一つとして生まれなかったのではないかと思っている。

   もう一つ気になったのは、中村会長が、パナソニックのDNAは、ものづくりだと言っていたが、製造会社であったIBMが、ソフトに大変身して大成功を収めているし、アップルなどは、ファブレスの最たるメーカーであるし、この価値創造のクリエイティブ時代に、いつまでも、スマイルカーブの底辺の電気機器メーカーを通し続けるのか、ICT革命後の新時代へ打って出る明確な経営戦略ビジョンが見えないことである。

   ところで、最近、東洋経済に、『パナソニック・中村邦夫という聖域、プラズマ敗戦の「必然」』と言う記事で、天皇”、そして“雲上人”と呼ばれる中村会長への批判記事が出ていた。
   そんなことを気にせずに、この本をじっくり読んで、中村会長が、何をどう考えて苦境に立った大企業を蘇生させるべく悪戦苦闘してきたか、そして、読者に何を伝え何を訴えたかったのかを考えてみることは、非常に意義深いことだと思っている。
   日本の超有名企業が呻吟する姿に思いを馳せて、必死になって復興を目指した経営者の述懐に耳を傾ければ、日本の失われた20年の実像が、垣間見えて来る筈である。
   
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わが庭の歳時記・・・春近し

2012年02月24日 | わが庭の歳時記
   良く晴れた温かい日には、庭に小鳥たちが良く訪れてくる。
   このシジュウカラは、何羽か群れて来るのだが、不思議にも、メジロの群れと一緒に移動していることが多い。
   この日も、シジュウカラは、何を食べているのか分からなかったが、蕾の固い枝垂れ梅の枝を渡り歩いていたが、メジロは、隣の紅妙蓮寺椿の花の蜜をつついていた。
   
   庭のクロッカスが咲き始めた。
   クロッカスの花を見ると、路傍に咲き乱れていたオランダや、公園の芝生に一面に広がっていたイギリスの公園を思い出す。
   オランダでは、クロッカスが咲く頃、クロッカス・ホリディがあって、一斉に春の到来を祝うが、厳しいヨーロッパの冬から目覚める春の息吹は格別なのである。
   
   チューリップやヒヤシンスなどの芽が一斉に芽吹き始めた。
   メクラ滅法空き地だと思ったところに球根を差し込んだ感じであるから、どこに球根を植えたのか覚えていないので、思いがけたいところから芽を出していて面白い。
   クリスマス・ローズの花芽が、大分膨らんで来て、もうすぐ咲きそうである。

   バラの新芽が動き始めた。
   剪定して、殆ど地面すれすれまで切り詰めた冬のバラは、痛々しいのだが、ほっとした気持ちである。
   一寸、驚くのは、昨年末、半開きで止まっていた赤いミニバラを、そのままにしていたのだが、何度も氷点下の厳寒にも耐えて、温かい日には、咲きはじめようとする雰囲気で、多少萎みはしても瑞々しさを保っていることである。
   
   椿は、天ヶ下が、一斉に咲き始めた。
   フルグラントピンクの蕾が、ピンクの色を増して来たので、もうすぐ、咲きそうである。
   蕾が硬い他の椿が咲き始めると、本格的な春になる。
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国立能楽堂~式能

2012年02月22日 | 能・狂言
   先日、国立能楽堂で催された「式能」を鑑賞する機会を得た。
   言葉だけしか知らなっかったのだが、コトバンクによると、”儀式として催される能。江戸時代には、幕府の行事や祝典、将軍家の慶事などの際に、江戸城本丸表の舞台で翁(おきな)付き五番立ての能が催された。現在では、能楽協会などの主催するシテ方五流出演の五番立ての催しをいう。”と言うことらしい。
   狂言は兎も角、能楽には全く初歩の私には、劇薬を飲むようなものだが、朝10時から夕刻7時前まで、「五流宗家・正式五番能」と銘打ち、古式に則り、「神・男・女・鬼の五番立」を標榜する本格的な舞台を見たのである。
   この間に、狂言が四曲加わるので、能楽協会としては、大変な催し物なのであろう。

   冒頭の「翁」だが、御目出度いと言うことで、年の初めに演ずるとのことで、元々、五穀豊穣を祈る農村の行事から生まれた田楽・申楽の伝統を引くようで、千載が舞い、白式尉の白い面をつけた翁が、祭儀をつかさどって舞い、続いて、黒式尉の黒い面をつけた三番叟が、鈴を振りながら舞うと言う、物語性とか筋と言ったものはなく、「能にして能にあらず」と言われている能らしい。
   私など、極端に無駄を省いて切り詰めた、抑制に抑制を重ねた能の世界は、非常に分かり辛いのだが、とにかく、時には、歯車が止まったような全く動きのない静寂が舞台を支配する瞬間に思い至って、はっとすることがあるのだが、そんな時、舞台で舞う能役者が、異境から舞い降りた影のような気がすることがある。
   
   今回演じられた能は、「嵐山」「生田敦盛」「初雪」「通小町」「土蜘蛛」で、最後の「土蜘蛛」には、いくらか芝居がかった舞台芸術の雰囲気があったが、今回は、背もたれの字幕ディスプレィのサービスがなかったので、解説書を読んだくらいでは、謡や台詞が聞き辛いので、シチュエーションを掴むのに苦労した。
   「謡本」を見ても、歌舞伎や浄瑠璃と違って、普通、非常に短くて単純なのだが、動きが極めてスローモーションなので、大曲になるとかなりの上演時間となるのだが、研ぎ澄まされてシンプリファイされている分、鑑賞眼を豊かにして捕捉しながら楽しむべきなのかも知れない。

   芝居は別として、オペラやシェイクスピアから入り、歌舞伎や文楽と続いて、私のパーフォーマンス・アートの鑑賞が、やっと、狂言から、能楽の世界に辿り着いたのだが、能を多少なりとも楽しめるようになるためには、相当な時間を要するような気がしている。
   とは言っても、今回の賞味7時間以上の舞台鑑賞は苦痛でもなかったし、結構、雰囲気も含めて楽しみながら時間を過ごせたので、これから能楽堂に通う機会が増えると思う。
   大分前のことだが、新橋演舞場で、「仮名手本忠臣蔵」の通し狂言を、一日かかって見た時の充実感のような感慨があったのだから、分かっても分からなくても、この式能鑑賞は、私に取っては良い経験だったのである。

