熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

QBハウスでヘアカットをする

2022年09月30日 | 生活随想・趣味
   最近、現役時代とは違って、よく、QBハウスに行ってヘアカットをしてもらう。
   昔は、気を使って理髪店を選んで出かけていたが、引退してからは、仕事や交際など生活そのものが、プライベート主体になって、公式な場やあらたまった場に出かけることも少なくなり、特に、後期高齢者になってからは、外向きにも気を使うことがなくなったので、散髪も、簡易なヘアカットで済ますようになったのである。
   QBハウスでは、ヘアカットだけなので、髭剃りもなければ洗髪もないので、家に帰って、風呂に入って髭を剃り頭を洗ってすっきりとしなければならない。

   このヘアカット・オンリーの経験は、既に、60年前にアメリカで経験しているので慣れている。フィラデルフィアで留学生活をしていた時である。
   大学の近辺に、結構理髪店があったのだが、殆どイタリア系のアメリカ人の店であった。
   アメリカの理髪店のシステムは、日本のようにフル・サービスの一括料金ではなくて、散髪も、ステップバイステップで料金が決まっていて、ヘアカットでいくら、髭を剃っていくら、洗髪していくら、と言った調子で、作業に応じて、料金が加算されていくので、どこまでやるかは客の判断である。
   我々日本人留学生は、経済的な問題もあったが、良く分からないムクツケキイタリア男に、カミソリを当てられるのに恐怖を感じて、カットオンリーで止めてきた。寮に帰って、シャワーを浴びて、髭を剃り頭を洗えば済むので安上がりでもあった。
   QBハウスは、このカットオンリーそのもので、その後に、バキュームで残り毛をはらうという作業を付け加えただけで、完全に、アメリカのシステムの模倣である。

   経営学の本などで、このQBハウスのヘアカット専門店のシステムが、イノベーションだと囃されているのだが、あの、ブラジルのバールの止まり木システムを模倣してスタートしたドトール・コーヒーと同様に、イノベーションと称するには、多少の疑問を感じている。
   尤も、イノベーションの権化のように言われているジョブズでさえ、基本的な革新技術は既に存在していて、それを活用し組み合わせててイノベィティブな製品を作り上げたのだと言われているように、イノベーションは、基礎技術やノウハウなどよりも、製品として実現するか、事業として成り立つか、その帰趨の方が重要であることは間違いない。
   いくら素晴しい発明や発見があっても、イノベーションを実現するためには、魔の川/死の谷/ダーウィンの海のという艱難辛苦の障害を乗り越えなければならないのである。

   さて、海外に長かったので、散髪には色々な思い出がある。
   ブラジルに居た時には、サンパウロには日本人街があって、日本人経営の理髪店があったので、全く苦労はなかった。
   ロンドンは、流石に日本人が多くて、若い日本人の理容師や美容師が店舗を構えていたので、これらのお世話になった。
   オランダのアムステルダムには、ホテルオークラに、米倉があったので助かった。
   パリでは、場違いながら、山野愛子美容室に行ったこともある。
   そうは言っても、海外を結構移動していたので、途中で理髪店に入ることがあって、何故か、意識的に中国人の店を探して行った記憶がある。
   やはり、白人理容師のカミソリ恐怖症が強かった所為だと思う。

   いずれにしろ、海外では、散髪屋に苦労したので、理髪店に行くのが少しずつ遅れ気味になってしまって、最近も、出不精になると億劫になって困っている。
   QBハウスなら、たった、10分で、1200円、
   近くにあれば楽なのだが、バスに乗らなければ行けないし、近くには、昔ながらの冴えない散髪屋しかなくて、行くのも嫌である。
   さあ、どうするか、たかが、サンパツである。
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ステファニー ケルトン:財政赤字の神話: MMTと国民のための経済の誕生(2)

2022年09月28日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   MMTの理論、すなわち、「現代金融理論」「Modern Monetary Theory」だが、ケインズ理論などをルーツとするマクロ経済理論ながら、主流派経済学を根底から否定して、「自国の通貨を持つ国家は、債務返済に充てるマネーは際限なく発行できるので、政府債務や財政赤字で破綻することはない」と言うのであるから、そのまま、新しい経済理論として信じて良いのか逡巡する。
   賛否相半ばしていて、定説には程遠い。
   やっと、MMT論に慣れ始めた私見だが、
   東洋経済には、各論入り交じって記事が掲載されている。例えば、小幡 績 慶大准教授は、ワイズスペンディングやクラウディングアウトやインフレ論などを展開して、「日本では絶対に危険な「MMT」をやってはいけない」と反論しているが、概して多くの反対論は、主流派経済学の理念が染みついて、真面に、MMT論に対峙していないような気がしている。

   再説するが、管理通貨制度の下で政府が独自に法定通貨を発行している国家では、政府に通貨発行権があるので、自由に通貨発行で支出可能である。政府が通貨発行して、必用な支出ができるのであるから、政府が自国通貨での財源不足や枯渇に直面することはなく、財源のために徴税をする必要もない。
   すなわち、今日本で深刻な問題となっている国家債務については、円建ての債務であるから、政府は債務返済に充てるお金を際限なく発行できるので、政府債務や財政赤字で破綻することはない。と言うのである。

   ケルトンが、MMTの財政政策で、一番推薦しているのは、政府の裁量的財政政策を補完するものとしての、政府による就業補償プログラム(JDP)である。いわば、完全雇用と物価安定を促す非裁量的な自動安定化装置である。
   政府は、希望する条件に合った仕事を見つけられないすべての求職者に、仕事と賃金と福祉厚生のパッケージを提供する。政府が、求職者に、人と地域社会、地球を大切にケアするような仕事を必ず見つけると補償することで、雇用市場にパブリック・オプション(公的雇用という選択肢)を設けることである。有給雇用を求める人は誰でも、政府の設定した賃金水準で就業機会を得るので、非自発的失業は消滅して完全雇用が達成される。
   就業補償があれば、経済が不振に陥ったり、一気に崩壊することがあったとしても、数百万が失業することを免れ、政府が避けられない好況と不況の波を潜り抜けるなかで、その衝撃を和らげることが出来る。景気の波が抑えられるために、物価の安定にも寄与する。
   JDPは、経済の安定化装置として自律的に機能し、財政支出を増減して景気を調整する。
   なぜ、就業補償を政府の資金で行う必要があるのか、理由は単純で、政府の資金は尽きることがないからである。と言う。
   ケルトンとしては、当然の論理であろうが、ベーシックインカムよりは、潜在労働の掘り起こしであるからマシではあろうが、そんなことまでして、完全雇用しても、経済の健全性は守られるのであろうか。

   もう一つ、ケルトンが主張するのは、本当に解決すべき人類に取って必要な「赤字(不足)」に対する積極的な支出である。
   前述の雇用の他に、真っ当な医療サービス、質の高いインフラ、クリーンな環境、気候変動対策などである。
   政府の予算プロセスは、長期的な財政均衡をゴールにすると言う根本認識で齟齬を来しているので、選択肢を絞り、血の通った人間のニーズよりも帳簿上のニーズを優先させて、経済社会を窮地に追い込んでいるのである。
   MMT論では、資金の心配はないので、人類の真のニーズを満足させ得る手を十分に打てるというわけである。

