菅内閣の支持率や小沢元幹事長の国会での説明責任など、頻繁に世論調査が行われて発表されているのだが、1000人や2000人くらいのサンプリングくらいの調査で、正しい予測数値が出るのか、いつも、疑問に感じている。
調査には、NHKなどは、調査員に戸別訪問をさせて調査する「 個別訪問面接聴取法」を採用することもあるようだが、新聞社などのメディアは、電話による「 RDD方式(乱数番号法、Random Digit Dialing)」を取っていることが多いらしい。
RDD方式と言うのは、ウイキペディアによると、「コンピュータで乱数計算を基に電話番号を発生させて電話をかけ、応答した相手に質問を行う方式で、従来の固定電話を対象として行なわれる。NTTなどの電話帳に掲載されていない電話番号も抽出対象となりえる。」らしい。
私も、昔イギリスにいた時に、電話が架かって来て、ヒースロー空港の新ターミナルの建設について、30分間ほど、詳細なRDD調査を受けたことがあるので知っているのだが、実際に、電話が架かって来ても、サンプリング調査に応じるのは、10%くらいだと言う話もあり、偶々私が出たが、固定電話であるから、誰が出て答えるかは全く未知数である。
乱数計算によって選ばれた電話番号に無作為に調査を架けると言うことだが、果たして、これが、公平なサンプリングになるのであろうか。
ビル・タンサーが、近著「クリック」の中で、携帯電話だけの世帯である「コードカッター」が増加の傾向にあって、それも、所得の低い世帯の22%がそのコードカッターで、富裕層の二倍になっていて、選挙前の世論調査なども固定電話の番号だけを対象にした無作為調査が行われるのだが、「下流」世帯の増殖が調査結果を歪める?のではないかと疑問を呈している。
現実には、それ程影響がないにしても、携帯電話しか持たない人の著しい増加と、携帯電話、固定電話両方を所有する人の割合の急激な低下によって、人口動態を適正に反映した調査対象者の抽出が難しくなってきたと言う。日本でも、NTTの固定電話が減少傾向にあると聞く。
古典的なサンプリング調査の失敗で、タンサ―が挙げているのは、リテラリー・ダイジェスト誌の実施した1936年のアメリカ大統領選の予測調査で、フランクリン・ルーズベルトではなく、アルフレッド・ランドンの地滑り的勝利を予測して有権者に衝撃を与えた。
何と、調査対象の抽出に利用したのは、「自動車の登録台帳」「電話帳」で、当時としての富裕な所帯ばかりを選んで調査してしまったので、当然、ランドンを候補に立てた共和党への支持が高かったと言うのであるが、サンプリングを誤った典型である。
電話調査について信用できるのかどうか、タンサ―は面白い例を上げている。
たとえば、ポルノへの支出調査で電話を掛けた場合に、そんな調査に喜んで答える人間がいるのか、また、調査対象者の回答を鵜呑みにして良いのかと言う疑問である。
着信拒否設定や留守番電話が使われ、他人に対する警戒心が増すばかりの時代に、調査にも、若者は忙しくてプライバシーの意識も高くて調査を受けたがらないので、もっと年齢が高くて協力的な調査対象者のデータに偏ってしまう。
まして、調査回答に当たっては、自分を「明るく」「健康的な」生活を送っている人物に見られたいと思っているので、アダルト向けのサイトにいくら払っているかなどと聞き出すのはベテラン調査員でも至難の業だと言うのである。
このことは、選挙予測の電話調査にも反映されていて、調査対象者が、必ずしも、正しい回答をするとは限らないと言う。
要するに、調査のサンプルが、その国なり地方の人口動態を正しく反映していることが必須で、電話調査にしろ、インターネット調査にしろ、かなり、現実からの乖離があり、先の民主党選挙戦予測で、電話調査では菅直人が優勢であったが、インターネット調査では小沢一郎が優勢であったなど、サンプル選択の違いが、結果に如実に表れてくる。
日本の場合には、若者を見ていれば、殆ど携帯電話だけのようで、インターネット関連ならいざ知らず、固定電話など持っていない人も多くて、明らかに、固定電話の保有者が、日本の人口動態を正確に反映しなくなっている。
私など、ディスプレイを見て、認知できる電話しか受話器を上げないのだが、友人知人たちの中にも、不明電話への対応に慎重な人が多くなっていることを考えれば、電話調査に簡単に対応するような人は、非常に稀な天然記念物のようなもので、益々、固定電話のRDD方式調査が平均的人口動態からスキューしていくのではないかと思っている。
いずれにしろ、世論調査や市場調査の技術は長足の進歩を遂げてはいるものの、正確な調査結果を導き出すための適切なサンプル抽出は、永遠の課題であり、あくまで、一つの調査であり、正確かどうかの保証は必ずしもないと言えよう。
NHKテレビなどでは、頻繁に、このRDD方式による政府支持率などの調査結果を、あたかも、国民の正しい審判の結果のように、嬉々として報道し続けているが、方向性は分かるとしても、権威ある数字のように扱うのには、多少の後ろめたさをも感じてほしいと思っている。