   狂言は、「昆布柿」「茶壺」「呼声」「梟山伏」で、とにかく、大真面目に演じるので、可笑しみが増す。
   話の辻褄が合わなくても、手前勝手でも、滲み出すような笑いを誘いだすのが、実に良い。
   能楽協会の野村萬理事長などは、「昆布柿」で、82歳と言うのに、飛び跳ねての熱演で、実に元気である。
   最近、若くて才能のある狂言師が活躍しているが、私は、熟年や老境に達した狂言師の何とも云えない人間味豊かな芸の味が好きで、年輪を経た年季の入った笑いと可笑しみは格別であると思っている。
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NHK:桂三枝 夢のブラジルへ

2012年02月21日 | 海外生活と旅
   再放送のようだが、見過ごしたので、今夜、BSで放映された標記番組を見て、久しぶりに、ブラジルの風景を見て懐かしくなった。
   私は、4年以上もブラジルのサンパウロに住んでいたのだが、それも、もう、40年近く前の、かってのブラジルの奇跡と言われた大ブラジル・ブームの時である。
   しかし、真っ赤な鳥居や大阪橋のあるガルボン・ブエノ街の雰囲気などは、殆ど当時そのままで、当時あった宝石店や土産物店も健在のようだし、今では、QBハウスに駆逐されて全く町から消えてしまった昔懐かしい散髪屋も、昔の姿で残っていた。
   尤も、この日本人街と言われていたガルボン・ブエノも、今では、日本人の影が薄くなって、東洋人街になってしまったと、日本に来ているブラジル日系人の知人が言っていた。

   桂三枝は、”自らの笑い”をもう一度見直そうとブラジルへと向かったと言う。
   サンパウロには数多くの日系人が暮らし、かつての日本同様のコミュニティーがあり、それは、まさに三枝が育った大阪市大正区と同じ。そこを旅することで“自らの笑い”の原点を探ろうと言うのである。
  確かに、ガルボン・ブエノの土産物店に、招き猫の人形が飾ってあったように、私の居た頃にも、古い日本が、そのまま、化石のようにフリーズして、ブラジルの日系人の家庭にあったのを覚えている。
   勿論、天皇皇后両陛下の御影写真が飾られている家もあった。

   昨秋、女子大学の国際コミュニケーション学部で、ブラジル学について、3回講義をすることとなったので、丁度、1年前からBRIC’sの大国ブラジルの視点を皮切りに、ブラジル全般について、改めて勉強し直したのであるが、ブラジルについての日本語の良書は、極めて少ないことに気付いた。
   BRIC’sの大国と騒がれ、オリンピックやサッカー・ワールド・カップの開催が予定されていて、正に、脚光を浴びているブラジルの筈なのだが、日本人の関心はかなり薄くて、一般の人も、ブラジルについては、アマゾンやコーヒー、今盛りのリオのカーニバル、サッカーなどと言った断片的な知識しか持っていない。

   結局、私のブラジル学の勉強の大半は、英語で書かれた専門書やメディアや政府関連の資料に頼らなければならなかったのだが、講義の資料をも兼ねて、ニューヨーク・タイムズの記者ラリー・ローターの著書「BRAZIL ON THE RISE」を種本にして、このブログで「BRIC’sの大国:ブラジル」と言うカテゴリーで、20数編記事を書いて残した。
   大学の講義では、大航海時代以前のポルトガルから説き起して、ラテン国家のモノ・カルチュア経済から、レアル・プラン成功による超インフレ克服、そして、今日の工業農業食料大国としての超大国への道へのブラジルの軌跡を軸に、サンバやカーニバル、アミーゴ社会等々、自分自身、結構楽しみながら、ブラジルの魅力を語って来た。
   私は、ブラジルと言ったラテン系の国よりも、欧米での在住の方が長くて、米国製MBAでもあり、どちらかと言えば、アングロ・サクソン文化の方に傾斜しているのだが、全く対照的な、両極端の文化や政治経済を、浮き彫りにしながら俯瞰できるのも、幸せかも知れないと思っている。

   尤も、講義の重要な課題の一つは、日本人のブラジル移民とブラジルの日系社会、そして、日伯間の切っても切れない重要な経済関係など、正に、日本のブラジルとの関係である。
   その準備を兼ねて、私は、NHKで放映された橋田壽賀子の「ハルとナツ 届かなかった手紙」を録画してあったので、見始めたのであるが、不覚にも、最後まで5回あるのだが、あまりにも、胸が詰まって、とうとう、2回目の途中で、その先が見られなくなってしまった。
   今回、桂三枝の番組で、50年の風雪に耐えて成功した迫田農園の人々の大家族の今日を放映していたが、未来を信じて新天地を求めて雄飛した13万人の日本人たちが、如何に、過酷な試練と闘って生き抜いて来たか、随分、色々な人から話を聞いて来たが、筆舌に尽くし難い苦難の連続の筈だったのである。
   しかし、それ故に、日本に対する望郷の念は冷めやらず、そのような多くの日系ブラジル人が居たからこそ、桂三枝が感じたような、どこか、昔の大阪の下町にあったような、懐かしくて暖かい、どこか、タイムスリップしたような古き良き日本の温もり・雰囲気が、ブラジルには残っているのである。
   
   ところで、桂三枝の「ブラジルは夢の中」と言う新作落語を、是非、聴いてみたいと思っている。
   
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”ミャンマーへ急げ”と言うけれど

2012年02月20日 | 経営・ビジネス
   このタイトルは、今夜の日経夕刊のトップ記事である。
   電子版では、”日本企業、ミャンマーに急接近 ビジネス渡航増加  資源や成長力が魅力 ”と言うことだが、日本経済が頭打ちで、アジアなどの新興国への進出が、先行きの暗い日本企業の活路を見出す道だと言った記事が新聞や経済誌を賑わせているのだが、本当にそうだろうかと言う前に、何時も思うのは、日本企業にその能力があるのだろうかと言う疑問である。
   
   例えば、BRIC’sを考えても、中国には日系進出企業も多くてかなりの成功企業があるのだが、インドでは突出しているのはスズキだけだし、ブラジルでも、ロシアでも、進出が遅れたのみならず規模もかなり消極的であるから、華々しく活躍している企業は少ない。
   国内で真面に成功できない企業が、海外に出て成功する例はないであろうが、かって、アメリカの多国籍企業が世界中で猛威を振るい、シュラバン・シュレベールに「アメリカの挑戦 」の中で、アメリカの多国籍企業の存在を、「第3の帝国」と言わしめた時代から、ICT革命が始まる前では、力のある最先端を行くパワーのあるMNCが、世界市場を押さえることが可能であった。
   力で、世界市場を押さえこむことがある程度可能であった、グローバリゼーションと富の伝播は先進国の力で拡散したと言えなくもなかったのである。
   日本が、Japan as No.1と持ち上げられて、破竹の勢いで快進撃していた1990年代初年までは、正に、この潮流に乗った時代であった。
   