   いずれにしろ、MMT論では、その国の国家の通貨建ての債務となるので、いくら増えても資金の心配はないという見解であるから、インフレを引き起こさない限り、大判振る舞いが出来ると言うわけで、気前の良い政策を提言している。
   そのインフレ抑止策だが、増税で対処するというのは分かるが、ここでは、これ以外に、
   財源はあっても、問題は、それを満たし得る必要な人材や実物資源などの経済の生産能力があるかどうかと言うことで、これら労働力、工場、機械、原材料等には限界が有るので、不足すればコンストレインとなるのみならず、インフレ要因となるので、これらの管理と、更なるイノベーションなど科学技術の涵養が必要だと説く。
   サプライサイド経済学に踏み込んで、需給両面から、マクロ経済分析を深掘りして行けば面白いと思うのだが、ここで止まっている。

   MMT論では、いくら節度を守って正しく運営すると宣言しても、どうしても放漫財政なり恣意的な財政出動が常態化する心配があり、理論以前に、政府なり運営当事者の姿勢なりモラルが問題となるような気がしている。
   まだ、半信半疑なので、判断に迷っているが、MMTを推進するとしても、現行のような予算に縛られるというような、あるいは、暴走を抑止するプログラムなど歯止め効果をビルトインしたシステムを組み込む必要があるような気もしている。
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図書館は無料貸本屋なのであろうか

2022年09月27日 | 生活随想・趣味
   日本の古書のメールマガジンを読んでいる。
   中村文孝氏が、自著「私たちが図書館について知っている二、三の事柄」を読むにあたって、小論を書いている。

   ”公共図書館は地方自治体が税金を原資に運営している関連施設のひとつで、利用されたことのない人はほとんどいないはずだ。が、多くの利用者は、税金で運営されている他の公共施設と同様に、図書館を「無料」の貸本屋としてしかみていないのではないか。”
   ”図書館の貸出冊数が書店の推定販売冊数を超えたのが、2010年だが、それ以降は差が拡がるばかりだ。今や本を読むとは、本を買うことから始まるのではなく、借りることからになってしまった。”という。

   何故、そうなってしまったのか。
   この他にも、現在の逼塞した出版状況では、応援購入(消費ではなく)が必要になってきていること、
   導入する本の選書を含め、公共図書館と地元書店との関係性を構築出来なかったこと、
   図書館が主要業務の外部化を推進して、図書館も自らの選書能力を外部に委ねてしまったこと 
   などにも依るという。

   難しい出版業界の事情は分からないが、私の学友の何人か、それも、京大経済卒の多少知的水準も有り経済的にも困っていない筈の人間が、読みたい本があると、図書館にリクエストして手配されるのを待って読んでいるのだという。
   恥ずかしいから止めろと忠告するのだが、余程のことがないかぎり本を自分で買うことはなさそうで、本は自分で買ってしか読まない私には、その心境が分からない。
   これが、常識人の本に対する対応なら、本が売れるはずがない。

   さて、まず、私自身の図書館利用だが、高校の図書館には、時間つぶしもあって結構通ったこともあるが、京大の図書館には行ったこともないし、ペンシルバニア大学やウォートン・スクールの図書館には、論文の資料集めに少し通ったくらいで、それ以外に図書館でお世話になったことはない。
   本を他人から借りたことも殆どないし、読む本はすべて自分で買い続けてきた。
   読書ファンを自認しているので、買った本も、数千冊と膨大だが、海外を含めて何度も宿替えをしているので、その都度処分しており、今、手元にあるのは500冊くらいだと思うが、もう、平均寿命を越えたので、読み切れるはずがない。
   それでも、毎月、読みたくて、新刊を数冊ずつ買い続けている。
   生活のリズムというか、悪く言えば、一種の病気かも知れないが、趣味とはそう言うものであろうし、読書が生きがいのようなものであるから、倒れるまで続けて行きたいと思っている。
   私が逝けば、どんなに大切にしていた本でも、瞬時に処分されて消えてしまうことは分かってはいるが、後のことは気にしていない。

   ところで、本の価格だが、決して高くはないと思っている。
   私が買い続けている経済や経営の専門書だが、もう、60年以上も前になるが、1冊500円以下であったと思うのだが、1500円だったシュンペーター「経済発展の理論」の第5巻を買えずに涙を飲んだ思い出がある。
   現在、これらの普通の専門書は、2~3000円台くらいなので、当時と比べて、そんなに高くなったと思えない。

   本が売れないのは、根本的には、極端な本離れで、真面な本を、年に1冊も読まない日本人の大人が、過半だという報告もあり、先の学友のような読者が多くなれば、書店がドンドン消えて行き、本が売れなくなってくるのは、当然であろう。
   いずれにしても、人それぞれで、何かを期待して本を読むのであろうから、本に対して、その価値を認めて、大切だと思って敬意を払って接する気持ちがあるのかどうか、その人の趣味趣向なり、習慣なり、生き様や姿勢の問題だと思っている。
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映画:天井桟敷の人々 4K修復版

2022年09月26日 | 映画
   1945年 に製作・公開された名匠マルセル・カルネ監督と脚本家ジャック・プレヴェールによる フランス映画「天井桟敷の人々 Les enfants du Paradis 」が、2020年に4K修復版で75周年記念として蘇った。
   幸い、NHKの4Kで録画をしていたので、鑑賞する機会を得た。
   この映画と題名だけは、若い頃から知っていたので、観る機会を得たいと思っていて、たまたま、ロンドンに居たときに、舞台を観ることが出来た。
   騒々しい賑やかな舞台のイメージくらいが微かに残っている程度で、殆ど覚えておらず、バービカンのシェイクスピア劇場のRSCの舞台だったのか他の劇団だったのか、ウエストエンドでのミュージカルの舞台であったのか、それさえも忘れてしまっている。

   19世紀半ばのパリ、劇場が建ち並ぶ賑やかな犯罪大通りを舞台に、女芸人ガランスをめぐってさまざまな男たちが織りなす恋の鞘当て、ドロドロしたしかし鮮烈な人間模様を、第1部「犯罪大通り」、第2部「白い男」の2部構成で描く3時間に及ぶ大作。
   第2次世界大戦、ナチスドイツ占領下のフランスで、約2年の歳月と16億円の巨費をかけて製作されたと言う流石に文化国家フランスとも言うべき貴重なフィルムであり、今観ても、決して色褪せない感動的な純愛物語である。

   パントマイム芸人バチスト(ジャン=ルイ・バロー)と旬を過ぎた女芸人ガランス(アルレッティ)との純愛を軸に、女たらしのシェイクスピア俳優ルメートル(ピエール・ブラッスール)、代筆業ながら、強盗・殺人を繰りかえす犯罪詩人ラスネール(マルセル・エラン)、富豪で、社会的地位も高いモントレー伯爵(ルイ・サルー)たち一癖も二癖もある連中が、ガランスに思いを寄せて暗躍して、ドタバタ劇を演じる。

   冒頭の二人の出逢いは、
   ガランスとラスネールが、パリの犯罪大通りの「フュナンビュール座」の無言劇の客寄せ余興を楽しんでいた時に、ラスネールが、隣りの紳士から懐中時計を盗んで逃げる。ガランスが濡れ衣を着せられたのだが、盗難の一部始終を見ていた壇上の芸人・バチストがコミカルにパントマイムでそれを再現し、彼女の嫌疑を晴らす。と言うシーン。ここで、二人は、恋に落ちる。
   バローのパントマイムが秀逸であり、この映画は、若かりしバローと、熟女の妖艶で魅力的なアルレッティとのしみじみとした愛の軌跡が感動的である。