調査には、NHKなどは、調査員に戸別訪問をさせて調査する「 個別訪問面接聴取法」を採用することもあるようだが、新聞社などのメディアは、電話による「 RDD方式(乱数番号法、Random Digit Dialing)」を取っていることが多いらしい。
RDD方式と言うのは、ウイキペディアによると、「コンピュータで乱数計算を基に電話番号を発生させて電話をかけ、応答した相手に質問を行う方式で、従来の固定電話を対象として行なわれる。NTTなどの電話帳に掲載されていない電話番号も抽出対象となりえる。」らしい。
私も、昔イギリスにいた時に、電話が架かって来て、ヒースロー空港の新ターミナルの建設について、30分間ほど、詳細なRDD調査を受けたことがあるので知っているのだが、実際に、電話が架かって来ても、サンプリング調査に応じるのは、10%くらいだと言う話もあり、偶々私が出たが、固定電話であるから、誰が出て答えるかは全く未知数である。
乱数計算によって選ばれた電話番号に無作為に調査を架けると言うことだが、果たして、これが、公平なサンプリングになるのであろうか。
ビル・タンサーが、近著「クリック」の中で、携帯電話だけの世帯である「コードカッター」が増加の傾向にあって、それも、所得の低い世帯の22%がそのコードカッターで、富裕層の二倍になっていて、選挙前の世論調査なども固定電話の番号だけを対象にした無作為調査が行われるのだが、「下流」世帯の増殖が調査結果を歪める?のではないかと疑問を呈している。
現実には、それ程影響がないにしても、携帯電話しか持たない人の著しい増加と、携帯電話、固定電話両方を所有する人の割合の急激な低下によって、人口動態を適正に反映した調査対象者の抽出が難しくなってきたと言う。日本でも、NTTの固定電話が減少傾向にあると聞く。
古典的なサンプリング調査の失敗で、タンサ―が挙げているのは、リテラリー・ダイジェスト誌の実施した1936年のアメリカ大統領選の予測調査で、フランクリン・ルーズベルトではなく、アルフレッド・ランドンの地滑り的勝利を予測して有権者に衝撃を与えた。
何と、調査対象の抽出に利用したのは、「自動車の登録台帳」「電話帳」で、当時としての富裕な所帯ばかりを選んで調査してしまったので、当然、ランドンを候補に立てた共和党への支持が高かったと言うのであるが、サンプリングを誤った典型である。
電話調査について信用できるのかどうか、タンサ―は面白い例を上げている。
たとえば、ポルノへの支出調査で電話を掛けた場合に、そんな調査に喜んで答える人間がいるのか、また、調査対象者の回答を鵜呑みにして良いのかと言う疑問である。
着信拒否設定や留守番電話が使われ、他人に対する警戒心が増すばかりの時代に、調査にも、若者は忙しくてプライバシーの意識も高くて調査を受けたがらないので、もっと年齢が高くて協力的な調査対象者のデータに偏ってしまう。
まして、調査回答に当たっては、自分を「明るく」「健康的な」生活を送っている人物に見られたいと思っているので、アダルト向けのサイトにいくら払っているかなどと聞き出すのはベテラン調査員でも至難の業だと言うのである。
このことは、選挙予測の電話調査にも反映されていて、調査対象者が、必ずしも、正しい回答をするとは限らないと言う。
要するに、調査のサンプルが、その国なり地方の人口動態を正しく反映していることが必須で、電話調査にしろ、インターネット調査にしろ、かなり、現実からの乖離があり、先の民主党選挙戦予測で、電話調査では菅直人が優勢であったが、インターネット調査では小沢一郎が優勢であったなど、サンプル選択の違いが、結果に如実に表れてくる。
日本の場合には、若者を見ていれば、殆ど携帯電話だけのようで、インターネット関連ならいざ知らず、固定電話など持っていない人も多くて、明らかに、固定電話の保有者が、日本の人口動態を正確に反映しなくなっている。
私など、ディスプレイを見て、認知できる電話しか受話器を上げないのだが、友人知人たちの中にも、不明電話への対応に慎重な人が多くなっていることを考えれば、電話調査に簡単に対応するような人は、非常に稀な天然記念物のようなもので、益々、固定電話のRDD方式調査が平均的人口動態からスキューしていくのではないかと思っている。
いずれにしろ、世論調査や市場調査の技術は長足の進歩を遂げてはいるものの、正確な調査結果を導き出すための適切なサンプル抽出は、永遠の課題であり、あくまで、一つの調査であり、正確かどうかの保証は必ずしもないと言えよう。
NHKテレビなどでは、頻繁に、このRDD方式による政府支持率などの調査結果を、あたかも、国民の正しい審判の結果のように、嬉々として報道し続けているが、方向性は分かるとしても、権威ある数字のように扱うのには、多少の後ろめたさをも感じてほしいと思っている。