   グローバル・ビジネスの場合、日本企業も、日本人ビジネスマンも、最大の問題は、国際感覚なり海外事業への適応能力の欠如だと思っている。
   海外での生活は勿論、文化文明や国民性などが全く違うので、ビジネスそのものも根本的に違うのだが、単一民族単一文化単一価値観(?)にあまりにも感化洗脳されてしまった日本ビジネスマンが、殆ど国際経験や知識も感覚もなく海外に出かけて事業につき、ローカル人材を十分に活用出来ないのみならず経営者への登用もせずに、日本人派遣社員も短期間で交代し、更に、日本本社の経営陣が国際感覚欠如の日本志向オンリーであれば、グローバル・ビジネスで成功する筈がない。

   半世紀以上も前に、アーノルド・トインビーが、何故アメリカ人が世界中で嫌われるのか、独自の世界を作り上げて同化しないからだと喝破したが、あの当時は、アメリカの一人勝ち。しかし、今や、日本は、普通の国となった弱体化した成熟国家で、同化出来なければ勝ち目はない。
   ドラッカーが、日本企業が、最もグローバル化していないと言っていたのもこのあたりのことを言っていたのであろうが、随分前の話だが、私自身、長い間、海外事業に携わって来て、多くのこのような日本企業の失敗を見て来ている。
   日本人の海外留学生が激変し、国際人材が縮小傾向にある現状を考えれば、益々、お先真っ暗であり、短期間の英語研修や海外派遣で茶を濁す姑息な手段では、ダメである。
   商社などの仲人口に乗って、切羽詰って海外に出る中小企業が、結構多いようだが、自活できなければ、レバシリ、インパキ、ユダヤ、華僑、イン僑等々、名うての豪のものが犇めいているグローバル戦場で、ウカウカしていると餌食になるのが関の山。ローカルにマッチしたオンリーワン・ビジネスでなければ生きて行けない。

   これまでは一般論だが、日本の海外進出企業の多くは製造業なので、これからは、製造業主体に考えてみたい。
   世界はフラット化したとフリードマンは言ったが、私は、むしろ、バンカジ・ゲマワットの言う「コークの味は国ごとに違うべき」だと思っている。
   日本企業の問題は、この味の違いを理解できない、理解してビジネスを行おうとしないし出来ないと言うことである。

   これまで、このブログで、プラハラードの「ネクスト・マーケット」でのBOP市場の開拓や、GEとヴィジャイ・ゴヴィンダラジャン教授の「リバース・イノベーション」について論じ、今日では、新興国に置いて、その新興国のニーズに合わせて新興国自身で開発された商品やサービスが、新興国では勿論、グローバル市場でも非常に重要な位置を占めるようになったことを論じて来た。
   リバース・イノベーションとは、”先進国の製品がグローバル市場に伝播するのがグローバリゼーションで、次は、ローカル・ニーズに合わせて先進国の製品を改良して提供するのがグローカリゼーションで、最後のリーバス・イノベーションの段階では、まず、ローカル・ニーズに合わせて新興国で開発され、その製品の質が向上して世界標準となって、グローバル市場に供給されると言うことである。”
   GEは、”インドで開発した1000ドルの携帯型心電計(ECG)MAC400や、中国で開発した1万5000ドルのコンパクト超音波診断装置(ラップトップPCを使用した安価な携帯型)”が、今日では、欧米日での主力商品となっており、今や、インドの新開発R&D組織は、本国を凌駕する程だと言う。

   先に論じたように、日本企業が世界の市場を制覇していた時期には、品質さえ良ければ、競争相手がなかったので、売れたし世界市場を押さえられた。 
   しかし、日本企業が製造して販売しているような製品、特に、コモディティ化してしまった最終製品は、デジタル化の進行でモジュール化してしまってコスト競争が熾烈を極め、これまでのような持続的イノベーションでは十分な差別化が出来ず競争できなくなってしまった。
   そして、日本企業がターゲットとする先進国の成長鈍化による市場縮小に反比例して、新興国のボリュームゾーンやBOPなど底辺の市場が急拡大して来た。

   しかし、これらの新市場は、これまで、日本企業が国際市場で製造販売していた商品とは全く次元の違う別なカテゴリーの商品である。
   すなわち、日本流の高度なスペックの商品を、多少品質を落としたり機能を削ったり材料の質を落としたりしてローカル・ニーズに合わせたようなグローカリゼーション商品では、ダメであり、ローカルの人間が、全く、違ったゼロからの発想で作り出したローカル・イノベーションの商品であり、良ければ、リバース・イノベーションとして、逆に、グローバル市場を席巻できるような商品でなければならないのである。
   果たして、日本企業に、その覚悟があるかどうかと言うことであろう。
  
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国立劇場:二月文楽~義経千本桜

2012年02月18日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   「義経千本桜」と言うタイトルだが、知盛、いがみの権太、狐忠信が、夫々主人公の三部構成のような浄瑠璃に成っていて、時々義経が顔を出すと言う、殆ど義経が狂言回しのような舞台。
   今回は、追手を逃れて大和を下る維盛一家に絡む物語で、下市の住人嫌われ者ののいがみの権太(勘十郎)の悲劇を描いたもので、この関西では普通に使われていてなじみ深い言葉「権太」の語源だと言うから面白い。
   「あの子、権太やなあ」とよく言うのだが、広辞苑によると、権太は、①わるもの。ごろつき。②いたずらで手におえない子供。と言うことだが、この文楽では①だが、普通は②の意味で使うことが多い。

   この同じ舞台が歌舞伎でも上演されるのだが、私は、関西ムードがムンムンしているこのいがみの権太を主人公とする三段目は、上方役者でないと、絶対に、作者並木千柳の意図した味は出せないと思っていたので、5年前に、仁左衛門の胸のすくような権太を観た時にはいたく感激したのを覚えている。
   文楽の方は、浄瑠璃が元々大阪弁であり、人形遣いが上方オリジンの人々なので、これは問題がない。

