熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

本を読むことの効用と言うのだが

2023年10月30日 | 書評(ブックレビュー)・読書
    Newsweekの電子版を読んでいて、寺田真理子日本読書療法学会会長の、「読書で「自己肯定感」が高まる...ストレス軽減の「癒し効果」、長生きにもつながる読書の効能とは?」という記事を見た。
   読書によってうつから回復した経験を体系化して日本読書療法学会を設立し、国際的に活動中。介護施設や病院の研修、介護・福祉関連団体主催セミナーの講演で多数の実績があり、日本メンタルヘルス協会公認心理カウンセラーとしての知識を生かした内容が高く評価されている。
   仏教を松原泰道老師に、万葉集や枕草子、徒然草などの古典を清川妙氏に師事。
   著書に『うつの世界にさよならする100冊の本』、『翻訳家になるための7つのステップ』など。訳書に『認知症の介護のために知っておきたい大切なこと』、『認知症を乗り越えて生きる』、『虹色のコーラス』など多数。と言うことであるから、そのご活躍ぶりはこれで良く分かる。

   記事や寺田さんの見解についてのコメントは略すが、さて、読書ファンで、何千冊も本に触れて、読書で趣味と実益を兼ねて生きてきた私自身、読書をそんな風に感じたり使ったことがなかったので、別世界のように感じている。
   しかし、例えば、ストレス軽減の「癒し効果」とか元気をインスパイアーされる手段は、他にも、映画や芝居や講演、素晴しい大自然の光景や、先輩のアドヴァイスなど期せずして遭遇した素晴しい経験などいくらでもあり、偶々それが、汎用性の効果が絶大な読書であったと言う事かも知れない。それに、その効果を体験したとしても、読書がその後の人生を潤す手段として継続するかどうかは、また別次元の話であろう。

   私の場合、何が読書好きの切っ掛けになったのか記憶がないが、小学校の中学年頃から、お年玉を貰うと真っ先に本屋に行っていたのを覚えている。その頃体が弱くて、宝塚の田舎から阪急電車に乗って梅田の病院に通っていたので、帰りに、阪急百貨店の書店に立ち寄って、膨大な書物の中で沈没するのが無上の楽しみであった。豪華本から小冊子まで子供や大人の境界なく無数に並ぶ新刊書の魅力は圧倒的で、ここで本の世界の豊かさを感じて、魅力に取り憑かれたような気がする。

   もう一つ、読書をドライブした要因は、大学の受験勉強の効果である。幸か不幸か1年浪人して大学に入ったので、予備校にも塾にも行かなくて気ままな自学自習だったので時間があり、国語などで、先哲や偉人の魅力的な名文や名作などに遭遇する機会が多くて感動し、途中で沈没したり、大学生になったら絶対に読もうと意欲を搔立てられ、世界史や地理で人類の時空を越えた世界を思い知らされるなど、学ぶ喜びを垣間見て、初歩的ながら、真善美への勉強の魅力に触れた。受験勉強は、不毛で苦痛だというのだが、私には、大学生活への有効な助走手段であった様な気がする。
   幸い、京都で大学生になったので、和辻哲郎や亀井勝一郎の本や、平家物語や源氏物語を小脇に抱えて、京都や奈良の古社寺を行脚し、その後、世界雄飛の機会を得てからは、思う存分、歴史や文化の旅に出て、若かりし頃の夢を追い求めた。
   その間には、膨大な本の伴奏が伴っており、それが何十年も続いていて、傘寿を越えた今でも、毎日、1時間や2時間、読書を欠かすことなく続いている。

   私にとっては、読書は、生活そのものというか、日常生活の重要な一部であって、その意味では、寺田さんが言う
   「読書で「自己肯定感」が高まる...ストレス軽減の「癒し効果」、長生きにもつながる読書の効能とは?」という効果になっていると言うことかも知れない。
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わが庭・・・ホトトギス咲く

2023年10月29日 | わが庭の歳時記
   秋の草花宿根草のホトトギスが咲き出した。
   ウィキペディアによると、
   和名の「ホトトギス」は、「杜鵑草」の意で、花の紫色の斑点のようすを鳥のホトトギス(杜鵑)の胸にある斑点に見立てたことによる。斑点を油染みに見立てて、ユテンソウ(油点草)という別名もある。と言う。
   花の形は複雑で、良く分からないのだが、すっくと伸びた花柱の先は3つに分かれていて、その上に点在する小さな水玉のような透明な球状の突起が伸びて光っているのが珍しいので、注目している。
   果実は線状長楕円体の蒴果で3稜があり、長さ30mm前後になり、熟すと胞間裂開する。種子は小円形で淡褐色をしている。と言うのだが、花が終れば、存在さえも忘れてしまうので、記憶にない。少しずつ、株が増えているので、結実して種が飛んだのだろうか。
   
   
   
   
   
   遅ればせながら、わが庭のススキも穂を出し始めた。
   ところどころに株が残っていて、秋の気配を演出してくれていて嬉しい。
   

   今夜は天体ショー 満月と木星が接近
   午後9時頃になると、東の空に浮かぶ満月の右に木星が並ぶ と言うので、
   明るく晴れ渡った夜空を見上げると、非常に明るく大きく光る木星が右横に見える。
   写真を撮ったが、月と比べてあまりにも小さいので、ブログに載せようと思ったら消えてしまった。
   
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「就職心配」で、文系大学院に進学しない

2023年10月27日 | 学問・文化・芸術
   毎日新聞が、「文系大学院進学しない理由、学生48%が「就職心配」 理系の倍」と報じた。
   理系に比べて低調な文系学部生の大学院進学について、文部科学省が現役学生の意向を調査したところ、進学を考えていない人の約48%が「就職が心配」を理由に挙げたことが分かった。理系学生で同じ回答を寄せたのは約26%だった。学生が文系大学院を出た後のキャリア形成を不安視している実態が明らかになった。と言うのである。

   文科省によると、SDGs(持続可能な開発目標)や生成AI(人工知能)といった新分野に注目が集まる中、時代に即した法制度や倫理面に関する研究が求められるようになり、人文・社会科学系の専門知識がある人材の養成を大学に期待する声も高まっている。ただ、学部卒業後の進路を見ると、理工農学系は3人に1人が修士課程へ進むのに対し、文系は20~30人に1人の割合で、進学率の低さが課題とされている。
   文系・理系双方で進学を考えていない学生にその理由を尋ねると、文系は「卒業後の就職が心配」との項目に「とてもあてはまる」「ややあてはまる」とした学生が約48%となり、理系(約26%)の倍近くに上った。進学予定の学生を含めた全体に対し、大学院のイメージを聞いた設問でも「学部卒より就職に有利」の項目に「そう思う」「どちらかと言えばそう思う」とした文系学生は約43%にとどまり、理系(約85%)と差が大きく開いた。と言うことらしい。

   既に傘寿を越えて、大学を出てから60年、米国の大学院MBAを出てから50年も経て、現状には全く疎い老兵なので、頓珍漢な考え方になるとは思うが、この傾向に対して今の心境を述べてみたいと思う。

   文系の場合、「そもそも考えたこともない」と答えた学生が、、進学意向のない文系学生の半数以上を占めたと言うのだが、私自身も、大学院は学者になるための課程だと考えていて、頭にはなかったし、同級生で大学院に進んだのは1人か2人であったように思う。専攻の経済学や経営学が何たるかも分かっていなかったし、特別深く勉強したいと思ってもいなかったし、日本の場合、学問を目指さない限り、それが普通だったのである。しかし、後述するが、この考え方は、米国留学で木っ端微塵壊れてしまった。
   ところが、当時でも、京大工学部では、学部だけでは学業が全うできないので大学院へ進むカリキュラムを組んでいて、それを前提に受験するように推薦していたのを覚えている。

   ここで、まず、強調しておきたいのは、文理の比較で、理系の学問の場合は、奥が深くてどんどん勉強を重ねて深掘りする必要があって、途中下車の必要はなく、創造的段階を目指せば限界がなく、大学院へ進学は必須かも知れない。
   一方、文系の場合、私は経済と経営しか知らないのでこれに限定して語るが、科学のように確固として確立された学問や理論から積み重ねて進化して行く学問と違って、極論すれば、特に経営学はそうだが、世につれ人につれと言うか、時代の潮流によってどんどん変っていき決定版がないので、勉強を何処で切っても、世間知で補い得るのである。経済学では、スミスやマルクスやケインズなど古典理論はそれなりに命脈を保ってはいるが、この半世紀間だけを考えても、経済学理論は、変転が激しくて、学問としても様変わりである。

