財部誠一氏が、「労務費高騰で進まぬ被災地の復旧工事、反社会勢力の跋扈も」と言う記事を、NIKKEI BP netに掲載していたが、私の考えとは多少違うので、私見を述べたい。
問題は、財部氏の言葉を引用すれば、”被災地の復旧工事が思わぬところで頓挫している。土木工事業者が初めから入札に参加しなかったり、入札が成立しないことを前提とした低価格で応札したりといった事態となり、県や市が発注する土木工事の4割前後、所によっては5割が入札不調となり、復旧工事そのものが宙に浮いてしまっている。 なぜ、そんな事態に陥っているのか。 一般的な解説は単純だ。人件費と資材の急騰で、落札して工事をしても、赤字になってしまうから、だという。確かに被災地では臨時作業員の手間賃が異常に値上がりしている。”と言う書き出しで始まっている。
しかし、後半で、地元業者と大手のゼネコンとの違いが鮮明 だとして、「ざっくりいえば入札不調は主に地元業者が行う工事代金が500万円以下のケースで頻発しています。逆に大手・準大手のゼネコンが行う工事代金1000万円以上のケースでは入札不調が少ない。要するに大手・準大手のゼネコンは人の手当てがそれなりにきちんとできているということです」と アナリストの見解を引いて、あたかも、労務者調達力の差のように述べている。
さらに、”建設土木工事では「公共工事で大手ゼネコンは地元の仕事を奪ってしまう存在で、地元の中小業者は泣かされている」との思い込みは、いまの入札不調の実態は必ずしもそうではない。現地の復興のためには復旧工事を出来る限り地元業者に委ねたいという気持ちは当然のことだと思うが、地元の建設業者とはいえ、人件費高騰で黒字が見込めない工事はやれない。こういう事態が続けば反社会勢力につけ込む隙を与えるばかりだ。”と言う。
結論から言えば、私自身は、今回の問題は、所謂、官公需法、すなわち、「官公需についての中小企業者の受注の確保に関する法律 昭和41年6月30日 法律第97号 」によって雁字搦めに構築されてしまっている(?)地方の公共工事に対する建設業のシステムが、この国家の命運を制する復興復旧工事と言う緊急事態においても、依然として居座り続けていて、前述の制度疲労ではないが、それが暗礁に乗り上げてしまったのだと思っている。
この法律の目的だが、”この法律は、国等が物件の買入れ等の契約を締結する場合における中小企業者の受注の機会を確保するための措置を講ずることにより、中小企業者が供給する物件等に対する需要の増進を図り、もつて中小企業の発展に資することを目的とする。”と言うことで、趣旨は、非常に見上げたもので、素晴らしいのだが、公共工事の発注は、出来るだけ、地元の中小建設業者が受注できるようにせよと言うことで、その為に取られた歪んだ行政のために、かっては、所謂、地方版の政官財の癒着の温床となっていたことは周知の事実であろう。
極端な例を示せば、本来、5キロメートルの道路舗装工事が あったとすると、地元業者に発注するために、資格要件を満たすべく工事規模を小さくして500メートルずつ工区を切って入札にかけ、受注した地元業者が、施工能力がない場合が多いので、マージンだけ抜いて大手の道路会社に「上請け」発注して丸々施行させるようなケースが罷り通るらしい。
この「上請け」については、東大の金本良嗣教授が、「道路舗装工事における「上請け問題」」と言うタイトルで論文を書いているので、一部引用させて貰うと、” 「上請け」が問題になる典型的なケースは,元請業者である中小業者がなんら有益な役割を果たさず,単に中間マージンを取っているだけの場合(「丸投げ(一括下請負)」のケース)である.この場合には,下請けの大手企業に直接に発注すれば,納税者は中間マージンを払う必要がなくなる.発注者が納税者の利益をまじめに考えているならば,「丸投げ」を避けようとするのは当然である.ただし,この問題は「丸投げ」という極端なケースにとどまるものではない.「上請け」がなされている場合には,「丸投げ」には至ってなくても,元請業者の技術力・経営力が劣っており,下請け(上請け)業者に直接に発注した方が工事費用を削減できる場合が多い.