   「すし屋の段」では、住大夫と源大夫の二人の人間国宝と千歳大夫が語る予定であったが、源大夫が病気休演悪ために、英大夫が代演に立ったが、お里を人間国宝の簔助が、弥助・維盛を紋壽が遣うなど大変な布陣で、非常に熱の籠った舞台が展開されて素晴らしかった。
   何よりも、この段には、非常に内容豊かなバリエーションに富んだ物語やテーマが込められていて、大夫の語りと三味線が、縦横無尽にその魅力を掘り起こし醸し出して、それに、人形が踊って、素晴らしい世界が展開されるのである。

   人形は、遣い手の歳には関係なく表情を演じるが、逆に、ナレーションは勿論、貴賤や身分を問わずすべての老若男女を一人で語り切る大夫には、やはり、いくばくかは肉声故の歳の重圧がかかるようだが、それを殆ど超越しているのが、住大夫の芸。
   冒頭の、弥助との祝言を母に念を押すお里の愛に目覚めた乙女の初々しさ、心安く弥助と呼んでくれと頼む弥助に維盛だと分かっている故に主人の前の名前を呼び捨てに出来ないと言いつくろう弥左衛門女房(簔二郎)の会話から、一挙にシーンが代わって、弥左衛門(玉也)の留守を目がけて母に無心に来た空涙で甘える権太ところりと騙される甘い母親の会話へと転換するのだが、アメリカでシンガーだと呼ばれたと言う住大夫の語りには、語りを忘れてしまうような魔力と言うか胸に迫る迫力がある。

   この段で非常に興味深いのは、簔助の遣うお里で、優男で上品な弥助との祝言が嬉しくて嬉しくて仕方なく、表現が悪いが色気づいた乙女の一日千秋の思いで待ち焦がれる床入りの描写が秀逸で、真っ赤な布団を運んできて隣室に敷きながら、枕を立てて、自分の枕をぴったり弥助の枕にくっつけたり、早く床入りをと弥助にしなだりかかってモーションをかけて誘うなど、大夫の語りもそうだが、結構、色っぽいのである。
   尤も、弥助は、妻あり子を持つ身で、”「二世も三世も固めの枕二つ並べたこちや寝よ」と先へころりと転寝は、恋の罠とは見えにけり、”のお里に、維盛は”枕に寄り添い給ひ・・・二世の固めは赦して、”と大夫は語るのだが、何故か、紋壽の弥助は、元の座敷で端座したまま動かず。
   そこへ、一夜の宿を求めて妻の若葉の内侍(文昇)と若君六代(玉翔)が訪れて来て、3人の会話を狸寝をして聞いていたお里の人生は一挙に暗転、「たとへ焦がれて死ぬればとて、雲居に近き御方へ、鮨屋の娘が惚れられようか。」と切々と訴えかけるお里のクドキが哀れである。
   弥助に強引に床入りを誘った随分積極的な娘でありながら、純情可憐に一途に思い詰めた心の内を切々と吐露しながらも、最後は、きっぱりと諦めて、旅支度をして三人を送り出す健気なお里を、簔助は、実に感動的に遣っていて、お里の表情立ち居振る舞いの優雅さに涙が零れるほどである。

   もう一つの見どころは、いがみの権太の歌舞伎で言う「もどり」である。
   非道な行動を取る悪人が、後に、実は善人であったことを明らかにする演出を歌舞伎では「もどり」と言うのだが、いがみの権太は、その典型である。
   大詰めで、ならず者の権太が、実家にかくまっていた維盛の首を切り落とし、その首と維盛妻子の身柄を梶原平三に引き渡すのだが、それを怒った父弥左衛門が権太を刺し、瀕死の状態の権太が、最後に、首は実は偽物で、維盛妻子の身代わりとして自分の妻子を差し出したことを明かすのである。
   この日の演目でもある「菅原伝授手習鑑」の松王丸のケースもこれで、「義太夫狂言」には、結構多いテーマである。

    冒頭の「椎の木の段」で、しがみ付いて来る倅善太(玉誉)にデレデレであった権太が、若君六代の身替りとして縛ろうとしたが、手元が狂って縄がかけられなかったなど、女房小仙(簔一郎)と善太を差し出すのが如何に苦しかったか血を吐くような権太の心情吐露も胸を打つ。
   ところが、実は、この権太の決死の思い入れも実は、水の泡で、維盛の父重盛に命を助けられた頼朝が、恩に報いるために、梶原に指示して、維盛を助けるつもりであったことが分かる。
   頼朝が用意した衣を身にまとって維盛は出家し、六代は内侍に伴われて高雄に旅立つところで幕。
   果たして、運命の悪戯に翻弄させた庶民の悲喜劇を持って、並木は何を語りたかったのか、義経千本桜の筈が、善人頼朝の顔が見える戯曲の面白さもそうだが、暗転暗転の世界を描きながら、人間の深層心理を試すようなシナリオが面白いと言うことであろうか。

   ところで、権太を遣った勘十郎は、私自身は期待通りの上方生粋の権太であったと思うのだが、豪快でありながら繊細で、非常に魅せてくれた。
   当日の「日本振袖始」でも、非常にダイナミックで妖艶な「岩長姫」を遣って、三面六臂の活躍ぶりであった。 

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アカデミー賞映画:ガンジー

2012年02月17日 | 政治・経済・社会
   毎年、アカデミー賞の季節が近づくと、WOWWOWやBSなどで、アカデミー賞受賞映画が放映される。
   映画「ガンジー」を放映途中で見始めたのだが、見た筈でありながら、覚えているのは断片程度。
   途中で止められなくなって最後まで見て、翌朝、録画した映画を最初から見直した。
   BRIC’sの大国として脚光を浴びており、私自身、インドの経済や経営を勉強し始めたのているので、改めて、インドの姿を、ガンジーの生き様を通して見直す好機となった。

   冒頭、壮大なガンジー(ベン・キングズレー)の葬儀を実況放映するBBCのアナウンサーが、アインシュタインの言葉を引用した。”将来の人たちは、とても信じないだろう。このような人間が地球上に実在したことを”
   正にこの言葉どおりに、マハトマ・ガンジー(GANDHI ガンディ)は、ヒンズー、イスラム、シーク、ユダヤ、キリストなど多くの異教を何億人も束ねて、民衆の暴動を排除して「非暴力、不服従」政策を押し通して、国民が意思に背けば徹底的に断食を通しぬいて、大英帝国を敵に回して、インドの独立を勝ち取ると言う途轍もない偉業を成し遂げたのである。