   日経が前に、”過剰な学歴批判や、学問より社会経験を重視する一種の「反知性主義」、大学院軽視の岩盤構図の強固さ”を指摘して記事にした。
   私は、米国製MBAで修士なので、博士について口幅ったい言い方は出来ないが、暴論を承知で言うと、この背景には、日本の政治経済社会の上に立つトップの学歴が殆ど大学卒止まりで、低いことに問題があると思っている。
   欧米では、学歴が高いほど高い地位に就き報酬が高いという厳粛なる事実が機能していて、教育程度が、決定的要因となっている。
   最近のアメリカの大統領では、トランプだけは大卒だが、クリントンもブッシュもオバマもバイデンも、総て、大学院を出ており、欧米の為政者や政府高官は勿論、大企業の経営者などリーダーの大半は、大学院を出て、博士号や修士号を持っており、大学しか出ていない殆どの日本のトップ集団とは大いに違っている。それに、欧米の場合には、文理両方のダブル・メイジャーや学際の学位取得者、T型人間、π型人間など多才な学歴を積んだリーダーが多いのも特徴である。
   欧米の教育では、大学はリベラル・アーツを学ばせる教養コース的な位置づけで、専門分野の高度な深掘り教育は、大学院の修士・博士課程、プロフェッショナル・スクール(大学院:ビジネス、ロー、エンジニアリング、メディカルetc.)で学んで習得する制度なので、桁違いに水準の高い、この過程を通過しなければ専門知識なり高等教育を受けたことにはならないし役に立たない。
   グローバル・ビジネスにおいて、欧米のカウンターパートと比べて、特に、日本のトップやビジネス戦士が引けをとっているのは、リベラル・アーツなどの知識教養の欠如と専門分野の知見の低さで、その上に、欧米人は、高度な専門分野の大学院教育を受けて知的武装をしているのであるから、太刀打ち出来るはずがない。国際政治においても同様である。

   したがって、根本的な問題は、日本の大学制度の欠陥である。
   大学のたったの4年間に、教養課程と専門課程を組み込んだどっち付かずの中途半端なシステムが問題であって、
   日本の社会なり政府が、リベラルアーツも専門教育も両方ともこの4年間の大学教育で完結したと考えているからである。
   頭の固いトップが、”過剰な学歴批判や、学問より社会経験を重視する一種の「反知性主義」、大学院軽視の岩盤構図の強固さ”に凝り固まって、大学院卒の従業員を拒否するのみならず、たとえ雇っても有効かつ真面に活用できない。
   学歴が高いほど高い地位に就き報酬が高いという厳粛なる世界の常識に反した経営をし続けているので、可哀想に、文系の大学生は、「就職に不利」だという理由だけで、大学院教育を忌避している。

   激しい時代の潮流に抗するためには、益々、学問が必須になって教育の高度化を目指す必要がある。
   思い切って、大学を完全に教養課程に切り替えて、文系の専門教育は、欧米流に、大学院、ロー・スクールやビジネス・スクールなどのプロフェッショナル・スクールに移管して、更なる高度化と充実を図ることである。高みを目指す有為な人材は、必然的に大学院突破を目指すはずである。
   尤も、現在でも、大学によってはビジネス・スクールなど制度改革を試みているようだが、そんな付け刃ではダメで、根本的な大学制度にメスを入れると同時に、更に、「反知性主義」のトップの意識改革なり、保守反動の岩盤構造を打破するなど大鉈を振るわない限り、無理かも知れない。

   GDPがドイツに抜かれて世界第4位に転落、Japan as No.1の時代は遙かに遠くなって、夢の夢、
   寂しいけれど、日本の政治経済社会の制度疲労が地鳴りを伴って軋んでいる。
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PS:易富贤(イー・フーシャン)「中国の人口動態のアキレス腱 China’s Demographic Achilles’ Heel」

2023年10月26日 | 政治・経済・社会時事評論
   PSの論文 ウィスコンシン大のイー・フーシャンの「中国の人口動態のアキレス腱 China’s Demographic Achilles’ Heel」が面白い。
   米国と中国の政策立案者らは、中国が、いずれ米国を追い越して世界最大の経済大国になるとの確信を強めており、対立する二大国の衝突は避けられないとの期待を高めている。 しかし、これらの予測は、中国の急速な高齢化と人口減を顧慮すれば、中国経済の失速の可能性が高く、実現可能かどうかは予断を許さない。それに、それぞれの人口動態を考えれば、両国の先行きも暗くて、覇権争いの帰趨もあやしい。と言うのである。

   習近平国家主席は最近、米上院議員の超党派代表団に対し、中国と米国の間の緊張が高まっているにもかかわらず、軍事衝突はまだ回避できると保証しようとしたが、 「トゥキディデスの罠は避けられない」と言った。「トゥキディデスの罠」という用語は、古代ギリシャの歴史家のペロポネソス戦争に関する記述にちなんで、アテネの台頭にスパルタが対したように、中国のような新興大国が米国のような確立された覇権国に挑戦するときに生じる避けられない紛争を表すために政治学者グラハム・アリソンによって造られたものである。
   アリソンの論文は、中国指導部内で受け入れられ、 実際、中国経済の爆発的な成長(GDPは1990年の米国の7%から2021年の76%に急上昇)により、中国と米国の政策立案者は、明らかにトゥキディデスの罠は避けられないと確信している。

   しかし、これらの予測は中国のアキレス腱、つまり、人口増がピークを打って減少しているという人口動態の暗い見通しを説明していない。 人口の高齢化は生産を妨げ、消費を減らし、イノベーションを抑制し、国民の士気を損ない、経済活力を損なう可能性がある。 2007 年に刊行した自著『空の巣を持つ大国』の中で、中国の人口動態の推移を、速いがスタミナに欠ける短距離走者に例えて、対照的に、米国とインドはどちらも 21 世紀を支配する準備ができているマラソン選手だとした。
   中国の人口高齢化は以前の予測よりも急速に進み、出生率は1991年以降米国よりも低く、2021年以降は、減少著しい日本やイタリアを下回っている。中国の壮年労働力は2012年に減少し始め、 30年間続いた二桁GDP成長率の終焉を告げる。
   それ以来10年間、中国の大規模な住宅バブルの影響もあり、中国と米国の経済格差は縮小し続けた。 2031年から35年までに、中国は人口統計のあらゆる指標で米国に後れを取り、GDP成長率は米国を下回る可能性が高い。 中国のGDPは2021年のアメリカの76%から2023年には66%に低下した。この低下は短期的な変動の結果である可能性が高いが、急速に高齢化が進む中国と大部分が中年のアメリカとの間の経済格差の拡大を予兆する可能性がある。

   アメリカの人口統計上の優位性は、世界的な優位性を維持する上で重要な役割を果たしてきた。 例えば、第二次世界大戦後のベビーブームはヨーロッパを上回り、さらに、米国は 1970 年代後半から 2000 年代半ばにかけて第二次ベビーブームを経験し、出生率は 1976 年の 1.74 から 1990 年の 2.1 に上昇し、2007 年まで安定した。
   しかし、米国には独自の懸念理由がある。 アメリカの出生率は2007年の2.12から2022年には1.67に低下し、結婚や出産を遅らせる女性の増加と男性の労働参加率の低下によりさらに低下すると予想されている。
   さらに、米国は人口動態の課題に効果的に対処するのに苦労することが多い。 他のどの国よりも医療への支出が多いにも拘らず、先進国の中で平均寿命が最も短い国である。 驚くべきことに、今日のアメリカの5歳児の25人に1人は、薬物の過剰摂取と銃による暴力が主な原因で、40歳の誕生日を迎える前に死亡することになる。 こうした人口動態の変化は経済の減速につながり、政治的結束を損ない、さらにはアメリカの民主主義を危険にさらす可能性がある。

   中国と米国は両国とも、戦略的不安と誤算のリスクの高まりを特徴とする経済的・政治的混乱の時期に入った。 また、両者はそれぞれの人口危機の深刻さを軽視している。 中国の人口動態の罠を放置すれば、文明の崩壊を引き起こす可能性がある。
   一方、米国は世界的な影響力が低下する可能性がある。 かつては独力で国際秩序を形成していたが、現在では世界の安定を維持できるかどうかは同盟国の協力と中国との関与にかかっている。 しかし、両国が直面する人口動態上の課題を考慮すると、予想されるトゥキディアンの巨人同士の衝突は、最終的には校庭の乱闘に似たものになるかもしれない。と結んでいる。

    人口学者のイー・フーシャンは、別なところで、中国の人口統計の過大見積りやインドの人口推移についても論じており、また、この論文でも人口減による経済の衰退について、避け得ないアキレス腱として、日本やイタリアやEUを例にして説明している。
    ロシアの最大の悩みは、人口の減少傾向による国家の疲弊衰退で、この人口減に注目して、エマニュエル・トッドが、ロシアの没落論を展開していたのだが、プーチンの旧ソ連圏の囲い込みやウクライナへの侵攻も、この人口減少解消策の一環であろう、占領地域のウクライナ人をロシア国籍にしたり、子供を掠ったり、何十万のウクライナ人を拘束してロシア東部の僻地へ送り込んでロシア化を図るという人道的暴挙に出るのも、これが故である。しかし、人口数で辻褄を合わせても、この暴挙のお陰で、何十万という有為かつ有能な頭脳流出を放置すれば、この方がロシアの国力を削いで、根底から国運を危機に追い込み被害が大きいはずである。