   それから数年後の第2部では、
   座長の娘ナタリー(マリア・カザレス)と結婚し一児をもうけたバチストは、フュナンビュル座の看板俳優で人気絶頂である。そのバチストを観に、毎夜お忍びで、伯爵と一緒になったガランスが、訪れている。それを知ったバチストは、舞台を抜け出し一直線にガランスに走り、再会した二人は切ない胸の内をかき口説く。
   ガランスとバチストは、かっては思いを遂げ得なかった思い出の部屋で一夜を明かし、月灯りの中ではじめて結ばれる。

   翌朝、謝肉祭の日、ラスネールはトルコ風呂屋で伯爵を刺し殺す。
   ナタリーの入れ知恵で可愛らしい子供に諭され、愛し合っていても、バチストと一緒にはなれないことを悟ったガランス。別れ際にナタリーが現れ、2人の女性はそれぞれバチストへの深い想いと苦しみを吐露し口論する。ガランスは部屋を出て、伯爵が殺されたことも知らずに決闘を止めようと馬車に乗る。バチストはナタリーを残して部屋を飛び出し、玄関にいる息子にも目もくれずガランスを追いかけて突っ走るが、カーニバルに沸く群衆に阻まれて埋もれてゆく。
   寝ても覚めても、他人と愛の交歓をしていても、ずっと念頭から離れず思い続けていたバチストとガランスの純愛が胸を締め付けて切ない。

   「天井桟敷」とは、劇場で最後方・最上階の天井に近い場所にある観客席のことで、観にくく聴きにくいので、料金が安くて、ここに詰めかける最下層の民衆とはいえ、結構通もいて鑑賞眼が冴えているので、声援や野次を飛ばす。
   歌舞伎の「大向う」と言うところであろうか。
   一寸雰囲気は違うのだが、バルセロナのリセウ大劇場で、演目は忘れたが、モンセラ・カバリエが歌うのを聴きたかったが、唯一残っていた天井桟敷の立見席を買って入場して、はるかかなたの奈落の底のソプラノを聴いたことがある。
   

   この映画は、1840年代を想定して、パリの歓楽街、劇場街を舞台にして多くの民衆達が集まって蠢く様子を、あたかもドキュメンタリー映画のように活写しており、それに、劇場の様子など克明に描写されているので、歴史的な記録としても貴重な作品になっている。
   結構、古い洋画を見続けてきたが、米国の作品とは違って、何となく、懐かしささえ覚えて、しみじみと感じながら鑑賞出来たのは、久しぶりであった。
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朋有り遠方より、便り有り

2022年09月24日 | 生活随想・趣味
   懐かしい集いが実現しそうである。
   偶然にも、大学時代のゼミの同窓生から何十年ぶりかに電話が入って、コンタクトしている間に輪が広がって、コロナが終熄しそうな来春辺りに、合おうと言うことになったのである。

   ゼミは、京都大学経済学部の岸本誠二郎教授の最晩年のクラスであった。
   同期のゼミ生は、12人であったが、その半数が銀行、残りの半数が商社へ就職した。亡くなった友が4人、音信不通が1人で、7人には連絡可能であり、愛知と茨城に1人ずつだが、残りは東京近辺に住んでいるので、昼にでも東京で集まれそうだという。
   情報網の豊かな旧バンカーの友が同窓会の音頭を取ってくれる。

   因みに、ウィキペディアによると、我が恩師は、
   岸本 誠二郎(1902年7月5日 - 1983年4月5日)は、日本の経済学者。京都大学名誉教授。専門は理論経済学。「分配と価格」に関する基本原理を作り上げた。
   岡山県出身。1925年東京帝国大学経済学部卒。1940年「価格の理論」で経済学博士(東京商科大学 (旧制))。法政大学経済学部長、東京高等師範学校教授を経て、1946年京都帝国大学教授・経済学部長となる。京都大学経済研究所の創設に尽くし1962年初代所長となる。1966年定年退官、名誉教授、國學院大學教授。1972年勲二等旭日重光章受勲。1982年日本学士院会員。1983年、死去。
   経済研究所は、池田勇人総理、水田三喜男蔵相、荒木万寿夫文相と京大卒の先輩が3人揃ったのでお願いして設立出来たと語っておられ、初代の所長に就任されたのを覚えている。マル経が強すぎた京大経済には朗報であったと思う。

   東京の世田谷に住んでおられて、ずっと、京都へ通っておられたのだが、休講された記憶はない。
   経済原論の講座と我々のゼミを毎週開講されていた。
   経済原論は、自著の「経済学概論」だったと思うが、ゼミのテキストの記憶は失念してしまったが、講座の古色蒼然とした古典とは違って、最先端の経済学であったように覚えている。
   卒業後、アメリカの大学院への留学で、推薦状をお願いするなど、何度かお宅を訪問にており、先生の学究生活の佇まいを身近に感じている。
   先生が亡くなられたのは、米伯赴任とヨーロッパ赴任の合間で日本にいたので、お葬式に出てお見送りできたのは幸いであった。

   東京で開催された学生の経済学討論大会出場のために、先生に相談に行ったら、
   ジョーゼフ・シュタインドル の「アメリカ資本主義の成熟と停滞―寡占と成長の理論 」を推薦されて、一生懸命勉強した。
   この本は、スタグフレーションについての先駆的かつ革新的な著作で、邦訳では、1962年刊で、1988年に再発行されているようだが、インターネットで「スタグフレーション」と叩いても、シュタインドルの見解についての記述は全く出てこないので驚いている。
   今、アメリカを筆頭に、インフレと不況が同時に進行する「スタグフレーション」論が脚光を浴びているのだが、刊行後60年以上も経っているけれど、シュタインドルは、米英で活躍したオーストリアの著名な経済学者であり、タイトルから言っても、格好の好著ではないかと思っている。
   当時、私の関心事が、「経済成長と景気循環」であった所為もあってか、この本の記憶だけが残っている。

   一寸違った本の思い出は、フィラデルフィアのウォートン・スクールに留学していたときに、ジョン・ケネス・ガルブレイスが、「Economics and the Public Purpose」を出版したので、先生に送ったら、いたく喜ばれてガルブレイスを非常に高く評価されているのを知って嬉しくなった。
   私が尊敬して勉強し続けてきたのは、このガルブレイスとシュンペーターで、私の思考のバックボーンとなっている。
   ところで、余談だが、岸本教授には膨大な経済学書の著作も有り、途轍もない学識を持っておられたはずだったのに、レィジーが祟って、十分にその片鱗にさえ触れ得なかったことを後悔している。

   このゼミでは、夏休み休暇などには、一週間ほど合宿に出かけて勉強した。
   志賀高原の湯田中や京都嵐山の宝筐院での合宿などは、寝食を共にして青春を謳歌した。忘れ得ない素晴しい思い出である。
京都の社寺などで頻繁に楽しんだコンパも忘れがたい。
   その青春からはや60年、
   歩んできた人生の軌跡を語り合いながら、ゼミ時代の思い出を反芻する。
   「朋有り遠方より来る、亦楽しからずや」の心境であろうか。
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ヒガンバナが咲くと本格的な秋