   あのベルリンの崩壊後の東ヨーロッパの独立蜂起や昨今のイスラム諸国の自由化への暴力的な内戦状態を考えれば、歴史的な状態も世界情勢も全く違うので、比較の埒外だが、改めて、ヨーロッパの市民社会が築き上げてきた民主主義とは、一体何だったのかと考えざるを得ない。
   私がイギリスに居た時には、まだ、ネルソン・マンデラは獄中にいて、トラファルガー広場で、激しい解放デモが繰り広げられていたのだが、当時でも、人種差別政策の極みとも言うべきアパルトヘイトは激しかった。
   この南アに、ガンジーは、イギリスで学んで弁護士資格を取得して、インド人商社の顧問弁護士として赴任するのだが、1等客車に乗っていたのを叩き出され、通りさえ歩けないインド人にたいする人種差別に激しい怒りを覚えた。
   これが発端で、ガンジーは、インド人移民に呼びかけて、身分証明カードを焼き拾てることを提唱し、激しい弾圧にも拘わらず無抵抗で抗議を続け、暴力をいっさい用いずに闘うことを信条とし、アシュラム(共同農園)を建設して、差別反対闘争にインド人労働者たちも次第に結束し始め、インド内外の注目を集める。

   1915年ボンベイに戻ったガンジーはインド国民から英雄として迎えられ、当時、イギリスからの独立を願っていたインドの指導的立場にある人々と糾合して、ガンジーの独立闘争が始まる。
   イギリス政府の弾圧の凄まじさは、イギリスのダイヤー将軍(エドワード・フォックス)率いる軍隊が、一列縦隊になって、アムリツァールの公園で、自由を求めて集う集会中の群衆に向かって発砲し、退路を断たれて逃げ惑う女子供をも、情け容赦なく無差別に殺戮し、1516人の死傷者を出すという悲惨な事件が起こった。
   今のシリアと同じで、インド人のグルカ兵やイスラム兵が、最新鋭の連射英国銃を同胞のインド人に向けて、隊列を敷いて入れ代わり立ち代わり発砲し続ける光景を、この映画は執拗に放映し続ける。

   もう一つの悲惨な光景は、ガンジーが設立したインド人による製塩所を、軌道に乗ったところでイギリス軍に取り上げられ、インド人労働者達が隊列を組んで工場に入ろうとするところを、警官たちに警棒で情け容赦なく叩きのめされて瀕死の状態にも拘わらず、一列一列と整然と、延々と向かって行く凄まじいインド魂に、感じ入った『ニューヨーク・タイムズ』の記者ウォーカー(マーティン・シーン)が、電話にしがみついて記事を送り続ける姿は、感動的でさえある。
   民家の壁に掛けられた公衆電話を握りしめて、必死に原稿を絶叫し続ける記者を、戸口にしがみ付くように眺める女子供や放心状態で屯する村人たちがじっと見ている姿は、正に、植民地としてインドを蹂躙し続けて来たイギリス帝国主義への告発でもあった。

   その前に、イギリス人が独占していた製塩事業に対抗するため、民衆と共にガンジーが、海岸へ向けて“塩の大行進”を決行するのだが、インドの製綿繊維業を壊滅状態に陥れた英国製の衣類を焼くように呼びかける国民動員運動なども含めて、国と村の独立自尊と産業の復権を求めるガンジー主義がインドを目覚めさせる。
   逮捕されたガンジーは、1931年、釈放されて、アーウィン卿(ジョン・ギールグッド)と交渉の結果、ロンドンの円卓会議に出席したが、独立は勝ち取れなかった。
   しかし、焦るネール(ロシャン・セス)たち指導者に、ガンジーは、平然と手動の糸繰り機を回しながら独立は熟柿状態にあると説く。

   結局は、独立を勝ち取るのだが、イスラム教徒のパキスタンが分離独立し、映画は、国境地帯をすれ違ってインドとパキスタンに移動する民衆たちとその激しい殺戮映像を、今日の両国の悲劇の導火線の象徴として活写しており、ヒンズー教徒でありながら全宗教の平等を説いたコスモポリタンのガンジーの統一インドの独立の夢は実現しなかった。
   この映画では、大英帝国の植民地主義の身勝手と過酷さの裏に登場した、最初からガンジーを支援するイギリス人牧師アンドリューズ(イアン・チャールソン)、ガンジーを撮影し続ける『ライフ』の女性記者バーク=ホワイト(キャンディス・バーゲン)、ガンジーに同情的な判決を下す判事のブルームフィールド(トレヴァー・ハワード)それに、最後までガンジーの傍近くに付き添って世話をしていた英国の提督の娘スレード嬢等々、白人たちの爽やかなサポートも嫌味がなくて良い。

   私見だが、ガンジーが英国弁護士であり、英国の法制度がかなり民主的であったこと(インド人には適用されなかったが、ガンジーは逆手に取った)、それに、アメリカのジャーナリズムが民主的で良心があったこと等々も、ガンジーの活躍に貢献したのであろうと思う。
   それにしても、膨大な資金と人材を動員して、一切手を抜かずに、こんなに素晴らしい映画を作る時代があったと言うことは驚きでもある。

   ところで、このガンジーを支えてずっと行動を共にしたネールが、ガンジーの死後インド初代の首相となり、社会主義を通して、国家が経済を主導する計画経済を推進した結果、折角独立したインドが経済発展からも世界のひのき舞台からも取り残されて来たのだが、やっと、1991年の自由化政策で門戸を世界に開いて、テイクオフし、快進撃を始めた。
   ネールの遺産とも言うべきIIT出身の俊英たちの目覚ましい活躍と、経済社会のICT革命が、今日のインドを、未来大国の雄に押し上げるべく、これが誘い水となって、インド人のビジネス魂に火をつけたのである。
   インド人の国連などの国際舞台での活躍は大変なもので、今では、米国の財界トップや、著名な経済学者や経営学者やジャーナリストなどの逸材の多くも、インド・オリジンであり、インディアン・パワーが炸裂し始めている。
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アクロポリス、CM撮影に貸し出し

2012年02月16日 | 政治・経済・社会
   今日のワールドWaveでのフランス2で、国家財政の赤字を埋めるためには、背に腹は代えられないと、ギリシャ文化省が、パルテノン神殿のあるアクロポリスを、テレビなどの撮影にレンタルすることにしたと放映していた。
   既に、国際的な飲料会社や携帯電話会社などと交渉に入ったと言うのだが、学者や観光客あたりから、ギリシャが世界に誇る世界文化遺産を汚す暴挙だと非難が出ていると言う。
   文化省は、トレード・マークになったりしないよう台本など計画を審査すると言うことで、他の歴史的遺産や建造物についても、民間や企業のイヴェントや結婚式などにレンタルすることで、多くの引き合いが来ているらしい。