   さて、それでは、アメリカやヨーロッパに雪崩を打って流れ込む難民や亡命者たち移民の流入が、欧米にとって、プラスになるのであろうか。
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ピーター・アクロイド「シェイクスピア伝」:ファルスタッフ

2023年10月24日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   シェイクスピア戯曲で、最も愛されている突出したキャラクターは、ハムレットでもリア王でもなく、あのどうしようもない無頼漢のサー・ジョン・ファルスタッフだという。
   ファルスタッフは、「ヘンリー4世第一部 第二部」に、強欲かつ狡猾な太っちょの老騎士として登場している。大酒飲みで好色、売春宿紛いの居酒屋に入り浸って、いかがわしい女と戯れ、ハル王子の養育係を自任して放蕩仲間に引き摺り込んで毎夜の乱痴気騒ぎ。しかし、ハル王子がヘンリー5世として即位すると、即刻お払い箱として追放される。
   何をどう間違ったのか、この舞台を観たエリザベス女王が痛く感激して、「フルスアッフの恋の物語を観たい」と言ったので、シェイクスピアは、フォルスタッフを主人公とした『ウィンザーの陽気な女房たち』を書いたとされている。金蔓にと、二人の夫人にラブレターを書いて口説こうと悪知恵を働かせてモーションを掛けるのだが散々いたぶられてコケにされる話である。

   私はロンドンに居たときに、RSCの公演に頻繁に通っていたが、偶然にも、この「ヘンリー4世」が最初に観た舞台で、シェイクスピア戯曲の鑑賞スタートとしては強烈な印象を受けたので、良く覚えている。そう思えば、シェイクスピアの作劇のバリエーションの豊かに驚嘆する。
   私自身、このシェイクスピア戯曲のファルスタッフのRSCの舞台は、特に、「ウィンザーの陽気な女房たち」などは何回か観ており、ヴェルディのオペラ「フォルスタッフ」をウィーン国立歌劇場で、「ウィンザーの陽気な女房たち」はウィーン・フォルクスオーパーで観るなどオペラの方も数回観ており、それに、新作文楽「不破留寿之太夫」も観ているなど、このブログでも、その一部を観劇レビューしているが、ファルスタッフはお馴染みなのである。興味深い所では、野村万作師のシェイクスピア「法螺侍」の狂言の舞台など、出色であり忘れ難い。
   ファルスタッフのイメージは、次のウィキペデアの絵が最も良く表しているので、借用する。
   文楽の舞台も貴重である。
   
   

   ところで、アクロイドの説明によると、ファルスタッフの名前は元はサー・ジョン・オールドカースルであったが、シェイクスピアの所属する宮内大臣一座のパトロンたる宮内大臣コバルが、自分の親戚に当たる人物が、その名を付けた人物として登場し、盗人、ほら吹き、臆病者、酔っ払いと、滑稽に描かれているのに激怒してクレイムを付けたので、急遽代えたのだという。
   ファルスタッフは、舞台に登場するや否や有名になり、「ファルスタッフが現われさえすれば、劇場はギュウギュウ詰めになり、舞台に登場すると観客は期待で静まりかえった。シェイクスピアの戯曲の中で最も頻繁に再販されていて、初版本のクォート版はあまりにも何度も多くの人に読まれたために、断片しか残っていない。と言う。

   シェイクスピアが、歴史と英雄的な行為を題材として芝居を書くそばから、ファルスタッフはそうした大事なことを台無しにしてしまう。ファルスタッフに戦場で非英雄的なふざけた振る舞いをさせ、武勇をからかわせ、死そのものまでおちょくらせたりさせる。そうした意味では、ファルスタッフは、あらゆるイデオロギーや伝統から切り離されたシェイクスピアの本質である。ファルスタッフとその創造者は、地上の価値観の届かない天空を飛んで行く。自堕落で道徳律に縛られないファルスタッフが力強くてエネルギッシュなのは、どこかにシェイクスピアの力とエネルギーを宿しているからこそである。
   ヘーゲルは、シェイクスピアの偉大な登場人物たちは恒に新しく自己創造をし続ける「自由に自らを造る創造者」だと言った。ファルスタッフと愉快な仲間たちは大受けで、そのために、シェイクスピアはアンコールに応えて、「ウィンザーの陽気な女房たち」で、連中を呼び戻したのである。と言う。
   
   さて、アクロイドは、「ソネット集」の記述の所で、シェイクスピアには、自己卑下や自己嫌悪が観られるところがあると書いている。
   詩人は自分を傷つけようとする人に惹かれてしまう。それから、傷つけられて、打ちのめされて、物思いに耽ることで慰めを得ようとする。
   人生の殆どを、紳士ではなく役者として過ごしたシェイクスピアに取って、公衆劇場に関わっていたという汚点がすっきりと消え去ることはなかった。ソネット110番は、語り手は、「自分を道化のまだら服として人目にさらし」たことを後悔し、次のソネットでは職業の所為で「わが名に烙印をおされる」と嘆いている。このため、シェイクスピアは、演劇界に嫌悪を感じ、芝居を書いたり演じたりするのにうんざりしていたのではないかと考える批評家も多い。

   このようなシェイクスピアの屈折した深層心理が、権威や道徳など何のその、天衣無縫の自由人ファルスタッフを産み出したのではないであろうか。そんな気がしている。
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ストラトフォードのシェイクスピア旅(15)コッツウォルドからヒースローへ

2023年10月22日 | 30年前のシェイクスピア旅
   アーデン・ホテルにとって返して、荷造りをして、ボーイに運ばせて車のトランクに収めて、チェックアウトした。ホテルのレストランで軽い昼食を取った。今度のイギリス旅行では、リッツ以外は、ミシュランの星付きとか真面なレストランに行けなかったのだが、以前に近郊の豪華なマナー・ハウスをホテルにしたレストランで食事をしたことがあるが味はもう一つで、このストラトフォードには、良いレストランがなかった。
   今夕、7時45分ヒースロー発のJAL402便で東京へ発たなければならないので、その前にレンター・カー会社に車を返すとなると、正味5時間くらいしかない。しかし、中途半端な時間だが、どうしても、コッツウォルドに立ち寄りたかったので、空港まで300キロくらいはあるが、一番近いチッピング・キャムデンに行くことにした。

   コッツウォルドは、比較的起伏の少ない地方であるが、それでも、丘あり谷ありで、中世の街並みが残っていて、イングランド屈指の美しい田園地帯である。田舎道を走っていると、急に眼前が開けて、多くの羊の群れが草を食んでいる牧場風景が展開する。今では、随分少なくなったが、昔この地方が羊毛産業の中心として栄えていた頃には、多くの牧場に沢山羊が飼育されていて壮観だったという。
   
   田舎道を、野や畑を通り抜けてチッピング・キャムデンに近づくと、聖ジェームス教会の垂直型の塔が見えてきた。ヨーロッパの常識としては、教会か大聖堂がある所は、必ず、町の中心なので、そちらに向かって車を走らせたが、この中世の教会は、街外れの林の中に建っている。この教会も、コッツウォルド・ストーン、すなわち、オーライト・ライムライト(魚卵状石灰石)で建てられている。普通この石は、ハニー・ゴールド色であるが、青みがかっていたり、シルバーやクリーム色から黄金色まで色々なバリエーションがあり、年月が経ち風雪に耐えてさびが出てくると、黒ずんできて、地味だが風格が出てくる。
   この教会は、コッツウォルドのウール・チャーチの中でも最も優雅な教会だと言われており、ヨーロッパ最大の羊毛集散地として栄えていた頃の裕福な羊毛商人たちが建てた記念碑である。建物の内部は、ステンド・グラスも装飾もシンプルだが、一昔前のロマネスク調である。塔の方形の屋上には、4本の短い尖塔が建っており、時計盤まで付いて、かなり優雅な装飾が施されている。教会の庭は墓地で、低い塀越しに牧場が続いている。

   
   車を教会の前の車道に駐車して街まで歩くことにした。まだ藁葺きの家が残っている。裏通りのパブの建物は、珍しく煉瓦造りの白壁で、入り口の派手な看板と共によく目立つ。本通りに出ると、街道沿いに街並みが続いている。建物の殆どが、コッツウォルド・ストーンの外壁なので、車さえなければ中世の街に入った感じであろう。石灰岩の切石ブロック積みの外装なので外部の装飾が限られており、極めてシンプルで、優雅な街並みにはケバケバしさがなく、ハンギング・バスケットのフラワーや店の看板が、くすんだハニー・ゴールドの外壁に良く映えて、素晴しい家並みのハームニーを醸し出している。
   大通りハイストリートの真ん中あたりにアーチ状の破風のあるマーケット・ホールがある。この辺りには、羊毛商人の館がいくらか残っており、かなり立派な建物があるのだが、街の中心が何処か分からない。ドイツなど大抵のヨーロッパの都市は、中心には、広い広場があって、シティ・ホールと大聖堂や教会が建っているのだが、このチッピング・キャムデンは、街道に沿った細長い町に過ぎない感じである。
   そう思って考えてみると、イギリスでは一点に都市機能が集中するとは限らず、シティ・ホールなりギルド・ホールなりが教会と隣接しているのは稀かも知れないし、大分傾向が違う。いずれにしろ、このコッツウォルドには、中世の集落が点在していて、散策するのが楽しい。