2022年09月22日 | わが庭の歳時記
   わが庭には、何株か彼岸花が植わっていて、毎年、秋分の日に、花を咲かせる。
   暑くて秋の気配がしなかったのだが、台風一過、急に涼しくなって、本格的な秋の到来を感じる。
   ツクツクホウシが泣き止んで随分経つので、気付くべきだったのだが、歳を取ると季節感にも疎くなってしまう。

   さて、ヒガンバナだが、関西でもそうであったし、ここ関東でもそうで、必ず彼岸に咲くので、気温や気象条件などによって咲く時期が決まるのではなくて、昼夜同時間になる秋に咲くべく遺伝子にビルトインされているのではないかと思っている。
   わが庭では、植木の立て込んだ木の間から、いつの間にか茎を伸ばして、彼岸前に姿を現して咲き出すので、それまで、殆ど気がつかない。
   年によって咲く場所が違うので、よけいに、そう感じる。

   この花は、わが庭のように茂った木陰でも咲くようだが、田園地帯のあぜ道を筆頭に、土手、堤防、道端、墓地、線路の際など、人が植えたと思えないようなオープンスペースに咲いている。
   宝塚の田舎に住んでいた子供の頃には、田んぼのあぜ道に、一列縦隊に、真っ赤に咲き乱れていたので、強く印象に残っている。

   この花は、彼岸という関係もあって「死」と連携したイメージがあって、「葬式花」などと印象が悪いが、ウィキペディアによると、
   梵語(サンスクリット語)で「赤い花」「葉に先立って赤花を咲かせる」という意味から名付けられた曼珠沙華と言う粋な名前もあるし、
   法華経序品では、釈迦が法華経を説かれた際に、これを祝して天から降った花(四華)の1つが曼珠沙華であり、花姿は不明だが「赤団華」の漢訳などから、色は赤と想定されている。従って四華の曼陀羅華と同様に、法華経で曼珠沙華は天上の花という意味もある。と言うことであるから、尊い花なのである。

   しかし、切り花にして、花瓶に生けて室内に置こうという気にはならないのが、不思議である。
   
   
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朝のニュースはBS1「キャッチ!世界のトップニュース」

2022年09月21日 | 
   朝最初に見るテレビのニュースは、8時からのNHK BS1「キャッチ!世界のトップニュース」、その後の、BSニュースの「World+Bis」。
   そして、日経の朝刊を開く。
   必ずしもこの通りというわけではないが、朝起きると、すぐにパソコンを叩くので、その日のニュースのあらかたは、これで分かる。

   NHKもそうだが、日本のテレビのニュースの過半は、どうでも良いニュースなので、時間の無駄でもあり、比較的重要なニュースをコンパクトにダイジェストしている10分のBSニュースを重宝している。
   アメリカに居たときには、まだ、ウォルター・クロンカイトが健在であったので、CBSニュース、イギリスに居た時には、BBCニュースをみていたが、NHKより質が高かったように思う。正月や盆の休暇などの時に、新幹線の駅で、子供にインタビューするような類いの放映などはなかった。

   何故か、若い頃からも、新聞は、あまり、読まなかったので、今でもその傾向があり、日経のニュース記事も、事前に知り得た情報なら、斜め読みで読み飛ばす。ニュース源は、ほぼ同じだし、変った情報なら、何となく、今までの感でほぼ分かる。
   新聞は、隅から隅まで読むと言っていた学友がいたが、私には出来ない芸当であった。
   新聞よりは、少しスパンの長い情報媒体、週刊誌や月刊誌、書籍と言った方を読む方が好きであった。
   今でも、電子版で重宝しているNewsweekやTIMEなどを読んでいたのだが、日本の週刊誌は、大衆的すぎて、新聞社系のものしか読まなかった。

   さて、夜は、ニュースウォッチ9と10時からのBS1の「国際報道2022」。
   
   何故、国際関係のニュースに興味を持つのかだが、海外生活が長かったということもあろうが、子供の頃から世界歴史や世界地理が好きで、慣れ親しんできたということもあろうと思う。
   極端な言い方をすれば、これまでの自分が知っている世界史と言うか世界像に、自分なりに、時事ニュースを総合して移り変ってゆく世界の歴史を紡ぎ上げながら、その物語を楽しんでいると言うような気がしている。

   民主主義にしても、資本主義経済にしても、大きく胎動しながら変転してゆく様を、加速度化した軌跡を画きながら変容してゆく。
   ベルリンの壁とソ連の崩壊によって、一気にグローバル化が進展して、同時に進行したICT革命によってフラット化した世界が、一体となると幻想を抱いたその刹那、米中対立やウクライナ戦争で分断化されて新冷戦時代に逆行。
   トランプ現象やBrexit、更に、イタリアを始めEUの右傾化など反動勢力の台頭、そして、中ロのような専制国家のパワーアップなどによって、民主主義が危うくなり始めている。
   そんな世界の歴史の大きな潮流の変化が、世界ニュースを見ていると、ひしひしと迫ってきて興味が尽きない。
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ジョセップ・ボレル:ロシアに対する戦略は機能しており、継続する必要あり

2022年09月18日 | 政治・経済・社会
   プロジェクト・シンジケートのジョセップ・ボレルの「ロシアに対する戦略は機能しており、継続する必要あり The strategy against Russia is working and must continue」が興味深い。
   ジョセップ・ボレルは、EUの外交・安全保障政策担当上級代表であり「世界におけるより強いヨーロッパのための欧州委員会」の副委員長であり、EUが、どの様にしてウクライナ戦争に取り組んでいるのか、分かるからである。

   まず、この論文は、
   ロシアの対ウクライナ戦争は新たな段階に入った。ウクライナ軍は目覚ましい進歩を遂げ、多くの町や村を解放し、ロシア軍を撤退させている。ウクライナの反撃がどこまで進むかはまだわからないが、地上での戦略的バランスが変化していることはすでに明らかだ。として、ウクライナ軍の優勢から語り始める。

   EU はロシアのエネルギーへの依存を終わらせるという歴史的な決定を下して、エネルギー危機に立ち向かうために総動員していることや、グローバル・サウスのパートナーが、ロシアの残忍な侵略と、エネルギーと食料の冷笑的な武器化による影響に対処するのを支援していることなどを述べ、要するに、EUの全体的な戦略は機能しており、引き続きウクライナを支援し、ロシアに制裁を課し、連帯の精神で世界のパートナーを支援しなければならない。と詳細にEUの対応を説いている。

   私は、この記事の後半部の、西側の経済制裁が効果があったのかどうかという見解に興味があった。
   その部分を引用すると、
   制裁は、明らかに説得力のある効果ももたらした。西洋の技術へのアクセスの喪失は、戦車、航空機、通信システム、精密兵器も輸入部品に依存しているロシア軍に打撃を与え始めている。
   さらに、漏洩したロシア政府の内部報告書は、輸入制限によるロシア経済への長期にわたる損害を警告している。農業では、家禽生産の 99% が輸入投入物に依存している。航空では、ロシアの乗客の 95% が外国製の飛行機を利用しており、今、スペアパーツの不足により、ロシアの民間航空隊は縮小している。医薬品では、国内生産の 80% が輸入原材料に依存している。最後に、コミュニケーションと情報技術においては、ロシアは 2025 年までに SIM カードが不足する可能性があり、電気通信セクターの他の部分は何年も遅れている。 この厳しい評価は、ロシアの内部情報源からのものであることを銘記しておいて欲しい。
   制裁だけで侵略者を倒すのに十分であろうか? ノー、しかし、それが、我々が、ウクライナに大規模な経済的および軍事的支援を提供し、ウクライナ軍をさらに強化するためにEUの軍事訓練任務を展開するために取り組んでいる理由である
   戦争は終わっておらず、プーチン政権はまだいくつかのカードを持っている。
   しかし、現在の西側の戦略では、クレムリンは、形勢を変えることは事実上不可能であることがわかるであろう。 時間と歴史はウクライナ人の味方である — 我々が戦略を堅持する限り。