   パルテノン破風を飾っていたエルギン・マーブルを返せと英国政府に噛み付いた「日曜はダメよ」のメリーナ・メルクーリならどう言うか、興味のあるところだが、私は、先日もこのブログで触れたように、経済的には、あくまで経済的な理由に限定すれば、ギリシャは、パルテノンを、ドイツあたりに売ることも選択肢だと思っている。
   どう考えても、経済そのものが崩壊していて、ギリシャ国家自身、統治能力を喪失している上に、昔の第1次世界大戦後のドイツのように立ち上がり不可能なような経済財政負担と窮乏化政策を強いられれば、自立など不可能である。
   玉石混交のヨーロッパの国を束ねたEUの経済体制そのものに問題があったのだろうが、リバイヤサンと化した資本主義経済を野放しにしたEUの政治体制の責任も重い。

   ところで、アクロポリスのコマーシャル用レンタル政策だが、結論から言えば、私論だが、保存と管理さえしっかりして居れば、それ程目くじらを立てることでもないと思っている。
   パルテノンは、オスマン帝国によって火薬庫として使われていたのだが、ヴェネツィア共和国の攻撃によって爆発炎上し、神殿建築や彫刻などはひどい損傷を受けた。その後、オスマン帝国の了承を得たエルギン伯は、神殿から焼け残った彫刻類を取り外して英国に持ち帰り、ロンドンの大英博物館に売却されて、エルギン・マーブルとして残っている。

   このエルギン・マーブルを、もう、随分前の話になるが、私は、この大英博物館で開催された日本の某大銀行の支店長交代パーティに出席して、ワイン片手に長い間鑑賞していたことがる。
   ナショナル・ポートレート・ギャラリーでも同じ経験をしたのだが、当時、英国では、歴史的建造物や文化遺産をイベントなどで民間に活用させていたのである。
   日本では、目くじら立てて反対する人が多いと思うのだが、イギリスでは、歴史的建造物や文化遺産的な構築物を、コンサートやパーフォーマンス・アートに使用したり、文化学術的に活用するのは日常茶飯事的に行われているし、民間にもどんどん貸し出されていたのである。
   宮殿やシティの歴史的建物でのコンサートやオペラ、或いはパーティや宴会などは、勿論のこと、地方の古城や宮殿なども、民間イヴェントの恰好の会場であり、この傾向は、イギリスには止まらず、ヨーロッパ各地で行われていることでもある。

   問題は、民間企業が自社の或いはブランドのコマーシャルとして営利目的のために使うと言うことにあると思うのだが、これは、程度の問題であろう。
   どこまでが歴史的世界文化遺産にとって許されるべきか、そうでないかは、その国の民度の問題である。
   特に、今回の場合には、CM撮影としてのレンタルであるから、放映される内容や方法など事後の問題はあるが、映画撮影と同じだと考えれば、文化遺産に対する直接的なダメッジは少なそうである。

   歴史的文化遺産は、人類に取って極めて貴重な財産であり、このパルテノン神殿など、その最たるものであろう。
   私は、2度しか訪れていないが、最初は、アクティオンに立っていた女神像が、次に行った時には、併設の美術館に移されて頑丈なガラスケースに展示されてしまっていて、大英博物館の1体の方が、すぐ、手の届くような位置にあって臨場感がある。
   あのモナ・リザも最初に見た時には、絵の前に小さなバーがあるだけで、そのまま、額縁に手が触れる位置にあったが、今では、頑丈なケースの中で、ガラスが邪魔して絵もまともに見られなくなってしまっている。
   私が言いたいのは、文化遺産は大切にしなければならないが、問題は、どのように保存管理を行って後世に残すかと言うことで、バーミアンの石窟寺院の仏像破壊のようになっては、悔やんでも悔やみきれない。
   それと同時に、いくら歴史遺産と言っても、当時の人々にとっては生活の場であり公共建物であり権威の象徴であり、とにかく、人々が呼吸していた同じ空気を吸っていた人間の香り息吹がする建造物であり文化遺産であると言うことを、忘れてはならないと思っている。
   能役者は、観阿弥世阿弥時代の面や衣装を大切に維持管理し、今でも、舞台で使い続けていると言う。
   出来れば、歴史的文化的世界遺産であっても、後世へ残すための保存と管理には万全を期すべきだが、現在の人々の生活や活動のためにも、現役としての活動の場を与えて行くことも必要だろうと思っている。
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国民に番号「マイナンバー」法案閣議決定 国会に提出

2012年02月14日 | 政治・経済・社会
   国民総背番号制に近いシステムの導入だと思うが、私など、1972年にビジネス・スクールへ入学した時に、アメリカ政府が、私にソーシャル・セキュリティ番号をくれたので、殆ど記憶はなくなったが、何をするのにも、この番号を提示することを求められて、これで、私のIDはすべて事足りたように思う。
   ソーシャル・セキュリティ番号が打たれた写真入りのペンシルヴェニア大学(ウォートン・スクールだったかも知れない)発行のIDカードが、私のIDカードで、これさえあれば、アメリカで安心して生活できると思っていた。
   ヨーロッパにも居たのだが、オランダとイギリスがどうだったか忘れてしまったが、何事も番号が必要だったと思うので、この国民背番号制度が実施されていたのだと思う。

   朝日の電子版だと、”政府は国民に番号をつけることで、個人の所得や介護・医療などの社会保障の情報を一元管理しようとしている。法案が成立すれば、2014年秋から、日本に暮らす個人と企業に番号が割りふられる。15年1月からICチップ付きカードが配られる予定だ。 政府は、国税庁や自治体がばらばらに管理している所得などの情報を一つにまとめ、社会保障を受ける人に、より正確な給付ができるとしている。”と報じている。
   また、”金融機関からは預貯金などの情報、医療機関からは診察歴などを提供してもらうため、個人情報が漏れたり、目的外で使われたりすることを不安に思う国民も多い。政府は個人情報が保護されているか監視する第三者機関をつくったり、罰則を定めたりする。”とも言う。