   このコッツウォルドには、ストラトフォードへの行き帰りも含めて何度も訪れており宿泊もしており、私にとっては、観光地と言うよりは、懐かしい田舎である。田舎の野山を散策しながら、ふっと立ち寄った鄙びたパブでギネスを煽り、素朴な旅籠でアフタヌーン・ティを楽しむ、そんな憩いの場でもある。
   
   チッピング・キャムデンからずっと南、カーン川の畔にバンプリーという人口600人くらいの小さな村がある。アーリントン・ロウと呼ばれる昔の織物工の長屋がそのまま残っていて、格好の写真スポットとなっている。前に広がる湿地帯の直ぐ傍を、カーン川の清流が流れていて、川面を、二羽の白鳥が、かなり速い流れに逆らって上ってくる。川底の水草に鱒が戯れて銀鱗を光らせている。がっしりとした古い石橋の上に立って、そんな風景を楽しみながら、鳥のさえずりや爽やかな風音に耳を傾けていると、時を忘れる。
   

   ハイストリートを抜ける途中に、面白そうなアンティークショップがあったので何の気なしに入った。小さな店に、陶器や古道具、時計や彫刻・彫像、装飾品など色々な骨董品が、全く秩序なく雑然と置いてあるといった感じで、狭い急な階段を下りた地下室にも2階にも広がっている。よせば良いのに、根が好きなので、飾り皿を二枚、周りを6面に切り込み型押し彫刻を施し表面に金泥をかけて焼いたマイセンと、道化師を描いたロイヤル・ドウルトンを買った。
   チッピング・キャムデンで時間を取ったので、ヒースローへの時間が厳しくなってきた。
   数年前、オックスフォード経由でロンドンに帰ったときに車の渋滞で困ったので、今度は、思い切ってストラトフォードに引き返して、M40の高速に乗ってヒースローに向かうことにした。
   大体、夕刻ヒースローを出発するのに、ストラトフォードの郊外を午前中観光して、午後にコッツウォルドで十分に時間を過ごして、慢性的な交通渋滞のイングランドで、いつ着くか分からないのに、短時間で300キロを突っ走るという無茶をやってしまった。しかし、ヨーロッパでの8年間のビジネス環境は、これに、似たり寄ったりの綱渡りで、ヨーロッパ人との切った張ったの厳しい激務激戦の連続であったのだが、今となっては懐かしい。(1995.9.9)

   以上15篇は、30年前に敢行したストラトフォード・アポン・エイボンへのシェイクスピア旅紀行を、多少加筆して再録したもの。
   このブログの「欧米クラシック漫歩(32) 」と共に、このブログをスタートした2005年以前に残っている、私に取っては貴重な20世紀の欧米文化行脚の記録である。

(追記)今回も、口絵写真などは、ウィキペディアなどインターネットから借用させて貰った。膨大な写真を撮ったはずなのだが、倉庫に埋もれて探せないのが残念である。
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ピーター・アクロイド「シェイクスピア伝」:シェイクスピアは頻繁に加筆訂正

2023年10月21日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   興味深いのは、シェイクスピアは、生涯ずっと自作に改訂を加え続けたことは、すでに注目の対象となっていたとして、自作の戯曲を頻繁に加筆訂正して、決して、決定することも固定することもなかったというアクロイドの指摘である。レオナルド・ダ・ヴィンチが、死の床まで、「モナリザ」を持ち込んで筆を加え続けていたと言うことを思い出して、非常に感慨深い。

   シェイクスピアは、ものすごい速さと緊張感を持って執筆していたようだという。思いのままにエネルギーとインスピレーションを呼びおこすことが出来たらしく、自身の存在の深淵から言葉を出していた。急速で慌ただしい創作の過程で、台詞を最後まで書かなかったことさえあったと言う。
   しかし、初期の劇には、インスピレーションやエネルギーを失って、台詞や韻文の途中で道を見失って最初に戻ってやり直したり、うめくさが所々で見られる。普通は白熱状態で執筆しているのだが、散文を書いているのか韻文を書いているのか自分でも分からなくなったりして、すべてを書き留めたいと言う抑えがたい欲望のために、散文と韻文形式上の相違が雲散霧消している。実際、シェイクスピアのテクストは流動的で未完成の状態にあって、役者が重みと意味を与えてくれるのを待っていたと言えるかも知れない。
   この結果、混乱が生まれる。人名をごっちゃにしたり、登場人物に異なる名前を与えたり、その人物描写や職業が異なる場合もある。話の筋が完結せずに終っていたり、時と場所に一貫性のないこともある。必ずしも、場面の順番に書かなかったのであろうことが分かる。

   改行や書き直しの過程で、シェイクスピアは、韻文にさらに磨きを掛けたいと言う漠然とした望みを持って、微少な細部に変更を加えている。本能的に、自分でも気付かないうちにしたことかも知れないが、場面全体の流れが変ってしまうことがある。シェイクスピアが劇作家として、生涯ずっと自作に改訂を加え続けたことは、すでに注目の対象となっており、たとえば、新オックスフォード版では、異なる時に書かれた「リア王」の二つの版をそのまま出版している。「ハムレット」でも、「ロミオとジュリエット」でも、多くの作品には書き加えた跡がある。実のところ、書き直しや構成の改訂の形跡のない戯曲は殆どないと言って良く、つまり、シェイクスピアの戯曲は恒に暫定的なあるいは流動的な状態にあったと言うことで、どこかの時点で、自分の書いたものを見直していたのである。キャスト変更に合わせて内容を変えることもあったと言う。

   勿論、役者は新しい台詞を覚えなければならないので、こうした役者の承認を得られるようにしなければならなかったし、また、抜本的な改定をして祝宴局長の許可を得るために再提出せねばならないなどと言うことのないように、気をつける必要もあったはずで、こうした制約の中では、シェイクスピア劇は、決して固定することも完成することもなかった。シェイクスピアは、恒に芝居に手を入れ続け、毎公演、少しずつ異なっていただろうと考えられる。と言うのである。

   さて、この話は、シェイクスピアが生存していた現役時代のことであって、当時の芝居事情を語っていて興味深い。
   他の戯曲作家の作品を剽窃盗作するのは日常茶飯事で、シェイクスピアなど、マーロウの作品から頻繁に想を得るなど利用していたし、記憶術や筆記術が花盛りの頃であったから、大当たりの芝居が、翌日他の劇場でそっくりそのまま演じられるという信じられないようなことが起こっていたから、決定版など作り得なかったのであろう。
   それに、シェイクスピアの場合でも、オリジナルのテーマなどなく、多くの種本や他の戯曲から想を得て戯曲を作り上げているのであるから、どんどん、発想やストーリーが変ってきて当然であろう。
   しかし、気になるのは、シェイクスピア戯曲のテキストが出版されている以上、現代の舞台では、これに縛られている、ないし、伝統の演出なり舞台が何らかの形で足枷となって、原典たるテキストの改編など無理なので、固定化してしまっているのではないかと言うことである。
   
   片岡秀太郎の「上方のをんな」をレビューしたときに、紹介したのは、
    「上方には型がない」と言うことについて。
   江戸歌舞伎では、伝統仕来たりが、頑ななほど、守られ継承されているが、上方では同じ芝居をしていると芸がない工夫がないと批判されることについてだが、秀太郎は、
   私に言わせれば、上方には型があり過ぎるんで、藤十郎などは、毎日少しずつ違っていて新鮮である。上方の芝居をこれから継承して行く後輩たちには、数多くある型を熟知した上で、選択していって欲しい。と言う。
   私は、元大阪人で、阪神が勝てば嬉しい口、
   上方歌舞伎に軍配を上げたい。

   伝統だから尊いのだと宣った某学者がいたが、あの伝統的だと目されているスコッチのタータンチェックも中村仲蔵の斧定九郞も、最近の創作、
   伝統などと言うものは何かの拍子に居座ってしまった固定観念であって、時には悪弊となることもある。
   変な話になってしまったが、このアクロイドの本、600ぺーじにもなる大著なのだが、色々教えられることが多くて面白い。
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PS:リヒャルト・ハース「イスラエルのジレンマ An Israeli Dilemma」

2023年10月19日 | 政治・経済・社会時事評論
   PSに、外交問題評議会名誉会長のリチャード・ハースが、「イスラエルのジレンマ An Israeli Dilemma」を投稿した。
   風雲急を告げているハマスとイスラエルの戦争に対して、
   ガザ地区のテロリストに対する攻撃や標的攻撃からイスラエルを守る能力を再構築するなど、安全保障上の課題に対するイスラエルの対応には軍事的要素がなければならないが、軍事だけの解決策はない。 実行可能なパレスチナ国家を実現するための信頼できるイスラエルの計画を含め、外交的要素を方程式に導入する必要がある。 暴力を拒否し、イスラエルとの和解に応じようとするパレスチナ人に報いることが、ハマスを疎外する最善の方法であることに変わりはない。と説いている。