   テレビ放送や巷の情報では、ロシア人の生活状態が殆ど変っていないので、欧米の経済制裁が殆ど効果を現していないという印象である。
   しかし、この論文の見解は、私がこのブログで当初から書いている考えに近く、ロシア経済は根冠から病巣に蝕まれており、その機能不全と凋落を語っていて興味深い。
   高級部材や高度なサービス産業を欧米企業に依存せざるを得ないロシアが、グローバルサプライチェーンから排除されればどうなるか、結果は明白であり、早い話、ロシアの航空機や鉄道のスペアパーツがなくなって、どんどん、動かなくなっているというのだが、メインテナンス不十分のロシアの交通機関には危なくて乗れない、どうするのか。部品がないので、戦車も戦闘機もミサイルも生産できない、プーチンは、いくら経済音痴でも、それくらいは分かるはずである。
   元々、経済弱小国のロシア、
   欧米日の先進国に見限られて世界の孤児になれば、
   いくら強がりを言って足掻いても、どんどん、外堀が埋まって行き墓穴を掘るだけである。

   インドやブラジルなど頼りにならないし、中国シフトには膨大なコストと時間がかかり、中国も欧米の二次制裁を懸念して腰が引けており、成功しても経済的属国に落ちぶれてしまう。
   プーチンの誇大妄想の悪夢から覚めて、経済的凋落、国力疲弊から一刻も早く脱却しなければ、ロシアの明日は暗い。
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庭の夏草の除草が大変であった

2022年09月17日 | ガーデニング
   春から夏にかけて、異常気象で暑かったので、庭の手入れに手を抜いて、こまめな除草を怠ってしまった。
   ドンドン暑くなって、梅雨に入ったりして、ガーデニングなどと言った普通の作業でも、傘寿を越えてからは、かなり億劫になってきている。
   そのまま、放置しておいたら、夏草が繁茂して、ジャングルのようになってしまった。

   困って、自分たちでは手に負えないと思って、シルバー人材センターに電話を掛けて、除草作業をお願いした。
   仕事が混んでいるとかで、見積もりに来たのは、大分経ってからで、作業は10月半ばになると言う。
   1日5人の作業員で除草し、除草の処理代などを含めて、費用は約6万円だという。
   庭には、夏の剪定を終えたバラの植木鉢や私が挿し木したり実生苗を育てた椿の植木鉢などが、結構沢山散在しているので、それを、事前に私が片付けておくという条件付きである。

   敷地が120坪ほどで、60坪の家と小さな倉庫とガレージなどがあり、庭木が沢山植わっているので、実質的に作業すべき庭は、どのくらいあるのか分からないが、結構入り組んでいて平坦な庭ではないので、簡単ではない。
   しかし、完璧とは言えないまでも、これまで、毎年、私一人で除草をして、それなりに、庭をメインテナンスしてきたのである。

   丁度、その時、以前に注文していた簡易草刈り機が送られてきた。
   本格的な草刈り機ではないのだが、念のためと思って、表庭の除草を始めると、結構役に立つ。

   シルバーが作業する10月半ばまでには、こつこつやれば、自分一人でも処理できる。
   シルバーの作業員は、私と同じ傘寿を越えた老人だと言うし、今までのように自分で出来れば、恥をかかなくて済む。
   そう思って、シルバーに、電話を入れて、丁重にキャンセルをお願いした。

   結局、少し涼しくなってきたので、私と家内で半日、
   東京から応援に来てくれた長女と大学生の孫息子と私で半日、
   あらかたの作業を終えて、ジャングル状態であった庭が、見違えるように綺麗になった。
   後は、自身が、きちんと片付ければ良いのである。
   晩秋までには、十分時間があるし、冬支度も含めて、楽しみながら作業が出来そうである。

   庭仕事が大変なので、一戸建ての住宅を売却して、マンションに移った友人知人が結構いるのだが、何十年もガーデニングに親しみ、花々と対話を続けてきた私にとっては、やはり、倒れるまで、庭の世話をするのが当然であり、幸せなことなのかも知れないと思い直している。

   庭の柿の木錦繍の紅葉が、やっと、目に入った。
   
   
   
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ステファニー ケルトン:財政赤字の神話: MMTと国民のための経済の誕生(1)

2022年09月16日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ステファニー ケルトンの「The Deficit Myth: Modern Monetary Theory and the Birth of the People's Economy財政赤字の神話: MMTと国民のための経済の誕生」をようやく手にした。
   現代貨幣理論 (MMT)については、以前から話題になっていて知っていたが、均衡財政こそが健全であって国家債務の増加などもってのほかとと言う考えであったから、国家の財政赤字は通貨発行権を有する政府が国債を発行して対処できると言った理論に、反発を覚えて、真面に向き合わなかったのである。
   財政赤字は殆ど国民経済にとって有益で有り必用なものだ。均衡予算という見当違いな目標を追い求めて、不十分な財政出動で景気回復を遅らせた。などと言った考えにはついて行けなかったのである。
   
   ニューヨークタイムズのベストセラー評では
   経済学に関する数十年で最も新鮮で最も重要な考え方であり、公正で繁栄した社会を構築する方法について、これまで考え方とは根本的に異なる、大胆な、新しい理解を提供する。
   更に、
   ステファニー・ケルトンの現代貨幣理論 (MMT) 論は、政府の赤字、財政危機は悪だとする新古典派経済学の常識、すなわち、神話をコテンパンに論破して、貧困や不平等から雇用の創出、医療保険適用範囲の拡大、気候変動、回復力のあるインフラストラクチャの構築に至るまで、重要な問題にどのように対処するのが最善かについての理解を劇的に変えてしまう。
   政府は無尽蔵に必用な通貨を発券できいくらでも返済可能なので、通説のように、企業や家計のように予算を組むべきであり、赤字は次世代に害を及ぼし、民間投資を締め出し、長期的な成長を弱体化させ、深刻な財政危機を惹起するなどと心配することはない。
   MMT は、狭い予算の問題から、より広範な経済的および社会的利益追求へと問題領域をシフトする。 MMT は、マネー、税金、赤字支出の重要な役割を理解するための重要な新しい方法を提示して、社会としての可能性を最大化できるように、リソースを責任を持って使用する方法を再定義する。 MMT は、新しい政治と新しい経済を想像し、希少性の物語から機会の物語へと移行する力を与えてくれる。
   と最大級の好評であるが、読み方によっては、違ってくるであろうと思うと興味深い。