・・・きちんとした工事ができない業者に発注した上で,その業者が施工することを強制すれば,工事品質に問題が起きることは目に見えている.上請け問題の発生メカニズム「上請け」問題の責任は一にかかって発注者にあり,発注者が変わらなければその解決はあり得ない.・・・”
地場建設業者のみに受注機会を与えようとするシステムの問題は、これだけに止まらないのだが、ここでは、要するに、工事費が異常に高くなるだけであるから、能力のない業者に発注を行うような「上請け」システムを、絶対に許すべきではないと言うことであろうか。
私が、幾重にも業者が絡む地元業者優先の工事施工システムが、いまだに、東北で機能しているのではないかと感じたのは、このブログでも書いたが、東電福島原発の復旧工事の作業員の日当が10万円で発注されても、東電の子会社以下多くの地元業者が間に入ってピンはねするので、実際の作業員には、8千円しか支払われていないと報道されていたからである。
先に、結論だけ言えば、非常事態であるから、今回の復旧工事については、緊急性と経済性を最大に優先して、工事規模を出来るだけ総合化統合化してシステマティックに纏めて入札を行うこと。
そして、時限立法でも良いから、非効率なこれまでの悪弊を破壊すべく、競争原理を働かせるためにも、全国業者をも糾合して入札を実施し、実際の工事の運用上において、受注した大手ゼネコンに、下請けを地元業者優先にするとか条件をつける等して法の精神を維持しながら、出来るだけ早く効率的に実施することが肝要だと言うことである。
復旧事業が動き出せば、一挙に被災地域の経済が活性化する。
早く、雇用を拡大し、地域の経済活動を動かすことが肝要である。
手厚い保護で惰眠を貪って来た内需産業全般についても、市場の競争原理を優先して、事業を推進することが、何よりも効果的である筈で、特に、このような緊急を要する複雑な公共工事において、技術と施工能力を持った企業を外して入札するのは、経済原則に反するし、国益にもならない。
地場の建設会社の参入については、JVや下請けを条件にするとか、行政が公正と平等を考えて対応すれば良いことで、とにかく、ICT時代に入って、大も小も平等の土俵の上で勝負が出来る時代となったのであるから、そのような視点から、新時代の潮流にマッチした地方行政があって然るべきだと思われる。
竹中平蔵教授が、「増税する前に「三つの異常」を正し、3%経済成長をめざすべき」と言う論文で、「雇用調整助成金」のようなばらまきをするから、必要なところに労働が回らずに、企業内失業者ばかり増えて経済がダメになるのだと言っているのだが、これは、かってのゾンビ企業を手厚く保護温存して経済を益々悪化させた轍を踏むように、建設業も同じで、地場建設会社を、「上請け」に安眠させずに、本当に競争場裏において、切磋琢磨して施工能力を高められるようなシステムを作り出すことが先決であろうと言うことである。
今現在、元気で国際市場で活躍している断トツの技術で勝負している日本の中小企業が、結構沢山あるのだが、破壊的イノベーションや技術優位が、多くの小企業で起こっていると言うのも、新時代の潮流であり、半世紀も前の官公需法を後生大事に守って、企業努力をスポイルするようなシステムを維持している時代でもなかろう。
私は、日本の経済の悪化・凋落は、経済に十分な競争原理を働かせられなかったことによるもので、日本人の骨の髄まで染みついた「競争すれば共倒れ」と言う競争忌避メンタリティが災いしており、このままでは、熾烈極まりないグローバリゼーションから、益々、見離なされて行くような気がして仕方がない。
問題は、財部氏の言葉を引用すれば、”被災地の復旧工事が思わぬところで頓挫している。土木工事業者が初めから入札に参加しなかったり、入札が成立しないことを前提とした低価格で応札したりといった事態となり、県や市が発注する土木工事の4割前後、所によっては5割が入札不調となり、復旧工事そのものが宙に浮いてしまっている。 なぜ、そんな事態に陥っているのか。 一般的な解説は単純だ。人件費と資材の急騰で、落札して工事をしても、赤字になってしまうから、だという。確かに被災地では臨時作業員の手間賃が異常に値上がりしている。”と言う書き出しで始まっている。
しかし、後半で、地元業者と大手のゼネコンとの違いが鮮明 だとして、「ざっくりいえば入札不調は主に地元業者が行う工事代金が500万円以下のケースで頻発しています。逆に大手・準大手のゼネコンが行う工事代金1000万円以上のケースでは入札不調が少ない。要するに大手・準大手のゼネコンは人の手当てがそれなりにきちんとできているということです」と アナリストの見解を引いて、あたかも、労務者調達力の差のように述べている。
さらに、”建設土木工事では「公共工事で大手ゼネコンは地元の仕事を奪ってしまう存在で、地元の中小業者は泣かされている」との思い込みは、いまの入札不調の実態は必ずしもそうではない。現地の復興のためには復旧工事を出来る限り地元業者に委ねたいという気持ちは当然のことだと思うが、地元の建設業者とはいえ、人件費高騰で黒字が見込めない工事はやれない。こういう事態が続けば反社会勢力につけ込む隙を与えるばかりだ。”と言う。
結論から言えば、私自身は、今回の問題は、所謂、官公需法、すなわち、「官公需についての中小企業者の受注の確保に関する法律 昭和41年6月30日 法律第97号 」によって雁字搦めに構築されてしまっている(?)地方の公共工事に対する建設業のシステムが、この国家の命運を制する復興復旧工事と言う緊急事態においても、依然として居座り続けていて、前述の制度疲労ではないが、それが暗礁に乗り上げてしまったのだと思っている。
この法律の目的だが、”この法律は、国等が物件の買入れ等の契約を締結する場合における中小企業者の受注の機会を確保するための措置を講ずることにより、中小企業者が供給する物件等に対する需要の増進を図り、もつて中小企業の発展に資することを目的とする。”と言うことで、趣旨は、非常に見上げたもので、素晴らしいのだが、公共工事の発注は、出来るだけ、地元の中小建設業者が受注できるようにせよと言うことで、その為に取られた歪んだ行政のために、かっては、所謂、地方版の政官財の癒着の温床となっていたことは周知の事実であろう。
極端な例を示せば、本来、5キロメートルの道路舗装工事が あったとすると、地元業者に発注するために、資格要件を満たすべく工事規模を小さくして500メートルずつ工区を切って入札にかけ、受注した地元業者が、施工能力がない場合が多いので、マージンだけ抜いて大手の道路会社に「上請け」発注して丸々施行させるようなケースが罷り通るらしい。
この「上請け」については、東大の金本良嗣教授が、「道路舗装工事における「上請け問題」」と言うタイトルで論文を書いているので、一部引用させて貰うと、” 「上請け」が問題になる典型的なケースは,元請業者である中小業者がなんら有益な役割を果たさず,単に中間マージンを取っているだけの場合(「丸投げ(一括下請負)」のケース)である.この場合には,下請けの大手企業に直接に発注すれば,納税者は中間マージンを払う必要がなくなる.発注者が納税者の利益をまじめに考えているならば,「丸投げ」を避けようとするのは当然である.ただし,この問題は「丸投げ」という極端なケースにとどまるものではない.「上請け」がなされている場合には,「丸投げ」には至ってなくても,元請業者の技術力・経営力が劣っており,下請け(上請け)業者に直接に発注した方が工事費用を削減できる場合が多い.