   イスラエルの歴史は紛争の歴史であった。 イスラエル誕生後の 1948 年のアラブ・イスラエル戦争、 1956年にイスラエル・イギリス・フランスがスエズ運河を占領し、エジプトのアラブ民族主義指導者を打倒しようとした試み、1967 年の六日間戦争、 1973年のヨム・キプール戦争。、パレスチナでは2度のインティファーダや多数の小規模な紛争、このリストには、ハマスの2023年10月のイスラエル侵攻が加わった。
   今回のハマスの攻撃による人的被害は膨大であり、さらに増加している。 これは大規模なテロ、つまり非国家主体による無実の人々への意図的な危害であったと、詳細に論じて、
   これは、イスラエルの諜報機関の巨大な失敗でもあった。 イスラエルが準備不足で捕らえられたことの最も可能性の高い説明は、警告の欠如というよりも、注意の欠如である。 1973 年の場合と同様、現状に満足したり敵を過小評価したりすることは危険である。
   守備でも失敗した。 抑止力は崩壊した。 高価な物理的障壁は乗り越えられた。 おそらく占領下のヨルダン川西岸の入植者保護に関心が移っていたためか、イスラエルの軍事準備と兵力レベルはひどく不十分であった。と言う。

   イスラエルは現在、深刻なジレンマに直面している。 ハマスに決定的な打撃を与えて、組織を軍事的に弱体化させ、今後の攻撃やイランの支援を阻止したいと考えている。 そして、イスラエルの大部分に届く可能性のある約15万発のロケット弾をレバノンに配備しているヒズボラを直接紛争に巻き込むことなく、これを達成したいと考えている。 また、戦争がヨルダン川西岸に拡大することも望んでいない。 戦争を拡大させずに意味のある抑止力を回復するのは難しいであろう。
   イスラエルの軍事的選択肢は限られているという追加の考慮事項がある。 人質も理由の一つだ。 さらに、ガザを占領する、あるいはより正確に言えば、再占領することは悪夢となるだろう。 市街戦ほど困難な軍事事業はほとんどなく、ガザは世界で最も人口密度の高い都市環境の一つである。 このような作戦では多くのイスラエル兵が命を落とすか捕虜となるだろう。
   作戦の戦略目標にも疑問がある。 ハマスは組織であると同時にイデオロギーを代表するものであるため、排除することはできない。 それを破壊しようとする試みは、それに対する支持を構築する危険を伴う。 思い出されるのは、時として無実の人々を殺害したテロ容疑者に対する米国の無人機攻撃は効果的だったのか、ラムズフェルド米国防長官が提起した有名な質問、「我々は殺害しているよりも多くのテロリストを生み出しているのであろうか?」 – 問う価値は依然としてある。と言うのである。
   危険な思想やイデオロギーの排除には、その根を根絶しない限り、モグラ叩きと同じで、まして、善意をさえ敵に回す無差別かつ無意味な殺戮では、対処できないと言うことであろうか。
   
   ハマス掃討作戦のためにイスラエルが地上侵攻を実行すれば、世界を巻き込む大戦争に拡大するであろう危険を回避できたとしても、イスラエルも、深刻なジレンマに直面し、甚大な返り血を浴びて国家存亡の危機に直面することは避けられないであろう。

   ユダヤの血塗られた厳しい苦難の歴史を思えば、言葉には尽くしがたい同情と共感を禁じ得ない。
   しかし、天井のない牢獄に閉じ込められたガザの国民所得は、隣国のイスラエルの40分の1だと言う。窮鼠が猫を食んだのである。
   世界でも最も豊かになったイスラエルが、一歩譲って、ハースが説く如く、
   「 実行可能なパレスチナ国家を実現するための信頼できるイスラエルの計画を含め、外交的要素を方程式に導入する必要がある。 暴力を拒否し、イスラエルとの和解に応じようとするパレスチナ人に報いることが、ハマスを疎外する最善の方法であることに変わりはない。」という同化方針に目覚めることを祈りたい。
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わが庭・・・キンモクセイ咲く

2023年10月17日 | わが庭の歳時記
   キンモクセイ(金木犀)が満開で、良い香りを放っている。
   今年の9月が暑かったので、開花時期が少し遅れた感じである。
   この花が咲くと、一気に冷気が増して本格的な秋を感じさせてくれる。
   
   
   

   隣に咲いているのは、アベリア。
   初夏から咲き続けているのだが、また、白い小さなラッパ状の花を咲かせた。
   イタリアアルプスの麓湖水地方の産だと言うのだが、清楚な感じが良い。
   
   
   
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ストラトフォードのシェイクスピア旅(14)シェイクスピアの妻と母の家

2023年10月15日 | 30年前のシェイクスピア旅
   イギリスでの最終日である。ストラトフォードの街から間単に行けるのに、行けなかった場所:シェイクスピアの妻アン・ハサウェイのコテージと母メアリー・アーデンの家を訪ねることにした。
   母の父は、富裕な大地主であったので、メアリーの家は大きな農場を持った今でも立派な家であるが、アンのコテージは、今では少なくなって希少価値の萱葺き屋根の絵心を誘う牧歌的な家なので、この方が人気が高く、観光客が多い。

   街を出て西方向へ1マイル、郊外のショタリー村にアンのコテージがある。道路標識がしっかりとしているので道標に導かれてすぐに着いた。
   草深い田舎であった、そんなところに道路沿いにヒッソリと建っている。コテージと言っても、かなり大きな萱葺き屋根の家で、昔は家畜小屋や農地があったであろう庭が、夏の草花が咲き乱れる典型的なイングリッシュガーデンのコテージ・ガーデンになっている。スイトピーの花や赤や紫の花が風に揺れている。ルリタマアザミの薄紫の玉に虫が戯れている。薄い褐色の煉瓦壁を背にしてタチアオイが咲いている。記念写真を撮るために場所を占めて動かない日本人観光客が立ち去るまで、そんなショットを撮りながら待って、静かになってから庭をゆっくり散策した。
   

   アンはここで生まれ、1582年シェイクスピアと結婚するまで26年間ここで暮らした。アンのことは殆ど何も分かっていないが、ごく普通の女性で読み書きは出来なかったようである。シェイクスピアが結婚まもなくロンドンへ単身赴任してしまって、殆どストラトフォードを留守にしていたので、一人で子供を育てて家庭を守っていたのであろう。その間に、頻繁に里帰りして野良仕事もしていたのかも知れない。19歳のシェイクスピアよりも8歳年上の姉様女房であったが、不思議にも、シェイクスピアの戯曲には何の影響も痕跡も残しておらず、長い間留守を守り、夫が引退してロンドンから帰ると、また、何でもなかったように静かに一緒に暮らした。そんなアンという女性は、一体、どんな人だったのであろうか。

   建物は庭から観て、右側の広い低層部は、16世紀のオリジナルで、左側の高層部は、17世紀にアンの兄が増築したと言われており、19世紀まではハサウェイ家の人たちが住んでいたようで、ほぼ現状のままに残っている。内部の装飾、家具、調度なども、総べて骨董で当時の雰囲気を残すべく努力されている。一階には、ホール、台所、食糧貯蔵室、冷蔵室等があり、二階にはいくつかの寝室がある。ホールの暖炉の側に、楡の板を張った木製の長椅子があり、解説者が、交際中のシェイクススピアとアンが、座ってよく話したところだと説明し、間をおいて、その可能性があると言って、意味ありげににっこりと微笑んだ。二階の主寝室には、場違いなほど立派な彫刻を施したオーク製のベッドがある。この家は、二階建ての細長い建物で、かなり広い立派な農家であることが分かった。

   外に出ると果樹園に続いている。シェイクスピア戯曲に登場する木々は、殆ど植えられているという。アンのコテージを出ると、道路を隔てて、小さなショッテリー川が流れていて、森に通じる。これがオフィーリァが溺死した場面や、「お気に召すまま」の「この世は舞台、男も女も総べて、登場しては消えて行く役者に過ぎない All the world’s a stage, And all the men and women merely players. 」の舞台のモデルだと言われている。アンとのデートの場が、シェイクスピアの深層心理として残っていたのかも知れないと思うと面白い。尤も、このあたりでは、このような風景はいくらでもあるのだが、ストラトフォードの回りを歩いていると、シェイクスピアを身近に感じ、その戯曲のあっちこっちの場面がいつか何処かで見たような気がして、無性に懐かしくなるのが不思議である。

   今度は、道路標識にしたがって、シェイクススピアの母メアリー・アーデンのいえに向かった。
   このあたりの細かい道路地図がないので、懇切丁寧な標識が全く有り難い。イギリスの道路標識は、世界一であるが、これまで、全く交通ルールも異なり言葉も違うヨーロッパ、ドイツやベネルックスやデンマークやフランスなどを運転してきたので、標識を見るのは慣れているのだが、日本の標識の方が分かりにくいと思っている。2車線の綺麗に舗装された田舎道を、街から北西へ3マイル、すぐに、メアリー・アーデンの家に着いた。ここに来ると日本人の観光客はいない。