   根本的な理解の違いは、これまで、財政という世界の中心は、納税者だと考えられてきた。それは、政府には独自の資金が全くなく、政府の活動を賄う資金は、すべて、我々国民が拠出しなければならないと考えられていた。
   しかし、MMTでは、あらゆる政府支出を賄うのは納税者ではなく、通貨の発行体、すなわち政府自身であると言う認識に立ち、これまでの理解を根本的に覆し、税金が政府支出の財源であると言うのは幻想である。と言うのである。
   確かに、先に、政府の支出や貸し出しがあって、マネーが民間経済に回って経済が動き、納税が可能となったのである。
   外国との取引を無視すれば、政府の赤字が民間の黒字であるから、政府の赤字が膨らまなければ民間の経済は縮小する。

   さて、ケルトンは、MMTについて、赤字を束縛してきた財政赤字の神話6つを糾弾している。
   1.政府は家計と同様に収支を管理しなければならない。
   2.財政赤字は過剰な支出の証拠である。
   3.国民はまな何らかのかたちで国家の債務を負担しなければならない。
   4.政府の赤字は民間投資のクラウディングアウトに繋がり、国民を貧しくする。
   5.貿易赤字は国家の敗北を意味する。
   6.社会保険や医療保険のような「給付制度」は財政的に持続不可能だ。もはや国にそんな余裕はない。
   ケルトンは、これらの項目に1章ずつ割いて、悉く論破している。
   まず、初歩的な例として、収入と支出で収支の辻褄を合わさなければならない企業や家計と違って、通貨発行権を持ち信用創造可能な打ち出の小槌(?)を持っている国家財政を、同じ原則で管理するのはおかしいなど、
   いずれにしろ、MMT論に立って経済を見れば、世界が違って見えてくるのが面白い。
 
   MMT論でも、やはり、政府支出の規律は重要であって、借金は、インフレをもたらさない限り、である。
   「自由通貨を持つ国にとって、政府支出が過剰かどうかを判断するバロメーターは、赤字国債の残高ではなく、インフレの程度であるる。」という。
   
   今回は、イントロ段階に終ったが、まだ、半信半疑なので、もう少し、勉強しないとダメだと思っている。
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何でも値上げの昨今、Amazonで回避?

2022年09月14日 | 経営・ビジネス
   ネットショッピングの魅力については、多言を要しないが、今回は、Amazonでのディスカウント販売について書いてみたい。

   口絵写真のウォーキングシューズは、ミズノの「LD40 VI GTX(ウォーキング)[メンズ]」という紳士用の代表的なシューズである。
   価格:¥19,800 (本体価格¥18,000) 品番:B1GC2206 ニューノーマルな世界で、どんなシーンでも履けるシューズがここに。GORE-TEX搭載モデル。
   と言う最新版である。
   私は、1割ほど高かったこの旧バージョンを1足履きつぶして、今、もう1足を愛用しているのだが、今回、新しくこのシューズを買った。
   年齢の所為もあって、フォーマルな革靴を履くのが苦痛になってきたので、カジュアルながらフォーマルとしても遜色のない足に優しいウォーキングシューズが必用なのである。

   長い間ミズノの色々な製品を愛用していて、プラチナ会員で、かなり頻繁にミズノを買っている。
   しかし、前回、このシューズを買うのに、偶々、Amazonを見ていたら、定価よりかなり安かったので、Amazonでかった経験がある。

   今回も、Amazonの価格をフォローしていたところ、頻繁に値段が変るのだが、偶々、最低価格だと思える25%引きで、
   参考価格:¥19,800  価格:¥14,842 & 返品無料  OFF:¥4,958  と表示されて、  
   更に期間限定で、10%引きのクーポンがついた。
   したがって、私が支払ったのは、¥13,356であった。

   ところで、念のために、楽天とヤフーを調べてみると、最安値は、それぞれ、メーカー希望小売価格 19,800円 (税込) 価格 15,630円 (税込)であった。
   いずれにしても、ディスカウント無しのミズノよりも安い。
   パソコンを立ち上げると、AIモードで、ミズノのこのシューズの広告が頻繁にポップアップするのだが、自社販売で値崩れを起すわけにはいかず、当然、価格に変化はない。
   これは、いずれのメーカー直販ネットショップでもそうであろうが、当然ながら、特別なセールやアウトレットなど以外では、ディスカウント販売など出来ないと言う宿命を持つ。

   値段以外に気になったのは、サイズ欄で、ミズノでは、選択の余地がなかったが、Amazonなどでは、4Eが選べて、私は、4Eを買った。
   このあたりのミズノの不都合は、どうしてであろうか。

   これまでも、カメラやテレビ、パソコンなど、品番や型式など製品を正確に特定できる高価商品については、しかるべき販売先で、価格が安ければそれに超したことはないので、価格コムなどを参考にして店舗を選んで買って来た。

   さて、Amazonの、特にダイレクト販売では、何故、商品が安く販売されているのであろうか。
   その理由については、色々あるであろう、専門的なビジネスモデルを論じなければならないので止めるが、いずれにしろ、ものを買うときには、Amazonを無示できないと言うことである。
   尤も、Amazonなら問題がないのかと言うことだが、結構トラブルがあって厄介なこともあるが、とにかく、パソコンを叩けば、何でも、手頃な価格で探せるし、それに、他と比べて手間暇がかからないところが、欠点を補ってあまりある。

   いずれにしろ、悪性のコストプッシュ・インフレに煽られて、世の中は、値上げ値上げのオンパレード。
   しかし、消費者も知恵を働かせて努力をすれば、値上げ回避の方策はいくらでも見出せる。
   便乗値上げでしか、苦境を乗り切れないビジネスモデルでは、企業も店舗も、早晩、滅びる。
   それが、自由主義市場経済の、市場たる由縁である。
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H・キッシンジャー他「AIと人類」

2022年09月12日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ヘンリー・キッシンジャー、グーグル前会長エリック・シュミット、MITのダニエル・ハッテンロッカーと言う3人の英知を結集したこの本、「The Age of AI: And Our Human Future」は面白い形式で、何度かの合議で纏められた総合見解を、ライターが本に起したといった感じで、誰が何を語ったのか分からないし、総花的であり、文明論に近い感じである。

   英文のAmazonの能書きを要約すると、
   3 人の思想家 が集まり、人工知能 (AI) と、それが人間社会をどのように変革し、私たち全員にとって何を意味するかを探求。 AI は、人間のグランド マスターが想像もしなかった動きで、チェスに勝ち、人間の科学者が理解していなかった分子特性を分析することにより、新しい抗生物質を発見するなど、 検索、ストリーミング、医療、教育、その他多くの分野でオンライン化されて、その過程で人間が現実を体験する方法を変革してきた。 The Age of AI では、3 人が集まり、AI が、私たちと知識、政治、社会との関係をどのように変えるかについて考察した。 この本は、現在とこれまでに経験したことのない時代である未来への必須のロードマップである。The Age of AI is an essential roadmap to our present and our future, an era unlike any that has come before.