   結論から言えば、私など全面的に「マイナンバー」制度は賛成で、何の心配もしていない。
   今でも、個人の情報などは、あっちこっちに保存・貯蔵されているのだが、結構、流失しているし、例えば、銀行などは自行で保有する顧客の情報をフルに使って営業活動を行っているようだし、役所などでも、背番号制に関係なく、悪意で利用しようと思えばいくらでも出来るし、背番号制とは関係はない。
   日本より、はるかに複雑怪奇で問題の多いアメリカで何十年も実施していて、ICT革命後も止めようとする気配もなく、 実施され続けていると言うことは、所謂、これこそが現代社会制度のデファクト・スタンダードだと言うことであろう。

   勿論、言葉は悪いが、このマイナンバーを最小限度必要な人が叩けば、特定の個人情報が、一網打尽、芋蔓式に表示されると言うことは、かっての戦前の歴史を考えれば、危険極まりないと言う感覚は十分にある。
   早い話が、個人の預貯金や資産状況が総て明らかとなって情報が捕捉されていれば、日本の国家債務の状態は世界最悪で、いつ崩壊しても不思議ではないので、イザと言う時には、政府が、預金封鎖、ディスカウントした新円との交換、あらゆる形の徳政令の実施などは簡単に手が付けられる。

   それでも、今の日本の経済社会制度は、個人情報があっちこっちに四散していて不自由極まりなく、たとえば、複数の医療関係の情報が統一されて、いついかなる時・場所においても、個人の健康状態を捕捉できることになれば、非常に助かる。
   政府の目的は、「税と社会保障の一体改革」と言うことであるから、既に破綻の危機に瀕している年金や保険などの原資確保がその一つであろうが、私は、大前研一氏が提言している資産課税には賛成なので、国民の個人資産1500兆円を完全に捕捉することが必要だと思っているので、そのためにも「マイナンバー」制度は必須である。

   ところで、セキュリティの問題だが、アメリカの国防省やホワイトハウスがハッカーなどのターゲットになる時代で、リアル・ウォーよりサイバー戦争の方が深刻な問題となっている今日であるから、いくら、監視機関を強化してセキュリティを確保しようとしても、ICT技術上は不可能で、むしろ、利用者の悪意やモラル欠如などによる危険防止の方が主体となろうか。
   結局、マイナンバー制度の実施云々と言うよりも、人間社会の問題がどこまでもついて回るということである。
   
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平井俊顕監修「危機の中で<ケインズ>から学ぶ」

2012年02月13日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   昨年5月に創設されたと言うケインズ学会の出版で、その前に開催されたケインズ学を通して世界や日本の経済の行く末や資本主義を展望したケインズ・パイロット・シンポジウムの記録を皮切りに、ケインズ学派と思しき経済学者たちが、ケインズをとらえる視座からケインズ論を展開していて、統一性はないが、多岐に亘ってのケインズ学(?)が非常に示唆に富んでいて面白い。

   私が経済学部の学生であった頃は、恐らく、近代経済学ではケインズ経済学が最も幅を利かせていた頃ではないかと思うのだが、当時の京大は、マル経の勢力が強くて、ケインズ経済学を専門とした講座はなかった筈で、私自身は、「経済成長と景気循環」に興味を持って勉強していたので、ハーバード大教授のアルビン・H・ハンセンの「ケインズ経済学入門」「財政政策と景気循環」、サミュエルソンの「ECONOMICS」などから間接的に、ケインズにアプローチしたように思う。
   クラインの「ケインズ革命」や、ジョーン・ロビンソンなどの本も読んだが、良く分からなかったし、ケインズの「一般理論」も読んでいないし、その後関連書籍を読んだにしても、偉そうにケインズ経済学はと言えるほど、まともに勉強したことがないので、今回のこの本は、改めて良い勉強になった。
   尤も、逆に一寸ほっとしているのは、それ程、私自身のケインズ経済学の解釈は間違ってはいなかったなあと言う思いである。

   アメリカのビジネス・スクールに居た頃は、丁度、ニクソン大統領の時で、アメリカの経済成長が減速してスタグフレーションに陥り、ブレトン・ウッズ体制が崩壊するなど、経済の大転換期で、ケインズ経済学が曲がり角に差し掛かった頃だと思うが、私は、当時出版されたガルブレイスの「 Economics and the Public Purpose 」を買って読んだ記憶はあるが、経営学を勉強していたので、経済学の動向には時間もなかったしあまり関心がなかった
   当時のノーベル賞受賞者が、ポール・サミュエルソンやサイモン・クズネッツから、フリードリヒ・ハイエクやミルトン・フリードマンになり、オーストリア学派およびマネタリズムへ移って行ったところを見ると、新古典派価格理論と市場主義的自由主義経済学者へと勢力が移る転換期だったのかも知れない。

   この本で書かれているところを見ても、資本主義は、70年代中葉から自由放任主義思想へ大きく舵を切り始め、90年代前後には社会主義体制の崩壊を迎えて、この動きが一層加速度を増して、政府による経済への介入は効率性を阻害し、経済に発展を妨げているから、規制を可能な限り撤廃するように構造を改革すべきだと言う市場原理主義思想が世界中に蔓延して、やみくもの自由化によって、一気に金融のグローバリゼーションに突っ走って、今回の世界経済危機を齎したと言うのである。
  市場を神格化するあまり、あげくには「市場の不存在」「市場の不透明化」現象の著しい拡大を齎し、市場システム自体を混乱に陥れて、資本主義そのものを危機的な状態に追い込んでしまった今日こそ、正に、新しい資本主義観を再構築する必要に迫られている。
   従って、資本主義社会の持つ病弊を鋭く指摘し、その改革を求めたケインズの資本主義観は、近年の対照的な資本主義観が齎した「歪な資本主義」を是正して行くうえで強力な導きの道標となる。今こそ、ケインズ経済学復権の時である。と言う訳である。

   戦後は、ミクロ経済が新古典派の経済学、マクロ経済学がケインズ経済学と言う二刀流と言うことで、サミュエルソンの「新古典派総合」が一般的に受け入れられていたが、ケインズ経済学は間違っているとするミルトン・フリードマンを経て、ルーカスやプレスコットなどのシカゴ学派がリアル・ビジネス・サイクル論を展開し、マクロ経済学の新古典派的な理解が支配的となり、2006年、アメリカ経済学会の会長講演で、ルーカスが、景気循環問題は既に完全に解決されているし、そもそも大した問題ではないのだと述べるまでに至った。
   ところが、その2年後にリーマン・ショックが勃発した。
   過去30年くらいの間、マクロ経済学は非常に新古典派的に展開して来たのだが、クルーグマンが、このことを捉えて、過去30年間マクロ経済は、”spectacularly useless at best, and positively harmful at worst”と批判した。
   経済界の動きとは独立して、リーマン・ショック後、中国を含めて世界全体で、ケインズ政策を取り、財政出動により、概ね先進国の落ち込みは緩和され、ケインズ理論は学会の動きとは独立して、世界のポリシー・メーカーによって支持されて来ている。 
   金融政策についても、戦後一貫してケインズ的なマネタリー・ポリシーの枠組みから大きく外れたと言うことはなく、新古典派的な考え方で政策運営されたことは、基本的になかった。と吉川洋教授は言う。