   
   母の家は、「アズビーズ」と呼ばれる16世紀の木骨造りの2階建ての落ちついたチューダー様式の農家である。
   母屋の他に、色々な別棟が付属するかなり大きな農家で、一部は、シェイクスピア田園博物館として利用されていて、多くの農機具や馬車等が展示されている。母屋は、褐色の石のスレートで葺かれ、基礎と腰板は、この地方やコッツウォルドで普通に産する青灰色の石灰岩の薄い煉瓦様のブロックを積み重ねており、その上に載った太い木骨フレームの白壁に太陽の光が映えて美しい。アンの家も、同じチューダー朝だが、この家の方が遙かにしっかりとしている。
   これらの建物は、20世紀の初期に財団が買い取るまで、農家として使われていた。表玄関が閉鎖されていたので、裏口から入ると、右手に台所、左手にホール兼リビングがある。家具調度、調理機器等は勿論、内装も当時の模様を現出している。台所の炉の上には、鳥や兎を吊すゲーム・クラウンがあったり、ホールには、一方が接吻している図案の彫像パネルの2枚付いた16世紀初期のオームブリ食器棚があるなど結構興味深い。2階は寝室になっている。
   面白いのは、中庭の片隅に、600を越える巣穴のある鳩小屋があることで、当時、普通の庶民には飼育が許されていなかったので、アーデン家はかなりの特権階級であったことを示すと記されている。1556年の記録には、乳牛、牡牛、羊、馬、豚、鶏、ミツバチなどが飼われていたとあり、かなり、大規模な農場であった。財団が買い取った大規模なグリーブの農場が隣接しているのだが、時間がなかったので、ほどほどにして退散した。
   夕刻までにヒースローまで突っ走って、JAL便で東京へ帰るのである。

(追記)当時の写真は探し出せないので、口絵写真などは、ウィキペデイァとネット画像から借用した。
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都響:第983回定期演奏会C

2023年10月14日 | クラシック音楽・オペラ
   今日の都響のコンサートは、
第983回定期演奏会Cシリーズ
日時:2023年10月14日(土) 14:00開演
場所:東京芸術劇場コンサートホール

【ジェイムズ・デプリースト没後10年記念】
出 演
   指揮/大野和士
   ヴァイオリン/イザベル・ファウスト
曲 目
   マグヌス・リンドベルイ:アブセンス-ベートーヴェン生誕250年記念作品-(2020)[日本初演]
   シューマン:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調
      ソリスト・アンコール ヴァイオリン/イザベル・ファウスト
         ヴェストホフ:無伴奏ヴァイオリンのための組曲 イ長調より サラバンド
   ベートーヴェン:交響曲第7番 イ長調 op.92

   デブリーストがトップの時には、都響ではなく、小澤征爾を聴きたくて新日本フィルの定期会員であったので、全く聴いたことはない。
   今回のプログラムでは、リンドベルイのアブセンスは、初演なので勿論初めてで、作者が「極めて現代的な「不協和音」が雄弁に語り、起こるべくして音楽の対話が起こる」と語っているので、全く印象が違っていて身構えて聴いていた。
   昔、アムステルダムに居た時に、コンセルトヘボウの定期会員権を3つ持っていて、その一つが現代音楽で、途中でコンサートが苦痛になったことがあったのを思い出した。
   しかし、今回は、シェーンベルクを聴いたときのような拒絶反応を起さずにそれなりに楽しめたのは、年期の所為であろうか。
   ベートーヴェンのメロディが組み込まれていたようだが、気付かなかったし、何故、この曲が、ベートーヴェン生誕250年記念作品なのか分からない。

   シューマンのヴァイオリン協奏曲は、シューマン自身はこの曲を、「天使から教えてもらった曲だ」と語っていたと言う。美しい曲である。
   席が少し後方であった所為か、ヴァイオリンの音色が、オーケストラに同化しすぎた感じで、ピュアーで美しいサウンドが、時折印象的に奏でる。派手なカデンツァがあるわけでもなく、独奏ヴァイオリンのサウンドが傑出するような曲でもなさそうであったので、ムード音楽の雰囲気で聴いていた。
   イザベル・ファウストのヴァイオリンのサウンドを楽しませてくれたのは、アンコールの無伴奏ヴァイオリンのサラバンド、
   民族衣装の雰囲気であろうか、舞うように演奏する美しいファウスト、熱狂的な拍手。

   ベートーヴェンの第7番は、欧米でも頻繁に聴いてきたお馴染みの曲、
   解説では、ワーグナーが、この曲を「舞踏の聖化」だと言ったとかで、「輝かしさ」や「陽気さ」を象徴するイ長調が基本だという。
   指揮者は、第3楽章から、殆ど間髪を入れずに第4楽章へ、熱狂的なフィナーレ。凄い都響サウンドの咆哮、圧倒的な演奏。
   私は、演奏の感動を噛みしめるために、大野和士が、指揮台を下りて楽屋に消えると、すぐに、席を立って会場を出た。

   都響の2024年度楽期のプログラムが出て、会員継続申し込みが始まった。
   魅力的なプログラムだが、もう一年、鎌倉から池袋へ、杖をついて通えるかどうか、考えている。
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PS:バリー・アイケングリーン「新しい産業政治 The New Industrial Politics」

2023年10月13日 | 政治・経済・社会時事評論
   プロジェクト・シンジケートのバリー・アイケングリーンの論文「新しい産業政治 The New Industrial Politics」

   最近の研究は、特定の地域の特定の産業を促進するための政府の選択的介入を支持して訴訟を再開するのに多大な貢献をした。 しかし、産業政策の成否は決して純粋な経済問題ではなく、政治問題だというのである。
   アイケングリーン教授は、弱肉強食の嵐に翻弄されて経済格差などの資本主義の根底を揺るがせた市場原理主義経済については振れていないが、自由放任から転換して、経済開発に対する政府の経済政策の復権について書いているので、取り上げてみたい。

   産業政策が復活してきた。 米国では、何十年にもわたって支配的なイデオロギーと政策により、経済構造に影響を与えようとする政府の努力が最小限に抑えられてきたが、この政策が復讐するかのように戻ってきた。 現在では、対照的に、インフラ投資および雇用法、CHIPSおよび科学法、インフレ抑制法があり、これらはすべて重要な産業政策の要素を含んでいる。
   そして、米国で起こったことは米国内にとどまらず、他の国々も同様に自国の産業基盤の維持と強化を目指しており、同様の措置で対応している。 問題は、こうした政府主導の取り組みの復活を歓迎すべきかどうかと言うことである。と言う。

   産業政策には長い歴史があり、アメリカの初代財務長官アレクサンダー・ハミルトンと彼の製造業報告書(1791年)にまで遡り、1660年代にルイ14世の初代大臣だったジャン=バティスト・コルベールまで遡る。 しかし、20 世紀の終わりまでに、産業政策は支持されなくなった。 市場経済の単純なモデルでは、特定の場所で特定の産業を促進するために政府が選択的に介入する根拠は提供されなかった。産業政策の有効性を裏付ける証拠は弱かった。 減税や関税の提供はレントシーキングへの扉を開き、資源の散逸や非効率で不当な生産者への補助金の拡大につながることが観察された。

   しかし、最近の研究は問題を再開するのに大いに貢献した。 新しい理論化によって、工業化の「ビッグプッシュ」モデルに、知的厳密性が与えられ、市場が勝手に放っておかれ、補完的な産業の同時拡大を調整することができず、他の産業がなければどの産業も成り立たなくなることを示した。 この研究により、一時的な保護によって幼児産業が自立できる条件についての理解も深まった。 イノベーションへのインセンティブと普及による利益のバランスがとれた知的財産権の適切に設計された制度の下であっても、新技術の開発者はその努力から得られる利益をすべて得ることができない可能性があることが示された。
   経験的な面では、最近の経済史は、19 世紀の工業化促進における政府政策の極めて重要な役割についての説得力のある物語を提供している。 厳密な研究は、連邦政府による移転が失効した後も、テネシーバレー政策が影響を受けた地域での製造業の雇用をどのように促進し続けたかを文書化している。
   他の新しい研究は、第二次世界大戦時代のアメリカの国防産業工場への投資がどのようにして地域雇用の恒久的な増加と高賃金の製造業の持続的な拡大をもたらしたかを示している。 さらに別の最近の研究では、1970年代の韓国における重化学工業推進が、プログラムが終了した後も、どのようにして対象産業とその供給業者の拡大とダイナミックな比較優位性を促進し続けたかを追跡している。
   この調査は、国内と国際の 2 つの傾向を背景に実施されており、その結論はさらにタイムリーで説得力のあるものとなっていて、 国内では、経済発展の管理を市場に委任すると、かなりの人口と地域が取り残される危険があることが明らかになった。
    勿論」、市場の力が、勝手に放っておいても、すべての船が自動的に持ち上げられるわけではないことは経済学の基本的な考え方であるが、しばらくの間、この点はイデオロギーの純粋さの名の下に都合よく忘れ去られていた。 アパラチアのような地域における貧困の集中と着実な人口減少は、強力な警鐘として機能した。 こうした状況を持続させた統治エリートに対するポピュリストの反発は、たとえそのエリートが権力の座に留まるのを助けるためだけに、より介入主義的な政策を求める政治的根拠を生み出した。