   私にとって印象深かったのは、AIに対して人間の監視監督、コントロールの重要性を説いていて、AIによって、今何が生まれようとしているのか、それは人類にとってどの様な意味を持つのか、それを説明できる、AI時代のデカルトでありカントが必用だと指摘して、来るべきAI時代への人類の指針を展開していることである。

   AIを設計し、訓練し、パートナーとする人々は、これまで人類には手が届かなかったような複雑でスケールの大きい目標を達成することが出来る。新たな科学的ブレイクスルー、新たな経済効率、安全保障、社会的監視や管理の手段などである。
   しかし、一方、そのようなかたちで、AIの勢力拡大のプロセスや使用に関与できない人々は、自分には理解できない、設計も選択もしなかったものに、監視され、研究対象とされ、影響されているという感覚を抱くであろう。
   AIを設計し活用する人々は、こうした懸念の解消に取り組むべきで、とりわけ、技術専門家でない人々に、AIが何をしているのか、何をどの様に知っているのかを説明する必要がある。と言う。

   動的で創発的というAIという性質が、曖昧さに繋がるパターンが少なくとも二つある。
   一つ目は、AIが人間の期待通りに動いても、予見していなかった結果が出るパターンで、それによってAIは、設計者が想定もしていなかった場所へ人類を連れて行くかも知れない。慎重に検討もせずにAIを使うと重大な結果を引き起こす恐れがあり、軍事対立など重大な事態のこともある。
   もう一つは、一部のアプリケーションに見られる、AIは完全に予測不可能で、その行動はすべてサプライズというパターンである。チェスのアルファゼロのように、「チェスの試合に勝て」と指示しただけで、人間が誰一人考えたことのない戦法を編み出したように、自由を与えられたAIが見いだすその達成方法は、人間にとって意外な、時にはぞっとするようなものである。

   したがって、AIの目的や権限は慎重に設計する必要があり、AIの判断が命に関わることがあるならば、AIにすべてお任せというのは許されない。人間の監督、監視、あるいは直接的管理なしに、取り返しの付かない行動が出る許可を与えてはならず、人間が作り出したAIは、人間が監督すべきである。
   ところが、AIを開発する能力やリソースを持つ人々が、それが社会全体に及ぼす影響を理解する必用な哲学的視点を持ち合わせておらず、基本的に自分たちの開発しようとしているアプリケーション、解決しようとしている問題のことしか考えていない。自分たちが生み出す解決策が歴史的革命を引き起こす可能性、あるいは自分たちの技術が多様な集団に及ぼす影響を考えることもない。
   必用なのは、今何が生まれようとしているのか、それが人類にどの様な意味を持つのかを説明できる、AI時代のデカルトでありカントだ。と言うのである。

   ここまでの論考は、納得がいく。
   しかし、AIは、人間の理性によって動くわけでもなく、人間のような動機付けや意図もなければ、内省もない。人間社会で使われている正義の原則をそのまま適用することも0難しい。AIが社会に引き起こすジレンマは深刻である。
   著者達は、AIの行動を制限するために、政府、大学、民間部門のイノベーターを巻き込んで合理的な議論や交渉を重ねて、現在、個人や組織に課せられているようなルールを策定すべきだとして、現状を幅広く分析しながら、多方面から、対処法や処方箋を提示している。

   いずれにしろ、AIの未来は、混沌としている。
   最後に、著者達は、次の文章で結んでいる。
   AIが成功すればするほど、新たな問題も生じる。
   人間の知能がAIと遭遇した今、国家、大陸、さらには、世界規模の探究への応用が進んでいる。この変化を理解し、指針となる倫理を確立するには、科学者や戦略家、政治家や哲学者、宗教指導者や経営者など社会を構成する様々なメンバーが積極的に関与し、知恵を出し合う必要がある。国内的にも国際的にもこのようなコミットメントが求められており、人間とAIのパートナーシップとはどの様なものか、今こそ明らかにする必要がある。

   安直なAI本ではなくて、先哲の教えにも匹敵するようなan essential roadmap to our present and our future、
   エリザベス女王の正真正銘の国葬に先を越されて、国民の過半が認めない色褪せた国葬らしきものを強行突破しようとしている我が日本の政府に、このような知恵の片鱗さえも有りや無しや。
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今日は中秋の名月であった

2022年09月10日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   覚えてはいたのだが、忘れてしまっていた中秋の名月。
   夜、散歩に出て、綺麗な月を見上げて思い出した。
   途中、まだ開いていたスーパーに立ち寄って、月見団子を買おうと思ったのだが、もう、既に売り切れてしまっていた。
   帰ってきて、庭を見たのだが、わが庭のススキは、まだ、穂が出ていなかった。

   全く、季節の移り変わりに無神経になってしまって、結構、気にして飾り付けていた季節の行事も疎かになってしまった。

   鎌倉山の山の端から、月が出るので、少し、月の出が遅いのだが、中天に上って輝くと遮るものがない田舎の月なので、煌々と輝いて美しい。
   薄雲を潜りながら移動するので、時々、月が陰るのだが、すっと雲から抜けると、一気に輝きを増す。
   しばらく、庭に佇んで、名月を鑑賞していた。
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新英国王チャールズ3世の思い出

2022年09月09日 | 学問・文化・芸術
   エリザベス女王が、偉大な業績を残して崩御された。
   私も、イギリスで5年間生活してきたので、激動のイギリスで素晴しい公務を遂行されていたのを身近に感じていた。
   ご冥福を心からお祈り申し上げたい。

   チャールズ皇太子が、チャールズ3世として新英国国王になられた。
   実は、随分前のことになるが、私は、皇太子時代のチャールズ国王に、2回、お目通りを頂いているのである。

   記録を残していないので、その後にこのブログに書いた文章を多少修正して、転載し、思い出に浸りたいと思う。

   1988年のことだと思うのだが、ロンドンのシティで、私が、大きな都市開発プロジェクトを立ち上げた丁度その時、金融ビッグバンでシティが急開発に沸きに沸いた頃で、シティ・コーポレーションが、晩餐会を開催し、チャールズ皇太子をゲスト・スピーカーとして招待した。
   その時、私は、シティのお歴々と会場のエントランスで、4人の一人として並んで皇太子をお出迎えした。
   シティでの開発プロジェクトについて少しご説明申し上げたが、「アーキテクトですか。」と聞かれた事だけは覚えているが、何を説明したのか何を言われたのか全く何も覚えていない。
   この時の握手した手の感触と、少し後に、別なレセプションで同じ様にダイアナ妃をお迎えした時の彼女の柔らかい手の感触だけはかすかに残っている。

   問題は、この時のチャールズ皇太子のスピーチの内容で、激しい口調で、当時ビックバンに湧くシティの乱開発について批判し、当時のシティの都市景観は、ナチスの空爆によって破壊された戦後のシティのスカイラインよりも遥かに酷いもので、「Rape of Britain」 だと糾弾したのである。
   チャールズ皇太子のシティのイメージは、丁度セント・ポール寺院が軍艦のように洋上に浮かんでいるシティなのだが、既に周りの色々な高層ビルが寺院を威圧してしまっていた。
   それに、悪いことに、イギリスの開発許可は、個々のプロジェクト毎に認可されるので、そのデザインについては統一性がなく、各個区々なので都市景観の統一性がないために、パリのように都市そのものの纏まりがなくて美観に欠ける。

   その後、BBCが、チャールズ皇太子のこの見解に沿った特別番組を放映し、チャールズ皇太子がテームズ川を行く船上から、「あの建物はパソコンみたいで景観を害する・・・」等々問題の建築物を一つ一つ批判したのである。

