シュレジンガーが、政治学者として、コンピューター等のIT革命が現代社会に与える影響について面白い論点を指摘しているので考えてみたい。
まず、現在のアメリカの政治で問題なのは、政党の力の衰退である。
政党の機能は、政治家と有権者の中間にある仲介者で、相互の違いを通訳し、政治過程を統合する絆の役割を果たしていた。
TVは、政治家を有権者の前に直接引き出し、コンピューター化された世論調査は、党組織の伝える情報よりも政治家に影響を与え、IT革命が、政党の仲介者の役割を実質的に消滅させてしまい、益々政党の衰退を加速していると言う。
建国当時は、市民が集まり小さな村でのタウンミーティングが、「純粋民主主義」を形成していたが、今日では、コンピューターの双方向性のよって、全国規模の「純粋民主主義」が可能になった。
世論調査、フォーカス・グループ(少数の市民による集団討議)、住民投票等も活発になり、国民民主主義、直接民主主義、サイバー民主主義、電子タウンミーティング、等々、代表制民主主義に変わる民主主義の動きが顕著になって来た。
シュレジンガーは、この直接民主主義への動きが、好ましい将来を約束するものであるのかと問うている。
双方向性は即席の反応を助長して、慎重な対応を妨げる。そして、大衆扇動や自己中心主義、侮辱や憎悪にはけ口を提供する。
代議制のもとでは慎重な対応が求められるが、インターネットでは、「世論の見方を洗練し、広げる」理性的な議論を促す事には貢献していない。
今回の中国での反日暴動等を考えれば、その危険性が良く分かる。
同じ様な心配を、「テレコム・メルトダウン」で、エリ・ノーム教授が、インターネットで本当に民主主義が実現するのか、と問題提起している。
技術革新の本流は、新しい現実問題を生み出し政治の仕組みも変える。
疾走する資本主義の流儀は、「創造的破壊」、益々、民主主義を不安定にする。民主主義には資本主義が必要だが、資本主義は民主主義を保障するものではないので、危険である。
コンピューター革命の恐ろしい創造的破壊は、経済のグローバル化の推進で、伝統的な民主主義の場である国民国家の破壊を引き起こす。
コンピューターは、抑制の効かない市場を地球規模の怪物に仕立て上げ、国境を破壊して国家機能を麻痺させ、誰に責任を取ることもなく、世界の政治を抜きにして世界経済を動かそうとする。
容赦のないグローバル化が進み、世界の統合が進めば進むほど、人々は理解可能な、安心な小さな世界、アイデンティティの世界を求めて、宗教原理主義や民族あるいは部族を共有する集団の中に身を寄せようとする。
20世紀は、世俗的狂信主義の時代であったが、21世紀は、宗教的狂信主義の時代となる。
宗教的狂信者は、超自然なものを崇拝する。これが、テロリズムの温床となる。
神の意志を実践していると信じるものほど恐ろしいものはない。
民主主義は、生き残るのであろうか、シュレジンガーの問いである。
ユビキタス社会の到来で、あたかもばら色の世界が展開するようなはしゃぎようで、政府も業界も浮かれているが、IT革命そのものが、本当に人類にとって幸せなことなのか、もう少し深い次元で考えてみる必要があるかも知れない。
過去の第2次までの創造的破壊・産業革命は人類の幸せと成長に貢献したが、この第3次のIT革命はどうなのか、文明の分かれ道、熟考する価値は十分にある。
まず、現在のアメリカの政治で問題なのは、政党の力の衰退である。
政党の機能は、政治家と有権者の中間にある仲介者で、相互の違いを通訳し、政治過程を統合する絆の役割を果たしていた。
TVは、政治家を有権者の前に直接引き出し、コンピューター化された世論調査は、党組織の伝える情報よりも政治家に影響を与え、IT革命が、政党の仲介者の役割を実質的に消滅させてしまい、益々政党の衰退を加速していると言う。
建国当時は、市民が集まり小さな村でのタウンミーティングが、「純粋民主主義」を形成していたが、今日では、コンピューターの双方向性のよって、全国規模の「純粋民主主義」が可能になった。
世論調査、フォーカス・グループ(少数の市民による集団討議)、住民投票等も活発になり、国民民主主義、直接民主主義、サイバー民主主義、電子タウンミーティング、等々、代表制民主主義に変わる民主主義の動きが顕著になって来た。
シュレジンガーは、この直接民主主義への動きが、好ましい将来を約束するものであるのかと問うている。
双方向性は即席の反応を助長して、慎重な対応を妨げる。そして、大衆扇動や自己中心主義、侮辱や憎悪にはけ口を提供する。
代議制のもとでは慎重な対応が求められるが、インターネットでは、「世論の見方を洗練し、広げる」理性的な議論を促す事には貢献していない。
今回の中国での反日暴動等を考えれば、その危険性が良く分かる。
同じ様な心配を、「テレコム・メルトダウン」で、エリ・ノーム教授が、インターネットで本当に民主主義が実現するのか、と問題提起している。
技術革新の本流は、新しい現実問題を生み出し政治の仕組みも変える。
疾走する資本主義の流儀は、「創造的破壊」、益々、民主主義を不安定にする。民主主義には資本主義が必要だが、資本主義は民主主義を保障するものではないので、危険である。
コンピューター革命の恐ろしい創造的破壊は、経済のグローバル化の推進で、伝統的な民主主義の場である国民国家の破壊を引き起こす。
コンピューターは、抑制の効かない市場を地球規模の怪物に仕立て上げ、国境を破壊して国家機能を麻痺させ、誰に責任を取ることもなく、世界の政治を抜きにして世界経済を動かそうとする。
容赦のないグローバル化が進み、世界の統合が進めば進むほど、人々は理解可能な、安心な小さな世界、アイデンティティの世界を求めて、宗教原理主義や民族あるいは部族を共有する集団の中に身を寄せようとする。
20世紀は、世俗的狂信主義の時代であったが、21世紀は、宗教的狂信主義の時代となる。
宗教的狂信者は、超自然なものを崇拝する。これが、テロリズムの温床となる。
神の意志を実践していると信じるものほど恐ろしいものはない。
民主主義は、生き残るのであろうか、シュレジンガーの問いである。
ユビキタス社会の到来で、あたかもばら色の世界が展開するようなはしゃぎようで、政府も業界も浮かれているが、IT革命そのものが、本当に人類にとって幸せなことなのか、もう少し深い次元で考えてみる必要があるかも知れない。
過去の第2次までの創造的破壊・産業革命は人類の幸せと成長に貢献したが、この第3次のIT革命はどうなのか、文明の分かれ道、熟考する価値は十分にある。