・・・きちんとした工事ができない業者に発注した上で,その業者が施工することを強制すれば,工事品質に問題が起きることは目に見えている.上請け問題の発生メカニズム「上請け」問題の責任は一にかかって発注者にあり,発注者が変わらなければその解決はあり得ない.・・・”
地場建設業者のみに受注機会を与えようとするシステムの問題は、これだけに止まらないのだが、ここでは、要するに、工事費が異常に高くなるだけであるから、能力のない業者に発注を行うような「上請け」システムを、絶対に許すべきではないと言うことであろうか。
私が、幾重にも業者が絡む地元業者優先の工事施工システムが、いまだに、東北で機能しているのではないかと感じたのは、このブログでも書いたが、東電福島原発の復旧工事の作業員の日当が10万円で発注されても、東電の子会社以下多くの地元業者が間に入ってピンはねするので、実際の作業員には、8千円しか支払われていないと報道されていたからである。
先に、結論だけ言えば、非常事態であるから、今回の復旧工事については、緊急性と経済性を最大に優先して、工事規模を出来るだけ総合化統合化してシステマティックに纏めて入札を行うこと。
そして、時限立法でも良いから、非効率なこれまでの悪弊を破壊すべく、競争原理を働かせるためにも、全国業者をも糾合して入札を実施し、実際の工事の運用上において、受注した大手ゼネコンに、下請けを地元業者優先にするとか条件をつける等して法の精神を維持しながら、出来るだけ早く効率的に実施することが肝要だと言うことである。
復旧事業が動き出せば、一挙に被災地域の経済が活性化する。
早く、雇用を拡大し、地域の経済活動を動かすことが肝要である。
手厚い保護で惰眠を貪って来た内需産業全般についても、市場の競争原理を優先して、事業を推進することが、何よりも効果的である筈で、特に、このような緊急を要する複雑な公共工事において、技術と施工能力を持った企業を外して入札するのは、経済原則に反するし、国益にもならない。
地場の建設会社の参入については、JVや下請けを条件にするとか、行政が公正と平等を考えて対応すれば良いことで、とにかく、ICT時代に入って、大も小も平等の土俵の上で勝負が出来る時代となったのであるから、そのような視点から、新時代の潮流にマッチした地方行政があって然るべきだと思われる。
竹中平蔵教授が、「増税する前に「三つの異常」を正し、3%経済成長をめざすべき」と言う論文で、「雇用調整助成金」のようなばらまきをするから、必要なところに労働が回らずに、企業内失業者ばかり増えて経済がダメになるのだと言っているのだが、これは、かってのゾンビ企業を手厚く保護温存して経済を益々悪化させた轍を踏むように、建設業も同じで、地場建設会社を、「上請け」に安眠させずに、本当に競争場裏において、切磋琢磨して施工能力を高められるようなシステムを作り出すことが先決であろうと言うことである。
今現在、元気で国際市場で活躍している断トツの技術で勝負している日本の中小企業が、結構沢山あるのだが、破壊的イノベーションや技術優位が、多くの小企業で起こっていると言うのも、新時代の潮流であり、半世紀も前の官公需法を後生大事に守って、企業努力をスポイルするようなシステムを維持している時代でもなかろう。
私は、日本の経済の悪化・凋落は、経済に十分な競争原理を働かせられなかったことによるもので、日本人の骨の髄まで染みついた「競争すれば共倒れ」と言う競争忌避メンタリティが災いしており、このままでは、熾烈極まりないグローバリゼーションから、益々、見離なされて行くような気がして仕方がない。