   同時に、「A VISION OF BRITAIN A Personal View of Architecture」1989.9.8が出版されたので、チャールズ皇太子の一石が、英国建築界とシティ開発などに大きな波紋を投げかけて大論争になった。
   (注記、この当たりの一連のチャールズ論争については、2006年の私のブログ記事を、そのまま、2018年に、天地はるなの「おしゃれ手帳」に無断で転載されている。)
   この時、私の友人のアーキテクトが推進していたセント・ポール寺院に隣接するパターノスター・スクウェアー開発プロジェクトも、この煽りを受けて頓挫してしまって、三菱地所による開発が完了したのは随分後になってからである。
   我がプロジェクトのファイナンシャル・タイムズ本社ビルも、買収直後に重要文化財に指定され、重度の保存建造物となったので、より以上に素晴らしい価値あるビルを再開発する以外に道はないと腹を括って、英国のトップ・アーキテクトを総てインタヴューしてまわってプランを固め、シティや政府関係当局、環境保護団体や学者、ジャーナリスト等の説得など大変な日々を過ごし、皇太子の了解も取得した。代表者として誰も経験したことのないプロジェクトを仕掛けたのであるから、最初から最後まで、殆ど前例のない異国での孤軍奮闘の戦いであったが、完成した時には我ながら感激した。セントポール寺院と目と鼻の先、王立建築家協会などの賞を総なめにして、その銘板がエントランスの壁面に並んでいる。
   この時のBBC番組のビデオ・テープと本は持って帰った心算だが、紛失してしまって今はない。
   
   その後、もう一度、景観保護団体の集会があり、チャールズ皇太子を先頭にシティの古い街並みを歩きながら勉強する会があったので参加した。
   この時は、後のレセプションで、お付きの人が呼びに来たので、チャールズ皇太子と5分ぐらいお話しすることが出来た。
   丁度、日本への訪日前だったので、興味を持たれて色々聞かれたが、日本の経済や会社の経営については非常に評価しているので勉強したいと言われていた。

   さて、チャールズ皇太子は、ご自分のコーンウォール公領で、環境に負荷をかけずに長く続けられる”持続可能な(Sustainable)”農業を様々な形で試みていることは有名な話で、現代の都市の乱開発を嫌い、古き良き時代の心地よい田園生活をこよなく愛している。道楽ではなく、徹頭徹尾の環境保護主義者であり古き良き英国を再現したいと思っていることは間違いない。
   高度な識見と高邁な思想を持った傑出した君主であることは折り紙付きであり、これからのイギリスの将来が楽しみである。
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ロンドンタクシー運転手の頭脳カーナビ

2022年09月07日 | 生活随想・趣味
   President onlineの、和田秀樹氏の、「実は若者と老人の記憶力には差はない…「年をとるほど忘れやすくなる」という誤解が広がる本当の理由」という記事が興味深い。
   私が面白いと思ったのは、ロンドンタクシー運転手の記憶力の良さに関するコメントである。
   5年間、ロンドに住んでいたので、これは、身に染みて経験している。


   まず、和田先生の説明を引用すると、
   ロンドン大学の認知神経学の研究者、エレノア・マグワイアー博士が、「脳の神経細胞は、大人になっても増えることがある」と報告したからです。これは、それまでの脳科学の常識をくつがえす大発見でした。
   マグワイアー博士は日頃、ロンドン市中を走るタクシー運転手の「記憶力」に関心をもっていました。「彼らは、なぜロンドン市街の複雑な裏道、路地を記憶できるのか?」と不思議に思っていたのです。そこで博士は、タクシー運転手と一般人の脳の比較研究を始めました。すると、タクシー運転手の脳の「海馬」が、一般人よりも大きく発達していることがわかったのです。
   海馬は、大脳辺縁系にあって、記憶の入力を司る部位です。ベテラン運転手ほど、その発達の度合いは大きく、タクシー運転歴30年を超える大ベテランは、海馬の体積が3%も増えていることがわかったのです。
   ベテラン運転手は、頭の中に道路地図を詳細にインプットしたうえで、乗客から行き先を告げられると、瞬時にルートを思い浮かべ、時間帯による道路の混み具合や工事の有無なども勘案しながら、スムーズに走れるルートを導き出します。
   そうした、記憶し、記憶を引き出すという作業を日々、繰り返すうちに、ベテラン運転手の海馬の神経細胞は増え、大きく発達することになったのです。つまり、「成人になってからでも、脳の神経細胞は鍛え方しだいで増える」ことがわかったのです。

   さて、私の記憶は、カーナビなどロンドンで普及以前のことで、もう随分前のことであり、現状は分からないが、その時の経験を記す。
   ロンドンのシティで、込み入った所で行ったこともない場所であったので、タクシーに乗ったのだが、この時、何故か、タクシーの運転手が道を違えて遠回りをしてしまった。
   私には、目的地に着けばどうでも良いことで気にしなかったのだが、運転手は自分のミスであるから、料金は受け取れないという。
   5年間、ロンドに住んでいて、タクシーでトラブったのは、この1件だけで、それ以外は、交通渋滞や事故などがない限り、悉く、最短距離最短時間で、ピッタリと目的地に着いた。
   ロンドンのシティが、IRAに爆破された当日、イタリアのミラノから、ロンドンのヒースローについて、厳戒態勢のロンドンを、投宿先であるピカデリー直近のGクラブRACに向かったときにも、全く問題はなかった。
   
   何故、それ程までにロンドンの地理に詳しいのか、タクシーの運転手に聞いてみると、運転手になる試験が難しいことが分かった。
   出題された出発地から目的地まで、最短距離最短時間で行くには、どのルートが良いのか、途中に、事故や障害があったら、どのように迂回するのかなど、交通法規など十分に把握して回答しなければならない。それを憶えるために、ロンドンの地図を全部頭に入れて、単車にのってロンドンの街をくまなく回って、交通標識は勿論、道路の様子や状態など交通環境等を十分に理解して、試験に臨むのだという。
   100年も以上前から、ロンドンのタクシー運転手には、頭脳カーナビがインプットされていたのである。
   東京のタクシーのように、「昨日、丹波から出て来たとこで、道、よう分かりませんねん、教えてくなはれ」とは違うのである。

   ここで、注目すべきは、地図の成り立ちの違いである。
   面で住所表示をする日本と違って、欧米は、まず、道路ありきで、どの道路にも名前が付いている。シティホールに近い方から、道路沿いに、何通りの何番地と番地が打たれていて、片側の通りは奇数、向こう側は偶数であり、ブロックが移る毎に、100番ずつ加わってゆくので、道路名さえ抑えておけば、比較的住所は探しやすい。日本のように3丁目の隣に10丁目が来たり、全く違った町名がアトランダムに列んでいると言った不合理はないのである。
   それでも、ローマ時代の遺跡が残っていて中世の街並みがそのまま混在している迷路や路地の多いロンドンでは、一筋縄では行かず、ロンドンを知り尽くしている英国人の友人が、サントリーレストランを容易に見つけられなかったと言うから、ロンドンタクシー運転手の努力は並大抵のことではない。

   ついでながら、和田先生は、記憶力が衰えるのは「覚えようとする意欲」が低下するからで、
「80代になると、認知症の有病率が60代の12倍になる」ということが知られていますが、脳の健康寿命を延ばすには、60代から70代にかけて、とにかく「脳」を使い続けることが必要です。と言う。
    傘寿を越えた我が友人知人の多くは、認知症になったり本を読めなくなったというのだが、まだ、クルーグマンやスティグリッツなどの経済学書を楽しみながら読めるというのは、60代以降も手を抜かずに専門書に勤しんできたお陰だと喜んでいる。
   健康寿命の延長維持は、案外、知的生活の充実かも知れないと思っている。
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