   国際的には、中国と西側諸国との地政学的な対立により、国家安全保障に不可欠とみなされる産業を再上陸させてさらに発展させる政策の根拠が生み出された。 経済理論と国際法は、自由貿易に対する国家安全保障上の例外の存在を長い間認識してきた。 中国との緊張は、この基本的な事実を思い出させる。
   しかし、産業発展の原動力、不況地域の問題、国防の責務が、産業政策に説得力のある経済的根拠を提供するとしても、政治経済的な反対は依然として存在する。 レントシーキングが蔓延している。 公的資金の注入によってどの部門や企業が効率性を高めるかについては不確実性がある。 どの業界が国家安全保障上の例外に値するかは議論のある問題である。

   言い換えれば、政治プロセスが適切な業界、つまり前述の根拠に値する業界を対象とした政策を実現することを保証するものは何であろうか? 適切な業界、つまり前述の理由から、価値のある業界をターゲットにした政策を提供できないであろうか? 産業政策の経済学に関する最近の研究は、その政治経済に関する研究によって補完される必要がある。 誰に補助金を与えるかについての決定は、米軍基地閉鎖委員会をモデルにした独立した委員会に委任できるのであろうか? 米国高等研究計画局のように、産業界や学界から出向したプログラムディレクターに権限が委譲される場合、このディレクターはどのように選出されるのであろうか。 この人物が資金の受領者と適切に協議し、受領者のパフォーマンスが綿密に監視されることを保証するにはどうすればよいであろうか?

   「それは経済だ、愚か者よ」との政治選挙戦略家のジェームズ・カーヴィルの言は有名である。 それは選挙に勝つための有益なマントラかもしれない。 しかし、産業政策の成功といえば、それは政治である。

   以上がアイケングリーンの見解である。専門的だが、常識の域を出ていない。
   要するに、政府の経済回復に対する経済政策は必要だが、上手く機能するかどうかは、政府の制度設計如何にかかっており、政治の問題だと言うことであろうか。
   これまでにも、経済への政府の介入の必要性についても書いてきたが、自由な市場経済の暴走によって資本主義経済が有効に機能せず制度疲労を起して暗礁に乗り上げている以上、政治的な視点からの政府の役割は重要になってくるのは当然であろう。
   しかし、アメリカの政治情勢が真っ二つに分断して収拾が付かない状態を考えただけでも、理想的な政治の介入など、当分望めそうにない。
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映画「十戒」 エジプト出国記

2023年10月11日 | 映画
   NHK BSPで録画していた映画「十戒」を観ながら、激しさを増すハマスとイスラエルの戦争を思う。
   キリスト以前の物語なので、歴史的には現在とは違うが、中東の揺籃期の宗教対立や民族間の軋轢などが主題なので、現下の戦争の激しさを彷彿とさせて考えさせる。
   イスラエル建国を描いたドラマチックな映画「栄光への脱出」を思い出すが、ユダヤとイスラムの対立が、パレスチナで先鋭化して火を噴いている。以前に、サウジアラビアのリヤドで、提携会社の役員のパレスチナ人との会話で、不用意に、「occupied territory」という言葉を使って、30分以上も食って掛かられ、その怨念の深さを感じたことがある。

   この映画は、旧約聖書の「出エジプト記」を題材にしたもので、モーゼが、奴隷として虐げられていたユダヤ人を率いてエジプトから脱出する物語を中心に描かれたスペクタクル巨編。
   CGが無縁の時代なので、途轍もないスケールの大きな実写の迫力に圧倒され、正に見せて魅せる映画である。
   特に印象深いのは、次のシーン。
   跡継ぎの王子を失って怒りに燃えたラムセス王は、エジプト全軍を引きいて攻撃し、ヘブライ人達を紅海際まで追い詰める。モーセが神に祈ると、神は火柱を立ててラムセス軍の進攻を妨げ、紅海を真っ二つに割って陸地を開き、ヘブライ人たちをその海の中にできた廻廊伝いに対岸まで逃れさせる。暫くして火の柱が消えたので、エジプト軍がヘブライ人を追って廻廊へ突進すると、廻廊は海に戻り、ラムセスだけを残して全軍海の藻屑と化す。
   
   
   

   さて、ユダヤ教の数ある祭日の中で最も人気のある祭日パスオーバー(過ぎ越しの祭り)だが、
   このエジプト出国、奴隷であったユダヤ人がモーゼに導かれてエジプトを脱出し、自由の民になったことを祝う祭りであるが、幸い、私は、フィラデルフィアのウォートン・スクールでMBAの留学生であったときに、親しくしていたユダヤ人の学友ジェイコブス・メンデルスゾーンが、その儀式に招待してくれて、参加した。
   1974年の話なので、殆ど忘却の彼方であるが、確か、「セーダ」と言う夕食会の冒頭に、長いテーブルの両側に親族の最長老を真ん中にして男性家族全員が、頭の上に「ヤマカ」と呼ぶ小さな帽子をかぶって整列し、最長老が、式のはじめを告げ、そのリードに従って参加者全員が英語の「ハガダ」を輪読した。私も、仲間に加わり、文章中に、ヘブライ語の特別な言葉があったのであろう、発音がおかしかったのか、ジェイの弟がクスリと笑ったので、良く覚えている。
   インターネットで調べた「ユダヤ歳時記」では、
   「セーダ」では、食卓には、定められた通りの順序や方法で飲んだり食べたりするワインやマッツァ〈種なしパン〉などが用意され、「セーダ・プレート」と呼ばれる特別の盆には、奴隷としての苦い経験を思い出させる苦菜〈西洋わさび〉、煉瓦作りの毎日だった当時を偲ぶ「ハローセス」〈りんごを刻んで甘いぶどう酒やシナモン、ナッツなどと混ぜたもの〉,塩水に浸して苦しみの涙を象徴するパセリ、かって神殿で捧げられていたいけにえの肉を代償する羊のすねの骨、春の訪れを象徴する焼いた卵などがおかれます。
   と言うことだが、何を食べたか、全く記憶がない。

   もう一つ、強烈に覚えているのは、家系図の存在。
   式の後、ジェイの部屋に入って見せられたのは、この家系図で、クスノキのような一本の木が描かれた額絵が壁に掛けられている。
   何の変哲もない平凡な絵なので気にもせず近づいてよく観ると、枝の先に小さな字で名前が記されている。
   それぞれが塊になっていて、ジェイが、ここはアメリカ、ここはイギリス、ここはイスラエルと、それぞれの親族たちの故国を説明する。
   図の真ん中あたりで、先が途切れて団子のようになって消えているいるところがあって、ジェイにこれは何だと聞いたら、ドイツだと言ってアウシュビッツなどのナチスの悲劇を語り始めた。
   幹から先へと沢山の名前がビッシリと記させている中で、ジェイは、これが自分だと言って、先端の名前を指し示した。

   ユダヤ人の知人友人との思い出が結構あるのだが、今の戦争でも、日本人の私には分からないような世界の法則なり力が働いているのであろう、
   軽々に判断出来ることではないと思っている。
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ロイター:ブラジルで広がる農地再生、森林破壊せず収穫拡大

2023年10月10日 | 地球温暖化・環境問題
   ロイターのニュースレターに、 「ブラジルで広がる農地再生、森林破壊せず収穫拡大」という記事があった。
   焼き畑農業で、アマゾンの原生林をどんどん破壊して、地球環境を悪化させ続けているブラジルでの、非常に明るい記事なので注目した。

   記事を引用すると、
   ブラジル中部ゴイアス州で農業を営むリカルド・サンティノニさん(49)が20年前に最初に大豆を栽培したときには、70ヘクタールに作付けするのがやっとだった。それが今や作付面積は1000ヘクタールに拡大。しかも、木を一本も切ることなく成し遂げた。
   サンティノニさんが父親から譲り受けた土地は、かつては広大なセラード(ブラジル内陸中央部に広がる熱帯サバンナ地帯)の一部だった。数十年前に開墾されたが、その後、生産性が落ちたため放棄され、荒廃した牧草地となっていた。
   サンティノニさんは農学者のフェルナンダ・フェレイラ氏と協力し、トウモロコシや豆類などを輪作し、牛を放牧してたい肥をまいて土壌を豊かにし、何年もかけてこの荒廃した牧草地を徐々に肥沃な土地に戻してきた。と言うのであ。
   サンティノニさんは「私自身は巨大な全体の小さな一部分だと思っている」と話した。指差した先には「持続可能な方法で生命を養おう」というスローガンが掲げられていた。
   大豆生産は森林破壊と密接に結びついており、「持続可能性」という言葉とほぼ無縁だった。しかし、サンティノニさんによると、土地を新たに開墾するのではなく、やせ細った土地の再生に取り組む農家が増えている。
   ゴイアス州は国内第3位の大豆生産州。5月から9月の乾期は主要作物である大豆の収穫後の時期にあたり、農地では枯れた茎が乾燥した土壌に散乱し、あたり一面が黄色と茶色に覆われる。だが、サンティノニさんの農場は、8月になっても雨が降っていないというのに、豆や牧草が青々としている。
   「この土地で実践していることにより、私は地球の持続可能性に大きく貢献している」と、サンティノニさんは胸を張った。