   戦間期の混乱する世界経済にあって、大胆な経済理論・経済政策を提言し、世界システムの構築にも大胆な構想を打ち出し、既存の経済学や思想に果敢に挑戦したケインズ・スピリットが、果たして、混迷を極める世界経済の問題解決に、如何にブレイクスルー策を提供できるのか、伊藤光晴先生が、不況対策としてのケインズ政策の限界に言及しているのだが、この本でも各所で展開されているように、新自由主義、シュンペーターの発展理論などとの総合的なアプローチなど、現代資本主義にマッチした発展的なケインズ経済学の理論構築が求められるのであろうか。

   余談だが、この本では、教えられることが多く、私など、ケインズよりもシュンペーター・ファンなので、塩野谷祐一教授の「ケインズとシュンペーター」論文などは、非常に面白かった。
   私は、理解不足かもしれないが、ケインズ政策は、どうしても、需要拡大に主眼が行き、牛を水際まで連れて行くことは出来ても、必ずしも牛に水を飲ませられるとは限らないと言う限界があるので、水を飲ませられるような経済成長刺激策・牽引力、すなわち、経済発展を始動させるイノベーター的な役割を重視するシュンペーターの経済発展理論との融合・総合が必須ではないかと思っている。

   一寸興味深いのは、菅首相の経済的ブレーンであったと言う小野善康教授の所謂「第3の道論」だが、当時は、良く分からなくて批判していたのだが、要するに、公共自治体は、眠っている金を税金で吸い上げてでも、実際の実需に向かうように雇用を増やしたり実物に対して支出して需要を拡大して資金を回すことだと言う理論は、経済政策の1実行手法として面白い。
   ケインズ政策で実施する公共投資や公共支出、補助金などは、実需に向かわずに、預貯金などに回ったり無駄であったりして経済活動から脱落するなどがあるのは無意味であって、その支出も、将来の経済発展・国民生活の向上に役立つものを目指した実需拡大のためのものに注力すべきで、その資金調達も消費性向の低い金持ちからの増税で賄うのがベターだと言う考えなどは、十分傾聴に値すると思っている。
   日本経済にとって、最も重要なことは、眠っている1500兆円と言われる個人の金融資産であって、大前研一氏が説くように、資産課税を1%とするだけでも、経済発展と活性化のために15兆円を動かせる。不況など一挙に飛んでしまう。
   サミュエルソンの乗数理論の波及論的解釈が間違っていたとした鬼頭教授の話を伊藤先生はしていたが、要は、ケインズ政策も、意図した理論通りに、実際に、乗数効果を実現できるような需要拡大政策でなければ効果が薄いと言うことであろうが、経済成長力を喪失した成熟経済では、どうあるべきかは、次の重要な課題であろう。
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冬こそ、窓辺に明るい花を

2012年02月12日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   私は、結構、頻繁に園芸店に出かけて行く。
   肥料や薬剤を買うとか日用雑貨を買うとか、目的がある時もあるが、大体にふらっと出かけるのである。
   どんな花や花木が出ているのか、何か珍しい観葉植物でも出ていないかと言った感じで出かけるので、店頭で見て衝動買いをすることが多い。
   
   庭には、余った空間が少なくなっているので、花木ではなく、窓辺に置く鉢花や観葉植物が多いのだが、この方は、結構寿命が短いので、頻繁に交換することが出来る。
   園芸店やガーデン・センターには、色々な種類の花が売られているのだが、結果的には、自分の好みが決まってしまっているので、大体同じ種類の花を買ってしまうことになる。
   今、日当たりの良いリビングの出窓に置いてある鉢花は、シクラメンが2鉢、バラが2鉢、カランコエが1鉢、アマリリスが2鉢、観葉植物が2鉢である。
   それに、間に、リアドロ人形が5体などヨーロッパで買った花瓶や古風なブロンズ製のスタンドなどが置いてあるので、結構、コミコミだが、かなり広いので、外の庭への空間は十分で、遅い朝から陽が良く入って明るい。

   窓辺に置くものを選んで、もっとシンプルにすれば、と言う気持ちもあるが、これでも、オランダ人の家の窓辺よりは、遠慮がちである。
   オランダでは、寒い国なのに窓が大きくて、窓辺の花も部屋の家具も、外から人が良く見えるように飾るように置かれているのに、最初はびっくりしたのだが、私たちが住んでいた頃には、田舎などの家には、カーテンさえなく、夜も昼も私生活が外から丸見えであった。
   これも、生きて行くための昔からの知恵で、国民性の違いだと思ったが、世界中が物騒になって来た昨今では、大らかで豊かなヨーロッパの公序良俗も、金融危機の如く廃れて行ってしまうのであろう。

   さて、私の方の問題は、窓やカーテンの開け閉めの時に、花瓶や人形を転がして壊すことで、リアドロなどは、ところどころ、セメダインのお世話になっているのがある。
   植木鉢の方は、出来るだけ、液肥の頻度にも注意しているつもりなのだが、時々水やりを忘れて、花が惨めな格好になることがある。
   花の色は、やはり、冬は、暖色系主体となって、赤やピンクが多いのだが、夏には、ブルー系統をと思っている。
   いずれにしろ、庭の彩が寂しい冬の窓辺には、明るい鉢花があり、レースのカーテンごしの光を受けて逆光に輝いているのを見ているとほっとする。

   切り花は、今のところ、庭には椿しか咲いていないので、霜に傷んでいない花を選んで、花瓶に生けている。
   ピンクは、大輪の曙、小輪の小公子、やや赤いピンクは、うらく67、赤は、紅妙蓮寺と獅子頭、そんな所だが、テーブルなどの上に花瓶を置けば、寒い部屋にもアクセントになる。
   花瓶に挿す花は、バラと椿が主体なのだが、1年中、大体、庭に咲く花を切って生けておれば、と切れることはない。
   毎年、同じように咲いてくれるわけではないのだが、その時々の雰囲気で、気にいった花を切って、適当な花瓶を選んで生けると言うのも、結構面白いのである。
   
   
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