   米農務省によると、ブラジルは近年、米国を抜いて世界最大の大豆生産国となり、今年の収穫量は1億5500万トンと過去最高を記録する見込み。大豆の作付面積は4500万ヘクタールとスウェーデンの国土に匹敵する。
   しかし、大半の耕作地は、アマゾンの原生林を破壊した大豆畑であり、サンティノニさんの農場のように、森林を破壊せずに、荒れ地や放置農場などを農地に再生して、農地拡大収穫拡大を推し進める運動が進展して行くことを祈りたい。

   これが、ブラジル農業のトレンドになるのかどうか、私も、かって、4年間ブラジルに在住しており、ブラジル人気質をよく知っているので、自主性には頼れないので、政府が強力にイニシャティブを取って強引に進めない限り無理であろう。
   しかし、その政府が信頼できない。政財官の癒着などで、アマゾンの自然環境の保護は勿論、行政を司る現地政府機関は殆ど有効に機能せず、アメリカの巨大な農機具や食料会社など多国籍企業が跋扈しており、原始林は、危機に瀕してきたのだが、それに輪をかけて、ボルソナロが、逆に、環境保護の予算を削り、先住民保護区を破壊して、積極的に開発を進めて、アマゾンの命運を危機に追い込み、地球環境の破壊と地球温暖化に拍車をかけてきた。
   無法者を傍若無人に泳がせて農地を拡大する安易で安上がりなアマゾン破壊にブレーキをかけるのは、至難の業であろう。

   それはそれとして、アマゾン以外は殆ど問題にはならないが、ロシアの永久凍土の保護や、中国やインドの水系や自然保護など、広大な国土と自然環境を支配しているBRICSに箍を嵌めない限り、宇宙船地球号の未来は極めて危ういと言うことを忘れてはならない。

(追記)口絵写真は大豆畑を歩くアメリカダチョウ
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PS:ジョセフ・E・スティグリッツ「パンデミックへの備えはどのようなものになるのか What Pandemic Preparedness Would Look Like」

2023年10月09日 | 政治・経済・社会時事評論
   スティグリッツ教授が、パンデミック対策に対して、先進国の手前勝手な対応に警告を発した。
   再びパンデミックに直面する可能性が高いことを考慮すると、国際社会は次回どうすればより良くなるかの議論に取り組んでいるが、この問題に関する最新の国連合意は、新たな病原体に先んじて対処するために必要な具体的な措置を示すものではなく、単なる決まり文句を提供しているだけで不十分である。
    SARS、エボラ出血熱、MERS、鳥インフルエンザなどの小規模な流行については何十年も前から事実上警告されていたにも拘らず、人類は新型コロナウイルス感染症のパンデミックに不意を突かれた。 オバマ大統領は、感染症がもたらす可能性のある脅威の本質を認識し、国家安全保障会議内に世界保健安全保障・生物防衛部門を創設したが、ドナルド・トランプは無限の知恵でそれを封じた。遅かれ早かれ再びパンデミックに直面する可能性が高いことを考慮すると、国際社会は次回どうすればより良くなるかを議論するのに当然のことながら真剣に取り組まなければならい。と言う。

    先月、パンデミックの予防、準備、対応に関する国連ハイレベル会議は、画期的なものとして歓迎された「政治宣言」を発表したが、しかし、これは当然のことを述べているだけで、政府からの確固たる約束は伴っていなかった。
   次回、より良い結果を出すためには何が必要か、我々はすでに知っている。 新型コロナウイルス感染症が世界的に蔓延した後、裕福な国で買い占められていた医薬品を入手できなかったために、貧しい国の何百万人もの人々が死亡した。 ワクチン、検査、個人用保護具、治療法を含む、パンデミック病原体に関連するすべての知的財産(IP)の免除と、技術を共有し、貧しい国を助けるために必要な資金をすべて提供するという全員の約束を必要としていたのである。しかし、新型コロナウイルス感染症危機の間、国際統治の最も強力な提唱者である米国ですら、自国の当面の利益と矛盾すると思われる規則や規範を破ることにほとんど良心の呵責を示さないのを目にした。

   合理的なアプローチは、パンデミックを制御することが全員の利益になるという認識から始めなければならない。 裕福で強力な国々が危機の際に約束を守ることができないのは明らかであるから、合理的な解決策は、パンデミック製品をどこでも生産できる能力を確保し、生産する国々に対する予見可能な障害を排除することである。 それは、強力な知的財産権の放棄に同意し、開発途上国の第三国に生産物が輸出されている場合を含め、特定の知的財産の他社による使用に不当に干渉する製薬会社に対して厳しい罰則を設けることを意味する。
   将来の脅威に先手を打つには、関連技術の一部を今すぐ移転する必要があり、政府と企業は、将来の病原体によって必要となる可能性のある追加移転を促進することに尽力する必要がある。 政府は管轄内の企業にそのような技術を共有するよう強制または誘導する手段と法的権限を持たなければならず、それが実現しない場合には発展途上国は訴訟を起こす権利を有するべきである。 そうは言っても、世界的な執行メカニズムは脆弱であり、新型コロナウイルス感染症のパンデミック中に、グローバル・ノース諸国による国際規則や規範の違反が何の結果も伴わないのを我々は目にした。 だからこそ、グローバル・サウスでの生産能力と医薬品開発能力を持つことが非常に重要である。
   また、状況が必要なときに先進国が緊急資金を提供することを信頼することもできないし、 現在の交渉では、事前約束をさせること自体が歯を抜くようなものなので、将来の脅威に先手を打つために、必要な資金を今すぐ動員し、それらを実現するための明確なルールを確立する必要がある。 一部の政府が直ちに資金を提供する可能性は低いとしても(世界は米国議会の共和党に何も期待すべきではない)、開発銀行や国際通貨基金などの多国間ルートを通じて資金を提供する拘束力のある協定を結ぶことは依然として可能である。
   将来の病原体を制御するにはデータが必要となるため、すべての国がデータ共有に取り組む必要がある。 各国は開放性に対するインセンティブを持つべきである。 この目的には、テクノロジーと緊急資金へのアクセスを確保することが不可欠である。

   新型コロナウイルス感染症の影響で、我々は、発展途上国の人々の命や幸福よりも製薬会社の利益を優先した。 それは不道徳で、恥ずべきことであり、逆効果であった。 病原体がどこでも悪化することが許されている限り、すべての人を脅かす危険な新たな突然変異のリスクが存在する。 そして、アメリカとヨーロッパの同盟国は、発展途上国全体へ心と精神を争う戦いを繰り広げる中、自らの足を撃ち抜き、自国の民主主義の弱点を露呈させた。 世界の他の国々が目にしているのは、政府が、安全よりもその利益を優先する大手製薬会社にすっかり捕らえられてしまったことであった。
   次回は、より公正で包括的、合理的な対応に向けた準備を整える必要がある。 その緊急の課題に直面して、先月の国連会議は必要なものには遠く及ばなかった。と言う。
   
   スティグリッツ教授は、国連の決議を代表して次のパンデミック対応の欠陥を批判しているが、グローバルベースで対処する機関もシステムも存在しない所に問題がある。フラットになって世界中が雁字搦めに結びついてしまった今日の世界では、パンデミックのような伝播性の強くて激しい疫病には、地球上全体、グローバルベースで根っこから根絶しない限り、危機回避は不可能である。しかし、先進国が、製薬会社と結託して自国利益を優先して、十分に対策を打てない発展途上国を排除してきた。当然、パンデミックの終熄は、どんどん遅れて長引くことになる。と言うことである。

   昨年5月に、讀賣が次のように報じている。
   米製薬大手ファイザーが3日発表した2022年1~3月期決算は、新型コロナウイルスワクチンの売り上げが伸びたことなどから、売上高が前年同期比77%増の約256億ドル(約3・3兆円)、最終利益は61%増の約78億ドル(約1兆円)と大幅な増収増益だった。

   もう40年以上も前になるが、米国のビジネススクールで、国際経営学の講義で学んだのは、アメリカの多国籍企業が如何にして海外で得た利益を国内に取り込むか、その戦略戦術、
   ロビー活動が今でも健在で生き続けていて、政治家を抱き込んで利益誘導が可能である限り、スティグリッツ教授も、後進国への資金サポートも「開発銀行や国際通貨基金などの多国間ルートを通じて資金を提供する拘束力のある協定を結ぶことは依然として可能である。」と言わざるを得なかったのであろう。
   しかし、肝心の国連が機能不全では、スペイン風邪の教訓を、今回のコロナ問題で十分に生かせなかったので、また、一からとなろうか。
   
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